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その他の南アジア諸国(並びはほぼアルファベット順)
南アジアFAQ目次


Index

総記

Kashmir カシミール

◆◆カルギル紛争

Nepal ネパール

◆◆イスラーム過激原理主義テロ

◆◆核兵器

◆◆軍事組織

Sri Lanka スリランカ


◆総記

 【link】

 【質問】 インドとパキスタンの線引きは,どのように行われたのか?

 【質問】 インダス川の水資源を巡り,どんな争いがあるのか?

 【質問】 印パ核戦争防止策はあるのか?

 【質問】 印パ紛争は,日本にどんな打撃を与えるだろうか?

 【質問】 印パ両国間に緊張緩和の兆しはあるか?

 【質問】 コシ川問題とは?


◆カシミール問題

 【link】

 【質問】 カシミール問題とは?

 【質問】 カシミールの反インド勢力は,最初からパキスタンへの帰属を目指していたのか?

 【質問】 カシミール問題についてのカシミール人の考えは?

 【質問】 カシミール問題には,インド・パキスタン両国の国内問題がどう影響しているのか?

 【質問】 カシミール武装闘争にパキスタン政府は関与していたのか?

 【質問】 なぜパキスタン政府はカシミール武装勢力を支援していたのか?

 【質問】 カシミール問題解決の方策はないのか?

 【質問】 第1次印パ戦争とは?

 【質問】 第2次印パ戦争とは?

 【質問】 第3次印パ戦争とは?

 【質問】 シムラ協定とは?

 【質問】 89年暮れからカシミール情勢が悪化したのは何故か?

 【質問】 89年暮れからのカシミール情勢は,どのような悪化を見せたのか?

◆◆カルギル紛争

 【質問】 カルギル紛争とは?

 【質問】 当時のシャリフ政権は,ラホール宣言を推進していたのではなかったのか?

 【質問】 カルギル紛争で戦場となったソナマルグは,どんなところか?

 【質問】 カルギル紛争はどのようにして始まったのか?

 【質問】 カルギル紛争におけるインド軍の兵站状況は?

 【質問】 カルギル紛争では,インド海空軍は出動したのか?

 【質問】 カルギル紛争にはパキスタン軍は関与していたのか?

 【質問】 カルギル紛争における,インド軍の戦術は?


◆Nepal ネパール

 【質問】 現在のネパール王家の起源は?

 【質問】 ネパールはなぜ親中化したか?

 【質問】 ネパールで一党独裁体制が構築されたのは,いつのことか?

 【質問】 ネパール内戦の概況は?

 【質問】 ネパールのマオイストの勢力は?

 【質問】 ネパールのマオイスト(毛沢東派)ゲリラは中国寄り?

 【質問】 毛沢東派ゲリラが活動を開始したのは,いつからか?

 【質問】 中国はネパールに軍事支援を行っているのか?

 【質問】 今日のネパールの危機的状況は,どこに起因するのか?

 【質問】 ネパールの君主制廃止について教えてください.

 【質問】 中国とネパールの関係強化について教えてください.

 【質問】 ネパールのマオイスト政権誕生について教えてください.

 【質問】 ネパールのマオイスト政権は何故倒れたのか?

 【質問】 マオイスト Maoist によるダム建設妨害について教えられたし.


◆Pakistan パキスタン

 【link】

 【質問】 パキスタンの国名の由来は?

 【質問】 パルダーの風習とは?

 【質問】 ムハンマド・イクバールとは?

 【質問】 バルチスタン問題とは?

 【質問】 ソ連のアフ【ガ】ーニスタン侵攻は,バルチスタンにはどんな影響を与えたのか?

 【質問】 2006年のバルチスタン騒擾は,どんなものか?

 【質問】 米国の対パキスタン政策の問題点は?

◆◆核兵器関連

 【質問】 1998年5月,なぜパキスタンは核実験をしたのか?

 【質問】 パキスタンのIRBMの開発状況は?

 【質問】 「バーブル」とは?

 【質問】 パキスタンの核実戦部隊はどのようなものか?

 【質問】 パキスタンによる核兵器技術流出問題は充分に解明されたのか?

 【質問】 パキスタンって,核兵器の管理はどうなってるの?

◆◆軍事組織

 【質問】 アユーブ・カーンのクーデターは,なぜ起こったのか?

 【質問】 基礎的民主主義制度とは?

 【質問】 シャリフ政権に対し,1999年10月に軍部がクーデターを起こしたのは何故か?

 【質問】 パキスタンでは軍部はどのような力を持っているか?

 【質問】 パキスタン国内の暴力やテロを抑制できないのは,パキスタン軍の意志の問題なのか?

 【質問】 パキスタン軍事政権のメディア規制状況は?

 【質問】 ムシャラフが大統領であることの何が問題なのか?

 【質問】 Ashfaq Parvez Kayaniって誰?

 【質問】 パキスタンから北韓への軍事技術移転の内容は?

 【質問】 パキスタン軍って戦車持ってますか?

 【質問】 パキスタンが原子力潜水艦を建造するとの報道は本当か?


◆Sri Lanka スリランカ

 【link】

 【質問】 スリランカへの中国の進出ぶりは,どのようなものか?

 【質問】 スリランカ紛争とは?

 【質問】 スリランカ内戦が起こったのは何故か?

 【質問】 シンハラ人のナショナリズムが高まったのは何故か?

 【質問】 スリランカのイスラーム教徒が「民族浄化」に遭っている,というのは本当か?

 【質問】 ワンニ打通作戦(仮称)とは?

 【質問】 LTTEの海上戦力はどのような規模,装備なのでしょう?

 【質問】 トリンコマリー軍港自爆テロ事件とは?

 【質問】 フォンセカ中将暗殺未遂事件とは?

 【質問】 アヌラーダブラ・バス爆破テロ事件とは?

 【質問】 マンナール沖海上テロとは?

 【質問】 クラトゥンガ陸軍参謀次長暗殺事件とは?

 【質問】 スリランカ軍バス爆破テロ事件とは?

 【質問】 人道援助団体活動員虐殺事件とは?

 【質問】 パキスタン大使暗殺未遂事件とは?

 【質問】 ポッツビル・ムスリム虐殺事件とは?

 【質問】 ハバラナ自爆テロ事件とは?

 【質問】 ゴール港自爆テロ事件とは?

 【質問】 バティカロア難民キャンプ砲撃事件とは?

 【質問】 ラジャパクサ国防次官暗殺未遂事件とは?

 【質問】 ヒッカドゥワ自爆テロ事件とは?

 【質問】 LTTEによる初の空爆は,いつ,どこに対して行われたのか?

 【質問】 ダムブラ・巡礼バス爆破テロ事件とは?

 【質問】 ウェリオヤ・バス爆弾テロ事件とは?

 【質問】 コロンボ近郊通勤バス爆弾テロ事件とは?

 【質問】 ムライティブ避難民キャンプ自爆テロ事件とは?

 【質問】 LTTE掃討戦を足がかりにした,スリランカへの中国の影響力増大について教えてください.

 【質問】 スリランカ大統領公邸襲撃について教えてください. #Togetter


◆総記


 【link】

CSAS 岐阜女子大学南アジア研究センター

「Daily Times (Pakistan)」:The nuclear button in South Asia (by Michael Krepon, 12/11/2009)

「Deccan Herald」」●(2012/10/05)Hydroelectric plant in Pak-occupied Kashmir hangs fire
インド,インダス河のパキスタンとの紛争で,立場説明

「IISS」:Building Asia's Security

「IISS」◆24 Feb 2010 - - Reuters - India and Pakistan: finding the right forum for dialogue

「Institute for Defence Studies and Analyses」◆(1012/02/04)Beyond the Indus Water Treaty: A Perspective on Kashmir's “Power” Woes

JASAS 日本南アジア学会

「Kuensel」◯(2012/09/02)Towards regional electricity trade
(ブータンは南アジアで唯一豊富な電力,GDPの25%占める)
「Kuensel」はブータンの国営新聞社

「News International」◯(2012/11/03) 'India violated Indus Water Treaty in Nimoo-Bazgo hydropower project'
パキスタン政府,インドのニモーバズゴ水力,条約違反と

「OSINTSUM」◆(2010/07/11)Will Nepal be on PRC' s orbit?

「Reuters Blogs」●(2012/07/28)Thirsty South Asia's river rifts threaten “water wars”
世界の水戦争の先陣を切るのは,ヒマラヤの水をめぐるインドとパキスタン

South Asia Analysis Group(英語)

「Strategy Page」◆(2010/10/11) INDIA-PAKISTAN: The Lies Mutually Agreed Upon

「Strategy Page」◆(2013/04/14) INDIA-PAKISTAN: Death Squads Versus Democracy

「Togetter」◆(2011/11/19)El_Fire さんの語る,ブータンの民族問題

「TruthDive」◯(2012/07/25) Pak's plan to set up nuclear plant in Sri Lanka sets off alarm bells in India

「VOR」◆(2012/04/09)印パ,「両国の関係正常化」言明

「海洋戦略研究」:(2010/1/21)印パ国境衝突急増

「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2013/05/08) 人権侵害批判のあるスリランカで開催される英連邦首脳会議にエリザベス女王欠席

「ザイーガ」:【知る・雑学・ニュース】イケメン国王グッズが引っ張りだこ(ブータン)

「神保町系オタオタ日記」■(2007-12-15) ブータン王妃の来日
 1957年

フェアトレードの勘違い 山口絵理子(マザーハウス代表取締役)/取材・構成:木村麻紀

ブータンをもっと知りたい人のための情報サイト

●書籍

『現代南アジア』全6巻(東大出版会,2002.9〜)

『スリランカを知るための58章』(杉本良男・高桑史子・鈴木晋介編著,明石書店,2013/3/29)

●Bangladesh バングラデシュ

「Economist」◆(2012/11/05)Bangladesh and development: The path through the fields
バングラについてよくまとまった記事

「Financial Express Bangladesh」◯(2012/09/06)Govt will build another nuclear power plant: PM
バングラデシュは更に原発の新規計画を進めている

「Financial Express Bangladesh」◯(2013/01/12) 1000mw N-power plant
バングラデシュの2つの原発,ロシアが支援を約束

「Indian Defence」◆(2013/05/08) BANGLADESH: A massacre of demonstrators

「Journal of Energy Security」◯(2012/04/20) The Pipeline That Wasn't: Myanmar-Bangladesh-India Natural Gas Pipeline
今まで行くづまっていたインドへのガスパイプライン,バングラデシュの方針で一気に現実へ,中国とミャンマーの計画と双璧

「VOR」◆(2013/03/03) バングラデシュで警察とイスラム政党の支持者が衝突

「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2013/02/21) バングラデシュ  独立戦争当時の残虐行為に関連して,最大イスラム政党の非合法化を検討

「ダイヤモンド・オンライン」◆(2012/11/21)知らない人にもあいさつするほど話し好きな バングラデシュ人から嫌われる“日本人の行動”とは

「ダイヤモンド・オンライン」◆(2013/05/01) “チャイナプラスワン”の新たなる選択  バングラデシュのビジネス環境の現状

●Nepal ネパール

「HydroWorld」◯(2013/01/03) Cabinet okays Upper Trishuli 3A upgradation despite all odds
ネパール政府,中国企業によるトリシュリ3A水力の90MWへの拡張を承認

「VOR」◆(2012/10/09)ネパールでインド映画禁止
> AFP通信が伝えた所では,ネパールの大部分を支配下においているネパール共産党毛沢東主義派は国内で印の影響力が強まる事に抗議する形で,10日間の期限でボリウッド(印ムンバイの映画産業)が作成した人気映画の貸し出しを禁止する措置を導入.
> 同国にある100の映画館の大部分はこれに従ったが,若者達は抗議の声を上げており,学生組織の代表者はAFPに対し,印映画は人気があり,海賊版の広がりを助長するだけで禁止措置は無意味だ,と指摘している.
> ネパールでは政府と毛沢東主義派との間で緊張が高まっており,首都カトマンズでは極左過激派集団によるカレッジのコンピューターの破壊やスクールバスへの放火事件が発生.
> ネパール共産党毛沢東主義派は,印で登録された多くの車がネパールに流入するのを阻止する為に実力行使に出る,と警告していた.

「VOR」◆(2012/12/01)ネパールの元皇太子 タイで釈放
>(;-_-)(どんな人かと思い,ウィキペディア見てみると,相当とんでもない人物のようで)

「VOR」◆(2012/12/17)ネパールの兵士,殺人ゾウを告訴

「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2012/04/26)ネパール  毛派兵士の国軍統合問題が解決,今後は新憲法制定論議へ

「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2012/05/26)ネパール  今月27日の期限を前に迷走する憲法制定

「ニコニコ動画」:20世紀最強の軍隊グルカ 前編その2

 女王陛下の僕としての儀式は,あらゆる意味で深いものがあります.

――――――CRS@空挺軍 in mixi,2008年10月19日18:12

「ニコニコ動画」:グルカの誇り

 10年くらい前のTV番組で,画質悪御免とありますが素晴らしい映像資料だと思います.

――――――CRS@空挺軍 in mixi,2008年10月19日18:12

『ネパール王制解体 国王と民衆の確執が生んだマオイスト』(小倉清子著,NHKブックス,2007.1)

 政争に明け暮れる議会.
 それを目の敵にする国王.
 その国王は,議会勢力を抑える為にマオイストの伸張を黙認.
 国王親政の圧政と失策.
 議会と民主化を求める民衆とマオイストが手を組み,反国王運動の頂点である 『4月革命』
 
 著者が目にした事件や,マオイストの軍司令,政界人へのインタビューを通し,2001年の王宮銃乱射事件以来混迷を続けてきた,ここ数年のネパールが良く分かる一冊です.

 しかしですね,1959年まで 『ビルダ』 と呼ばれる荘園制度が存在ていたり,国民投票で選ばれた議会も国王によるクーデターで潰されたり,1962年にはネパールを 『ヒンドゥー教国家』 であるとし 『ネパールの主権は国王にあり,行政,立法,司法の全権は国王から生じて,国王により行使される』 とした 『パンチャーヤート制度』と呼ばれる憲法を制定したりで,その前時代的ぶりには,驚きましたわ.
 そら,革命も起きますわな (w`;

 1846年に現王家のラナ家が政権とってから,自然死した首相が居ないとか,2001年の王宮銃乱射事のような,王族の大量暗殺事件がたびたび起こっているという,王家の暗黒っぷりにもビックリです (w`;

 『四月革命』 の結果,政権に参加することに (副議長の座を得た) なったマオイストですが,マオイストも,強制募金で活動資金を集めたり,反抗者を暗殺していたりで,そう褒められた集団では無いことは確かです.

 結局,ネパールは混乱の火種を抱えたまま,新しい時代への一歩を踏み出そうとしているのですが……

 前途多難過ぎですね……

――――――ベタ藤原 in mixi,2007年04月12日20:48

 【質問】
 インドとパキスタンの線引きは,どのように行われたのか?

 【回答】
 英領インドは,1947年8月に独立します.
 パキスタンの領域となった地域は8月14日に独立し,インドとなった地域は8月15日午前0時に独立を果たします.
 この独立に際して,何処でインドとパキスタンを分離するかが問題になりました.
 元々は藩王国や州の境界であるので,大多数の地域は比較的友好的に行われています.

 しかし,全然問題が無いと言う訳ではなく,1つの問題は東パキスタン,現在のバングラデシュの有る部分でした.
 英領インドと言うのは,現在州となっている直接支配地域と藩王がいた藩王国の2つに分けることが出来ます.
 このうち,この東パキスタンを含むベンガルは英国がデリーを総督府にする前に行政府を置いた場所であり,英国にとっては有用な地域であった為,直接支配していました.

 因みに,インドと言う地域はヒンドゥーが全面に出ていますが,ヒンドゥーと名乗る人々は極めて少数派で,ヒンドゥーのどの神を信じているかの方が実は重要だったりします.
 つまり,インドのヒンドゥーと言っても一枚岩では無いと言えます.
 元々,インドを宗教で分けようとしたのは英国人であり,数種類の民族の内,或民族は優遇し,或民族は冷遇したのが始まりで,こうすると,インド全体で一致団結することが無いので,統治しやすいと言う論理でした.
 19世紀まではこれで良かったのでしょうが,これが20世紀になり,民族自決と言う考えが台頭してくると,話はややこしくなります.
 元々,一つの地域にそれぞれの民が穏和に暮らしていたのに,異民族に支配され,それぞれの宗派で異なった待遇をされたらどうなるか…結局は,両者が啀み合い,本当に仲が悪くなりました.

 そうして,イスラームはヒンドゥーと一緒に独立するのが嫌だと言う事になって,イスラームの多い地域を分離させてパキスタンとして独立するに至った訳です.
 とは言え,本当に宗派別に多数派を形成する地区を集めて分離させた訳ではなく,インドの両側,つまり端っこにしか国を作らせて貰えませんでした.

 インドの人口は確かに多いのですが,その人口密度が高い部分はガンジス川流域のベンガル地域とパンジャブ地域でした.
 その地域はヒンドゥーとイスラームの混住地域でもありました.

 話を戻してベンガル州ですが,インド独立前は,コルカタを中心とする今の西ベンガル州と,東パキスタンを合わせた地域がそれでした.
 その一部分にイスラームの人口が集中していた部分があったので,その部分を切り取ってパキスタンに与えた訳ですが,そうなるとパキスタンとなった地域からは将来を悲観してヒンドゥーが一斉にインド側に移動しますし,逆にインドとなった地域からも同様にイスラームが一斉にパキスタンに移動します.
 ベンガル州のみならずパンジャブ州でも同様の動きが起き,これによる移動者は1,500万人に達しました.

 因みに,この時の線引きというのは誠に荒っぽい方法で,ヒンドゥーやイスラームに全く利害のない…と言うか何も知らない…英国人のラドクリフと言う人物が,部屋に籠って国境線を引きました.
 で,ラドクリフは独立と同時にさっさと本国に引揚げてしまい,後には右往左往する大量の民衆が残された訳です.

 パンジャブ州も同様の事が行われたのですが,インドの首都であるデリーは旧パンジャブ州の南東端近くにあり,パキスタンの首都であるイスラマバードは北西の端にある訳で,丁度中間にあったのが旧パンジャブ州となります.
 これもラドクリフが真っ二つに引き裂いた訳です.

 ところで,インドと言ってもいささか広うござんすので,南インドに住む人々がパキスタンに対する悪し様な反感は,余り持たないと言います.
 しかし,デリーやコルカタにはパキスタン地域から着の身着のままで逃げてきた難民が沢山住み着いています.
 パキスタンへは,パンジャブやカラチにそう言った人々が住んでいて,この両者が反目の火種になっている訳です.

 因みに,ムシャラフは元々デリー生まれのインド人で,3つの時にカラチに流れていきます.
 一方,インドのマンモハン・シン首相は逆に,パキスタンのパンジャブで生まれで,インドに移ってきます.
 つまり,意外なことに,両者は全く立場を異にする人たちな訳です.
 インドでパキスタン生まれの首相は,1990年代のグジュラール以来2人目ですが,パキスタンの政治家や高位軍人と言うのは殆どがインド出身者で,デリーからパキスタンに移住してパキスタンの指導者となった訳です.
 パキスタンで,政府に対する民衆の支持が薄いのは,こうした要件もあるからなのですね.

 もう1つ,問題になった地域は,インドとパキスタン南端の国境地帯にあるカッチ湿原です.
 1965年2月から数ヶ月間に掛けて,この人口も疎らで,水も乏しい地域で印パ両軍の軍事衝突が起きました.
 しかし,両国は英国首相の仲介により,国際司法裁判所での紛争解決に合意しました.
 1年掛けて国際司法裁判所では検討を行い,ほぼインドの主張に沿って国境線を画定させましたが,インドの完全勝利ではパキスタンに遺恨が残るからと言う理由で,800平方マイルはパキスタンに割譲されました.

 印パ両国の間で一番厄介で現在も解決が模索されているのは,カシミール問題です.
 これには更に中国が絡んで来ているので,話はもっとややこしくなっています.

 この地域へインドから行こうとするならば,ヒマラヤ越えをする必要があり,行くのが容易ではありません.
 と言う事は,パキスタンから行くのが自然で,単純に考えればパキスタン領で解決しても問題ない訳です.

 ところが,この地域はカシミール藩王国と言う藩王ハリ・シンが治める国でした.
 ハリ・シンはヒンドゥーなのに,住民の多数派はイスラームだったと言う所にこの地域の悲劇があります.
 インド独立時,州に関しては英国の直轄地でしたから,勝手に国境線を引くことで対応しましたが,藩王国についてはインドに付くか,パキスタンに付くかは,藩王が決めることが出来ました.
 しかし,カシミール藩王国はインド最大の藩王国であり,ハリ・シンも財産をそこそこ持っていて,共和国に与することを潔しとはせず,第三の道,即ち独立を志向します.
 ただ,独立後の安全保障に関しては深く考えていませんでした.

 こうして,1947年8月15日を迎えたのですが,当然,多数派住民はパキスタンへの編入を求めます.
 これに対して,ハリ・シンは,自分の軍隊を用いて鎮圧に掛かりました.
 それを見て,パキスタンから自国の「民兵」がハリ・シンの軍隊を制圧しに来ました.
 「民兵」と言っても,正規軍の軍人が軍服を脱いでやって来たのですから,ハリ・シンの軍隊は直ぐに負けてしまいました.
 10月には更にハリ・シン自体の地位も危うくなってきます.
 そこで,10月25日ハリ・シンはインドに対して自国の併合と支援を要請しました.

 当時未だインド国内にいたインド総督マウントバッテンとネルー首相は,即座にインド正規軍を航空機でスリナガル空港に送り込みます.
 他方で,パキスタンの「民兵」はハリ・シンの軍隊制圧後,中々前進せず,スリナガルを占領しなかったのが失敗でした.
 因みに,インドもパキスタンも当時,その司令官や参謀など上級将校には,自国人が養成出来なかったお陰で,英国人が任に就いていました.
 そして,インドとパキスタンの司令官の間で色々裏取引があり,パキスタン正規軍の投入が阻止された訳です.

 結局,パキスタン「民兵」とインド正規軍の戦闘により,スリナガルは陥落せず,「実効支配腺」という線で両国に分断された訳です.

 当時,藩王国を巡っては色々とやりとりがありました.
 ハイデラバード藩王国は,イスラームのマワブがいるのに,住民の大多数がヒンドゥーだったので,インドが力ずくでインド領にしてしまいましたし,他の地域でも同様のケースが多く発生しました.
 パキスタンにすれば,インドがやっていることを俺たちがやって何が悪いと言う訳だったのでしょう.

 余談ですが,インドと言うのは憲法などの建前上は,ヒンドゥーの国ではなく,「色んな宗教の人,いらっしゃ〜い」だったりするので,イスラームでもどうぞいらっしゃいませと言う訳で,マワブの国を併合しても理屈上,構わないのです.
 一方のパキスタンの場合は,イスラームの国と言う建前ですので,イスラームが多数派を形成しなければならないと言う論理になってしまい,インドに比べると不利な条件となってしまいます.
 インドはヒンドゥーの国,パキスタンをイスラームの国と捉えると,結構ズレが生じることになるので要注意です.

 こうして,1947年10月からインド正規軍のカシミールへの派兵が開始され,増強の結果,その制圧地域がどんどんとパキスタン領内に近付いていきます.
 これに対し,1948年5月,パキスタン正規軍が動員され,両国は戦端を開き,第1次印パ戦争が始まるのですが,実際には1947年10月の時点から紛争は開始されていました.
 ただ,その時軍部内にいた英国人の存在がパキスタンでは大変悔やまれているそうです.

 休戦は1949年1月で,国連調停によって支配線が休戦ラインとなりました.
 ただ,支配線は途中で切れています.
 そのまま直線で続けてカラコルム峠とかにまで引くと,インド人は怒るそうです.
 インドの主張するのは,シアチェン氷河に沿っての線だそうで,色々論争があるので,未だにこの問題は決着していません.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2010/05/05 22:03


 【質問】
 インダス川の水資源を巡り,どんな争いがあるのか?

 【回答】
 この川の水を巡る争いは,カシミール問題の後景に退く形となってきた.
 1948年の最初の軍事衝突の後,印パ両国はインダス川を巡る対立に関しては,総じて平和的手段による解決を図ってきた.
 しかし,このところ両国関係は緊張の度を高めており,水資源問題が衝突の発火点となる真の危険が現れている.

 1947年8月15日のインドとパキスタンの分離独立は,インダス川流域に大混乱をもたらした.
 対立する2つの独立国家に分たれたばかりか,イギリスが残した運河システム――地域経済の根幹だった――も分断されたからだ.
 インダス川流域の分割という任務を命じられたシリル・ラドクリフは,運河と灌漑農地の大半をパキスタンに与えた.
 しかし,パンジナード川に合流する5河川の源流とインダス川上流は,インド領内に置かれた.
 これにより,インドが「上流」国という複雑な状況が生まれたのである.

 1960年8月,世界銀行の調停により,インダス川水利協定が調印された.
 これはインダス川水系を2分割するもので,インド側が総取水量を減らす代わり,主要支川の管理権を維持する形となっている.
 同協定は,多くの専門家から水資源紛争の平和的解決のモデルと見なされている.
 しかしながら,この協定がインダス川の共同開発にまで踏み込めず,また,インドとパキスタンの水資源紛争の根幹も除去できなかったことは,留意されるべきだ.

 現時点で印パ間の最大の不安定要因は,カシミールの帰属問題だ.
 カシミール紛争の政治的・軍事的側面は良く知られている.
 しかし現実にはもう一つ,インダス川流域における水資源政策も絡んでいる.
 インダス川そのものがカシミールを経て中国からパキスタンに流下し,さらに主用支川のジェルム川,チェナブ川,ラビ川もカシミールに源を発している.
 つまりインドにとって,カシミールを手放すことは,インダス川上流国としての地位を失い,したがって水利に関する決定権の多くも失うことを意味する.

 これまでのところ,インドもパキスタンも多収量品種の導入による「緑の革命」で,インダス川流域における食糧生産を大きく増やしている.
 しかし,こうした状況が永続すると見ることはできない.
 パンジャブ,ラジャスタンなどインドの穀倉地帯では,地下水枯渇による水不足が起きつつあり,インダス川水系への依存度が高まっている.
 既にインドはアンドラプラデシュ州,カルナタカ州,マハラシュトラ州,タミルナド州で地下水を汲み上げすぎており,また,パンジャブ州などで灌漑農地の土壌塩分濃度も上がり始めている.
 さらに,多くの専門家が「緑の革命」は既に限界に達し,さらなる穀物増産は見込めないとしている.
 しかも,地球温暖化に伴う気候変動で,一分の地域は旱魃に,他の地域は洪水に見舞われ易くなると見られる.
 人口増加が現在のペースで続けば,インド政府がパキスタンとの協定違反あるいは破棄に及ぶ事態もありうる.

 詳しくは,Michael T. Klare著「世界資源戦争」(廣済堂出版,2002/1/7),P.264-273を参照されたし.
 なお,M. T. Klareは「平和と世界安全保障に関する5大学研究プログラム」理事.

▼ また,メールマガジン[ 日刊アジアの開発問題 No.268 2008/02/11] によれば,国内ではエネルギー危機を抱えるパキスタンは,ニールムジェルム水力発電プロジェクト(969MW)を巡るインド側との話し合いがつかず,着工決定から8年後の2008年に至って着工宣言を強行するに至ったという.
 インドが反対している理由は,係争中のカシミールに近接しているせいで,インダス条約との関係が微妙なため.
 また,インドはインドでその上流に,キシャガンガという分水を伴う水力プロジェクトを計画しているという.

 ちなみにニールムジェルム・プロジェクトの工事資金22億ドルは,インドとの紛争が理由で,ADB(アジア開発銀行)との交渉が中断しており,パキスタンは中国の援助を当てにしている模様.

 詳しくは同メール・マガジンを参照されたし.▲

 さらに印パは,バギリハール・ダムを巡っても揉めている.
 インダス川上流,シェナブ川に,インドによって建設中のバギリハール・ダムは,下流国のパキスタンから強い抗議を受けている.
 これを解決するために2005/01/05,パキスタン政府は世界銀行に対して紛争の調停を依頼.
 依頼を受けた世界銀行は2005/05/10,スイスのエンジニア,ラフィッテを指名し,ラフィッテは2007/02/12,スイスのベルンで,インドとパキスタンの駐在大使に対して,報告書を手渡した.
 報告書の内容は非常に専門的であるが,パキスタンは,1950年のインダス川条約との関わりから,その法的側面を重視しており,逆にインドはダム技術の点からの側面を重視している,と述べており,問題は,ダムにゲートを付けるのかどうか,と言う点に絞られてきている模様.

 詳しくは,
「日刊アジアの開発問題」 No.366(2008/06/12)
および
Baglihar sets basis to resolve other disputes, says report

を参照されたし.

▼ 直接軍事には繋がらないが,いつ武力紛争に発展してもおかしくない地域においての紛争ゆえ,念のため収録しておく次第.
 もちろん杞憂に終われば,それに越したことはないんだがね.▲


 【質問】
 印パ核戦争防止策はあるのか?

 【回答】
 根本的な防止策はない.
 データ交換や偶発事故防止のためのホットライン設置など,コミュニケーションを高める程度の手段しかない.

 以下引用.

核使用を防ぐためにはミサイル開発を規制することが先決である.
グローバルな意味でミサイル軍備管理は米露間のINF合意しかなく,MTCRではミサイル・システムの軍備削減は期待できない.30
 しかし,インド・パキスタン間の弾道ミサイルの規制・削減は双方の不信感が根強く存在する限り,殆ど現実性がなく,期待できそうにない.
 インド・パキスタン間で中距離ミサイルの軍縮合意が成立することは理想であるが,それが実現できないような状況下では,双方のCBM(信頼醸成措置),特に,ミサイル開発・配備についてのデータ交換や偶発的事故防止のためのホットライン設置などしか手段はないであろう.
 インド・パキスタンがミサイル発射を早期に探知する警戒関しシステムを開発したとしても,距離が近すぎて効果的に機能するとは思われない.31
(30) Strobe Talbott, "Dealing with the Bomb in South Asia," Foreign Affairs, March/April 1999, pp.110-123.
(31) David J. Karl, "Lessons for proliferation Scholarship in South Asia : The Nuddha Smiles Again," Asian Survey, Vol.XLI, no.6, Nobember/December 2001, pp.1002-1022.

森本敏 in 『南アジアの安全保障』(日本国際問題研究所編,
日本評論社,2005.10.10),p.211

 「核戦争が起こる危険性が最も高い地域」と言われる所以である.
(もっとも,イスラエルのほかに,中東のどこかの国があと1カ国,核兵器を持てば,そちらのほうが危険度ナンバーワンになるだろうが)


 【質問】
 印パ紛争は,日本にどんな打撃を与えるだろうか?

 【回答】
 日本のみならず世界が相当の影響を受ける.
 日本の場合,邦人救出を考えねばならないし,中東と日本を結ぶ航路も危険に晒されるだろう.
 核兵器拡散も引き続き警戒する必要がある.

 以下引用.

 インドを含む南アジア地域で大規模な紛争が生じた場合,それによって日本や世界の被る影響は相当なものとなるおそれはある.
 中東戦争が起こり,石油の生産・輸送が阻害されたときのインパクトには比べられないにしても,無視できない程度の影響は覚悟しておくべきだろう.
 卑近な例で言えば,インドやパキスタンに在住して経済活動などに従事している邦人(在留邦人はインドの場合1959人,パキスタンの場合810人,いずれも2000年10月現在の数字)の安危が問題となることは,2002年5月に印パ間の戦争(場合によっては核兵器の使用があるかもしれない戦争)の勃発が懸念されたときに,邦人送還・救出のための準備が十分に整っているのかという問題に日本政府が直面したことを想起すれば明らかである.
 〔略〕

 9.11以後に米国の国防省が発表した『4年ごとの国防見直し』では,「東アジア沿海地帯」(East Asian littoral)という新しい言葉が使われている.6
 これは,日本海からオーストラリアを経てベンガル湾まで伸びる帯状の地域を指すとされているが,国防報告書がこの地域を特記しているのは,インド洋からマラッカ海峡(またはロンボク海峡)を経て南シナ海に入り,台湾海峡を通って日本近海へと至る航路とその沿岸地帯の持つ戦略的価値に着目してのことであろう.
 この一帯は,国内的にも国際的にも数々の不安定な要素を抱えている敏感な部分でありながら(あるいはそれゆえに),恒久的な米軍の存在が困難な地域である.
 上の「拡大された近東」をこれに関連させてみれば,「拡大された近東」(インド亜大陸を含む)と北東アジア(日本を含む)とを繋ぐ帯状の地域が,この「東アジア沿海地帯」だということになる.
 言いかえれば,中東の石油への依存度が極めて高い日本としては,「拡大された近東」の東端にあり,「東アジア沿海地帯」の西端に位置する南アジアの安定に多大の関心を抱く十分の理由があると言えよう.
 中東と日本とを繋ぐ航路の安全のためにも,南アジア地域の政情の安定が望ましい.

 〔略〕

 最後に,核兵器の拡散の問題がある.
 〔略〕
 特にパキスタンの場合,核兵器およびミサイルの開発に関して朝鮮民主主義人民共和国との繋がりに強い疑惑が持たれているだけに,日本の関心事たらざるを得ない.8
(6) U.S. Department of Defence, Quadrennial Defence Review Report, September 30, 2001.
 その他はヨーロッパ,北東アジア,中東,南西アジアという普通の地域概念を使っている.
(8) CIAの2002年6月の報告によると,パキスタンは1987年にミサイル技術と交換に,北韓に対して高速遠心分離機ならびにウラン型核兵器の実験・製造のノウハウを渡した.Seyymour Hersh, "The Cold Test," The New Yorker, January 27, 2003.
 最近,ムシャラフ・パキスタン大統領は,今後,北朝鮮へ核関連技術を移転しないと米国政府に約束したが,それは,既往は合えて問わないという米国側の態度への期待からとみてよい.

渡邉昭夫 in 『南アジアの安全保障』(日本国際問題研究所編,
日本評論社,2005.10.10),p.

 その割には,この地域への日本の安全保障上の関心は薄く,あってもせいぜい「自衛隊のインド洋派遣はんたーい!」レベルであるのが悲しいところ.


 【質問】
 印パ両国間に緊張緩和の兆しはあるか?

 【回答】
 民間レベルでは,そうした動きが出てきた.

 遠藤義雄によれば,「政府間の硬直した対立が消えないことに業を煮やして,知識層を中心に,民間レベルで関係改善の動きが活発になってきた」という.
「これは特に98年の核実験後に顕著になってきている.
 2001年7月,印パ国境の町,ワガーに両国から4万の人が集まり,平和を祈る蝋燭を立てた.
 かつては数千人のレベルだった.
 まだ小さな動きだが,世界は注目すべきだろう」

 詳しくは,「ポスト・タリバン」(中公新書,2001/12/20),P.124を参照されたし.


 【質問】
 コシ川問題とは?

 【回答】
 インドとネパールの間の河川管理問題.
 Koshi 川は,インドの Bihar 州で Ganges 川に流れ込むが,上流は流域面積69,300平方kmで,上流 Everest から発する中国領内は,29,400平方km,ネパール内は30,700平方km,インド領内は,9,200平方kmである.
 ネパール側はコシ川条約は不平等条約であると主張,インド側は条約には何も問題はないと主張している.

 2008年8月18日の大洪水では,ネパール領内の Kusaha で堤防が決壊し,インドの Bihar 州も含め,2.7 million の人々が被災.
 インド空軍が,ネパール領内に入って,救助活動を行った.
 中でも,とり残された地域の150人が,一挙に濁流に呑み込まれたことから,ネパール世論は沸き立った模様.

 詳しくは
Indian minister says no to Koshi treaty review
および,
【日刊 アジアのエネルギー最前線】,2008/9/15付
を参照されたし.


◆ネパール


 【質問】
 現在のネパール王家の起源は?

 【回答】
 1769年.ヴィシュヌ神の化身と謳われたナラヤン・シャーによって,ヒンズー教を国是とするシャー王朝が樹立された.
 以下引用.

 1769年に,ネパールに現在まで続くヒンズー教を国教とするシャー王朝が樹立されます.
 初代の国王(Prithvi Narayan Shah)はヴィシュヌ神(Lord Vishnu)の化身と謳われました.
 爾来,ネパールはヒンズー教の上級カーストの支配するところとなり,彼らは古からの様々な特権を自分達のために制度化し,維持してきました.
 例えば,月経中の女性を牛小屋に閉じこめるという慣習が違法となったのは,つい昨年のことです.

太田述正コラム#1209(2006.4.30)


 【質問】
 ネパールで一党独裁体制が構築されたのは,いつのことか?

 【回答】
 1960年代初め.

 1960年代の初めに,現在の国王の父親のマヘンドラ(Mahendra)によって,一党独裁の体制(Panchayatregime)が構築され,それが約30年続きました.

太田述正コラム#1209(2006.4.30)


 【質問】
 ネパールはなぜ親中化したか?

 【回答】
 親中派と見られるギャネンドラ王子が国王即位したため.

・ネパール内政の経緯概略
 1990年:ビレンドラ国王,複数政党制の復活を約束.主権在民を定めた新 憲法を発布
 1991年:32年ぶりの政党参加による総選挙で,ネパール会議派(NCP) が過半数獲得
 1994年:総選挙で統一共産党(UML)勝利.初の共産党政権誕生.
 1995年:下院の不信任決議で共産党政権崩壊
 1996年:UMLから分かれた共産党毛沢東主義派が武装闘争を開始
 2001年6月:カトマンズ王宮でディペンドラ皇太子がビレンドラ国王ら王 族11名を殺害.自らも自決する.王弟のギャネンドラ王子が即位
 2002年10月:ギャネンドラ国王,デウバ首相を解任し,一時直接統治を 実施.
 2004年5月:4月からの内政混乱を受け,タパ首相辞任.
 2004年6月:国王,デウバ民主党党首を首相に再任.
 2005年2月:ギャネンドラ国王,デウバ首相を解任.非常事態を宣言.

 この非常事態宣言に対し,1月31日,米国務省のバウチャー報道官は「民主主義からの明 白な後退.深く懸念している」と発言.
 また,2月1日にインド政府は,「重大な関心を持っている」と表明し,2日 には外務次官が,ネパールでの非常事態宣言に抗議するとの名目で,出席予定 であった南アジア地域協力連合(SAARC)首脳会談への参加拒否を表明.
 地域大国インドの出席なしでは首脳会談は開催できず,問題になっている.

 ちなみに非常事態発令直前の1月21日,ネパール政府は,ダライラマ14 世の事務所に対し閉鎖を要求.中国からの圧力による.
 ネパール国内では最近,中国の支援でカトマンズ市内にテレビ局庁舎ができている.

 ネパール,ミャンマーへの中国勢力侵入は,インドと中国の関係悪化をもたら し,印パ軍事バランスの崩れを生みます. こうなると,パキスタンは軍拡に走るでしょう.

(おきらく軍事研究会, 2005/2/7)


 【質問】
 毛沢東派ゲリラが活動を開始したのは,いつからか?

 【回答】
 1990年代半ばから.
 政治改革の失敗に起因するという.

 以下引用.

 1990年に民主化をもとめる暴動が起き,数百人の人々が命を落とし,マヘンドラの息子のビレンドラ(Birendra)が新国王となり,立憲君主制がネパールに導入されます.
 しかし,せっかく政治改革がなされたというのに,ネパールの政治家は無能で腐敗しており,しかも抗争に明け暮れたため,人々の生活は少しも楽になりませんでした.

 こうした中,1990年代半ばからは自称毛沢東派ゲリラが武装闘争を始め,やがてこのゲリラは田舎を中心に,ネパールの田舎の80%を支配するに至ります.これまでにこのゲリラによって13,000人もの犠牲者が出ています.

太田述正コラム#1209(2006.4.30)


 【質問】
 ネパール内戦の概況は?

 【回答】
 マオイストの勢力が拡大しつつあり,ただでさえ厳しいネパール経済,特に観光収入に打撃を与えている.
 教育事情もインフラも悪化し,未来が見えない.
 以下引用.

 ただでさえ厳しいネパール経済をさらに混乱させているのが,反政府組織「マオイスト」(ネパール共産党毛沢東派)の存在である.
 マオイストが武装闘争を開始したのは1996年のこと.
 それ以来,マオイストは軍や警察関係の施設を襲撃したり,幹線道路を封鎖したり,電話交換施設やダムといったインフラに対する破壊活動を行っている.
 新聞の一面には連日,
「マオイストと政府軍との戦闘で○人が死亡」
という見出しが踊る.
 これまでの戦闘によって双方に7千人以上の死者が出ているということだから,これはもう,「反政府テロリストと政府の戦い」というよりは「内戦」に近い状態であると言ってもいいのかもしれない.

 〔略〕

 彼ら〔マオイスト〕の主張の一部が正しいことは,僕にも理解できる.
 2001年に起こった国王暗殺事件とそれ以降の政治的混乱は,ネパール社会に大きなダメージを与えたし,不可解な経緯で王の座に着き,議会を解散させて独裁色を強めている現在の国王を,大多数の国民が支持していないというのも事実だ.
 そして,王政に対する民衆の不満を吸い上げる形で,マオイストは勢力を拡大しているのである.

 しかし,仮にマオイストが政権を握ったとしても,事態が好転する保証はどこにもない.むしろ,ネパール全土が更なる混乱に陥る可能性が高いのではないかと思う.
 そもそも共産主義というものが,ネパールという土地とその文化に根ざしたものではないのは明らかだ.
 ネパールは,多くの民族と宗教と言語が入り混じった多民族国家であり,中国のように漢民族という圧倒的多数が存在しているわけではない.
 山岳地域にある集落は,交通の便が悪いために孤立していて,自給自足の生活を送っている.
 そこではいまだにカーストをベースとした村落共同体が,大きな力を持っている.
 そのような土地に中央集権的な政治体制を持ち込んでみても,空回りに終わるのは目に見えている.

 〔略〕

 マオイストと政府軍との戦いが今後,どのように決着するのかは分からない.
 しかし,マオイストが単なる少数のテロリストではなく,山岳部を広範囲に渡って勢力下に収めている武装ゲリラである以上,この混乱が当面は続くのではないかと思われる.

 一つはっきりしているのは,争いが長引けば長引くほどネパール経済が停滞すると言うことだ.
 これといった輸出品のないネパールにとっては,観光収入は重要な外貨獲得源なのだが,
「テロリストが跋扈する危険な国」
というマイナス・イメージによって,外国人観光客の数は,2年前の約半分にまで激減しているのだ.
 都市部では大規模なゼネストも頻発していて,それが経済混乱に拍車をかけている.
 また,地方の村々では,道路や電力といった政府主導のインフラの普及が,マオイストの妨害を理由にストップしている.
 マオイストは,
「農村と都市との貧富の差の解消」
を謳い文句に台頭してきたのだが,皮肉なことに彼らの存在自体が,貧富の差を拡大する原因になっているのだ.

 教育事情も悪化している.
 マオイストは,金持ちしか通えない私立学校の存在を敵視していて,地方にあるハイスクールを次々と閉鎖に追い込んでいるのだ.
 そのようなマオイスト支配に嫌気が差して,田舎から首都カトマンズに逃げ出す人も続出している.
「ネパールにとって,今はとても暗い時代です」と,医者のヤンバハドゥールは悲しそうに言った.「ラジオや新聞は,マオイストと政府軍がお互いを何人殺し合ったかというニュースばかりです.
 分厚い雲によってエベレストの頂(いただき)が隠されてしまうように,今の私達には未来が見えないんです」

(三井昌志著「素顔のアジア」,ソフトバンク・クリエイティヴ,
2005/10/15,p.120-129)

 ネパールの毛沢東主義武装集団,マオイストと云えば,政府関係機関と一緒にコカコーラの現地工場を焼き討ちしてしまったことで有名ですが,そのマオイストとネパールの現状をレポートしたBSドキュメンタリー 『混迷する王国〜ネパール・浸透する共産主義〜』番組では……

 国王打倒を旗印に1996年,弓と槍,2丁の銃で武装闘争を開始したマオイストは,政府の支配の及ばない地域で勢力を伸ばし,ネパールの7割の地域をその支配下に置くに至っています.
 支配地域では,農業指導,識字率の向上を目指しての学校建設,カースト制,性別による差別の廃止を行い,ソ連や中国とは違う 『新しい共産主義国家』 を目指しています.
 その一方で,要求に従わない住民への暴行や,長時間の苦痛を与える遣り方で人を殺したりと,恐怖による支配をちゃんと行っていますがね.

 2001年,民主的で国民からの指示も厚かった前国王が王宮で暗殺され,代わって王座に就いた前国王の弟,ギャネンドラ国王は独裁色を強め,議会を停止し,国軍を掌握. 2005年には直接統治を始めました.
 デモやゼネストを規制するため,外出禁止令や集会の禁止令を出した結果,国民は不満を募らせ,停止された議会の政党勢力はマオイストの支援をうけ,2006年4月,国王独裁への抵抗運動を行いました.
 この結果,国王は直接統治を破棄し,議会は4年ぶりに召集され,マオイストもこの議会に参加することになりましたが……

 王政の廃止を主張するマオイストと,国家の象徴として国王を残したい政党勢力.
 マオイストのゲリラ軍を国軍に組み込みたいマオイストと,その武装解除を希望する政党勢力.
 両者の隔たりは大きく,国連を間に挟み,水面下で政府とマオイストの交渉が続けられているそうですが,マオイストが宣言した停戦期限は10月26日に切れるそうです……


 インタビューを受けていた住民が,
「ここに来たなら,政府でも,マオイストでも支持するよ.殺されるのは嫌だから」
と云っていたのが印象的な,やるせない番組でした.

 こんな番組,どっかで見たような……
 ああ 『ペルー テロとの戦い』 か.

ベタ藤原 in mixi,2006年09月05日21:44


 【質問】
 ネパールのマオイストの勢力は?

 【回答】
 農村をほぼ実効支配しているようであるが,しかし,それは「どちらかと言えば,政府よりもマオイストの影響力が強い」という程度のものである.

 政府はカトマンズやゴルカといった都市を掌握しているに過ぎず,ネパールの農村を掌握しているのはマオイストなのだ,と彼〔バサンタという名のマオイスト兵〕は続けた.人民の9割は我々の味方であり,百万人の戦闘員と2百万人の非戦闘員を抱えているのだとも言った.
(しかし,ネパールの人口が2700万だという事を考えると,その数字は誇張し過ぎと言わざるを得ない.
 実際には戦闘員は2万,非戦闘員を含めると4万人程度だろうというのが一般的な見方である).

 〔略〕

 バサンタは「アワ・エリア」という言葉を頻繁に使った.我々の土地.それは,マオイストが農村を掌握しているという自負が窺える言葉だった.
 確かにこの地域では,マオイストの影響力を誇示する赤旗を目にすることが多いし,建物の壁などにはマオイストの主張が赤ペンキで大きく書かれていたりもする.
 バサンタ達が堂々と村を歩けるのも,外国人と道端でリラックスして話ができるのも,この村に政府軍の力が及んでいないことの表れである.「見つかれば殺される」という,お尋ね者の緊張感は彼らにはない.

 確かに今,農村を実効支配しているのはマオイストかもしれないが,それは「どちらかと言えば,政府よりもマオイストの影響力が強い」という程度のものである.
 村人達が積極的にマオイストを支配しているわけではない.
 結局のところ,この土地はマオイストが言うところの「我々の土地」などではなく,今も昔も自給自足的に暮らしている農村のものなのだ.

 〔略〕

「マオイスト達のやり方に賛成の者は,殆どいませんよ」
 医者として山村の医療センターに赴任してきた,ヤンバハドゥールという青年は僕に言った.
「でも村人は,彼らが武器を持っているから何も言えないんです.
 彼らは時々村を見回りにやってきます.そして一方的に,自分達が行っている革命の話をするんです.
 村人の家で食事をしていくこともあるし,金品の寄付を求めてくることもあります.
 もちろんそれを断ることはできません.
 マオイストが現れてから何日か後に,政府の軍隊がやってくることもあります.
 そんなとき,彼らは
『どうしてマオイストに金を渡したりするんだ』と村人を問い詰めるんです.そして,『以後マオイストに味方すると,痛い目に遭うぞ』と脅すんです.
 板挟みですよ.僕らはどちらの味方でもないし,どちらにも反対しません.それが生き延びるための方法なんですよ」

 〔略〕

カトマンズの大学で学んでいたという〔,ハイスクールの科学教師〕リンブーさんは,
「マオイスト達の言う『人民全員が同じ生活を送る』なんて,ただの夢物語に過ぎないよ」と言いきった.「確かにスイート・ドリームだけどね.しかし実現するわけがない.
 全ての人間は違う考えを持っているし,望むものもそれぞれに違う.宗教も文化も違う.
 それを一つに纏めるなんて絶対に不可能だ.
 私の見るところ,マオイストを支えているのは嫉妬だよ.金持ちに対する嫉妬心や,権力を持っている者に対する嫉妬心だ.
 マオイストも政府もただ権力を手にしたいだけなんだ.そういう意味ではどちらだって同じようなものさ」

(三井昌志著「素顔のアジア」,ソフトバンク・クリエイティヴ,
2005/10/15,p.122-125)

▼ その後,総選挙を経て最大与党となったのは,各種報道にも見られる通り.▲

マオイスト
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(画像掲示板より引用)


 【質問】
 ネパールのマオイスト(毛沢東派)ゲリラは中国寄り?

 【回答】
 ネパールの毛派は中国共産党というよりは,センデロ・ルミノソとかの南米系共産ゲリラに強い影響を受けていて,中国からは「毛派を騙るニセモノ」「共産主義者の面汚し」とか言われててむちゃくちゃ嫌われてる.
 だから中国は国王のほうを援助していたんだけど,国王がアレな人でぜんぜん国民人気が無かった.
 先王陛下が御存命なら,ここまで事態は悪化しなかったかもしれない.

 なお,毛派はどこにも援助を受けていない(援助してもらえなかった)ので,自給自足で頑張っていた様子.

ニュース極東板

▼ ネパールのマオイズムは北インドのマオイストから始まりました.
 もともと,このインドのマオイスト達に軍事訓練をしたのは中国だ,というのは定説ですが,これはもう20年も前のことで,北京的には
「ネパールのマオイストは古い思想である」
というようなコメントを以前に出してます.
 5年ぐらい前かな?

ばな猫@SAVE TIBET in mixi,2008年04月06日 01:29


 【質問】
 今日のネパールの危機的状況は,どこに起因するのか?

 【回答】
 ギャネンドラ国王の強圧的独裁により,かえって事態が悪化したため.
 加えて,国王の,ヒンズー教に反する暴挙とされる事件により,民心も離反したという.
 以下引用.

 2001年,悲劇がネパールを襲います.
 ビエンドラ国王の息子が,酔っぱらって,国王一家の団らんの場で小銃を乱射し,一家の大部分(国王・王妃・ほか7名)を射殺してしまうのです.
 この結果,不人気であったビエンドラの弟ギャネンドラ(Gyanendra)が即位します.
 ギャネンドラの息子がそれに輪をかけて人気がなかったこともあり,ネパール王国の行く手には暗雲が立ちこめます.
 即位したギャネンドラは,毛沢東派ゲリラ退治に全力を傾注し,2002年には議会を解散し,首相を馘首します.
 政治家達に愛想を尽かしていたネパールの人々は喝采を送り,不人気だったビエンドラ人気は浮上します.
 米国は小銃2万丁,インドも小銃2万丁,英国はヘリコプターを100機提供するとともに,資金援助も行い,ギャネンドラを支援します.

 しかし,ネパールの2,800万人の人々の半数は依然,電気も水道も,医療も教育もない生活を余儀なくされています.

 ところが,2005年2月にはギャネンドラは絶対的権力を掌握し,直接統治に乗り出し,あらゆる反対意見の封殺を図り,逮捕・拘禁・行方不明者・死者の数は鰻登りに増えることになります.
 この10年間で,ネパールの治安部隊によって殺害された人々の数は,毛沢東派ゲリラによって殺害された数を上回る,という説もあります.
 急速にギャネンドラから離れたネパールの世論を背景に,主要7政党は団結して反ギャネンドラ運動を開始し,昨年11月には毛沢東派ゲリラとの間で合意を取り結び,ゲリラは武器を放棄する代わりに国王から実権を剥奪するか王制を廃止する憲法改正を行うとの条件の下で議会議員選挙に参加することを約束しました.
 そしてこの主要7政党は,毛沢東派ゲリラと提携しつつ,今年4月6日からゼネストに突入するとともに,首都カトマンズ(Kathmandu)を中心に,大規模デモを開始したのです.

 ギャネンドラの過ちは,このデモを強権的に弾圧しようとしたことです.
 この結果,21日に15人の死者と数百人の負傷者が出てしまいました.
 とりわけ致命的だったのは,警察の銃撃によって死亡したこのうちの1人の庶民の亡骸を,警察が国王の命で,彼の家族に告げることなく火葬にしてしまったことです.
 これはヒンズー教の精神にもとる蛮行であり,この瞬間,まだかすかに残っていた,ギャネンドラのヒンズー国王としての神聖さに対するネパールの人々の敬意は,完全に消え失せ,これを契機に,平和的であったデモは,暴動に転化してしまうのです.
 もはや警察,そして後に控えさせていた軍にも全幅の信頼を抱けなくなったギャネンドラは,4月24日,ついに7政党の要求に屈し,4年近く開かれなかった議会の28日招集を発表するのです.

 しかし,これを受けて,ゼネストもストもほぼ終わり,毛沢東派ゲリラまで,3ヶ月間の休戦を宣言したとはいえ,7政党が新しい首相に選んだのは84歳の,首相歴が何回もある長老議員(最大の政党たるネパール国民会議派党首)のコイララ(G.P.Koirala)であり,政治家達が,心を入れ替えて,まともに政治を行うのか,特に毛沢東派ゲリラをなだめすかして彼らを政治プロセスに引き入れることができるかどうか,心許ない限りです.

太田述正コラム#1209(2006.4.30)


 【質問】
 中国はネパールに軍事支援を行っているのか?

 【回答】
 中国の軍事支援は,2005年になってからのもので,インドのネパールに対する支援凍結の間隙をついたものだという.
 以下引用.

中国,ネパールに軍事支援 主導権めぐりインド牽制

 【北京=野口東秀】中国がチベット自治区に接するネパールへの軍事支援に乗り出していることがわかった.西側軍事筋が明らかにした.
 今年二月,ネパール国王の強権発動にインドが反発,武器供与を見合わせた間隙(かんげき)をついた形だ.
 軍事支援の背景には,周辺地域での主導権をめぐり争うインドを牽制(けんせい)し,チベット亡命政府のネパールでの影響力を薄める狙いがあるとみられる.
 中国はネパール国王の強権発動後,装甲車五台や自動小銃を提供したほか,ネパールに対し航空機を含めた約千二百四十万ドルの経済援助の供与で合意した.
「援助の使い道はネパールが決めるもので,事実上,軍事的意味がある」(専門家)
とされる.
 さらに十月下旬には,ネパールのタパ陸軍司令官が訪中,中国から約百万ドルの武器支援の約束を取り付けたという.
 中国のネパールに対する軍事支援は,ギャネンドラ国王が今年二月,首相と全閣僚を解任し,政治家や民主化運動家の拘束や報道管制措置をとったことで,米国やインドなどが制裁的意味を込めて軍事援助を停止した情勢を踏まえたものだ.
 米国は主要な援助のライフル銃三千五百丁の提供を中断,ネパール軍・警察にヘリコプターや機関銃などの支援を続けてきたインドも提供を一時凍結.
 その間隙をつく中国の手法を,「インドは深刻に受け止めている」(同筋)という.
 中国にとりチベット自治区とインド双方に隣接するネパールとの関係強化は,ネパールを自国の影響下にとらえるインドへの牽制となる.
 中国とインドは経済関係で連携を深めながらも,周辺地域での主導権をめぐりつばぜり合いを演じているのが実情だ.
 中国は今月中旬に開かれる東アジア首脳会議で協議される「東アジア共同体」へのインドの参加を渋っているほか,インドとカシミール地方の領有権をめぐり対立するパキスタンには相変わらず軍事支援を続けている.
 ネパールには約三万人のチベット難民がいるとされるが,中国には,ネパールへの発言力を高め,チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマの影響力をそぐ狙いもあるようだ.
 ネパールが“中国カード”を使ってインドを牽制したとの見方もあり,中国とネパールの思惑が一致した側面もあるようだ.

産経新聞,2005/12/5

 これに対し,20日のAFPによれば,インドはオアキスタンと中共によるネパールへの軍事協 力に懸念を示しています.Mukherjee国防相が述べたものです.
 同国防相は,両国のネパールへの軍事援助は,反政府武装勢力「ネパール共産党毛沢東主義派」と政府軍との戦闘を拡大させる可能性があり,「問題が大きい」 としています.
 なお,この見解は,ネパールに対する中共とパキスタンの軍事援助に関してインドが出した初めての公式見解とみられています.

 インド政府は外交レベルでこの問題を収拾しようとしているようです.
 専門家は,英国・米国とインドがネパールへの武器供与を一時停止している今 の間に,中共とパキスタンのネパールに対する影響力がインドをしのぐ事態を,インド政府は警戒しているのだ,と指摘しています.

 先月,ネパール紙は,中共が,ネパールに兵器や弾薬を運搬するための道路を急ピッチで造っていると報じています.
 また今月初めには,ネパール陸軍司令官の Pyar Jung Thapa将軍がパキスタンを訪問し,ネパール軍の訓練をパキスタン が行うことで合意したといわれています.
 ギャネンドラ国王による絶対王制のもと,ネパールの政治・軍事に対するパキ スタンと中共の浸透は,一掃たやすいものになっているようです.

(おきらく軍事研究会)


 【質問】
 ネパールの君主制廃止について教えてください.

 【回答】
 2007/12/28行なわれたネパール暫定議会は,立憲君主制を廃止し,共和制を選ぶ議案を可決しました.
 1769年から君主としてネパールを統治してきたシャー(グルカ)王朝が,これで消滅します.
 あわせて議会は「連邦民主共和国」宣言を,暫定憲法に明記して修正しています.

 来年4月半ばまでに行なわれる予定の選挙を経て行なわれる制憲議会の初会合で,これらの議決は発効しますが,シタウラ内相は「制憲議会に君主制復活の権限はない」と明言したそうです.

おきらく軍事研究会,平成19年(2007年)12月31日


 【質問】
 中国とネパールの関係強化について教えてください.

 【回答】
 シナ国防相の曹剛川上将は八日,シナを訪問したネパール軍参謀総長のカタワル将軍と会見し,軍事を含めた両国関係深化で合意しました.
 「相互友好関係」という言葉が使われており,曹上将は,「健康的で円滑な五つの原則に基く平和的共存関係を今後長く続けてゆく」と述べています.

⇒ これは事実上の降伏であり,朝貢といっても差し支えないですね.
 先日憲法で王制を捨てたネパールは,事実上のシナの植民地となったようですね.
 今後シナ人の「合法的な」入植も進んでゆくことでしょう.

 ちなみに同参謀総長は十日にシナ軍総参謀長・陳炳徳上将とも会談しています.
 ここには情報のプロで総参謀長助理(補佐)の陳小工少将と,北京軍区司令員の房峰輝中将が同席しています.

 国家関係をスタートさせるまず最初は軍事対話から,と言われていますが,こういう現実を見るとそれがまざまざと理解できます.
 国家主権を担保するのは軍事力です.

おきらく軍事研究会,平成20年(2008年)1月14日


 【質問】
 ネパールのマオイスト政権誕生について教えてください.

 【回答】
 約二百四十年にわたって存続した王制を廃止したネパールでは,四月の制憲議会選挙後,政治混乱が続いていました.その後2008/7/14までにネパール共産党毛沢東主義派が主導する政権が発足する見通しになりました.

 新設される大統領は19日にも選出され,早ければ来週にも政治的実権を持つ新首相が選ばれ,新内閣が誕生する予定でしたが,十九日のネパール国営テレビによると,当選に必要な過半数を得た候補はなく,21日にも再投票を行うことになったとのことです.

⇒ 大統領ポストは,5月の制憲議会で王制廃止と同時に設置が決まったものです.
 政治の実権は首相が持ち,大統領は軍最高司令官となります.
 王制廃止前後の流れは中共とマオイストが狙ったとおりの形で推移しています.
 一言で言えば,自ら混乱・騒乱を作って煽り,「事態を収拾できるのはマオイストしかいない」という状況を作り出す謀略です.

 わが国も,平和ボケに安住していると明日にも同様の状況が発生するでしょう.

おきらく軍事研究会,平成20年(2008年)7月21日


 【質問】
 ネパールのマオイスト政権は何故倒れたのか?

 【回答】
 メール・マガジン【日刊 アジアのエネルギー最前線】2009/5/5付
および
「AFP」:ネパール毛派首相が辞任,参謀長解任めぐり政権崩壊
によれば,マオイスト軍隊約2万人の,円滑なネパール正規軍への編入が頓挫したためだという.
 マオイスト軍の武器はすべて金庫の中に納められたが,その金庫の鍵は,旧毛派の兵士が握っており,ネパール軍部はこのマオイストの完全武装解除が前提,との主張を譲らなかったという.
 マオイスト政権のプラチャンダ Prachanda (ポウスハ・カマル・ダハル Pushpa Kamal Dahal )首相は2万の自分の将兵を説得できず,結局,2009/5/3,カタワル Rookmangud Katawal 陸軍司令官を解任.
 これに対してネパール会議派に属するラム・バラン・ヤダブ Ram Baran Yadav 大統領が,同将軍に現職に留まるよう命じ,そのためプラチャンダ首相は5/4,辞任したという.

 上述メール・マガジンは,今後を次のように予言する.

――――――
プラチャンダーは,政権投げ出しと同時に,民衆を動員してのデモ活動に移る,と宣言しているが,マオイストの言うデモ活動とはゲリラ活動と直結したもので,まずカトマンズ道路の閉鎖が,彼等の得意な戦略である.
――――――

 再び戦乱の悪寒…….


 【質問】
 マオイスト Maoist によるダム建設妨害について教えられたし.

 【回答】
 2010年2月15日,重要なインドの投資プロジェクトである,ネパール西部ラムジュン Lamjung 地区の Upper Marsyangdi 水力(250MW)の調査が,マオイストの地方組織 Tamu Rastriya Mukti Morcha の妨害によって,中断された.
 マオイストに妨害され,中断した水力発電プロジェクトは,
GMRのアッパーカルナリ Upper Karnali 水力(300MW),
SJVN(Satluj Jal Vidyut Nigam)のアルン3 Arun III 水力(402MW),
ILFS( Infrastructure Leasing and Financial Services)のウエストセティ水力(750MW)
に続き,これで4件目.
 ネパール国内は日15時間にも及ぶ停電を余儀なくされている.

 【参考ページ】
http://my.reset.jp/adachihayao/index100217C.htm
http://bit.ly/bl25uX


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