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◆◆学生運動
<◆極左テロ
<テロリズムFAQ目次

【珍説】
ぼくは「学生運動とゲバ棒が切っても切れない関係である」というJSFさんの命題が理解できない
土屋勝 in mixi
(軍事学的考察上の必要性に鑑み,
引用権の範囲内で引用しています)
学生運動とは,学生による学問や自治,生活,社会問題などと関わる運動であり,日本でも戦前からあります.
戦後だけでも,敗戦後の学園民主化闘争から現在に至るまで,さまざまなテーマ,スタイルで闘われてきているわけです.
その歴史の中で,ゲバ棒が使われたのは,私の認識では67年10・8の第一次羽田闘争が初めてだと思います.
キャンパス内ではいつが最初だったのか,はっきりしてませんが68年から69年ごろにかけての全国大学闘争,高校闘争ではゲバ棒や火焔瓶がかなり広く使われていました.
しかし,学園「正常」化以降,ゲバ棒や火焔瓶の出番はぐっと減ってきます.
とりわけ1972年に「火炎びんの使用等の処罰に関する法律」が施行され,街頭闘争でも火焔瓶はめったに使われなくなりました.
少なくとも私の学生時代,72年の高校入学以降に学内(高校・大学含めて)でゲバ棒も火焔瓶も見たことがありません.
つまり,学生運動の歴史においてゲバ棒が使われたのは67年から72年ぐらいまでの,わずかな期間だけではないかと思います.
68〜69年に学生時代を過ごした,あるいはそのころ学生運動を間近に見ていた人たちは学生運動とゲバ棒・火焔瓶が切っても切れない仲だと発想するのかもしれませんが.
現在の学生運動はよく知りませんが東大駒場寮,山形大学生寮,東北大有朋寮などの闘いや,反戦集会や国会デモでの全学連(中核派や革マル派)部隊を見ても,ゲバ棒なんて持ってないですよ.
それともここで学生運動とゲバ棒が関係しているとコメントした方々の大学ではゲバ棒がまだまだ健在なんですか.
【事実】
>少なくとも私の学生時代,72年の高校入学以降に学内(高校・大学含めて)
>でゲバ棒も火焔瓶も見たことがありません.
おかしいですね・・・
http://www.erde.co.jp/~masaru/okayama/okadai_gakusei.html#marusei
鉄パイプや丸太は分類的にゲバ棒に入らないのですか?
1960年代ほどに東大などで学生達が角材持って火炎瓶造って機動隊と衝突していたのは学生運動ですよね?
一般に学生運動といえば1960年代に東大や早稲田など各大学で起こった反体制運動を指すが,その運動の際に学生達が装備していたものが「ゲバ棒(角材),ヘルメット,マスク」である.
よって学生運動とゲバ棒は切っても切れない関係である.
何か間違っていることがあったら補足をお願いします.
元々,ゲバ棒は「看板」という建前だったのです.
学生デモの時,木刀や鉄パイプもって集まると,凶器準備集合罪で検挙されてしまうので,角材にデモのアピールを書いたベニア製の看板を取り付けたものでした.
昔の新聞を見ると,先っぽに小さな看板をつけた角材担いだヘルメット&手ぬぐい姿の学生たちが,国会囲んでる写真などがあります.
実際にそれで機動隊と渡り合った写真や映像は,広く国内は元より海外にまで配信され,「ZENGAKUREN」で通用するまでになったのですから,切っても切れない関係なのは間違いではないでしょう.
『ゲバ棒』という名称そのものが,『当時の学生運動』とワンセットですね.
『学生運動』で使われる角材=『ゲバ棒』
それ以外の用途で使われる角材=『角材』
学生運動とゲバ棒の関係なら,こんなところかと.
まさに切っても切り離せない関係でしょい.
ま,すべての学生運動が,ゲバ棒・火炎瓶・鉄パイプ・迫撃砲の暴力活動ではないのでしょうけど,学生運動の中には,確実にその一派は含まれますわな(笑)
学生運動は,ヘルメットにゲバ棒の暴力活動の必要条件である.
しかし,ヘルメットにゲバ棒の暴力活動は,学生運動の十分条件である.
高校数学的には,これでいいんでしたっけ?(いまいち自信がない(笑))
大学の裏門に
「ゲバ棒持ち込み禁止」
の立て看あったなあ.
サークル棟には赤い文字で「セン滅」て書いてあった.
12年前の話.
「中核派でーす」
って「前進」配ってたよ,学食の入り口で.
みんなほぼ無関心.
支持されてるようにはまるで見えなかった.
「ゲバ棒」という物体について,「学生運動」と無関係で言及されている例は,何かありますか?
一般の「市民運動」「平和運動」でもいいんですが.
探しかたがヘタなせいか,うまく見つかりませんでした.
【質問】
学生運動で初めて内ゲバに角材が使用されたのはいつ?
【回答】
1961年7月の全学連大会.
立花隆によれば,マル学同はこの大会で多数派となり,全学連のヘゲモニーを確固たるものとすることを画策.
一方,「つるや連合」や「全自連」(共産党系)はそれを阻止しようと画策.
それに対して,マル学同は全自連を会場に入れず,また,他の党派に対しては自治会費未納などを理由に代議員の数を削減,会場内の多数派となって議長を自分たちの中から出し,議事進行を強行しようとした.
まあ,政界に劣らない泥仕合が展開されていたわけで.
そこで「つるや連合」は,早朝から会場を占拠.
会場入りしようとするマル学同との間に乱闘が生じたが,防御側である「つるや連合」のほうが優勢だったため,業を煮やしたマル学同は,近くの材木屋から角材を大量に買い込み,これで武装して突撃.
それまでの内ゲバがせいぜい殴り合い,蹴り合い程度のものだったので,今回もその程度だろうと考えていた「つるや連合」は,「新兵器」の登場により敗北した.
教訓:希望的観測を元に作戦を組み立てることなかれ.
詳しくは立花隆著『中核vs革マル』上巻(講談社文庫,1983/1/15),p.84-86を参照されたし.
なお,この乱闘を境に,全学連は完全分裂した.
【質問】
「つるや連合」とは?
【回答】
マル学同に属さない旧ブント系活動家と,革共同関西派,社青同とが,1961年7月の全学連大会において,反マル学同のための共同作戦を取ることにした連合体.
その前夜,旅館「つるや」で作戦を練ったことから,そう呼ばれる.
立花隆によれば,マル学同が学生運動を「革命組織作りの手段」扱いしたため.その反発が彼らを一致団結させたのだという.
詳しくは立花隆著『中核vs革マル』上巻(講談社文庫,1983/1/15),p.83-85を参照されたし.
【質問】
学生運動が盛んだった当時,この運動は広く支持されていたのか?
【回答】
では当時の社会的評価で説明します.
■「学生運動に関する世論調査」(昭和43年)
○学生運動をどう思うか
0.9% 支持する
6.2% 共感をもっている
51.7% 困ったことだ
26.1% きびしく取締るべきだ
15.1% この中にはない,わからない
運動が華やかりし頃でも,大衆の1割にも理解されない行為だったわけです.
当事者達が暴力運動を容認しているようでは,当然でしょうね.
こちらのアンケートも面白いですね.
「警察の警備活動に関する世論調査」
------------------------------------
Q4 学生運動に対する警察の取締りについてはどう思いますか,なまぬるいと思いますか.行き過ぎていると思いますか.それともこの程度でよいと思いますか.
(29.6) なまぬるい →SQ1へ
(8.5) 行き過ぎだ →Q5へ
(37.6) この程度でよい →Q5へ
(24.3) わからない →Q5へ
------------------------------------
ただ,これは「体制・権力側」(内閣府政府広報室)の調査なので,新聞や前衛機関紙での世論調査も見てみたいところ.
また,こんな数字もある.
62年7月の参院選に,革命的議会主義≠旗印に,黒田寛一氏が全国区から出馬する.
しかし,集めた票数はわずか2万3千票.
右翼の赤尾敏氏(13万2千余票)に,はるかに劣るものだった.
立花隆著『中核vs革マル』上巻(講談社文庫,1983/1/15),p.88
当時から,極右よりも人気がなかったことの傍証と言えよう.
▼ 以下に,当時,学生だった人の記述を引用するが,これを読むに,1割にも支持されなかった原因の一端が理解できよう.
――――――
学生時代,僕が住んだのは,京都の岩倉です.
〔略〕
そこには,立命館や同志社の5回生,6回生の古株の先輩がわんさといて,毎日が宴会のような開放的な下宿でした.
演劇部や日本拳法部など変り種の先輩も多く,寮のような雰囲気が楽しかったのですが,中に学生運動のリーダー格の先輩がいて,彼には最後まで馴染めませんでした.
頭はいいのでしょうけど,政治的に目覚めていない人を許せないらしくて,僕を「思想」がないと攻撃するのです.
入学した年の前期は,自治会によるバリケード・ストライキ中で,たまに授業が行われても,赤ヘルメットの自治会委員が入って来て,先生を糾弾したり,ぼくたちに「運動への参加」を呼びかけて授業になりません.
ぼくは高校生のときに少しだけ政治活動に加わったことがあるのですが,運動家の言うように「革命や民衆のために全てを投げ出す」ことはできませんでした.
革命家にでもなったような勢いで,体制を批判し,議論を仕掛ける先輩とは距離を置いていましたが,気がつくと,その先輩が長髪をばっさりと落とし就職活動をしていました.
それからまもなく,一流の化粧品メーカーに入ってしまったのです.
散々資本主義体制を批判していた彼が一転,その象徴とも思えるような大企業の就職したのです.
思想といえば,ある女優から,同じようなことを言われた経験があります.
フリーになって間もない頃,南アフリカのアパルトヘイトを取材するテレビ・ドキュメンタリー番組制作への参加を打診され,その打ち合わせに行くと,年配の有名女優も来ていて,彼女が
「思想のない人とは一緒に仕事ができません」
と言うのです.
ぼくがパレスチナのPLOの武装勢力をゲリラと言ったのが気に食わなかったようです.
カチンときましたが,以来,思想という言葉が嫌いになりました.
彼らは,よく「民衆」という言葉を使うけれど,その民衆に対しても本を読んだり,知識がないと,やはり「思想がない」と言うのかなあと思いました.
まわりに迷惑をかけず,毎日を懸命に生きること.
ぼくはそれで十分じゃないかとも思うのですが.
――――――長倉洋海著『ぼくが見てきた戦争と平和』(バジリコ,2007.5.15),p.107-108
ま,いまだに原因を理解できない人もいるようだが(やれやれ……▲
【質問】
ブントとは?
【回答】
コミュニスティシェル・ブント(共産主義者同盟のドイツ語読み)の略称.
立花隆によれば,武装闘争を放棄した共産党に飽き足らない連中が,「マルクス主義に還れ」というスローガンで,新しい革命運動を起こそうとして作った組織であるという.
1958/12/10,6・1事件で共産党を除名された学生党員,20名前後で結成.
ブントは全学連の組織を足がかりにして,全国の大学の共産党細胞を次々にオルグしていき,短期間で全国的組織を作り上げた.
けれども悲しいかな,学生運動は所詮学生運動であり,労働運動へは全く影響力を持つことができなかったという.
詳しくは立花隆著『中核vs革マル』上巻(講談社文庫,1983/1/15),p.60-66を参照されたし.
【質問】
ブントと革共同との力関係は?
【回答】
立花隆によれば,ブントができると,革共同シンパだった学生の多くは,そちらへ流れ込み,革共同はほとんど解体寸前になったという.
そこで革共同は加入戦術によりブント乗っ取りを図る.
一方,ブントは逆に,自分の組織や全学連から革共同(主に,当時,革共同内部で主導権を握っていた「革共同関西派」)を追い出す.
革共同内部では1959年8月に黒田寛一が革共同関西派と決別し,自前の組織「革共同全国委員会」を立ち上げる.
革共同全国委は労働運動,特に合理化反対闘争重視の関西派と異なり,安保闘争でブントと共闘.
その過程で着々と学生組織を作り上げ,1960年4月,ブントの社学同に対抗して,マルクス主義学生同盟(マル学同)を結成.ブントは過激過ぎると思っている学生たちを吸収する.
そして,ブントが安保闘争で消耗,解体すると,その多くの部分が革共同全国委に流れ込むことになったという.
詳しくは立花隆著『中核vs革マル』上巻(講談社文庫,1983/1/15),p.75-83を参照されたし.
【質問】
なぜブントは壊滅したのか?
【回答】
立花隆によれば,
(1) 革命党なら必須の,労働者層への浸透がぜんぜんできていなかったこと
(2) 革命党なら,組織本体は地下に置き,公然指導部が逮捕されても,次の公然指導部を地下から送り出せるようにしておくのが常識.
これがブントの場合はぜんぜんできておらず,労働運動への取り組みはほとんど手付かず.
また1959/11/27の国会突入では,これを指導した幹部は,何の警戒心も持たずにその夜,自宅に帰ってそこで逮捕.
帰宅しなかった幹部も,篭城事件など起こした挙句に逮捕.
1960/1/16の,岸首相渡米を阻止しようとした羽田空港ロビー篭城事件では,全学連の主要メンバーがそこで殆ど全て逮捕.
公安警察に面が割れていたことが明らかだった,と立花は述べている.
そして曰く,
「これは革命を目指す組織としては,致命的なことだったと言える」
この結果,4月まで学生運動は完全に沈滞したという.
さらに警察の長期拘留戦術に遭って,ブント政治局は政治指導力を喪失.
このため安保闘争終了後,ブントは自己批判を行ったが,議論が百出,再建のための大会が,逆にいくつかに分派する分裂のための大会となってしまったという.
詳しくは立花隆著『中核vs革マル』上巻(講談社文庫,1983/1/15),p.65-73を参照されたし.
「近頃の学生は考え方が幼い」という「辛口世評」なんてぇものがございますが,このころのもじゅうぶん幼いような気がするんですがねえ…….
【質問】
長期拘留戦術とは?
【回答】
立花隆によれば,逮捕したブント幹部を,安保闘争が終わるまで長期拘留しておく,警察の戦術.
このため1960年5月の段階で,ブント政治局は完全に政治指導力を失い,1960/6/18の,安保条約自然承認の夜,全学連主流派は4万人の学生を動員しながら,デモ隊は指揮者を持っていなかったという.
詳しくは立花隆著『中核vs革マル』上巻(講談社文庫,1983/1/15),p.70-71を参照されたし.
【質問】
ブント分裂により,どんな組織ができたのか?
【回答】
立花隆によれば,ブントが分裂したとき,そのうちの半分ほどが革共同全国委員会に流入.
第3次分裂では,この旧ブントから流れ込んだ大半は中核派に移ったという.
革共同へ移行せず,その後もブントとして分派闘争を続けた各派は,離合集散を繰り返した.
赤軍派もその一つ.
その赤軍派も,連合赤軍事件前後からさらに分裂,日本赤軍などいくつかの赤軍派が存在する.
赤軍派以外の旧ブント系組織は四分五裂状態だという.
詳しくは立花隆著『中核vs革マル』上巻(講談社文庫,1983/1/15),p.73を参照されたし.
【質問】
解体戦略とは?
【回答】
立花隆によれば,60年代上期にマル学同がとった戦略.
他党派を解体して,マル学同に吸収することで,組織拡大を図るもの.
これは他党派の猛烈な反発を招いたという(まあ,それが当たり前だろうが).
立花は以下のように皮肉っている.
「おそらく,この戦略が取られたのは,安保闘争直後にブントが解体同様の状態で分派闘争を繰り広げていたときに,その分派闘争に積極的に介入して,戦旗派とプロ通派の一部を自分の陣営に引き込むことによって大きく組織を拡大したうま味≠ェ忘れられなかったことにあるのだろうが,同じ柳の下に2匹目のドジョウはいなかったのである」
詳しくは立花隆著『中核vs革マル』上巻(講談社文庫,1983/1/15),p.88-90を参照されたし.
【質問】
3派系全学連とは?
【回答】
解放派,社学同,中核派より成る「全学連」.
その前身は,1961年12月,反マル学同で一致した3セクト(全自連構造改革派,社青同,社学同)が結成した,自前の全学連.
「全」や無いやん,というツッコミは置いといて,これに革マル派との分裂によってマル学同から追われた中核派が加入,4派連合となる.
しかし相変わらず,「小異を捨てて大同につく」という言葉など知らないかのように分派は続く.
まず社青同から「社青同・解放派」が分離.
次いで,社学同からも「マル戦派」が離脱.
4派連合からも,構造改革派が離脱.
この解放派と社学同,中核派が新3派連合となり,1966年,ML派などを加えて「全学連」を名乗った.
これが,一般には「3派系全学連」と呼ばれる.
ああ,ややこしい.
【質問】
「激動の7ヶ月」とは?
【回答】
立花隆によれば,以下の4つの「闘争」を主軸として,67年秋〜68年春にかけて展開された騒擾事件.
| (1) | 1967/10/8 | 第1次羽田事件 | 佐藤首相ヴェトナム訪問阻止のための騒擾 |
| 1967/11/12 | 第2次羽田事件 | 佐藤訪米阻止のための騒擾 | |
| (2) | 1968/1/15〜1/23 | エンタープライズ事件 | 原子力空母エンタープライズの佐世保寄港阻止を企んだ騒擾 |
| (3) | 1968/2/20〜4/15 | 王子野戦病院設置阻止闘争 | |
| (4) | 1967/11/3〜68/5/7 | 三里塚新空港粉砕闘争 |
ヘルメットにゲバ棒というスタイルは,この期間を経て完全に定着,三派の暴力学生≠ヘ世間の指弾を浴びる一方,野次馬的に賛同する大衆もいたという.
詳しくは立花隆著『中核vs革マル』上巻(講談社文庫,1983/1/15),p.112-113を参照されたし.
【質問】
「激動の7ヶ月」において,なぜ学生の暴力はエスカレートしたのか?
【回答】
立花隆によれば,機動隊の装備が充実していく一方,三派学生は大量動員もかけられず,無力感に陥ったため,事態を打破する手段として武器の力を借りることになったのだという.
ゲバ棒使用により,機動隊のほうが押されて後退するという場面が幾度か見られるようになったが,警察側もジュラルミンの大盾,スネ当てなどの具足類,ガス銃乱射で対抗するようになり,すると学生側は歩道の敷石を砕いて投石,さらに火炎瓶へとエスカレートしていったという.
また,日大闘争においてはしばしば,右翼学生との乱闘となったが,その際,右翼学生は棍棒,木刀,トビ口,鉄熊手,鉄パイプ,日本刀などで武装しており,全共闘学生側もそれに呼応して武装がエスカレート.
そしてそれが他の大学の学生にも伝播したという.
さらに,三里塚の農民達からも影響を受けたという.
後顧の憂いのない農民達は,学生達よりもはるかに過激で,竹槍,大鎌,糞尿,農薬といった武器を使用,最も熱心に三里塚闘争に取り組んでいた中核派は,最もその影響を受けたという.
詳しくは立花隆著『中核vs革マル』上巻(講談社文庫,1983/1/15),p.116-118を参照されたし.
それ以前の問題として,どう考えても広い支持を得られそうにない国家安全保障上の主張を出し,案の定支持が得られなくて暴力に向かうしかなかったのではないかとも推察される.
言ってみれば,幼稚園児のダダこねと一緒.
【質問】
日大学園紛争とは?
【回答】
「革命的暴力団達の事件史」によれば,使途不明金問題・新入生歓迎会に対する大学当局の不許可処分に端を発した騒擾.
不満を持った学生達は理事総退陣・経理公開を要求.
日大全共闘(日本大学全学共闘会議)を昭和43年5月に結成し,理事側との大衆団交を要求し学園を占拠.
予備交渉の結果,8月に交渉に応ずる旨,約束したが,予備交渉終了後,大学構内から出た古田会頭を日大全共闘が取り囲みリンチを加えたため,大学側は8月の大衆団交を中止.
危害が加えられる可能性が高いのに,わざわざノコノコ出て行くバカはいないわな.
そして大学側は東京地裁に「土地建物に対する占有排除」等の仮処分を申請,9月4日に執行されることとなったが,それを察知した全共闘側は約140人を動員,法学部3号館等に泊り込んで投石用の石塊,ビン等を準備,執行官の通告,大学当局の警告を無視し妨害したため,執行官は警察に要請.
同日午前5時から警察部隊は排除活動を開始するが,激しい抵抗のため警官が投石により負傷.
その負傷警官を救出しようとした巡査部長に対し,全共闘側は数十キロの石塊を投下,頭部に直撃させた.
巡査部長は病院に運ばれるも,9月22日死亡.
午前6時には約70人を逮捕し.午前9時に排除活動は終了.
検挙者132人.
警察は負傷69人,死亡1人.
まさか数十キロの石塊を投下しておいて,「殺害の意図はなかった」なんて,人格破綻丸出しなことは言わないだろうね?
written by 佐々淳行(うそ)
▼ 『回想』では,学生たちの「いっちょ当たりー!」という叫びに怒りがこみ上げたという,当時の鎮圧に参加した警官の記述があったと記憶しています.
あと,高田文夫が『ビバリー昼ズ』で,日大紛争で学生が強かったのは,空手部が参加してたからだ,と喋ってた記憶があります.
高田は,クリスマスツリー爆弾だか土田邸爆破だかの犯人,(梶原って言ってたかなあ)と仲が良かったらしく,事件後事情聴取を受けた,とのこと.
水上攝堤 by mail▲
▼ 日大の紛争で空手部が運動側にいたという話なんですけど,当該事件の数年前に”ガンダム”の富野監督が同学を卒業されているんですね.
で,監督の代表作”機動戦士Zガンダム”や”OVERMANキングゲイナー”なんか見ると,主人公の行動のきっかけとして,
「一方的に理不尽な暴力を受ける」
というのが目に付きます.
特に我の出ている前者では,何かにつけて上級者が下の者(主に主人公)を一方的に殴り付けるシーンが目立ちます.
創作においては,自らの原体験が色濃く投影されることを考えれば,日大の学生運動でどのような行為が横行していたか,想像に難くないと思います.
クローム・ツァハル in 「軍事板常見問題 mixi支隊」▲
▼ 【反論】
作品中の個々の描写と,作者の原体験を関連付けるのは短絡的ではないかと思います.
作品の解釈なんて十人十色ですから,誰もが同じ意見を持つとは限りませんし,またそれに根拠があるとも限らないわけです.
ちなみに
「一方的に理不尽な暴力を受ける」
とか
「何かにつけて上級者が下の者(主に主人公)を一方的に殴り付ける」
とか,類似の表現は他にいろいろと見つかるように思いますが…
▲
▼ 【再反論】
件の部分に言及した者ですが,貴殿の主張には欠陥があります.
>作品の解釈なんて十人十色ですから,誰もが同じ意見を持つとは限りませんし,またそれに根拠があるとも限らないわけです.
例えば,私にとっての「Ζガンダム」と,laszさんにとっての「Ζガンダム」という作品は違うものであるだろうことは想像に難くありません.
その点においては貴殿の主張に異論はございません.
しかし私は,富野監督とその作品群の関係性についてものを言っているのであり,それは雑誌・ムックのインタビュー,公開されている企画書,作劇そのものの構造などによってエビデンスを見出すことが容易であり,見る人によって変わるような快・不快のレベルでものを論じているわけではありません.
ただ,例の文章では,作品の具体的な構造から説明しなければ,誤解を生んでしまうような物の言い方であったことは確かです.
【再々反論】
もう一度引用しますが,
>創作においては,自らの原体験が色濃く投影されることを考えれば,
>日大の学生運動でどのような行為が横行していたか,想像に難くないと思います.
作品に原体験が投影されるかどうか,ということと,作品内の「特定の要素」が原体験に由来しているかどうか,ということ,またその「特定の要素」を,「第三者」が作者の原体験に由来していると解釈するかどうかは,厳密に言えば別の問題です.
見る人によって解釈が変わるというのは,快・不快のレベルのお話ではなく,ごくごく一般的なことですので(古今,様々な作品に対して様々な解釈がなされてきたことを考えるだけで十分でしょう),「第三者」の解釈という形で,日大の学生運動の実態と作品中の描写を結び付けるのは説得力に欠けます.
ご本人も認めていらっしゃるように,内容の問題というよりも文章のロジックの問題でしょう.
とりあえず考えられる改善案としては,「証拠」となりうるような,富野監督本人の発言を引用することでしょうか.
富野監督は日大の体制側だったかと思いますが,いずれにせよ日大の学生運動を短絡的に,富野作品の暴力描写を結びつけるのはちょっと無理があるのでは….
作中では「修正」といったり,学生運動と言うより軍隊のような感じですし.
富野監督のことも学生運動のこともよくわかっていない素人なので,的外れのことをいっているかもしれませんが.
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【質問】
なぜ反戦青年委員会の全国組織「全国反戦」は分裂したのか?
【回答】
立花隆によれば,学生が暴力はエスカレートしていく中で,この「武闘」を巡る意見の違いから分裂したという.
まず武闘派と反武闘派(後者に革マル派,構改派,これに近い立場として社青同解放派)に分かれ,さらに武闘派が中核派と反中核派に分裂.
この区分にしたがって,学生組織および反戦青年委員会の組織も割れ,セクト別の反戦青年委員会ができた――と,このように立花は説明している.
詳しくは立花隆著『中核vs革マル』上巻(講談社文庫,1983/1/15),p.118を参照されたし.
多数決をとってそれに組織全体が従う,という手法がとれなかった時点で,終わってますな.
【質問】
新宿騒乱事件とは?
【回答】
立花隆によれば,国際反戦デーにあたる1968/10/21,新宿駅前・構内で群集2万人が暴れ,騒乱罪が適用された事件.〔769人逮捕.その後,中核派全学連委員長秋山勝行ら幹部が,騒乱指揮容疑で逮捕〕
同日,ブントは丸太を抱えた決死隊を先頭にして,防衛庁突入を図り,解放派は国会へ向かうなど,各セクトが同時多発的に騒擾を起こしたという.
これらを総称して国際反戦デー闘争とも呼ばれる.1969/10/21の国際反戦デー闘争とは別物.
詳しくは立花隆著『中核vs革マル』上巻(講談社文庫,1983/1/15),p.119等を参照されたし.
▼
ちなみにこの件に関しては,以下のような証言がある.
僕がこの店に来たのは昭和57年頃ですが,開店当時から働いていた人に,その頃の話は聞きましたよ.
新宿駅の東口前に,線路に沿って映画などの看板が並んでいる場所があるんですが,昔はそこに金網があったようです.
しかしながら,新宿騒乱の頃は,投石に使うために,みんな金網を乗り越えて,線路の敷石を取っていたらしいです.
敷石がほとんど無くなったと言っていましたね.
うちの店も全部シャッターを下ろしていたんですけど,だいぶシャッターがへこんだようです.
まあ,被害はそれぐらいですんだようですが…….
[/quote]
―――「駅の記憶」:第08話 新宿駅|駅の証人に聴く
学生運動の「武器」調達方法が伺えて興味深い.
▲
【質問】
東大内ゲバ事件とは?
【回答】
>69/1/9 東大全共闘が,東大教育学部に立てこもる民青を攻撃して,壮絶な内ゲバ
―――立花隆著『中核vs革マル』上巻(講談社文庫,1983/1/15),p.119
をやらかしたとされる事件.
これを見た大学当局は,機動隊を要請している.
▼ また,上掲書,p.163では,民青のリンチを4時間もうけ,顔の原型をとどめないくらい腫れ上がったという話も紹介されている.▲
【質問】
東大安田講堂立て篭もり事件とは?
【回答】
立花隆によれば,1969/1/18〜1/19,安田講堂など4つの東大施設に立て篭もる全共闘学生を,機動隊が強制排除した事件.
機動隊が安田講堂に集中している間に,神田御茶ノ水では各所にバリケードができ,交番焼き討ちなどが起こったという.
なお,革マル派は東大全共闘の一員として,法研と安田講堂の間にある重要拠点,法文2号館を守備していたものの,機動隊が来る前にそこから引き上げてしまい,機動隊はその屋上から隣の法研の建物にいた中核派に対し,催涙ガス弾を易々と撃ち込むことができたという.
詳しくは立花隆著『中核vs革マル』上巻(講談社文庫,1983/1/15),p.119-123を参照されたし.
ちなみになんで立て篭もっていたのかと言えば,当時,紛争疲れから東大紛争が自主解決の方向にあって,1/12には6学部でスト解除になったのだが,それが民青同主導ペースで行われていたので,全共闘はスト解除に反対し,安田講堂封鎖を強化した,というもの.
ぶっちゃけセクト主義臭全開.
ちなみにいきなり機動隊が呼ばれたわけでもなく,
「封鎖やめないと機動隊呼んじゃうよ〜〜」
ってなことを,1/12にあらかじめ大学当局は予告している.
また,全共闘学生は立て篭もりの最中,放水攻めに遭って,「寒いから」という理由で,貴重な書物を燃やして暖をとるという暴挙もやらかしていたり.
なお,本件に関しては,佐々淳行(全共闘学生について「甘ったれ」と喝破している)を始めとして多くの書籍があるので,それに拠って本件関連の内容を拡充したいところなれど,時間不足.
各自それら書籍を参照されたし.
【質問】
1968年の東大紛争の動機は何か?
【回答】
以下によれば,医学部で不正があったことに怒り,大学側の誠意のなさに怒った,ということだが,…….
[quote]
進学校に進んだ息子と一緒に,この写真集を見た.
「あ,東大だ.安田講堂が写っている.」
「そうだよ.」
「でも,どうしてこの人たち,ヘルメット被って棒を持っているの?」
「何でも医学部で不正があって,それに抗議しても大学側が誠意ある回答をしなかったんで怒ったということらしいよ」
「でもさ,そうんなこと,世の中で普通にあるじゃん」
「だけど,この人たちは大学が許せなくて,バリケード作って大学に立てこもったのさ」
「そんなこと許されるの?」
「許されないさ.だから大学側は警察にお願いして,バリケード封鎖を解除して,立てこもっている連中を排除しようとしたのさ」
「当たり前だよね」
「でも,その当たり前が通用しなかった.
連中は,火炎瓶だの硫酸だのを警察官に浴びせかけて抵抗したんだよ.
それで何人もの警察官が殺されたんだ」
「キチガイだね」
「だろ.でもさ,当時の東大生の大半は,こういう連中とは無縁で,かかわりを持とうとはしなかったのさ」
「あー,よかった」
「でもさ,なぜか,この時代を懐かしいと感じ,褒め称え,逆に今の大学生が警察官を殺したりしないことを『覇気がない』なんて嘆いたりする人もいるんだよ」
「その人,狂ってるね,アタマが」
[/quote]
―――塩津計:「昔の東大生って,キチガイだったんだね」,2007/11/29 22:35:07
<『東大全共闘1968〜1969』(渡辺眸著,新潮社,2007.10)書評>
また以下によれば,「闘争」参加学生達は,口では社会変革を唱えていたが,実のところは「怠けたかっただけ」だという.
以下引用.
当時私は,東大紛争は,
「自由のない受験時代を経てやっと大学に入ったけれど,4年経つと再び自由のないサラリーマン生活に入らなければならないというのに,その間も,勉強をし,単位をとらなければならないのはいやだ」
という,まことに矮小な不満が原因であった,と考えています.
「闘争」手段として,スト(授業出席拒否)とピケッティング(校舎占拠)が行われたのは,そのためだ,とさえ私は見ていました.
ところが「闘争」参加学生達は,そうは考えていませんでした.
抑圧的な東大を改革するために自分達は蹶起したのだ,と思いこんでいたのです.
そして,この抑圧的な東大を改革することは,東大の事務局に官僚を出向させて東大を牛耳っている文部省,ひいては日本の政治を改革することに通じる,とも思いこんでいたのです.
ストと校舎占拠は,東大の機能を麻痺させることによって,一連の改革の起爆剤となる,というわけです.
私は同じクラス(注1)の「闘争」参加学生に対し,何度も私の上記「情勢分析」を述べた上で,
「さぞ楽しいことだろうが,もう憂さ晴らしは済んだのではないか,そろそろ「闘争」を中止すべきだ」
と説得にこれ努めたのですが,連中はみんな目がつり上がっていて,私の言うことに耳を貸しません.
(注1)東大に入学すると,同じ第二外国語を選択した者同士でクラスを編成し,学部に進学するまでの間の2年間,駒場のキャンパスで過ごす.
私のクラスは,フランス語のクラスで,経済学部進学予定者(文1)と法学部進学予定者(文2)によって構成されていた.※
さじを投げた私が,ある時,(私のクラスでは「闘争」参加者は文2の学生が多かったので,)
「君らはみんな,卒業後,「闘争」などなかったような顔をして,銀行等に勤めることになるよ」
と言ったところ,彼らは,大変な剣幕で,
「とんでもない,少なくとも東大改革が実現するまでは絶対「闘争」を続ける」
と答えたものです.
私と彼らのとちらの情勢分析が正しく,またどちらの予測が的中したかは,言うまでもありません(注2).
(注2)上記クラス単位でクラス代議員を複数選出し,クラス代議員が集まって,駒場の学生としての様々な意志決定が行われる.
私は,「闘争」が始まりストに突入したときには代議員ではなかったけれど,ストを収束させるために,クラスの日和見連中に根回しして代議員になり,スト解除決定に参加し,本郷の方の各学部の同様の動きとあいまって,大学当局による警察力導入に道が開かれ,「闘争」は収束に向かった.
結局,東大「闘争」は10ヶ月間続き,翌1969年の東大入試は行われなかった.
東大生全員が学業をさぼり,東大における研究活動を阻害し,東大の施設に多大の損害を与えただけで,東大も文部省も日本政府も何一つ変わりませんでしたし,クラスの「闘争」参加者のほぼ全員が,何事もなかったかのように,銀行等の大企業の企業戦士になったときているのですから.
※訂正
文1と文2は,ミスプリで逆に書いてしまった次第です.
太田述正 by mail
2つを合わせて考えるに,怠け心をイデオロギーで虚飾した,というところか.
▼ちなみに以下のような証言も.
76 :可愛い奥様:04/12/17 09:50:47 ID:BI4B6mVi
知り合いの社長は安田講堂に立てこもったメンバーだったが,
「フリーセックスできると聞いたんで,学生運動に参加しただけ」
と豪語してた.
どうもこの世代の人は苦手だ.
195 :可愛い奥様:04/12/17 23:30:20 ID:+NUc6NI7
うちの親,機動隊の中の人だったんだけどさ,あの頃,肋骨折りながらも,高熱出しながらも,何も言わずに仕事に行ってたよ.
後でもほとんど語らなかったけどね.
どういう気持ちで,火炎瓶投げてくる奴らに立ち向かっていったかなんて,1には一生わからないんだろうな.

【質問】
日比谷野音内ゲバ事件とは?
【回答】
(1) 1969/11/28,日比谷野外音楽堂において,東大裁判での欠席判決に対する抗議集会中に起きた,革マル派と他の8派との内ゲバ事件.
負傷者十数人.
(2) 同年12/14,同場所において,佐藤首相訪米阻止運動で死亡した岡山大学生糟谷某の「人民葬」のさなかに起きた,革マル派と他の8派との内ゲバ事件.
50人負傷.逮捕者200人.
立花隆によれば,革マル派に対する他派の,爆発寸前の憎悪があったという.
69年1年間で武闘派セクトは逮捕者続出で衰退したため,「アリバイ闘争」しかしなかった革マル派は相対的に強化されたことになり,しかもそれを革マル派は「我々の正しさの証明」だと主張.
8派の側にしてみれば,自分達が命がけでやって来たことを鼻の先で一蹴されたことになるため,内ゲバでの恨みも重なって,乱闘騒ぎになったという.
詳しくは立花隆著『中核vs革マル』上巻(講談社文庫,1983/1/15),p.127-129を参照されたし.
ここまで孤立に無自覚(でなければ,日比谷に顔など出せたものではないだろう)というか,独善的なのも珍しい.
まあ,テロ組織というのは大なり小なり独善的なものだが.
【質問】
第2次羽田事件とは?
【回答】
1969/11/12,三派全学連が佐藤首相の訪米阻止をスローガンにして,騒擾を起こした事件.
三派とは中核派,ブンドの学生組織である「日本社会主義学生同盟(社学同)」,そして社会党の学生組織(青年組織である日本社会主義青年同盟解放派の下の組織)である「全国反帝学生評議会連合(反帝学評)」.
また立花隆によれば,中核派の労働者が学生を牽引するがごとき状況もあったという.
そして同じく立花によれば,この事件は三派全学連側の完敗だったという.
[quote]
警察側は秦野警視総監自らを本部長とする最高警備本部を開設し,羽田空港内に槙野副総監が指揮する前線指揮所を設け,空港周辺を中心に戒厳令体制を敷いた.
警視庁管内動員警察官2万5000(うち私服6500).
そのほとんどは空港内3000をはじめとする羽田−蒲田地区および鉄道の主要駅ターミナルに投入された.
部隊編制は,
(1)いつでも出動できる最高警備本部の直轄遊撃隊
(2)ゲリラ遊撃隊5000.その一部は小型車に乗った機動遊撃隊
(3)通常の正規編制機動隊
という3段構えの体制をとった.
これにたいする各党派部隊,全共闘,反戦青年委の各部隊には,まったく統一指揮系統がなく,動員数も一万前後で,たとえベ平連系を加えたとしても警察官2万5000をはるかに下回る数しかないのに,それが都内各所に分散して行動を起こしたため,各個撃破され惨敗した.
[quote]
―――立花隆著『中核vs革マル』上巻(講談社文庫,1983/1/15),p.146-147
新左翼各部隊は行動開始後,最長で20分暴れることができただけで,ほとんど瞬く間に制圧されたという.
逮捕者2千500人.
新左翼側は戦術上,それまでの騒擾事件よりもはるかに退化しており,ぶっちゃけ「アホ?」という以外の感想が出てこない.
しかもこの事件を中核派は
「決戦がうち抜かれたことそのものがすでにそれ自身重大な勝利である」
と「総括」.
大本営発表よりひどい(笑).
【関連動画】
YouTube - 佐藤栄作訪米阻止・羽田空港闘争
- 1967
【質問】
真岡市銃砲店襲撃事件とは?
【回答】
1971/2/17午前1時すぎ,栃木県真岡市の塚田薬局兼銃砲店が,電報配達員を装った6人組に襲撃され,
散弾銃10,
空気銃1
散弾実包2000発
ライフル実包60発
曳光弾20発,
散弾,約1kg
雷管100個
を奪取された事件.
犯人は京浜安保共闘の寺岡恒一,中山衡平,吉野雅邦,雨野,瀬戸,川崎.
うち,中山と川崎は逮捕.
川島豪奪還のために,それらの銃器を使う計画だったという.
この銃は後に,連合赤軍の軽井沢銃撃戦で用いられた.
【質問】
警視総監公舎爆破未遂事件とは?
【回答】
1971/8/7午前2時ごろ,千代田区一番町にある警視総監公舎玄関脇に爆発物らしきものが仕掛けられた事件.
爆発物はベニヤ板すら損壊できない程度のものだったという.
警備中の巡査がこれを発見,犯人らしき男ともみ合いになったが,逃げられ,後日,日大全共闘のメンバーの須藤正(当時23歳),桐野敏博(同),二瓶一雄(同),「週刊現代」記者の福富弘美(当時37)ら計6人が逮捕されたが,1983/3/22までに全員の無罪が確定した.
【質問】
過激派って今,大学では何をやってんの?
【回答】
演説だのビラ撒きだの演劇だのやっているようだが,一般の学生からは完全無視されている模様.
以下に一事例としてウォッチング談を紹介する.
420 名前: たれ@携帯 [sage] 投稿日: 2007/10/04(木) 12:04:18 ID:1Edgpdyf
さて,今日は自治会がこっちで演説やる日のはずだが
いねえw
421 名前: たれ@携帯 [sage] 投稿日: 2007/10/04(木) 12:11:18 ID:1Edgpdyf
あーきたきた
先週※と全く同じ面子,同じのぼりなのが嘲笑を誘うプギャー
音響故障噴いた
422 名前: たれ@携帯 [sage] 投稿日: 2007/10/04(木) 12:13:33 ID:1Edgpdyf
比喩抜きで誰一人注目しない現状が(笑いすぎの)涙を誘う
425 名前: たれ@携帯 [sage] 投稿日: 2007/10/04(木) 12:19:08 ID:1Edgpdyf
雷電〔=ウォッチャーの友人,撮影担当〕もいるが・・・今回写真要らんよな?
全く同じ光景なんだもんw
寸劇まで同じw
先週より聞いてる奴がいないwww自治会涙目www
426 名前: たれ@携帯 [sage] 投稿日: 2007/10/04(木) 12:23:51 ID:1Edgpdyf
活動家7人,おっさんも絶好調です
ビラはけません
音響機器不調プギャーwww悔しいのうwwwくやしいのうwwwww
427 名前: たれ@携帯 [sage] 投稿日: 2007/10/04(木) 12:27:29 ID:1Edgpdyf
神道学科の巫女服ハァハァ
冗談抜きでビラが20枚も掃けてない
若者が泣けるぐらいいない,つうかよく見たら先週より小規模
430 名前: たれ@携帯 [sage] 投稿日: 2007/10/04(木) 12:33:08 ID:1Edgpdyf
今笑劇的光景が
久々に掃けたビラ読まずに捨てられたwwwww
シュプレヒコール上げたら活動家しか反応しない喜劇
オワタ,根性無しめ
432 名前: たれ@携帯 [sage] 投稿日: 2007/10/04(木) 12:39:47 ID:1Edgpdyf
おっと第二弾始まったぞ,一人でwww
ファイトの会(自治会ダミーサークル)必死
おっと例の沖縄集会に動員された事をゲロった
435 名前: たれの相棒 [sage] 投稿日: 2007/10/04(木) 13:02:25 ID:IncONFPu
連投制限きたらしいからかわりに書き込む
集会終了,悲惨さが強調されただけの集会でしたプギャー
▼ 俺の学校でも,なにも知らない新入生から入学手続き時に「自治会費」と称して,金を騙し取って活動費にしてたようだが(俺も払った),
ある年に学校か有志かどこかから
「自治会費は払う必要ない」
みたいなキャンペーンが出されて涙目になっててわろたなぁ
うちの大学なんか,卒業生に新聞を取りませんか?って来る.
いかにも学校当局が出していそうな名前の新聞なのに,中核派がやっているんだこれが.
法政なんかアレだぞ.
入学ガイダンスに中核派の演説が組み込まれている.
っつっても,自治会として来るわけだが.
で,クラスの自治会代表を決めるという話になって,代表者は中核派の集会というのを知らずに何か参加させられるわけだが,気の弱い田舎出身者とかはそのままズルズルといっちゃいそう.
▲
▼ うちの大学でも学友会が支配されてるらしく,
「大学と学友会は無関係なので,学友会費は払わないでください」
という新入生向けのポスターが貼ってあったり.
新入生向けのガイダンスの時に先輩から
「教官から学友会のこと,聞いてる?」
って急に声を潜めて聞かれたので,
「その筋の人か!?」
とびくびくしたら普通の人でした.
(要するに学友会はアレだから払わなくていいと言う話)
そういえば,一時期政治問題関係のサークルの人からやたらと,アメリカの悪事について話しかけられて色々議論らしきものをしてましたが……あれは勧誘されてたのかな.
知り合いが大学(某セクトの巣窟)の職員で,なんか活動してると排除しに行くそうなんだが,掴み合いになった時に
「おまえらなんかオ●ムと一緒だ!」
と言ったら,いい年のおっさんが
「そんなこと言うなよ・・・(涙目」
となったとか.
▲
▼
もっとも,テロも忘れているわけではないらしい.
衆議院会議録情報 第145回国会 法務委員会 第18号
によれば,
[quote]
昭和六十年以降の統計でございますが,極左暴力集団によるテロ,ゲリラ事件は,昭和六十年以降,五百六十六件発生しております.
このうち,成田関連は二百四十件であります.
セクト別で見ますと,中核派の犯行によるものは四百件であります.
[/quote]
とある.
ロケット花火みたいな金属弾を飛ばす行為も,1件のテロとして数えるならば,そのくらいの数にはなるだろう.
▲
※「先週」の状況



撮影:「たれ」友人の某
【質問】
過激派の「学生」って何歳になっても居座ってるみたいだけど,大学のどこにいるの?
【回答】
学生寮,,これが有ると温存されるよね.
うちの大学は,寮の人全員民青.
で,女子寮は男子禁制で,男子寮は女子立ち入りオケーなので,全員入り乱れて男子寮で同棲しながら,歌声民青を満喫していたらしい.
神大じゃ,男子寮を襲撃してきた革マルを返り討ちにして殲滅したよ.
風呂場に革マルの死体が浮いていたらしい.....
最近,革労協?のうち下馬事件なのか,中年の殺人事件があったよね.
旦那が学生寮に入ってたとき,すでに下火というか残骸のような感じだったらしいが,でも地下にもぐった先輩がいたらしくて,そのニュースのとき,まさか○○先輩じゃ...と心配してた.
【質問】
オーバー・エイジの過激派「学生」は,なんでいい歳こいても過激派をやめられないの?
【回答】
だいぶ前に別板で,未だに地下活動続けてる人の書き込みを読んだことがあるよ.
こんな馬鹿なこと,いい加減やめたいんだけど,学生運動時に活動を共にした友人が亡くなってしまい,彼のことを思うと,自分だけ足を洗うことができなくなってズルズル続けているとのこと.
未だに続けてる人の中には,このように辞めるに辞められない事情を抱えた人,辞めるタイミングを逃して年をとっちゃった人,今更・・・みたいな人がいるんだろうな.
傍から見ると,20歳過ぎて暴走族やってるような気恥ずかしさがあるんだけど,本人達もわかってるんだろうか.