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「神保町系オタオタ日記」■(2011-09-20)『写真週報』と財団法人日本写真公社
「ダイヤモンド・オンライン」◆(2012/04/24)【「超」入門 失敗の本質――日本軍と現代日本に共通する23の組織的ジレンマ】日本軍の失敗から何を学ぶのか? 今後の日本を勝利に導く「3つの戦略」
「電子書籍 名言まとめ」◆ 日本軍と日本兵 米軍報告書は語る 講談社現代新書
「日経ビジネス・オンライン」◆(2015/01/19) 政党は善玉、軍部は悪玉――は間違い 政党政治を自ら壊した政友会と民政党(森永輔)
「まめ速」◆(2010/09/06)祖父の第二次大戦中の写真を淡々と貼る
「ワレYouTube発見セリ」:The Imperial Japanese Army & Navy 1937-1942
「ワレYouTube発見セリ」:WW2 Empire of Japan & Imperial Japanese Army
『虚構戦記研究読本』(北村賢志著,光文社,1999.8)
如月氏よりも遙かに勉強して書いているし,論理にも破綻が見られない,優れた本です.
「戦術・作戦篇」「兵器・戦略篇」の二つに別れており,
「真珠湾を反復攻撃していたら」
「ミッドゥー島やハワイなどの攻略を行っていたら」
「艦隊決戦を行っていたら」
「被弾した空母を曳航していたら」
「持久戦でアメリカの戦意が衰えるのを待っていたら」
「ドイツと共同でソ連をせめていたら」
「中国戦線から撤兵していたら」
など,架空戦記に出てくるたいていのイフが検討されています.
「全部失敗するか,一時しのぎにすぎない」
「そんなことができるような軍隊なら,最初から太平洋戦争は起こらなかった」
という,あまりにも夢のない結論ですが,一読をおすすめします.
―――ペンネームC in 軍事板
・ハワイからレイテまでの海戦ごとの戦術
・真珠湾攻撃未実施など戦略
・陸海空の兵器開発,配備
これらについて,if戦記でよくある内容を,研究というよりも批判する本.
「どれもなるべくしてなったもので,『もしも』の余地は無い」
という著者のメッセージを感じます.
真珠湾の守備戦力,レイテ突入前後の栗田艦隊の弾薬状況,戦車開発時の船舶の起重機能力,対戦車兵器の徹甲弾の質,日本の鉄鋼生産力など,中には具体的な数字が無いものもありますが,何故それができなかったかを,考証の上で指摘されています.
if戦記が現実にも可能だったと考える人に読んでいただきたい本です.
ただ,日本の最良の対戦車車両が,九七式戦車の車体に海軍の12cmを積んだ自走砲,とあるなど, 一部,「?」と思うところもあり.
――――――屠瘤煮壱 in 「軍事板常見問題 mixi別館」,2010年11月22日 10:25
『軍備拡張の近代史』(山田朗著,吉川弘文館,1997.6)
比較的面白い(眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板)
『ジパング』(かわぐちかいじ著,講談社,2001.1~)
今さらになって全巻読破した.
このスレッドで時々,クラウゼヴィッツの戦争論について質問があったりするのは,このマンガの参考文献になってるからなのかな?と思ったり.
関係ないですかそうですか.
石原莞爾もちょっとブームだったし,米内光政も.
マンガの参考文献で,あれだけ列記してあるのは珍しいと思った.
――――――軍事板,2010/02/11(木)
青文字:加筆改修部分
『組織は合理的に失敗する 日本陸軍に学ぶ不条理のメカニズム』(菊澤研宗著,日本経済新聞出版社(文庫),2009.9)
一見,普通のビジネス書ですが,
「取引コスト理論」
「エージェンシー理論」
「所有権理論」
といった新制度派経済学の観点から,旧日本軍の失敗原因を解析しつつ,現代企業組織の問題点を考察するものです.
旧軍に対する後世の判断では,どう考えても【非合理的】ですが,当時の組織内ではそれを【合理的】と考えていた部分もあり…
なぜ,そのような不整合が起きるのか?を研究考察したの本.
著者は慶応大学の教授や,NY大学スターン経営大学院の客員研究員やってましたが,防大で社会科学の教授もやってたりします.
なお,本書を読む前に「失敗の本質」を読んでおくと大吉.
(「失敗の本質」にインスパイアされて書いたらしいので)
また,「失敗の本質」を読んで,
「でも,どうしてここまでの非合理がまかり通っちゃったんだろう?」
という疑問をもった人にお勧め.
もう2年前に読んだ本ですが,そういえばココで紹介された事ないなぁと・・・
------------Lans ◆xHvvunznRc :軍事板,2012/01/24(火)
青文字:加筆改修部分
『南洋“アニマル戦線”異状なし』(「丸」編,光人社NF文庫,2012.5)
斜め読み完了.
表題作のほか,
「私はバンドン一番乗りの一匹狼だった」(蘭印作戦に参加した中野学校出身者の話)
「海軍傑作機造り よもやま話」(海軍機の製造に関わった技師の話)
「恐怖の航跡」(軍属として徴用され,南方に向かう途中で乗ってた輸送船が撃沈された郵便局の電信係の話)
「特攻学徒アムールに生きる」(満州の飛行隊で終戦を迎えた搭乗員の話)
を収録.
表題作は戦記というより,蛇を捕まえたり(後で食べさせられたり),虎を撃ったり(後で食べた),猪撃ったり,と戦記というより狩猟記録みたいだ(笑).
------------グンジ in mixi,2012年05月02日23:53
『日本ロボット戦争記 1939~1945』(井上晴樹編,NTT出版,2007.8)
この本は縦糸が日本の歴史になっていて,1939年から1945年に至るまで,その日本が辿った歴史の中に,横糸として,ロボット及びそれに類するものの発達史を織り込んだものです.
これは海野十三の様な空想作家の作品や,田河水泡の様な漫画のみならず,ロボット,あるいはロボット的なものを扱っている広告に至るまで収集しており,自動で何かを為す,軍事兵器,例えば高射算定具,魚雷,豆潜水艇,無人戦車なども扱っています.
また,他国が開発した自動化装置が日本に与えた影響も取上げています.
ドイツのV1やフリッツXなんかは日本に衝撃を与え,新聞も含め,各種出版物に取上げられていますが,意外にもV2は余り熱狂的に取上げられていません.
米国で開発されていたロボット,例えばWestinghouseが開発していたエレクトロとスパーコ,テレヴォックスなどについては,一定の注目をしていましたが,毎年改良が加えられるこれら米国のロボットに対する脅威が強調されただけで,日本で対抗してこうしたものを作る動きはありませんでした.
結局は例によって,「みんなビンボが悪いんや」に落ち着く訳.
ですが,日本の科学政策の状況について,中谷宇吉郎は『日本の科學』(1940)の序文で次のように述べています.(仮名遣いは改めた)
――――――
第一に,日本に於ける科学の研究の現在の状態を見てみましょう.
先ず結論を言いますと,残念ながら,我が国の科学はまだまだ世界の科学界の水準には達していないのです.
よく新聞や雑誌などに,日本の科学は既に世界の第一流の科学国の水準に足したという事が書いてあり,又政府の要路の偉い方々の中にもそういう風に信じて,
「日本の科学はもう世界のどの国にも負けない」
と言っておられる人もあります.
特に新聞には,世界的の大発見という記事が,殆ど毎月一つ位は出ます.
しかしよく考えてみますと,こういうことが盛んに言われるということ自身が,未だ未だ日本の科学界が世界の水準に達していない証徴だともいえるのです.
子供は良く,もう大人位に強くなったと言いますが,大人はそう言う事は言いません.
――――――
また,1940年に「五次元の場の理論」を発表した渡邊慧は,『日本の科学の為に』(1941)で次のように批判しています.
――――――
余は右の如き様相を見て,科学振興の根本義には同感しつつも現時の科学振興運動の軽薄さに悪寒を感ぜざるを得ないのである.
(中略)
苟も,一国の永年の科学振興を期するならば,現在の如き安易な科学振興論を以てしては,断固として目的は達せられないであろう.
(中略)
日刊新聞や娯楽雑誌に像の平均寿命や一糎の水の原子の数を書いたとて何の役に立つものぞ.
婦人や小児に太陽系の年齢を教え,原子核の分裂を説明したりとしても如何の価値があらん.
科学は知識には非ず,創造である.
科学の真の振興に益のあるのは,一般人や小児が科学の雑知識を持つ事ではない.
――――――
因みに,政府が科学技術新体制確立要綱を閣議決定したのは,1941年5月です.
ところが成案作成は,企画院で1940年9月に既に出来上がっており,半年以上も店ざらしでした.
そして,技術院が開庁したのは1942年1月…orz.
また,今次戦争は科学戦と言う認識で,「科学技術動員総合方策確立に関する件」を1943年10月1日に閣議決定します.
これは研究動員会議を設け,戦時研究員を任命する事で,10月14日に官制公布されますが,戦時研究員規程と戦時研究員服務心得が発表されたのは,1944年1月28日,第一次戦時研究員66名が選抜され,任命されたのは3月24日でした.
更に,7月10日に「科学技術者動員計画設定要綱」を政府は決定しますが,科学技術者動員協議会が新設されたのは,1945年1月20日と,まぁ,一事が万事こんな感じです.
1944年の八木秀次と藤原咲平との毎日紙上での新春対談で,八木秀次はこう述べています.
――――――
金平糖は御存知のようにどの角も皆同じ様でないといけない,一つだけ非常に大きく飛び出している物は出来損ないの金平糖でモノにならない,非常に中庸を尊ぶ訳ですね,その中の一つだけすうっと延びるという事は金平糖に置いては許されない,素晴らしく特色のあるものは出てこないのです.
どうしてこんなにわれわれは中庸を尊ぶようになったか,考えてみますと全国民が論語の影響に依ったなどとは考えられない,国土が狭い上に貧乏暮らしが続き,長い封建時代,鎖国時代があった,こうした小さな社会はどうしたら最も平和を維持する事が出来るかというと,ずば抜けた分子,譬優れたものでも一般より水準を超している者,もっとはっきり申しますと平凡成らざる者,どんな形にしろ異色ある者は平和を乱す要素を持つ者として警戒すべき存在だったのでしょう.
「出る杭は打たれる」という諺があるが,味の深い諺ですね,十人並,普通である事が最も好ましい事であった.
――――――
今でも,悲しい事ですが文教政策はこうした動きが続いていますね.
更に現在ではこんな人も増えています.
米国の社会学者ルイス・ヤブロンスキーの『ロボット症人間』から.
――――――
機械が人々の運命を決定するという事は,,明らかに重大問題である.
しかし,それ以上に重大であり乍ら目立たずに害毒を流している問題がある.
それは人間性喪失の問題である.
その喪失の度合いが酷くなると,ついには人間は生ける屍となる.
其処まで行くと,人々は無意味な他人の書いた台詞を口にするだけの役者となり,予めプログラミングされた感情以外には,他人に対する思いやりも同情も持たない存在になってしまう.
斯ういう状態に置かれた人々を,ロボット症人間という.
こうした人々は,人間として存在し得ているのか否かという根本に関わる病気にかかっているのである.
ロボット症人間の横行する社会には暴力行為が異常な程発生し,其の極点である戦争は日常茶飯事となり,闘争が社会に充満する.
――――――
ロボット症人間の定義は,「ロボットの様な行為をし,ロボットのような存在に成ってしまった人々」で,「自己中心的で,しかも人間らしい感情の欠片も持ち合わせていない絡繰人形に過ぎない」.
ロボットとの違いは,「ロボットは,機械で出来た人間の模造品である」が,「ロボット症人間は,?apekの書き著した様な,ロボットと反対に,寧ろ機械を模して出来た人間」であり,「彼らの実在其の物が,人間ではない」としていました.
ロボット症人間の特徴は以下の8つが挙げられます.
●振る舞いが規則に沿い,儀式張っている事
●過去への回帰志向が強い事
●画一的であり,画一化を美徳としている事
●周囲に過度に同調的で自己の考えはなく,規程や規則に従って意思決定をし行為を為している事
●人間としての心情や人間らしい価値観を持っていない事
●他者に対して常に敵意を持っている事
●行為が同調行動への追随でしか無く,非常に独善性が強い事
●外部で定められた規則に隷属している為,自我に自己規律が欠けて常に疎外感を持っている事
さて,あなたは,そして貴方の周りにこんな人はいませんか?
――――――眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年12月01日21:39
【質問】
大本営に関してですが,小磯内閣時の1944(昭和19)年8月5日に「最高戦争指導会議」と改称し,それに伴い権限の拡充が行われたと言う所までは分かったのですが,具体的にどの様な権限拡充が行われたのかまでは分かりませんでした.
・どの様な権限拡充が行われたのでありましょうか?
・なぜ,わざわざ名称まで変えたのでしょうか?
名称は大本営のまま権限拡充が行われなかったのは何か理由があるのでしょうか?
【回答】
1943年9月30日の御前会議で,戦争指導の大綱が決定しますが,軍政府と行政府との齟齬で,その実現が余り上手くいっていないこと,また,大本営だけでは,殊軍事だけの視点でものを見がちで,外交面はともすれば等閑にされてしまっていること,でもって,外交面で言うと,大東亜共栄圏の諸国が今後独立を達成するに当たって,彼らの協力を得るため,また,独ソ戦などでのドイツの勢いが落ちてきたことなどから,今後の戦争指導には外務省(大東亜省)の助力が必要なこと,などが理由となり設置されました.
また,軍需生産が軍需省に一元管理されて,軍政と切り離されたことによって,調整の場が必要になったこともあります.
眠い人 ◆gQikaJHtf2
【質問】
天皇は戦局に無知だったの?
【回答】
戦局に無知だったなんてとんでもない.
軍部が天皇に優勢だとデマを吹き込んでいたというのもね.日本で最も戦況を熟知していたのは天皇だ,と言われているくらい.
「今回の損害(注:ミッドウェー)は誠に残念であるが,これにより士気の沮喪を来さざる様に注意せよ.
尚,今後の作戦が消極退嬰とならざる様にせよ」
(昭和17年6月6日,永野軍令部総長に)
「次々に起こった戦況から見て,今度の戦争の前途は決して明るいものとは思われない.
統帥部は陸海軍いずれも,必勝の信念を持って戦い抜くと申して居るけれど,ミッドウェーで失った航空勢力を回復することは果たして出来得るや否や,頗る難しいと思われる.
もし制空権を敵方にとられる様になった暁には,かの広大な地域に展開している戦線を維持するということも難しくなり,随所に破綻を生ずることになるのではないかと思われるが,木戸はどう思うか」
(昭和18年3月30日,木戸内大臣に)
「今度の如き戦況(注:アッツ島玉砕)の出現は,前から見透しがついていたはずである.
然るに五月十二日に敵が上陸してから,一週間かかって対応措置が講ぜられ,濃霧のことなど云々していたが,霧のことなどは前もって解っていたはずである」
「陸海軍の間に,本当の肚を打開けた話し合いが出来ているのであろうか.
一方が元気に要求し,一方が無責任に引き受けているという結果ではなかろうか.
約束をして置きながら実行の出来ないことは,約束をしないよりも悪い.
こんな戦をしては,ガダルカナル同様,敵の士気を上げ,中立・第三国は動揺し,支那は調子に乗り,大東亜圏内の諸国に及ぼす影響は甚大である.
何とかして何処かの正面で,米軍を叩きつけることは出来ぬか」
(昭和18年6月8日,蓮沼侍従武官長に)
「報告無きはうまくいかぬのではないか.
攻撃失敗せり(注:インパール作戦)というが,壊滅的打撃を受けたのではないか.
度々失敗してくれては困るがね.」
(昭和19年4月14日,尾形侍従武官に)
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
昭和の旧日本軍への文民統制は行われていたの?
【回答】
現役の将校が陸海大臣をしていたことを見てもNOだと思う.
しかし,戦前の天皇は基本的には「君臨せど統治せず」であった.
軍権についても戦後思われているほど神聖不可侵というわけではなかった,現に大正時代には大規模な軍縮も行われた.
それが昭和に入り,軍縮条約に反対な海軍が憲法を持ち出し,統帥権の不可侵を訴え,それに野党の政友会が乗って政権転覆を図った.
それを見ていた陸軍が以後,統帥権を武器にして自分たちに都合の良いよう政権をコントロールした.
要するに,ガキどもがゲームをしていたと.
その内の目端の利く奴が,ルールの抜け穴を見つけて,勝利したと.
誰もがズルイと思ってて,非難はする.
ところが,次のゲームでは,別のガキもルールを尊重しようとしない.
もっとあざとく抜け穴を突き,勝利を収める.
これと変わらんわけですな.
天皇を誰より機関扱いしていたのは当の青年将校な訳で,で,他の連中が機関扱いしようとすると,
「貴様,神聖不可侵のお上を機関扱いするとは何事だ!!」とやったわけ.
ちなみに,憲法施行時から統帥権に問題があることは分かっていたらしいが,明治・大正の軍人はそれを利用しようとは思わなかった.
彼らは,陸軍だ海軍だ以上に日本というものがあることを理解していた.
目の前にロシアという強大な敵があり仲間割れしている場合ではないことが分かっていた.
結局,昭和の軍人との差はそこなんだな~.
【質問】
戦前の日本の軍事費の,国家予算に占める割合は?
【回答】
1887年 28.3%
88 28%
89 29.6%
1890 31.3%
91 28.3%
92 31.0%
93 27.0% 文武官俸給10分の1削減,建艦費に転用
94 69.2% 日清戦争
95 65.2% 日清戦争
96 43.5% 海軍拡張10年計画成立
97 49.2%
98 51.5%
99 45.0%
1900 45.5% 北清事変
1 38.4%
2 29.6% 日英同盟締結
3 47.6% 海軍第二次拡張10年計画成立
4 81.8% 日露戦争
5 82.3% 日露戦争
6 54.3%
7 34.8%
8 33.5%
9 32.9%
1910 32.2% 朝鮮併合
11 34.7%
12 33.6%
13 33.4%
14 49.2% 第一次世界大戦勃発
15 39.7%
16年 42.8%
17 44.8% 海軍八四艦隊予算成立
18 58.0% シベリア出兵,海軍八六艦隊予算成立
19 65.0%
1920 46.8% 海軍八八艦隊予算成立
21 41.9% 日英同盟破棄
22 45.5% ワシントン海軍軍縮条約成立
23 34.1%
24 30.0%
25 29.3% 宇垣軍縮
26 27.7%
27 28.0%
28 28.5%
29 27.1%
1930 28.5% ロンドン海軍軍縮条約成立
31 31.2% 満州事変
32 35.9%
33 37.9% 国際連盟脱退
34 44.0%
35 46.1%
36 47.7% 海軍軍縮条約失効
37 69.0% 日華事変
38 76.8%
39 73.4% ノモンハン事変
1940 72.5%
41 75.7% 太平洋戦争勃発
42 77.0%
43 78.5%
44 85.5%
45 44.8%
以上「新訂 世界の国防制度」より引用しました.
大正初期~昭和初期の一般会計歳出及び軍事費
年 | 一般会計歳出額 | 一般会計軍事費 | 歳出額に 占める 軍事費の 割合(%) |
年 | 一般会計歳出額 | 一般会計軍事費 | 割合(%) |
1915(大正 4) | 583,269 | 182,168 | 31.2 | 1926(昭和 1) | 1,578,826 | 434,248 | 27.5 |
1916(大正 5) | 590,795 | 211,438 | 35.8 | 1927(昭和 2) | 1,765,723 | 491,639 | 27.8 |
1917(大正 6) | 735,024 | 285,871 | 38.9 | 1928(昭和 3) | 1,814,855 | 517,237 | 28.5 |
1918(大正 7) | 1,017,035 | 367,985 | 36.2 | 1929(昭和 4) | 1,736,317 | 494,920 | 28.5 |
1919(大正 8) | 1,172,328 | 536,687 | 45.8 | 1930(昭和 5) | 1,557,863 | 442,859 | 28.4 |
1920(大正 9) | 1,359,978 | 649,758 | 47.8 | 1931(昭和 6) | 1,476,875 | 454,616 | 30.8 |
1921(大正10) | 1,489,855 | 730,568 | 49.0 | 1932(昭和 7) | 1,950,140 | 686,384 | 35.2 |
1922(大正11) | 1,429,689 | 604,801 | 42.3 | 1933(昭和 8) | 2,254,662 | 872,620 | 38.7 |
1923(大正12) | 1,521,050 | 499,071 | 32.8 | 1934(昭和 9) | 2,163,003 | 941,881 | 43.6 |
1924(大正13) | 1,625,024 | 455,192 | 28.0 | 1935(昭和10) | 2,206,477 | 1,032,936 | 46.8 |
1925(大正14) | 1,524,988 | 443,808 | 29.1 | 1936(昭和11) | 2,282,175 | 1,078,169 | 47.2 |
単位は千円
山田朗著『軍備拡張の近代史』(吉川弘文館,1997.6)
【質問】
戦前・戦中の臨時軍事費特別会計の内訳がどうなっていたか,教えてください.
【回答】
臨時軍事費特別会計の1943年度予算は以下の通りです.
公債金:17,163,802千円
借入金: 3,300,000千円
他会計よりの繰り入れ:4,916,203千円
(一般会計:4,336,469千円
関東局:71,799千円
通信事業:64,000千円
帝国鉄道;116,000千円
朝鮮総督府:203,058千円
台湾総督府:102,703千円
樺太庁:22,173千円)
北支事変特別税:290千円
軍事費献納:18,809千円
物品払い下げ代金他雑収入:1,600,894千円
歳入合計:27,000,000千円
これに対する歳出項目は,陸軍関係で
部隊の派遣維持,
時局応急の兵備改善,
作戦資材の応急整備,
航空要員急速補充,
造兵設備増強,
占領鉄道の管理改良
等が挙げられ,海軍関係は,
艦船部隊の派遣維持,
艦船航空兵力および軍需品の急速充実,
工作通信補給,
各種施設の急速整備
などに関する諸経費並びに,南方物資の取得に関する経費があります.
残念ながら,金額までは不明でした.
1937~1945年のトータルならば,支出は以下の通りです.(単位は百万円)
陸軍 海軍
人件費: 9,370 俸給賞与:4,519
物件費:60,872 庁 費: 133
機密費: 756 雑給雑費: 972
一時賜金: 240 衣料費:
4,738
臨時家族手当:105 軍港要港費: 291
俘虜収容費: 119 艦営費: 390
軍政費: 114 水路費: 3,646
物資購入特別諸費: 4,664 造船造兵修理費: 32,454
研究費: 282
受託造修費: 136
船舶費: 1,377
営繕費: 11,721
臨時特別給与品費: 270
物資特別購入諸費:1,853
艦艇製造費: 2,214
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/03/14
青文字:加筆改修部分
【質問】
戦前は陸軍省と海軍省とで分かれていたけど,このことによるメリット,デメリットは何ですか?
また,なぜ兵部省は陸軍省,海軍省に分かれたのですか?
【回答】
まず,分かれた経緯については別項参照.
そのメリットは「専門化」
当然,陸海軍では装備も違えば,人員の訓練体系も異なる.
軍政を司る部署がそれぞれの専門的所見に従い,装備計画,人員計画やそれらの背後に必要な財政計画などを策定し,運用した方が良好な結果が期待できる.
陸海軍の組織がそれぞれ巨大化すれば,統一された部署で統制することも難しくなるわけで,兵部省が分割されたのも,近代化を効率的に推進するためだった.
だが,なかなかそう上手くいくもんじゃない.
デメリットは「不能率」と不要の「政治化」
上述の「専門化」のメリットはあるとしても,国防体系は陸軍だけ,海軍だけで成り立っているわけではない.
総合的な見地で上位に立ってこれを取りまとめる者がいないと,要らぬ不能率を起こすことがある.
戦前の日本の場合は,ライセンスの二重払いだとか,陸軍が海軍同様の船舶装備を持つだとか,そういう問題が多々あった.
しかも,政戦略レベルでの不統一も引き起こした.
北進-南進の方針がまとまりが付かず,陸軍はロシア-ソ連を仮想敵国とし,中国を主戦場として予算を要求し,海軍はアメリカを仮想敵国として,太平洋上を主戦場として予算を要求する.
どっちつかずの悪循環が生じた.
その上,お互い自分の組織を守ろうとした挙句に,軍部の言い分を政治的に通そうする.陸海軍がそれぞれで.
戦前の日本の場合は,閣議が全会一致制で,重要案件の閣議不一致となれば,内閣が倒れることさえある.
陸軍大臣なり,海軍大臣なりが,閣議不一致を匂わせたら,文民の内閣にはどうしようもない.
軍事板,2005/11/14(月)
青文字:加筆改修部分
【質問】
第二次世界大戦時の日本の陸軍と海軍の仲が悪いとは良く聞きますが,それがどれくらい現実に影響していたんでしょうか?
個人的にはどこの国でも多かれ少なかれあることで,特に日本の場合,陸軍と海軍が別々の国を師匠としていたそうなので,仕方ないことだと思っているのですが.
【回答】
・ライセンスの二重払い@Daimler-Benz&Lorraine
・貧弱なインフラ,資本での二重投資@中島,三菱のエンジン工場,機体工場
・陸軍が大型船やら潜水艦なんかを造る.
(これには,「指揮系統の違いに起因するものであって,不仲に起因するわけではない」という意見もあるが,陸軍潜水艦は当初海軍には秘密とされていたことを考えると,少なくとも仲良い組織のすることじゃない)
ただでさえ,貧弱な資源と資本を二重に出すほど非効率なものはなし.
しかも,陸海の生産現場での技術交流は殆どないし.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2004/08/01
青文字:加筆改修部分
かなりの分野で基礎技術の研究分野まで縦割りだったと思うのですけど,日本陸海軍の兵器開発は.
海軍の艦政本部や空技廠と陸軍の造兵廠の研究部門では,やってる事がかなり重複するし,殖産政策で民間企業が育ってる分野でも,内部では陸軍担当と海軍担当に分かれて全く交流が無かったって話を,良く聞きます.
昭和18年に「これじゃいかん」って事で「陸海軍技術運用委員会」が発足.
陸と海の大臣が交互に委員長になってパイプ通しをしたんですけど(少しは気にしてたのね^^;),ただ「成果上がらず」って評価なのですよ,これが.
しかも18年になってから.
おまけに肝心の航空技術が,この委員会の研究テーマからは外れているんです.
もうちっとなんとかならんかなぁ・・・って今さらながら思います.
【反論 kifogás】
・陸軍が大型船やら潜水艦なんかを造る.
は陸海軍の不仲の証拠でも何でもない.
陸軍が作ったのは輸送潜水艦.
海軍が潜水艦での物資輸送に不熱心だったためのやむを得ない措置.
用兵思想の違いから,陸軍の求めているものが必ずしも空軍・海軍によって満足に叶えられるものではないということは,旧軍に限らずどこの軍隊でもあること.
米海兵隊が航空隊を持っているのがいい例だろ?
海兵隊の地上部隊を空軍がちゃんと支援してくれるなら,海兵隊機なんか必要ない.
もし用兵思想の違いが両軍の間で支障を来さないというのなら,空母艦載機だって空軍機で十分.
そして輸送潜水艦を海軍に依頼すれば造ってもらえるかと言えば,これも疑問だ.
だったら自前で造るしかないじゃないか.
松原茂夫の「陸軍船舶戦争」だったと思うんだが,著者はこう書いてる.
「陸軍が潜水艦を造ったことを愚行呼ばわりするヤツがいるけど,じゃあ当時海軍に輸送をお任せできたのかよゴルァ!」
ってね.
海軍が用兵思想を艦隊決戦に置き続けている限り,陸軍は海軍の輸送に頼るには心もとない状況にあったことは,容易に理解できるはずだ.
したがって旧軍が空母(正確には空母じゃないけど)や潜水艦を持つことになったのも,不仲だからじゃない.
単なる用兵思想の違い.
その辺を統一したけりゃ,陸海軍の上に国防総省でも作って,そこで意見調整するしかなかっただろう.
軍事板はいたずらに旧軍をクサす傾向があるので,一応疑ってかかったほうがいい.
そうでないというなら,不仲ゆえに潜水艦作ったってソース出せよ.
軍オタはソースが好きなんだろ?
皇軍をけなして満足してるおまえらこそ立派にサヨクだよ.
戦後民主主義に洗脳されてるよ.
【再反論 Surrebuttal】
陸軍潜水艦は当初海軍には秘密とされていた・・・
少なくとも仲良い組織のすることじゃありませぬな.
海軍は不熱心というより,余裕がなかった.
ってか,ハッキリ言って海軍の潜水艦は攻撃用潜水艦だから,輸送任務には余り向いてないのよ(伊300番台を除く)
困った陸軍は,海軍に内緒で輸送潜水艦を建造した.
結局海軍にはバレちゃったけど,海軍は別に文句も言わなかったし,逆に協力的でもあった.
だからといって,陸海軍が大の仲良しだったかと言えば,そうでもない.
用兵思想が違うからといって,ただでさえ少ない物資を使って,輸送用潜水艦なんて作っちゃうことを,「やむを得ない措置」で片付けちゃうのはどうかと思う.
何でもかんでも欲しがったって買ってもらえる訳じゃない.
それができるのは,海兵隊ですら自前の戦闘機を持ってる,金持ちは何やっても許されるって思ってるかのようなWW2アメリカ軍だけだ.
まあ,反論者はちょっと被害妄想入ってるな.
こういう,いたずらに相手を罵倒するような手合いは,相手にしないほうが賢明.
222 名前:名無し三等兵 :04/08/01 23:30 ID:???
マルゆの話からいつのまにか日本人の誇りの話までスッ飛んでるのにワロタ.
223 名前:名無し三等兵 :04/08/01 23:32 ID:???
本人はコヴァ板を代表して軍事板に喧嘩売ってる気分なんだろうな(苦笑)
あっちの板でも持て余されてるんじゃない?
227 名前:名無し三等兵 :04/08/01 23:36 ID:???
コヴァ板の存在理由が良く分かった.
ハングル板どころじゃないな.
軍事板,2004/08/01
青文字:加筆改修部分
【質問】
旧陸海軍は,なんでそんなに仲が悪かったんでしょうか?
いくらなんでも仲が悪すぎのような気がするんですが.
【回答】
仲が悪いのは,限られた予算を取り合うライバルだったからです.
古今東西,省庁間の仲,また省内の部局間の仲ってのは悪いものです.
アメリカ軍にしても,陸海軍の仲は蜜月って訳ではありませんでした.
陸軍は兵隊さん多く集めて食わせにゃいかんし,海軍はいい船多く造らにゃいかんし.
2.26事件の際は,皇軍相撃つ可能性もあったそうです.
もちろん海軍の中にも,陸軍反乱兵に共感する連中もあったようですが,大方としては反対でした.
軍事板,2001/06/13(水)
鷂 ◆Kr61cmWkkQ :軍事板,2004/08/01(黄文字部分)
青文字:加筆改修部分
だいたい,今でも縦割り行政でしょ.
軍人も役人だからね.
軍事板,2004/08/01
青文字:加筆改修部分
【質問】
日本の陸軍と海軍の仲は,なぜに用語の統一を嫌がるほどになったのですか?
【回答】
「用語」と言われても広範囲に渡り,「零式vs百式」程度のたわいないものから「動員vs出師準備」みたいな意思疎通不能のものまで様々ですが….
機器や物資の呼称が陸海軍で食い違う原因の一つに,「陸海軍御用達」の会社の存在があります.
たとえば陸軍寄りの川崎航空と海軍寄りの愛知航空,海軍寄りの三菱造船と陸軍寄りの三井造船,それぞれ陸海軍の要求に応えられるだけの大企業なので,海外企業と提携することも多く,コンセプトは同じでも呼称や仕組みが異なる機器が各企業でも生まれたりもします.
そんな企業に対し,退役陸海軍将校が役員として天下りしてくるので,そのぶん軍と企業の癒着は強まり,陸軍専用会社・海軍専用会社の壁はますます厚くなり,技術交流も進めづらくなって,企業同士の意思疎通もうまくいかず,名が異なる同じ機構が陸海軍に採用されるという悪循環が起きもするわけですが.
鷂 ◆Kr61cmWkkQ :軍事板,2005/11/25(金)
青文字:加筆改修部分
【質問】
近代日本の軍隊の中では薩摩閥と長州閥に別れていましたが,やはり旧陸海軍みたいに仲は悪かったんですか?
その他の肥後や土佐出身の軍人はやはり冷遇されたのですか?
【回答】
派閥同士の対立は何処でも同じです.
特に山梨軍縮,宇垣軍縮の時の陸軍内部の対立は,山県有朋から連綿と続く長州閥の占める陸軍中枢と,それに対抗するそれ以外の極端な保守派が対立していますが,この保守派の中には,薩摩閥を多く抱えていました.
ちなみに,薩摩閥,長州閥の優遇というのは日露戦争以後,山県有朋の隠棲後は表向き影を潜め,士官学校出の様々な出身地の人々が徐々に増えていっています.
海軍については,薩摩閥が多かったですが,こちらは西郷従道など薩摩出身者が部内の融和に勤しんだため,対立が極端になるといったことは少なかったようです.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2004/12/31
青文字:加筆改修部分
【質問】
日本の軍人の宗教への入信について教えてください.
迷信や宗教は軍人に広まっていたのですか?
渡辺洋二の本で,
・昔の源田実のライバル柴田中佐が,終戦前に「お光様」という新興宗教に入信したこと,
・それが新鋭機・秋水の開発にも陰に陽に影響を及ぼし,秋水の開発が失敗に終わったこと
を知りました.
この渡辺本の内容が事実かどうか知りたいし,こうした「戦時中の軍人による(新興)宗教の事例」か,もしくは
そうした問題を取り扱った参考文献を教えてください.
【回答】
いくつか手掛かりになりそうなものをあげておきます.
まずは田中智学の創設した「国柱会」です.
ここは日蓮宗系の宗教団体で,宮沢賢治が入信していたことで知られていますが,田中智学は国家主義的思想が強く,石原莞爾に代表される陸軍内の強硬派の信仰を集め,多大な影響を与えています.
ちなみに田中智学は「八紘一宇」という造語の創作者であることで知られています.
次に,竹内巨麿の創設した「天津教」があります.
いわゆる「竹内文書」によってオカルトファンには有名ですが,最盛期には荒木貞夫大将や真崎甚三郎大将といった錚々たる面々が信奉者として名を連ねています.
最終的に天津教は,天皇家の紋章である菊花紋を使ったという罪で不敬罪に問われ,竹内巨麿は逮捕されましたが,終戦で不敬罪が消滅したことで無罪になっています.
その他に,治安維持法違反で検挙された大本教にも軍人のシンパは多かったとか.
この時期の新興宗教は,軍人を引き入れるのに熱心でした.
これは,教祖側が官憲の弾圧に対する抑止力として軍人の力を欲したことや,軍人の中に国枠主義者が多く,教義的に受け入れやすかったことなどがありました.
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板
メジャー宗教においては,大日本回教協会の初代会長は林銑十郎陸軍大将.
また,1938年,日本側の寄付によって建てられた東京モスクの落成式には,頭山満・松井岩根陸軍大将・山本英輔海軍大将が列席しておる.
もっとも彼らのイスラーム指向は宗教的なものというよりも,当時,満州国にかなり存在した回教徒に対する対策的意味合いが強い.
そもそも林大将は皇道主義者であり,現人神を信じる皇道主義と,多神教を憎悪する(原理的な意味において)イスラームとは合い入れないものであるはずなのだが,なぜか当時の(今も少なからずの)日本人はそういう矛盾を感じなかったらしい.
さらに笑えるのは,日本イスラームのパイオニア有賀文八郎(民間人)の著した「日本イスラム教の道徳概要」で,これは「但し」「但し」「但し」の連発によりて飲酒,豚食,喫煙を肯定してしまっておる.
これではイスラームではなく,イスラーム神道と呼んだほうがよいかもしれぬ(笑).
戦前は日本と中東の距離が地理的にも精神的にも遠く,お互いにファンタジーじみた「中東」理解,ファンタジーじみた「日本」理解(例えば中東での日露戦争礼賛がそれである)で事足りたのであろう.
しかし,これほど情報化が進展した世界においては,もはやそのような牧歌的な関係は,望んでも得られぬであろう.残念なことだが.
イラン前国防相 ◆2ahDXUlKbw in 軍事板
なお,以下のように日本政府によるイスラーム支援が行われたが,それは国家戦略に基づくものであって,宗教的な動機によるものではなかったという.
――――――
日本は30年代の初めから,シナの回教徒を蒋介石の影響から解き放とうと画策していた.満州には回教徒協会が,シナには回教徒連合がモスレム自身のフォーラムとして設立され,南京政府を支援することが期待されていた.
真珠湾後,回教及猶太問題委員会は,日本が英国を敵とするアラブの民族運動を支援し,パレスチナ人の問題にも関心を強めて来たので,その地位が高まる.
――――――H. E. マウル著「日本はなぜユダヤ人を迫害しなかったのか」(芙蓉書房出版,2004/1/20),p.80-81
▼ 日本人にとって意外なのですが,ロシア革命で白系ロシア人と共に,タタール人などの亡命も相次ぎ,日本各地にムスリムコミュニティが作られていきました.
一時期,日本は植民地の圧政に虐げられているムスリムからは,救世主の様に見られていたりします.
一方で,ムスリム達の盛り上がりを警戒するように,トルコ共和国は日本における汎イスラーム主義,汎トルコ主義の勃興に警戒感を示し,東トルキスタン帝国の建国とか,東京回教教団のクルバンガリー追放に暗躍したりしています.
これらはいずれも,日本とトルコの代理戦争的なものだった訳です.
日本政府がイスラームに目を向け始めたのは,1937年の日中戦争が切っ掛けです.
特に内モンゴル地区に所謂蒙彊政権を成立させ,寧夏,甘粛,青海,新疆方面を戦略的要地として重視することになった軍は,ムスリムがこれらの地に深く入り込んでいることに改めて気づかされます.
元々,こうしたイスラームの研究では,回教圏攷究所,東亜経済調査局を持つ満鉄調査部,東亜研究所など各種の研究機関が入り乱れていました.
そのため,これまで陸海軍に外務省がバラバラで行ってきたイスラーム政策を調整し,相互に摺り合せする機関として,1938年回教及猶太問題委員会が外務省内に設けられました.
更にこれを拡大して,イスラーム世界に対する利害を有する組織や個人を結集して,ムスリムに対する工作機関,イスラーム世界との交流を実践的に行っていく機関として設けられたのが,大日本回教協会でした.
以後,1945年の敗戦に至るまで,イスラーム・ブームとも取れる活動が続くことになります.
その中心にいたのが,陸軍参謀本部第二部と外地に置かれた特務機関,満州や内蒙古,華北に軍を派遣する立場にあった関東軍と駐蒙軍でした.
軍としては,対ソ戦を想定した防共ネットワーク網の構築,中国に於ける抗日運動対策,東南アジアに占領地が拡大した時期の占領行政と言う観点から重要な課題で,これを効率的に行うには,ムスリムの協力,動員,懐柔,宣撫が必要になった訳です.
先ず,その嚆矢となったのが,トルコ系タタール人であるアブデュルレシト・イブラヒムと言う人物です.
彼は帝政ロシアに生まれた人物で,1905~1907年にムスリム・クリルタイを4度に渡って開催し,帝政ロシア国内のトルコ系諸民族,ムスリム全体の自治権拡大を訴えた民族主義政治家でもあります.
それが実現し得なかった為,彼が採ったのは汎イスラーム主義でした.
元々の汎イスラーム主義は,欧州によるイスラームの政治的,経済的支配を撥ね除ける為,弱体化したムスリムの連帯と,大同団結を訴えるものでしたが,彼は更にその実現を,日本のアジア主義と結びつけ,解決を図ろうとした点が先人と異なる部分でした.
明治期の日本は,まだ昭和期に有る様な,偏狭な民族主義はそんなに極端に広がらず,欧米諸国に伍して国を発展させていこうと言う意気込みで,ナショナリズムが発展してきます.
歴史的に,日本は欧州と文明,文化を異にし,アジア地域の欧州従属,植民地化には怒りや危惧,民族に対する共感も持っており,欧州に対抗する為,アジアが結束すべきだとするアジア主義の考えが生まれます.
ところが結局これが変質して,大東亜共栄圏構想に結びついて,1945年に破綻することになるわけですが.
イブラヒムはこの点に活路を見いだして,日本人との連帯を模索する為,屡々来日します.
彼を世話したのは,頭山満を始めとした国粋主義者達,犬養毅,河野広中などアジア主義に共感を持つ政治家でしたが,更に彼に注目し,接触していたのは,当時の参謀次長福島安正と,それに連なる参謀本部第二部の情報畑の軍人達でした.
また,その来日の切っ掛けを作ったのは,対ロシア工作を行っていた明石元次郎である訳で.
こうした事から考えると,対露政策の一環として彼を遇していた事が伺えます.
元々,福島安正の脳裏にあったのは,帝政ロシアの動向でした.
日露戦争後,軍を黒竜江以北に撤退させたとは言え,東清鉄道の経営や運行は従来通り続けられており,関東州の権益を得た日本にとって見れば,関東州を根城に南満州鉄道を通じて北に経済開発を行うのに,それは目の上のたんこぶに等しいものです.
この為,これらの権益を守る必要に迫られ,その為には,イブラヒムを使って帝政ロシアに対する情報収集,工作活動のネットワークを構築することが有効であると見たわけです.
事実,シベリア鉄道や東清鉄道の開通で,タタール人達は出稼ぎ労働者,商人として海拉爾,哈爾浜に移住し,満州各地にコミュニティを作る様になっており,それが帝政ロシアの欧州地域からシベリアを経て満州に至るネットワークを構築していました.
こうしたネットワークを駆使して,ユーラシアの南から帝政ロシアを包囲する構想を抱いていた福島安正は,イブラヒムのイスラーム世界の知識と,そのネットワークを使って縦横に行動できる能力は魅力的だと考え,接近を図ります.
一方,福島とは別に,対中国政策からイブラヒムの力を利用しようとする者もいました.
福島のかつての部下で,日露戦後に退役して,東亜同文会に入った大原武慶がそれです.
当時,清帝国は末期状態に喘いでおり,犬養毅を始めとするアジア主義者達は,孫文を始めとする革命勢力を支援していました.
しかし,アジア主義者も一枚岩では無く,中には中国を分割し,支配者となるべきであるとする者もいました.
満蒙独立問題の萌芽がすでに見られた訳です.
大原は清帝国で五大民族とされていた回族に着目し,彼らをして中国の各民族達との接着剤としての役割を果たさせようとしたのでした.
その為,大原はイスラームに改宗し,アブー・ベクルと言う法名を持つことになります.
そして,イブラヒムにアジアとイスラーム世界の連帯を訴え,欧州諸国に対する共闘の為の亜細亜義会を結成することを呼びかけました.
1910年,亜細亜義会は正式に発足し,東京市赤坂区表町に事務所を開設.
常任幹事は大原武慶,頭山満,中野常太郎,犬養毅,河野広中,山田喜之助,青柳勝敏が選出され,評議員会には,13人のイスラーム世界の有力者が名を連ねました.
彼らは,トルコ,アラブ,タタール,インドの各民族からなり,中にはメッカのシャリーフ,オスマン帝国のシャイフル・イスラームまで名を連ねていますが,実際には,名前のみの存在で,実質的に活動していたのはイブラヒムと東京外国語学校の講師を務めていたバラカトゥッラーの2名だけでした.
しかし,彼らは努力して,それなりの成果を出すことになります.
今の日本にこうした大局的見地を持って活動している政治家や官僚がどれだけいるのでしょうかね.
眠い人 ◆gQikaJHtf2,2008/04/29 22:05
▲
【質問】
日本軍って第二次大戦当時,世界最強だったの?
【回答】
陸軍が世界最強だった瞬間は一瞬たりともないが,海軍の第一航空艦隊は一時は世界最強だった.
少なくとも当時の機動部隊は,航空機の質・搭乗員の質共に世界最強だったのは間違いない.
ただし大量生産のできない工業レベルの低さ・資源の無さ・補充の効かない人員は長期戦において勝ち目が全くなかったといっていいと思う.
ぶっちゃけた話,開戦当時なら一回のみの海戦限定なら世界最強の海軍であったと言っても過言ではないのでは.
そのくらい零戦と97艦攻は当時優れた機体だったし,艦爆搭乗員の技量は素晴らしかった.
江草隆繁など間違いなく世界最高の艦爆搭乗員であり,艦爆隊指揮官だった.
【質問】
日本が世界と渡り合おうと思える位まで,戦力が強くなった理由とか簡単でいいので教えて下さい.
【回答】
日本が軍備を果てしなく強化していった理由は,……
総体においては,当時の世界において武力のない国には,独立も発言権もなかったことと,常に自分より強大な国(ロシア,そしてアメリカ)を仮想敵にしてきたから.
陸軍においては,結局のところ列強がアジアに主力を置いていなかったから.
アメリカもフィリピンの防衛は始めから諦めている.
海軍においては,国家が傾きかねないほどの莫大な予算を投入したから.
事実,軍縮条約を結ばずに八八艦隊計画を完遂してたら,財政危機に陥っていたかもしれない.
ちなみに列強がアジアに主力を置けなかったのは当然で,彼らの主戦場はヨーロッパであり,地球の裏側に大部隊を駐屯させておくのは,コストがかかりすぎる.
そのため米英は日本の武力を利用し,日本もそれに乗っかってきたが,日露後は徐々に軋轢が生じる
ことになった.
もっとも,日清日露の場合は,軍が特別強かったわけではないが,限られたリソースを有効に使い,戦争を優位に終わらせる事に全力を挙げた.
大戦時は,軍が特別弱かったわけではないが,上記と逆の失敗を犯した.
植民地は解放する前に負けた.戦時下でホイホイ独立させるわけにもいかないし.
戦争・国防板,2009/08/29(土)
青文字:加筆改修部分
【質問】
第二次世界大戦の日本軍は,軍学的にみたらどうだったのでしょうか?
右翼や左翼の旦那様が書くような,思想的な部分は一切排除した形でお願いします.
【回答】
簡単に概要をまとめると,当時の近代軍隊の基本常識は十分押さえており,先進国の軍組織といえた.
しかし,いかんせん技術力と工業力が不足しており,装備や弾薬は充足しているとは言えず,火力支援面でかなりの不安があった.
(具体的には機関銃や砲迫の不足)
また,装備の開発競争力では連合国に一歩も二歩も遅れを取っていた.
前述の基礎工業力の不足ゆえ,それが限界だった.
さらにもともと資源も少なく,国内耕作地の不足(島国と言う地形的限界)から,補給備蓄の面でも充足はできず,さらに正面戦力の充足に精一杯で,輜重兵科に力を入れたり,輸送船団護衛に十分な護衛をつけたりする事が出来ないなど,兵站は常にかなりの苦境状態にあった.
将校や参謀の質については,ピンキリがかなり混在してる.
(一部のダメ将校がクローズアップされてるが,逆に言えば名前を挙げられるような将校や参謀以外は,別に悪くも無い)
一方下士官や兵卒に関しては勇敢かつ士気旺盛で,これについては連合軍将兵からも一定の評価を受けている.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
「撃沈された船員たちの記録」読んでたんですが,海軍は紳士的,陸軍は野蛮ってのはウソですか?
護衛もろくすっぽつけない民間船舶に,「特攻船」とか命名しておまいら死んで来いってのは・・・・・
軍人の下船を優先して,女子供は空襲を船で受けろ,ってのは・・・・・・
命令にしごくまっとうな意見をした船員をリンチってのは・・・・
なんで海軍は紳士的ってイメージ(俺だけ?)になったんですか?
【回答】
1.戦争前は海軍士官はスマートと見られていた.その名残
2.山本五十六など海軍の有名人には日米開戦に反対した者がおり,東條英機など陸軍の有名人は開戦に関わりあると見なされた者が多かったため
(実際には海軍にも開戦派はいたので,陸軍だけが開戦の責任を負うのはおかしい)
3.戦後の回想録などで海軍擁護のものが多かったため,その印象が強い
4.日米関係をこじらした日中問題は陸軍が主導していたので,大本の原因を陸軍に帰する論調があるため
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
日本軍の作戦の特質は?
【回答】
(1)物質の欠如を補おうとする極端な精神主義
(2)総合性・ネットワークの欠如
そして(2)について言えば,日本の軍隊には,戦争に必要な様々な要素を有効に結びつける発想が足りなかった.
海軍で言えば,戦艦・基地航空戦力・海上航空戦力・巡洋艦・駆逐艦・潜水艦といったそれぞれのブロックが,それぞれに高度に名人芸的に専門分化して独自の戦い方を持っており,一回きりの艦隊決戦という特定のシナリオに基づいた役割を分担していたが,あくまでも戦艦による決戦を勝ち抜くための単一目標のための役割分担であり,時と場合に応じて,それらの力を総合して柔軟に運用する発想がなかった.
発想がないということは,総合指揮できる人間がいないということでもある.
つまり,日本海軍は大艦巨砲主義=空母軽視だったから負けたのではなく,戦艦と空母を有効に結び付けられなかったから敗れたのである.
様々な軍事的単位を結びつけて総合力で戦おうという発想に欠けるため,通信や輸送など,各単位を結びつける分野は軽視され,結果としてその種の装備・兵器(レーダー・航空無線・対潜兵器など)の開発も立ち遅れたり,偏ったりした.
また,装備・兵器が劣悪だから,いっそうネットワークが構成できない,という悪循環が生じた.
兵器は,その国の軍事思想を正直に反映する.
兵器の後進性は,経済力・技術力に規定されるだけでなく,必要度の認識や着想の欠如といった思想的な面にも起因するのである.
なぜそのようなことになったのか?
それは戦前期日本の軍事力が,海軍は大艦巨砲・艦隊決戦主義(反主流派としての航空主兵論),陸軍は歩兵中心・白兵主義という軍事思想に基づく,強固な作戦シナリオを長く保持したために,海軍なら戦艦,陸軍なら歩兵部隊を主役とし,他の艦種・兵種は脇役として,主役を支援する役割を分担した.
したがって,既成シナリオ通りに戦争が進まないと,総合性・ネットワークの欠如した,極めて効率の悪い軍事力と化したのである.
詳しくは,山田朗著軍備拡張の近代史』(吉川弘文館,1997.6),p.225-231を参照されたし.
それにしても,
「ある時代に作られたシナリオが,その後何十年も通用するわけじゃないよ」
という論理的意見がなぜ主流にならなかったのか,不可解でならない.
【質問】
決戦主義に異議を唱えた人物は,まったく存在しなかったのか?
【回答】
いなかったわけではない.
たとえば貴族院議員・大河内正敏は欧州視察後,次の戦争は決戦で勝敗が決まるのではなく,国力で決まる旨,述べ,科学技術をもって生産性を高めることを提言している.
以下引用.
〔貴族院議員・大河内正敏は〕第1次大戦後にヨーロッパの財政経済視察の名目で派遣され,帰国報告した際には,兵士は百万でも2百万でもいくらでも召集することはできても,工業が甚だしく立ち遅れているから,このような大戦が再び起こり,我が国が参加したら,軍需品の自給自足がとうていおぼつかなく,国防が危ないと力説した.
宮田親平著『科学者たちの自由な楽園』(文藝春秋,1983/7/15),p.64-65
大将4年,彼が貴族院で初めて演説したときには,戦争が起こったら日本の工業力では軍需品の調達が不可能であるとだけ主張していた.
ところが,彼が理研所長に就任する前年,大正9年の貴族院本会議で行った「国防に関する質問演説」では,欧州大戦ではソンムの戦い一つで,我が国の年間製造能力でカバーできる砲弾の6倍の量が消費された.
我が国の工業力は寒心に耐えないと説きつつも,さらに,
「有事の際には,我が国軍の要求するところの軍需品,国民の生活に必要なる諸物資は,外国からの援助に期待できない」
と述べている.
そして,兵器のような直接の軍需品ばかりでなく,「国民の生活に必要なる諸物資」の自給自足まで計画してこそ,真の国防計画であると説いているのだ.
のちにはやはり国会演説で,これからの戦争は日露戦争のときのように日本海海戦や奉天会戦で勝てば終わるような,そんな戦争ではない,現代の戦争は武力戦ではなく総力戦である,とまで言い切っている.
兵器だけでない,あらゆる必要物資の自給自足を可能にするには諸産業を興し,生産性を高めねばならぬ.
それを行いうるのは科学技術以外にない…….
こうして,物理,化学の基礎科学振興から,発明,工業化を経て国防にまで到達する,技術至上の合理主義で貫かれた彼の壮大な思想は完成しようとしていた.
もちろん,それを国是として施策するのが,どこまでも「政治」でなければならないのは当然だ.
となれば彼にとって政治は,もはや友人,武者小路公共が評したような「余技」ではなくなっていたであろう.
宮田親平著『科学者たちの自由な楽園』(文藝春秋,1983/7/15),p.73-74
彼〔ファラデー〕が発見した電磁誘導は,マクスウェルの電磁波理論を生んだ.
このこと自体は一見,実用とは無関係な物理学の基礎中の基礎の研究だったが,19世紀末葉には早くもマルコーニの無線通信が現れている.
日本海海戦の勝利の一因も,信濃丸の第一報とされているから,科学の下瀬火薬と並んで,物理が日露戦争の勝利を呼んだということになるかもしれない.
宮田親平著『科学者たちの自由な楽園』(文藝春秋,1983/7/15),p.44
ところが日露戦争が終わってみると,下瀬火薬や無線電信の功績は忘れ去られ,乃木大将や広瀬中佐の忠勇譚ばかりが人々の間に残った.
慢心のあげくは戦争は精神力で勝てるという〝迷信〟までもちあがりはじめ,やがてこのことはついにはこの国を破局に導くのであり,どうやら事態は大河内の思想とは反対に,負の方向へ逆行していったのだ.
そして肝心の正の方向では,政府は第1次大戦に触発されて科学技術を育てるべき理化学研究所を形式的に作ってみせただけで,この研究所に苦難の道を歩ませていた…….
同,p.74
【質問】
http://www.bekkoame.ne.jp/~bandaru/deta01m.htm
マハンの理論が,戦前の日本で熱狂的に受け入れられた理由は何なんですか?
海軍はともかく,陸軍にも受け入れられるとは・・・
【回答】
・わかりやすい.
・地政学上,いわゆるリムランドに位置する海洋国家である日本には受け入れやすい.
・決戦主義的な色彩が所々に看取され,陸海軍いずれの気質にも合っていた.
・陸上戦におけるいわゆる内戦戦略に基づく戦略を組立てており,
大陸と南洋,両方面に仮想敵国を設定しなければならない日本の戦略条件にも合うものと考えられた.
軍事板
【質問】
天皇杯の決勝,遠藤のスーパーゴールで2-1と勝ち越された時,鯱ゴル裏のほぼ全員が,
「追いつけるなら追いつきたいが,これで2-1で負けるなら仕方ない」
と思っていたにもかかわらず,ベンチにいたスーツの人は,
「私にとっては2-1も4-1も一緒」
とばかりに,裏づけのない玉砕サッカーを展開したのですが,こういう人は昔の日本軍にも存在したのでしょうか?
kira2 in mixi,2010年01月23日 23:18
【回答】
もちろんいました.
が,しかしそれは日本人だけにありがちなことではなく,敗色濃厚な軍隊が,一発大逆転を狙うギャンブルに走ることは,戦史上,しばしば見られることなのではないかと.
第二次大戦の欧州戦線で言えば,バルジ作戦や,春の目覚め作戦など.
第1次大戦ではガリポリ上陸作戦など.
インドシナ戦争における,フランス軍のディエン・ビエン・フー進出も,そんな性格があったのではないかと.
フランスと言えば,百年戦争でジャンヌ・ダルクを起用したのも,一種の賭けですし.
(そういえば,第二次大戦でもポーランド侵攻が始まったころ,たしか途方もないギャンブル作戦立ててなかったか?,フランス)
朝鮮戦争の仁川上陸作戦も,成功したからいいようなものの,そうでなかったらどんなふうに言われていたのやら.
ただ,上記の事例とは別に,トーナメント戦の決勝ともなれば,得失点差はもはや関係ない世界なのですから,ぴくし監督の考え方も,まあひとつの考え方なのではないかな?,と.
その試合を実際に見ていません(当方は正月から出勤でしたから,くそう)ので,明言は避けますが.
【ぐんじさんぎょう】,2010/01/31 23:00
に加筆改修
質問にお答えいただきありがとうございます.
前回レスでは省きましたが,このスーツの人は
「自分のお気に入りの選手を重用したがる(結果,それがバクチ的采配に繋がる)」
「守備的MFの役割をかなりないがしろにする傾向がある(軍事的に言うと,前線の数だけ増やして補給路を考えない)」
ことがあることを追記しておきます.
ガンバの中盤相手に,アレックス1枚ボランチでどう対処させるつもりだったのか...今でも謎ですわ.
kira2 in mixi,2010年01月31日 13:56
そういえば,「裏づけのない玉砕戦術」が大好きな人を引き取ってくださって,ありがとうございます.
不要になったら中東へ売却すると良いと思います.
赤の9番 in mixi,2010年01月31日 18:08
スポーツは死ぬわけじゃないし,劣勢の方の最終盤のギャンブルはとても美しいと思うけど.
フロンターレ・ファンですが,グランパスの負け方はとても美しい.
ピクシいらなかったら下さい.
しまだ in mixi,2010年01月31日 19:08
>「裏づけのない玉砕戦術」が大好きな人
orz 今年は現地観戦減りそうだな・・・.
半年で売り抜けたいところですね.
しまださん>
「勝機のない」ギャンブルほど,当事者の心が折れることはないですよ.
別に玉砕戦法自体を否定したいわけではないので,念のため.
kira2 in mixi,2010年01月31日 20:37
【質問】
特攻は,大和や回天などの水上特攻と,空からの艦艇への体当たりだけ?
【回答】
「『敵の戦車より我が歩兵の方が多い』との考えで,爆弾抱えて体当たりさせた」
という事例が,確かノモンハン(でしたっけ?)でありました.
これも特攻ですね.
空対空の特攻(体当たりでB29を撃墜しようとする戦法)では,実際にパラシュートで降下に成功した日本のパイロットが居ました.
ところが着地してみると,殺気だった住民に竹槍で刺殺された事例もあるそうです.
(パラシュートで降下するのは敵だけと思い込んでいたそうです)
その後,本土防空戦のパイロットは特攻であろうがなかろうが,背中に大きく日の丸を貼り,出撃したと聞いたことがあります.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
旧軍には,失敗をフィードバックして再発を防ぐ体制はあったの?
【事実】
フィードバックの体制そのものはなくもなかったのですが,不正確にだったり,不完全だったり,遅すぎたり…….
例えば,建艦計画であるマル5計画の修正と改マル5計画の策定は,ミッドウェイのボロ負けを鑑みての昭和17年6月30日.
「昭和17年度補充計画」に戦備体系の再構築と戦力構造の再編を目指して,優先順位を
『1,航空機 2,空母 3,潜水艦 対潜水艦戦力』
としていたりもします※.(こんなことはできて当たり前の話なんだけど)
もっとも,
「連合艦隊の編成が航空母艦中心のものに根本的に編成替えさせられたのは,実に昭和19年になってからだった」(「日本海軍の戦略発想」 プレジデント社 千早正隆)
と述べる人も居ます.
事実,開戦時に有った「南雲艦隊」正式名称・第一航空艦隊は,空母だけの編成で,随伴艦は,第一艦隊及び第二艦隊からの「借り物」.極端なコトを言えば「烏合の衆」.
とてもじゃありませんが,「本格的な空母機動部隊」と呼べるシロモノじゃありませんでした.
で,ミッドウェイ海戦でボロ負け後,さすがに,空母だけの編成じゃマズイだろうと,高速戦艦や重巡洋艦,駆逐戦隊を編入し,新たに「第三艦隊」を編成.
でも,この時点で,まだ戦艦主力の第一艦隊,重巡洋艦主力の第二艦隊は,依然として残っていたわけで.
それに,第三艦隊編成まで,高速戦艦4隻は第三戦隊に集約されていたのを,「第三戦隊」と「第一一戦隊」に2隻ずつ分割し,第一一戦隊だけを空母部隊に編入するというセコイ事をやっています.
どーせなら,もとの第三戦隊4隻を,そのまま全部編入すれば良かっただろうに.
更に踏み込んで言えば,この時点で第二艦隊を廃止し,重巡洋艦と駆逐戦隊を第三艦隊に編入しても良かったでしょう.
この辺りにも,海軍上層部が,カビの生えた「艦隊決戦構想」をまだ完全に捨てきれないで居るコトが表れています.
提督たちのポストを減らしたくなかったのかもしれませんが(笑)
で,「実に昭和19年に」なってから,第一艦隊を廃止し,第二艦隊,第三艦隊を統合した「第一機動艦隊」がようやく編成されました.
これでようやく「連合艦隊の編成が航空母艦中心のものに根本的に編成替えさせられた」わけですね.
また例えば,酸素魚雷では当初魚雷自爆問題がありました.
これは,信管が鋭敏すぎたこと,また,魚雷先端部の形状に問題が有り,これが為に航走中に魚雷先端部に真空が生じ,そのキャビテーションに起因する振動が原因でした.
しかし,昭和14年に解決策が見出され,昭和15年から改良型の生産が始められました.
しかし海戦までに全艦艇に行き渡らずに,改修前の旧型がスラバヤ沖海戦で問題を起しています(後のソロモン諸島の海戦ではそういった問題は起こっていません).
でも,控えめに見ても,生産開始の昭和10年から昭和15年までの五年間,「三分の一が自爆する欠陥兵器」を「海軍期待の決戦兵器」としていたわけで.しかも解決策というのも,よりによってヘタリア海軍の高速魚雷の構造をパクって,なんとかツジツマ合わせたというもの.
……なんで旧日本軍は,こういう笑えない話が多いんだろう?
一方,陸軍では例えば,機械化自動車化の必要性が,ノモンハン事件の時点で陸軍の一部――全部,ではない.例えば,東条英機が「機械化自動車化の必要性」を「理解」していたようには見えない――は理解しましたが, 国力の不足もあって,それに沿った機甲部隊の整備の目処が立ったのは,なんと昭和19年以降です.
そもそも,「失敗をフィードバックして再発を防ぐ体制」ってのは,まず,軍上層部が,自らの失敗をキチンと認めるコトが前提.
旧日本陸海軍の場合,自らの失敗を認めたがらないケースの方が,はるかに多かったと思われます.
※ ただ,マル5計画の戦艦建造中止は開戦前の11月に既に決まっていたようです.
マル4計画の戦艦(110号艦「信濃」と111号艦)も,太平洋戦争開始と同時に建造中止.
極東板の名無し三等兵 ◆5cYGBbCsjQ,キルロイ,夏光華(シア・クァンファ)
in FAQ BBS
& JSF in 「軍事板常見問題・mixi支隊」(青文字)
【質問】
旧軍では,第1~といういわゆる頭号部隊の長は,エリートのポストですか?
【回答】
そうとは限りません.
確かに第1師団や第1海軍区は首都防衛のために最初に設置されたものですが,第1師団とほかの常設師団の格は同じで全員天皇の拝謁を許されますし,第1海軍区を統括する横鎮長官は次期海軍大臣候補筆頭ではありますが,日露戦争まで呉鎮の装備がずば抜けて多かった,という時期もあります.
近衛第1師団は伝統あるエリート部隊ではなく,近衛第2師団が本家ですから,同格とはいえ,近衛第1師団は近衛第2師団より年季が格段に違います.
第1艦隊は迎撃艦隊,第2艦隊は攻撃艦隊なので,見た目は戦艦が勢揃いする第1艦隊が立派ですが,戦時に最も活躍するのは第2艦隊です.
先兵となる第2水雷戦隊(第2艦隊)は新品の駆逐艦があてがわれ,第1水雷戦隊(第1艦隊)の駆逐艦は2水戦を追い出された型落ちの駆逐艦が集まってます.
結論を言えば,単なる整理番号です.
「1」に「最高級」のニュアンスはありません.
鷂 ◆Kr61cmWkkQ :軍事板,2005/06/23(木)
青文字:加筆改修部分
【質問】
日本においても戦闘機王とかライフル王みたいな武勇伝ってあるんですか?
【回答】
ある意味,ルーデルやヘイヘより凄いのがいる.
舩坂弘軍曹
擲弾筒分隊長として大暴れし,部隊壊滅後は重傷を負ったまま米軍指揮所へ潜入,
発見・反撃されて戦死判定を受けるが3日後に蘇生.
その後,捕虜収容所を脱出し,敵弾薬庫を爆破した上で生還.
長嶺公夫少尉
拳銃と手榴弾のみで敵飛行場に突入し,敵航空機の発進を阻止.
迎撃に出てきた敵戦車2両を手榴弾で撃破したのち,装甲車両からの射撃で負傷しながらも応戦,生還.
軍事板
青文字:加筆改修部分
後のテニス王
(朝目新聞より引用)
【質問】
戦前の日本の植民地における軍部の役割を,おおまかに教えてください.
【回答】
併合された朝鮮,台湾では,陸海軍大将が総督となり,日本本国とは独立して天皇直属の総督府を作っていた.
もっとも実質的には内閣が,行政・司法を支配していたといえる.
最初期には憲兵が警察を担当していた時期もあり,内地に比べると軍の影響は大きいが.
委任統治領だったサイパンなどでは,軍部は軍事のみを担当していた.
一般行政は拓務大臣指揮下の南洋庁が担当している.
保護国だった満州国や内蒙古では,形式的にはそれぞれの政府が自治しているが,顧問などとして日本軍将校が相当に入っていた.
同様に文官も相当数入ってるが.
満州国軍の将校には日本軍からの派遣も多く,軍事面は完全に日本軍が握っている.
公共政策でも関東軍の軍事的要請に応じたものが多い.
形式はともかく,実質においては関東軍が大きな権力を持っていたと言うあたりか.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
太平洋戦争中,乗機や乗艦船がやられて,そのあと無人島で暮らして,その後救助という例はあるのでしょうか?
漂着するまえにサメの餌食になったの人も多いと思うけど.
【回答】
例えばジョン.F.ケネディ.
ケネディ中尉が率いる魚雷艇,PT-109は,1943年8月2日にソロモン諸島の近くのニュージョージアの西を哨戒していた時に,大日本帝国海軍の駆逐艦「天霧」との偶発的な接触事故によって船体を引き裂かれた.
彼は痛めていた背中からデッキにたたきつけられたが,負傷者を命綱で結びつけ3マイル遠泳して,なんとか小さな島にたどり着いた.
友軍による数日の探索後に島民2人に出会い,ココナッツに刻んだメッセージが元で救助された(このココナッツは後年,ホワイトハウスの執務室に暗殺の日まで置かれていたという).
これらの行動について,ハルゼー海軍提督からの感謝状,名誉負傷章,海軍メダルおよび海兵隊メダルを受章した.
しかしながら背中の傷はボートの上にぶつけた際に悪化し,さらにマラリアにかかり,1945年前半,終戦の数か月前に名誉除隊をした.
あ,無人島じゃないや.
軍事板
渡辺洋二の著作に出てくる話.
サイパン進出中の海軍の「月光」がエンジン不調で鳥島周辺の無人島に不時着.
アホウドリの死骸やらなんやらだけで20日間以上粘って,偶然吹き流されてきた漁船にようやく救出された.
軍事板
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