c
「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ サイト・マップへ
けふの料理
Tál a Nap
(画像掲示板より引用)
目次
Quick Jump ◆総記 ◆飲料 ◆カレー ◆穀類 ◆麺類総記 ◆地域別の料理 ◆◆ハンガリー料理 ◆◆和食 |
---|
【質問】 刑務所の食事を俗に「臭い飯」と言いますが,本当に臭いのですか?
【質問】 貴重な蛋白で採取も容易なのに,なんで青むしは常食にならんかったのだろな?
【質問】 戦場への携帯食として,縄に味噌汁染み込ませるの,なかったっけ?
【質問】 『乙嫁』読むと,羊食べたくなるでござる.どうしたらよいでござる?
99d 【質問】 次に予想される戦争は?
【質問】 ヒマラヤのシェルパ族の作る酒について教えられたし.
【質問】 「ばくだん」って,エチルにメチルを混ぜたものから,沸点差利用してメチルを取り出して,香料混ぜたもんだっけ?
【質問】 「ワイン・スープ」って知らないので教えてくらさい.
【質問】 輸送技術進展が,スペインのワイン産業に与えた影響について教えられたし.
【質問】 スペインのワインは,いかにして19世紀の危機から立ち直ったのか?
【質問】 チョンガーなので,カレー作っても簡単に消費できません('A`)
99d 【質問】 FAQ常連がどういう思想集団なのか明らかにせよ!
【質問】 外国人は,日本のカレーライスのことを,どう思っているのか?
【質問】 明治時代の陸海軍では,白米食により脚気に罹る兵士が多かったそうですが,では江戸時代はどうだったの?
【質問】 超普通の鍋で,ご飯を美味しく炊く方法を教えてください.
【質問】 「フィッシュ&チップスがおいしい」ってホントかい?
【質問】 フィッシュアンドチップスって,どっかで食えないかな?
【質問】 ザワークラウト作ってみたいが,どういうスパイス使えばいいんだろう?
【質問】 みんな「英国の飯は不味い」と言うが,その英国の中でも最もタフな舌を持つ清教徒達が作った国,米国を忘れてないか?
【質問】 中世ヨーロッパ農民の「からし」は,何という植物だと考えられますか?
◆◆ハンガリー料理
【質問】 果物スープの材料には,輸入物の缶詰を使ったほうがいいのですか?
◆◆和食
【質問】 かき揚げの,簡単で失敗の無い作り方を教えてください.
◆◆◆肉類
【質問】 日本において,家畜の肉以外の部位は,どのように利用されてきたのか?
◆◆麺類
【質問】 インスタントラーメンを発明したのは,皇后陛下のお父様って本当ですか?
「2ch. 軍事板」◆(2004/05/05~) 軍艦の食事について語るスレ・2食目
レス回収完了
「GIGAZINE」◆(2010/11/26) 食べても食べても満足できない人必見,空腹を感じる10の理由
「Gigazine」◆(2012/03/31) 「揚げずにとんカツ調味料」で,ジューシーなカツをできるだけ簡単に作る方法
「GIGAZINE」◆(2013/03/22) 全国にわずか2台しかないチャーハンマシンがあるという「大阪王将 阪大宙店」に行ってきました
「GIGAZINE」◆(2013/03/23) 世界で年間18万人が糖分を含む飲み物の過剰摂取により病気を発症して死亡
「GIGAZINE」◆(2013/03/24) ケーキに立てた風船が爆発,キャンディーをまき散らしパーティーを盛り上げる「Confetties」
「GIGAZINE」◆(2013/03/24) 食べ物をメタリックにしたりカラフルにしたりできる世界初の食用スプレー
「GIGAZINE」◆(2013/03/26) 売れすぎて3日で販売休止になった幻の「ガリガリ君リッチコーンポタージュ」が復活
「Gigazine」◆(2015/08/28) 世界中の給食を食べた時の子どもの反応はこんな感じ
「NAVERまとめ」◆(2013/04/27) 【利権】日本のチーズがまずい理由が悲しすぎる
「Togetter」◆(2013/04/06) 「輸入チーズ関税800%」は本当か
「TOCANA」◆(2014.5.15) 原料は廃油、死肉、残留農薬……、毒ラーメンをくらう日本人
「朝目新聞」(2013/03/12)●「アジフライ」には,醤油かソースか考えると夜も寝れない (´-?・`)
「朝目新聞」(2013/03/12)●アッと簡単!電子レンジはどこまで使える?
「朝目新聞」(2013/03/12)●オリバー,「しょうゆ」と「ソース」のいいとこどりした「しょース」を開発
「朝目新聞」(2013/03/12)●九州の給食ムースが全国発売キタ━━━━━(°∀°)━━━━━!!!!!
「朝目新聞」(2013/03/12)●「これ全国区の食べ物じゃなかったのか・・・」ってもの
「朝目新聞」(2013/03/12)●白いご飯とみそピーって最高の組み合わせだよな
「朝目新聞」(2013/03/12)●シュウマイとギョウザって根本的に同じものじゃないの?
「朝目新聞」(2013/03/12)●食べ放題のおすすめのとこあげてけ
「朝目新聞」(2013/03/12)●鶏はむね肉の方がもも肉よりヘルシーでうまい
「朝目新聞」(2013/03/12)●ネアンデルタール人,兎が狩れず絶滅?
「朝目新聞」(2013/03/12)●ピクルスはこう作れ!
「朝目新聞」(2013/03/12)●料理がかなりうまい温泉宿
「痛いニュース(ノ∀`)◆(2012/12/12) イオンが提案するレシピで作ったポテトサラダが「怖すぎる」と話題に
「カラパイア」◆(2015/02/10) 食用に飼育された家畜たちの起源と歴史
「しちにんブログ」◆(2011-09-08) 不定期更新「まんが飯」
「ダイエットまとめ」◆(2015/06/16) 料理は理系だ!フローチャートで解説した料理本が「分かり易い」と評判に!
栃木県護国神社>再現 大正・昭和の味
>軍隊調理法とは?
「東洋経済オンライン」◎(2011/07/25) 空腹の効用
>空腹を習慣とし気分的に飼いならしてしまえば,そう苦痛はない.
>空腹はもともと痛くもかゆくもない.
>空腹で胃痛を覚えるのは胃酸過多や胃潰瘍を疑わねばならない.
「ニコニコ動画」◆(2007/12/28) ウサビッチの人参ステーキを作ってみた
「暇は無味無臭の劇薬」◆(2013/05/02) 「馬肉を食べることは倫理的にどうなのか外国人が議論するスレ」海外の反応
『柑橘類(シトラス)の文化史 歴史と人との関わり』(Pierre Laszlo著,オーム社,2010)
身も蓋もなく一言で言ってしまえば,欧米を中心とした柑橘類の歴史を,様々な側面から見ていく本です.
因みに著者はフランス人の化学者で,エコール・ポリテクニークの化学教授を務めたフランスの有機合成化学の権威であり,日本の大学でも有機合成の教科書として使用されている本が発行されていますが,大学を退官した後は,一転して著述業に転身して様々な本を執筆しています.
元々化学者ですから,本書の後半では,柑橘類から分泌される化学物質についての記述とか,砂糖と蜂蜜の物性の違いとかが出て来て,どこが文化史だろうと思うところはあったりして.
また,所々に柑橘類を使った料理やお菓子のレシピが顔を覗かせていますが,欧米の本にありがちな,欧米独特の食べ物(特にハーブとか香味野菜とか)が出て来ることは余り無いので,日本人でも取っつきやすいレシピになっていたりします.
本書の執筆動機ですが,南宋の官僚にして,柑橘類の研究者である韓彦直という人が書いたの『橘録』という本があるのを知って,この本を作ろうと思い立ったそうです.
元々,柑橘類は中国で栽培されていたものが伝播したもの.
西の方へは中国から中央アジア,そしてペルシャやトルコを経てイスラームの波に乗ってスペインやイタリア半島に定着した外来植物です.
西の果ては地中海地域で長らく停滞していましたが,温室の発展と共にフランスや英国など寒い地域でも栽培され,更に海を渡って南米大陸へと渡り,ブラジルで一大発展を遂げます.
北米へは,南米から渡ってきたのもありますが,19世紀の帝国主義の時代に中国からプラントハンターが入手したものが改良されて,温暖な地域で定着しています.
当然,気候に問題があって,定着しなかったものもありますが,地道な栽培や研究の結果,その土地の気候や風土に合うものが創り出され,また栽培方法も改良されて,例えば米国のフロリダ州やカリフォルニア州では一大産業になっています.
因みに,日本でよく見かける(最近は見かけないかな)Sunkistブランドは,カリフォルニア州の青果協同組合が発展して巨大な会社組織となったものです.
また,柑橘類が及ぼした欧米の文化への影響を考察したり…例えば色,そしてそこから発展した絵,詩や小説,建築物,広告媒体への影響,勿論,御国料理への影響とか….
反面,著者が化学者であることから,歴史的な関わりと言っても,経営史的な部分はかなり弱く,ブラジルの会社による柑橘類の濃縮果汁独占の過程とか,奴隷労働の経過,Sunkistやミニッツメイドなどの米国の果実栽培企業の世界進出と独占の経過とかには余り触れられていません.
なので,こうした部分を期待する向きには,お勧めできません.
更に日本向けの本として致命的なのは,こうした考察が,欧州と南米と北米大陸に偏ってしまっていることで,柑橘類の本家本元である中国大陸での柑橘類の発展の歴史とか,それが日本に伝播した過程と独自の発展という視点がすっぽり抜け落ちていることです.
端書きや結語のところで,韓彦直に宛てて書いている部分を読むと,中国の柑橘類にも触れているのかと期待するのですが,そこは欧州の人.
アジア蔑視とは言いませんが,この部分はかなりの練り込み不足であって,相当残念でした.
ま,全体で脚柱も含め500ページ近い本なので,途中ダレる部分はあるのは否定しませんが,欧米の柑橘類の事情を知るには最適な1冊かな,と思います.
------------眠い人 Álmos ember ◆gQikaJHtf2 : 2019/06/05
『漬け物大全 世界の発酵食品探訪記』(小泉武夫,講談社学術文庫,2017)
著者は,よくテレビで見かける醸造学,発酵学の先生で,この本では著者の蘊蓄がふんだんに披露されているものになります.
元々は平凡社新書から発行されていた本を文庫化したものです.
漬け物と言えば,「香の物」,あるいは「御香々」などと呼んで,一般には野菜を糠漬けにしたものが代表的です.
私は,今も昔も甘味のある沢庵漬けが結構好きで,子供の頃はこれが出ると,一切れを口に含んでずっとしゃぶっていた子供でした.
…いや,今と違って甘味に飢えていたと言うのもありますし,うちで漬けた糠漬けはしょっぱいだけで美味しくないと言うのもある.
広辞苑によれば,漬け物とはこうした野菜の糠漬けの事を指すと書いてありますが,発酵させるものは糠だけではありません.
世界には,様々な素材を,様々なもので発酵させて食べる文化があります.
それは野菜に限らず,肉であったり,魚であったり,茸類だったり.
発酵を促すものは,日本では大体が糠か麹ですが,元々の発酵の歴史で始められたものと考えられているのが,乳酸発酵です.
昔の人達は,冷蔵が出来なかった為,腐りやすい野菜類を保存するため,また,日持ちしない肉や魚などの生ものを保存するため,更には冬には採れない野菜を摂取して,ビタミン類を補給するために生活の知恵で,試行錯誤しながら様々な漬け物を作っていきました.
日本は漬け物王国とも言うべき国で,べったら漬けや沢庵漬け,壺漬けなど根菜類を漬けたものはよく食べられていますし,梅干しも広義の意味では漬け物になるそうです.
また,雪国では,野沢菜漬け,赤蕪漬けと言ったものを夏の間に漬けて,冬のビタミン補給に利用しました.
野菜だけで無く,魚の漬け物と言うべきものも多く,代表的なのが近江の鮒鮨などの馴鮨です.
他にも長崎名産のからすみ,北陸のへしこ,伊豆諸島のくさやなども漬け物に分類するらしい.
海外に目を転じてみると,朝鮮半島にはキムチがありますし,中国には地域ごとに漬け物がありますが,日本で一番有名なのは搾菜でしょうか.
暑い東南アジアでも馴鮨的な魚の塩漬を野菜炒めの具にしたりしています.
そう言えば,彼の地ではナンプラーなどの魚醤も有名ですね.
乾燥している西アジアや高山地帯のインド亜大陸地域にはそうしたものが無いみたいですが,それでもネパールやブータンなどには乳酸発酵の漬け物があるそうです.
アフリカは著者が確認したのは,アフリカのマダガスカル島くらいですが,他にも有るのでは無いでしょうか.
そう言えば,西アジアには椰子の実を発酵させたものがあったような気がしますが.
欧州ではピクルスとザウアークラウトが有名ですし,シュールストレミングなんて言うのも魚の漬け物と言えなくは無いらしい.
こちらでは根菜よりは葉物,或いは魚が中心です.
所変われば品変わると言うべきなのでしょうか.
この本,最初は学術的な本と言う感じでかなり取っつきにくく思えるのですが,途中から脱線してきて,著者の酒の肴の話になって行っているのはご愛敬.
それでも,文化人類学的な考察や発酵学に関する豆知識を得ることも出来る本になっています.
まぁ,深くこの世界に首を突っ込みたい場合は,薄い文庫本では無くて専門書の方がいいかも知れませんが,発酵や漬け物に興味のある人は取っ掛りとして最適な本では無いかと思います.
------------眠い人 Álmos ember ◆gQikaJHtf2,2020-09-14
『逃避めし』(吉田戦車著,イースト・プレス,2011.7)
『日本の砂糖近世史』(荒尾美代著,八坂書房,2018)
日本には四国地方に和三盆と言う国産白砂糖があり,また奄美や琉球が黒砂糖を生産して,薩摩島津家経由で国内に流通していたのですが,砂糖が本格的に日本国内に出回るようになったのは,戦国時代末期の南蛮貿易からと言われています.
江戸時代初期には,オランダ(蘭印),清,東南アジアからの主要輸出品として砂糖が取り扱われ,その為の対価として日本から多くの金銀が流出してきました.
これを憂慮した江戸幕府は,砂糖を海外から輸入せず,国内生産に切り替えることを検討し始めました.
この為,中国商人に砂糖の栽培方法を諮問し,実際に砂糖黍を国内に配布して栽培させます.
また,砂糖生産に成功した長府毛利家や薩摩島津家などに役人を派遣して,その役人たちの見聞に基づき,国内で砂糖黍からの砂糖生産方法を開発して,それを各大名家に開示して砂糖生産を促していきます.
その結果,現在でも残っているのが四国地方で生産されている和三盆になった訳です.
しかし,その生産は現在の,特に和三盆の生産方法とは異なり,土を上から被せて糖液から蜜を析出し,純化する手法でした.
砂糖の専門家である著者にとっても,白い砂糖を生産するのに黒い土を上から被せると言う生産方法は衝撃的だったみたいです.
その土はどんな土なのか,何でも良いのか,条件が何かあるのか,など不明点が次から次へと湧いてきます.
一体,その技術がどこからどの様にして日本に移入されたのか,そして日本での技術発展の過程,更に土を被せる方法から,現在の和三盆の生産方法である加圧法にどうやって発展していったのかを詳細に検討して行ったのが本書です.
元々,日本人の砂糖の嗜好としては,白砂糖より黒砂糖が好まれていたそうです.
黒砂糖の販売価格は原価の10倍にも達したそうな.
一方の白砂糖は2~3倍なのですが,白砂糖を仕入れても中々売れなかったらしい.
これは江戸時代中期に至っても同じで,白砂糖でも蜜が残っている状態のものが売れたそうです.
そりゃ,出島貿易の商人達は笑いが止まらなかったでしょうね.
この為か,和三盆でも薄らと蜜が残っている状態になっています.
現在でも,欧米では蔗糖ほぼ100%のグラニュー糖=砂糖なのですが,日本ではブドウ糖と果糖の混合物である転化糖を加えた上白糖=砂糖となります.
これは海外では作られていないそうです.
そう言う意味では,いくら欧米化されたとは言え,日本人の味覚というのは今に連綿と続いている事になります.
因みに,土を被せて砂糖を析出する覆土法と言うのが,長いこと謎の侭でしたが,その源流が東南アジア,特にヴェトナムで残されていたと言う事で,1章を割いてヴェトナムでの現地調査の結果も書かれています.
今では彼の国でも経済発展のため,この覆土法を用いた白糖生産は行われなくなったそうで,最後の機会を捉えてその技術を確認することが出来た訳です.
恐らくこの覆土法は華南地方で開発されて,東南アジアに伝播し,それが日本に伝わったのですが,日本では手間の掛かる覆土法は好まれず,油などの抽出に用いている圧搾機などを基にした簡単な機械を使って圧搾する加圧法が開発されると,そちらが主流になって行ったと考えられます.
因みに,和三盆で使われている加圧法と言うのは日本独自の製法であり,海外では行われていないものだそうです.
これも,日本人の海外技術を発展させ,それを基に独自の手法を開発したものの1つなのかも知れません.
砂糖生産の技術的な話は余り理解出来なかったのですが,生産技術の話は興味を持って読むことが出来ました.
そもそも,未だに日本人の甘味に対する味覚が殆ど変わっていないことにビックリですね.
------------眠い人 Álmos ember ◆gQikaJHtf2,2021-03-13
●メシマズ
「鬼嫁ちゃんねる」◆(2014/08/10) 嫁に揚げたハツカネズミを食わされた。吐こうとしたら胃液と涙がポロポロ。離婚します
「かげきだん」◆(2014/10/29) メシマズ嫁の料理教室、どこがいい? 基礎をきっちり教えてくれるところがいいよね
「鬼女の宅配便」◆(2014/09/07) 【 塩嫁 】嫁のメシが塩辛すぎる。そう言ったら「こーんなにしてあげてるのに」と泣く。俺、このまま血圧上がって死ぬの?
「気団談」◆(2014/08/30) 手順も調味料の種類も間違ってないのにメシマズだった理由
「気になった生活スレまとめ」◆(2015/10/05) 嫁が洗剤で米といで洗ってる。体に悪いと諭してるんだが『飲んでも害が無いの!』と、のたまう…最近下痢気味続きで体重が減ってる…
「クーゲルシュライバー」◆(2014/07/15) どこで聞きかじったのか騙されたのか知らないが「煙草の葉を食べると健康に良い」がっつりとやってくれたよ
「クーゲルシュライバー」◆(2015/03/17) あけおめ程度しかやり取りをしない兄からのSOSメールが「嫁の飯がマズイってレベルじゃない」だった件wwwww
「結婚速報」◆(2014/10/09) 【閲覧注意】結婚して50日、嫁がメシマズと気付いた!→数日後、マズイと騒いでる方が幸せだったと気付いた…ウチの嫁はそれどころじゃなかった
「結婚速報」◆(2014/10/22) 【壮絶】嫁がテーブルに出したものを見て、俺の精神が壊れた→嫁一家は全滅。俺は、今も外で叫びだすほど心に傷を負い病院送りへ
「楽しいことないかな」◆(2014/07/25) 【悲惨】嫁が持ってきたモノで俺は発狂!リコンして病院通いにwww なお嫁実家は完全に崩壊し、バラバラになってしまった模様・・・・
「楽しいことないかな」◆(2014/08/13) 【壮絶】俺『絵の具スープなんか食えるか!離婚!』嫁「いや!私妊娠してるのよ!」俺『えっ』マジだったwwwだが時期的に俺の子じゃない! → 結果・・・・
「楽しいことないかな」◆(2014/11/05) 【絶句】嫁のバイオ兵器メシで俺と息子は病院送り!犬は他界!医者『子も2、3歳だったら亡くなってた』→なお嫁は・・・・
【質問】
愛妻弁当って何?
【回答】
だいたい,こんな感じのもの.
https://www.nicovideo.jp/watch/sm14944353
【質問】
ヴァンプ将軍のさっと一品とは?
【回答】
以下参照.
【質問 kérdés】
「うまい巻き」の作り方を教えてください.
【回答 válasz】
図表番号 faq170907um1~3
画像掲示板より引用.
mixi, 2017.9.7
【質問】
刑務所の食事を俗に「臭い飯」と言いますが,本当に臭いのですか?
【回答】
リアルに臭い.
昔は精麦が十分ではなかったため,独自の匂いをはなっていたらしい.
そして,健康食の麦飯とは違って,ひたすら不味かった.
今はかなり改善されているけど,それでも学校給食レベルだ.
でも,給食も改善されているかな?
まあ,美味しさのあまり,何度もムショに戻られても困るだろ.
余談だが,古いフランス映画「穴」のサンテ刑務所は待遇は良さそうだったな
未決囚のための拘置所だったせいもあるかもしれないが
差し入れは自由でタバコも部屋で吸える
漫画板,2013/06/05(水)
青文字:加筆改修部分
【質問】
刑務所での食事風景を教えてください.
【回答】
俺の会社が,ある長期刑務所の所内作業に下請け仕事を出しており,その作業監督で刑務所内に入ったことがある.
その時の話.
まず,入る前にタバコとライター,携帯電話は管理棟に置いていかされる.
書類にサインし,腕章を受け取ると,小さな札を渡される.
所内への通路は二重になっており,それぞれの扉には,鍵と4ケタの暗証番号式ロック.
看守についていって一つ目の扉をくぐったところで,旧日本軍の歩哨所のような詰所があり,そこでくだんの札を渡すと,二つ目の扉が開かれる.
ここも鍵と暗証番号の二重ロックで,鍵だけ持っていたのでは突破できない.
・・・さて,前置きが長くてすまなかったが,問題の食事だ.
当日の昼食はラーメン,11時30分から「配食!」の号令で,工場の隣にしつらえた食堂に,配食係の受刑者がドンブリに入ったラーメンと,お茶を並べて回る.
相当にてきぱきとやるため,配食には15分とかからない.
この間,工場の受刑者はひたすら作業.
「作業やめい!」の号令がかかるのが,12時ジャスト.
作業をやめた受刑者は,作業台の椅子に座り,ひざの上に両手を並べる.
この時,妙な動きをすると,懲罰の対象になる.
「検身!」の号令で,10人ぐらいずつが立ち上がり,一列に並んで,担当の看守の前で「カンカン踊り」,手を振って舌を出し,足を踏み鳴らして,一種のボディチェックを受ける.
終わった者から食卓に座れるが,座っても両手はひざの上.
最初の1グループが終わるまで,次のグループは着席したまま,動いてはならない.
・・・全員の「検身」が終わり,全員が食卓につくまで,たっぷり30分.
見ている俺も,好奇心を通り越してじれてくる.
「喫食!」(食ってヨシ!)の号令がかかるまで,配食してから1時間弱.
・・・盛って1時間弱もたったラーメンを,普通,食えるだろうか?
しかし,受刑者は食っている,それしか食い物はないのだから.
いやはや,悪いことはするもんじゃない,と思ったものだ・・・.
ついでにご紹介.
刑務所の所内作業は原則として16:00までだが,納期が迫っているなどで,残業をさせなければならない場合,刑務所の処遇課に書類を出して,すったもんだの末ではあるが,17:00まで残業が許可される.
その場合,受刑者にも「残業手当」を出さなければならず,それは現物支給で「おはぎ」.
受刑者一人当たり2個,ドンブリに入れて支給されるが,独房や雑居房に持って帰ると,他の工場で働いている受刑者とトラブルの元になるため,お茶もなしに,工場で食って帰らされる.
しかし,甘いものに飢えている受刑者には何よりの福音で,
「先生!(受刑者が看守や,俺のようなシャバのひとを呼ぶときは誰でも「先生」),もう,残業はないんですか!?」
と,殺人犯や放火犯に言われると,少なからずビビる・・・.
刑務官の昼食は「刑務共済組合直営食堂」で食べることが多い.
俺のような「所内作業を出しているシャバの企業関係者」は,刑務官が給与天引きなのに対し,現金払いで食べることができる.
確か,300円だったと思う.
で,その「刑務共済組合直営食堂」は「塀の中」にあり,食べに行くにも,上述の「二重の鉄格子」をくぐっていかなくてはならない.
この食堂,またの名を「官炊」といい,パートのおばちゃんに混じって,グレーの作業服に前掛けをつけた受刑者が,せっせとメシを作っている食堂でもある.
「官炊」は受刑者にとって,「味見」や「つまみ食い」のできる人気の職場なのだが,シャバで料理人なり板前さんなりやっていた,腕に覚えのある受刑者しか配属されず,「誰でも配属される職場ではない」受刑者の中では,エリート!?の職場らしい.
ある1日のメニューを紹介すると,「カレイの唐揚げ定食」.
結構な大きさのカレイが程よく揚がっており,はっきり言ってうまい.
これに付け合わせの和風サラダと,ごはん,味噌汁,キムチはジャーと大きなバットから取り放題.
メインディッシュのカレイの唐揚げの乗ったお皿は,カフェテリア形式で,調理場からの「窓口」で受け取る・・・
「窓口」というのは,そこから身を乗り出して食堂に受刑者が逃げ出すのを防ぐため,上下にひどく狭い,受け取り口になっているからで,そこからのぞいて見ると,パートのおばちゃんにアゴで使われる受刑者が見える.
刑務官に聞いてみた.
「このカレイの唐揚げ,受刑者も食ってるんですか?」
「うん,出すこともあるよ,オレたちよりマシなモン食ってる時もあるな(笑」
しかし,上に書いた事情で「揚げたて」を食べられないことは確実なようで・・・.
軍事板,2004/08/04
青文字:加筆改修部分
花輪和一著 「刑務所の中」
映画化もされてますが,食事風景が山ほど出てきます.
塀の中の皆さんにとって,甘いものは何物にも換えがたいようです.
軍事板,2004/08/05
青文字:加筆改修部分
【質問】
レクター博士の得意料理は?
【回答】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6705152
【質問】
夏のお勧め料理は?
【回答】
以下参照.
【質問】
貴重な蛋白で採取も容易なのに,なんで青むしは常食にならんかったのだろな?
【回答】
味や調理の手間を置いておくとしても,
・個々では食いでが無いため,常食とするにはそれなりの量が必要になる
・人為的な養殖増産が難しいものが多く,安定した供給が望めない
・摂食に適する時期が限られるのに保存が利かない
ってところが問題かと.
特に保存が利かないのは致命的だと思う.
日本でも,季節・地域によってはアホほど取れるバッタや,(食用目的で無いにしろ)家畜化されたお蚕さんの蛹などは食用にされてるけど,それでも季節の珍味みたいなもので,主食にはなってない.
漫画板,2013/04/30(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
船底についた牡蠣は喰えるの?
【回答】
喰える.
戦時中の食糧不足のおりには重宝されたらしい.
吉村昭氏の随筆にあった.
ただ,古い船底塗料には,生物付着防止とかで,有毒な鉛化合物が入っているので要注意.
最新の船底塗料に含まれているのは,カプサイシン(唐辛子の辛味成分)だが.
軍事板,2004/07/18
青文字:加筆改修部分
ドック入りすると引っ付いた貝を剥がすが,食べる気にはなりません.
魚も船と一緒に入ってくるので,
ドック閉められ排水⇒水だまりに魚がピチピチ
予備海士長 ◆0J1td6g0Ec :軍事板,2004/07/18
青文字:加筆改修部分
675 : 名無し三等兵 :投稿日:2004/07/18 07:21:00 ID:???
昔,造船所勤務…
ドックで作ってた船,進水
↓
次の船作るからドックの水を抜く
↓
スズキ,ゲット
↓
家に持って帰る
↓
母者と一緒に酒を飲みつつ刺身で頂く
↓
(゚д゚)ウマー
692 : 名無し三等兵 :投稿日:2004/07/19 20:39:00 ID:???
うちのドックには,漁業権が設定されている.
おれ「このさかなちょーだい.」
古参「○○に許可もらえ(笑)」
軍事板,2004/07/18
青文字:加筆改修部分
【質問】
前に唐辛子についてちょっと触れましたら,
「ヨーロッパの唐辛子はコロンブス由来」
という話を聞かされまして….
http://mltr.ganriki.net/faq11l.html#15396
消印所沢,2010/05/05 06:11
【回答】
あい,その通りですよん.
コロンブスが持ち込んだ唐辛子は,北欧では受け入れられませんでしたが,イスパーニャからイタリア半島を経て南欧経由でオスマーン帝国に渡り,オスマーン帝国からマジャールに渡って,そこでパプリカとして開花します.
アフリカには16世紀にポルトガル経由でもたらされ,西アフリカから喜望峰を経て東アフリカ,そしてインドにもたらされます.
インドからはポルトガル人のみならず,ペルシャ,アラブ,ヒンドゥー商人の手を経てインドネシアやペルシャに伝播し,内陸に向けてはチベット方面に伝播します.
インドネシアに伝播した唐辛子は,モルッカ諸島を経てモルッカやパプアの交易人によって16世紀初頭にニューギニア北海岸にもたらされ,そこからメラネシア方面に向けて伝播していきます.
中国には16~17世紀頃伝播しましたが,日本には1542年にポルトガル人によってもたらされ,日本を経て朝鮮半島に伝播したのが17世紀だそうな.
半世紀足らずで世界を席巻したのですな.
眠い人,2010/05/05 11:00
マジャールの料理と言えば,グヤーシュ,ペルケルト,パプリカーシュと言った煮込み料理が主流です.
昔は,3つとも同じ料理を表わしていましたが,現在は,ラードで玉葱を炒め,肉とたっぷりのパプリカパウダーを入れてじっくり煮込むのがベルケルト,ベルケルトに水と馬鈴薯とに人参を加えて火が通るまで煮たのがグヤーシュスープで,これに小麦粉で捏ねて小さな粒にしたチペトケを加える場合もあります.
で,ベルケルトに小麦粉で溶いたサワークリームを仕上げてに加えたのがパプリカーシュで,この他の意味としてはパプリカ味で煮込めばパプリカーシュと呼ばれます.
尤も,これには地域差や個人差もあるので,一概には言えませんが.
その料理の中心に用いられるのがパプリカです.
日本では一般的に「パプリカ」と言うと,辛くないパプリカパウダーや生のパプリカを指しますが,マジャールではそうしたパプリカの他,辛い唐辛子の粉もパプリカですし,生の唐辛子もパプリカと呼びます.
従って,日本の常識でパプリカと言うと,偶には酷い目に合いそうな気もします.
パプリカと言うのは,ギリシャ語のpeperi,ラテン語のpiper,即ち「胡椒」を表わす言葉に,南スラヴ語の指小辞-kaが付いて,paprikaとなったと言われています.
ブルガリア語ではピペルカですし,セルヴィア語,クロアチア語ではパプリカです.
つまり,マジャールへはセルヴィアやクロアチア方面から来たと考えるのが自然で,実際,マジャールの領域内にパプリカと言う言葉が記録に出て来るのは18世紀初頭にヴォイヴォディナ地方近くの国境地区の住民台帳に,パプリカ・イシュトヴァーンと言う名の農民が登場したのが最初です.
パプリカと言えば,マジャールでは,おどけた顔に赤い服と帽子と言う人形劇の道化役を演じる,パプリカ・ヤンチ.
これは,バルトーク・ベーラのミクロコスモス139番の曲名でもあります.
日本語では,「道化師」とか「ピエロ」と訳されることが多いのですが,そのものずばり,「とうがらし野郎」と言う訳もあったりします.
唐辛子自体は,既に16世紀に植物収集家のネットワークを通じて入ってきており,カプシクムは「インド胡椒」「トルコ胡椒」「赤いトルコ胡椒」として珍重され,大貴族や知識人の観賞用植物となっていました.
これが食用になったのは,オスマーン帝国経由で,一説にはハーレムで庭師が育てるのを観察していたマジャールの娘が,年季が明けて帰ってから故郷の村にもたらしたと言うのもありますが,栽培の様子が最初に資料に表われるのは,18世紀前半に書かれたベールの地方誌で,「平原地域」で「マジャール胡椒」が栽培されていると書き,「それはとても辛く,目に入ると失明する程である.この為,多くの人は批判するが,それでも広く使用され,マジャール人以上に食べ物をこれで味付けする者はいない.無駄である.コットナの胡椒がなければ,手許にあるものが一番である」と述べています.
18世紀になると,平原地域の農民は高い胡椒の代わりに,代用品として唐辛子を栽培して言った訳です.
18世紀末にドレスデン出身の博物学者ホフマンゼッグ伯がマジャールを長期旅行し,その様子を家族に宛てていますが,人里離れた湿地帯を歩き回った際に疎らにある小屋でいつも「トルコ胡椒と肉で作るマジャールの国民的料理」を食べ,気に入っていると書いています.
これがグヤーシュやベルケルトの原型であろうと考えられています.
当時,パプリカはトルコ胡椒と呼ばれる様になっていました.
因みに現在,パプリカ生産の中心はマジャール平原であり,有名なのはセゲドとカロチャの周辺です.
セゲドはティサ河畔の町で,チョングラード県の県庁所在地.
川魚をパプリカ味で煮込んだスープである,ハラースレーが名物です.
セゲドにはまた大学があり,この地で研究を積んでノーベル医学・生理学賞を受賞したセント=ジェルジはパプリカからビタミンCを生成しました.
カロチャはドナウ河畔にあり,刺繍で有名.
マジャールにある3つの大司教座の内,1つが置かれています.
元々,パプリカは農民の調味料として用いられていただけだったのですが,19世紀後半にはセゲドで鍛冶屋出身のパールフィ兄弟が鋼鉄のロールを使ってパプリカ用蒸気製粉機を製作し,パプリカパウダーを大量生産する術を拓きました.
しかも,製粉前のパプリカをナイフで開いて種と胎座を取り除き,辛くないパプリカを作る工程を開発し,特許を得ました.
これにより,辛さも調節されて大量に生産される様になったパプリカパウダーは,折から開通した鉄道に載せられて首都ブダ=ペシュトは元より,国内各地域へ,そして帝都ウィーン,更には欧州各地へと輸出されていきます.
20世紀初頭には主要な輸出品に成り上がり,セゲドの市場では小麦の様に大量に売買される様になり,産地毎の競争や,スペイン産との競争も発生しました.
この為,混ぜ物をしたり,産地偽装をしたりと様々な問題が出て来て,1903年,マジャールで不作だった年には,比較的安価なスペイン産を混ぜて出荷する大々的な産地偽装問題が明るみに出て大問題となっています.
こうした経過を経て,第1次大戦後には国が乗り出して出荷量と流通の管理を行い,研究所を設置し,生産地の限定も行われるようになりました.
因みに,第1次大戦でも第2次大戦でも,マジャールのパプリカは,同盟国内で胡椒の代替品として用いられ,需要が急増しています.
元々,パプリカは種に辛み成分が含まれていました.
その為,それを取り除く為に種を冷たい水に晒して数時間足で踏むと言う工程を強いられました.
しかし,1930年代後半には,オバルマイエルと言う研究者が,純系分離と交雑によって,辛くないパプリカの品種を開発し,その問題を解決しています.
一方,生野菜としてのパプリカの定着は香辛料のそれよりも遅かったそうです.
マジャール国内でそうした野菜作りを担ったのが,ブルガリア人でした.
ブルガリア本国では野菜作りの技術が発達し,その人達が19世紀後半にドナウ川伝いにやってきて都市近郊で野菜栽培を始め,丁度,工業化で成長著しかった都市の野菜市場を支えました.
ブルガリア人は水車を使った灌漑設備を作り,集約的に野菜を生産しました.
当時のマジャール農民は粗放的な天水栽培が中心でしたから,こうした方法は新鮮で,1875年にはセンテシュの領主がブルガリア人を招いて市場向け野菜の栽培方法を伝え,以後,この地でもそれを真似た野菜作りを行うようになりました.
また,ブルガリア人はブダ=ペシュトの南部にも定住して野菜作りを始め,この地にはブルガリア人協会が設立されると共に,ブルガリア正教会が建てられて現在でも続いています.
現在は住宅街ですが,「ブルガリアの野菜作り人」通りもあるそうです.
野菜としてのパプリカ料理は,レチョーというパプリカを切って炒めた玉葱とトマトとパプリカパウダーで煮た物,肉に掛けたり,パスタと和えたり,卵を入れたりして用いますし,肉と米と玉葱などをパプリカに詰めてトマトソースで煮込んだ肉詰めもあります.
辛い物はピクルスに用いています.
眠い人 ◆gQikaJHtf2,2010/05/04 21:14
タンザニアの農村部では唐辛子は勝手に生えてくる物であり,畑で栽培する訳ではありません.
生ゴミを棄てるゴミ捨て場には,そこに棄てられた種が落ちて,そこから南瓜や唐辛子が生えてくる訳です.
謂わば,日本で言う葱みたいな物.
家の外に行って生えている物を適当に摘んで,洗って食すと言う感じです.
唐辛子のことは,スワヒリ語でpilipiliと言います.
普通の唐辛子は単にpilipiliですが,キダチトウガラシと言う種類は辛さも格別で,pilipili
kichaaと言います.
kichaaは,スワヒリ語で「狂った」を意味する言葉で,それだけ異常な辛さを示しているものです.
タンザニアで人気がある唐辛子は,pilipili
mbuziと言う種類で,これは直訳すると「山羊の唐辛子」転じて,「山羊料理に良く合う唐辛子」の事だと考えられています.
因みに,胡椒のことはpilipili manga(アラブの唐辛子)と言い,ピーマンはpilipili
hohoと言う様に,辛い物や唐辛子族に属する植物には全て,pilipiliと名が付きます.
タンザニアでは肉料理を出す店なら庶民的な店から高級店に至るまで,絶対に生の唐辛子が置かれていて,グリーン・ペッパーか,pilipili
mbuziのどちらかが出て来ます.
キダチトウガラシは先ず出て来ません.
特に唐辛子を好む地域は,コーヒーの栽培地として知られるタンザニア南部のマテンゴ高地です.
此処には,先述の唐辛子の他にも様々な形態の唐辛子があります.
しかも,これらの唐辛子は何れも刺激が強く,キダチトウガラシは,日本で饂飩に入れよう物なら,耳かきに1杯入れると充分,2杯以上入れたら辛くて食べられない代物になったりします.
この地域で,大量に唐辛子を仕入れると,先ず言われるのは「こんなに買ってどうするんだ?豚でも盗むのか?」というジョークです.
イスラームが少なく,放牧地が少ないマテンゴ高地では,庭先での養豚が盛んな地域です.
そして,コーヒーの出荷時には懐の暖まった男達が,昼夜を問わず酒場に集まって,玉蜀黍で造った濁酒を汲み交わします.
酒場には粗末な小屋が隣接していて,半身の豚が吊されて,その横に山刀を持った男が煮立つ脂の番をしている光景が必ずあったりします.
彼の役目は,客の注文に応じて,肉を切り分け,山刀で骨を砕いて,その場で揚げる役目です.
特にコーヒー出荷時の最盛期には,1つの酒場だけで何頭もの豚が消費されますので,豚の供給が追いつかずに,その調達をアルバイトにする者も現われます.
豚は家の庭で放置状態に近い放し飼いになっています.
この季節はその上,飼い主の多くが酔っ払っていて,誰も見咎める者はいません.
と言う訳で,豚泥棒が横行することになります.
で,盗んだ豚を酒場に持ち込むと,酔っ払いが忽ち平らげてくれるので,証拠すら残りません.
正に完全犯罪でもあり,一方で,盗られた豚にお金を払っている可哀想な飼い主がいたりもします.
豚を盗むのにはコツが要ります.
無理矢理連れて行くと,豚は抵抗しますし,鳴き喚きますから,家人の誰かには気づかれてしまいます.
そこで,豚を盗む時には,先ずストローと唐辛子の粉末を用意します.
ストローで豚の鼻先に唐辛子を吹き付けると,豚は大人しく付いてくると言うのです.
正に,上方落語の「くしゃみ講釈」を地で行く話ですが,キダチトウガラシの燻煙を吸い込むと,くしゃみどころか鼻水と涙が滝の様に溢れて声すら出ません.
豚は嗅覚が鋭いので,余計に参るのでしょう.
その豚を酒場に持っていくと,先ず血を鍋に採り,塩を加えて火にかけます.
これでそぼろ状の物が出来上がりますが,これは見た目よりも美味しく,直ぐに完売するそうです.
ついでに,皮を剥ぎ,皮下脂肪を削ぎ取って,そのラードで小さく切った肉を揚げ,頃合いを見計らって肉を古新聞に上げて余分な脂を落とし,岩塩とキダチトウガラシの粉末を付けて食べると,食欲をそそる味がするそうです.
そして,みんなが食べて,証拠隠滅と相成る訳です.
眠い人 ◆gQikaJHtf2,2010/05/06 22:54
【質問】
中世ヨーロッパの生活について書いた本に,農民は脂ばかりのまずい肉を食べていたということで,無理して食べるために,ニンニクと「からし」をすりつぶした調味料を使っていたと書かれていました.
麦を挽く臼を持っている家ならどこでも,「からし」用の臼を常備していたぐらい普及していたそうです.
この「からし」が何を指してるのかわからないのですが,何という植物だと考えられますか?
【回答】
アブラナ科のシロガラシ,クロガラシ.
ローマ帝国時代から地中海沿岸に自生していたのだから,中世に普及していても不思議ではない.
種子をすりつぶせば,マスタードの原料になる.
大航海時代の前は,それぐらいしか調味料など無かったであろう.
トマトが無いのだから,ケチャップも無い.
大豆が無いから,味噌も醤油もない.
コショーも唐辛子も何にも無い.
こうしてみると,現代がどれだけ調味料に恵まれているかってことだ.
世界史板,2011/05/03(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
戦場への携帯食として,縄に味噌汁染み込ませるの,なかったっけ?
【回答】
芋がらを縄状に編んで,味噌で煮染めておくやつか.
芋がらを干すところから芋がら縄の味噌煮染めを作って,その上で味噌汁を作ってみた人のサイトを,見たことがある.
味噌汁と言ってイメージするようなにごりがなく,澄まし汁になったので,失敗したと思ったそうだが,芋がらはシャキシャキで,汁の味も美味しかったらしい.
ただ,芋がら乾燥→実食まで,3ヶ月かかったとのこと.
漫画板,2013/04/14(日)
青文字:加筆改修部分
【質問】
シーチキンって戦争糧食として作られたそうですが,その経緯を教えていただけませんか?
ぐぐってもはっきりしなくて.
【回答】
違うから経緯の教えようがありません.
うーんと.日本人がマグロをありがたがるようになったのは昭和に入ってからで,主に貧乏学生が原因と言われてる.
捨ててしまうようなトロが,意外と美味いと言って広めたと言われている.
進駐軍が広めたとする説は,恐らく誤りと思われる.
(米人は未だに赤身ステーキの方を好み,トロをありがたがらない.)
江戸時代中期頃,大量に獲れだしたが,当初は「ネコまたぎ」と言って,油くさくて猫も食べない魚と言われていた.
醤油漬けが開発されて保存がきくようになり,赤身は消費されるようになった.
その後も,大量に獲れてしまうので缶詰にしたと言うだけで.
戦略物資と言うより輸出品として生産が行われた.
シーチキンの名は,戦後に国内で流通させようとした時に決定された.
軍事板,2009/07/11(土)
青文字:加筆改修部分
【質問】
合成チューインガムの初めては?
【回答】
合成ガムは戦後日本で開発されました.
戦時中に鐘紡の研究所で,兵器の原材料である酢酸ビニール樹脂を見た,森又商会(ハリス旧社名)の森は,昭和26年秋,これを利用したガムをおもいつき,鐘紡の敷地の一部を借り受け,チューインガムの製造を始めました.
この酢酸ビニル樹脂は,火薬の材料としてドイツで開発されたもので,それを代用品としてガムに応用したのもドイツが元祖.
今でも風船ガムは,皮膜の強い酢酸ビニル樹脂が原料です.
酢酸ビニール樹脂製ガム「ハリスチューインガム」を発売した森又商会は,翌年昭和27年ハリス株式会社に商号を変え,大躍進のスタートをきり,昭和35年にはガムだけの売り上げで年間45億円もの売り上げを誇る,日本一のガムメーカーに発展しました.
しかしその後,ロッテの天然樹脂によるガムが売り上げを伸ばし,最近では合成ガムは姿を消しつつあります.
ちなみにロッテは昭和21年5月,「ひかり特殊化学研究所」を前身とし,当時の重光社長は南米産天然樹脂のガムの試作に成功しましたが,当時の原料入手難からあきらめ,当時,他のガムメーカーが原料として使用していた,酢酸ビニール樹脂で製造を始めました.
しかしロッテの基本姿勢は,あくまで本物志向であり,サッカリン,ズルチン,水飴を使用せず,全部砂糖を使ってガムを製造しました.
その後,天然樹脂の入手も可能となり,現在の形のガムが一般的になると,徐々にシェアーを伸ばし,今ではガムといえばロッテの板ガムを指すほど一般的になったようです.
ちなみにロッテは,現在は風船ガムはやっていませんが,25年位前にはBub-Upという商品を出していました.
たぶんロッテ唯一の風船ガムだったと思います.
重光社長は最初,酢酸ビニル樹脂でガム製造を始め,以前から化粧品を製造していた関係から,第2次大戦以前からアメリカで外傷の薬として,またジュースや菓子類の着色,消臭,殺菌用として使われていたクロロフィルに着目し,ガムに応用することを考えていました.
その研究の結果,完成したのが後の大ベストセラー商品,今日でも人気のある「グリーンガム」の原形となるグリーン風船ガム
でした.
軍事板,2004/01/19~01/22
青文字:加筆改修部分
【質問 kérdés】
ナツメヤシとは?
Mi az datolyapálma?
【回答 válasz】
イスラームでは酒が禁じられています.
クルアーンの章句には,『これ,汝ら,信徒の者よ,酒と賭失と偶像神と占失はいずれも厭うべきこと,シャイターンの業.心して避けよ.』とあります.
尤も,「敬虔な信者に約束された楽園」の中には,「飲めばえも言われぬ美酒」と言うのがあるので,どっちやねんと言うべきなのかも知れませんが(なんて事書いたら抹殺されるだろうか).←小心者.
ムハンマドの時代は,入信する場合の条件が,断酒だったりしたので,入信者を増やす障害になりました.
何故,ムハンマドが酒を禁じたかと言えば,以下の伝承があります.
あるとき,ムハンマドは友人を訪ね,結婚式に列席したそうな.
人々は酒に酔い,陽気に楽しく騒ぎました.
これを見て,ムハンマドはこれも酒の御陰と祝福を与えました.
翌日,ムハンマドは同じ家を訪ねました.
そこには,争いによる流血と惨劇の痕がありました.
これを見て,ムハンマドはそれがやはり酒の所為と知り,以後酒を呪い,飲酒を禁じたと言われています.
酒は,豚,正当な手続きを経ないで殺された動物の死体,血,精液などと共に,イスラーム法上不浄なものとされ,もし,ムスリムが飲酒をして,息に酒のにおいをさせたまま,或いは酔っぱらったままで判事の所に連れて来られるか,二人以上の証人がある場合,飲酒の罪が確定します.
罰は自由人で鞭打ち80回,奴隷で鞭打ち40回と規定されていますが,1982年のイランの場合,酒を飲み,ホメイニ師などの悪口をさんざん喚き散らした廉で3回の鞭打ちの刑を受け,まだ飲酒を続けるのならば死刑にすると言う警告を受けながら,それでも酒を止めなかった織物職人が銃殺刑に処せられていたりします.
まぁ,それは極端な例として,動物の死体から剥ぎ取られた皮が染色されてしまえば,清浄物ですが,果実酒も同じ様に酢酸発酵して酢になってしまえば,清浄と認められています.
同じイスラームの世界でも,アッバース朝では飲酒が公然とは言えないまでもそれなりに飲酒をした人々がいたりしましたし,現在でもトルコの様に世俗主義を採る国では,飲酒を認めている国もあります.
ところで,クルアーンでは,ナツメヤシの果実が最重要な主食として,最も神に祝福された食物の一つとされています.
ナツメヤシは北アフリカからインダス川に掛けて,乾燥地帯に住む人々の生活を支えてきました.
果実は,重要な食料となり,種実は家畜の飼料となっていました.
また,葉は家屋の屋根や壁となり,幹や丈夫な葉柄は建材として重宝されています.
ナツメヤシの起源は,北アフリカですが栽培はメソポタミアから始まったようです.
高温,低湿,寡雨,適度な日射と地下からの給水が必要な植物で,多雨ですと結実せず,高塩分の土壌にも強い,正にオアシスにうってつけの植物です.
樹高は30mに達し,幹は直径30cmに及び,寿命は80年を超えます.
但し,雌雄異株で,高い樹冠部での受粉,収穫には特殊な技能が必要となります.
長い歴史の間に品種改良も進み,果実だけでも黄熟するものと赤熟するものがあり,完熟させて生食するもの,熟する前に利用するもの,加工用など様々な種類があります.
果実の直径は2〜3cm,長さ5cm程度が殆どです.
その果実は滋養に富んでおり,重量比にした場合,種実は12%,果肉は88%で,その果肉の内,15%が水分,70%が糖分,2%が蛋白質,2%が灰分,4%が糖分以外の水溶性有機物(ビタミンA/B,ニコチン酸,リボフラビン,チアミン,カルシウム,カリウム,燐,鉄分)を含み,1%が脂肪,6%が繊維質と言う構成です.
砂漠でも,豊かな地下水が得られれば,側芽を植えて4〜5年後には1本のナツメヤシから毎年10〜100キロの果実を収穫できます.
一房10kg以上と言う場合も多々あります.
これだけ万能な食べ物なので,こればかり食べても良い様に思えますが,3ヶ月も果実だけを食べていると軽い栄養障害になるとか,まぁ,程々にしておけってことですね.
さて,前述の構成にも書きました様に,果肉の内,75〜80%は糖分です.
その殆どは単糖類の形で存在するグルコース,フラクトースであり,少量は蔗糖となっています.
この糖分はナツメヤシ生果の85〜90%に達しますから,熟した果実は指で触れるとベタベタします.
完熟したものを高温の所に置くだけで濃密なシロップが出てきます.
近代的な加工処理を行った場合,1kgのナツメヤシ果実から200gの種実と滓を取り除き,シロップなら700g,液体砂糖なら650g,酢酸なら250gを得ることが出来ます.
酢酸が出来ると言う事,それに糖類(単糖類,二糖類)が豊富であること.
これはつまり,その果実の水溶液からは容易にアルコールを採取できるという,ロシア人が聞いたらさぞかし喜ぶ話になるのかも(あ,それでソ連はアフガンに侵攻したのか(ぉ).
冗談は扨措き,ナツメヤシの生育地の気候条件では,酵母を必要とせずにアルコール発酵が進みます.
それを阻止する為には,保存する容器の内側に石灰を塗ることで,pHをアルカリ性にしなければなりません.
逆に,尿素や塩を加えると,pHは酸性に傾きます.
これに酵母を加えると効率的にエチルアルコールを得ることが出来ます.
こうした方法を用いれば,ナツメヤシの実1tから,95%濃度のエチルアルコールを300l製造することが出来ます.
と言う事は,産油国は実は石油が尽きても,アルコール生産がある程度は出来ると言うことになるのでしょうか.
まぁ,それは冗談としても,ナツメヤシの完熟果実のシロップは,糖度は80〜85に達します.
アルコール発酵に最適な糖度は10〜20程度なので,水で薄めても差し支えない事になる訳です.
この様に,ナツメヤシの酒は幾らでも造れます.
また,結実が待てなければ,ナツメヤシの樹冠の生長点近くから,直接に樹液を採取することで,同じ様に酒を造ることが出来ます.
但し,この場合は,ナツメヤシの生長点に障害を与えることになる為,ナツメヤシの生長は,直立せず,蛇行することになったりします.
イスラームの歴史は,ナツメヤシの酒を造る誘惑との戦いの歴史だったのかも知れませんね.
眠い人 Álmos ember ◆gQikaJHtf2 : 2008-06-04
【質問 kérdés】
日本における葡萄栽培の歴史は?
【回答 válasz】
ぶどうの木…という名前の喫茶店が何処かに有ったのですが,何処だったか思い出せません.
葡萄と言えば,この前まで近くの家に葡萄棚がありました.
その家共々,一角は更地にされ,今度6,7件の家が建つみたいです.
元は3件の家だったんですがね.
こうした家の植栽は本当にセンスが無くって,大抵,椿,五月,杉か松があるくらいですね.
広葉樹だと秋になった時の落ち葉とかが大変で,雨樋が詰まって近隣と紛争になる事もあるとか.
随分,生きにくい世の中になったものです.
自然を愛し,自然と共に生きてきた人々の営みは一体何処に行ったんでしょうね.
元々,葡萄はコーカサス山脈南麓一帯が原産地とされ,それがペルシャ,ギリシャやフェニキア,ローマを経てフランス,ドイツ,英国に伝播していきました.
俗にヨーロッパ系葡萄と呼ばれる,Vitis viniferaは,醸造原料として利用される葡萄で,ワインの原料となっています.
因みに,イタリアやポルトガル以外の葡萄栽培法は,株仕立てあるいは垣根式の栽培が主となっていて,日本の葡萄畑のそれとも景観が違います.
元来,葡萄は蔓性の植物ですから,何かに絡ませて伸びる様にしていました.
葡萄棚は,元々,そうした原始的な栽培方法だったりします.
剪定が行われる様になって初めて,収量が安定する様になった訳です.
この様な栽培方法は,イタリア,ポルトガル,それに南米のアルゼンチン,チリなんかでも同じように行われています.
西に行ったものとは別に東に向かった葡萄もありました.
こちらはシルクロードを経て中国,そして,一部は海を渡って日本に達した訳です.
その後も栽培が続けられ,宮崎安貞と言う実践的農学者が,江戸時代の1697年に編んだ『農業全書』にも
「ぶだう,是も色々あり.水晶葡萄とて白くすきわたりてきれいなるあり.是殊に味もよし.又紫,白,黒の三色,大小,甘き酸きあり.ゑらびてうゆべし…」
と紹介されており,江戸時代でも何種類かの葡萄が栽培されている記録があります.
また,1695年の人見必大著『本朝食鑑』,寺島良安が著わした1715年の『和漢三才図会』には,葡萄の産地として,甲州,駿州,京師及び洛外,武州八王子,河州富田林などが挙がっていて,日本各地で栽培されていた様な記録があるのですが,時代は下って1896年,欧州で果樹栽培を学んだ福羽逸人と言う人が書いた『果樹栽培全書』では,
「本邦在来ノ葡萄樹ニハ種類甚ダ多カラズ.
従来京都ニ聚楽葡萄ト称スルモノアリ.
其性質ハ甲州葡萄ト仝一ニシテ敢テ異ル所ナシ.
唯其果皮黒色ヲ呈シ白粉を被ルノ差アリ.
故ニ此種ハ甲州葡萄ノ一分種トシテ可ナリ.
サレバ本邦ニハ以上二種ノ園生アルノミ.
予ハ此他ニ未ダ異種ヲ見聞シタルコトアラズ」
と書いています.
多数有ったとされた在来の葡萄は,甲州の特産品であった甲州種を除き全滅したのか,それとも山葡萄の類なのかは判っては居ません.
因みに,聚楽葡萄は,中国の葡萄品種「竜眼」とされ,現在は善光寺葡萄と言う名称で,長野市周辺で栽培されているそうです.
さて,福場逸人と言う人は,欧州留学に行く直前まで,農商務省農務局が直轄していた「播州葡萄園」の園長心得の職にありました.
此の施設は,殖産興業の一環として設けられた施設で,ワイン醸造を目的とした葡萄農業の育成をする為に作られた施設で,この施設では欧米から多数の葡萄品種が集められ,日本の土に好適な品種の選抜,苗木の生産と配布,それにワインの試験醸造が行われていました.
何故,明治政府が当時としてはハイカラなワインに目をつけたかと言えば,開墾地での果樹農業を振興する構想が目的の一つ,そして,もう一つの目的は,飯米を確保する為にも,それを原料とする清酒の生産を抑え,それに変る酒類の生産を行うことが挙げられていました.
こうした葡萄酒の生産に際し,日本在来の甲州種などの品種は,所謂,「水菓子」の類であり,ワイン材料に不適との思い込みがありました.
その為に100種類以上の葡萄が世界各地から集められます.
この中にはニューヨーク州一帯を原産地とするVitis labruscaと言う種に属する葡萄も多数含まれていました.
このVitis labruscaに代表される米国系葡萄は,欧州系葡萄に比べて芳香が強く,醸造すると極めてアロマの高いワインとなり,食卓で料理と一緒に供するには相性が極めて限られるものであり,ジュースの原料にはなり得るのですが,ワイン原料にはそんなに向いていませんでした.
それでも,そんなことを知るよしもない明治政府は,せっせとこうした葡萄の苗木を輸入しました.
しかし,検疫と言う概念は当時有りませんから,米国系葡萄に寄生しているフィロキセラと言う害虫がいることも知らなかった訳です.
そのフィロキセラは,1860〜80年代に掛けて欧州で猛威を振い,欧州の葡萄園はその為に壊滅の危機に瀕したほどでした.
そして,1885年,日本でもそのフィロキセラが発見され,瞬く間に日本の葡萄を壊滅させました.
当然,「播州葡萄園」の葡萄も例外ではなく,ワイン醸造の夢は破れ去ります.
以後,日本の葡萄農業は,フィロキセラに耐性のある米国系葡萄の生食用栽培で発展してきました.
欧州の葡萄園では,アメリカに野生していた免疫性の高い葡萄を台木にして醸造好適品種をこれに接ぎ木して復活させました.
太平洋戦争中は,その葡萄から採取される酒石酸から電探などに用いるロッシェル塩を作る為に大量に栽培されたこともありますが,醸造用に大々的に栽培される様になったのは戦後のことだったりします.
余談ですが,明治初期にコレラが猖獗を極めたことがあります.
その際,大阪では神農さんの張子の虎と共に,コレラ予防に効くとして,葡萄酒が持て囃された事があったそうです.
眠い人 Álmos ember ◆gQikaJHtf2 : 2008-05-27
【質問】
馬肉食は昔からあったの?
【回答】
石器時代以前の遺跡から発見された動物の骨からすると,馬類は,それが生存していた世界において,人類の主要な食料トップ5から外れたことがないらしい.
当然,肉食を問題視しない文化では,馬は乗り物や労働力であると同時に,食べ物でもあり続けた.
戦国時代の軍隊も,全軍のおよそ2割が騎乗した武士だし,その他にも伝令,物見,主君の親衛隊,荷駄隊など諸々で馬が使われていて,人の数の半分ぐらい馬がいたりするわけで,それだけいると途中で弱ってついていけなくなるのもいたから,そういうのは遠慮なく潰して食っていた.
ただ肉として利用されるだけでなく,たてがみや皮なども徹底的に利用され,江戸時代になって被差別階級にされる動物解体業の人たちが,軍についていたりした.
っていうか室町ぐらいまでは,むしろそういう人たちは職能集団として尊重されていたとか.
338 :名無しんぼ@お腹いっぱい : 2013/06/28(金) 23:56:18.08 ID:qlH4ESzR0
馬肉の話だと,ばんえい競馬のHPに能力試験に落ちた馬は全国のグルメに…ってストレートに書いてあったな
あと,サクラローレルがフランスで肉にされかけた話と.
341 :名無しんぼ@お腹いっぱい :2013/06/29(土) 00:24:40.97 ID:QXXH1Zhd0
>>338
おっと,シェリフズスターの悲劇はそこまでだ・・・
漫画板,2013/06/28(金)
青文字:加筆改修部分
【質問】
『乙嫁』読むと,羊食べたくなるでござる.
どうしたらよいでござる?
【回答】
両脚羊なら,日本でもそこらじゅうに食材が.
漫画板,2013/04/13(土)
青文字:加筆改修部分
「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ サイト・マップへ