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◆◆◆◆テロ事例 Terrorizmus Események
<◆◆◆パキスタン
<◆◆地域/組織別
<◆イスラーム過激原理主義テロ 目次
<テロリズムFAQ目次
【質問】
ハングー・アーシュラ自爆テロ事件とは?
【回答】
2006/2/9,パキスタン北西部ハングーにて,シーア派の最重要宗教行事「アシュラ」の行進の最中に起きた自爆テロ事件.
死者22人,負傷者50人以上.
スンニー派過激原理主義者の犯行と見られる.
以下引用.
シーア派行事で爆発 パキスタン,22人死亡
【イスラマバード9日共同】パキスタン北西部ハングーで9日,イスラム教シーア派の最も重要な宗教行事「アシュラ」の行進の最中に爆発があり,地元当局者らによると,22人が死亡,50人以上が負傷した.
地元警察当局者は自爆テロとの見方を示した.AP通信が伝えた.
パキスタンでは少数派のシーア派と多数派のスンニ派の宗派対立が激しく,スンニ派によるテロの可能性がある.
アシュラはイスラム教シーア派の第3代イマーム(指導者)フセインの非業の死を悼む行事.男性が刀で自分の体を傷つけるなどして指導者への共感を表しながら行進,信者の宗教感情が高揚する.
地元テレビによると,数百人のシーア派信者がモスク(イスラム教礼拝所)から市場に行進してきた際に爆発が起きた.
事件後,怒ったシーア派住民の一部が暴徒化.商店やバスに放火したという.
〔略〕
パキスタンではスンニ派が約8割を占めて多数派だが,両派過激派の抗争や相手住民へのテロが相次ぎ,過去10年で2000人以上が死亡している.
一方,アフガニスタン西部のヘラートでも数百人のシーア派,スンニ派教徒が衝突し,ロイター通信によると,少なくとも5人が死亡した.
国内少数派のシーア派と同多数派のスンニ派の対立が激しいパキスタンでは,毎年アシュラの時期に宗派間の衝突が発生.今回もスンニ派によるテロの可能性がある.
地元警察当局によると,爆発発生後,暴徒化したシーア派信者がハングー郊外で乗り合いバスを銃撃,乗客4人が死亡した.
【質問】
イスラマバード国際空港自爆テロ事件とは?
【回答】
2007.2.6,イスラマバード国際空港で,警官の制止を振り切ったタクシーから降りた男が,空港ビルに突入しようとして警官と銃撃戦になりました.
男は手榴弾を投げた後に,空港駐車場で自爆しています.
ちなみに同空港で自爆事件が起きたのは初めてのことです.
⇒単なる気違いである可能性も否定できませんが,地元テレビは,国内視察を終え,空路同空港に向かっていたアジズ首相を狙ったとの見方を示しています.
【質問】
北ワジリスタン・アルカーイダ訓練施設爆発事件とは?
【回答】
2007.6.19,アフ【ガ】ーニスタン国境に近いパキスタン部族地域の北ワジリスタン地区で起きた爆発事件.
パキスタン軍報道官は,現場はアルカーイダの訓練施設だったと発表している,
フランス通信(AFP)によると,国際テロ組織アルカーイダのメンバーら約30人が死亡した.
パキスタン軍報道官は,死者30人のうち10~15人はアラブ人やトルクメン人など外国人だったとしている.
パキスタンの情報筋はAP通信に,アフ【ガ】ーニスタンから米軍のミサイル3発が着弾したとしているが,軍報道官はパキスタン軍と米軍の関与を否定している.
【参考ページ】
2007年6月20日16時10分,産経新聞(バンコク 岩田智雄)
【質問】
ラワルピンディ・バス連続自爆テロ事件とは?
【回答】
2007/9/4朝のラッシュアワー時に,ラワルピンディの2カ所で爆弾が爆発した事件.
内務省の発表によると,国防省職員ら合わせて29人が死亡,約70人が負傷.
爆破されたのは,国防省のスタッフが乗ったバスと,商業地域のバイク.
最初の爆発は4日午前7時10分ごろ,陸軍本部から約1キロ・メートルの路上で,通勤途中の国防省職員を乗せたバスで発生.
2発目もほぼ同時に爆発が起きた.
軍スポークスマンは「どちらもテロリストによる行為で,死傷者は全員パキスタン人だ」と語った.
警察は,軍関係者が乗ったバスを狙った連続自爆攻撃と断定.
また,首都イスラマバード市内で,爆弾を取り付けた「自爆ジャケット」所持の男1人が拘束され,警察と軍が関連を調べている.
犯行声明などは出ていないが,同年7月の政府による「赤いモスク(イスラム教礼拝所)」制圧に反発するイスラム原理主義勢力が,ムシャラフ政権中枢を狙った報復の可能性が高い.
ラワルピンディには陸軍本部,ムシャラフ大統領の執務施設など政権の中枢機能がある.
【参照ページ】
2007年9月4日15時47分付,ロイター
2007年9月4日21時28分付,読売新聞
2007年9月5日0時46分付,毎日新聞
【質問】
バヌー・バスターミナル自爆テロ事件とは?
【回答】
パキスタン北西辺境州バヌーのバスターミナルで2007/9/11,14~15歳の少年の自爆テロにより,停車していたバスが爆発した事件.
地元テレビによると乗客ら少なくとも19人が死亡.
現場はパキスタン軍と武装勢力との激しい戦闘が続いている北ワジリスタン管区の境界近くだという.
【参照ページ】
2007年9月11日23時19分,毎日新聞
【質問】
Tarbela陸軍仮廠舎自爆テロ事件とは?
【回答】
パキスタン情報筋によれば,2007/9/13,イスラマバード北東約百キロにあるTarbelaにある陸軍仮廠舎で自爆攻撃が発生しました.
兵士十六名が死亡,二十五名以上が負傷したそうです.
十五日,パキスタン警察は自爆犯の首を発見し,身元の洗い出しに努めているそうです.
⇒ここには陸軍の対テロ精鋭部隊がおり,施設のなかでも特に高度な防護体制をとっていることで知られていました.
自爆攻撃は夕食時に行なわれ,死者のほとんどが将校だったそうです.
自爆犯の目的は,多くの死者が出た「赤いモスク制圧作戦」(七月二十三日)への反撃で,パキスタン陸軍特殊部隊(SSG)所属の精鋭部隊に狙いを絞っていたとのことです.
なお,この自爆攻撃で仮廠舎の防護システムにも影響が出たそうです.
爆弾の種類などの詳細については,一切明らかにされていません.
▼ この施設は,9.11テロ事件後に米国支援に転じたのを契機に,パキスタン軍が新設した「対テロ特殊部隊」の駐屯地.
同部隊は「対テロ・過激派対策」を主な任務としており,アフガーニスタン国境付近での武装勢力掃討作戦を続けており,日常的に武装勢力からの攻撃を受けている.
また,同部隊はモスク(イスラム礼拝所)「ラル・マスジッド」の武力鎮圧も担っており,報復の可能性もあるという.
さらに,パキスタン情報機関筋によればアル・カーイダが,駐屯地に隣接して駐留する米特殊任務チームに警告を発する意図で行った可能性があるとの見方を強めているという.
同筋によると,駐屯地には軍事施設群が隣接.一角には米軍特殊部隊と中央情報局(CIA)の関係者で構成する小規模な「緊急展開チーム」が,アルカイダ指導者のウサマ・ビンラディン容疑者の捕捉を念頭に駐留を続けているという.
【参照ページ】
2007年9月14日10時11分,毎日新聞
2007年9月14日10時31分,読売新聞
2007年9月20日3時0分,時事通信▲
【質問】
ラワルピンディ政府施設連続自爆テロとは?
【回答】
首都イスラマバード南方のラワルピンディで2007/11/24,軍に対する自爆テロが発生し,兵士少なくとも十六名が死亡しました.
第一波は情報省ビルに車を突入させて自爆テロを行い,ビルにいた兵士13名を殺害,第二波が三キロほど離れた陸軍検問所で自爆テロを行なっています.
死者の数については十六名から三十五名と幅がありますが,すべて軍人と三軍統合情報局職員だそうです.
なお,現地時間25日に,九月に帰国して再追放されたシャリフ元首相がサウジからラホール(パキスタン東部)に帰国する予定ですが,25日21時時点で帰国は確認されていません.
現地では治安部隊が出動しており,数万人集まると見られている支持者の取り締まりに乗り出しているそうです.
道路も封鎖されています.
⇒サウジは今回の帰国に当たってシャリフ氏を強く後押ししており,アブドラ国王の専用機で帰国する予定です.
また同国王はラホールで使用するための防弾自動車も提供しています.
ラワルピンディには陸軍最精鋭の第十軍司令部や三軍統合情報局などがあります.
なお山田剛(日経新聞,2007/11/24)によれば,軍の司令部や高級軍人の邸宅などが集まるラワルピンディでは,10月末にも同様のテロが起きているという.
【質問】
ウル・ハク前宗教相暗殺未遂事件とは?
【回答】
Bombers die in botched attack 30/12/2007
10:32
によれば,日曜日の早朝,パキスタンのパンジャブ州南部のHaroonabadで,ムシャラフ政権の前宗教大臣であるMohammad
Ejaz-ul-Haqの滞在した家から200メートル離れた場所で爆発事件があり,二人の自殺爆弾攻撃犯と見られる男が死亡した.
警察は自殺攻撃が失敗し事前に爆発を起こしたと見ている.
ムシャラフ政権の前閣僚では,前内相のAftab
Ahmed Khan Sherpaoが,その前の週,自殺爆弾攻撃を受け,50人以上が死亡している.
【質問】
警察幹部葬儀自爆テロ事件とは?
【回答】
2008/2/29,パキスタン北西辺境州スワト地区のミンゴラ市で,テロで犠牲になった警察幹部の葬儀の最中に起きた自爆テロ事件.
ロイター通信によると,少なくとも38人が死亡,50人以上が負傷したという.
警察幹部は同日早朝,車で移動中に路肩に仕掛けられた爆弾で死亡した3人のうちの1人.
夕暮れに営まれた葬儀に500人が参列する中,参列の警察官が棺に向かって敬礼をした瞬間に爆発が起きた.
犠牲者には警察官多数が含まれているという.
爆発後には停電が起き,病院に多くの負傷者が運ばれたが,治療活動に支障が起きたという.
当時,同州はイスラム過激派と政府軍が攻防を繰り広げている最前線であり,警察官への報復テロとみられる.
【参考ページ】
2008年3月1日11時8分,産経新聞
2008年3月1日16時25分,産経新聞
【質問】
ラホール連続爆弾テロ事件とは?
【回答】
2008.3.11,パキスタン東部のラホールで,連邦捜査局(FIA)の支部と,民間人の所有する建物の計2カ所でほぼ同時刻に起きた爆弾テロ事件.
FIAはテロの主要捜査機関.
警察によれば,FIAで起きた爆発は強力で,支部のビルは大きく損壊した.
民間所有の建物は,ラホール北部の高級住宅地区にあり,地元報道によればシャリフ元首相とかかわりのある弁護士の所有物件.
広告業者が入居していたという.
内務省の発表では,FIA関係者12人を含む,少なくとも25人が死亡,約170人が負傷した.
いずれもイスラム過激派による自爆テロとみられる.
【参考ページ】
2008/03/11-21:58,時事通信
【質問】
軍需工場連続自爆テロ事件とは?
【回答】
2008/8/21,イスラマバードの西方約30kmのタキシラ近郊ワーの軍需工場のゲート付近で,2件の自爆テロがほぼ連続して発生した事件.
2カ所ある門で,徒歩で近づいたとみられる男が自爆したという.
この工場はパキスタン国内で最大級の兵器工場.
同国の民放テレビによれば,工員ら約100人が死亡,200人以上が負傷した.
当時,現場付近は,勤務交代のため作業員らで混雑しており,自爆犯はそこを狙ったとみられる.
ターリバーンが犯行声明を出している.
【参考ページ】
2008年8月21日19時37分,時事通信
2008年8月21日20時3分,読売新聞(佐藤昌宏)
2008年8月22日8時0分,産経新聞(菅沢崇)
遺体を運ぶ治安当局者
(時事通信より引用)
【質問】
アトク商店街爆弾テロ事件とは?
【回答】
2008/8/24,イスラマバードに近いパンジャブ州の町アトクで,CDやビデオの販売,レンタル店が集まる商店街で起きた爆弾テロ.
現場周辺で,音楽や映画を批判するイスラーム過激原理主義者の脅迫状らしきビラが見つかったという.
音楽・映画ソフトを扱う店が脅迫を受けるケースは,同州のほかの町でも発生しており,イスラーム過激原理主義勢力が,パキスタン最大州パンジャブに拡大し始めた兆候だとして警戒されている.
【参考ページ】
2008/09/02-14:05,時事通信
faq02p01b.jpg
(時事通信より引用)
【質問】
マリオット・ホテル自爆テロ事件とは?
【回答】
2008/9/20夜,イスラマバードの米系ホテル「マリオットホテル」に車両が突入して自爆したテロ事件.
車が正面ゲート付近で爆発した後,大量の爆発物を積んだ大型トラックが突入を試みたが,トラックはゲート前で制止された.
ホテルの所有者や目撃者がロイター通信に語った話によると,警備員とテロ犯との間で銃撃戦となり,テロ犯が爆発物に点火,巨大な爆発が起きたという.
ホテルに設置された防犯カメラの映像では,爆薬を積んだトラックがゲートに突っ込んだが突破できず,警備員らと口論となる模様が映っている.
警備員が周りの人に逃げるよう促すなどする中,車内で小さな爆発があり,火が車全体に燃え広がった後,映像は突然途切れている.
より大きな爆発でカメラが破壊されたためという.
爆発の衝撃で,1km離れた市内の建物のガラスが破壊された.
(後者は産経新聞の数字)
パキスタンのレーマン・マリク首相顧問(内相代行)は21日記者会見し,ホテルの正面ゲート前の爆発現場には深さ約7m,直径約17mの巨大な穴が出来ていることなどから,使用された爆発物は600kgに上るとの見方を示した.
爆発は建物から18m離れた場所で起きたものの,破損した調理用のガス管に引火し,ホテルは炎上.
火災はほぼホテル全体に広がり,逃げ遅れ焼死した人も相当いるとみられる.
火は21日朝までにほぼ消し止められたが,ホテルはほぼ全焼し,倒壊の危険があるという.
マリクは会見で,外国人4人を含む53人が死亡,266人が負傷したと発表.
また,フランス通信(AFP)は,少なくとも60人が死亡したと伝ええた.
死者には駐パキスタンのチェコ大使の他,米国大使館付き米軍関係者2人,ベトナム人1人が含まれている.
また,11人の外国人が負傷した.
さらにデンマークのセキュリティー・サービスによると,同国の派遣団に随行していた要員1人の安否が不明で,死亡したのではないかとみられている.
米国務省のスタッフ1人も不明となっている.
一方,日本大使館によれば,ホテル1階にある,イスラマバードで唯一の日本食レストランに当時,邦人客2人がいたが,日本人の料理長に誘導され無事避難したという.
マリオット・ホテルは5階建て.
大統領官邸や国会議事堂などの政府施設に近い一角にあり,裕福なパキスタン人の他,外交団や外国人旅行客も利用する高級ホテル.
当時はラマダン(断食月)中の土曜日の夜ということもあり,食事を楽しむ大勢の家族連れなどでにぎわい,政府や軍の要人も会食していた.
2007年1月にも自爆テロ事件があり,犯人と警備員の2人が死亡.
以後は厳重な警戒下にあった.
爆発が起きたのは,ザルダリ新大統領が上下両院の議員総会で初の施政方針演説を行った数時間後.
ザルダリ大統領は,2007年12月に暗殺された故ブット元首相の夫で,テロ根絶を訴えていた.
また,マリクが22日に記者団に明かしたところによれば,ザルダリ大統領やギラニ首相らを招いた夕食会が当日,同ホテルで予定されていたものの,直前になって会場が首相公邸に変更されたという.
夕食会は国会議長が招待し,キアニ陸軍参謀長ら軍幹部も出席を予定していたという.
ザルダリ大統領は21日,国営テレビを通じた演説で,
「パキスタンからテロを駆逐する.卑劣な者たちがこれを阻止することはできない」
と強調,テロとの全面対決を宣言した.
しかし軍に基盤をもたないザルダリ大統領は,イスラム過激派に対して影響力を行使できないとの見方が強く,
「いずれ対テロ戦で見直しを迫られる可能性が高い」(観測筋)
との見方も強まっているという.
マリク顧問は,犯行は北西部の部族地域出身者で,アル・カーイダとつながりのあるイスラム過激派の仕業との見方を示した.
あるパキスタン情報機関関係者もロイターに対し,高度な手口からアル・カーイダの犯行との見方を示したという.
AFP通信は,パキスタン政府高官の話として,国会近くでのテロを予告する情報が,政府に事前に寄せられていたと伝えた.
また,テロ組織の情報収集,分析を専門とする米企業「インテルセンター」によると,アル・カーイダが,9月17日に公表したビデオの中で,パキスタンの欧米権益に対するテロ攻撃を予告していたという.
同ビデオではアル・カーイダ幹部ムスタファ・アブ・ヤジドが,
「アフガンでの聖戦に勝つには,パキスタンの傀儡政権や専制的な軍部と戦い,同国と同盟を結ぶ十字軍国家を攻撃しなくてはならない」
と呼びかけていたという.
今回のテロは,欧米寄りの姿勢をみせるザルダリ大統領に対し「対米協調の断絶を求めて,警告に出たもの」(観測筋)との見方が出ているという.
パキスタン,自爆テロ発生時の映像
(時事通信より引用)
炎上するマリオット・ホテル
恐怖に抱き合うホテル従業員
(ロイターより引用)
【参考ページ】
2008年9月21日0時0分,読売新聞(永田和男)
2008年9月21日0時11分,時事通信
2008年9月21日9時14分,ロイター
2008年9月21日12時9分,産経新聞
2008年9月21日20時31分,産経新聞(菅沢崇)
2008年9月21日21時27分,時事通信
2008年9月21日22時43分,産経新聞(菅沢崇)
2008年9月22日1時1分,読売新聞(永田和男)
2008年9月22日9時46分,時事通信
2008年9月22日12時21分,ロイター
2008年9月22日20時37分,時事通信
2008年9月22日20時53分,産経新聞(菅沢崇)
2008年9月22日21時50分,読売新聞(黒瀬悦成)
「tnfuk」:【記事メモ】パキスタン,イスラマバードで自動車爆弾,死者多数
◆◆◆◆◆「赤のモスク」事件
【質問】
「ラル・マスジード(赤のモスク)」立て篭もり事件とは?
【回答】
パキスタンの「赤のモスク」に立て籠もったイスラム過激派が,パキスタン政府治安部隊と交戦した事件.
2007/7/3~7/11の間,続いた戦闘により,モスクは制圧された.
治安部隊兵士11人を含む死者102人.
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/1804228.stm
によれば,赤のモスクに立て籠もったイスラム過激派の大部分は旧ムハンマド軍(Army
of Mohammed=Jaish-e-Mohammad)要員であったと見られる.
ムハンマド軍の前身は,インド支配下のカシミールの親パキスタン・ゲリラを支援するために,ある過激な聖職者(Maulana
Masood Azhar)によって設立された団体であり,この団体にはパキスタン諜報当局の息がかかっていた.
この聖職者がインドで逮捕され投獄されたため,この団体は開店休業状態になっていたが,1999年にこの聖職者がハイジャックされたインド航空の乗客との交換で釈放されると,彼は「赤のモスク」を拠点にして,ムハンマド軍を再建.
このムハンマド軍が2001年12月のニューデリーのインド議会襲撃事件に関与したとの疑いを持ったムシャラフ政権は,翌2002年1月,ムハンマド軍を非合法化し,この聖職者を拘束したという.
そして
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/6897683.stm
によれば,その後もムハンマド軍残党は引き続き赤のモスクを拠点として使い続け,やがて赤のモスクは彼らによって事実上乗っ取られるに至る.
このモスクの副代表であったガジ師は,パキスタン政府側との交渉で,政府側から提示された条件を飲む用意があったが,旧ムハンマド軍の要員達がこれを許さなかったため,交戦まで事態はエスカレートしたという.
詳しくは太田述正コラム#1867(2007.7.16)を参照されたし.
また,共同通信,2007/7/9によれば,治安部隊のモスク内への強行突入が政府によって承認された8日夜の時点では,モスク内には約1000人がおり,子供や女性が「人間の盾」にされていたという.
さらにパキスタンのローカル紙
‘No full-scale operation approved’
‘Eight top terrorists inside Lal Masjid’
に拠れば,200-500人がいる模様で,そのなかの50-60人が,外国人を含むハードコアの武装派だと政府は見ていたという.
なお,モスク代表は,政府の攻撃に先立つ7/4,女性の服装でモスクから逃れようとしたところを取り押さえられ,逮捕されたという.
(ロイター,2007年7月5日6時35分)
アジズ師はイスラム女性が全身をまとうブルカを頭からかぶり,モスクから逃げ出したところを兵士らに見つかった,と伝えられている.
(毎日新聞,2007年7月5日10時29分)
【質問】
「赤のモスク」代表アブドルアジズと副代表ガジの兄弟は,どんな人物か?
【回答】
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/6281228.stm
http://en.wikipedia.org/wiki/Abdul_Rashid_Ghazi
http://en.wikipedia.org/wiki/Abdul_Aaziz_Ghazi
によれば,兄アブドルアジズ(Maulana Abdul
Aziz)は,父親アブドラシャヒードが赤のモスク代表に任命された6歳の時,イスラマバードに転居.
公立学校に通った後,カラチにあるパキスタンで一番有名なマドラッサに学んだ.
1998年,アブドラシャヒードが赤のモスク構内で暗殺されたことから,パキスタン政府によって2代目代表に任命された.
ところが2005年,アブドルアジズが,アフガニスタン国境のタリバン支援者と戦って戦死したパキスタン政府軍軍人は,戦死したタリバン支援者とは違って殉教者であるとは言えず,彼らに対してはイスラム的葬儀を行ってはならない,というファトワを発したため,パキスタン政府によって解任された.
しかし政府は,事実上アブドラシャヒードが赤のモスク代表を続けることを黙認していた――と,同ブログにはそう述べられている.
また,弟ガジ(Abdul Rashid Ghazi.1964~2007年)は父親の希望に逆らい,普通の人生を送りたいとしてマドラッサ入校に抵抗.
父親によって無理矢理マドラッサに入れられた後も,マドラッサを脱走.
またガジは,敬虔なイスラム教徒にはつきもののひげを生やすことを拒み,イスラマバードの共学の有名大学で歴史学(一説には国際関係論)の修士号をとり,教育省に入省.
一時ユネスコの仕事にも就く.
コーランを暗唱できる者の称号であるハーフィズ(Hafiz)を用いることも拒否したガジに父親は怒り,兄のアブドルアジズだけを遺言で相続人に指名したという.
しかし父親暗殺により,ガジは教育省勤務を続けつつも,赤のモスクとその付設マドラッサにおける教育に興味を示すようになり,ひげも生やし始める.
喜んだ兄のアブドルアジズは,ガジにイスラム教を再び学ぶことを勧め,やがてガジを赤のモスクの副代表にして後継者に指名.
そして,政府治安部隊との攻防戦において,ガジは,赤のモスクに残って死亡した――という.
詳しくは元ソース各ページを参照されたし.
【質問】
赤のモスク事件において,「人間の盾」は危機感をあおるための誇張だったとの疑いがあるそうですが,
――――――
「人質」は危機あおる誇張 パキスタン政府に疑惑強まる (共同通信)
【イスラマバード12日共同】過激派モスク立てこもり事件で,ムシャラフ政権の事実隠ぺいの疑惑が強まってきた.
パキスタン政府は,武装グループが女性や子どもを「人間の盾」にしたなどとして治安部隊突入を強行.
だが,こうした主張は危機感をあおるための誇張だったとの疑いだ.
地元テレビは独自集計で死者は285人に上る見通しと報じた.
立てこもった学生側死者数を73人とする政府発表にはメディアが疑問を投げかけている.[ 2007年7月12日18時12分 ]
――――――
【回答】
幾らなんでも,この共同の記事は酷すぎ.
リベラル色の強いBBCでさえ,パキスタンの国内紙の論調を紹介して,政府の行動支持が多数と書いている.
Last Updated: Friday, 6 July 2007, 10:25
GMT 11:25 UK
Press backs tactics at Red Mosque
パキスタンのローカル新聞を見ても,そういう論調よりはテロ非難のほうが強いように思えるけど.
http://www.dawn.com/2007/07/12/ed.htm
http://www.dawn.com/2007/07/12/index.htm
インドの報道では,野党のブット前大統領が政府の行動を支持していて,国民も支持なのだと言う.
――――――
Bhutto backs Musharraf on Lal Masjid
Press Trust of India Thursday, July 12, 2007 (Islamabad)
Bhutto said the operation was necessary to contain extremist elements.
野党指導者のブット女史は,オペレーションは過激派を押さえ込むために必要であったと述べた.
In an interview to a private TV channel, the Pakistan People's Party (PPP) leader said a huge majority of the public has supported the action against the extremist seminary, which was fanning terrorism.
民間TVチャネルのインタビューでPPP(パキスタン人民党)の指導者は,大変多くの国民は,過激派の宗教施設を抑えることに賛成していると述べた.
過激派はテロリズムを広げている.
――――――
ニュース極東板
青文字:加筆改修部分
【質問】
「赤のモスク」事件に対するアル・カーイダの反応は?
【回答】
2007.9.20にアルカーイダのザワヒリが発表したビデオ声明の中で,七月にパキスタン軍が行なった「ラル・マシード」制圧作戦による指導者ガジ師の殺害について,
「パキスタンの卑劣さと背信を露呈した」
と非難,
「ムシャラフ大統領は報復を受けることになる」
と明言しました.
同日,アルカーイダはウェブサイト上で
「アルカイーダはビンラディン師の言葉で,暴君ムシャラフとその軍に宣戦布告する」
と予告しています.
おきらく軍事研究会,平成19年(2007年)9月24日
青文字:加筆改修部分
【質問】
チャウダリー最高裁長官暗殺未遂事件とは?
【回答】
2007/7/17夜,イスラマバードの地方裁判所前の広場で開かれた反政府集会の会場で起きた自爆テロ事件.
爆発は,内務省が「首都に自爆犯が潜伏している」と警告した約1時間後に発生.
英字紙ネーション,警察当局などによれば,若い男が演説予定の会場の,入場者受付テントの前でオートバイを降り,自爆したという.
テントは,3月にムシャラフ大統領から職務停止処分を受けたイフティカル・チャウダリー最高裁長官の演説予定会場で,長官を支援するPPP(パキスタン人民党)が設営したもの.
少なくとも16人死亡,50人負傷.死傷者の多くはPPP関係者だった.
内務省幹部は民放テレビ局に,「『赤いモスク(イスラム教礼拝所)』が制圧されたことへの報復の可能性を否定出来ない」と語った.
一方,法曹関係者は「長官暗殺を狙った国軍情報機関の犯行」と主張している.
警察当局は,党首のブット元首相は同地のモスク(イスラム礼拝所)「ラル・マスジッド」への軍の強行突入を全面的に支持していることから,同党を狙った過激派による犯行の可能性もあると見ている.
イスラマバードでは政府の武力鎮圧に反感を持つ過激派のテロを防ぐため,厳重な警戒体制が敷かれていたが,事件を防ぐことはできなかった.
現場に居合わせた弁護士の男性(26)は,「警察の警備は甘すぎる」と話した.
【参照ページ】
2007年7月18日10時26分,毎日新聞(栗田慎一)
2007年7月18日10時30分,読売新聞(佐藤昌宏)
2007年7月18日16時42分,産経新聞(佐藤貴生)
【質問】
ラル・マスジード自爆テロ事件とは?
【回答】
2007/7/27,イスラマバードの繁華街にあるアッパラ・マーケットで起こった,自爆テロと見られる事件.
テロは,同日再開された「ラル・マスジード(赤いモスク)」近くで,イスラム過激派とみられる群集と警官隊との衝突の最中に発生した.
爆発現場はマーケットの入り口にある警察の検問所.
目撃者によると,男が警官に近づいた直後に爆発が起きた.
この検問所は,ろう城事件のさなかに市民らがモスクへ近づかないようにするために設置されていた.
爆発は近くのレストランも破壊し,食事中の市民らも巻き込まれた.
AP通信によると警察官7人を含む13人が死亡,70人以上が負傷.
現場近くの病院職員によると,負傷者数十人が搬送されているとい
現場近くにあるラル・マスジードではこの日,事件後の修復が終わり,初めての金曜礼拝が予定されており,多くの人が足を運んだ.
しかし,再開されてまもなく過激派とみられる集団がモスクを占拠.
フランス通信(AFP)によれば,モスクを占拠した多くはラル・マスジードの元学生だという.
集団は政府が指名した新指導者を拒否,籠城事件で逮捕された指導者,マウラナ・アブドル・アジズ師の釈放を要求した模様.
しかしAP通信によれば,爆発があった後に警察がモスクを過激派から奪還し,約50人を逮捕.
また,モスク周辺では一部が警官隊と衝突,解散命令を無視したのを機に警官隊が催涙弾を発射,群衆が一気に暴徒化した.
事件後に改築されたモスクは薄いベージュに彩られていたが,群衆は「ムシャラフは犬だ.政権に死を」「殉教者の血に報復を」などと叫びながら,モスクの壁やドームをペンキなどで赤く塗り直し,聖戦の意思を示す黒い旗を掲げて抵抗した.
【参考ページ】
産経新聞,2007年7月28日8時0分
毎日新聞,2007年7月28日9時46分
◆◆◆◆◆ブット暗殺事件
【質問】
ベナジール・ブット暗殺事件とは?
【回答】
2007/12/27,イスラマバード郊外,ラワルピンディでパキスタン人民党の集会現場にて,同党総裁ベナジール・ブット元首相が立ち去ろうとした際に狙撃され,暗殺された事件.
ブットは病院に運ばれたが,18:16,まもなく死亡.
狙撃犯は直後に自爆し,その巻き添えで20人以上が死亡した.
ブットの直接の死因としては,胸と首を撃たれたためとする説明のほか,パキスタン内務省は,ブットが車内に逃げ込もうとした際にサンルーフの扉で頭を強打したことが死因との説明をしている.
イスラームでは埋葬遺体の掘り起こしはハラーム(タブー)であるため,再検死は困難.
【質問】
ベナジール・ブットとは?
【回答】
1953/6/21~2007/12/27
パキスタンの政治家.
パキスタン独立運動の中心人物の一人,ズルフィカール・アリー・ブットの娘.
1966~77年,ハーバード大学ラドクリフ・カレッジ,オクスフォード大学レディー・マーガレット・ホール校留学.
政治学・哲学・経済学修士.
1977年,オクスフォード卒業後に帰国するが,ハク陸軍参謀長のクーデターによる父親の監禁に伴い,彼女も自宅軟禁に.
1979年,ズルフィカール・ブット処刑.
1984年,英国渡航が許可され,亡命.
英国滞在のまま,PPP(パキスタン人民党)党首に就任.
1986年に帰国し,民主化回復運動の中心に.
1988/11/16 総選挙により,PPPは単独与党となり,ブットは首相就任.
ベナジールは,父親が指向してきた社会主義化路線を否定し,親米英路線の外交を展開.
1990/8/6,汚職告発により,イスマイル・カーン大統領から首相を解任される.
同年10月の選挙でPPPは敗北.
1993/10/19,選挙で勝利し,首相就任.
1996/11/5,汚職告発により,シャリフ大統領から首相を解任される.
1997年,ムシャラフ陸軍参謀長による無血クーデター.
1999年,有罪判決を受けて国外逃亡し,ドバイやロンドンで事実上の亡命生活を送る.
2002年の選挙では勝利するも,法的口実によって拘束さる.
2007年10月,ムシャラフ大統領との政権協議で汚職訴追が取り下げられ,帰国.
同月19日,カラチで自爆テロに遭遇し,支持者ら約140人が死亡.
2007/12/27,ラワルピンディでテロにより死亡.
首相在任中は,人気取りのため,自分の息のかかった人々を3年間で20万人も政府に雇用させたり,また,バラマキ政治を行ったという.
1996年にはパキスタンの税収はGDPの13%だったののに対し,政府支出はGDPの23%にものぼったという(『Far
Eastern Economic Review』 1996/12/12)
また,元CIAのミルト・ベアデンによれば,1989年3月のアフ【ガ】ーニスタン・ムジャヒッディーンによる無謀なジャララバード攻撃は,ブットの指示によるものだという.
さらに,ターリバーン育成・支援もブットは行っているが,後にターリバーンが過激原理主義色を強めるようになると,これと対立している.
ターリバーンの教条によれば,女性は指導者になってはならないからである.
なお,弟のムルサダ・ブットは,父親の社会主義路線の理念が継承されていないとして,ベナジールと親交を絶ったが,後に左翼ゲリラとして警察に殺害されている.
【関連リンク】
『運命の娘 ベナジル・ブット自伝』(ベナジル・ブット著,読売新聞社,1990.5)
【質問】
ブットを暗殺させた組織はどこか?
【回答】
ブット元首相暗殺事件については,まだその犯行主体を推定しているメディアがありません.
ブット首相の10月18日の暗殺未遂事件でさえ,カウンターテロリスムのフォーラム(CTBなど)に多くの評論や分析が出されましたが,犯行主体の結論は出ていません.
(以前に何回もあったムシャラフ暗殺計画についても同じようなものです)
メリーランド大学のカウンターテロリズム研究者の書いている10月のブット暗殺未遂事
件についての,かなり鋭くて,いくらか面白そうなブログ・エントリーがあって↓
The Bhutto Attacks
TheTerrorWonk Tuesday, October 23, 2007
ブット女史は政治的に多くの対立者があり,またタリバンやアルカイダにも敵対しているのだけれど,どういうテロ組織が反抗を行なったにせよ,それはパキスタンのISSとの関係を持っているはずだ,と書いています.
[quote]
However, many Pakistanis, including Bhutto
herself, believe that if the Islamists were
involved, they did so as cat’s paws for
Pakistani intelligence
[/quote]
ブット女史はこのとき敵対する3人を非難していて,
[quote]
Bhutto goes further and has stated that while she does not hold Pakistan’s President Pervez Musharraf responsible; there are three officials, whom she will
not name,・・・
1)former President Zia ul-Haq (who overthrew and executed her father)
2)retired General Ejaz Shah, the head of the Intelligence Bureau
3)Chaudhru Pervez Ellahi and Chaudhry Shujaat Hussain.
[/quote]
ついでに,パキスタンのIISやその関連勢力がブット女史に敵対する大きな理由のひとつは,ブット女史がA. Q. Khan博士へのIAEAの調査を許可するといっていて,カーン博士の内部事情が公になればパキスタンの軍部や諜報部で大いに困る人たちがいるからだとか.さらにカーン博士はイランの核開発計画について内部情報を知っている可能性が有り,これ又火薬庫のような話であると.
ANALYSIS-Bhutto death drives Pakistan into
"uncharted waters"
によれば,ロンドンのシンクタンク,アジアパシフィック財団のM.J.
Gohelは,ブット前首相の暗殺事件の犯人究明は大変困難だろうと述べています.
[quote]
"It's going to be very difficult to establish the truth of who was behind this,"
said M.J. Gohel, the executive director of the Asia-Pacific Foundation, a security and intelligence think-tank in London.
〔略〕
"As well as the Taliban and al Qaeda elements, there are many other candidates -- there are elements within the military and elements within the intelligence services, which never had a good relationship with Bhutto.
"There are of course political opponents as well -- she had a lot of enemies within Pakistan as everyone knows."
可能性としては,タリバンやアルカイダ勢力のほかに軍の一部や諜報機関の一部がブット前大統領に対立しているし,それに加えて政治的な対抗勢力もあって,彼女には多くの敵がいた.そのことは誰もが知っている.
[/quote]
ただし,アル・カーイダが犯行声明を出しているとの情報もあります.
Pakistan: Al-Qaeda claims Bhutto's death
(AKI)アルカイダが犯行声明
Karachi, 27 Dec. (AKI) - (by Syed Saleem Shahzad) - A spokesperson for the al-Qaeda terrorist network has claimed responsibility for the death on Thursday of former Pakistani prime minister Benazir Bhutto.
ブット前首相の暗殺事件に関してアルカイダの広報官が犯行を認める声明を出した.
“We terminated the most precious American asset which vowed to defeat [the] mujahadeen,” Al-Qaeda’s commander and main spokesperson Mustafa Abu Al-Yazid told Adnkronos International (AKI) in a phone call from an unknown location, speaking in faltering English. Al-Yazid is the main al-Qaeda commander in Afghanistan.
アルカイダの広報官Mustafa Abu Al-YazidはAKIに電話して「我々はムジャヒディーンの敗退を願うアメリカの最大の資産を殺戮した」と語った.
[/quote]
Al-Qaeda claims Bhutto killing By Syed Saleem Shahzad
(アジアタイムズ)アルカイダがブット元首相の暗殺の犯行を声明
暗殺事件の直後に,アフガニスタンのアルカイダ指揮官で広報官をかねるMustafa Abu al-Yazidは,アジアタイムズに電話で犯行を認める声明を送った.
「我々はムジャヒディーンの敗退を願うアメリカの,最も貴重な資産を殺戮した」
と述べた.
「これは我々の敵である,ムジャヒディーンとアルカイダへの戦争を宣言している欧米の異教徒に味方する,ブット元首相とムシャラフ大統領に対する最初の大きな勝利である」
Mustafa Abu al-Yazidによれば犯行グループは,パンジャブ地方の反シーア地下組織の武装派であるLashkar-i-Jhangviが,アルカイダの指令の下に行なった.
ブット元首相の暗殺は単独の事件ではなくアルカイダのより大きな計画の一部で,今月の初旬からその計画の存在が知られている.
12月6日にパキスタン諜報部は,武装派の指導者とローカルな宗教権威との電話を盗聴した.
そのなかでMaulana Asadullah Khalidiの名前があがり,彼は同日逮捕されている.
この捜索と逮捕に関連して非パキスタン人の武装派の高位指導者が逮捕され,その調査から「アメリカの貴重な資産を消し去る」計画が明らかになった.
この資産はブット元首相やムシャラフ大統領を含んでいる.
このアルカイダの計画はパキスタン全土の数百の細胞組織を動員するものといわれ,目標の追跡や連絡を行なって,殺人部隊を送り込む司令部に連絡する.
[...]
ブット元首相の暗殺事件はアルカイダの「アメリカの資産に対する戦争」の最初の事件であるに過ぎない.
アルカイダの計画が実行されるなら,パキスタンに更なる混乱と分裂が起こると予想される.
[/quote]
▼
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COUNCIL ON FOREIGN RELATIONS:'Almost Certainly Al Qaeda'
By By Bernard Gwertzman | Newsweek Web Exclusive Dec 27, 2007 | Updated: 2:43 p.m.
(ニューズウイーク)CFRの専門家:ブット暗殺は「ほぼ確実に」アルカイダの犯行
It was almost certainly the work of Al Qaeda or Al Qaeda's Pakistani allies. Al
Qaeda has been trying to kill Ms. Bhutto for decades. She has been the target of
assassination attempts by Al Qaeda before
この暗殺事件は,ほぼ確実にアルカイダかアルカイダのパキスタン分派の仕業であろう.
アルカイダは,過去数10年間,ブット前首相の暗殺を計画してきた.
彼女は前にもアルカイダの暗殺の標的になっている.
アルカイダの目的はパキスタンの不安定化である.
非宗教(世俗)政党の分裂や,軍の分裂を狙い,パキスタンがイスラミストによって政権掌握されることを願っている.
失敗した分裂国家ではアルカイダが成功する可能性が高いことを知っているからだ.
(後略)
――――――
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しかしこれも確定情報ではないようです.
以下引用.
U.S. Checking al Qaeda Claim of Killing Bhutto December 27, 2007 11:47 AM
(ABCニュース)アメリカ諜報部はブット暗殺がアルカイダの犯行との情報をチェック中
アルカイダのアフガニスタンの指揮官で広報官でもあるMustafa Abu al-Yazidがブット暗殺の犯行を認めたとの情報について,アメリカ諜報部はそれを確認していないがチェック中であるという.
一部情報によれば,アルカイダのブット暗殺の意思決定は,アルカイダのNo2であるAyman al Zawahriが10月に決めたという.
ブット前首相はアルカイダに強い批判を行い,ムシャラフ政権の対処が不十分としていた.
"She openly threatened al Qaeda, and she had American support," said ABC News consultant Richard Clarke, the former White House counterterrorism adviser.
"If al Qaeda could try to kill Musharraf twice, it could easily do this," he said.
ABCニュースのコンサルタントで前のホワイトハウスのカウンタテロリズム・アドバイザーであるRichard Clarkeは
「ブット前首相は公的にアルカイダを非難し,そのことでアメリカの支持を得ていた」という.
「アルカイダはムシャラフを2回暗殺未遂していて,こういう事件はお手の物だ」
[/quote]
▼ 【追記】
■ブット元首相暗殺にISIが関与?
23日のインドPTI通信は,パキスタン軍情報部所属の複数の将校(大佐・少佐級)とパキスタン情報機
関ISIが,2007年に発生したブット元首相暗殺に関与していた,とする関係者の話を伝えています.
おきらく軍事研究会,平成22年(2010年)12月27日(月)
▲
【質問】
イスラーム過激原理主義者には,ブットを暗殺してもメリットはないのではないか?
【回答】
Assassination in Pakistan Friday, December
28, 2007; Page A20
(ワシントンポスト社説)パキスタンの暗殺事件
という記事によれば,むしろイスラーム過激派が最もこの事件の便益を得る事は確かだという.
なぜならば,ブット女史はパキスタン国内で世俗的(非宗教的)民主主義の最も強力な提唱者であり,彼女はイスラム武装派と対峙し,ムシャラフ軍事政権の独裁を批判する勇気を持ちあわせていたからだという.
1月8日に予定されたパキスタンの総選挙では,彼女の指導する穏健派が破綻した政治システムに民主的な勢力を与え,過激派を抑えることが期待されていた,と同紙は述べる.
彼女の悲劇的な死は政治的混乱と暴力に道を開きアルカイダとタリバンを活性化しかねず,ムシャラフ大統領とパキスタンに残る穏健派勢力が賢明に,素早く動くことが必要であるという.
以下引用.
[quote]
暗殺事件の捜査と犯人検挙は最優先の課題であろう.
充分な,また信頼の置ける事件の解明が無ければ,陰謀論が吹き荒れて,ムシャラフ大統領や軍部への非難が高まる可能性がある.
そうした事態はイスラミストを更に利するだけである.
FBIは以前にパキスタン政府に協力して成功した事例があり,ブット女史は以前の暗殺未遂の捜査にFBIの協力を求めていた.
〔略〕
ムシャラフ大統領は,軍政を復活させることを控えるべきであって,もしそれを行なうならパキスタンの市民社会やメディアを敵に回し,アルカイダの抑止に対しては殆ど役に立たない.
〔略〕
1月8日の総選挙の維持は最善のコースである.
過激派の暴力に対抗するためにも,パキスタンの有権者の多数派が中道勢力の勝利を上げる必要がある.
[/quote]
【質問】
暗殺事件当時,ブット元首相の警備は充分と言えたか?
【回答】
2010.4.15に出された,国連の独立調査委員会の報告書によれば,不充分であり,適切な警備があれば暗殺は防げたという.
同報告書は,警備の責任は当時のムシャラフ政権や地元警察にあるとし,いずれも
「ブット氏の差し迫った危険を知りながら,必要な措置を取らなかった」
と指摘している.
なお,同報告書は,警察が事件捜査を十分行わなかったことについても,
「意図的だと考える」とし,調査がパキスタンの情報機関などに妨害されたことも明らかにしている.
【参考ページ】
2010/04/16,時事通信
【質問】
ブット暗殺事件に対する各国の反応は?
【回答】
●インド
パキスタンの政情不安を懸念するとの声明を発表.
●英国
外務省がミリバンド外務大臣の声明を書面で発表している.
「私は,ラワルピンディでブット元首相が暗殺され,少なくとも15人の人が殺害されたニュースに接し,ひどくショックを受けている.
ブット元首相は,自分の身に危険が迫っていることを知っていたが,パキスタンが自分を必要としていると確信しており,来年一月におこなわれる選挙のための活動をしていた」
●米国
国務省のReside報道官はブット暗殺について,ブット暗殺は,政治的和解と民主主義を狂わせようとする過激派がパキスタンに未だ存在していることを示している,と述べている.
●ロシア
外務省がブット暗殺を強く非難.
パキスタン当局が選挙期間中に,国の安定を十分図るよう要請した.
【質問】
ブット暗殺後,どのような暴動が起こったか?
【回答】
2007年12月27日付,ブルームバーグによれば,同元首相の支持者による抗議の暴動が,南部シンドゥ地方を中心に広がっており,通りではタイヤが燃やされ,商店が放火されたほか,ハイデラバードや,ブット元首相の故郷であるラルカナでは警察署が襲撃されたという.
▼ 12.28には,殺害に怒って暴徒化した住民らの放火や略奪が,全土に拡大した.
特に元首相の出身地シンド州を抱える南部の治安が急速に悪化,治安部隊が暴徒に発砲した地域もあった.
ロイター通信などによると,シンド州では数百台の車や多数の店舗が放火され,暴徒が反ムシャラフのスローガンを叫んだ.
同じく南部のハイデラバードでは銀行25カ所,車両100台が放火され,治安部隊が発砲して5人が負傷した.
中部ムルタンでは約7000人が銀行7カ所を襲撃,警察署にも投石するなどしたため,警官隊が催涙弾を発射して応戦した.
このほか南部カラチや首都イスラマバードでも銀行などへの襲撃,放火騒ぎがあり,各地で19人が死亡したもようだ.
(12月28日22時55分,産経新聞(バンコク=菅沢崇))▲
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