【質問】 歴史上有名な女騎士は,ジャンヌダルク以外にも誰かいますかね?
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※青文字:加筆改修部分
(ただし,「である」「です」調の統一のため等の補正を除く)
※既に分類され,移動された項目を除く.
世界史なんでも質問スレッド 61
目次
【質問】 ローマ帝国初期の皇帝たちは,どうして元老院を廃せず,元首制という形をとったの?
【質問】 モンゴル帝国に支配されるまでのキルギス人の歴史を教えてください.
【質問】 上述のキルギスは,現在のキルギス共和国に連なるものなのですか?
【質問】 この辺の中央アジアの歴史を解説した本ってある?
【質問】 スレイマンのコンスタンティノープル攻めで,艦隊を山登りさせて金角湾内に投入させることが,なぜ勝利の大きな要因になったのですか?
【質問】 もし仮に印パが再び戦争になった場合,条約等によりなし崩し的に各国が参戦していく事もありうるのでしょうか?
【質問】 パキスタンがインドにかなり追い詰められ,亡国の危機にでも瀕さない限り,核戦争は起こりえないということでしょうか?
【質問】 ヴォルムス条約でドイツ皇帝は,どういう権利を保ってどういう権利を放棄したの?
【質問】 ロシア人のミドル・ネームである「父称」とは,親の名前?
【質問】
破門十字軍って何だ?
最初聞いて,少し笑ったんだが(笑)
【回答】
その名のとおり,破門された十字軍だ.
率いたフリードリヒ2世が,イスラーム側と交渉和解で決着したもんだから,超絶タカ派教皇のグレゴリウスえーと8?9?世がブチキレて破門した.
フリードリヒIIの交渉の結果,西欧からエルサレムまでフリーパスで巡礼できるようになったにも関わらずだ.
現実的妥協案と狂信的理想主義が対立したお話.
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【質問】
ローマ帝国の属州とか,どうやって治めてたの?
【回答】
属州総督には,基本的に執政官経験者や法務官経験者の元老院議員が就任.
帝政期の皇帝属州は軍事的要地でもあり,騎士階級でも総督に任命された.
属州の司法・軍事・課税及び財政運営に関して,総督は強力な指揮権(インペリウム)を有した.
側近として財務官やコミテス,私的な長官や官人,クリエンテスの集団を従えていた.
各属州が一つの国家に匹敵する規模であるため,災害などの危急時を除き地方行政のいちいちに介入はせず,地方自治体の上に立って統轄するという感じであった.
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【質問】
ローマ帝国初期の皇帝たちはどうして元老院を廃せず元首制という形をとったの?
暗殺を恐れたとか民主制の伝統を重んじたらしいですが,皇帝になった人物にはそれを抑えられるだけの武力があったんじゃないのでしょうか?
誰も敵わないくらいの武力を持ちながら,「今日から俺が皇帝!」ではなぜいけなかったのでしょうか?
【回答】
「誰も敵わないくらいの武力を持ちながら」などということはない.
皇帝になったから,軍隊を動かす権限を元老院から与えられただけのこと.
そして軍隊は,ローマ帝国にとっての大義名分が無ければ動かせません.
皇帝の私利私欲で動く私兵ではありません.
帝政初期に限れば皇帝は,元老院を支持を得て皇帝に任命され,元老院から様々な権限を与えられ,元老院で採択された案件にしか,軍隊を動かすことができないのです.
そんな皇帝が自分の権限の根幹である元老院を,どうして廃することができましょうか.
元老院は数百年の共和制を支えた伝統で,ローマ市民の支持を得ているのです.
昨日今日に皇帝になった人間の命令など,元老院の権威で裏打ちされない限りは何の意味も有りません.
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【質問】
キルギスはウイグルを滅ぼした後,ウイグルがいた地域を支配していたけど,遼が勢力を広げてきたので上の方に逃げて,遼の支配下にはならなかったけど,後にモンゴル帝国の支配下になる,てことで合ってますか?
【回答】
キルギス人の勢力は9世紀,東,南方向に向かって拡張し,
キルギス人はモンゴル高原のウイグル・カガン国を倒して,
キルギス・カガン国を創建.
キルギス・カガン国が存在した約100年は,
キルギス史上の繁栄時代で,
キルギス人はゴビ砂漠以北に雄を称え,国強く兵は壮んで,人口は百万を超えた.
10世紀初め,内モンゴル東部に契丹(遼朝)が興り,
キルギス人に取って代わってゴビ砂漠以北の高原をも支配.
強盛を誇ったキルギス人もここに嘗て,契丹の隷属民と変わり果てた.
キルギス人は10世紀後半頃から次第に東,西両グループに分かれ始めた.
キルギス人東方グループが主力で,イェニセイ川上流の森林地帯に拠って牧畜兼狩猟の生活を送っていた.
キルギス人西方グループは若干の西遷した人々で,彼らはアルタイ山と天山の一帯に遊牧していた.
12世紀20年代,遼朝の王族耶律大石が,王朝の滅亡に際して中央アジアへ逃れ,1132年,
カラハン朝を滅ぼして,チュー河畔のベラサグンを都として,
カラ=キタイ(西遼)朝を開いた.
カラ=キタイ朝は80余年と短命であったが,
キルギス人にとっては苦難の時代となった.
カラ=キタイの軍は
キルギス人の牧地を占領し,
キルギス人の家畜・財産を掠奪して,彼らに流浪を余儀無くさせた.
モンゴル族が台頭すると,1218年チンギス・カンは
キルギス人を征服し,
キルギス人西方グループ地区はモンゴル西征の基地となった.
キルギス人に対し,元朝もまた強力な支配権をふるったが,
キルギス人西遷の動きも,この頃から顕著となる.
これを要約してみると,以下のようになる.
9世紀 キルギスがウイグルを滅ぼして国を作る
10世紀初頭 契丹(遼)が興り,その支配下に入る
10世紀後半 東西に分かれる
12世紀 遼が滅び,西遼が建国されるが,キルギス人は西遼軍に略奪され,流浪する
1218年 モンゴルに征服される,その後,元に支配されるが,このころから西遷の動きも顕著となる.
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【質問】
上述のキルギスは,現在のキルギス共和国に連なるものなのですか?
キルギスというとロシア革命でできて,ソ連解体で独立するまで国家の持ったことの無い民族だと思っていた.
そうするとタジク,トルクメンも過去に独自の国家を作った歴史があるの?
【回答】
先に説明したキルギスが,現在のキルギス共和国の元になってる.
タジクはサーマーン朝,トルクメンは現在のモンゴル,そして南シベリア,バイカル湖畔に中世初期に住んでいた遊牧・牧畜民族のオグズ同盟と,セルジュク朝を形成している.
(オグズ同盟はかなりの勢力圏を形成していた)
キルギスについてだが,16世紀頃からアルタイ地方のイェニセイ川上流域で暮らしていたキルギス人は,やがて天山山脈の麓である,現在のキルギス共和国の周辺への移動し,この地に住むようになった.
移住した一部のキルギス人は,その後ウズベク人のホーカンド・ハーン国の支配下に入ったが,1864年からはロシア帝国に服属.
キルギスタンは18世紀後半から19世紀前半にかけてコーカンド・ハン国の支配下にあったが,1855〜76年にロシア帝国に併合され,北部はセミレチエ州,南部はフェルガナ州の一部となる.
1916年の反乱の際,北部ではキルギス人とロシア人農民の大規模な衝突が起き,ロシア革命後にトルキスタン自治共和国の一部となったが,1924年にロシア連邦共和国の一部としてカラ・キルギス自治州自治州が成立し ,1925年にキルギス自治州と改称).
1926年にキルギス・ソビエト社会主義自治共和国
1936年にソ連邦を構成する共和国に昇格.
1990年12月にキルギススタン共和国に改名して主権を宣言し
1991年8月にソ連からの独立を宣言し
1993年5月にキルギス共和国に改称,現在に至る.
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【質問】
この辺の中央アジアの歴史を解説した本ってある?
【回答】
『文明の十字路=中央アジアの歴史』 岩村忍/講談社学術文庫
『世界の歴史5 西域とイスラーム』岩村忍/中央公論社
『北アジア遊牧民族史研究』山田信夫/東京大学出版会
『世界の歴史10 西域』羽田明/河出書房新社
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【質問】
スレイマンのコンスタンティノープル攻めで,艦隊を山登りさせて金角湾内に投入させることが,勝利の大きな要因になったらしいのですが,狭い湾内に艦隊を入れても陸地側から砲撃されてしまうと思うんですが,どういう戦術だったんでしょうか?
湾内に入った艦隊は,城壁を砲撃して陽動するのが目的ですか?
それとも海側から上陸作戦をしたのでしょうか?
【回答】
コンスタンティノープルは三方を海(水地)に囲まれていて,攻めることが可能が方角は限られていると考えられていた.
特に厳重に封鎖していた方角は安全とみなし,防備の軍勢を差し向けることさえしなかった.
金角湾側の城壁の守りが甘いと突き止めたオスマン側は,金角湾側から攻め込む作戦を採択.
海側から上陸作戦を決行と同時に陸上からも同時に攻撃を加えると言う戦術.
また,ジェノヴァから救援物資を積んだ船が入港してくるので,それを阻んで海陸からの包囲を完成させるため.
いわば堀が埋まったわけだから,ビザンツ側の心理的ショックも大きいわな.
実際,金角湾から攻略されるとは夢にも思っていなかったので,ファビョったコンスタンティノープルはあっさり陥落した.
ちなみに火薬で砲弾を射出する「大砲」は,当時の最新兵器.
一応ビザンツにもあったが,小さなものだったようだ.
ハンガリー人のウルバンというおっさんが,巨大な大砲をビザンツへ売り込みに行ったが,拒絶されたのでオスマン帝国へ行った.
メフメト2世はこの「ウルバン砲」を用いて城壁を攻撃したが,どれも命中率や破壊力は大したことなかったらしい.
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【質問】
いま印パが相当不穏な状況になってるようですが,第1次大戦勃発前のバルカン半島なども,このような雰囲気だったのでしょうか?
もし仮に印パが再び戦争になった場合,条約等によりなし崩し的に各国が参戦していく事もありうるのでしょうか?
世界史の授業では,各国が条約で結ばれていたために,戦争の規模が大きくなり,世界大戦にまで発展したと聞きました.
【回答】
第1次世界大戦と現在の国際社会で大きく違うのは,”王族の血”です.
当時のヨーロッパは王族の血によるネットワークが,複雑に張り巡らされていました.
しかしインド・パキスタンではこのような要因はありませんので,印パで戦争が起きても,他の国が参戦するという事は,現在の国際情勢的には考えにくいです.
可能性としては,どちらかの国が核兵器を使用したならば,他国(というか国連主導の軍)が参戦することは考えられますが,そもそも現在の軍事的・地政的状況からは,双方の国とも核兵器を使用する可能性はまずないでしょう.
通常戦力で圧倒的に勝っているインドは,亡国のリスクを負ってまで核兵器を使う必要は無いですし,国土が狭く逃げ場の無いパキスタンが,報復覚悟でインドに核攻撃をするという戦略もナンセンスです.
結論から言えば,現状でもたびたび発生している小競り合いに,国際社会が特に調停など積極的な活動をしていないことからも分かる通り,ユーラシアの局地紛争と見なされる,と考えるのが妥当でしょうね.
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【質問】
となると核戦争に発展する場合と言うのは,今の情勢から考えて将来的にも,パキスタンがインドにかなり追い詰められ,外交や経済でもかなりの圧迫を受けるなどして亡国の危機にでも瀕さない限り,起こりえないということでしょうか?
【回答】
戦争ではなく,その前段階の外交や経済ですら亡国の危機にあるならば,余計に核兵器を使用する可能性は減るでしょうね.
自国の国際的立場に非常に大きな影響(主に負の)を与えることが確実な核兵器は,それなりのリターンが期待できなければ使用する意味はありません.
戦争状況ならば領土を取れる,相手の政体を変えるなど大きなリターンがありますが,外交や経済など国家としての根幹部分がすでにボロボロな状況では,せっかく核兵器を使用しても,”自国においしい状況”に持ってこれませんからね.
最後っ屁で核兵器を使用するのは小説だけで,合理的に考えれば甚だ考えにくいです.
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【質問】
ヴォルムス条約について.
教科書「皇帝はドイツ以外での聖職叙任権を事実上,放棄した」
用語集「叙任権そのものは教皇が持つが,ドイツ領内では皇帝が教会・修道院の領地の承認権を持つ」
叙任権闘争以前は皇帝は,ドイツだけでなくドイツ以外でも聖職叙任権を持っていたんですか?
『ドイツ領内では皇帝が教会・修道院の領地の承認権を持つ』
=事実上ドイツ領内での聖職叙任権が皇帝にある,ということなんでしょうか?
私には領地の承認権を持つことが,どうして聖職叙任権を持つことになるのかよくわからないのですが・・・
【回答】
『ヴォルムス条約』とは ,”叙任権を二分し皇帝には世俗的支配権を笏によって授封する権利を,教皇には指輪授与による司教職の叙任権を認める”って事.
当時のヨーロッパ各地の司教領は,歴代皇帝の手厚い保護により潤っていた.
特にドイツの司教領は,伯爵領並の大きな権限を有して,”おいしい”地位となっている.
そこに諸侯が目をつけ,司教などの高位聖職者は諸侯の次男,三男などで独占されるようになる.
皇帝の目が届かないところでは,ローマ教皇庁をはじめ高位聖職者が聖職売買,聖職者妻帯など乱脈のかぎりを尽くしていた.
聖職者が○○伯とかの地位についていたから,ローマ皇帝がローマ帝国内の領地の承認権を認める為に,聖職叙任権を持っていたがヴォルムス条約で,ローマ皇帝の権利は○○伯などの地位を与える権利だけにに制限するよって事.
つまり帝国領内に於いては,教皇が司祭など宗教的な地位を与え,皇帝は○○伯などの世俗的な地位を与えると言う状態.
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【質問】
ロシア人のミドル・ネームである「父称」とは,親の名前?
【回答】
ロシア人の名前の真ん中の部分,父称とかいうから親の名前と誤解されているけれど,本来は家称というか家長称とかいうべきもの.
扶養・相続や,社会的地位の身元保証とかそういう面が重要で,必ずしも,血縁的な親ではない.
たとえばプーシキンの先祖で,駐土公館の小姓から貴族にとりたてられた,スーダン生まれのアブラム・ペトロビッチ・ハンニバルの父称「ペトロビッチ」は,ロシア正教改宗の身元保証人となった(皇帝がパラスケワ教会に命じたんだが)ピョートル大帝からついている.
ロシア人感覚は,名+父称で完全な名前,所謂・姓の部分はオマケ.
源朝臣徳川家康とか平朝臣北条時宗の,徳川とか北条とかが父称に近い感覚のもので,部族称起源の“姓”は,やっぱり公文書くらいにしか使わない.
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【質問】
アラス条約について,教科書などを読んでも何も書いてないから教えてくれないか?
【回答】
1431年12月16日にはヘンリー6世がパリで戴冠式を挙行しましたが,それが大きな影響を与えることはありませんでした.
1432年早々,ジャンヌ=ダルクの焚刑を目の当たりに見たルーアン市民が反乱.
更にノルマンディでも反乱が続発することになりました.
これらの反乱は全て鎮圧されてしまいましたが,ブルゴーニュ公妃の死を契機として,ブルゴーニュ公との関係が冷却化してしまうことになりました.
1435年9月,法王庁が仲立ちをして,アラスにてイングランド・フランス・ブルゴーニュの全権団による話し合いが行われることになりました.
フランス側は,ギュイエンヌ・ノルマンディの支配をイングランドに認める代わりに,他地域からのイングランド軍の撤退を提案.
しかしイングランド側は,あくまで英仏両国に君臨するという主張を下げず,代わりにシャルル7世をフランス諸侯の筆頭として認めるという案を出しました.
話し合いは決裂し,イングランド全権団は席を立ちました.
9月21日,フランスとブルゴーニュは,正式に和解しました.
これがアラス条約(アラスの和約)
アラス条約により,分裂していたフランス王室は一体となり,トロワ条約は失効することになりました.
そしてこれを知ったベドフォード公は,失意の余り病に倒れ,世を去りました.
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【質問】
毛沢東は農民出?
周恩来は士大夫出だったよね?
【回答】
毛沢東は地主の子で中学教師.
士大夫の末端中の末端だが,後に作る漢詩からも分かるように,かなりの教養人.
周恩来はれっきとした士大夫階級の生まれだね.
大学出てるし,留学してるし.
ちなみに中共の幹部は,士大夫や地主の出が多いよ.
金にあかせて留学して,共産主義に染まるってのが,当時の左翼インテリの典型的なパターン.
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