◆◆◆マリネラ核武装への長い道のり Marinella nukleáris fegyvere
<◆◆『パタリロ!』
<◆魔夜○央 Maja Mineo
<目次 Index
そんな事より1よ,ちょいと聞いてくれよ.スレとあんま関係ないけどさ.
このあいだ,マリネラ行ったんです.常春の国.
そしたらなんかタマネギがめちゃくちゃいっぱいで区別つかないんです.
で,よく見たらなんか点呼がはじまってて,四億八千万とんで六百十二号,
とか言ってるんです.
もうね,アホかと.馬鹿かと.
お前らな,いくら適当な番号つけていいからってあんまり覚えづらい数字にすると
みーちゃん28歳が覚えられなくて一回きりの登場になるぞ,ボケが.
四億八千万とんで六百十二号だよ,四億八千万とんで六百十二号.
なんか親子連れとかもいるし.一家そろって潰れたピザまんのお守りか.おめでてーな.
よーしパパタマネギ少年隊に指導しちゃうぞー,とか言ってるの.もう見てらんない.
お前らな,欠番の333番やるからその席空けろと.
タマネギ部隊ってのはな,もっと殺伐としてるべきなんだよ.
メガネとメイクを落とした瞬間,いつ隊内恋愛が始まってもおかしくない,
刺すか刺されるか,そんな雰囲気がいいんじゃねーか.女子供は,すっこんでろ.
で,やっと入れたかと思ったら,隣の奴が,黒タマネギ志望,とか言ってるんです.
そこでまたぶち切れですよ.
あのな,黒タマネギなんてきょうび流行んねーんだよ.ボケが.
得意げな顔して何が,黒タマネギ志望,だ.
お前は本当に黒タマネギになりたいのかと問いたい.問い詰めたい.小1時間問い詰めたい.
お前,世界各国の大使館で掃除人やりたいだけちゃうんかと.
タマネギ通の俺から言わせてもらえば今,タマネギ通の間での最新流行はやっぱり,
44号,これだね.
「みーちゃんネタがつまるとすぐオカルトだな,ほら44号でてきた」これが通の頼み方.
44号ってのは霊感が多めに入ってる.そん代わり色恋沙汰が少なめ.これ.
で,それを超現実主義のバンコランが黙殺.これ最強.
しかしこれを頼むと次からタマネギメイクでコミカルな動きをさせにくい
という危険も伴う,諸刃の剣.
素人にはお薦め出来ない.
まあお前,1は,ラシャーヌと一緒に振られてなさいってこった.
少女漫画板,2001/10/24
"2 csatornás" Sódzso BBS, 2001/10/24
青文字:加筆改修部分
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【質問 kérdés】
「パタリロ!」において最初に核の話が出てきたのは?
【回答 válasz】
おそらく「バンコランvsバンコラン」のエピソードが初出.
パタリロ「キーンの頭に核爆弾を落っことしてやる!」
タマネギ「えっ,マリネラは核保有国だったんですか?」
パ「こないだ小学校で工作の時間に作らせたんだ」
パ「行けー!キーン=バンコランをキノコ雲に変えてしまえー!」
タ「そんな無茶な!」「第3次世界大戦を起こすつもりですか!」「B52,発進は取り消しだ!」
マリネラ産ダイヤの外国の取次ぎ場所(この時はテヘラン)が,キーン一味に爆破されたことへの報復で出てきた流れだが,これが演技だとしたら恐るべき国王10歳である.
なお,これ以前のエピソードは再チェックしてないので悪しからず.
少女漫画板,2018/06/18(月)
"2 csatornás" Sódzso BBS, 2018/06/18(hétfő)
青文字:加筆改修部分
Kék karakter: retusált vagy átalakított rész
なお,核兵器そのものが登場しないことから,
「本当は核兵器を保有しておらず,ただのブラフだったのではないか」
とする説も長年囁かれていたが,2018.7.15更新の「ヒーローのタマネギ」で超小型中性子爆弾が出てきたことから,ブラフでもないことが確定した.
少女漫画板,2018/07/15(日)
"2 csatornás" Sódzso BBS, 2018/07/15(vasárnap)
青文字:加筆改修部分
Kék karakter: retusált vagy átalakított rész
【質問 kérdés】
マリネラってバミューダトライアングルにあるんだよねえ.
カリブ海の,区域としては北中米の,合衆国の喉元の.
すぐそばのキューバに核ミサイルが「あるかもしれない」だけで第三次大戦の危機だったのに,現に持っているはずのマリネラを,どうしてつい最近まで米軍上層部は気にもしてなかったんだろう?
友好国ではあっても,軍事同盟結んでるわけでもないのに.
少女漫画板,2001/09/12
"2 csatornás" Sódzso BBS, 2001/09/12
青文字:加筆改修部分
Kék karakter: retusált vagy átalakított rész
【回答 válasz】
当方も気になったので,マリネラをして核武装可能とする条件を考察したら,以下↓のようになりました.
【質問】
アメリカはいつ,マリネラ王国に核兵器があることを探知したのか?
【回答】
マリネラの核武装問題が初めてアメリカの知るところとなったのは1979年頃とされている.
この年,CIAエージェント,アーサー・ヒューイットが,マリネラに弾道ミサイルや核ミサイル発射指示用のブラックボックスなどを目撃,直ちにラングレー(CIA本部)に報告した.
CIAにとっては,これは僥倖だった.
(当時,CIAの高官だったロバート・ゲーツ――のちのCIA長官――は,
「まぐれ当りの大ホームラン」
と評した)※1
ヒューイット情報は,彼と国王パタリロ8世との個人的なつながりによって得ることができたものであり,それまでのCIAのマリネラ王国への浸透の試みはことごとく失敗していたからだ.
マリネラ王国はカリブ海に浮かぶ小国である.
しかしダイヤモンド産業を基幹産業にしていて財力は潤沢であり,前国王ヒギンズ3世時代から強力な防諜網を有していると推測されてきた.
(表向き知られている情報部とは別に,存在すら極秘の諜報機関があり,そのトップは恐らく警察長官が兼ねているだろうと,あるNSA高官は語ってくれた)
しかし,1978年に前国王ヒギンズ3世が死去したとき,新国王パタリロ8世はまだ10歳であり,その政権基盤は
弱体だったという.
戴冠式などで暗殺未遂事件が少なくとも2度起きている.
そのため新国王は欧米協調路線を模索し,MI6に協力を求めたと考えられている.
ヒューイットがCIAエージェントの公式の肩書きのまま,マリネラに入国できたのは,そのツテのおかげだった.
時のアメリカ大統領,ジミー・カーターは大変驚愕した.
大統領の科学技術顧問だったフランク・プレスは,当時を振り返って次のように述べる.※2
「まさに最悪のタイミングだった.
その直後にイランのアメリカ大使館人質事件が起こり,議会ではSALTII批准審議が予定されていて,共和党はソ連が条約違反してもアメリカ政府は検証できないとして,これを強く批判していた.
とどめに南アフリカで核実験だ.
マリネラの核兵器保有の情報が,カーター政権のケチのつき始めのように思えた」
カーターはさっそくマリネラ大使を召還し,ことの真偽をただした.
これに対し,大使の答えは,過去のマリネラの公式の回答と同じだった.
「我が国の核開発は,平和利用に限られている.核兵器保有などありえない」
しかし,核兵器を完成させ,弾道ミサイルに搭載可能なほど小型化するには,開発開始から最低でも30年以上はかかる.
マリネラが本当に核武装しているとするならば,ヒギンズ3世の時代にはすでに開発が始まっていたはずである.
そもそもヒギンズ3世はなぜ核武装を決意したのだろうか?
※1
『ザ・スーパースパイ 歴史を変えた男たち』(アレン・ダレス著)より.
ただし邦訳版(光文社,1987.11)では原著の2/3が割愛されており,上記のエピソードは邦訳版には登場しない.
※2
『サムソン・オプション』(セイモア・ハーシュ著,文芸春秋,1992,2)より.
ロバート・ゲーツ(顔写真)
(図No. faq090313rg,こちらより引用)
【質問】
マリネラ王国はどうやって原爆情報を入手したのか?
【回答】
パーヴェル・スドプラトフ.
1907年,ウクライナ・メリトポリ生まれ.
彼はKGBエージェントであったが,ベリヤ失脚と共に逮捕され,名誉回復されたのはゴルバチョフの時代になってからだった.
スドプラトフは1944年2月,ベリヤから新たな任務を命じられる.※1
それはアメリカの原爆開発情報を入手せよというものだった.
NKGB(KGBの当時の名前)ではそのころ,サンフランシスコ駐在官グレゴリイ・ヘイフェッツが,物理学者ロバート・オッペンハイマーとの接触に成功していた.
オッペンハイマーの妻も弟も友人の多くも共産党員または共産党シンパであり,オッペンハイマー本人も共産党シンパとして,その活動に協力していた.
また,ドイツ系ユダヤ人の移民の息子であるオッペンハイマーは,「ソ連国内にユダヤ人安住の地が約束された」と聞かされ,ひどく感動していた.
彼はヘイフェッツと,
「(スターリンが提供してくれる予定の)クリミア半島のユダヤ人国家」
について熱心に語り合ったという.
NKGBはそのオッペンハイマーや,レオ・シラードの秘書などを通じ,ロスアラモス研究所に「もぐら」(潜入
スパイ)を送り込むことに成功する.※2
その「もぐら」の一人が遭遇したのが,彼だった.
※1
パヴェル・スドプラトフ他著『KGB衝撃の秘密工作』上巻(ほるぷ出版,1994年)
※2
上掲書による.
ただし,スパイ行為幇助の意図がオッペンハイマーにあったかどうかは,現在でも分かっていない.
ガイ・バード他著『オッペンハイマー』(PHP研究所,2007年)は,オッペンハイマー=スパイ説を否定する.
同書によれば,FBIや軍情報部が彼を監視し,盗聴していたにも関わらず,スパイ容疑の確たる証拠を挙げられずに終わっているという.
また,公開されたKGB文書にも,それを示すものはないという.
オッペンハイマーの共産党シンパぶりについても,「それが当時のアメリカ人知識層の一般的な風潮だったのだ」と説明している.
しかし同書では,キーパーソンの一人であるヘイフェッツについて殆ど無視しており,考察の客観性の点で問題がある.
またスドプラトフによれば,戦時の緊急性と原爆開発計画の特殊な性格により,KGBエージェントは工作員勧誘に当たってモスクワの事前承認を得ることが省略され,そのやりとりもファイルされていないという.
さらに,一般的な風潮であること自体は,それが直ちにオッペンハイマーの無罪を証明するものではない.
総合的に考えるに,実情はこういうことだろう.
オッペンハイマーは確かに「もぐら」をロスアラモスに潜伏させる行為に手を貸しただろうが,それは通常の「友人の紹介」の範囲を超えなかっただろう.
そしてその「もぐら」は,共産党とは全くかかわりがなさそうな人物だっただろう.
当時のソ連スパイは,「摘発される危険性が高い共産党関係者を,諜報組織に引き入れないこと」を鉄則としていたからである.
例えばゾルゲ事件でも,僅かな例外を除いて,ゾルゲはその鉄則を守っているし,ゾルゲ・スパイ網が発覚するきっかけになったのも,その僅かな例外のせいだったと考えられている.
原爆情報をソ連に提供したのは,オッペンハイマー自身ではなく,その「もぐら」だっただろう.
そしてその「もぐら」は,これまでスパイ容疑者としては今まで名前が一度も挙がっていないような人物だろう.
※3
あ,今回,マリネラの「マ」の字も出てきてないや.
パーヴェル・スドプラトフ
(肖像写真)
『精神の金羊毛を求める探検』※1なる本によれば,天才について次のように述べられている.
『彼らは第一列目に立つわけでもなければ,後続の人たちより一歩先を進んでいるわけでもない.
第一級の天才は,思想的に言って,要するにどこか全然別のところにいるのだ』
そして,普通の天才は世間に歓迎されるが,一級の天才は生前は理解されず,認められるのは未来の世代によってであり,そのような天才は,特に小国において埋もれがちなのだという.
もっともマリネラ王国は,小国ではあるものの,天才を比較的輩出しやすいところとして,生物学や自然人類学上,よく知られた存在である.※2
『ダーウィン以来 進化論への招待』(早川書房,1995年9月)などの著書で知られるスティーヴン・ジェイ・グールドは,このマリネラ王国の特性について,
「マリネラ島はバミューダ・トライアングル中央に位置するため,古来より人の出入りが少なく,そのために近親婚が繰り返されたためだろう」
と推測している※3
様々な奇行で世に知られる現マリネラ国王パタリロ8世は,しばしば
「躁鬱病の躁状態だけの人物」
などと言われるが,前出の元KGBスドプラトフによると,ヒギンズ3世は逆に内向的で,「ぬぼーっとした人物」だったという.
また,レオ・シラードによれば,オッペンハイマーを
「問題の全体を見通し,学際の問題について実際的ない解決法を見つけ出すことのできる天才」
とするなら,ヒギンズ3世は
「問題を引っ掻き回し,第三者には理解不能のやり方でしか解決しない天才」
だったという.※4
「エドワード・テラー(顔写真)同様※5,ヒギンズ3世もロスアラモスでは浮いた存在であり,研究をいたずらに混乱させるような着想ばかりが目立っていた.
彼が原爆開発において何か貢献できるようには思えなかった」
しかしオッペンハイマーは,熱意を失った後のテラーに対してと同様,ヒギンズ3世についても
「何かしらの役に立つ可能性が少しでもあるなら」
と,彼をロスアラモスに留めた.
私的にもオッペンハイマーは,ヒギンズ3世とは気が合ったらしい.
それは二人が似たような境遇の持ち主だったからだろうと,スドプラトフは言う.
「オッペンハイマーは,当時のマルクス的な平等主義の風潮の中,自分が裕福な生まれであることに引け目を感じていたが,ヒギンズ3世も同じように,ダイヤモンド産業のおかげで裕福な王家の生まれであり,そのことに引け目を感じていた.
また,2人とも同じように内向的だった※6」
そのときロバート・オッペンハイマー,39歳.
一方,ヒギンズ3世は,平均年齢25歳のロスアラモス研究所の中でも最年少の18歳だった.
※1
2008年時点で邦訳は存在しないが,クノ・ムラチェ(Kuno Mlatje)による同書についての書評『イサカのオデュッセウス Odysseus of Ithaca 』が書評集『完全な真空』(国書刊行会,1989/11)に収録されている.
※2
その地理的特性のせいか,マリネラ王家の天才伝説にはオカルトの趣きもただよっている.
例えば17世紀に英国艦隊がマリネラ島に来襲した際,ロケット砲やレーザー光線で反撃され,撃退された,
とするオカルト伝説が根強く囁かれている.
(ロベール・ド・ラ・クロワ著『海洋奇譚集』,白水社,1983/11 など)
常識的な歴史学者は,この「レーザー」の実態は「ギリシャ火」に似たものであろうと推測している.
これはナフサ,硫黄,松やに等の混合物で,大型の鉄筒に入れて砦の上から注いだり,石や鉄の赤熱した弾丸に詰めて発射したり,布切れにつけたものを矢や槍に巻き付けて投擲するなどした.
濃い煙と大きな音を出し,火炎は水をかけても消えなかったという.
※3
『Nature』1994; 371:125-6.
※4
『シラードの証言』(みすず書房,1982)
なお,シラードはハンガリー人であり,ハンガリー語に忠実に名前を記述するなら「シラールド・レオー」になるが,本編では一般に通用している表現に統一した.
※5
前掲『オッペンハイマー』によれば,彼は原爆開発研究の途中,より大きな爆発力を持つ核融合爆弾の可能性に気づき,そちらを研究の主体にするよう主張したという.
しかしそれでは爆弾の開発自体が大幅に遅れるとして,その主張は受け入れられなかった.
その結果,テラーは熱意をなくし,最後には原爆開発から外れることになったという.
なお,テラーもハンガリー人であり,ハンガリー名では「テッレル・エデ」となるが,本編では一般に通用している表現に統一した.
※6
内向的な性格は崩御するまで変わらなかった.
ヒギンズ3世の晩年の楽しみは,テレビ・ゲームに熱中することだった.
オッペンハイマー
(肖像写真)
1945.4.30,チョビ髭の男が自殺して,ヨーロッパでの戦争は終わった.
しかし「ドイツとの開発競争」だったはずの原爆開発は終わらなかった.
開発の目的は対日戦での使用,そして戦後のソ連との対決に備えるためのものへと,開発目的は変化していった.
科学者たちの多くは,原爆の実戦使用には反対だった.※1
東京湾の真ん中に原爆を投下し,その威力をデモンストレーションするだけで,効果は十分すぎるだろうと彼らは考えた.
レオ・シラードが始めた原爆実戦使用反対の嘆願書には,ロスアラモスの科学者のうちの実に74%が署名したという.
ヒギンズ3世も反対者の一人であり,彼はこう提案したくらいだった.
「アラモゴルドでの原爆実験に,天皇を招けばいい.※2
原爆の爆発を見れば,彼は自分の国がもはや勝ち目がないと悟るだろう」
前掲『シラードの証言』 によれば,彼は実際に招待状を書いたらしい.
マリネラ王国は中立国であり,日本の皇室との王族同士の親交もそこそこあったので,そのコネで天皇へ手紙を出そうとしたようだ.
けれども実際に王国の政治実務をとりしきっているのは当時も今も国王付の武官たちであり,18人の王子王女のうちの一人に過ぎず,しかもまだ未成年のヒギンズ3世の話に,武官たちが耳を傾けるはずがなかった.
次に彼は,もう少し回り道になるやり方を試した.
当時,戦時情報局の海軍大佐だったエリス・ザカライアスによれば,彼はレオ・シラードを通じ,同じくハンガリー出身の対日諜報専門家,ラディスラス・ファラゴーに話をしたという.
ファラゴーは上司のザカライアスに話を伝えた.
ザカライアスはその話に大いに乗り気だった.
彼も原爆投下は不要なことを確信していた.
彼の見るところ,アメリカ側が講和条件として「無条件降伏」の「無条件」を撤回するならば,日本は明日にでも講和会議のテーブルに着くことは明らかだった.
また,仮に「無条件」を撤回しなくとも,12月になれば日本は餓死者が続出して降伏を余儀なくされる可能性が確信的に高かった.
だが,国交を断絶している日米間でどうやって手紙を伝えるかが問題だった.
ヒギンズ3世は,「ユダヤ人コネクションを使ったらどう?」と言った.
満州や上海にはユダヤ人コミュニティが1945年になっても存在しており,アメリカのユダヤ人コミュニティとの間にコネクションがあった.
そこで
ハルビンのユダヤ人実業家レフ・ジクマン
⇒安江仙弘大佐
⇒関東軍参謀長・飯村穣中将
というルートで日本に書簡を送る計画が練られた.
しかし日本本土爆撃が激化するにつれ,日本・満州での外国人排斥機運は急速に悪化,ユダヤ人ルートは事実上絶たれたも同然の状態になった.
満州で,上海で,ユダヤ人社会も日本の官憲の迫害を受けるようになり,安江大佐は予備役になって軍務から遠ざけられた.※3
ユダヤ人に限らず,日本人とは見かけの異なる「ガイジン」は,等しく迫害を受けた.
日本国内ではドイツ人さえ時として石を投げられた.
そのため,計画は断念された.
他にも様々なアイディアをヒギンズ3世は出した形跡があるが,それらは上記2計画以上に奇抜すぎて,検討すらされなかったようだ.
マリネラ王室に保管されている,当時の彼のノートを見ると,次のような走り書きが読み取れる.
「たとえ天皇が乗り気でなくとも,本人の意思がどうあろうと実験を見せたなら
気球で吊り下げる一人乗りゴンドラ
天皇のそっくりさんを用意
日系アメリカ人特殊部隊
偏
西
風
で
太平洋を横断
長いワイヤを天皇にくくりつけ.開けた場所に座らせる
ワイヤは気球で高く高く吊り上げる
特別な装置
を機首につけた航空機が
ワイヤをひっかけて
ワームホールを利用した"anywhere door"※4
実験を見ることさえできればいい
身体全部を日本から移動させる必要はない
天皇の
首から上だけ
を生かしておく装置」
※1
前掲『オッペンハイマー』より.
※2
ザカライアス著『日本との秘密戦』(朝日ソノラマ)より
※3
安江弘夫著『大連特務機関と幻のユダヤ国家』(八幡書店,1989/8)
H. E. マウル著『日本はなぜユダヤ人を迫害しなかったのか』(芙蓉書房出版,2004/1/20)
山本尚志著「日本を愛したユダヤ人ピアニスト レオ・シロタ」(毎日新聞社,2004.11.20),
阪東宏著『日本のユダヤ人政策1931-1945 外交史料館文書「ユダヤ人問題」から』(未来社,2002.5)
より
※4
anywhere=どこでも
『オッペンハイマー』によれば,ロバート・オッペンハイマーはブラックホールの発見のヒントになるような着想を,すでに1938年にノートに遺している.
しかしロバートは天文物理学には興味はなく,その着想はそのまま埋もれた.
ヒギンズはそのノートを見た可能性がある.
【質問 kérdés】
マリネラは核兵器開発に必要なウランをどのように集めたのか?
【回答 válasz】
天皇誘拐は実行されず,原爆投下は実行に移されたが,それに賛成していたオッペンハイマーも,実際に投下された後は考えを変え,おおむね他の科学者たちと意見を同じくしていた.
オッペンハイマーは原爆投下後になって,当時すでに日本が終戦工作を模索していたことを知り,政府が情報を隠すことがあるということを初めて理解したという旨,述べている.
彼はトルーマン大統領との会談でも,原爆投下について
「手が血で汚れているように感じます」
と語っている.
(一方トルーマンは,そのときのオッペンハイマーを「泣き虫科学者」と評している)※1
オッペンハイマーは核兵器を1国が独占することを懸念し,ソ連と核兵器情報を共有することを主張した.※1
他の科学者たちの中に,ソ連をそこまで信頼する者は少なかったが,アメリカ1国で独占することへの懸念は理解していた.
では,ソ連との情報共有が適当ではないとすると,どこの国なら適当なのか?
「うちの国では,どうかな?」
と,そのとき手を挙げたのがヒギンズ3世,マリネラの王子だった.
マンハッタン計画参加者の一人で,亡命ポーランド人数学者のスタニスワフ・ウラムは,そのときの模様を次のように述べている.※3
「『第3の核』の候補国には,我がポーランドの他,スウェーデン,スイスといった中立国まで挙がっていた.
〔中略〕
彼は挙手こそ控えめだったが,その主張の中身は非常に大胆なものだった.
第3の核を持たせる国は,小国であることが望ましい.
それも小さければ小さいほどいい.
そんな国は,核戦争がもし起これば一発で消し飛ぶのだから,その国が持つ核兵器は専ら,大国間の均衡を保って核戦争を抑止する方向に作用するだろう,と彼は言った.
考えてみれば,世界で初めて「恐怖の均衡」理論を唱えていたわけで,非常に斬新なアイディアだった」
「しかし,そのアイディアには一つ欠陥がある」
と,ウラムはそのとき反論したという.
「どうやってマリネラに核兵器を持たせる?
理論や技術は我々がいくらでも提供できる.
しかし,たった一つ我々が提供できないものがある.
ウランだ.
このロスアラモスでさえウランは不足気味で,そのためにマンハッタン計画の一部が遅延したこともあるくらいだ.
とても他の国に密かに回せるだけのウランはない」
すると,軽く頭を掻いてから,ヒギンズは言った.
「……そのことだけど,実はもう考えてあるんです」
※1 前掲『オッペンハイマー』より
※2 同上
※3 ウラムの自伝,『数学のスーパースターたち』(東京図書,1979)より.
ただし同書では実名は挙げられておらず,「とある小国の出身者が」といった,ぼかした表現にとどまっている.
1947年某日,一人のイギリス陸軍少尉がDC-3輸送機で,英領バハマ諸島(当時)の都市ナッソーに降り立った.
その名をイヨマンテ・サンダースと言った.
***
ナチス・ドイツが戦争末期,まだ連合軍に占領されていなかったオーストリア各地に,様々な略奪品を隠匿していたことは,比較的良く知られた事実である.
例えば1945.4.8,パットン将軍率いる米第3軍が,チューリンゲン南部カイゼローダ塩坑内で,5億1700万ドル相当(1945年当時の価格で)の金塊・金貨,および紙幣等を発見している.
それらの大半はナチス・ドイツが大戦中,ヨーロッパ諸国の中央銀行から奪ったものだった.
そしてその他に,袋や木箱に詰まった金・銀・ダイヤモンドや装飾品なども発見された.
それらがナチス・ドイツが虐殺したユダヤ人のものだったことは,歯の治療に用いられた金冠・銀冠,ブリッジ,プレート,それに個人の日用品が含まれていたことから明らかだった.
また,そうした隠匿物のうち,最もミステリアスな「黄金列車」のエピソードもある.
ハンガリー・ユダヤ人から略奪された財物を満載した列車が,ソ連軍からの逃避行を続けてオーストリアまで逃れてきた,というものだ.
これら隠匿財産発見は,当時の新聞にもセンセーショナルに報道され,今日,流布されている「ナチスの隠し財宝」譚の原型となっている.※1
この「黄金列車」から派生したと思われる風説の一つが,「黄金の潜水艦」の噂だろう.
これはナチス・ドイツがUボートに,ありったけの財宝を積み込んで,南米へ向けて脱出したという噂だ.
中にはヒトラー本人がUボートで脱出し,そうと分からぬようベルリンでは替え玉を「自殺」させた,などというものもあった.
そうでなくとも,戦犯容疑者の逃亡に潜水艦が使われた恐れもある.
そのため英軍情報部第6課,すなわちMI6は,各地に捜査員を派遣した.
イヨマンテ・サンダースは,そうした捜査員の一人だったと推測されている.
今も現役の諜報部職員であるイヨマンテ・サンダースについての情報は少ない.
陸軍士官学校時代の同窓生の証言によれば,彼は第2次大戦後期に年齢基準を満たし,軍に志願したという.
ノルマンディ上陸作戦が行われていた頃である.
ところが軍人としては,彼には少々難点があった.
早撃ちのタイムこそ0.2秒台と素早いものの,肝心の狙いが極めて不正確だったという.
「不正確なんて生易しいもんじゃないね.
ライフルでも拳銃でも,私は彼が一発でも当てたのを見た覚えがない.
的の近くを掠めればまだましなほうで,どういうわけか後ろに立っていた私のほうに,弾が飛んできたことさえある.
そのくせやたらめったら乱射したがるものだから,敵より危ないといわれた」
(上掲,同窓生証言)
そこで軍当局は,射撃しなくても済むような部署に,彼を配置することにした.
戦争犯罪専門の捜査員にしたのである.
犯人を傷つけずに制圧するには,彼の早撃ちと乱射能力(?)は,犯人をすくませて戦意を奪うには好都合だとも考えたのかもしれない.
※1 『ホロコーストと国家の略奪 ブダペスト発「黄金列車」のゆくえ』(ロナルド・W.ツヴァイグ著,昭和堂,2008.10)より
***
▼ イヨマンテ・サンダースがナッソーにやってくる1週間前,一人の男がハバナの港で拘束された.
男はドイツ系中米人フアン・マヌエル・ニーゲムと名乗り,アルゼンチンの親戚をたずねていくところだと語った.
だが,スペイン語もポルトガル語も彼は全く話せなかったため,不審に思った税関職員が,軍当局へ通報した.
なにしろ「ナチの残党の逃亡」の噂が,まだ絶えなかったころだ.
しかも,アルゼンチンにはナチ・シンパの,フアン・ペロン大佐(顔写真)率いる統一将校団(GOU)が力を持っていて,ナチの逃亡先としては格好の場所だった.
かのアイヒマンも,逃亡先にはアルゼンチンを選んでいる.
そのためナッソーの英軍当局は素早く動き,「旅券に不備がある」との口実で男を拘束,身元調査と取調べを行った.
男は黙秘したが,身元はすぐ割れた.
ノルウェーで焼却を免れたドイツ軍の文書の中に,彼の正体を発見することができた.
ハンス・ニーゲム Hans Neegem というドイツ海軍将校.
しかもUボートの艦長だった.
彼が持っていたポンド紙幣は,ナチスの作った偽造紙幣だった.
パスポートだけが本物だった.
彼が持っていたのは,マリネラ王国のパスポートだった.
英国政府はマリネラに,パスポートについての説明を求めた.
マリネラ当局は,ややあってこう回答した.
「フアン・マヌエル・ニーゲムは確かに我が国の国民である.
直ちに釈放されたし」
偽造紙幣については,
「我が国の鑑定技術は低いので,偽造紙幣が氾濫して困っている.
ニーゲムもそうした被害者の一人であり,犯罪者扱いするのは不当な人権侵害である」
マリネラとの外交交渉の間も,ニーゲムへの取調べは続いた.
だが,彼は黙秘を貫き,捜査は行き詰まり感を見せていた.
「(ニーゲムは)意思強固であり,かつ,英米への強い敵愾心を保持している.
証言を得るのは極めて困難」
と,当時の調書にも記されている.
そこにやってきたのが,一人の弁護士だった.
名を大戸木幸成(おおどき・ゆきなり)と言った.※
「彼がやってきたことで,ニーゲムの取調べは完全にデッド・エンドになったと思いました」
と語るのは,当時ハバナの税関職員をしていたガブリエル・アレハンドロ.
「彼はマリネラ政府から派遣された代理人だと言い,ニーゲムの釈放を強く求めました.
英国情報部はこれにより,非常に苦しい立場に立たされました」
大戸木幸成は,ニューヨーク生まれの日系2世である.
住んでいた場所はローワーイーストサイドに近く,子供のころからドイツ人街を遊び場としていた彼は,自然とドイツ語も覚え,日英独語を自在に操れるようになった.
1932年のあるとき,ドイツ人コミュニティやユダヤ人コミュニティの世論を沸騰される事件が起こった.
チャールズ・リンドバーグの愛児が誘拐され,殺害された事件である.
犯人とされたドイツ系ユダヤ人,ブルーノ・ハウプトマン(顔写真)は,最後まで無実を主張しながら1936年に処刑されたが,今日でも判決に合理的疑いを抱かざるを得ないいくつかの物証が残っているという.※2
この事件をきっかけに,大戸木青年は弁護士の道を志すことになった.
「今回,観光のためにたまたまハバナに滞在していたところ,マリネラ政府から依頼を受け,ここにやってきました」
と彼は説明したという.
「私たちとしては釈放要求に応じるしかありませんでした」
と,先述のアレハンドロは言う.
「我々の握っている証拠が乏しかったからです.
偽札という物証はありましたが,オードキ弁護士は当時,マリネラ国内で偽札事件が横行していたとする資料を突きつけてきたので,
『マリネラ国内で偽札を,知らずに掴まされた』
とするニーゲムの主張が裏付けられることになりました.
一方,英軍将校(サンダースのことを指す――筆者注)のほうは,他に何の証拠も用意できませんでした.
マリネラ入りも拒否されたようで,マリネラ国内での捜査も彼はできませんでした」
弁護士との接見後,間もなくニーゲムは釈放された.
今度は手続き書類の不備を理由に,サンダース少尉は税関を通じて,ニーゲムの出国を差し止めさせた.
時間稼ぎは明らかだった.
しかしそれとて,一日二日が限度だった.
その間,所持金を全て没収されていたニーゲムのために,ホテルの手配をしたのは大戸木弁護士だった.
ニーゲムは彼に大変感謝した.
2人は非常に親しくなり,ニーゲム出国後も彼らの交際は続いた.
狂信的なナチスでもなかったニーゲムには,アルゼンチンのドイツ人社会は合わなかったらしく,やがて大戸木を頼って日本に渡った.
そのころ大戸木は,GHQのために日本で仕事をしており,サンフランシスコ条約締結後も彼らは日本に永住して,ニーゲムは大戸木の娘と結婚することになるのだが,それはもはや本稿のテーマとは外れるので,ここでは触れない.※3
「それにしても,今思い出しても,あの英軍将校の悔しそうな顔といったらなかったですね」
アレハンドロは,いくぶん愉快そうに,そう回想した.
そこで筆者は,彼に尋ねた.
「あの大戸木弁護士が,実はマリネラではなく米軍情報部から派遣されてきた人間で,ニーゲムの出国もすべてサンダース少尉らによってお膳立てされていたものだったことはご存知ですか?」
アレハンドロは絶句した.
※1 エリス・M・ザカリアス著『日本との秘密戦』(朝日ソノラマ文庫,1985)
では,「オーキド・ユキナリ博士」と書かれている.
意図的に仮名を用いたと推測される.
※2 ハウプトマンとリンドバーグ事件については,
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text/hauptmann.html
を参照.
※3 大戸木幸成の日記より.
(ニューヨーク在住のミツコ・ニーゲム=オードキ所蔵)
▲
***
マリネラ政府からの引渡し要求が来たとき,サンダースは,間もなくニーゲムを釈放しなければならないことを悟った.
そこで彼は一計を案じた.
彼はまず,米海軍のアルブライト少佐と連絡を取った.
アルブライトは,捕虜尋問のエキスパートである.
そしてそのノウハウは,英軍の捕虜尋問部門M19から習得したものだった.
つまり英軍には,アルブライトとの間に強固なコネがあったのである.※1
アルブライトは,英軍情報部からの要請に,快く応じた.
そして捕虜尋問の専門家を一人,サンダースのもとに派遣した.
それが大戸木だったのである.
大戸木がニーゲムに語った経歴は,ウソではない.
ただし,ニーゲムには告げていないことがあった.
それは,大戸木が第2次大戦中,米軍に志願して従軍していたという事実だった.
大戦初期に在米日系人は強制収容されたが,大戸木もその例に漏れなかった.※2
そして他の多くの日系人の若者と同じように,彼もまた米軍に志願した.※3
しかし幸いなことに,彼は最前線に立つことはなかった.
ドイツ語に堪能であったことから,彼は捕虜の秘密尋問官とされた.
多くの場合,「捕虜への不当な扱いがないかどうか監視する,日本政府筋の外交官または弁護士」というニセの肩書で,彼は各地の捕虜収容所に送り込まれ,ドイツ兵捕虜と親しくなり,それとなく情報を聞き出すという役割だった.
同盟国である日本の外交官というニセの肩書に,多くの捕虜が騙され,機密情報をペラペラと喋った.
この同じ手法を,ニーゲムに対しても使ったのだった.
ニーゲムは死ぬまで,この事実に気づかなかったらしい.
大戸木が死ぬまで,秘密を口外しなかったからである.
大戸木らが関わった捕虜秘密尋問には,収容所へ盗聴器を仕掛けることも含まれており,それは国際法違反だったため,秘密を漏らした場合には国際問題となる可能性があったため,彼らは決して一言も喋らなかった.
閑話休題.
ニーゲムが大戸木に告白した内容は,重大なものだった.
ニーゲムの潜水艦は,ウランを運んでいたのである.
1945年初め,複数隻のUボートが相次いで,ダンツィヒから出港した.
艦1隻当たり,ピッチ・ブレンド(酸化ウラニウム)560kgを積み,当時同盟国だった日本を目指した.※6
当時,日本でも原爆研究が始まっていたが,日本にはウラン鉱石もなければ,ウラン濃縮手段もなかった.
そこで日本はドイツに支援を求め,ドイツから酸化ウラニウムが輸出されることになった.
とはいえ,制海権はすでに連合軍にとられている.
そこで潜水艦での隠密輸送という手段がとられた.※4
ニーゲムの潜水艦は,XXI型という,当時最新型のものだった.
XXI型は,世界で初めて「常に水中を航行する」ことを前提にデザインされ,バッテリーの容量も多い設計.
水中の静音性はかなり優秀で,連合軍のソナーでは発見困難だった.※5
そういう潜水艦なら,任務完遂は可能に思われた.
ところが途中,ニーゲムは転進命令を受けた.
それは,マリネラ王国へ向かえというものだった.
※1『トレイシー 日本兵捕虜秘密尋問所』(中田整一著,講談社,2010.4.15)より
※2『ローン・ハート・マウンテン 日系人強制収容所の日々』(エステル石郷著,石風社,1992.8)より
※3『若者たちの戦場 アメリカ日系二世第442部隊の生と死』(ドロシー・マツオ著,ほるぷ出版,1994.9)より
※4『科学者たちの自由な楽園』(宮田親平著,文藝春秋,1983/7/15)より
※5『KRIEGSMARINE U-BOATS 1939?45 ドイツ海軍Uボート THE ESSENTIAL SUBMARINE IDENTIFICATION GUIDE 』(クリス・ビショップ著,リイド社,2007.11)より
※6 このとき同時に,南米に向けても数隻が出港したらしいが,「ミレニアム」というコード名以外,詳しいことは分かっていない.
もちろんそれは,ニセの命令だった可能性が高い.
英軍情報部MI-6は,焼却を免れた,いかなるドイツ海軍の文書からも,Uボートのマリネラ派遣を示唆する情報の痕跡も発見できなかった.
また,マリネラと敗戦間近のドイツ外務省との間で,Uボート派遣をめぐる外交的接触は,公式なものも水面下のものも探知されていなかった.
ドイツのエニグマ暗号は,既に連合軍側に解読されていたから,ニセ命令を出すのは造作もなかっただろう.
そしてニーゲムたちのUボートは,まんまとニセ命令に騙され,マリネラ港に入港し,直ちにその場で潜水艦は,積荷もろとも拿捕された.
その積荷が問題だった.
日本に渡すはずのウラン鉱石だったのである.
「このままではUボートが日本に到達するのは,非常に困難であるから,中立国マリネラに入港し,マリネラから秘密裏に日本に輸送すべし」
というのがニセ命令の内容だった.
それにニーゲムらはまんまと騙されてマリネラに到着し,直ちにマリネラ憲兵隊(≒警察と軍隊を兼ねる組織)によってUボートを接収されたのだった.
大量のウラン鉱石を,マリネラが隠し持っている!
サンダースから通報を受けた英国政府は,マリネラ政府に対し,ウラン鉱石の引き渡しを求めた.※1
英国政府曰く,
「戦時国際法では鹵獲しても良い物資を,"敵国"の国有財産のみに限定している.
しかるに,マリネラは中立国であったのだから,Uボートの積荷を接収するのは不法な行為である.
ウラン鉱石の所有権はドイツに帰属するものであり,ドイツの国家財産は現在,連合国が管理しているのであるから,連合国に速やかに引き渡すべし」
チャーチル英首相は,マリネラが引き渡しに応じぬときは,武力行使も辞さんばかりの勢いであった.※2
これに返答してマリネラ政府曰く,
「マリネラは第2次大戦に参戦している,れっきとした連合国の一員である.
このことは,貴国と我が国との間に結ばれている英瑪相互安全保障条約によって明らかである」※3
「条約とは一体何のことだ!」
チャーチルはイーデン外相(当時)に詰め寄ったという.
しかしイーデンにとっても初耳だった.
それどころか,英国外務省職員の誰もが,そんな条約のことなど知らなかった.※4
しかし条約は,確かに存在していたのである.
17世紀,英国艦隊がマリネラに侵攻したことは,「ギリシャ火」の一件で既に述べた.
この際に締結された条約があった.
片方の国が戦争状態に入ったとき,もう片方は自動的に参戦してこれを支援するというもので,無期限有効.
当時の狙いとしては,マリネラを英国艦隊の補給拠点とするためのものであった.
当時の極めて貧弱なマリネラの武力では,マリネラが自発的に戦争を行うことは考えられなかったので,これは事実上のマリネラの保護国化であった.
その後,条約に基づくマリネラの物理的な参戦が現実となることはないまま,250年以上が経ち,条約の存在すら忘れられていたのだった.
マリネラ側の外交官が,平らな硬質ガラス・ケースによって厳重に保管されている,マリネラ国王パタリロ7世と英国国王チャールズ2世のサインが入った羊皮紙を見つけ出し,これを提示してくるまでは.
※1 英国外務省文書より
※2 ウィンストン・チャーチル『第2次大戦回顧録』
ただし,日本語版は抄訳であるため,この箇所の記載は割愛されている.
※3 「瑪」はマリネラ(瑪萌内拉)の意味.
※4 アンソニー・イーデン『Memoirs of the Rt. Hon. sir Anthony Eden』(CASSELL,1960)
http://www.amazon.com/dp/B0000CKIIY
mixi,2015年03月25日
同じころ,サンダースのハバナでの仕事も,唐突な終りを迎えていた.
大戸木が急にアメリカに引き揚げることになったからである.
表向きそれは,占領下日本に大戸木が通訳として派遣されることになったから,というものであった.
しかし,代わりの尋問専門家が派遣されてくることもなく,それどころかニーゲムもほぼ同時に釈放されてしまい,大戸木の助けを借りて,一緒に日本へと渡ってしまった.
(後にニーゲムは,大戸木の娘と結婚して子供をもうけるが,それはまた別の話である)
アメリカ側のこの急な心変わりの裏には,何があるのだろうか?
ここで思い出してもらいたいことがある.
終戦まで対日諜報を取り仕切っていたのはエリス・ザカライアス大佐である.
つまり,大戸木のボスは彼である.
そしてザカライアスは,マリネラの王子と繋がりがある.
たとえ諜報員でなくとも,裏で王子が糸を引いて,アメリカ国内の一部勢力と組み,ニセの命令をもって,ドイツ潜水艦のウランをまんまと手に入れたのだろう,そしてその事実を隠蔽するために,急遽ニーゲム隠しを図っているのだろう,くらいのことは推測できる.
だとするならば,取り調べを受けるべきはその王子である.
だが,ヒギンズ三世はその頃,既にロスアラモスを去って,どこかへ行っていた.
英国外務省が正式に問い合わせると,マリネラ外務省は
「ヒギンズ三世殿下は諸国を巡る御遊学中である.
詳しい日程は,わが国でも把握していない」
と回答.
「なにしろ,この殿下は気紛れだから」
と付け加えた.
サンダースはヒギンズ三世の後を追った.
彼がまず向かったのはチェコだった.
チェコスロヴァキアにおいて共産クーデターが起きるのは1948年のことで,当時の同国はまだ自由民主主義国家だった.
遊学先としてはさほど不自然ではない.
だが,ヒギンズ三世の訪問先の一つにガラス工房があったことに,サンダースは注目した.
その工房でつくられていたのは,ただのガラス製品ではない.
ウラングラスと呼ばれる,ごく微量のウランを含むガラス製品を造る工房だった.※1
となれば,公式の記録にはないが,同国のウラン鉱山であるヤーヒモフ鉱山※2も訪問していた可能性がある.
ヒギンズ三世が次に訪問したとされるフランスでは,彼の活動はもっと露骨だった.
ラ・クルジーユ La Crouzille においてウラン埋蔵の調査の現場を訪れていたのである.※3
もっとも,同地で実際にウラン鉱床が発見されるのは,彼の訪問より後の1948年のことになるのだが.
さらに調査してみると,ヒギンズ三世はカナダ,オーストラリア,ニジェール,ナミビアなどにも足を伸ばしていたことが分かった.
これらはいずれも,後のウラン生産上位国である.※4
ウランを産出しない国の中では唯一,スイスが訪問国の中に含まれていたが,ここではヒギンズ三世はソ連大使と接触した気配があった.
2015年現在,ウラン産出量世界第1位を誇るカザフスタンも,そして6位のロシアも,当時はいずれもソ連の一部であった.
そして,彼の訪問先では,その前後に必ずウラン鉱石を巡る不明瞭な金品のやり取りがあった.
たとえば,上述のスイスである.
それまでマリネラとソ連との間には国交がなかったにも関わらず,ヒギンズ三世のスイス訪問後,ソ連製兵器のマリネラへの輸入が継続的に行われるようになった.
1970年代には,
「マリネラで『バックファイア』爆撃機に乗せられそうになった」
と証言する人物が現れ,軍事筋の間ではちょっとした騒ぎとなった.
ツポレフTu-22M「バックファイア」は,核兵器搭載可能な爆撃機であり,これまで一度として外国に輸出されたことはなかったからである.
証言だけで画像も何もなく,現在に至るも,この情報の真偽は不明だが,実際にはこれは「バックファイア」ではなく,Tu-22「ブラインダー」をマリネラで独自に改造した結果出来上がった「バックファイアもどき」ではないかというのが,今日では通説である.※5
ちなみに,「バックファイア」は「ブラインダー」の改良型である.
このような,ソ連兵器がアメリカの裏庭ともいうべきカリブ海に持ち込まれていることに,アメリカは阻止行動を特にとろうとはしていないが,それは
1)輸入された兵器の種類こそ多いものの,どれも1~2機,1~2両といったごく少数の輸入に留まっており,
「機械好きな王子の兵器コレクション」
としか見做されず,軍事的脅威とは思われなかったこと,※6
2)輸入された兵器はソ連製のみならず,カナダ製やオーストラリア製,フランス製やチェコ製,果ては第二次大戦中の鹵獲兵器※7までバラエティに富んでおり,外交的に見ても,とても「ソ連陣営にマリネラが急接近しつつある」とは見えなかったこと,
3)ソ連から輸入された兵器の中には,第二次大戦中,アメリカがソ連に供与した,いわゆる「レンドリース」の兵器が大量に含まれており,マリネラがその輸入に支払った代金は,そのままソ連からアメリカへレンドリースの負債の返済金に充てられていたこと※8
などが影響していると見られる.
しかし,サンダースの注目した点は,輸入された兵器のバラエティさではなかった.
MI6の注目は,それらの輸入価格にあった.
どれも相場の2倍から10倍という異常な高値で購入されていたのである.
なぜか?
カモられたのか?
「違う」
とサンダースは推測した.
これは,何か他の物を秘密裏に買った時に,それを隠すためのカモフラージュだ.
※1 Uranove' sklo
http://www.zbynekvotocek.com/cz/uranove-sklo
より.
※2 Atomica|チェコの国情およびエネルギー事情 (14-06-07-01)
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=14-06-07-01
より.
※3 Atomica|フランスのウラン鉱山 (04-03-01-08)
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=04-03-01-08
より.
※4 Atomica|ウラン鉱床の分布および主要生産国と生産量(レッドブック2007) (04-02-01-02)
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=04-02-01-02
より.
※5 『世界の傑作機 (No.113) Tu-22/-22M "ブラインダー" "バックファイア"』(文林堂,2005/11)
http://www.amazon.co.jp/dp/4893191314
より,
「"マリネラのバックファイア"騒動の顛末」(岡部いさく)
に詳しい.
※6-7 マリネラ王立博物館目録(マリネラ国防省編,2005)
同館には,いわゆる「ヒギンズ三世コレクション」として,数多くの兵器が野外展示されており,多くの観光客を集めている.
可動状態のクーゲルパンツァー
http://en.wikipedia.org/wiki/Kugelpanzer
やMe-323
http://en.wikipedia.org/wiki/Messerschmitt_Me_323
は,この博物館にしか存在しない.
※8 なお,マリネラが輸入したレンドリース兵器の殆どは,後に第一次中東戦争時に,イスラエルを含む中東諸国に,敵味方を問わず密輸出され,少なくない収益をマリネラはあげたと見られる.
ハイム・ヘルツォーグ『図解 中東戦争―イスラエル建国からレバノン進攻まで』(原書房,1990/12)
http://www.amazon.co.jp/dp/4562021691
には,ソ連軍で使われた当時の赤い星がついたままのM4シャーマン戦車の写真が掲載されている.
同じ頃,マリネラ港には鉱石貨物船が,頻繁に出入りするようになっていた.
これはロイズ保険組合の記録を見るだけで明白だった.
MI-6は港湾労働者を一人買収し,鉱石を1個,サンプルとして盗み取らせた.
成分分析をした結果は,明らかにソ連のクラスノカメンスク鉱山産出のウラン鉱だった.
スイス当局も,この取引のことを薄々は感づいていたらしい.
そしてスイスは,マリネラのこのやり方を真似ようと考えた.
なぜなら同国自身,1946年に核エネルギー研究委員会を設置し,核兵器の研究を開始していたからである.
スイスはミラージュ戦闘機購入をダミーとして,フランスとの間でウラン鉱石購入の秘密契約を結んだ.
しかし,スイス政府が計算違いをしていたことが一つあった.
マリネラは王政だが,スイスは民主主義国家だったことだ.
ミラージュ戦闘機を異常な高値で購入したことは,議会のチェックを受けてたちまち問題となり,ウラン鉱石の裏取引が露呈してしまったのである.※1
アフリカのコンゴでは,別な形の,ウラン鉱石の不明瞭な流れがあった.
コンゴはベルギーの圧政から,1960年に独立を果たしたのだが,すぐに内戦に突入した.
以後5年に及んだコンゴ動乱の始まりである.
その混乱のさなか,コンゴ唯一の港,バナナ港から1隻の貨物船が出港していた.
アメリカ向けのウラン鉱石を満載していた貨物船「コバヤシマル」.
それがバミューダ島沖で消息を絶ち,1か月後,海底で沈んでいるのが発見されていた.
船は第二次大戦中に量産された「リヴァティ船」と呼ばれるタイプだった.
このタイプは量産性重視のため,ほぼ全溶接で建造されていたのだが,鋼の低温脆性破壊による沈没事故が多発していた.
したがって「コバヤシマル」も,ただの事故だと思われた.※2
だがサンダースは,これがマリネラにほど近いバミューダ沖で起きたことに注目した.
彼はこの船の来歴を洗った.
「コバヤシマル」は船籍はパナマだったが,傭船会社は香港に事務所を置いていた「コバヤシマルK.K.」.
アメリカ海軍から払い下げられたリバティ船2隻「コバヤシマル」「キバヤシマル」を保有するだけの,小さな小さな会社だった.
「コバヤシマル」沈没の1年ほど前に設立され,その沈没によって経営が悪化.
(持ち船が半減したのだから,まあ当然だが)
間もなく会社を畳んでいた.
そんなちっぽけな会社が,なぜ米国の重要な戦略物資の輸送契約を結ぶことができたのか?
理由は三つあった.
一つはダンピング紛いの超低運賃での応札.
もう一つは,大手船会社が,紛争地域の港に自社の船を入れるのを躊躇ったこと.
そして最後の一つは,担当部門への賄賂攻勢.
サンダースらの推計では,贈賄金額だけで大赤字になるはずだった.※3
これは臭い.
普通の出資者なら,こんなやり方には異議を唱えるところだ.
だが,異議はなかった.
出資者が普通ではなかったからだ.
「コバヤシマルK.K.」に出資していたのは,インドに本社がある持ち株会社「ハッサン・ホールディングズ」だが,典型的な迂回融資で,「ハッサン・ホールディングズ」を通じて「コバヤシマルK.K.」に融資していたのはマリネラ王立銀行だった.
沈没当時,コバヤシマルに乗船していたのは皆,マリネラ海軍出身者だったということもサンダースは突き止めた.
MI6では,沈んでいるコバヤシマルを調査することにした.
しかし,英海軍の深海潜航艇が,キューバ危機が起きたばかりのキューバの領海近くで隠密活動すれば,大きな国際問題になりかねない.
「ならば,大っぴらに活動すればよい」
と,ディック・ホワイト長官は言った.※4
1963年,BBCは「バミューダ・トライアングルを科学的に検証する」と題する科学ドキュメンタリー映画の撮影を始めた.
撮影班は,何も知らないキューバ海軍の協力を取り付け,キューバ海軍艦艇の目の前で,堂々と深海潜航艇「LR2」に乗り組んで,コバヤシマルを調査した.※5
彼らは潜航艇のマニュピレーターを使い,コバヤシマルの船倉から,積み荷の鉱石の採取さえ行ったのである.
採取された鉱石は,直ちに英国原子力研究所(AERE)へ運ばれ,そこで成分分析が行われた.※6
結果,その石はただの砂利石であることが分かった.
バミューダ沖に沈んでいるのはコバヤシマルではなく,同船とすりかえられたキバヤシマルだったのである.
マリネラのヒギンズ王子は,船をすり替えて,その船いっぱいに積まれたウラン鉱石を,まんまと手に入れていたのだった.
※1
福原直樹『黒いスイス』(新潮社,2004)
http://www.amazon.co.jp/dp/4106100592
※2
L. A. Sawyer & W. H. Mitchell『Liberty Ships: The History of the Emergency Type Cargo Ships Constructed in the United States During the Second World War』(Informa Pub,1985)
http://www.amazon.com/dp/1850440492
※3
Significant federal tax legislation, 1960-1969 (CRS report)
http://www.amazon.com/dp/B00070XLZE
※4
https://en.wikipedia.org/wiki/Dick_White
および
ピーター・ライト『スパイキャッチャー』(朝日新聞社,1996)
http://www.amazon.co.jp/dp/4022611332
より.
顔写真は
https://www.mi5.gov.uk/home/about-us/who-we-are/staff-and-management/sir-dick-white.html
より引用
※5
http://www.swzonline.nl/system/files/archive//197807.pdf
※6
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=13-01-03-06
深海潜航艇「LR2」
( http://www.swzonline.nl/system/files/archive//197807.pdf より引用)
---✂---
【質問 kérdés】
核兵器開発を巡るマリネラ国内の政治情勢は?
【回答 válasz】
ここで,マリネラの国内政治情勢に目を転じてみよう.
マリネラでは,国王御付きの官僚が政治的実権を握る,一種の側近政治が行われていることは,既に述べた.
しかし,ヒギンズ王子がロスアラモス研究所に招聘された1943年の時点で,彼の御付きの武官はたった一人だけだった.
つまり,次期マリネラ国王レースにおいて,ヒギンズ王子に肩入れして御付き武官となり,次の国王側近の座を狙う者は,殆ど皆無だったと言ってよい.
何しろ,彼に兄弟,すなわち次期国王候補は沢山いたし,その中には,より賢くない,すなわち側近が操ることの容易な王子も,何人もいたのである.
であれば,側近政治の横行するこの国において,より凡庸な王子のほうに,より多くの支持が集まる道理であった.
加えて,ヒギンズ王子自身,学者肌の人物であって政治的野心など皆無だったから,1943年当時,ヒギンズ王子がのちに国王に即位するだろうと予測する者は,誰もいなかった.
おそらく王子自身もそうだったに違いない.
でなければ,世界大戦のさなかに母国を離れたり,戦後に世界中をふらふらと遊学できたりするはずもない.
この状況が変わったのが1945年である.
この年以降,ヒギンズ王子御付きの武官の数が急増する.
その主体は陸軍航空隊.
同年,マリネラ陸軍航空隊は空軍として独立する.
陸軍航空隊のみならず,
海軍航空隊の7割,
陸軍空挺師団,
陸軍の各種ミサイル部隊,
陸海軍の航空基地警備部隊,
警察海洋航空パトロール隊,
消防局救難航空隊
等々をも編入した一大組織となった.
元々,マリネラ王国軍は軍警察の意味合いが強かったとはいえ,このような編入のされ方は他国にも例がない.
後にヒギンズ王子の息子の側近となった,とある国防省若手幹部が述べたように,「要するに空のものは全部」空軍のものとなったのである.※1
予算も初年度にして空軍予算は陸海軍に比して,突出して多く,その後も倍々ゲームで増加していることが,統計から分かる.※2
装備が一新されたためである.
第二次大戦前には,一部戦闘機部隊にはまだグラジエーター複葉機を運用している部隊もあった.
しかし空軍独立後,それらは一足飛びにジェット戦闘機に置き換えられていった.
ウーラガンやミスティールといったフランス製戦闘機,あるいはミグ15やミグ17といったソ連製戦闘機.
それらをマリネラでは,他国の輸入価格の2倍から3倍といった高値で輸入していた.
その差額分にはウラン輸入の代金が上乗せされていたことは,疑いの余地がない.
このような「大軍拡」は空軍のみならず,陸海軍にも及んだ.
各種艦艇・各種車輌が多数輸入され,純粋に装備の数だけで見れば,キューバ軍を凌ぐほどであった.
ただし既に述べたように,あまりに多種多様過ぎた.
兵器はどれも戦力となるほど纏まった数輸入されておらず,したがって他の中南米諸国はどの国もマリネラを全く脅威の対象とは見做さなかった.
ヒギンズ王子の兵器輸入方針は,むしろ「他国の脅威とならないこと」が狙いであったことは間違いない.
警戒されては核武装推進がやりにくくなるからである.
それはともあれ,陸海空軍全てが予算の大幅増となったことは,マリネラ軍内部における「ヒギンズ王子閥」を急増させることになった.
彼についていけば,予算大幅増という恩恵にあずかれるのである.
人気が出ないはずがない.
『コロンブスからカストロまで――カリブ海域史,1492-1969』
http://www.amazon.co.jp/dp/4006003072
の著書として知られる,歴史家でありトリニダードトバゴ初代首相でもあるエリック・ウィリアムズは,次のように述べている.
「ヒギンズ王子がマリネラの核武装を熱心に進めたのは,第三極の核保有国が現れることにより,東西二極の冷戦が本物の戦争になることを抑止しようという理想のためであることは間違いないだろう.
その実務を担ったのが,最初から王子についていた武官であった.
この武官が志しを王子と同じくしていたかと言えば,たいへん疑わしい.
この武官は,ヒギンズ王子の派閥を増やし,王子を王座に就け,自らが側近としてマリネラの政治を動かす野望をもって,王子の活動をサポートしていたのだろう.
ともあれ,この武官が非常に政治的な人物であったことは,政治的な能力に乏しいヒギンズ王子にとっては,むしろ好都合であった.
二人のうち,どちらかが欠けても,マリネラの核武装は成功しなかったに違いない」※3
※1
マリネラ王国国防省編『マリネラ王立空軍50年史』(1995)
飯山幸伸『弱小空軍の戦い方』(光人社,2007)
https://www.amazon.co.jp/dp/4769825501
※2
マリネラ王国国防省編『国防白書』1943年版~1950年版
※3
Selwyn Reginald Cudjoe 編『Eric E. Williams Speaks: Essays on Colonialism and Independence』(Calaloux Pubns,1993/11)
http://www.amazon.co.jp/dp/0870238876
マリネラ空軍のウーラガン戦闘機
(マリネラ王立博物館の野外展示物)
【質問 kérdés】
核兵器開発費用をマリネラはどのように調達したのか?
【回答 válasz】
ところで,核兵器開発は莫大な国力を消尽する.
その予想される負担に耐えかねて,スウェーデンでは核兵器研究を放棄したほどだ.※1
マリネラ王国では,核兵器開発の主要財源は,もちろん鉱業,中でもダイヤモンド鉱山の収入だった.
その規模は公表されてはいないが,世界第1位2位を争うほどのものであろうことは想像に難くない.
たとえば,アメリカの作家,スコット・フィッツジェラルドは1922年,
「The Diamond as Big as the Ritz(リッツ・ホテルほどもある超特大のダイヤモンド)」
という中編小説を発表しているが,これのモデルになったのがマリネラのダイヤモンド鉱山だと言われている.※2
実際,マリネラの鉱山の警備は厳重を極めている.
小説そのままに鉱山周辺には対空陣地が置かれ,侵入者は容赦なく捕えられる.
ただし,小説とは異なることが一つある.
その頃,ダイヤモンド鉱山の経営を行っていたのはマリネラという国ではなく,「国際ダイヤモンド輸出機構」というシンジケートであり,マリネラは採掘権料をシンジケートから受け取っているに過ぎなかった.
「国際ダイヤモンド輸出機構」の歴史は古い.
1888年,南アフリカで設立されたダイヤモンド採掘会社を,そのルーツとする.
当時,アフリカ南部におけるダイヤモンド埋蔵量は膨大なものであったため,過剰生産による価格下落を防止すべく,生産調整を行う組織として作られた.
そればかりではなく,生産実績に応じて販売内容と価格を決定,得た利益をプールすることで,生産調整に不可欠な買い入れ資金を得るという,巧妙な循環システムを作り上げていた.
マリネラ政府は,まず正攻法で「国際ダイヤモンド輸出機構」との交渉を始めた.
同国の閣僚経験もある,ある政治家は匿名を条件に,筆者の取材に対し,次のように述べた.
「我が国は機構に対し,採掘権料の値上げを要請しました.
長い間,採掘権料は定額で据え置かれたままだったので,インフレ率に応じた権料引き上げを求めたい,というのが表向きの理由でした.
機構は,もちろん応じませんでした.
話し合いに応じることによるメリットが,機構には何も無かったからです.
機構側の交渉人は,冷ややかにこう言いましたよ.
『鉱山経営を楽な仕事と思われては困りますな.王家の方々に経営のことがお分かりにならないのも無理はありませんが』」
ヒギンズ三世は,この発言を突いた.
彼はダイヤモンド鉱山経営の実態を細かに調べさせ,経営改善を勧告するレポートを機構側に突き付けた.
このレポートは,A4のタイプ用紙で高さにして2mはあったというが,未確認である.
このときヒギンズ三世から顧問役として招かれたのが,経営学者のピーター・ドラッカー・ニューヨーク大学教授(当時)だった※3という念の入れようだ.
前出の政治家は,次のように述べている.
「事実,機構の経営は前近代的な,植民地時代のアフリカでのやり方と大差ありませんでしたので,改善すべきことは山ほどありました.
たとえば,労働者の労働環境の改善一つでも,経営効率はかなり違ってくるものです.
機構側は,『王家の方々』がまさかそこまでおやりになるとは,予想だにしていませんでした.
向こうの交渉人は,明らかに狼狽していました.
その隙をついて,我が国が勝ち取った譲歩が,採掘権料を定額制から,利益の何%かをマリネラに配分する歩合制に変更させたことでした」
これでマリネラは増収となったか?と言えば,さにあらず.
同国の統計年鑑によると,契約内容変更直後は,変更前よりかえって減収となっている.
「契約変更は呑んだものの,機構は経営改善には非常に後ろ向きでした.
そのまま何もしなくとも,莫大な収入が入ってくるのに,効果があるかどうかも分からない経営改善策に経費を使いたくない,失敗したら丸損じゃないか,という態度でした.
また,我が国への意趣返しのつもりもあったでしょう.
『小うるさいことを言ってくる原住民どもには,減収という罰が必要だ』
などと思っていたに違いありません」(前出の政治家)
このあたりでヒギンズ三世は,正攻法での「国際ダイヤモンド輸出機構」との交渉に見切りをつけたようだ.
正攻法が駄目なら,ではどうするか?
「軍を動員して接収,国有化を強制執行したら,どうなるかな?」
と,国王は例の最古参の武官に尋ねたという.
「得策ではありますまい」と,武官は答えた.「機構は採掘のみならず,流通まで抑えています.
我が国産のダイヤモンドは国際市場から干されることになり,我が国は収入ゼロとなるでしょう.
行きつく先は国家破産です」
「『労働者を煽動して,マリネラの全鉱山で経営改善を要求するストライキを起こさせる』」
「その場合,機構側は生産調整で対応するでしょう.
マリネラでのダイヤモンド採掘を休止し,それによって減った分は,他の地域での増産で補う.
これを労働者たちが干上がるまで続けるでしょう」
「『ダイヤモンドの推定埋蔵量を全て鉱山の資産と見做して,巨額の外形標準課税をかける』」
「同じことです.
その場合,機構側は採掘機械をそっくり引き揚げてマリネラから一時的に出ていき,我々が外形標準課税を取り下げるまで待機することでしょう.
それによって減ったダイヤモンド採掘量は,他の地域での増産で補うでしょう」
ヒギンズ三世は溜息をついた.
「多国籍企業は,独立国家よりも強いというわけか…」
しかし,ややあって彼はこう言ったと伝えられる.
「兵之所加如以碬投卵者虚實是也」
「は?」
武官は思わず聞き返した.
「多国籍企業は確かに強い」と,王子は言った.「だが,それを構成する人間は,ただの弱い一介の民間人でしかない」
マリネラの諜報機関が動き出した.
彼らは「国際ダイヤモンド輸出機構」の,マリネラ鉱山関係者のプライバシーを調べ上げた.
その対象は,マリネラ国民ではない全て,上は鉱山長から採掘現場の班長に至るまで.
その一人一人の弱みを探った.
その上で,個別にマリネラへの協力を要請ないし脅迫された.
鉱山付きのある医師は,看護婦との不倫をネタに,「鉱山労働者の健康改善のための意見書」を機構に上申するよう「要請」された.
その上申はその医師にとっては,良心に咎める事では何らなかったので,彼は素直に了承した.
といっても,他に選択肢はなかった.
女装癖のあったある現場監督は,それをネタに,機械設備のメンテナンス費用を過大に請求して,裏ガネを作るよう「要求」された.
そのカネは,労働者の福利厚生のために使われた.
労働者の意欲を増し,生産性を向上させるためだった.
覚せい剤中毒で,そのためのカネを鉱山から横領していた鉱山長は,それをネタに,本社に対してダイヤ採掘量を過少申告するよう脅迫された.
つまり,生産性が向上しているにも関わらず,報告書の上では採掘効率は横ばいのままということになった.
過去の「古傷」を発掘されたレントゲン技師は,渋々ながら採掘ダイヤ原石の秘密裏の持ち出しに協力した.
なぜ鉱山にレントゲン技師が要るのかと言えば,労働者が下山する際にレントゲン検査を受けさせるため.
労働者がこっそりとダイヤの原石を飲み込んで盗み出さないよう検査するためだった.
しかしその技師を協力者にしてしまえば,持ち出し放題.
アタッシュ・ケースで堂々と持ち出せるまでになった.
こうして,生産性が向上して,採掘量が増えた分のダイヤ原石は,「国際ダイヤモンド輸出機構」の知らぬ間に持ち出され,闇のダイヤモンド市場で売買された.
映画にもなった『ブラッド・ダイヤモンド』※4の著者,グレッグ・キャンベルは,次のように述べる.
「マリネラのダイヤモンドは,闇市場を席巻しました.
マリネラのダイヤが出回ったことで,闇市場価格は3割も下落したと言われています.
後にマリネラは,次の王の代になって悲願のダイヤモンド鉱山国営化を達成し,ダイヤの直接販売に乗り出していますが,それに際しては,闇市場での営業経験が大いに役に立ったのです」
マリネラ側のこうした動きに,「国際ダイヤモンド輸出機構」側も全く気付かなかったわけではない.
たとえば上述のレントゲン技師は,何らかの心境の変化により結局,マリネラ側からゆすられていることを機構側に告白した.
ほどなくこの技師はマリネラの鉱山から他の鉱山に異動し,マリネラによる密輸出は暫くの間,減少した.
密告者に対するマリネラ側の報復は迅速だった.
「古傷」についてのデータが,直ちにレントゲン技師の周辺にばら撒かれた.
これは学生時代に彼が行った「いじめ」についてのもので,彼は家族・親戚・友人からの信頼を一挙に無くすはめになった.
しかも,彼はまだ若く,「いじめ」を構成する行為の一部に,まだ時効を迎えていなかった犯罪行為もあったので,彼は逮捕・収監されることとなり,今もまだ獄中にいる.
刑務所内において接見した筆者に対し,彼は
「ハメられた」
「マリネラの工作員が受刑者としてやってきて,わざと俺をトラブルに巻き込んで,そのせいで刑が伸びた」
「たかが恐喝と窃盗強要で,どうして十年以上も服役してなきゃならないんだ」
などと訴えたが,真偽は不明である.
もちろん,交代要員としてマリネラにやってきた後任のレントゲン技師にも,似たような脅迫ないし買収の試みが行われたことは疑いの余地が無く,ダイヤ密輸出の減少は一時的なものでしかなかった.
マリネラ側諜報機関と機構側の私設情報機関の間で,血で血を洗う激しい暗闘が展開された.
脅迫者を消したり,逆に返り討ちに遭ったり,囮要員を配置したり,囮を逆に寝返らせたり…等といったことが頻繁に行われた,らしい.
その暗闘の規模は,ある面積から推測できる.
軍関係者の眠るマリネラ王立墓地公園に,名前もない真っ白な墓石だけが並ぶ一角がある.
この一角は諜報関係の殉職者の墓地だと言われる.
その面積は,ある時期から急拡大しており,その拡大はマリネラのダイヤモンド鉱山国営化が達成されるまで続いている.※5
ヒギンズ三世は晩年まで毎年,王立墓地公園に墓参に訪れているが,その際必ず,それら名無しの墓石に献花したという.
しかし,国家権力を背景として脱法的行為を行えるマリネラ諜報機関と,刑事法の下でしか動けない民間情報機関とでは,前者が明らかに有利であった.
作家で諜報分野に詳しい佐藤優は,次のように解説する.
「たとえば盗聴器一つ仕掛けるにしても,国家から黙認された諜報機関では,それを比較的容易に行えますが,民間機関は盗聴器を持っているだけで電波法に問われる恐れがあるわけですね」
さらにマリネラ国防省は,
「不審な国籍不明の航空機を,レーダーに探知した」
として,鉱山や「国際ダイヤモンド輸出機構」マリネラ駐在事務所の周りに防空陣地を建設した.
建前は
「テロリストや外国の秘密工作かもしれない航空機の侵入を阻止するため」
しかし実態は,機構そのものの包囲に他ならなかった.
テロ防止の名目で,社員や従業員たちは徹底した身体検査をその都度受けることになった.
「爆弾を持ち込むテロリストがいるかもしれない」
との建前.
これでは機構側の情報機関員は,抑え込まれたも同然だった.
次第に機構側はじり貧になり,マリネラに赴任する鉱山関係者が片っ端から恐喝や買収の餌食となることを食い止められなかった.
マリネラ勤務の幹部からは退職者・自殺者が続出するようになった.
マリネラ赴任を希望する人材は激減.
機構の経営するダイヤモンド鉱山の内では最大級のものであるマリネラは,かつては機構の中でも選りすぐりのエリート幹部達が,実務を積む場であった.
しかし将来の重役候補生たちが,次々と「壊されて」しまうようになると,機構側もエリートを送り出すようなことはしなくなった.
代わりに,機構の中でもはみ出し者,厄介者が派遣されるようになった.
「たとえばホモと公言しているような者なら,そのネタで恐喝されるようなことはないだろうし,仮にその者が他のネタで脅迫されて精神を病んでも,機構にとっては大した損失にはならない――機構はそう考えたのです」
と,前出のグレッグ・キャンベルは述べる.
「しかしそれは,マリネラのダイヤ密輸出を黙認するものに他なりませんでした.
こうしてマリネラは,核兵器開発の資金を安定的に確保することができたのです」
その後も,このマリネラと機構の暗闘は,ヒギンズ三世死去まで続いた.
ヒギンズ三世の死因は,
「従来より心臓が弱かったところ,連日のテレビ・ゲームのやり過ぎによる心不全」
と発表された.
だが,次国王のパタリロ八世の時にも機構は暗殺を試みている.
機構とヒギンズ三世との確執から見て,本当に死因が「連日のテレビ・ゲームのやり過ぎによる心不全」だったかどうか,今なお議論が絶えない.
ところで,この暗闘の一部始終を間近で目撃していた者がいる.
先に招聘された,経営学者のピーター・ドラッカー教授である.
その後,彼は「会社の使命,組織の使命」について考察・論じるようになる※6のだが,それはまた別の話である.
「企業はレンガやモーターの集団ではなく,生身の人間集団である」
「傲るな.企業は"社会"に存在させていただいているものだ」
「もし私が会社の社長だったら,一番恐れることは,大会社とその経営者が自分では露ほども不法なことをしていると考えず,道徳観念がルーズで無神経に行動することである」
-----------ドラッカー語録より
※1
スウェーデン外交政策研究所編『スウェーデンの核兵器問題』(鹿島研究所出版会,1967)
http://www.amazon.co.jp/dp/B000JA711C
※2
この小説は,
フィッツジェラルド著,村上春樹訳『冬の夢』(中央公論新社,2009)
http://www.amazon.co.jp/dp/4120040712
に収められている.
※3
ドラッカー著『知の巨人 ドラッカー自伝』 (日経ビジネス人文庫,2009)
http://www.amazon.co.jp/dp/4532195039
※4
http://www.amazon.co.jp/dp/0813342201
※5
マリネラ国土省の航空写真 1955年~1980年を閲覧されたし
※6
ドラッカー『ポスト資本主義社会 21世紀の組織と人間はどう変わるか』(ダイヤモンド社,1993)
http://www.amazon.co.jp/dp/447800210X
写真は,1950年代のマリネラ軍の対空砲と同型のもの
(https://forums.sufficientvelocity.com/threads/valkyria-rising-quest-1-2-valkyria-chronicles.115/page-18
より引用)
【質問 kérdés】
核兵器開発のための人材は,マリネラはどのように確保したのか?
【回答 válasz】
さて,ダイヤモンドなら穴を掘れば出てくるが,人材はそうはいかない.
いかにヒギンズ三世が天才であっても,核兵器開発のような巨大プロジェクトは,たった一人の人間の努力や才能で成功できるようなものではない.
では,マリネラではどのようにして,核兵器開発のための人材を確保したのだろうか?
王家や政府の関係者が好んで使う冗談に,
「小学校の工作の時間に核兵器を作らせた」
というものがある.
しかし調べていくうちに,実はこれが全くの冗談とも言えない事実が浮かび上がってきた.
マリネラの核兵器開発は,年齢にして小中学生程度の天才児達が中心になって進められたのである.
マリネラの福祉NPOとして最も名の知られたものに,現国王パタリロ8世が理事長を務める「巨大な豚さん貯金箱」基金がある.
これは児童育英基金で,その予算は全て国王のポケットマネー及びその投資運用利益によって賄われている.
一方,先王ヒギンズ3世も同様に児童育英NPOに私財を投じていたが,こちらのほうは全く知られていない.
名前も「基金」.
一切の宣伝も売名行為もなく,他国のNPOと接触することも殆どなく,まるで目立つことを嫌うかのようにひっそり運営されていた.
否,本当に「目立つこと」は一切厳禁だったのである.
ヒギンズ3世「基金」と接触したことのある数少ないNPOの一つ,国際赤十字の関係者は,次のように証言する.
「私は彼らとはスーダンやコンゴの内戦の難民キャンプで接触しました.
他にも世界各地の難民キャンプや貧困地帯で活動していたようです.
主に児童に対する教育支援を行っていました.
彼らには資金が潤沢にあり,学校を幾つも建てていました.
しかし,彼らが他のNPOとの共同プロジェクトに参加するのを見たことは一度もありません.
専ら彼ら単独で行っていました.
ですので,学校建設以外に具体的に何をやっていたのか,詳しいことを外部の人間で知る者はありません.
子供を親から買い取った等,決して良くない噂も聞きますね」
「それは全くの誤解です」
と反論するのは,マリネラ王室の広報担当官.
「先王陛下は優秀な子供のマリネラ留学を積極的に受け入れておられました.
その留学に際しては,留学準備のための奨学金を親に渡しておりました.
残念ながら,その奨学金を準備以外の目的,酒や麻薬の購入,あるいは博打などに浪費する,一部の不心得な親がいたのは事実です.
全く嘆かわしいことです」
子供の頃にヒギンズ3世「基金」の建てた学校で学んだという,パキスタン教育省の官吏サキブ・ハニフ(仮名)の証言:
「特に凝ったところのない,平凡な建物でしたね.
NGOの建てたものにありがちな,『○○○の資金援助により建設された』などといった銘板なども何もなく,通っていた頃は,あの学校が外国の援助で建てられたことすら知りませんでした.
カリキュラムも特に変わったところはなく,読み書きに算数…
そうそう,それに一度,パズルのようなテストを受けさせられましたね.
あれがIQテストだということは,ずっと後になって知りました」※1
ハッサン・ホールディングス(インド)のハッサン会長の証言;
「NPO絡みの仕事は幾つも手がけましたが,あの『基金』の注文は変わっていましたな.
とにかく目立たない建物にしてくれということでした.
『基金』のオーナーが,そういうことで目立つのを嫌うからだ,と.
どちらかといえば,
『思いっきり目立たせて,活動していることをアピールしたい.そのほうが寄付金が増えるから』
という姿勢のNPOが多い中,とても珍しいと思ったことを覚えています.
…『基金』が建設した学校の数ですか?
インドだけで100は超えていました」
マニラ(フィリピン)北方のスラム街「スモーキー・マウンテン」在住の無職,アントーニオ・"ボラッチオ"・ロサリオ(仮名)の証言;※
「あいつは頭のいいやつでしたよ.
俺が盗みに入るときは,いつもあいつに見張りをやらせてたんですよ.
けど俺がドジって警報機鳴らしちまったことがありましてね.
そんときあいつがどうしたかってぇと,俺に隅に隠れてるように言って,持ってきてた袋の中から何か出したんですよ.
動かないよう縛ってあったカラスでね.
そいつを部屋ん中に放したってわけでさあ.
縛ってた紐を切って.
そんで俺と一緒にかくれて.
カラスは大暴れしまさあね.
そんときに警備員がやってきて,無闇に何かがやみくもに飛び回ってるってんで,驚いて悪魔だ何だと大騒ぎする.
その隙に俺たちゃ脱出できたってわけでさあ.
5歳のガキが思いつくことじゃありやせんよね,普通」
「んで,あいつが6歳の時だったですかね,新しい小学校ができやしてね.
なんでも朝昼晩とタダメシ食わせてくれるらしい,ってんで,ちいと遠かったんですけど,そいつを通わせることにしたしんでさあ.
朝飯だけ食わせて,他をビニール袋に持ち帰らせて,売っ払って.
おかげで余分に酒が飲めるようになりましたよ,へへへ…
そしたら,何ですか,その学校のやつと役人とが来て,
『お前んところのガキは頭がいいから,マリネだかマラリアだかに留学させることにする.カネは出すから,この書類にサインしろ.さもなくば児童虐待でしょっぴく』
って言ってきやしてね.
こっちだって逮捕されたかありやせんから,サインするしかねえってことで.
カネも欲しかったし.
んで,サインして,ガキがつれてかれて,それっきりでさあ.
一度も顔も見てませんやね.
まあ,あいつも今さら俺の顔見たいとも思ってねえでしょうし.
それよりも,うちの一番下のガキも,あいつと同じくれぇ頭がいいんですけど,また,買ってもらったりできねえもんですかね?(媚びた笑い)」
このようにして集められた子供たちの数は,いったいどのくらいになるだろうか?
言うまでもなく,公式の統計などは何も存在しない.
ただ,マリネラ王国自体の人口統計は存在する.
統計によれば,マリネラの現在の人口は約10万人とされている.※3
年齢別人口構成は,ほぼピラミッド状に分布しているが,一か所,不自然に膨らんでいる部分がある.
1940~50年代生まれの世代だけが急増しているのである.
出生率から計算するならば,少なく見積もっても15000人は余分に増えている推算になる.
この15000人が,『基金』によって集められた天才児たちということだろう.
マリネラに帰化しないままの者もいるだろうから,実際は15000人よりも多いだろうと想像される.
仮にこれら15000人の内,9割が英才教育から脱落したとしても,科学者として養成された者が1500人.
先のマンハッタン計画では,ロスアラモスに集められた関係者(科学者・技術者及びその家族)が1500人であったから,「科学者だけで1500人以上」というのは十分すぎる数と言える.
ロスアラモスと同じように,彼らが纏まって住む村が新しく建設された.
現在のパタリロ山の麓(ふもと),パタリロ湖湖畔に村と学校兼研究所と実験用原子炉とが建てられた.
原子炉はフランスの「オシリス」研究炉とほぼ同型のもの※4で,この原子炉をマリネラに輸出したのがどの国なのかは明白だった.
後にフランスはイスラエルやイラクにも原子炉を輸出し,顰蹙を買うことになる.
通常,原子炉というものは冷却水を容易に確保できる海岸沿いに作られるが,マリネラの場合,海から原子炉の存在が丸見えとなることを嫌ったようだ.
マリネラの一般市民が不用意に村に近づかないよう警備員が配置されると共に,
「パタリロ山中には妖怪や宇宙人が出る」
「パタリロ湖にはパタッシーという怪物が出る.人も食う」
といった噂が積極的にバラ撒かれた.
噂の出所は王室関係者であることからも,その意図ははっきりしていた.
それにしても,科学の最先端の秘密を守るため,非科学的な噂に頼るという構図は,いささか皮肉ではある.
※1
なお,ペシャワールにあったこの小学校は2009年,テロ組織「パキスタン・ターリバーン運動」によって爆破され,現存しない.
犯行理由は「西洋式教育を行っているから」というものであった.
※2
なお,インタビュー後の1995年,スモーキー・マウンテンは閉鎖され,アントーニオ・"ボラッチオ"は現在消息不明.
外国人労働者が主に暮らす,マリネラ銀座裏の貧民街「ドブ池通り」での目撃情報もあるが,未確認.
※3
マリネラ国務省統計局編・出版『国勢調査最終報告書 マリネラの人口・世帯』,各年度版より
※4
参考までに,オシリス型原子炉の断面図を以下に示す.
http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/14/14070201/06.gif
http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/14/14070201/07.gif
【質問 kérdés】
マリネラの核兵器開発に対するMI6の諜報工作活動について教えられたし.
【回答 válasz】
サンダース達がキューバ沖の海中でニセ映画を撮影していたのとほぼ同じ頃,マリネラの空中ではマリネラ空軍史上有名な「新婚カップル撃墜未遂事件」が起きていた.
ある富豪家の新婚カップルが新婚旅行を兼ね,飛行機の機内で結婚式を挙げようと思いついたのが,事の発端.
彼らはコスタリカ航空(Avianca Costa Rica)のDC-6型旅客機※1を貸し切り,サンホセのフアン・サンタマリーア国際空港※2から遊覧飛行へと飛び立った.
カリブ海クルーズして,最終目的地はリゾート地フロリダ.
ところが機長は操縦を誤り,同機はマリネラ領空に迷い込んだ.
しかも間の悪いことに,原子炉建設中のパタリロ湖上空にやってきてしまった.
マリネラ空軍の戦闘機が緊急発進した.
戦闘機は新婚機に対し,直ちに進路を変えてマリネラ空港に着陸するよう命令した.
「さもなければ撃墜する」
と.
しかし新婚機の機長は,命令を無視.
領空外へ出ようとした.
どうやら機長は,マリネラ軍機が本気で撃つとは思わなかったらしい.
その判断は誤りだった.
旅客機が進路を変えないと見るや,その機銃で戦闘機は攻撃をかけた.
コックピットに銃弾が降り注いだ.
機長は負傷,新婚機は急降下し,何が起こったのかも知らない新婚カップルやその親族・友人らはパニックに陥った.
だが,新婚機にとって幸いだったのは,スクランブルをかけてきた戦闘機が,旧式の「グラディエーター」複葉機だったことだった.
(だからこそ,機長も油断したらしい)
マリネラ空軍にとっても史上初の緊急発進であり,そのとき直ちに発進可能なほど整備されていたのは,整備員にとっては手慣れた「グラディエーター」だけだった.
急速なジェット機への転換に,整備員の技術が追いついていなかったのである.
「グラディエーター」に搭載されている7.7mm機銃は非力で,機長を負傷させた以外は,幾つか小さな穴を新婚機に開けただけだった.
副操縦士が慌てて操縦を代わり,機体の姿勢を立て直すと,大急ぎでその場を逃げ出した.
DC-6型旅客機の最高時速は644km.
追いかける「グラディエーター」戦闘機は,老朽化もあって時速400kmがやっと.
新婚機は命からがら逃げ切って,タークス・カイコス諸島はグランド・カイコス島の浜辺に不時着した.
富豪家がコスタリカ政界とも繋がりがあることから,事件はコスタリカのマリオ・エツァンディ・ヒメネス Mario Echandi Jimenez 大統領(当時)を激怒させた.
彼は在サンホセのマリネラ大使を召喚し,宣戦布告も辞さない勢いで抗議した.
コスタリカは1948年の憲法改正で軍隊を廃止しており,当時は非武装.
しかし,警察にしては重武装の准軍隊「警備隊」がある.
また,同国憲法第12条の規定により,予備役を招集,また,民間人を徴兵し,軍隊を復活させることを議会演説の中で大統領は述べた.
もちろん,これはポーズに過ぎなかった.
治安警備隊や沿岸警備隊の装備では,マリネラに対して上陸作戦を敢行することは到底不可能だったからだ.
マリネラ側も戦争などは望まなかった.
マリネラ首相は事件に対して早い段階で公式に謝罪し,被害を受けた会社や人々に補償を行うことで,事件は決着した.
そして事件はたちまち風化し,忘れ去られた.
なぜ新婚機の機長は針路を誤ったのか?
原因は不明だが,一部計器に狂いがあったのだろう,というのが機長やコスタリカ航空の説明だった.
しかしこれは虚偽の説明だった.
2012年12月12日,ある文書がウィキリークスにアップロードされた.※3
ウィキリークスは世界各国の機密情報の漏洩情報を投稿できるサイト.
その「ある文書」とは,1950~1960年代の英国の,中南米諸国に対する情報収集活動に関するもので,その中にはマリネラに対する諜報活動も含まれていた.
同文書によれば,「新婚カップル撃墜未遂事件」において新婚機がマリネラ湖上空を侵犯飛行したのは,機長の故意によるものだったというのである.
当時,事態の重要性を鑑みて英軍情報部は,逃亡したナチスの追跡任務は他の者に任せ,イヨマンテ・サンダースをマリネラの核兵器開発に関する情報収集に専従させていた.
彼はMI6に転属し,若干数の部下も持たされた.
マリネラ湖畔に「ロス・マリネロス(マリネラのロスアラモス)」とそれに付随する原子炉が建設中であることを,サンダースらは突き止めた.
日雇い建設労働者の証言.
しかし,彼らは核の専門家ではないので,証言の内容は曖昧,信憑性にも疑問符が付いた.
「ビールを1缶やるだけで,彼らはあることないこと何でも喋った」
とは,同文書の中のメモ書きのフレーズだ.
そこでMI6が思いついたのが,上空から工事現場を撮影することだった.
しかし,小国とはいえれっきとした独立国の領空を,英軍偵察機が無断で侵入するわけにはいかない.
ましてマリネラは,半ば忘れ去られていたとは言え,条約上は英国の同盟国だ.
また,領空侵犯をとやかく言われない偵察衛星などというものは,当時はまだ存在もしていなかった.
これがアメリカなら,国籍不明機ということにしてU-2偵察機を侵入させるだろうが,英国はもっとスマートな方法をとることにした.
どこかの民間機の機長を買収して,「うっかり」領空に侵犯させることにしたのである.
そしてサンダースらが買収に成功したのが,件の新婚機の機長.
「『うっかり』操縦を誤っただけで1万ドル頂ける」
と聞いて,機長は二つ返事だった.
そんなパイロットと知らずにチャーターしてしまったのが,新婚カップルの不運だった.
もちろんサンダースは,その際の危険性については機長に知らせなかった.
そもそも彼自身,マリネラの防空体制を低く評価していた.
そしてそれは結果的には正解だった.
サンダースの予測より素早くマリネラ空軍は反応できたが,サンダースの予測より低性能の戦闘機しか迎撃してこなかった.
マリネラとコスタリカとが,一連の外交上の騒動を繰り広げている間に,MI6は新婚機にこっそり取り付けてあった航空カメラを回収した.
カメラを取り付けたのも回収したのも,コスタリカ航空のとある整備員で,彼もまたMI6に買収されていた.
機長と整備員とは,互いに買収されていることは知らなかった.
整備員は,
「フライト前にこの装置を取り付けて,フライト後に回収してきてほしい」
と言われただけ.
カメラであることすら知らされなかった.
MI6の「Q」が開発した超小型特殊カメラ.
カメラは直ちにMI6本部に空輸されて,フィルムを現像された.
大成功.
ロス・マリネロスに建設中の原子炉の様子が,鮮明に写っていた.
なお,カップルはその後,3か月で離婚したそうである.
※1
事件の機体と同型の,「コスタリカ航空」のDC-6
https://en.wikipedia.org/wiki/Avianca_Costa_Rica#/media/File:Douglas_DC-6BF_TI-1018C_LACSA_MIA_08.02.71_edited-3.jpg
※2
フアン・サンタマリーア国際空港の公式サイトはこちら
http://fly2sanjose.com/es/
※3
https://wikileaks.org/
証拠は揃った.
マリネラが秘密裏に原子炉を建設しようとしている証拠.
マリネラが大量のウラン鉱石を集めている証拠.
その目指すところは核兵器開発だと子供でも分かる.
英国政府としては,自国以外の核兵器保有国がこれ以上増えることを歓迎しない.
ではどうすべきか?
中南米はいわばアメリカの裏庭である.
通常ならアメリカを通じ,マリネラに圧力をかけるのが定石だ.
しかし,この件ではアメリカは信頼できない,とMI6のサンダースは報告した.
なぜなら,アメリカ諜報機関内部にヒギンズ三世を支持する一派がいると見られるからだ.
第二次大戦中,ヒギンズ三世が米海軍情報部のエフティミアデスらと組み,天皇を誘拐しようと計画していたことは,既に述べた通りである.
戦後直後に大土木博士がニーゲム艦長共々,突然サンダースの前から姿を消したのも,ヒギンズ三世シンパの仕業と考えられた.
そこでハロルド・マクミラン首相(当時)は,マリネラの核開発疑惑を国連安保理に提訴しようと考えた.※1
当時,既に冷戦は始まっており,安保理自体は機能不全に陥っていた.
しかし,国連という公の場で広く訴えることにより,アメリカの諜報機関を経由せずに,直接アメリカのトップに話が伝わる.
他の各国首脳にも話が伝わる.
それら各国独自の経済制裁が期待できる.
マリネラはモノカルチャーの国である.
前にも述べた通り,ダイヤモンドの輸出がマリネラの命綱だ.
経済制裁によってそれが半分でも滞れば,マリネラ経済は大打撃を受ける.
英国外務省(現在の外務・英連邦省)の試算では,マリネラのダイヤの主要輸出先である西側各国(東側各国はソ連のダイヤを買わされるので)が全て経済制裁を行えば,マリネラのダイヤ収入は9割減となり,貿易赤字国に転落する.
そうなれば核兵器開発どころではなくなるだろう.
それどころか政情不安となり,マリネラにクーデターが起きるかもしれない.
マリネラに最も近い英国領であるバミューダ諸島には英軍特殊部隊SASが派遣され,非常事態に備えられた.※2
政情混乱のどさくさに紛れ,マリネラが溜め込んだウランが第三国に渡るようなことがあってはならないからだ.
かように政治家が目立った動きをするときは,下っ端役人が下働きしなければならない.
マクミラン首相がニューヨークの国連本部入りする1週間前から,在キングストン(ジャマイカ)英国大使館の中の一室で,サンダースは朝から晩までタイプライターをひたすら打つという退屈な仕事をせねばならなくなった.
300ページに上る報告書と,それを1枚のペーパーに纏めたものとを作成し,前者は英国外務省に,後者はマクミラン首相に渡すという仕事.
政治家は忙しいので,300ページもの書類を全部読んでいる暇はないから,1ページに纏めねばならないのだ.
マクミラン首相のニューヨーク入り前日,7皿目の灰皿を吸殻で山盛りにし,ようやく書類作成も終わりに近づいたころ,部屋のドアをノックする者がいた.
3重のロックを外してドアを開けると,立っていたのは大使館のメッセンジャー.
電報を一通持っていた.
曰く,
「予定ハ全テきゃんせる.至急帰国セヨ」
そのころMI6内部では大騒ぎになっていた.
エージェントの一人,キム・フィルビーがソ連に亡命したからである.
キム・フィルビーはMI6の中でもかなりの大物だった.
一時は長官候補となったこともある.
それが行方不明になったと思ったら,ソ連の機関紙「イズヴェスチヤ」にフィルビーが亡命したとの記事が載ったのである.
同紙にはプーシキン広場に立つ彼の写真も掲載されていた.※2
第二次大戦中を含め,30年も機密がソ連に筒抜けだったわけで,MI6はメンツ丸潰れ.
しかも,メンツの問題だけでは済まなかった.
フィルビーの仲間の裏切者が,他にもまだいると思われたからだ.
ホワイトMI6長官は,海外の諜報員にも全員一時帰国を命じた.
彼らは全員ウソ発見器にかけられた.
フィルビーに近しかった者には,念入りに事情聴取が行われた.
サンダースはフィルビーとの直接の面識はなかったので,ウソ発見器にかけられただけで済んだ.
しかし,もはやマリネラどころではなくなっていた.
ウソ発見器でも内部査察でもフィルビーの協力者を発見することはできなかったので,MI6では疑心暗鬼が蔓延していた.
MI6の外部のロスチャイルド家のロスチャイルド卿やMI5副局長ガイ・リデルまでが疑われていたほどだ.
結果,MI6は組織としてガタガタになっており,合法的な情報収集任務すら支障をきたしていた.
マリネラは幸運に救われたと言えよう.
いや,本当にただの幸運だったのだろうか?
少なくともフィルビー自身は,運の問題だったとは思っていない.
冷戦終結後に行われたインタビューの中で,彼は晩年,次のように述べている.※4
「(暗号通信がアメリカに解読されて,スパイであることが発覚したということは)絶対にありえない.
私とKGBとの連絡は,暗号を使ってやり取りするようなものではなかったからだ.
私は機密書類をこっそり持ち出して,KGB側の担当官にそれを複写させ,書類はまたもとのところに戻しておく.
そういうやり方でやってきた.
暗号通信を使って連絡したことは殆どなかったし,その場合でも長くてせいぜい数単語.
仮に通信が解読されていたとしても,それで正体がばれるような情報量ではなかったはずだ」
彼はそう言って,第三国の介入を示唆している.
マリネラには強力な諜報機関があることはすでに述べた.
現在でも各国の大使館には最低でも必ず一人は,マリネラの諜報関係者が清掃係として潜伏していると言われる.
彼らの仕事というのは極めて地味なもので,ゴミの山の中から文書を持ち帰り,マリネラ本国に送って内容を分析する.
もちろん廃棄される機密文書は,機密保持のため,シュレッダーにかけられる.
マリネラではそのシュレッダー済みの,スパゲティのようになった紙くずを繋ぎ合わせ,文書を復元する.
何の手がかりもなしにつなぎ合わせようとすると,膨大な時間がかかるので,紙断片の様々な「指紋」を利用する.
文書一つにも,様々な特徴が存在する.
メーカーによる紙の組成の僅かな違い.
手書きされたものであれば筆跡.
タイプまたは印刷されたものであれば,そのインクの組成.
活字の僅かな歪み・変形.
シュレッダーにかけられたものであれば,破断面.
僅かな刃の変形,ホチキスの針を噛んだとか刃の摩耗が早いとか出荷時に壁にぶつけて曲がったとかで,ごくごく僅かな個体差がシュレッダーにも出る.
シュレッダー口に投入する際にも,投入者によってそれぞれ固有のクセがある.
押し込むように入れる奴.
少し傾く奴.
破砕中の紙をちょっと引っ張る奴.
その他いろいろ.
加えて文書作成者&シュレッダー投入者の指紋.
それら特徴を元に紙くずを分別することで,文書繋ぎ合わせに要する時間を短縮する.
分別するための機械もマリネラに作られた.
初期のそれは,真空管を大量に並べたクラシカルなコンピュータで,ダイヤモンドの廃坑全体を使うほど巨大だった.
テクノロジーの進歩により,真空管はトランジスタとなり,トランジスタはLSIとなり,コンピュータは徐々に小型化・高性能化されていき,今では王宮地下に収まる程度のサイズとなっている.
そしてそれは紙くず分別の他,情報分析のアシスト,さらには国家戦略立案のアシストにも使われるようになり,「マザー・コンピュータ」と呼ばれている.
そのような強力な諜報機関であるなら,フィルビーの秘密を探り出すことも容易だろう.
ヒギンズ三世は,MI6が混乱に陥ってマリネラどころではなくなることを見越し,フィルビーの情報をリークしたのだと今日では考えられている.
少なくともフィルビーやKGBはそう思っている.※5
キム・フィルビー事件の後,MI6では文書破棄の方法をシュレッダーから焼却に変えた.
フィルビー事件の調査を行った際に,MI6もマリネラ諜報網に気付いたらしい.
しかし大して効果はなかった.
文書を焼却するのは清掃員の役目であり,焼かれる前に抜き取られる文書が後を絶たなかったからだ.
加えて,ちょっとしたメモ書き程度のものなら,そもそもシュレッダーにも焼却にもされることはない.
丸められてゴミ箱に投げ入れられるだけだ.
それらメモは,それぞれは断片情報に過ぎなくとも,断片情報をいくつも集めてくることで見えてくる情報もある.
さらに,諜報員の個人宅は文書管理すらされない.
そこではただの一般ゴミだ.
そこにはさすがに機密文書は流れてはこないが,ヒントとなりそうな断片情報は,そこにも幾つも転がっている.
そう悟った後は,MI6はマリネラに対しては及び腰になった.
こちらからちょっかいを出さない限り,マリネラもMI6にやり返してはこない.
英国に対してはマリネラは無害な存在であり続ける.
それならば,わざわざ英国諜報機関のほうから波風を立てるような真似をしなくてもよいのではないか?
そうしたムードが徐々に支配的になっていった.
諜報機関といえども,お役所であることに変わりはない.
核拡散?
知ったことか.
世界の警察官の役割を気取るのは英国じゃない.
そんなムードにサンダースはもちろん内心では大変不満だった.
長年の努力が水泡に帰したようなものだからだ.
ただ,諜報機関では活動が無駄になることはザラにある.
むしろ,無駄になることの方が多いと言っていい.
上述のマリネラの文書判読作業もそうだが,復元できた文書のうちの9割はどうでもいい情報である.
残り1割の貴重な情報を探すため,9割の無駄な活動を受容しているのだ.
だからサンダースも比較的容易にあきらめがついた.
それに,サンダース個人にとっては,まったくの無駄というわけでもなかった.
後年,MI6中南米部長の席が空席になった時,なかなか適任者が見つからなかった.
キム・フィルビー事件の影響で,フィルビーに繋がりのある者達は役職に就けなかったからである.
そんな中,サンダースだけは全くフィルビーとの接点がなかった.
ナチス残党の追跡活動~マリネラの核開発の追跡活動に従事していたサンダースは,フィルビーと知り合う機会自体がなかった数少ないMI6エージェントの一人だった.
そんなわけでサンダースは部長になれた.
要するに,たまたま他に人材がいなかったのである.
※1
Charles Williams『Harold Macmillan』(Phoenix, 2010)
http://www.amazon.com/dp/0753827026
※2
James Shortt & Angus McBride『The Special Air Service』(Osprey Publishing,1981)
http://www.amazon.com/dp/0850453968
※3
キム・フィルビーについては,フィクション・ノンフィクション共に様々な書籍が出版されている.
比較的入手容易なものとしては,
キム・フィルビー『プロフェッショナル・スパイ 英国諜報部員の手記』(徳間書店,1969)
ベン・マッキンタイアー『キム・フィルビー かくも親密な裏切り』(中央公論新社,2015)
グレアム・グリーン『ヒューマン・ファクター』(早川書房,1983)
がある.
『ヒューマン・ファクター』は小説の体裁をとっているが,グリーンがフィルビーの部下だった点で意味深い.
※4
ベン・マッキンタイアー『キム・フィルビー かくも親密な裏切り』(中央公論新社,2015)より.
https://www.amazon.co.jp/dp/4120047199
※5
同上.
※6
Stephen Dorril『Mi6: Fifty Years of Special Operations』(Fourth Estate,2001)
https://www.amazon.co.jp/dp/1857027019
【質問 kérdés】
マリネラでは核実験はどのように行われたのか?
【回答 válasz】
1970年,マリネラ工業相は高らかに「マリネラ全土の電化完了」を宣言した.※1
どんな山奥まででも電気が通るようになったというもの.
それまでは,一部の山間地はまだ照明を灯油ランプに頼っていた.
電力供給源は,マリネラ各地に建設された10基以上の原子炉.
そのころまでにはなし崩し的に,徐々に秘密の存在ではなくなっていた.
原子炉稼働は営利目的ではなかったので,電力は廉価で市場提供された.
安価な電力は,外国からの投資を呼び込んだ.
生産コストで有利だからだ.
工場建設が幾つも進み,工業生産高を押し上げた.※2
にも関わらず,工業製品輸出のほうは殆ど増えていない.
相変わらずマリネラは,ダイヤモンド主体のモノカルチャーの国だった.※3
工業製品輸出が伸びない理由は品質.
国際市場での評価は,東ドイツやチェコスロヴァキアの製品よりも低級,マリネラの周辺国のハイチやキューバの製品にどうにか勝てるといったレベルだった.
低品質の原因ははっきりしていて,エンジニアの不足.
そのため技術革新が進まず,国際水準に比べて旧式で経済性の悪い設備での工業生産が行われていた.
かつてスウェーデンの報告書において指摘されていたように,「核兵器開発は長期間にわたって国力を消尽する」が,その悪影響の一つが「エンジニアの不足」となって表れていたのである.
使えるエンジニアは殆ど全て,核兵器開発に投入されており,民間にまで回らなかった.
だが,安価な電力などはヒギンズ三世にとって,単なる余禄に過ぎなかった.
原子炉から燃料棒を引き抜いて,プルトニウムを抽出する作業が,着々と進んだ.
電化完了宣言は,マリネラが原子炉を稼働させていることをもはや隠す必要がなくなったことを意味しているので,つまり,その宣言が出された1970年までには,原子爆弾を作るのに十分な量のプルトニウムを抽出できていたはずである.
次は核実験の段階である.
「核爆弾を作ったこと」が直ちに「兵器としての核を持った」ということにはならない.
ちゃんと爆弾が核分裂を起こして爆発しなければ,それは単なる重たい金属の球でしかない.
その実証には核実験が必須である.
どんなに理論的には正しく見えても,機械にはどこかしら予想外の不具合が出るのが当たり前だからである.
全知全能の存在でもない限り,あらゆる不具合を予測するのは不可能といっていい.
不具合を取り除くためには,
「実験⇒不具合の発生⇒トラブル・シューティング」
を繰り返さねばならない.
『風立ちぬ』の堀越技師も,戦闘機開発の過程で墜落事故を起こしているが,機械の開発とはそんなものだ.
さもないと,まともに動かないものを量産してしまうことになりかねない.
その代表例が第二次大戦にある.
第二次大戦前,アメリカ海軍には魚雷に不備があった.
発射試験は行われたのだが,試験のやり方に問題があり,結果,命中しても爆発しない不発魚雷を量産していたことに誰も気づかなかったのである.
「ところが困ったことに,わが国には核実験場として使えそうな場所がありません」
古参武官はヒギンズ三世に,そのように結論する国防省レポートを上奏した.
「我が国には,残留放射線を気にせずに済む,無人の荒野というものがありません.
大洋の真っただ中に存在する無人島も領有しておりません.
結論を申しますと,核実験は不可能です」
「我が国には古い時代のダイヤモンドの鉱山跡が幾つかある.
そこで地下核実験すればよいのでは?」
と王子が問うと,臣下はこう答えた.
「それも検討してみましたが,我が国の国土は狭く,廃坑の近くには現在も操業中の鉱山がいくつもあります.
廃坑で核実験を行えば,地震波が地中を伝わり,鉱山に大きな損害を与える可能性大です」
さすがのヒギンズ三世にも,物理環境を変えることは出来そうにないように思われた.
「この際です.発想をお変えになってはいかがでしょう?」
と,古参武官は進言した.
「そもそもこのプロジェクトの目的は,マリネラという,東西両陣営に属さぬ,政治的に独立した核保有国を存在させることにより,仮に核戦争が勃発すれば,核戦争後のいずれの陣営もマリネラの軍門に下らねばならぬという事実をもって,核戦争そのものを抑止させようというものです.
であれば,マリネラが本物の核攻撃能力を持たなくとも,核実験が行われたかのように偽装するだけで十分ではないでしょうか?
マリネラが核保有国であるかのように思い込ませるだけで,じゅうぶん核戦争への抑止力になるかと」
「ニセの核実験をしたところで簡単にばれると思う」
というのが王子の返事であった.
「核実験の痕には,必ず痕跡が残る.
自然界にはない放射性物質が撒き散らされる.
なので,他の国のスパイが大気を採取して分析すれば,その放射性物質があるかないかで,核実験が本当にあったかどうかすぐ分かってしまうだろうね」
マリネラ王室のウォッチャーの一致した見解では,ヒギンズ三世はしばらくの間,公式行事において明らかに集中力を欠いたという.
「何か考え事をしているかのように,全く身に入っていませんでした」
と,王室取材歴25年のベテラン記者は語る.
国防省レポートをヒギンズ三世が受け取ってから数日は,彼はそんな様子のまま,毎日のようにある公式行事を機械的にこなしていた.
数日後にあったのが,マリネラ王立墓地公園での献花だった.※4
その日はどんよりした曇り空.
献花の時も彼は心ここにあらずといった態だったが,ふと,急に手元が明るくなった.
振り返った彼は,眩しさに手を目にやった.
雲間から太陽の日差しが差し込んでいた.
「『賢い人は葉をどこへ隠す? 森の中だ』」※5
と,ヒギンズ王子は古参武官に,一つのセリフを引用してみせたという.
「核反応を隠したいなら,核反応の中だ」
「と,申しますと?」
王子の言葉の意味を図りかねた古参武官は尋ねた.
「太陽だ.
大陽は熱核融合をこれまで約46億年の間,ずっと続けてきた.
この巨大な核融合炉が放つ大量の放射線にまぎれ,ちっぽけな核爆発を一つ起こしても,誰も気づきもしない」
『戦争の科学 古代投石器からハイテク・軍事革命にいたる兵器と戦争の歴史』(主婦の友社,2003)※6
などの著書のある軍事ジャーナリスト,アーネスト・ヴォルクマンは次のように述べている.
「こうして,マリネラの核兵器開発は,他の国のそれに比べて大変ユニークな形をとることになりました.
他の国では,まず核兵器を完成させ,次いでそれをロケット,いわゆる弾道ミサイルに搭載できるよう,小型化することに腐心しました.
ところがマリネラでは,まずこれをロケットに載せ,その後に核兵器を完成させる方針をとったのです」
※1
マリネラ王国工業省編『工業白書』より
※2
同上
※3
国連統計局編『国際連合貿易統計年鑑』1971~1975年度各版
※4
『マリネラ週刊ニュース』(映画フィルム,マリネラ王国文化広報局製作・配給)
※5
チェスタートン『ブラウン神父の童心』(創元社推理文庫,1982)
※6
https://www.amazon.co.jp/dp/4072350168
しかし,いかにヒギンズ三世が天才といえど,ロケット工学は彼の専門分野ではなかった.
その上,マリネラの技術者は既に殆ど全てが核兵器開発に投入されている.
となれば,新たに養成しつつ,かつ,ロケット工学者を外国から招聘してくるしかない.
しかし当時の冷戦体制下にあっては,ロケット工学者は余すところなく東西両陣営で囲い込まれている.
「余剰のロケット工学者」など殆どどこにも存在しなさそうに思えた.
だが,諦めずに諜報機関を動員して四方八方当たった結果,ロケット工学者が「余っている」国が一つあるのを発見した.
日本である.
正確には,余っていたというよりは冷遇されていたと言うほうが正しい.
当時,日本のロケット工学者は政治的逆風のさなかにあった.
70年代日本は安保反対運動を掲げる極左勢力が猛威を振るっていたころで,大学の極左学生たちは,ロケット工学者が授業を行っている教室に乱入しては,
「人殺しのための兵器を開発する研究をやめろ!」
というスローガンを叫んで授業を妨害した.
公的なロケット開発事業は存在したが,予算は先進国平均の10分の一以下で,かつ,役人の天下り団体と化しており,しかも東大とロケット事業団との間で政争が起こっていた.
およそ理想的な研究開発環境とは程遠い.※1
マリネラは仲介者を介し,彼らと接触した.
仲介者の名を田中角栄と言った.
今日では土建屋の親玉のように思われている田中角栄だが,彼が科学畑にも人脈があるということはあまり知られていない.
太平洋戦争中,田中土建工業では理化学研究所系列の工場の建設を多く請け負っており,また,初期の選挙活動も理研人脈に大いに助けられている.
「若き日の田中角栄が,理研で試験管洗いをしていた」
というのは,理研ではよく聞かれる逸話である.※2
政治家としての田中角栄には様々な評価があるが,要は遅く生まれてきた田沼意次である.
重商主義で,付け届けも社会の潤滑油扱いで容認する.
得たカネは,同じ派閥に属する政治家たちに分配され,政治活動のための様々な資金となる.
国会議員ともなると,例えば交通費だけでも,頻繁に永田町と地元とを往復しなければならないため,桁違いに多額なものとなるのだ.
マリネラが田中と接触を始めた1970年以降,田中の活躍は目覚ましいものとなる.
1971年7月,佐藤栄作内閣の内閣改造により,初めて閣僚入りする.
しかも通産相という重要ポストだった.
1972年5月には,その佐藤派から分離独立して,田中自身の派閥を結成する.
同年6月には『日本列島改造論』を発表し,7月5日,佐藤栄作が支持した福田赳夫を破って自民党総裁に当選.
翌日,彼は首相になった.
この大躍進の原動力となったものが潤沢なマリネラ・マネーだったろうことは想像に難くない.
この間,日本のロケット工学者,糸川英夫などが頻繁にマリネラ入りした.
糸川は1967年,東大を退官し,表向きは宇宙ロケット開発から退いた形になっていた.
筆者は,とある筋からマリネラ出入国管理局の記録の写しを入手したが,これによれば,多くの工学者が,表向きは観光の形でマリネラ入りしている.
その人数は延べ数千人に達する.
マリネラのロケット・プロジェクトは表向き,月でのダイヤ採取のための宇宙開発ということになっていた.
お題目に曰く,
「マリネラのダイヤもいつか枯渇するときが来る.
その時に備え,月に豊富にあると言われるダイヤモンドを採掘できる態勢を整えておく」
ためのロケット開発とされた.
ロケットは2段式で,2段目が何本ものロケットを束ねたような形になっていた.
外観はソ連のR-7ロケットとよく似ていた.
R-7はソユーズなどを打ち上げたことで知られるロケットである.
ボリス・チェルトクなどは,
「マリネラの諜報機関が,ソ連の技術を盗んだ可能性が高い」
と指摘している.※3
ソ連自身がドイツやアメリカの技術を盗んで,ロケット開発期間を短縮したように,マリネラも開発期間短縮のために同じことをしたと見られる.
そしてもう一つ,開発期間短縮のために決断されたことがある.
それは,ICBM(大陸間弾道弾)としては開発しない,というものだった.
宇宙ロケットは宇宙空間に向かって飛ばすだけでいいが,ICBMは地表に再び戻ってこなければならない.
いったん宇宙空間に打ち上げて,そこから敵の都市に向かって落とすというのがICBMのコンセプトだ.
ところが落とすときに落下速度が速すぎると,大気の断熱圧縮で燃え尽きてしまう.
流れ星になって消えてしまう.
そこで落とすときに落下速度を遅くする技術が必要になる.
これが大変に難しい.
核弾頭も小さくしなければならない.
大きく,重いと,やっぱり落下速度が速くなって燃え尽きてしまうからだ.
この小型化も大変に難しい.
だから,それら技術の開発を省略すれば,ロケットの開発期間を更に短くすることができる.
では,敵の都市を核攻撃する方法はどうするのか?
まさか人力で担いで行って投げつけるわけにもいかない.
「ICBMの代わりに巡航ミサイルで間に合わせよう」
とヒギンズは答えた.
巡航ミサイルは宇宙空間まで飛び出すことはない.
飛行機のように翼とジェットエンジンで水平飛行する.
目標近海まで原潜で接近し,原潜から巡航ミサイルを発射するのである.
ただし巡航ミサイルには欠点もある.
宇宙空間から高速で落下してくるICBMとは違い,迎撃が比較的容易という点だ.
そこで一度に何百発という大量のミサイルを斉射して,多少撃ち落とされようが問題ないようにする.
もちろん核弾頭はそこまで大量には用意できないが,ダミーのミサイルを混ぜて(本物対ダミーの比を1:9くらいにして),本物の核ミサイルの生き残る確率を上げる.
ロケット技術者の「マリネラ観光」のピークは1974年.
この年を境に,延べ訪問者数はどんどん落ち込んでいった.
その年,田中角栄は金脈問題が発覚し,首相を辞任する.
いわゆるロッキード事件の端緒であった.
この事件については現在でも様々な憶測が飛び交っている.
それはたとえば,
「日中接近を快く思わなかったアメリカが,日本の検察に密かに証拠書類などを渡した」
といったものだ.※4
しかし筆者は,これとは違う見方をしている.
田中角栄を「刺した」犯人はMI6であろうと,筆者は推測している.
2010年11月28日,ウィキリークスは,1965年12月28日から2010年2月28日までの漏洩文書,251,287件を公開した.※5
ウィキリークスというのは,政府・企業・宗教などに関する機密情報を公開するウェブサイトの一つで,匿名による投稿が可能になっている.※6
その日公開された文書の中には,駐日英国大使館の機密電報も含まれていた.
それによれば,英国諜報機関が田中角栄について事細かに調査していたという.
マリネラとMI6との間の暗闘については既に述べた.
キム・フィルビー事件によって大打撃を受け,マリネラ問題から手を引いていたMI6だが,当時ようやくその打撃から立ち直っていたようである.
そのMI6が,キム・フィルビー事件に関するマリネラへの報復と,マリネラの核実験阻止とを狙って,マリネラ=田中角栄ルートを潰そうと企んだ,と考えるのは筆者の穿ち過ぎだろうか?
しかし,もしそうだとしても時すでに遅かった.
そのとき既にマリネラのロケットは完成していたからである.
※1
松浦晋也『国産ロケットはなぜ墜ちるのか』(日経BP社,2004)
https://www.amazon.co.jp/dp/4822243834
※2
宮田親平『科学者たちの自由な楽園 栄光の理化学研究所』(文藝春秋,1983)
https://www.amazon.co.jp/dp/4163381201
立花隆『田中角栄研究 全記録』(講談社文庫,1982)
https://www.amazon.co.jp/dp/4061341685
大下英治『実録 田中角栄』(朝日文庫,2016)
https://www.amazon.co.jp/dp/4022618698
※3
Boris Chertok他『Rockets and People, Volume II: Creating a Rocket Industry - Memoirs of Russian Space Pioneer Boris Chertok, Sputnik, Moon, Mars, Launch Pad Disasters, ICBMs』(Progressive Management,2011/12/20)
https://www.amazon.co.jp/dp/B006OGLM10
※4
田原総一朗『大宰相 田中角栄』(講談社,2016)
https://www.amazon.co.jp/dp/4062816903
など.
※5
Shane, Scott; Lehren, Andrew W. (28 November 2010). "Leaked Cables Offer Raw Look at U.S. Diplomacy". The New York Times. Retrieved 19 December 2010
https://www.nytimes.com/2010/11/29/world/29cables.html
a b Suarez, Kris Danielle (30 November 2010). "1,796 Memos from US Embassy in Manila in WikiLeaks 'Cablegate'". ABS-CBN News. Manila. Archived from the original on 5 July 2012. Retrieved 19 December 2010
http://www.abs-cbnnews.com/nation/11/29/10/1796-memos-us-embassy-manila-wikileaks-cablegate
※6
http://wikileaks.org/
マリネラのロケットが初めて宇宙へ出たのは,1970年代初頭だったと言われる.
一説によれば,ヒギンズ三世の国王即位の戴冠式において,発射ボタンを押すという「国王としての初めての国事行為」が行われたとされているが,確証はない.
というのも,マリネラにおける宇宙開発事業は当時,軍の管轄下にあり,殆ど全ての情報が現在でも軍事機密として非公開だからである.
その上,
1) 空軍ミサイル局設立
2) 「文化広報局」(諜報機関)にロケット専従部門設置
3) (2)の一部と(1),および海軍調査研究所が統合,「マリネラ王立宇宙軍」となる
4) 工科大学にジェット推進研究所設立
これは軍とは別組織(糸井博士らを客員教授として招聘するため?)だが,研究費は軍の出資.
5) (4)が,王立マリネラ航空株式会社付属航空研究所,およびその他の小規模な民間の航空研究機関複数を吸収
6) 諜報部門を除く(3)と,(5)とが王立マリネラ宇宙局(Royal Marinella Space Administration: RMSA)として統合,民間組織に移行(現在)
(諜報部門は「文化広報局」に復帰?)
という複雑な組織遍歴を辿っており※1,その過程で廃棄された資料が少なからずあると見られている.
その廃棄が過失によるものなのか,機密保持のための故意によるものなのかは,判然としない.
マリネラ宇宙局の広報誌によれば,最初のロケットは「プラズマα」と呼ばれた.※2
そのため,表向き「月の資源探査」という名目のこの計画も,「プラズマ計画」と呼ばれるようになったという.
「プラズマα」型ロケットは12基作られたという.
マリネラの工業力では精密な部品はまだ無理だったので,多くがソ連やフランスなどから輸入された.
フランスは,イスラエルやイラクへの原子炉輸出を見ても分かるように,商売にさえなるのなら,輸出先で本当はどう使われるかにはあまり頓着しなかったし,ソ連はマリネラの真意を疑ってはいたものの,自国経済が苦しい折,背に腹は代えられなかったようだ.
支払いは現金ではなく,ダイヤとの物々交換だった.
プラズマαという名称は,ロケットの名称であると共に,このロケットに搭載される無人探査装置の名でもあった.
というより,ロケットと無人探査機とがワン・セットで「プラズマα」と呼ばれていたと言ってよい.
ロケットがプラズマαの足であるとすれば,それに搭載される無人ロボットはプラズマαの本体だった.
それらプラズマαの観測機器群は,ロケットに乗って月まで行き,月の周りを廻る周回軌道に乗せられた.
一般的に,ロケットの打ち上げ成功率は9割と言われる.
10発打ち上げれば,1発は打ち上げ失敗が出る計算になる.
ところがプラズマαの場合,半分の6基が失敗したと公表されている.
打ち上げ順に
α1:成功
α2:成功
α3:成功
α4:成功
α5:飛翔失敗,遠隔操作で爆破
α6:成功
α7:月周回軌道に乗らず失敗,爆破
α8:月周回軌道に乗らず失敗,爆破
α9:月周回軌道に乗らず失敗,爆破
α10:月周回軌道に乗らず失敗,爆破
α11:成功
α12:月周回軌道に乗らず失敗,爆破
という状態だったという.※3
成功率で言えば50%.
これは平均的成功率である90%より遥かに低い.
この低さの理由については,いくつかの説がある.
・マリネラの基礎工業力が低いため,部品の精度に問題があった説
・マリネラの核兵器開発に薄々感づいていたソ連またはフランスが,わざと精度の低い部品をマリネラに輸出した説
・ロケットに混在したソ連製・フランス製・マリネラ国産の部品が,うまくマッチしなかった説
・MI-6による妨害説
・KGBによる妨害説
・CIAによる妨害説
・国際ダイヤモンド輸出機構による妨害説
・バミューダ・トライアングルの不思議な磁場の悪影響説
・月のナチス残党の妨害説
・そのほかの宇宙人の仕業説
・妖怪の仕業説
・天狗の仕業説
その他いろいろ.
しかし多くの専門家は,「失敗」は実は失敗ではなかったのではないか?と見ている.
爆破というのは核爆発の実験を意味しているのではないか?という見方である.
α7~α12の間の「失敗」は,いずれも月が地球から見て太陽を背にしたときに,月の裏側で起きている.
その位置で核実験を行えば,地球からは直接観測できない.
また,核実験によって発生する放射線は,太陽から直接地球に降り注ぐ放射線に紛れ込む.
地球からは,太陽からの放射線なのか核実験の放射線なのか区別はできない.
核問題の専門家で元ソ連科学アカデミー研究員のアンドレイ・ポルトフは,次のように述べる.※4
「一般的には,ある国の核実験に他の国が気づくのは,その核実験によって起こった地震を地震計が感知するところから始まります.
次いで,可能な限り核実験場の近くまで,集塵ポッドをつけた飛行機を飛ばします.
ポッドが放射性物質をとらえていれば,核実験だったという事実が確定します.
しかしマリネラの核実験の場合,宇宙空間で行われていますので,地震計が核実験による揺れを感知することができません.
宇宙と地球は地続きではないので,揺れが他国に伝わらないからです.
また,集塵ポッドをつけた飛行機を飛ばすこともできません.
飛行機は宇宙空間を飛ぶことができないからです.
仮にシャトルのような宇宙機に集塵ポッドをつけて飛ばしたとしても,意味がありません.
採取した放射性物質が核実験によってできたものなのか,太陽から飛来したものなのか,区別することができないからです」
核実験によって発生する放射性物質を,大陽の放つ大量の放射性物質の中に隠したという点は,ヒギンズ三世が言った,
「木を隠すなら森の中」
の応用例と言えよう.
しかし,地球からは核実験を観測できないということは,マリネラからもこれを観測できないことでもある.
ヒギンズ国王は,どのようにして核実験の成功or不成功を観測したのだろうか?
ここで思い出されるのが,マリネラが「プラズマα」観測機器群を送り込んでいたことである.
表向き,これらは月のダイヤモンドの探査のためのものとされている.※5
だが,これらは月の表面にはどれ一つ降り立つことはなく,月の子衛星軌道上からの観測に終始している.
これらが実は核実験を観測するための機器だったのではないか?というのが,多くの専門家の見方である.
プラズマα計画は12号機までで終了.
引き続き,プラズマβが開始された.
βロケットはαロケットの改良型と見られる.
続けてγ,Δ…と改良を重ねながら,ロケット打ち上げはハイペースで続いた.
総数は不明.
公式に発表されている数よりかなり多いと見られている.
参考までにフランスの場合,1991年までに南太平洋で大気中核実験41回,地下核実験134回,サハラ砂漠で大気中核実験17回を行っている.※6
サハラ砂漠における核実験は,当時独立戦争を起こしていたアルジェリアに対する威嚇の意味があるので,これを除外するとしても175回.
マリネラの場合,仕組みはシンプルなガン・バレル型であるので,フランスのケースより実験回数は少なくて済むだろうが,それでも少なくとも3桁に上る数の核実験を月の裏側で重ねたと想像される.
現在でもマリネラの核実験は続いているのだろうか?
多くの専門家は否定的である.
RMSAが民間移管されていることが,その根拠とされる.
プラズマ・シリーズ等は本来の月探査用として開発継続されているという.
しかし本当にそうだろうか?
1976年7月25日,バイキング探査機による火星探査を実施していたNASAのジェット推進研究所は,バイキングが撮影した写真の中に「人間の顔によく似た岩」が見つかったと発表した.※7
その後も「火星のピラミッド」と呼ばれる構造物や,「火星のモノリス」と呼ばれる物体などが発見されている.
この「人面岩」の顔,何かに似ていないだろうか?
そう,プラズマ・シリーズのロボットの顔によく似ているのである.
これは,プラズマ計画が月から火星に舞台を移し,そこで核兵器開発を継続していることを示唆する.
月よりも遠い火星であれば,他の各国からの監視の目も更に届きにくく,月でよりも容易に計画を遂行できるメリットがある.
英国諜報機関関係者のJ.V.氏は,匿名を条件に,次のように証言する.※8
「例の岩が宇宙人の作ったものであるなどという説は荒唐無稽です.
仮に宇宙人が火星にやってきたのだとして,地球人ともコンタクトを取らず,それでいて地球人に分かり易い形で訪問の痕跡を残す,というのは論理的に辻褄が合いません.
現実的に考えるなら,人類サイドの構築物と推測するのが自然です」
この見解には反論もある.
アメリカの天文学者カール・セーガンは,共著『核の冬 第三次世界大戦後の世界』(光文社,1985年)の,マリネラの核兵器保有疑惑に触れた箇所の中で,以下のように著述している.※9
「仮にマリネラ説をとるなら,それまで核兵器開発をひた隠しにしていたマリネラが突然,大っぴらな行動に出たことになる.
これに矛盾を感じるのは私だけだろうか?」
しかしこれに対しては再反論がなされている.
ジョセフ・ナイ・Jrは著書『核戦略と論理』( 同文舘出版,1988年)※10の中で,次のように述べている.
「『核兵器保有を否定も肯定もしない』
というイスラエルの戦略を,さらに一歩先に進めたものがマリネラの核戦略である.
民間人レベルでは火星の人面石について,様々な憶測が飛び交い,様々な雑音やバイアスが混じった荒唐無稽なストーリーが闊歩する.
そのようなストーリーを元に何らかの国防上の脅威を感じる人は少ない.
国家機関はそうではない.
雑音を排するに足るフィルターとなる機密情報を持っている.
核兵器の脅威がダイレクトに国家指導者に伝わる.
結果,国際世論を刺激することなく国家指導者だけをマリネラは核で脅すことができている.
そしてこのような場合,各国指導者はマリネラは核保有国であるという前提の上で国家戦略を立てなければならない.
悲観論をもって事に対処してそれが杞憂で終わったのであれば,単なる笑い話で済むが,その逆であれば何十万,何百万人という人の死を伴う悲劇になってしまうからだ」
事実,その後の各国はマリネラに対する姿勢を変えている.
例えば,ややマリネラ寄りの傍観者であったアメリカは,CIAエージェントを殺し屋に化けさせてマリネラに派遣.
ソ連はマリネラの宿敵・国際ダイヤモンド輸出機構と手を結んだ.
中国は周恩来とマリネラ王太子との間にホット・ラインが偶然できたかのように装い,マリネラに接近した.
当時まだ中国の核兵器開発技術は不確かなものだったから,中国の狙いは明白だった.
ジョセフ・ナイ・Jrの言う悲観論が,これら行動のベースになっていることは間違いない.
つまるところ,
「勇気とは,恐れるべきものと恐れなくてもいいものを区別できる知恵」(プラトン)
なのである.
※1
広報冊子『宇宙兄弟仁義』(マリネラ宇宙局宇宙教育センター,2013)
機関誌『任侠星』(マリネラ宇宙局),2000~2013年各号
より筆者推定
※2~3
同上
※4
筆者による生前のインタビュー,2017年4月
※5
機関誌『アステロイド・マヨネーズ』(マリネラ工科大学ジェット推進研究所)1970年各号
※6
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=09-01-01-04
※7
http://www.esa.int/ESA_Multimedia/Images/2006/09/Face_on_Mars_illusion_as_seen_by_Viking_1
※8
筆者によるインタビュー,2017年4月
※9
https://www.amazon.co.jp/dp/4334960138
※10
https://www.amazon.co.jp/dp/4495852612
1枚目:火星の人面石
(図No. ctn200320, wikipediaより引用)
2枚目:カール・セーガン
(図No. ctn200320b, こちらより引用)
3枚目:ジョセフ・ナイ Jr.
(図No. ctn200320c, こちらより引用)