c
「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ サイト・マップへ
◆インドFAQ
<南アジアFAQ
Index
◆◆総記
◆◆軍事組織
◆◆◆陸軍
◆◆◆◆戦車
◆◆◆海軍
◆◆◆航空
◆◆◆核兵器
◆◆国力
***
【質問】 インドにとっては,中国とパキスタンのどちらが脅威なのですか?
【質問】 首都ニューデリーの位置はパキスタンや中国に近く,軍事的に不利ではないのですか?
【質問】 アメリカにとって,インドは中国よりも良い戦略パートナーとなりうるか?
【質問】 インドにはイギリス以外の国の租借地等がありましたが,どう対応したのでしょうか?
【質問】 インドの王国が他の王国に征服されても,カーストはそのままですか?
【質問】 冷戦時,なぜインドは次第にソ連へ接近していったのか?
【質問】 なぜ1990年頃からインドは中国と接近するようになったのか?
【質問】 2007年現在,世界最大の軍備輸入国はインド,というのは本当か?
【質問】 インド防衛研究開発機構(DRDO)の内情を教えてください.
◆◆◆陸軍
◆◆◆◆戦車
【質問】 インドの将来戦車(FMBT)について教えられたし.
【質問】 アルジュン戦車の部隊配備が決まったって本当? というか本気?
【質問】 2010年に行われる,T-90Sとアルジュンの比較試験について教えられたし.
【質問】 アルジュン戦車第2バッチ生産計画について教えてください.
【質問】 アルジュン戦車輸出計画(?)について教えてください.
◆◆◆海軍
【質問】 インド海軍はシーレーン防衛のためには,どのような方策を打ち出しているのか?
【質問】 「ヴィクラント」艦載戦闘機のF-35案について教えてください.
【質問】 「アドミラル・ゴルシコフ」がインドに売却されるまでの経緯は?
【質問】 アドミラル・ゴルシコフからヴィクラマーディティヤへの改装の中身は?
【質問】 ヴィクラマーディティヤへの改装工事の遅れの原因は?
【珍説】 「ロシアからインドへの空母引渡しが遅れている要因の一つは,通常動力から原子力動力への変更のため」???
【質問】 「アメリカがインドに対し,空母キティーホークの無償譲渡を持ち掛けた」というのは本当?
【質問】 ロシアからインドへの原潜貸与計画について教えられたし.
【質問】 インド初の国産ステルスフリゲート「シヴァリク」について教えてください.
◆◆◆航空
【質問】 クルト・タンク技師は,インドではどんな航空機開発に携わったのか?
【質問】 インド空軍のMiG-27の現状について教えてください.
【質問】 インド空軍のMiG-29近代化改修計画について教えられたし.
【質問】 インド海軍に採用されるMiG-29K艦上戦闘機は,旧ソ連時代の末期にテストされていた「MiG-29K」と同じ機体なのか?
【質問】 インド空軍向けに開発が行われている,ステルス性向上型Su-30MKIについて教えられたし.
【質問】 インド国産戦闘機「テジャス」の艦載型試作機について教えてください.
◆◆◆核兵器
【質問】 インドとパキスタンは,それぞれ核兵器をどれだけ持っているのですか?
【質問】 インドの核戦力は,抑止力として有効な状態にはなっているのか?
【質問】 「インドの核,軍民分離で米と合意」ということは,6番目の核保有国としてインドを認めるのでしょうか?
【質問】 そういった形で認めてしまうと,インドの真似をして核兵器を持つ国も出てくるのでは?
【質問】 インドに限った話のつもりだったのに,そうはならない可能性が高いのでは?
【質問】 アメリカがインドの核は認めて,イランや北朝鮮の核は認めないというのは矛盾ではないか?
【質問】 米印原子力協定に対する,インド国内の反対の声はどんなものか?
【質問】 米国によるインドの核兵器容認に対し,パキスタンはどう考えているのか?
【質問】 「インドは高速増殖炉を使い,1年で40〜50発分の兵器級プルトニウムを得ると予測される」という説は,信憑性がありますが?
【質問】 インド経済の躍進とか言われていますが,正直な話,インドの労働者なんてアテになるのですか?
「IBN Live」◯(2012/07/28)Assam violence: Relief camps swell with refugees
Samachar(インド主要新聞の見出し,英語)
「VOR」◆(2012/04/26)インド 新しい衛星を打ち上げ
「VOR」◆(2012/07/25)インド 地元住民とイスラム教徒が衝突 30人死亡
「WSJ」●(2012/05/12)What They Said: India's
Balancing Act With the US and Iran
インドとイランの関係,微妙な対米関係とのバランスを目指す
「朝目新聞」●「カレーにとっては小さな一歩だが・・・」,宇宙向けカレーの開発進む インド (of (*゚∀゚)ゞカガクニュース隊)
「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2012/08/23)インド アッサム州の地元少数民族とイスラム教徒の衝突で高まる緊張
「神保町系オタオタ日記」■(2010/08/27)本郷菊富士ホテルに潜伏するあやす〜ぃインド人シャストリー
「神保町系オタオタ日記」■(2010/09/01)あやすーぃインド人シャストリーはやはり首相になれなかった
「地政学を英国で学ぶ」:中印紛争が勃発?!
>つまりここで大事なのは,「事実よりもその影響」なんですな
「地政学を英国で学ぶ」◆(2010/03/15)カプランの講演の内容
>インド洋をめぐる地政学
●資源・エネルギー戦略
「OilPrice.com」●(2012/08/21) New Indian
Oil Find - Major Discovery, or Puddle?
インドの原油需給について,米国EIAが油田発見の影響を論ずる
「The Economic Times」◯(2012/08/21) India implementing 14000 km natural gas pipelines: RPN Singh
「VOR」◆(2012/08/21)インド ロシアとの石油ガス協力強化へ
●●原子力
「Bernama」◯(2012/10/24)India, Russia
Finding New Nuclear Plant Site After West
Bengal's Refusal
インドの次のロシア原発のサイト,西ベンガル拒否で,代替案検討
「Business Standard」◯(2012/08/25)Harsh
V Pant: Time to get over Fukushima
インドのクダンカラム原発,今や福島事故を乗り越える時だ
「Business Today」◯(2012/09/12) Supreme
Court moved against HC order on green signal
to Koodankulam Nulcear ...
インドのクダンクルム原発,高裁の開始判断に,最高裁が反対
「Daily Bhaskar」◯(2012/09/06)Haryana
govt begins first phase of nuclear power
plant
インドのハリヤナ州で原発第一期工事が着工へ
「Deccan Herald」◯(2012/06/20)India close
to sealing deal on Jaitapur plant
インドのジャイたプール原発,仏印首脳が,見通しを確認
「FT」◆(2010/07/28)UK to extend civil nuclear ties with India
「IBN Live」◯(2012.8.29)Kudankulam Nuclear Power Plant: HC verdict on PIL today
「IBN Live」◯(2012/08/31)India should
deprioritise nuclear energy
インドの原子力開発について,その歴史と,優先度に疑問
「IBNLive」◯(2012/11/03) India has plans
to produce 20000 MW of nuclear power: APJ
Abdul Kalam
インドの前大統領,原子力開発で安全強調,2000万KW開発へ
「IBNLive」◯(2012/11/09) Search on for
proposed nuclear power plant in Bihar
インド,ビハール州に検討の原発立地,決定難航
「India Blooms」◯(2012/09/15)Jal Satyagraha
continues at Kudankulam
インドのクダンクラム原発への反対運動激化
「Indian Express」◯(2012/02/08) Haryana
n-plant land survey stopped as farmers protest
インド,ハリヤナの原発地点,農民の反対運動でストップ
「Islamic Republic News Agency」◯(2012/08/24)India
can develop world's cheapest nuclear reactors
インドは世界で最も安価な原子炉を製作できる可能性がある
「Oman Tribune」●(2012/08/21)Jaya reiterates
claim on N-plant power
インド,ロシア支援のクダンクラム原発,100万KW2ユニットの燃料装填へ
「Oman Tribune」◯(2012/08/31)Madras High
Court gives approval for KNPP
インドのクダンクルム原発で,マドラス地裁が建設容認へ
「PKKH」◯(2012/08/25)India's Weak Nuclear
Watchdog Poses Grave Risks
インド政府内部より,国内原子炉の安全規制の独立性は不足と
「Power Engineering International」◯(2012/09/02)Kalam
calls for safe use of nuke energy to meet
power needs; Says India must ...
インドのカラム前大統領,需給上必要な原発を安全に留意
「Power Engineering Magazine」◯(2012/09/16)India
nuclear power protests grow
インドの発電間近の原発で反対激化,当初より地元巻き込むべき
「Power Engineering Magazine」◯(2012/10/02)
India's nuclear pursuit depends on public
acceptance
インドの原発開発,フクシマ以降の反対運動激化に苦慮
http://bit.ly/U50k0c
http://bit.ly/OAAvCZ
「Power Engineering Magazine」◯(2012/10/24)
Why India needs nuclear power?
インドの原発開発,産業界には必須,反対派は疑問
「Project Finance Magazine (subscription)
」◯(2012/11/09) LNG the key to East Africa's
oil and gas boom
インドをめぐり,東アフリカの原油ガス開発が,今後の鍵
「Reuters India (blog)」◯(2012/10/09)
Kudankulam's neighbours weigh nuclear power
fears against living standards
インドのクダンクルム原発反対運動は複雑な情勢に
http://bit.ly/RMDSoQ
http://reut.rs/SONeNn
「Russia & India Report」◯(2012/07/18)Russia, India agree additional Kudankulam financing
「Salem-News.Com」◯(2012/10/26) David
Bradbury Arrested Near Kudankulim Nuclear
Power Plant
インドのクダンクルム原発反対運動で,豪記者が逮捕
「SteelGuru」◯(2012/02/22) NALCO to invest
INR 900 crore in nuclear power business by
2012-
インドのアルミ企業NALCO,原子力産業への参入へ関心
「Sunday Observer」◯(2012/09/30) Sri Lanka
- India talks on Kudankulam nuclear plant
?インドのクダンカラム原発で,スリランカとの安全対話に合意
http://bit.ly/POxfkt
http://bit.ly/PC3wtT
「The Hindu」◯(2012/06/20)Activists raise
doubts on quality of Kudankulam reactor vessels
インド南部のタミルナドウ州,クダンクラム原発,反対運動激化
「The Malaysian Insider」●(2012/09/21)Fukushima
fallout seeps into India's troubled nuclear
push
インドの原発反対,日本の事故による被害がじわじわ押し寄せる
「The News International」◯(2012/09/02)Indians
rally against nuclear power
インドが進める主要3箇所の原発開発,反対派のデモに遭う
「Times of India」◯(2012/07/01)Kudankulam
Nuclear Power Project reactor commissioning
very soon
インド,まもなく,ロシアとのクダンカラム原発の運転認可
「Time of India」◯(2012/07/18)Nuclear plant in Haryana: Open meet closes in 45 minutes
「Times of India」◯(2012/07/28)Mega power project in the offing in Bihar
「Times of India」◯(2012/10/02) Nuclear
power issue misunderstood: Anil Kakodkar
インドでの原発開発計画,2030年時点で約60基,63GW
http://bit.ly/SWcXt1
http://bit.ly/SW3CkX
「Togetter」◆(2010/11/20)深夜のインドNSG入り+日印原子力協定+南アジアの核軍拡競争話
「Yahoo!7 News」◯(2012/10/24) Qld opposition
fears nuclear power plants
インドへ核燃料輸出を許可した豪政権に,反対派が懸念
「VOR」◆(2012/02/28)インド当局 クダンクラム原発稼働への妨害分子を除去
「VOR」◆(2012/03/06)インドの原発建設の抗議者 外国から数百万ドル受け取っていた
「VOR」◆(2012/03/10)インド 日本の反原発団体入国を拒否される
「VOR」◆(2012/03/19)インド クダングラム原発の建設作業再開
「VOR」◆(2012/05/03)クダンクラム原発の第1ブロック 燃料の装填準備整う
「VOR」◆(2012/07/18)インド「クダンクラム」原発 稼働は夏の終わり
「VOR」◆(2012/08/11)インド,クダンクラム原発に燃料入れ開始
「VOR」◆(2012/08/25)インドのクダンクラム原発 1号機の稼働9月に延期
「VOR」◆(2012/09/06)印クダンクラム原発への燃料投入,数日中にも
「VOR」◆(2012/09/23)インド 漁師たちが原発建設に抗議
「VOR」◆(2012/10/15)インド 原子力発電でロシアの支援を期待
「WSJ」◆(2010/10/11)インド,原子力賠償法の緩和を模索
「人民網」◯(2012/10/15) India, Russia
to hold talks on nuke liability, trade
インドとロシア,原発建設でその事故保証など協議
「日経」○(2011/12/05)豪,対印ウラン輸出解禁へ 関係強化へ政策転換
「ネトウヨにゅーす.」◆(2010/08/20)核実験ならインドとの協力停止 日印原子力交渉で岡田外相
「レスポンス」◯(2012/11/06) 国際石油開発帝石,印ベンガル湾深海域の探鉱鉱区権益を取得
●●電力危機
「Environmental Expert」●(2012/08/15)India's
blackouts highlight need for electricity
governance reform(press release)
インド,先月末の大規模停電に関し,問題点を論じる
「Firstpost」◯(2012/09/06)CAG pegs hydro
power losses at Rs 14700 crore
インドは電力の問題点は膨大な送配電損失,レポート
「Power Engineering Magazine」◯(2012/08/20)Line
losses major cause for energy crisis: SDPI
インドの大規模停電の主因は,送電線損失,知的送電網必要
『インドの安全保障』(木村一夫著,教育社新書,1978/11)
『カシミール/キルド・イン・ヴァレイ』(廣瀬和司著,現代企画室,2011/11/23)
インド・パキスタン国境地帯のルポルタージュ.
印パ双方からカシミールに潜入しての取材で,民衆の生の声や出来事を書いたもの.
これに,その地方の歴史なども包含されており,中々読み応えがある.
先日,『血と涙のナガランド』も出たので,この地域が結構注目されているのか.
-----------------眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 軍事板,2011/12/04(日)
『知られざるインド独立闘争 A・M・ナイル回想録』(新版)(A. M. ナイル著,風濤社,2008.8)
【質問】
インドにとっては,中国とパキスタンのどちらが脅威なのですか?
【回答】
インドにある防衛分析研究所のカピル・カク研究員は,同研究所の機関誌「ストラテジック・アナリシス」'98年6月号で,「インドにとって,長期的で主要な脅威は中国であり,中期的でよりレベルの低い脅威はパキスタンである」と述べている.
詳しくは,
福好昌治著「くすぶる火薬庫『印パ情勢』危険度調査」
from 『丸』 '02 Sep.号
を参照されたし.
事実,『南アジアの安全保障』(日本国際問題研究所編,日本評論社,2005.10.10)を通読してみても,インドの戦略はまず中国を念頭に置いて策定されており,パキスタンは二の次にされている様子が伺える.
編者
▼ また,インド空軍参謀総長のFali Homi Major空軍大将は2009年5月23日時点で,
「インドにとって,軍事力近代化を急速に図るシナは,パキスタンよりも具体的かつ重大な脅威である.
シナはわが国に対立と不安定をもたらす源でありつづけている.
わが北東方面空軍基地を急速に近代化させ,一刻も早くシナとの軍事バランスを確保することが必要だ」
と述べています.
シナの軍事力について大将は,
「軍人のプロ意識がどれほどあるか」
「戦闘能力の実際」など実態は不明,
と指摘しつつも,
「急速な軍事力近代化を進めたシナが,わが国にとり重大な脅威になっていることは間違いない」
と明言しています.
最後に大将は,
「シナの中共は,スホイ30などの最新鋭戦闘機,早期警戒管制機等をはじめとする軍装備の急速な近代化を,国の総力を挙げて図っている.
この事実を根拠にしてシナをとらえないと,かの国が巨大な力をもちうる(あるいはすでに得た)という点を見失う危険がある」
と警告しています.
⇒22日に中共の胡主席がシナ空軍将校に対し
・局地戦に勝利できる空軍力を建設せよ
・多様化する任務に対応できる空軍力を建設せよ
・空軍近代化は全軍近代化のキモである
という趣旨のことを述べていますので,
大将のことばは,これを受けたものと思います.
インド国内向けですが,人ごとと思ってはいけないですね.
〔略〕
▲
【質問】
テロ事件とかでなにげに注目されているインドですが,首都ニューデリーの位置はパキスタンや中国(どちらも核保有国)に近く,軍事的に不利な気がするのですが,どうなんでしょうか?
デカン高原中央部か南部の方が安全そうだと,思えてしまうのですが・・・.
【回答】
蛇足ですが,インドの首都は,英領時代の最初はコルカタにありました.
しかし,位置的に東に偏りすぎていること,英国本土から見て海路でインド亜大陸南端を経由する必要があり,本国との便が悪い,更に白人にとってその気候は湿潤で熱暑であり,住むのに快適と言えず,夏期は政府職員はシムラに移動し,此処を夏首都としていました.
シムラは,デリーの300km北方にある都市で,1939年まで夏首都として機能しています.
デリーは,ムガール王朝時代の首都であること,北インドに於けるインド・イスラム文化の中心地であり,位置的にはインド亜大陸の北側に偏っていますが,インダス川とガンジス川の二大水系が最も接近する場所で,古来より交通の要衝で,鉄道の結節点でもありました.
シムラからも近く,西に人口稠密なパンジャブ地方,東に穀倉地帯のヒンドスタン平原が連なり,経済的にも有利な条件を兼ね備えています.
更に,この地に首都を築くことで,北方からアフガーン方面に進出しようとするロシアを睨む位置でもあります.
こうした意味から,独立後も引き続き,デリーとその南側に造られたニューデリーが首都として機能している訳です.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分
2009年現在の視点で考えても,移転するメリットは少ない.
不便なところに首都機能を移転させるのは,メリットもなくカネの無駄.
また,通常戦争を考えるなら,中国からインドに攻め入るには,地理上無理がありすぎ.
パキスタンに至っては,インドに攻めこむどころか,逆にインドから攻め込まれる事をいつも心配しなきゃならない立場.
デリーはパキスタン方向は砂漠や高山地帯を越えるし,中国方向は高山地帯を越えるし,海からは遠いし,米どころは近いしで,良い位置だと思う.
世界各国の大半の首都は,海から100km以内にある.
つまり,世界の海を制覇する米国海軍の潜在的脅威に晒されているということ.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
中印関係のこれまでの経緯は?
【回答】
インドとパキスタンは1947年以来3回に亘って戦火を交えています.
1回目は1947年に起きたカシミールを巡る戦い,2回目は1965年に起きたカッチ湿原を巡る争いに加えて再びカシミールを巡る戦い,3回目は東パキスタン内での内戦にインドが介入した戦いです.
この3回の戦争の結果,カシミールに於ける国境線はシムラ協定と呼ばれる協定で設定されました.
従来との違いは少しだけ実態に合わせて修正をしたのと,暫定国境線の名前を実効支配線と言う名称から支配線と言う名前に変更されました.
ついでに,このシムラ協定では密約が結ばれて,インドもパキスタンも,此処を国境線にしようという動きがあったと言われています.
何故なら,従来行われた印パ戦争で,この3度目の戦争は完全にインドが圧倒的に勝利したからです.
それまで2回は国連の仲介による停戦だったのですが,3度目の戦争ではダッカにいたパキスタン軍司令官が正式に降伏しています.
それほどパキスタンにとっては敗戦が明確であり,インドの圧倒的勝利を背景に行われたのがシムラ会談でしたから,インド側がカシミール問題の決着を図ったのも当然と言えます.
ついでに,このシムラと言う都市はインドの都市だったりする訳で,パキスタンから見たら屈辱的な講和でした.
ただ,シムラでの停戦協定には両国がきちんとサインをしているので,認めざるを得ません.
因みに,2度目も実は国連の協定で休戦をしたのですが,パキスタンのパンジャブ州の主要都市であるラホールは陥落寸前で,これもインドの圧倒的勝利に終わりかねませんでした.
それを阻止し,インドを牽制したのが北隣の中国です.
中国はインドに対し,「中印国境に於いて中国がインドに対し宣戦を布告する」と威嚇する最後通告を行ったのです.
元々,中国とインドの仲はそんなに嫌悪な状態ではありませんでした.
1949年に中国共産党が中華人民共和国を建国した際,社会主義圏以外で最初にそれを承認したのがビルマ,1949年12月31日に2番目に承認したのがインドでした.
因みに,本当はインドが最初に承認したかったのですが,ビルマがその承認を譲って欲しいと言ってきた為,順番を譲ったと言われています.
パキスタンも,それから5日後の1950年1月4日で,これもイスラーム国家の先頭を切って承認しています.
ただ,中印関係がそれから直ぐに進展したかと言えばそうではなく,寧ろチベットを巡って摩擦が起きています.
1951年には中華人民共和国は,チベットは中国の一部であるとして人民解放軍を送り込んでラサを占領,これに対しインドは深い遺憾の意を示しています.
元々,英国がインドを統治していた時代,チベットはロシアに対する防壁として捉えていました.
ところが,清朝が倒れ,中華民国が勃興して,下手をすればこれはロシアと同等に大きくなるかも知れないと言う可能性が出て来た為,英国がロシアと中華民国の両方からインドを守る為には,チベットを勢力圏にするのが良いと言う結論に達し,英国はラサに武官を置き続け,自国の勢力圏にしていました.
英国が出て行っても,インド政府は,チベットを中華人民共和国やソ連の防壁としての位置づけで見ていました.
また,中国という国の範囲の問題です.
華北・華中・華南の3地域は中国と言えますが,その外側は何処までが中国かと言う問題が常にあります.
例えば朝貢と言う制度がありますが,朝貢を行って,皇帝から冊封を受けていた国々,満州地域やチベット,モンゴル,ウイグルの様に中原の外部にある地域は元より,下手をすれば日本,琉球や朝鮮,ベトナムやカンボジア,ラオス,タイ,ビルマ,インドネシアまでも遠い昔は朝貢を行っていたのですから,中華の一部だと言い張ろうと思えば言える訳です.
最近の中国は鼻息が荒いので,こうした事を言いかねませんが.
従来の中華民国は国家の形を決めていかねばならなかったのですが,如何せん,力が弱くてその範囲を決めきれませんでした.
一方,中華人民共和国は国土を統一し,共産党,毛沢東という強力な指導者の下に統一されています.
そうすると,中原以外の外部地域を統合する為に,各地に軍隊を送り込みます.
その1つがチベットで,1950年にチベットに人民解放軍を送り込み,1951年にはラサを占領した訳です.
インドは,その次はネパールやブータン,更にはインド本国ではないかと恐れました.
ネパールとインドの国境線は不明確ですが,ネパールとチベットの国境線は非常に明確です.
これは峠があるからですが,英国は何故此処にチベットやブータンを置いたかと言うと,ヒマラヤの向こうからインドが攻められる事態を想定したからと言われています.
両国は弱小国なので,インドへ攻め込む力は持っていません.
一方で,ヒマラヤの向こう側から中国なりロシアなりが攻めてくるのであれば,インド軍(或いは英国軍)はチベットやブータンに進駐して,その山岳地帯で彼らを迎え撃つ事になります.
敵は余程の僥倖がない限り進撃出来ませんし,補給線を絶たれたら立ち枯れします.
また,英国の金城湯池たるインドに些かも傷を付けることなく,敵を撃退する事が出来ます.
(本来その文脈で,勢力下に置くのに手間取ったのが,Afghanistanですが)
ただ,独立したインドは,大英帝国と違って強力な軍隊を保持している訳ではありません.
故にチベットを外部からコントロールして緩衝国として使う事は出来ません.
従って,中国がチベットをコントロールするのなら,それは譲らざるを得ないと言うのがネルーの認識でした.
但し,交渉事には直ぐに腰砕けになる何処かの国の外交官と違い,インド人は強かでした.
ネルーの考えは,「チベットは中国の主権下にある訳ではない.主権ではなく,宗主権の下にあるのだ」というものでした.
これはつまり,中国の不可分の領土としてチベットを遇するのではなく,中国の影響下にはあるものの,チベットはチベットであって,中国ではないと言う意味を持ちます.
それに対し,中国は敢えて反論しませんでした.
そうした状況があり,中華人民共和国とインドとの間はギクシャクした関係が続きます.
これが改善したのは,1954年の「平和共存五原則」が締結されてからです.
この中印の接近は米国の失点に拠る物でした.
米国はインドに対し,1954年2月に武器供与提案を行います.
元々,米国はパキスタンに武器供与を持ちかけ,パキスタン政府はそれに乗りました.
それと同じ伝で,インドにも武器供与を持ちかけたのですが,これがネルーの怒りに火を注ぎます.
米国の武器供与というのは,共産主義封じ込めの一環で,ソ連とその友好国に対する防衛の為に,各国に武器を供与すると言う建前だったのですが,それがパキスタンに渡ると言う事は何を意味するか,それを米国の外交当局者は分っていませんでした.
つまり,パキスタンの連中がその武器を共産主義政府に向けるのではなく,インドに向けるのが自明の理だろう,と言う訳です.
しかも,欧州と違ってアジアには冷たい戦争が無い(朝鮮半島はさておいて,南アジアでは少なくとも)から,そうした武器供与そのものがおかしい,と言う理屈になります.
そこで,ネルーが考えたのが,米国を説得する材料として,そして,アジアに冷戦が無い事を示す為に,隣国である共産主義の大国,中華人民共和国と協定を締結すると言うものでした.
因みに,「平和共存五原則」と呼んでいるものはあくまでも前文で謳っているのみであり,この協定の正式名称は,「中華人民共和国のチベット地域とインドとの間の通商と交通に関する協定」と言う通商協定だったりします.
自由主義の国であるインドと共産主義の大国である中華人民共和国とは体制が異なっていても,その平和五原則に基づいて友好的な関係を築く事が出来るのですよ,と言う訳です.
この協定を締結するに当り,中国もインドの足下を見ます.
そして,インドから非常に大きな譲歩を引き出す事に成功します.
この通商協定の正式名称として用いられている地域名は,「中華人民共和国のチベット地域」です.
即ち,インドは旧来の主張を撤回して,チベットに対する中華人民共和国の主権を認めた事になる訳です.
21世紀に入って,中印首脳会談が行われ,その共同宣言の文脈で「中華人民共和国のチベット自治区」が初めてインドがチベットに於ける中華人民共和国の主権を認めたと言われていますが,豈図らんや,インドは1954年からそれを認めています.
これに限らず,アイクの外交というのはアジアに様々な汚点を撒き散らしています.
それが,今日の各地域の痛みに繋がっている訳です.
眠い人 ◆gQikaJHtf2,2010/05/07 22:47
中国とインドは,「平和共存五原則」宣言を締結した後,バンドン会議などの開催など非同盟諸国としての結束を強めていくやに見えました.
しかし,その蜜月関係も長くは続かず,インドと中国は国境線を巡って対立をし始めました.
インドにとって最も大きく,かつ有名な問題は,中国との東端国境線の問題でした.
インド政府としては,この国境線を英領インド政府の外相マクマホンがチベット政府と1914年のシムラ会議で締結したマクマホン・ラインと言う線で仕切ろうとしていました.
この部分の国境線は元々,ブータンとの国境線をそのまま東に延長したものです.
此処は川が流れているだけの自然国境であり,遮る物は何もありませんでした.
既述の様に,これではチベットに中国やロシアが影響力を行使し始めた場合,下手をするとインドが危うくなります.
そこで,この国境線を中国側に押し戻し,山の高い稜線へと変更した訳です.
ところが,中華民国はこれを最後まで認めず,当初の自然国境線を主張していますし,中華人民共和国もその線を主張しています.
独立したインドもマクマホン・ラインを国境として主張し,この部分を北東辺境地域と言う直轄地域とし,後に州に昇格させています.
ただ,国境線の中国側,インド側に中国の主張するのと同じ民族が住んでいるので係争地となっている訳です.
2つ目は既述の通り,チベットとインドの中部国境を巡る問題です.
具体的にはネパールの西部地域で,「平和共存五原則」協定に出て来る国境通過地点はこの部分に全てが設定されています.
ただ,この部分に関しては,中国が主張する地域はほんの一部であり,余り酷い係争地にはなっていません.
3つ目が崑崙山脈とカラコルム峠東方の西部国境線で,この部分が長らくインドと中国のホットスポットとなってきました.
余談ついでに書くと,カラコルム峠の西方にあるパキスタン支配下のカシミール地方も,1950〜60年代に,中国とパキスタンの間で交渉が持たれて,国境線が引かれているのですが,これもインドからすれば,本来,パキスタンと中国は国境線を接していないので,不法に行った交渉だと言って怒っている訳です…
とは言え,実質上支配地ではない部分なので,何を言っても無駄なのですが….
さて,西部国境線も,英国がインドを防衛する都合が良い様に引かれた国境線です.
しかし,インドはこの部分,アクサイ・チンと呼ばれる地域を実効支配していませんでした.
正に正当性の怪しさ満載の地域だったりします.
今までは英国が睨みを効かせていましたし,中国は余り強くなかったので放置しても問題ではありませんでしたが,チベットを実効支配し始めた中華人民共和国が出て来ると話は変わります.
1957年,中華人民共和国のとある新聞が,「遂にラサに行く綺麗な道が完成した」と言う記事を掲載します.
その記事の地図をインド当局者が見たところ,どうもインド政府が主張している国境線の内側を通っている様で,インド側が騒ぎ始めました.
国会でも取り上げられますが,ネルーは,
「いや〜,こうした高山地域では道は簡単に作れるからね〜」
と,何とも間が抜けた答弁をしていたりします.
兎に角,真相を究明しようというので,ネルーは軍に命じて,3名からなる偵察部隊1個分隊を送り込みました.
しかし,この偵察部隊,余りにも無防備な動きをし過ぎて,人民解放軍に簡単にとっ捕まりました.
中華人民共和国政府は,外交チャンネルを通じて,インド政府に対し,
「おたくの兵隊3人がうちの領土に来たから,今回返すけど,今度からそんな事はしないでね」
と言って,捕えた兵士を帰すと言う事をしています.
…何とも漫画的というか何というか.
結局,帰ってきた兵士の報告で,インドが主張する国境線の内側に,堂々と中華人民共和国が道路を作っている事が判明し,中印関係は急降下で悪化していきました.
西部地区国境線もカシミールと同じで,インドからは行く事が難しいのに,相手国からは簡単に辿り着ける地域です.
中華人民共和国がチベットを実効支配する為には,新疆地域からの補給線が頼りである為,チベットに向けて補給路を作ろうとしたら,この部分を通さざるを得ません.
元々,自動車の行き交う立派な道路ではないにせよ,街道としての道路はあった訳で,今回はこれを自動車で行き来出来る道路に格上げしただけなのが真相だったりします.
しかし,インドからすれば,この地域は従前から法的・歴史的にインドの領土だと主張している地域だという事で,中華人民共和国に割譲した覚えはないと言い,1962年に両国は国境紛争を始めてしまいました.
とは言え,事態は大兵力を無尽蔵に送り込める人民解放軍の方が有利で,係争地であるアクサイ・チンを防衛すると共に,インド軍を一気にカラコルム峠直ぐ東のガルワン河地域まで押していきました.
こうして,中華人民共和国とインドは対立し,蜜月関係は終焉を迎えます.
更に「敵の敵は味方」と言う格言の通り,インドと対立するパキスタンは中華人民共和国と接近し,友好関係を築いてしまいました.
そして,第2次印パ戦争での中華人民共和国の恫喝や,第3次印パ戦争でのパキスタン支援に繋がる訳です.
それに対し,インドは中華人民共和国と対立していたソ連と友好関係を築き,チベット亡命政府を支援すると言う感じで推移していきます.
中華人民共和国としては,東部地区国境線ではインドの主張に沿って国境線を認めるので,西部地区国境線は中国の主張する線を認めて欲しいと言う交渉をやって来ています.
実際,1962年の国境紛争でも一旦ガルワン河地域までインド軍を押していった後,それ以上深入りせずに,直ぐに中国が主張するアクサイ・チン中央部のリンジ・タン盆地まで戻っています.
本来,インド側もそこで折れたら良かったのですが,面子とかそう言ったものの為に紛争が起きてしまったと言えます.
ただ,以降はこの地域での紛争は起きていませんし,他の地域での国境紛争も起きていません.
完全に現状を固定すると言う考えが浸透しつつあります.
最近では冷戦関係が崩壊し,ソ連が消滅して,中ロ関係も改善し,BRICsなる新興国として両国が存在感を増してきていますので,中印関係は大分改善してきましたが,一旦は国境紛争で敗北したと言うので,未だにインドの方に蟠りが残っている様です.
眠い人 ◆gQikaJHtf2,2010/05/08 22:07
【質問】
アメリカにとって,インドは中国よりも良い戦略パートナーとなりうるか?
【回答】
Will India Be a Better Strategic Partner
Than China?
By Dan Blumenthal
Posted: Monday, April 9, 2007
PAPERS AND STUDIES
US Army War College Publication Date: April
9, 2007
によれば,印度との戦略パートナーシップを築くというブッシュ政権の政策は,中国のアジアにおける拡大へのカウンターであり,特に軍事的に見て中国の海上での軍事的影響力の拡大,中央アジアなどへの影響力の拡大に対する有効な手段だとしている.
しかしインドには,アメリカの戦略とは無関係に,インド独自のアジア地域戦略があるので,アメリカは中国の場合のように失敗しない為にも,をれらを良く認識して対処すべきであるという.
例えば,歴史的につながりの深いイランに対して,インドはアメリカと異なる立場を持つ,と警告している.
またインドは,独自に開発してきた核技術にたいするアメリカの干渉を嫌い,NPTへの参加やIAEAの監査といったアメリカの方針には強く反対するだろうという.
【質問】
インドにはイギリス以外の国の租借地等がありましたが,どう対応したのでしょうか?
【回答】
1950年に行った,市議会選挙の結果,シャンデルナゴルではインド帰属派が多数派となり,結局52年にインド政府に行政権を返還して,54年に正式な返還を行っています.
次いで,1954年にヤナオン,ポンディシェリー,カリカル,マエのフランス租借地を武力で併合しました.
ヤナオンは,1948年にインドへの帰属を求めたモハジャン・サバー党のクーデター未遂で一時下火になります.
カリカル,マエでも同年の市議会選挙で残留派が多数を占めました.
しかし,サチャグラハ行進と言うインド民族派の植民地回収運動が盛んになり,各地のフランス租借地は人民の鎖で封鎖されます.
このため,糧秣が底を付き,開城せざるを得ませんでした.
ポンディシェリーは,密貿易の拠点となっていたので,インドの産業にとって脅威でしたのから,まず,フランスは関税権をインドに返還することで拠点の維持を図りますが,1954年に発生した植民地回収運動(サチャグラハ行進)で,各地のフランス租借地が占領されたため,結果的にフランスが折れる形で引き揚げました.
このとき,ポルトガルの租借地である,ダドラ,ナガールアベリーは内陸部にあり,ポルトガルが阻止兵力を派遣出来なかったので,そのまま併合されました.
一方,ダマン,ディウ,ゴアと言った残りのポルトガルの租借地は,1954年の時はポルトガル軍によって鎮圧されましたが,前回の人民のデモを鎮圧したことを教訓にしたインド政府は今度は正規軍を繰り出し,1961年に武力併合しています.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/01/29
青文字:加筆改修部分
【質問】
手塚治のブッタ読んで疑問だったのですが,カーストってのは基本的にはアーリア人侵入前後での当時の力関係ですよね?
インド諸王国・諸侯国及び諸々の地域で,それぞれにカースト制が存在してますが,ある国家・地域が別の国に征服された場合,被征服国はどうなるのでしょうか?
その国の支配者カーストは奴隷や庶民や不可触民に格下げですか?
それとも実質的には隷属民,でもカーストはそのまま,ですか?
【回答】
神話時代にも,マガダ国ら辺は国ができたばっかりなのに,もう身分制度が崩れているとかいうことが描かれているし,マガダ国王を簒奪したナンダ王朝は,隷従階層出身の王が旧来のクシャトリア階層を皆殺し,もしくは追放して,隷従階層から貴族層を再構築.
そのナンダ王朝を簒奪したマウリヤ王朝も,隷属階層出身の王が仏教やジャイナ教を保護して,身分制度そのものを否定する政策をとる.
ナンダ王朝時代には,アケメネス王朝ペルシャと,マケドニアの新興が相次ぎ,東から伸張してきたマガダ国がインダス流域の覇権をめぐって激しく争った時期で,この間にペルシャ,バニロニア,ギリシャの勢力が土着豪族化して住み着く例が相次いだ.
マウリヤ王朝滅亡後の小国乱立期になると,身分制度が再編され,西から侵入し土着化した勢力も,その中に組み込まれてゆく.
結局のところ,紀元前までには数回,大規模な攪乱がなされている.
世界史板
青文字:加筆改修部分
【質問】
インドにおける氏名の規則は?
【回答】
カースト制度や,それに関わる歴史的経緯により,出身地,種族,職業,カースト等で違いがあるという.
インド人は名前を見て,それらをある程度まで識別できると言われている.
インドの公的機関の諸記録や学籍登録・運転免許書等,父名の頭文字の記載が義務付けられており,父名を記載しない証明書は発行されないのも,その名残であるという.
以下引用.
――――――
日本企業がインドに投資する際,最初に当惑する問題が,「父親の名前(父名)の記載義務と,その英文証明書」提出義務である.
申請書作成に当たり,
┌--------
申請者と申請者の父親との関係を証明する書類=戸籍謄本)を以って‘父名証明書’を英語で作成し,公証人の署名を取って提出すべし.
└--------
と規定されている.
パスポートのコピーでは不可である.
パスポートには父名が記載されていない.
┌--------
パスポート取得に際し戸籍謄本を提出し,日本の政府機関にチェックされて受理されるので,パスポートのコピーでも良いのではないか?
└--------
とインド政府に抗議したが,「父親との関係が判らないから」という理由で駄目であった.
実際,インドの公的機関の諸記録や学籍登録・運転免許書等,父名の頭文字の記載が義務付けられており,父名を記載しない証明書は発行されない.
不法となる.
何故「父名」が必要なのか?
これにはインド独特の歴史的背景がある.
インド人の名前の付け方,地方,宗教,種族等により異なり多種多様である.
典型的なヒンズー教徒の名前は,最初に「個人名」,次の中間名に「父名」,最後に副名として「家族名」等を付ける.最近は「父名」と「家族名」を頭文字で「個人名」の前に表記するのが一般的となっている.
P.K.アナンドという名前の知人がいるが,アナンドが個人名,P(?)は父名,K(クマール)は家族名,=クマール家のPさんの息子のアナンドさん,となる.
これは単なる一例に過ぎない.
「個人名」と「副名」だけの者もいる.
「副名」には「家族名」が多く,「家族名」は祖先の出身地・故郷やカースト名,さらに,カースト外の職業名等で命名されたケースが多い.
「副名」には「父名」や「家族が崇拝する神の名前」の場合もある.
名前の呼び方やスペルは.地方により異なる.
従い,名前やスペルで出身地やカーストが判る.
名前の順序も地方により異なる.
名前の順序だけでも出身地が判る.
シーク教徒はシーク教徒全員が Singh(シン)の名前を付けることになっている.
結婚後の女性は,改名する者も,改名しない者もいる.
兎に角,複雑である.
これには,長いインドの歴史が背景にある.
インド人は名前を見て,出身地,種族,職業,カースト等をある程度まで識別できる.
カースト制度を厳格に保つ為,頭の良いバラモン・統治者が考えだした「命名ルール」である.
江戸時代,日本の統治者は庶民に家名を付けさせず,武家との区別化を図ったが,バラモンは名前でカーストや出身地=種族を識別できるような命名ルールを作った.
2000年以上も続く慣習でもある.
しかも,地方=旧藩によってルールも言語も異なる.
現在,インドではカースト制は憲法で禁じられている.
だが,命名に関する慣習は依然として温存されている.
名前で差別化する慣習も依然として残っている.
ヒンズー教徒以外のインド人,イスラム教徒は名前で直ぐ判るし,キリスト教徒の個人名は殆ど英語名であり,簡単に識別できる.
最近はヒンズー教徒の上層階級の中では,カーストや出身地が判らないような名前にしている者が増えている.
個人名と父名だけであれば,何が何だか判らない.
しかも父名を頭文字だけで表記すれば,名前からは身分や出身地は読み取れない.
しかし,まだ極々一部のインテリ層がやっているだけである.
公的書類に父名記載を義務付ける規則は,身分証明をより確実にするインドの文化・慣習に合わせた規則だが,見方を変えれば,名前で適格が不適格かを諮るシステムでもある.
過去の人種差別=カースト制)の名残だろう.
採用時などでは,差別化の為の目安=篩い分けの基準)にしている企業も多い.
――――――≪ WEB 熱線 第1146号 ≫2009/03/06,「インド事報・インド徒然」
【質問】
マヘンドラ・プラタップとは?
【回答】
プラタップ(1886-1979)はインド人ヒンドゥー教指導者.
インド独立運動に身を投じ,1915年12月,カーブルにインド臨時政府を樹立し,自らが大統領に就任した.
そしてガダール党やモハマド・バラカトゥッラー,ラース・ビハーリー・ボース,スバス・チャンドラ・ボースらのインド独立運動と提携し,外部からの支援を求めてドイツ,ソ連,日本など各地を回った.
第2次大戦中,日本軍のインド侵攻を助けるよう日本から要請され,南インドからのインド軍結成を条件として同意したが,日本はこれを拒絶し,プラタップの代わりとして,スバス・チャンドラ・ボースがドイツから日本に送られる事になった.
プラタップは1946年まで日本に留まり,インド独立後に故国へ戻った.
詳しくは『アジアの二つの日出ずる国』(ハルン・アミン著,駐日アフガニスタン大使館,2007),p.29-30を参照されたし.
【質問】
冷戦時,なぜインドは次第にソ連へ接近していったのか?
【回答】
中印戦争での完敗の結果,非同盟政策を放棄
⇒軍事援助競争で,ソ連が西側に勝利
⇒バングラデシュ独立戦争への米中介入を阻止するため,事実上のソ印同盟締結
という流れ.
以下引用.
ソ連は1961年2月にコスイギン第1副首相をインドに派遣し,経済・技術協力協定を締結して対印援助を強化する動きに出ていたが,これを軍事援助に急速に切り替えていったのは,1954年にネルーと周恩来首相の間で確認し合った相互不可侵,平和共存などの「平和5原則」を一片の反古とした1962年10月の中印戦争である.
インドの完敗はインドの非同盟中立政策を大きく転換させることとなった.
中印戦争の惨敗はインドの国際的威信を大きく傷つけ,非同盟中立政策に深刻な打撃を与え,非同盟中立の維持は事実上不可能となった.
インドは中国からの軍事的脅威という死活的問題に対処する必要から,米ソ両大国への接近を摸索せざるをえない立場に追い込まれることとなった.
インドは当初,西側諸国に武器援助を要請し,米国は1962年11月,インドの要請を受けて米印軍事補助協定を締結したが,英国も少し遅れて長期英印軍事協定を結んで要請に応える姿勢を示した.
しかし冷戦構造の下では,インドが最終的にどちらの陣営に属するかの旗色を鮮明にせざるをえなくなるのは当然であった.
ソ連はこの好機に敏速に対応した.
この年の8月,ソ連はインドとジェット戦闘機用エンジン生産に関する協定に調印し,1965年までにミグ21型戦闘機の生産を開始することを合意している.
ソ連は矢継ぎ早に地対空ミサイル,軽戦車,レーダー装置等を提供し,金額的にも米英を大きく上回る軍事援助を約束して,中国に完敗した衝撃に打ちひしがれたインドの軍指導者の信頼を惹きつけることに成功した.
この軍事協力関係を事実上の同盟関係に格上げすることとなったのが,1971年8月,インディラ・ガンディ首相の下で調印されたソ印平和友好協力条約である.
インドとしてはバングラデシュ独立のための戦争を始めるのに先立ち,アメリカ,中国の干渉を牽制し,武力介入を阻止することが至上命令であった.
加えてこの条約には,ソ連から見ても重要な条約が含まれていた.
条約第8条は,印ソ両国が互いに相手国に敵対する軍事同盟に参加せず,相手国に軍事的損害を与える恐れのある第三国に自国領土を使用させないことを約束し,第9条は,他の締約国に武力行使を行う第三国にいかなる援助も与えない義務を課した上で,
「両国のうち一方が攻撃され,あるいは攻撃の脅威を受けた場合に,各締約国はこの脅威を除き,かつ両国の平和と安全を確保するための適切かつ有効な処置をとるため,直ちに協議を開始する」
と定めている.
これはソ連として,インドが中国またはパキスタンと武力衝突を起こした際に,自動的にこれに巻き込まれる危険を排除しつつ,両国に対していかなる援助も与えないことを約束する代わりに,インドに対して米国との軍事同盟に参加しないことを約束させたものである.
さらに第10条では,この条約と相容れない約束や,他の締約国に軍事的損害をもたらす恐れのある約束を,第三国としないことを誓い合っている.
このような駄目押し規定までいれた背景として,この条約調印の1ヵ月前,ニクソン大統領訪中発表のニュースが世界を震撼させ,ソ連とインドがこれに衝撃を受けたことを想起する必要がある.
ソ連はこれに対応すべく,インドを一層確実にソ連陣営に引き込み,対中包囲網の拠点としての戦略的役割の強化を図ったものといえる.
一方インドとしても,ソ連の軍事力の後ろ盾を得ることは,喫緊の課題であった東パキスタンの独立を,米・中の介入を排除して実現し,中国,パキスタンとの将来の武力紛争に備える上でも不可欠であった.
これは当然,インドの非同盟政策の放棄を意味した.
かくしてここに,冷戦構造の中での南アジアにおける印ソ対米中パキスタンと言う対立の構図ができあがったのであった.
ソ連はインドに加えてベトナムとの軍事協力関係を進め,やがてカムラン湾にソ連海軍基地を建設して,対中包囲網を海上からも構築し,ソ連太平洋艦隊は太平洋からインド洋までを行動半径に拡大し,米海軍に対峙してこの地域でのパワー・プロジェクションに務めることとなる.
70年代,モスクワに在勤していた外交官や記者の間では,当時,ソ連がインドにいかに神経を使い,インドからの来訪者や外交官と記者を厚遇していたかが話題になっていた.
例えば,厳格な外国人立ち入り禁止区域だったウラジオストックへも,インドの外交官や武官はしばしば訪問を許されていた.
インド海軍艦艇がウラジオストックの軍港に入ることができたことは,ソ連がインドを同盟国として扱っていることを象徴するものと考えられていた.
兵頭長雄 in 『南アジアの安全保障』(日本国際問題研究所編,
日本評論社,2005.10.10),p.120-123
英米の政治が自国を邪魔したのかもしれないが,援助合戦でソ連がよく西側に勝てたものだ.アフリカのどこかの国ならいざ知らず,インドのような要地で.
消印所沢
あと,軍事だけじゃなくて政治とか経済とかそっちの流れも見てほしいなぁ.
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/coe21/publish/no2/yoshida.pdf
【質問】
なぜ1990年頃からインドは中国と接近するようになったのか?
【回答】
ハンバーガー頭でアホのクリントンのせい.
こいつが中国にくっついて,インドの核実験に対してアンフェアな批難の仕方をせいで,インドとしては中国に接近するしか選択肢がなくなった.
加えてカルギル紛争が,その背中を押した格好.
以下引用.
〔インドの核実験について,〕米国に関しては,中国が緊密な関係をインドに見せつけた.
パジパイ書簡を報じた5月15日の『人民日報』は,同じ誌面で唐家●外交部長が13日夜,米国側の要請によってオルブライト国務長官と2度目の電話会談を行ったことを報じた.
それによると,双方は国際社会がインドに対して明確で断固たる措置を執るべきことで一致した.
オルブライト長官は米国がインドに対する制裁の実施を決定したことを告げ,米国は中国がインドに対して脅威となるという言い方に全く同意しないと述べた.38
クリントン大統領もインドの核実験後まもなく,1997年10月の江沢民主席訪米の際の合意で設置されたホットラインを初めて使用して江沢民主席に電話をかけ,パキスタンにインドの核実験に追随しないよう説得を依頼した.39
インドにとって最大の打撃となったのは,6月のクリントン大統領の訪中の際に「両国元首の南アジアに関する共同声明40」が発表されたことである.
6月27日付で発表されたこの共同声明は,前文で両国が平和で安定した南アジアと強固な不拡散体制に「共通の利益」を有しており,南アジアにおける核およびミサイル競争の加速を防止し,国際的な不拡散の努力を強化し,インド・パキスタン紛争の平和的解決を促進すべく「密接な協力」をすることを謳っている.
そして,両国はインド,パキスタン双方に全ての核実験を停止し,核実験全面禁止条約に加入し,(核の)兵器化と核兵器の配備をせず,核兵器搭載可能なミサイルの開発をしないよう求めた.
また,両国がインドとパキスタンが核不拡散条約に「なんらの修正を加えず」(非核兵器国として)加入することを「我々の目標」としていることを述べ,インドとパキスタンが最近の実験にも関わらず核不拡散条約の核兵器国の地位を有しないと主張している.
声明には「中米両国の責任」と題した一節があり,両国が,平和で安定し,安全の保障された南アジアをもたらすよう「共同あるいは単独で」貢献することを希望し,国連安保理の常任理事国および南アジア諸国と重要な関係を有する国家として,「我々はこの地域の平和と安定を安全保障の維持に有する責任を認識する」と述べている.
以後の行動を述べた最後の一節も,両国の「密接な強調」を繰り返し述べている.
インドは,この共同声明に強烈に反発した.
インドの立場から受け入れたがったのは,なによりもこの共同声明がパジパイ書簡の拒絶を意味していたことにあるが,具体的内容としては,パキスタンの核兵器開発に関する中国の関与に一切触れていないこと,インドの核兵器国としての地位を明確に否定したこと,カシミール問題への言及が,問題の国際化に反対するインドの立場を真っ向から否定していること,中国と米国が共同で南アジアの問題に関与する意図を表明し,この地域において中国が重要な役割を果たすことを米国が認めているように見えることであった.
特に,最後の点についてインドでの反発は広範かつ強烈で,米国は7月から11月にかけて何度か行われたストローブ・タルボット国務副長官とジャスワント・シン大統領特使の会談を通じて徐々に立場を中立的な方向に修正していった.41
このような展開に直面したインドは,徐々に立場を修正しはじめた.
インド政府は9月頃から他の安保理常任理事国に対して中国に言及することを避けるようになった.
10月末には大統領主席秘書官が中国政策を述べる中で,インドは中国を「敵」とは考えず」は,中国との「軍備競争望まないと述べた.
この発言は,その直前にパジパイ首相がダライ・ラマと会見したことに中国が抗議していたことから,無視されたかに見えた.
しかし,米国がインドに対する立場を徐々に中立化してきたことが明らかになるにつれて,中国もインドの関係改善のシグナルを蒸しできなくなり,1998年12月にジャスワント・シンが外相に任命されると,唐家●外交部長が祝電を送った.
翌99年1月末にナラヤナン大統領が中国大使との会見で,インドと中国の広範な協力を呼びかけ,中国はインドにとっての脅威ではなく,インドは中国の脅威ではないと述べると,中国は同年3月に国境問題合同作業グループの準備会合を実施することで応じた.
合同作業グループの本会議は翌月末に実施され,銭其■副総理と唐家●外交部長がインド側外交団と会見した.42
この控え目な形で始まった中印関係の修復を一挙に進展させたのは,5月から7月にかけてのカルギルにおけるインドとパキスタンの武力衝突であった.
中国にとってはインドとパキスタンが武力衝突に陥った状況下でパキスタン寄りの姿勢を取り続けることは,決して得策ではない.
第1に,どのような調停の努力もインドの反発を招くこととなり,米国の「戦略的パートナー」として南アジアの「平和と安定」をもたらす能力が低下する.
最悪のケースとして,インドとパキスタンが本格的戦争状態に陥った場合には,米国がカルギル事件の責任はパキスタン側にあるとしていることから,中国が単独でパキスタンを支援せざるをえないこととなり,インドと米国の接近が加速する事は不可避となる.
インド側にとっても,中国が中立の立場を明確にすることの重要性は明らかであった.43
1999年7月中旬のジャスワント・シン外相の中国訪問を契機に,両国関係の修復は本格化した.
〔略〕
シン外相の訪中は,コソボ戦争の直後で,米軍機による駐ユーゴ中国大使館誤爆による中国国内の反米感情が高まっている最中に行われたこともあり,インド側は両国間の絆の一つとして,米国の「一極支配」に対する反発の共有を強調した.
シン外相は人民外交学会での演説で,インドと中国が共通に直面している挑戦は,(米国による)「優越と単独行動主義」であり,世界は「多極体制と均衡」に移行すべきであると述べたのである.
ただし,米国に対抗して「冷戦時の陣営(block)を再発明する」ことは問題外であるとし,追求しているのは自由行動の余地の拡大であることも明らかにした.46
このような考え方は中国側も同じであったと思われるが,中国側がシン外相に対して同様な発言をした形跡はない.
中国がインドを多極化推進戦略の対象としないことは,インドが自称核兵器国となっても変わらなかったと思われる.
インド側の報道も着目していたように,両外相の会談で合意されたのはあくまでも「安全保障対話」であって「戦略対話」ではなかったのである.47
(39) Garver, op.cit., pp.873-874
(40) 「中美両国元首関于南亜問題的聯合声明」『人民日報』1998年6月28日
(41) Garver, op.cit., pp.878-879
(42)ibid., pp.879-880
(43) ibid., pp.881
(46) C. Raja Mohan, "Jaswant calls for multipolar world," The Hindu, June 16, 1999
(47) Mohan, "India, China to begin security dialogue, " The Hindu, June 15, 1999.
広瀬崇子 in 『南アジアの安全保障』(日本国際問題研究所編,
日本評論社,2005.10.10),p.99-103
●=王旋
■=王偏に「探」の右側
それにしても,クリントン夫妻は中国シンパにオルグされているという説があるが,上記の事例を見てもその可能性高し.
【質問】
日印安保宣言って何?
【回答】
2008.10.22に麻生首相とマンモハン・シン首相により署名された,安全保障協力を促進するための共同宣言.
1. アジア太平洋地域情勢,長期的戦略及び国際的課題に関する情報交換及び政策調整
2. アジアにおける多国間枠組,特に東アジア首脳会議,アセアン地域フォーラム及びアジア海賊対策地域協力協定における二国間協力
3. 2006年5月に防衛首脳間で署名された共同発表の枠組みにおける防衛対話・協力
4. 海上保安当局間の協力
5. 輸送の安全
6. テロ及び国境を越える犯罪との闘い
7. 平和維持及び平和構築に関する経験の共有
8. 災害対策
9. 軍縮・不拡散
を,その内容とする.
このうちシーレーン防衛やテロ・海賊対策が,主要な部分であろう.
防衛次官級協議を日本が米以外の国と行うのは,豪州に次ぐという.
これに対して中国は,「インドと日本は,中国の勃興を阻止しようと努力していることは非常に明らかだ」と警戒している.
けっこう重要な共同宣言なんだが,このとき日本のメディアはこれをどう報じたかというと,
「麻生さん,連夜の"豪遊"」
やれやれ……
【参考ページ】
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/india/visit/0810_ahks.html
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091231/plc0912310230001-n1.htm
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a170219.htm
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b170219.htm
http://mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/archive/news/20100221ddm002070110000c.html
http://ihasa.seesaa.net/article/108470421.html
http://blogs.yahoo.co.jp/t032131/46284869.html
【ぐんじさんぎょう】,2010/06/23 21:00
を加筆改修
今日は日記更新しない予定でしたが,2chで気になるニュースを見つけたので特別に更新します.
日本とインドが事実上の軍事協力にあたる日印安保宣言に調印してかなり経ちましたが,ついに実働する事になりました.
インド軍との物資融通検討=国際貢献で連携,対中けん制も-防衛省
インド軍はロシア製兵器が多いので,武器面での融通は難しいですが,それ以外の燃料や食料などでは融通は可能なので,その方面での融通は可能になるでしょう.
場合によっては,日印共同訓練も有り得ます.
私としてはインド空軍のSu-30と,空自のF-15やF-Xとの異種間空中戦訓練(DACT)を期待したいところです.
普天間問題で鳩山政権の低迷をよそに,北澤防衛相率いる防衛省は,確実に対中対策を強化しています.
一方,パキスタンは中国との軍事同盟を強化しつつあります.
パキスタン,中国からAEW&C機を輸入
http://mil.news.sina.com.cn/2010-05-11/0938593666.html
パキスタン空軍はスウェーデンから,エリアイレーダーを搭載したサーブ2000をすでに2機調達していますが,これに加えて中国からも,陝西ZDK-03
AEW&C機を調達することになりました.
アフガニスタンのターリバーン対策にAEW&C機は必要ありませんから,明らかにインド空軍対策と見ていいでしょう.
インドとの国境を抱える中国にとって,インドの敵国にあたるパキスタンは,対インドの牽制が期待される同盟国です.
それはパキスタンも同じです.
もちろん逆も同じです.
日本もインドも,中国を牽制できる国なのですから.
バルセロニスタの一人 in mixi,2010年05月15日21:32
◆◆国力
【質問】
インドのエネルギー開発状況は?
【回答】
インドは世界各地で石油開発を加速させています.
開発・計画中の油田やガス田は以下のとおりです.
【生産中】
ロシア(サハリン1),ベトナム,シリア,スーダン
【鉱区取得済み,もしくは探鉱・開発中】
ブラジル,ミャンマー,イラン,オマーン,イエメン,リビア,ナイジェリア,エジプト,イラク,コートジボアール,UAE,クウェート
【計画中】
ベネズエラ,キューバ,ロシア(サハリン),バングラデシュ,カザフスタン,ロシア(数箇所),北海,シリア,バーレーン,ガボン
【質問】
インド経済の躍進とか言われていますが,正直な話,インドの労働者なんてアテになるのですか?
【回答】
オレの友達(インドの日本企業の工場で現地職員の教育係だった)が,
インド人は期限を守る意識がさらさらない,と言ってたな.
また,自分の目標を高く設定するが,それを達成する気がない.
前日まで「絶対できます」と言っておいて,できなくても
「目標はしょせん目標でしかありませんから」
と言ってのけると.
インド人と付き合うときは時間を忘れろと忠告しておく.
店だと時間を守るという意識がないのがなあ.
まあ,仕事上で付き合う分に関しては結構いい奴等ですよ.
少なくとも中国とインドどっちがマシと聞かれれば,インドを取った方がいいかと.
逆に西原理恵子先生は,華僑よりも印僑の方が洒落にならんって書いてたな.
印僑から家買ったらしいが,当然のように問
題が起きて…
「この問題はカルマのせいなので,今度生まれ変わったら何とかなるだろ」
で,ぶちキレてたような.
華僑は金で何とかできるが,印僑は何ともならねーって.
でもインドで新幹線だか地下鉄だか作ったときは,日本人技術者も出向いて一緒に働いて期限を守って,結果としてすげー早く完成したらしいな.
インドの地下鉄工事の技術協力で現地のスタッフが,「日本人スタッフに時間厳守の凄さを教えられた」ってやっていたな.
始業時間10分前に必ず作業準備を完璧に終えている日本人と,30分経ってようやく全員が揃うインドスタッフ.
時間掛けて教え込まれて,ようやく時間厳守をするようになったって.
数時間遅れが当たり前のインドで,この地下鉄は数分遅れ程度で動いているそうな.
あと日本車(GT-R)の紹介
「Top Gear GT-Rと新幹線」(字幕付き)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4004171
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4003891
麻生太郎の講演のネタの1つにも,インドの地下鉄の話があったな.
日本人が厳しく指導したおかげで,「ノーキ」という言葉を未だによく覚えているとか何とか.
そのおかげで,インドでは非常に稀なことに,地下鉄は期日前に完成したらしいけど(笑)
(しかも,開通前にストップウォッチ持って運行指導したので,今でもインドでは稀なほぼ定時運行だとか何とか)
「とてつもない日本」に載っていたはず.
↓でその部分が立ち読みできるよ.
http://www.shinchosha.co.jp/wadainohon/610217/reading.html
ニュース極東板
青文字:加筆改修部分
【質問】
食糧安全保障という観点から見て,インドの現状は?
【回答】
食糧は食料油を除き自給自足体制にあり,穀物や乳製品などではインドは輸出国.
他方,農業の生産性はかなり低く,農業の生産性を向上させる余地は十分にあると言えるかもしれない.
また,モンスーンの雨量に大きく影響され,雨量が多ければ多いほどインドの農業は潤うという.
詳しくは
≪ WEB 熱線 第1025号 ≫2008/05/28:「インド事報・インド徒然」
を参照されたし.
【質問】
インド農村の現状は?
【回答】
人口約11億5千万人のインドで,農村人口は7億5千万人.
その農民の約70%が2ヘクタール以下の零細農民,または小作人.
インド政府は毎年,穀物最低買取価格を高めに設定,農民の収入を保護しているが,21世紀に入り,綿花農民の相次ぐ自殺が,社会問題になっているという.
綿花は歴史的にインドの代表的輸出農産品であり,綿花栽培に頼る農民は未だ多いが,国際市場価格に直接影響を受ける.
アメリカ主導の綿花の国際価格は大幅に下落,旱魃による不作が追い討ちをかけ,多くのインド綿花栽培農民が窮地に追い込まれ,自殺が多発したという.
その後,多くの農家が多収穫が見込まれる「アメリカ産遺伝子組み換え種子」に切り替えたが,インドの土壌・気候に合わず,更に新種の種子の栽培方法も判らず(説明書も読めない農民が多い)大打撃を受け,再び自殺者が急増したという.
その綿花の国際市況の低迷は,アメリカの綿花の価格にある.
アメリカの農業補助金=輸出補助金が低価格に誘導していると考えられている
アメリカ産綿花は大規模・機械化農法であり,昨今は遺伝子組み換え種子使用で多収穫が可能になっている.
当然,生産コストは圧倒的に低い.
しかも,巨額な農業補助金=輸出補助金が供与されており,輸出価格は圧倒的に安くなる.
いくらインドの人件費が安くても太刀打ちできる筈がない.
だが,インドや中国,ブラジル,アフリカ諸国からの抗議に,アメリカは耳を貸していないという.
詳しくは,≪ WEB 熱線 第1055号 ≫2008/08/06を参照されたし.
「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ サイト・マップへ
軍事板FAQ
軍事FAQ
軍板FAQ
軍事まとめ