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Taki's Homepage(英語)

旧日本帝国陸海軍軍刀

陸軍造兵廠


「大砲入門 陸軍兵器徹底研究」(佐山二郎著,光人社NF文庫,1999/9)

「陸軍師団総覧」(近現代史編纂会編,新人物往来社,2000/11)


 【質問】
 高角砲と高射砲
 機銃と機関銃
 機関砲と速射砲
 何処が違うの?

 【回答】
 高射砲=高空に弾を打ち上げる砲.対空用.

 高角砲=仰角を大きく取れる砲.対空に使うことができる.高射砲の他,河川砲艦用の対地砲でも仰角が取れれば「高角砲」範疇に含まれる.旧日本海軍用語.

 機銃=機関銃の短縮形だけど,機銃(旧海軍用語)と機関銃(旧陸軍用語)でもある.

 機関砲=比較的小口径.機関銃の大口径版.弾も数発セットになっていたりする. せいぜい40mmまで.50mmとかになるとすでに2インチ速射砲の世界.

 速射砲=比較的大口径.大砲の速射版.弾は一発単位で装填機構がとても大がかり.


 【質問】
 旧日本陸軍歩兵師団の火力は?

 【回答】
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/han/16D_2.htm
によれば,
第16師団(昭和12年)
定員 25,179名
馬 7,513+α頭

歩兵連隊×4 3,747名×4
小銃×8064
軽機関銃×288
重擲弾筒×288
92式重機関銃×96
92式歩兵砲×24
41式山砲×16
94式37粍砲×16

野砲兵連隊 2,894名
改造38式野砲×36
92式10糎榴弾砲×12

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 よく陸軍で,弾薬「一会戦」分補給する,とか言いますよね.大体どれ位の量なんでしょうか?
 例えば,小銃一丁.重機関銃一丁.90式野砲一門あたり.

 【回答】
 「1会戦分」=約20基数=3〜4ヶ月の作戦分.
 「基数」は各銃砲種ごとに算出された単位で,何々弾何発という表記よりも数字を扱いやすくする為のもの.

 1個師団の1会戦分の軍需品の数量は,約1万トン
 1銃/1門当たりでは

拳銃 40発
小銃 300発
軽機関銃 8000発
重機関銃 23000発
37ミリ対戦車砲 900発
野(山)砲 2000発

 詳しくは,Warbirds および 大東亜戦争研究室参照.

機関銃弾,持ってきました……


 【質問】
 なんで日本陸軍の軍帽などには星のマークがついているのでしょうか?

 【回答】
 陸軍が帽子に五芒星をつけ始めたのは,明治3年のこと.

 日本陸軍は当初フランス式を導入したので,フランス軍の軍帽に付いてたペンタグラムも自動的にマネしたと言うことだろう.
 フランス軍のペンタグラムは護符的な意味合いがあったが,帝国陸軍がどこまでそれを分かって導入したのかは不明.なんとなく「軍隊ぽくて良い」とか,「先進国はそうやってるんだから,その通りやらないと恥ずかしい」とかいった,猿まね洋装貴族と同じ気分だったのかも知れない.

 で,フランス軍では五芒星フランス革命当時から使用していたようだ.
 五芒星自体はキリストの五か所の聖痕から,キリスト自体の象徴とされ,転じて邪悪なるものに対する守りの印となった.
 帝国陸軍がキリスト様の傷跡を愛でたとは思えないから,キリスト教がらみのフランス軍の趣味を単にマネしたというのがありそうな事だろう.

 ただ,他に桜の萼の図案化という説もあったりする.


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 【質問】
 太平洋戦争当時に開発されていた「陽電子砲」について詳しく知りたいです.
 ネットで調べてみたんだけど,アニメのネタばかりで.

 今のところ知ってるコトは…
・静岡県金谷町に砲台の跡が残っている.
・島田理化の○○博士というヒトが開発したらしい.
・船舶に搭載して遠洋からウラジオストクを砲撃する予定だったらしい.
・試射実験したところ一発打っただけで壊れてしまったらしい.

 【回答】
 どこでそういうネタを拾ってきたか知らんが間違いだらけ.

 陽電子砲ではなく,「Z兵器」もしくは「勢号」と呼称された極超短波(マイクロウェーブ)照射装置.
 まず実験室で,鼠を2分間かけて殺すことに成功した.
 さらに大型化し,パラボラ・アンテナで敵航空機に大出力のマイクロ・ウェーブを当て,エンジンを故障させて撃墜することを目標とした.
 エネルギー源としては,大井川発電所を使用するつもりだったとか.
 開発を開始した時期は1944年で,当然のことながら間に合わなかった.

 ソ連が参戦したのは終戦間際.当時は中立国だったソ連に使用するくらいなら,まずアメリカに使うことを考える.

 島田理化は戦後に創設された会社.

 陽電子は電子と逆の+の電荷を帯びた反粒子で,これを発生させるためには超巨大な加速器が必要.
 兵器として使用できるくらい大量に陽電子を発生させるのは現代でも不可能.

 ところで,「勢号」開発メンバーの中には,トップクラスの技術者・研究者が結集していたそうで,後にノーベル賞を受賞した江崎玲於奈なんかも含まれていた.
 中には,戦後某家電メーカーに就職した方もいて,勢号で培った技術をマンマ流用.
 世界初の「家庭用小型電子レンジ」(それまでの電子レンジはでかい,重い,値段も高いだった)開発に成功したとか.(さすがに「プロジェクトX}では語られなかったが)

 コンビニで暖かい弁当が気軽に食べられるよーになったのも,勢号のおかげ.


 【質問】
 伝書鳩は旧軍に居たのですか?

 【回答】
 軍用の伝書鳩は無線発達前には,連絡のために用いられ,無線が発達した後もしばしば用いられています.
 ちなみに,旧日本軍では鳩舎移動車なる車が試作され,他にも89式人体呼吸缶をつけた軍用鳩防毒具なる代物も開発されています.

(軍事板)

 祖父は通信隊所属だった.
 そこに鳩兵の鬼のように怖い一等兵がいたが,一旦鳩の世話になると別人のように優しくなったそうだ.
 ニコニコしながら鳩たちに話しかけ,誰よりも献身的に世話を焼く.

 ある時は,いかめしいヒゲ面が鳩の群れの中で,鳩と一緒にクルックー(・∀・)クルックーと笑顔で鳴き真似してて, 裏で祖父たちは爆笑していたらしい.

 その一等兵は戦地にて,愛する鳩たちの鳩舎もろとも砲弾で木端微塵になってしまったらしい・°・(ノД`)・°・.
 やっぱり動物は人を丸くさせるのかな?

(生活板)


 【質問】
 中国軍の兵器の流入経路は?

 【回答】
 中国軍の装備は種々雑多で,国民党軍にしても,米国一辺倒ではなく,ソ連,ドイツ,日本の兵器も満遍なく使用しています.
 そもそも,中国軍の軍閥同士の戦いでは,戦闘前に互いの装備を一覧表にして交換し,それを見てその傘下に入るか,戦うかを決めたものですし….

 それから,清の時代から主力の小銃はドイツのKar-98bと同等の国産品,機関銃はチェコのZB26国産品,手榴弾もドイツ型です.
 南京に装備されていた高射砲は,ドイツ製のクルップ88mm,スウェーデン製75mmボフォース,英国製76mmヴィッカースが用いられています.
 迫撃砲は,ラインメタル製の81mm迫撃砲を主軸に,150mm,240mmの国産品が確認されています.

 1938年7月,日本政府の厳重抗議により,ドイツ軍事顧問団が中国から引揚げますと,入れ代わりにソ連軍事顧問団がやってきて,機械化師団を作り上げます.
 これがちょっとだけ有名な第200機械化師団で,T-33を88両,その他,雑多な装甲車(ソ連製,ドイツ製,イタリア製,英国製)を保有.
 編成から1年足らずで,南寧作戦で壊滅してしまいますが.

 また,航空機もI15,I16戦闘機,SB-2 bis爆撃機が,パイロットつきで供与されています.
 1937年にはそれぞれ,93機,62機,62機.

 第二次大戦末期で,蒋介石直属軍の装備にやっと米軍装備が行き渡り,M1ガーランド小銃,M2重機関銃,バズーカ砲などが配備されています.

 共産党については,ソ連製も多かったですし,日本からの鹵獲品,蒋介石軍から供給されていたものなども使用しています.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2 & 消印所沢 ◆z3kTlzXTZk)

八路軍(毛沢東軍)


◆◆◆BC兵器

 【質問】
 第二次大戦中,日本軍は中国戦線では毒ガス兵器を結構使ってたって書いてあるものがあるけど,実際どのくらい使用したのが真実に近いんでしょうか? 使ってたのは日本軍だけなんでしょうか?

 【回答】
 日本軍による毒ガス作戦は,1930年の台湾に於ける所謂,霧社事件で使用されたのが最初です.
 当初は現地作成で,台湾総督府中央研究所に於いて飛行機からの投下用に,青酸ガスと催涙ガスを発生させる甲三弾を試作,少なくとも3発を投下していますが,効果の程は不明でした.
 次いで,日本本土より山砲用催涙弾(緑弾(甲一弾))100発が台湾に送られ,11月18日の総攻撃で使用されました.
 ちなみに緑弾は,催涙性の塩化アセトフェノンが用いられていました.

 宇垣陸相はこの山砲弾を催涙ガスであると国会で答弁していますが,国際連盟の問い合わせでは,幣原外相は,これを「催涙ガスも毒ガスに含まれる」と回答しています.
 また鎮圧に当った台湾軍参謀の服部兵次郎大佐も,自らその講演で,毒ガス弾の使用とは関係ありませんが,ダムダム弾の使用を認めています.

 で,1937年7月27日に華北へ,「第一野戦化学実験部」が派遣され,日中戦争に於いて,毒ガス戦がスタートします.
 森松俊夫監修・原剛解説 『「大本営陸軍部」大陸命・大陸指総集成』 第三巻,エムティ出版,1994年,223〜224pに記載されている,
1938年12月2日付,閑院宮載仁参謀総長より杉山元北支方面軍司令官などに発せられた「大陸指第345号」
によれば,
「在支各軍ハ特種煙(あか筒※・あか弾・みどり筒)ヲ使用スルコトヲ得
但之ガ使用ニ方リテハ市街地特ニ第三国人居住地域ヲ避ケ勉メテ煙ニ混用シ厳ニ瓦斯使用ノ事実ヲ秘シ其痕跡ヲ残ササル如ク注意スヘシ」
とあります.訳しますと,
「中国にいる日本軍は,あか筒・あか弾(ジフェニ-ルシアンアルシン)・みどり筒などの特種煙(毒ガスのこと)を使用してもよい.
 ただし,毒ガスの使用にあたっては,市街地,特に第三国人(アメリカ人やイギリス人・ドイツ人など日本人・中国人以外の国民)の居住地域を避け,できるだけ煙に混用し,厳に毒ガス使用の事実を秘し,その痕跡を 残さないように注意しなさい」
という意味になろうかと思います.

 この毒ガス使用が停止されるのは,1943年6月に米国大統領からの警告(毒ガスを使用し続けるのなら,米軍は日本軍に対しても同じ方法で報復する)があってからです.

 1937〜38年までは実験期,1939〜43年までは本格使用期です.
 前半期には,催涙性の「みどり」(塩化アセトフェノン),嘔吐剤の「あか」(ヂフェニル青化砒素)が主に使用されています.
 使用状況は,1938年に発行された教育総監部「事変の教訓」第5号,第7号(化学戦の部)に詳しいです.
 なお,「きい」と言われた糜爛性のイペリット,ルイサイトですが,これらが用いられるようになったのは後半期で,1942年の陸軍習志野学校編「支那事変ニ於ケル化学戦例証集」に使用例が収められています.

 ちなみに,両者とも,「毒ガス戦関係資料」(不二出版:1989)に収められています.
 例えば,武漢の例では,
「堅固なる陣地に拠り頑強に抵抗せる敵を制圧し,軽微なる我損害を以て陣地奪取を可能ならしめ,作戦の進捗に資すること少なからず」
という評価が下されています.

 中国側には国民党,八路軍共に化学戦能力など殆どなかったため,少数使用でもかなりの成果を上げたようです.
 また,弾薬が欠乏した日本軍が,発煙筒を投げつけたところ,毒ガスと間違えた中国軍が動揺し,
『日本軍は毒ガスを使用している,防毒装備がないのでこれ以上の追撃は無理』
(軍閥の将軍だから戦意ははなはだ低い)と通信しているのを傍受した,という話も記録されていたりします.

 ちなみに人民解放軍は相当これに懲りたようで,現代では化学戦には力を入れているらしいです.

 ※“赤筒”は通称.正式には92式嘔吐ガス弾.手投げ及び擲弾筒での発射により使用.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2他&軍事板)


 【質問】
 日本軍は,どの程度の化学戦準備をしていたか?

 【回答】
 吉田一彦〔第2次大戦情報戦史家〕によれば,以下のように説明されている.

 日本軍は1929年,瀬戸内海の大久野島に毒ガス工場を建設,敗戦まで種種の毒ガスを製造していた.種類はイペリット,ルイサイト,くしゃみガス,催涙ガス.
 製造されたガスは北九州の曽根に運ばれ,そこで迫撃砲弾や航空機用爆弾に装填されることになっていた.

 日本は日中戦争で化学兵器を使用したが,対米開戦以後は使用中止している.報復を恐れた結果と推測される.

( from 「疫病最終戦争」,ビジネス社,2001/12/20,p.54-55, 抜粋要約)


 【質問】
 支那事変当時,当時も化学兵器禁止の国際条約はあったの?

 【回答】
 確かに「窒息性ガス,毒性ガス又はこれらに類するガス及び細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」がありました.
 この条約自体は大正十四年六月十七日にジュネーヴで作成され,昭和三年二月八日から効力発生が発生していますが,我が国は第二次世界大戦当時この条約に批准しておらず――ちなみに言えばアメリカも未批准――我が国が批准・交付・告示しこの条約が我が国について効力発生したのは昭和四十五年五月二十一日です.
 法は遡らないと言う大原則を考えれば,当時日本軍には人道的観点以外の制約はありませんでした.

 また,この条約では
「窒息性ガス,毒性ガス又はこれらに類するガス及びこれらと類似のすべての液体,物質又は考案を戦争に使用すること」
が禁止されていますが,非致死性に分類される嘔吐剤(あか剤)や催涙剤がこれに含まれるのか定かではない上に,支那事変は戦争ではないと主張することもできるので,実効性には疑問な点が多いです.

 さらに,この条約で禁止されていたのはあくまで「使用」であり,「開発・生産・貯蔵」など化学兵器自体を保有する事は認められていました.

>化学兵器に関しては,1925年のジュネーブ議定書により「窒息性ガス,毒性ガス等の戦争における使用」が禁止されていたものの,その開発,生産および貯蔵までは禁止されていなかった.
(化学兵器禁止条約の概要より)

 さらにまた,戦時復仇措置としての毒ガスの使用は違法性を阻却されていました.
 つまり,簡単に言えば,相手が毒ガスを使ってきた場合は,同程度に限り,毒ガスで報復してもよいと言うことですね.

 当時日本陸軍の仮想敵であったソ連は化学兵器大国であり,共産主義黒書によれば1921年にはソ連軍が毒ガスを用いて相次ぐ農民反乱を制圧しています.
 そのソ連を仮想敵とし,ソ連に敵視される我が国が,復仇兵器としての化学兵器を研究開発生産し,極東ソ連軍と対峙する関東軍がそれを備蓄していたことは,国際法上全く合法であり,どの国際法にも違反するものではありませんでした.

 その証拠に連合国の報復裁判として名高い極東軍事裁判でも毒ガスの開発・生産・貯蔵・使用で裁かれたものはありません.
 それどころか,終戦後に国民党政府が行ったB・C級戦犯裁判でも,中国の瀋陽・北京・太原・済南・徐州・南京・上海・溝口・台北・広東の10ヵ所で裁判を行われ,起訴883名,死刑149名,終身刑と有期刑355名の判決が下りましたが,毒ガスの開発・生産・貯蔵・使用の罪を問われ,「通例の戦争犯罪」や「人道に対する罪」でB・C級戦犯として裁かれた者は,寡聞にして聞きません.
 また,西村慎吾代議士のホームページの「慎吾の時事通信」平成15年9月30日号によれば,西村事務所の秘書の方が防衛研究所で台湾派遣軍と海軍の作成した詳細な武器引渡しリストを入手し,そこには毒ガス弾を何発引き渡したと記載されていました.
 その台湾の台北で戦犯裁判が行われているにもかかわらず,毒ガスの開発・生産・貯蔵・使用の罪を問われ「通例の戦争犯罪」や「人道に対する罪」でB・C級戦犯として裁かれた者も,寡聞にして聞きません.

(多事某論,2005/7/3)


 【質問】
 第100部隊とは?

 【回答】
 吉田一彦〔第2次大戦情報戦史家〕によれば,以下のように説明されている.

 1930年代に編成された,破壊活動に使用する細菌兵器を開発する任務を持った,日本陸軍の部隊.
 責任者は若松有次郎少佐.彼は昇進を重ね,最終的には関東軍獣医部で少将にまで上り詰めた.
 若松の部隊は関東軍獣医部の指揮下にあったが,その任務の性質上,関東軍の特務機関とも密接な関係を保っていた.
 資金は潤沢で,出所は東京の陸軍省と関東軍司令部第二部だった.

( from 「疫病最終戦争」,ビジネス社,2001/12/20,p.56, 抜粋要約)

 また,「七三一部隊」(講談社新書)によれば,100部隊は牛疫の研究をしてたんじゃネーの?と書かれている.
 当時の長春に設置されており,関東軍軍馬防疫廠といわれた.設立は七三一部隊と同時期.
 牛疫(家畜の伝染病)の兵器化は四三年に開始され,四四年夏には風船爆弾に積もうと思えば積むことができるところまで,開発は進んでいた.
 しかし,稲に対する枯れ葉剤攻撃の報復を恐れた参謀本部の判断で,牛疫ウィルスを風船爆弾に積むことは実現しなかったそうだ.

(極東の名無し三等兵◆5cYGBbCsjQ in FAQ BBS)


 【質問】
 第731部隊とは?

 【回答】
 吉田一彦〔第2次大戦情報戦史家〕によれば,以下のように説明されている.

 1930年代に編成された,生物戦専門部隊.
 細菌兵器開発のために多数の犯罪者や中国人捕虜を使用して人体実験を行ったことで知られる.
 アメリカ人捕虜を実験に使用したとも伝えられているが,それを証明する証拠はない.

 1939年8月のノモンハン事件では,第731部隊は決死隊を募り,ハルハ河支流のホルステイン河にチフス,パラチフス,コレラの病原菌を撒布したとされているが,これも決定的証拠があるわけではない.
 また,「ノモンハン事件の最中,ソ連軍も細菌兵器作戦に従事した状況証拠がある」(シェルダン・H・ハリス,「死の工場」,柏書房,143項).

 航空機を使用しての細菌戦を第731部隊が実施したのは,1940年10月27日のことで,場所は中国の寧波市.使用した病原菌はペストだった.
 さらに41年には,常徳に対して病原菌を帯びた蚤や穀物などを飛行機から投下している.

 1942年4月に大本営は,南方方面から必要な航空兵力転用も含む大規模作戦を支那派遣軍に命令した.これは大兵力を用いて淅江省を東西から挟撃する作戦で,淅●(せっかん)作戦または「セ」号作戦といわれるものである.作戦開始は5月中旬から.ドゥーリットル鯛の最終着陸地が中国だったことから,淅江省の飛行場群を制圧して本土空襲の禍根を断つのが目的だった.

 この作戦の一環として,731部隊は,航空機を使用しての大規模な生物兵器攻撃を実施.この作戦によって中国軍にも損害を与えたと思われるが,作戦実施の齟齬によって日本軍にも感染者が続出.主としてコレラにより日本兵1700人が死亡したとされる.
 また,中国人捕虜3千人に,病原菌を注入した食糧を与えて釈放している.
 これによって病原菌の広範囲撒布を狙ったのである.

 44年6月のサイパン島攻防戦においては,731部隊は,米軍に対して生物兵器を使用する計画だった.
 しかし,器具と要員を島に送る任務を帯びた潜水艦が途中で撃沈された結果,この作戦は実施されなかったと伝えられる.

 45年8月,ソ連軍満州侵攻の際,第731部隊は建物一切を破壊,生物兵器開発の痕跡を消し去った.
 結局,大量生産による広範囲に撒布可能な,実効性のある細菌兵器を開発する事は,日本はできなかった.

( from 「疫病最終戦争」,ビジネス社,2001/12/20,p.56-58, 抜粋要約)

●=「章」偏に「『頁』の上に『夂』」

 また,「七三一部隊」(講談社新書)には,八二年に厚生省が発表した「関東軍防疫給水部略歴」が引用されているが,それによれば,
「一九三六年以前に編成」されていて,「関東軍直轄部隊として部隊長以下全員軍医薬剤官および衛生下士官をもって編成し,各部隊の防疫給水および細菌の研究予防等の業務に従事」
することとしている.
 仕事は
「細菌の研究を担任,各部隊の防疫給水,血清,痘症,予防ならびに錬成隊に置いて青少年の教育を実施する」
こと.

部隊編成(四五年六月時点)
本部  ハルピン  1300名  満州第731部隊
支部 ハイラル 165 満州第543部隊
ムータンチャン 200 満州第643部隊
ソンゴ 136 満州第673部隊
リンコウ 224 満州第162部隊
タイリェン 250 満州第319部隊

 本部と支部を併せての関東軍防疫給水部の全体名称は「満州第六五九部隊」

 五三年五月付の厚生省引揚援護局の文章によれば,終戦時,防疫給水部は七三一部隊以下,二十三の部隊があった.
 このうち,第二十七野戦防疫給水部のみが沖縄において玉砕,七三一部隊は武装解除.
 七三一部隊の「武装解除」は部隊の一部のみであり,他と防疫給水部同様に無事内地に引き揚げているようだ.

 最近の報道によれば,次のようなことも判明している.

ペスト菌兵器の開発詳述 731部隊の秘密論文集

 【ワシントン16日共同】太平洋戦争中に細菌戦の準備を進めた旧関東軍防疫給水部(731部隊)が,ノミを使って致死性の高いペスト菌の細菌兵器を研究開発した過程や,ペストで死亡した患者データの詳細が16日,日本側文書や米議会図書館の資料で判明した.
 同図書館は,部隊関係者が戦後,米軍に提出した人体解剖記録(英文)を一般公開する方針を決定.
 公開に先立ち,共同通信と神奈川大の常石敬一教授(生物・化学兵器)に閲覧を認めた.

 日本側文書は,731部隊幹部らが執筆した日本語の秘密論文集「陸軍軍医学校防疫研究報告第一部」などで,ノミの増殖法や細菌戦に適した条件,爆弾に詰めた際の生存能力などを包括的に研究,当時のソ連を標的とした細菌兵器開発の経緯を伝えている.
 常石教授が国立国会図書館関西館(大阪)で発見した.

(共同通信,2005/8/16)

 英文記録は三種類の病理解剖データで,ペスト菌に関する「Q報告」,炭疽(たんそ)菌の「A報告」,鼻疽(びそ)菌の「G報告」.
 「Q報告」は,四〇年六月から秋にかけて中国東北部の農安と新京(現在の長春)でペストに感染して死亡し た住民五十七人の解剖結果をまとめた.
 日本側文書によると,七三一部隊幹部だった平沢正欣陸軍軍医少佐(当時)は,医学論文の中で,新京のペスト流行を研究し,犬に付着する「イヌノミ」が感染媒体だったことを立証.
 この過程で,感染したイヌノミを人間に付着させる人体実験も実施した.
 少佐はほかにも,機密扱いの四本の論文をまとめ,
(1)爆発でノミの脚に障害が発生すれば,ペスト菌の運搬能力が低下
(2)ノミは光を嫌うため雑草地への散布が 有効
――などを解明.爆発力が小さくて済むけい藻土製の「石井式細菌爆弾」の開発に至る基礎研究を行った.

(西日本新聞(共同),2005/8/18)

 あと,ペスト菌がノミの体内で休眠状態になるのを発見したのは731だぞ.
 公には戦中混乱期における,発見者不詳の知見ってことになってるけどな.
 これは下手すりゃノーベル賞モノの発見.

軍事板

 ちなみに,七三一部隊以外にも以下の細菌戦関連部隊があったと言われている.

陸軍軍医学校防疫研究室 東京 
一八五五部隊        北京
一六四四部隊        南京 
八六〇四部隊        広東 
九四二〇部隊        シンガポール


 【質問】
 森村誠一著『悪魔の飽食』の信憑性は,どの程度なのですか?

 【回答】
 細菌戦の研究及び準備ですね.ここまでは確定.
 問題とされているのは,その過程で人体実験が行われていたということ.これに物的証拠はない.
 しかし,状況証拠と証言が多数あるので,人体実験をしていたのは事実として認知されている.
 米国の下院だか上院だかで731部隊関連の調査が行われたときも,731部隊は人体実験をやってたというのは事実としている.

 また,中国に対して細菌攻撃を実施しているという資料もあり,これも事実ではないのかな,と.

 人体実験の詳細はとてもここには書ききれません.
 主なもので,細菌やウィルスの入った液を注射し,病気の経過を見たあと解剖し,ものによっては標本化腕などを凍傷にさせて(激痛)凍傷治療の実験.これは失敗すると腕が無くなります.
 一定間隔で円形に縛り付けておき,中央で細菌爆弾を爆発させて効果を観察するなどです.

 なお,戦時中に七三一部隊が作成し,戦後にアメリカが本国に持ち帰った物の多くは,現在行方不明です.
 アメリカは「日本に返した」と主張し日本政府は「確かに返ってきている.最初に厚生省へ入り,そこから防衛庁に移管された」と新聞社の取材に対して返答.
 しかし,防衛庁は「知らない」と返答.日本国内において行方不明となりました.
 常石敬一はこれを「事故」か「意図しないで起こったこと」ではないかと,そういった実例を挙げて著書「七三一部隊」(講談社新書)で書いています.

(軍事板 & 極東の名無し三等兵◆5cYGBbCsjQ on FAQ BBS

 実際読んでみました.といっても,昭和五八年出版の新版の方だけど.
 ちまたでボロクソに言われていますが,当方が読んだ感じでは,愛国戦隊の方々が騒いでるほど,ヒドイ物でもなかった.
「小説だー! 創作だー!」
と,よく言われてますが,コレは小説じゃないです.
 小説だと言っている人は,読んでもいないのにイメージだけで批判してる人でしょう.

 といっても,明らかにアレな記述がところどころあるのも事実.
 例えば以下のような記述.

 ポンプで室内の空気を抜くことができる真空室に「マルタ」を入れ,少しずつ真空にしていくのだ.
 外気圧と内蔵圧の差が大きくなるにつれて,「マルタ」の眼球,口腔,肛門など,およそ人間の身体の穴という穴から,内蔵がせり出そうとする.
 「マルタ」の眼球は飛び出し,顔面は異様にふくれあがり,血の血管がみみず腫れのように隆起し,身体の各部分がゴムのように伸びる.
 ついには腸がそれ自体一つの生き物であるかのように,ニョロニョロと外へ這い出してくるのである.
「実験開始後五分後……七分後……九分後……只今〇〇気圧」
 実験室の外で隊員達が,八ミリ撮影機を回している.

 えーと,人間を急減圧しても,こんな風にはなりません.
 「マクグロウ・ヒル宇宙百科事典」および「宇宙三百の大疑問(BLUE BACKS 講談社)」によれば,動物を爆発的に真空にさらしても,いきなり身体が飛び上がったり,目が顔から飛び出ることはない.
 周囲の気圧が47mmHg以下に落ちると,組織の内部にある水分が皮膚の表面から蒸発していく.
 まもなく表面の細胞は崩壊し,体内の熱も失われる.
 6秒もすると細胞崩壊のプロセスは心臓と肺に達し,体内の循環を妨げる.
 そして急速に,けいれん,無酸素症,腸の筋肉の弛緩が襲ってくる.
 15秒後に精神錯乱が起こり,20秒後に意識を失う.
 あとは,フリーズドライ加工された肉の塊になるだけだ,そうです.

 作者の創作なのか,それとも誰かに騙されたのかは知りませんが,これが真実でないことは明らかです.
 まぁ,しっかりソースを明らかにしている部分もあるし,他の記述がぜんぜん信頼できないわけではないけど,眉にツバつけて読むのが吉.始めからある程度疑ってかかりましょう.
 いちおう「ゴーマニズム宣言」よりはまともなシロモノだと言っておく.
 読み物としては面白いですね.文章もお上手だし.
 中古で売ってたら,買って読んでみるのも一興か,と.

極東の名無し三等兵◆5cYGBbCsjQ on FAQ BBS


 【質問】
 戦後,米国は731部隊関係者をどう援助したのか?

 【回答】
 報道によれば,情報提供の見かえりに報酬を与えるなどしていた,という.
 以下引用.

731部隊に現金供与 米,細菌兵器開発を優先

 【ワシントン14日共同】第2次大戦中に中国で細菌による人体実験を行った旧関東軍防疫給水部(731部隊)の関係者に対し,連合国軍総司令部(GHQ)が終戦2年後の1947年,実験データをはじめとする情報提供の見返りに現金を渡すなどの秘密資金工作を展開していたことが14日,米公文書から明らかになった.
 総額は,国家公務員(大卒)の初任給ベースで比較すると,現在の価値で2000万円以上に達する.

 人体実験で3000人ともいわれる犠牲者を出した同部隊をめぐっては,GHQが終戦直後に戦犯訴追の免責を約束したことが分かっているが,米国が積極的に働き掛ける形で資金工作を実施していた事実が判明したのは初めて.文書は,米国が731部隊の重大な戦争犯罪を認識していたにもかかわらず,細菌兵器の開発を最優 先した実態を記している.

(共同通信,2005/8/14)

GHQが731部隊関係者に現金 人体実験データの代価

 文書は四七年七月十七日付のGHQ参謀第二部(G2,諜報部門)=肩書は当時,以下同=のウィロビー部長のメモ「細菌戦に関する報告」と,同月二十二日付の同部長からチェンバリン陸軍省情報部長あて書簡(ともに極秘).神奈川大の常石敬一教授(生物・化学兵器)が米国立公文書館で発見した.
 両文書によると,ウィロビー部長は,七三一部隊の人体実験を調べた米陸軍省の細菌兵器専門家,フェル博士による部隊関係者への尋問で
「この上ない貴重なデータ」が得られたと指摘.「獲得した情報は,将来の米国の細菌兵器計画にとって最大限の価値を持つだろう」
と,G2主導の調査結果を誇示している.

 具体的な名前は挙げていないものの「第一級の病理学者ら」が資金工作の対象だったと記載.一連の情報は金銭報酬をはじめ食事やエンターテインメントなどの報酬で得たと明記している.
 陸軍情報部の秘密資金から総額十五万−二十万円が支払われたとし「安いものだ」「二十年分の実験,研究成果が得られた」と工作を評価している.
 当時の二十万円を国家公務員(大卒)の初任給ベースで現在の価値に置き換えると二千万−四千万円に相当する.

 GHQ中心の調査は,フェル博士が四七年六月に中間報告をまとめた後も別の専門家が継続.四七年末の別の米軍資料は総額二十五万円が支払われたとしており,資金工作がその後も続いた可能性を示している.

(中日新聞,2005/8/15)


 【質問】
 帝国陸軍が満州に遺棄した化学兵器だそうですが,200万発という数が出ております.さっきのTBSニュースでは70万発といっておりました.
 あまり使わない化学兵器をそんなに生産する余力が,日本にあったんでしょうかね?
 賠償金目的のように思えるのですが.

 【回答】
 化学兵器の生産技術を一度確立すると,多量生産はさほど費用もかからず,簡単だそうです.でないと,殺虫剤がえらい高いものになってしまう.
 ただ,中共の化学兵器には旧日本軍が遺棄したものの他に,敗戦で武装解除時に人民軍に引き渡したもの,中共が生産,購入したものも含まれてしまっています.
 日本が「化学兵器禁止条約」に則って,処理しなくては成らないものは日本軍が遺棄したものだけであるはずなのですが.

(剣恒光 ◆YR1Hskt.M. )

 ちなみに「アジアの安全な食べ物:中国の7色に輝く河川と食品」には,中国のやばすぎる公害事情が紹介されている.
 また,

 河川の汚染対策の遅れについても,最近では,
「旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器が原因だ」
などと見え透いた嘘をついて責任逃れをして,真面目に取り組んでいません.

などとも述べられている.

 ただし,このサイトの信憑性については,
「写真とキャプションが一致しているとは限らない」
「これらの画像の元サイトを見ると,中国国内でも公害は問題視されている」
などといった指摘もある.

 ?西化学制??入河中 数公里?河水被染?(?)博?新?,?体中文新?:ヤバイ色の川の元記事.タレコミによると工場で化学薬品が流入した事故によるもので,日常的に汚染されているわけではないらしい.

 真性引き篭もり/entry :その他の画像の元記事リンク集あり.

 また,芝生の着色については,日本でも行われている.
 例えば「NISSAN STADIUM : スタジアムここだけの話」によれば,このスタジアムでは,芝が枯れる冬季は芝を着色(コーティング)する,という.
 こちらは芝用着色剤についての解説.
 さらに, 真性引き篭もり/entry では単なる着色ではなく,「種子吹きつけ工法」というものも紹介している.

(電脳遊星D)


 【質問】
 この問題を扱った訴訟では,
・遺棄もその後の放置も違法として国側に賠償を命じた判決(東京地裁03/09/29)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/hannketu0308.htm#dokugasubaisyou
・遺棄は違法であるが回収は困難であり賠償責任はないとした判決(東京地裁03/05/15)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/hannketu0301.htm#dokugasu
といった判断が示されています.
 もちろん地裁段階であり確定したものではないわけですが,「日本には法的な責任が無い」と断定するのは(現段階では)誤った表現ではないでしょうか?

 【回答】
 日本が「化学兵器禁止条約」に則って,処理しなくては成らないものは日本軍が遺棄したものだけである.
 法的責任があるのは,この範囲内のものに限られる.

 まず,日本が批准した化学兵器禁止条約(CWC)の中で,日本軍が遺棄した化学兵器は「遺棄化学兵器」に分類されている.
 締約国はこの条約に従い,他の締約国の領域内に遺棄したすべての化学兵器を廃棄することが義務付けられている.(第一条3項)
 これに伴い日中間では遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書の署名を行い,日本が処理を行っている.

化学兵器の開発,生産,貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bwc/cwc/jyoyaku/pdfs/05.pdf

 ところで日本は,昭和二十年八月,連合国のポツダム宣言に基づいて無条件降伏した.
 そのポツダム宣言は降伏の条件の一つとして,完全なる武装解除を挙げ,日本軍は毒ガス弾を含む全ての武器・弾薬,施設を没収された.
 武器・弾薬,施設などについて,日本国,日本軍は所有権,管理権が及ばなくなったのである.
 つまり現在,中国にある旧日本軍の毒ガス弾は,中国の同意を得ないで遺棄したものではなく,連合国に没収されたものであり,CWC“遺棄化学弾”に該当するのかどうかは疑問がある. 同条約の定義によれば
「一九二五年以降,いずれかの国が他の国の領域内に,その国の同意を得ないで,遺棄した化学兵器を遺棄化学兵器という」
とされているからである.
 もし中国側が遺棄化学弾だというならば,それらが遺棄されたものであることを証明しなければならないだろう.

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2003/10/post.html

 東京地裁03/09/29判決は,
「旧日本軍が日中戦争終了前後に中国本土に遺棄した毒ガスや砲弾がその後数十年を経て漏れ出したり,爆発したりした3つの事件」
についての事例である.
 東京地判H.15.9.29の方も,日本軍が遺棄した毒ガスであると認定されている.
 で,毒ガスを放置していることが継続的な不作為による違法な公権力の行使にあたるとして,国賠法上違法と判断されている.

 すなわち,2事例共に,「日本軍が遺棄した毒ガスである」との認定がまずある.
 したがって,中共が日本に処理させようとしている,敗戦で武装解除時に人民軍に引き渡したもの,中共が生産,購入したものまで日本に処理責任があることを証明するソースとはならない.

(FAQ BBS)

 この問題の最大の争点は,「日本製であるか否か,遺棄化学兵器であるか否か」の二点ですね.

 そもそもの問題の始まりは1945年8月15日にポツダム宣言を受託した事に端を発します.
 そのポツダム宣言には

九 日本國軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復歸シ平和的且生産的ノ生活ヲ營ムノ機會ヲ得シメラルベシ(「ポツダム」共同宣言)

と,日本軍に対する完全な武装解除が書かれており,これに基づき日本軍は各地で連合国側の武装解除を受けています.
 ここで重要なことは武装解除された武器弾薬等は接収側の連合国の所有・管理下に入り,日本側の所有権・管理権は及ばなくなった点です.

 武器を引き渡した相手については,中国大陸の支那派遣軍約百万においては蒋介石の国民党軍,満州の関東軍約五十万はソ連軍に,朝鮮半島の朝鮮軍は38度線より北側はソ連軍,南側は米軍に引き渡したものと思われます.
 また,中国大陸の一部においては,共産党軍の武装解除を受け引き渡した例もあるようです.
 これらの武装解除は,終戦から僅か2ヶ月後の1945年10月16日までに完了し,同日にはGHQ総司令官マッカーサー元帥が「日本軍武装解除完了声明」を発表しています.
 終戦時日本本土以外に約350万の兵力があったとされ,更に本土に同数程度の兵力があったとされていますが,これら700万兵士の武装解除が僅か2ヶ月程度で完了したこと,また西村慎吾代議士のホームページの「慎吾の時事通信」平成15年9月30日号によれば,西村事務所の秘書の方が防衛研究所で台湾派遣軍と海軍の作成した詳細な武器引渡しリストを入手したそうです.
 そこには毒ガス弾を何発引き渡したと記載されていたそうですから,他の日本軍も部隊ごとに武装解除を受けた際には詳細な武器引渡しリストを作成して,整然と引き渡し武装解除を行ったため2ヶ月で終えることができたと考えるのがもっとも合理的ではないでしょうか.

 また,中国大陸の特殊な事情として,日本軍降伏後の中国では国共内戦が本格化し,国民党・共産党共に日本軍の武器を必要としていた――中共軍に至っては,後の朝鮮戦争まで旧日本軍の武器を使用していたとする資料もある――から,武装解除と武器引渡しは短時間に行われた可能性が高いでしょう.

 と言うことで,前述のように支那方面軍は国民党軍に,万里の長城以北の在満関東軍はソ連軍に武装解除され,武器弾薬の一切の所有権・管理権は接収側に移ったのです.

(多事某論)

 そこから先の接収兵器の行方ですが,ハルビン協定やモスクワ協定によってソ連軍から毛沢東軍へ引き渡された,という説もありますが,未確認のようです.
 この点は,国会における以下のやりとりに端的に見られる通りです.

○山谷えり子君 ソビエトと中国共産党の間で,一九四七年から四八年の間,ハルビン協定,モスクワ協定が結ばれました.この中に,敗戦した日本軍の武器を二回に分けてすべて提供すること,ソ連の日本軍から接収した満州の弾薬や軍用物資も安い値段で中共に提供することというのがあるやに聞いております.同意を得てソ連,そしてそこから中共に渡った.相手に引き渡したと解釈できることもまた学説としてあるわけでございまして,遺棄したと主張する立証責任は中国側にあるんじゃないんでしょうか.
○政府参考人(西宮伸一君) 私どもといたしましては,旧ソ連からいろいろ提供されているということを確実に裏付ける資料の存在がないものというふうに承知しておるわけでございます.
○山谷えり子君 日本の武装解除により中国側に引き渡された兵器は現在の貨幣価値にして数兆円とも言われております.管理責任は中国にあるのではないでしょうか.普通,武器一式,書類,数量,保管場所を武装解除のときそろえて渡すはずですけれども,関東軍のものは日本にはないということなんですか.
○政府参考人(西宮伸一君) 政府といたしましては,平成十五年に化学兵器と思われる兵器,これは手投涙弾などでございますが,を含む引渡し目録と題されている資料が存在していることだけを確認しておるわけでございまして,この中身は,旧日本海軍の第二復員局作成とされるリストでございますが,その中で触れられている武器は手投涙弾等約四千六百発でございまして,それ以外の資料については我々存在を確認しておりません.
○山谷えり子君 関東軍のものはソ連に渡っている可能性もありますし,また中華民国に対するものは台湾に残っている可能性があります.また,当時の関係者がまだ御存命ですけれども,その辺は問い合わせられたんでしょうか.
○政府参考人(西宮伸一君) 政府といたしましては,化学兵器禁止条約に従って忠実に遺棄化学兵器を処理する観点から,できる限りのいろいろな情報収集をしておるものと理解をしております.
○山谷えり子君 なぜ日本だけがこれをしているんでしょうか.ベトナム戦争でアメリカはどうだったのか.イラン,イラクはどうだったのか.中越戦争で中国は化学兵器を使用したと思われますが,そのほかの国々はそのような処理の条約,約束をしておりませんが,なぜでしょうか,日本だけというのは.
○政府参考人(天野之弥君) お答えいたします.
 これまで化学兵器禁止条約にのっとって自国の領域内にある遺棄化学兵器について申告を行った国は,中国のほかイタリア及びパナマでございます.ただし,先生御指摘のとおり,中国以外の二国については,いずれかの国が当該化学兵器を遺棄したとの申告は行っておりません.
 なぜ日本のみが自ら申告し,廃棄の義務を認めたかということでございますけれども,これまでの日中共同現地調査における専門的な鑑定の結果,中国国内には旧日本軍の化学兵器が存在していることが確認されております.他方,これまでの累次にわたる調査の結果,これらの化学兵器を旧日本軍が残置することについて同意したということを示す根拠は見いだされておりません.したがって,条約上,このような化学兵器は我が国が遺棄した遺棄化学兵器に当たり,我が国はこれを申告し廃棄する義務を負うものと考えております.
○山谷えり子君 根拠を見いだせておりませんとおっしゃいますが,もう少しまじめに根拠を探していただきたいというふうに思います.
 町村外務大臣,遺棄という言葉が先行していないでしょうか.また,中国側二百万発と言っている.日本は最初七十万発と言いましたが,調べてみたら三,四十万発ではないかというふうに今言われております.また,当初の予算は二千億円だったのが今一兆円,あるいは複数箇所で建設,処理施設を建設というようなことも中国側からは言われているとも聞いておりますけれども,いずれにせよ条約は発効しているわけで,条約の目的は遺棄化学兵器の処理で,中国への経済援助ではございません.将来に禍根を残さないような十分な検証作業をしていく必要があると思いますし,また中国側に説明を求める必要もありますが,どのような姿勢で今後臨まれていらっしゃいますでしょうか,いかれますでしょうか.
○国務大臣(町村信孝君) この問題につきましては,化学兵器禁止条約に従って日本が必要な資金負担をするということになっているわけでありまして,今委員からは経済援助ではないよという御指摘がありました.それは正にそのとおりであろうと思います.
 実際,どのように経費が掛かっているか,使われているかということについては,外務省の職員が作業現場で,何台の車が来て,何人の人が従事してという現場を見ながら,彼らの必要,掛かった経費というもののその妥当性をチェックをすると,もちろん書類上のチェックもするというようなことで,請求内容というものを精査して対応していくということをやっておりますので,向こうからとにかくつかみでどんと請求があって,それを全部払うというようなことをやっているわけではございません.
 また,何万発というのは確かに必ずしも決め手のある話ではないとは思われますが,一応我が方からは幾つ幾つということを言いました.しかし,実際ここにはどのくらいあるだろうと推測をしながら作業をしてみると,それより少なかったりする場合もあるし,より多く出てくる場合もあるということなものですから,あくまでもこれは推計としてこの程度があるのではないかということで,実際そこは作業をやってみないと分からないという部分も現実にはあるようでございます.
○山谷えり子君 中国の作業者に平均,日当,日本は数十ドル払っているんですが,本人たちに支払われた額は百三十円.外務省はちょっとおかしいんじゃないかと言いましたところ,中国側はちゃんと答えていないということもあるわけでございまして,もう少し明細書もしっかりともらうようにしていただきたいと思います.
 また,その遺棄の定義があいまいであるということについてはどのようにお考えでございましょうか.
○政府参考人(西宮伸一君) 今大臣からお答えした点の繰り返しになるかもしれませんが,経費の内容につきまして透明性の確保が必要不可欠であることは御指摘のとおりだと存じます.この点につきましてはいろんな場で中国側に強調しておりますが,先ほど大臣からもやや細かめに言って,答弁申し上げましたように,我々といたしましても,中国政府から必要な経費として提示された請求に対しては,請求内容をよく精査して中国側に確認しているところでございます.
 それから,化学兵器の遺棄の定義そのものは先ほど来ございますけれども,実際の化学兵器の処理に当たりましては,中国で発見される化学兵器が旧日本軍のものであるかどうかを判断するということは非常に重要でございまして,そのために現地調査を行っておりまして,専門家による鑑定等により旧日本軍のものと確認された場合に日本側がその処理のための措置を行っておるわけでございますけれども,この専門家による鑑定といいますのは,OB自衛官など本当の専門家による厳密な鑑定を経た上で旧日本軍のものであるということを確認しておるわけでございます.
○委員長(林芳正君) 山谷君,時間でございます.

(第162回国会 外交防衛委員会 第17号,2005/7/5)

 つまり,まず支那方面軍の持っていたであろう化学砲弾の所有権と管理権は武装解除の際に接収した国民党軍に移ります.
 これが遺棄されたのであれば,責任は国民党軍かもしくはそれを接収した共産党軍にあります.
 次に関東軍が持っていたであろう化学砲弾の所有権と管理権は,武装解除の際に接収したソ連軍に移ります.これが遺棄されたのであれば,責任はソ連軍にあります.

 「化学兵器禁止条約」に照らし合わせると

第2条 定義及び基準

 この条約の適用上
 5.「老朽化した化学兵器」とは,次のものをいう.
  (a)1925年より前に生産された化学兵器
  (b)1925年から1946年までの間に生産された化学兵器であって,化学兵器として使用することができなくなるまでに劣化したもの

 6.「遺棄化学兵器」とは,
 1925年1月1日以降にいずれかの国が他の国の領域内に当該他の国の同意を得ることなく遺棄した化学兵器(老朽化した化学兵器を含む.)をいう.

「遺棄化学兵器」ではなく「老朽化した化学兵器」に該当します.

 と言うことは,処分する義務があるのは中共政府ですが,
「旧日本軍の毒ガスで中国人民が犠牲に!」
とかいう,焦点を徹底的にぼやかしたバカ話になったときに登場するのがあの男です.
 そう,当時外相であった「紅之傭兵」こと河野洋平と,当時の首相であった村山富一の売国コンビでした.
 このアホ共が,
「毒ガスに国境はない.
 どこの国のものでも,日本が責任を持って処理する」
と,売国奴丸出しの声明を出したせいで,訳も分からぬままに日本が処理する事になってしまいました.
 日本軍は連合国によって完全に武装解除され,全ての武器弾薬等を引き渡し管理・所有権を放棄したと言う事も忘れ,誰によって遺棄されたのか,日本製なのか外国製なのか,遺棄された化学兵器の数がどれだけあるのかと言った基本的な事をろくに調べもせずに,売国奴らしい無責任な発言をしてくれたものです.

 接収側が50年以上も放置しておいて,ある日突然被害が出たからと言って日本の責任だと言うのはまるでヤクザのごとき言い掛かりと言うものです.

(多事某論)

 少なくとも,以下のような例を見る限りでは,中国側の主張に信憑性は薄いように感じられます.

遺棄化学兵器処理費,中国要求丸呑み,巨額化
法外な森林伐採代償/プール付き宿舎

 中国に旧日本軍が遺棄したとされる化学兵器の廃棄処理問題で,中国側の要求を丸のみした結果,日本が拠出する処理費用が野放図に巨額化している実態が,内閣府の資料などからわかった.
 例えば施設建設に伴う森林伐採では,国際価格の数十倍という法外な代償を認め,要員宿舎はプール付きの豪華版としている.
 事業は今冬にも施設建設に入るが,費用の不透明性を残したまま見切り発車すれば,予算の垂れ流し,税金の無駄遣いにつながるのは必至だ.(長谷川周人)

 内閣府の予算関連資料によると,吉林省敦化市郊外のハルバ嶺で建設が予定される処理施設の「インフラ整備諸費」(共通施設分)に今年度,十八億五千万円近い予算が計上されている.
 避難路や要員宿舎の整備費用の一部に充当されるが,関係者によると,用地造成に伴う森林伐採で中国が要求した代償は「シラカバ一本百ドル」.
 しかし,シラカバは一般に製紙用以外に用途がなく,
「樹齢にもよるが二,三ドルが国際相場」(製紙業界関係者)
とされ,日本は常識はずれの費用負担を強いられている.
 また,要員宿舎は
「事業終了後の払い下げを見越し,地元当局から強い要望があった」(関係者)
として,2LDKの豪華版で,プールなどのスポーツ施設が併設される予定だ.
 また,「環境関連諸費」(約千五百三十万円)の内訳をみると,「マクロ気象観測費」(約三百三十万円)と「ミクロ観測機器・機材整備費」(千二百万円)だが,気象観測といっても,中国軍の「気象専門員」が百葉箱を使い,気温や風向などを定時放送するというもの.
 日本側が「無意味に近い」と改善を要求したところ,中国側は「ならば地表温度なども計測しよう」と提案,新たな資材購入費として千二百万円を計上することになったという.

 このほか,中国はハルバ嶺に軍医療班を派遣しているが,絆創膏(ばんそうこう)一枚でも,日本人スタッフには「(解毒剤などが入った)段ボール三箱分の医薬品がセット売り」となる.しかも,なぜか産婦人科医を含む医師団は北京から送り込まれ,これら全経費が日本負担となっている.
 遺棄化学兵器の処理事業で,日本は今年度までに約九百七十億円を投入.処理方法を検討するなど準備を進めてきた.外務省によると,保管作業は昨年七月までに三万七千発分を終えた.

 今後は残る砲弾の回収と並行し,実処理を行う施設の建設に移るが,回収施設だけで九百七十三億円の建設費がかかることが判明している.
 このほか燃焼処理を行うメーンの前処理施設のほか,燃焼時に発生する汚染ガスの処理に環境対策費なども必要で,総事業費は「一兆円規模」との試算も出ている.
 しかし,遺棄砲弾数は二百万発と主張する中国は,その根拠すら示さず,情報開示を先送りしている.
 七十万発と主張してきた日本は,独自調査に基づき三十万−四十万発と下方修正する方向だが,遺棄兵器の全容は見えていない.
 関係者からは
中国にとって処理事業は“金のなる木”.中国の機嫌ばかりを気遣う官僚の事なかれ主義を是正しなければ,いつまでも無駄な予算を垂れ流すことになる
と批判も出ている.

(産経新聞,2005/10/31)

 なお,以下報道にあるように,2006年になって,「遺棄化学兵器は中国に引き渡されていた」とする史料が発見されたというが……

遺棄化学兵器に新史実!?

 ■史料精査し責任の所在明確に
 『正論』(産経新聞社)六月号が水間政憲氏の論文「“遺棄化学兵器”は中国に引き渡されていた−残っていた兵器引継書」を掲載した.
 水間氏は全国抑留者補償協議会(故斎藤六郎氏が代表をつとめたいわゆる「斎藤派・全抑協」)の「シベリア史料館」で,「全体で六百冊にも及ぶ膨大な量の『旧日本軍兵器引継書』が長年,段ボール二十四箱の中でほこりにまみれて眠っている」のを発見した.
 ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長がペレストロイカ(改革)政策に沿って,KGB(国家保安委員会)がシベリア抑留問題に関する史料を公開し,日本世論に「ソ連は変化した」との印象を植え付ける工作を展開した.
 この工作の責任者がキリチェンコ・ソ連科学アカデミー東洋学研究所国際学術協力部長だった.
 その下で,カタソノバ上級研究員がシベリア抑留者問題の公文書調査にあたった.
 キリチェンコ氏の表の顔は学者であるが,KGB第二総局(防諜(ぼうちょう))の大佐で,日本大使館担当課長をつとめていた.
 日本の外交官や,大使館に勤務する学者(専門調査員)の弱点をつかみ,協力者に仕立て上げたるのがキリチェンコ氏の仕事だった.
 後にキリチェンコ氏は自らが,KGBの擬装職員であると告白した.

 斎藤六郎氏は日本政府に訴訟を起こしていた関係もあり,当時の日本大使館と「斎藤派・全抑協」との関係はほとんど没交渉であった.
 後に斎藤氏とキリチェンコ氏は決別したが,カタソノバ氏は斎藤氏への協力を続けた.
 ソ連(現ロシア)政府は,日本軍関係書類を日本政府に返還するのが筋だが,実際には日本政府が関知しないところで,ソ連から相当数の重要書類が斎藤氏に引き渡されたようである.

 今般,水間氏が発見した「旧日本軍兵器引継書」もそのような書類の一部と思われる.
 一九九九年七月三十日,北京で署名された「日本国政府及び中華人民共和国政府による中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」は冒頭で以下のように定めている.

<1・両国政府は,累次に亘る共同調査を経て,中華人民共和国国内に大量の旧日本軍の遺棄化学兵器が存在していることを確認した.旧日本軍のものであると既に確認され,及び今後確認される化学兵器の廃棄問題に対し,日本国政府は「化学兵器禁止条約」に従って遺棄締約国として負っている義務を誠実に履行する

 2・日本国政府は,「化学兵器禁止条約」に基づき,旧日本軍が中華人民共和国国内に遺棄した化学兵器の廃棄を行う.
 上記の廃棄を行うときは,日本国政府は化学兵器禁止条約検証附属書第4部(B)15の規定に従って,遺棄化学兵器の廃棄のため,すべての必要な資金,技術,専門家,施設及びその他の資源を提供する.
 中華人民共和国政府は廃棄に対し適切な協力を行う.>

 国際社会の「ゲームのルール」では,遺棄化学兵器について,それを遺棄した国家がカネや技術などをすべて提供して廃棄する義務を負う.当然,文明国家である日本もその義務を忠実に履行しなくてはならない.
 ただし,それは日本が遺棄した化学兵器に限られる.
 終戦時に日本軍を武装解除した中国軍やソ連軍に化学兵器が引き渡されている場合,日本に化学兵器を廃棄する義務はない.
 『正論』六月号のグラビアには「旧日本軍兵器引継書」の写真が掲載されているが,そこには「四年式十五榴弾砲台榴弾」「四一式山砲榴弾甲」など,秘密兵器概説綴と照合すると化学兵器とみられる事項が記載されている.
 〔略〕

Fuji Sankei Business i. 2006/5/18

旧日本軍化学兵器処理問題 中国やソビエトに兵器が引き渡されたことを示す書類発見

 旧日本軍が遺棄したとされる化学兵器について,兵器が引き渡されたことを示す書類が見つかった.
 この発見は国会でも取り上げられた.
 旧日本軍が遺棄したとの前提で日本政府が資金や技術などを提供してきた化学兵器処理問題.
 26日に行われた衆議院内閣委員会で,自民党の戸井田徹議員はこの問題に疑問を示した.
 戸井田議員は
「手元にお配りいたしました引き継ぎ書にあります,日本側と中国側の授者(受者)の署名・なつ印は,引き継ぎ者側の同意を得ていたことになります」
と述べた.
 戸井田議員が配った資料は,旧日本軍が中国やソビエトに化学兵器を正式に引き渡したとされる「兵器引き継ぎ書」.ジャーナリストの水間政憲氏から提供されたものだという.
 戸井田議員は
「旧日本軍の化学兵器なども同じように引き継ぎ者側の同意を得ていたのであれば,当然,旧日本軍の化学兵器といえども,所有権は中国側に移行したものと理解しておりますけども」
と述べた.
 外務相の梅田邦夫参事官は
「今この時点で明確なお答えをすることはできない」
と述べた.

 日本は1997年発行の化学兵器禁止条約に基づき,廃棄することが義務づけられている.
 日本政府は2000年以降,970億円を投じて化学兵器の発掘,回収事業を実施.事業総額は2,000億円以上とみられている.
 中国・吉林省敦化市ハルバ嶺には,遺棄化学兵器が30万発以上も眠っている.
 中国やソビエトに化学兵器が引き渡されていた場合,遺棄したのは旧日本軍ではない可能性もある.
 戸井田議員は指摘の意義を
「中国との関係が変わってくる可能性がある」,
「遺棄化学兵器に関しては,関係きちんと精査して,真実はなんだったのかということをそこに出せる資料なわけですよ」
と強調した.
 安倍官房長官はこの兵器引き継ぎ書について,
「遺棄化学兵器が当該目録に記載されているかどうかが,1つある意味でポイントになる」
と述べた.
 〔略〕

フジTV, 2006/05/27/01:56

……これはガセである可能性が高い.
 詳細な検証が,とあるブログに載っていたので引用したい.

〔略〕
ところが記事を読んでみれば,その論証は全くもってお粗末な限りで,記事中に名指しで批判されている朝日新聞も苦笑いの誤報並みの勇み足と言って良い.
 記事を真に受けて動いた議員も政府も,茶番劇につきあわされたと言える.
 以下では一次史料をもとに,水間論文を検証していくこととする.

 まず記事では,「代用弾の表現は化学弾が含まれていると思われる」「化学弾を含むと思われる各種代用弾も引継いでいる」と“代用弾説”を唱えているが,随分な珍説だ.
 旧軍における代用弾とは,弾頭部分などの材質を他の代用材に替えて作られた銃砲弾を言い,主として演習で使われたものだ.
 具体例は,著者にとって身近な所にある.著者自らグラビアページで紹介している国立公文書館所蔵史料の「秘密兵器概説綴」には,「九六式重迫撃砲弾薬九六式改造代用弾概説」が載っているが,そこには徹甲弾を改修してバラ砂を詰め,演習において土砂の飛散によって弾着観測を行うとしており,「破甲榴弾ニ代用シ平時ノ教育及演習ニ使用スルヲ主目的トス」と代用弾の意味をはっきり記載している.
 しかも史料本文の一頁目だ.目の端にも入らなかったとは到底思えない.
 ちなみに,なぜこの九六式重迫の代用弾だけが「秘密兵器概説綴」に載っているかというと,それは九六式重迫そのものが軍事極秘兵器として制定されており,代用弾を含む弾薬類も秘される必要があったからだ.

 代用弾が化学弾とは全くの別物であることは次の例でも明らかだ.
 例えば,昭和十一年に青森県で予定された特種演習の発射弾種表には,野砲や榴弾砲用の「きい弾」「あか榴弾」と並び「代用弾乙」が列記されている.
 また,同年の習志野学校における演習用弾薬支給定数表でも,九四式軽迫撃砲用の「あおしろ弾」「きい弾」「あか弾」などの化学弾と並んで,「擬液弾」「代用弾」が列記されている.
 化学弾で最も数量の多い「きい弾」210発に対して,「代用弾」は3500発も支給されている.ようするに“化学弾の代用弾”として演習に使われたわけだ.

 さらに記事では「三八式野砲九〇式代用弾(甲)は化学弾と見られる」「四一式山砲榴弾甲,四一式山砲榴弾乙は…化学弾のきい一号甲と乙と思われる.
 それは通常イペリットである」などとしているが間違いである.
 ここに言う甲乙は信管接合部などの形状の違いであり,化学剤の充填の有無やその種類とは全く関係がない.
 甲乙が分けられたのは昭和三年のことで,十年式瞬発信管若しくは八七式短延期信管を付けるために,「弾丸上部ニ信管接続筒ヲ螺着シ且安全度増加ノ目的ヲ以テ雷汞ヲ全然使用セサル八七式茗亜薬壺ヲ装着」できるように改修を施した新型を「乙」,それまでの三年式複働信管を付けていた旧型のものを「甲」と区別したのである.

 この点,三八式(改造)野砲や四一式山砲といった口径75mm砲で使う化学弾には,「九二式あか榴弾」「九二式きい弾甲」「九二式あおしろ弾」などがあった.
 このうち,イペリットやルイサイトといったびらん性の「きい剤」が充填された「九二式きい弾甲」については,昭和一三年に“甲”の一字をとって「九二式きい弾」に名称が変更されている.
 このことを見ても,甲乙の名称で化学弾か否か判断することの愚かしさが分かる.
 そもそも「きい剤」は,敵兵や敵地の汚染を目的とした持久瓦斯である.破片で敵兵を殺傷することが目的の榴弾として「きい弾」が妥当か疑うべきだった.

 そして「四年式十五榴弾砲榴弾は…やはり化学弾と見られる」という点にいたっては,なぜそのように解釈したのか想像もつかないが,ここに言う榴弾は「九二式榴弾」などの通常弾以外には考えようがない.
 ゆえに野戦造兵廠南京製造所の引継記録を見て,「抑止力としての化学弾は通常弾と比べると,極端に少量なのが実証できる」という指摘も全く当てはまらない.
 戦地において訓練用の代用弾の製造・備蓄が少ないのは当たり前だし,四年式十五榴について言えば,単に旧式(大正四年の制式)で装備数が少なかったからではないか.

 〔略〕

著者は“代用弾説”のほかにもおかしな解釈を披露している.「発射発煙筒など化学弾を含むと思われる各種代用弾も引継いでいる」という“発煙筒説”とでも呼べる解釈である.
 例えばグラビアページにも写っている「九九式発射発煙筒」は,「三百米以内ノ近距離ニ煙幕ヲ構成セシムルノ用ニ供ス」ことを目的としたもので,実戦で化学剤と一緒に使われた例はあるかもしれないが,あくまでも煙幕を張るための兵器である.
 化学剤を発射する兵器は別に「九八式発射あか筒」などがあり,発煙筒とは別物である.
 旧軍における兵器分類上の化学兵器とは,強毒性の化学剤が充填された「瓦斯筒(弾)」を言い,その隠語は一般的に「特種煙(弾)」であった.
 そして,全ての化学剤が“発煙”するわけではないことも指摘しておきたい.
 発煙するのは嘔吐くしゃみ性の「あか剤」や窒息性の「あおしろ剤」であり,びらん性の「きい剤」は発煙せず,液体滴状で飛散するのである.

 “発煙筒説”に関連して筆者がどうしても良く分からないのが次のフレーズだ.
 「現在化学兵器にふくまれる発煙弾,発煙筒がほとんど引き継がれ…中国及び外務省が言う「化学兵器の引き継ぎに同意していない」は,嘘と証明できる」という箇所だ.
 必ずしも定かではないが,著者は現代における条文解釈と半世紀以上前の運用を混同しているのではなかろうか.著者自身「現在」と断っているように,そもそも旧軍の発煙筒(弾)に使われた「しろ剤」が化学剤に含まれるという解釈は化学兵器禁止条約の規定によるが,すでに指摘したように旧軍においては発煙兵器と化学兵器は別物である.
 だから,当時の記録で発煙兵器が引き継ぎされているからといって,「あか剤」や「きい剤」といった化学兵器も引き継ぎがされたとは言えないのである.
 まさか著者とて,正式に引き継ぎが確認できる発煙兵器だけを峻別した上で,その処理(発煙剤の毒性は弱い)は中国側に任せよということが言いたいのではあるまい.

 ここまで見てきたように,この記事の内容は旧軍兵器に詳しい人ならば一目見ておかしいと感じるレベルであり,実際,『正論』編集部には発行後すぐに防衛研究所から電話で指摘が入ったという.
 ところが,5月17日に東京で開催された著者の講演会に参加した人から聞く所によれば,著者は“代用弾”や“甲乙”などの批判を了解した上で,防研OBや旧軍関係者の協力を得ているからと強気だったという.
 専門家である彼らでも首をかしげる兵器が記載されているなら,それらは化学兵器の隠語に違いないと意気込んでいるというのである.まさに“陰謀史観”ではないか.

 一例として著者は,「填薬弾」「九四式代用発煙筒」「テナカ弾」などを怪しいとして挙げたというが,そもそも「填薬弾」は炸薬を詰めただけで信管の付いていない未完成弾の事であり,「九四式代用発煙筒」は機能と成分は同じだが煙の量が半分の演習用,「テナカ弾」は手投火焔弾(瓶)の意味といった具合で,化学兵器とは全く関係がない.著者とブレーンが必要な検証作業を行っていないだけである.
 当日,講演会で配布された史料のコピーには,このほかにも「四一式山砲榴弾カ」などが記載されているが,これについても著者は化学弾の“カ”ではないかなどと言っており,それは「火焔弾」の“カ”ではないかと,いちいち相手にしてはキリがあるまい.
 グラビアページで紹介している兵器引継書を眺める限り,化学兵器の引き継ぎを示唆する内容は見受けられず,史料を精査したところで,それこそ化学兵器の“カ”の字も出てこないのではないか,というのが筆者の率直な感想である.
 〔略〕

本論で提示した根拠は,すべて戦前の一次史料に基づいている.
 いずれも戦前公文書をインターネットで閲覧できるアジア歴史資料センターのホームページで,筆者が自宅にいながらチェックしたものである.
 〔略〕

http://shanxi.nekoyamada.com/archives/000192.html

94式軽迫撃砲


 【質問】
 中国大陸の旧日本軍は降伏後,中国とソ連に武器や化学兵器を引き渡したそうですが,その後の国共内戦で旧日本軍の武器や化学兵器は具体的にどの程度利用されたんでしょうか?
 あと,中国側に引き渡したといっても国民党と共産党がありますが,どの程度の割合で配分?されたんでしょうか?

 【回答】
 化学兵器が国共内戦で使われたことは無いはずです.
 旧日本軍の武器は,共産党の方が多く使いました.
 ソ連の武器援助が十分に行われるようになるまでの内戦初期の状況では,共産党の主力武器は,日本のものも多く使われています.例えば,小銃,大砲とか戦車(チハ車)に至るまで.
 また,空軍の創設期には,旧日本軍の機体が多数活動しています.

 でもって,配分とかは特に決められていなくて,ソ連軍占領地区では,共産党に多く渡り,それ以外の地区では国民党に多く渡っています.
 但し,艦艇については海を抑えていた国民党にしか渡っていません.
 ただ,内戦進展後は,艦ごと寝返って,結果的に小艦艇では半分以上の艦艇が共産党に渡っています.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【珍説】
「日本は戦争に負けて無条件降伏し,武装解除をして,持っていた全ての兵器と施設をソ連軍と中国軍に引き渡しましたのだから,その時点で,所有権と管理は相手に移った,だから日本に責任はない」
と考えている人もいます.(民主党の西村議員など)

 しかし,日本軍の毒ガス使用は,サダムのクルド人に対する毒ガス使用の量を遥かに超えた,世界史的犯罪です.
 もちろん当時も化学兵器禁止の国際条約がありました.
 父・祖父の行為に対して「自虐的な」反応が起こるのはごく当然,人間的なことです.
 そして,今,条約の字句解釈によって毒ガス処理の責任回避を図ろうとするのは,まさに恥の上塗りに他なりません.

(kimdongsung)

 【事実】
 まぁ普通に読めば「管理責任→使用責任」と問題をすり替えているわけですが,余りに稚拙すぎてバレバレです.
 仮に彼女の主張が100%正しいと仮定しても,化学兵器を使用した責任と,武装解除され管理・所有権が及ばなくなった後の責任は,100%別物であり,前者は日中国交正常化の際に中国側が賠償を放棄したのですでに解決済みで,後者については日本軍が遺棄したと証明されたもの以外処理する責任はありません.

 で,

>しかし,日本軍の毒ガス使用は,サダムのクルド人に
>対する毒ガス使用の量を遥かに超えた,世界史的犯罪です.


 サダム・フセインと比べるのは,〔プロパガンダの手法としては〕まぁ悪い手ではありません,
 サダム・フセインの使ったのがイペリット(マスタード)という,日本軍で言うところの「きい剤」であり,同じに見ようと思えば見れないこともありません.

 しかしサダムフセインは自国民であるクルド人に使っている(ハラブジャ事件)という点で悪質ですし,クルド側の主張では,あのヒトラーですら使用を躊躇った神経ガスのサリン・タブン・VXガスを使用している点で,ヒトラーを超える残虐性を持っていると言えるかも知れません.

 ちなみにサリンの使用に関しては,1991年1月の湾岸戦争で敗北した後,国連の査察団が1992年6月に現場の土壌を採取した結果,サリンが分解した後の発生物質であるメチルホスホン酸とイソプロピルメチルホスホン酸を検出し,サリン使用を実証しています.
また,フセインはクルド人に使用するだけではなく,イラン・イラク戦争においてもイラク軍がタブンを大規模使用し,イラン軍に多大な打撃を与えています.
 ちなみにこれが人類史上初の神経ガスの実戦使用です.

 それに対して日本軍が使用したのは,前述のきい剤であるマスタードもしくはルイサイト,あか剤であるジフェニルシアノアルシン(別名:DC)とジフェニルクロロアルシン(別名:DA)の混合の嘔吐剤にみどり剤であるクロロアセトフェノン(別名:CN)と言う催涙剤です.
 まぁマスタードもしくはルイサイトならまだしも,致死性の低い嘔吐剤や,ほぼ非致死性で警察などでも使用されている催涙剤を,神経ガスと比べるのはサリンに失礼と言うものですね.

>もちろん当時も化学兵器禁止の国際条約がありました.

 確かに「窒息性ガス,毒性ガス又はこれらに類するガス及び細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」がありました.
 この条約自体は大正十四年六月十七日にジュネーヴで作成され,昭和三年二月八日から効力発生が発生していますが,我が国は第二次世界大戦当時この条約に批准しておらず――ちなみにアメリカも未批准――,我が国が批准・交付・告示し,この条約が我が国について効力発生したのは昭和四十五年五月二十一日です.
 法は遡らないと言う大原則を考えれば,当時日本軍には人道的観点以外の制約はありませんでした.

 また,この条約では
「窒息性ガス,毒性ガス又はこれらに類するガス及びこれらと類似のすべての液体,物質又は考案を戦争に使用すること」
が禁止されていますが,非致死性に分類される嘔吐剤(あか剤)や催涙剤がこれに含まれるのか定かではないので,実効性には疑問な点が多いです.

 さらに,この条約で禁止されていたのはあくまで「使用」であり,「開発・生産・貯蔵」など化学兵器自体を保有する事は認められていました.

 化学兵器に関しては,1925年のジュネーブ議定書により「窒息性ガス,毒性ガス等の戦争における使用」が禁止されていたものの,その開発,生産および貯蔵までは禁止されていなかった.

(化学兵器禁止条約の概要)

 さらにまた,戦時復仇措置としての毒ガスの使用は違法性を阻却されていました.
 つまり,簡単に言えば,相手が毒ガスを使ってきた場合は,同程度に限り毒ガスで報復してもよいと言うことですね.

 当時日本陸軍の仮想敵であったソ連は異常な化学兵器大国であり,共産主義黒書によれば,1921年にはソ連軍が毒ガスを用いて相次ぐ農民反乱を制圧している.
 そのソ連を仮想敵とし,ソ連に敵視される我が国が,復仇兵器としての化学兵器を研究開発生産し,極東ソ連軍と対峙する関東軍がそれを備蓄していたことは,国際法上全く合法であり,どの国際法にも違反するものではなかった.

 その証拠に連合国の報復裁判として名高い極東軍事裁判でも毒ガスの開発・生産・貯蔵・使用で裁かれたものはいない.
 それどころか,終戦後に国民党政府が行ったB・C級戦犯裁判でも,中国の瀋陽・北京・太原・済南・徐州・南京・上海・溝口・台北・広東の10ヵ所で裁判を行われ,起訴883名,死刑149名,終身刑と有期刑355名の判決が下ったが,毒ガスの開発・生産・貯蔵・使用の罪を問われ「通例の戦争犯罪」や「人道に対する罪」でB・C級戦犯として裁かれた者は,寡聞にして聞かない.

 さて,西村慎吾代議士のホームページの「慎吾の時事通信」平成15年9月30日号によれば,西村事務所の秘書の方が防衛研究所で台湾派遣軍と海軍の作成した詳細な武器引渡しリストを入手し,そこには毒ガス弾を何発引き渡したと記載されている.
 その台湾の台北で戦犯裁判が行われているにもかかわらず,毒ガスの開発・生産・貯蔵・使用の罪を問われ,「通例の戦争犯罪」や「人道に対する罪」でB・C級戦犯として裁かれたものは寡聞にして聞かない.

 ということで,後述する彼女の

連合国側への毒ガス使用の発覚を恐れて川,井戸,地中への組織的な遺棄を行ったとする元兵士の多数の証言がある一方で,西村議員たちが主張する「引渡し」はすべて推測・類推・「はず」・「と解釈される」にすぎません.

と言う考えや

 連合国の戦犯裁判が始まるときに,死刑になるかもしれない国際法違反の化学兵器を堂々と出すほど,日本軍の指導者は甘くなかったと考えます.
 中国の化学兵器の製造責任と遺棄責任と処理責任は日本政府にあると考えるのが,妥当な考えと思います.
(公開コンテンツ/日本の化学兵器の中国遺棄問題)

と言う意見がいかに愚かであるか,理解できる訳である.

 もう一つ付け加えれば,彼女の言い方は非常に不正確です.
 「化学兵器禁止の国際条約」ではなく「化学兵器使用禁止の国際条約」ですからね.
 「化学兵器禁止の国際条約」だと化学兵器自体が禁止されているようにも取れますが,条約の中身を見ればそうでないことは明白です.

(多事某論,2005/7/3,その2その3


 【質問】
 東アジアnewsプラスを読んでいたら,次のような記事を見つけたんですが,この証言がなんか怪しい雰囲気だったので,軍板のみなさんに確認してほしくて,やってきました.
 参考として,探してきたサイトを載せますので(すべて同じ人の証言のようです),ご指導よろしくお願いします.

【東アジアnewsプラス】−【日中】「毒ガス弾,井戸に捨てた」旧満州派遣の元軍属が証言(09/14)
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1126711504/

加害と向き合う 中国編   <中>捨てた毒ガス弾は
http://www.tokyo-np.co.jp/kioku05/txt/20050725.html

中国戦後補償裁判ー毒ガス兵器遺棄訴訟「自分が毒ガスを捨てた」 元軍属,悔恨と贖罪の旅(2005年3月11日)
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/m-ray/p69.html(一番上から30行ぐらい下からはじまります)

旧満州の地図(PDF形式 6/31ページにあります)
http://www8.cao.go.jp/ikikagaku/gaiyou2.pdf

 【回答】
 あぁ・・・ その証言した奴の名前でググるといい.
 かなりアレな人だ.


 【珍説】
 戦後は島全体が国民休暇村に指定され,毒ガス資料館も作られた.1934年(昭和9年)には瀬戸内海国立公園となる.
 毒ガス検知のために飼われていたウサギが野生化し生息していることでも知られ,兎島(うさぎしま)の別名もある.現在年間10万人程度の観光客が訪れている.

『Wikipedia』 の 『大久野島』 の項(2007年11月08日アクセス)

 【事実】
    ………
   ∧_∧  
  (・(・・)・U
  /JベタJ   

 いや……
 あのですねぇ…… (w`;

 あのウサギって,1971年に島外の小学校が,飼いきれなくなったウサギを8匹,島に放ったのが最初なんですよ.
 んで,島にウサギが増えるにつれ,島に捨てウサギをする人も出たりで,現在250匹ぐらい居るとか……
(ソース)
http://www.yomiuri.co.jp/tabi/domestic/japan/20070507tb07.htm

 あのさ,戦後の食糧難の時代,ウサギが居たら,食うって (w`;

ベタ藤原 in mixi,2007年11月08日21:00


◆◆◆◆機関銃関連

 【質問】
 日本陸軍には各分隊に短機関銃,軽機関銃の装備はあったのだろうか?

 【回答】
 日本陸軍の歩兵分隊には分隊あたり一丁の軽機関銃が配備されてましたです.

 短機関銃は一般の歩兵部隊には配備されず,空挺隊のような特別な部隊で使用された例が殆どでした.
 例えば,昭和20年の義烈空挺隊は,総勢120名中,四分の一に当たる30名が100式短機関銃を装備していました.

(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)


 【質問】
 戦局が怪しくなったことに中部太平洋に派遣された師団の編成を調べていたのですが,大隊の下に機関銃中隊がありませんでした.
 そこで質問なのですが,
1,これは編集者や執筆者のミスではなく,本当に機関銃中隊を持たなかったのですか?
2,本当だとすれば,なぜ機関銃中隊を編成からはずしたのですか?

 【回答】
 機関銃中隊は編成に存在します.
 後方警備部隊でも編成表上にありますし,本土決戦用師団でも存在しています.

 但し,資料にある時点が,派遣された先での編成というものであれば,機関銃中隊の欠落は十分考えられます.
 と言うのも,日本の船舶輸送では,兵士は兵士,装備品は装備品,弾薬は弾薬という形で分けて 輸送していました.
 欧米の場合は,兵士,装備品,弾薬,車輌などが或程度一定の比率で分けられていますが,これには無駄なスペースが出来てしまいます.
 日本の船舶にはそんなに余裕がないので,出来るだけ,単一のものを輸送する傾向にありました.
 で,なるべく,それに関連する人員も乗せるようにしています.

 そんな時に,ある船舶が沈んだらどうなるか.
 例えば,其処に機関銃中隊の装備が搭載されていたら,機関銃中隊諸共装備は失われる訳です.
 フィリピン向け輸送船団ヒ81なんかそう言う典型例ですね.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 日中戦争の頃日本軍が使っていた,機関銃のデータと,その弾のデータ教えてください.
 特に重さと,一丁の銃が使えなくなるまで何発くらい撃てたのかを.

 【回答】
 *十一年式軽機関銃
全長:110.0cm   銃身長:44.3cm
装弾数:30発(6個の挿弾子)   重量 :10.3kg
6.5ミリ口径の三八式歩兵銃実包を使用.銃身命数20.000発.
ただし,それ以前に薬莢の焼き付きや装弾不良・排莢不良などの故障が起こる率が高い.

 *三年式機関銃
全長:120.4cm   銃身長:74.2cm
装弾数:30発(保弾板)   重量:54.1kg
6.5ミリ口径の改正三八式普通実包.銃身命数25.000発,機関部寿命約12万発.

 他に,中国軍から捕獲した物も多い.かの有名なZB26軽機関銃とか.

(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE他)

 【質問】
 マガジンタイプだとドイツのMG34のような大量火力は発揮できないですかね.
 どれぐらい実弾を携帯していたのでしょう?
 【回答】
 九九式よりも古い十一年式の場合,歩兵で鉄板製の弾薬匣に小銃弾120発,
 それが無い場合は,麻布製の弾薬嚢(本来は弾薬匣を包んで運搬するもの)に小銃弾150発.
 これらは弾薬手が運搬していました.
 自分で携行する場合は麻布製の弾薬盒に小銃弾60発を入れます.

 騎兵の場合は,木製の弾薬箱に360発の小銃弾を収容します.馬一頭につき,これを4箱駄載します.

 射撃に関しては,あくまでも突撃時の支援火器として使用するもので,歩兵に随伴して火力支援を行ないます.
 但し,ドイツのものとは考え方が異なり,面制圧ではなく,拠点制圧として使用していました.
 目標手前400〜500mで5発点射,300mなら3発点射が標準になっていました.

 日本に於いての軽機関銃の使用は,歩兵と共に機関銃手も突撃し,歩兵の突撃に邪魔になる目標を狙い撃ちする為のものです.

 従って,機関銃手が多量の弾薬を携行していたら,歩兵の突撃について行けず,有効な支援が出来ません.(一応,手持ち弾薬は弾薬盒のうち,30発入り前盒を2個ぶら下げ,背部に60発入後盒を持っているので,携帯弾薬定数は120発.これに,軽機関銃弾薬手が金属製の弾薬箱(120〜150発)を抱えると言う形ですが)

 一回の突撃で,数回5発ずつ発砲するとしても半分くらいは手持ち弾薬が残るという計算でしょうか.

 実弾に関してはその生産量が急激に増えた訳でもなく,出来るだけ節約する方向にありました.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 私の爺さんは陸軍の高田58連隊の弾薬班の兵隊で,インパール作戦(インパール戦時は上等兵)に参加したんだけども,弾薬班というのは具体的に何をする兵隊さんなの? 爺さんは馬を引いてたと言っていたが,弾を運ぶだけ?

 【回答】
 良くぞ生き残られましたなぁ……∠(^_^;

 さて弾薬班とは,弾薬の消耗の激しい重・軽機関銃に弾薬を運搬する専門の班です.
 機関銃分隊は8名の人員で構成されてますが,この半数の4人が専門に弾薬を運びます.
 また,機関銃中隊には弾薬小隊があります.
 重機関銃の運搬には馬が用いられており,弾薬運搬にも使われていました.
 戦時には携行分だけでは間に合わないため,弾薬小隊が前線と後方を駆け回って補給を行います.
 弾薬班の兵は小銃を携行せず,銃剣を携帯するのみだったと思います.


 【質問】
 なんで日本には銃剣をつけれる機関銃があるのですか?

 【回答】
 日本陸軍が軽機に銃剣をつけたのは,銃剣を装着することができない11年式では,銃剣突撃時は白兵装備が心もとなくなってしまったから.
 また,相手の顔が見えるほど接近した至近距離での戦闘では,万が一の自体が発生した時に,攻撃手段を完全に失ってしまうとパニックになり,トラブルへの対処が遅くなってしまう.

 「銃口に重りをつけることで命中率増大を狙ったから」という説もある.
 最初から銃口を重くしたのでは携帯のさいに不便です,しかし兵隊なら全員が持っている銃剣を利用すれば一石二鳥,というアイディア.
 戦後に行われた実験でも,その様な効果が有る事は確認されている.
 しかし,
「設計段階において,発射ガスが銃剣と干渉して命中率の低下に繋がらないように研究が行われた」
もしくは,
「設計段階から銃剣を錘として用いる事を想定した」
という様な,当時の資料等があって然るべきだが,その様な資料に触れた記事などは見受けられない.

 また,銃口より噴出したガスが銃剣と干渉して命中率低下を引き起こす事もあった.

 ちなみに自衛隊の64式小銃の銃剣も他国に比べて長く,銃剣の長さを巡っての,幹部達の決闘騒ぎまであった.

軍事板 & 遠吠えするいぬ in mixi支隊(青字部分)


(うそ)


 【質問】
 なぜ日本軍は12.7mm口径の陸上用重機関銃を造らなかったのでしょうか?

 【回答】
 車両に積んだものとしては存在する(九二式13mm機関砲)
 あと,名称こそ「自動砲」だが,対戦車用に開発した九七式20mm自動砲というものもあった.

 どちらも,兵が担いだり分解して持ち運んだりするのが大変なわりには威力が低い,として日本軍は小口径の曲/直射砲の方に力を入れ,大口径機関銃はあまりかえりみられることはなかった.

 一方,米軍の.50口径機関銃は元々は観測気球や小型の飛行船を撃墜するための「対空砲」として開発,装備された.
 しかし実戦投入しても本来の用途に使われることはほとんどなく,むしろ「小口径の歩兵砲として」使われることが多かった.
 飛行機が戦争に使われるようになると,本来の対空砲としても活躍し,
「手軽な対空対地両用の支援兵器」
として装備体系に加えられた.

軍事板


◆◆◆火砲関連


 【質問】
 太平洋戦争初期〜中期の日本陸軍は,1コ師団あたりどれくらいの数の大砲を持っていますか?
 できれば,連隊砲以上が知りたいのですが……

 それと,旅団砲兵はどのクラスの砲を,何門くらい持っていますか?

 【回答】
 師団といってもピンからキリまであって,一定しませんが,師団砲兵が定数36門,連隊砲が定数4門(1個連隊あたり)といったあたりが一般的かと.
 大戦中期以降は,編成の中に砲兵連隊を持たない,いわゆる「治安師団」も増えています.

 例えば第三師団の日中戦争出動時の場合,砲兵連隊には,改造38式野砲(75mm)が36門,91式10cm榴弾砲12門の計48門.
 歩兵連隊には1個あたり,41式山砲4門,94式37mm速射砲4門,92式歩兵砲6門が装備されていました.
 師団には歩兵連隊が2つあったので,砲装備はその倍.

 特設師団の場合は,砲兵連隊には38式野砲4門装備の中隊が3個で1個大隊を編成し,連隊は3個大隊ですから,38式野砲36門,歩兵連隊には,歩兵砲中隊として11年式歩兵砲2門と11年式曲射歩兵砲4門,連隊砲中隊として,31年式速射山砲3門が装備されており,連隊は2個なので倍の砲があります.

 3単位師団では,野砲8門,10糎榴弾砲4門の大隊が3個,これに歩兵砲隊が付きます.
 師団砲兵は野砲8門,10榴4門に減らされている例もあるようです.
 逆に機動90式野砲や15榴を与えられる恵まれた師団もあるようですね.

 ノモンハンで全滅に近い状況になり,再編成された,1941年編成の第23師団の場合は,機械化師団のモデル・ケースとして,機動90式野砲24門と,96式15cm榴弾砲8門を持つ野砲兵連隊と,歩兵直属の支援火器として,41式山砲4門,92式歩兵砲6門,94式37mm速射砲4門,97式自動砲6門.
 これが歩兵連隊3個分有りますからその3倍が所謂砲になっています.

 治安師団の場合は,初期に95式野砲4門と91式10cm榴弾砲4門を持つ野砲兵連隊が付属していましたが,これは外され,歩兵連隊直属装備としては,94式37mm砲4門,92式歩兵砲6門,41式山砲3門を有し,これが3個歩兵連隊ありますから3倍のものを保有しています.

 15榴は兎も角,10加が師団砲兵に来た事は無いはず.
 15榴や10加は,師団に属さない野戦重砲兵連隊の持ち物だったかと.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2他)

38式野砲(模型,画像引用元:Pit-Road


 【質問】
 日本陸軍歩兵師団の連隊歩兵砲大隊の規模は?

 【回答】
 米陸軍省編『日本陸軍便覧』(光人社,1998.4.27),p.37によれば,以下の通り.

大隊本部(24名)
  ┃
  ┗━歩兵砲中隊(「甲」型,170名)×2
      ┃
      ┣━中隊本部(29名)
      ┃
      ┣━戦砲隊(110名)
      ┃
      ┗━弾薬小隊(31名)

中隊長:少佐または大尉
兵器将校:大尉

中隊本部
  管理班
    人事記録係曹長1名
    補給係下士官1名
    兵器・器械係下士官1名
    伝令および当番兵3名(1名は騎馬)
    衛生兵2名

  通信班
    下士官および兵6名

  観測班
    下士官および兵10名

戦砲隊
  歩兵砲小隊(55名)×2個
    小隊長:中尉
      砲分隊(下士官および兵26名)×2

弾薬小隊 31名

 これが強化連隊の連隊本部の下に配属される.

 詳しくは同書を参照されたし.


 【質問】
 日本陸軍歩兵師団の連隊歩兵砲中隊の規模は?

 【回答】
 米陸軍省編『日本陸軍便覧』(光人社,1998.4.27),p.37によれば,以下の通り.

中隊本部(25名)
  ┃
  ┣━弾薬小隊(31名)
  ┃
  ┗━戦砲隊(66)
      ┃
      ┗━砲小隊×2

中隊長:大尉
兵器将校:大尉

中隊本部
  管理班
    人事記録係曹長1名
    補給係下士官1名
    兵器・器械係下士官1名
    伝令および当番兵6名
    衛生兵2名

  信号班
    下士官および兵6名

  観測班
    下士官および兵4名

戦砲隊
  歩兵砲小隊(33名)×2個
    小隊長:中尉
      砲分隊(下士官および兵15名)×2

弾薬小隊 31名

 これが標準連隊の連隊本部の下に配属される.


 【質問】
 日本陸軍歩兵師団の連隊歩兵砲中隊の兵器は?

 【回答】
 米陸軍省編『日本陸軍便覧』(光人社,1998.4.27),p.37によれば,75mm連隊歩兵砲4門が標準.
 しかし,しばしば連隊砲および速射砲各2門で構成されるという.
 また,ときには臼砲(おそらく81mm短砲身)が代用されるか,または含まれるという.

 同書,p.215によれば,41式75mm歩兵砲は75mm山砲と大規模にとりかえられたときから,歩兵の「連隊砲」として使用され,日本陸軍に広範囲に分配されたという.
 砲身に「四一式山砲」の刻印があるのは,そのため.

 細木重辰(軍事史家)によれば,94式山砲が制定されたあとも,

――――――
山が多く,道の悪い中国戦線での山砲隊の活躍を知っている歩兵たちは,使い勝手のよい41式山砲の味が忘れられず,歩兵連隊にこれを譲り受け,これを「連隊砲」と称して多いに愛用した

――――――『日本帝国陸軍』(成美堂出版,2000.4.15),p.52

のだという.

 詳しくは上記ソースを参照されたし.


 【質問】
 日本陸軍歩兵師団の大隊砲中隊の規模は?

 【回答】
 米陸軍省編『日本陸軍便覧』(光人社,1998.4.27),p.41-42によれば,以下の通り.

中隊本部(33名)
  ┃
  ┣弾薬小隊(27名)
  ┃
  ┗戦砲隊(62名)
     ┃
     ┗小隊(31名)×2個

中隊長――中尉

中隊本部(指揮班)
  人事係准尉1名
  人事記録係曹長1名
  補給係下士官1名
  兵器・器械係下士官1名
  連絡係下士官1名
  通信分隊(下士官1名,兵8名)
  観測係下士官1名
  伝令および当番兵5名
  衛生兵2名
  観測分隊(下士官1名,兵10名)

戦砲隊
  小隊長――中尉または少尉
  下士官1名
  兵14名

70mm大隊砲4門

 詳しくは同書を参照されたし.


 【質問】
 日本陸軍歩兵師団の大隊砲中隊(自動砲装備)の規模は?

 【回答】
 米陸軍省編『日本陸軍便覧』(光人社,1998.4.27),p.42によれば,以下の通り.

中隊本部(32名)
  ┃
  ┣弾薬小隊(27名)
  ┃
  ┗戦砲隊(158名)
     ┃
     ┣自動砲小隊(24名)×4個 ━━分隊(20mm自動砲1門)×2個
     ┃
     ┗小隊(31名)×2個 ━━分隊(70mm砲1門)×2個

中隊長――大尉または中尉

中隊本部32名

戦砲隊
  70mm砲小隊(31名)×2個
  20mm自動砲小隊(24名)×4個

70mm大隊砲4門
20mm自動砲8門

 詳しくは同書を参照されたし.


 【質問】
 日本陸軍歩兵師団の大隊砲小隊の規模は?

 【回答】
 米陸軍省編『日本陸軍便覧』(光人社,1998.4.27),p.41によれば,以下の通り.

小隊本部(10名)
  ┃
  ┣弾薬分隊(15名)
  ┃
  ┗戦砲班(30名)
     ┃
     ┗分隊(15名)×2個

小隊長――中尉または少尉

小隊本部(指揮班)
  人事記録係曹長1名
  兵器・器械係下士官1名
  観測係下士官1名
  伝令および当番兵5名
  衛生兵1名

戦砲班
  下士官2名
  観測兵2名
  砲手12名

 詳しくは同書を参照されたし.


 【質問】
 日本陸軍歩兵師団の大隊砲小隊の装備は?

 【回答】
 米陸軍省編『日本陸軍便覧』(光人社,1998.4.27),p.41 & 215によれば,70mm歩兵砲2門.
 92式70mm歩兵砲は垂直鎖栓式砲尻栓機構を備え,88式標準遅延および瞬発信管を使用して,半固定式の弾薬を発射する.
 榴弾,徹甲弾,発煙弾の種類がある.

 戦闘時重量212kg
 旋回角800ミル(45°)
 仰角+50度
 俯角−10度
 射程2.8km

 詳しくは同書を参照されたし.

92式歩兵砲@ミズーリ・ミュージアム

(引用元:かつ丼日記,2008/5/29付)


 【質問】
 九七式曲射歩兵砲に関して
・歩兵大隊の大隊砲として配備されていたのか
・その場合の編制定数
・九二式歩兵砲配備とどちらが一般的だったのか
・九二式歩兵砲と九七式曲射歩兵砲,どちらが用兵から高評価だったか
どうかお教えください.

 【回答】
 九七式曲射歩兵砲については,1932年の九二式歩兵砲の採用直後にストークブランから迫撃砲の売り込みがありましたが,その構造簡便,軽量,運搬すべき人数が少ない(九二式で11名,ストークブラン砲では3名)と,技術関係者は大いに興味を示しています.
 が,如何せん既に国内では九二式の試作生産が開始されていたのでお蔵入りとなりました.

 しかし,中華民国軍に採用されたとの情報を聞いて,「有翼弾の研究」ということで国内製造権と見本を購入します.
 しかも,満州事変の戦訓で,この種の曲射砲の必要性が再認識され,生産準備が行われますが,これまた極秘の内に行われたので,生産数は余り多くありませんでした.
 と言うわけで,大隊砲として配備されていたか,については,大隊砲として配備はされていました.
 定数は大隊砲と同等のものとしていたので,大隊に付き2門〜4門.九二式歩兵砲とどちらが一般的かと言うと,当然,九二式になります.

 どちらが高評価か,と言う質問には,それしかなかった訳ですから,何とも言えない(但し,技術関係者の評価としては,曲射歩兵砲に軍配が上がるし,南方のジャングル戦線であれば,曲射歩兵砲の方が高評価と言うことになります.

眠い人◆gQikaJHtf2


 【質問】
 野砲,歩兵砲,山砲の違いって何なのでしょうか?
 重量とか分解可能とかですか?

 【回答】
 野砲は師団レベルで運用する野戦砲.75mmクラスの口径を持つ.

 山砲は野砲を簡易化し,分解して運べるようにしたもの.

 日本陸軍では師団に野砲・山砲いずれかで編成された一個連隊が付属するのが普通.
 ただし,後には野砲・山砲各一個大隊で編成された野砲兵連隊も存在する.
 また,山砲は昭和12年以降各歩兵連隊に一個中隊四門が配置されるようになり,これは連隊砲と呼ばれた.

 歩兵砲は歩兵の直接の支援に当たる小型の砲.分解可能で馬で運べる.
 日本陸軍では一個大隊につき一個小隊二門が付属されたので,大隊砲とも呼ばれた.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE


 【質問】
 沖縄戦で使用されたといわれる日本陸軍の九八式臼砲,四式四十糎噴進砲の破壊力はどんぐらいですか?

 【回答】
 いろいろ比較法はありましょうが,単純に炸薬量で比較すると以下のとおりです.
・98式臼砲:炸薬量40kg
・4式40cm噴進砲:炸薬量98kg

 参考
・90式榴弾(38式野砲など):炸薬量1kg
・94式重榴弾(94式軽迫撃砲):炸薬量3.7kg
・92式15センチ榴弾(96式15センチ榴弾砲など):炸薬量7.7kg
・94式100kg爆弾(航空爆弾):炸薬量45.5kg
・92式250kg爆弾(航空爆弾):炸薬量98kg

 通常火砲では比較にならず,それぞれ100kgと250kgの航空爆弾に近い.
 航空爆弾の危害範囲の目安
http://www.warbirds.jp/heiki/bakudan.htm

 逆にいえば,米軍なら航空機呼んで簡単にばら撒ける威力ともいえますが(´・ω・`)

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 日本陸軍の迫撃砲って,独立の大隊及び中隊,又は本土決戦用の師団に連隊及び大隊が編制・配備されていたようですが,それぞれの部隊の配備定数,配備された迫撃砲の種類や,編制された部隊の総覧なんかを教えて頂けないでしょうか.

 【回答】
 本土決戦師団に於ては,師団砲兵隊の代りに迫撃連隊が編成されています.
 また,各歩兵連隊の編成中,歩兵砲中隊の装備に迫撃砲がありますし,各大隊の歩兵砲隊の代りに迫撃砲中隊が配備されていました.

 迫撃連隊は,連隊本部と段列,迫撃砲3個中隊と大隊本部,段列から成る大隊で編成されています.
 これには,二式12糎迫撃砲が一個中隊8門充て装備されています.
 これで合計24門となります.
 また,歩兵砲中隊には同じく二式12糎迫撃砲が4門,迫撃砲中隊には4門それぞれ配備されていました.
(但し,末期になればなるほど,編成が様々なので,定数がこれであるとはっきりは言えません)

 装備された迫撃砲は二式12糎迫撃砲のみです.
 九六式中迫撃砲は1941年6月から翌年7月までに僅か90門しか生産されていませんし,九七式中迫撃砲は1941年に40門,42年に40門,43年に30門しか生産されていませんから到底戦力になり得ませんでした.

 配備部隊としては,201,202,206,205,214,209,212,216の各師団がそう言った編成を取っています.
 他にも配備された部隊があったかも知れませんが,記録は定かではありません.
 戦史叢書辺りに掲載されているかもしれませんので,調べられては如何でしょうか.

 ちなみに,二式12糎迫撃砲については,1945年に必要数が5500門,九九式軽迫撃砲が600門という数字が出ていますが,生産予定数ですから,実際に生産されたのかは不明です.

眠い人◆gQikaJHtf2


 【質問】
 日本陸軍の重砲について質問です.
・九六式15p加農と九六式24p榴弾砲は,砲床無しでの射撃は可能なのか
・砲床無しでの射撃が可能ならば,砲床抜きの放列砲車重量はどれくらいか
・これら二砲の位置づけは,攻城砲であり,野戦重砲としての使用は考慮外だったのか
・これら二砲の生産数と配備部隊
・九六式24p榴弾砲がバターン戦で起こした腔発問題はその後どうなったのか
 可能な範囲で,どうかお教えくださいませ.

 【回答】
 九六式15糎加農砲の場合は,砲床無しでの射撃は不可能です.
 ちなみに,この砲は,砲身,砲床,砲架の3つに分解し,三車に分載して九五式15噸牽引車にて運搬します.
 これら一車当りの重量は,最大12tになります.
 でもって,この砲は,野戦攻城重砲であり,なおかつ海岸要塞重砲として使用する目的で開発されています.

 配備部隊は,
Bataan攻略戦で,独立重砲兵第二中隊が九六式15糎加農砲2門,
壱岐要塞生月砲台(壱岐要塞守備隊の壱岐要塞重砲兵連隊)に敗戦時2〜4門,
虎頭要塞(第四国境守備隊)第1大隊に砲塔式のそれが4門,
他に鎮海湾機張砲台に4門,
下関角島砲台に4門,
津軽汐首第二砲台に4門,
羅津花端砲台,宗谷岬砲台,宗谷西能登呂砲台にそれぞれ4門
が配備されています.

 九六式24糎榴弾砲も同様に砲床無しでの射撃は不可能です.
 分解は,砲身,砲床,砲架,小架の4つは1車当り12t程度,それ以外は4t運搬車2両に分載しています.
 これも同様に,野戦攻城重砲と要塞重砲の位置付けです.
 配備部隊は,独立重砲兵第二中隊に重砲兵学校の2門を充当くらいしか判らないです.
 但し太平洋戦争中はResourceが他に食われ,数門しか製造していません.
 腔発問題については,弾薬の問題と言う形になっていた様ですが,戦争の進展で等閑にされていた感じです.

眠い人◆gQikaJHtf2


 【質問】
 戦前の日本陸軍が火砲の(特に大型のもの)実弾演習をするところは,富士と北海道あたりだったのでしょうか?
 それとも朝鮮とか満州なんかに行って演習していたのでしょうか?

 【回答】
 渥美半島の先端に,陸軍技術研究所伊良湖試験場と言うのがあり,此処で大阪砲兵工廠にて試作した大砲,砲弾,信管の試験データの採取,鹵獲砲の試験を行っています.
 1901年11月30日に開設,敷地面積285万坪の広大な試験場です.

 また,赤城山北面山麓一帯は迫撃砲の演習場でしたが,実際は化学戦部隊,つまり,毒ガス弾専用の射場でした.

 他に,15糎高射砲弾道試験用には浜松試験場を有しており,他に1920年,海岸砲兵用の41糎榴弾砲試射の為に,射程が大きすぎて伊良湖試験場では対応出来ないため,今の千葉県富津岬に,富津試験場が整備されています.
 此処では,41糎榴弾砲の他,24糎加農砲の試験も行われています.
 これは東京湾元洲砲台の跡地に建設され,射線は房総半島に平行して,上総湊方面に1万メートル,館山方面に向けて3万5千メートルでした.

 伊良湖試験場,富津試験場ともいくらかの遺構は残っているようです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 大戦時の資料を読みますと,要塞砲として戦艦の砲塔をそのまま据えつけた例が見られますが,どうやって運んだんですか?

 【回答】
 専用艦を建造して砲を運搬し,要塞の港に起重機を臨時で製作し,それで釣り上げ,要塞の砲設置場所まで,軍用軽便鉄道を敷設して,それで目的地まで持ってきて,更に起重機を設置場所に組み立てて,砲を設置すると言う方法を用いていました.

 専用船と共に,起重機も専用の分解,組み立て式の120tクレーンを石川島造船所に発注しています.
 何しろ,40cm砲塔の旋回盤が100t,砲身もそれくらいありましたし….
 これと,従来からあった30tクレーンやウィンチを併用していました.

 また,砲塔の旋回には水圧を用いましたが,その原動機としてはディーゼル機関を新潟鐵工所に発注します.
 他に,照明用発電機,噴射用圧搾空気機関はなるべく市販品を用いて費用を削減していますね.

 ま,今の時代ではどうということはないかもしれませんが,当時としては大変な話で,1923年〜1932年に掛けての大事業だった訳で.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


◆◆◆歩兵装備

 【質問】
 旧帝国陸軍は,ドイツ軍の小火器をライセンス生産しようとはしなかったのでしょうか?
 自主開発に拘らず,MP40とかMG34なんかをライセンスした方が良かったんじゃないかと思うのですが.

 【回答】
 モーゼル・スタンダード・モデル24式とチェコ製の同型銃を1938年に,準制式小銃として試験.結果,8,000挺を輸入しています.
 但し,大陸戦線で使用する場合は,防塵対策が不十分,安全性にイマイチ不安な点があることを挙げています.

 ついでに,License生産をするというのは,それなりにLicense費用が上乗せされ,数を揃えるのには不利になります.
 そのLicenseeがどれくらいかかるか判らないですし….
 ならば,機構だけ模倣して,独自に生産した方が安上がりだったりしますわな.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 日本が自動小銃や短機関銃を大量に用いなかったのは何故ですか? 怠慢?

 【回答】
 弾薬の消費が激しい自動火器を運用する余裕が無かったからです
 ちゃんと戦術研究によって短機関銃や自動小銃の有効性を認めていましたが,兵站への負担が大きく,全部隊での採用は事実上不可能である,と判断したのです,
 なので怠慢と言う一言で片付けるのは早計に過ぎると思います

 また一部の空挺作戦などで短機関銃を活用し,米軍が短機関銃を装備した部隊には注意せよとの通達が出された程です.

 自動銃と言う全く新しい兵器について,当時の人間は,機関銃のような火力を発揮する自動小銃と言う物を想起したと思います.
 これは現代の自動小銃そのものですが,機関銃と同等の火力を発揮する場合,必要な弾薬は,従来の歩兵小銃との比較で従来の20倍と胸算用した事でしょう.
 自動小銃は連発式の5倍,突撃銃は実に20倍の火力を持つと評価される所以ですし,実際全力で火力を投射するならそれくらいの弾薬消費となります.

三等自営業 ◆LiXVy0DO8s in 軍事板
青文字:加筆改修部分

 戦前に自動小銃を開発した銅金義一によれば,採用直前に兵器局で次のような遣り取りをしたそうだ.

「手動銃の発射速度は一分間に七発.
 自動銃といっても,全自動ではないんだ.
 半自動ということで,実用発射速度は一分間にせいぜい十一発か十二発にすぎない.
 いくらも違わないんだ」
「それなら,いまさら何もいうことないではないか」
「必要なときに集中発揮が必要なんだ.
 それが自動銃の強みというものだ.
 それくらいのことがわからないでどうする」
「作戦上のことなら,当方が専門家だ.いまさら,あんたの意見などに耳を傾ける必要はない」
どこまでいっても,議論は平行線を辿った.

――――――
 実用発射速度とは,命中させることを考えて設定した数字である.
 たとえ一分間に40から50発といっても,実際には一分間に十一発から十二発しか撃てないのだ.
 問題の製造費に関しては三八式歩兵銃の納入価格が四十五円のとき,自動銃の見積もり価格は六十八円であった.

――――――津野瀬光男著『幻の自動小銃』(光人社NF文庫,2006.5)から引用

 財政的な負担が不採用の大きな理由になったのは確かだけど,弾薬消費に関しては今日の目から見ると些か疑問が有るというところ.
 当時の陸軍は浪費すると思っていたけれどね.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 「小銃 拳銃 機関銃入門」を読んでいると,日本軍の銃器開発では,問題に対して銃本体の改良でなく,新型の弾薬を用いることで対応することにしている場面がしょっちゅう出てきます.

 これは銃本体の改良がすでに手詰まりだったのもあるのかもしれませんが,補給面で問題になるといったことは考慮されなかったのでしょうか?

 読んでいるうちにもう,少し銃開発側でがんばって改良しとけば,弾薬の種類も削減できたんじゃないかな,と思ったのですが,どうでしょう?

 【回答】
 銃自体の改良ができればそれに越したことはないのですが,当時の日本における機械工作技術・冶金技術の水準を考えると,限度があったのも事実.
 誤解を恐れずに言えば,当時は拳銃小銃ですら,一丁一丁手作りの品物でしたし,
 同じ鉄でも,ドイツや米英のものとは品質ががた落ちでした.

 銃の開発史を見ているなら気が付いていると思いますが,日本オリジナルの設計というものはほとんどありません.大抵のものが「〜を元とし」「〜をベースに」などと書いてあると思います.
 つまり,コピーだったわけです.
 本国生産の品物がうまく動いているのに,日本で作ったものはうまく動かない.
 そこで「改良」となるわけです.
 工作精度が低く,材質の悪いものであっても作動するようにつじつまを合わせる.
 その一環が弾薬の「改良」です.
 つじつま合わせである関係上,互換性など考慮する余裕がないわけですね.

 また,組織としての問題も大きいでしょう.陸海軍間の意思の疎通が殆ど無い点も,弾薬規格の乱立に拍車をかけています.


 【質問】
 支那事変で,日露戦争時に製造された手榴弾が使われた,というのは本当ですか?

 【回答】
 日露戦争時には,現地で急造した手榴弾はありましたが,軍で正式に採用した手榴弾はありませんでした.
 陸軍最初の手榴弾は,大正十年に欧州大戦の戦訓を受けて正式化された十年式手榴弾です.

 ただ,制式名称こそ与えられなかったものの,手榴弾という名称で陸軍の文書には出てきています.
 兵頭二十八氏の著書によれば,明治41年7月の陸軍のマニュアル「手榴弾用法」なるものがあるとか.
 それによると,30gの黄色薬の粉末を棒で突き固めて円筒状に紙で包みニスで防湿塗装した物をつめていました.
 弾殻は鋳鉄で,炸薬の劣化防止の為,外側と内側に漆を塗っていたそうです.
 しかし,着発式で使い勝手が悪く,また,不発も多かったため,歩兵には嫌われて,あまり使われなかったそうです.

 そのため,シナ事変までストックが残っていた,とか.


 【質問】
 なんか昔,「間違えて膝撃ちして骨折するヤツ続出」みたいな兵器があったそうなんですが,詳しく教えてください.

 【回答】
 それは多分,太平洋戦争時の日本軍の装備兵器である「擲弾筒」のことだと思う.
 地面に底版を押し付けて固定するグレネードランチャー,というか小型迫撃砲だったのだが,Rのついた底版を見て
「これはこの部分を足に押し付けて固定して使うんだな」
と誤解したアメリカ兵が,捕獲したものを誤用し,腿の骨を骨折する重傷者が続出した.


 【質問】
 太平洋戦争でアメリカの火炎放射器で日本軍が酷い目にあわされたのはよく聞くのですが,日本の火炎放射器 九三式火炎放射器 などの太平洋戦争での活躍を聞いた事が無いので,どなたか教えてください.

 【回答】
 日本の火炎放射器は第一次大戦後,主に工兵が用いる機材として,独仏の方式を混合して試用していましたが,余り発達していませんでした.
 その後,陸軍士官学校でのテストで意外に利用価値があることが分り,独式を参考に火炎放射器を作り上げました.
 但し,これらの火炎放射器は秘密兵器扱いであり,大々的な活躍までに至ってません.

 最初の正式兵器である,九三式火炎放射器は,日華事変で用いられています.

 九五式五号火炎放射器は,マレー戦のスリム戦で用いられました.
 なお,コレヒドール作戦時にも装備されていましたが,実際に使われることはありませんでした.

 百式火炎放射器は,陸軍挺進練習部用に製造されたもので,スマトラのパレンバン製油所攻撃の際に,支援火器として投下されましたが,実際には使用されず,ビルマ作戦,南方島嶼戦の陣地攻撃に使用されています.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 太平洋戦争時に米軍は,火炎放射器を有効に用いて,洞穴にいる日本兵や民間人をいぶりだしましたが,日本軍は火炎放射器の攻撃に対する対策を取らなかったんでしょうか?
 狙撃兵に米軍の火炎放射器兵の燃料タンクを狙撃させる事を徹底させる等の対策は,日本軍には無理だったんでしょうか?

 【回答】
 まず,あれは「隠れてるものを燻り出す」為に行っているのではありません.
 物陰に潜んでいるであろう兵員,ゲリラを問答無用で「撃破」する為です.

 物陰,藪,洞窟等,人間が隠れていそうなところには片っ端から,実際に人間が隠れているかどうかの確認などはせずに,徹底的に行われていました.
 尚,火炎放射器と言うと「焼き殺される」イメージですしそういう映像が多いですが,ほとんどの人は,強力な火焔の燃焼に伴う局所的酸欠(洞窟に行われた場合は殆どこれ)や,周囲の物が燃える事による煙の吸引で死亡しました.

 で,アメリカ軍のマニュアルでは,
「火炎放射器使用時は,最低1名の自動火器を持った者が援護に当たる事」
等,火炎放射器を前線で対人掃討任務に使う際の規約を定めています.
 仮に日本軍が狙撃等で対抗しようとしても,逆撃に遭うのがオチだったでしょう.

 ただし日本軍は,敵将校や指揮官,通信兵等への狙撃は積極的に行い,米軍を相当に悩ませています.
 南方や沖縄では米軍には,
「将校は階級章を付けない事」

「指揮官はマップケースを携行してはならない」
等の狙撃対策指示が出ていました.
 それでもかなりの数の米軍将校が,狙撃で死傷しています.


 【質問】
>日中戦争には鎧兜に身を固めた日本兵がいたお
>写真も残ってるお

 ネタ回答はネタスレで.

 【回答】
 いや,実際あるんだ.
 〔略〕

軍事板
青文字:加筆改修部分

 大分の第47連隊機関銃隊所属の金丸高秋中尉とその甲冑の謎については,こちらの「兵器生活」サイトに詳しく紹介されています.
 未見の方は,どうぞ.
http://www.warbirds.jp/heiki/kanamaru2.htm

よしぞう(maro') in mixi,2006年09月29日 16:40


 【質問】
 太平洋戦争中の日本では竹槍訓練が行われていましたが,その訓練の起源・目的を教えて下さい.
 以前どこかで
「B29等が撃墜された際にパイロットを突く為」
との文章を読んで,なるほどそうかと思っていたのですが,実際に検索してみると,あまりにも
「竹槍でB29を落とそうとしていた」
との発言が多く,実際のところが解りません.

 あと,竹槍の武器としての性能はどの位のものでしょうか?
 制作コストや手間も低く,白兵戦だとスコップに匹敵する程には強そうに見えますが.

 【回答】
 1942年3月7日付の朝日新聞に以下の記事が掲載されています.

 一億は全て武装せよ.今日の決戦は要求する.前線の将兵のみに戦いを任せて安閑としている時ではない.
 銃後も武装せよ,一億国民は一人残らず「撃ちてし止まむ」突撃に参加しなければならぬ.子らも起,女も武装せよ,
 父よ,夫を戦場へ,職場へ送った後,家庭は,郷土は婦女の手によって護られる.
 昨年の夏,村で体育錬成の運動会が催された時,千葉県夷隅郡中根村,五百名のお婆ちゃん,お母さんたちが,竹槍を握って,体操をして見せた.やんやの喝采であった.
 それが切っ掛けとなって,銃後の固めはこれで行きましょうとなった.他の女たちも率先して猛練習を開始した.
 村長さんが慌てた.
 郷軍分隊長が眼を回した.あちらの字から,こちらの里から指導員の分会は引っ張りだことなった.
 体操ではもの足りぬと,竹槍を振るっての銃剣術である.
 昨年の暮れには女子竹槍部隊が立派に編成された.女子青年学校の生徒が「えいっ」と呼べば,七十のお婆さんも,炬燵から飛び出して「さあっ」と応じる.
 もんぺに鉢巻,きりっと襷を掛けたのが,この部隊の制服,武装の竹槍は,いずれも背後の山から伐り出したお手製である.
 集合,行進,散会,突撃,全て実戦場を経験した帰還勇士に依って軍隊式にたたき込まれる.
 おなごどもが余りに熱心じゃ,ついつり込まれ男たちも働くわ,働くわ,近頃では田畑の増産目標もぐんぐん上がっとります.喧嘩も酒飲みも一ぺんに消えてしまった.と,村長さんは髭をしごきながら,おなごたちの突撃に眼を細くするのである.

 千葉から始まった竹槍部隊の編成は,大日本婦人会の提唱で,1943年2月から各支部で竹槍部隊の編成が始まっています.
 どちらかというと鍛錬のためで,どうしようもないからせめてもの武器として竹槍で自衛しようと言う考えではないか,と思います.
 精神的なものが大きいのではないかと思いますね.

 なお,さる陸軍大将は,「竹槍3000本あれば,ソ連軍をやっつけて見せる」と豪語したそうです.

 ちなみに,竹は安価で日本各地で手に入ります.
 真竹の場合は,弾力があって粘性があり,槍の代用に適していました.
 英国のバヨネットと良い勝負ではありますが.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


◆◆◆◆軍刀関連

 【質問】
 帝国陸軍は下士官まで皆軍刀を持っていましたが,あれは日本刀ですよね?
 そうなると,軍全体で装備している日本刀の数はものすごい数になったと思うのですが,どうやってそれだけの日本刀を生産していたんでしょうか?
 日本刀は,そう簡単に作れるものではないと思うのですが・・・.当時の日本にそんなに大量の刀鍛冶の人がいたとも思えませんし・・・.

 それとも見た目が日本刀型なだけで日本刀とはまったく別のものなのでしょうか.

 【回答】
 日本刀というのは間違いと考えた方がいいかもしれません.
 旧軍の九五式軍刀は無垢材を機械的に鍛えられているはず.
 構造的には普通の日本刀よりずっと頑丈で,生産性を考慮した一発焼入れ.
 仕上げは良いとは言えませんが,戦場で使う刀としては非常に洗練されていました

 いくら日本の工業力が低いといって,もそれくらいの数は作る能力はありました.

 刃物は腕のいい職人さんが魂こめて作り上げるものだという考え方が,ちょっといきすぎているかもしれません.軍刀はしょせん軍刀にすぎません.
 美術的価値まで求められる観賞用の名刀と同等に論じられるべき物ではありません.

 余談だが,以下のような話もあることから,旧軍においては

鉄としての材料>日本刀

という価値観だったのかもしれない.

 祖父からボロボロの木刀をもらったんだが,実は偽装した銘刀だった.
 何で木刀に装ってるのかと聞くと
「金属回収から刀を守るため」
と言っていた.他にも,庭に埋めたり,天井裏に隠したりと大変だったらしい.

 ただ,当の金属回収は一度もこなかったそうだが.

(生活板)


 【質問】
 軍刀には刃がついているの?

 【回答】
 ついていたと思われる.

 「旧日本帝国陸海軍軍刀」というサイトに,

 この軍刀身の材料は普通鋼に比して更に軟かい.けれども「撓(しな)ひ鋼」を適當に鍛錬して刃部に用いました.
 これは所謂「甘斬」を主とすると共に刃に耐久力を持たせたい意味であります.
 又棟部は「卸鋼(おろしがね)」の焼が入るか入らぬかと言ふ程度の軟らかいものを適當に鍛錬して用ゐてあります.

http://www.k3.dion.ne.jp/%7ej-gunto/gunto_107.htm

とあるように,最初から刃を入れて出荷していた模様.

 ただし,指揮用として使用された,刃のつけられていない模擬刀身の軍刀「指揮刀」もあった.

 なお,余談だが,銃剣のほうは平時には刃はついておらず,「銃剣刃付け」と言う実戦前の儀式が旧軍には有ったそうな.
 戦時は工場で刃をつけて支給されたそうだが.


 【質問】
 軍刀持てるようになるのって尉官から!?

 【回答】
 下士官刀もある.
 これは曹長に下賜されたものだが,歩兵の下士官では,参謀本部付や永年勤務(6年)で英外居住のベテラン下士官以外はつけなかった.
 砲兵,輜重兵の下士官,憲兵(伍長まで)は常に佩用.
 32年式改軍刀は俗に曹長刀と呼ばれた.
 第二次大戦末期になると,95式軍刀が伍長まで支給された.



 【質問】
 整備兵はスプリング刀持ってなかった?

 【回答】
 スプリング刀ってのは,鈴木真哉が書いていたもので,成瀬間次氏の刀工出身の下士官が,自動車のスプリングを材料に作ったという.
 かなり作られたとあるが,どのくらいか分からないし,いずれにしても制式装備じゃない.
 元々は,軍の工場の工員が何も武器を持ってないから作ったそうだが,まぁお目こぼししてくれたんだろう.

 【質問】
 COD5で旧日本軍が敵役として登場するらしいですが,なんと藪から刀で斬りかかってくるそうです(笑)
 実際の日本軍はそんなアホなことしませんよねぇ?

 【回答】
 別に日本軍でなくても,状況次第では藪から刀で斬りかかることはあるでしょう.
 アホな事かどうかは必要性,必然性で決まります

 旧日本軍について言えば,三十二年式,同改(仮制九一式),九四式,九五式,九八式などの各種日本刀型の軍刀を制定しており,それは終戦まで生産・使用されていました.
 これらの一部は,東南アジアやニューギニア,南方島嶼の各戦場で使用されています.

 日本陸軍の将校の場合,小銃を持たず軍刀と拳銃を装備していたので,小銃を撃つことはありません.
 小銃がなければ銃剣も使えないわけで.
 夜間の浸透攻撃とかであれば,たとえ拳銃を持っていても「音を立てるのを嫌って」軍刀を使うケースはままありました.
 部下の兵は銃剣です.
 軍刀を指揮棒のように使ってましたから,傍からだと日本軍の指揮官は銃を持たず,軍刀を振り回しているように見えるでしょうね.

 島嶼の争奪戦になると,日本軍は補給で苦しめられ食糧弾薬の欠乏は常態化しましたが,
「これ以上,軍隊としての組織を維持できない」
となると,上級司令部に決別電報を打って最後の攻撃をかけました.
 玉砕を目的としたバンザイ突撃です.
 温存した最後の弾薬が使われることもありますが,すぐ使い切ってしまうので結局は兵は銃剣,将校は軍刀で藪から飛び出すことになったでしょう.

「藪から刀で斬りかかってくる」
という事象だけを指すのであれば,日本陸軍では充分ありえた,もしくは実際に行った事です.

軍事板
青文字:加筆改修部分


◆◆◆◆拳銃

 【質問】
 日本陸軍では将校の拳銃は自前だったようですが,拳銃である以上特に制限は無かったのでしょうか?
 また,どの拳銃が持たれる事が多かったのでしょうか?

 【回答】
 一応,将校が購入する拳銃としては,南部式,14年式といった国産自動拳銃が主だったようですが,
前者は威力が足りず,価格が高くて品切れ状態,
後者は大型で重すぎ,しかも価格が高い
と言ったモノでしたので,モーゼル,ブローニング,コルト,ベルグマン,パラベリューム,エキスプレス,ハーリントン,アストラ,ユニオン,ローヤル,スター,シムソン,ダントン,ベラー,コンチネンタル,レジナ,ベアード,ビッカース,デモン,ジュピター,ウェブリー,マンリッヘル,グリセンチ,レキザーなど,東西の拳銃なら何でも購入し,装備していました.
 そのため,兵器部や野戦兵器廠は大変だったそうです. 有名どころは兎も角,それ以外のものは使用に耐えうるか,現品を見て,実包を装填し,検査しないといけなかったりするので.

 基本的には,国産以外なら,ブローニング,コルト,モーゼルが好まれたみたいで,特に大陸ではモーゼルが生産されていたことで,部品の供給も容易で,しかも威力があるため,これが結構好まれたりしています.
 前二者に関しては,航空兵が好んで装備していたようです.
 また,蘭印占領時にルガーが3000丁鹵獲されています.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 軍刀の柄が拳銃になっている武器を,日本で作っていたような記憶がありますが,何が目的だったんですか?

 【回答】
 試製軍刀付き拳銃ね.
 騎兵に持たせるとき,二つもよりかさばらない,という発想.
http://www.vesta.dti.ne.jp/~pickles/unchiku/siseikenjuutukiguntou.html

 これ,当時の一時期,儀礼用として各国騎兵の間で流行ったのにも乗っかっているんだよ(笑).
 金銀で装飾された,この手のものは結構ある.
 実用性皆無なんでいまだとバカっぽいけど,第一次大戦前の他国の陸軍だと,貴族様の嗜みとして帯剣求められたりした為,でっち上げられたという話もある.


 【質問】
 戦前の日本国内での拳銃所持は合法だったと聞いていますが,誰でも買うことができたのでしょうか? あるいは何らかの許可制だったのでしょうか?
 または軍人や警察官を除いては,合法ではなかったのでしょうか?

 【回答】
 国家総動員令が施行された昭和14年9月11日以後敗戦まで,銃刀法は事実上の凍結.
 戦前は銃刀法が厳密に適用されなかったので,民間人でも許可を得ずに普通に銃を購入することができたし, 所持している民間人も多かった.
 許可を得ず拳銃を所持していた民間人では,小説家の江戸川乱歩,俳優の榎本健一が有名.


 【質問】
 日本陸軍の将校は,私物拳銃としてブローニングベイビーやM1910等を多く使用していたらしいですが, これらの弾薬補給,特に戦地での弾薬補給はどのようにして行っていたのでしょうか?
 所詮将校の拳銃なんて使うこともあまりないだろうから,補給の要などないのかもしれませんが.

 【回答】
 中国大陸では民間の銃砲店が輸入拳銃とともに弾薬を扱っており,将校が私物で携帯する程度の弾薬なら購入できました.
 ただ,入手の難易はあったようで,例えば生産数の少ない,南部式小型の7mm南部弾などとなると,ほとんど入手を期待できなかったようです.


◆◆◆◆小銃関連

 【質問】
 日本の小銃の弾丸の製造量が知りたいです.

 【回答】
 戦前(昭和14年度)の生産数.

*三八式歩兵銃実包   3億2,633万発
*同空包   5,185万発  
*三八式歩兵銃狭窄射撃実包   1,186万発
*二六年式拳銃実包   129万発
*十四年式拳銃実包   318万発
*三年式機関砲(実包/空包)   2,933万発
*十一年式軽機関砲実包/空包)   2,818万発

 昭和二十年度の調達計画によると,
*九九式普通実包   7,700万発
*九九式普通実包(鉄薬莢)   2億6,000万発
*同空包   1,400万発
*十四年式拳銃実包   2,120万発
*九二式普通実包(鉄薬莢)   4,000万発

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE


 【質問】
 日本式の小銃の射撃の構えを詳しく教えて下さい.

 【回答】
●立射:
 頭は垂直に保て.照準したら,床尾板の位置を,肩と頬につけ固定する.
 この際,あまり肩を上げ下げすると,照準が狂うばかりか,かえって身体を疲れさせる.
 また,銃を構えたとき,右手を緩めたり,床尾板の位置を動かさないこと.
 両足は肩の幅くらいに開き,右肘は凡そ肩の高さに,左肘はなるべく垂直におろした形がよいが,これに拘って,あまり垂直に位置すると,肩が張って銃を構えたときに困難になる.
 各自,体格によって位置を考えること.
 構えたら銃は目標に向けること.

●膝射:
 頭の位置は自然に,臑と肘の突出部を合わせ,状態を真っ直ぐ保つため左足,及び左手の位置を前後して疲れを極力抑える.
 しかし,掌は銃床に必ず密着していること.
 銃把はしっかり握り,人差し指の第二節あるいは第一節根を引き金に掛けること.
 右肘の位置は大体肩の高さに保つことが望ましい.
 左肘と左臑は,なるべく垂直に保つことが望ましいが,あまり無理をすると,肩が張って上体のバランスが崩れるので要注意.
 肩の方向(位置)は場合によって動かしても良い.

●伏射:
 左肘の位置は,肩に無理な負担が掛からぬように,両肘の間隔は,各自の体格によって異なっても,凡そ肩幅に等しい位置が理想的で,銃を構えたとき,あまり窮屈にならぬように少し前の方へ置く.
 また,上体の重みが両肘に均等にかかる位置に置くこと.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 他の列強国がいずれも8ミリ弱の小銃を装備していたのに,日本の三八式歩兵銃は何で,6.5ミリなんて小口径を採用したのでしょうか?

 【回答】
 三十式歩兵銃の以前に用いられていた村田式連発銃は口径八ミリでした.
 しかしこの銃は弾倉がチューブ式で再装填に手間がかかったために,砲兵大佐有坂成章が中心になってモーゼル銃に範をとって開発されたのが,三十式歩兵銃(改良型が三八式歩兵銃)です.
 このとき6mm/6.5mm/7mmの各口径の弾薬がテストされましたが,最も良い成績を収めたのが6.5mm小銃だったために6.5mm弾薬が採用されました.
 またこの時,砲兵会議議員だった井口省吾大佐は「残酷な殺傷は人道にそむき,敵兵の戦闘力を奪えばそれで十分」と主張したことも6.5mm弾薬の後押しになっています.

 ところが,日露戦争で彼我の負傷兵の回復度に差がつき,ロシア兵のほうが回復が早い(6.5mm弾の破壊力が低い)ことが明らかになってしまいました.
 そこで7.7mm弾の研究が始まりましたが,機関銃の発達により歩兵の遠距離射撃が減ったと判断されたのと,携帯弾薬の増加の必要から6.5mm弾が継続して使用されたのです.

 三八式の6.5mm弾は,2000m離れた軍馬を撃ち殺せるほどの威力があり,対人戦闘なら威力は十分でした.
 しかし,車両が発達し戦場に多数登場するようになると,6.5mmでは軽いため,パンチ力に欠けると思われるようになりました.
 そのため7.7mmに移行しようとしましたが結局,戦争後期の混乱に拍車をかけるだけだったと言えるでしょう.

(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE他)


 【質問】
 三八式歩兵銃って,かなり質が悪いと言うのがよくTVとかで言われてますが,どのくらい悪いものなのですか?

 【回答】
 質が落ちたと言われるのは,戦時生産の九九式小銃の事だと思われ.

 三八式の短所
・長い:湿度や温度の変化で銃身が曲がりやすい.しかしこれは,別に日本に限った事じゃない.

・古い:これは何処も一緒.同時代のモーゼルやモシンナガンはもっと古い.

・他国の7.62mm〜7.92mmに比べて口径が小さい.:威力と命中精度の影響が出る

・完全な統一規格じゃない:一丁ずつ職人が仕上げる銃だから,精度に大きなムラが出て,生産性にも影響が出る.九九式小銃では完全に統一規格になる

 長所
・工業技術が未熟な日本でも生産できるように,当時でも単純な構造だったモシンナガンより更に単純な構造になっている.

・当たりを引くととんでもない精度が出る.まあ運次第.

 【参考サイト】
 http://taka25th.cathand.com/newpage224.htm


 【質問】
 大東亜戦争で日本軍が使っていた三八式歩兵銃の性能は,他国のと比べてどうなんですか?

 【回答】
 手動連発式のボルトアクションライフルとしては標準的なもの.
 ただ,工業技術力の限界から安定した品質のものを量産できてなかった,という問題があったが.

 あの当時,自動連発式の歩兵用火器を広く装備できてたのはアメリカくらい.
 それは当時の戦闘形態では,小火器で弾幕張る必要性がさほど認識されていなかったこと,当時の兵站では多量の弾薬消費を支えきれなかったことなどの事情があり,アメリカが単に例外.
 日本も含めて,弾薬の生産と補給体制が,莫大な弾薬消費を支えられるような国はアメリカくらいしかなかった.

 ソビエトは「とりあえず撃ちまくるだけなら訓練をほとんどしなくていい」という理由で,イギリスは「緒戦の敗退で大量に装備をなくしたから」という理由で,機関短銃を歩兵用の火器として大量生産して装備したが,これらは拳銃弾を使うので威力・射程共に劣っている為,単純に比較できない.

 まぁ日本は機関短銃の全面導入という面では他国に激しく遅れてたが・・・.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 日米両軍の小銃,M1ガーランドと38式とを比較すると,どんな優劣がありましたか?

 【回答】
 ガーランドは,WW2当時としては先進的なシステムを持った優秀な自動火器であり,現在でも生産・販売が続けられています.
 一方38式は,昭和16年にすでに生産が停止された(異説もあり)旧式な手動式の銃で,パーツの互換性も十分でなく,威力の面でもガーランドに劣っています.
 38式と比べての,ガーランドの不利な点といえば,せいぜい,途中で追加の装弾ができないことと,射撃後にクリップが飛ぶことくらいでは?

 当時の現場の兵隊さんの話を読んでも,自動火器を羨ましがる記述は多くありますが,38式の方が優れているなんていう記述は,ついぞ見たことがありません.
 また,日本はM1ガーランドのコピーを行っていますが,これはガーランドが38式以上に優れた兵器であることの証拠になるでしょう.

 そもそも,日露戦争後すぐの明治生まれの銃と,その30年もあとに生まれた銃を比較すること自体,ナンセンスでありますが.

極東の名無し三等兵◆5cYGBbCsjQ in FAQ BBS

 そういえば皇軍はトグルアクション型の自動小銃も試作していたなぁ…
http://www.carbinesforcollectors.com/pedersen.html

ウィナ・ツァハル in FAQ BBS


 【質問】
 99式小銃は,どの程度いきわたってたでしょうか?
 一部の師団しか行き渡らずに,38式装備の部隊と前線で混在して,弾薬補給に混乱をきたしたと聞いてるが.

 【回答】
 九九式小銃の量産は太平洋戦争開戦とほぼ同時期の昭和16年頃に立ち上がり,昭和17年以降は年間50万丁〜100万丁規模の量産が行われています.
 九九式の量産開始と前後して三八式歩兵銃の生産はディスコンになっています.
 例えば昭和18年の1年間だけで,三八式の生涯生産数を越える数の九九式が生産されており,太平洋戦争中に使用されたのは圧倒的に九九式の方が多いのです.

 三八式から九九式への転換は基本的に師団単位で実施されており,例えば関東軍を引き抜いて南方へ投入する際に転換したり,師団の再編成に同期して転換したりと,陸軍補給廠としても異口径の小銃が混在しないよう,一応の配慮はしていたようです.

 しかしながら,昭和18年以降は海上輸送そのものが途絶するという事態が頻発するようになり,南方の島々では,九九式を受領することなく玉砕してしまった師団も少なからずありました.

 小銃の口径を変更するという決断を,開戦とほぼ同時期に着手したために,現場での転換作業はかなり混乱しましたが,それでもまだ機関銃に比べれば小銃はマシな方なのです.
 九九式実包を使用する九九式軽機関銃の量産は,九九式小銃ほどスムーズには立ち上がっていませんし,一式重機関銃に至っては量産すらされていません.
 その結果,最前線では小銃(九九式実包,7.7mmリムレス,弱装弾),軽機(三八式実包,6.5mm),重機(九二式実包,7.7mmセミリムド,強装弾)の間で使用する実包が異なる……という,何と形容してよいのか分からないような事態も現出したわけです.


 【質問】
 九九式歩兵銃は三八式の単なるボア・アップ版と考えてよいのでしょうか?

 【回答】
 九九式は,三八式に比べ,口径増大に伴う所要の改修と,製造の簡易化に主眼が置かれています.
 口径以外の変化としては,
・全長が1276ミリから1118ミリに
・照準具が対空射撃可能なものに
・折りたたみ式の単脚が付く
なんてのが主なところです.


 【質問】
 九九式小銃の実包(実弾)って,九九式軽機関銃や九二式重機関銃と互換だったのでしょうか?

 【回答】
 九九式に使用するために開発された実包は二種類あり,九二式普通実包は,セミリム付で13.2g.
 これは主に九二式重機関銃に使用されていますが,九九式小銃,九九式軽機関銃では使用不可能です.
 九九式普通実包はリム無しでこれより軽く,11.8g.
 この弾薬は九九式小銃,九九式軽機関銃は基より,九二式重機関銃でも使用可能でした.

 7.7mm実包は,92式と97式,99式,4式の4種類があります(普通実包の場合).
 92式重機は,3種すべての弾薬が使用できますが,それ以外の7.7ミリ銃は,99式と4式しか使用できません.

 92式重機で,92式実包以外を使用すると,若干性能が低下します.
 他の2種の弾薬は,装薬が減らされているためです.

軍事板

 九七式は,九七式車載重機関銃用のものです.
 九七式車載重機関銃は,試作時は九二式実包(セミリムド)を使ったのですが,第4次試作品の時点で,第3次試作品より弾倉機能が不良だった物を当時,完成していたリムレスの物で試したところ,良好な成績を示したので,九二式を無起縁に変えた実包をこの銃用としたそうです.
 銃自体も無起縁に適合させたので,半起縁の九二式は使えなくなったようです.
 つまり,昭和十二年の時点で九二式実包とは別に九七式実包が存在します.
 詳しくは,佐山二郎著「小銃拳銃機関銃入門 日本の小火器徹底研究」(光人社NF文庫,2000.9),p.360〜362,405〜406等参照してください.
 余談ですが,同書によれば九九式実包の薬莢と雷管は九七式と同じだそうです.

 他の本でもこの名前は出てきます.
 ただし,九二式実包でもリムレスなものが存在するようですので,もしかするといつの間にか名称が無くなって,実質的に九二式を置き換えたのかもしれません(謎)

 もっとも,オリジナル7.7mm弾で実射している(どうも欧米互換品だと横転弾がでるそうで)Peterさんは,九二式のセミリムドを加工してリムレスにして撃ったことはあるけど,無起縁九二式の存在は気づかなかったそうです.
 本人,反動,気にならないそうで(アメリカ人),鈍いからといってます.
(しかし