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◆◆◆化身ラマ
<◆◆宗教
<◆チベット 目次
<中央アジアFAQ目次
【質問】
ダライ・ラマが3世から始まっているのは何で?
【回答】
まず,ゲルク派の祖師ツォンカパの高弟を起源とするダライラマの系譜が先に存在し,三代目(俗名スーナム・ギャツォ)
の時にモンゴルの王様から「ダライラマ」の称号を初めて貰った.
この系譜のなかで「ダライラマ」号を帯びたのは第三代がはじめてであるが,この系譜の初代,第二代も,さかのぼって「ダライラマ」の称号で呼ばれるようになった.
【質問】
ダライラマ14世が亡くなったら,後継者はどうなるのですか?
【回答】
本人は
「中国政府の手の届かないところに転生する」
と仰っているとか.
「ダライラマ(←自分のことだけをさしているのではない)に今,課せられている使命を果たすため,亡命社会に転生するであろう」
とも明言している.
事実,今のゾクチェン・リンポチェはシッキム生まれだし.ブータン生まれの大名跡もたくさんいる.
現地人よりもチベット難民から選ばれるケースの方が圧倒的に多いけど.
パンチェン・リンポチェで懲りてるから,ダライ・ラマが中国領住民の中から選ばれることは絶対ないでしょう.
この辺の超大名跡になると,選定では政治的な配慮が大いに働く(どす黒い謀略含む).
【質問】
ダライ・ラマ14世没後,中国が適当な子供を探し出して新ラマに仕立てたらどうするの?
【回答】
無視して放って置けばよい.
清朝選定の替え玉6世みたいになるのが落ち.
ダライ・ラマは何人かの候補を育て,その中から選ばれる.
なので中国政府が,その統治下のチベット内で見つけた子供を勝手に「ダライラマ」に認定しても,ニセ者扱いされるだけ.
ただし,この中国製ダライラマが,チベット人たちから本物と認められる方法はある.
すなわち,仏教の発展やチベット人の幸福に全力をあげてとりくみ,必要な場合には,身の危険をも顧みることなく中国政府批判を実践し続けた場合には,チベット本国と亡命社会が,本物と認定する可能性も出てくる.
1989年に亡くなった先代のパンチェンがそうで,もともと南京国民政府が滅亡直前の1949年,チベット政府と諮(はか)ることなく勝手に即位させ,1951年,人民解放軍を引き連れて,パンチェンの寺であるタシルンポ寺の主におさまった人物であった.
が,チベット動乱後の1962年,チベット人に対する過剰弾圧と仏教への抑圧を告発し,是正をもとめる直訴状を毛沢東に提出.
毛の逆鱗にふれ,15年も投獄される羽目になったことから,「真のパンチェン」として,チベット本国と亡命社会の双方から信任されるようになった.
2000年に亡命したカルマパ17世も同様.
自身がトップをつとめるカルマ派の教義を身につけるため,チベット動乱の際に亡命したきり海外に居住しているカルマ派の幹部たちを,学問の師として招聘するか,自分自身が亡命社会に留学するかして,しかるべき教養を身につけることを希望したが,いずれも許されなかったため,亡命を選択した.
「化身ラマ」という観念では,ひとりの化身ラマが,今生(こんじょう)で果たしきれなかった仕事をよりよく果たすため,複数にわかれて生まれ変わるなんて例がしょっちゅうある.
ので,14世の遺言どおりの場所にうまれた人物に加えて,中国製ダライラマも,行い次第では,本物と認められる可能性がある.
【質問】
本人が死ぬ前に転生した子供がいるのはなんでかな?
【回答】
この手の思想は,割と広範囲に見られるのでは?
13世紀に四天王寺で成立した『太子伝古今目録抄』に,聖徳太子が前身である慧思と同時代に存在していた時期があるのは,太子の前世の一つである勝鬘と観音がかつて同時に存在していたように,聖は自分の体を分ける事が出来るからだという説明がなされています.
〔回答者は〕今は典拠となり得る経典を詳らかにする事が出来ませんが,現在のダライ・ラマも十の転生が同時進行する事もあると仰っておいでですし,
【珍説】
ダライ・ラマの権威ってチベットの民族性の象徴ではあるが,同時にチベットの後進性の現れでもあるから微妙だな.
今のチベット開発は中国沿岸部の富が有ればこそだし,国外の坊主より,国内の汚れ役政治家の方が苦労してると思うのよね.
【事実】
なんかずいぶん古臭い史観を持った人が来たぞ.
唯物史観の人か?(笑)
宗教を「後進的」とかと貶めて迫害するのが先進的と思ってると,いつまでたっても民族紛争・宗教紛争はなくならない.
民主制国家と宗教を平和に共存させていくのが,現代の国家のあるべき姿.
「来るべきチベット国家は,ダライ・ラマが支配する宗教国家」
なんて誰も言ってないんだから.
もっとも,中国のプロパガンダに登場する脳内「祖国分裂主義者」は,「ダライラマが支配する宗教国家,封建農奴制などの再建を目指している」らしいが.
【質問】
宗教指導者が国家元首というのは,近代国家としてはすわりが悪い気がする.
実際はただの君主,お飾りだとしてもね.
【回答】
日本の天皇陛下も神道の最高神官であらせられる.
それでも日本は近代国家としてちゃんと回っているぞ.
やはり共産主義者の天皇嫌いとダライラマ嫌いは,根を同じくするものがあるようで.
【質問】
廃止されたモンゴルのゲゲンも,「転生ラマ」と自称する者が居るの?
もう公認済?
【回答】
ジェプツンダンパ8世が亡くなった後,モンゴル政府は
「以後,転生しない」
と勝手に宣言したが,チベット政府は内緒でこっそり転生者を選んでいた.
もともとはジョナン派ターラナータの転生者なんだから当たり前の話.
もっとも,「こっそり」といっても,別に秘密にされていたわけではなく,チベットの摂政政府がダライラマ十四世の公認と即位を行ったのとほぼ同じころ,ジェプツンタンパ九世の認定も行い,ラサのデプン寺のゴマン学堂において,しかるべき教育を施していた.
このことは,モンゴル人信者の間では知るひとぞ知る話になっていて,モンゴル人に変装し,モンゴル人仲間と一緒にチベットに巡礼した日本人の西川一三は,1945年ごろ,ラサで仲間達と一緒に九世の謁見を受け,仲間達が感激してうれしがっている模様を記録している(『秘境西域八年の潜行』).
9世はひっそり修行した後,インドに亡命.
長らく内緒にされていたが,モンゴル民主化後,モンゴル政府首脳がダラムサラに挨拶に行って
「ジェプツンダンパの転生者を探してほしい」
と頼んだところ,
「実はもうとっくにいる」
と言われて,ようやく公表された.
▼ 亡命政府からすれば,「転生者を選んでくれ」と頼まれたんで答えただけで,ごり押しなどしてない.▲
ところがモンゴル・サイドでは,認める人と認めない人がいて,「公認」までは至っていない.
▼ モンゴル政府は赤ん坊の転生者がほしかったみたいだから,年寄りを転生者と紹介されて面食らったんじゃないかな.▲
先年,モンゴル訪問を果たしガンデン寺に迎えられたものの,ヴィザ期限を過ぎても滞在し続け問題となり,ダライラマに呼び戻されたのは有名.
▼ ダライ・ラマ法王はジェツン・タンパ9世がモンゴル,カルムイク,ブリヤートの政治に深入りするのをむしろあまり快く思っていないようで,そのオーバーステイなどの軽率な行動を批判している.▲
その後は9世は,モンゴルから距離を置くように諭されているようで,今はインドでジョナン派の再興に尽力している.
【質問】
ゲルクには観音の化身と阿弥陀の化身はいるけど,文殊の化身(ツォンカパの化身)はいないの?
【回答】
ツォンカパの化身はなぜか認定されないけど,「文殊の化身」自体はそこら中にいた.
菩薩さまの慈悲は広大無辺だから,同時に複数の化身を出現させることなど,たやすいことなのだ,という理屈.
まず,明や清など,歴代の中国皇帝が文殊の化身.
あと,モンゴルには,マンジュシュリーフトクトという文殊の化身がいた.
17世紀末に活躍した摂政サンギャムという政治家も,文殊の化身とされている.
ジェ・リンポチェ〔1357-1419,ゲルク派の開祖で,文殊菩薩の生まれ変わりとされる〕の化身は,ニンマのゾクチェン・ペマ・リンジンと言われる.
ジェ・リンポチェご自身が来世は,ゾクチェンをすると言ったと,伝記に見られると伝え聞きました.
それがホントならツォンカパの化身は認定されないわけです.
そのせいか現在のゾクチェン・リンポチェはゲルクの教育を受けてしまった.
ゾクチェン・リンポチェは,ペマ・リンジンの化身です.
【質問】
金剛亥母(ヴァジュラ・ヴァラヒ)って何者ですか?
取引先の成金が飾っていた曼荼羅を見て,てっきりヒンズー由来の架空の守護尊かと思いきや,どうやら史実の人物らしいのですが……
【回答】
ヤムドクツォにあるサムディン寺の女座主が,代々ドルジェ・パンモ(ヴァジラ・ヴァラヒ)の転生者といわれている.それだな.
中国侵攻時の女座主は還俗して共産党幹部になってしまったそうな.
今も生きてるのかな?
【質問】
活仏は来世も必ず男に転生するの?
【回答】
仏の慈悲は「広大無辺」だから,一人の活仏から複数の転生者が生ずることもありうるし,そもそも新たに別系統の転生の系譜を創出することもできる.
男→女,女→男の転生も,理論上はちっともおかしくない.
要は成人してのち,転生者としてふさわしくふるまえるかどうか.
パンチェンラマの第九世 ロサンチューキニマ(1883-1937)の生まれ変わりとして,中国国民政府が1949年にラサやダライラマの承認なく勝手に即位させたチューキゲンツェン(937-1989)は,その後,中国政府の民族政策を果敢に批判し,15年間投獄されるなど,チベットの民族と仏教のために奮闘した結果,第十パンチェンとして,本国,亡命社会の双方からひろく受け入れられた.
ラサ政府のほうで10世の候補者として用意した人物も,「パンンチェン・オートゥル」の名義で,今はアイルランドの僧院で活動を続けている.
10世はチューキゲンツェンとオートゥルの2系統が出現したわけだ.
いま北京が傀儡の第十一世パンチェンとして擁立しているゲンツェンノルプ(1989-
)にしても,今はニセとか陰口をたたかれているが,宗教・民族をまもるために断固とした活動を行った場合には,ホンモノと認められる可能性は十分にある.
第十一世 チューキニマ(1989- ?)
第十一世′ゲンツェンノルプ(1989- )
【質問】
ラマが目立って,主席大臣とかが宣伝の前面に出てこないのは問題では?
実際,亡命政府って教団じゃあ無いんだよね?
【回答】
亡命政府の首相やスポークスマンが目立たないのは,国外のマスコミが,ダライラマからばかりコメントをとりたがるという構造的問題もある.
亡命政府の首相がだれかなんて,チベット好きでもよっぽどディープなマニアしか知らない.
だがダライラマは,チベットってどこにあるの?レベルのヤツにでも知られている.
【質問】
中共による,チベット僧院での反ダライ・ラマ思想教育は,効果があるのか?
【回答】
以下の話を読む限りでは,殆ど効果はない模様.
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1980年代に入って中国政府はチベット側に対する融和策として亡命政府との対話を再開したが,このときに亡命政府の代表団がチベット高原各地を巡った際,代表団はダライ・ラマの代理として手を合わされるような大歓迎を受けた.
中国政府はそれに対して非常に大きなショックを受けた.
ダライ・ラマ14世やパンチェン・ラマ10世はチベット人やチベット仏教の運命のために粉骨砕身しているイメージを持たれている.
チベット人一般の間におけるダライ・ラマに対する信頼感,信仰心は本当に大きく,一般の家屋だと必ず仏間があり,その中央にダライ・ラマとお釈迦様を並べて置いているという感じだった.
2年前にも,一般の人におけるダライ・ラマの影響力が極めて大きいということが改めて明らかになった事件があった.
ダライ・ラマが法話の席で,
「最近チベット人の中にも豊かになる人が現れてきて,希少な動物の毛皮を使って民族衣装を作るような動きがあるようだ.
しかし,これは仏教徒としての質素を心がけるという趣旨に反するので,そのようなことはあまりすべきではない」
という旨の話をしたそうだ.
すると,このダライ・ラマの話が瞬く間にチベット高原全体に伝わって,いたるところで民族衣装が燃やされて,お祭りのような状態になった.
チベット人にとっては,自分たちがいかにダライ・ラマを信仰しているかを自慢げに話す,そのような機会になった.
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―――平野聡(東京大学大学院准教授) in 2008年4月18日 ビデオニュース・ドットコム
平野聡の著書には問題があるらしいが,これは現代の現地情報なので,特に問題はないだろう.
党の権威を唯一絶対のものとする傾向にある共産党にとっては,権威が他にある状態を歓迎など絶対にするまい.
【質問】
かつてチェーン・メールで流布されていた「A
speech of the Dalai Lama」は,本当にダライ・ラマ14世の発したメッセージなのですか?
【回答】
うーん.法王猊下の発想とは違うんじゃないかという気がしますが.
あまり仏教的じゃないし.
(仏教的な部分ももちろんありますが)
どちらかというと,自己啓発やら,ニューソートやら,ポジティブシンキングにつながる系列の思想を感じます.
なんていうか,洋書店の「Self Help」の棚に並んでいそうな本の文章だと思いました.
この文章の出典だと言われている「Life's
Little Instruction Book」って本の実物をみたことがないんで分かりませんが,まあ,自己啓発系の本でしょうね.
ちなみにダライ・ラマ法王日本代表部事務所のコメントは,
――――――
ダライラマ法王日本代表部事務所にもことの真偽を問い合わせたそうだ.
その答えは,
「チベットにご関心をもって頂き,どうも有難うございました.
早速ですが,この内容は,ダライ・ラマ法王のメッセージかどうかわかりません.
もしからするとその友人は,法王の本からコピーしたかもしれません.
その友人にきいてください.
この内容は,どこに掲載されているのかを尋ねてください.
私たちにもよくわかりません.
――――――http://blog.cibhouse.com/index.php?itemid=50950
というものだったそうです.
ご参考.
http://lung-ta.cocolog-nifty.com/lungta/2006/01/0113.html
http://www.breakthechain.org/exclusives/dalailama.html
爆君ハバネロ in mixi
(退会により投稿者不明.同じHNの者はmixi内には何人もおり,特定に至らず)
【珍説】
笨教・笨波教(ボン教・ベンボー教)
これを事件の背景として考えると,現在のダライラマの独立派への距離と,一部僧院・僧侶の策動が繋がって理解できるようだ.
笨教は,ニンマ派(紅教・古宗派)と密接な関係にある民俗宗教で,ダライラマが属するゲルク派(黄教・黄帽派・浄行派)より以前のチベット教(印度密教)の主流だった.
タントラ(性愛・性交を通し,宇宙の最高真理を知る事が目的)の肯定・否定が紅教と黄教の違いという事のようだが,タントラを主教義としたオウム真理教はこれに強く影響されていたようだ.
分布としてはチベット圏全体に存在するようだが,特にカム・アムド地方では独自の教団国家を形成していた時期もあったようで,チベット亡命政府を構成する貴族・チベットゲリラの出身地,そして今回の暴動発生地域とも重なっている.
【事実】
ダライ・ラマ法王は,ボン教も「チベット宗教の5つの柱」の一つとして重要視してるし,インドではボン教僧院にも何度も訪れているよ.
ボン教徒やニンマ派が,反ダライ・ラマ策動をしている,なんてデマ流すくらいなら,その首謀者と目される人物の名前くらい上げられるよね?
宗派が人格持って動くわけじゃないんだから.
誰なの?,その反ダライ・ラマって人は.
世界史板
青文字:加筆改修部分
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