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※ 並びはほぼ50音順
「NAVER まとめ」◆(2012/06/03)菊地直子容疑者の「出頭/身柄確保」に関する英語速報ツイート
「VOR」◆(2012/06/15)地下鉄サリン事件最後の容疑者 ついに逮捕
「痛いニュース(ノ∀`) ◆(2012/06/04) 複数の住民が「菊地に似た人がいる」と通報しても神奈川県警相手にせず
「虚構新聞」◆(2012/01/04)「誰か気づいて」 平田信容疑者,自ら手錠かけ出頭
「ダイヤモンド・オンライン」◆(2012/10/26)オウム特別手配犯――,菊地直子の恋 愛の前に罪は消えるのか
【質問】
麻原彰晃とは?
【回答】
本名,松本智津夫.
オウム真理教の教祖.
1955/3/2,熊本県金剛村(現・八代市)の畳職人,満美の4男として生まれる.
2006/9/15,死刑確定.
江川紹子によれば,普通の小学校へ進学しようと思えばできる程度の弱視だったが,補助金目当てに県立盲学校に入学.
家庭の生活苦の反動からか,金銭に対する執着が強く,『金持ちにならにゃあ』が盲学校時代の口癖.
国から出る奨学奨励費と身障者年金を使わずに貯め,学校卒業時には貯金は300万円に達していたという.
また,盲学校においては少しでも見えるということは非常な特権であるため,その特権を利用して,同級生にたかったり,同級生や下級生をこき使う性質があったという.
彼と同部屋の者は「地獄だ」と漏らしており,また,松本の暴行を受けて鼓膜を破られた者もいるという.
ちなみに盲学校では柔道部に所属して柔道2段.
さらに,仲間想いの反面,
「寮に火をつけるぞ」
「撃ち殺すぞ」
などの脅迫的言辞を,寮母や教師に対してしばしば吐いたという.
人の上に立ちたいという欲求も幼い頃から強く,小中高と生徒会長に立候補しては落選の繰り返し.
また,田中角栄の伝記も一所懸命読んでいたという.
卒業後,鍼灸師になり,やがて船橋市内で鍼灸院を開業.
1977年頃,石井知子と知り合って翌年結婚.
同じく1977年頃からオカルトに傾倒.
1982/6/22,ニセ薬を売っていた嫌疑で逮捕.
20日間の拘留の後,罪を全面的に認めて罰金20万円を支払う.
この事件が彼に与えた影響は大きかったという.
1984年,渋谷区で株式会社オウムを興し,それと前後して「オウム神仙の会」を発足.
1987年8月,同会はオウム真理教と改称.
単に名称変更にとどまらず,「神仙の会」時代のサークル的な雰囲気はなくなり,信者はお布施を払わせられたり,布教・宣伝活動に従事させられたりするようになっり,出家制度ができたりするようになったという.
1990年総選挙に出馬するも惨敗.
その頃から終末論をぶつようになり,最終解脱者を自称するなど,教団拡大と共に自我がどんどん肥大していった模様.
その一方で,総選挙のあと,1ヶ月あまりも信者の前に出てこなくなるなど,不利な状況に追いこまれると姿を消してしまうこともしばしば.
ナルシストの極致,と江川は評している.
詳しくは江川紹子著『救世主の野望』 (教育史料出版会,1991.3.15),p.30-73を参照されたし.
1991年以後の悪行は,ぐぐれば山ほど出てくるので割愛.
【質問】
菊池直子って誰?
【回答】
殺人容疑などかけられている,オウム真理教信徒.
昭和46年12月9日生.
1989年12月にオウム真理教に入信.
1992年(平成4年)東京国際女子マラソン(途中棄権),1994年(平成6年)大阪国際女子マラソン(127位)にオウム真理教陸上競技部として出場し,一部週刊誌に取り上げられた経歴を持ち,ここから「走る爆弾娘」のあだ名をマスコミからつけられている.
地下鉄サリン事件においては,サリン製造プロジェクトに関与した容疑,また,東京都庁小包爆弾事件に関する容疑がかけられており,オウム真理教特別手配被疑者に指定されていた.
1996年(平成8年)11月に埼玉県所沢市のマンションに潜伏していたことが判明.
2012.6.3,通報情報により,神奈川県相模原市内の潜伏先において,身柄を確保された.
江川紹子はこの逮捕について,
> 彼女はマスコミに「走る爆弾娘」など騒がれ,あれこれ詮索されたが,幹部でもなく,彼女しか知らない秘密などないと思う.
> 殺人罪で逮捕されたが,本当に殺意まで認定できるかなど,静かに捜査の推移を見守りたい.
https://twitter.com/amneris84/status/209290845915070464
とコメントしている.
【参考ページ】
http://vippers.jp/archives/6279451.html
http://mc.matome-complate.com/archives/8084660.html
http://www.police.pref.saga.jp/keiji_keibi/tehai/_1859/_1183.html
http://togetter.com/li/314616
手配写真
(こちらより引用)
逮捕後に公開された写真
潜伏していた家
【ぐんじさんぎょう】,2012/06/07 20:30
を加筆改修
【質問】
オウム真理教による小林よしのり暗殺計画があったというのは,本当の話なのか?
【回答】
あったことはあったが,そんなに具体性を持った「計画」ではなかったと推察される.
まず,実在を疑問視する声を以下に紹介する.
松沢〔呉一〕 〔略〕
単にあとをつけられてたらしいって話でしょ,アレ(笑).
もしかしたらもしかして,ことによると万が一つけられていたかもしれないなって程度で大ハシャギだもんね.
宅〔八郎〕 どの程度,オウムによる暗殺計画が具体的にあったかはわからない.
師〔一彦=元『SPA!』編集長〕 編集部サイドも,その話だけは具体的に聞いてないですしね.
松沢 その後,その話は全く出ていないところをみても,大した話じゃなかったんだろう.
第一ほんとにオウムがつけてたかどうかもあやしい話で,ファンが熱い視線を送っていただけかもしれない.
『教科書が教えない小林よしのり』(ロフトブックス編・出版,1997.11),p.145
上記内の,「編集部サイドも,その話だけは具体的に聞いてない」に要注目.
また,上杉聰著『脱ゴーマニズム宣言』では,以下のような疑問点が指摘されている.
よしりんの漫画には,VXガスを注射器に入れて,よしりんを待ち構えるオウム信者がたびたび登場する.
ところが初期は,その先に注射針をつけているが,後期になるとゴムホースのような管をつけている.
さらにホースの先が曲がっているものもある.
ところで,警察発表によると,よしりん暗殺指令は「オウム自治省大臣」の新実智光が山形明という元自衛官に命じたとなっているが,よしりんは〔漫画からの引用コマ省略〕と,麻原彰光が命じたように証漫〔表現〕されている.
さらに,当時の報道によれば,暗殺計画が作られたのは小林の他,江川紹子,池田大作,大川隆法などとなっている.
どうも,気に入らない人物をかたっぱしからオウムはリストアップしていたようだ.
結論として,少なくとも
「あいつは気に入らないから殺っちゃおう」
程度の話はあったと思われる.
しかし,どこまで具体的な話だったかと言えば,漠然としたものしかまだなかったのではないかという印象を持つ.
ただし,一連のオウム事件はまだ未解明の部分が多く,今後,新情報出現次第で,この結論は変わる可能性もある.
なお,余談ながら小林はその後,9・11テロ以降,テロを擁護する側に回る.
その論理で言うなら,小林は小林暗殺テロも肯定しなければ,論理の一貫性が保てないことになるのだが…….
それとも,「反米テロは綺麗なテロ」とでも言うつもりかな?(笑)
【質問】
このサイトにある,
「オウムによる小林暗殺未遂事件は大したことなかった,
小林が勝手に騒いで喧伝してただけ」
っての,いくらなんでも言っていいことと悪いことがあるのでは?
【回答】
それなりのソースに基づいての推察と言う形をとってるわけで,
>いくらなんでも言っていいことと悪いことがあるだろうと
という感傷論にもっていくのは,話のすりかえじゃないのかな?
もし
「いや,そんなことはない.小林暗殺計画については具体的なものがあった」
と言いたいなら,それなりの根拠が必要だと思うぞ.
ソース元も書いてあるし,
「オウムについては情報が不十分なので,今後この見解は変わる可能性もある」
と注釈が加えてあるからねぇ.
これを見て不快感を持つのは,コヴァかよっぽど潔癖な人くらいだろ.
軍事板,2009/12/31(木)
青文字:加筆改修部分
なお,当サイトは決してアンチ小林よしのりサイトではありませんので,念のため.
小林よしのりだろうが小林アツシだろうが,正しい主張をしていれば「それは正しい主張だ」と認めますし,たとえ江畑謙介や小川和久であっても,その発言が正しくないと考える正当な根拠があれば,「それは正しくない」と異議申し立てします.
【反論】
>それなりのソースに基づいての推察と言う形をとってるわけで,
うーん,私は小林よしのり嫌いですけどね.
ソースが宅八郎に連なる連中や,裁判で争った左翼陣営など,アンチのものだと明記すべきです.
ちなみにオウム事件当時,宅八郎などの態度は決してほめられたものではない.
国家や国民に脅威を与えている集団に擦り寄って,飯の種にしたわけですから.
言うならば今日,北朝鮮に迎合して記事や本を書くのと同じです.
アンチの側は当然,小林の主張に反対するわけで,決して客観的ではないでしょう.
小林への批判は必要ですけど,かといって,彼の敵対者であるからという理由で,宅の側などを持ち上げるのには疑問を感じます.
閻魔さくや in FAQ BBS,2010/1/19(火) 12:38
青文字:加筆改修部分
【再反論】
俺はこのときのスレ見ていないし,「ソース」が何を指すか明記されていないので,その部分は保留するが,確実に「大したことない」と言える.
小林よしのり本人は毒ガスを吸ったのかね?
犯罪被害者に対する国の救済を受ける対象となったのかね?
未遂で終わり,実際に身体的被害を受けなかった分,「大したことない」と俺は言える.
俺は実際にサリンを吸った地下鉄サリン事件の被害者なんだ.
OrcishSerjeant in FAQ BBS,2010/1/20(水)
20:56
青文字:加筆改修部分
ちなみに本サイトでの仮の結論は,「大したことなかった」と言っているのではなく,「漠然とした計画しか,まだなかった」というものなので,その点お間違えなきよう.
もし地下鉄サリン事件を受けての警察の捜査が入らなかったら,「漠然とした計画」が「具体性を伴う計画」に発展した恐れもあるわけで.
さて,では,上述のソースを評価してみましょう.
「小林よしのり暗殺?計画」に関するソースは非常に乏しく,スポーツ紙のトバシまがいの記事を除けば,証言が3つあるのみです.
(1) 『ゴー宣』の中で語られている,小林自身の証言.
(2) 当時の「SPA」編集長,師一彦による「編集部サイドも,その話だけは具体的に聞いてない」という証言.
(3) 新聞報道.
まず(1)ですが,
(1-a) 小林よしのりの言葉の平均的信頼性が著しく低いのは,本サイトの各所で研究されている通りである上,
(1-b) 『ゴー宣』の記述には矛盾点があることが,上杉聰著『脱ゴーマニズム宣言』でも指摘されています.
上杉と小林との間には,確かに思想的対立があるようですが,記述の矛盾点自体は
(1-b1) 初期と後期とで,注射器の描かれ方が違う
(1-b2) 暗殺指令者が警察と『ゴー宣』とで異なる
といった,思想の介在する余地のないものです.
したがって思想的対立を理由にして,そうした矛盾点を「非客観的」扱いするのは無理があります.
以上から,小林の証言は5段階評価でも1点もやれないほど,信頼性の点では問題外だと言えるでしょう.
次に(2)ですが,自画像からも分かるように,あれだけ自己を虚飾したがる小林が,本件「だけ」は編集長にも具体的なことは何も話していないという.
これはすなわち,具体的なことは何もなかった,ということを意味します.
ではその信頼性ですが,師に対し,「アンチ」「宅八郎関係者」と安易にレッテルを貼ることには疑問があります.
(2-a) まず,「アンチ」という定義が明確ではない.
批判をしている=アンチ,というのであれば,是々非々で,間違っている点については批判するというスタンスの人も,全てアンチに含まれてしまいます.
(2-b) また,『教科書が教えない小林よしのり』をよく読めばお分かりになるかと存じますが,師の小林に対する批判というのは,主として
・「SPA!」降板のいきさつについて,小林は事実と異なる風説を流布している
・小林vs宅八郎の一件について,小林は事実と異なる風説を流布している
という点にあるのであって,誹謗中傷性は少なくとも当方には感じられません.
もし誹謗中傷性があると主張したいのでしたら,具体的にその箇所を明かにすべきでしょう.
そもそも小林の能力を,(その時点においては)評価していなかったら,雑誌連載など依頼もしないでしょう.
(2-c) 「宅八郎関係者」という指摘については,たしかにそうですが(宅が連載していたときの編集長でもあるんだから),その論法で同じように「小林よしのり関係者」とも呼べます.
同様に連載を持っていた全ての人について,「鈴木邦男関係者」「やくみつる関係者」「天久聖一関係者」「せきしろ関係者」……などと呼ぶことも可能です.
要するにどうとでも呼ぶことが可能である以上,何ら意味のない指摘です.
(2-d) ではレッテルを離れて,師の自己に対する客観性について見てみましょう.
少なくとも人並みな客観性・公平性は有していると思われます.
「師はオウムと結託している」などと決めつけた,旧『ゴー宣』最終回をボツにせずに掲載したことなどからそう推測できます.
以上により,上記証言は5段階評価で3(平均的)と評価できるでしょう.
第3が新聞報道です.
このたび当方が,google検索にて見つけたものは,1995.6.21付東京新聞のものですが,これは逮捕されたオウム信者・山形明の供述がソースだと紹介されています.
同記事によれば小林よしのり暗殺計画とは,
・オウムの「自治省大臣」新実智光は,山形に注射器を渡し,薬物を小林にかけるよう指示した.
・そこで小林の仕事場や自宅の周辺で動向を監視したが,姿を見せなかったため,断念した.
・薬物が何だったかは分からない.
つまり,監視段階で断念したとされています.
具体的段取りができる前に暗殺計画が終わっていたことが,このことからも分かります.
この報道の信頼性ですが,その後,山形が証拠不充分で不起訴となっていることから考えて,少なくとも「具体的計画の存在」を警察が立証できなかったことは確かでしょう.
ただし容疑者の一般的特性から考えて,罪を免れたいがために計画を過少に供述していた可能性も否定できません.
よって上記記事は,5段階評価で2(平均的信頼性よりやや下)と評価できるでしょう.
(なお,宅八郎の本事件に関する証言はありませんので,算定しておりません.
また,オウム事件の頃の宅八郎の上祐対談は,当方も問題ありと考えます.
それはすでに別項で述べてある通りです.
ただし,その項目を読めば分かるように,宅と小林との確執は,オウム事件が原因で生じたものではありません)
最後に集計しましょう.
計画は具体的なものだった:(1)0ポイント
計画に具体的なものはなかった:(2)3ポイント,(3)2ポイント,合計3+2=5ポイント
5ポイント差で,「具体的なものはなかった」とする見方が優勢です.
5段階評価の下での5ポイント差は,大差と言ってよろしいかと存じます.
小林の側には,自己申告の証言しかないのが致命的です.
したがって少なくとも現時点では,「具体的なものはなかった」と結論を下す以外にありません.
この結論を覆すには,5ポイント差をひっくり返す有力な証拠が必要です.
もちろん今後,そのような証拠が出てくる可能性は,ゼロではありません.
そのときには喜んで結論を訂正させていただきます.
【質問】
上祐史浩はサリン事件などに関わっていないのか?
【回答】
ソースとして全面的に信頼するには著者についての情報も,情報提供者についての情報も不足しているが,一橋文哉著「オウム帝国の正体」(新潮文庫,2004/11/1)によれば,クロの可能性十分だという.
以下引用.
まず,地下鉄サリン事件についてだが,教団「科学技術省」次官だった信者が公判で,
「私は上祐幹部に誘われて,サリン生成プラントの建設に携わった.
その時,上祐幹部は尊師に
『7トンのプラントを作るんじゃないですか』
と質問し,
『いきなり70トンのサリンプラントで行こう』
との回答を得ていた」
と証言している.
〔略〕
次に,東京・亀戸の教団施設で炭疽菌を開発,撒布しようとした事件について,麻原の冒頭陳述の中ではっきりと,
『麻原の指示を受けた上祐が,亀戸の教団施設で炭疽菌の培養から噴霧装置の開発までを指揮していた』
と指摘されている.
だが,この事件は証拠不十分で立件されず,上祐は重罪を免れている.
(p.52-53)
したがって,いくら当人が
「昔のオウムとは決別した」
などと言っても信頼に値しませんね.
▼ ちなみに江川紹子は,伝聞として以下のようなエピソードを記している.
――――――
「帰り際,上祐という人が出口のところで
『信仰の自由があるんですから』
と坂本さんにいっていた.
捨てぜりふのような感じだった.
坂本さんは
『人を不幸にするような自由は許されない』
といい返していました.
〔略〕」(横浜法律事務所所員)
――――――江川紹子著『救世主の野望』 (教育史料出版会,1991.3.15),p.18
これが本当だとすれば,いわゆる「権利ばっかり主張する現代っ子」ということでFA?▲
【質問】
高橋克也って誰?
【回答】
高橋克也は,オウム真理教幹部.
1958年,神奈川県横浜市生まれ.
1987年7月,オウム真理教に出家.
教祖・麻原彰晃の身辺警護を担当する「SPS(尊師パーソナルスタッフ,後の自治省)」に所属したが,諜報省に移籍し,井上嘉浩の補佐役となった.
公証人役場事務長逮捕監禁致死事件では拉致の実行犯,地下鉄サリン事件では,サリンを散布した豊田亨の送迎役を務めたとして,警察から指名手配され,現在も逃亡中.
上記の指名手配容疑以外にも駐車場経営者VX襲撃事件,会社員VX殺害事件,被害者の会会長VX襲撃事件,東京都庁小包爆弾事件の嫌疑がかけられている.
1996年(平成8年)11月,潜伏先の埼玉県所沢市のマンションから逃亡,その後,川崎市幸区のアパートに住み,同市内の建設会社に勤務していたことが判明しており,12012.6.4の川崎駅等の防犯カメラにも写っていたという.
アパートは2011年12月末に退去.
2012.6.3の菊池直子逮捕後は,建設会社にも出社せず,逃亡.
しかし15日朝,東京都大田区西蒲田の漫画喫茶で,警視庁の捜査員に身柄を確保され,蒲田署に任意同行された後,逮捕された.
海外逃亡説は,何かの間違いだったということか……
【参考ページ】
http://ja.wikipedia.org/wiki/高橋克也_(オウム真理教)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201206060056.html
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120605/t10015629101000.html
http://www.asahi.com/national/update/0605/TKY201206050230.html
これまでの指名手配写真
(こちらより引用)
2012.6.6,警視庁によって公開された写真
(こちらより引用)
2011年末まで高橋克也容疑者が潜伏していたとみられるアパート
(こちらより引用)
【ぐんじさんぎょう】,2012/06/06 20:20
を加筆改修
【質問】
オウム真理教メンバーで,現在も指名手配中の高橋克也らはどこにいるのか?
▼ 【回答】
海外に逃亡していると見られる.
高橋克也については,カンボジアにいるとする,カンボジア在住の某氏の証言がある.
以下,その証言概要.
――――――
彼らは1995年ころからプノンペンにやってきた.
彼らの水先案内人は 香港で オウムの下請けで任天堂のコピーをしていた男.
当初NGOとして,自らをコンサルタントと名乗っていた.
プノンペンのアメリカ大使館のそばにあった,マンゴーの大きな木もあった借家に,550ドル払って住んでいた.
以前は北朝鮮系のNGOが,住んでいた借家.
指の指紋は,全部剥いで,名古屋の大金持ちのお坊ちゃんだと言うふれこみだった.
やっていたのは,偽札両替とネットでの薬物販売屋.
家の中は,プノンペン覚せい剤キャンディーやら注射針でいっぱいだった.
キャンデーはネットで堂々と販売.
ベトナム提携メーカーにおける委託生産で,カンボジアで梱包.
シール=カンボジア製.
プラスティックケース=ベトナム製.
ルセイケーオの工場で生産.
運びの時 薬物が切れて発作を起こすのを予防できるというすぐれものです.
監獄に持ち込み発見されたんですよ.
日本から援助された麻薬検査機で調べて「アウト」.
彼らの家にたくさんいつもあって不思議でしたよ.
あるとき,電気代の高いプノンペンで盗電をして,罰金170万ドル約2億円.
十年間,電気と水道を,十件の家に勝手に配布していた.
留守宅の時も窓をあけっぱなしにしてエアコンかけていた.
家が兵隊のトラックに包囲.
こちらの電気査察は,ロケット・ランチャーを持ってくる恐ろしいものだ.
その時は彼の後ろ盾,チャクラポン党の内務省の役人が登場.
3日程で,綺麗に支払った.
手下の北朝鮮人4人組は,全員刑務所へ入ったが,それを彼はかえって喜んだ.
それからの高橋は別人やりたい放題.
白い服を着てプノンペンの深夜に徘徊していた.ファントム.
真夜中十一時半になると マティニ マンハッタン
カーサにお仲間と出現
朝四時半に眠る
寝るときはケタミンカクテル 起きるときは シャブあぶる
医師をよんでヘロイン注射.
ヒットラーのようですね.
人民党の首相代理で内相のソーケイには,二十億円支払って,その金で,一日だけソキメックス社のオーナーになった.
「プノンペン養豚システム」に嵌ったんですよ.
悪党買っては 肥え太らして食っちゃう.
ソーケイは,首相の座を狙っていた.
これはフンセンにとっては脅威.
それにカネを出す存在も脅威に映った.
それでブチュ!
ソキメックスも高橋も簡単に潰された.
カンボジアの逮捕に理由は要らない.
逮捕されたのは,2005年の一月26日.
昼の10時,ワットランカーの裏の豪邸アジト.
十時にプレイソーに収監.
そのあとソーケイ副首相が介入して,4時まで手こずらせた.
パイリン刑務所まで移送.ついたのは真夜中.
日本の公安当局も,パイリンを訪れたが,なぜか「別人」扱い.
2007年からマラリアで死にかけていたが,2008年6月頃死亡.
――――――
▲
▲
以上,あくまで未確認情報.念のため.
高橋克也
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq02o02t.jpg
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq02o02t02.jpg
プノンペンの男の「白い服」
高橋が売りさばいていたというキャンディ
(以上,某氏より提供された画像)
▲
▲
▼ 2012年6月3日に菊池直子が逮捕されたことによって,上記の情報の信頼性が疑われている.
2年前まで国内に潜伏していた可能性が高い.
ソースはこちらです.
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/566541/
疑問者 in FAQ BBS,2012/6/4(月) 23:31
菊池逮捕後の,海外逃亡説の情報提供者の日記を見るに,「プノンペンの男」は,他人の空似だったらしい.
ただ,そうだとしても「白い服」は何だったのか…?▲
【質問】
中沢新一はオウム真理教を擁護していたのか?
【回答】
していた.
江川紹子によれば,中沢は自らオウムの「弁護人」と称し,
「そりゃ,オウム真理教は反社会的かもしれないけど,あらゆる宗教で反社会的でない宗教なんてありえないんだよね.
人間の欲やシットが作る社会なるものに絶対的な価値をおかないところから宗教が始まるわけでしょ.
それをやめて社会と添い寝するようになったら,もう宗教なんて言えないよ」(『クレア』
1989年12月号)
「現代社会は,あらゆる手段を使って,人間に人間の世界の外部にあることを見せないでいようとしているでしょう.
これはもう,何かの陰謀です.
宗教がそのニヒリズムを突き破って,生命と意識の根源にたどりつこうとするならば,どうしてもそれは反社会性や,狂気としての性格を帯びるようになるのではないでしょうか.
ですから,その点については,オウム真理教の主張していることは,基本的に,まちがっていないと思います」(『SPA!』
1989/12/6号)
これに対して江川は,オウム真理教の実態は,反社会性どころか現世への未練たっぷりであり,社会と融和するでもなく,社会に背を向けるでもない,中途半端な状態なのだと反論している.
社会的なものである法律にすぐ頼って,訴訟を乱発したり,「社会なるもの」の典型である選挙に傾注したりは,その実例であるという.
詳しくは江川紹子著『救世主の野望』 (教育史料出版会,1991.3.15),p.200-20を参照されたし.
江川の批判を待つまでもなく,中沢がオウムの実態を知らないまま無責任に擁護を繰り返したことは否定できないだろう.
オウムの狂気や反社会性は,宗教とは無縁のところ,世俗にでワガママを通すためのそれだからである.
島田裕巳は『中沢新一批判,あるいは宗教的テロリズムについて』(亜紀書房,2007年)の中で,中沢が2007年現在,こうしたオウム擁護について沈黙していることを批判しているという.
【関連リンク】
「中沢・島田批判 オウムに関する発言をめぐって」(アーカイブ)
【質問】
林郁夫とは?
【回答】
地下鉄サリン事件において,千代田線でサリンを散布した実行犯.
1995/4/8,石川県で逮捕.
1998年,東京地裁で無期懲役判決.林は控訴せず,現在,府中刑務所にて服役中.
元オウム真理教幹部で,「治療省」大臣.
江川紹子によれば,循環器外科の権威,井上正慶應大学教授の弟子で,国立療養所晴嵐荘の元循環器外科部長.
ベテランで腕もいいと評判,患者からも慕われていた医師だったという.
オウム真理教にのめり込むようになってからは,患者に本を贈ったり,チラシを撒いたりするようになって,院長からたびたび注意を受けたという.
43歳のときに,妻と子供2人と共に出家.
オウムには他にも医師は何人かいたが,林以外はほとんどが医師としては駆け出し同然だったという.
詳しくは江川紹子著『救世主の野望』 (教育史料出版会,1991.3.15),p.166-167を参照されたし.
【質問】
平田信って誰?
【回答】
「目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件」などで指名手配されていた,オウム真理教幹部.
1965年,札幌市生まれで,1987年に大学卒業後,東京都内のアパレルメーカーに就職したが,同年8月にオウム真理教徒として「出家」.
麻原彰晃の身辺警護を務めていたが,1995年2月に発生した「目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件」では逃走車両運転手役を担当,また同3月に発生した「島田裕巳宅爆弾事件」にも関与したとされる.
1995年5月に指名手配されたが,2011年に出頭するまでの間,逃亡生活を続けていた.
> 不器用なまでに生真面目,
>http://favstar.fm/users/toshi_fujiwara/status/155168996151406592
だったそうで,不器用さが災いして,人生を無駄にした模様.
それにしたって,無駄にしすぎだが.
【参考ページ】
平田信 - Wikipedia
オウム最後の大物「平田信」が警視庁に出頭,本人確定
- GIGAZINE
平田信容疑者の人物像・潜伏方法 - NAVER まとめ
【ぐんじさんぎょう】,2012/01/13 21:03
を加筆改修
【質問】
平田信が国松警察庁長官狙撃事件関与も疑われている理由は何?
【回答】
高校時代に射撃部で活躍していたことや,教団が行った,ロシアでの射撃訓練に参加していたことから.
平田は北星学園新札幌高校時代,射撃部に所属しており,3年生の時には,エアライフル競技でインターハイにも出場,個人で70人中45位だったという.
そして札幌商科大学時代も,射撃競技を続けていた.
また,1994年には,教団が多数の信者をロシアに送り込んで行った「軍事訓練ツアー」に参加し,射撃訓練を受けていた.
しかし,一橋文哉 『オウム帝国の正体』では,人を撃てるレベルには達していなかったなどとして,平田犯人説に否定的である他,江川紹子も,警察がオウム犯人説に固執しただけだとして,やはり平田犯人説に否定的.
一連のオウム真理教事件では,警察・公安サイドにとっても初経験のことが多く,そのために少なからぬ数の不手際を見せたが,どうやら狙撃事件捜査も,その一つであるらしい.
【参考ページ】
平田信 - Wikipedia
平田容疑者「犯人のように言われ逃げた」 (ミラー)
なぜ教団と断定できるのか?「失態,教団に押し付けただけ」
【ぐんじさんぎょう】,2012/01/14 20:54
を加筆改修
【質問】
「平田信出頭は,麻原死刑を延期させるため」なの?
【回答】
そういう見方もあるが,確定的ではない.
別の裁判で新事実が出て冤罪になる可能性もあるため,関連の全部の裁判が終わらないと死刑施行はしないという取り決めがある.
wikipediaによれば,共犯者(逃亡中の場合もあり)の刑が確定していない場合や,冤罪もしくは事実認定の誤りを訴えて再審請求している場合には,この死刑確定後6ヶ月(同法同条第2項,死刑確定後6ヶ月以内に執行が規定されてる)の期間は進行しないとされている.
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%9B%9A
そのため,出頭当初から,死刑引き伸ばしのためという見方は出ていた.
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江川さん“死刑執行遅延が目的か” NHKニュース
平田容疑者の裁判が始まれば,証人になる可能性がある松本死刑囚の執行は非常にやりにくくなるため,死刑の執行を遅らせることが出頭の目的だった可能性がある
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「リアルライブ」というニュースサイトは,「あるマスコミ関係者」の言葉として,以下のように伝えている.
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http://npn.co.jp/article/detail/85453555/
「もちろん目的は教祖の死刑回避ですよ.
昨年は異例ともいえる,死刑執行がゼロだった年.
支持率が急降下している民主党は,国民の目をそらすため,年明け早々にも死刑執行するかもしれない.
その最初の一人が麻原という情報もあった.
平田側はそれを察知し,他の逃走犯と話し合って,出頭する順番を決めたのではないでしょうか.
平田容疑者の裁判が結審したら,次の逃亡犯が出頭という具合に,刑の執行を引き延ばすという“戦術”でしょう」
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ただ,「リアルライブ」の情報の真贋は不明.
クロスチェックすらおそらく不可能.
私見では「胡散臭い情報」といわざるを得ない.
【参考ページ】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%9B%9A
http://npn.co.jp/article/detail/85453555/
http://fugafugaplus.ldblog.jp/archives/5036193.html
http://gigazine.net/news/20120101-hirata-makoto/
【ぐんじさんぎょう】,2012/01/16 20:30
を加筆改修
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