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◆◆◆中国占領以降 Kínai invázió Tibetbe
<◆◆歴史
<◆チベット 目次
中央アジアFAQ目次


 【link】


 【質問】
 共産党勝利前に蒙古族にはウランホという共産党員が居たが,チベット民族やウイグル民族にはゼロ?

 【回答】
 いたよ.チベット人の共産党員.

 例えばプンツォーワンギャル.
 木村氏の本には「プンツォーワンジル」という名前ででている.
 南京に留学中,ひそかにコミンテルンのオルグをうけて共産党に入党.
 故郷にもどり「チベット共産党」の組織化に従事.

 しかしソ連(コミンテルン)と中共の頭越しのとりひきで,彼のつくった組織は独立したチベット共産党にはなれず,中国共産党の下部組織にさせられた.

 中華人民共和国の成立後は,さっそく「民族主義者」として弾圧をうけ,文革の際はむろん投獄.

 文革の後,出獄し,共産党員としての名誉は回復されたが,チベットの中央・地方のいかなる実権あるポストにもつけず,飼い殺し状態で現在にいたる.

かきつばた ◆O1SdlnknBs in 世界史板


 【珍説】
 チベットは中国が来て文明化するまで,野蛮未開の土地だった.
 共通語はないに等しい状態だったし,8割以上の国民が文盲.
 中央政府の威光はないに等しい状態だし,ネパールみたいに人口豊かな盆地に王府があったわけでもないから,王や教祖の権力や統合力なんてしれたもの.
 家族単位,部族単位で土民が群れていたのが,一昔前のチベット.
 とても一つの国とは呼べない状態.

 【事実】
 多数の民族が入り混じっていた地域では,言語の違いがあるというのは珍しい話ではない.
 あれだけ広いと,一口にチベットと言っても実際には出自,階層以外にも色々な言語,文字,歴史,人種,属性,生活形態,利害関係がある.

 旧政府の統治がチベット全域に及んでいたかというと,とても疑わしいと思う.
 後進国では大戦後も,政府の統治が首都近辺に限られ農村部には及ばない国なんて珍しくなかった.
 ましてや内陸にあり,広さのわりに交通手段の乏しいチベットでは尚更だろう.
 それに文盲率,チベット系諸部族の間の文字・言語の違いなども加味すると…….

 部族単位で群れている云々とは,今の中国のことか?
 国の資産のほとんどが,北京などの極一部の都市部に集中しており,地方にはほとんど来ていない.
 しかも,地方はそれぞれ家族単位,部族単位で土民が群れている.

世界史板
青文字:加筆改修部分


 【珍説】
 中国人が来る前のチベットは,それはひどいものだった.
 親や子が死ぬと,死体を晒して鳥の餌にするわ,一人の妻を親子兄弟で性的に共有するわ,歴代のダライラマまで子供のころにさらって洗脳し教祖にしたてあげるわ,ちょっと文明国ではとおらない,野蛮未開の風習が跋扈していた.

 チベット人がいかに野蛮かは,彼らの習慣を見ればわかる.
 チベット人はつい最近まで,死体を鳥の餌にしていた.
 死体を野に晒して鳥の餌にするのが,彼らの葬式だそうだ.

 しかも死体を鳥が食べやすいように,鉈で手足や頭をばらばらにし,臓物をひきずりだして,鳥にあたえるらしい .
 チベット人は,剽悍で文明化されていない野蛮人なんだよ.

 中国人は,ひとにぎりの僧侶が宗教的迷信を餌に,一般民衆を搾取していた封建制を打破した.
 中国はチベット人の救い主なんだよ.
 日本がアイヌを文明化してやったように,中国人もチベット人を文明化してやってる.

 中国人が文明化しなければ,いまでも坊主どもの言いなりのままに,死体を鳥の餌にしたり,兄弟で一人の妻を性奴隷にしたままだったよ.

 【事実】
 インドでは死体を川に流す.
 チベットでは鳥に食わせる.
 ただそれだけの違いだ.

 酷いというのなら,中共に文句を言うべきだな.
 最近になって,鳥葬を保護する政策を取り出したのだから.

 「一人の妻を」云々はソースを示してから言うものだ.
 まあ,日本も戦前は地方では夜這いの習慣がある田舎がまだ残っていたがね.

 共産国が洗脳云々を言うのは何のギャグだ.
 そっちの言い分では,中国は文明国なんてとても通らない野蛮な国だな.

 中国ではホンの数%,一握りのエリートが国の財産のほとんどを握っているが,それとどう違うんだ?

 ちなみに,アムネスティ・インターナショナル発表 《世界の死刑執行数》

2003年 1146人 第一位…中国 726人
2004年 3797人 第一位…中国3400人 
2005年 2148人 第一位…中国1770人
2006年 1591人 第一位…中国1010人
2007年 1252人 第一位…中国 470人

*中国の死刑執行数は極秘も含めれば年8000件との見解を示す

 中国旅行に行ったとき,ガイドが毎年1万人以上銃殺刑されていると言っていたっけ・・・
 なんて野蛮で非人道的な国だ.

世界史板
青文字:加筆改修部分


 【珍説】
 チベット人と言えば,その残虐さでも有名.

 グロ注意;
http://blogs.yahoo.co.jp/netpilot_japan/53496253.html
子供の皮
手を切断された奴隷
人間の皮 各種
奴隷

髑髏杯
http://webdb2.museum.tohoku.ac.jp/data_base/tounitibi/ekai/ekaidb/ekaiimage/main/E0353.jpg

人骨の笛
http://webdb2.museum.tohoku.ac.jp/data_base/tounitibi/ekai/ekaidb/ekaiimage/main/E0355.jpg

頭蓋骨の数珠
http://webdb2.museum.tohoku.ac.jp/data_base/tounitibi/ekai/ekaidb/ekaiimage/main/E0356.jpg

 これって,鎖国下のチベットに潜入した日本人が持ち帰った物なんだけど,これも“中共の捏造”?(笑)

 これらはダライラマに献上する宗教儀式用の工芸品なので,熟練の皮剥ぎ職人が腕によりをかけて仕上げました.

――――――
“ダライラマの誕生日をお祝うために,”忿怒十五施食回遮法”を下密院全員が行います.
 よって,当日”抛食”の礼を行う必要があります.
 人間の腸1セット,頭を二つ,各種の血,人間の皮1セットを至急送りなさい.”

――――――1950年代の初め,ガンテンポタン(旧チベット政府)が出した文書より (チベット資料館に保存中)

 【事実】
 これは鳥葬された後の遺骨を使ったものだよ.

 チベット人の思想では,人間の体は魂を抜いた後は,ただの物にすぎない.
 だから人体を使って,鳥や獣に施しをする.
 残った骨を利用するのはかまわない.

 これは特にニンマ派やカギュ派のヨーガ行者が使うことが多い.
 この宗派は特にインド直系のヨーガ行法を色濃く受け継いでいて,わざとおどろおどろしい姿を とる.

 髑髏杯やら人骨笛やらを捏造といってるわけじゃない.
 捏造は「皮剥」.
 熟練の皮剥職人なんてのも聞いたことすらないし,中国侵攻前の各種報告でもそんなものは見たことはない.
 そんな風習が本当にあったのなら,経典だの訪問した欧米人の報告だのにあるはずだろ?
 全部中共側の報告しかない.あの嘘しかつかない中共のね(笑).

 また,仮に奴隷制で人民を苦しめ,子供の皮はぐようなキチガイ支配者だったというのが事実なら,どうしてダライラマがチベット人に未だに支持されてるんだ?
 どうしてチベット仏教がモンゴルにまで浸透したんだ?
 仮に関東軍の残党が大連に「日本亡命政府」とか作って,「アメリカの占領はけしからん」とか言っても,俺は相手にしないぜ.

世界史板
青文字:加筆改修部分



 【珍説】
 “訪問した欧米人”って(笑)
 チベットは中共に占領されるまで鎖国してたんだぜ(笑)

 【事実】
 ヒュー・リチャードソンを知らないの?
 ヤングハズバンドを知らないの?
 デシデリの報告を知らないの?

 17世紀に宣教師が初めてチベットに入ってから.何十人の欧米人がチベットに入ったと思ってるんだ.
 鎖国にもかかわらずたくさん入って,大量の報告があるんだよ.

 お前,河口慧海すら知らないだろ.

世界史板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 中国軍が占領する前のチベットに農奴制があったっていうのは事実なの?

▼ 【回答】
 事実だよ.
 中国侵攻前のチベットが
識字率10%未満,
平均年齢36歳,
かなり酷い農奴制の祭政一致国家
っていう暗黒国家だったのは否定し得ない現実.▲

 まあ,中国のチベット統治は輪をかけて悲惨なので,中国を擁護する気にはならないが,正直「楽園チベットに侵攻した悪逆非道な中国軍」つってる連中は,当時のチベットを幾らなんでも美化し過ぎ.

軍事板

▼ 大正時代にチベットに留学した青木文教『秘密国チベット』(芙蓉書房出版,1995.12)によると,産業は原始的な農業,牧畜のみで工業はほぼ絶無,
 食料の自給も出来ず,ブータンから輸入してたような状況だったそうだ.
 もし中国に併合されず独立したままだったとしても,未だ最貧国だっただろうことは間違いないだろう,

軍事板

▼ ただし,清帝国関連の学術書のチベット部分を読むと,ぜんぜん「暗黒」でも「悲惨」でもない.
 農奴身分でも,食うには困らなかった.
 「餓死」って言葉はチベットになかったそうな.
 中国に侵略されて初めて餓死者が大量に出ている.

ニュース極東板

▼ もしチベットが「暗黒」だったとしたら,当時の世界のかなり(つか,ほとんど)の地域も「暗黒」だったということになるが?

 ちなみに『清帝国とチベット問題』(平野聡著,名古屋大学出版会,2004.7),225~6頁を読むよろし .

[quote]

 今日の中華人民共和国の体制教義的な言説は,近代以前のチベットについて,「過去のチベットでは,ラマと貴族が農奴から搾取するという,世界で最も暗黒な封建的支配が展開されており,
 自らそれを改める意思も能力もなかったので,反帝・反封建の立場で覚醒した中国人民を最も正しく代表する中国共産党が貧困農奴を立ち上がらせて封建支配を打破し,祖国の統一と,自らが主人となる社会主義建設の道へと進ませた」とする.

 しかし,同時期までの清帝国とチベットの関係をみると,このような「暗黒支配」とそれに対する「チベット農奴」の不満の蓄積が,中国共産党のチベット統治に伴って様々な軋轢や混乱が引き起こされた以上に深刻であったことを示すものは,管見の限り見当たらない.
 しかも,チベット現地基層社会に対する清帝国エリートの認識は,十九世紀のかなり遅い段階まで,たとえダライラマ政権に対して不信を抱き,その自治に否定的な見方をしていた官僚であっても,
「辺外の田園には麦や豆が植えられ,見渡す限り青々としており,民情はなおも安謐に属する.
 蕃民は耕作に勤め,婦女は毛や糸を紡いで絨毯をつくり,男耕女織のさまは内地の景象と異なるところはない.
 僧俗のなかでも明らかに事に通じる者は,蕃民が升平の福を久しく享受していると称する」
と記する通り,清帝国のもと調和のあるチベット社会が実現していたとするものであった.

[/quote]

ニュース極東板

▼ ただし,平野聡の本については問題があるとの見解もある.
 以下引用.

[quote]

 この質問部分とは直接関係しないのですが,この書にはかなり問題があります.
 前近代史部分は史料の使い方が全くなってないし,お陰で本書が示した図式はほぼ壊滅してます.
 チベット史研究者・石濱裕美子氏の書評がネットにアップされていますので,関心のある向きは参照ください.
http://tibet.que.ne.jp/okamenomori/qing.html

 また,同氏による以下の頁もチベット問題の理解に大いに役立ちます.
http://tibet.que.ne.jp/okamenomori/problem1.html
http://tibet.que.ne.jp/okamenomori/tibetanstudy.html
http://www006.upp.so-net.ne.jp/yfukuda/Tibet/tibetanhistory.html
http://www006.upp.so-net.ne.jp/yfukuda/Tibet/TibMap.html

〔略〕

 専門家の間での該書の評価は既に定まっています.
 満洲語を扱える清朝史研究者からの評価も辛辣なものです.
 平野氏は政治学出身の政治史研究者なので,史料の扱いや読解能力が専業の歴史学者に劣るのはしかたがないのですが,チベット語史料の中国語訳が杜撰なのは有名だし,漢文史料の扱いも一般論としての漢文史料の扱い方とチベット史の文脈を抑えていないがための誤読との両方があり,ちょっと擁護しきれません.

 着眼点は良いのですが,いかんせんこのテーマは前近代史部分については,信頼に足る史料の翻訳・解説が少なく,個別の史実確定も未だしの状況のため,根拠を持ったモデルを構築しようと思うと,歴史学者に伍して一次史料から当たらねばなりません.
 ために政治学者としての彼の本領を発揮する以前の部分で,明後日の方向を向いてしまう結果となってしまったのではないかと.


[quote]
―――hoge in FAQ BBS

▼  チベット亡命政府主席大臣,サムドン・リンポチェは,以下のように文献引用をもって「暗黒論」」を否定している.

[quote]
http://www.tibethouse.jp/situation/height_of_darkness/Height_of_Darkness_2.html

 中国は常に,そのチベット侵入と占領,チベットにおける弾圧的政策を正当化しようとして,チベットの伝統的社会の姿を最悪に描いてみせてきた.
 中国は,そのチベット軍事侵攻と占領を,チベット社会の「中世封建時代の農奴」と「奴隷」状態から「解放」したのだとみなしている.

 伝統的チベット社会が―同時代のアジア諸国の多くと同じように―後進的で大いに改善の必要があったのは事実である.
 しかし,伝統的チベット社会を,中世ヨーロッパのような観点から「封建的」と呼ぶのは大きな誤りである.
 中国の侵入以前のチベットは,実際,当時のほとんどのアジア諸国よりもはるかに平等的だったのである.

 ヒュー・リチャードソンは,英領インド最後の,またインド独立後初代の代表として通算9年間チベットですごした人物だが,次のように書いた.
「共産主義の著者といえども,[1949年以前の]チベットには貧富の大きな格差は存在しなかったということを認めざるをえない」(※12)
 同様に,国際法曹委員会の法律調査委員会は,次のように指摘している.
「中国の侵入以前はチベット人には人権が保証されていなかったという中国の主張は,チベットの生活の歪曲と誇張に基くものである」(※13)
(後略)

※12
 H. E. リチャードソン著『チベットとその歴史』(『Tibet and its History』)(オックスフォード大学出版,ロンドン,1962)

※13
 『チベットと中華人民共和国』(『Tibet and the Chinese People's Republic』)
 チベット法律調査委員会による国際法曹委員会への報告(ジュネーブ,1960)

[/quote]

 20世紀前半て今の基準で考えると,ほとんどまともな国なんて無いからな.
 人種差別は合法な国が多いし,共産主義国は反対派殺しまくりだし.

 だいたい独裁国家が宗教国家を解放なんて,ギャグとしか思えない.

ニュース極東板


 【質問】
 チベットにおける農奴制は,どのようなシステムだったのか?

 【回答】
 メール・マガジン≪ WEB 熱線 第1021号 ≫2008/05/19_Monに転載された,「せいろん談話室」,2008/05/19付によれば,主[あるじ]たるチベット仏教と僕[しもべ]たる農奴の統制組織であり,チベット農奴は総てこのチベット仏教の僕であり,土地もチベット仏教の財産だったという.
 つまり,チベット人民は,生活費以外にもすべての生産物がこのチベット仏教所有である,との意味合いがあったという.
 これはチベットが1913年に独立を宣言をしてから,中共軍の侵攻を受けるまでの37年間の間も,近代国家建設に向けての努力は見られなかったという.

 詳しくは同ブログを参照されたし.


 【質問】
 河口慧海が記したチベットの奴隷制に対する客観的な記述もご存知でしょうな~(笑)

 【回答】
 河口の『西蔵旅行記』(講談社学術文庫,1978)には「奴隷」という単語は,たしか一度しか出てこない.
 それは借金の形に子供が働かされる,という話で,そこで「これはまるで奴隷と同じ」と書いているだけ.
 奴隷制が存在すると主張しているわけではない.

 君が「河口が奴隷制について書いている」というのなら,その文面をコピペしてくれ.
 できれば講談社学術文庫版の何巻何ページか明記して.よろしく.

 ああ,お得意の捏造と歪曲はなしね(笑).

世界史板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 チベットでもともとすごく生活レベルの低い土地だから,占領されてもされなくてもあんま変わらなかったんじゃないの?

 【回答】
 占領される前は,
解放軍に食糧掠奪されたり,
気候土地に合わない作物無理矢理作らされて当然凶作になって餓死者が続出したり,
味噌糞一緒に収容所で拷問されたり殺されたり
することはなかったよ.

 中共サイドにいたはずのパンチェン・リンポチェやプンツォク・ワンギェルにさえ批判されるんだから, そういうこと.
 史上最低の支配者>毛沢東

世界史板

▼ チベットというのは,領民からのそれほど大きな不満が噴出していたわけではなかったのに,あっけなく崩壊したローマ教皇国家に似ている.
 宗教的権威でもって中世のままの不輸不入の治外法権がたいした努力もせずに維持できると甘い考えをもっていて,近代世界の力の国際政治から取り残されていた.
 宗派がタイやスリランカやビルマと同じ南伝仏教だったら,少なくとも味方してくれる国が3カ国いたはずだが.

世界史板


 【質問】
 中共はチベットの教育水準を引き上げた,というのは事実なの?

 【回答】
 大正時代にチベットに留学した青木文教『秘密国チベット』(芙蓉書房出版,1995.12)によると,当時のチベットには普通教育機関は寺子屋みたいなのがあったくらいで,後は貴族の子弟が通う学校が何個かあった程度,
 男尊女卑も酷くて,女子にはほとんど教育つけなかったようで,日本で言えば戦国時代のレベル,
 中国の主張していた識字率10%未満というのも恐らく事実だろう,

(ただ,その識字率10パーセント未満と言うのが漢字の識字率なのかチベット文字の識字率なのかは,ちょっと気になる(笑)
 国民5~6人に一人が坊さんだった国で,識字率10パーセント未満だと,字の読めない坊主だらけじゃん)

 だからそれに比べればマシだとは言えるだろうが,現在の中国占領下でも愚民化政策の影響で,チベット人の12才以上の文盲率は,中国側の発表でも男子61.39%,女子87.22%と異常に高い.
(何語についての数字なのかは,こちらも不明)

 また,チベット語が全く教育されない時期もあったようだが,今では状況は改善されている模様.
 以下引用.

[quote]
"TIBET TIBET" 上映会&ペマ・ギャルポ氏講演
2001年5月20日(日)
鎌倉市立御成小学校多目的ルーム


Q チベットへ行くと中国語がペラペラの子供達と対照的に中国語をまったく解さないチベット人も沢山います.
 その一方で僧侶の中には英語を話す人もいます.
 チベットにおける言語状況について教えて下さい.(質問者;私)

A 一時期はまったくチベット語が教育されないときがありました.
 チベット語だけでは役に立たないというもの現状ですが,最近はチベット語の教育も整ってきているところもあります.
 中国の教育は,州単位によってカリキュラムが組まれているので地域差もあります.
 青海省などはかなりしっかりした教育がなされています.
 一方で民族が混在している雲南省の中甸蔵族自治州などは,しっかりとやっていないのが現状です.
 また,カリキュラムがしっかりしているといっても12年生までであって,大学に入るには中国語だけが必要です.

[/quote]

 最近はチベット語の教育も盛んになってるみたいだよ.
 まあチベット人を差別してるのは間違いないんだろうけど.

軍事板

▼ しかしよく出てくる識字率だが,五人に一人が坊さんだったチベットで本当にそんなに文盲がいたのかな.
 漢字の識字率なのか,チベット文字の識字率なのかは,ちょっと気になるところ.
 まあ,普通の国に比べて低いのは確かだろうし,識字率を上げたのは間違いなく中国の功績だ.
 それは認める.

 とはいえ,……

――――――
http://www17.tok2.com/home/yueliang/pema.htm

Q チベットへ行くと中国語がペラペラの子供達と対照的に中国語をまったく解さないチベット人も沢山います.
 その一方で僧侶の中には英語を話す人もいます.
 チベットにおける言語状況について教えて下さい.(質問者;私)

A 一時期はまったくチベット語が教育されないときがありました.
 チベット語だけでは役に立たないというもの現状ですが,最近はチベット語の教育も整ってきているところもあります.
 中国の教育は,州単位によってカリキュラムが組まれているので地域差もあります.
 青海省などはかなりしっかりした教育がなされています.
 一方で民族が混在している雲南省の中甸蔵族自治州などは,しっかりとやっていないのが現状です.
 また,カリキュラムがしっかりしているといっても12年生までであって,大学に入るには中国語だけが必要です.
――――――

 最近になって,ようやく改善されてきたという感じで,偉そうに言えるものでもないと思うがね.
 チベット人の12才以上の文盲率は,中国側の発表でも男子61.39%,女子87.22%と異常に高い.

世界史板
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▼ 問題はそんなところにはなく,中国のチベット領有が正当性を欠いていると言う事であって,それを被侵略国の側の貧困や識字率の低さによって正当化するのは間違っている.

世界史板


 【質問】
 イギリスの指導が続いていれば,今頃は民主化もできたろうし,少なくとも大躍進~文革時代の大量の餓死者・虐殺被害者なんていう悲惨な状況は起きなかったのでは?

 【回答】
 何事にも最良と最悪の可能性がある.

 「イギリスの保護国→民主化したら虐殺が起きない」なんて保証はない.
 イギリスの統治は現地の権力構造を利用して対立させるものだ.
 ダライラマ13世の頃にもパンチェンラマとの対立があったし,チベットといっても遊牧民と都市民,地方格差がかなりある.
 独立後に内部対立・戦争という事はママある.

 また,当初から民主主義が機能する国は存在しないから,支配階層に対する不満は温存される.
 そのために暴動・虐殺・革命が発生することもママある.

世界史板


 【質問】
 中共軍のチベット侵攻までの経緯は?

 【回答】
 平松茂雄によれば1949年,中華民国が崩壊したとき,ダライ・ラマ14世は独立の動きを示し,欧米諸国の支持に期待したという.
 だが'50年10月,朝鮮戦争のどさくさに,中国軍は大部隊でチベットに侵攻.
 当時,中国本土とチベットを結ぶ道路はなく,部隊は獣道を踏み分けて進んだという.

 そして'51年5月,北京で「チベットの平和解決に関する協定」締結.
 協定の内容は,
「チベットの政治制度,宗教,風俗,習慣およびダライ・ラマの地位・職権を保障することと交換に,中国軍の進駐を認め,中華人民共和国の一員として地域自治を実行すること」.
 ……全然,保障していないけどな,中国.

 詳しくは産経新聞,2008年3月21日付を参照されたし.


 【珍説】
 中国のチベット侵攻の理由は,ダライラマとガンテンポタンが中国の“保護”を受け入れたため.
 断固として拒否していれば,朝鮮とインドシナで大変だった中国は,それほど積極的に侵攻して来なかった.

 また,ダライラマは外モンゴルを通じたソ連からの保護申出は,中国を優先して断っている.
 これは唯一の外国人だったナチ党員の言葉に惑わされたため.
 モンゴル人の多くは,ダライラマが自分達を信じなかった事を大変残念に思ってる.

 【事実】
>中国の“保護”を受け入れたため

 何言ってるんだか.
 話し合いもなく,いきなりラジオで一方的に「解放する」と宣言して,侵攻してきたくせに.
 断固として拒否したのに侵攻してきたんだよ.

>これは唯一の外国人だったナチ党員の言葉に惑わされたため.

 ハインリヒ・ハラーのこと?
 ハラーはナチ党員じゃないじゃない.
 どうしてナチ党員とぼかすの?
 『セブンイヤーズインチベット』のハラーのことだと知られるとそんなにまずいの?

 それに当時イギリス人も駐在してたんだよ.
 イギリスの言うことを聞かずに,その敵の(君らの脳内)ナチスの言うこと聞くのはなぜなの?
 不思議な理屈だねえ.

 「ハラーはナチ党員」が通用してるのは中共系の報道でだけ.
 君らの世界はもの凄く狭いんだよ.
 知らなかった?

世界史板
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 【質問】
 中共軍はチベット侵攻にあたり,どのような準備をしたのか?

 【回答】
 ≪ WEB 熱線 第1018号 ≫2008/05/12_Monに転載された「せいろん談話室」によれば,1950~51年の中共によるチベット侵攻作戦は「昌都→邦達→拉薩」と進撃したが,それに先立つ1950年3月(中国共産党が建国宣言してから,まだ5ヶ月目)からは中共軍は,四川省成都周辺でチベット進撃の軍事訓練を重ねたという.
 そしてこの軍事作戦の物資輸送のため,康定[ダルツェンド]→ダウ→タンゴ→カンゼまでの軍事自動車道の建設に入ったという.
 これに対して,当時のチベット領側の国境の町,徳格・巴塘には国境守備隊の駐屯地があり,中共軍の侵攻作戦近しの報告は直ちにラサに知らされたが,チベットのポタラ政権は,なんらこれに対抗する手を打たなかったという.

 詳しくは同ブログを参照されたし.


 【質問】
 侵攻作戦の際の,中共軍のチベットへの最初の攻撃は?

 【回答】
 1950年6月,まだ軍道は完成していなかったが,中共軍は軍道路終点の甘孜[カンゼ]から山越へに,チベット側の徳格へ威力偵察的な攻撃をかけた.

 チベット亡命政府によれば,町は一時中国軍に占領されたが,昌都[チャムド]からのチベット反撃部隊により,中国軍部隊600名は全滅し,徳格[テーゲ]の町は奪還されたという.

 しかし≪ WEB 熱線 第1018号 ≫2008/05/12_Monに転載された「せいろん談話室」によれば,現地での聞き取り調査をしたところでは,100人規模の中共軍に対して,抵抗らしい抵抗もなく町は陥落,中国軍は仕方なく町を占領するが,補給の問題もあり数日でカンゼに引き上げたという.

 詳しくは同ブログを参照されたし.


 【質問】
 中共軍によるチベット侵攻の戦闘経過は?

 【回答】
 メール・マガジン≪ WEB 熱線 第1021号 ≫2008/05/19_Monに転載された,「せいろん談話室」,2008/05/19付によれば,1950年10月,人民解放軍は3方面より金沙江(通天河,長江の上流)を渡りチベット領内に突入したという.
 3~4個師団の兵力だったらしい.

 主力は昌都を総攻撃.
 318号線の理塘からは芒康[マルカム]へ側面攻撃.

 昌都[チャムド]では,住民兵数千人が抵抗を試みたが,1日の戦闘で制圧され,カムの地方総督アボ・ガワン・ジメクは人民解放軍に降伏.
 邦達[ホムダ]も一瞬にして制圧.

 10日後には,中国軍はラサ東方100キロまで進出したという.

 詳しくは同ブログを参照されたし.


 【質問】
 中共軍侵攻に対し,チベット軍はどの程度抵抗したのか?

 【回答】
 メール・マガジン≪ WEB 熱線 第1021号 ≫2008/05/19_Monに転載された,「せいろん談話室」,2008/05/19付によれば,チベットの守備隊は1日中逃げ回り,追いつめられて降伏したという.
 同ブログは以下のように嘆いている.

――――――
 かって大国の唐を圧した吐蕃の勢威は,ラマ教の普及とともに消滅した.
 宗教は発展したが,国家形態はアヤフヤなものになってしまったのではないだろうか?
――――――

 これに関し,チベット取材経験のある長倉洋海は,以下のように解説している.

――――――
 チベットでも,若い人はポップス音楽を聞いたり,ビリヤードをしたり,オートバイを乗り回したりしています.
 しかし,どこででもマニ車(1回まわすごとに,中の経典を1回読んだことになる)をまわす人がいましたし,五体投地で2年かけてラサまでの巡礼をしている人もいました.
 そうした巡礼者に対しては,周りの人々が喜捨をして,その旅を助けていました.
 チベット仏教徒は,小さな虫でも殺生を嫌います.
 人を恨んだり,暴力を振るうのもいけないことです.
 現世で功徳を積み重ね,やすらかな涅槃に入るのがチベット仏教徒の願いなのです.

 チベットの人々は中国政府が禁止しているにもかかわらず,指導者ダライ・ラマの写真を飾り,バッジを胸につけています.
 昔は唐に攻め入るほどの勇猛さを誇ったチベット人が,仏教徒に帰依してからすっかり変わってしまったというほど,チベット仏教は人々の心に入り込んでいます.

――――――長倉洋海著『ぼくが見てきた戦争と平和』(バジリコ,2007.5.15),p.51 & 54

 ちなみに祖国シャカ国をコーサラ国に占領されて祖国が滅亡しても,それをよそに道を説き続けたのがブッダ.


 【質問】
 中共軍の侵攻に対し,チベット軍には勝ち目は全くなかったのか?

 【回答】
 メール・マガジン≪ WEB 熱線 第1021号 ≫2008/05/19_Monに転載された,「せいろん談話室」,2008/05/19付によれば,必ずしもそうとは言えなかったようだ.

 中国とチベット国境には,通天河=長江の上流)瀾滄江=メコン川の上流)怒江=サルウイン川の上流)があり,水際作戦で守る気さえあれば,1ヶ月程度の防衛はどうにでもなったはずだという.
 その間にインド軍の支援がラサに入るのを待てばよい,1500キロ~1700キロも進まなければならん中国軍より,兵站線では問題ないぐらいインドが有利なのだから,としている.

 詳しくは同ブログを参照されたし.

 当時のインドに,中国に対する紛争に介入する気があったかどうかという問題もありそうだが.


 【質問】
 チベット軍旗はどんなものか?

 【回答】
 1957年~1974年の武装闘争時に使用されたものです.

 画像上が基本形で,中の図のように動物の絵やチベット文字が描かれたバージョン(中図はLithang連隊を意味)もあります.

 バックの黄色は仏教色で,中国からこれを守ることを意味します.
 燃える剣は,無知を根絶するマンジュシュリー(文殊菩薩)の武器です.無知が共産主義の起源だと考えられています.
 もう1つの剣は,チベットの伝統的な武器であり,彼らの勇気を示しています.

http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq61t04a04.jpg
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq61t04a04b.jpg
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元諜報員@Free Tibet in mixi,2008年04月26日20:47


 【質問】
 これ↓,ホント?

――――――
349 2008年04月03日 10:19 Dandy J  そうですなぁ,〔イラクと違い,〕ジェット軍用機で空爆して一般の人たちを殺すということは中国はチベットでやっていないですなぁ.

――――――in mixi

 【回答】
 中国のチベット侵攻は1950年(朝鮮戦争のドサクサに紛れてこっそり強行)なので,中国空軍はまだ,ジェット戦闘機は数を持ってなかったのですよ.
 ソ連から譲り受けたものがありましたが,数少ない貴重なジェット戦闘機は台湾及び朝鮮半島方面へ集中していました.

 で,中国空軍はチベット侵攻の際にレシプロ戦闘機で空爆を行い,チベット人を殺していったのですよ.

 確かにジェットじゃないですけど,Dandy Jさんの書き方はちょっとずるいです.

JSF in mixi


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