c
「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ サイト・マップへ
◆◆◆敗因関連/戦後関連
<◆◆総記
<◆太平洋・インド洋方面 目次
<第二次世界大戦FAQ
◆◆◆敗因
「ワールド&インテリジェンス」◆(2012/07/21) 『日本国の「失敗の本質」U』
『大東亜戦争,こうすれば勝てた』(小室直樹著,講談社プラスアルファ文庫,2000/11)
読了・・・・
低レベルな老人の妄想電波出まくりの一品デス.
小室さんは,火葬戦記を読み漁って知識を身に付けたと自信満々の,勘違い中坊であらせられるようです.
とにかく突っ込みどころが満載だし,簡単に分かるので,これはこれで読んでて楽しいかも.
例)
「真珠湾攻撃は,航空機で艦隊を撃滅した,世界最初の攻撃である」
「(中国にいる精鋭師団を)硫黄島とか沖縄に配置して,もっと地下壕を掘って,そうやって精鋭師団が戦えば,アメリカ軍も音をあげますよ」
「ナパーム弾も,当時の日本の技術で作れば作れたのだから,それを持っていれば,上陸した米軍を水際で全滅することは可能だった」
「もしもあのとき,ゼロ戦の次期戦闘機が間に合っていたら,それだけでも(戦争に)勝っていましたよ」
「陸軍を廃止して,予算と資材は全部海軍に渡して,陸軍は海軍の陸戦隊になっていればよかった」
------------軍事板,2001/07/15(日)
『太平洋戦争のif 絶対不敗は可能だったか?』(秦郁彦編,中公文庫,2010.6)
トンデモ度を楽しもうとする人にはイマイチ大人しい本.
中央公論社が,Cノベルで出そうとした本が,手違いで文庫で出したのか?と思ったが,2002年にグラフ社から出た本の文庫化だった.
秦氏の機雷封鎖でシーレーンの内海化の話は,戦争終盤に実際にやってる.
『海上護衛戦』見れば載ってる.
秦氏にして,米潜水艦の通商破壊戦が日本のシーレーンを寸断したと主因と判断しているのだろうか.
「ドイツが勝てないので日本も勝てません」
というのは,そうですねと言うしかない.
身も蓋もない.
これじゃ,確かにCノベルじゃ無理だ.
やはり「僕の考えた新兵器で聯合艦隊大活躍」じゃないとダメだろう.
そういえば,三野氏も同じような本出していたが,まだ読んでいない.
まあ,遠藤は割とマトモなことも書くから,他のトンデモ本の著者と一緒にされるのは,ちょっと可愛そうな面もある.
トンデモ本といえば兵頭が一押しだな.
マトモな考察本と思い込んで,地獄のX島何とかを買ったのが未だにトラウマになっている・・・
最近は戸山流に対する情報がどうしてもほしくて,久しぶりに兵頭本を買ったけど,相変わらずだった・・・・
(念のために言うと,対談の中で,共著者である旛谷の発言はそれなりに為になるけど,兵頭の部分があまりにも酷いので,結果的に本の半分が無駄になっている)
――――――軍事板,2010/07/09(金)〜07/10(土)
『「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか』(ジェームズ・B・ウッド著,ワック,2009.12)
ワックの本だから,その期待をもって読めばそれなりに楽しい.
訳者がところどころで突っ込みいれてる.
外国人で,日本史の専門家でもない人が,頑張って書いたという本.
「日本のやり方が変われば,アメリカも対抗措置をとるんじゃないか?」
という主張に対し,変な反論.
――――――軍事板,2010/06/11(金)
日本が戦力を保持した状態で1945年以降を迎える可能性と,そうなったときの戦争終結が史実と大分違ったものになったのではという主張の本.
前者は,日本海軍が戦線を広げない,艦隊保全主義に徹する,大型船団を組んでシーレーンを維持する――ってな感じでアメをてこずらせ,1945年までなんとか戦線を維持することは出来たという主張.
そうなれば,世界情勢の変化で,日本は壊滅的な敗戦は避けられたんじゃないかという主張.
(勝てるとは言っていない)
訳者は,インパールの牟田口の作戦を褒めたり,日本軍は残虐行為をしないという思いに憑かれてる方.
色々,原文に突っ込みの訳注をいれているが,兵器の知識に関する間違い(潜水艦の居住性とか)はスルーしている.
突っ込みは思想的なものが多い感じ.
著者は,日本海軍に関する知識が乏しく,兵器についてもよく知らない.
小沢と栗田の区別がつかず,訳者に何度も突っ込み入れられている.
また,奥宮,淵田の『ミッドウェー』の訳者として「千早マサタキ」なる人物が…….
いくらなんでもひどい間違いだ.
他にも『サムライ!』の著者として「酒井三郎」と記述されている.
「酒」じゃあ昭和研究会の人だよ.
こういう戦略とればいいじゃないか?って主張は結局,後知恵だよなぁという感想.
とれなかったのは,それなりの理由があるわけだし.
例えば,大船団組めば被害が減るってのは正しいんだが,輸送効率は落ちる.
港湾能力をアメリカや欧州基準で考えりゃ正解かもしれないが,太平洋戦線ではそれも難しい理由があった.
実際やらなかったわけではなく,輸送効率との兼ね合いの中でできることはやっていた.
(参考:戦史叢書 海上護衛戦 P344-374)
大船団組んで,ノコノコやってきたアメリカ潜水艦を返り討ちにすりゃいいじゃん,って話はどうかね.
アメリカの潜水艦戦略も1944年4月から,商船攻撃優先から護衛船攻撃優先に方向転換して,多くの護衛船を葬っている.
アメリカ潜水艦も楽な戦いはしていないが,日本の主力海防艦は20ノットでないので,浮上潜水艦に対する追従攻撃ができないという意見は,現場から上がってる.
ちなみに,ドイツ潜水艦とアメリカ護衛艦の関係は,調べたことないので知らない.
ただ,新見中将が大西洋戦線のアメリカ護衛艦も,大量生産のため蒸気タービンをジーゼルに変更しなければいけなかったようだという報告を上げている.
その速度は20〜24ノットなので,日本の海防艦よりは速い.
(参考:戦史叢書 海上護衛戦)
要するに,日本の出方が変われば,アメリカもそれに対応しているといういことは,史実でも起きている.
そのアメリカの対応に,日本は対抗できなかった.
日本が戦略変更すれば,当然アメリカも対応を変えてくる.
これは上記のように,史実でも起きている.
そして日本は,その競争に負けた.
この点について著者は,
「アメリカが対抗措置を行ったはずという主張は,私の主張が仮定であるのと同じく,仮定で無意味」
みたいな否定をしている.
意味が分からない.
アメリカは史実で対抗措置を行っている.
日本はしようとしても,間に合わないか出来ていないという前提は無視で.
あまりにもお粗末な本ですよ.
――――――軍事板,2009/12/13(日)
日本が戦力を保持した状態で1945年以降を迎える可能性と,そうなったときの戦争終結が史実と大分違ったものになったのでは?という主張の本.
前者は,
「日本海軍が戦線を広げない,艦隊保全主義に徹する,大型船団を組んでシーレーンを維持する」
ってな感じでアメリカをてこずらせれば,1945年までなんとか戦線を維持することは出来たという主張.
そうなれば,世界情勢の変化で日本は壊滅的な敗戦は避けられたんじゃないか?という主張.
(勝てるとは言っていない).
訳者は,インパールの牟田口の作戦を褒めたり,日本軍は残虐行為をしないという思いに憑かれてる方.
色々,原文に突っ込みの訳注をいれているが,兵器の知識に関する間違い(潜水艦の居住性とか)はスルーしている.
突っ込みは思想的なものが多い感じ.
著者は,日本海軍に関する知識が乏しく,兵器についてもよく知らない.
小沢と栗田の区別がつかず,訳者に何度も突っ込みいれられている.
こういう戦略とればいいじゃないか?って主張は結局,後知恵だよなぁという感想.
とれなかったのは,それなりの理由があるわけだし.
例えば,大船団組めば被害が減るってのは正しいんだが,輸送効率は落ちる.
港湾能力をアメリカや欧州基準で考えりゃ,正解かもしれないが,太平洋戦線ではそれも難しい理由があった.
実際やらなかったわけではなく,輸送効率との兼ね合いの中でできることはやっていた.
(参考:戦史叢書 海上護衛戦 P344-374)
アメリカ人視点の新しい見方があるかと思って読んだのだが,あまり斬新な主張はなかった.
――――――軍事板,2010/03/08(月)
青文字:加筆改修部分
図書館から借りてきて読んでるんだが,章ごとに追記されてる訳者の注釈が酷すぎる.
「満州事変は侵略行為ではない」
「盧溝橋事件が中国側からの攻撃であることは証明されてる」
「ノモンハンはソ連が敗北した」
「インパール作戦の牟田口は間違ってなかった」
「日本軍は中国で略奪行為をしていない」
…もう珍説のオンパレード.
話にならない.
茂木氏がどんな理解をしようが自由だが,訳者注の形でこんな主張を載せられても,邪魔でしかない.
参考に注釈の原文をもってきてみましたので,必要でしたらお使いください.
しかしウッド氏は,こんな注釈をつけられてることを知ってるんですかねえ….
――――――――――――フナムシ in mixi,2010年06月05日11:05
p.58
「国際社会における日本の頑迷さとあからさまな軍事的侵略行為」とは,直接的には,満州事変,満州国独立,盧溝橋・上海事変に始まる日支事変のことをさしていると思われる.
しかし,満州事変が日本の頑迷さとあからさまな軍事的侵略行為によって引きおこされたものでは全く無いことは,東京裁判の判事の一人,ラダビノッド・パル判事の提出した判決書,いわゆる『パル判決書』(中略)において詳細に論証されている.
また盧溝橋事件・上海事変とも中国側からの一方的な攻撃で戦闘は起こり,それが日支事変に拡大していったことは,いまや十分な歴史事実によって証明できる.(後略)
p.109
インパール作戦の失敗については,牟田口第十五軍司令官の無謀な作戦と統率能力の欠如が,その理由として挙げられることが多い.
しかし,ここで書かれていることは全く間違っている.
第一に,当時のビルマで英国軍の進攻を,正面で防御する役割を与えられていた十五軍三個師団では,余りにも広い防衛線をとても守りきれないと判断された.
そこで受動的な防御より,敵の策源地を攻撃するほうがベターというより唯一の防衛策として,ビルマ方面軍の作戦会議で認められた作戦であった.
そして,十五軍はチドウィン河を越え,インパールを扼するコヒマの占領に成功する.
そこで補給の危機に瀕するが,牟田口の指令どおり,近くの敵物資終結地ディマプールを攻撃していたら,作戦は成功していた可能性が高かった.
戦後,イギリスのディマプール方面三十三軍最高司令官スタッフォード将軍は,それを完全に認めている.
p.265-266
(前略)
この大動員を日本軍が察知できなかったために,八月の奇襲総攻撃に日本軍は大打撃をこうむったのである.
しかし,それでも反撃体制を整え,参謀本部からの攻撃許可を待っているときに攻撃中止命令がきたというのが実際である.
いとも簡単に日本軍が撃破されたどころか,ジューコフは,五倍の兵力を使いながら,彼の生涯で最も苦しい戦いを戦ったのである
(中略)
数で勝り,機械化部隊を動員しても,損害が日本軍より多かったという戦いは,実質的にはソ連軍の敗北である.
p.283
これは戦争プロパガンダの鵜呑みである.
日本軍は中国の占領地で,都市の市民の食料を確保するために,農民に負担をこうむらせたことは事実かもしれないが,略奪行為などをおこなっていたというのは見当外れである.
日本軍占領地区は,治安がよく保たれ,経済も発展しつつあったというのが実態である.
『日中戦争―戦争を望んだ中国,望まなかった日本』(北村稔・林思雲共著,PHP研究所)参照のこと.
――――――
『日本における失敗』(ロバート・B・テクスター著,文藝春秋新社,1952)
GHQの文民職員だったらしいが,なんだ?,この上から目線.
敗戦直後の本とはいえ,読んでてムカつくわ.
------------軍事板,2012/02/18(土)
『日本は勝てる戦争になぜ負けたのか』(新野哲也著,光人社,2007.8)
冒頭に近い部分で,
「俺は参考資料紹介したり,根拠を明示したりしない」
という漢らしい宣言あり.
思い込みと事実誤認の多さではダントツだが,Amazonレビューの高評価にたまげる.
――――――軍事板,2010/06/11(金)
『日本の敗因―歴史は勝つために学ぶ』(小室 直樹著,講談社プラスアルファ文庫,2001/05)
何なんですか?,これ.
電波に悩まされながら書いたような内容なんですが.
とりあえず窓から放り投げました.
------------軍事板,2001/06/01(金)
あ,俺も俺も.
壁に投げつけた.
そのあとゴミ箱行き.
------------軍事板,2001/06/01(金)
『ポツダム宣言と軍国日本 (敗者の日本史)』(古川隆久著,吉川弘文館)
>太平洋戦争の敗因を分析し,教訓を探る
【質問】
物量,練度,戦術,戦略,ドクトリン,補給,精神力……
先の大戦において,この中で,日本軍が米軍に勝っていたものはありますか?
【回答】
開戦前では,練度,精神力,一部兵器性能はアメリカよりも上だった.
開戦直前では,一部の兵器においてアメリカにまさっていたものもあったが,そうでないものも多く,特に陸軍の機械化の分野では大きく立ち遅れていた.
練度に関して言えば,日本海軍第1航空艦隊のそれは非常に高かったが,人員補充が利かず,その優位は次第に失われていった.
精神力という面では,そもそも比較困難な性質のものだが,戦史を概観してみた限りでは,日本軍が「高い精神力を発揮して勝利した」という事例は,特に見当たらない.
序盤の勝利はどちらかといえば,二線級の植民地軍が相手だったためだしなあ……
物量と補給には大きく難があり,それを補うためにも満州が必要不可欠だったが,それを満たす前に開戦に至っている.
しかも石油を始めとして,満州だけでは不足する重要戦略物資も多く,仮に満州全域を完全支配していたとしても,物量・補給の面で米軍に対して優位に立つことは困難だっただろう.
(輸送力でも立ち遅れていたので,補給の面ではなおさら)
ドクトリンについても日本は勝っていたと思う.
その証拠に東南アジアには親日的国家が多い.
(解放軍の要素をもっていた)
韓国も日本により解放された国であるにもかかわらず,今は事実を否定しているけどね(腐れ儒者)
戦略・戦術はダメダメ 大艦至上主義・・とかもう.
ドクトリン(政戦略上の基本原則)について言えば,それが日本に存在したかどうかも疑わしい.
黒野耐著『日本を滅ぼした国防方針』に詳しいが,陸海軍,政府の間の統一した戦略を策定することもできていなかったという.
そんな状況下では,ドクトリンを打ち出すことなど不可能だった.
「アジア解放」のお題目にしても同様で,本気でアジア独立のために働こうとした,南機関や藤原機関のような現地出先機関と,南方資源獲得のための方便としか考えていない統帥部との間で,しばしば齟齬が生じており,インド国民軍の高級参謀をスパイ容疑で逮捕してしまったり,ビルマでの反乱を招いたりしている.
フィリピンに至っては,治安回復すらできていない.
東南アジアに親日国家が多いというのは,当時の現地出先機関の人々の努力や,また,深田祐介の著作を読んだ限りでは,戦後の日本企業から派遣された,現場の人々の努力に帰する面が多いように思える
(もちろん,日本企業も色々やらかしてもいる.
そのへんの構図は,先の統帥部と現地出先機関との齟齬を再現しているかのようであって,非常に興味深い).
なお,韓国が日本から独立できたのは,日本の敗戦によるところが大きく,「日本により解放された」とする言説の根拠は,どこにも見出せない.
軍事板,2009/11/15(日)
青文字:加筆改修部分
【質問】
あの当時の,大東亜戦争を考えると,政治や戦略が無茶苦茶だった気がするのですが,どうでしょうか?
一般戦闘員は,特別優秀だったようですが,上部はすでに官僚主義になっていたと思います.
土地取り合戦で,わざわざ,がダル島にいったり,全く戦略が無かった気がします.使えないような土地なんて要らないのに.
日本は,ハワイなんて空襲せずに,フィリピンで待ち伏せしてるだけでよかったのではないでしょうか?
どうして日本は,短期決戦しかできないと思っていながら艦隊保持をし,アメリカの様に,艦隊を集結させて,全面対決すれば勝てたとおもうのですが.沈没してない戦艦を前例がないからって曳航すらしなかった.
文章がまとまらず,すみません.
【回答】
正直,そんな漠然とした「気がします」だけでは質問としてあやふやです.もっと質問を練り込んでください.
世に「〜はこうすれば勝てた」とか、「私ならこうする」的な書籍や文章は,あまた存在します.
この手の妄言は
「アインシュタインの相対性理論の間違いを発見した」
などと珍説を発表する人達と同様,年に数十人と出て来るのですが,大抵は後出しジャンケン,穴だらけの考察不足でして、取るに足らない物ばかりです。
こう言った事象の考察を行う時に重要なのは、誤った判断を行った人物達は、決して知能が低い馬鹿者では無く,その時々において優秀な知性を持ったトップレベルの輩であった事は、肝に銘じておくべきでしょう(残念ながら、その
スタンスで書かれている物は少ないですが).
問題は,その優秀な彼等が、何故に誤判断をし、道を誤ったかに有るのです.
知性が劣っていると思われない過去の日本人が犯した過ちを検証する事によって、未来の日本人が犯すかもしれない過ちの芽を、未然に摘み取る事を出来るようにする、と言うのがこの手の考察の目指す所だと思います.
何故,日本がろくな大戦略も持たず、勝ち目の無い太平洋戦争に突入したのかは、
一般に流布している「軍部の暴走」の一言で片付けられる単純な物では無く,今も多数の研究者が考察しているのですが、多数の要因が複雑に絡み合っている物なのです。
根本問題をたどれば明治期の近代日本軍創設当初,或いは応仁の乱にまで遡って考えなければ見えて来ないと思います.
とても「あそことあそこをチョット直せばOK」なんて単純な物では有りません。
第2点.
「フィリピン待ち伏せ」ですが,アメリカでは真珠湾開戦のはるか以前から「レインボー計画」と称される
対日参戦計画を練っていました.
この中では日本はまずフィリピンを奇襲すると想定しており,その際は米艦隊をハワイに集結させてフィリピンを奪還し,その後は.海上封鎖による日本の屈服を狙うというシナリオを描いていました.
図らずも日本は真珠湾を奇襲したため,計画に狂いが生じましたが.
フィリピンで待ち伏せなんて,相手の思う壺としか言いようがありません.
第3点.
ガダルカナル島に行った理由ですが、あれは単なる土地取り合戦で使える耕作地を取りに行った訳では無く,ニューギニア島のポートモレスビー攻略と米豪連絡路遮断と豪州脱落を画策すると言った戦略目標と密接に関わってきますので、ガダルカナル島だけ見て「使えない土地」(何故そう思ったのかは、はなはだ疑問ですが)とは、軽々しく言うべきものでは有りません.
第4点.
短期決戦しか出来ないのに艦隊を温存した云々に関しては,軍内部でも短期決戦と長期持久戦
に意見が割れており,長期持久戦には主戦力を温存して起きたい、或いは短期決戦派でも,来るべき米軍の反攻は1943年以降と予想しており、来るべき決戦に備える、と言った思惑も有りました.
また、戦艦などの大型艦を活発に前線へ投入する燃料の不足、と言った面も見落とす訳にはいきません。
例えば、たった一回のミッドウェー海戦だけで、連合艦隊は平時の一年分以上の重油を消費しています.
第5点.
沈没してない戦艦の曳航の件ですが、太平洋戦線で米戦艦が攻撃により被害を受け,漂流した
事例は見当たらないのですが.
真珠湾なら敵軍港内ですので、そこに乗り込んで行って曳航するなんて自殺行為以下ですし、第三次ソロモン沖海戦でしたら、夜間の乱戦中でとても曳航など出来ません.
しかもサウスダコタはまだ生きていましたし.
もし南太平洋海戦での空母ホーネットの事と勘違いしているのでしたら、日本海軍は曳航を試みたのですが、火災が酷くなり技術的に困難と成った為に放棄したのであって、「前例が無いから」ではありません.
事実誤認をして、必要以上に批判対象を貶めるのはどうかと思います.
▼ 半藤一利著『昭和史 1926-1945』(平凡社,2004.2)の帯を見たら面白い事が書いてあった.
――――――
半藤昭和史5つの教訓
1 国民的熱狂をつくってはいけない
2 危機におよんで日本人は抽象的な観念論を好み,具体的,理性的な方法論を検討しない.
3 日本型タコツボ社会における小集団主義の弊害
4 問題が起こったときに対処療法的で,すぐに成果を求める短兵急な発想をする
5 国際社会の中の日本の位置づけを客観的に把握しない
――――――
うーん.人間なんて,そう簡単に変わるものじゃないってことかなぁ.
寄星蟲 in mixi,2008年06月17日19:35
▲
【質問】
ゲームhoi2での「日本」プレイの定石を,もし現実で実行していたらどうなっただろうね?
対中戦を40年までに終わらせて――対中戦争続けてるとABCD包囲網食らうからな――,西進してアフガニスタンとかを征服して,ペルシャ半島の近くまで行って,バルバロッサが起きたらバクーからモスクワまで縦断,ソ連を屈服させて資源地を分捕るという……
まあ,ソ連と貿易すれば多少割高だが資源には実は困らなかったりするが.
ちなみにゲーム内だと対英戦争にはならないんだ.
植民地は器用に避けてるから.
こういうの,現実ではどうなの?
戦略ゲームをやってると必ず気になる事だ.
【回答】
HOI2もそうだが,戦略級シミュレーションの日本は,部隊がプレイヤーの命令通りに動き,絶対に反逆しない.
戦略策定がプレイヤーに一任されるので,陸海軍の対立がないも同然という,史実に比べて絶大なアドバンテージを持っているので,比較すること自体が無意味.
HOI2やってて,
敵と休戦結びました
→不満な陸軍が反乱起こしました
→ゲームオーバー
なんて事,絶対におこらないだろ?
しかも史実の場合は,自分が”本当に”暗殺される恐怖と戦わなければならないんだから,そりゃ正しい選択が出来て当たり前ですよ.
まあ,そういうのは絶対的な権力者が降って湧いたと仮定しよう.
しかし,その西進プランだと補給線がどうなるか……
まずは鉄道でも引かなきゃな.
だいたい,アフ【ガ】ーニスタンをどうやって征服するというのだろう?
最盛期の大英帝国でも,たかだかトライバル・エリア安定統治に非常に苦労し,超大国ソ連でさえムジャヒッディーンには手を焼いていたのに,それより格下だった当時の日本が,いったいどうやって「征服」を?
しかも仮になんとか征服できたとして,次に控えているイランも,WW1の後,国民総蜂起に近い形で占領軍を追い出したつわものだ.
354 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/01/07(水) 00:30:51 ID:???
複数のプレイヤーで一国を担当とかなら,国内の権力闘争を再現できたりするかもね.
A君:海軍
B君:陸軍
C君:内政
みたいに.
「資材よこせ」
「艦艇作って」
「とりあえずこれだけ海軍に回して…」
「ハァ? これじゃ対中戦勝てねーだろゴルァ!」
「だってそれじゃ米海軍に…」
ガッ!
「すんません,海軍はこれで我慢して下さい」
「いいけどよ,これじゃ南方作戦もできねーよ」
……
「か,海軍が壊滅…」
「オメーのせいだぞ馬鹿野郎」
「どうせかてねーんだからいいじゃねーか」
「もうこれ以上無理.講和しよ」
「は?大陸じゃまだまだ戦えるだろjk」
「だって本土が陥落しそう」
ガッ!
「俺が全部やるからオメーは向こう行ってろ」
355 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/01/07(水) 00:34:24 ID:???
懐かしいゲームだが,『提督の決断2』とか,陸軍VS海軍の駆け引きあったな,そういえば(笑)
356 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/01/07(水) 00:38:06 ID:???
それぞれのNPCに対するプレイヤーの影響力とか,スパイ活動とかできると,楽しいゲームができそう .
357 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/01/07(水) 01:48:10 ID:???
ボードSLGで,前線役はボードと睨めっこ.
司令部役は離れた部屋で,地図帳見ながら電話で指示出し,ってやったら,地図帳に載ってない森林部に,戦車隊が突っ込んで全滅とかしたらしいぜ(笑)
ある意味,現実再現と言える…か?
軍事板
青文字:加筆改修部分
▼ そもそも,戦略ゲーってどんな絶望的な状況でも部隊の士気がまったく落ちたりしないのがおかしいような.
ついでに言うと,HoI2だと補充率(部隊人員数)が部隊火力に反映されてなかったり,いろいろおかしいんですよね(つまり師団が全快でも壊滅寸前でも投入できる.全体の火力は変化しない).
後,小島に100個師団展開とか物理的に有り得ない事が可能でしたし.
(以下,HoI2プレイ談)
自分もHoI2は2ラウンドぐらいしかまともにやっていないのですが.
2ラウンドとも連合とも枢軸とも違う第三勢力としてのUSAでプレイして,まず最初にカナダと南米と傀儡にして(その時期に二枚舌のソ連がUSAに宣戦布告しただったか?),次にオーストラリア,アフリカに攻勢,その時イギリス,イタリアの主力陸上部隊を同時に手玉に取って殲滅.
ヨーロッパへ侵攻してスペイン,イタリア,フランス,イギリスを占領.
ドイツはソ連とUSAの板ばさみになって死滅.
同時にソ連と本格的な交戦状態に突入,ソ連の大部隊と膠着状態になるが,核兵器大量投入で戦線を突破.
そのままソ連軍を各個撃破してソ連は滅亡寸前.
日本はまったく相手にしてなかったので,太平洋戦争が勃発しても殆ど戦闘無しで,余力のあった日本が中国,インドを圧巻,ファシズムの西ドイツが誕生やらいろいろ摩訶不思議ワールドが展開されていました・・・
見栄張って主力部隊を全部,機甲,機械化,自動車化したら,補給が慢性的に不足してアフリカのジャングルやソ連の冬将軍で,進軍速度が時速1kmとかになってしまったのが最大の失敗でした.
いやまあ,そういったミクロな時点でもそうなんですが,そもそも,ゲームは「ゲームになるようにバランスをとってある」ということを質問者は忘れていますな.
Hoi2で言えば,米国は弱いし,日本は明らかに強化されています.
▼ Hoi2では,ゲームを成立させるためにドイツや日本に結構甘い設定ですしね.
補給も結構適当で,ポルトガルの港から中国にいる部隊まで,陸路で補給路が繋がっていれば補給ができたり……
砂漠や山岳地帯を通る補給線ってどんだけ;;
ゲーム中では,アフガンは山岳地帯なので行軍時間はかかりますけど,かなり簡単に征服できます.
パルチザンという概念も一応ありますが,多少補給に支障が出来たり,時々しょぼい反乱が起こる程度……
まあしょせんゲームはゲームってことで;;
中小国にはシビアなゲームですが,それでもプレイヤーの腕次第で大国に成り上がれたり,世界征服できちゃったりします(ゲーム内の経過時間は20年未満……).
▲
HoI2日本の定石は,「いきなり米国上陸」(36年開始と同時に大陸軍と満州軍輸送して蹂躙)じゃないんですか?><
たれ
ハワイも西海岸も無防備ですからなあ.
ゆきかぜまる
>懐かしいゲームだが,『提督の決断2』とか,陸軍VS海軍の駆け引きあったな,そういえば(笑)
かつてはあの開発者は,「いかに日本軍が勝てない状況か」を感じてもらうように作った旨どこかで書いてましたね.
でも,なんとかなってしまうシナリオもあるからな〜
PCじゃなくて家庭用コンシューマー機ですが,初代アドヴァンスド大戦略もそんな感じでした.
まぁ,イギリス南部を空爆だけでつぶして,次のマップで占領して,イランを制覇して,ウラル山脈の向こうにソ連軍追い落としたら,別エンディングが用意されてるんですが,裏ワザ使わないでは無理だと思います.
というか,よく家庭用で発売して問題視されなかったなぁ.
「War in the south pacific」は,太平洋の空母戦っていうのが如何に手探りか,相手を見つけるだけで手一杯かが再現されてるというレビューでした.
Fabius (KT)
ああ,そうか,光栄の「ホイホイ」とは違うのだな.
ケーキを襲うゴキブリを,スリッパとスプレーで叩くシミュレーションでした.
あのころの光栄はとんがっていたなあ.
なかた
▲
【質問】
退役職業軍人が議会に入る,なんて事は結構あったはずだから,もっと突っ込んだ軍事論議ってできたはずなんだよなあ.
徴兵で兵隊行った人だって議員の中にもたくさん居たはずだし.
選挙区にだって兵隊帰りの人や現役の将兵が居たはず.
不思議.
なぞ.
どうして?
【回答】
軍隊は完全な階級社会です.
帝国陸軍で言いますと,陸士・陸大出の軍刀組が最高の地位にいました.
当時の社会で,絶対的なエリートでした,相対的エリートの現在の東大なぞとは,たぶん,比べようもないくらい信頼されていた権威者でした.
その上,天皇陛下の直属の股肱であります,軍官僚内部からは批判は出来ても,退役軍人の議員程度では歯が立たなかったのでしょう.
その意味では,真の意味での「国民軍」ではなかった,残念ながら,そう思います.
当時の国民は,現在より軍事常識が豊富にあったでしょう.
でも,それ以上に,というよりそれ故に,帝国陸海軍を純粋・純朴に信頼しておったのでしょう.
憎むべきは,「天皇陛下の無謬性」を「軍高級官僚の無謬性」に移し替えた詐術者達です,
私は,仲間の軍人を“軍紳”に祭り上げた現役の軍官僚と,軽薄なマスコミが責を負うべき者達だと思っています.
憂える事に現在もなお,高級官僚達の「身内意識第一主義」は変わらず,無責任なマスコミは相変わらず横行しています.
【質問】
太平洋戦争において,日本は科学力の差で敗れたのか?
【回答】
村上陽一郎によれば,それは大きな間違いだという.
以下引用.
――――――
戦争中の日本は,その国策からして,戦後のあの高度成長期の理工科ブームにまさるとも劣らないほどの,科学技術振興政策をとっていました.
理工科の学生は,徴用も後回しでしたし,大学でも研究費は潤沢でした.
子供たちも「科学する心」の開発をしきりにそそのかされ,『譚海』などというちょっとハイ・ブロウな少年雑誌には,高垣眸や南洋一郎,山中峯太郎などという作家たちの冒険小説にまじって,海野十三(うんのじゅうざ)の空想科学小説が評判でした.
そのころはSF,つまりサイエンス・フィクションなどというしゃれた呼び名はありませんでしたが,今から思えば海野十三の作品は,まさしくかなり高度なSFにほかなりませんでした.
――――――『新しい科学論』(村上陽一郎著,講談社新書,1979.1.20),p.15
やはり国力の差と,組織力の差で敗れたと言うべきではないかと.
【質問】
友人が,日本が太平洋戦争に負けたのは,官僚機構の弊害がモロに出て,軍全体がガチガチに硬直していまっていたのも一因だ,と主張するのですが,では,戦勝国のアメリカには『官僚制度』は存在しないのでしょうか?
無いとしたら,その代わりにどのような制度になっているのでしょうか?
【回答】
官僚制度はどこの国にもある.
ただ,市場や選挙といった公正な競争にさらされない官僚は自浄力がないので,任せきりにすると,遠からず腐敗したり間違った方向に進むと考えた方がいい.
そこで議会や施政者が綱を握って統制する.
この点,日米は対照的で日本は山縣有朋の時代から議会が弱く,官僚主導の国造りをしてきた.これは現在も色濃く残っていて,声高に弊害が叫ばれているのは周知のとおり.
政治家より長生きな日本官僚に対して,アメリカの官僚には政権が変わるたびに入れ替わりが行われる.政権が変われば長官や次官だけでなく,課長クラス以上がごっそり入れ替わるし,重要な役職(郡保安官や検事等も)は選挙で選ばれる事も多い.
軍も同様で,アイゼンハワーのような抜擢人事も可能になってる.
これにより組織の風通しが良くなるが,魅力がないので優秀な人材が集まらないとか,人材が育たないとかいう批判もある.("機甲自転車@私は知ったかです"
他)
アメリカでもね,猟官制が制度疲労し,ダメダメな時代があった.1900〜1920年代がそう.
猟官制=スポイルズ・システムの良いところは人事が刷新し易いということになるが,これが情実に動かされ,私的な交友による登用や,官吏の職を「買う」行為が横行した.
その結果として,政官の悪しき癒着が生まれ,連邦・州政府の官吏のモラルは著しく低下した.
上級の政府がそんなだからその下の郡・市町村の役所もダメダメになる.
挙句に1920年代の禁酒法で,マフィアが警察に賄賂攻勢を駆け,郡市町村警察・保安官をはじめ地方政府も腐敗してしまう.
その結果,行政組織の腐敗を何とかしろという圧力が強まった.
国家行政学会をはじめとして,当時,フォードやテイラーが成し遂げていた,組織の科学的(経営学的)管理手法を行政組織に導入しろ,ということが言われるようになった.
心ある政治家がそれに答え,ある程度,スポイルズ・システムを弱めながら,そうした組織管理をやるようになった.
まあ,アメリカに官僚制が無いわけじゃないんだ.悪しき時代もあった.
批判の的となるその態度である「官僚主義」も無いわけじゃない.
ただ,「官僚主義」の打破に,日本より時間をかけ,色んなことをやってきた.
それは間違いない.
【珍説】
何が強い軍隊かて? 人,人,そして思想だよ.
強い軍隊というのは,装備とか指揮系統とか訓練とか,そういうとこに本質はない.
近代戦の特徴は,国民国家相互の戦なんですよ.
そうなれば,強い軍隊じゃなくて,強い国民に戦の帰趨はかかっているという自明なことです.
アメリカに負けたのは,物資力や軍事力ではありません.
皇国史観が,民主主義に負けたのです.
【事実】
史観というか,国家・国民のシステムでも効率の悪いものだったし,それとは別に資源も軍事力も無かった.
それらは互いに連動し,影響を与え合うナマモノだから,民主主義のみを取り出して勝敗の最大の理由にはできない.
例えば民主主義とはほど遠い旧ソビエトでも,民主主義国家の代表を自称するアメリカと,半世紀にわたって軍事的均衡を維持できていました.
仮に戦前の日本が超良質の民主主義国家だったとしても,やっぱりアメリカ相手には勝てなかったでしょう.(そういう国ならそもそも,あんな無謀なことはしなかったでしょうけれど)
よく旧軍と米軍の対比で言われているのは,
・旧軍は,兵站管理の観念が著しく欠如していた.
・行動にあたっての計画の前提になるべき,情報収集・分析を軽視していた
・戦闘においても精神主義と白兵突撃に偏重し,火力や科学的態度を軽視しすぎた
・精神主義偏重の傾向は,米軍のようにドクトリンを柔軟に変更・発展させるための学習的態度をスポイルした
…などということ.これらは,皇国史観と民主主義などという価値以前の問題でしょう.
軍事における科学的態度や合理性の欠如・不足が敗因だったと言えるのではないかと思われます.
まあ精神主義の偏重に皇国史観が影響を与えているとも言えるでしょうけれど….
【珍説】
米国は多少の不具合も大量の機材と物量で押し切って勝った
【事実】
米国は合理的手法によって不具合を解消したのであって,国力のおかげというのは原因と結果を取り違えている.リソースの有利を生かす合理的な手法をとるから豊かな国となったのであって,豊かな国だから不具合を無視できるというわけではない.
部品の共用,製品交差の減少,規格の統一,専用機械を使用し熟練工をあまり必要としない生産ラインetc・・・と様々な試みを行っている.工員一人あたりの生産量が日本は米国に劣ったという事実が,単純な物量の差が敗因でないことを証明しているね.
陸海軍でライセンス費用を別々に払ったり,技術者同士の交流を禁止してみたり,同じ用途の同じ口径の機銃を別々に開発してみたり,と貧しきを拡大するようなことばかりを行っている帝国が,「物量で〜」等というのはもはや滑稽としか言いようがないですな.
【質問】
R3350の運用の仕方など,富める国の極みではないのですか? 極端な場合,16時間の運転で整備するのではなく,新品に全交換して廃棄.これを合理的というならば,他の国では絶対にまねのできない運用の仕方ですよ.
【回答】
発想が逆なんだよねぇ.合理的な生産によってエンジンのマスプロが実現できるからこその運用だということですよ.
R3350は冒険を避け,比較的平凡な技術の集大成ですから,生産に掛かる手間はそれほど大きくないし.
いくら国力が大きいからって,何の展望もなしにエンジン使い捨ててたら持ちませんよ.
【質問】
日本でも可能な限りの部品の共用化,できる限りの生産品質管理を行いできる限りの技手・工員の人員養成を行っています.それが米国よりも劣ってしまうのは,それに投入できるリソースが最初から不足しているためでしょう? 工員1人に投入できるリソースが少ないのですから,劣ってしまっても仕方が無いですね.
例をあげれば,日本でも
・方式の違うプロペラのライセンスを各々に一社に限定して,各メーカーに供給をしていたり
・各社の飛行機技術者が技師の会というものを作って交流していたり,
・川西が発動機と生産管理について中島に,機体設計や艤装について三菱とやり取りしていたり,
・海軍が陸軍航空隊の南方進出のために零戦を陸軍に提供するという話が持ち上がり,部隊配備一歩手前までいった事があったり
・飛竜と一式陸功の艤装部品の共用化をしたり,
といったプラスの事例もありますが.
昭和16年から17年にかけて,それまで中心だった汎用工作機械から単能工作機に重心が移行しています.
同時にタクト方式による流れ作業が極めて急速に普及しています.
これは作業の単能化,細分化を成すものですから,後に動員学生や徴用工などの未熟練工を現場で戦力化する上で大きな助けになっています.
また,開戦前の機体の原図と開戦間際,開戦後の機体の原図を機会があれば見比べてください.生産簡易化の為の変更が随所にみられると思います.
最終的には米軍戦略爆撃調査団報告に述べられているように,三菱重工名古屋航空機製作所などは流れ作業によるラインが稼動し,機械加工は汎用機・専用機・自動旋盤を持ち,工程の払い出しには移載機械の導入まで検討されています.
戦前の生産管理,品質管理は,欧米でも知られたテイラ−システムが根幹を成すと思いますが,日本の当時の施策は同じようにこれに準じる物です.
それに加え,当時の工員・技手・技師の手記や記録を紐解くと,戦後に名の知れたカイゼンやQC活動の萌芽がみられます.
これらの事をふまえて,国力としてのリソースが足りなかったと御考えください.当時の私達の祖父曾祖父はやれることはやっているのです.
【回答】
例えば,米国では生産をライン化して一人の工員が複数の手順を覚えなくもいいようにしてみたり,イラストを多用し判りやすいように改良されたマニュアル配布をしたりとやってるが,リソースをつぎ込んだ,といえるようなほどでもないですな.
それに,工員に対して適切なリソースを注ぎ込めば結果として注ぎ込んだリソース以上の生産効率を上げるのならば,それはつぎ込むべきリソースであり,国力の劣る日本こそ率先して行うべきですな.
例示が,例外的としか言いようがない事項しかないのも残念です.当時の生産現場の実情を見ると,物量の差以前に生産に対する概念の劣等性が見えてしまいます.
流れ作業と言っても,日本のそれは,最終組立段階に工程時間浮動・人力ラインのが限定的に取り入れられただけですし.
あの劣勢の原因を物量の差に帰結できれば気が楽でしょうが,それはやってはいけないことです.
【質問】
太平洋戦争が勃発した時点では,日本の方が保有空母の数では10:8で米国を上回っていますよね?
米国に敗北した原因が物量の差ばかり協調されがちですが,空母自体を建設する事は容易に可能でも,空母の乗組員を育成するとなると容易には行かなくなる訳でしょ?
となると,太平洋戦争に負けたのは物量の差ではなく,単なる戦下手が招いた事になると思いますが,どうでしょうか?
【回答】
この板では何度も出る話だが,まず,日本がアメリカに負けたのは「物量の差」のみではない.
物量以前に,生産力,技術,効率的な組織運営,人材,全てで劣っていたため.
また,資源を海外に依存するという弱点も,日本は抱えている.
で,アメリカは,人材を急速に育成するシステムでも日本に遥かに勝っていた.
その面から見ると,開戦時の戦力差など屁のつっぱりにもならない.
例えば乗組員の大量育成だが,要求される能力に対して,その基準に達するよう練成するモデルと,そのための基盤があり,かつそれを元に大々的に実行できうるなら,これは実現可能.
しかし日本にはどれも欠けていた.
確かに日本海軍が戦下手だったのは確かだが,戦上手だったら勝てたのか・・・となると,全然そんなことはない.
あの戦争は総力戦.なので,開戦時点での戦力で勝負が決まるものじゃないんだよね.
もちろん,開戦時点での戦力が大きいにこしたことはないけど,それだけではダメ.
総力戦というのは,すり減っていく戦力をどんどん補給しながら戦うもので,開戦時点での戦力よりも,戦力の補給が続くかどうかが鍵.
戦力の補給には,大きな工業力や莫大な資源が必要です.日本と米国ではこういった面で逆転できない差があった.
結局,何をどうやろうが日本はアメリカに勝利などできない.
史実よりも健闘出来たかもしれないが,所詮大事の前の小事.
◆◆戦後関連
【link】
「哲学ニュースnwk」◆(2013/03/27) 日本って第二次世界大戦でアメリカに負けてなかったら今どうなってたんだろうな
【質問】
亡くなった祖父の所属していた部隊や経歴を知りたいのですが,何か方法はないでしょうか?
【回答】
その手のデータは,陸軍省がなくなった後は厚生省援護局調査課が引き継いでるはず.
問合せ先等はgoogle検索してください.陸軍の場合,各県庁の福祉指導課(なければ恩給を扱っている部署)に問い合わせても良いようです.
恩給手帳があればたぶん一発で判明するでしょう.
部隊や経歴は「軍歴」と言うものに記録されており,入手先は
海軍:東京都千代田区霞ヶ関の厚生労働省社会・援護局業務課
陸軍:終戦時に本籍のあった都道府県庁の社会福祉課恩担当部署
になります.
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/sosiki/gaichi/onkyu.html
海軍の場合,丁寧に対応してもらって入手できたと言う話しをnetで見かけますが,陸軍の場合,軍歴を当人にしか発行しない県もありますので,まずはTELで確認をされると良いでしょう
▼ また,「通信用語の基礎知識」によれば,靖国神社でもある程度調査してもらうことができるという.
以下引用.
――――――
靖国神社【 祭神の調査 】
基本的には,大東亜戦争で散華された軍人はみな合祀されている.
自分の親兄弟,ないし祖父,曽祖父などが祭神であるかどうかを調べることも可能で,希望あらば参集殿の受付へ出向き,依頼の書類を書けば,一週間程度で返事が送られてくる(無料).
返信される書面には,次の事項が記載される.
英霊の名前(生前が山田太郎なら,英霊の名前は山田太郎命)
・ 一,階級
・ 二,所属部隊
・ 三,死歿年月日
・ 四,死歿場所
・ 五,死歿時本籍地
・ 六,死歿時御遺族
・ 七,合祀年月日
崇敬奉賛会(有料)に入会し,書類を書けば,豪華な装丁の「祭神之記」が送られてくる(無料).
――――――
軍事板
青文字:加筆改修部分
▲
▼ ちなみに戦友会は,高齢化によりどんどん解散していってるから,最近はあてにできない.
軍事板
青文字:加筆部分
▲
▼ 【関連リンク】
「厚生労働省」:旧軍人軍属の恩給,軍歴証明書に関する業務▲
【質問】
戦時中から代々保管してある武器は,どうすればいいでしょう?
▼ 実家の蔵を取り壊していたら,三八式歩兵銃?かな?が出てきました.
多分,爺さんが死ぬ前
「GHQから隠してやった.俺の魂だ」
って言ってた奴だと思います.
嘘っばか言う人だったんで,みんな信じてませんでしたが.
これって,やっぱり警察に届けないと捕まります?
錆びてスライド動かないんですが・・・
取り上げられるんなら,勿体無いなぁ・・・とか思って家族会議中です.▲
【回答】
このような武器が保管してあったと,警察に申告する必要があると思います.
大抵は,所有する事が出来る様,法律に則して加工を施されるはず.
どうしてもと言う場合には,地元の教育委員会に相談してみるのもありかもしれない.
軍事板
▼ 無稼動実銃の保有許可は,海外で加工された輸入品に対して行われるのが主で,それまで保管していた実銃を加工すれば大丈夫という類の物ではないです.
知らなかったとは言え,実銃を保管していたというのは銃刀法違反になりますので,まず許可は下りんでしょう.
遺品整理等で発見される旧軍の銃は,素直に届け出れば書類送検の上で不起訴が相場ですが,存在を知りながら届出を怠っていた場合は,起訴の可能性もあります.
悪い事は言いませんので,素直に警察に届け出て銃の所持も諦めるのが賢明です.
軍事板
青文字:加筆改修部分
▲
なお,海軍短刀についての場合,別項も参照されたし.
【質問】
山下財宝ってフィクションですか?
【回答】
「ノンフィクションである」と証明できる資料が何一つ出てきていないお話です.
山下財宝を掘り出す,もしくは国外に持ち出すための資金を出してくれ等と,未だに詐欺のネタにされています
.
確か,堀 栄三著「大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇」(文春文庫)に,インフレ対策のためにフィリピンへ金塊を空輸したという記述が有ったはず.(今手元に本が無いので正確には確認できないが)
.
おそらくこの辺の話が「山下財宝」伝説の元に成っていると思われます.
まあ,一般的に「山下財宝」=「サギ」と考えて間違いないと思うが.
***
「俺だよ,俺.……そう,山下将軍.財宝掘り返したんだけど,日本に持ち帰るお金が足りないんだ.
10万円ほど,今から言う口座に振り込んでくれない?」
【質問】
戦後,八路軍に参加した日本軍人が多数いたとの話ですが,彼らは反右派闘争や文革の際は,日帝のスパイとして迫害されなかったんですか?
【回答】
軍人に関しては大抵の場合,1952年10月1日付の『人民日報』に
「残留日本人の帰国を援助する方針について」
と言う政府声明が掲載されました.
1950年夏からジュネーブで,日本赤十字社代表と中国紅十次会代表との交渉が行われ,1953年3月から残留邦人の帰国が開始され,反右派闘争や文革には遭遇していません.
▼ 但し,その帰国に乗らずに残った人々は辛酸を嘗めており,1983年12月8日付の『人民日報』に中国農工民主党の第九期中央委員候補に選ばれた日本人を「大和族」として少数民族認定するまで,中国を構成する民族としてすら上がっていませんでした.
但し,その帰国に乗らずに残った人々は辛酸を嘗めています.▲
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分
▼ 上記に関し,中共国内の日本人を少数民族の1つ「大和族」として認定した,と1983/12//11付で毎日新聞が報じたことがあるが,これは誤報だった模様.
誤報と断定できるだけのソースは,google検索では確認できなかったものの,「誤報だったようだ」とするページは,右派左派中道問わず散見される.
ただし,日本人を「大和族」と中国では呼ぶことはあるらしい.
以下,その事例.
――――――
「民族は何にする?」
というから,冗談交じりに
「何でも良いの?」
と聞いたら,
「外国人だから何族にでも登録できるけど,普通は夫婦のどちらかの民族だろう!」
と笑いながら言われました.(^_^;)
「日本人は何族?」
と聞いたら,リストを調べて「大和族」と言われましたが,なんか「大和族」というのに違和感が有ったのと,
「もし中国国籍を選んだら,少数民族にもない大和族のままになるのではないか?」
という危惧をもち,妻の漢族を選びました.(^_-)
http://www.nemushishi.net/marriage_column08.html
――――――
ペマ 一度,中国の人民画報に「残留孤児」を「大和族」と書かれたことがありました.
私はすぐに,
「日本の皆さん,おめでとうございます.これでやっと私たちと同等になりましたね」
と書きました.
もちろん皮肉です.
すると撤回しましたね(笑).
http://pemagyal.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_c755.html
――――――
消印所沢
▲
【質問】
不発弾が発見された場合は,どう処理するの?
【回答】
最終的には自衛隊で処理します.
弾薬や不発弾が発見された場合は,まず所轄の警察に通報が行きます.直接警察署に持ち込まれるケースもあります.
その際,警官が現場を確認,弾薬を署に持ち帰る場合もありますし,危険がある場合や判断できない場合は県警本部を通じて自衛隊に調査の依頼がきます.
(陸や川の場合は陸自に,海の場合は海自に)
依頼を受けた自衛隊では弾薬の専門家(武器科)を派遣して調査し,所用の処置を行います.
信管が作動状態の時には爆発する危険があるので後日信管除去作業を行いますが,殆どは無害でその場で回収します.
また,自衛隊では定期的に,警察等に保管されている遺棄弾薬を回収しています.
これら自隊で持ち帰った弾薬や,回収された弾薬は,法律に基づき,爆破処理,海洋投棄,解体処理(業者)等の方法で無力化されます.
参考;
【警察からの火薬類の処理要請に対する支援について(通達)】(陸幕例規95)
(ドカン・オオカミ ◆s6tJH5.VuA)
【質問】
数週間前に東京で不発弾騒ぎがありました.
戦後60年以上経過してるのに爆発なんかするのでしょうか?
それだけ経ってれば,火薬がしけって信管も錆び付いたりと反応しないような気がするんですけど・・
【回答】
錆ってのは地中に埋まるとか水分と酸素から遮断された状態になると,腐食の進行が止まるか遅くなるんだわ.
そうなるとこの化学的に安定した酸化鉄が今度は酸化皮膜になって,中身の鉄や内容物を長期間,変質させないまま保護してしまう事になる.
古代の陵墓なり遺跡から鉄器が原型を保って出てくるんだから,況や60年程度の時間経過など瞬きのようなものだ.
したがって,爆弾がしけってるとは限らないし,信管もさび付いているとは限らない.
地中に埋まっていた所為で上手く保存されてる場合もあるし,しけってても問題なく爆発する爆弾もある.
それに,不発弾というのは「何かの理由で信管が作動せず爆発しなかっただけ」という,きわめて不安定かつ曖昧な状態にあり,逆に言えば何かの理由で数十年後に突然爆発を起こす危険な代物.
作動しなかった信管というのは作動しなかっただけであり,死んだり故障してるのではなく,「生きてる」と見なせるのだそうだ.(爆弾処理・解体の専門家の誰だったかの言葉)
▼ ちなみに,第一次世界大戦の西部戦線で塹壕線の下に仕掛けられた爆薬が起爆しないままとなっていたが,1955年に落雷で爆発した,という例もあります.
http://jp.youtube.com/watch?v=VxG12ZYm3Q8
2.6万ポンドの爆薬で径250フィート,深さ60フィートの穴が空いたそうです.
軍事板
青文字:加筆改修部分
▲
▼ また,「ハンガリーデイリーニュース」,2010/07/01付によれば,マルギット橋のペシュト側で,第二次世界大戦当時の弾薬などが見つかり,周辺地域が一時閉鎖されたという.▲
不発弾処理の現場
(画像掲示板より.元出所不明)
【質問】
不発弾はやっぱり危険なの?
【回答】
信管が付いてるのは非常に危険です.
信管は起爆させる為に付いています(当たり前ですが・・)
信管は衝撃,熱,圧力で反応して爆発し,主炸薬を誘爆させます.
ついでに信管は1個だけとは限りませんし,先端に付いているとも限りません(弾底信管ってのもあります)
もし庭に埋まっていたら下手に触らない方が身のためです.
信管が付いていない場合も,絶対安全とは言い切れませぬ.
古い不発弾は,爆薬内に鉄イオンが含まれてしまうため,とても敏感になります.
逆に新品より始末が悪いです.信管抜いてもね.
だから古い不発弾の信管を抜くときはとても慎重になるんです.
これで危険手当が24円/h(自衛隊の場合)
も一つ言うと,弾薬貯蔵庫にある爆弾をある年数過ぎたら片っ端から処理するのも前述の理由.
爆発しないんじゃなくて事故起こしちゃう可能性が高いから.
だったら弾体内部をテフロンで覆えば?と思うかもしれないが,そういうのは外国製で既にあったりする.
日本にはいまだに推定45000発の不発弾が埋まっているらしい.
そのうち8,9割は爆弾自体が腐食していて安全.
残りは危険.
ウチの親父は土木の現場監督やってましたが,第2寝屋川とか平野川の改修工事でしょっちゅう不発弾掘り出したって言ってた.
(大阪砲兵工廠のまわりね)
ユンボで地面掘ってると「ガーン」て音がするんだと.
たいがいは500ポンド爆弾で,伊丹の方も手馴れたものだったらしいけど,1発だけ1トン爆弾掘り当てて,その処理は結構神経使ってたみたい.
(不発弾処理のときは作業員も避難するんだけど,現場監督だけは残る決まりになってたんで,処理の様子見てたんだって)
【質問】
不発弾処理に失敗して爆発しちゃったことある?
【回答】
第二次大戦中の不発弾(日本軍の遺棄も含む)については失敗はありません.
ただ,戦時中に投下された機雷(日本軍の浮遊機雷も含む)の処理に関しては死者等が出ています.
解体業者の工場で爆発事故があって,どうやら犯人は旧海軍の「二式爆雷」で,これを不用意に切断した為に爆発したらしいと報道されていました.
この二式爆雷,充填されている八八式爆薬は「空気中では爆発しない(燃えて弾けるだけ)」と聞いていましたので意外でした.
それから自衛隊の処理ではありませんが,終戦直後に海岸に打ち上げられた魚雷の解体作業を(記憶不鮮明,確か民間業者だった筈)やっていて誤って爆発させて大惨事になった事がありました.
魚雷の弾頭は高性能炸薬で300キロ以上ありますから,これが爆発した威力は大変なものです.
終戦直後の沖縄では,不発弾もいいスクラップとして売れるので,素人がよく分解作業をしていたそうです.
もちろん,爆発事故もぼちぼちおこっていたそうです.
確か伊江島の戦争関係の写真集でも,不発弾の解体作業で亡くなった方の写真がありましたが,顔を含む上半身の前面が真っ黒になっていました.
そういえば,小学校の時,うちの先輩が森のなかでみつけた錆びた消火器を不発弾だと思って,わざわざ近所の自衛隊基地(しかもレーダー基地)に届けていました.
後から,その先輩といっしょにその基地に行って,そこの守衛さんからことの真相を知りました.
でも,その守衛さんが苦々しい顔をしていたのが忘れられません(苦笑).
【質問】
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100407/crm1004071609020-n1.htm
> あやめ池遊園地跡地から爆弾 戦時中の展示物か
>見つかった兵器は自衛隊が金属ごみとして処分する.
どうせならどこかに展示すれば良さそうなんですが.
2010年04月07日 16:50,Ai
【回答】
展示する場所ってのが,案外無いんですよ.
地元の資料館では,M4戦車の砲塔や,高射砲基部なんかが,施設の裏山に,露天で転がされていました.
また,施設に展示する場合,輸送費や維持管理費がかかります.
公園などに放置する場合でも,事故があれば管理責任などがありますから,なかなか難しいですね.
……自衛隊に連絡すれば,もしかしたら,譲ってくれるかもしれませんけどね.
2010年04月07日 17:10,極東の名無し三等兵
あやめ池遊園地,近鉄の負債の一つですな.まぁ保存状態が悪いのと,保管修繕費と広告効果が割に合わないんでしょう.
無難な選択かと.
2010年04月07日 17:24,Bernoulli
志賀とかの例もあるしな・・・
地元の西原町の図書館には,旧軍の96式榴弾砲(発掘されたやつ)があったんですが,もう撤去されたかな?(される予定という記事を読んだ記憶が)
まあ理由が
「学童が来る図書館に,軍国主義を助長する大砲はいらない」
というものだったような・・・
2010年04月07日 18:56,島の人
>あやめ池遊園地
ああ,あの近鉄奈良線からいつも見えていた,なんともいえないレトロな三体のロボットがあったところですね.
そうか,弾薬がみつかったということは,やっぱりあのロボットは飾りじゃなくて旧型決戦兵器(ry
2010年04月07日 19:07,Fabius (KT)
以上,「軍事板常見問題 mixi別館」より
青文字:加筆改修部分
【質問】
旧軍の博物館,資料館的なものを見学できる施設ってありますかね〜.
やまとミュージアムは行った事あるのですが,そんな感じのを他にも見てみたいです〜
【回答】
霞ヶ浦の住人の回答.
陸上自衛隊土浦駐屯地をお勧めします.
敷地内に,予科練記念館,銃器の博物館,火砲や戦車の展示があります.
詳しいことは,ここへ問い合わせてください.
土浦駐屯地 茨城県稲敷郡阿見町青宿121-1 029-887-1171
陸上自衛隊土浦駐屯地・雄翔館(予科練記念館)
陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校・資料館/火砲館
霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 in 軍事板
青文字:加筆改修部分
他に
靖国神社遊就館,
国立交通博物館,
知覧特攻記念館,
所沢航空記念館,
船の科学館,
等.
探せばけっこうあるもんだ.
【質問】
那須の戦争博物館ってどうなの?
いかにも怪しい戦車とかが置いてあって,友達が館長に聞いたところ,「俺が作った」とか館長は言っていたみたいだけど.
ここの情報を求む.
【回答】
最近(といっても2年くらい前)のアームズマガジンに取材記事が掲載されたことがあるよ.
実際行ってみた感じ,成金親父が余った金で,子供の頃の趣味の物を集めた博物館って感じでしたね.
28cm榴弾砲は映画『203高地』用のプロップ.
怪しい戦車は93式軽戦車つって,226事件の映画用にブルドーザー改造で作った奴.
戦車の砲が水道用の鋼管で先端に鋼管ソケットが付いてて,がっかりした事覚えてます.
展示されている銃器には38式歩兵銃/騎兵銃などは無可動実銃も混じっていたけど,タナカのモデルガンも多かった.
軍装品は判別つかなかったが,中田商店のレプリカが混じってるみたい.
なお,伊豆下田の下田城美術館にあった旧日本海軍の精密艦船模型は全てここに譲渡されたそうです.ここに行けば見られるかも.
良くも悪くも金持ちの道楽レベルって感じでしたが,一部に本物が混じってるのと,日本にはそんなレベルの戦争博物館ですら有るだけで貴重なので,他の用事で那須に出かけるとか,或いは近所に住んでいるというなら行ってみたらどうですか.
【質問】
グーグル・マップで,太平洋戦争の戦跡を見ることはできますか?
【回答】
ソロモン諸島方面や南太平洋なんか,今でも大縮尺じゃ画像がないありさま.
ガダルカナルはまあマシになった.
ブーゲンビルは相変わらず「ある」程度で,画像なし.
ニュージョージアも右に同じ.
レンネル島なんかカケラだ.
昔,それがソフト(スタンドアローンだったか,アースへ入るツールか)で供給されてた時かな,確か2003年だったか,ディゴガルシアが華麗にスルーされていたのには参ったよ.
そしてソロモン方面は完全に,衛星軌道上の画像しかなかたよ.
米国に謝罪と賠償と画像公開を(笑)
249 :名無し三等兵 :2009/05/22(金) 23:57:53 ID:???
みんな!旧陸海軍将兵たちにグーグルアースを時空転送するんだ!
冗談はいいとしても,まさに神の目.
戦争できねえつうか,準備も兵力集中も難しいな.
まあ,見てるだけで何も出来ない国な訳だが.
251 :名無し三等兵 :2009/05/23(土) 00:43:46 ID:???
>>249
攻勢準備している部隊を,衛星から捕捉するのは難しいと思うが…
それに運良くその場をマッピングしていて,尚かつ運良くそれを見とれたとしても,現地部隊への通達にも時間は掛かるんだぜ.
軍事板,2009/05/22(金)〜05/23(土)
青文字:加筆改修部分
【質問】
全国戦没者追悼式って何?
【回答】
毎年8月15日に行われる,第二次世界大戦の戦没者に対する追悼式.
日本政府主催で,無宗教の形で行われる.
第1回目は1952.5.2,新宿御苑で実施,1963年(日比谷公会堂で開催)からは毎年8月15日に行われるようになり,1965年以降は日本武道館で開催されている.
【参考ページ】
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/08/h0808-7.html
http://www.ndl.go.jp/horei_jp/kakugi/txt/txt01125.htm
「時事用語のABC」◆全国戦没者追悼式(ぜんこくせんぼつしゃついとうしき)(Memorial
Ceremony for the War Dead)
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E7%B5%82%E6%88%A6%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%97%A5/
【ぐんじさんぎょう】,2010/09/23 21:10
を加筆改修
武道館までの道のり
(うそ)
(朝目新聞より引用)
【質問】
神奈川県護国神社はどこにあったの?
【回答】
メール・マガジン『斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」』,2008.5.16日付
によれば,戦時中に護国神社が建設されたが,完成直前に空襲で灰燼に帰したので,存在しないという.
同メール・マガジンに紹介されている地元史家によれば,昭和14年に1府県1社の護国神社創立が許可されたあと,県は神奈川区三ツ沢町に造営を進めたが,竣功を目前にして20年5月29日,横浜大空襲で社殿は焼失したという.
戦後の昭和22年6月,県は境内地を横浜市に無償で払い下げ,現在,その跡地は三ツ沢公園の一部となり,現代的なデザインの横浜市慰霊塔が建っているという.
詳しくは同メール・マガジンを参照されたし.
【質問】
戦没者祈念行事における「神奈川方式」とは?
【回答】
メール・マガジン『斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」』,2008.5.16日付
によれば,港南区大岡台(真言宗の千手院から無償譲渡された土地)にある慰霊堂において,竣功した28年11月から行われた戦没者慰霊祭の方式であり,諸宗教合同で行われていたところに特徴があったという.
28年の慰霊祭に先立って県宗教連盟から,県に対して合同で奉仕したい旨,申し出があり,県が快諾したのだという.
官民が一体となり,しかも一宗一派によらず,神道,仏教,キリスト教合同の慰霊祭が行われるのはきわめて異例だという.
しかし昭和49年,民間の奉賛会が主催する宗教的な「奉賛行事」と,行政が主催する非宗教的な「慰霊祭」が分離された.
この3年前,津地鎮祭訴訟の第2審で,名古屋高裁が
「津市が神社神道式の地鎮祭を行ったのは政教分離違反」
と断定する判決を下したことが影響しているのではないか,と推測されているという.
同メール・マガジンでは,これを以下のように評している.
――――――
戦没者の御霊を慰めるという素直な気持ちより,憲法の政教分離原則なるものが必要以上に重視された結果です.
政教分離が,信教の自由を確保するためという本来の目的を外れ,政教分離それ自体が目的化した結果,死者の慰霊という目的を見失っているのです.
――――――
少なからず同感である.
【質問】
戦死者の遺骨収集の手伝いをしたいのですが,どの様な団体でそういった活動をしているでしょうか?
一般人の私でも,参加は可能でしょうか?
【回答】
例えば,こういう団体(日本青年遺骨収集団)に入るとか.
http://www.jyma.net/about/top.html
或いは宗教団体(金光教とか)に入信して,そこが主催する遺骨収集団に参加とか.
厚生労働省職員になって,遺骨収集団の団長になるとか.
基本的に政府が招集する遺骨収集団に参加する事は可能ですが,最初に挙げた団体に加入するのが最も良いと思いますよ.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分
収集遺骨
(うそ)
(画像掲示板より引用)
【質問】
すみません,お聞きしたい事があります.
最近「The Coming War With Japan」という本を読んだのですが,この本と同じようなことを扱った本でお薦め物って何か有りますか?
【回答】
第二次太平洋戦争とか大日本帝国復活論自体がきわものなので,どうしても胡散臭い本自体が多くなってしまうが,それでもよければ.
ワインバーガー元国防長官の『次なる戦争』(二見書房)では,将来アメリカが直面する可能性のあるシナリオの一つとして,第二次日米戦争が小説形式で取り上げられている.
で,「The Coming War with Japan」みたいなトンデモ本をおちょくった『日米決戦2025』という漫画が出てて,巻末の解説で,仮想戦記作家の佐藤大輔が,そういった設定の馬鹿馬鹿しさを徹底的に皮肉っている.
まあ一番の皮肉は,件の本の中で佐藤が
「トムクランシーあたりが『攻撃命令レッドサン』的なタイトルで,小説でも書いてくれたらまだマシだが,そうでもしなけりゃこんなアホ臭い設定,真面目に検討する気もおこらねぇよ」
と嫌みを飛ばしてたら,本当に『日米開戦』(新潮文庫)をトムが出してしまった(しかもプロットはかなりの電波)ことだろうか.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
大東亜戦争への反省として,「我々は二度と戦争はしない」と考えるのは間違いなのか?
【回答】
竹田青嗣〔哲学者・思想家〕によれば,国家同士が戦争をしなくて済む条件をしっかり考え,事態をそういう方向へ推し進めていかないなら,単にロマンティックな絵空事になるだけだという.
すなわち,
「あんな酷いことをしてしまった」
という事実をしっかり見据えることは大事だが,その当時の近代社会や近代国家の本質的な性格も理解しなければならない.
それがなく,どうしたら罪過を贖えるかという罪悪感を強いられる(罪悪感脅迫)と,絶対正義がどこかにあるかのように想定する政治的プラトニズムに陥る.
この政治的プラトニズムは,一つ間違えると,正義のためにはどんなことも許されるというところまで行く可能性がある,という.
詳しくは,「正義・戦争・国家論」(径書房,1997/9/10),p.59〜63を参照されたし.
【質問】
これまで日本は中国に対して何回謝罪したのか?
【回答】
1972〜2001年に,村山談話を含めて21回謝罪しているという.
にもかかわらず,「日本は謝罪していない」と認識している中国人が多いようである.
以下引用.
1995年8月15日,当時の村山富市首相が述べた「戦後50周年の終戦記念日にあたって」という,いわゆる村山談話.ここには
「わが国は,遠くない過去の一時期,国策を誤り,戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ,植民地支配と侵略によって,多くの国々,とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました.
私は,未来に過ち無からしめんとするが故に,疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め,ここにあらためて痛切な反省の意を表し,心からのお詫びの気持ちを表明いたします」
とある.
中国共産党の機関紙『人民日報』の高級評論委員だったという馬立誠氏が今年,日本で出した『日本はもう中国に謝罪しなくていい』(文芸春秋,2004.2)を読んでいると,
「72年から01年にかけて,日本は戦争問題で中国に21回も謝罪している」
として,それぞれを列挙している.
この本によると,小泉純一郎首相も01年秋に北京の「中国人民抗日戦争紀念館」と訪れた後,
「侵略によって犠牲になった中国の人々に対し心からのお詫びと哀悼の気持ちを表明する」
と言っている.
〔ハルビン理工大学日本語科の〕大学院生の反応の中には,「反省せず謝罪しない日本」と「イギリス」とを比べているのがいくつかあった.
「中国を侵略したのは日本だけではない.イギリスなど欧米諸国もそうだが,彼らは素直に歴史を認めて謝ったから,我々は許した」
などとある.
驚いた.イギリスが侵略や植民地支配を謝罪したなんて,不勉強かもしれないが,聞いたことがない.
「エッ,イギリスがいつどんなふうに中国に謝ったの?」
と尋ねると,相手も少し困った顔をしている.
やがて
「謝ったような感じがしたものですから・・・」
と,小さな声が返ってきた.
岩城元の「ハルピン発なんのこっちゃ」,September 30, 2004
上述著述者は中国を講師をしている人物であり,また,ソースも明確であるところから,信頼性は比較的高いと愚考する.
【質問】
謝罪問題について,中国と韓国の「思惑」から話を出発させることに,違和感を感じるんですが.
【回答】
日本側の”負い目”を逆手にとって政治利用しようとしている勢力(中・韓政府ですが)に対しては,断固日本の正当性を主張すべきです.
というより日本人がやらなければ,誰も日本の正当性など認めてくれなくなってしまう.
以前貿易業務担当でしたので,中・韓含め外国人と交流がありましたが,外国人はやっぱり知らないし誤解も多いですよ,日本に関して.
日本に関する誤解や無知の部分は,日本人が努力していかなければ,解決してくれません.
それから本当に中国や韓国が謝罪をもとめているのですか?
これは是非お伺いしたいのですが,では中・韓は何を求めているとお考えでしょうか?
中国は,日本のアジアにおけるプレゼンス低下,韓国は政治家の支持率向上という政治目的しか求めていない,と私は考えていますが,日本人にとって絶対に目を背けてはならない現実だと思います.
現実から目を背け,神州不滅をスローガンに暴走した亡国の徒のようにならないためにもです.
【質問】
歴史認識について,世界中から日本の姿勢が疑問視されているのでは?
【回答】
世界のどこにでも朝日新聞みたいなジャーナリストはいるものです.
それを捉えて 「ほら!日本は世界中から嫌われてる!」
なんて・・・
以前,中国のG8入りにG8各国が反対で一致した事実をご存知ですか?
その理由は反日暴動と領事館襲撃の未賠償なんですが,もし質問者の言うように欧米諸国が日本を疑問視していれば結果は真逆だったはずですよね.
【質問】
定期的に謝るのが反省に立つことになるのでは?
【回答】
相手によりますね.
ちなみに中国人は絶対にそういうことはしません.
まず,そういう文化がありません.
でも,「すみません」 文化の日本には強く要求する.
この矛盾を解決してもらえれば定期的謝罪祭でもなんでも毎年ハデにやりましょう.
但し,日本政府も再発防止の為に,事実関係を可能な限り客観的に分析し,再発防止処置を国際社会にコミットメントすべき.
これは極東軍事裁判の判決とは無関係に,当時日本が批准していた(もしくは遵守を公約した)国際法,日本の法律,軍律に照らし合わせて,戦争犯罪行為,一般犯罪行為を特定,再発防止をしなければならない.
(誘拐,放火,殺人,強盗等は当然当時でも重犯罪です)
一方,中国,韓国の誤りに関しては,日本の正統性を国際社会に訴えていかなければならないし,抗議しなければならない.
謝罪ならこれだけしている,一部の議員が妄言をする事があるが,それは「60年間戦争もせず,憲法で交戦権を放棄しているにもかかわらず,実情を一切黙殺し過去の亡霊を引っ張り出し圧力をかけてくる,中国,韓国の姑息な外交圧力に対するフラストレーションが爆発しただけなんだ,という事を.
と言うわけで,問題は「日本がちゃんとミソギをつけたかどうか」
・国家間では既に賠償問題は終わっている
・交戦権は放棄した
・20世紀以降に獲得した領土は全て返却した
・戦後60年一度も他国と戦争をしていない
・武力で他国に圧力をかけてない
・・・・・何か十分なような気がするな.
「お前は本当は反省して無いだろ!!」「いや!反省している」と言うのは,はっきり言って水掛け論.
要は,もう日本が戦争をする意思が無いと言うことを確認できればOKなんでしょう?
あちらの人に干渉しなければOKなんでしょう?
まさか中韓の人の中には日本が再軍備化して,攻め込んでくるとは思ってませんよね.
話はこれで終わってるような気がするんですが.
日本に他国と戦争する意思が無いのは明らかなのに,それでもイチャモンつけてくるのは,やはりある程度の計算と思惑があるとしか思えないんですよね.
【質問】
中韓が先の大戦の怨みをいつまでも忘れないのは何故?
【回答】
中国人民が何を不満に思っているかと言いますと,低所得者層はいくら働いても一向に生活が楽にならない状態が何年も続き,楽になるどころか貧富の差は激しくなる一方である事なんです.
その原因は,明らかに中共の一党独裁による経済政策の失敗なのですが,中共はその原因を日本のせいにしたいわけです.
つまり,経済がうまく行き,日本からの賠償金やODAも,きちんと地方農村・低所得者層にまで行き渡り,多くの人の暮らしが楽になれば,恨みは過去のものとなるのです.
ピンハネした奴らは
「彼らの生活向上が進まないのは日本のせいである,日本は悪党だ!」
と言い続けているから,民衆は
「そうだ!そうだ!日本人がじいちゃんを殺さなければ俺は金持ちだったんだ!」
となっているに過ぎないのです.
つまり忘れないのではなく,中国共産党が忘れさせないのです.
これは韓国も全く同じではありませんが,今似たような状況になってます.
「日本からの賠償金は前政権がピンハネしたから,謝罪したことにはならない!再度よこせ!竹島よこせ!」
と言ってるのです.
明らかにアメリカから〔原爆投下などの〕無差別大量虐殺を受けていながら,日本人は恨みを忘れやすい国民性だ,なんて言われてますが,本当は日本人は恨む必要がなくなった国民なんです.
中国・韓国が未だに 「恨み言」 を言うのは,その国の政府に
「その必要がある」 からなんです.
そこをはっきり認識して冷静になって,中国・韓国の政治家の言葉に耳を傾けてみてください.
韓国では反日を叫べば支持が得られる国情を考えると,金泳三元大統領や,盧武鉉現大統領の様に,支持率低下を食い止める戦術として使う例は後を絶たないでしょう.
ちなみに確かに日本の若者は過去を知らな過ぎるかも知れませんが,韓国人は正しい過去を知らなすぎる.
この状況も問題です.
【質問】
太平洋戦争についての現在のアメリカ人の知識は?
【回答】
ウイリアム・バークレーがアメリカの高校で太平洋戦争の講演を行った所,
生徒からこんな質問が出たらしい.
「それは大変な事だったのではないか? あのソニーとトヨタの国と戦争したでは」
日本は大国だと知られてはいるが,アメリカの若者の知識はこの程度である.
▼ 【反論】
少なくともソースとしては不足だと思います.
どこぞのやらせ込みのクイズ番組じゃありませんが,日本の大学生でも,60年ほど前に日本が中国やアメリカと戦争したことを知らなかったとか,1997年に香港が独立したとか,その手の珍説というか珍知識を披露してくれる人がいないわけではありません.
HASU in 「軍事板常見問題 mixi支隊」,2009年12月22日 02:02
▲
▼余談ではありますが,ロシアの第二次世界大戦の若い人の認識についても見つけましたので,
http://www.fesu.ac.jp/report/61-p1.html
より一部引用.
-------------------------------------------------------------------------
最近ロシアで行われた高校生へのアンケートで,第二次世界大戦の主な出来事についての設問に対し,ある生徒が
「ソ連はドイツと同盟を結び,日本とアメリカに対抗して戦った」
と答えたそうです.
-------------------------------------------------------------------------
翻訳の関係からなのか,いささか文章全体が情緒的になっているのはさておき,こちらの内容も728でのHASUさんの懸念どおりであればいいのですが.
(無論,教授の実名で書かれているとはいえ,この「高校生へのアンケート」の元が明らかにされていないことから何ともいえませんが.)
ぎんなんそう in 「軍事板常見問題 mixi支隊」,2009年12月23日 03:52
▲
【質問】
旧日本軍に所属していて現在生存されている人で,終戦当時の階級が一番高い人ってわかりますか?
【回答】
正確なところは厚生労働省しかわからないでしょうけど,参考までに.
陸軍では2007年に95歳で亡くなった瀬島龍三中佐が陸士44期・陸大51期首席.
2008年に91歳で亡くなった中村龍平少佐が陸士49期・陸大56期恩賜.
ポツダム中佐あたりが階級では上限かなと思われ.
2008年6月の海軍兵学校卒業者の連合クラス会には,名簿によると海兵62期の方が1名「出席」されています.
もっとも,64期の有馬敬一少佐(ポツダム少佐?)が出席者で最高齢との記載もあります.
2007年に98歳で亡くなられた奥宮正武中佐が58期ですから,やはり階級はこの辺が上限かと.
なお,連合クラス会は昨年度で解散したそうです.
◆yoOjLET6cE in 軍事板
青文字:加筆改修部分
▼ ちなみに三笠宮様は少佐で終戦を迎え,今もご健在です.
arot in FAQ BBS,2010/8/26(木) 21:34
青文字:加筆改修部分
▲
「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ サイト・マップへ
軍事板FAQ
軍事FAQ
軍板FAQ