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◆◆総記
◆ホロコースト 目次
<第二次大戦FAQ
ゲシュタポのユダヤ人担当者で,ガス室などユダヤ人皆殺しに腕を奮ったアドルフ・アイヒマンが,イスラエルの法廷で絞首刑を宣告された.
裁判長は,ユダヤの律法により,死刑囚は一つだけ希望を述べることができる,とアイヒマンに説明した.
アイヒマンは少考の後,ユダヤ教に改宗したいという希望を述べた.
これは,ユダヤ人になりたいということと同じ意味である.
裁判長は,理由の説明をアイヒマンに求めた.
アイヒマンは答えた.
「そうなれば,また一人ユダヤ人が死ぬことになるからです」
植松黎編訳「ポケット・ジョーク(5) ブラック・ユーモア」(角川文庫,1981.2)
「SPIEGEL」◆(2012/11/03) Bei der Suche nach dem #NSU nutzten die Fahnder auch Rasterfahndung.
「tnfuk」◆(2007年09月11日)イスラエルの「ネオナチ」の報道
「Togetter」◆(2010/08/27) 後藤寿庵先生の「ユダヤがらみ」の話をしよう
「VOR」◆(2012/08/16)ユダヤ教の聖職者 アップル社に「シオン賢者の議定書」のダウンロードを勧めるメッセージの削除求める(8/16)
「VOR」◆(2012/09/17)巨大なアヒル風船,ネオナチの行進阻む
「VOR」◆(2012/11/04)モスクワ中心部でかぎ十字つき軍用外套を着た25人,逮捕
「VOR」◆(2012/11/27)国連総会,ネオナチ反対のロシア発案を採択
「VOR」◆(2013/01/07) エジプト大統領,シオニストを「猿と豚の子孫」呼ばわり
「WP」◆(2012/02/25) Was Anne Frank baptized by Mormon church?
「ストパン」■(2009-03-20)ホロコーストの基礎知識について
「ストパン」■(2009-09-20)代以降の反ユダヤ主義(Antisemitismus)についてのメモ
「想像力はベッドルームと路上から」◆(2012-11-30) フットボールと反ユダヤ
「腹筋崩壊ニュース」◆(2016/03/18) ユダヤ人が迫害された結果www
「町山智浩アメリカ日記」◆(2010/08/26)ディファメーション!
>ユダヤ人差別との闘いがイスラエルの軍国主義の正当化に利用されている現状
『アウシュヴィッツの〈回教徒〉 現代社会とナチズムの反復』(柿本昭人著,春秋社,2005/10)
「ストパン」■(2008-10-30)[読書]「生きるに値しない命」の選別と,その反復
『全体主義の起原1 反ユダヤ主義』(ハナ・アーレント著,みすず書房,1981.7)
『ホロコースト後のユダヤ人 約束の土地は何処か』(野村真理著,世界思想社,2012/10/25)
『ホロコースト産業』の何が問題か (2009-03-26)◆「過ぎ去ろうとしない過去」
『ホロコースト・スタディーズ 最新研究への手引き』(ダン・ストーン著,白水社,2012/11/22)
『ホロコースト全証言』(グイド・クノップ著,原書房,2004.2)
『ホロコースト大事典』(ウォルター・ラカー編,柏書房,2003.10)
【質問】
ホロコーストって何ですか?
【回答】
ホロコーストとは,ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺を指します.
なお,ナチのイデオロギーの犠牲になったのは,ユダヤ人だけではありません.
ロマ(いわゆる「ジプシー」ですが,蔑称なので現在は使いません),ポーランド人などのスラヴ系民族,さらに障害者,同性愛者なども,ナチの犠牲者です.
「ストパン」■(2009-03-20)[歴史修正主義]ホロコーストの基礎知識について17
青文字:加筆改修部分
【質問】
「ホロコースト」の元々の意味は?
【回答】
ホロコーストはギリシャ発祥で,本来の意味は「火あぶりになった生贄」です
それがケルト人を通じてヨーロッパに広がる過程で,あのような料理を指す名称となりました.
よって,「ホロコースト」とは欧州に広く伝わる古い料理法の呼び方であって,食品自体の名称ではありません.
これ以上は板違いなので,食品板でどうぞ
西洋家庭料理を語るスレ
【質問】
「ホロコースト」という言葉は,いつから使われるようになったのか?
【回答】
ユダヤ人の迫害・虐殺という意味での「ホロコースト」は,1960年代に正統性を獲得し,1970年代から北米で広く用いられるようになった.
1973年の中東戦争は,イスラエルがアラブ諸国によって全滅させられるかもしれないという恐れを抱かせ,これがホロコーストとそれの現代社会への影響について考えさせる効果を生んだ.
また,1970年代に人権剥奪問題が世界的に注目されるようになる共に,アメリカの教育者たちは人権・ジェノサイド・ホコローストといった問題に目を向け始めた.
教育プログラムが整備され,アムネスティにはノーベル平和賞が贈られ,ホロコーストの生存者・目撃者の証言の記述が多く発刊されるようになり,70年代末にはテレビで短期連続番組「ホロコースト」が放映されるに至った.
但し「ホコロースト」という言葉を使うのは不適当と考える研究者もいる.
ホロコーストの語源であるギリシャ語の言葉は,火によって丸焼きにされ,神にささげられる犠牲の供物を意味しているが,ユダヤ人の迫害・虐殺にはどんな犠牲の意味合いもなく,火との関わりの必然性もないからである.
今日ヨーロッパでは,ホロコーストという言葉は次第に使われなくなっており,「ショアー」または「ジェノサイド」という言葉が使われる.
しかし英語圏では,「ホロコースト」という言葉が深く根付いている.
詳しくは,
ウォルター・ラカー編『ホロコースト大事典』(柏書房,2003),序文, p.16-18 & 638
を参照されたし.
つまり,アメリカではホロコーストの記憶は主に教育によって与えられるものであるので,ロスの「サイモン・ヴィーゼンタール・センター」もその流れで自然,他国に対しても「教育的指導」を行おうという姿勢になっているのかもしれない.
そしてそれは,他国の人々にとっては押しつけがましく感じられる可能性があるだろう.
なお,最初にこの言葉をこの意味で使い始めたのはエリ・ヴィーゼルらしいのだが,編者は未確認.
mixi, 2016.11.5
【質問】
欧州の一般市民は,ユダヤ人排斥についてどこまで知っていたの?
【回答】
ナチズム下にある大衆心理については,ドイツからの亡命ユダヤ人で,社会心理学の大家である,エーリッヒ・フロムが,その精神的な隷属の分析を早くも1941年に,アメリカで出版している.
これは講義ノートに基づく論文であり,30年代後半には,そうした分析が行われているわけだ.
かてて加えて,目端の利く知識人階層や裕福な階層からのユダヤ系ドイツ人の亡命は相次いだ.
ユダヤ人排斥の動きの全容までは知られていなくとも,一般的に,
「精神的に隷属状況にある大衆が,ユダヤ人排斥を行っている」
というくらいの認識は,決して少なくない人数の欧米人にはあったろうと思われる.
軍事板,2006/01/16(月)
青文字:加筆改修部分
【質問】
ホロコーストを免罪符に,パレスチナを侵略するイスラエルって外道じゃね?
【回答】
外道ですね.
ナチに親族を殺害されたユダヤ人からも,イスラエルの民族浄化は批判されています.
――――――
祖母の死を,ガザにいるパレスチナの祖母たちを虐殺するイスラエル兵士の隠れ蓑にしないでください.
現在のイスラエル政府は,パレスチナの人々に対する殺戮行為を正当化するために,ホロコーストにおけるユダヤ人虐殺に対し,異教徒たちが抱き続けている罪の意識を,冷酷かつ冷笑的に悪用しています.
それは,ユダヤ人の命は貴重であるが,パレスチナ人の命は価値がないとする視点を暗黙に示唆しています.
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/845
――――――
また,たとえば2010年7月5日(月)には,ポーランドの強制収容所の壁に,イスラエル人の元空軍隊長と活動家が,反イスラエルのメッセージを落書きする事件も発生しています.
彼らは
「すべてのゲットーを自由に.パレスチナとガザを解放せよ」
などとスプレーで書いたそうです.
(エルサレム・ポスト)
殺人事件の被害者だからといって,無関係のひとを殺してはいけません.
当たり前の事です.
どうして新たな殺人を否定するのに,今の加害者がかつて被害者だった事を,否定する必要があるのでしょうか?
なお,イスラエル政府は直接的にはパレスチナ侵攻に際し,ホロコースト云々ではなく自衛権を主張していますが,ここで言ってるのはそういうことじゃなく,国際社会がイスラエル批判に及び腰な理由の一端にはホロコーストの罪悪感があるんじゃないかとか,ホロコーストがイスラエルのトラウマになってるんじゃないかとか,そういう事を指します.
逐語解釈なきよう,念のため.
「ストパン」■(2009-03-20)[歴史修正主義]ホロコーストの基礎知識について17
&同コメント欄
青文字:加筆改修部分
【質問】
ホロコーストや南京虐殺は,原爆やシベリア抑留を矮小化するための外交カードとして使われているのでは?
【回答】
嘘ですね.
そもそもアメリカは,原爆投下を必然的なものだったと主張しているわけで,矮小化する動機が存在しません.
ソ連に関して言えば,こちらも同じく,ドイツ人や日本人の抑留を矮小化する理由がない.
だってソ連の考えからいけば,別に悪いことでもなんでもないから.
だいたい両方とも,戦時中から報告されてきた事件であって,たとえば西独なんかでは戦後一貫して,ナチの犯罪を裁くということをやってるわけです.
イスラエルの大統領を国会に呼んだりもしてるし,そんなドイツに対してホロコーストは,外交カードには中々成り得ない.
東独に関してはそもそもソ連の衛星国です.
「ストパン」■(2009-03-20)同コメント欄
青文字:加筆改修部分
ちなみに,よくよく思い出してみれば,「原爆投下を矮小化するため,南京事件を」云々と言うのは,小林よしのりが唱えている珍説ですな.
◆◆反ユダヤ主義の系譜
【質問】
第二次世界大戦少し前,なぜユダヤ人は嫌われてたんですか?
金融牛耳ってたから?
【回答】
▼<総論>
かなり古くからあったのは,
1)キリスト教的反ユダヤ主義}(「あいつらキリストを殺したじゃないか」)
と
2)啓蒙主義型反ユダヤ主義(「あんなの迷信だろ?」)
19世紀になって出てきたのが
3)ナショナリズム型反ユダヤ主義(「あいつら国民国家形成のじゃま」)
で,ここらへんまではユダヤ人の側の「同化」の論理と共存出来ないわけではなかったが,さらに19世紀後半になると疑似ダーウィニズムの影響で,
4)人種論型反ユダヤ主義(「あいつら劣等人種.同化不可能」)
が出てくる.
で,こういういくつかの次元の異なる反ユダヤ主義の思想的潮流が,19世紀末不況やWWI後の混乱によって社会的な表現を与えられたのが,政治的反ユダヤ主義(一種のスケープゴート理論).
(ただこの手の一般的な反ユダヤ主義がホロコーストに至るには,もう一段,思想的・政治的な強度の変化を経る必要があったとのこと)
詳しくはハンナ・アレント『全体主義の起源』参照.
1)キリスト教的反ユダヤ主義
そもそもイエス・キリストはユダヤ人の洗礼者ヨハネ(使徒ヨハネとは別人)に洗礼を受けた.
つまり弟子入りした.
その後イエスはキリスト教を率いて分派するんだけど,当時一大宗教団体を率いていたヨハネ一派(ユダヤ人)からは
「あいつらやってることヨハネの丸パクリじゃん?」
と馬鹿にされてた.
世界史板
青文字:加筆改修部分
▲
そしてユダヤ人たちは,キリスト教徒にとっての崇拝対象であるイエスを救世主として認めず,かえってローマ人の手を借りて処刑せしめた.
新約聖書にはユダヤ人の頑迷ぶりがこれでもかと描かれているが,面倒なので略.
イスラエル交通相◆3RWR.afkME in 世界史板
青文字:加筆改修部分
▼ で,キリスト教側もムカついてたのか,聖書にユダヤ人の悪口をいっぱい書いた.
(ヨハネだけは,色々な宗教団体からガチの偉大な預言者と見られてたので,褒め称えた文しか残ってないけど)
300年後にキリスト教がローマの国教になる頃には,決定的に仲が悪くて迫害を受けるようになった.
(その後,ユダヤ人はイスラム側の土地に逃げるんだけど,イスラム教への改宗は拒んだ.
そこでまたイスラムから迫害を受けるようになった.
似たようなことは世界中でおきたらしい)
世界史板
青文字:加筆改修部分
▲
宗教的に嫌われたユダヤ人の母国は,戦争で支配者がころころ代わっていたから,外国で生活するユダヤ人の方が圧倒的に多かった.
で,中世ヨーロッパでは(多くの異教徒がそうであるように)差別対象で,まっとうな職業に就けなかったため,キリスト教徒には禁止されている金融業に手を出した.
世の中,金貸しというのは嫌われるものでして.
ユダヤ人は,イスラエル建国まで民族としての母国を持たず,欧州各地に居たけれど,生活上の独自の習慣を堅く守って,あまり地元の文化と同化しようとしなかったから,というのも大きいかと.
嫌うにしても,対象が分かり易いものである必要があるわけで.
また,キリスト教徒は表向き金貸しをすることを禁止されていたため,ユダヤ教徒が金融業をやるようになり,それで妬まれてさらに嫌われました.
同じように酒屋や宿屋を営んでいるユダヤ人が多かったですが,どちらも風俗の乱れの元凶と見なされていたので,さらに嫌われました.
ちなみに,ユダヤ人がキリスト教徒と同じような職業につこうとしても基本的に無理です.
キリスト教徒に改宗したユダヤ人は,「マラーノ」などの改宗ユダヤ人をあらわす単語で呼ばれ,やっぱり迫害されました.
キリスト教徒に受け入れてもらうために過剰に熱心なキリスト教徒になり,過酷なユダヤ人・改宗ユダヤ人への迫害を行った改宗ユダヤ人も多いです.
余談ですがイスラム教徒はキリスト教徒に比べれば,ユダヤ人に寛容でした.
時々「イスラエルに味方する十字軍」なんていってるイスラム過激派がいますが,十字軍士がユダヤ人の腹を裂いて大喜びしてたことを考えると…
なお,ユダヤ人で勘違いしてはいけないのは,ヨーロッパに住んでいるユダヤ人の大半は混血化しているし,そもそも熱心なユダヤ教徒でもなければ,ユダヤ人の風習を厳密どころかロクに守ってもいない.
ましてや本物のシオニストの割合なんて,どの程度なのよ?ってレベル.
そいつらまとめて虐殺したり,差別したりすればやっぱ問題でしょう.
軍事板,2005/01/21
青文字:加筆改修部分
1962〜65年に行われた第2回ヴァチカン公会議で,ようやく
「うはww 古代ユダヤ人の罪を今のユダヤ人が背負う義務はないよねww ごめwwww」
と過ちを認めたが,逆に言えばそれまでは…だったわけで.
▼2)啓蒙主義型反ユダヤ主義
(データ不足により省略)
3)ナショナリズム型反ユダヤ主義▲
近代,民族・国家という概念が成立する中で,自国内に存在する異分子として,あるいは敵を作ることで民族を団結を図るために,ユダヤ人を敵視しだした.
▼ アラブ・ナショナリズムの裏返しの反ユダヤ主義も,これに含まれるだろう.
4)人種論型反ユダヤ主義
についてはナチス・ドイツ的反ユダヤ主義に関する別項参照.▲
【質問】
ヨーロッパ史において,ユダヤ人に対する主な迫害には,どんなものがあったのか?
【回答】
・7世紀,西ゴート王国の反ユダヤ政策.
財産没収,重税課税,処刑,強制改宗など.
・十字軍遠征の際のユダヤ人虐殺.エルサレムでは2万人が虐殺された.
・中世のゲットー.
・焚書
詳しくは,マーヴィン・トケイヤー著「ユダヤ商法」(日本経営合理化協会出版局,2000/9/7),p.を参照されたし.
または,ぐぐられたし.
+
【質問】
ゲットーの起源は?
【回答】
中世,ユダヤ人を特別の区域に住まわせることを制度化したのが始まり.
以下引用.
中世に入ると,ユダヤ人を差別して特別の区域ゲットー(ユダヤ人街)に住まわせることが制度化された.
1179年に,キリスト教会は公式にそうすることを命じた.
もっともゲットー(ユダヤ人街)の始まりは,ロンドンが1276年,イタリアのボローニアでは1412年というように,都市によって異なった.
〔略〕
ゲットーという言葉は,「鋳造場」というイタリア語から発しているが,1516年にベニスで鋳造場の跡地にユダヤ人居住区が設けられたのが,その由来となっている.
そもそも,ユダヤ人を隔離するというのは,別に新しいことではなく,古代から見られるものである.
しかし,このゲットーは,ユダヤ人と外界の接触を最小限に抑えるというのが目的であった.
ユダヤ人は日中だけゲットーを出て商売することが許されたが,夜間はゲットーに閉じ込められたのである.
〔略〕
ゲットーが最も多く,普遍的につくられたのは,ドイツとイタリアである.ユダヤ人は劣等民族として扱われた.
ロシアや,その周辺の白ロシアやウクライナや,あるいはポーランドをはじめとする東ヨーロッパでは,ユダヤ人は荒野の中に点々と散在する,小さな村落の中に閉じ込められた.
これらの集落は,都市のゲットーのように高い壁によって囲まれていなかったが,周りに差別という目には見えない壁が取り巻いていた.
それはユダヤ人である限りは,乗り越えることができない壁であったのだ.
マーヴィン・トケイヤー著「ユダヤ商法」(日本経営合理化協会出版局,2000/9/7),p.23-26
中性のヨーロッパといえば農業時代であったのに,ユダヤ人は土地を所有することが許されなかったから,農民として生きることができなかった.
その上,ユダヤ人はギルド(製造人の組合)に入ることが許されなかったので,製造業に従事することもできなかった.
そこで,ユダヤ人は行商人,金貸し,仕立て屋,屑屋,靴職人,古着屋,書記,教師,水運び,牛乳屋というように,雑多な商売に従事した.
〔略〕
また,ごく例外であったが,その高い能力のために,キリスト教に改宗することなく,ゲットーの外に住み,裕福な生活をすることができたユダヤ人がいた.といっても,ごく僅かである.
これらのユダヤ人は,王侯貴族に経理や経済運営の手腕を見込まれて,宮廷に取り立てられた人々だった.
これらのユダヤ人は,「コート・ジュー(宮廷ユダヤ人)」と呼ばれ,彼らはゲットーに住むことを免除されて,邸宅を与えられて住んだ.
コート・ジューは,しばしば雇用主に代わって大きな力を振るったのである.
〔略〕
また,ユダヤ人の秀でた才覚は経済面だけではなかった.
例えば,医師としてもユダヤ人はとても評判が良かった.
中性のイスラム世界においては,支配者達はユダヤ人の医師にかかっていたし,エジプトの全ての都市には,ユダヤ人の医師がいたである.
〔略〕
ナポレオンは,フランス革命の開明的な人権思想をヨーロッパに広めた.
1796年に,ナポレオンが率いるフランス軍が,自由と平等と博愛を象徴する3色旗を翻して,イタリアへ侵攻すると,イタリアの諸都市において,ユダヤ人をゲットーの壁の中に隔離していた制度が廃止された.
もっとも,ナポレオンが打倒されると,イタリアでは1815年に,ゲットー制度が再び行われるようになった.
それでも,新しい時代の潮流が強い力を持って,ヨーロッパの諸国を洗うようになった.
ローマのタイバー川のほとりのゲットーの門の扉の閂(かんぬき)は,1848年にかけられなくなった.
もっとも,ユダヤ人がゲットーの外に居住するのが許されるようになったのは,イタリアが,ジュゼッペ・ガリバルディの手によって統一されて,ローマ法法がローマにおける統治権を失ってからのことである.
マーヴィン・トケイヤー著「ユダヤ商法」(日本経営合理化協会出版局,2000/9/7),p.26-32
【質問】
ユダヤ人が黄色い星を着けねばならない制度の起源は?
【回答】
15世紀に遡る.
以下引用.
15世紀には,ユダヤ人はユダヤ人であることを示す「ダヴィデの星」をあしらったバッジを常につけることを強いられた.
あるいは場所と年代によっては,ユダヤ人は赤い帽子や黄色の帽子,左右の色が違う靴,ピエロのような屈辱的な衣服などを身につけることを強いられたのである.
マーヴィン・トケイヤー著「ユダヤ商法」(日本経営合理化協会出版局,2000/9/7),p.24
【質問】
中世のゲットーの様子は?
【回答】
高い壁に囲まれ,出入りは制限された.
外出禁止時間に外へ出ていた者は,死刑とされた.
以下引用.
私は多くのゲットーの跡を訪れているが,ローマでは当時の面影を,よく残している.
タイバー川の左岸の河川敷の低い土地にあって,高い壁によって囲まれている.
このローマのゲットーでは,5000人以上の住民が生活していた.
住民の殆どが,古着などを扱う古物商や,金属屑を集める屑屋として生計を立てていた.
ゲットーは高い壁によって外部と遮断されていたが,ローマ法王の勅令によって,出入りするための門が1ヶ所に限られていた.
そして門には常時,キリスト教徒の番人たちが詰めていて,これらの番人たちの給料は,ゲットーのユダヤ人社会が負担しなければならなかった.
それなのに,これらの番人たちは横暴に,邪険にふるまった.
門の扉は夜間だけではなく,キリスト教の重要な祭日にも,終日,閉じられて,ユダヤ人が外へ出ることを禁じられた.もし,ユダヤ人が禁じられた時間に,ゲットーの外で捕えられたら死刑にされたのである.
ゲットーのユダヤ人は,キリスト教徒よりも思い税金を払わねばならなかった.
また,キリスト教会はゲットーのユダヤ人たちをキリスト教に改宗しようとしたから,ユダヤ人は定期的にキリスト教の説教を聞かねばならなかった.
ユダヤ人をゲットーに閉じ込めた理由の中には,キリスト教徒がユダヤ教の影響を受けて,信仰を捨てることを恐れたこともあった.
〔略〕
ユダヤ人はキリスト教に改宗しさえすれば,ゲットーの生活から逃れることができた.
改宗は,楽な生活が保証される社会への入場券のようなものだった.
そのために多くのユダヤ人が,その誘惑に屈したのである.
ユダヤ王国が紀元70年に滅びたときの,ユダヤ人の人口といえば,今日のユダヤ人人口の半分ぐらいに当たる人数がいたものだった.
それなのに,今日まで大きく増えることがなかったのは,歴史の途中で改宗することによって,同化する者が多かったからである.
アメリカ大陸を発見したコロンブスも,カール・マルクスの父親も,同じような理由から,キリスト教に改宗したのだった.
マーヴィン・トケイヤー著「ユダヤ商法」(日本経営合理化協会出版局,2000/9/7),p.24-27
【質問】
中世ヨーロッパの反ユダヤ主義のもう一つの表れ,「国外追放」の実際はどんなものだったのか?
【回答】
たいていは財産没収と同義.キリスト教徒にとっては借金踏み倒しの常套手段.
また,夜盗の襲撃の危険もあった.
以下引用.
ゲットーは,国内における追放処分のようなものだったが,国外追放は,ユダヤ人にとってまさに大きな災難だった.
追放されて,新しい天地を求めて土地から土地へさまようのは,勇気を必要とした.
ユダヤ人は財産を全て奪われるか,慌しくタダのような安値で,キリスト教徒に売らねばならなかった.
さらに中世のヨーロッパには,夜盗が跳梁(ちょうりょう)していたから,しばしば襲われて,生命を脅かされたり,苦労して持ち出した金目のものを奪われる危険があった.
また,幼児や老人を連れて,見知らぬ土地を長い間さまよう間に,病気になることも多かったのである.
ユダヤ人が国外へ追われたのは,キリスト教会がユダヤ人に対して煽った憎しみが根底にあったが,経済的な理由が最も大きかっただろう.
キリスト教徒の商人は,経済状態が悪くなると,ライバルであるユダヤ人を排斥することを望んだのである.
キリスト教会は,聖書が金利を取ることを禁じていると解釈していた.
だから,金を貸すのを生業としていた者と言えば,ユダヤ人しかいなかった.
ユダヤ人の国外追放は,ユダヤ人の金貸しから借りた金を,良心の呵責を感じることなく踏み倒すのに都合が良かったのである.
もっとも,ユダヤ人だけが金融業を営むことができたのは,その後,ユダヤ人が金融界で力を持つことを大きく助けることになった.
イギリスからは,ユダヤ人は1290年に追放され,1650年になるまで戻ることができなかった.
フランスは1306年にユダヤ人を追放したが,1789年までフランスの地を踏むことができなかった.
さらに,ヨーロッパで全人口の半分から4分の一の人が死んだ黒死病が猛威をふるうと,ユダヤ人が毒をばらまいたとして,1348年から50年にかけて,ヨーロッパのほとんどの国で,ユダヤ人が襲撃され追放された.
ユダヤ人はスペインとポルトガルの両国から,1492年から97年にかけて追われた.
特にスペインの異端審問では,ユダヤ人は強制的にキリスト教に改宗させられている.
これに抵抗した十数万のユダヤ人は,拷問されたり焼き殺された.
ロシアでは15世紀にユダヤ人の追放が行われた.
ロシアでは,その後も,しばしば追放令が発せられた.
このように一つの追放によって,ユダヤ人難民が諸都市に流れ込んだために,別の追放を誘発するという悪循環を起こしていたのである.
マーヴィン・トケイヤー著「ユダヤ商法」(日本経営合理化協会出版局,2000/9/7),p.29-31
【質問】
「シャイロック」のエピソードは現実にあえりえるか?
【回答】
タルムードの考え方からすると,ありえない,とトケイヤーは述べる.
以下引用.
「聖書」(トーラー)や「タルムード」で繰り返し商売の不正行為を戒める言葉が出てくるということは,悪徳商人がかなりいたという証拠にもなるであろう.
しかし,どこの社会においても,悪徳商人は少なからず存在するものである.
悪徳ユダヤ商人といえば,シェークスピアの「ベニスの商人」に登場する,欲深で邪(よこしま)なシャイロックがよく知られている.
しかし,シャイロックが「もしあなたが金を返さないなら1ポンドの肉を,特に心臓を切り取って返せ」と要求した話は,全く架空の話であって,現実のユダヤ人には起こりえないことである.
なぜなら,シェークスピアが生きていた16世紀は,ユダヤ人はイギリスから追放されていたので,シェークスピアは生涯を通じて,ユダヤ人に一人として会ったことがないはずである.
そもそもユダヤ商人は,お金を取られても絶対にそれを罰しようとはしない.ユダヤ商人は,相手を罰することよりも,あくまでお金を取り戻すことに関心がある.
だから担保の物件を取ったりするけれども,まさか腕や心臓などを取っても使いものにならない事はよく分かっているのだ.
この「ベニスの商人」は,シェークスピアがキリスト教徒であったから,当時のキリスト教徒の考え方をよく示している.
というのは,ユダヤ商人は,金を貸すために家を担保に取った場合でも,その家を取ったら,住んでいる人が外で暮らさなければならないような状態だったら,その家をとることはできない.
また,「聖書(トーラー)」の「出エジプト記」に,
【外套をかたとして取った場合にも,夜だけは返してやるべきである】
とあるように,1着しかない衣類を担保に取った場合,夜になったらその衣類は返さなければばならない.
そして,とられたほうが夕方行って,それを取り返してくることは許されない.とったほうが戻しに行かなければならないとされているのである.
しかし,ユダヤ人はしばしば国外へ追放されたため,カネしか頼りにならなかったので,カネを設けることが,一身と家族の安全にそのまま繋がった.
当然のことに,金儲けにかける情熱が他の民族よりも強かったのは事実である.
このような土壌から,優れたユダヤ商人が生まれたのであるが,同時に偏見と嫉妬の目で見られた.
これはキリスト教徒が長い間にわたってユダヤ人に対して加えてきた差別から生じているものに他ならないのである.
マーヴィン・トケイヤー著「ユダヤ商法」(日本経営合理化協会出版局,
2000/9/7),p.59-61
ただし,第三者が対象者の命を狙っており,商人には,対象者に返した金以上の報酬を約束した,と仮定した場合,どうだろうか?
【質問】
タルムードに対する排斥はなぜ行われたのか?
【回答】
現代で言う,独裁国家でのネット禁止 or 規制のようなもの.
ユダヤ人間の過去の経験・知恵の積み重ねがタルムードなので,キリスト教徒はその威力を恐れた.
以下引用.
そもそもユダヤ人にとって,本は聖なるものであり,歴史を通じて,本を写し,本を借り,あるいは本を買い,本を読むことで学んできた民族である.
だから世界の中でも,ユダヤ人ほど本を大切にする民族はいない.
ユダヤの諺に,
【本のない家は,魂を欠いた体のようなものだ】
【もし本と洋服を同時に汚したら,まず本から拭きなさい】
【もし生活が貧しくて物を売らなければならないとしたら,まず金,宝石,家,土地を売りなさい.最後まで売ってはいけないのは本である】
【旅の途中で故郷の町の人々が知らないような本に出会ったら,必ずその本を買い求め,故郷に持ち帰りなさい】
というのがある.
紀元前5世紀にペルシア王アルタ・クセルクス1世のユダヤ地方の総督であったネヘミヤは,こう書き残している.
【この地方には図書館がいっぱいあるという事だけではない.図書館にいっぱいの人々がいつも集まっている】
1736年には,ラトヴィアのユダヤ人街で,本を貸してくれと言われて本を貸さなかった者には,罰金が課せられるという条例が定められた.
また,ユダヤ人の家庭では寝台の台の方に本棚を置いてはいけない,頭のほうに置きなさいと言い伝えられてきた.
それほど本は常にユダヤ人にとって宝物であった.
古代ユダヤにおいては,本が古くなっても捨てなければ,もはやページもすり切れ,字もかすれて使えなくなった場合には,人々が集まって聖人を埋葬するように丁寧に穴を掘って埋めた.
ユダヤ人は本を焼くような事は絶対にしなかった.これは,かりにユダヤ人を批難している本についてもそうである.
だから,中世を通じてキリスト教徒はユダヤ人にとっての本の威力を恐れ,ユダヤ人の本を焼き払うということを繰り返し行ってきた.
1240年はローマ法王グレゴリウス9世が「タルムード」を焼くことを命じている.
13世紀には何回もこのような命令がローマ法王庁から発せられた.
そして1265年,クレメンス4世が「タルムード」を焼くように詔勅を発したときには,全ヨーロッパで数万部の「タルムード」が炎にくべられた.
これまで手書きの「タルムード」が活字にって印刷されたのは,今日知られているところでは,1482年にスペインのグアダラハラにおいてである.
〔略〕
しかし,その10年後,全てのユダヤ人がスペインから1世に追放されたとき,当時のスペイン国王は,もしヘブライ語の本を持っていることが分かったら誰でも死刑にすると布告を出している.
1553年ベニスでは,数万冊にのぼる「タルムード」をはじめとするユダヤの書物が焼かれた.
もっとも新しいところでは,ナチスがユダヤ関係の書物を焼くように全ヨーロッパに命じ,実際にそれを行ったのである.
マーヴィン・トケイヤー著「ユダヤ商法」(日本経営合理化協会出版局,
2000/9/7),p.120-123
【質問】
共産主義はユダヤ人の陰謀か?
【回答】
民族的特性から結果的にユダヤ人に社会主義者が多くなっただけのこと.
シオニスト陰謀論など持ち出すのは,お門違い.
以下引用.
ユダヤ人は世界が完成されたものだとは考えない.常に世界の進歩を信じている民族である.
だからユダヤ人は,スピノザ(オランダの哲学者),マルクス(ドイツの革命家),ローザ・ルクセンブルク(ドイツ共産党の女性創立者),ザメンホフ(エスペラント語創始者),トロツキー(ロシアの革命家)をはじめとして,多くの改革主義者を輩出することになった.
特に近代に入ってからは,ユダヤ人に社会主義者が多かったから,社会主義や共産主義というものが「ユダヤの国際的陰謀」として,猜疑心や憎しみを招き,新たな迫害の対象となってしまった.
〔略〕
というのは,ユダヤ人はごく最近までヨーロッパにおいて,あってはならない差別を蒙ってきたために,現状をどうしても改革しなければならないという強い願いによって駆り立てられてきた.
このことが,数多くの改革主義者を生んだ理由ともなっている.
しかし,真の理由は,やはり「聖書(トーラー)」までさかのぼらなければならない.
「聖書」の「創世記」の中で,神は最初の人間であるアダムを作ったのち,
【『生めよ,増えよ,地を満たせ,地を従えよ.海の魚,空の鳥,地を這う全ての生き物を支配せよ』と命じられた】ことになっている.
神は自ら作った世界を人間に委ね,より良い世界を作るように命じたのだった.
ここから世界は進歩しなければならない,そして人間は進歩を信じなければならない,さらには世界を進歩させるためには,自分を進歩させなければならない,というユダヤ人の使命感が生まれたのである.
マーヴィン・トケイヤー著『ユダヤ商法』(日本経営合理化協会出版局,
2000/9/7),p.237-238
【質問】
近代の反ユダヤ主義と,それ以前の反ユダヤ主義との違いは?
【回答】
基本的に,前近代の反ユダヤ主義と近代のそれとの間には,連続もあるにせよ,大きな質的転換がみられる.
前近代,特に中世のそれは,キリスト教と相容れない異教徒への迫害として位置づけられる.
また,彼らの独自な生活習慣なども,排撃の対象となった.
ユダヤ教徒の衛生観念のゆえに,伝染病への罹患率が低かったことが,彼らが病気の原因であるとのデマを生むこともあった.
だが,近代以降のそれは違う.
勿論その構成要素には,「儀式殺人」という中傷のように※1,前近代から連続するものもあったろうが,近代に入り,反ユダヤ主義はふたつの方面で,前近代のそれと乖離しはじめる.
一つが,人種論の採用である.
ゴビノー伯にみられるような人種論は,ナチにおいて典型的に現れたが,「宗教」ではなく「種」を問うものであったがために,それぞれの社会に「同化」※2していたユダヤ人をも狙い撃ちにした.
(「オルレアンの噂」のような事例もある.
フランス・オルレアンにおいて,
「洋服屋に入ってきた娘を拐かして売り払っている」
との噂の的になった店の多くは,同化ユダヤ人の店であって,独自の習慣を多く保持していた東方ユダヤ人の店ではなかった.
これは,「区別」が取り払われた際に生じる,理不尽な差別感情の生起の一例であって※3,人種論とのみ結びつけるわけにはいかないだろうが).
もう一つが,その理論化・体系化である.
反ユダヤ主義の言説は,ユダヤ人へのヘイトスピーチという体裁をとりながら,資本主義や既存の社会体制への批判となっている場合が多かった.
つまり,普遍性を求めて,「ユダヤ人」という概念が記号化された,ともいえる※4.
換言するなら,反ユダヤ主義は,生身のユダヤ人以上に,抽象的な「ユダヤ」なるものを想定したのである.
そして,ユダヤ人を前景に置きながらも,その後景にある,悪の本性としての「ユダヤ」に,本来の攻撃の照準をあわせようとした.[……]※5
その証拠に,「近代的ユダヤ人」とは,――ユダヤ人かどうかということをさしあたり別にすれば――近代化によって生まれた上層市民の写し絵にほかならない.
すなわち,工業化の恩恵で致富を果たし,宗教的規範を放棄して世俗化し,代わって啓蒙的教養を身につけ,自由主義的公論[……]の世界に参画する人びとである.
すなわち,彼の反ユダヤ主義は,近代化が生み出した自由主義の政治・経済秩序,社会・文化状況への抗議だったといってよい.※6
前近代と近代で「ネイション」の持つ意味が異なってくるように※7,「反ユダヤ主義」の内実もかなり変化している.
だが一方で,「儀式殺人」などの古来からの偏見に根ざした中傷も,やむことはなかった(これらは現在に至るまで継承されている).
反ユダヤ主義の表出の顕著な例としては,ホロコースト否定論があるだろう.
また,現実にイスラエルが行っている民族浄化への批判と重ね合わせる形での(「これだからユダヤは〜」的な)反ユダヤ主義はあちこちで見られる.
その意味で,これはわれわれ日本国民にとっても,無縁な事態では有り得ないのだ.
たしかに日本には,ユダヤ人と呼ばれるひとびとはごく少数しかいないし,また,顕著なアンティセミティズムが,なんらか特筆すべき規模と影響力をもって,社会運動として成立したことはない.
それにも拘らず,すでに二〇世紀の二〇年代から,明白なアンティセミティズムすなわち「ユダヤ人による世界支配の陰謀」の阻止,「悪の原理としてのユダヤ人」の撲滅という考え方が,この日本においても存在していたことは事実である.
ここに見られるのは,「ユダヤ人なきアンティセミティズム」という,まさにこの思想に特徴的な事態である.
アンティセミティズムは,必ずしもユダヤ人の存在を必要としないのである.
[……]
これらの事実は,すでに,われわれがなぜユダヤ人問題を検討せねばならないかを充分に説明しているといえよう.※8
※1:ユダヤ教徒が,その儀式で用いるためにキリスト教徒の子供や女性を殺害し,血液を抜き取っているというもの.
子供や女性の失踪者,殺人被害者が出たときなどに主張されたが,無論,完全な事実無根のデマである.
※2:同化の様相も国ごとに異なっていた.
ハンガリーでは,国家が主導する形での,積極的なマジャール化政策が行われたが(プレプク・アニコー〔寺尾信昭訳〕『ロシア,中・東欧ユダヤ民族史』彩流社,2004,pp.117-120),他の国・地域ではそれほど極端ではなかった.
また,同化の方向性によって,その政治的位相は異なった.
たとえばボヘミアのユダヤ人は,「ドイツ化」される割合が高かったが,それはチェコ・ナショナリズムとの対立が生じることを意味した(同,p.74).
一方でガリツィアのユダヤ人は,ドイツ人ではなくポーランド人貴族の側についた(同).
※3:「われわれ/彼ら」という切断は,普遍性を持つ.
つまり人類史上,何らかの差異化が生じなかった社会など存在しなかった.
とりあえず,小坂井敏晶『民族という虚構』東京大学出版会,2002,pp.16-19を参照.
※4:詳しくは,竹中亨『帰依する世紀末――ドイツ近代の原理主義者群像』ミネルヴァ書房,2004,第2章,pp.81-118,プレプク前掲書,pp.123-124,下村由一「アンティセミティズムとシオニズム――その同質性」下村,南塚信吾編『マイノリティと近代史』彩流社,1996,pp.243-263などを参照.
※5:竹中前掲書,p.89.
※6:同,p.62.
※7:中近世の「natio」は,政治に参画することのできる特権階級を指す言葉であった.
東欧史研究者の中澤達哉氏は,その言葉が近代的な国民としてのネイションへと変容する過程を,「語源である『出生』から派生した特権身分的かつ階層限定的な語義をもつナティオ概念が,ローマ共和政の伝統に根ざす『ポプルス』(populus)概念を梃子としながら,言語・文化的系譜を同じくする集団としての『ゲンス』(gens)概念と同一視される過程」であると論じている(『近代スロヴァキア国民形成史研究――「歴史なき民」の近代国民法人説』早稲田大学博士学位論文,2006,p.3).
※8:下村由一「なぜアンティセミティズム研究か」下村,南塚前掲書,p.14.強調引用者.
また,日本における反ユダヤ主義については,阪東宏『日本のユダヤ人政策1931-1945――外交史料館文書「ユダヤ人問題」から』未来社,2002も参照.
「ストパン」■(2009-09-20)[中・東欧][歴史]近代以降の反ユダヤ主義(Antisemitismus)についてのメモ
青文字:加筆改修部分
【質問】
血液型は,ユダヤ人迫害正当化の「根拠」として,どのように活用されたのか?
【回答】
第1次世界大戦前,ドイツの血清学の権威であるラントシュタイナーの跡を継いでいたのが,ポーランド人のルートウィッヒ・ヒルシュフェルトと言う人物でした.
彼は,ラントシュタイナーの研究に続き,血液型の遺伝性を実証しました.
このヒルシュフェルトは,第1次世界大戦が始まるとスラブ人の連帯を証明すべく,セルビアに渡り,セルビア軍の軍医将校として,マケドニアの前線で妻のハンナと共に活動しました.
因みに,妻のハンナも軍医将校をしています.
しかし,戦い利非ず,マケドニアにドイツ軍が進出してくると,鉄壁の守備を誇るドイツ軍が構築した哨兵線に囲まれ,通称「檻」と後に言われる様になるサロニカに何万人にも及ぶ同盟国の将兵と共に,2年間封じ込められました.
この「檻」には,10カ国余りの国から戦いに来た人々,その中には欧州人もいれば,植民地から召集されたアフリカ人やアジア人もいるという,正に人種の坩堝となっていました.
こうした多様な人間が揃っていることにヒルシュフェルトは気づき,持ち前の才覚を発揮して,何千という血液標本を集めたのです.
丁度,進化を研究する学問は,従来の頭蓋の形態,皮膚の色,頭髪の質などから新たな人種となる指標を求めていた頃でした.
ヒルシュフェルトは,一目で分る外見的特徴よりも,生化学と統計学に基づいた血液型の調査をする方が信頼が置けるのではないかと考えました.
ヒルシュフェルト夫妻は,サロニカに閉じ込められている間に,19の民族集団に属する人々から合計8,000の血液標本を集め,血液型と民族集団の地理的起源との相関関係を調べました.
その結果,一定の傾向が見えてきました.
英国人はA型の占める割合が43.7%と相対的に高く,B型は7.2%に過ぎません.
これに対し,インド人はB型の占める割合が相対的に高くて41.2%,A型は19%でした.
フランス人とセルビア人は中間的な比率を示しました.
そうして血液型の分布を地図の上に記入していくと,全般的に西から東に行くにつれ,B型の比率が高くなる傾向があり,フランスやイタリア辺りでやや高くなり,トルコは更に高く,インドで最高値に達します.
逆に,A型は西に行くにつれて比率が高くなり,中央ヨーロッパ北部で最高値に達していました.
その結果として,ヒルシュフェルト夫妻は,人類の起源は2つの別々の場所に起源を持つと考えるに至りました.
1つの原型はB型の遺伝子を持ち,インドで生まれたと推定出来る,もう1つの原型はA型の遺伝子を持ち,中央ヨーロッパ北部の何処かで生まれたのであろうと言う訳です.
しかし,夫妻が決定的な間違いを冒したのは,多くの地域ではA型やB型よりも多いO型を分析から除外した事です.
彼らは,A型とB型には血液型遺伝子によってその型が決定されるのに対し,O型はそうした遺伝子を持たないと言う理由を挙げてこれを除外してしまいました.
とは言え,この考えは人種が元々何処にいたかを明らかにする地理的な情報であり,身体的特徴とは一切関係がありませんでした.
従って,当時蔓延っていた人種的な概念と言うものからは距離を置いていた訳です.
ヒルシュフェルト夫妻の仮説発表から7年後の1926年,オットー・レッヒェとその仲間のドイツ人,オーストリア人の医師,人類学者約50名がドイツ血液型研究協会なる団体を発足させました.
この団体は,血液型と人種的特徴を関連づけるキャンペーンに乗り出しました.
彼らは何千枚ものアンケート用紙を医師に配布して,患者の血液型と人種を記入させ,そこから出した相関関係を協会の紀要である『民族と人種』に発表し,1932年には『血液型便覧』なる冊子も出版しました.
その「研究成果」は,東部ヨーロッパ人とユダヤ人は,B型が僅かに多かったことから…と言ってもB型が圧倒的多数というわけではありませんが…B型をスラヴ人やユダヤ人の印であると決定づけました.
彼ら曰く,B型は色の黒いアジア人種の血液型であり,ドイツ国内の「劣等者」の血液型,つまり望ましくない要素であると言う決めつけをした訳です.
更に,研究者達はB型を,黒い髪の毛,スラヴ的な幅広い顔と言った多数のマイナスの人種的特徴と関連づけました.
そして,B型は「ドイツ系の名前を持つ人」よりも,「ポーランド系の名前を持つ人」と関連があり,また田舎の住人よりは都市の住人と,暴力犯罪以外の犯罪者よりは暴力犯罪者と,優美な運動選手よりは動きのぎこちない人と関連があると結論づけ,ドイツ人にはA型が僅かに多く,知能や勤勉さなどの望ましい特徴と結びつけられたのに対し,B型は退化傾向のある人々,例えば精神薄弱者,アルコール依存者,感染に弱い人,神経疾患のある人々の印とされました.
ある研究者は,B型とトイレにいる時間とを関連づけ,その研究に依れば,A型はすぐ排便するが,B型は40分以上掛ると言い,更にフランス人でもナチスシンパだったある研究者は,B型は「武器を持つよりも小売商に向いている」と報告しています.
因みに,ベルリンでさえ,B型のアーリア人はB型のユダヤ人よりも多くいたりする訳で,何を言って居るのか,なのですが….
こうしてヒルシュフェルトの研究はどんどんと歪曲されていきました.
レッフェの同僚であるパウル・シュテファンはヒルシュフェルトの研究を逆手に取って,これは2大血液型人種が1つはドイツのハルツ山脈に,もう1つは中国に,それぞれ進化した2つの凝集極を持っているとし,やがて両人種の子孫の間で交配が進み,欧州の雑種…その最も顕著なのがユダヤ人とスラヴ人…が生まれたと言う説を発表しています.
その証拠に,雑種はドイツの東の国境に集中していると述べていました.
この論拠を元に,ドイツ血液型協会は壁地図を作りました.
黄 色のスラヴ系の海の中に,オレンジ色で表示したドイツの血統が島の様に点々と存在する様な代物で,このドイツ人の点々を救う為に我々アーリア人は征服者となって東方の土地に定住し,血統の島を解放しなければならないと言う論理を示し,ヒトラーのドイツの東方政策を論理的に補完したのでした.
こうした論理からも,ユダヤ人は排撃されていきます.
比較的,医学の領域はユダヤ人の進出が多かったのですが,ナチスが権力を掌握すると,徐々にユダヤ人の排撃がこの分野で為されるようになり,ユダヤ人は医学の課程を修了出来ず,医学の学位を取得出来なくなって,最後にはユダヤ人医師はユダヤ人の患者のみを扱うことになりました.
最後の鉄槌は,1935年のニュルンベルク血統保護法で,ユダヤ人と交際を持つと,ユダヤ人の方は「ドイツ人の血に対する攻撃」の罪で起訴され,ドイツ人の方は「自らの血に対する裏切り」の罪で起訴されて,いずれも処罰されるというものでした.
この様な排撃の為,何千人もの有能な臨床医が,ポストを求めて或いは渡米したり,或いは別の欧州諸国に難を逃れたりしました.
欧州でも,ラントシュタイナー,ヒルシュフェルトと並び称される血清学者のフリッツ・シフもその1人で,彼は検視医としての仕事も法医学者としてのキャリアも研究室も総て失い,最終的にニューヨークのベス・イスラエル病院に職を得て,血清学の研究を再開しました.
一部の医師は,米国人科学者が設立したドイツの知識人を避難させる特別な委員会によって,米国内で職を得ることが出来ましたが,多くの医師はそれほど幸運ではなく,1938年までにドイツ国内のユダヤ人医師は9,000名から700名足らずへと急減しました.
凡そ半数は国外に逃れましたが,推定450名は自殺,何千人かは強制収容所に入れられて姿を消しました.
1942年,ドイツの医学教育を監督するルドルフ・ラムが「ユダヤ人医師の患者にドイツ人の血統は1人もいない」と高らかに宣言したのですが,それは自らの首を絞めるものでした.
つまり,ユダヤ人の多くが姿を消したことで,ドイツ国内は医師不足に陥ります.
医学校はアーリア人の学生を大半は医療補助者として大急ぎで育成しますが,経験を積んだ医者がいなくなったことから,医学界には怪しげな治療法や民間療法を吹聴する魑魅魍魎が蠢くようになり,負傷して前線から戻った兵士を出迎えたのは,余りにも少ない医師と時代後れの設備や技法でした.
後に,ドイツではこの戦略的誤りに気づき,ユダヤ人医師の再動員を命じましたが,余りにもそれは時機を失していました.
つまり,余りに能率的なユダヤ人排撃の仕組みの為に,必要とするユダヤ人医師が残っていなかったのです.
こうしてドイツでは,大戦に入ると戦地の外科や輸血が大きな痛手を受けてしまった訳です.
今の世の中から見れば笑止かも知れませんが…と言っても,血液型で性格を判断すると言うのや占いが大手を振って歩いているから,当時のドイツ人を我々も笑えないかも知れませんね.
眠い人 ◆gQikaJHtf2,2011/01/19 23:28
【質問】
現在,どのような反ユダヤの言動が見られますか?
【回答】
ホロコースト捏造論,911ユダヤ陰謀論などの他,折にふれて様々なテロ,デマなどが見られる.
以下引用.
――――――
2006年10月7日,チェコのプラハで反ユダヤテロを警察が阻止.
多数のユダヤ人を誘拐して閉じ込め,不可能な要求を出して殺害する計画だった.(H)
2006年12月4日,ラマラで行われた国際エイズデーの集会で,パレスチナにエイズを広げたのはイスラエルの策略だと,ギリシャ正教会の指導者が発言.(Y)
▼
2007/2/28,イランのアフマディネジャド大統領は訪問地スーダンで,世界の全ての問題の原因は,米国とイスラエルにあると語った.(P,Y,7)
2008年10月14日(火),リーマン・ブラザーズの破綻はユダヤ人の陰謀だとする反ユダヤ的論説が,インターネット上で急増.
4億ドルの資金がイスラエルの銀行に流れたとする風説も流布している.(H)
2009年9月15日(火),*ユダヤ人グループがアルジェリアで子供を誘拐し,臓器を売っているとの報道が,反ユダヤのウェブサイトだけでなく,アラブ世界の主力メディアに拡大中.
報道内容は捏造と見られている.(P)
2009年9月20日(日),スウェーデン紙の掲載した反ユダヤ的記事が,人種差別を助長する違法な記事だとする訴えが同国の裁判所に出されていたが,法務省が訴えを取り上げない方針を表明.(P,H,Y)
同日,イランのアフマディネジャド大統領が,またもや「ホロコーストはイスラエル建国の為に作られた神話」と演説.
米英に続きロシア政府も,演説を不適切だと非難した.(P,H,Y)
2009年9月22日(火),ホロコースト否定発言で西欧諸国の非難を浴びたイランのアフマディネジャド大統領が,「プロの殺人者ども」を怒らせることができたのは「名誉なこと」だと発言.
イランの国営通信社が報じた.(P,Y)
▲
▼
2010年7月27日(火),オリバー・ストーン監督が「ユダヤ人のメディア支配」でホロコーストが過剰に報道されていると発言.
監督は,最近アフマディーネジャード大統領とも会談し,米国のイラン政策を批判している.(P)
2010年9月16日(木),モルドバでシナゴグにかぎ十字などの反ユダヤ的な落書きがされる事件が発生.
犯人は捕まっていない.
2009年にも,街頭に建てられたメノラー(燭台)を,ハンマーで打ち砕こうとする事件が発生している.(Y,P)
▲
▼
2010年11月2日(火),フランスのユダヤ人墓地で,49基の墓石が破壊される事件が発生.
落書きは無く犯人は捕まっていない.
複数犯の仕業と見られている.
2010年7月他の地域でも,ユダヤ人の墓石が墓荒らしの被害に.(Y)
2011年1月4日(火),2007年にイスラエルから外国へ逃亡していた,24歳のネオナチ指導者がキルギスタンで逮捕され,イスラエルに引き渡された.
テルアビブなどで暴力行為を働いた後,国外逃亡していた.(Y,H)
2011年1月5日(水),エジプトで21人が犠牲になった,年末の教会に対するテロは,イスラエルの犯行だとエジプトのTVが報道.
「イスラーム教徒にこんな残虐行為はできない」からだという.(P)
2011年1月5日(水),イスラエルのテルアビブ大学の研究者がGPSを取り付けた鳥が,サウジアラビアで捕えられ,
「イスラエルのスパイ」
だと大問題に.(H)
▲
――――――
上記,短信ニュースについては,http://www.zion-jpn.or.jp/p0404.htmより引用
[情報源略号表]
P=エルサレム・ポスト http://www.jpost.co.il/
H=ハアレツ http://www.haaretz.com/
7=アルツ7 http://www.israelnationalnews.com/
I=イスラエル・トゥデイ http://www.harvesttime.tv/israel_today/
Y=イディオット・アハロノット http://www.ynetnews.com/
【質問】
アフマディーネジャード・イラン大統領のユダヤ人観は?
【回答】
2007年10月6日イランのテレビ「チャンネル1」で放送された,大統領自身の公開演説を見る限りでは,いわゆる陰謀史観にまみれている模様.
彼曰く,
・世俗主義,反宗教,人民の権利の尊重の欠如を基準とする西側諸政府は,シオニスト政権(イスラエルの意)の防衛が世界における最も聖なる価値だと考えている.
・西側諸国とラテン・アメリカ,アフリカ,アジアの国がなんらかの協定を調印しようと望むならば,まずシオニスト政権を承認し,それを支援し,それとの経済的紐帯を維持しなければならない.
・シオニストは,一部のユダヤ人が第二次世界大戦中に迫害されたことを口実にして,シオニスト政権樹立の礎を築き,1975年になって『ホロコースト』と呼び始め,検証を許さない神聖な問題に祭り上げた.
詳しくは「MEMRI」,Nov/4/2007付を参照されたし.
上記を信頼するとするならば,「ホロコーストは捏造」とまでは言っていない点で少しはマシな程度で,他はリビジョニストと大差ない.
911陰謀論が彼の口から飛び出すのも,そう遠いことではないだろう.
【質問】
アフマディーネジャード・イラン大統領のホロコースト否定論は,単なる宗教馬鹿のせいなのか?
【回答】
イガル・カルモン(中東報道研究機関MEMRI会長)によれば,決してそうではなく,
・イスラエルの正当な存在権の否定
・イスラエルの抹殺
のための,計算尽くの行為なのだという.
以下引用
〔略〕
中東報道研究機関(MEMRI)は,大統領アフマディネジャドを初めとするイラン政権幹部の発言を蒐集,分析しているが,そこから二つのゴールが見えてくる.
この二つをたどると,同じ結論に到達する.
即ち,イラン政権のホロコースト否定運動は,不条理な増悪の表出ではなく,そのゴールを達成するための,冷血且つ計算づくの行為なのである.
イスラエルの正当な存在権の否定
そのゴールの第一は,イスラエルの建国と存続の合法性を拒否し,正当な存在権を否定することにある.
ホロコースト後のユダヤ人の避難地としてのイスラエルを否定するのである.
そのためアフマディネジャドは,ホロコーストはなかったと唱える.
そして「第二次大戦でユダヤ人が本当に苦しんだとしても,勿論その主張は客観的′、究で立証されなければならないが,この大戦では他者も苦しんでおり,その経験と変わりはない」と主張したのである.
アフマディネジャドを初めとするイラン政権の幹部達は,こんな神話≠ナ,パレスチナにおけるイスラエルの建国を正当化するわけにはいかない,と主張する.
シオニスト国家イスラエルの抹殺
第二のゴールは,アフマディネジャドが頻繁に主張しているように,イスラエルの抹殺≠ノある.
彼のホロコースト否定は意図的で,計算づくである.
世界がホロコーストを記憶している限り,ユダヤ人皆殺しのジェノサイドを新たに計画しても,その世界が抵抗する.
そこに気付いているアフマディネジャドは,自分のゴールを達成するためには,ホロコーストの記憶を抹殺することが肝腎と考える.
悪の権化視操作
自分の計画をうまい具合にすすめるために,アフマディネジャドはいくつかのステップを踏む必要がある.まずユダヤ人とイスラエル国を悪の権化としてきめつけなければならない.
我々がよく知っているように,ヒトラーはユダヤ人の大量殺戮に着手する前に,ユダヤ人を諸悪の根源とするキャンペーンをやった.
アフマディネジャドとイラン政権は同じ道をたどり,ユダヤ人を悪の権化に仕立てる毒々しい反ユダヤキャンペーンを展開している.
そのキャンペーンの一環として,国家の統制下にあるイランのテレビ局は,ユダヤ人を諸悪の根源とする番組をシリーズで放映している.
古典的な血の中傷など定番物である.過越祭用のマツォト(種なしパン)に混入するため非ユダヤ人の子供の誘拐しその血を抜きとるとか,非ユダヤ人の子供の臓器をとるため誘拐するといった類の話を,番組にしているのである.
ユダヤ人は豚とか猿と呼ばれ,亜人間扱いをされる.
ブードウ教的呪術の儀式場面で預言者ムハンマドを迫害する番組,十字架のイエスを思わせる歴史的人物を苦しめる番組.この一連のテレビ番組は,ホロコースト否定番組と平行して放送される.
この種一連の行為は,決して個々ばらばらにとられているのではない.国の最高レベルで統制され,方向づけがおこなわれている.
アフマディネジャドが,権力を手中にした後最初にやったのは,テレビプロデューサー達との会合であった.
何とも示唆的な動きである.
ユダヤ人とイスラエルを諸悪の根源に仕立てる行為は,前述のように,抹殺のための前段として大変重要なのである.
しかしながら,ユダヤ人がホロコーストの犠牲者とみられている限り,悪の権化に仕立て上げることができない.
つまり,ユダヤ人がホロコーストの犠牲者とみられている限り,悪の権化視は根づかない.
そこで,犠牲者としてのユダヤ人像を消し去るために,ホロコースト否定が肝要になる.
以上の理由により,ホロコースト否定,イスラエル国の抹殺,諸悪の根源視が三点セットでアフマディネジャドら政権幹部の発言,声明にいつも顔を出す.
イラン人自身が自分の口で語った話は,これまで個々ばらばらに報道されてきたが,これをまとめて聴くと,ひとつの方向に統一されて表明されていることがよく判る.
つまり,イラン政権のイデオロギィーと戦略の枠組で表出され,役割の一端をになっているのである.
2005年10月23日に開催されたイランの「シオニズム無き世界」会議で,アフマディネジャドはイスラエル国の定義をおこなった.
それによると,イスラエルは絶対悪であり,ムスリムを支配しようとする欧米の手先である.
アメリカとシオニズムの存在しない世界を本当に招来できるのかと問われて,アフマディネジャドは「このスローガン,このゴールは達成可能であり,必ず達成されることを知っておくべきだ」と答えた.
アフマディネジャドは後段でホメイニに言及し,「尊師は,クードス(エルサレム)を占領している体制は,歴史の頁から抹殺されなければならない≠ニ言われた」と述べ,「これはまことに思慮深い言葉である.パレスチナ問題は我々が妥協できない問題なのだ」とコメントした.
その後アフマディネジャドは「この汚点(イスラエル)はイスラム世界の中心から除去しなければならない.勿論それは可能である」と語った.
この演説は究極目的即ちイスラエルの抹殺を明言している.
2005年12月初旬メッカで開催されたイスラム会議機構会議で,アフマディネジャドはホロコースト否定とイスラエル抹殺を明確に関連づけて,次のように言った.
「ヨーロッパ諸国は,ヒトラーが迫害されたユダヤ人数百万を焼却炉で殺したと主張する.
この点に執拗にこだわり,誰かが反対のことを証明すると裁判にかけ牢屋にぶちこんでしまう.
我々は虐殺話など受入れないが,本当だと仮定して,ヨーロッパ人にたずねてみようではないか.
迫害されたユダヤ人がヒトラーに殺されたからといって,エルサレム占領政権の支持を正当化できるのか?…」.
アフマディネジャドのこの発言は,意味が奈辺にあるかを雄弁に物語る.
即ち,ホロコーストは,イスラエルの存在を正当化するだけのもの,と言いたいのである.
それは二つの意味を内包している.
a ホロコーストは神話である.
b たとい本当であっても,それを以てイスラエルの存在を正当化することはできない.
いずれにしても,アフマディネジャドの主たる強迫観念は,ホロコーストではなく,イスラエルの存在そのものにかかわっている.
この究極の目的にホロコーストが立ちふさがっているのであれば,これを否定して排除しなければならないのである.
アフマディネジャドは,この時の演説の後段で,「君達(ヨーロッパ人)がユダヤ人にいけないことをしたと考えても,ムスリムやパレスチナ人が何故その代償を払わなければならないのか.よろしい君達が(ユダヤ人を)を迫害したとしよう.ならば,何故ヨーロッパの一部をこのシオニスト体制に与えないのか…」と述べた.
ここにも,イスラエルは存在できないというのがガイドラインになっている.
ホロコーストがイスラエルの建国と存続に道義的正当化を付与すると考えるので,アフマディネジャドは何としてでも,ホロコーストを否定したいのである.
会場でDVDを上映したのでお判りのように,2005年12月14日の演説で,アフマディネジャドはこの二つの要素をここでも結びつけている.
彼はホロコーストを神話≠ニ呼ぶが,第二次大戦で君達(ヨーロッパ人)がユダヤ人を600万人殺した…罪を犯したと言い張るのなら,君達の土地を分け与えればいいのでないのか.ヨーロッパ,アメリカ,カナダ,アラスカに場所があるではないか≠ニつけ加えるのである.
これでも判るように,アフマディネジャドにとってホロコースト否定は,イスラエルの存在を非合法化する手段として大事なのである.
究極の目的はイスラルの抹殺にあるから,諸悪の根源視に必要な要素が,ちゃんと演説に含まれている.
それからイランの大統領は,ユダヤ人が犠牲者ではなく本当の迫害者であると,躍起になって主張し,「シオニズム自体欧米のイデオロギーで植民地主義者の考え方だ.世俗的思想にファシスト手法を組み合わせたもの,イギリス人がつくりあげた代物だ.これまでアメリカと一部ヨーロッパの直接指導と支援を得て,(シオニズムは)ムスリムを虐殺している」と述べ,その後段で「当時(第二次大戦)彼等(欧米)がどんな罪を犯したか,シオニストは今日どんな罪を犯しているか.欧米諸国とメディアは,はっきり答えなければならない.要するにシオニズムは新しいファシズムということだ」と言った.
アフマディネジャドに言わせれば,シオニストこそ本当の迫害者,虐殺者である.
その本人は,シオニストと普通のユダヤ人を区別すると主張するが,これもあやしい.この悪の権化視キャンペーンでは,歴史上ユダヤ人に向けられてきた中傷や誹謗をそっくり使っているのである.
つまり,迫害者で虐殺者はシオニストのユダヤ人だけではない,とアフマディネジャドは陰に陽に主張するのである.
DVDで御覧になったように,アフマディネジャドは,ユダヤ人がホロコーストを犯したと唱える.
彼によると,イエーメンのユダヤ王ヌワス(Yosef Dhu Nuwas)が初期キリスト教時代に,キリスト教徒を焼き殺したとか,エステル記でもイランのユダヤ人がやったと書いてあるとし,ユダヤ人は近現代でも,過越祭のマツオットに練りこむため,ロンドンやパリでキリスト教徒の子供を大量に虐殺して血を抜きとっていると主張するのである.
〔略〕
ホロコースト否定会議におけるアフマディネジャドの演説は,イラン政権のイデオロギーと戦略の中にホロコースト否定の役割を組みこんだことを,はっきり物語っていた.
会議の冒頭アフマディネジャドは,出席したホロコースト否定者達に対して,「イランは君達の家である.ここでなら君達は,友好的且つ自由な雰囲気の中で,自由に意見が言える」と述べ,まばたきもせず語をついで,「シオニスト体制の生命曲線はさがり始め,今や一瀉千里の勢いで落ちている…断言してよい…シオニスト体制は抹殺され,人類は解放されるのである」とつけ加えた.
イランのホロコースト否定をMEMRI TVの画像で見る場合は,次を参照.
http://www.memritv.org/Search.asp?ACT=S5&P1=156
まあ,イスラエル抹殺を本気で戦略として考えているのなら,それはそれで別種のアホなんだが.
ただし,MEMRIはイスラエル寄りとされており,イスラーム諸国に対する見方が辛いので,その点は留意すべきである.
【質問】
去年の9月,新聞を読んでいたら,イスラエルにネオナチがいて(しかもユダヤ人)シナゴーグ(ユダヤ教会堂)にかぎ十字などの落書きをしたなんて信じられない内容の記事が載っていました.
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2280001/2116324
http://www.47news.jp/CN/200709/CN2007091001000178.html
http://k-muta.cocolog-nifty.com/y_nakatani/2007/09/post_c9a4.html
“イスラエルの中心でハイル・ヒットラーを叫ぶ”なんて本当に信じられません.
【回答】
移民ということは帰還法の適用を受けているのでしょうから,彼らも「ユダヤ人」のはず.
ユダヤ人といっても民族的同一性が必ずしも一致するわけではないですから.
ロシアからの移民の多くは,ヘブライ語よりもロシア語をそのまま使い続ける傾向があり(ロシア語の新聞もあるくらいだし),若くなければ徴兵もされませんから,国民統合のプロセスにも参加できない,ということが原因で,先鋭化したコミュニティが生まれてもおかしくは無いと思います.
そこら辺は,日本の極左ゲリラの生まれ方に近いかもしれない.
そういえば,『サウス・パーク』にも「反ユダヤ主義ユダヤ教徒」なるものが登場した回があるが,もしかしたら上の記事が元ネタか?
【質問】
アブースブフのユダヤ陰謀論について教えられたし.
【回答】
アタッラー・アブースブフ ’Atallah- Abu
Al-Subh は2008年現在,ハマス内閣の文花相だが,
MEMRI,Apr/26/2008
によれば,2008年4月9日にアルアクサーTVで放映されたインタビューの中で,偽書として有名な『シオン長老の議定書』を持ち出し,これを本物扱いする発言をしたという.
以下,同ページより引用.
――――――
「私は再三再四,この本━シオン長老の議定書━に立ち戻る.
シオン長老の議定書はユダヤ人の誰もが心にいだく信条である.
この本はカイロのナフィザ(Al-Nafiza)出版社が出版した」
〔略〕
「(番組の)プロデューサーが持ち時間は終わったと私に言う前に,私は(この本の)節をひとつだけ読み上げたい.
『19-20世紀のシオニズム思想家)アハド・ハアム(Ahad Ha’am)が(イスラエル初代大統領)(ハイム)ワイツマン(Chaim Weizmann)の精神的師であることはよく知られている.
ワイツマンが1948年の回想録で認めたことは驚くべきことではない・・・』.
ちなみに,われわれはワイツマンの回想録『試行錯誤』をいつの日か吟味するかもしれない」
議定書が本物であることをハイム・ワイツマンは認めた
「彼(ワイツマン)はアハド・ハアムが自分の師であることを認め,またシオン長老の議定書が世界支配を試みるユダヤ人の邪悪な陰謀以外の何物でもないことを認めた.
ワイツマンは明確に,この陰謀が邪悪であると述べた.
「アッカドはこの本(議定書)について,マフムード・カリーファ・チュニシの(議定書の)翻訳に書いた序文で『地獄のような』と表現した・・・
ユダヤ人は,この本の存在を否定するが,ワイツマンは認めている」
われわれが世界中で見るユダヤ人の悪は最初の議定書に基づいている
「アラブ地域と世界中でわれわれが見ているすべてのものーーつまり,ユダヤ人の悪,彼らの欺瞞,彼らの狡猾さ,彼らの戦争挑発,彼らの世界支配,そして世界のすべての人々━彼らが動物,ゴキブリ,トカゲ,蛇,踏みつけねばならぬ卑劣な蛆虫と見なす世界のすべての人々━に対する彼らの侮蔑と嘲笑・・・
「(ラビで,宗教政党シャスの精神指導者)オバディア(ヨセフ)(Ovadia Yosef)が言ったように・・・
ユダヤ人はこれらのことを,とりわけ,これらの議定書の最初で,これらのことすべてを語っている」
注:()内は,ほとんどが訳者の注である.
――――――
この陰謀論自体は,『シオン長老の議定書』を鵜呑みにした,古典的なパターンで,特にオリジナルな妄想は見られない.
同書が偽書であることは,『田中上奏文』と同程度には常識.
それにしても,アラブ諸国の知識人の間に,ユダヤ陰謀論がはびこっていることは知られているが,閣僚までもとは……
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