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◆古代ローマ Ókori Róma
<戦史FAQ目次
(画像掲示板より引用)
「朝目新聞」(2013/06/23)●三国志軍vsローマ帝国軍
「朝目新聞」(2013/06/23)●ローマの女剣闘士 ~円形闘技場で行われた知られざる女剣闘士の記録~ (of 不思議館)
「あんそく」:ハンニバル・やる夫・バルカスがローマに喧嘩を売るようです 【第一章】
「あんそく」:ハンニバル・やる夫・バルカスがローマに喧嘩を売るようです 【第二章】
「あんそく」:ハンニバル・やる夫・バルカスがローマに喧嘩を売るようです 【第三章】
「あんそく」:ハンニバル・やる夫・バルカスがローマに喧嘩を売るようです 【第四章】
「あんそく」:ハンニバル・やる夫・バルカスがローマに喧嘩を売るようです 【第五章】
「あんそく」:ハンニバル・やる夫・バルカスがローマに喧嘩を売るようです 【第六章】
「あんそく」:ハンニバル・やる夫・バルカスがローマに喧嘩を売るようです 【第七章】
「あんそく」:ハンニバル・やる夫・バルカスがローマに喧嘩を売るようです 【第八章】
「あんそく」:ハンニバル・やる夫・バルカスがローマに喧嘩を売るようです 【第九章】
「あんそく」:ハンニバル・やる夫・バルカスがローマに喧嘩を売るようです 【第十章】
「あんそく」:ハンニバル・やる夫・バルカスがローマに喧嘩を売るようです 【第十一章】
「あんそく」:ハンニバル・やる夫・バルカスがローマに喧嘩を売るようです 【第十二章】
「それにつけても金のほしさよ」◆(完)ハンニバル・やる夫・バルカスがローマに喧嘩を売るようです
「まとめたニュース」◆(2013/08/01) 弁護士「イエス・キリストの磔は違法.国際裁判所は調査しろ!」 ローマ皇帝ティベリウスやヘロデ王らに有罪判決を下すよう提案
『アウグストゥス ローマ帝国のはじまり』(アントニー・エヴァリット著,白水社,2013/07/20)
『ガリア戦記』(ユリウス・カエサル著,講談社学術文庫,1994.5)
著者は人類史上最高の英雄の一人.
軍人として政治家として,かつまた文人として,あげくにナンパ師として,最高の資質を持っていたといわれる.
古代世界最強軍団ともいわれるローマ軍のことを知るには,必読の書.
ちなみに本書は近代以前のヨーロッパにおいて,ラテン語の必須の教材として扱われ,アホ学生たちの怨嗟の的となっていた(笑
------------軍事板,2001/02/16(金)
インチキのように面白いよなぁ.
軍の指揮官が残した作戦記録とは思えん位,読み物として面白い.
今の世にいたら,物書き稼業だけで名を成せるレベルだよなぁ,カエサルは.
独裁者兼法律家兼軍人兼作家って,どんだけマルチに有能なんだか,奴は.
――――――軍事板,2010/02/20(土)
これ,岩波文庫版は絶対駄目だぞ.
岩波版で挫折して十数年,塩野七生経由で講談社版で読んで,あまりの面白さに光速で一気読みしたが,岩波阪読み直したら,そもそも…読めん.
日本語で書け,頼むから.
講談社学術文庫版,あれは,はいいものだ.
国原氏のわかりやすい,思い切った意訳.
巻末の方にある資料で,地図・軍装その他が付いていて,便利だ.
――――――軍事板,2011/03/22(火)
これは読み易い.
しかし,”ぎょうさんの部族”ってなんかひっかかるな.
”たくさんの部族”だろ・・・
ぎょうさんて関西弁じゃなかったか?
私は兵庫県民だけど,口で言うならともかく,文章でぎょうさんなんて書いた記憶ないな.
――――――軍事板,2011/05/24(火)
『ガリア戦記 対訳』(ユリウス・カエサル著,大学書林,2009.5)
『ガリア戦記<普及版>』(ユリウス カエサル著,PHP研究所,2013/4/26)
『ガリア戦記 まんがで読破』(ユリウス・カエサル著,イースト・プレス,2011.1)
『歴史群像アーカイブ VOLUME4 Special Issue 西洋戦史 ギリシア・ローマ編』(学研,2008.9)
『ローマは,なぜ滅んだか』を読み解く (2013/01/08)◆「国際インテリジェンス機密ファイル」
【質問】
古代ローマの戦争についての本っていっぱいあるけど,オススメってある?
塩婆のは読んだ.
【回答】
オスプレイの本でローマ軍団を扱ってるのを一つ買って,参考図書を読み進めていくのが一番いい.
ちなみに最近買ったけど読んでないのが,『roman
siegworks』
ローマ軍が攻囲するために築いた土木工事のあとを発掘と推定(発掘は金が無くて一部しか終わってないとか,後世に技術がさらに進んだら掘るためにとっといてあるとか)で再現したもの.
軍事板
青文字:加筆改修部分
▼ 次にはこれなどいかがでしょうか.
『図説 古代ローマの戦い』(エイドリアン ゴールズワーシー著,東洋書林,2003.5)
原書の方しか読んでませんが(後述),時代別に戦術・戦略に関わることに絞って解説されているので,ちょうどよいかと思います.
地図や挿絵も多くて読みやすいです.
上の本の原書のシリーズについて解説しますと,上の本の原書は「Smithsonian History of Warfare」という全十六巻(もっとあるかも)のシリーズのうちの一冊です.
このシリーズは,新しく特定の戦史を学ぶ際には良いと思います.
分かりやすい地図が多く収録されていて,しかも安価で手軽なヴォリュームなので,アメリカに行く度に一冊買って帰りの飛行機で読んでいます.
「A history of warfare」の著者でもあるJohn Keeganが,シリーズの編集を担当しています.
Amazonに各巻のリストがありました.
ここにあるリストをとりあえず和訳しておくと
戦術・戦略思想史
古代ギリシャの戦い
古代ローマ帝国の戦い
戦争におけるルネサンス
17世紀の戦争
18世紀の戦争
帆船時代の海戦
ナポレオン戦争
南北戦争と19世紀の戦い
帝国間の植民地獲得戦争
装甲艦時代の海戦
民族解放戦争
第一次世界大戦
第一次・第2次世界大戦での空戦
第2次世界大戦・欧州戦線
第2次世界大戦・極東戦線
第一巻は,「補給戦」で有名なクレフェルトによる戦略・戦術史概観で,孫子やクラウゼビッツなど主要な戦略思想家から現代核戦略に至るまで書かれています.
このシリーズのうち,「Wars of the Ancient
Greeks」「Roman Warfare」については,東洋書林で
『図説 古代ローマの戦い』
『図説 古代ギリシアの戦い』
として訳本が出ているようです.
ってか,和訳があったのか...
また,このリストには載ってないですが,冷戦について書いた巻もあるようです.
Fabius (KT) in 「軍事板常見問題 mixi支隊」
▲
▼ 古代ローマの戦争や兵器だと,古代ローマ軍団大百科,古代ローマの戦い,戦闘技術の歴史
古代編がオススメ.
(.・_・.)ノ
しかし,値段が張る.
定価が古代ローマ軍団大百科は\13000,古代ローマの戦いは\4500,戦闘技術の歴史
古代編は\4500する.
当方は図書館から借りたが,買うか検討中.
突撃兵 ◆hpJg4qOM9M :軍事板,2012/02/26(日)
青文字:加筆改修部分
▲
>塩婆
妖怪っぽい呼び方だな.
【関連リンク】
『古代ローマ軍団大百科』(エイドリアン・ゴールズワーシー著,東洋書林,2005.11)
【質問】
古代ローマ世界における,亀甲隊形の弱点を教えてください.
【回答】
隊形を維持できなくなる環境での戦闘.
森林地帯とか市街戦とか.
特にカルタゴとかエルサレムのような市街戦だと,建物の上から重さがあるものを落とされている.
ローマ兵の盾も所詮は,人が持っているだけの盾なんで,重量ある落下物を食らうと兵士が負傷して隊形が乱れていく.
軍事板,2009/07/02(木)
青文字:加筆改修部分
【質問】
第3次ポエニ戦争(BC149-146)でカルタゴが滅ぼされたのはなぜですか?
【回答】
「最低でも」塩バアの本くらい読んでから出直せ.
もともと,カルタゴとローマの中間にある緩衝地帯のシチリア島のシラクサなどの政変があり,そこへ介入するハメになった両国の争いだったのが,ポエニ戦争.
ところが,第2次ポエニ戦争はローマおよびイタリア諸邦の解体を狙ったハンニバルが,イタリア半島に攻め込み,戦術的には多大な戦果を挙げ,ローマ(市)も危ういという状況まで追い込まれた.
だが結局,戦局は逆転されて,ローマに優位な講和となった.
特にローマの覇権を前提として,勝手な軍備拡張や隣国との紛争を禁じられた.
これでローマは地中海の覇権国家と成り上がり,カルタゴは一貿易国家へと転落した.
とは言っても,ローマ国内にはカルタゴを危険視する連中も多かった.
(逆に覇権国家として,そのシステム内に収まり続けるなら,カルタゴは存続されるべきと考える連中もいた)
で,カルタゴ自身が軽率なことに,隣国ヌミディアとの紛争で,ローマとの講和条件を無視し,勝手に傭兵を雇い,ヌミディアに攻め込んでしまった.
ローマは一時調停しようとしたが,調停案の中に,現状のカルタゴ市を破却し,内陸へ移住を求める条項が,カルタゴへの懲罰として盛り込まれた.
カルタゴはこれを拒否.
ローマへ武力で抵抗する構えを見せたため,第3次ポエニ戦争となり,カルタゴは数年にわたる籠城の後,完璧に破壊された.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
古代ギリシアの無産市民は財産がない市民だと思うのですが,共和制ローマのときの無産市民は仕事も何もしてなかったのですか?
その後,傭兵になる者も多かったようですが,ずっと仕事しないでいようとした者はいたのでしょうか?
【回答】
なにか混乱しているように思えるのだが,ギリシャとローマで「無産市民」の定義に大きな違いはないよ.
別に無職の失業者が「無産市民」ではなく,職はあっても財産がなく,生産手段を所有していない市民が無産市民なんだな.
もともと,ローマもギリシャと同様の都市国家で,共に戦士共同体国家を基本理念としていたから,特に共和政ローマとギリシャは似ている.
どちらも軍隊を構成するのは装備を自弁し,従軍する市民達で,その戦士である市民達が主権者として政治的な発言力を有していた.
戦闘に参加できない女性や子供,そして甲冑や武器を自弁できず,土地や奴隷などの生産手段を所有していない「無産市民」は従軍できないことから,政治参加ができなかった.
で,ギリシャでは対ペルシャ戦争で,無産市民達がガレー船の漕ぎ手として参戦して国防上重要な役割を果たしたことから,無産市民の政治参加が実現するようになる.
一方,ローマでは拡張する軍を支えるために,装備を国家が支給し,軍役を勤め上げれば生活保障を与えるという条件で無産市民から志願兵を募るようになる.
無産市民でも,ローマ市民が従軍すれば,それは軍団兵であって傭兵ではない.
また,ローマはギリシャよりも豊かで,ローマ市民は政治的な影響力を持っていたため,市民であることだけで特権的に無償で「パンとサーカス」の供給を受けるようになったことから,働こうとしない無産市民というのも存在はしたようだが,それは軍務とは別の話だな.
【質問】
古代ローマでの軍団って,どのような規模の集団を指すのか教えて!
【回答】
軍団は,複数のコホルスから編成された戦略単位です.
共和国時代は10000+10000人程度,マリウスの改革以降は~6000人です.
百人隊が2個でマニプレスが構成され,複数のマニプレスでコホルスが組み上げられます.
【質問】
ローマ軍の編成知りたんだけど,歩兵,騎兵,工兵とかの割合ってどのくらいだったの?
【回答】
時代によって違うとしか言えないが,例えば騎兵がほとんど戦力とはみなされなかった第2次ポエニ戦争以前は,騎兵は全体の1/10程度.
ポエニ戦争後は1/4を占めたこともある.
歩兵と工兵の区別は存在せず,歩兵全てが同時に工兵として,穴掘りから設営から攻城器組み立てから全部やった.
「ローマ軍の主武装はスコップとツルハシ」
なんて揶揄されるくらいだ.
輜重軍団的なものはあったがな.
世界史板,2010/01/26(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
現代の軍隊の編成に,古代ローマ軍は何らかの影響を与えたんでしょうか?
【回答】
近代的な軍隊の編制のベースになったのは,16~17世紀頃に西欧諸国で始まった軍制改革.
それ以前の西欧の軍隊は,ゲルマン以来の封建制に基いた,部族や所領単位の部隊.
ゲルマン人は敵あるいは傭兵としてローマと接触しているので,その制度や技術を取り入れた可能性はあるかもしれないという程度.
古今東西を問わず,大規模な部隊はピラミッド構造の階層化するのが効率的.
指揮官が掌握できる部下の数も似たようなものなので,いつ,どこの軍隊も同じような編制になっていく.
軍事板,2009/07/11(土)
青文字:加筆改修部分
【質問】
リーチの長さとか考えると,平野・密集戦では槍が圧倒的に有利だと思うんだけど,なんでローマのレギオンは長槍を廃止したんだろ?
機動力に劣るからか?
【回答】
機動力に劣るだけでなく,長槍だと急な方向転換が出来ないので側面や背面をつかれた時に対処できない.
マケドニアの長槍密集方陣も,側面を軽歩兵と騎兵が防護してこそ威力を発揮出来る物.
リーチの短さは大盾と投槍で補った.
また,ギリシャのポリスのようにオリーブや小麦の生産地をとりあうため,平原で会戦をやって勝負するのではなく,異民族と山岳で戦ったり,長期にわたって遠征したりする事情も与っているかも.
ローマは後にはピロス王の率いるマケドニアとも戦ったけども,ガリア人,カルタゴ人,ケルト人,ゲルマン諸部族,ヌマンティア人など,様々な敵と様々な地形で遠征地で戦っている.
このため,ファランクス一本槍の編成よりは,盾+投げ槍+短めの剣のほうが,汎用性に優れていたのではないかと思う.
なお,ローマ軍のファランクスが大敗したのは,BC390年のアリアの戦い.
カンナエの時にはとっくにマニプルス制に移行している.
カンネーのときは槍以前に,機動戦力である騎兵に差がありすぎた.
いかに歩兵が優位だったとしても,ヌミディア騎兵を止められず,完全な包囲網に置かれてしまった以上,敗北は確定的.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
テストゥドって何?
【回答】
テストゥド Testudo とはローマ軍の歩兵戦術のひとつで,歩兵集団が密集した隊列で盾(スクトゥム)を前方,上方に掲げつつ対峙,移動する戦術.
主に騎兵に対する防御あるいは攻城戦での突撃に用いられた.
テストゥドは飛び道具に対して抜群の効果があった反面,あまりにも密集した隊列のため,迅速な移動や通常の白兵戦は困難であり,カルラエの戦いではパルティアの弓騎兵(パルティアンショット)と重装騎兵の波状攻撃に苦戦を強いられている.
【参考ページ】
http://ncode.syosetu.com/n3845d/4.html
http://ncode.syosetu.com/n3845d/5.html
http://4travel.jp/traveler/giraud/album/10226158/
http://dic.mobatch.net/detail/%E9%99%A3%E5%BD%A2/2
RTSのローマモノで,密集体系として採用されてるやつですな.
Winのシーザー3では,皇帝軍のコレに苦戦させられたものです.
まぁ,借金して返さない総督(私)も悪いのですが.
椋鳥 in mixi,2009年06月30日 13:12
【質問】
ローマ軍の給与はどんなものだったのですか?
【回答】
共和政期を指しているか,帝政期を指しているかよく分からないので,あえて元首制期限定で話をさせてもらいますが,
退役時のボーナスが物品で支給されたという例は私は知らないですね。
賜金は何かの慶事の折に現金で払われたもので,退役時にはあくまで土地か金+給与天引きの強制貯金の払い戻しだったと。(それとも伸びに伸びた賜金が退役時に払われたとする解釈か?)
なぜ,退役時のボーナスは無いかというと,退役が年限に達した人物に対して行われ,プリム・ピルスの様に年限が延長される例もあるため,大隊以上の規模になるということが無かったためではないかと推測します。
軍団兵のボーナス的食事をどうするかは部隊長の職掌の範囲内の事で,確かサトゥルヌス祭を迎えるにあたってトゥングリ第1の隊長が奴隷に対して,どう見ても宴会用の食事の材料を買い付けてくるように指示を発している手紙が見つかっていますね。
それによると,肉と卵は買い付けて,りんごは場合によっては備蓄品を使う腹積もりのように読めます……
【質問】
サラリーマンのサラリー(salary給料)って,古代ローマで兵士に与えた塩代(あるいは塩そのもの)が語源?
【回答】
どうもそう簡単にはいかないようです.
[quote]
…英語のsalaryの語源はラテン語のsalariumである.
salariumという単語がsal〈塩〉という単語の派生語であることは,形態上,確実である.
しかしだからといって「古代ローマでは兵士に給与として塩が与えられた」といったたぐいの,時に新聞などでお目にかかる訳知り顔の説明は困ったことである.
salariumの意味は,残された古典ラテン語の用例から判断する限り,
「文官・武官をとわず,ある程度の地位を得ている(したがって兵卒ではない)者に対して,定期的に支払われる金銭」
である.
なぜその金銭が「塩」に由来する名称を得たのかは,もはや文献的・歴史的に確定できない.
実際に兵卒に塩が配られた事例を,私は読んだことがない.
もちろんsalariumの語源が「塩」にあることは否定しようがないから,文献が残る以前の昔に,塩の現物支給があったかもしれないが,しかし想像はあくまで想像でしかない.
むしろそうではなくて,「塩代」とでも婉曲にいったのかもしれないのである.
いずれにせよ文献上,「給料」をもらえたのは兵卒なんかではない.
語源は歴史的事実を必ずしも明らかにはしない,と肝に銘じておいたほうがよい.
―――逸見喜一郎著『ラテン語のはなし』(大修館書店,2000.12),pp.73-74
[/quote]
つまり,文献学的に確認できる用例では既に金銭の意味であって,塩との関連は不明の模様.
また,文武を問わない点でも「兵士」の給料が起源とはならない.
兵士という限定を取ってしまえば,誤りと言うほどでは無くなるかな.
【質問】
ローマ軍団兵の年給が900~1200セステルティウス
(4セステルティウス=1デナリウス=1000円前後)
というのは安くないですか?
【回答】
こんなの
http://www.vdgatta.com/note_coin.html
があったけど,ここでは穀物換算で1セステルティウス=320円だな.
軍団兵の給与は本当に安い.
そこに満期除隊でボーナスがついて,そこそこの金になる程度.
ローマ軍団は幾度かストライキを起こしていて,その都度ギリギリのラインで賃上げが行われている.
それでも,これは現代でもそうなんだが,兵卒は志願の際に金のことはあまり考えない.
多少の愛国心と,若さからくる冒険心と,国家に必要とされる名誉心と,そういったものにかなりの部分を依存するわけ.
もちろん,まともに暮らせる市民は,軍団兵なんかに志願せん.
衣食が保障されて,はるかド田舎の属州でも畑がもらえる.
このために軍団兵になる.
その程度の連中がやってるんだ.
ローマ市民(正規兵)の場合,志願するのは,大抵はとくに才能も学問もないプロレターリの次男坊三男坊とか,もうヤクザになるしかないようなのがなる.
属州民(補助兵)の場合はこれに市民権ほしさが加わるというだけで,事情は大体いっしょ.
もっとも各自治体によって,徴募方法はまちまちだけど.
世界史板,2010/08/26(木)
青文字:加筆改修部分
▼ 戦場における略奪の分け前,戦勝時に将軍からの報奨金が加わりますので,軍団によってはそこそこ裕福だったようです.
たとえば略奪については,フラヴィウス朝のティトゥスのエルサレム攻略の際,神殿などからの金銀財宝の略奪品は莫大なもので戦後,近隣のシリア属州では,金の相場が半値に下落したそうです.
当然それは,参加した軍団兵にも渡ったわけで...
報奨金は,カエサルの軍団の例で,
『ガリア戦役からポンペイウスとの闘争まで,すべてに勝利したカエサルは報奨金として,一般兵には5千デナリウス,百人隊長には1万デナリウス,大隊長(ピルス・プリオル)には2万デナリウスをそれぞれ支給した.』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E5%9B%A3%E5%85%B5
ただ略奪の許可も 報奨金の査定も軍団を指揮する将軍によりますし,有能で兵士の心情を組む将軍ならいいのですが....
また,属州によっては大規模な軍事行動が少なく,定給しかもらえない割りに,重労働の建築土木に借り出されるばかりだったりすると,目もあてられないことになります.
そういった軍団では,不満が溜まった兵らによって反乱などがおきたり...
まさにローマの軍団も,日本の旧軍と同じく “運隊”であったといえるでしょう.
閻魔さくや in FAQ BBS,2011/4/27(水) 7:38
▲
【質問】
ローマ時代の軍船であるガレー船は,奴隷が劣悪な環境で休みなしで櫂を漕いでいたそうですが,人間がそんな何時間も休憩なしでこげるもんなんですか?
【回答】
ガレー船も,通常航海で順風のときは,帆走するのが普通です.
風が無いときには,数直の交代制で櫂走しました.
したがって,まったくの休みなしではありません.
また,急用でないときは,無理して櫂走せずに風待ちすることも多かったようです.
この点,ヴェネツィアのガレー船は,風待ちせずに走ることで速度面で優位だったと聞きます.
(ヴェネツィア船では漕ぎ手が奴隷ではなくて,士気の高い市民だったからできたとも)
戦闘時には帆は使用せずに,櫂走で航行しました.
速力が必要な場合には,漕ぎ手全員参加で漕ぐことになります.
肝心の耐久時間ですが,巡航時(3ノット)の数直交代では1直2~3時間程度,全員参加での力漕(5ノット)が続くのはやはり2時間程度だったようです.
戦闘時などで最高速力(7ノット)を維持できるのは,15分が限界といいます.
軍事板
青文字:加筆改修部分
▼ そもそも「奴隷が漕ぎ手だった」という前提自体が,間違っています.
ガレー船の漕ぎ手は高い技術を要求される仕事であり,国家を守る為の軍務でもあるわけですから,市民どころか人間ですらない奴隷にやらせる仕事ではないでしょう.
アテネでは漕ぎ手は,サラミス海戦の勝利によって市民の名誉ある仕事と見なされていましたし,ローマでも漕ぎ手は,第2次ポエニ戦争中に非常措置として奴隷が動員された場合を除けば,必ず市民がしていました.
トビ in FAQ BBS,2009年9月16日(水) 21時7分
青文字:加筆改修部分
▲
【質問】
ケルト人がバルカン半島に侵入したのはいつ頃?
【回答】
ケルト族(ダルタニ族)がバルカン(サヴァ川流域)に初めて侵入したのはBC4C前半
ギリシャ,アナトリアに侵入したのに関しては
BC298年キンバウレスに率いられマケドニア侵入
BC281年ボルギオスに率いられマケドニア侵入
BC281年ケレトレオスに率いられトラキア侵入
BC279年ブレンノスとアキコリオスに率いられギリシャ本土に侵入
BC279年レオノリオスとルタリオス(レオタリオス)に率いられアナトリアに侵入
前四世紀頃に中央ヨーロッパに栄えていたラウジッツ文化の担い手がゲルマンでは無く西スラヴであるという説もある.
「クリミアの最初の住人はケルト族のシメニア人であったが,紀元前7世紀の間に,スキタイ人によって追い払われた.彼らは,山岳部に避難し,のちにタウリ人として知られるようになった」
という説もあるが,これは疑わしい.
BC7Cのケルト族はハルシュタット文化C期の時代で,その所在は従来の学説を基にすると現在の南独,オーストリア,スイス,チェコ,あたりであり,クリミアどころかカルパチア山脈より東に行ったことはこの時代では考えられない.
むしろケルト人は現在のフランス,スペイン,イギリス,アイルランド,北イタリアなど,主に西方へ移動している.
【質問】
ポエニ戦争に伴う古代ローマ経済のインフレーションは,どの程度のものだったのか?
【回答】
紀元前3世紀~紀元前2世紀にかけての数次にわたるポエニ戦争により,初めは重量12ウンキア(=1ポンド)あったアース(銅貨)は,平価切下げ圧力に押されて2ウンキアに,それからさらに1ウンキアにまで減らされた.
その後もこの減量は続き,ユリウス・カエサルの時代には,アースの重さは3分の1オンスしかなかった.
これはいわば,一国の通貨がペニーだけになってしまったようなもので,とても物の役には立たなくなったため,紀元前3世紀のうちに古代ローマでは,銀貨が通貨に加えられるようになっていた.
「戦争も,先立つものはゼニ」
【参考ページ】
『考古学の新展開 別冊日経サイエンス』(日経サイエンス,1995.11.20),p.77-78
【ぐんじさんぎょう】,2011/09/18 20:00
を加筆改修
【質問】
第2次ポエニ戦争(BC219~201)時の,ローマの最大動員可能兵力を教えてください.
【回答】
長谷川氏の書物曰く,第2次ポエニ戦争時の自由人の総人口は275万人.
全イタリアの成人男子は90万人弱.46歳までの武装可能なローマ人は30万強~40万弱
【質問】
第2次ポエニ戦争では,ローマ軍は騎兵を中心としたパルティア軍との戦闘を苦手としていましたが,なんでローマ軍も騎兵を中心とした部隊で対抗しなかったのですか?
【回答】
ローマ軍は守勢な立つ帝政後期まで,決戦兵科は歩兵で騎兵は補助兵科のままだったから.
局地的には有効な場合があったとしても,紀元前後の弓の威力では重装歩兵を圧倒するのは無理だったし,象兵も騎兵も接近戦だと,訓練された重装歩兵の槍にかなわなかったと思う.
モンゴル騎兵の弓があれば,話は違ってくると思うが.
ローマ騎兵
(画像掲示板より引用)
【質問】
ハンニバルって結局負けているよね?
本当に天才だったの?
【回答】
ハンニバルはまごうことなき天才だと思うよ.
西をカルタゴ本国,東をマケドニア,南をシチリア,北はアルプスで塞いで,ローマ国内は補給現地調達で十数年会戦で敗けなしで自分が大暴れしちゃう,完璧なローマ解体プランを実行しちゃうんだから.
ただ,その作戦はいろいろ呆気なく終わった.
カルタゴ「ハンニバルが連勝? 国外重視派の貴族より国内重視派の貴族の方が権力あるから無視」
マケドニア「ローマ解体に手を貸すと言ったが,すまんありゃ嘘だ.よそと戦争することになった」
シチリア「俺達が祭りの日に含めて全員酔い潰れることがばれてたらしい.攻め落とされたよ」
ハンニバル「都市を解放したら逆に動きにくくなった上に,敵がゲリラ戦法使ってくるようになって,会戦がなくなった.ついでに補給がきたと思ったら弟の生首だった」
しかも,スキピオとの最終決戦のときは,まず状況が酷かった.
カルタゴ「ハンニバル助けて! ローマと戦争するか会議してたらローマ軍がもうきちゃった! でもスキピオと会戦して勝ったら,この戦争勝ちってことになるかもしれないから頑張って!」
ハンニバル「なんか騎兵いなくね?」
スキピオ「カルタゴ寄るついでに,騎兵の産地を味方につけといた」
カルタゴ「象と傭兵は用意したから頑張って!」
ハンニバル「作戦,象で突撃して傭兵突っ込ませてから,ローマ戦帰りの兵とローマの雑魚を蹴散らす.退却してるやつは味方でも斬り殺す」
スキピオ「こないだカルタゴにいったとき軍営地で象見たから,前衛を軽装歩兵で固めて象を回避する.あと,前にハンニバルに食らわせられた陣形パクってみる」
漫画板,2014/12/18(木)
青文字:加筆改修部分
【質問】
ハンニバルってそんなに怖いん?
【回答】
東洋で言うところの孫子.
軍事関係を学びたいなら必ずこれを読め!という,最古にして最重要のマニュアルの元になった人.
軍事学の教祖で神祖.
すげえ.
孫子の場合は,自分で軍学書書いて,東アジア文化圏の軍人階級の聖書になったけど,ハンニバルは,ハンニバルの戦いを後世まとめた人たちにより,軍人階級の聖書になった.
ハンニバルの戦い方は,相手を包囲してボコボコという必勝パターンがあって,そこに相手をどう引きこむかを論理的・システム的にやってるから,凡人にも分かり易い.
これがアレクサンドロスやシーザーだと,アドリブとひらめき頼りが多すぎて,長嶋茂雄にバッティングの極意を聞くみたいになっちゃう.
しかもハンニバルは,ただ軍人として優秀ってだけではなくて,ネロの時代ですら問題の多い地方だったヒスパニア地方を,完璧に切り従え
(ネロの代わりに皇帝に祭り上げられたガルバは,誰にも面倒くさいヒスパニア統治を成功させたのが評判になって,皇帝候補になった),
敵地の中に11年もいて兵を飢えさせず,
略奪目当てのケルト兵にさえカリスマ的に尊敬され,
戦後,莫大な賠償金でボロボロになったカルタゴ経済を立て直し,
外交官としてローマ相手に怯むことなく交渉し
(ローマに対カルタゴ穏健派がいたのもあったが),
…などなど超チート.
しかしやはり人間的に尊大な,というか馬鹿にはっきり馬鹿と言っちゃう人だったので,生涯政敵には困らず,だから援軍も来ず,功績あげても失脚しちゃった.
漫画板,2013/09/03(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
紀元前216年のカンネの戦いで,ローマ軍の三段重歩兵蹴散らした,カルタゴ,ハンニバル戦象軍ってどんな装備してたの?
映画や絵画,本などでは,象の鞍に盾をつくり弓兵が数人いたり,象にも鎧を着せ長槍を持った兵士がいたり,マチマチなんだが.
当時のカルタゴ兵の正確な装備文献も見つからないんだが.
【回答】
英文のHPですが,参考になるでしょうか?
http://www.barca.fsnet.co.uk/elephants.htm
軍事板
ちなみに,カンナエの戦いにおいては,ハンニバルの率いたカルタゴ軍中に,戦象はおりませんでした.
カルタゴの戦象部隊は,第1次,第2次ポエニ戦争の随所で破壊力を発揮してはいますが,象の統制が難しく,暴走して味方部隊を踏みつぶしたり,あるいは突撃をスカされて行き場を失ったところで分断・各個撃破されたりと,いいところのない局面も多々ありました(ザマの会戦などもそうでした).
ハンニバルがイタリア半島を目指した段階では,確かに彼の率いる軍中には確かに幾許かの戦象もいたんですが・・・.
ガリアの森の中,そして極寒のアルプス越えという厳しい行軍の最中に,当初は敵対的だったガリア諸族のゲリラ的な攻撃をハンニバル軍は受けています.
図体のでかい戦象には不向きの森林,山岳の戦いのうちに戦象はどんどん失われ,さらにアルプス越えに耐えられず・・・
イタリア半島にハンニバル軍が現れた時には,一頭も残っておりませんでした.
カンナエ(というか,一連のイタリア半島)におけるハンニバルの勝利は,強力なヌミディア,ガリア騎兵の貢献するところが大であり,何より,騎兵という高機動兵力を使った包囲戦を発想したハンニバルの将才に帰せられるものです.
カンネーの戦い
(画像掲示板より引用)
【関連リンク】
「あんそく」:ハンニバル・やる夫・バルカスがローマに喧嘩を売るようです 【第一章】
「あんそく」:ハンニバル・やる夫・バルカスがローマに喧嘩を売るようです 【第二章】
「あんそく」:ハンニバル・やる夫・バルカスがローマに喧嘩を売るようです 【第三章】
「あんそく」:ハンニバル・やる夫・バルカスがローマに喧嘩を売るようです 【第四章】
【質問】
カルタゴ軍が使っていたのは,どんな象?
【回答】
カルタゴで一般的に使われていた象は,今では中部アフリカに残るだけになった,森林に暮らす種類の象.
森林象とかマルミミ象とか言われていて,アフリカ(サバンナ)象どころかインド象より小さい.
マルミミゾウ 体長4~6m.体重3~5t.高さ2.5m
インド象 体長5~6m 体重 4~6t 高さ 3m
アフリカ象 体長6-7m 体重 6~7t 高さ 3.5m
アフリカ象は人に慣れないが,マルミミ象は多少人に慣れる(ただしインド象ほどではない)
また,戦象のイラストでよく出てくる,背中の2人乗りの箱は,インド象じゃないと殆どつけられなかったらしい.
だから,人が使える象としてはインド象の方が圧倒的に優れていたが,当然インド近辺にしかいない.
人の手で繁殖させることも殆どできなかった.
発情期に殆ど制御できない――インド象も発情期にはバリバリ人を殺してる――のが,その理由.
(まあ,ファラオが猟犬代わりに飼ってたというチーターよりはマシだが)※
自然で生まれたのを飼い慣らす以外手に入れる方法はない.
なのでインド象は,セレウコス朝シリアを通じた貴重な輸入品だった.
(明らかに耳の形が三角のインド象が彫られた,カルタゴのコインが出回っている)
実際,プトレマイオス朝エジプトとセレウコス朝シリアの戦象部隊が戦った時は,インドから400頭ものインド象を取り寄せたセレウコス朝が,マルミミ象のプトレマイオス軍を蹴散らした.
で,ハンニバルの話に戻ると,ハンニバルはスペインからおそらく1頭,いても2-3頭のインド象と,その他大勢のマルミミ象を連れてアルプスを超えたものの,戦争に使える状態で残ったのはインド象1匹だけだった.
この象にはハンニバル自身が乗り込んで,イタリアで数回戦っているらしい.
なお,マルミミ象もおそらく数頭は生き残ったが,衰弱して戦争に使える状態ではなく,後方警備や荷物運びに回されたらしい.
※ チーターは人によく懐くが,飼い慣らすためには親の目を盗んで,または子どもが見てないところで親を殺して,子どものチーターを巣から盗んできて育てるしか無い.
「できるもんならやってみろ」状態だったため,成長したチーター1頭は,体重ほどの金と交換できるほど高価だったそうだ.
漫画板,2014/12/18(木)
青文字:加筆改修部分
【質問】
カルタゴのハンニバル将軍はアフリカから連れてきた象で,アルプス山脈を越えてローマに攻め入ったそうですが,象って雪山を踏破できるの?
【回答】
「ローマの歴史家リヴィウスの記述に基づくハンニバルの行程」
http://www.livius.org/ha-hd/hannibal/alps.html
を読めば分かるとおり,アルプス越えの道はあったし,象が通れないところは歩兵が道を開いた.
それでも山岳民族の襲撃や地すべり,降雪などにより,象も含めてハンニバルの軍勢はアルプスを越えるだけで大損害を蒙っている.
特に象は,ハンニバルに不信感を持っていた山岳系ガリア人の襲撃や,狭隘で峻険な山道からの転落などによって,ほとんど全滅してる.
ハンニバルがイタリア半島に入ってからの圧倒的な戦果を支えたのは,ヌミディアや平地ガリアで雇い入れた,熟練度の高い騎兵.
ちなみにユリウス・カエサルの家名「カエサル」は,フェニキア語の「象」の意味という説がある.
先祖がポエニ戦争に参戦して北アフリカに行き,そこで見た象の大きさと強さに感銘を受けて家名にしたといわれているそうだ.
戦象(ハンニバル時代のものではないようだが,参考までに)
(画像掲示板より引用)
【質問】
ハンニバルがなぜグダグダと,イタリアに残って戦争していたかわかりません.
【回答】
「なぜ戦い続けたのか?」
という意味なら,子供の頃,親の領地を略奪された怨みがあったせい,と一般的に言われているが,なにより増援さえあれば当時の最強国を壊滅できるとこまで追いこんだのだぜ?
普通に諦められないだろ.
戦略的な意味では,増援を断られたせいで都市攻略ができなくなったので,ローマ軍を野戦におびき出すため,周辺での略奪に切り替えた.
相手の家の外で暴れるより相手の家の中で暴れた方が嫌がらせ効果が高い.
ところが元老院は,
「ハンニバル見たらすぐ逃げろ」
と軍に指示.
結果的に補給を受けられないハンニバルは,戦わずに周辺での略奪を続けることを余儀なくされたとされる.
つーか,グダグダつってるけど,実際イタリア内のローマ同盟国は兵役の拒否や離反を始めていたわけで,イタリア内で戦うという戦略自体は正しかった.
世界史板
青文字:加筆改修部分
【質問】
ガリア戦記は,どの訳がいいの?
【回答】
原文に忠実なのが,岩波文庫の近山訳.
上と比べて読みやすいのが,講談社学術文庫の国原訳.
中高生くらいでも読みやすく,時代背景など各種解説もついているのが,中倉の<新訳>ガリア戦記.
まったく知識ないなら中倉を,知識あるなら近山訳をおすすめする.
中倉訳はあまりに,文体がカエサルのそれとあっていないような気がするので.
軍事板,2010/02/21(日)
青文字:加筆改修部分
▼ 岩波版は,ラテン語の勉強の補助教材にはいい.
日本語までラテン語の逐語訳的なんだよ.
文章として読むなら,素直に学術文庫版が読みやすい.
軍事板,2011/07/20(水)
青文字:加筆改修部分
▲
【質問】
>まったく知識ないなら中倉を,知識あるなら近山訳をおすすめする.
>中倉訳はあまりに,文体がカエサルのそれとあっていないような気がするので.
中倉を薦めて居るのか居ないのか,はっきりしてください><
どっちかが国原の間違いなんでしょうけど.
すてはん in FAQ BBS,2010/4/13(火) 21:20
青文字:加筆改修部分
【回答】
「国原の間違い」なのかどうかは,レス者本人にしか分からないことでしょうから,その辺を明確にすることはできませんが,
「中倉訳は文体がカエサルのそれとあっていないような気がする」が,初心者向けなら中倉訳がお勧め,という解釈で矛盾は特にないように愚考いたします.
【珍説】
ローマ法は「万民法」と呼ばれていた.
それはローマ市民ではなく,初めから多民族の慣習に配慮を払った法律だったのだ!
ローマ帝国は,アメリカのように自国の正義・自国の価値を異民族に押しつけていくような,まずい平定の仕方はしなかったのだ!
(小林よしのり from "SAPIO" 2003/6/11, p.62)
【事実】
自国の正義・自国の価値を異民族に押しつけていくのは,確かにまずいやり方ですが,ローマ法も「初めから」多民族の慣習に配慮された,というものではありません.
この「万民法」とは,従来ローマ人にしか適用されないものだったローマ法を,外国人にも適用されるよう改訂された結果,そう呼ばれたに過ぎません.
当初,ローマの成文法典は,異民族への配慮など全く無関係のものでした.
最初のローマの成文法典は,BC450年頃,貴族と平民との階級闘争の結果として,習慣法を集積して制定された,いわゆる十二表法です.
この法典はローマ人から「公法私法の源泉」と称えられ,長く法の適用解釈の基準となります.
この法律は外国人には適用外でしたが,ローマが第2次ポエニ戦争(BC218-201)で勝利し,世界商業の中心地となると,この従来の市民法では対応できない法現象,特に商取引が続出します.
そこでこの不備を補完し,流動する現実に法を適合させたのが「万民法」なのです.
さらに212年,国内の全住民に原則としてローマ市民権が付与されると,市民法と万民法との対立は意味を失い,ローマ法は一体として諸民族に共通な,世界法的な色彩を持つに至ります.
小林が言うような「多民族の慣習に配慮を払った法律」になるのは,やっとこの時代からです.
これはローマ人の現実主義的気質の結果であり,「誇りのためなら国が滅んでもいい」など主張する小林とは対極にあると言えるでしょう.
なお,ローマ法についての詳細は,原田慶吉著「ローマ法」(有斐閣)を御覧ください.
【質問】
古代ローマ軍の鎧は何で出来てたんですか?
鉄ですか?
【回答】
●共和政時代
貧乏兵士→中央部だけ四角い鉄板で補強
裕福兵士→鉄の鎖帷子
●マリウスの兵制改革以後
全兵士の装備を統一,鉄の鎖帷子
将官は皮製か青銅製の胴鎧
●帝政期
百人隊長→金属製のうろこ状鎧
兵士→金属板を繋いだプレート・メイル
いずれも鉄か青銅
私兵→定まってない
詳しいことについてはこちらを見るのが良いと思われ.
http://www.loricasegmentata.org/
近年は歴史再現家が英国などにいるようで,市販もされているとの由.
http://blog.so-net.ne.jp/meichiku/2005-05-13
軍事板,2005/06/20(月)
青文字:加筆改修部分
【質問】
ローマ皇帝って世襲?
【回答】
明確に世襲がない場合もあるけど,だいたいは世襲.
元々がローマ帝国の皇帝というのは,様々な役職の複合である臨時職という意識が強かったので,明確な帝位継承法がなかった.
極端な話,先帝の長男だったとしても,すんなり帝位につける保証はなかったわけだ.
だから,ローマ市内における唯一の軍事力である親衛隊という後ろ盾を歴代皇帝は必要としたし,皇帝の中には,自分が生きている間に息子を共同皇帝として即位させてしまうことで,実質的な世襲を行おうとした.
なので,一旦国が乱れたり,皇帝が横死したりすれば世襲がしにくい体制ではあったが,それでもなんとか世襲をしようとしてたわけだ.
キリスト教を受容した以降の皇帝はまた別.
ちなみに,全くと言っていいほど世襲がされなかったのは,ローマの皇帝ではなく,それよりはるか以前,ロムルスからタルクィニウスまでの7代のローマ王.
王政ローマの王は,立候補者を民会で選挙することで即位した.
先王の子供が王位を狙うことがあったが,原則7代目の王までは民会のシステムが機能したらしい.
【質問】
ポエニ戦争の頃は奴隷だけで構成した奴隷軍団が,反乱など起こさずにハンニバルと戦ったそうですが,もしかしてスパルタクスの乱のような大きな奴隷叛乱は,レア・ケースなのですか?
【回答】
第2次ポエニ戦争の時の奴隷軍団は,戦争に勝利した暁には自由民にするという約束があり,かつ,奴隷の中から志願者を募ったから,奴隷達は約束を守りハンニバルと戦った.
あと,古代ローマではスパルタクスの反乱以外にも,大規模な奴隷の反乱は起きている.
複数都市を巻き込まないようなレベルだと,もっと多い.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
市民権持ってたローマ市民兵も強かったよね?
市民権を得るために戦った連中の存在は否定しないが,ローマ軍の主力は市民兵だったし,市民兵は志願兵だったよね?
市民権ほしさに戦う連中がいなくなったから,志願兵がいなくなり,傭兵に頼らざるを得なくなったと言うのは,違うのではないか?
ローマ市民の志願兵の方が遥かに多かったわけだから.
【回答】
市民権は多くの理由の一つにすぎないから,それほど悩まなくていい
皇帝のいる軍団が動ける範囲には限りがあるし,皇帝のいない軍団は強力なら反乱をおこす.
防衛線はとにかく長くて,安く雇える市民権希望者がいないので,高い傭兵を雇う.
そのへんのリスクを考えると,金で戦力を維持して防衛するより,金で平和を買った方が安くなる.
実戦をやらなきゃ弱くなるので,防衛に必要な兵力は増え,かかる金はもっと増える.
結局,維持費が割に合わない.
世界史板,2010/03/28(日)
青文字:加筆改修部分
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