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中央アジア・コーカサスFAQ

Index
◆総記
◆A-C
◆D-E
◆East Turkestan 東トルキスタン(現・新疆ウイグル自治区)
◆◆テロリズム
◆F
◆G
◆◆アブハジア問題
◆◆南オセチア問題◆◆◆南オセチア紛争
◆H〜Z
【質問】 中央アジア各国の国力と軍事力を,簡単に教えてください.
【質問】 中央アジアには『スタン』と付く国が多いですが,どういう意味ですか?
【質問】 なぜ中央アジアの各国では,民族が入り乱れた格好になっているのか?
【質問】 中央アジアの仏教は,ティムールによって虐殺され消滅?
【質問】 コーカサス地方で国境が設定されるまでの経緯を教えられたし.
【質問】 「ワッハーブ」派が中央アジアに存在するのは何故か?
【質問】 2009年,イングーシ共和国とダゲスタン共和国で展開された特殊作戦は,どのようなものだったのか?
◆A-C
【質問】 キルギスとウズベキスタンとタジキスタンの国境線が入り組んでるのは何故?
【質問】 エネルギー資源開発を巡るアゼルバイジャン有事に際し,アメリカは武力を使う可能性はあるか?
【質問】 カスピ海沿岸の石油資源は,なぜ90年代に入ってから注目されるようになったのか?
【質問】 カスピ海での資源争奪戦における,アメリカの目標は?
【質問】 なぜイスラーム武装勢力は,チェチェンからダゲスタンへ進出してきたの?
◆East Turkestan 東トルキスタン(現・新疆ウイグル自治区)
【質問】 東トルキスタンがあるのなら,西トルキスタンもあるの?
【質問】 東トルキスタン関連の,歴史上の主な出来事を教えてください.
【質問】 東トルキスタンは,何時ごろイスラーム化したんですか?
【質問】 東トルキスタンのムスリムの対中「宣戦布告」は,国際法的に認められるようなものなのですか?
【質問】 清の東トルキスタン併合は,沖縄が日本領となったより古いことを思えば,より正統性が強いと言えるのでは?
【質問】 中国政府がウイグル自治区に対し,実質的にも自治を認めたり,独立を認めたりする可能性はあるか?
【質問】 グアンタナモにウイグル人が抑留中というのは本当か?
【質問】 トルグン・アルマス Turghun Almas って誰?
【質問】 新疆ウイグル自治区では暴動はどの程度発生しているのか?
【質問】 新疆ウイグル自治区における中国語教育は,どのようなものなのか?
【質問】 「ウイグル人は漢語の単語がわからないから,広東などでは,他の民族の民工の25〜33%の賃金水準」というのが驚きなのですが.
【質問】 新疆ウイグル自治区の沙漠化問題について教えてください.
◆◆テロリズム
◆F
◆G
【質問】 サアカシビリ政権下における軍の近代化計画について教えられたし.
【質問】 シュワルナゼ政権が倒れ,親米のサーカシビリ政権が誕生した際,グルジア内の自治地域はどのような行動をとったのか?
【質問】 グルジアにとって,「バラ革命」はプラスに作用したのか?
【質問】 ズビアド・ガムサフルディア元グルジア大統領の遺骨発掘の意味は?
【質問】 グルジア国内の民族問題は,南オセチアとアブハジアだけか?
【質問】 パンキシ渓谷における主権を,グルジア政府が回復させようとした試みはあるのか?
【質問】 南オセチア紛争より前の,グルジアとイスラエルとの軍事的関係について教えられたし.
【質問】 グルジアが輸入しようとしていた戦車はメルカヴァだけ?
【質問】 サアカシビリ政権は対露関係を,どのようにして悪化させたのか?
【質問】 サアカシビリの強硬路線を,欧州諸国はどのように見ていたのか?
【質問】 グルジアのクーデター未遂事件について教えてください.
【質問】 ウクライナのグルジアへの兵器輸出について教えられたし.
◆◆アブハジア問題
【質問】 コドリ渓谷 (Kodori Valley)ってどこ?
【質問】 ロシアがアブハジアに海軍基地を造る,というのは本当なのか?
◆◆南オセチア問題
【質問】 コソボの独立を認めるなら,南オセチアの独立も認めるべきじゃないの?
【質問】 じゃあ,台湾とはどう違うの?
【質問】 武力を用いずに南オセチアを奪還しようという動きは,グルジアにはなかったのか?
◆◆◆南オセチア紛争
【質問】 カバルダ・バルカルにおける武力衝突事件について教えられたし.
【質問】 トルクメニスタンのニヤゾフ大統領とは,どんな人物か?
【質問】 キルギスが当初,標榜していた軽武装路線について教えられたし.
【質問】 キルギスタンにあるロシア海軍のテスト基地について教えられたし.
【質問】 キルギスのチューリップ革命に米はどう関与したのか?
【質問】 2010年4月のクルグズスタン(キルギス)暴動について教えてください.
【質問】 キルギス騒乱に対し,なぜロシア軍がすぐに出動せず,集団安保機構で協議することにしたの?
【質問】 上記の「空挺部隊」って,いわゆる即応部隊的性格なんですかね?
【質問】 モンゴル近現代通史について,いい本をご教えてください.
【質問】 モンゴル人民党(旧人民革命党)が,冷戦後も主要政党として生き残れたのはなぜですか?
【質問】 「モンゴルは中華民国の領土だ」と台湾は主張しているのでは?
【珍説】 「モンゴルが中華民国の領土であることは,wikipediaからも明らか」???
【質問】 内戦後,「タジキスタン・イスラーム復興運動」はどうなったか?
【質問】 タジキスタンにおける,ロシアのプレゼンスはどんなものか?
「D.B.E.ミニ型」(2010/10/03)◆(情報元;好き好き大好きっ) 【動画あり】アゼルバイジャン国歌のラスボス感は異常
「FLOT.com」◆(2011/08/01)Азербайджан
закупил у Турции скоростные
катера
アゼルバイジャン,トルコ高速艇購入
「JB Press」◆米国,ロシア,中国の思惑が渦巻く中央アジアの小国
by コンスタンチン・サルキソフ
「militaryphotos」:Military of Azerbaijan
アゼルバイジャン軍スレッド
「NOVOSTI」◆(2010/08/30)Azerbaijan to buy four Ka-32 helicopters from Russia
「Russia Now」◆(2011/06/13)Armenian, Russian and Azerbaijani FMs meet in Kaza
「WP」◆(2010/02/25)In Kazakhstan, the race for uranium goes nuclear
「革命の中央アジア――あるジャディードの肖像」(小松久男著,東京大学出版会,1996〕
「対外情報調査部」:国家安全に関するアゼルバイジャン共和国法
「ダイヤモンド・オンライン」◆(2010/02/08)次に外資が群がるのは中央アジア!? 世界が注目する「鉱物資源の宝庫」 の実力
だれ猫資料館(カフカス〜中央アジア)
ナマステ・ジャパン(アジア・アフリカ諸国)
統計資料コンテンツ
よくある質問集--統計データ入手方法
アジア各国・地域経済統計(PDF)
●Dagestan
「BBC」◆(2010/09/05)Dagestan car bombing kills five Russian soldiers
「CRS@空挺軍 in mixi,2009年09月13日23:26」:
Спецоперация в Махачкале.
Уничтожены четыре боевика
>ダゲスタン共和国マハラチカにて,特殊作戦が行われ過激派4名射殺.
>00:39に出てくる隊員は,ФСБとテロップに表示されているので,
>恐らく所属は,アルファかヴィンペルのどちらかでしょう.
Four terrorists killed in a special operation
in Makhachkala
>一部グロ画像あり注意!
CRS@空挺軍 in mixi◆(2010年01月09日)
≪Тайфун≫ в Дагестане. Сюжет
>ダゲスタンに展開中の国内軍特殊任務部隊の訓練模様
CRS@空挺軍 in mixi◆(2010年06月06日)
≪Мы работали по той банде≫
ダゲスタン共和国マハチカラにて,過激派の掃討作戦が開始された
Силовики штурмуют дом
с боевиками в Махачкале.Видео
спецоперации
部隊名は明らかにされていないが,FSBが動いているとなると,アルファ・ヴィンペル部隊であろう
動画において,ペチェネグ軽機関銃にEotech社製ホロサイトが載せているのが確認できる
CRS@空挺軍 in mixi◆(2010年09月14日)
露ダゲスタンで大規模作戦 10人以上殺害
Спецоперация в Дагестане
завершилась ликвидацией
боевиков
В Дагестане уничтожены
тринадцать боевиков
> 着実に潰していますね.
CRS@空挺軍 in mixi◆(2010年09月14日)
Anti-Terrorist Operations in Dagestan
>ニュース映像を纏めたものです
CRS@空挺軍 in mixi◆(2010年09月26日)
ダゲスタン共和国 マハチカラで掃討作戦を行われ,指名手配リストに載せられていたAlibek
Abunazarov他4名を殺害と発表
За время спецоперации
в Махачкале уничтожены
четыре боевика
Gang leader killed in Dagestan special operation
(Update 3)
CRS@空挺軍 in mixi◆(2010年10月01日)
Дагестан.Уточнение по
спецоперациям
Спецназ ФСБ наносит удар
Спецоперации в Каспийске
и Махачкале
掃討作戦終了後の画像.
グロテスクな画像あり,閲覧要注意.
CRS@空挺軍 in mixi◆(2010年10月03日)2010年 チェチェン グロズヌイ
A Trip To Grozny, Chechnya
「グリャーズヌイ(Грязный:汚い)」と言われた都市は目覚しい発展を見せてますが,地方ではまだまだ開発が進んでいないようです.
狸の独裁ぶりも進んでいますけど.
CRS@空挺軍 in mixi◆(2010年10月13日)
На Дагестан пришлось более
50% терактов на Северном
Кавказе в 2010 г
С начала года на Северном
Кавказе уничтожены более
300 боевиков
С начала года на Северном
Кавказе уничтожены 301 и
задержаны 468 бандитов -
директор ФСБ
一連の特殊作戦により,過激派300名射殺し486名を逮捕したと発表
CRS@空挺軍 in mixi(2011年03月17日)◆ダゲスタンにおけるテロリスト掃討作戦の動画
グロテスクな描写多し! 閲覧要注意!!!!
Берег
Спецоперация по ликвидации
боевиков (Часть1)
Спецоперация по ликвидации
боевиков (Часть 2)
「Novosti」◆(2010/09/05)Russia's defense minister arrives in Dagestan
「Novosti」◆(2010/09/13)Two militants, local official killed in southern Russia firefight
「Russia Now」◆(2010/12/26)RT Video: 8 militants killed in counter-terror operation in Russia’s south
「Russia Now」◆(2010/12/26)Russia explores Al-Qaeda in Dagestan
「Russia Now」◆(2010/12/26)Senior militant
commander among 8 killed in Dagestan
「Russia Now」◆(2010/12/26)Two militants
killed in Dagestan special operation
「Russia Now」◆(2011/01/04)RT Video: Two militants killed in special op
「Russia Now」◆(2011/01/04)Two militants killed in North Caucasus, operation continues
「Russia Today」◆(2011/07/07)Five killed in shootout in Dagestan
「zvezda」:Новый облик вооруженных
сил. Гарнизон Ботлих ? пример
для подражания
ダゲスタン共和国のБотлих近郊に新しいロシア連邦軍駐屯地が完成.
志願制の部隊で構成され,また隊員の家族も一緒に暮らせるようにするための関係施設も存在するようです
.
ユダシキン迷彩を着用している隊員に注目
「日経」◯(1012/01/16) 旧ソ連南部,和平遠く 独立紛争続くカフカス カスピ海資源,安定輸送に壁
●書籍
『カスピ海エネルギー資源を巡る攻防』(輪島実樹著,東洋書店,2008.2)
『現代中央アジア論』(岩崎一郎,宇山智彦,小松久男編著,日本評論社,2004.8.15)
◆総記
【質問】
中央アジア各国の国力と軍事力を,簡単に教えてください.
【回答】
以下は2003年現在.
計算は主として,上から4桁以下四捨五入
●カザフスタン
人口 1,450万人
GDP 24,800百万ドル
陸軍 46,800人
空軍 19,000人
準軍隊 34,500人
(内務省国境警備隊,内務保安軍,大統領警備隊,政府警備隊)
(軍隊+準軍隊)÷人口の比率 0.692%
GDP÷(軍隊+準軍隊)の比率 24.7万ドル/人
●キルギス
人口 480万人
GDP 1,631百万ドル
陸軍 8,500人
空軍 2,400人
準軍隊 5,000人(推計,国境警備軍――キルギス人により構成されるも,司令官はロシア軍所属)
(軍隊+準軍隊)÷人口の比率 0.331%
GDP÷(軍隊+準軍隊)の比率 10.3万ドル/人
●タジキスタン
人口 640万人
GDP 1,214百万ドル
軍隊 約6,000人(編成予定の航空隊要員,約800人を含む)
準軍隊 1,200人(推計,内務省国境警備軍)
ロシア連邦国境警備軍 12,000人(要員の大半はタジク人だが,司令官はロシア人)
(軍隊+準軍隊)÷人口の比率 0.300%(計算にロシア連邦国境警備軍を含む)
GDP÷(軍隊+準軍隊)の比率 16.9万ドル/人(計算からはロシア連邦国境警備軍を除く)
●トルクメニスタン
人口 580万人
GDP 3,711百万ドル
陸軍 25,000人
海軍 1,000人(推計)
空軍 3,000人(推計)
(軍隊+準軍隊)÷人口の比率 0.500%
GDP÷(軍隊+準軍隊)の比率 12.8万ドル/人
●ウズベキスタン
人口 2,560万人
GDP 7,929百万ドル
陸軍 40,000人
空軍 約10,000〜15,000人
準軍隊 18,000〜20,000人(推計,内務省所属内務保安軍,国防省所属国民軍)
(軍隊+準軍隊)÷人口の比率 0.266〜0.293%
GDP÷(軍隊+準軍隊)の比率 10.6〜11.7万ドル/人
●平均値
(軍隊+準軍隊)÷人口の比率 0.397%
GDP÷(軍隊+準軍隊)の比率 14.5万ドル/人
【参考ページ】
『現代中央アジア論』(岩崎一郎,宇山智彦,小松久男編著,日本評論社,2004.8.15),p.133
& 178
ちなみに東トルキスタン(ウイグル自治区)はwikipediaによれば
人口 883万人(2004年,ウイグル人のみの数)
GDP 4,203億元(2008年)=615億3276万ドル
上記平均から大雑把に推算するに,仮に独立した場合,
総兵力 35,000(人口からの推算)〜424,000(GDPからの推算)
を養える計算になる.
ただし中国の経済統計は過大だといわれており,また,独立後も漢人資本が残留するとは考えにくいので,人口からの推算のほうが,より正確な値となるだろう.
ちなみに2009.7.5のウイグル騒乱の際,中国が動員した治安維持兵力が13万人.
……兵力から考えると,ロシア傘下にでも入らない限り,独立維持は困難だろうなあ.
【質問】
中央アジアには『スタン』と付く国が多いですが,どういう意味ですか?
もしかしてモンゴル・ハーンの『ハーン』ですか?
【回答】
-estan/-istanは厳密に言えばペルシア語で「〜が居る・存在している場所,ところ」ほどの意味.「国」とかだけとは限らない.
たとえば「病院」のことをペルシア語では「ビーマーレスターン」と言うけど,これは「病気,病人(ビーマール)が居るところ(-estan)」の意味.
前近代までに近世ペルシア語の影響が強い地域で,「地名,国名」として使われる場合も有る.
最近の中央アジアの地域名で(〜スタン)は,歴史的な根拠とは全然別として,ソ連時代の民族区分をもとに,好き勝手に自らのアイデンティティの拠り所とする民族的な名称に,ペルシア語起源の接尾辞-estan/-istanをくっつけて地域的な名称に仕立て上げたものが多い.
【質問】
なぜ中央アジアの各国では,民族が入り乱れた格好になっているのか?
【回答】
民族自決とバスマチ運動の分断という2つの目的を同時に果たすため,無理のある国境の線引きが行われたためだという.
以下引用.
中央アジアはソ連内の後発地域であり,ソ連共産党の一党独裁体制のもとで「社会主義」建設の途に組み込まれた.
その中で注目されるのは1924年に始まる,中央アジアにおける「民族的境界区分」である.
これはロシア領トルキスタン,ブハラ,ヒヴァに分断されていた中央アジア地域を対象にして,新たな国境線による「民族」別共和国を創設したことを指す.
その結果,トルキスタンあるいはムスリム,あるいはチュルク語・ペルシャ語世界などという複合的なアイデンティティーをもっていた中央アジア諸民族が,民族自決権の理念のもとで5つの共和国に分割された.
これはスターリンの民族理念の適用によるものとされ,言語の相違が特に重視されている.
カザフ人とキルギス人がそれぞれの共和国を持ったのも,言語の相違が基準とされたためである.
国家の名前に付されているのがいわゆる名称民族である.カザフ人はカザフスタンの名称民族である.
しかし「民族的境界区分」は必ずしも民族自決とは規定できない複雑な問題を残した.境界が民族の居住地とは必ずしも一致していないケースも多かったからである.
例えば,ウズベキスタン内にブハラ,サマルカンドなどタジク人も多い都市が残る一方,タジキスタンにはブハラ国時代の首都ブハラが含まれず,殆ど都市らしい都市ではなかったドシャンベが首都にされるなど,共和国と国境形成に無理が見られた.
いくつかの「飛び地」も形成された.
1920年代初めの中央アジアでの反ボルシェビキ運動であったバスマチ運動の拠点が現タジキスタンなど中央アジアであったために,「民族的境界区分」政策の背景には,バスマチ運動の分断を図ることがあったとする見方も否定できない.
結論的に言えば,「民族的境界区分」には民族自決とバスマチ運動の分断という2つの目的が同時に含まれていたと見るのが妥当であろう.
柴田和重 from 「ハンドブック現代アフガニスタン」
(明石書店,2005.6.25),p.101-102
【質問】
中央アジアの仏教は,ティムールによって虐殺され消滅?
【回答】
アラブ征服時代以降の西トルキスタン――パミール以西のマーワラーアンナフル方面の仏寺やゾロアスター教の神殿などがどれだけの期間存続したかはあまりよく分かっていない.
ソ連時代からそれほど発掘が進んでいないというのもあるそうだが.
ただ,イブン・スィーナーが存命中にはブハーラーの郊外などに,まだ仏寺が運営されていたようだから,11世紀後半のサーマーン朝末期までは存続していたろうことは伺い知ることができる.
アフガニスタンはタクラマカン方面とインド世界,イスラム圏との境域地域だったこともあって,11世紀にガズナ朝のマフムードなどが各地の諸勢力の拠点を破壊するまで,仏寺や土着の神々の神殿などが比較的長く存続していたらしい.
タクラマカン周辺のいわゆる東トルキスタンの諸都市は,10世紀にカラハン朝がイスラム化したこともあって,西部のカシュガル一帯は,モスクや聖人廟などがこの頃から造営が始まったらしいが,北部は西ウイグル王国が11世紀頃に,マニ教から仏教に国教化してからモンゴルに帰順するまで,仏教圏であり続けたのは周知の通り.
南部の諸都市はこの頃どうだったか.
13世紀のモンゴル征服時代に一時期イラン・中央アジアでも,テュルク・モンゴル系の部衆や王侯たちなどによって各地に仏寺やキリスト教会などが多数建立されてらしいのだが,イルハン朝のガザン・ハンのようにモンゴルのイスラム化の過程で,これらはモスクやマドラサなどに取って変わり,徹底的に棄毀されてしまったようだ.
西方での資料では,ガザン・ハン以前のフレグ家が信奉していた宗教について,仏教やネストリウス派に属してこれを保護していたという話は出てくるのだが,ガザンや父アルグン等がどういった宗派の仏教を信奉していたかはよく分からない.
自分は漢籍やチベット語文献は読めないので,フレグ家がカギュ派の施主だったという話は非常に興味深い.
『集史』では仏教関連の知識や釈迦牟尼伝などについて,カシュミール出身の「カマーラシュリー」という「バフシー(bakhshi)」,つまり仏教僧から得ていたことが述べられている.
ガザンはイスラムに改宗する以前は,父アルグン・ハンと同じく仏教を信奉していたことが知られている.
彼が操った言語は,母語であるモンゴル語の他にアラビア語,ペルシア語に続いてインド語,カシミール語,チベット語,ヒタイ語とフランク語を少々を知っていたことが述べられている.
多分ガザン登極以前のタブリーズ市郊外の歴代ハンのオルドには,インドやカシミール,チベットや華北からやって来た仏教僧たちが,ネストリウス派などの修道僧や現地のムスリムの貴顕らに混じって闊歩し,定時にはカラコルム宜しく読経や教会の鐘やアザーンが,喧しく聞かれたことだろう.
一方,チベット側では「チベットから仏僧がイル汗の宮廷に出向いた」なる記録が,全然残っていない.
チベットからイランに出向くにしても,イル汗国の支配外になる「カシミール〜北西インド〜アフガニスタン」,あるいは「北インド(デリー・スルターン朝支配)〜西へ」のルートで活発に交流できたとは思えない.
かといってカイドゥ一党が抑えていた北回りルートも,まず無理だろう.
元朝から海路で仏僧が派遣されていたとすれば,サキャ派や中国仏教僧の方が可能性があるが,こちらもそれらしい記録がないのでよくわからない.
チベット側でイランについての知見が増えた形跡もない.
ボン教では,イラン(タジク)を発祥の地としてあれほど崇めているのに,イランの地理については,頭の中でこねくり回した荒唐無稽な地理観から,全然進歩がない.
西方の資料にはインドやヒターイーについては,どうしたこうしたとそこそこ情報はあるのだが,チベットについては通時代的に殆ど触れられることがない.
もっともイスラム世界からは,ここら辺の地域は本当に辺境・境域地域で,なかなか情報が残されていなかったりするのだが・・
(実は「ボン教では,イラン(タジク)を発祥の地とするのは,それはインド発祥の仏教に対抗するために後で創った神話ではあるのだが,シェンラブ・ミウォの伝記が発掘された(実際は成立した)10〜11世紀には,その伝記の中ですでに「ボン教発祥の地はタジク(イラン)」ということになっていた.
だから13世紀にはチャンスがあったんだから,ボン教徒はもっとイラン方面に興味持ってもいいはずなんだけどね.
なんだかわからんね)
ボン教徒がイル汗宮廷に呼ばれることはなかっただろうが,もしチベット僧がチベット〜イランを頻繁に行き来していたのなら,間接的にでももっとましな情報を得ることができたはずだと思うのだが.
いずれにしても,この件については資料が少なすぎて謎だらけだね.
世界史板,2005/10/12(水)〜10/16(日)
青文字:加筆改修部分
【質問】
コーカサス地方で国境が設定されるまでの経緯を教えられたし.
【回答】
先日,キルギスタンでクーデターが起きて,大統領が事実上の亡命と辞任を余儀なくされました.
そこから少し西側に行った場所にコーカサス地方があります.
古来から東西南北交通の要衝であり,文明の十字路になった場所です.
現在,コーカサス山脈の南側にはグルジア,アルメニア共和国,アゼルバイジャン共和国が独立国家として存在し,北側には,ロシア連邦に属しているダゲスタン,チェチェン,イングーシ,北オセチア,カバルダ・バルカル,カラチャイ・チェルケス,アディゲなどの民族自治共和国やロシア人が主に住んでいるスタヴロポリ,クラスノダル地域があります.
この地域は中央から離れた山岳地帯であり,中央政府のコントロールが十分行き届いていない場所となっていますが,一方では,国際政治的にも戦略的価値が非常に高い地域です.
この為,古来から多数の民族が行き交っています.
一方でこの地域は,山脈に隔絶された場所であるが故に,谷毎に言葉が違う様な地域です.
例えば,ダゲスタンは四国程度の面積ですが,この地域に30を超える民族が居住し,しかも彼らは互いに意思の疎通が困難な言語を話しています.
そういった地域では,道が出来て舗装されると,1つの言語が消滅するとさえ言われています.
同じ山でも標高の低い地域と高い地域では別の言葉が話されていますが,道が通じるとコミュニケーションが容易になるので,その言葉を話す数が少ない民族は,より大きな民族集団に吸収されてしまうと言う訳です.
宗教面でも,グルジア正教会,アルメニア教会,カトリック教会,ロシア正教会,ユダヤ教にイスラームと各種ありますし,イスラームもその宗派は様々です.
こうした民族の坩堝状態の地域には,元々国境と言う存在が希薄でした.
彼らの生き様は,大帝国を建設する征服王朝ではなく,他民族が造った大帝国の中に,自らのポジションを得て,それを足がかりに,彼らのネットワークを広げていったケースが殆どです.
例えばアルメニア人の場合は,アルメニアと言う地域での活動だけでなく,外部に進出して,中東諸地域にCommunityを持ち,地中海に面するキリキアに王国を建設するなど広く活動しています.
政治的に独立を失った後でも,経済共同体として各地に分散して商業活動に従事していました.
例えば17世紀のペルシャでは,アルメニア人は帝室の絹貿易を独占的に扱う地位を得ていました.
こうして時の権力者に食い込みながらも,アルメニア人としてのアイデンティティは失わず,自分たちのCommunityには必ずアルメニア語の出版所を設立して,その文化維持に努めています.
そのネットワークは,17世紀にペルシャのアルメニア聖職者が記した歴史書を,オランダのアムステルダムで出版すると言った世界的なものでした.
一方,グルジアやチュルケスはイスラームに対し,マムルークの供給源としての側面を持っていました.
19世紀のエジプトにナポレオンが侵攻した際,彼を迎え撃った司令官がグルジア人イブラヒム・ベイが正にその代表格です.
彼の本名は,アブラマ・シンジカシュヴィリと言い,グルジアから売られてきた奴隷出身の軍人で,マムルークとなって頭角を現し,遂には軍司令官にまで上り詰めた訳です.
因みに,彼は出世してから,グルジアの郷里の村に送金をしていたそうです.
他に,ペルシャには故郷での勢力争いに敗れて亡命したグルジア軍人集団に「王の奴隷」と言う称号が与えられたりしています.
あくまでも,マムルークというのは「奴隷」と一言で片付けられる訳でなく,国家エリートとして育てられたケースも多かったのです.
こうした民族が国境の枠組みに捕えられ始めたのは,ここ200年足らずの事です.
今でもロシアと戦争しているのがチェチェンであり,良くこの地域の出身者がモスクワなどでテロを企てたりしています.
この地域にロシアが進出したのは,18世紀末から19世紀初めにかけての事です.
これに対し,1785年にはマンスールと言う人物が反乱を企てて失敗し獄死しました.
次いで,1834〜59年にかけては第3代イマームであるシャミールと言う人物が,ロシア帝国に対する抵抗運動を指揮しました.
彼は軍司令官としても優れており,最終的にはロシアに捕えられましたが,チェチェンの山岳民からは抵抗のシンボルとして広く尊敬されています.
こうした素地がチェチェンにはありますが,「野蛮で戦闘的な山岳人」と言う一面的なイメージで見ると,見えなくなる部分も沢山出て来ます.
バクーに近いこの地域でも油田があり,バクー程ではないにしろ石油が産出されていました.
チェチェンの首都グロズヌイの近くにあるグデルメスには,石油精製施設が造られ,20世紀初頭には,鉄道も敷かれます.
こうした油田や鉄道の利権には,ロスチャイルド財閥やノーベル兄弟が絡んでいたりするなど,列強各国の思惑が透けて見えてきます.
そう考えると,様々に抵抗した勢力の資金や武器は何処から得ていたのか…,中々興味深い話になってきます.
20世紀に入るとロシアの支配が揺らぎ始め,革命が起きると北コーカサスの諸民族は山岳民共和国と言う連合国家を形成しました.
その後,内戦を経て,山岳ソヴィエト社会主義自治共和国となります.
しかし,この自治共和国は短命に終わり,1922年には民族毎に分かれ,1934年にチェチェン・イングーシ自治州となって,最終的にチェチェン・イングーシ自治共和国となりました.
こうして,ある程度政治領域も地位も固まったかに見えましたが,スターリンの猜疑心により,1944年に強制移住が行われました.
これが現在でも続く,チェチェン人のモスクワ権力に対する不信感の源になっています.
第二次大戦で独ソ戦が勃発すると,コーカサスにドイツ軍が侵攻します.
これを見て,この地域にいる民族が寝返ってドイツ軍を解放者として迎え入れる事を恐れたソ連指導部は,忠誠心の疑われるチェチェン人やイングーシ人を,1人残らず中央アジアに強制移住させました.
因みに,ドゥダエフやマスハドフ等はこの強制移住先で誕生した人たちで,強制移住先の困難さを身を以て体験しています.
この強制移住は,スターリン死後の1957年に名誉回復を受けた事で終わりを告げます.
再び,チェチェン・イングーシ自治共和国が復活したのですが,その領域は昔と異なり,強制移住前にイングーシ人が住んでいた地域を北オセチアに譲渡し,その埋め合わせに,チェチェン北方のコサックが住んでいる地域をチェチェンの領域に組み込みました.
こうした決定が,現地政府の交渉で無しに,モスクワ中央で行われた事から,古くからチェチェン人,イングーシ人が住んできた地域が分断される事となり,イングーシ人とオセット人の対立が進みました.
2003年のベスラン事件の遠因が此処にあると言われています.
尤も,この強制移住は,チェチェン人やイングーシ人の問題だけではなく,ウクライナのクリミア半島に住んでいたクリミア・タタール人の問題や,グルジアに住んでいたイスラームのメスフ人の問題にも結びついている問題です.
ソ連が崩壊した後,彼らは独立を求めて立ち上がります.
元々,石油資源もあり,社会的インフラとしての鉄道やパイプラインも整備されている国ですから,独立しようとしたのも無理からぬ事です.
但し,社会的には100万近い人々はテイプと言う氏族集団に分かれて様々な利害関係で結びついていて,それぞれ考え方や姿勢も異なっている事から,それをまとめ上げるのは至難の業です.
そこで,ロシアとの関係を保って自治共和国の枠内で暮らしていこうという者,あくまでも独立を求める者がいて,それがきちんとした集団で分けきれなくて,収拾が付かなくなったと言うのが,チェチェン問題の側面です.
アブハジア問題も複雑怪奇なものです.
今度の冬季オリンピックが開催されるソチの近くですが,ここも19世紀初めにロシアの勢力下に置かれました.
その後,1866年に一度反乱を起していますが,ロシア帝国に鎮圧され,それに参加したイスラーム達はオスマーン・トルコに追放されてしまいます.
1921年にソヴィエト政権の支配下に入りますが,アブハジアは条約を結んで,グルジアと連合して1つの共和国を構成していました.
それが,1936年に制定されたスターリン憲法の下では,グルジア共和国内の自治共和国に位置づけられました.
これがアブハズ人から見れば格下げに映り,更にその後の大粛清では,スターリンの側近で彼と同じグルジア人のベリヤが多くのアブハズ人を逮捕して粛清した事から,グルジア化に拍車が掛かったと見なされ,グルジア人嫌悪がアブハズ人に植え付けられていきます.
そして,ソ連崩壊時のドサクサで,アブハジアはグルジアから独立を図り,1993年に大規模軍事衝突が起きた結果,グルジア系住民は全部追放されて,この地域はアブハズ人が実効支配をする地域となってしまいました.
現在は両者の争いは小康状態ですが,アブハジアから追放されたグルジア人の帰還問題が燻っています.
そもそも,アブハジアのアブハズ人比率は僅か20%で,約50%はグルジア人が占めていました.
当然,グルジア人からすれば,アブハジアはグルジアの一部と見なしています.
それに対し,アブハズ人は古くからグルジア人とは別の民族であり,民族自決の権利に則って独立したのだと主張し,両者の姿勢は相容れません.
ところが,1886年のとある統計では,アブハジアの人口は68,773人でしたが,その半分近い30,640名はアブハズ人でもなくグルジア人でもないサムルザカノ人と記されていたりします.
サムルザカノは現在ではガリ地方となり,肥沃で人口密度の高い地域です.
此処はアブハズ人の君主が治めていた地域では最も南で,グルジアとの国境地域でした.
そのサムルザカノ人がどんな民族なのかは,今となってははっきりしていません.
元々,民族と言うカテゴリー分けも,中央が一方的に押しつけたものなので,現在その地に暮らしている人々から見れば大したことはないのかも知れませんが,面子や政治が介在してくると厄介な問題になってしまう訳です.
眠い人 ◆gQikaJHtf2,2010/04/16 23:24
【質問】
ロシア革命当時の中央アジア情勢は?
【回答】
帝政ロシアは,国力が増すと海外に雄飛するよりも東へ東へと進んでいきます.
そして,ユーラシア大陸を横断してシベリアを勢力圏内に抑え,更に北米大陸に渡ってアラスカを征服し,更に西海岸にロス要塞を構築する事になります.
西まで行き着いて,英国の勢力圏とぶつかると,今度は南に向けて拡大しました.
南への拡大は結構遅く,19世紀の初め頃からになります.
先ずは,シベリアからカザフステップに南下し,1715年にオムスク,1720年にセミパラチンスク,1743年にオレンブルクとトロイツク,更に1752年にペトロパブロフスクに要塞を構築して,それらを結んだ要塞線を築いていきます.
その要塞線を基地に,更に南に拡大すると言う手法を用いて,19世紀後半には遊牧民地域を超えて定住民地域へと進出していきます.
その当時,この地域にはコーカンド・ハン国,ブハラ・アミール国,ヒヴァ・ハン国の俗にウズベク3王朝と称される薄ベク系民族の王朝が三つ巴になって存在していました.
最初に,ロシアに征服されたのがコーカンド・ハン国で,ロシアはこれを解体してフェルガナ州,サマルカンド州を形成し,大ジュズを組み込んでヴェールヌイ州を設置しました.
残りのブハラ・アミール国は,アラル海沿いの領地を大幅に削ってこの地にシルダリヤ州を設置し領土そのものが縮小され,ヒヴァ・ハン国も,アラル海沿いの領地を削ってアムダリヤ管区を設置し,その代わりにブハラ・アミール国の領地を割譲してヒヴァ・ハン国に組み込み,何れも完全征服は行わず,君主を残した形で保護国化されました.
1867年にはセミレチエ州,シルダリヤ州,フェルガナ州,サマルカンド州,アムダリヤ管区に,トルクメン諸部族が暮らすカスピ海とアラル海を結ぶ線をザカスピ州とした領域を管理する為,タシケントにトルキスタン総督府が設置され,以後,ロシアはこの地から中央アジア南部地域を統治していきます.
その統治が始まって僅か半世紀しか経っていない1917年,突然ロシア革命が勃発し,帝政ロシアは倒れます.
その出先機関として君臨していたトルキスタン総督府も革命勢力によって打倒され,トルキスタン総督府領にトルキスタン・ソヴィエト自治共和国,ヒヴァ・ハン国の領域にはホラズム人民ソヴィエト共和国,ブハラ・アミール国の領域にはブハラ人民ソヴィエト共和国が形成され,オムスクに設置されていたステップ総督府に属していたウラリスク州,トルガイ州,アクモリンスク州,セミパラチンスク州には,それらの大部分を擁するキルギズ・ソヴィエト自治共和国が誕生しました.
その後,内戦が収まるにつれて,民族理論や民族政策を念頭に置き,社会主義建設のための新たな行政区分が求められ,1924〜25年にかけて,中央アジアの民族別国境画定が行われます.
これにより,ウズベク,キルギズ(今のカザフ),カラ・キルギズ(今のクルグズ),タジク,トルクメンの5つの民族が主体となって社会主義建設を行うべき5つのソ連邦構成国,即ち,「ソヴィエト社会主義共和国」が出現しました.
これ以後,ソ連から「トルキスタン」という言葉は消滅し,この地域は「中央アジア」と言う言葉で称される事になります.
そして,1991年に今度はそのソヴィエト連邦が崩壊し,連邦を構成していた共和国であったカザフ,トルクメン,キルギス,タジク,ウズベクの各共和国が図らずも独立する事になります.
さて,1920年代に話を戻すと,暫定的に独立させた領域を再編する為に2つの案が検討されました.
1つは「中央アジア連邦構想」,もう1つは「民族別共和国構想」です.
前者は,中央アジア全体を緩やかな連邦としてまとめる案であり,後者は現在と同じ様に民族別に共和国を構成して各民族が主体となって統治を行うと言うものです.
その意思決定は,モスクワの党中央を頂点に,その出先機関としてタシュケントに置かれた中央アジア・ビューローに領域再編成の原案作成が委ねられ,更にその下部組織に民族別の領域委員会が設置されてより具体的な検討を行うと言うものでした.
中央アジア・ビューローは,党中央から派遣された人々と,中央アジア出身の民族エリートを含む中央アジアのそれぞれの共和国代表から構成されていました.
更に,民族別の領域委員会は,ウズベク人代表がウズベク委員会,カザフ人代表がカザフ委員会,トルクメン人代表はトルクメン委員会を形成する形を採り,それぞれで領域再編成案が検討され,検討結果を中央アジア・ビューローに持ち寄って決定すると言うやり方でしたが,実際にはスターリンの意向により,中央アジアが一丸となってモスクワ中央に反乱を起すのを抑止する為に,「分割して統治せよ」を根底に据えたと言うのが今までの定説になっています.
しかし,当時の中央アジアはその様な一体感は存在せず,モスクワ中央では,中央アジアは寧ろ非常に小さい単位の集団の集合体,謂わば寄せ木細工の様な状態であり,統治者達は領域の集団の間に生じる不和や反目,衝突を抑えようと腐心しており,極めて不安定な立場にあると見ていました.
本来,それを抑止する為には,強力な軍事力が必要ですが,1920年代の初頭は内戦の余韻も冷めず,外部からの干渉も懸念される状態で,大規模な軍事力を中央アジアの辺境に展開するのは,政府にとって荷が重い状態でした.
この為,党中央としても,此処は妥協して現地出身の協力者達に依存しなければならない点も多く,彼らの意見を可能な限り吸い上げ,妥協点を見出して,彼らが敵側に寝返らない様にしようとするほど,実は切羽詰まっていました.
従って,中央アジアの民族別国境画定は,「分割して統治せよ」と言うよりも,如何にして小さな集団を適正な規模に取り纏め,統治しやすくするかに重きを置いていました.
一方,中央アジアの人々にとってみればどうかと言えば,統治の中心である知識人階級は,19世紀末にロシア帝国領内のムスリーム知識人による教育改革運動であるジャディード運動の担い手達から,この地域の諸部族をトルキスタン人として一纏めにする動きは以前から根強くありました.
しかし,こうした動きは全住民レベルに広がることなく,自分たちの民族意識さえ,どうやって住民達に意識させるかと言う問題が立ちはだかって,こちらも統一などを考える余裕が無かったと言う状態が伺えます.
眠い人 ◆gQikaJHtf2,2010/04/17 21:18
20世紀初頭の頃,中央アジアの人々には「民族」と言う概念が存在していませんでした.
特に定住民にその傾向が強く,ある人はムスリームと言うものであったり,出身の都市や居住する都市,帰属する部族に由来する上,それが屡々重なり合っている事もありました.
しかし,ソヴィエトが成立してその中で民族理論が形成されていき,民族を主体とした行政区分が成立していく中で,中央アジアの指導層もその状況を見ながら政治的な権利を少しでも多く手に入れる為には,ソヴィエトが指定した「民族」と言う概念を前面に打ち出す事が重要だと悟っていきます.
例えば,「ウズベキスタン創設の父」と呼ばれるファイズッラ・ホジャエフと言う人物は,元々,出身地であるブハラ人としてのアイデンティティを強く打ち出し,ブハラの利益の為に戦っていましたが,中央アジアの民族別国境画定が議論され始めると,ブハラを大きく超えた「ウズベキスタン」設立の急先鋒に立ち,ブハラ人である事を超えて,民族として「ウズベク人」とならなければならないと変化して行っています.
当時の人々は「民族」と言う概念が無かった為,ホジャエフはこれを馴染みのある言葉に置き換え,「ミッラト(イスラーム共同体)とカヴム(部族的共同体)が合わさった様なもの」と繰り返し人々に説いて回ったと言います.
因みに当時,モスクワでは領土的自治を与え得る中央アジアの主要民族として,ウズベク,カザフ,トルクメンしか認識していませんでした.
そして,細部の議論は中央アジア・ビューローに委ねられ,モスクワは下から上がってくる案をそのまま承認しました.
この時,クルグズとカラカルパクの代表は,「カザフ」に包摂される事を良しとせず,「我々にも権利がある!」と手を挙げました.
これが中央アジア・ビューローで認められ,それがモスクワに上げられてそのまま承認されました.
こうして,カザフから分離する形で,3カ国の他にクルグズ人の国クルグズスタン,カラカルパク人の国としてカラカルパクスタンが成立しました.
しかし,現在のタジキスタンはこの頃未だ産声すら上げていません.
タジクは唯一ペルシャ系の言語を持つ人々ですが,同じ定住民であるチュルク系のウズベクと非常に良く似た文化を持っており,都市部ではウズベクと混住して,知識人もバイリンガルな状態でした.
サマルカンドやブハラでは,ウズベクよりも寧ろタジクの方が多数派でしたが,この領域再編成の際に,タジクの知識人達は,ウズベクと共同歩調を取る事を選びます.
その結果,タジク人の国はウズベク・ソヴィエト社会主義共和国内のタジク・ソヴィエト社会主義自治共和国として設定され,その領域は,多数派を形成していたサマルカンドやブハラを含まず,山岳地域のタジク語住民を包摂した地域が設定されました.
ところが,1920年代後半から,ウズベキスタンでは急速に「チュルク化」を強化する諸政策が浮上し,ソヴィエト・ウズベキスタンの文化がチュルク語に基礎を置いた方向性が明らかになると,タジク人の知識人達は,此処で初めて声高にそれに抵抗し始め,その結果,1929年になって名称の「自治」が取れて,ウズベキスタンと対等な共和国として,タジク・ソヴィエト社会主義共和国が成立した訳です.
こうした民族単位の共和国が形成されていった反面,国境画定に際しては,その民族比率を考慮せず,行政や社会主義建設の効率を優先した事が屡々見られたりします.
トルクメニスタンにダシュオグズと言う都市があります.
アラル海にアム川が注ぐ三角州地帯にある主要都市ですが,此処はウズベキスタンとトルクメニスタンの境界です.
国境画定当時,この地はタシャウズと呼ばれ,人口約1万人のウズベク人中心の都市でした.
トルクメンはこの周辺部の砂漠地帯に暮らしていました.
本来は,人口の殆どがウズベク人なので,この地はウズベキスタンの帰属になるのが原則ですが,ソヴィエト体制の下で想定された社会主義建設や近代化政策を考慮すれば,遊牧民を定住させる為の都市インフラが必要である事,また都市に行政府を置いて統治するのが効率的でもある事から,これが重要課題となり,タシャウズはトルクメニスタンの都市としなければ,トルクメニスタン北部の行政が成立しないと言う意見がトルクメニスタン側から出され,種々調整の結果,結局,タシャウズはトルクメニスタンに帰属する事になりました.
一方,フェルガナ地方のクルグズ人も,同じ論理でウズベク人が多数を占める都市アンディジャンを要求します.
しかし,こちらはアンディジャンのウズベク人から猛烈な反対が起きるかも知れず,そうなれば大きな混乱をもたらしかねないと言う判断から,結局,この要求は退けられて,代わりに妥協策としてオシュがクルグスタン領に組み込まれる事になりました.
現在ウズベキスタンの首都であるタシュケントでも綱引きが繰り広げられました.
帝政時代,この地にはトルキスタン総督府が置かれた様に,中央アジアの政治・経済の要衝であったこの都市は,民族別国境画定の際に,カザフ代表からタシュケントをカザフスタンの首都とし,ウズベキスタンの首都をその代わりにサマルカンドにするのはいかがかと言う案が出され,カザフ人とウズベク人との間で紛糾しました.
そもそも,カザフの指導層はカザフ草原の北辺にあるオレンブルクを中心と考える人々と,カザフ草原の南にあるタシュケントを中心とするかつてのトルクメニスタン総督府領を中心に考える人々がおり,その路線対立の中から出て来た案でもあります.
このケースではモスクワが介入します.
モスクワの狙いは,そもそもこの地域には不安定要素が多く,その要因を取り除くには,中央アジア南部地域に定住民を主体とする強力な共和国を成立させる事が必要であり,それにはウズベキスタンの建国が望ましく,その首都にも要地であるタシュケントが相応しいと言う考えがあったからです.
こうしてタシュケントはウズベキスタンの首都となりましたが,実際には当初はサマルカンドが首都となり,遷都は1930年になって漸く行われましたが.
こうして,以前は遊牧民が何の意識をもせずに超えていた場所が国境線となり,名目上の独立国から実質的な独立国となってしまった現在では,隣国に行くのにもビザが必要な地域になってしまいました.
現在,ウズベキスタンからカザフやクルグスタンへ抜けるには日本人はビザ免除ですが,ウズベク人は1人12ドル取られます.
また,鉄道網や幹線道路もソ連時代ではそんなに国境線を意識しなくとも良かったので,幾度も各国を横断していましたが,現在ではその複雑な経路が逆に徒となってしまっています.
もっとも,こうしたものには裏道があって,某かの裏金を掴ませば何とでもなるのですが.
眠い人 ◆gQikaJHtf2,2010/04/18 21:00
【質問】
サウディアラビア以外には殆ど見られないはずの「ワッハーブ」派が,中央アジアに存在するのは何故か?
【回答】
そもそもワッハーブ派とは,18世紀に起こったイスラーム改革運動であり,現在のサウディアラビアの国教である.
以下引用.
ワッハーブ派は,18世紀にアラビア半島内陸のナジュドに起こったイスラム教の 改革運動である.宗派としてはスンナ派に属するが,その下位宗派に数えられる場合もある.法学的には,イスラム法学派のうち厳格なことで知られるハンバル派に属す.
創始者はムハンマド・イブン=アブドゥルワッハーブ(ワッハーブ).一般にイスラム原理主義と呼ばれて知られている復古主義・純化主義的イスラム改革運動の先駆的な運動であると評価される.
ワッハーブは,18世紀半ばに,コーランとムハンマドのスンナに戻り,イスラム教を純化することを説き,当時ナジュドで流行していた聖者崇拝,スーフィズムを激しく排撃した.
ナジュドの豪族であったサウード家のムハンマド・イブン=サウードは,ワッハーブの教えを受け入れて彼を保護し,ワッハーブ派の運動を広げつつ勢力を拡大した.
こうして形成されたサウード家の国家をワッハーブ王国と呼ぶが,19世紀初めにオスマン帝国と敵対してムハンマド・アリーに滅ぼされた.
その後ワッハーブ派は雌伏を余儀なくされたが,20世紀初めにサウード家のアブドゥルアズィーズ・イブン=サウード(イブン・サウード)がリヤドを奪回してからのち復興した.
サウード王国がナジュドとヒジャーズを征服してサウジアラビア王国を建国すると,ワッハーブ派はアラビア半島の大部分に広がった.
ワッハーブ派は現在もサウジアラビアの国教であり,宗教警察が国民に対して目を光らせている.
また,王家が国庫を私物化しているという不満を受け止める存在ともなっている.
同国出身のオサーマ・ビンラーディンも元々ワッハーブ派に属する信徒であったとされる.
それが同地域に広まったのは1980年代半ば.サウジ資本流入と共に,「ワッハーブ派」をうたったNGOが押し寄せたためだという.
以下引用.
ウズベキスタンの政治は,いっぽうにはイスラム過激派,もういっぽうには政府支持者のうごめきという危険な二つの極に二分されている.
この地域では,ソビエト政権による絶え間のない抑圧にもかかわらず,ウズベク人とタジク人の大規模なスーフィー信仰教団や,今回の蜂起の舞台となったフェルガナ峡谷のような熱狂的な宗教心の見られる地域の存在とともに,イスラムが常に大きな影響力を及ぼしてきたことは間違いない.
フェルガナ峡谷ではこれ以外に,1999年,2000年,さらに2003年,2004年にも衝突が起きている.
また,80年代半ば以来,サウジ資本が流入するとともに「ワッハーブ派」をうたったNGOが押し寄せた結果,多数のモスクが建設され,青少年を指導するコーラン学校が開校するに至ったのだった.
歴代のアメリカ政権によって奨励されたこの「ワッハーブ化」政策は,アフガニスタンからのソ連撤退,冷戦終結までその命脈を保ち,対象となったのもウズベキスタンだけではなかった.
また,現在でもなお,ロシアの影響下にある地域を狭める目的で,この政策が実施されているのである.
それに対してモスクワも,2002年以降,懸念を示すようになり,脅かされつつある自らの地位を再び確保しようと躍起になっている.
ラテンなニュース - ウズベキスタン情勢に関するラジオフランスの論評記事
「ワッハビズム」はもともとサウジアラビアの公的イデオロギーと,ロシアでは見られていた.
その教義が北カフカスに入り込んできたのは,1980年代のソ連のペレストロイカ(改革)の時期だった.
ソ連の鉄のカーテンが取り払われ,アラブ圏から布教者が入り込み,カフカスの若者達に外国のイスラム国家への留学の機会が訪れていた.
彼らは原理主義的な教義を身につけて故郷に帰り,「ワッハビット」と呼ばれるようになった.
サウジアラビアのモスクワ大使館開設は,「ワッハビズム」のロシア浸透を加速させた.
1990年9月の旧ソ連との国交樹立に伴うサウジアラビア外交団のロシアへの登場によって,ロシアのイスラム教団体と外国の関係が復活した.
サウジアラビア大使館は1993年までにモスクワその他の都市に,「イスラム連帯組織」などのさまざまな名称の組織を作り上げた.
数千万部規模のコーランの無償配布,イスラム留学生の外国派遣や支援に,サウジアラビアの豊富な資金が投下された.
1992年から94年にかけてチェチェンやカラチャエヴォ・チェルケス,ダゲスタンその他の地域で,イスラムの原理を研究する研修所がサウジアラビアの組織によって作られていた.
この研修所では若者達が「将来のイスラム守護者」として,イデオロギーにとどまらず軍事教育まで受けていた.
江頭寛著『プーチンの帝国』(草思社,2004.6.22),p.70
ただし同地域の政府勢力は,反政府派の人々に対するレッテルとして,「ワッハーブ」と呼んでいるそうなので,注意が必要である.
中央アジアのウズベキスタンなどではワッハーブ派というと特別な響きを持つ.(反政府的な態度を取る人たちにレッテル張りをし,矮小化する為にこの言葉が使われている)
この〔チェチェン紛争の〕ころチェチェンや中央アジアでのイスラム原理主義者に対しては「ワッハビsット(ワッハビズムの信奉者)」という言葉が使われた.
ソ連時代に「ワッハビット」のことが語られ始めたのは1990年代初めのタジキスタン内戦の頃だった.
同共和国の反政府せいりょくはそのとき「ワッハビット」たちとともに戦っていると主張した.
実際イスラム武装勢力は「ワッハビット」のイデオロギーの幾つかの要素を取り込んでいた.
例えば彼らは,派手な結婚式や葬儀の習慣を廃止するよう主張した.
江頭寛著『プーチンの帝国』(草思社,2004.6.22),p.70
【質問】
2009年,イングーシ共和国とダゲスタン共和国で展開された特殊作戦は,どのようなものだったのか?
【回答】
イングーシ共和国のНазрань
ダゲスタン共和国のМахачкала
という都市で特殊作戦が展開され,過激派の掃討や物資の押収が行われたようです.
Спецоперация в Ингушетии.
Ранены трое милиционеров
Спецоперация ФСБ в Назрани.
Боевиков удалось нейтрализовать
Спецоперация в Дагестане.
Уничтожены три боевика
Спецоперация в Дагестане.
Убит лидер группировки
≪Шариат≫
Спецоперация в Дагестане.
Убитые боевики находились
в розыске
Уничтожение боевиков в
Назрани. Погибли милиционеры
Теракт в Ингушетии. Четверо
милиционеров погибли
Спецоперация в Дагестане.
Ликвидированы трое боевиков
Спецоперация в Ингушетии.
ФСБ предотвратила серию
терактов
Спецоперация в Ингушетии.
Убиты трое боевиков
Спецоперация в Махачкале.
Убит один боевик
Спецоперация в Дагестане.
Сотрудники ФСБ пытаются
захватить боевиков
こちらはダゲスタン共和国での作戦終了を伝えた記事.
Активная фаза спецоперации
по поиску боевиков в Дагестане
завершена
発表によれば3人の過激派を排除.
75キロの爆薬,2つの発火装置,6個の手榴弾,3丁のカラシニコフ突撃銃,宗教書物を押収したとのこと.
CRS@空挺軍 in mixi, 2009年02月23日19:48
青文字:加筆改修部分
◆Caspian Sea カスピ海周辺地域
【質問】
キルギスとウズベキスタンとタジキスタンの国境線って入り組んでるよね.(特にシル河上流)
国境線策定の経緯とか知ってる人いない?
【回答】
1936年にロシアから中央アジアのカザフとキルギスが分離した時,キルギスのバトケン州と言う地域が1920〜30年代に掛けて反政府ゲリラの拠点と言うことで,ソ連軍が直接占領していた.
ゲリラが鎮圧された後,分離の際にその地域の大部分は,遊牧民主体のキルギス領となったが,農耕地に適した谷沿いの一角は,農民が多かったタジクとキルギスに組み入れられた.
で,当時はソ連邦の一角を構成していたから,特に問題にもならなかったが,独立後は様々な問題を引き起こしていて,国境地域の交換とか画策しているが,政治情勢も絡んで身動きが取れない状態になっている.
【質問】
エネルギー資源開発を巡るアゼルバイジャン有事に際し,アメリカは武力を使う可能性はあるか?
【回答】
高い可能性で,ある.
クリントン大統領は次のように述べている.
カスピ海のエネルギー資源開発でアゼルバイジャンと緊密に協力することによって,「我々はアゼルバイジャンの繁栄を助けるだけでなく,我が国のエネルギー供給の多角化と安全保障の強化も実現することができる」
大統領が,特定の地域ないし問題にアメリカの安全保障が関わっていると語る時,それは米政府が国益を守るために武力を用いる準備があることを意味する.
詳しくは,Michael T. Klare著「世界資源戦争」(廣済堂出版,2002/1/7),P.14を参照されたし.
なお,M. T. Klareは「平和と世界安全保障に関する5大学研究プログラム」理事.
【質問】
カスピ海の領有権の現状は?
【回答】
複雑化している.
ロシアは,1921年のイランとの間の条約を根拠に,周辺諸国は沿岸10浬の排他的水域を得るが,他の水域は共同管理下にあると主張している.
しかし沿岸の新興3ヶ国は,カスピ海全体を沿岸5ヶ国で分割することを主張している.この方式に従うと,ロシアとイランは,エネルギー資源のあるカスピ海中央部から締め出されることになる.
ロシアとイランはまた,カスピ海は湖であり,したがってUNCLOS(国際海洋条約)は適用されないと主張.
しかし,他の3ヶ国は,カスピ海は海であり,したがってUNCLOSが適用されるとしている.アメリカもこの見解を支持している.
詳しくは,Michael T. Klare著「世界資源戦争」(廣済堂出版,2002/1/7),P.148-150を参照されたし.
なお,M. T. Klareは「平和と世界安全保障に関する5大学研究プログラム」理事.
【質問】
カスピ海沿岸の石油資源は,なぜ90年代に入ってから注目されるようになったのか?
【回答】
江頭寛によれば,革命後の1930年代にはウラル南部やヴォルガ流域で油田発見によって開発の中心がそちらに移り,60年代以降は西シベリアが原油生産の中心となって,バクーは枯渇した油田として忘れ去られたため.
カスピ海海底には原油埋蔵が推定されていたが,開発の難しさから放置されていた.
これが注目されるようになったのは,1991年のソ連崩壊により,カスピ海沿岸の独立国家が開発のための外資誘致に乗り出して以降.
詳しくは,江頭寛著『プーチンの帝国』(草思社,2004.6.22),p.120を参照されたし.
【質問】
カスピ海での資源争奪戦における,ロシアの目標は?
【回答】
カスピ海の石油・天然ガスの大部分が,ロシアのパイプライン経由で黒海とヨーロッパに送られるようにすること.
これができれば,ロシアは
・巨額の通過料で潤うことになる.
・カスピ海のエネルギー資源の分配に,一定の支配権を握ることができる.
・ロシア企業に重要な役割を負わせることができる(ロシア政府は巨大エネルギー企業と強く繋がっている).
詳しくは,Michael T. Klare著「世界資源戦争」(廣済堂出版,2002/1/7),P.134-135を参照されたし.
なお,M. T. Klareは「平和と世界安全保障に関する5大学研究プログラム」理事.
【質問】
カスピ海での資源争奪戦における,アメリカの目標は?
【回答】
・ペルシャ湾原油の代替としてカスピ海のエネルギー資源を開発すること
・カスピ海の石油・天然ガスを,ロシアとイランを通さずに西側市場へ送り出すこと
の2つ.
詳しくは,Michael T. Klare著「世界資源戦争」(廣済堂出版,2002/1/7),P.135を参照されたし.
なお,M. T. Klareは「平和と世界安全保障に関する5大学研究プログラム」理事.
【質問】
カスピ海における,ロシアの軍事プレゼンスは?
【回答】
ロシア軍でカスピ海周辺を担当するのは,6軍管区の一つ,北カフカス軍管区.
他の管区で軍備が大幅削減される中,同管区だけは例外となっている.
1999年末時点で,同管区は8万人規模の地上兵力
・機械化歩兵師団×2
・空挺師団×1
・独立機械化歩兵旅団×3
・砲兵旅団,
・スペツナズ旅団
から成る.
また,約475機の戦闘機を保有する第4航空軍,アストラハン駐留小艦隊も,同管区には存在する.
ロシア軍はさらに,アゼルバイジャン,アルメニア,カザフスタン,グルジア,タジキスタンにも守備隊と分遣隊を,ソ連時代から配置している.
1992年のCIS各国による集団安全保障条約によって,それら部隊は駐留継続を認められた.
1999年の条約更新時,アゼルバイジャンとグルジアは離脱したが,ロシア軍は両国からの完全撤退も基地閉鎖もしていない.
他にロシア軍部隊は,グルジアのアブハジアと南オセチア,タジキスタンで,平和維持部隊との共同任務にも就いている.
1999年後半時点で,カスピ海沿岸諸国では少なくとも二万二千人のロシア軍実戦部隊が,多数の特務要員と共に任務に就いている.
外交面では,軍事援助協定,武器移転などの軍事交流によって,カスピ海での影響力拡大をロシアは図っている.
詳しくは,Michael T. Klare著「世界資源戦争」(廣済堂出版,2002/1/7),P.139-142を参照されたし.
なお,M. T. Klareは「平和と世界安全保障に関する5大学研究プログラム」理事.
【質問】
カスピ海における,アメリカの軍事プレゼンスは?
【回答】
1999年現在,アメリカはカスピ海沿岸の軍事施設を使用することもできなければ,基地もなく,部隊を駐留させてもいない.
代わりにアメリカ政府は,外交努力と軍事演習,軍事援助協定を通じて,かなりのプレゼンスを確立し始めている.
アメリカの軍事・経済援助の最大の相手国はグルジアであり,アゼルバイジャンからグルジア経由で黒海,トルコに抜けるパイプライン・ルートの安全保障を図るものとなっている.
また,アゼルバイジャンの国防力増強も重視している.黒海とトルコに抜ける主要パイプラインが,バクーを基点とすることになるからである.
しかし,アメリカ国内のアルメニア人社会の圧力の下,米議会はアゼルバイジャン政府に対する援助の大半を禁じている.
そのため,禁止対象外である兵器拡散防止分野でアゼルバイジャン軍との強力関係を確立し,合同演習を行っている.
詳しくは,Michael T. Klare著「世界資源戦争」(廣済堂出版,2002/1/7),P.142-146を参照されたし.
なお,M. T. Klareは「平和と世界安全保障に関する5大学研究プログラム」理事.
【質問】
ダゲスタン共和国って何?
【回答】
ダゲスタン Дагеста^н は,北カフカス地方とカスピ海の間にある,ロシア連邦を構成する共和国の内の一つ.
コーカサス諸語の民族であるアグル人,アヴァール人,ダルギン人,ラク人,レズギン人,ルトゥル人,タバサラン人,ツァフル人,およびテュルク系民族のクムイク人とノガイ人から成り,総人口269万人(2008年),そのほとんどはムスリムである.
2000年以降,小兵力のチェチェンゲリラのゲリラ戦,正規軍による掃討戦が断続しており,自衛のために各部族の武装勢力化が進んでいる.
【参考ページ】
http://dvor.jp/subekt.dagestan.htm
http://hiki.trpg.net/BlueRose/?RepOfDagestan
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C0%A5%B2%A5%B9%A5%BF%A5%F3%B6%A6%CF%C2%B9%F1
http://crnogorac.blog117.fc2.com/blog-entry-9.html
http://www.minpaku.ac.jp/30arch/exhibition/special/006.html
【ぐんじさんぎょう】,2010/03/07 23:17
を加筆改修
左の隊員はSSo社製“スメルシュ”のブットパックを2つも装着
右の隊員はSSO社製ゴルカE(特注)版を着ています
ゴルカEは一部が迷彩になっており,普通はパルチザンカラーですが,頼めば他のカラーにしてもらえるそうな.
EOTechホロサイトを装着?
迷彩はスプリンターパターン??
CRS@空挺軍 in mixi,2010年02月07日01:42
▼ 北西国内軍管区における対テロ演習終了のニュース
記事を読む限りでは,国内軍においても将兵の住宅問題には関心があるようです.
まだ将官クラスが着ている段階ですが,やはり国内軍もデジタルフローラ迷彩服を着用していくのは,間違いないようです.
国内軍将官
腕章は北西国内軍管区を意味しています
CRS@空挺軍 in mixi,2010年09月12日01:07
▲
【質問】
ダゲスタンで紛争が起こったきっかけは?
【回答】
中央アジアの例に漏れず,この地域でも帝政ロシア時代から叛乱は起きているが,直接のきっかけは,チェチェン独立を求めるイスラーム過激派IIPB(Islamic
International Peacekeeping Brigade)が1999年8月,チェチェンからダゲスタンへ進出してきたこと.
ロシア連邦軍も出動した激しい戦闘が,1ヶ月ほど続き,IIPBは撤退。
この間,一般市民も含んだ千人ほどの死傷者が出,また,IIPBはテロも併用したため,それが第2次チェチェン紛争の要因ともなった.
【参考ページ】
http://hiki.trpg.net/BlueRose/?RepOfDagestan
http://www.worldlingo.com/ma/enwiki/ja/Invasion_of_Dagestan_(1999)
http://www.worldlingo.com/ma/enwiki/ja/Zelimkhan_Yandarbiyev
http://prophetofdoom.net/Islamic_Clubs_Islamic_International_Peacekeeping_Brigade.Islam
http://www.absoluteastronomy.com/topics/Dagestan_War
【ぐんじさんぎょう】,2010/10/07 20:50
を加筆改修
ダゲスタンで行われているテロリスト掃討作戦;
EOTechサイトをGM-94に装着,このサイトは使い易いのかな?
6B23ボディアーマーを着用した特殊部隊員 かなり珍しいです
消防士もボディアーマーを着用する時代になりました
装着しているアーマーはNPO-SM社製だと思われます
CRS@空挺軍 in mixi,2010年09月19日07:14
【質問】
ダゲスタンで暴力がやまない背景は?
【回答】
歴史的には,基本的な民族グループ(アヴェール人,ダルギン人,クムイク人,レズギン人,ラック人)間に,終わりなき衝突が続いているということがある.
闘いは政治権力,資源と職場をめぐって行われている.
また,高い失業率と,驚くべき規模の汚職(ロシアの基準においてさえ)を利用して,イスラーム過激原理主義グループ「シャリーア」が勢力拡大し,北コーカサス全体のムスリムを統合すべく,テロ行為を繰り返している.
【参考ページ】
ダゲスタン:もっとも過小評価されているロシアのホットスポット
【ぐんじさんぎょう】,2011/01/27 20:30
を加筆改修
Спецоперации по уничтожению
боевиков в Махачкале
テロリストの掃討作戦の模様
グロテスクな描写あり 閲覧要注意
一番左の隊員が装着しているのが,Classcom社製「Жилет Транспортный ЖТ」と呼ばれるアサルトベストです
CRS@空挺軍 in mixi,2010年10月06日23:36
【質問】
なぜイスラーム武装勢力は,チェチェンからダゲスタンへ進出してきたの?
【回答】
この時のチェチェンの国内情勢は「失敗国家化」しており,イスラム過激派をマスハドフ大統領は統制できておりません.
過激派も大統領派も主導権争いが明確し,膠着状態に陥ってます.
過激派は現状を打開するために,ダゲスタン共和国に目を付けます.
ダゲスタン共和国は,資源が眠るカスピ海の隣接する地域です.
このダゲスタン共和国を制圧し,チェチェンとダゲスタンによるイスラーム統一国家を樹立すれば,チェチェンの孤立を回避でき,資源が眠るカスピ海を掌握できるという戦略的な目的があったからです.
かなり皮算用的な考えですけどね.
「私は,チェチェンは現状の国境線の中で独立して存在すべきだと考えている.
しかしバサエフは違う.
チェチェンでの試みを(隣国の)ダゲスタン共和国へ広め,さらに(黒海とカスピ海)の二つの海を結んで,外洋への出口を手に入れたいと考えているのだ」
(by マスハドフ大統領)
CRS@空挺軍 in mixi,2010年10月02日 21:45
青文字:加筆改修部分
спец-операции в Хасавюрте
Спецоперации по уничтожению
боевиков в Махачкале
テロリストの掃討作戦の模様.
グロテスクな描写あり.
閲覧要注意.
GM-94 グレネード・ランチャーを使用
上記の動画でも使用しています
faq101007dg.jpg
faq101007dg2.jpg
一番左の隊員が装着しているのが,Classcom社製「Жилет
Транспортный ЖТ」と呼ばれるアサルトベストです
CRS@空挺軍 in mixi,2010年10月06日23:36
【質問】
アレクセイ・シトニコフって誰?
【回答】
Двум военнослужащим внутренних
войск МВД России старшему
лейтенанту Дмитрию Семенову
и сержанту Алексею Ситникову
Указом Президента РФ присвоено
звание Героя Российской
Федерации (посмертно).
によれば,アレクセイ・シトニコフ Sitnikov は,特殊部隊 “Vityaz”所属の軍曹.
2009.9.16,ダゲスタン共和国での特殊作戦中,戦死.
――――――
16 сентября 2009 года разведывательная группа Центра специального назначения ≪Витязь≫ внутренних войск МВД России принимала участие в специальной операции в Республике Дагестан.
У скального подножья хребта Таркитау спецназовцы обнаружили полевой лагерь боевиков и заняли позиции вокруг нее. Визуальный осмотр не позволил определить наличие в ней бандитов.
Для более тщательной проверки на территорию полевого лагеря выдвинулись несколько военнослужащих и буквально через несколько секунд они попали под автоматный огонь бандитов, устроивших засаду.
Спецназовцы открыли ответный огонь и, используя рельеф местности, попытались отойти к основным силам разведгруппы.
В этот момент сержант Алексей Ситников, который прикрывал маневр спецназовцев, заметил, как один из бандитов, имея при себе взрывное устройство, пытается скрытно подобраться к досмотровой группе. Если бы ему удалось довести ло конца свой коварный замысел, боевики получили бы численное преимущество, а спецназовцы могли понести большие потери.
Ситуация складывалась так, что действовать нужно было быстро и решительно. Улучив момент, А.Ситников бросился к бандиту.
Спецназовцу удалось дотянуться до боевика, приемом рукопашного боя сбить его с ног и уничтожить огнем из пулемета.
Однако в этой схватке Алексей получил множественные огнестрельные ранения.
Он ещё успел по радиостанции доложить о выполнении боевой задачи и стал выходить к своим, но из-за потери крови потерял сознание на полупути к основным силам.
С линии огня мужественного спецназовца вытащил его боевой товарищ. Сержанта А.Ситникова доставили в госпиталь г.Каспийска, но полученные им ранения оказались несовместимы с жизнью.
Благодаря мужственному поступку сержанта Алексея Ситникова удалось спасти жизнь военнослужащих разведгруппы, а поставленная спецназовцам задача была выполнена.
――――――
2010年2月,ロシア連邦英雄の称号を授与されることが,大統領令によって決まりました.
Sitnikov軍曹はRomanS氏の友人でもありました.
友人が“ロシア連邦英雄”として認められたのは,慰めになるかどうかわかりませんが,ずっと記憶に留められていくことでしょう.
【関連リンク】
RomanS氏の友人であるVITYAZ隊員が殉職されたようです
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1306898369&owner_id=4501089
CRS@空挺軍 in mixi,2010年02月18日06:13
青文字:加筆改修部分
▼ 2010年3月には,ロシア連邦英雄(死後贈答)アレクセイ・シトニコフの追悼式典が行われました.
ロシア連邦英雄金星章は,ご家族が受け取ったようです.
26.03.2010 - Медаль ≪Золотая
Звезда≫ Героя России передана
на хранение родителям
военнослужащего внутренних
войск МВД России
同記事によれば,アレクセイ・シトニコフは内務省に勤める前は,ロシア連邦警護庁に勤めていたようです.
CRS@空挺軍 in mixi,2010年03月28日23:42
CRS@空挺軍 in mixi,2010年03月23日20:36
▲
【質問】
マゴメダリ・マゴメードフって誰?
【回答】
Magomedali Magomedov(Магомедов,
Магомедали Магомедович)は,ダゲスタン共和国の元首(1987〜2006.2.19)で,ロシア連邦の構成体としてのダゲスタン共和国の体制を維持しようとした少数の指導者のひとり.
1930.6.15,同共和国レワシンスキー地区レワシの生まれ.
2006年に,不明瞭な理由で辞職し,2日後,後任にムフ・アリエフが就任した.
【参考ページ】
http://ja.wikipedia.org/wiki/マゴメダリ・マゴメードフ
http://en.wikipedia.org/wiki/Magomedali_Magomedov
http://ru.wikipedia.org/wiki/Магомедов,
Магомедали Магомедович
http://www.carnegieendowment.org/publications/index.cfm?fa=view&id=40499
http://www.rferl.org/content/Who_Will_Be_Daghestans_Next_President/1895443.html
【ぐんじさんぎょう】,2011/01/22 20:50
を加筆改修
Russian North Caucasus Hot Spot
北コーカサスの火薬庫についてのスレッド
В Дербенте предотвращен
мощный взрыв
ダゲスタン共和国デルベントにて,爆破物を隠し持っていた過激派のアジトを,特殊部隊が襲撃し,爆発物を押収.
Спецоперация в Дербенте
グロテスクな描写あり 閲覧要注意
CRS@空挺軍 in mixi,2010年10月16日22:42
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