m
◆◆極東軍事裁判
<◆通史
<アジア&太平洋方面・目次
<第2次世界大戦FAQ

「ワレYouTube発見セリ」:The International
Military Tribunal for the Far East
極東国際軍事裁判の一部
【質問】
極東軍事裁判における戦犯のAと BCとは,どう違うのか?
【回答】
東京裁判での戦犯に対する「A級」というのは「平和に対する罪」,つまり「戦争における政策指導者」に対しての区分であり,「B級」は「通常の戦争犯罪」,「C級」は「人道に対する罪」という区分であって,罪の軽量ではありません.
「A級戦犯」
http://ja.wikipedia.org/wiki/A%E7%B4%9A%E6%88%A6%E7%8A%AF
「BC級戦犯」
http://ja.wikipedia.org/wiki/B%E3%83%BBC%E7%B4%9A%E6%88%A6%E7%8A%AF
軍事板
意外なのですが,そもそも,BC級戦犯裁判と言うのは,Court
Martial(軍法会議)ではなく,Military Commissions(軍事委員会)と言う組織で裁かれています.
Military Martialと言うのは,主に軍人と軍属について軍の規律に反する犯罪について裁判し,その犯罪の種類は法律によって制限されています.
一方のMilitary Commissionsは,
「戦争や事変の際に,捕虜や占領地人民を裁判しなければならない場合がある.
軍人軍属に関して,軍法会議の管轄に属しないところの戦争や事変特有の犯罪が有り得る.
これらの人と犯罪について裁判を行う機関」
と規定されているものです.
つまり,軍事委員会の裁判と言うのは,
「軍司令官が自己の処罰権を行使するための参考として,部下の将校に審理を行わせ,その意見を求める性質のもの」
であり,機能的には米国の司法権の作用ではなく,行政権の作用に属するものだったりするのです.
したがって正確に言えば,BC級に関しては,戦犯裁判というのは,米国に敵対する者を戦時中に処罰するための行政機関だったりする訳です.
ちなみに,この軍事委員会,日本では軍律法廷というものと同義だったりします.
本来,裁判と言うのは,平時に於いては,司法権の執行でないと正当でない訳で,其処で戦犯裁判は不平等だと言う考えが出るわけです.
但し,此処でそうした問題が出たのはあくまでもBC級に関してだけで,A級については,国際軍事裁判所方式というものを採用したことで,とりあえず司法権の執行と言う形は整えています.
BC級は,軍事委員会方式で裁かれました.
この考えの下,規定上判決書の作成は義務とされておらず,判決理由を付すことすら義務とされていないのです.
で,記録が残らない状態となっている.
つまり,判決を下した法務官が,どんな考えで被告に対する判決を考えたのか,その考え方を後で知ることすら出来ないと言うことになりました.
一方,A級の場合は,極東軍事裁判所条例17条で,「判決理由を付すべきものとす」と明確に規定され,裁判所の義務としていたために,多数意見の他に少数意見も付され,論点や考察が可能となっています.
更に,判決で科せられた刑の確定については,その占領地区の司令官(決して,Douglas
MacArthurではない)が部下の法務官に審査させ,妥当であれば,それを承認することで確定することとなり,減刑,差し戻しなどはその司令官の胸先三寸となっています.
また,軍事委員会は一審制で,委員会の招集者またはその後任者,つまり占領地区の軍司令官が承認したら,その判決は一度確定しますが,刑の減刑を求める場合は,彼に再審申し立てを行う申立書を提出することになります.
こうしたことも,この法廷が行政権の延長線上にあるということを如実に表しています.
但し死刑判決だけは,連合国軍最高司令官の確認が無ければ執行してはならない,としています.
先ほどのように,判決書が作成されていないBC級軍事裁判については,現在,検察側,弁護側の記録としては,その異議申立書とその回答を読むくらいしかない状態だそうで,なかなか全貌が掴めないのも,そこらへんに原因があったりします.
歴史を学ぶと言うのもなかなか難しいものですね.
眠い人◆gQikaJHtf2 in mixi 2006年10月25日22:14
【質問】
以下のような記述を見たが,実際のところ,B級とC級の違いは何か?
[quote]
A級〔戦犯〕というからには,当然B級やC級がいるわけだが,こちらは,主として占領地における捕虜虐待や,現地住民に対する残虐行為などの戦争犯罪に問われた者のことである.
罪の重さではなく,命令を下す側にいた将校はB級,下士官兵はC級とされたに過ぎない.
―――林信吾著『反戦軍事学』,p.168
[/quote]
【事実】
BとCとの区別には法的根拠はなく,裁判の実態としても区別されて裁かれた例はない.
カーペンター大佐の談話や,横浜裁判第1号事案第1回公判の検察側冒頭陳述とが,B,Cの区別があるかのような誤解を生んだ模様.
***
まず,一般にA級戦犯を裁いたのが,『極東国際軍事裁判所条例』,BC級が『戦争犯罪被告人規定』です.
しかし,そのいずれをみても,A・B・C級のクラス分けは存在せず,あるのは『主要戦争犯罪人』(A級戦犯に該当)と,そうでない普通の『戦争犯罪人』(BC級戦犯に該当)の2クラスだけ.
ABCのクラス分けには,法的根拠はないのです.
一応,これらの規定には,以下の項目があります.
(a)平和に対する罪
(b)通例の戦争犯罪
(c)人道に対する罪
これが誤解を生む元なのでしょうが,これらの規定はA級戦犯を裁いた『極東国際軍事裁判所条例』にも,BC級戦犯を裁いた『戦争犯罪被告人規定』にも存在します.
そのため,(a)の罪を犯したからA級,(b)の罪を犯したからB級とは単純にはいえないのです.
たとえば,(b)の訴因のみで判決を下されたA級戦犯もいます(松井石根元大将)
もっとも,A級戦犯は主に(a)の訴因で,BC級戦犯は主に(b)(c)の訴因で裁かれているのは間違いなく,あまり厳密に考えなければ,A級,BC級とするクラス分けは,おおむね正しいと言えるでしょう.
(ただし,A級,B級,C級とするのは間違いです)
誤解を生む原因として,GHQ法務部が(おそらく意図的に)「A級,B級,C級」の三つの言葉を使ったことがあげられます.(本来2クラスしかないのにもかかわらず)
たとえば,「星条旗」誌1945年12月14日に法務部長カーペンター大佐の次の談話を発表しています.
『1−B級というのは山下,本間両将軍の如き軍指導者を指し,殺害,虐待,奴隷行為などの責任を問われるものであり,1−C級というのは以上の犯罪を実際に行ったものをいう.
1−A級というのは東条首相の如き政治指導者でこれらのものの裁判には主席検事ジョセフ・キーナン氏が自らこれに当たる』
これらの「1」が何を示すのか不明ですが,本来法規上2クラスしかない戦犯者が,あたかも3クラスあるように錯覚させ,しかもB級は(b)罪,C級は(c)罪を犯したものという誤解は,ここから始まったのではないかと思われます.
以上,『別冊歴史読本特別増刊 戦争裁判処刑者1千』(新人物往来社,1993)のP44〜から要約して記述しました.
極東の名無し三等兵
補足意見として書きます.
-----------------------------------------------------------------------
では三種類の罪とは何か?
それは,占領下の日本統治に当たった,連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥によって制定された,裁判所条例(極東国際軍事裁判所条例)の第五条に示されている次の三つである.
「イ,平和に対する罪 すなわち,宣戦を布告せるまたは布告せざる侵略戦争,もしくは国際法,条約,協定または誓約に違反せる戦争の計画,準備,開始,または実行,もしくは右諸行為のいずれかを達成するための共通の計画または共同謀議への参加.
ロ,通例の戦争犯罪 すなわち戦争法規または戦争慣例への違反.
ハ,人道に対する罪 すなわち,戦前または戦争中に為されたる殺戮殲滅,奴隷的虐使,追放その他の非人道的行為,もしくは犯行地の国内法違反たると否とをとわう本裁判所の管轄に属する犯罪の遂行としてまたはこれに関連してなされたる政治的または人種的理由に基づく迫害行為」
英文の原文では右のイ,ロ,ハ,はa,b,cとなっているところから,イの戦争犯罪を犯したとして訴追された人たちを「A級戦犯」と呼ぶようになった.ロはB級,ハはC級戦犯である.
罪名は,ナチス・ドイツの幹部を裁いたニュルベルグ裁判におけるものを,そのまま踏襲したものである.
C級はナチス・ドイツにおけるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を念頭においている,
日本ではB級とC級をまとめてBC級戦犯と呼ぶのが普通だ.
日本軍による大虐殺もあったが,計画され,組織的に行われた,いわゆるホロコースト級のものはなかったのである.
-------------------------------------------------------------------------
『東京裁判「パル判決文書」の真実』(太平洋戦争研究会著,PHP研究所,2006.12),16〜19ページ
蛇足:三種類のうち「平和に対する罪」「人道に対する罪」は戦争開始当初なかったので「事後法」だとパル判事は主張.
また,A級戦犯に関しても「共同謀議」がなかったと言っているだけで,日本の政治的責任を罷免したわけではない.
ますたーあじあ
蛇足です.(寝ろと言う声はさておき)
横浜弁護士会編『法廷の星条旗』(日本評論社,2004.7),PP29〜30では,BC級戦犯裁判はあくまでも通称であって,法令上の根拠を持つものではないとしています.
第二次大戦中,特定地域で通例の戦争犯罪を行った者を連合国各国が裁いた軍事裁判を,一般にBC級戦争裁判と呼んでいます.
で,B級,C級に関しては,日本の新聞の区分けで,横浜裁判の第一号事案を「C級裁判」と呼び,上級者に対する裁判を「B級裁判」と呼んでいます.
1945年12月15日付「朝日新聞」東京版に,連合国軍総司令部法務部カーペンター大佐談として次のように書いています.
「B級というのは山下,本間将軍のごとき軍指導者を指し,C級というのは殺害,虐待,奴隷行為などの犯罪を実際に行った者を言い,A級というのは,東条首相のような政治指導者を指し,これについての裁判はキーナン主席検事がこれにあたる」
また,横浜裁判第一号事案の裁判記録において,検察官は第一回公判の冒頭陳述の中で,戦争法規・慣習の違反が戦争犯罪を構成するとしたうえで,戦争犯罪は三種類に分類されるとして次のように説明しています.
「第一は侵略戦争,国際条約や協定や保障に違反する戦争の計画,準備,開始または実行に関与した戦争犯罪人である.
第二分類は,占領地の民間人の殺害,虐待若しくは奴隷的扱い,捕虜その他抑留者に対する殺害若しくは虐待,または都市村落の悪意の破壊に付き責任を負うべき軍司令官である.
そして,第三分類は,占領地の民間人や捕虜その他抑留者に対する殺害,虐待を行った実行者である.
本日,裁判の場に引き出された被告人は,この第三分類に該当する」
カーペンター大佐談話とこの冒頭陳述を聞いた当時の新聞記者が,第一分類をA級,第二分類をB級,第三分類をC級と理解して記事を書き,以後,これが地位に応じてB級,C級と呼ぶようになったものと思われる――とあります.
眠い人 ◆gQikaJHtf2
〔ちなみに,〕『大東亜戦争の謎を解く』(別宮暖朗+兵頭二十八著,光人社,2006.5)によれば,通例の戦争犯罪をBC級
(BとCの違いは,
Bが他国軍民に対してなしたケースで,
Cが自国軍民に対してなしたケース)
とし,「平和に対する罪」と「人道に対する罪」という2つの新規の戦争犯罪を創って持ち込み,それをA級戦犯としたとなってます〔略〕
〔また,〕wikipediaによれば,
「一又正雄(国際法学者)は,東京裁判研究会編『共同研究 パル判決書(上)』(講談社,1984年)「第一章 パル判決の背景 東京裁判の概要」において
B級は指揮・監督にあたった士官・部隊長,
C級は直接捕虜の取り扱いにあたった者,主として下士官,兵士,軍属である
という主旨の説明をしている」
とのことです.
何所まで正確かは分かりませんが.
鉄底海峡
【珍説】
アメリカは「人道に対する罪」などという,それまでありもしなかった「事後法」で日本を裁いたのだ.
A級戦犯などと,勝手に相手国の指導者を犯罪者にして処刑した.
戦争の勝者が敗者を裁く.それは野蛮なことなのだ.軍事法廷はリンチそのものなのだ.
だから東京裁判の裁判官の中で唯一の国際法の権威だったパール判事が日本を「無罪」とし,この裁判自体を「無効」だとした.
〔略〕
ところが愚かなことにサヨクは,この国際法を無視したアメリカの野蛮な行為を容認してしまい,靖国神社には「A級戦犯がまつられているからだめだ」などと主張して運動してきた.
〔略〕
ところがなんと保守を自称する者達まで,今現在,進行形のアメリカの野蛮な「懲罰戦争」に,拍手を送っているのである!
(小林よしのり「戦争論」3,P.54-55,太字は原文ママ)
【事実】
イラク戦争は懲罰戦争ではないし,東京裁判は容認されていない.
まず第1に,イラク戦争は懲罰戦争ではなく,予防戦争と見るのが一般的.2002年9月のブッシュ・ドクトリン「国家安全保障戦略」において,アメリカ自らそう公表しており,また,今度の戦争を善悪論で論じている(まっとうな)軍事専門家を寡聞にして知らない.⇒more
第2に,事後法による東京裁判の違法性は,左派右派ともに戦後の基本的な共通認識.
アメリカでも当時から批判があったほど.
原爆や無差別爆撃を非難する以上,左翼だって東京裁判の内包する矛盾に突き当たるのは道理でしょ?
「違法だったが意義があった」
と言う人はいれど,東京裁判の違法性を否定する人は,まともな学者にはいない(ニュルンベルク裁判の方は,自然法で正当化することはできる).大学の現代史や国際関係,国際法の講義で東京裁判の違法性に言及しない教授はまずいないし,BC級戦犯の悲劇は膾炙されていることだったし.
東京裁判なら,手軽なところでは保坂正康とかも読まれると宜しい.
「合意の上での出来レース」「双方の再出発のための儀式として」の東京裁判という見方もある.そもそもA級戦犯自身が天皇訴追の身代わりということで,被告原告双方が納得していた.
あれほど巨大な政治的裁判が,単なる正義や復讐の場で済むと考えるのはおめでたすぎる.
第3に,左翼の多くは戦犯合祀なんか問題にしてない.
彼らの批判の力点は,
・国家神道の復活に反対するための靖国批判
・慰霊の宗教施設という分限を超えて大東亜戦争とその前段の軍の暴走を靖国はほぼ完全肯定しているために,靖国を全体として非難
しているところにあり,後者については右派の間でも,非難が多い点.
戦争に負けた結果責任と,現在の日本国(つまり今上陛下)が認めている植民地支配とアジアの平和を乱した非を受け入れた上で,
「亡くなれば二等兵も東条大将も神様だよ.弊社はつつしんでお祀りしています」
とすれば,ここまで非難されることはなかった(まあ,左翼のヒステリックな攻撃も悪かったんだけどね).
ところが靖国(護国神社)は,日本人でも賊軍だと祀ってあげず,他宗教の信者で遺族が断っているのに勝手に祀ったりしている.こんな姿勢では批判が出ないほうがおかしい.
左翼や知識人は東京裁判マンセーか批判精神ゼロばっかりだった,と若い奴に鵜呑みにさせる本は問題がある.
なお,「人道に対する罪」に関しては,
「1899年,1907年ハーグ条約前文で人道に対する侵害を包括定義し,条文の実体内容として奴隷化,性的侵害をともに禁止している.
具体的事件,事例にこれを丁寧に当てはめれば,旧ユーゴ刑事法廷規程,国際刑事裁判所規程と同じことになる」
という話もある.
これを信頼するならば,第2次大戦前から人道に対する罪はすでにあったということになる.
一方,これに対する反論としては,
・ハーグ条約のマルテンス条項はあくまで,戦争に関して人道を重視せよと書いてあるに過ぎない
・セント・ジェームス宣言は一般的な宣言であり,国際条約として機能を果たすようにはできていない
というものがある.
これに関して客観的立場に立つソースは,少なくともネットでは発見困難.これに関してふれているサイトは,jcaだの,南京事件否定論サイトだのと,色が付き過ぎ.
したがって本サイトでは,「戦前から『人道に対する罪』が国際法上,存在したかどうか」については,現段階では情報不足につき肯定も否定もできない.
【珍説】
恨んでも憎んでもいない人,会ったこともなく虫が好かぬという印象さえない人を殺すというのは,相手から手出しをした場合に限られる.
何もしない相手を殺傷する動機があるというのは,相手の持ち物を奪う場合があるのみだ.
日本兵にそんな過失を犯す素養があり,かつそんな機会に遭う可能性は,非常に希なことだろう.
そこには凶悪犯罪の付け入る隙はなく,常に己が恥は親の恥,家門の恥とする恥の意識が,その行動を厳しく律していた.
貧乏世帯で生活は苦しいものが多かったが,犯罪はこそ泥やスリ程度で,凶悪なものは滅多になかった.
海外に出ていく民間人には一旗組も多かったが,兵士は常に使命感と信義・礼節・質素と専ら道義心に裏付けされて,規律の正しさは各国の模範とされていたのである.
〔※他のページでは義和団の例を提示〕
純朴な兵は思いやり深く,民間人を愛護するのは治安維持の最重要秘訣であると徹底した教育を受けており,民度の低い外国の庶民の持ち物を巻き上げたり奪うなど,およそ考えられないことだ.
「昨日の敵は今日の友」は,降伏した敵兵に言う言葉であって,民間人に対しては初めから敵意はなかった.無益な殺生は最も恥ずべきことであり,皆無と言ってよかったと思う.
しかし,実例に根拠があれば慎重にお聞きしよう.
軽薄な口舌なら,はじめから止めたまえ.
敢えて言わせてもらおうか.戦前の日本人は現代とは比較にならぬほどスレていなかった.
平素から貧窮に甘んじながらそれを恥とせず,不満を持たず,不自由を忍び,謙虚で素直で愚直なまでに従順だった.
お上を敬い年長者を尊び,修身と道徳を熱心に学んだ.
教える側は,まず皇室がその範となった.
明治天皇陛下と皇后陛下は日頃から啓蒙に心を砕かれ,度々勅語や御製を下され,おみうたはご生涯に10万首を数えたという.
〔略〕
唱歌の時間には修身も同時に学んだのだ.こうしたお上を慕い,国を愛し,誇りと喜びに支えられて情熱の意欲に満ちては国家に尽くしたのだ.熱心の前に悪徳は陰を潜め,心をあわせて一心不乱にいそしんだのである.今の人とは心がけが違うのだ.
世界を驚かせた日清日露の勝利も,驚異的な発展の速度も,ひとえに修身と武士道に支えられた若者達が,愛国心に勇み立って邁進したおかげだ.
命令を受け,作戦行動を行うのは,民間人を対象としない.あくまで便衣隊や匪賊の抵抗組織が対象である.
その見境を曖昧にして安易に敵の口車に乗るのは愚かしいことだ.
〔略〕
個人犯罪で無益の殺傷事件をあえて起こす,その発生率はどんなものか.起こり得たとしても,それは年間に数万人に一人発生する程度ではなかろうか.
(三好誠著「戦争プロパガンダの嘘を暴く」,展転社,2005/4/1,p.146-148)
【事実】
そりゃ,どこのジェダイ騎士ですか?(笑)
そんなに戦前日本人が美徳にあふれているなら,国籍問題を利用した満州での様々な不正行為や,軍隊内における陰湿ないじめの話は,全部作り話なんでしょうか.
そもそも,「民度の低い外国の庶民」などという,他国民蔑視の姿勢が,アジアにおいて独善を押し付ける事になり,ビルマ義勇軍の反乱を招いたり,タイやフィリピンでのレジスタンスに遭った一因になるわけですが.
【質問】
極東軍事裁判の法的根拠は? 法的根拠がないなら,東京裁判は主権侵害にはならないか?
【回答】
東京軍事裁判は「極東国際軍事裁判所設置条例」を以って裁判所設立の法的根拠としています.
同条例は連合国軍最高司令官であるマッカーサー元帥によって発令されました.
連合国軍最高司令官は日本の主権者であり,日本国内においては憲法,法律を超えて権限を行使することが出来ました.
要するに当時,日本の国家主権はハナから侵害されており,東京裁判だけをことさらに取り上げて,主権侵害云々を言い出すのは滑稽です.
また,主権の譲渡はポツダム宣言の受諾に基づいて行われたもので,国際法上の問題はありません.
まぁ,この点については連合国に無制限の主権を与えたものとする説と,ポツダム宣言の範囲内においての主権を与えたものとする説があります.
回答者個人としては,国権の存在というものを,防衛力抜きにして考えるのは現実的ではないとの立場から,連合国に無制限の主権を与えたとする説を支持しています.
※なお,軍事板質問スレッドにおいては,上記の書き込みのソースは?と問われており,それについては,捜索中.ご存じの方はご一報を.
【質問】
東京裁判は事後法で裁く事にならないのですか?
【回答】
国内法だろうが国際法だろうが、法とは,強者が自分の獲得した権利を維持継続させるため,尤もらしい口実を設け,作ったもの,という側面もある.
国際法は特にそう.公平な立法機関は存在しないし,そもそも世界各国が一致して「公平」と認められる概念が存在しうるかも疑わしい.
弱者がそんな国際法に不服なら,粘り強く交渉するか,さもなきゃ戦争に訴えるしかない。
日本は、その戦争に訴える賭けのほうに出て敗れたのだから、事後法だろうが何だろうが,何をされても仕方ない立場。
「勝者は敗者に対する万能の神である」
by 東条英樹 in 巣鴨刑務所。
国際社会は法治社会としては不完全なものである.
現代社会は社会契約の元に成り立ち,国民は社会契約の下で法の庇護下にある.
ゆえに遡及禁止などの法の原理が適用されるが,国際社会にはまだその様な法の庇護を確立させてはいない.
国家に対し法令を執行させる権限が存在しない.国際司法裁判所は係争国が同意しなければ開かれないし,その裁定を執行させる機関も存在しない.
そもそも戦争による領有権問題の解決などは,所有権の主張をその時点から遡って適用する場合もあり,国際関係において遡及的な処理は珍しくない.
そこで結局,国際法廷とは当事国の同意の上に成り立つことになる.合意さえあればなんだって正当.
敗戦により相手の要求を拒否できない場合でも,受け入れてしまえば,それは正当.
後から不当だったと主張するのは,それこそが遡及と言うものだ.
遡及を適用させたければ,相手国の合意を得なければならない(その為に戦争を仕掛けるのは不戦条約違反だが).
【質問】
それは,いくらなんでも自虐的過ぎる見解ではないか?
【回答】
そういった主張を許せない、と思っても,戦争に負けたらそうなる。
ビスマルクの言った
「大国は自らに利あれば万国公法(国際法)を押し付けるが,これが一度不利となるや,軍靴をもって踏みにじる」
という主張は今も昔も基本的には真理だよ。
それが嫌なら,戦争に勝つか、始めから負けるような戦争はしないことだな。
まあ現代では,あまりやりすぎるとその後が困るから、そんなにやりたい放題はしないけどな。
【質問】
それはつまり、今日的に見れば問題があるが、覆すことはできない、ということか?
【回答】
そう思ってくれていい
貴方は「自虐ではないか?」という質問をしたが、オイラはあえて
「自虐であるかどうか」
というスタンスで答えなかった。
なぜならオイラが軍ヲタだからだ。それが自虐だろうが他虐だろうが反日だろうが興味はない。
その主張を聞いて
「自虐だ!」
と怒るのがコヴァ〔小林よしのり狂信者〕であり、
「じゃあ,負けないようにするにはどうしたらいいか?」
を考えるのが軍ヲタなんだよ。
つまり戦争に対する根本的な切り口が,コヴァと軍ヲタでは違うんですわ。
ちなみに,
「そもそも闘う必要があるのか?」
まで遡って考えるのは政治オタですな。
【質問】
今日、中・韓・北韓は戦争犯罪を声高に言いたてることで外交に役立てているわけだが、日本政府はこのアンフェアな裁判を声高に叫ぶことをしていないのは何故か?
【回答】
逆にいえば、そんな主張をされて,いちいちまともに取り合ってる日本の側に問題があると思うね。
例えばイギリスやオランダも,捕虜の問題で個人レベルの恨みはあるだろうが,今さら政府レベルでなにか要求してくることはない。
つまり、極東3カ国がやってる手法が日本に通用するのは,世界的に見ても極めて特異な例であって、日本がその手法をアメリカにやっても,
「バカじゃないの?」
と言われるだけだろう.
それと,小林が軍ヲタに悪し様に言われるのは、(あの戦争についていえば)いたずらに戦争に対して浪漫的な大義や正義を持ち出して、日本軍の構造的欠陥を反省する節がないからだろう。
公平さが必要 というのが
1.「国際法が,不完全(未整備)な法律であっても,悪法でも法は法だから,守るべき」という視点から「日本のA級戦犯を裁く際にも守るべきだ」 という主張に対して
●実際に,国際法を守ってるという状況にあったのなら,日本にだけ守らないで「復讐的な」裁判をしたってことで,東京裁判は責められるべきだろうが,その当時,「守られてないし,守らせるだけの強制力も無かった」.
●それは当時の状況からしたら「仕方が無い」ことで,この仕方無さは,日本が軍事侵略をせざるを得なかったのが仕方が無かったのなら,それと同等に仕方が無かったこと.
●また,「実態守られていない法律」なんてものは,規範として「守ったほうがいいね!」という程度の存在でしかなく,それなら,
「国際法を守った裁判をされてたか?」
という考慮をするよりも,
「道義的にどのように評価されてたのか?」
という視点から評価した方がいいだろ.
だって,国際法が規範でしかない以上,「道義の一部分を示したもの=国際法」でしかありえず,それなら,「道義」で評価するほうが,当時の視点としては正しいし公平.
●その上で,「国際法に照らし合わせたら」という視点で物言いすることは,「国際法が遵守されてる状況だったとしたら」という仮定を置いてるもので,この仮定はすでに『現在の視点で評価したら』ということを暗黙の前提 として置いてるものであり,小林よしのりの,日本の侵略戦争を評価する際の視点である
『現在の視点で評価したら侵略は悪だろうけど,当時から考えたら仕方がなかったんだ.(だから日本は悪くない)』
という視点と相反するものであり,ダブルスタンスになってる.
【質問】
なぜ戦勝国が敗戦国の戦犯を裁くという,復讐裁判に転化され易いルールがまかり通ったのか?
【回答】
第1次大戦における戦犯追及の大失敗の反省を踏まえたため.
以下ソース.
第1次大戦後,ドイツ軍将兵の残虐行為についての,カイザー・ヴィルヘルム2世の責任が問題となった.
連合軍は,ベルサイユ条約第227条で
「同盟および連合国は,国際道義に反し,条約の神聖を犯したる重大なる犯行につき,前ドイツ皇帝ホーヘンツォルレン家のヴィルヘルム2世を訴追す」
と規定して,カイザーを法廷に引き出そうとした.
しかし彼は休戦直前,皇位を放棄してオランダに蒙塵,オランダは彼の身柄引渡を拒否した.
これについては,連合国内においても囂々たる議論があった.
フランスは,ドイツの将軍,将兵による残虐行為に対する責任は,最終的には長の長たる皇帝にあると強硬に主張.
しかしアメリカ代表ランシングは,これに反対して,
「皇帝には道徳的見解からするならば,人類に対して責任はあるが,法的見地からするならば,その国の臣民にだけ責任があるに過ぎない.他の国民に対しては何ら法的責任はない」
と主張した.
さらに,その他の戦争犯罪人の裁判が,これまた当を得ないものだった.
1921/5/23,ライプチヒにおいて戦犯裁判が開始されたが,裁く者はドイツ帝国裁判所戦犯処理委員会だった.
多くの戦犯達は,ドイツ人の手では逮捕されることがなかった.
例えば,無警告で英国病院船ランドベリー・キャッスルを雷撃し,その救命艇にも銃火を浴びせてこれも撃沈したUボート艦長パッチッヒは,「行方不明」とされたが,ライプチヒに隠れていたと言われる.副艦長は追及されず,他の将校はポーランドに逃亡.
結局,裁かれたのはドイツ側が起訴した2名,英国が起訴した4名,フランスが起訴した5名,ポーランドが起訴した1名の12名に過ぎなかった.
課せられた刑罰は,ドイツの起訴した2名が4年,英国の起訴した者の内2名は6ヶ月,1名が10ヵ月,フランスの起訴した者の内1名が2年といういい加減なものであり,連合軍使節は12人の事件の結果に対して抗議して撤退.
すると,ドイツ法廷は800の戦争犯罪事件を訴訟取り下げ,あるいは証拠不充分として処理してしまう.
1922年1月,連合軍は,ライプチヒ裁判所をこのまま継続する事は無意味であるので,ドイツ政府は速やかにベルサイユ条約228条によって連合軍側から起訴されている戦犯を引き渡すべきであると勧告した.
が,ドイツ裁判所及び国民は強く拒否.
また,有罪判決を受けた戦犯6名も,間もなく脱獄・逃亡してしまう.
かくして,ドイツ戦犯裁判は完全に失敗.
次のような教訓が生まれた.
(1) 敵戦犯を敵国の裁判に委ねない.
(2) 犯罪者の処分を休戦の条件とする.
(3) 戦犯の起訴は可及的速やかに裁判する.そうでないならば証人は消滅,証拠は隠滅される.
(4) 裁判の主たる準備は戦勝国当局において行う.
(5) 驚くべき犯罪によって戦犯が処分されるのは当然であると,敵国の世論を喚起する.
(6) ライプチヒ裁判は連合軍側の意見の不一致に基づくものであったから,今度は真に結合して協力態勢をとる.
(森田正覚「ロスバニオス刑場の流星群」,芙蓉書房,
1981/9/25, p.172-175,抜粋要約)
要するに国際法の不備を突かれた格好.
なぜWW1のときの反省に基づいて,きちんとしたルールを作らなかったのか,不思議でならない.
まあ,二度と大きな戦争は起こるまいと思ったのかもしれないが.
ちなみに,多少なりとも中立な場所で戦争反罪人が裁かれるようになったのは,当方の記憶ではユーゴ内戦の後のこと.
WW2から約半世紀が経過するまで善処されなかったわけで,戦争犯罪の件は,公正な国際ルール作りがどんなに時間がかかるかの見本と言えよう.
+
【質問】
日本の保守リベラル派は戦犯追及を希望してた,というのは本当ですか?
【回答】
本当です.
「戦前派の知識層やリベラル派,とくに親英米派の人々は,戦時中の日本の軍国主義的指導層に対する反感や憎悪から,この東京裁判の判決を是認し,太平洋戦争を否定する側に立った」(「雑学・太平洋戦争の真実」(日東書院)佐治芳彦著 -1997.4.1-)
そこで日本の関係者は積極的に協力することによって裁判(東京裁判)を特定の方向に誘導する方法をとった.特に天皇の側近たちや重臣(宮中グループ),海軍,外務官僚たちがそうだった.近衛文麿や木戸幸一に連なるグループは国際検察局に積極的に情報を提供し具体的な戦犯リストなども提供している.後の首相吉田茂もこの人脈の一員であることに注意していただきたい.
彼らは,天皇を擁護し,責任を東条英機など特定の陸軍軍人などに押しつける,という点で共通していた.木戸が提出した日記が,被告の選定に大きな影響を与えたことはよく知られている.
満州事変〜日中戦争〜アジア太平洋戦争の一連の侵略戦争において,陸軍が強硬派だったことはまちがいないが,総力戦は陸軍だけで行えるものではない.
要所要所で重要な決断を下した天皇をはじめ天皇を支える宮中グループ,海軍,官僚,財閥なども戦争を推進した.アメリカとの開戦については躊躇したグループも,少なくとも中国に対しては,日本の利益を確保するために軍事力を行使することは当然と考えていた.
しかしながら,東京裁判では,これらのグループはアメリカと一緒になって,天皇をはじめ自分たちは本当は対米戦争には反対だったが陸軍に押し切られたのだ,すべての責任は陸軍にあるという虚偽の「歴史像」を創作し,陸軍を切り捨てることによって自らの生き残りを図ったのである.
冷戦が始まり,アメリカは非軍事化・民主化政策から反共のために日本を活用する政策に転換していく(占領政策の転換)が,その中でアメリカはそうしたグループを政治的受皿として利用しようとしていく.一九四八年一〇月に成立した第二次吉田茂内閣はまさにその表れだった.外務官僚出身,元内大臣牧野伸顕の娘婿,近衛グループの一員だった吉田がアメリカに忠実な保守政治の創始者になったのである.
参考
大沼保昭『東京裁判から戦後責任の思想へ』有信堂,1985年
粟屋憲太郎『東京裁判論』大月書店,1989年
吉田裕『昭和天皇の終戦史』岩波新書,1992年
粟屋憲太郎『未決の戦争責任』柏書房,1994年
粟屋憲太郎ほか『戦争責任・戦後責任 日本とドイツはどう違うか』朝日新聞社,1994年
渡辺治『政治改革と憲法改正 中曾根康弘から小沢一郎へ』青木書店,1994年
(日本史板)
【質問】
パール判事は本当に日本無罪を主張したの?
【回答】
よく右翼側から引用される「パール判事」の「日本無罪」だが,これって単なるトリミングの成果に過ぎない.
パール判事が言っているのは「共同謀議」は認められないということだけであり,日本の罪にしたところで「事後法では裁けない」と言っているだけで,日本の道義的責任を免罪したわけじゃないんだよね.
「パールは,決して『日本無罪』と主張したわけではなかった.
彼が判決書の中で主張したことは『A級戦犯は法的に無罪』ということであり,指導者たちの道義的責任までも免罪したのではなかった.
まして日本の植民地政策を正当化したり,『大東亜』戦争を肯定する主張など,一切していない.
彼の歴史観によれば,日本は欧米列強の悪しき『模倣者』であって,その道義的責任は連合国にも日本にも存在すると見ていたのである」
(中島p.297?298).
パールの言いたいのは,
「おめーらに日本の事どうこう言える資格なんてねーよ,この帝国主義者どもが」
ってことであり,日本の責任を免罪したわけではない.
よく引用されている「日本無罪」論は単なるトリミングの効果に過ぎないわけだ.
都合のいいトリミングはサヨクの専売特許だと思っていたが,ウヨク(つか酷使)連中も大して変わらんことやってるわけね.
んで,これにホイホイされる人の多いこと・・・.
やっぱし,マトモな学術書とかは読むべきだわな.
ますたーあじあ in mixi,2007年12月26日19:00
▼ ようやくパル判事(上巻)700ページまでたどり着いたので,とりあえず現時点での感想.
大体「日本無罪論」の勘違いの元がわかってきた.
パル判事は満州事変にしても,それ以降にしても,「共同謀議」の事実があったのかどうかに焦点を当てていて,日本の正当性は「間違っていたのだろう」「認められない」「共同謀議の件に関しては無関係」というスタンス.
やはり
「法理的には裁けない」=無罪
であって
日本の行動が正当=無罪
というわけじゃないようだ.
内容が膨大なんで,完全に理解しきれてるわけじゃないけど.
ただ,満州における中国の行動が,日本の権益侵害の原因であるところは述べており,この点では,たしかに「日本の行動」に「同情的」ではある.
しかしながら,それを元に起こした行動については「恐らく間違っていたのであろう」と述べているし,そもそも正当性に関する言及なんてしてない.
それが「共同謀議」か否かとういう観点から論じているだけ.
読んでいて,ちょっと理想論的過ぎる所はあるものの,見識の高さは伺える.
ますたーあじあ in mixi,2008年02月05日08:44▲
▼ パル判決文より引用してみる.
中島岳の本はコヴァから叩かれてるみたいだしね.
[quote]
(前略)
起訴状の中の書く起訴事実全部につき全て無罪と決定されなければならず,また,これらの起訴事実の全部からすべて免罪さるべきであると強く主張する」(判下・七二七)
に尽きている.
しかしながら,ここで我々が特に注意を払うべき点はこの「無罪」の意味である,
それは,目下の論点たる共同謀議だけに限るとしても,日本の為政者,外交官および政治家は「共同謀議ではなかった.かれらは共同謀議はしなかった」(判下・四六六)
したがって検察側の共同謀議の訴追には該当せず,したがってその関係からは無罪とせざるを得ない
※この一文には傍点がついている.
という意味なのであり,広く一般的に,あるいは日本の国内法上から無罪である,あるいは道義上も責任がない,という手の判断とは全然無関係なのである.
したがって,パル判決書を至当と認める立場においても,なお昭和の為政者,外交官および軍幹部に対する一般的あるいは国内法上の追求,および道義上の糾明の自由を,われわれは全然損なわれずに保障されているのである.
パル自身もまた,その判決書が全面的共同謀議の検討を離れて,広く要路者あるいは日本国の「行動を正当化する必要はない」(判六四五),日本の「行為が果たして正当となしうるものであったかどうか,を検討することは全然必要ない」(判七六六,判八五八)との建前を維持して,「当時の日本の政策が隣国に対する正義と公平に基づく賢明な利己政策であったのか,あるいは単に主我的な侵略政策であったのか,はわれわれの現在の目的のためにはさほど重大ではない」(判七六四)
(中略)
「無謀でまた卑怯でもある」(張作霖殺害事件)(判七六四)
「一九三一年九月一八日以降の満州における軍事的な発展は,たしかに非難すべきものであった」(判七九三)
日本の東亜共栄圏建設計画推進にさいしての米国への態度は「無理であり,攻撃的であり,あるいは傍若無人だったかも知れぬ」(判三七五)
と言うように散見するパル判断から演繹するならば,昭和日本に対するパルの総括的な評価が,「日本がある特定の時期に採用したどの政策にしても,あるいはその政策に従って取ったどの行動にしても,それはおそらく(法律的に)正当化できるものではなかったであろう.
・・・・・日本の為政者,外交官および政治家はおそらく過ちを犯したのであろう」(判下・四六五)
[/quote]
―――『パル判決書』(上)(東京裁判研究会編,講談社学術文庫,1984.2),P199〜201より引用
と言うように,読み返せば,日本の行動を正当化しているわけではないと分かる.
(ただし,読み進めれば,日本の政策を評価している部分もあり,これは彼の賢明さを表すものだろうね.)
にしても・・・・
絶望した! 「はってん」の変換一発目が「ハッテン」な自分のIMEに絶望した!(滅
ますたーあじあ in mixi,2008年03月03日22:21
▲
▼ 読破した感想としては,パル判事は「法の人」であって,日本に同情したとか,日本が正しかったと言いたかったわけではないということかな?
もちろん,彼は日本に親愛の情を持っていた.
しかしながら,日本の行った行動に関しては,かなり批判的なニュアンスが強い.
だが,そこで終わらないのがパル判事の凄いところ.
あの時期に,真っ向から原爆投下を批判し,欧米の専横を戒めたところは,賞賛に値するだろう.
アメリカ大統領の決定で原爆投下を行った事に対しての痛烈な批判は,彼の法学者としてだけではなく,人間としての非常に卓越した見識と勇気を見ることができる.
ますたーあじあ in mixi,2008年04月18日18:00
▲
【珍説】
東京裁判でも,インドのパル判事は,「平和に対する罪」などというものは,法理論上,成立しないとして,被告全員を無罪とすべきだ,との判決書(厳密に言えば意見書)を書いている.
林信吾著『反戦軍事学』,p.193-194
【事実】
明らかに違いますね.
パル判事の意見は,
・「平和に対する罪」というものは「第二次世界大戦前」には概念がなく,ニュルベルク裁判のため作った「事後法」であること.
・「共同謀議」がなかった
だけであって,日本の政策や行動に対しては,痛烈とも言える批判をしています.
逆に「法理的」見地から,当時のアメリカ大統領にすら堂々と逆らったところに,彼の凄いところがあると思います.
ますたーあじあ in mixi,2008年04月19日 20:45
補読として読んでいる『東京裁判「パル判決書」の真実』(太平洋戦争研究会著,PHP研究所,2006.12)に,項目がありました.
-----------------------------------------------------------------
「平和に対する罪」と「人道に対する罪」というものは,戦争が始まった頃にはなかった.
ナチス・ドイツが連合国に降伏した(一九四五年五月七日)あとの,「一九四五年八月八日,ロンドンにおいて英連邦,合衆国,フランス共和国ならびにソ連邦各国政府間に結ばれた協定」(上二六六)ではじめて規定された罪名だった.
(中略)
パル判事はこういうやり方を
「原則としてその行為が処罰の対象となるところの国家との間に締結された国際条約」(上二七一〜二七二)
なら是認されるとした,カルフォルニア大学のハンス・ケルゼン教授の説に反論する形で次のように述べている .
「かのような条約によって常に『事後法』を制定することができ,かつかような人々の裁判に,これを適用する事ができると言う見解を受け入れることはできない.
しかし今の場合,この命題にたいして異議を唱える必要はない.
この裁判の場合においては,そのような条約は存在しない.
そして最高司令官(マッカーサー元帥を指す 引用者)の権能に対する諸条約は,最高司令官に付与されたどのような権力も,決して契約的関係を通じて敗戦国から継受したものでないことを特に明らかにしている」(上二七三)
このようにパル判事は,事後法である「平和に対する罪」で裁く事に疑問を提出した.そして言う.
「以上述べたところからみて次のことは十分明白であると思う.
すなわち,もし連合国が交戦国として国際法の下でかような人々を戦争犯罪人として取り扱う法的権利を持っていないとすれば,連合国は条約によっても,あるいはその他の方法によっても,かような権利を継受していないのである.
連合国が法律上自己に属していない権力を,あえて自己の手におさめようという意図を少しでもほのめかしたことはない.
したがって国際関係において戦勝国が敗戦国に対して有する合法的権能の範囲がなんであるかを探求するのは当を得たことである.
二十世紀の今日においては,敗戦国の人や財産に関してこの権力が今なお無制限なものであると主張するものは一人もいないと信ずる.
復仇の権利は別として,戦勝国は疑いもなく,戦争放棄に違反した人々を処罰する権利を持っている.
しかしながら戦勝国が任意に犯罪を定義した上で,その犯罪を犯した者を処罰する事ができると唱える事は,その昔戦勝国がその占領下の国を火と剣を持って蹂躙し,その国内の財産は公私問わずすべてこれを押収し,かつ住民を殺害し,あるいは捕虜として連れ去る事を許されていた時代に逆戻りするに他ならない.
-----------------------------------------------------------------
『東京裁判「パル判決書」の真実』 21〜22ページ
ますたーあじあ in mixi,2008年04月19日 21:57
【質問】
山下将軍が,連合国記者たちの圧倒的無罪予想に反して死刑になったのはなぜなのでしょうか?
【回答】
マッカーサーの個人的な復讐.
彼が総督時代に貯めた個人資産が山ほどあるフィリピンで,最後の最後まで粘られたから,心中は穏やかでは無いだろう.
マッカーサーとマッカーサー一族はフィリピンでマニラを中心に一大コンツェルンを築いていた.
中心に親族が経営する高級ホテルと銀行があり,フィリピン経済の一角を占めていた.
日本軍はフィリピンでのアメリカ権益を解体した.
マッカーサーはこのせいで,合衆国での多数派工作に失敗しており,合衆国議会や大統領を経由させず,直接海軍に接近して自分の目標を通すというテクまで編み出している.
後,自分がやったマニラへの無差別爆撃を彼に押し付ける為.
他にも,海軍部隊が,将軍の出したマニラ無防備都市宣言に従わず居残ってやったマニラ防衛戦,果ては末端の兵士の残虐行為まで押し付けた.
こう言う公私混同は,マッカーサーを知る者にとっては別段珍しくない.
フィリピン上陸を格好良く写す為に上陸後に撮影させたり,その時の銅像を作ったりと,枚挙に暇が無い.
故に下は一兵卒,上は大統領にまで嫌われた.
【質問】
フィリピンにおける軍事裁判は,どういう点に問題があったか?
【回答】
被害者が加害者を直接裁くという形態になり,とうてい公正さを期待できなかった.
まず,比島における戦犯裁判は,フィリピンの管轄下で行われた.
戦争裁判は米軍から比島共和国に移管せられ,比島行政命令第68号(ロハス大統領発令)により,比島共和国国防軍軍事法廷において審判することとなった.
終戦直後各地(ルソン島カランバ地区と北サンフェルナンド地区,レイテ島タクロバン付近,ミンダナオ島ダバオ付近)にあった日本人俘虜収容所は,昭和21年4月頃にはルソン地区に集結され,続いて戦犯裁判権の比島共和国移管と共に,昭和22年6月末,マニラ市東方マンダルヨングに容疑者360余名と既決者20余名が移動せしめられ,その他は内地に帰還した.
歴史的な比島戦犯裁判は,その裁判権存否論については謎のまま,昭和22年8月1日より,マニラ市師範学校校庭に臨時に建てられた比島軍軍事法廷において開始されたのである.
(坂邦康編著「比島戦とその戦争裁判」,東潮社,1967/5/25, p.40)
このような裁判は復讐裁判になり易い傾向があった.
ところでこの裁判は,比島人の対日悪感情を再燃させる結果となり,言論機関は戦犯裁判について連日煽動的記事を掲載し,〔略〕
同年8月23日頃,日本人弁護士団(含通訳)が到着し,弁護に当たったが,法廷においてフィリッピン側との感情的対立が現れ,遂に検事団長セバ大尉との間に殴打事件まで惹起するに至り,翌23年1月末,日本人弁護団は内地へ送還された.
その後は,比島陸軍の将校で適任者が弁護士団を組織し,弁護に当たったのである.
比島共和国,国防軍軍事法廷(戦犯裁判法廷)の軍法委員には,日本軍占領当時のゲリラ隊将校が多く含まれており,検事には陸軍将校や被害地域の住民で比島市民より特に選抜せられた者が任命されている.
〔略〕
また,検事側の立証は容易でも,被告側は全くこれに反して,環境や裁判その他の組織自体に制約を受けていた.
以上のように被告にとっては極めて不利な状態に加えて,英米法の特質たる証人のポイントが決定的証拠価値としては採決せられるため,事件の真相とは全く異なった場合においても,有罪と認定されるような遊戯的裁判を生むこととなり,換言すれば裁判のための裁判,日本人を死刑にするための裁判という結果を生んだ.
(同,p.41-42)
一方,比島共和国政府は,日本軍に協力したラウレル元大統領以下の比島要人を逮捕し,反逆者として国民裁判に附したが,これらも戦犯裁判に直接影響を及ぼした.
(同,p.40)
【質問】
東條英機に400万人の中国人の殺人に責任があるのは事実ですか?
【回答】
400万人,というのが何処まで正確なのか,という問題もあるが・・・.
とりあえず,東条個人にすべての責任を押し付けるのは,先の戦争の反省,という点からもXだな.
東条が全て考え,全て決めた訳ではなかったのだから.
ちなみに東條が首相になったときは,支那事変は始まってた.
もっとも東条英機個人としては,自分が全ての責任を被る替わり,大日本帝国と昭和帝の責任が問われないのであれば,喜んで全ての責任を被ってくれるだろう.
東京裁判を根拠とするならば,東条さんは訴因27「中国に対する侵略戦争の実行」で有罪判決を受けており,責任を問われています.
東京裁判の訴因は,「平和に対する罪」「殺人」「戦争犯罪・人道に対する罪」に大別され,関東軍参謀長から首相まで歴任した東条さんは,多くの訴因で有罪を受けました.
もちろんこの中に,対中戦・対米戦・対英戦・対蘭戦・対仏戦・張鼓峰事件の実行犯としての罪状が入ります.
ただ一つ,関与しなかったノモンハン事変の責任は無罪.
故意・不注意による残虐行為防止の怠慢は判定されていません.
ただ,訴因ごとの有罪の数と刑罰の重みは比例していません.
南京大虐殺の当事者となった松井さんは,残虐行為防止の怠慢だけが有罪にもかかわらず絞首刑.
外人記者から無罪間違いなしの下馬評があり,現に最も軽かった重光さんの有罪数は,東条さんより1つ少ないだけです.
(鷂 ◆Kr61cmWkkQ)
【質問】
東条英機の拳銃自殺未遂は有名ですが,死刑執行前夜にも首つり自殺未遂をした,というのを何かで読みました.
そういう事実があったのかどうかを教えて下さい.
【回答】
あった.トイレット・ペーパーで首吊りしようとした.
別冊歴史読本「A級戦犯」43〜44ページ(A級戦犯二十八被告の素顔 東条英機)より引用.
■処刑直前に自殺未遂
東条は戦争犯罪人として米軍のMPに連行される寸前に拳銃による自殺を試み,失敗したことはよく知られている.
しかし,絞首刑と判決が下り,明日処刑という当日,トイレットペーパーをコヨリにしたヒモで首をつって自殺しようとしたところを発見された.
そのとき東条はこのまま死なせてくれと男泣きした.
巣鴨プリズン所長のアーサー・ベル大佐が妻のフロレンスに語ったこととして朝日新聞が伝えた話だ(昭和五十八年七月十三日).
それにしても,小口径の拳銃とか,トイレット・ペーパーとか,なんで2度もおよそ最初から成功率の低い自殺方法を選ぶんだろうね.

【質問】
東條英機はなぜ直ぐに自殺をしなかったんでしょうか?
【回答】
開戦時の総理としての責任を放棄して勝手に死ねないと考えてたようです.
それでも,米軍に逮捕されるくらいなら自裁するとは漏らしてたようですが.良くも悪くも糞真面目な人らしかったそうですから,陛下の御裁断を待ってたのかも知れません.
倒産した会社で一人だけ取り残される,要領の悪いおっさんを彷彿とさせますね(笑).
彼の自殺未遂については,行動がちぐはぐだ,という批判もあります.
自決するならする,しないならしないで,あんな半端な死に損ない方は恥だ,と言った当時の人も多かったらしいです.
【質問】
極東軍事裁判で死刑になったのは軍人だけか?
【回答】
文官では唯一,廣田弘毅(ひろたこうき)元首相が死刑になっている.
廣田は1878年2月14日,福岡県那珂郡鍛冶町(現・福岡市中央区天神3丁目)の石材店の生まれ.
初名は丈太郎.
高校生のとき,『論語』巻四 泰伯第八にある「士不可以不弘毅」(士はもって弘毅ならざるべからず)から採って改名.
福岡県立修猷館(現・福岡県立修猷館高等学校),第一高等学校を経て東京帝国大学法学部卒業後,外務省に入省,外交官に.
その後政界に進出,1933年(昭和8年)9月14日,斎藤内閣の外務大臣に就任.
次の岡田内閣でも留任.
2・26事件の責任をとり総辞職した岡田内閣の後に,拒み続けた末,首相就任を承諾し,1936年(昭和11年)3月5日,天皇から組閣命令が下る.
閣僚選出について軍部の干渉を受け(軍部による吉田茂入閣拒否他)つつも,3月9日,広田内閣が成立.
就任後は,軍部大臣現役武官制を復活させ,軍事拡張予算を成立させるなど,軍部の意見を受け入れ.
11月には日独防共協定締結.
議会との折り合いがつかず,翌1937年(昭和12年)1月23日,総辞職.
その後,第一次近衛内閣の外務大臣に就任し,重臣・貴族院議員なども歴任.
なお,現在の国会議事堂は,彼が首相の時に完成した.
第二次世界大戦終結後,A級戦争犯罪人として1946年1月逮捕.
対アジア侵略の共同謀議や非人道的な行動を黙認した罪等に問われ,1948年(昭和23年)12月23日,巣鴨プリズン内で絞首刑に.
この量刑については賛否両論ある模様.
なお,シズ夫人は昭和21年5月18日に自害(享年62歳).
死を覚悟している夫の,意思の固いのを確認した上のことだったという.
住吉能楽殿に残る,廣田の書

【質問】
A級戦犯7人の死刑執行人が後のキング牧師だ,と児島襄の本,「天皇と戦争責任」(文春文庫,1991.1),p.312にあります.
児島本ではジョークっぽく書かれていて真贋がはっきりしません.
ネットでは否定的な意見も見ましたが,誰か細部をご存知の方がいましたらご指導のほどを.
【回答】
「戦史ノート」(文芸春秋新書,1980.6)にも同じ記述があったし,児島さんの持ちネタだったんでしょうね.
んでもって,公民権運動の指導者だったマーチン・ルーサー・キングJr牧師ですが,履歴を確認すると,1929年1月15日生まれ.つまり終戦時は16歳.
氏は15歳で高校を飛び級してモアハウス大学に進学したとか.同校を48年に卒業をしたそうなんで,
同一人物の可能性はおそらく無いですね.
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE
【質問】
仮に東京裁判において当時の日本の国内法を適用するとしたら,A級戦犯として裁かれた人々は何らかの形で有罪の判決を受ける可能性はあったのでしょうか?
例えば陸軍,海軍刑法などで有罪を宣告されることとなったんでしょうか?
【回答】
東京裁判とは違う日本の自主的な裁判で有罪の判決を受ける可能性はありました.
日本側にはもともと自主裁判による戦犯処理の構想がありました.
ポツダム宣言の第十条に戦争犯罪人の処罰が明記されていることや,ドイツのニュルンベルク裁判の開廷に関する情報などから日本でも同様の戦犯処理が行われるであろう事は予想されていました.
45年9月11日に東條英機などが逮捕されるに至った後,9月13日には重光外相がマッカーサーに自主裁判の申し入れが行われましたが,マッカーサーはこれを拒否しています.
その後も「バターン死の行進」の責任者であるとされた本間雅春中将の礼遇停止など,自主裁判を行う動きを見せますが,これらはすべて徒労に終わっています.
名無し軍曹◆Sgt/Z4fqbE
【質問】
捕虜に牛蒡(ゴボウ)を食べさせたことが捕虜虐待の罪に問われ,戦犯として処刑された人がいたというのは,本当なのか?
【回答】
本当.いわゆる直江津収容所事件.
先の大戦の終戦後,新潟県の直江津町(現上越市)にあった東京俘虜収容所第四分所(通称:直江津捕虜収容所)の所長と監視員らが受けた告発は,(必ずしも正確にではないが)よく知られている。
彼らは捕虜虐待の罪に問われたのだが,彼らの受けた告発の一つに,「捕虜に木の根を食べさせた」というものがあったのだ。
戦争末期の食糧難のさなか,収容所側が苦労して調達した野菜の中にたまたまごぼうがあったが,この食べ物を見たことのないオーストラリア人捕虜たちは,これを木の根だと思ったということのようだ(上坂冬子『貝になった男 −直江津捕虜収容所事件−』,文春文庫版 p.136,所長の反証記録)。
Who Cares about hedgehogs? [09]_01
終戦後の昭和21年、横浜の戦犯裁判で、捕虜虐待、残虐行為の罪名の元に、捕虜収容所の関係者が、二人が死刑、三人が終身刑、二人が十後年以上の有期刑の判決を受けました。
なお,裁かれた者の中には,村山有(むらやまたもつ)という日系米国人がいたそうです.
「戦時下の信州人移民」前後にその事が記載されています。
▼ ただし以下のように,「牛蒡を食べさせたこと自体が有罪とされた」のかどうかについて,疑問を呈するブログもある.
論旨を紹介すると丸写しになりかねないので,リンクにとどめる.
熟読されたし.
「裏日本」:・「ごぼうを捕虜に食べさせて有罪になったB級戦犯」は都市伝説?
「裏日本」:・ ゴボウの件,続報▲
【質問】
戦犯の遺族には遺族年金や恩給は支給されているのか?
【回答】
当初は,各種戦犯の国内での扱いに関しては国内法上の受刑者と同等に扱われており,遺族年金や恩給の対象とされていませんでした.
しかし,1952年(昭和27年)に木村篤太郎法務総裁から戦犯の国内法上の解釈についての変更が通達され,
戦犯拘禁中の死者→公務死
戦犯逮捕者→抑留又は逮捕された者
として取り扱われる事になりました.
これにより1952年(昭和27年)4月施行された「戦傷病者戦没者遺族等援護法」も一部改正され,戦犯としての拘留逮捕者について「被拘禁者」として扱い,当該拘禁中に死亡した場合はその遺族に扶助料を支給する事になり,戦犯刑死を公式には「公務死」とし,一般に「法務死(靖国神社では昭和殉難者)」と呼ぶことになりました.
【質問】
戦犯は名誉回復されているのか?
【回答】
国会決議によって赦免されているので,実質回復されたと見るのが妥当.
戦犯については,
「戦犯在所者の釈放等に関する決議」(1952年(昭和27年)6月9日参議院本会議)
「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」(1952年(昭和27年)12月9日衆議院本会議)
「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」(1953年(昭和28年)8月3日衆議院本会議)
「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」(1955年(昭和30年)7月19日衆議院本会議)
などの国会決議が決議されている.
特に靖国神社は三番目の
「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」(1953年(昭和28年)8月3日衆議院本会議)
をあげていますが,決議名をよく見てください.
「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」
とあります.
赦免とは「罪や過ちを許すこと」ですから,国会決議で全戦犯の罪や過ちを許していると言うことになります.
ですから靖国神社は合祀に踏み切ったわけですね.
一応決議文を載せておきます.
戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議(衆議院会議録情報 第016回国会 本会議 第35号)
八月十五日九度目の終戦記念日を迎えんとする今日,しかも独立後すでに十五箇月を経過したが,国民の悲願である戦争犯罪による受刑者の全面赦免を見るに至らないことは,もはや国民の感情に堪えがたいものがあり,国際友好の上より誠に遺憾とするところである.しかしながら,講和条約発効以来戦犯処理の推移を顧みるに,中国は昨年八月日華条約発効と同時に全員赦免を断行し,フランスは本年六月初め大減刑を実行してほとんど全員を釈放し,次いで今回フイリピン共和国はキリノ大統領の英断によつて,去る二十二日朝横浜ふ頭に全員を迎え得たことは,同慶の至りである.且又,来る八月八日には濠州マヌス島より百六十五名全部を迎えることは衷心欣快に堪えないと同時に,濠州政府に対して深甚の謝意を表するものである.
かくて戦争問題解決の途上に横たわつていた最大の障害が完全に取り除かれ,事態は,最終段階に突入したものと認められる秋に際会したので,この機会を逸することなく,この際有効適切な処置が講じられなければ,受刑者の心境は憂慮すべき事態に立ち至るやも計りがたきを憂えるものである.われわれは,この際関係各国に対して,わが国の完全独立のためにも,将又世界平和,国家親交のためにも,すみやかに問題の全面的解決を計るべきことを喫緊の要事と確信するものである.
よつて政府は,全面赦免の実施を促進するため,強力にして適切且つ急速な措置を要望する.
右決議する.
この決議は当時戦犯赦免を求める国民運動が加熱し,赦免要望の署名数が4,000万を数えたという国民世論に押されてできたものですね.
よって当時の国民は全戦犯に対する赦免を求めていたと言うことは代えようがない事実なのです.
〔略〕
さて,この決議を朗読したのは「海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会」委員長山下春江議員ですが,同時にこうも言っています.
ここで考えていただきたいことは,朝鮮戦争の終結でございます.惨列をきわめた武力戦が停止となり,恒久の平和がこれによつてもたらされることは万人の願いでございますが,このたびの休戦は勝敗なき休戦であり,降伏なき終戦であり,従つて戦犯裁判を伴わざる終戦でございます.
開戦以来,この戦争においては,双方ともに相手方の戦犯行為を指摘非難して参りましたが,このような休戦となつてみれば,その処罰などは,双方ともやろうとしてもできることではございません.
結局,戦犯裁判というものが,常に降伏した者の上に加えられる災厄であるとするならば,連合国は法を引用したのでもなければ適用したのでもない,単にその権力を誇示したにすぎない,と喝破したパル博士の言はそのまま真理であり,今日巣鴨における拘禁継続の基礎はすでに崩壊していると考えざるを得ないのであります.
問題なのは,この「名誉回復」の重みが日中で全く異なることだという.
以下引用.
中国政治では,「名誉回復(平反)」は重要な意味を持つ.
文革(毛沢東の階級闘争理論を基礎とした権力抗争)で紅衛兵に攻撃され,非業の死を遂げた劉少奇国家主席らの「実権派」指導者は,ケ小平時代になって名誉回復が認められた.
天安門事件(89年)では,軍隊に射殺され,暴徒とされた学生達の親達が,いまだに「平反」を訴えている.
逆に,名誉回復させるべきでない人物の名誉回復に対しては,強い反発を生む.
保守派の圧力もあって靖国首相参拝を強く批判した当時は,胡燿邦政権だった.
だが,2ヵ月後には胡総書記の「中日友好関係発展についての4点の意見」を発表し,日本との関係改善を提案する.
(金子秀敏〔毎日新聞論説副委員長〕 from 「週刊エコノミスト」
2005/8/2号,
毎日新聞社,p.33)
だからといって,価値観まで中国に合わせねばならない義務は何もないが,中国への説明はくどいほど繰り返したほうがよいと思われる.相手がそれで納得するかどうかは別にして.
【質問】
A級戦犯達が実質名誉回復されたとき,外国から抗議は受けなかったのか?
【回答】
特になかった.
読売新聞によれば,次のような事実があるという.
まず,サンフランシスコ講和条約発効後,いわゆるA級戦犯の刑死は国内法上は「公務死」の扱いにされた.
「A級戦犯」として禁固7年とされた重光葵氏は,戦後,鳩山内閣の副総理・外相となった.終身刑「A級戦犯」だった賀屋興宣氏は,池田内閣の法相を務めている.言うなれば“犯罪人”が法の番人になったわけである.
しかし,「A級戦犯」が閣僚として,“名誉回復”されたことについて,諸外国からとりたてて異議はなかった.
いわゆるA級戦犯が,靖国神社に合祀されたのは1978年のことである.
翌79年に,そのことが明らかになるが,当時の大平首相,次の鈴木首相は,従来通り,靖国神社に参拝している.
大平首相は
「A級戦犯あるいは大東亜戦争というものについての審判は,歴史が致すであろうと私は考えております」
として,いわゆるA級戦犯が“犯罪人”であるかどうかについての認識表明は留保した.
鈴木首相の時代には,公私の区別についての質問には答えないという方針を打ち出している.
A級戦犯合祀が明らかになった後も,大平,鈴木首相の靖国神社参拝に対し,中国からの表立った異議はなかった.
異議を唱えるようになったのは,1985年に中曽根首相が「公式参拝」の形をとってからである.
中曽根首相はその翌年に,中国の抗議に屈して,靖国神社への参拝を中止した.いわば中国に外交カードを与える結果になった“失政”が,今日の混乱を招いた.
その後,天安門事件で共産党統治の求心力に危機感を抱いた中国は,「愛国・反日教育」の強化に転じ,年々歳々,膨大な数の反日世代を育て続けている.
4月に行われた反日デモのスローガンは,当初,日本の国連安保理常任理事国入りの問題であり,台湾問題だった.
そもそも,日中の対立において,靖国参拝はその本質ではないという見解もある.
以下引用.
【緯度経度】ワシントン・古森義久 「媚中派」主張の虚構打破
日中関係のいまの摩擦や米国の態度について,中国側の文句だけをもっぱら尊重する朝日新聞のような日本側の媚(び)中・親中派の主張は次のようになる.
「日中関係は小泉純一郎首相が靖国神社を参拝するために悪化している.
だから参拝をやめると言明すれば,日中関係は改善される.
米国でもブッシュ政権の内外で靖国や歴史認識での日本側の態度への批判が広まってきた」
ところがワシントンでこのほど開かれた日中関係に関する討論会では,中国,日本,米国の三国代表いずれもがそんな構図を完全に否定するような言明をしたのだった.
媚中派の主張の虚構はわかっていたとはいえ,各国の当事者たちからそれを改めて打破する議論を直接に聞くのは新鮮な体験だった.
ワシントンの大手シンクタンクの「AEI」が二月十三日に開催した,「中日関係の将来」と題するセミナーだった.
まず中国政府系機関の中国現代国際関係研究院日本研究所長,楊伯江氏が,今の日中関係の緊迫の原因は靖国ではなく,両国間の「戦略的な衝突」だと述べるのである.
「私は小泉首相の靖国参拝に反対ではあるが,日中関係全体では靖国にはあまり重要性を感じておらず,歴史問題にもそれほど関心は覚えない.
靖国は日中両国の対決の反映あるいは象徴なのだ.
両国間の緊迫はあくまで戦略的な衝突という深い背景から見なければならない.
中国のGDP(国内総生産)の拡大が明示する日中間のパワーのバランスのシフトも緊迫の原因だ.
米国の対日政策も同様に原因だろう」
楊氏はさらに日本が世界第二の経済パワーを政治化しようとしていることや,中国の台頭が明治時代以来,日本にとって初めて優位に立たれる形で進んできたことも,最近の日中関係悪化の要因だと付け加えた.
ブッシュ政権一期目の国防総省と国務省の両方で中国担当の次官補代理を務めたランディー・シュライバー氏も,中国の台頭,日本の「普通の国」としての復活,日米同盟の強化,中国軍の増強と近代化などを日中摩擦の原因としてあげた.
「表面的には靖国のような歴史にからむ課題が,中国と日本とを離反させているようにみえるかもしれないが,実際には単なる神社への参拝をめぐる紛争ではなく,両国の政策の差が大きな要因なのだ.
経済力,軍事力,外交面での影響力のいずれを見ても,中国と日本とはほぼ同等の水準にあり,ほぼ同等の場合は二国間関係は安定しない.
いまの対立は過去ではなく将来の情勢をめぐってなのだ」
日本外務省の国際報道官,千葉明氏はチャイナスクールとしての体験や背景をもとに,そもそもいま日中関係が悪化しているとする前提自体を否定した.
「日中関係全体が拡大している.日本の対中投資や対中貿易が急成長して,相互補完の構図を成してきた.
人間の交流は毎年増えて,年間四百万人,姉妹都市の数は三百十三を突破した」
そのうえで千葉氏は小泉首相の対中謝罪や防衛費の額の抑制をあげて,中国側の
「首相の靖国参拝は日本の軍国主義の復活の兆し」
などという主張の空疎さを強調した.
さらにはA級戦犯合祀(ごうし)が明白となったあとの大平正芳首相の繰り返しの靖国参拝と,中国側の沈黙をも指摘して,中国側のいまの主張の矛盾を突くのだった.
米国がどう対応すべきかとなると,シュライバー氏の見解はもっと鮮烈だった.
「日中関係の悪化は米国にとっても好ましい事態ではないが,米国の対応は日中両国に対して同等ではない.
米国にとって日本は民主主義の共通の価値観と友好とを保つ条約上での同盟国であり,戦略的パートナーであるのに対し,中国はそうではないからだ」
シュライバー氏はさらに,米国は靖国を含む日中間の歴史問題には介入を避けるべきだと強調し,もし介入するならば,東シナ海での日中両国の軍事衝突を防ぐというような範疇(はんちゅう)にとどまるべきだ,と説くのだった.
日本擁護のこうした見解をさらに補強するかのように,司会役のダン・ブルーメンソール前国防総省中国部長が楊氏らに問いかけた.
「ブッシュ政権の最新の対中政策をまとめたロバート・ゼーリック国務副長官は,中国の歴史博物館の展示の偏向を引用して『中国側も自国の歴史をきちんと認識していない』と述べたが,日本を一方的に非難できないのではないか」
こうした関係者たちの現実の発言は,冒頭で紹介した日本の媚中派の「情勢報告」とはあまりに異なるのである.
2006/02/18産経朝刊
なお,当サイトにおきましては,靖国問題は
・戦犯に関する事実関係
・諜報工作分野の一つとしての対日工作
という視点以外,扱う予定はございませんので,悪しからず.
【質問】
今の大人たちが学校で受けていた謝罪教育とはどのような教育でしょうか?
【回答】
ネットで拾えるものとしては,こんな情報がある.
ソースが産経だけどな.
【正論】筑波大学大学院教授・古田博司 すでに時効迎えた「過去」への贖罪
(略)
そもそも,反日日本人が倫理のネタを西洋革命思想と東アジアへの贖罪から密輸入してきたのは,1950年代末のことであった.それまでの日本人は戦争の災禍が甚だしく,自らを被害者としか認められなかった.
当時彼らは,社会主義による近代化を信じていたので,中国は戦禍をこうむったがそこから建設のエネルギーを汲(く)み取ったと見た.
それに引き替え,日本はこれまでの資本主義による近代化を惨敗として自覚せず,戦争のおかげでアジアは独立を勝ち得たのだと,侵略の過去を合理化してしまったと考えたのである.
そこで商業誌を中心に,日本こそが戦争の加害者で,贖罪すべきであると猛烈な宣伝戦を展開した.
その後50年間の教化の成果として,今日の「贖罪大国日本」がある.
(略)
まあ,自衛官の子供を吊るし上げるような「教育」はあったけどな.
また,どこかの高校では修学旅行先に韓国を選び,生徒に土下座させて戦争責任を謝罪させているそうだが.
どう考えても逆効果です.本当に(ry
日本史板
また,謝罪教育とまでは言えないにしても,以下のような事例もあったという.
(私の住んでいた国立に桐朋学園という「進学校」がある.そこの高校の社会科教師が,アカで,「戦争中に日本がやった悪いことを五つ挙げなさい」などという偏向した教育を実践したので,ついには生徒から授業ボイコット運動が起きたと,同校出身の後輩に話を聞いたことがある).
塩津計 in 『bk1』,2007/05/01/18:34:57