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「人民網」◇(2013/03/22) 「侵略史を風化させる日本の歴史教育が右翼を生む」台湾紙
大東亜戦争研究室(開戦経緯説明には政治的偏りが見られるものの,戦史はデータとして有用)
●書籍
『聞書・わが心の自叙伝』(松本重治著,講談社,1992.2)
『カナダへ渡った広島移民』(ミチコ・ミッヂ・ アユカワ著,明石書店,2012/10/31)
『空気と戦争』(猪瀬直樹著,文春新書,2007.7)
『決定版 太平洋戦争 1 「日米激突」への半世紀 歴史群像シリーズ』(黒野耐・瀬戸利春他著,学研,2008.12)
『近衛文麿 「運命」の政治家』(岡義武著,岩波新書,1979)
『近衛文麿「黙」して死す すりかえられた戦争責任』(鳥居民著,草思社,2007.3)
『昭和史への一証言』(松本重治著,たちばな出版,2001.11)
『昭和戦前期の宮中勢力と政治』(茶谷誠一著,吉川弘文館,2009.10)
『真珠湾への道』(大杉一雄著,講談社,2003.7)
比較的面白い(眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板)
『政党内閣の崩壊と満州事変1918〜1932』(小林道彦著,ミネルヴァ書房,2010.2)
『第二次対世界大戦とフランス領インドシナ 「日仏協力」の研究』(立川京一著,彩流社,2000.5)
1937年以後の日仏関係と,対独敗戦後のヴィシー政府と日本との関係を研究したもの.
欧州のフランス外交関係は結構本になっているが,植民地政府の動きを描いた本は中々無い.
そうした間隙を埋めるような本なので,結構面白そうなものになっている.
――――――眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
『太平洋戦争通史』(筒居 譲二著,文芸社,2013/10)
『魂の昭和史』(福田 和也著,PHPソフトウェアグループ,1997/07)
まともな歴史書じゃありません.
情緒的歴史認識披露本です.
ほぼ三野本と同レベル.
------------軍事板,2001/02/16(金)
『駐日米国大使ジョセフ・グルーの昭和史』(太田尚樹著,PHP研究所, 2013.3
『東条英機 阿片の闇 満州の夢』(太田尚樹著,角川学芸出版,2009.11)
東条英機がどんな人物だったかと,阿片との関わりについて書いた本.
阿片については,「阿片と大砲 陸軍昭和通商の七年」で現場の話をを読んだことある.
これは,東条本人がどうのこうというより,陸軍の組織としての問題だろう.
この本の著者も触れていることではあるけど,大陸じゃ結局,法幣に負けて,阿片に頼るしかなかったんかね.
末端の行政組織も崩壊して徴税機能もなくなって,物資調達も円が経済圏からはじき出されているし.
人物像については,官吏としては有能だけど,頭固い.
天皇への忠誠心はあるけど,組織防衛の意識も強い.
組織を離れると意外と良い人な面もある.
――という様に,目新しい人物像を描いてあったわけではないが,それなりに面白かった.
後,陸海軍の航空機開発の会議で,真面目に報告している東条に対し,山本五十六が「やっと飛ぶようになったんだね」って煽るのは何だろう.
確かに,あの演説の調子で飛行機のスペックを語られたら嫌だけど.
「大本営参謀の情報戦記」でも陸海軍の航空機統合について,著者の父(養父だったか?)が潰したのは「山本が元凶か」と言わせるシーンを思い出した.
――――――軍事板,2010/01/15(金)
『永井荷風の昭和』(半藤一利著,文春文庫,2000.6)
『日米戦はゞ』(池崎忠孝著,新潮社,1941)
『日米もし戦わば 戦前戦中の「戦争論」を読む』(北村賢志著,光人社,2008.6)を読んで触発されたので,たまたま古本屋で見かけ,購入.
後知恵から批判するのは容易かつ安易すぎる著者の予測よりも,むしろ
「対日戦の場合,英国はキング・ジョージ5世級戦艦4隻をシンガポールに派遣する!」
など当時の噂が興味深いです.
(この噂に対して著者は否定的)
なお,序文は加藤寛治大将,定価1円40銭・外地定価1円54銭.
――――――軍事板
青文字:加筆改修部分
『日本の近代6 戦争・占領・講和』(伊藤隆ほか編集委員,五百旗頭真著,中央公論新社,2001.4)
『広田弘毅 「悲劇の宰相」の実像』(服部龍二著,中公新書,2008.6)
【質問】
太平洋戦争の通史は,どの本が特にオススメ?
【回答】
単行本が多いけど,米側からの太平洋戦線の視点を知ることが出来る本として下記のような本がある.
福田茂夫『第二次大戦の米軍事戦略』1979年
赤木完爾『第二次大戦の政治と戦略』
新見政一『第二次世界大戦戦争指導史』
『ニミッツの太平洋海戦史』
『提督スプルーアンス』
『アーネスト・キング』
『第二次大戦に勝者無し』講談社学術文庫
『ルーズベルト秘録』扶桑社文庫
A.J.P.テイラー『第二次世界大戦の起源』講談社学術文庫
どれも概説的な内容.
Amazonで,「まげ店長」というレビュアーの評価をトレースするのも良い.
ただし,岩見浩造なる人物の情報は,鵜呑みは避けたほうが賢明な模様.
その信頼性についての考察は,こちらを参照されたし.
岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM : 軍事板,2011/10/10(月)
青文字:加筆改修部分
・光人社の『写真太平洋戦争』
写真も図面も多いです.
ただ,いきなり文庫全10冊ってのは入門ではないかも.
・児島襄の「太平洋戦争」上下巻
客観的で淡々とした描写が好き.
・「モリソン太平洋戦史」
アメ公視点だけど,この分野の古典
長編すぎるのが難ですが,簡略版が別に出ています.
ただ,太平洋戦の諸章は記述薄いかも.
大西洋戦の諸章もサラッと読んでみたいのですが,邦訳出てないしナァ…
ところで,今や古本屋漁るしかないのですが,ロパート・シャーウッド著/中野五郎訳「太平洋戦争」こそが,その後の太平洋戦史の典型的なパターンとなったような気がしています.
昭和27〜28年頃の初版なんだけど,その後の日本の太平洋戦争に関する出版物は,ほぼこの本のストーリーに則っている感じがします.
私は新書版になった直後のカッパ版と,昭和40年頃のカッパ版重版を持ってますが,昭和40年代後半から絶版になっているのは,新事実の解明で,いささか記述が古くなったのかもしれませんが,精査してません.
でも,その後の出版物ではあまり見なくなった写真等もあるので,ときどき眺めてます.
それから昭和25年頃に出た最初の「モリソン太平洋戦史」邦訳も,中野五郎訳でした.
中野氏は昭和45年頃から出始めた,バランタイン版WWII戦記シリーズの邦訳版であるサンケイ出版局(当時)の第二次大戦ブックスでも,監修を務めておられましたね.
軍事板,2011/10/10(月)
青文字:加筆改修部分
全体俯瞰なら
【ふくろうの本 図説:太平洋戦争】
戦闘中心なら
【太平洋戦争 主要戦闘事典】(PHP文庫)太平洋戦争研究会
つーのもあるでよ.
Lans ◆xHvvunznRc : 軍事板,2011/10/10(月)
青文字:加筆改修部分
全くの初心者ならば,山岡荘八『小説太平洋戦争』ですな.
ただ,1冊で全部把握するなんて無理です.
「知識ゼロからの」とか「マンガで3時間でわかる」は勿論,小林よしのり『戦争論』も初心者は避けるべきですな.
ZII ◆RPvijAGt7k :軍事板,2011/02/18(金)
青文字:加筆改修部分
『グラフィックカラー昭和史』の『帝国軍隊』『太平洋戦争(前・後期)』が入門書だったり.
『グラフィックカラー昭和史』はいいよ.
俺もブクオフで1冊200円で美本が出回っていたとき,速攻で全冊買った.
児島襄『太平洋戦争』も,古い本だけど,いわゆる日米交渉から開戦要因(※),船舶需給論争と,「戦争したほうが経済が好転する」という大本営の自己欺瞞,MIからガ島,レイテ決戦,沖縄,終戦と,よく定説を抑えていると思う.
(※ 同盟国への事前通告なしの対ソ開戦で,日本は三国同盟を抜けることもできた.
でも外務省は同盟遵守をとなえて,結局,対米強硬の選択肢を選んだ.
その種の都合の悪い点を無視して,戦後の日米交渉史(外務省史観)をリードしたのが,外務省北米課長の加瀬俊一.プランゲ,加瀬,奥宮,児島ラインね.
本書もこれに準じる)
定説や教科書がわりの小冊子として,おれはいまだに愛用している.
811 :名無し三等兵:2011/02/18(金) 16:01:30 ID:???
,j;;;;;j,. ---一、 ` ―--‐、_ l;;;;;;
{;;;;;;ゝ T辷iフ i f'辷jァ !i;;;;; 何とかすれば大東亜戦争に日本は勝てる・・・
ヾ;;;ハ ノ .::!lリ;;r゙
`Z;i 〈.,_..,. ノ;;;;;;;;> そんなふうに考えていた時期が
,;ぇハ, 、_,.ー-、_',. ,f゙: Y;;f 俺にもありました
~''戈ヽ `二´ r'´:::. `!
812 :名無し三等兵:2011/02/18(金) 16:02:42 ID:???
WW2に関しては60年代,70年代が,時間を置いての俯瞰と,情報公開,当事者の証言や記憶,何より戦争の肌感覚がまだ市井に残っていて ,頂点だったと思う.
それ以降になると,劣化コピーや修正史観論争があって.
軍事板,2011/02/18(金)
青文字:加筆改修部分
【質問】
保阪クラスで信用できないって言ったら,信用できる歴史研究者ってどんな人がいるのよ?
半藤一利とか?
別に喧嘩売ってるわけじゃなくて,その人の本も読んでみたいと思ってるだけだからね.
【回答】
半藤さんだったら保阪さんの方が信用できると思う.
『ノモンハンの夏』とか『昭和史』とかフィーリング優先というか,先入観が勝ってる記述が多い気が.
難癖ばっかのてめーはどうなんだと言われると,昭和史関連だと北岡伸一,加藤陽子,有馬学,中村隆英とかがぱっと思いついた.
伊藤隆東大名誉教授関係者ばっかと言われそうだけど,左翼の永井和とかも実証的で好き.
軍事板
青文字:加筆改修部分
◆◆戦間期
【小林主体思想】(別名「マルチ・スタンダード」)
アメリカが日本に「自由」と「民主」を与えてくれたと思い込んでる者がいる.
だが実は,戦前から日本には「民主主義」はあったのだ.
大正デモクラシーは,戦後の民主主義と同じものである.
山本夏彦氏は,大正時代に広がった民主主義の特色を
「普選」「親不幸の公認」「恋愛の謳歌」「猫なで声」「口語体」「挨拶の喪失」
だと皮肉っぽく語っている.
婦人の参政権はなかったが,婦人は別段,怒りもしなかった.
参政権を欲しがっていたのは市川房枝ら,せいぜい100人か1000人くらいのものだった.
大正デモクラシーによって,日本が持っていた,もっと大事な価値がいっぱい破壊された.
例えば「忠孝」の精神である.
戦後は,アメリカからのデモクラシーが,さらに価値の紊乱に拍車をかけ,教養・道徳が衰えたのである.
日本の「保守派」の知識人が,アメリカの正義である「自由」と「民主」を賛美するとは一体何事か!? 恥を知れ!
(小林よしのろ「戦争論3」,p.67)
【ツッコミ】
曖昧・粗雑な論です.
「アメリカが日本に「自由」と「民主」を与えてくれたと思い込んでる者がいる.
だが実は,戦前から日本には「民主主義」はあったのだ」
と書いておきながら,最後は
「アメリカの正義である「自由」と「民主」」
と言っちゃうわけですか…….
わずか十数行の文章の中の論理矛盾も,自分じゃ気付かないほど耄碌されましたか?,この50歳を越える爺さん漫画家は.
それにですね,大正デモクラシーと現在の自由民主主義が同じものかというと,これにも疑問が残りますな.
大正デモクラシーと一口に言っても,生成期と高揚期と衰退期とでは,性質が異なってくる.
政党や非特権的な資本家が,民衆の世論を背景にして,元老・枢密院・貴族院・郡部などの特権階級の力を抑えようとした,というのが生成期に対する通説的見方.寺内正毅軍閥内閣出現を阻止した大正政変など,特徴的ですな.
政党政治が軌道に乗り,また,第1次大戦後に高まってきた労働運動・農民運動・社会主義運動と絡み合って,「改造の十字路」「民衆の組織化」と呼ばれる社会風潮が現れたのが,高揚期.
ちなみに吉野作造は,自分の民本主義はいわゆる右派社会民主主義とは両立できるが「過激主義(ボルシェヴィズム)」,つまり革命主義とは相容れないと認めておりまして,大杉栄などの当時の革命派から論難されております.
そんでもって,例によって内部対立していくのが衰退期.既成政党は民衆組織を敵対視し,社会不安や経済的混乱に対処する力を欠く.民主主義的要求は治安維持法などで圧殺される,そんなこんなでジ・エンド.
小林は,大正デモクラシーのどの部分が,どのように「戦後の民主主義と同じ」だと言いたいんでしょうか?
論が粗雑過ぎて,肯定も否定もできかねますな.まあ,飲み屋のオヤジの政談と同レベルってことです.
第3点.
いくら山本夏彦が大正デモクラシーを皮肉っていたからといって,「忠孝の精神」がなくなったと言えるものなのか? 忠孝の精神が,そんなに大事なのか? そこが疑問です.
「忠孝」は,朱子学上の概念です.
朱子学とは中国・南宋の学者,朱子によって大成された,宋代の新しい儒学で,「道学」「性理学」「程朱学」とも呼ばれます.
日本への伝来は鎌倉時代のことで,室町時代には禅僧の教養として学ばれます.
日本における隆盛期は江戸時代で,幕藩態勢の整備につれて,幕府・藩の教学の基礎になり,思想的影響は儒学の他の学派の中で最も著しかったとされます.
これは,名分論に基づく君臣関係の規制,身分制の重視,禁欲的傾向など教学的要素が強く,自然秩序観も社会の安定指向期に受け入れられ易い素地があったためと考えられています.
そうだとするなら,
「大正デモクラシーによって,朱子学的精神が廃れた」
という主張は,あながち間違いではないのかもしれません.大正デモクラシーにおける民衆の要求の一つは,身分に囚われない平等な1票を与えよ,なのですから.
しかし,それをもって大正デモクラシーを否定する気には到底なれませんな.平等な一票を保障する事は,公正な選挙のためには必要だ,と考えられているのですから.
忠孝精神を守りたい,というのであれば,身分制重視の朱子学に頼らず,他の思想に依ったほうが建設的では?と思うのですが…….
いずれにせよ,何故どのようにして「大正デモクラシーが忠孝精神を破壊した」と,小林が考えているのか,具体的に明らかにならないことには,上の論も想像の域を出ないのですが.
同じように,
>戦後は,アメリカからのデモクラシーが,さらに価値の紊乱に拍車をかけ,
>教養・道徳が衰えたのである.
なる主張も,いかなる根拠によるものなのか,全く分からないので論じようもありません.「西側はモラル退廃が云々」という言葉は,冷戦期にベルリンの壁の向こう側からよく聞かれましたが…….
そういえば,詭弁テクニックの中に,
「主観で決め付ける」
「資料を示さず自論が支持されていると思わせる」
というものがありましたな.
なお,「自由」と「民主」が「アメリカの正義である」わけがないという事は,高校生レベルの世界史の知識のはずですね.
アメリカ流「自由と民主」と,小林は言いたかったのかもしれませんが,それならば,改訂版でも出してその辺を明確にすべきでしょう.
「新ゴーマニズム宣言」単行本の「イラクの農夫がアパッチ・ヘリを撃ち落とした」の件もそうですが,なぜ修正を一向にしないのか,不思議でなりません.誤りを認める事は恥だとでも思っているのでしょうか.
それにまた,本当に忠孝精神は破壊されてしまったのでしょうか?
「戦後の,自分の勤める企業にひたすら忠誠を尽くす,サラリーマンの態度は,企業論理にとって都合の良いように変形した忠孝精神である」とは,深田祐介や猪瀬直樹など,多くの識者が指摘するところです.藩が会社に代わっただけではないかというものです.
この説が本当だとすれば,少しも忠孝精神は破壊されていないことになるのですが,小林は触れてさえいません.会社勤めを経験したことのない小林は,それに思い至らなかったのかもしれませんが.
ちなみに,朱子学には忠孝精神の他に,「理気説」「性情説」「居敬窮理説」という説を展開しています.
この内,性情説とは以下のようなものです.
人間は性と情の絡まりであると説かれます.「性」は理で本性理性,情は気で気質感情を言います.
そして,人間が情のままに行動すれば,仁義礼智の性を喪失し,人間のあるべきあり方は不明となり,家族・村落・国家の人間共同体は危機に陥る.そこで,情の動きを純粋にして性の筋目に従わせ,人倫の道を守るようにすべきである,としています.
「作法としての反米」と唱え,その実質,過激な反米差別を感情的に唱え続けている――小林にとって親米に見えた者には,ポチとレッテルを貼って罵倒していますね.絞殺自殺した小泉首相の姿まで描いています(p.29)――小林に,性の筋目は見出せません.
朱子学的精神の内,忠孝だけをクローズ・アップして,他を切り捨ててしまっている姿勢には,大きな矛盾を感じるのですが,どうでしょうか?
もしかすると,「いいものなら,それだけ残すべきだ」と小林は言うかもしれません.
しかし,そうであったとしても,江戸時代の軌範を,現代にそのまま当て嵌まることには無理があり過ぎるでしょう.当時と今とでは,人間を取り巻く精神的環境も物質的環境も,全く異なるのですから.
そうである以上,その「いいもの」をいかに現代に適合させていけばいいのか?という考察が必要になるはずなのですが,本書にはそれは皆無です.
昔に戻しさえすればいい,というのであれば,それは保守ではなく,単なるオストリッチ・コンプレックスじみた守旧派でしかありません.
まあ,曖昧な主張なら,言い抜けは幾らでも可能ですけどね.
だいたい,忠孝の精神は,目上の者に対する尊敬の念を持つよう勧めていますが,自説に同調的でない者を醜悪に描く小林が,忠孝の精神を遵守しているようにも思えません.
自分自身では全く守っていないものを,他人に守らせようとする態度は,矛盾ではないでしょうか?
こんな穴だらけの言説で,第2次大戦を語って欲しくはないものです.
余談ですが,「国のために」とか「無私の精神」とか言ってる奴が国を滅ぼすんだ…なんて,へそ曲がりなこと言ってる山本夏彦が,
「小林に引用されてる」
って聞いたら,どんな顔するんでしょうね.
【参考文献】
(1) 大正デモクラシー関連
岡義武編『吉野作造評論集』,岩波文庫
信夫清三郎「大正デモクラシー史」,日本評論社
今井清一「日本の歴史23 大正デモクラシー」,中央公論社
大久保利謙「日本全史 近代III」,東大出版会
(2) 朱子学関連
後藤俊瑞「朱子の実践哲学」,目黒書店
友枝龍太郎「朱子の思想形成」,春秋社
島田虔次「朱子学と陽明学」,岩波新書
【質問】
蒋介石の北伐について教えてください.
【回答】
中山艦事件を契機に,急速に台頭してきた蒋介石が中心となり,1926年7月1日,国民政府は北伐を開始(第1次北伐).
北伐軍は各地軍閥を各個撃破し,翌1927年には南京,上海を占領した.
しかし国民党内部の混乱から一時中断.
蒋介石が混乱の収拾に成功し,権力を掌握すると,北伐を1928年4月8日に再開した(第二次北伐)
張学良が12月29日に降伏したことをもって,北伐は完了し,全国統一を果たした.
しかしこれは,地方の軍閥勢力を残存させたままでの妥協的な「統一」であったため,その後も戦乱は続いた.
【参考ページ】
http://www.c20.jp/1926/07hokub.html
http://blog.livedoor.jp/kota6053/archives/51638635.html
http://www.eonet.ne.jp/~chushingura/p_nihonsi/episodo/201_250/234_01.htm
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1921-30/1926_hokubatsu.html
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%8C%97%E4%BC%90/
私は台南で,蒋介石のよく来た店でかに飯食いました.
うまくなかった.
台北ではソウビレイの館にとまりましたが,ものすごく広くて歩くのが大変でした.
風呂場が十畳くらいありました.
風船殿様 in mixi,2009年09月03日 22:28
栃木 利夫・坂野良吉『中国国民革命』
坂野良吉『中国国民革命政治過程の研究』
を読むべし.
鮭缶 in mixi,2009年09月03日 22:34
北伐自体とは直接関係有りませんが,臼井勝美「中国をめぐる近代日本の外交」(筑摩書房,1983)は面白かったですね.
辛亥革命後の複雑怪奇な日中関係を知るため,いくつかの視点を提供してくれます.
そういえば,台湾の淡水かどこかで,「蒋介石の仏像」が出来てましたっけ.
蒋介石はクリスチャンだったのですが・・・
整備兵 in mixi,2009年09月04日 01:44
【珍説】
パリ不戦条約では,自衛戦争か侵略戦争かの判断は,該当国家の裁量に委ねられていた.
推定林間≒「一応仮コテ」
一方,1928(昭和3)年には,パリで「不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)」なるものが調印され,「侵略戦争」の放棄を宣言した.
これはグロティウス以来の,戦争は無差別に肯定するという常識が,変化し始めた兆しでもある.
ところが「侵略」の定義は当事国に任されていた.要するに…
「わが国はこれから侵略するぞーーー!!」
と言わない限り,「侵略」にならないのである.
小林よしのり「戦争論」3(2003/7),p.218
【事実】
であれば,それは各国が勝手に判断するのではなく,事後的に国際法廷や国際会議で判定を受けるべき問題であると,国際法学の大家オッペンハイムが示している.
条約の趣旨から言っても,自衛権を損なわないためであり,勝手な解釈で戦争を起こす事を肯定しているわけではない.
【質問】
ケロッグ=ブリアン条約の成立までの経緯と,同条約の問題点は?
【回答】
今も尚,国際上では有効とされているケロッグ=ブリアン条約であり,そもそも満州事変を否定する材料の一つとなった「不戦条約」だが,この成立にはかなり混乱が伴っており,成立からして骨抜きな条約みたいだ.
キッシンジャーによると,WW1後対ドイツ政策に行き詰ったフランスのブリアン首相が,マジノ線構築による防御戦略によって,能力的にはドイツ東部への侵攻「封じこめ」を捨て去ったことにより,フランスの政戦両略の不整合がおきた混乱から,なんとか世論の支持(国際的な物を含む)を得ようとしてアメリカに提案したもののようだ.
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指導者は混乱すると,政策の方向を決定する代わりに世論のムードに訴えようとする傾向がある.
何かをやっていると見られたい願望に駆られて,ブリアンはアメリカの参戦10周年の機会を利用して,1927年6月に,仏米両国政府が両国の間では互いに戦争を放棄し両国のすべての紛争を平和的手段で解決することに合意するという条約案をアメリカ政府に提案したのであてた.
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―――ヘンリー・キッシンジャー著『外交』上巻(日本経済新聞社,1996.6),394ページ
※この場合のアメリカ参戦はWW1への参戦のこと.
これに対して,当時のアメリカ国務長官ケロッグは,回答に迷ったが,この条約案が実際上の効果は無い事を確認した上で,選挙対策としてこの「平和のための案」に批准することを決めた.
そして,ケロッグはこの案に出来るだけ多くの国を参加させようと働きかけ,理念的に「国家の政策手段としての戦争放棄」をうたい,1928年8月12日,50カ国の参加を得て「ケロッグ=ブリアン不戦条約」(パリ不戦条約)に署名した.
しかしながら,パリ不戦条約が署名されるとすぐに,各国の政治家達は考えを変え始めた.
すなわち,以下のような条項を盛り込むことによって「骨抜き」にしたのであった.
・自衛のための戦争と国際連盟規約
・ロカルノ条約,及びフランスの同盟から生じる義務を履行するための戦争
この二点を合法化したことにより,この条約はいかようにも受け取れる条約となり,結局「元に戻る」となってしまったわけだ.
この上さらにイギリスが「自国を防衛するための自由」,アメリカが「モンロー主義と自衛のための権利」を主張し,しかもアメリカはいろんな抜け道を作った上で,すべての強制行為参加を拒否した.(国際連盟に参加しなかったからね)
んで,ケロッグは数ヵ月後にこんなことを言い出した.
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上院外交委員会での証言でケロッグは,アメリカは不戦条約上,侵略行為の被害国を助ける義務を負っているわけではない,
なぜならばそうした侵略行為があること自体,すでに不戦条約が破棄されていることを示すものだからであると言う途方もない理論を示した.
「もし他の国がこの条約を破ったとしたら,なぜ我々はこの条約に参加していなければならないのか」
と,モンタナ選出のウォルシュ上院議員が質問したのに対し
「そうしなければならない理由は少しもない」
と国務長官は回答したのである.
ケロッグはこの条約を,
「パリ不戦条約は平和が保たれている限りにおいて平和を保つであろう」
という同語反復に変えてしまったのであった.
戦争がこれから始まろうとしている状況を除いたあらゆる状況下で,禁止されたということである.
それゆえ,D・W・ブローガンがケロッグ・ブリアン条約について次のように述べたのも不思議ではなかった.
「かつて第十八修正条項によって飲酒という悪を根絶したアメリカは,今度は,誓約をすることによって戦争を根絶しようと世界の各国に呼びかけたのである.
世界の国々は,あえて信じも疑いもせず,それに従ったのである」
-----------------------------------------------------------------
同395ページ
で,この条約によって,フランスはかつての同盟国から軍縮の圧力を掛けられることになっちまった.
しかもラインラント占領が早期終了される結果となって,マジでブリアン涙目と言う感じ.
にしても・・・・
アメリカは不戦条約上,侵略行為の被害国を助ける義務を負っているわけではない,
なぜならばそうした侵略行為があること自体,すでに不戦条約が破棄されていることを示すものだからである
.
……なんか,日本のサヨクみたいな言い分だなコリャ.
まぁ,これへの反省が戦後アメリカが欧州やアジアの安全保障への参加を誘発したと思えば,かなり興味深いが.
ケロッグ=ブリアンとは,確かに「不戦条約」ではあったが,上のように各国によって骨抜きにされてしまった.
でも,この不戦条約は,いろんな場面で各国への批判材料となったことも事実である.
この意味でWW1以前よりも戦争に対する認識が変化したのは間違いない.
これを
「強制力なきゆえの欠陥条約に過ぎない」
と判断するか,
「世界各国が不戦という理念を持った転換点」
と見るかは,各人の判断に委ねることにする.
漏れ的には両方の意味合いがあって,結局は「自国に有利なような条約」であっても相手が利用できる条約という,正当性や大義名分などを変化させる物であったと思う.
ますたーあじあ in mixi, 2008年01月05日19:09
【質問】
「昭和四年,ソ連は満州に侵攻したが,これが,ケロッグ・ブリアン協定を破った最初の侵攻戦争」である.英米仏伊は,ソ連に不戦条約義務違反を注意したが,当然ながら,ソ連自身はこれを「侵攻戦争」でなく「自衛戦争」とし,制裁を受けなかった」
と書いてあったのですが,これは事実でしょうか?
【回答】
1929年の中ソ紛争なら,
「ソ中両国に警告を与える」
というオチで不戦条約参加55カ国中38ヶ国が賛同.
この時は,経緯もあってソヴィエトに好意的な解釈を行った国のほうが多いかな.
イギリスは,ソ連が国際連盟加盟国で無いことを理由に,取り上げるのを拒否してるし.
ちなみに,この中ソ紛争が「ケロッグ・ブリアン協定を破った最初の侵攻戦争」でなかった場合,満州事変が最初になってしまうので,ことさら取り上げられることが多い.
◆◆◆軍縮会議以降
【小林主体思想】(別名:マルチ・スタンダード)
1921(大正10)年,アメリカ大統領ハーディングの提唱で,「ワシントン会議」が開かれた.
「国際協調」で「平和の永続を図る」という美しき目的の会議である.
ところがこれが例の
「一見,理想的で,実はアメリカだけの利益になることを他国に押し付ける」
というお家芸,そのものだった.
日本外交の柱だった日英同盟は,「国際協調にそぐわない」と廃棄させられた.
海軍軍縮条約で,戦わずして戦艦を沈められた.
(小林よしのり「戦争論」3,p.215)
【ツッコミ】
軍縮条約を結ばずに八・八艦隊なんてやってたら,戦争する前に国が滅ぶ.
八八艦隊を揃えたら,台湾の要塞化どころか陸軍の維持すら出来ない.
何せ艦隊維持整備費で,国庫の四割を食ってしまうんだ.
旧ソ連みたいに財政破綻するか,三〇年代中盤でヤケクソになって戦争始めるか・・・
それに小林は,米英も戦艦廃棄してるのを知らないんだろうか? それとも,日本だけが艦艇を
削減されて6割になったと思ってたんだろうか?
知っててなおもそう書いたにしても,知らなかったにしても,彼にこの問題を語る資格は無いよね.
日本が沈めたのは未完成艦と日露でゲットした前ド級艦.
あと,謎の不揃い口径長12インチ砲搭載艦.
いわばリストラ艦.
まだまだ使える超ド級戦艦/巡戦を沈めた大英帝国や,保有枠満たす為に火力不足の12インチ砲搭載艦を残さざるを得なかったアメの方がよっぽど痛い.
もし,このとき日本が戦艦「陸奥」を捨てていれば,コロラド級2隻とネルソン級2隻をさらに葬れただろう.まあ,結果論だが.
ちなみに,日本に6割を呑ませる取引材料として,陸奥存続について早々に了承したのがイギリス.
それとも「土佐」「天城(地震が無ければ加賀)」を沈められたのを,小林はそんなに恨んでいるのか?
八八艦隊の維持費だけで国庫の4〜5割が吹っ飛び,アメリカが,議会さえ黙らせれば財政的にダニエル計画艦隊がもう1セット揃えられる事を知らないんだろうか?
普通に考えたら,戦間期の軍縮ではアメリカが一番損をするんだよ.
アメリカが本気を出して建艦競走を始めたら,日英合わせてもアメリカの工業力に太刀打ちできなかったからね.
なのにわざわざ,自分で自分の手足を縛ろうとするわけだからね.
よしりんは「当時の価値と現代の価値は違う」と言う癖に,当時の状況をまったく考えない.
ちなみに件の条約を結んだ加藤友三郎海軍大将は,こんなことを言ってたワケだ.
「アメリカと互角の軍備を整えても,実際に戦争するには金が要る.
そんな金貸してくれるのは,世界一の金持ちのアメリカしかない.
しかし,帝国海軍が戦争する相手は,現実的にアメリカしかない.
アメリカから金借りてアメリカと戦争するなんて,んなアホな.
軍備は国力相当にして,その国力を貯えることが重要」
ってね.慧眼.
小林信者は,小遣い帳を付けるところから人生勉強をやり直してくれ.
【質問】
なんで日英同盟って廃れたんですか?
般教の韓国人講師がニクソンショックやベトナム撤退を例にしながら,
「アメリカは過去,重要な政策変更について,日本に相談すらせずに勝手に決めた.
現在は良好な関係だが,いつ切られるか分からない.かつての日英同盟のように・・」
と繰り返し述べます.
ちなみこの講師,毒電波ってほどではないんですが,自主国防@ウリ党マンセーの人です.まぁ,善人には違いないんですが・・・・
検索したところでは,ワシントン会議でアメリカが,日英両国の海軍力を合わせればアメリカを大きく凌駕するのを恐れ,日英関係に楔を打ち込むために四カ国条約を提起した……ってまでは分かりましたが,なぜ英がそれを飲んだか分かりません.
イギリスは日英同盟を結んだのは,極東政策における必要性があったからでしょ?
【回答】
・もともと対露のための同盟だったこともあり,日露戦争後は重要性が低下
・WW1以後のアジア地域における日本の勢力拡大に対するイギリスの警戒
・WW1でヨーロッパへの支援戦力派遣を当初日本が渋ったこと等による心証悪化
・四カ国同盟へ発展的解消
などなど.理由はひとつではない.
WW1でイギリスは日本に欧州への戦力派遣を要請したが,当初は日本陸海軍とも理由をつけて断った.
たしかに最後には結局水雷戦隊を派遣したわけだし,日英同盟は極東が対象の条約であったから,義務付けられた出撃というわけでもなかった.
また,当時の日本軍の実力や規模の面から見ても,欧州への大軍派遣は難しかったというのもある.
だが,その間にも日本は極東における自国権益の拡大を着々と続けていたため,結果的に当時のイギリス世論が日本に対する不信や不満を抱いたのは当然のこと.
一方で,当時は英国とは同盟関係になかったアメリカが,陸軍200万を欧州に派遣している.
で,後の東アジアにおける日米対立に関し,イギリスがどういう態度を取ったかは承知の通り.
結局,英国としては対日関係と対米関係をはかりにかけ,米国との関係を重視した,と言える.
もちろん,そればかりが理由というわけではないけれど.時流が変われば利益相手も変わるしね.
http://www.bk.dfma.or.jp/~senshi/00-05.htm
参照.
【質問】
こちらの記事
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091118/plc0911180237003-n1.htm
のこの部分,
>第1次大戦後の覇権国家米国はもう1つの覇権国家日本の弱体化を目論(もくろ)み,
>そのために日英同盟を廃棄に追い込むほかなしとして日英に迫ってこれに成功したのである.
米国がどのような工作?をして日英同盟を廃棄させたのか,具体的に御存じの方は教えて下さい.
島の人 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」,2009年11月18日
14:23
青文字:加筆改修部分
【回答】
日英同盟妨害を企図したアメリカの行動といえば,「ワシントン会議」ということになるのではないかと考えられます.
東アジア,太平洋地域に利害関係を持つ各国を引っ張り出して,日本を抑え込むのが目的の会議ですね.
日本の台頭により現出された東アジア,西太平洋地域の自国権益に対する安全保障上の懸念,東西の両大洋を強海軍国同士の同盟に挟まれているプレッシャーが,アメリカを駆り立てたんでしょうねえ.
余談ながら日英同盟は,国際連盟規約への抵触問題やら,英連邦内でも,日本を大きな脅威と感じていたオーストラリア,アメリカとの関係も重要なカナダ等の面々による継続反対やらもあって,継続への障害はそもそも多々あったようではあります.
音木南樹 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」,2009年11月18日
15:29
青文字:加筆改修部分
【質問】
日英同盟解消は,どちら側に原因があったのでしょうか?
【回答】
まず日本側の問題としては,第一次大戦で同盟を理由に参戦した割には,欧州には大した戦力を送らず,そのくせ大陸での利権を掻っ攫おうとした態度が英国の世論を大きく刺激した.
大規模派兵が兵站能力から不可能だったのは言うまでもないが,世論とは得てして感情的なもの.
また,当時外務次官で日本の外交を一手に担っていた幣原喜重郎が,旧来の同盟による勢力均衡という習慣を断ち切り,国際協調によって平和を保とうという理想を持って外交を進めたのもある.
一方,イギリス側では,連邦内ではオストラリア,ニュージーランドが同盟継続.※
南アフリカは中立だがウィルソン主義に賛同.
カナダが強行に同盟継続反対.
政府内としてはカーゾン外相,チャーチル植民地相,連盟担当のバルフォア枢密院議長,チェンバレン国爾尚書,陸海軍大臣,参謀総長まで,全て同盟継続派だった.
なお,岡崎久彦によれば,日本の意思が同盟継続ならば,イギリスも同盟解消に積極的に動くことはなかっただろうという.
▼ 以下引用.
――――――
「もし幣原喜重郎という当時の日本として稀(まれ)な外交官がイニシアチブを取って代案を作ってこれを破棄していなければ,英国はとうてい自分からは破棄を言い出せなかった」
http://www.okazaki-inst.jp/061202-tokyo.html
――――――
――――――
ワシントン・・・会議開催<(1921〜22年)>当時,<外務次官を経て>駐米大使であった幣原喜重郎<(1872〜1951年)>は,全権としてこの「ワシントン体制」の構築に深く関与しました.
・・・イギリスは当初,日英同盟の内容を実質的には変更せずに,アメリカを加えた「日英米三国協商」を提唱しましたが,これに対して幣原は,イギリス提案から軍事色を取り払い,何か問題が起きた際には関係国間で互いに協議するという試案を英米両国に提示しました.
この「幣原試案」をもとに日本・イギリス・アメリカ・フランスの4カ国で協議が進められ,1921年 12月13日に4カ国代表が本条約に調印,日英同盟はこれに吸収される形で解消されました.
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shidehara/01.html
――――――
▲
※ 要出典
軍事板,2005/05/24(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
どういう状況を作れば,日英同盟が継続できたでしょうか?
【回答】
英国にとっても同盟に価値があるという状況を作り出すことかと思います.
英国にとって日英同盟は,英国の東アジア権益に対するロシアの脅威に対抗するためのモノでしたので,日露戦争終結後,独の台頭も手伝って英がロシアと仲良くなり,この脅威がなくなると基本的に必要ないのです.
日露が終わってしばらくすると不要論が出始めてきます.
しかしながら,日本がこれを理解せず,列強の東アジア権益を露骨に狙ってしまったり,植民地の独立派を助けてしまったり,米を仮想敵国として海軍増強を行い続けた(英国としては米との戦争に巻き込まれたくないです)結果,新たな脅威として目をつけられてしまいました.
第一次大戦が勃発して英国が同盟に価値を見出したのですが,ここで日本が行った協力を,英国は同盟国として不十分と考え,むしろ権益への脅威とする見方が強くなっちゃったんです.
平間さんの日英同盟の本とか,日英交流史の三巻あたりが参考になると思います.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
第二次大戦までの,日本の対英感情,英国の対日感情はどんなものだったのか?
【回答】
日本⇒英国:尊敬の対象であり,模範.
英国⇒日本:まあ友好的.日本を教えたことを誇りにする地域も.
言うまでもなく,この関係は戦争で台無しに.
以下引用.
日本協会が創立された1891年には,日本に関心を持つイギリス人はごく少なかった.奇特な学者や外交官だけが日本に関心を持っていた程度で,普通の人は日本の存在さえも知らなかった.
この奇特な学者や外交官達が日本協会を作り,民間の日英交流が始まったのだが,20世紀の初めに,日英同盟が締結され,親交の時代が20年足らず続き,それから第二次大戦に入って,日英は敵と味方に分かれてしまった.
日本の戦争捕虜になったイギリス人の中には,今もって強い反日感情を持っている人も多い.
この戦争の時期を除いて日本人は,概してイギリス人から快く,友好的に受け入れられてきたと思う.
日本人に造船技術を教えたことを誇りにしているグラスゴーでは,戦争中でさえも,日本とのつながりを断たないといって,日本とグラスゴーの友好協会を残しておいた.
この時期,日本人はイギリス人を尊敬し,先生と敬い,日本は東洋のイギリスになりたい,あるいは東洋のイギリスであると称していた.
マークス寿子著「大人の国イギリスと子どもの国日本」
(草思社,1992/7/20),p.237
一方,グラスゴーのような例まである国とは対照的に,「我が闘争」でアジア人を劣等民族呼ばわりしているような国と,日本は同盟を結んだのだから,どう考えたって選択ミスとしか思えない.
【質問】
第二次大戦まで日英同盟が存続していた場合,日本も英にならい,ドイツに宣戦布告してたのでしょうか?
それともソ連を警戒して見合わせていた?
【回答】
何ともいえない.
一言で日英同盟といっても2回改定されているので,もし同盟が存続していたとしても,1939年の時点での内容を決めない事にはわからない.
仮に第二〜三次同盟を前例とするならば,英国の宣戦と同時に日本も宣戦する事になる.
第一次日英同盟の参戦義務は,
・1国と戦闘状態になったときは同盟国は中立を守り,その他の国の参戦を防ぐよう取り計らう
・2国以上と戦闘状態になったときは同盟国も参戦する
前者にしたがって,日露戦争でイギリスはロシアに対して中立を守った.
(ただし日本への援助ならびにロシアへの嫌がらせを頻繁に行っていた事は事実)
ロシアの衛星国も日本に宣戦していたから後者の項目が発動してもいいんだけど,それは大人の事情で無視された.
この状態で公式な宣戦布告の理由にするには,ドッガーバンク事件のごとき出来事が起きて,かつ,参戦するだけのメリットと必要性がないと無理だろう.
その仮定でイタリアが宣戦すると,イギリスは独伊2国と戦闘状態に入るので,日本は自動的に独伊へ宣戦布告することとなる.
ただし,やっぱり最終的には同盟の締結内容によるだろう.
交戦可能な相手国の除外規定として,第三次同盟ではアメリカが指定されていたので,それと同じようにドイツが指定されてたりしたらどうにもこうにも.
軍事板
【小林主体思想】(別名:マルチ・スタンダード)
ワシントン会議で,当時の額で1億5千万円の巨費を投じて開発していた山東地域は,中国に返還させられた.
アメリカはこれで,大いに中国に恩を売った.
一方,日本が手に入れたものは,「国際協調」という約束だけだった.
いくら美しい目的を掲げても,行われた事は外交テーブル上の戦争で,結果はアメリカの一人勝ちだった.
(小林よしのり「戦争論」3,p.216)
【ツッコミ】
身の程をわきまえずに大戦中,火事場泥棒的に「対華21箇条要求」なんて横暴な事をした懲罰だよ.
みんなで仲良く切り分けていたパイに砂かけてどうすんだよ?
あらかじめイギリスかアメリカと示し合わせてからやりゃいいのに,抜け駆けするから・・・
カイザー・ヴィルヘイムより外交感覚が無いよ.
そもそも,日本政府が山東利権をいかに確保する気だったかを無視して「返還しただろうが」と言われても
…….
ワシントン会議直前の日本の閣議決定の方針は
1.最低限,無条件返還はなし
2.できれば山東鉄道は合弁経営
3.鉱山資源は中国に独占させない
だった.
んで,鉄道経営に関しては,途中で
「中国の長期借款(しかも鉄道経営者は日本人)という形式で当分確保」
に変わる.
交渉は最終的に中国全権団の分からず屋ぶりにウンザリした米英全権団の好感と努力に助けられ,上記の目的を達成(無条件返還なし,鉄道は中国への長期貸付(運営陣日本人参加),鉱山は日中合弁)
無条件返還にこだわっていた中国に比べて明らかに成功しているわけだが.
それから,条約に基づいて,米英が西太平洋の軍港を要塞化するのを放棄した事は無視ですか?
イギリスが戦艦8巡洋戦艦8を基幹とする太平洋艦隊配備計画を諦めたのは無視ですか? おかげで太平洋戦争開戦時に日本軍は楽勝で香港・シンガポールとグアムを陥落できたのですが.
【質問】
アメリカはハワイ,イギリスはシンガポールという重要拠点を要塞化制限から巧妙に外しましたが何か?
日本は台湾すら要塞化できなくなりましたが何か?
【回答】
>シンガポール
艦隊無き軍港がそんなに脅威か?
>ハワイ
ハワイが無ければ,米海軍の太平洋での活動なんてほとんどできないじゃん.
貧乏国相手に,何でそこまで妥協してやらなきゃいけないんだか.
一方で,アメリカはフィリピンを防衛する手段を失ってるし.
フィリピンの問題といい,軍縮によって日本の財政破滅が逃れられたことといい,日本はワシントン条約のおかげで太平洋戦争が出来たようなもん.
こんなこというと,
「それはすべて,アメリカが日本と戦争するために仕組んだことだ」
なんてことを言いだすく奴が現われそうだが,それは完全な妄想なんでその辺よろしく.
>台湾要塞化
日本は(条約批准しようがしまいが)一枚看板の艦隊を使って,太平洋のど真ん中で一撃必殺の迎撃型艦隊決戦をするつもりだったでしょ.
台湾まで防衛戦が下がる状況じゃ,既に艦隊は澪付く屍になってて史実通り「負け」じゃん.
後方で予備艦を再編成する余裕のある米英と違って,意味無いと思うなぁ.
【小林主体思想】(別名:マルチ・スタンダード)
この会議〔ワシントン会議〕では中国政策として「9ヶ国条約」が結ばれた.
中華民国を含む9国が一致協力し,将来,中国の政情が安定すれば各国は不平等条約を解消,既得権を放棄するという実に理想主義的な条約だった.
地理的に,欧米諸国とは比べものにならないほど満州などの問題が重要な日本にとって,他の国との「一致協力」には不利な点が多く,維新も傷つくことになった.
それでも日本は「国際協調」に賭けたのである.
戦争が起きないように欧米と足並みを揃え,中国の政情が安定することに賭けた.
ところがまずこの「9ヶ国条約」を破ってきたのは他ならぬ中国だった!
中国は政情の安定どころではなく,いまだに各軍閥が内戦を続けている段階で,世界各国の租界でテロを起こし,略奪を繰り返してきた.
こんな場合は他の国が一致協力して対応するという約束だった.
ところがアメリカは,自分が提案したルールを勝手に破り,他の国と違って中国に好意的だという態度を示し,抜け駆けで利権を得ようと画策した.
もちろんそれは,アメリカが中国に租界を持っていなくて,他の国のようにテロの被害に遭っていないから言えたことだが…
例によって彼らは,自分たちが一番,中国に良心的に対応していると思い込んでいた.
中国人は,アメリカの譲歩はテロの容認だと受け取り,さらにテロを激化させた.
言っておくが,この軍閥によるテロは,民族自決のための抵抗のテロではない.
彼らの目標は天下のみ!
彼らは中国民衆から略奪していたから,租界に中国人が流入していたのだ.
そして結局は,各国が独自に行動するようになり,「9ヶ国条約」は全く無意味になった.
そんな中,日本は極めて忠実にこの条約を守っていたと,当時の駐支各国外交官全員が認めていた.
(小林よしのり「戦争論」3,p.216-217)
【ツッコミ】
最近の戦間期の研究だと,九ヶ国条約の内容は日英も一応は考えていた(時期は不明確なのがミソ)
「将来的な既得権排除」
をただ確認しただけで,それは結局何の争点にもなっていなかったし,
焦点である現状の日英の既得権益は,アメリカの全権団がバランスとって承認したのが確認されてる.
他のワシントン会議の個別案件としての山東,21ヶ条,シベリア,海軍軍備,
いずれにおいても日本はむしろボロ儲けなんて見方をしてる.
というか「9ヶ国条約が条文通り遵守されていれば」自体,上述のように実際には色々日英米でお約束があったわけで,それが「日本に不利」云々とは無縁.
ついでに言えば,中ソという潜在的地域大国を参加させていない,かつ同床異夢のワシントン体制に,そもそも欠陥があったとも言える.
中国での特権放棄をアメリカが率先したのは事実だが,ケロッグやらスティムソンやらのアメリカの機会均等・門戸開放支持者の意図には,利権と同時にアメリカ外交お定まりの
「道徳的にアメリカが勝るべき」
という面が強い.連中はむしろワシントン体制の中に民国政府を組み込むことを重視していた.
そして,果して状況に適応していなかった「9ヶ国条約を忠実に守った」ことは評価されるべきなのか?
上海で自作自演の邦人殺害をやり,租界で戦闘,挙げ句陸軍を投入し,租界への爆撃までやってのけた日本のどこが,
「国際強調を重視し,もっとも忠実にこの条約を守った」
と言えるのか?
どこの,なんて名前の外交官がそんな妄言吐いたのか,具体的に言ってみれ.
個人的には,
・ワシントン体制を見直して地域秩序の再編ををきちんとやらなかった日英米
・革命外交なんて調子付いてた民国政府,
・横でかき回したソ連,
どいつもこいつも問題ありとしか思えないけどね.
上海事変
【質問】
ロンドン条約が「統帥権干犯(とうすいけんかんぱん)」問題を引き起こすことになったのは何故か?
【回答】
山田朗によれば,野党による,手段を選ばぬ倒閣戦術として利用されたため.
ことは,条約調印直後,野党,政友会(犬養毅総裁)が議会で,この条約を調印したことは「統帥権干犯」ではないか,と政府を追及したことに始まる.
天皇の統帥権を補佐するのは,海軍の場合,海軍軍令部長(当時,加藤寛治)であるので,その軍令部長が反対する条約を政府・海相が無理矢理結んだのは,天皇の統帥権を犯すものだ,という論理である.
「統帥権干犯」というインパクトのあるスローガンを作ったのは,「国家改造」運動の黒幕・北一輝であるとも言われている.
その「統帥権干犯」を,政友会が利用したのである.
だが浜口雄幸内閣は,協調外交(篠原外交)・財政緊縮(井上財政)路線を堅持するためには,軍縮実現は譲れなかった.
憲法学者・美濃部達吉の学説を拠り所にして「干犯論」に対決,条約批准審査を行う枢密院への工作にも成功し,なんとか10月2日に条約批准へと持ち込んだ.
それでも,ロンドン条約を巡る紛糾は,財部海相失脚と条約派軍人の没落を招いただけではなく,11月14日には浜口首相狙撃事件を引き起こし,軍部・右翼による政党政治否定の「国家改造」運動を高揚させるきっかけとなるなど,以後の政治との関わりでは,極めて深刻な後遺症を残した.
(山田朗「軍備拡張の近代史」,吉川弘文館,1997/6/1,p.122-124,抜粋要約)
この統帥権は,ドイツ法の影響と,帷幄権限(軍事に関する事項を閣議に通さず天皇に上奏できる権限)
から生まれた慣習的な考え方で,当時でも
a)統帥権自体を認めない説
b)統帥権という概念は認めてもその政府からの独立を否定する説
c)統帥権の独立を肯定するものも統帥権の独立とは,もっぱら作戦行動についての独立であって,個別の作戦行動を離れた予算や人事に関しては統帥権の問題とはならないと考える説
d)軍の編成については帷幄機関にも発言権があってしかるべきだとする説
などがあり,c)説が通説で,軍令部や政友会の主張のd)説は少数の異端説.
というのも,犬養らの主張は,明治憲法の
第11条『天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス(統帥大権)』
と,
第12条『天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム(編制大権)』
との混同で,統帥大権と編成大権は別々の大権.各々の大権が別の大権を犯すと言うのは明らかにおかしな話.
仮にそれが正しいとしたら
第十五条は『天皇ハ爵位勲章……ヲ授与ス』
とあるので,恩賞権は独立して総理大臣が関与できない事になってしまう.
なお,犬養自身は軍縮条約に賛成だったが,政権奪取のため,あえて持論を押さえた.
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