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「ストパン」■(2008-11-04) [読書][チベット][歴史]チベット仏教世界と中華世界
「メガとんトラック」●(2009/11/09) 理塘でチベットの鳥葬を見てきた - huixingの日記
【質問】
チベット仏教について教えてください.
【回答】
この形態の仏教は,意味のある,もしくは意味のない一連の音節語であるマントラ,つまり真言,もしくは神を
長い朗唱の中で唱える祈りが際立っているので,マントラヤーナ(マントラ乗;
真言乗)と呼ばれることがあります.
この形態の仏教では,知恵や情けが強調される代わりに儀式,祈り,魔術,および心霊術による礼拝が強調されています.
祈りは数珠や祈り車の助けにより,1日に何千回も繰り返されます.
複雑な儀式はラマ(師僧),つまり僧院の指導者から,ただ口頭で教えられて学ぶことができます.
それらラマの中で最もよく知られているのは,ダライ・ラマやパンチェン・ラマです.
ラマが亡くなると,次の霊的な指導者となるための,そのラマの化身と言われる子供が,捜し出されます.
しかし,このラマという語は,一般的にはすべての修行僧にも当てはまります.
修行僧の数は,ある推定によれば,一時期,全人口のおよそ5分の1にも達しました.
ラマはまた,教師,医師,土地所有者,および政治家としての役割をも果たしました.
【質問】
「チベット仏教」ってラマ教のこと?
【回答】
今は「ラマ教」と言ってはいけません.
「ラマ教」は蔑称とされているので現在は使われません.
「チベット仏教」とか「チベット系の仏教」とか言うようにしましょう.
「ラマ教」というのはチベット所伝の伝統的仏教が誤解されていた頃に使われていた名称です.
『ポン教という土俗のシャーマニズムと深く習合した,(仏教と呼ぶには余りに)不純な宗教』
という誤解でした.
今では,インド後期密教の姿を忠実に伝えている,れっきとした大乗仏教という事が判ってきたので,「仏教以外の宗教」という誤解を招く「ラマ教」という名称は,学界・出版界等では廃されています.
仏教の中に「大乗仏教」と「部派仏教」があって,「大乗仏教」の中に「顕教」と「密教」があるという分け方があります.
こういうのを“教判”といいますが,宗派によっては相違がある物です.
さらにチベット密教も,行タントラ・所作タントラ・瑜伽タントラ・無上瑜伽タントラと分けられます.
さらにまた,無上瑜伽タントラは母タントラと父タントラに分類され,(父母両タントラを合わせたような内容の)不二タントラと分類される経典もあります.
チベット最主流のゲルグ派では,父タントラの「秘密集会タントラ」を根本にしており,「不二タントラ」という分類は採用していません.
一般にはプトゥンの分類法に則って「時輪タントラ」を不二タントラとする傾向にあります.
但し,ゲルグ派では「時輪タントラ」を“母タントラ”に位置付けています.
ニンマ派はかなり変わりますが.
【質問】
ネパールの仏教=チベット系仏教?
【回答】
ネパールの仏教は大別すると,カトマンドゥ盆地土着のネワル仏教とチベット仏教の両方がある.
ネワル仏教はインド直系の在家仏教.
詳しくは春秋社の『ネパール仏教』(田中公明/吉崎一美著,1998.10)でも読んでくれ.
カトマンドゥで具体的に両者を比較したいなら,スワヤンブーはネワル仏教(チベット仏教の寺もあるが),ボードナートはチベット仏教.町中にバハル/バヒルというネワル仏教の寺もたくさんあるから,朝早く行ってプージャ見せてもらうといい.
あと上座部仏教の寺もいくつかある.
スワヤンブーの裏手にもひとつ.
【質問】
チベット仏教がインド後期密教の姿を忠実に伝えているものなら,チベット仏教と日本の密教は同じもの?
【回答】
我が国では金剛界・胎蔵界の両部を対等とし,金剛頂経と大日経を中心に密教が発達してきましたが,
チベットでは金剛頂経は瑜伽タントラ,大日経は行タントラに分類されています.
無上瑜伽タントラ系の経典は,(漢訳も遠慮がちな事もあり)殆ど行われませんでした.
輸入を試みても“立川流”のレッテルを貼られ,既成宗門から徹底的に攻撃.
ついにチベット系仏教は,日本では根付く事がなかったようです.
地域によって違いもありますが,
日本所伝の密教を「中期密教」,
チベット文化圏現存の密教を「後期密教」
と言います.
インドではイスラム教徒によって完膚なきまでに滅ぼされる事になった後期密教は,チベットとその周辺の仏教文化圏でその姿を見る事が出来るようです.
【質問】
「ラマ教は現世を重視しないで来世だけを考えるから,経済的に貧しくても我慢を強いられる」んじゃないの?
【回答】
以下のブログによれば,それはチベット仏教のイロハが分かっておらず,噴飯ものの意見だという.
以下引用.
[quote]
「おてらにっき」:或るテレビ文化人(2008-03-21付)
今日の「ミヤネ屋」に,元衆議院議員の海江田万里が出演していました.
で,チベット問題で発言をしていたのですが,これがまったくもって噴飯モノ.
曰く,チベット仏教と言われるが,あれは正式にはラマ教であり,いわゆる仏教とは違う異質のものである
(まず,チベット仏教のイロハがわかっていないです,
この発言は.まあどこぞのプロパガンダを鵜呑みにした知識を自慢したいだけでしょう).
曰く,中国成立が1949年,チベット進駐が51年だから,チベットが独自に生活していたのは2年くらいはあった
(それ以前はずっと中国領だったと視聴者をミスリードしようとしている).
曰く,ラマ教は現世を重視しないで来世だけを考えるから,経済的に貧しくても我慢を強いられるので,中国はそれを改善して経済発展させようとした
(これも,チベット仏教に対しては根本的に間違い.
経済云々にしても,現実には中国化した上での発展であり, しかも漢人が利益を掻っ攫う構図)
・・・等々.
すべてどこかで聞いたような台詞ですが,この人は北京が本籍地なんでしょうか・・・?
[/quote]
海江田万里氏が,全く理解せずにこう言う事をメディアで発言しているという事は,この「発言テンプレ」を基にしたプロパガンダ活動が国内で始まっているという事.
そういう笛や太鼓で踊り狂う政治家,文化人,タレント,評論家などがメディアの表層に湧き出して来るのでもあるらめ.〔原文ママ〕
▼ 仏教が主張するのは,「現世だけを重視しない」です.
確かに現在の状況は,自分の遠い過去の行為に起因するとは教えますが,だから未来に希望を持って今を我慢せよなどとは言っていません.
仏教が教えるのは
「事象の実体を正しく把握し,それにとらわれるな」
であって,我慢せず何もしないということではありません.
事象に向き合って解決することが,過去の連鎖を断ち切り,よりよい状態に導く.
上座部ではそれが僧院で修行に専念する,もしくはそれを援助することであり,
大乗部では外の世界で,人々に慈悲をもって奉仕するという違いがあるだけです.
実際に仏教の理想をもって治世を行った,インド・マウリヤ朝のアショーカ王をはじめ,社会改革や福祉などに活躍した僧侶・信徒は,上座・大乗を越えて広く存在しています.
まぁ,この質問のフレーズって,昔から左の陣営の宗教批判の決り文句なのですが(笑)
私は社会改革唱えて自分自身は顧みず,自分の内部の闇を外部に投影して延々と終わり無き闘争するよりも,自身を内省し負の連鎖を見つめながら,社会改革に邁進するほうがいいと思いますねぇ.
閻魔さくや in FAQ BBS,2009年12月15日(火)
21時57分
青文字:加筆改修部分
▲
ちなみにSNSや掲示板でも,チベット仏教をカルト宗教,ダライ・ラマ14世をカルトの親玉扱いする主張が散見される.
【質問】
中国大陸に対するチベット仏教の影響力は,どんなものだったのか?
【回答】
清朝の始祖であるヌルハチは,チベット仏教の熱心な信者であったので,後金国を建国した時,自分たちを「文殊菩薩[マンジュシュリー]の民」という意味で,同音の「マンジュ=満洲」と改名した.
チベット仏教はモンゴル帝国のフビライが信仰して,1260年,サキャ派の座主であるパスパ(八思巴)を招請し,元朝の初代帝師に任命した.
パスパは,1269年にチベット文字をベースにしたモンゴル新字を制定し,文化面では大活躍する.
これによって,モンゴル人のチベット仏教信仰者が急増した.
元代に満州地区に住んでいた女直族が,新しい支配者の宗教に感化されたのは当然である.
それに,遊牧民族はもともと自然崇拝のシャーマニズムを信仰していたので,密教の要素の濃いチベット仏教は違和感なく受け入れることができた.
モンゴル帝国としては,チベットを攻めて支配下においたのではあるが,皇帝が自分の師と仰ぐ僧を支援するのであるから,その関係は布施をする後援者的な存在でもあった.
そして,後の皇帝たちも自然とチベット仏教を信仰している.
私は,敦煌の莫高窟で元代の巨大な歓喜仏のレリーフを見たとき大変驚いた.
それまでの静的な思索から,仏の概念を変えるほどの強烈な印象であった.
しかし,日本の真言密教でも現に『理趣経』には性欲肯定が説かれているのだから,それを絵画にするとこうなるのか,と改めて納得もしたのである.
明の永楽帝はチベット仏教を信仰し,多くの寺を建てて寄進をしている.
▼モンゴル人の妻の影響であろう.※▲
しかし基本的に漢民族国家としては儒教を治世の中心に置いていたので,他の皇帝はチベット仏教を信仰することはなかった.
しかも明は,チベットをその支配下におく軍事行動を取る余力はなかったのである.
数名の漢民族の官吏を,偵察にチベットへ送り込んで,その動静を注視し,北元との関係を把握する程度のものであった.
〔略〕
チベット仏教は,チベット・モンゴル・満州という強大な教圏を得て勢力を大きく伸ばすこととなる.
今でもインドのラダック地方,シッキム地方,ヒマラヤ地方,ブータンもチベット仏教を信奉している.
しかし,人口では圧倒的多数の漢民族を掌握するためには儒教も認めるし,天山周辺のウイグル族を平定して新疆省を設置してみると,ウイグルはイスラム教徒である.これもまた否定したのでは民衆の反抗をうながすようなものである.
したがってイスラム教も容認する.
乾隆帝の「俗によりて以って治む」という言葉が表しているように,清朝の対民族政策は,その民族の習俗に従うことが原則であった.
清が大帝国となりえたのは,モンゴル帝国と同じく,宗教には寛容の精神であったので,支配下におかれた異民族の抵抗も少なく,無駄な軍事力を使わなくてもよいので,清末までは外国の脅威としてはロシアの進出に対して注意を払うだけで事足りた.
乾隆帝は,河北省承徳の熱河離宮周辺に多数のチベット仏教寺院を建立し,さらにパンチェンラマを招いて自分と対等の地位を与えたのである.
朝鮮からの使節に対しても,パンチェンラマに拝礼せよと命じた.
朱子学を国学とする朝鮮使節らは憤慨し,「我らは死ぬ」と号泣したという.
北京城内には雍和宮[ようわきゅう]があり,1725年に雍正帝が即位する前の邸宅をチベット仏教の寺院に寄進した.
皇帝にしか許されない黄金色の屋根瓦で,城内の北面東側の安定門の傍にあり,清代の皇帝の軍隊はこの門から出征したのである.
このほか,北京にはチベット仏教の寺院が多い.
なお,北京城は元代の遺構の上に明の永楽帝が建てたのであるが,北門の位置を3キロほど南に下げた.
そして内城を囲んで外城を作る予定であったが,南部の外城をつくったものの財政が続かず,そのまま計画は頓挫した.
モンゴルを恐れてのことである.
岡崎溪子 in ≪ WEB 熱線 第998号 ≫2008/03/26_Wed
▼
※
永楽帝の皇后である仁孝文皇后は,明初の元勲である徐達の娘です.
徐達は明らかに漢人です.
他の后妃にもモンゴル人はいません.
ネット上にあるソースとしては良いものがないのですが,とりあえずWikipedia.
▲
【質問】
wikipediaに書いてあったんですけど,チベット仏教は他の宗教に比べて論争に強いということですが,どんな点が優れているのでしょうか?
【回答】
どの宗教がどの宗教より優れているなんて,宗教は個人の主観によるものが大きいわけだし,比べるのはあまり意味のあることとは思えないな.
ただ,チベット仏教がモンゴルに大きな影響を与えた点だが,もともと北方騎馬民族の間で仏教が信仰されていた点が大きいのかも知れない.
モンゴルと関係が深かった契丹や女真でも仏教は盛んだったしね.
それで,モンゴルがウイグル仏教や中国仏教よりもチベット仏教を選んだ点だが,当時のチベット仏教はインドで最も発達した段階の仏教をそのまま受け継いだところがあるから,そこがモンゴルにとって新鮮だったのかもしれない.
そして,チベット仏教で最も重んぜられたサキャ派だが,この派は当時のチベット仏教の宗派の中で最も顕密のバランスが取れた宗派だったということが言えるかもしれない.
もともとサキャ派は密教中心の宗派だったが,モンゴルがチベットに来る少し前には,サンスクリット仏典に通じたカシミール出身の僧侶を招いて仏典の翻訳活動を行ったりして,顕教にも力を入れているからね.
他の有力宗派はカダム派は顕教中心でカギュ派は密教中心だから,サキャ派に比べると偏りがある.
サキャ派がモンゴルに気に入られた点は,顕教密教双方に通じていて,それが学問に目の肥えたモンゴル皇帝に,こいつやるな,と思われたからかもしれない.
また,サキャ・パンディタの個人的な魅力もあったと思う.うまく丸め込まれたというか.
当時のモンゴル人にも各地の仏教の違いなどわからんでしょう.
それに当時のウイグル仏教や中国仏教で著名な高僧って誰がいたのかな.
チベット側でも,西夏で布教していたツェル・カギュ派の僧達から西夏滅亡の顛末を聞いて,事前にかなり対策練ってたみたいだし.
ちなみに,セラ寺でチベット僧が論争してる写真を見たことがあるが,僧侶は日常的に論争というか問答を通して仏教の教理を身につけるのだそうな.
でも教理問答ってのはカトリック教会にもあるよな?
俺が見たのはすごいオーバーアクション気味の写真で,論争なんだか拳法なんだか分からんくらい.
【質問】
紅帽派=ニンマ派?
【回答】
http://www.tabiken.com/history/doc/G/G139C100.HTM
によれば,紅帽派とはチベット仏教旧派の総称であって,ニンマ派だけを指すわけではない.
以下引用.
[quote]
ツォン=カパの開いた新派であるゲルク派徳行派僧侶が黄帽を被るのに対し,旧来の宗派は伝統的な赤い帽子を着けるところから名づけられた.
したがって,紅帽派といっても特定の宗派をさすものではなく,歴史的・教義的にはまったく別個の諸宗派を総称する場合に用いるにすぎない.
紅帽諸派のうち主要なものは,
[1]ニンマ派,
[2]カダム派,
[3]カギュッ派,
[4]シィチェ派,
[5]サキャ派の5派.
このうちアティーシャの法灯をつぐカダム派は,ツォン=カ=パがその出身であることから,教団組織面でのゲールク派との一体化がすすんでいる.
カギュッ派はタクロンとレゴンに,サキャ派はサキャとデルゲにそれぞれ本山を有し,地方的にはかなりの勢力を保っている.
各派とも過去に隆盛を誇った時代があるが,ゲールク派が国教の地位を占めるようになってからはその勢威に圧倒されて衰え,昔日のおもかげはすでにない.
[/quote]
「チベット史年表」によれば,1605年頃からはゲルク派のダライ・ラマを支持するモンゴル兵と,紅帽派との間で武力衝突が始まっている.
なお,
http://www006.upp.so-net.ne.jp/yfukuda/Tibet/sprulsku.html
によれば,紅帽派にも活仏は存在する.
【質問】
「ゾクチェン」って何?
【回答】
googleレベルのソースだが,ゾクチェンとは「大いなる完成」の意味.
全ての生き物に,全ての始まりから備わっている原初の境地を指すそうな.
日常生活と修行をと分離させず,普段の生活の中で実践されるものだという.
ダライ・ラマ14世は『ゾクチェン入門』なる本を著している.
【質問】
ダライラマ法王が「ゾクチェンを語る」なんてのはどういう経緯なんだろ?
いつ習ったのかな?
【回答】
5世の時の記憶が蘇ったんだったりして(笑)
真面目な話,5世と関係が深いとは仰られているようですね.
睨下は,亡命当初あたりから学びたかったらしい.
始めはニンマ,ニンマしているドジョム・リンポチェに習おうとしてゲルクのエライサンたちに止められたと聞く.
そこでリメーのディルゴ・キェンツェー・リンポチェから習った.
キェンツェー・リンポチェが亡くなられた後は,これまたリメーのトゥルシー・リンポチェから習っている.
「むかしから中観とゾクチェンがどちらが見解が高いかという論争があるが,そんなのゾクチェンが高いに決まってる」
と仰るのはこの耳で直に聞いた.
あたりまえの話なのだが,しかもゲルクの中観は特殊な上に,俗人への方便で説いているのかと思うぐらい世俗重視した説き方になっているような気がする.
まあ,見解が高いだけでもだめなのだが.
【質問】
テンジン・ドクシトについて教えられたし.
【回答】
元KGB職員でラマ僧になった人がいます.
テンジン・ドクシト,旧名ミハイル・サンニコフ(Михаил
Васильевич Санников;1961年11月30日〜).ウドムルチア自治ソビエト社会主義共和国出身.
経歴は,1980年5月にソ連軍に召集.8ヶ月間の教育を受けた後,1981年2月に少尉としてアフガニスタンに派遣.1987年身体障害により年金生活入り.
経歴から見ると,スパイというよりは特殊部隊隊員だったようです.
1988年からラマ僧としての修行を始め,テンジン・ドクシト(チベット語:bstan
'dzin drag gshed)の名を得てます.
1991年〜1993年,モンゴルで修行.
モンゴル行きまでは,KGBに在籍していたかもしれません.
そのようなニュアンスで書かれた資料もあります.
ワードは特に問題ありません.
テンジン・ドクシトの経歴は,こちらにあります.
http://www.shad-thup-ling.narod.ru/7.doc
1995年,スヴェルドロフスク州にシャドチュプリング(チベット語:bshad
sgrub gling)寺院を再建しています.
さぞかし,チベットびいきなんだろうなと思って,彼の著作を読んでみました.
Тибет умер ? да здравствует
Дхарма!
(チベットは死んだ - ダルマよ今日は!)
http://www.shad-thup-ling.narod.ru/6.doc
チベット支持派が出しているチベット独立の根拠に,ことごとく反駁しています.
中共併合前のチベットが国家の体をなしていなかったと言いたいようです.
最後にこうあります.
" Тибетцы жалуются на
потерю независимости,
которой у них никогда не
было. А если у них и есть
желание ее получить, то
история говорит о том,
что за независимость надо
платить кровью. Интересно,
чью кровь тибетцы променяют
на свою независимость
на этот раз? "
「チベット人は,決してなかった独立の喪失を嘆いている.
彼らにそれを得る望みがあるとすれば,独立のために血を流さなければならない.
チベット人が独立を今度は誰の血で購うのか,興味深い?」
要は,独立したければ,他人を頼らずに自分の手でやれ,と言いたいようです.
こんなこというのも,軍人出身だからでしょうか?
元諜報員 in mixi,2008年03月23日18:49
【質問】
ティベット仏教の僧院に居た40歳以下の男性たち(低階級僧・僧兵)が,英書で
“ l Dab l dob ”
ないし
“ Ldab Ldob ”
と表記されてありましたが,これは何と発音すればよいのでしょうか?
また,カタカナ表記する場合は,どのように書けば宜しいのでしょうか?
【回答】
微妙な発音は色々バリエーションがありますが,一般的な表記例として,
『チベットの文化 決定版』(R.A.スタン著,山口瑞鳳・定方晟訳,岩波書店,1993.5)
のものをあげておきます.
低階級僧・僧兵=dob dob(ldob ldob)=ドプドプ
蛇足ですが,語源は 成就者=grub thob=トゥプトプ
で,これが訛って dob dob.
発音と綴字との間にかかる大きな懸隔が生じたのは,口語は発音の簡略化の代償として同音異義語が増えてしまったため,字面で別単語と識別できるよう古い綴りを残したと聞いたが,どうなんだろね.
英語が「write/right/rite」,「to/two/too」の綴りを統一せずにいるようなものかな.
ちなみに異字同音語が増えたために,ラサ方言では声調で区別するようになってる.
最近はそれが行きすぎて,ラサのラジオ放送なんか聞いてると,一聴して中国語かと思うくらいイントネーションがきつい.
はっきり言って気持ち悪い.
ダラムサラのラジオだと普通のチベット語でほっとする.
もっともラサのラジオ放送は,声調がどうとか以前に,支那語から訳された新造語が多くて,チベット人でも支那語放送を聴き比べないと意味が取れない,と専(もっぱ)らの噂だが…
【質問】
チベット語って声調無いほうがほんとなの?
【回答】
本当も虚当もなにも,チベット語を母語とする人は普通は声調で意味を区別するんだから,事実として声調があるの.
【質問】
鳥葬とはどのようなものか?
【回答】
チベット取材経験者によれば,お布施の一種であるという.
また,鳥葬が認められるのは病気と老衰で死んだ人だけだという.
以下引用.
――――――
お坊さんが死者の体,髪の毛や骨まで細かく切り刻み,団子にして鳥に与えるのです.
一見,残酷なように思えますが,神や知遇の人が鳥に姿を変えているかもしれないので,布施として自らの体を与えるというのです.
しかし,交通事故や戦争,喧嘩などの不慮の事故で死んだ人は土に埋め,3歳以下の子供は水葬にされるとのことでした.
誰もが鳥葬にしてもらえるわけではなく,鳥葬が認められるのは病気と老衰で死んだ人だけだと聞きました.
鳥葬は天寿を全うした者への,神様からのお祝いなのかもしれませんね.
――――――長倉洋海著『ぼくが見てきた戦争と平和』(バジリコ,2007.5.15),p.54
【珍説】
八歳処女儀式の内容:
智慧女を選び出し,灌頂の儀式の準備をする.
智慧女には何をするか知らせないようにする.
智慧女を裸にし,信徒に崇拝させた後,大法師がこれと交わる.
数字に対する信仰からチベット密教徒は特に12歳と16歳を好む.
ツォンカパ(ダライ・ラマの所属する宗派ゲルク派(黄帽派)の開祖)によればどうしても見つからないときは20歳でもよいということになっている.
これを過ぎるともう儀式には使ってはいけない.
なぜかというと法師のエネルギーを逆に吸い取ってしまうからである.
この年齢を過ぎるとなぜか,貪欲とか傲慢とか呼ばれてしまう.
http://zhongguo.livedoor.biz/archives/50831956.html
【事実】
何十回同じコピペを見たことか.
ツォンカパの著作にはそんな話はない,と論破されては逃亡.
忘れた頃,別のスレッドにまたコピペの繰り返し.
【珍説】
僧侶が読経しているふりしていつしか猥談を朗々と読み上げている話など,さらにさかのぼって明治期に潜入した河口慧海師が書いている.
【事実】
さりげなくウソを垂れ流すやつがいるね.
河口の旅行記は講談社学術文庫に入っている.
「読経しているふりして,いつしか猥談を朗々と読み上げている話」
を「河口慧海師が書いている」とあくまでも主張するなら,巻数とページ数をあげるように(笑)
かきつばた ◆O1SdlnknBs in 世界史板
青文字:加筆改修部分
ちなみに,『ダライ・ラマとパンチェン・ラマ』 (イザベル・ヒルトン著,ランダムハウス講談社文庫,2006.9) を読むと,僧の格好をしているが,仏教のことなど何も学ばず,ただただ共産党の目付役として,寺ででかいツラしてるだけの腐れ坊主も多いそうだ.
それを考えると,少なくとも現在進行形でチベット仏僧の腐敗に貢献している中共には,「僧侶腐敗」を非難する資格はないように思われる.
世界史板
青文字:加筆改修部分
【質問】
ティベット仏教僧の間では男色は,日本の稚児・喝食ほど一般的だったのでしょうか?
【回答】
戒律を破って男色した僧は石子詰め.
▼ 石子詰めとは,穴を掘った中に入れて,周囲から大勢で投石し,石で生き埋めにして処刑する,治外法権たる寺院名物の処刑方法.
高野山などでは昭和年間も存在したという.
上記回答ですが,「高野山などでは昭和年間も存在したという」の部分は誤りでしょう.
確かに高野山に限らず山岳霊場では血を忌むために,石子詰め・生き往生などの,生き埋めによる処刑が寺法で行われていました.
しかし,江戸時代までの寺法に従った石子詰めは「合法」ですが,いくらなんでも昭和の時代に,そのようなことが認められるわけはない.
南方熊楠が昭和7年に出している書簡の中で,高野山の石子詰めについて述べている部分も,古書・古伝の引用であるし,学生時代に高野山に住んでいた私の祖父・父からも(石子詰めについては知っていました),そんな話は聞いたことがないと言っています.
ただし,石子詰めがまったく行われていなかったわけでもないかもしれません.
というのが,本来これは死者の葬送儀礼だったからです.
肉体的には死んでいても,永遠に瞑想に入っているという考えの下,遺骨や遺体を石室の中に埋葬するという,入定墓の形態だからです.
昭和期に石子詰めがあったとすれば,死者の埋葬方法ではなかったでしょうか.
この思想から石子詰めは,処刑された者は刑死したのではなく,瞑想しているのだという理論で処刑方法に転化されたともいわれています.
参考までに高野山霊宝館HPにある,江戸期に高野山領で一気の首謀者が石子詰めにされた顛末記です.
http://www.reihokan.or.jp/yomoyama/various/addition/else/toya/s_emon01.html
いずれにせよ,男色ディーノ,ピンチ.
▲
【質問】
チベット僧侶は肉食可?
【回答】
自分で殺害する,または,殺されるということを知らなかった,あるいは自分のためにその動物が殺害されることを予め知らなかったという場合には肉食可.
実質問題として,ツァンパと肉くらいしか自給食糧がないのだから,肉も食べないと死んでしまう.
豆類など他に蛋白源がふんだんにある土地でないと,ベジタリアンは存在し得ない.
ダライラマ法王もインド亡命後一時ベジになろうと試みたが,子供の頃からの体質が簡単に変わるはずもなく,体調崩しまくりであきらめたそうな.
▼ チベット仏教での禁戒は魚.
「全うな人間は羊肉を食い,野菜や魚などは貧しく弱い輩が食うもの」という価値観.▲
中央アジアは乾燥地帯だから,魚がダメなら家畜を食えばいい.
この戒律によって住民がタンパク不足に陥ることはない.
▼ チベット高原ではヒツジではなくヤクですね.
長毛の牛の一種です.
で,チベット仏教的には
「ヤクなら一頭で多くの人間を食べさせることができる.
魚ではひとりの人間のために,多くの命が犠牲になる.
どうしても殺生が必要なら,犠牲が少ないほうがよい」
という理由で魚を避けるようになったのです.
出典は河口慧海師の旅行記です.
魚が下等うんぬんは,中央アジアの価値観に過ぎないと思います.
ちなみに,「自分で殺害する,または,殺されるということを知らなかった,あるいは自分のためにその動物が殺害されることを予め知らなかったという場合には肉食可」というのは,上座部仏教にも共通の戒律です.
恐らく肉食禁制は,中国仏教を中心に広がったのではないでしょうか.
ちなみにこの戒に触れない肉や魚は,逆に托鉢で得た食物は拒否できないという戒により,無理にでも食べないといけません.
(残すのは可)
だから好き嫌いがあると,上座部の坊さんは大変らしいです.
閻魔さくや in FAQ BBS,2009年12月15日(火)
21時57分
青文字:加筆改修部分
▲
【質問】
チベット仏教は酒煙草麻薬はよいの?
淫祠邪教のようなことをして元,明の宮中を蝕んだというふうに百科事典では書いていたけど.
【回答】
それはゲルク派のプロパガンダによる曲解.
自称「腐敗にいかった清教徒的な改革派」がゲルク派.
実際にはゲルクでは.カーダムが排除した「無上ヨガ」を復活している.
ただしゲルクが復活させた「無上ヨガ」は,脳内実践なので戒律には抵触せず.
【質問】
中国軍侵攻前,チベットには僧侶は何人いたの?
【回答】
亡命政府によれば僧侶の数は15万人ということだが,恐らくもっと多かったのではないかと考えている
.
「チベット旅行記」の記述に拠るが,当時ラサにおける僧侶の大学は3ヶ所あり,それぞれの定員が
・レーブン寺:7700人(場合によって8500〜9000人)
・セラ大学:5500人
・ガンデン大学:3300人
これらは高僧となるための学習中の僧侶であって,これだけで合計は16,500人.
これ以外に青海省のタール寺,甘粛省のラブラン寺,シガツェ市のタシルンポ寺があり,これらにも数千に及ぶ僧侶が学習に励んでいた(ゲルク派6大寺院という)
さらに上に挙げた人数は高位の学習僧のみで,住職他の僧侶は含まない.
これに加え,チベット政府に努める高僧が多数いた.
1949年までのラサはまさに坊主だらけ.
なお,ラサ市の2007年時点での人口は37万人であり,農業人口はおよそ20万人でポタラ宮を中心とする市街には約14万人が住んでいるという.
新教派の寺だけでこの人数であり,この他にカギュ派などの大寺院があったことや,小さな村にもそれぞれの
活仏がいたということから考えると,亡命政府のいう僧侶の数・150,000人というのは控えめに過ぎる数字に思える.
【質問】
現在,チベット仏教僧院ではどのような弾圧が行われているのか?
【回答】
In Tibetan Monasteries, the Heavy Hand of
the Party By Jill Drew
(ワシントンポスト)チベットの僧院では共産党の酷い干渉で
Washington Post Foreign Service Sunday,
April 6, 2008; Page A14
という,共産党のチベット仏教弾圧の優れたルポ記事がある.
これにによれば,チベットの僧院で共産党がアンチ・ダライラマや愛国教育の干渉を強めているという.
それによって僧侶らが不満を高め,長老は仏教の伝統を受け継ぐ事が不可能になるのではと憂慮しているという.
宗教関係者は,これを読んで何を思うか.
▼ 以下は寺院における事例.
――――――
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成20年4月17日
法王の離宮は「ノルブリンカ」と称せられるが,一部しか公開されていない所為で印象としては小体な王宮群のあつまった公園のよう.軽井沢の簡素な仏教寺院といった感じである.
初っぱなから驚かされたのはダライラマ猊下に対する,あまりの不当な扱いである.
嘗て猊下の謁見された応接間に,ピカピカの曼陀羅が壁画になっていたが,そのチベット歴史の絵物語の最終場面が,なんと,なんと.毛沢東が右にダライラマ猊下,左にパンチェンラマを従えて,陪席させるかたちをとり,さらにその周りが周恩来と劉少奇という構造なのだ.
完全に暴君がチベットを支配し,聖人と従えて統治している絵図ではないか.
(略)
――――――
▲
また,
Vlog (Xeni): Tibet report - monks forced
to participate in staged videos.
「ボーイングボーイングTV(BBtv)」:チベット亡命政権に,ビデオ電話でインタビュー,チベット僧院への弾圧の状況他
Posted on April 4, 2008 10:44 PM
では,ダラムサラのチベット亡命政権の担当者へのBBtvのインタビューで,亡命政権に寄せられてれているチベットの内外の僧院での弾圧の情報などについて話している.
素晴らしい.
インターネット・ビデオがメインストリーム・メディアの出来ない事を実現していると思ふ.
▼ さらには,以下のような嘲笑ものの政策を中国は押し付けている.
[quote]
中国政府,チベット高僧の転生に事前申請を要求
AFPBB News
【8月4日 AFP】中国政府は,輪廻転生を続けるとされるチベットの高僧(活仏)が転生する際, 政府の許可なしの転生は認めないことを決定した.国営新華社通信(Xinhua)が3日,報じた.
新条例は9月1日より発効され,以降すべての転生は宗務課への申請および許可が必要となる.
新華社通信によれば,条例は「活仏の転生の管理を制度化するうえで重要な措置」だという.
〔略〕
1995年にダライ・ラマ(Dalai Lama)にパンチェン・ラマ(Panchen Lama,ダライ・ラマに次ぐ地位)として指名された6才の少年は,中国政府によって身柄を拘束されたままとなっており,代わりに中国政府が別の少年をパンチェン・ラマとして認定した.
同国政府は,チベット仏教の権力者を自ら選定することで同地域を事実上の管理下に置きたい考えだと見られている.
中国が「活仏転生」許可制 チベット族激怒
2007/8/7,産経新聞社
中国政府は活仏(生き仏)の転生を中央政府の許可制とする「チベット仏教活仏転生管理規則」を9月から導入すると決定した.
〔略〕
中国の国家宗教事務局の発表によれば,中国政府はチベット仏教で活仏と呼ばれる高僧の転生に,9月1日から申請許可制度を導入.
「活仏転生は国家統一,民族団結,宗教和睦(わぼく)と社会の調和維持の原則に基づくこと」
「すでに排除されている封建特権を復活させてはならない」
「外国や個人の干渉と支配を受けてはならない」
とも規定した.
活仏に対しては同局から「活仏証明書」が発行される.
(以下省略)
[/quote]
▲
▼ Pallavi Aiyarが
Why Beijing just can't grasp Tibet
(アジアタイムズ)北京政府はチベットを統治できない
Apr 10, 2008
において述べるところによれば,この政策はさらなる暴動を誘発しかねないという.
以下要旨.
--------
中国共産党は最近,党が次世代のダライラマのリインカネーションを承認する権限を持つといっている.
これは共産党がチベット仏教の真の仏陀であるといっている事になる.
印度では聖なる牛を虐殺すれば,数百人が死亡する暴動が起きかねない.
イスラム世界ではマホメッドを侮辱する漫画が各国で暴動を発生させる.
チベットと仏教についても ,そうしたコンテキストで見る事が必要だ.
--------
▼ 上述のインド人のジャーナリストの書いている評論
http://www.atimes.com/atimes/China/JD10Ad01.html
の中に以下のような漢族の宗教意識の,インド文化圏との違いを指摘するところがあります.
[quote]
Even before the communist accession of 1949, after which religious worship was attacked as a feudal superstition, religion in Han China was of a different texture than that in Tibet.
Confucianism and legalist philosophies shaped the dominant modes of Chinese thinking and these were rarely concerned with the metaphysical or divine, being firmly grounded in matters of the here and now.
[/quote]
インド文化圏の眼から見れば,漢族の意識世界は世俗的であって,宗教的形而上学世界の価値を認めない(あるいは,理解できない)とのこと.
これは鋭い指摘で,中国共産党がローマ法王の権威を無視して司祭の任命を行なったり,宗教の国家組織による「管理」を真剣にやっている理由を説明できるでしょう.
本質的な意味で,中国共産党は,仏教はもとより,宗教を理解できない.それ故,経済支援とか,組織的圧迫とか再教育でチベット人を非宗教化できると考えるわけでしょう.
532 名前: 日出づる処の名無し [sage] 投稿日: 2008/04/13(日) 09:21:59 ID:FD5t+xqm
共産主義ってイデオロギーじゃなくて一種の宗教だよな
533 名前: 日出づる処の名無し [sage] 投稿日: 2008/04/13(日) 09:23:59 ID:G4DzkP4D
憲法9条教徒とか顕著かもな(笑)
▲
2008年には,暴動後にラサ立入を許された外国記者団に対し,僧侶たちが訴えかける場面も少なくとも2度あったという.
[quote]
「チベットには人権がない」・僧侶が外国記者団に発言
【北京=高橋哲史】中国政府が手配した取材で中国甘粛省の甘南チベット族自治州を訪れている外国記者団の前に9日,チベット仏教の僧侶の集団が現れ,
「チベットには人権がない」
と訴える一幕があった.
僧侶らは記者団が同自治州夏河のラプラン寺で取材しているときに姿をみせた.(22:15)
[/quote]
結構凄かったように見える.
大きなチベット旗を持って出てきている.
http://www.daylife.com/search/photos/all/1?q=Labrang
ラサでの2度の出来事から考えれば,海外取材班が入ればこうなると中国当局は学習していそうなんだけど
,力による統制が利かなくなってきているのかな.
それともある程度やらせているのかな.
[quote]
甘粛省でもチベット仏教僧侶が外国記者団に直訴=中国 (AFP=時事)
【北京9日AFP=時事】チベット仏教僧侶らによる抗議行動があった中国甘粛省夏河県のラプラン寺で9日,同国政府が組織した取材ツアーに参加していた外国人記者団に,同寺の僧侶約15人が中国語で
「われわれはもっと自由,人権がほしい.
(インド亡命中のチベット仏教最高指導者)ダライ・ラマに会いたい」
と訴えた.
外国人記者の1人がAFP通信に電話で語った.
仏ル・ポワン誌の記者によると,僧侶らは横断幕を掲げて記者団に近づき,ダライ・ラマへの支持を口にした.
横断幕はチベット語で書かれていたため,内容は分からなかった.
訴えは,ツアーの案内人が記者団にその場を離れるよう促すまで約10分間続いた.
記者団の世話をしていた中国政府関係者は,この訴えに相当驚いた様子だったという.
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
国営新華社通信は約20人の僧侶が「取材を妨害した」と報じ,詳細は伝えなかった.
チベット自治区ラサのジョカン寺(大昭寺)でも3月27日,若手僧侶が訪れた外国人記者団に直訴している.
[ 2008年4月10日1時2分 ]
[/quote]
アメリカABCが,この僧院でのハプニングの動画をうpしている
EXCLUSIVE: Tibet Media Tour Disrupted, Again Young
Monks Calling for a Free Tibet
Reporter's Notebook by CHITO SANTA ROMANA LABRANG
MONASTERY,
Gansu, Tibet, April 9, 2008
先のチベット自治区の大昭寺の「政府企画の外国メディア視察ツアー」でもそうなのだけれど,今回の甘粛のラプラン寺でも,外国メディアに政府の用意した「ヤラセ証人」の中国マンセー発言を取材させる計画が失敗していて笑うしかない.
中国の宣伝広報部は,メディアを甘く見すぎている.
日本のメディアなら,その程度の手段で思いのままに操れるのだろうけれど,欧米メディアは上手くゆくとは限らない.
世の中には,まともなジャーナリズムもある(日本国外には)
その後にどのようなペナルティが中国当局から加えられるかを考えれば,僧侶のこのアピールは,命がけの行動と言えよう.
▲
▼ 実際,この僧侶は拘束されたとの未確認情報もある.
以下引用.
[quote]
「人権ない」と訴えた僧侶,拘束か=抗議発生の寺院―チベット亡命政府
インド北部ダラムサラに拠点を置くチベット亡命政府は16日,中国甘粛省夏河県のラプラン寺で200人以上の僧侶が当局に身柄を拘束され,このうち3人は9日に取材に訪れた外国報道陣に「チベットには人権がない」などと訴えた僧侶とみられると伝えた.
亡命政府のウェブサイトによると,僧侶らは14日夜から15日朝にかけて拘束された.
ただ,直訴に関与したとみられる僧侶3人を除き,全員釈放されたという.
同寺では3月,チベット仏教僧らによる抗議行動が起きた.
中国政府は情勢安定をアピールする狙いで外国報道陣に取材をアレンジしたが,思わぬハプニングが発生.
地元政府などは
「誰かがやらせたことだと思う.国の法律に基づいて処理される」
と説明していた.
[/quote]
▲
【質問】
宗教はアヘンではない,
でも何もわからない子供に宗教や共産主義を植えつけことは 賛成しないだけ.
【回答】
そんな言葉がどうとかじゃありません.
彼〔毛沢東〕は共産主義を掲げながら,封建制の皇帝のようにチベットを侵略したことを言いたいのです.
チベットも漢人も文化大革命では被害者です.
しかし,実際に漢人はチベットに進出し,チベット人を差別し,チベットの文化を破壊しています.
文化大革命の時ではなく,今もです!!
我想説的問題不是言葉的問題.我説「毛主席高舉了共産主席.不過,他侵略了西藏如封建制的皇帝」的事実.
西藏民族,漢人,両个民族於文化大革命是確的被害者.不過,不於文化大革命期,於亦現在漢民族進出西藏地区.漢民族於亦現在差別西藏民族.此事実不是於文化大革命期的.現在的!!
【質問】
>【中国】チベット族の僧侶2人,また抗議の焼身自殺…中国国内で焼身自殺を図ったチベット族,117人に達する
>http://news.livedoor.com/article/detail/7630214/
仏教て自殺してもいいの?
【回答】
禁じてはいないよ.
仏陀の前世の物語では,飢えた虎を救うために自殺する話もある.
でも他者を傷つけたり殺したりするのはダメ.
チベット仏教だと,この世に生きる事は苦しみ,肉体は魂の器でしかないから,中共の支配から逃れるのと,抗議の意味でできる最大の事が自殺なんだろうな.
あんまり効果ないけど.
ニュース速報+板,2013/04/27(土)
青文字:加筆改修部分
◆◆◆オウム真理教を利用したダライ・ラマ叩き
【珍説】
ダライ・ラマというのは清の皇帝が命名した無数のチベット宗教の中.大きな4つの派閥の一つ.黄教のトップ僧侶の位です.
「チベットの最高宗教・・・」云々というこそ.他の流派と宗教の弾圧です.
ちなみに教義が一番残酷な宗教で.オームの手本.ポアという言葉の元で.ダライ・ラマの一番弟子は松本教祖という事実.決して忘れてはなりません.
暴力宗教反対
【事実】
これは,以下のように明確に否定されている.
[quote]
各派の名称を「清の皇帝が命名した」という話は聞いたことがありません.
また.「チベット<仏教の>・・大きな4つの派閥」ですが.現在のチベット亡命政府は「5つの派」を公認しているようですよ.
この4〜5派のうち.「ダライ・ラマ<が実質的に教主であるところの>黄教<(?)=黄帽派=Yellow Hat sect=Gelug School=ゲルク派)が>教義が一番残酷」であるという話も聞いたことがありませんね.
なお.オーム真理教でよく出てくるグル(guru)とは.サンスクリットで「師」という意味の言葉ですが.ダライ・ラマのラマがそれに相当するチベット語であって.それだけでもオーム真理教とダライ・ラマとの関係の希薄さが窺えます.
実際.オーム真理教でこれまたよく出てくるご指摘の「ポア(遷有)」とは.「死後を瞑想で体験する」という意味の.カギュ派特有の用語であって.ダライ・ラマのゲルク派の用語ではありません.
いずれにせよ.「ダライ・ラマの一番弟子は松本教祖という事実」など.全く聞いたことがありませんね.
(以上.
http://en.wikipedia.org/wiki/Gelug
http://en.wikipedia.org/wiki/Jonang
http://en.wikipedia.org/wiki/Dalai_Lama
http://www.kosaiji.org/Buddhism/Tibet.htm
(いずれも4月16日アクセス)による.)
―――太田述正コラム#2491(2008.4.17)
だいたい,有名人との会見を誇大宣伝して信者集めに利用しようとするのは,新興宗教の常套手段.
オウム真理教の主張を鵜呑みにすることなど,何が事実かを判断する上では危険極まりないことだと思うのだが.
【質問】
ダライ・ラマ14世とオウム真理教の麻原とは,どの程度のつながりなのか?
【回答】
観光客レベルのつながりしかない模様.
オウム真理教は,ダライ・ラマと麻原が並んだ写真を誇示していたが,江川紹子のダラムラサ取材によれば,ダライ・ラマの日程さえ許せば,直接面会してくれ教えを聞くことは簡単なようだし,誰とでも気軽に手を繋いで写真に収まってくれる人なのだという.
それはたとえ新興宗教団体でも差別はされないようで,阿含宗とのつきあいもあるという.
また,亡命政府の宗教・文化庁次官クラスのカルマ・ゲルクに至っては,江川に対して
「麻原の宗教は何と言う名前なんだ?」
と聞く程度の認識だったという.
ちなみにオウムも阿含宗も,ダライ・ラマ法王庁に多額の寄付をしていると自称しているが,ダライ・ラマ14世のノーベル平和賞授賞式には,阿含宗の桐山靖雄管長は呼ばれているが,麻原は呼ばれていない.
詳しくは江川紹子著『救世主の野望』 (教育史料出版会,1991.3.15),p.144-148を参照されたし.
【質問】
ダライ・ラマとオウム真理教の関係について,こういう話もあるみたいです.
――――――
1. 阿含宗はダライ・ラマ+紅教(ニンマ派)と密接な関係を現在でも維持している.
wikipedia
2. オウム真理教はダライ・ラマの代理人であるペマ・ギャルポへ,1億円払って積極的な支援を受け,宗教法人格を取得している.
wikipedia
3. チベット仏教聖者 ダライ・ラマから,統一教会に宛てた祝賀メッセージの内容;
――――――
尊敬する文鮮明総裁,韓鶴子総裁.先日文亨進様を招待する機会があり,文総裁ご夫妻の世界平和と世界宗教に対する遠大な使命に関して深い対話を持てた機会がありました.
――――――
尚,ダライ・ラマと代理人のペマ・ギャルポは,現在に至るまでオウム真理教との関係と1億円の授受と支援について,公式に謝罪していないし,被害者達への補償も行っていない.
ダライ・ラマは,オウム真理教の麻原に対して「私がチベットにおいて仏教のために実践していること(すなわち自治政府による独立を目指した革命運動)を,あなたは日本において行いなさい」と告げた.
この1年後にオウム真理教は宗教法人格を取得し,坂本堤弁護士一家3人の殺害をはじめとする数々の殺人・犯罪を重ね,政治権力の獲得・教団国家の武装独立という目的に向けて1995年の麻原逮捕まで暴走を続けた.
wikipedia
――――――
【回答】
そもそもソースがウィキペディアだけでは不安がありありですが,
>オウム真理教はダライ・ラマの代理人であるペマ・ギャルポへ1億円払って,
>積極的な支援を受け宗教法人格を取得している.
宗教法人の認定をしたのは東京都ですが,ペマ・ギャルポ氏はどういう支援をしたんですかね.
ちなみにウィキペディア記事中のリンクにあるペマ・ギャルポ氏講演では,
――――――
麻原さんが私のことを「自分の活動を妨害した」ということで,雑誌などにもたくさん悪口を書かれました.「卑劣極まる行為だ」とか,いろいろ言われました.
それから,ダライ・ラマ法王は,決して麻原さんだけを仏陀だとはおっしゃってないということ.法王がおっしゃったのは,
「すべての人々は仏陀になれる.仏性を持っている」
ということだけをおっしゃった.
「決してあなた(麻原彰晃)が仏陀だとは法王はおっしゃってないし,法王はご自分でも,自分が仏陀だとはおっしゃってないんです.
『私はただ一人の僧侶にすぎません』
と,いつもおっしゃる.
その法王があなたのことを仏陀だとおっしゃるはずがない」
ということを申し上げましたら,さんざん怒られました.
もし麻原さんが私を怒って,私を批判する本を書いてなかったら,私はとんでもないことになったと思います.
幸いにして,麻原さんが怒って私のことを悪く書いて下さったもんですから,助かりました.
本当のことを言って.......
――――――
と言ったことが書かれています.
なんでしょうかね,
こんな関係になっていても,ダライ・ラマはオウムの責任を取らんといかんのですかね.
【珍説】
勿論,責任を取らないといけませんね.なにしろ謝罪ひとつしてないんですから(笑)
麻原をリクルートして育成し,上納金を取っていたペマ・ギャルポとダライ・ラマの責任は,“ボクも悪かった”程度の独り言で済ませられるレベルではないでしょう.
(麻原に指示まで与えてるんですから,国内にいたら共同謀議を疑われて容疑者ですよw)
なにより,オウム真理教から受取った1億円は,オウム犯罪被害者への補償として返却してもらわないと.
【事実】
>麻原に指示まで与えてるんですから,国内にいたら共同謀議を疑われて容疑者ですよ
ダライ・ラマが麻原との会談で語ったとされる,
「私がチベットにおいて仏教のために実践していることを,あなたは日本において行いなさい」
の発言を指しているようですが,この発言はあくまでオウム側の主張です.
ダライ・ラマ側はこの発言を否定しています.
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1733/aum/lifton-1.html
仮にこの言葉があったとしても,サリンを使ったテロやAK密造などがチベットで実践されていたんですか?
『仏教のために実践していること』の恣意的解釈も甚だしいです.
また,他の質問項目にもあったと思いますが,オウムのハルマゲドン思想などはチベット仏教とかけ離れています.
さらに,ダライ・ラマと接触した宗教者は世界中にたくさんいますが,その中でこのようなテロ活動を行ったのオウムぐらいです.
オウムのテロがダライ・ラマの影響下にあったと断じる理由は何でしょうか.
まあオウムの教義自体,恣意的解釈の集まりですからね.
恣意的に解釈されたことで責任を取らねばならんのでしたら,仏陀やキリストも責任を取らんといかんのでしょうか.
【珍説】
>仮にこの言葉があっても,サリンを使ったテロやAK密造などがチベットで実践されていたんですか?
三月のラサ暴動で,銃器や刀剣で武装したチベット人による強盗・殺人・放火が行われてますよね(笑)
手製のサリンこそ使われなかったが,チベット人にそうした物が製造できなかっただけの事で,あの暴力性を示したチベット人なら,サリンがあれば躊躇せずに使ったでしょうね.
また,僧侶が村役場や警察署を襲撃したり,大量の銃器・爆薬を僧院に隠していた事も発覚してるし,その思考は,教団武装化に邁進したオウムと同根と言って良いでしょう.
【事実】
この前段の再反論はあまりにも馬鹿っぽい.
あらゆる「強盗・殺人」は普通,「銃器や刀剣で武装した」者によって行われます.
あまりにも漠然とした一般論であって,オウムのテロとチベット人の暴動を特異的に結びつけるのは無理がありすぎ.
たとえば,こんな言い換えも可能↓
『三月のラサ暴動で,銃器で武装した漢人武装警察による弾圧・殺人が行われてますよね(笑)
サリンこそ使われなかったが,漢人武装警察にはそうした物が支給されていなかっただけの事で,あの暴力性を示した漢人なら,命令があれば躊躇せずに使ったでしょうね.』
こんなくらいのゆるい関連性でいいんだったら,漢人武装警察もオウムと同根ですよ.
当たり前ですけど,オウムのテロがダライとの「共同謀議」なんてえらそうなこと言うんだったら,それがダライの具体的な指示によるものであるとの証明が必要です.
この空疎な共同謀議の内容とは,ダライが言ったとされる
「私がチベットにおいて仏教のために実践していることを,あなたは日本において行いなさい」
という抽象的な言葉だけなんでしょ?
「(ダライが)チベットにおいて仏教のために実践していること」と,オウムの化学兵器テロはどう見ても同一視できない,というのがうどん氏の反論なわけでしょ.
再反論の後段はちょっと香ばしすぎます.
>大量の銃器・爆薬を僧院に隠していた事も発覚してる
出ました,新華社大本営発表.
新華社とは別に独自に,この報道内容を確認しているメディアはありますか?
この人,「銃器で...武装したチベット人」とも書いてますよね.
今次のチベット騒擾でチベット人側が銃器・爆薬を使用したことを報道したメディアはあります(もち新華社以外ね)?
一時報道ソースきぼんぬ.
もうねえ,新華社だけを信じてる人には何言っても無駄ですよ.
日本だって大本営発表に従えば,あの戦争で「勝ってた」んですから.
>大量の銃器・爆薬を僧院に隠していた事も発覚してる
「どこで」発見されたかも注意してほしいところ
どっちみち,もとはXinhuaですが,Xinhua以外のソースといわれても外国メディアを締め出してたのだからそもそもあるはずがないかと.
「Reuters」:China says firearms found in Tibetan temple
では,四川のAbaで30ほどのfirearmsが見つかった,と.
で,大暴動はラサで起こったそうですけど,国外からの指導を受けた大陰謀では,どーいう輸送方法を計画してたか教えて欲しいところ.
密教パワーで飛んでいくのか?
あと,4月12日になって3月23日の爆弾テロ事件(被害・死傷者不詳)の存在が発表され,その容疑者僧侶が逮捕された件:Nine monks arrested for Tibet bombing: Xinhua.
事実だとしてもラサ事件との関連付けに困るし,情報操作にしてもあまりに稚拙でやっぱり困る.
>外国メディアを締め出してたのだからそもそもあるはずがないかと.
いや,モチのロンそうです.
「裏の取れない新華社電なんて,ソースがないのといっしょ」
という,私の反語的表現です.
ロイター電が日本語に訳されると,また劣化コピーを起こしてるし(爆笑)
なんでここまで分かりやすいの(爆笑)
日本語の記事は
――――――
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-31293920080413
中国は今月に入って,警察がチベット仏教の施設の一部から銃や銃弾,爆発物を押収したと発表したが,暴力行為としてはこれまで,チベット騒乱中の放火や投石などしか報告されていなかった.
――――――
で終わってますが,英語の記事はその後まだまだ
――――――
http://www.reuters.com/article/reutersComService_2_MOLT/idUSPEK20960620080412
China has accused the Dalai Lama...(中国はダライ・ラマを非難している)
The Dalai Lama has rejected claims...(しかしダライ・ラマはそのような主張を否定している)
A mainland-backed paper in Hong Kong reported...(中国本土から支援されている香港紙によると...)
Human rights groups have said...(一方で,人権活動家組織は...と言っている)
――――――
というに,両者の主張を交互に繰り返しながら続くんですよ.
一方の日本語記事は,例によって中共政府の主張を一方的に紹介するだけで終わっている...
一番よく書けていると思ったのは,やっぱりガーディアンですね.
http://www.guardian.co.uk/world/2008/apr/14/china.tibet
「フリー・チベット・キャンペーン」のアン・ホームズ(Anne Holmes)のコメントが非常に的を得ています.
――――――
"The only way anyone can know what's going on is if the Chinese authorities lift the blackout and let independent observers into the region. Otherwise, anything the government says is going to be greeted with suspicion."
(中共政府は暴動を起こしているチベット人の姿を暴力的に描こうと腐心してきたのに,なぜこれまでこの爆破事件が表ざたにならなかったのか理解に苦しむ.
このような疑いを晴らす唯一の手段は,報道規制を解除して,独立した報道機関・調査団を受け入れることである.)
――――――
一応,NYタイムズもURL貼っときます.
たいしたこと書いてない.
http://www.nytimes.com/2008/04/13/world/asia/13tibet.html
【質問】
オウム真理教にチベット仏教の影響はどの程度あるのか?
【回答】
江川紹子によれば,チベット仏教そのものよりは,欧米で盛んなインド・チベット系新興宗教のほうに酷似しているという.
また,麻原はじめオウム真理教のメンバーに,チベット語を理解できる人は誰もいないという.
そもそも創設当時のオウム真理教は,チベット仏教との繋がりをそれほど強調しておらず,
・古代日本の霊石とされる「ヒヒロイカネ」を珍重
・エジプトの古代神「プタハ」「ホルス」を表したというペンダントを販売
・占星術に凝る
などしており,麻原がチベット仏教色を前面に出すのは,1988年5月にインドに渡り,ダライ・ラマ14世やカール・リンポチェなどに会見した前後なのだという.
江川はこれを,「チベット仏教遊び」と表現している.
的確な表現と言えよう.
詳しくは江川紹子著『救世主の野望』 (教育史料出版会,1991.3.15),p.138-143を参照されたし.
【質問】
オウム真理教の「カルマ理論」は,チベット仏教のそれと同じものなのか?
【回答】
江川紹子によれば,まるで別物だという.
チベット仏教の「カルマ」の考えかたは,ごく大雑把に言えば,「行為(カルマ)が善いものになるか悪いものになるかは,まずもって動機や心がけ次第」というもの.
一方,オウム真理教の「カルマ理論」では,「善いカルマ」と「悪いカルマ」があり,善いカルマとは何かといえば,「オウムにとってプラスになる行い」.
ぶっちゃけお布施をすることであって,「オウムにカネよこせ」ということ.
逆に「悪いカルマ(オウムに不利益な行為)」をすると,バチがあたる,とオウムでは教えている.
これが「カルマ返し」.
例えば,熊本県阿蘇郡波野村で村民によるオウム反対運動が起こっていた頃,豪雨災害が起こって熊本県では死者も出たが,このとき麻原はこれを
「カルマ返し(バチがあたった)」
呼ばわりして,住民の更なる怒りを買っている.
また,坂本弁護士一家拉致事件の際も,行方不明になったことを指して,やはり「カルマ返し」などと吹聴していた.
「カルマ落とし」というものも,オウム真理教にだけあって,仏教の概念には全くないもの.
「悪いカルマ」を持っているとされる人間に苦痛を与えることで,その悪いカルマはなくなるという考え.
ただし,カルマ落としをできるのは,麻原ら少数の幹部に限られる.
麻原は信者に対して暴力を振るうことがあり(盲学校時代にも同級生・下級生に暴力を振るっていたことを想起されたし),それを自己正当化するために作り出された言い訳でしかないのが明白.
この「カルマ落とし」という屁理屈が,サリン事件などでの殺人の正当化に繋がっていった模様.
詳しくは江川紹子著『救世主の野望』 (教育史料出版会,1991.3.15),p.148-154を参照されたし.
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