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「MURAJIの戯れ言so-net blog版」◆(2009/05/17) 科学的な証明 [歴史]

「Togetter」◆(2011/08/25)資料の信憑性と「常識」

「ストパン」■(2012-11-06)[歴史]「一次史料」をめぐって

「プレジデント」◆(2011/07/13)「怖い噂」の科学


 【質問】
 学者は常に客観的・公平な存在なのか?

 【回答】
http://www.bk1.jp/review/0000476263
によれば,そうではないという.
 なぜなら学者にも既得権益があって,たとえば学会(学界)の存立根拠を揺るがしかねない,不都合な統計資料は押し隠したりするという.
 『学者のウソ』(掛谷英紀著,ソフトバンク新書,2007.2)には,
・「報道ステーション」(テレビ朝日)に出演して全国的知名度が上がっている山田昌弘は,学者なのに単純な掛け算ができない事例
・上野千鶴子が自閉症を自分の主張に都合のいいようにと事実を捻じ曲げて,自閉症児の保護者と揉めた内幕
・朝日新聞が分析されて,自社スポンサーの脱税は報道していないケースを統計的に析出したデータ
が載っているという.
(3番目は,特にテーマとは関係ないような気もするが)

 そのため同書では,言論責任保障なるものを提唱し,著者自身,同書の印税の2割を預託しているいるという.
(しかしたとえば,国家安全保障論議にまつわるウソでは,その程度の預託金では解決できないように思われるのだが)

 詳しくは上記ページを参照されたし.


 【質問】
一般的に史学の世界において,ある一つの言説が,通説なのかそうでないのか,どの程度のポジションに位置しているかを判断するためには,どうしたらいいんでしょうか?

消印所沢

 【回答】
 あくまでも一般論ですが,その論文を引用している論文や書評の数と,それらの論文がそれをどう評価しているのかは大きな目安になると思いますね.

 通説的な扱いを受けている見解は,やはり引用されることが非常に多く,また肯定的にとらえられていることが多いですし,そうでない説は,もちろんその逆です.

 特に論文の冒頭において,「この分野の代表的な研究」のように言及されていたり,結論部分で「この人もこう言ってるし・・・」的に言及されているものは,ほぼ通説と言ってよいでしょう.

 また,その論文が掲載されている雑誌の格もある程度の基準となります.

 うちの業界で言ったら,『史学雑誌』『日本史研究』『歴史学研究』あたりに掲載されている論文は通説もしくは将来的に通説となる可能性がやはり非常に高いです.

 ただ,この点は例外も多く,絶対的な基準ではありません.

 それと,注意しなければならないのは,学閥というものがあって,「東大で通説とされている説」とか「京大で好まれている論」とか「広島大学では無敵の説」とか「東北大学では主流の見解」というように,大学や地域で通説が異なっていることも多いです.

 〔略〕

 なお,通説かどうかを判断するのに,大学教授や出身大学等の肩書きはほとんど当てにしてはならないと思います.

 〔略〕

はむはむ by mail,2008年10月20日 02時20分

 こないだ書き忘れたのですが,ある学説が通説か否か,どの程度受容されているかを判断するいちばん容易な方法は,大きな本屋に行って,通史や概説書を数冊手に取って読んでみることだと思います.

 で,どの通史でもだいたい取り上げられていたり,巻末の参考文献一覧に乗せられていれば,その学説はほぼ通説扱いされていると見なしてかまわないと思います.

 これなら,苦労して専門の論文を入手しなくても,専門家以外の一般の方でも比較的容易に学説の位置を知ることができると思います.

はむはむ by mail,2008年10月21日 18時17分

▼ ある学説が定説であるか否かを判断するには,どうすればよいのだろうか?

 長年研究を続けていると,こうした問題は特に考えなくても,何となく体でわかってくるものであるが,卒業論文を書き始めた学部生や,専門家以外の一般の方々には,慣れていないとなかなか難しいと思う.

 また,研究者であっても,自分の専門以外の研究状況は詳しくないので,判断に迷うことがある.

 そこで今日は,定説の見分け方について,私なりの考えを書いてみたい.

 まず,定説か否かを判断するには,あくまでも一般論であるが,その論文を引用している論文や書評の数と,それらの論文がそれをどう評価しているのかが大きな目安になると思う.

 通説的な扱いを受けている見解は,やはり引用されることが非常に多く,また肯定的にとらえられていることが多いし,そうでない説は,もちろんその逆である.

 特に論文の冒頭において,「この分野の代表的な研究」のように言及されていたり,結論部分で「この人もこう言ってるし・・・」的に言及されているものは,ほぼ通説と言ってよいと思われる.

 また,その論文が掲載されている雑誌の格もある程度の基準となる.
 その分野において格式が高いとされている雑誌に掲載されている論文は,通説もしくは将来的に通説となる可能性がやはり非常に高い.

 ただし,これは例外も多く,絶対的な基準ではない.

 それと,注意しなければならないのは,学閥の存在である.
 文系の場合,大学や地方によって定説的見解が異なる場合があり,ほかの学閥の論文は重要であっても引用されていないことがあるので,注意が必要である.

 だいたいこんなところであるが,以上の基準は,その分野を専門に研究している,あるいはこれからしようとしている人にとっては役に立つが,そうではない一般の方や,専門外の人にとっては,これらの基準で定説か否かを判断するのは,時間もお金もかかってなかなか大変であろう.

 そこで,ある学説が通説か否か,どの程度受容されているかを判断するいちばん容易な方法を考えてみたのであるが,それはおそらく,大きな本屋に行って,通史や概説書,あるいは研究史整理の本や論文を数冊手に取って読んでみることだと思う.

 で,どの通史でもだいたい取り上げられていたり,巻末の参考文献一覧に乗せられていれば,その学説はほぼ通説扱いされていると見なしてかまわないと思う.

 これなら,苦労して専門の論文を入手しなくても,専門家以外の一般の方でも比較的容易に学説の位置を知ることができるが,この場合,通史や概説書の性格上,細かい話は省略されていることもあるので,注意が必要である.

 なお,通説かどうかを判断するのに,大学教授や出身大学等の経歴や肩書きは当てにしてはならない.

 長く研究を続けていると,研究者の経歴や肩書きは自然に知ることとなるし,ある程度は考慮にも入るものであるが,しかしこれは絶対的な基準ではない.

 現実は,学説の中身だけで判断されることが圧倒的に多い.
 一流大学を出て著名大学の教授になった方の研究でも,問題があればびしばし批判されているのが現状である.

 こういうところは研究の世界の公平でいいところであり,学界も一般の社会と同じ感じである.

「はむはむの煩悩」,2009年2月15日 (日)

 ちなみに,
裏日本観察学会」:トンデモ「研究」の見分け方・古代研究編
によれば,…….

――――――
 著者が雑誌に発表した論文がない
 著者がその分野について専門的に学んだ経験がない
 例えばドイツ哲学や都市工学の研究者が書いた日本史の本や,政治学の専門家が書いた中国史の本といった場合です.
 やたらセンセーショナルな文句が多い
 論調が攻撃的である
 引用文献がない
 引用文献がほとんどないか,あっても啓蒙書や入門書ばかりだったり,著名な専門書や論文が入っていないようなもの
――――――

 これは古代研究に限らず,一般論としても通用するように思われる.


 【質問】
 学閥によっても通説が異なることがある」というのは本当でしょうか?

 【回答】
 本当にあります.

 私の専門分野である日本中世史においては,東大(関東)と京大(関西)の対立が顕著です.
 この対立は日本史教科書の世界にも及んでおり,山川出版社の教科書の執筆陣が東大系の研究者で固められているのに対し,実教出版の教科書は京大系が多いです.
 学習指導要領という縛りがあるものの,両教科書の内容には少なからず相違があり,それは学閥の対立を反映しております.

 物凄く大雑把に言うと,東大(関東)は東国社会の(京都からの)独自性を重視し,京大(関西)は京都を中心に日本国が統合されている側面に注目します.

 たとえば元東大教授の佐藤進一先生は,「東国独立国家論」を提唱しました.
 これは,鎌倉幕府は京都の朝廷から独立した国家である,という見解です.
 これに対し,京大卒で元大阪大学教授(故人)の黒田俊雄先生は,「権門体制論」を提起し,中世においても日本の支配者は一貫して天皇であり,幕府も天皇に軍事的に奉仕する存在(要するに番犬,ガードマン)にすぎないと説いています.

 権門体制論が提出されてから半世紀近く経っていますが,未だに両説の対立は解決しておらず,見解の一致を見ておりません.
 基本的に東大系の研究者は「東国独立国家論」を支持しており,京大系の研究者は「権門体制論」を当然の前提として議論を展開します.
 「東国独立国家論」は関東の通説,「権門体制論」は関西の通説,ということになります.

 京大の日本中世史研究者のブログより.
 京大において,いかに京都中心史観・権門体制論が支配的であるかが伺えると思います.
http://blogs.yahoo.co.jp/historian126/55580224.html

 1つ問題なのは,最近は「どちらの説が正しいか」という論争が行われなくなり,お互いに
「明らかにこちらの説の方が正しい」
と決めつけて没交渉になっている点です.
(略)

御座候 in mixi,2008年10月25日 00時11分
〜10時57分


 【質問】
 アレな論文・著作の見分け方を教えてください.

 【回答】
「まともな論文の『作法』を守っていない著者,プロフィールが歴史学と何の関係もない癖に,歴史観について語りたがる著者には気をつけろ.
 というよりそういうのは論外」
という事に尽きる.
 何か本を読んでみてほんの少しでも胡散臭さを感じたら,その著者の名前を国会図書館のデータ検索なりCiNiiなりに放り込んで,著者がいままでどういう研究をしてきたのか調べること.
 もし学会誌に著者の本の書評が載ってたら,それを読んでみること.
 もしまともな研究なら(というか普通はまともな本しか載らないんだが),著者の研究の論点や分析視角,先行研究との違い,問題点などが解説されているはずだ.

 任意のジャンルの研究論文については,まずは,史学研究の掲載論文や「回顧と展望」,「軍事史学」「歴史学研究」などの歴史雑誌を40年分ほど読んでみて,関連論文をリストに纏める作業をお勧めする.
 それぞれの時代の流行や問題となったテーマ,研究されていないところなどが見えてくる.

 大学生だった頃は資料カードとノートを使用していたが,最近は表計算ソフトを使う事で,だいぶ作業が楽になった.

 自分と考えの違う論文も多数見かける事になるだろうが,その違和感が何処にあるのかを考えながら読むことで,組むべき点もみえてくる事がある.
 先行研究や史料を読んで感じる違和感というものは,研究をする上で大事なポイントの1つ.
 たとえば,ロンドン条約を語る上で,軍事的な視角が欠如している事が,この論文にどのような問題を生じさせているのか.
 これを提示して,軍事的視角からの分析がどのようなメリットを生じさせるのかを提示する.
 違和感を言語化して,第三者が見ても納得できるように提示する事が出来れば,それは先行研究批判と自分がとる手法が持つメリットを示す事に繋がる.

 あとは「軍事史」という枠に捕らわれず,手広く論文を読んでいってデータベース化していく事が大事.
 論文や資料は,なるべく広い範囲で目を通す事が大事.
 一見,無駄の積み重ねに思えるかもしれないが,その作業の過程で見極める眼力がついてくる.
 時間はかかるが,結果的には近道ではないかと思う.
(偉そうなことを言って申し訳ありません.)

 研究世界以外の文献を使う場合は
(1)著者がアカデミズム内の人間であるなしに関わらず,その文献が学術的な手続きを踏んでいるか
 →参考文献リストはあるか,リストは一次史料や妥当な二次文献にあたっているか,
  (逆にいえば,左右問わず怪しげな本が文献リストに加わっていないか),
  脚注はあるか,等々
 →『軍事史学』の投稿者で大学教員や院生じゃなく「会員」名義で載っている場合は
  著者が専業研究者じゃないこともあるけど,こういう手続きを踏んでるケースといえる

(2)上記の条件を満たさなくても,アカデミズムの世界で引用されている本か否か
 →その本引用して論じても叩かれないかもとわかる一番イージーな手段.

の二種はあると思う.
 戦後史が自分は関心対象だけど,戦前に比してろくな一次史料がない分野なので,学術的な条件を満たしているかといえば結構微妙な本,つまり(2)のケースの本も積極的に引用されてたりする.
 そして引用された本は,ねずみ算式に引用される.

 それと軍事史が難しいのは,マニアックで他の文脈を無視したものになりがちという部分と,「実用性」「教訓性」を求める部分が実務家(要は軍人)にあって,彼らもまた研究に加わるから,史学っぽくなさが加わるというか,ゆえに色物視されやすいってところもあると思う.
 マイケル・ハワードの受け売りだけど.

 ヒュー・トマスの「スペイン市民戦争」すら,日本の著名学者に,
「マニアックな軍事研究に終始してしまってて駄目」
という批評をされてたな.

軍事板,2009/06/11(木)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 あの「論文」の「文法」としての観点を教えてぷりーず(笑)
 〔略〕
 引用とかする場合って本来「論文」ならどう記述したりするのかな,って.
 「〜によると」だけでいいのかと.

〜/  ´・ω)ミ in mixi,2008年11月04日 19:03

 【回答】
▼ 一般的な学術論文の体裁,要するにどういう形式でどんなふうな構成で書けば論文の形になるのかをざっと書いてみたい.

 なお,これは日本史の論文の書き方であって,他の分野はまた違う形式であろうことをあらかじめ断っておきます.
 これもいずれ表ブログにする予定です.

 論文は,「はじめに」,章・節,「おわりに」という構成に分けられ,無論この順番に論述が進められていく.

 「はじめに」は,もちろんその論文で何を論じたいのかをまず述べる場である.

 自分が研究しようとしているテーマがいかに重要で,学界にとって大事なのかを積極的にアピールするところなので,意外に大切な部分である.

 一般的には,そういうことをアピールして,従来の研究史をざっと振り返り,その成果と問題点を指摘し,改めて自分の研究の意義を主張する,だいたいこういう感じで書かれる.

 それからもちろん本論に入るわけであるが,雑誌に掲載される論文の場合,だいたい3章から4章で論述されるのが普通である.

 必要に応じて章をさらに節に分けるわけであるが,章や節がやたら多い論文は喜ばれない.
 また,章の長さが極端にまちまちな論文も,あまり評価されないようである.

 論述の順序としては,私の場合は,だいたい前の章で新事実を解明し,最後の章で論者がその事実をどう解釈し,意義づけするのかを論じる.

 事実の意義づけとは,だいたいその事実を積極的にとらえるか,消極的にとらえるかのどちらかである.

 日本中世史の論文の場合,史料も限られているので,裁判ほどには厳密性は求められないと思う.
 なので,どうしても多少は推測が入るのであるが,もちろん推測は最低限にとどめるべきであるし,推測する場合でも,できるだけ常識的・論理的に行って,大多数の人に自然に受け入れられるようなものを心がけるべきである.

 註の書き方は,論者によって意外に差があって,あまり確立していない.

 しかし誰にでも共通していることは,史料や文献を取り上げたら,その出典を明記することには註は必ず使われる.

 あとは,本論に書くと話が脇にそれたり,煩雑になりすぎて難解になるようなことや,先行研究の批判を書くことなどに使われることが多い.
 一般論として,註の多い論文は評価されないが,現代はだいたいどの分野でも研究が進展しており,それらに言及する必要がどうしても生じるので,そんなこと言ってられない.

 先行研究の批判は,現代ではあまり感心されないようである.
 なので,一般論としては,あまりに細かい実証部分の相違などはスルーして,どうしても避けては通れない重要な論点にしぼって書いた方がいいようである.
 上で述べたように,さりげなく註に回すやり方もある.

 特に重要な史料は,本文全体やその一部を抜粋して引用する.

 それに現代語訳を付すなど簡単に説明を加えた後に,自分の意見を書く.
 日本史の場合,これでだいたい実証的と評価されるので,慣れると意外に簡単である.

 必要に応じて,図や表,地図,写真などを途中に挿入する場合もある.

 「おわりに」の書き方は,おそらくいちばん体裁が確立しておらず,論者の個性が表れる部分だと思う.

 だいたい,本論で論じたことの要約を書くのが普通であるが,紙数が残り少ないときなどは省略することも多い.

 で,今後の課題とか,論じた時代の後の時期の展望などを書くのであるが,あまり課題を書き過ぎると,お前が今まで論じたことはほとんど価値がないのかって話になるし,展望もあまりやりすぎると違う論文になってしまったりするので,ほどほどにした方がよいみたいである.

 私も実は,いつも「おわりに」には苦労しているのであるが〔略〕(笑)

 だいたいこんな感じかな?(笑)

はむはむ in mixi,2008年11月06日12:25

 まあ,そういう形式的な面でも,論文の体をなしていないと思いますね(もちろんそれ以前の問題ですが(笑)

はむはむ in mixi,2008年11月04日 19:18

 〔櫻井よし子や黄文雄の著作や「マオ(誰も知らない毛沢東)」は,〕学術論文としてなら,使ってはならないと思います.
 エッセーやコラムとしてならかまわないですが.

 ほんと,失笑物ですよ.

 近現代史は詳しくありませんが,よく使われる史料としては,当時の新聞の記事,政治家の日記や書簡,政府の公式発表といったものようですね.

はむはむ in mixi,2008年11月04日 19:33

 そもそも論文というのは,「新事実の発見」が核としてなければならないんですね.

 事実の新発見がまずあって,それに論者の歴史観なり価値観で肉付けされていく.

 しかしこの論文(?)は,新事実の発見が一切なく,事実関係はすべて他人の著作を,都合のいい部分だけ切り張りしただけで,後は自分の個人的な感情を吐露しているにすぎません.

 ですので,これは論文ではなく,やっぱりただの随筆ですよね.

はむはむ in mixi,2008年11月04日 19:48

▼ 学術的な意味での「論文」の場合, オリジナルな見解が必要になります.
 田母神氏の文章は, 他人の見解を継ぎ接ぎしただけなのでオリジナリティーはゼロです.

 で,歴史学の論文の場合,「オリジナルな見解」とは,
「今まで知られていない新たな歴史的事実を発掘する」か,
「事実としては知られていたけれど,その事実に新しい歴史的評価を与える」か,
のどちらか(もしくは両方)ということになります.
 田母神氏の論文モドキには,そのいずれもが欠けています.

 たとえば日本陸軍に朝鮮出身将校がいたことや,京城に帝国大学が置かれたことなどは周知の事実ですし,それらを積極的に評価して,
「日本の植民地統治は欧米のそれとは違い,穏健なものだった」
と説く人も既に大勢います.
 田母神さんの言っていることは,櫻井氏や黄氏の主張の受け売りにすぎません.

 また,自らの論文のオリジナリティーを主張するためには,これまでに別の人たちによって提出された論文――学問の世界では「先行研究」と呼びます――との違いを明示する必要があります.
 全くの無から論文を生み出すことが不可能である以上,どこまでが他人の意見の引用であり,どこからが自分のオリジナルの見解であるかを,明確に線引きしなくてはならないからです.
 この作業を「研究史整理」といいます.
 この「研究史整理」が存在しないものは,「論文」とは言えません.

 しかし田母神氏の場合,他人の著作の内容を引き写して羅列しているだけであり,全く整理ができていません.

 たとえば,秦郁彦氏が朝日新聞に寄せたコメントで怒っていたように,田母神氏は自説(と言えるかどうかは疑問ですが)の補強に秦氏の研究を引用しているにもかかわらず,秦氏の
「廬溝橋事件は偶発的なもので,中国共産党の陰謀とは考えにくい」
という見解は全く無視しています.
 他人の学説のうち,自分に都合の良いところだけを抜き出して,結果として他人の意見を歪曲するという行為は,学問の世界では「恣意的な引用」として厳しく批判されます.

 また田母神氏は,張作霖爆殺事件について,3冊の本を根拠に
「最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力」
と断言していますが,現実には大多数の研究者はコミンテルン陰謀説には懐疑的であり,「極めて有力」とは程遠い状況です.
 自分にとって好ましい学説,自分の信じたい学説だけを紹介するという態度は極めて主観的であり,学問的に公正な態度とは言えません.
 自分が扱うテーマに関する重要な論文は,全て遡上に載せて吟味するというのが,「研究史整理」のあるべき姿です.

 したがって本来ならば田母神氏は,通説である関東軍陰謀説よりも,新説(珍説?)であるコミンテルン陰謀説の方が蓋然性が高いことを,説得的に論じなければなりません.
 つまり「証拠」を示さなければいけないわけです.

 歴史学の場合,「証拠」とは,すなわち「史料」のことです.
 はむはむさん言うところの「当時の新聞の記事,政治家の日記や書簡,政府の公式発表」や,当事者への取材記録=インタビューなどがこれに当たります.
 冒頭で挙げた,「今まで知られていない新たな歴史的事実を発掘する」か,「事実としては知られていたけれど,その事実に新しい歴史的評価を与える」という行為は,全て史料に基づいていなければなりません.
 史料もないのに勝手に話を作るのは,想像であり捏造です.

 しかも史料は,必ずしも真実を語るわけではありません.
 新聞記事にも誤報はありますし,大本営発表は大嘘をついていたりします.
 関係者の証言も本当とは限りません
(特に回顧談の場合,自分の功績を過大に話し,己のミスを隠蔽しようとするのが普通です).
 史料の内容を常に疑ってかかり,複数の史料の交錯活用(クロスチェック)等を通じて,史料の信憑性を判断する必要があります.
 この作業を「史料批判」と言い,これも歴史学の論文を書く上では必須の作業です.
 でないと,「田中上奏文」のようなデマを鵜呑みにしてトンデモ説を唱えることになりかねません.

 田母神氏は,こうした「研究史整理」や「史料批判」を全くせず,
「櫻井氏や黄氏が言っているのだから間違いない」
とか
「日本が悪いことをするはずはない.全ては外国の陰謀なのだ」
という思い込みに基づいて,酷使様と同レベルのヨタ噺をしているにすぎません.
 よって田母神論文は,そもそも「論文」の名に値しません.

御座候 in mixi,2008年11月06日 01時11分

 〔略〕
 何もガチガチの論文形式である必要はありませんが(それだと一般の方には難解で読みにくいでしょうし),内容をもっと考えてくれよと・・・.

はむはむ in mixi,2008年11月04日 19:26


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