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 【link】

Taki's Homepage(英語)

旧日本帝国陸海軍軍刀

陸軍造兵廠

『小銃拳銃機関銃入門 新装版』(佐山二郎著,光人社NF文庫)

「大砲入門 陸軍兵器徹底研究」(佐山二郎著,光人社NF文庫,1999/9)

『日本陸軍兵器資料集 泰平組合カタログ』(宗像和広&兵頭二十八編著,並木書房,1999.12)

「陸軍師団総覧」(近現代史編纂会編,新人物往来社,2000/11)


 【質問】
「ところでこいつを見てくれ.こいつをどう思う?」

昭和16年3月(軍需動員42ヶ月目)の兵器受領全数
http://www.ishiikazumasa.com/gwife.b/gwife/senryaku/heiki_16.3.42.htm

 【回答】
「すごく……少ないです」

 42ヶ月間に納められた兵器全数の表です.

 砲兵系のアレっぷりに泣ける.

 工業化されていない軍事大国の悲哀を,数字は端的に表してますね.
 豊かであれば,陸軍は火力/総力戦対応型の陸軍になってたでしょうし,海軍だって護衛艦艇を確保してたでしょう.

陸軍
「火力戦だよ,これからは」
→「バーロー,それに対応する金も技術も生産力もねぇよ」
→「じゃあ,やれる範囲でやろうぜ.金がないなら頭使えばいいじゃない」
→日中戦争突入
→「頭もなくなりました(テヘ」
→太平洋戦争突入→(ry

海軍
「潜水艦凄いらしいぜ.
 海上交通路を保護するなら,どんだけ予算要るよ?」
→「台湾以北の海上交通路保護だけでも,戦時臨時予算は絶対必要.平時だと無理」
→「近海迎撃型海軍の整備・維持も必要だし,マジどうしよう」
→「ウハwwwどう考えても輸送路が維持できないwwwテwラwワwロwスw」
→(ry)
→「ウフフ,おふねのひがいはねんねんはんぶんになって,ろかくせんのおかげでひつようなりょうはかくほできるよ」
→太平洋戦争突入
→(ry

 まぁ,「貧乏なのが悪い」で終わっちゃうんですが.
 WWTの戦訓研究辺りまでは悪名高き海軍であってもマトモ.
 現状に絶望してお花畑に吹っ飛んだ後がアレだが.

(3/18 20:13 一部追加)

邪夢 in mixi,2009年03月18日19:48


 【質問】
 高角砲と高射砲
 機銃と機関銃
 機関砲と速射砲
 何処が違うの?

 【回答】
 高射砲=高空に弾を打ち上げる砲.対空用.

 高角砲=仰角を大きく取れる砲.対空に使うことができる.高射砲の他,河川砲艦用の対地砲でも仰角が取れれば「高角砲」範疇に含まれる.旧日本海軍用語.

 機銃=機関銃の短縮形だけど,機銃(旧海軍用語)と機関銃(旧陸軍用語)でもある.

 機関砲=比較的小口径.機関銃の大口径版.弾も数発セットになっていたりする. せいぜい40mmまで.50mmとかになるとすでに2インチ速射砲の世界.

 速射砲=比較的大口径.大砲の速射版.弾は一発単位で装填機構がとても大がかり.

空母「赤城」の高角砲


高角砲@映画「男たちの大和」のセット?


 【質問】
 旧日本陸軍歩兵師団の火力は?

 【回答】
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/han/16D_2.htm
によれば,
第16師団(昭和12年)
定員 25,179名
馬 7,513+α頭

歩兵連隊×4 3,747名×4
小銃×8064
軽機関銃×288
重擲弾筒×288
92式重機関銃×96
92式歩兵砲×24
41式山砲×16
94式37粍砲×16

野砲兵連隊 2,894名
改造38式野砲×36
92式10糎榴弾砲×12

軍事板
青文字:加筆改修部分

改造38式野砲

よしぞうmaro' in mixi,2007年08月11日17:38


 【質問】
 よく陸軍で,弾薬「一会戦」分補給する,とか言いますよね.大体どれ位の量なんでしょうか?
 例えば,小銃一丁.重機関銃一丁.90式野砲一門あたり.

 【回答】
 「1会戦分」=約20基数=3〜4ヶ月の作戦分.
 「基数」は各銃砲種ごとに算出された単位で,何々弾何発という表記よりも数字を扱いやすくする為のもの.

 1個師団の1会戦分の軍需品の数量は,約1万トン
 1銃/1門当たりでは

拳銃 40発
小銃 300発
軽機関銃 8000発
重機関銃 23000発
37ミリ対戦車砲 900発
野(山)砲 2000発

 詳しくは,Warbirds および 大東亜戦争研究室参照.

機関銃弾,持ってきました……


 【質問】
 ガダルカナル線では「軍旗を奪われる恐れあり」との理由で勝手に撤退した部隊もあったようですが,軍旗喪失というのはそれほどまでに「犯すべからず」だったのでしょうか?

 【回答】
 はい,軍旗はとても重要視されました.
 名誉心で縛るための偶像崇拝の道具として,軍旗が使われることは古代ローマ軍のころから世界中で行われています.
 例えば,ドイツは連隊旗に向けて忠誠の誓いをたてましたし,ナポレオン軍はロシア遠征惨敗後,奪われないように連隊旗を焼いました.
 大戦中のソ連軍では,連隊旗はスターリンの分身とされていました.
 『ザ・ソ連軍』(スヴォーロフ著,原書房,1983.10)の中には,
「焼け焦げたれ連隊旗を埋めて,戦線を離脱した親衛連隊は,「親衛」の称号を奪われ,連隊旗奪還を果たすまで許されなかった」
なんていう実例が出てきます.

 その結果,部隊の精神的結束が高まった一方で,作戦面で軍旗に固執して合理性を欠くこともあったようです.

 日本軍の場合,軍旗は天皇の分身という扱いだったので,天皇を奪われると大変なことになるかのごとく,軍旗は奪われないよう最大限努力されました.
 ほかの国なら,国王だとか,部隊の伝統とか,その国の宗教とか異なった権威付けになるだろうところ,近代日本の場合,箔付けに天皇が使われたのです.
 軍旗中隊と称して,軍旗援護のために部隊の一部を割くことありました.
 軍旗を過度に重視とも見えますが,実際には連隊本部防衛と予備隊としての機能もあったようです.

 ガダルカナルで無断撤退した例があったかどうかは存じませんが,同島では,歩兵第124連隊が後退時に軍旗を埋没したことが問題となり,回収のために連隊長の岡大佐が1個大隊を率いて引き返しています.
 回収部隊は一時的に陣地を奪還し,軍旗を回収,
 残存50名となって帰る途中で追撃を受け,連隊長以下全滅しました.
 奇跡的に軍旗を腹に巻いた旗手のみが難を逃れ,ガ島撤退間際になって帰還成功しています.
 軍旗のために過大な犠牲を出したといえますが,逆に軍旗保持の責任感がなければ,この旗手はここまでがんばれなかったとも思えます.

 ノモンハンの戦いのときに,軍旗を中心に速射砲を集中配備して,その陣地は残った例があります.
 これも見方によっては軍旗重視のあまり,戦力配備を誤ったとも見えますし,重要拠点に軍旗を置いて士気を高め,防衛に成功した例とも見えます.

 また,五味川純平は『ノモンハン』(文春文庫,1978.2)で以下の旨を述べています.

――――――
 ノモンハン事変末期の第23師団司令部直卒の,撤退援護出撃について,前線部隊の軍旗が奪われ,天皇への忠節を尽くせないことを恐れたとの説がある.
 実際には天皇への忠節は名目で,本心は軍の面子だったと思う.
 もしそうでなくて,本気で軍旗にこだわってたら,命令者は狂人だ.
 作戦失敗が予見されるときに,軍旗を安全圏に素早く下げた第26連隊長は合理的だ.
――――――

 あと,五味川は,部隊の戦歴を誇るために,わざと軍旗を破って激戦にみせてたとも言います.

 経営学ではモチベーションの維持(上昇)は重要な課題の一つ.
 いまどきのヘボい会社ですら「モチベーションの創造」とかに必死なわけで,命がけで戦うには道具立てや舞台も重要.
 そういう意味で軍旗は普遍的なアイテムだと思われます.
 荘厳な寺社に行けば,不信心ものでも背筋が伸びる思いがするっしょ?
 軽々しく「精神主義(笑)」で済ませられる話じゃありません.

 組織一般に,ひとりはみんなのためにで自己犠牲をしいる部分があるけど,特に軍隊は,作戦上の必要から本能に反して命まで捨てることを要求するのが宿命です.
 そのための心理的な統制手段がいろいろってことです.
・物欲(勝ったら3日間略奪していいぞ)
・より強い生命への危機(督戦隊)
・宗教(引けば無限地獄すすめば極楽浄土)
・名誉
 ほかにも,正義(大義名分)・危機意識・民族対立・愛国心・仲間意識・怨念・元首や指揮官への敬慕,社会的責任,美学,英雄願望,自己同一性の確保……その他色々.

◆wBtxhjVTxU(黄文字部分)他 in 軍事板,2008/09/17(水)
青文字:加筆改修部分

鹵獲した日本軍の軍旗と小銃を誇らしげに見せつける米兵

(画像掲示板より引用)



 【質問】
>正義,民族対立,愛国心,仲間意識,怨念,敬意,美学,自己同一性の確保

 このあたりは全部宗教と一まとめにしてもいいのでは?

 危機意識や社会的責任はより強い生命への危機だし,英雄願望はそのまま名誉だろ?

 【回答】
 天子様から勅書もらったら正義,なんてのは大義名分だけど宗教じゃないし,
アメリカ独立運動で発揮された愛国心は宗教じゃないし,
仲間意識は宗教を越えて発揮される戦場の基本原理だし,
家族や同朋を殺された恨みは,無神論者にも存在するし,
武士道や騎士道なんかは美学と呼べるけど,宗教とは呼べないし,
強い男を気取ってたやつほど,戦場から逃げ出すのには抵抗あるし.

>危機意識や社会的責任はより強い生命への危機だし,
家族が殺されるとか,財産が奪われるとか,民族丸ごと奴隷扱いとか,
自国の文化財が焼き払われるとか,傀儡政権がやってくるとか
自分の命以外にも「危機」は感じるでしょ.

>英雄願望はそのまま名誉だろ.

 一般人にも名誉はあり,傷つくこともある.
 英雄になりたいとはおもわなくても,仲間を見捨てて逃げ出したり,危機に際してパニックを起こしたりしたくないと思うもの.
 英雄願望とは違うレベルだと思うよ.
 あるいは強弱のレベルの違いかもしれないが.

軍事板,2008/09/17(水)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 なんで日本陸軍の軍帽などには星のマークがついているのでしょうか?

 【回答】
 陸軍が帽子に五芒星をつけ始めたのは,明治3年のこと.

 日本陸軍は当初フランス式を導入したので,フランス軍の軍帽に付いてたペンタグラムも自動的にマネしたと言うことだろう.
 フランス軍のペンタグラムは護符的な意味合いがあったが,帝国陸軍がどこまでそれを分かって導入したのかは不明.なんとなく「軍隊ぽくて良い」とか,「先進国はそうやってるんだから,その通りやらないと恥ずかしい」とかいった,猿まね洋装貴族と同じ気分だったのかも知れない.

 で,フランス軍では五芒星フランス革命当時から使用していたようだ.
 五芒星自体はキリストの五か所の聖痕から,キリスト自体の象徴とされ,転じて邪悪なるものに対する守りの印となった.
 帝国陸軍がキリスト様の傷跡を愛でたとは思えないから,キリスト教がらみのフランス軍の趣味を単にマネしたというのがありそうな事だろう.

 ただ,他に桜の萼の図案化という説もあったりする.


 【質問】
 略帽って何?

 【回答】
 鉄帽や防毒面(ガスマスク)との併用(その際,略帽は後ろ向きに被る)を便利にするという理由の外に,携帯,梱包,補給における便を考慮して,1938年の陸軍服制改正で採用された帽子で,通称は戦闘帽・戦斗帽.
 鉄帽の下にかぶっても邪魔にならないように,目庇は45mmを短くされ,横幅26mmの星章が正面につきました(ただし近衛師団将兵のものは,星章の周囲を桜葉が囲む形状)
 略帽は海軍でも使われましたが,こちらは星章ではなく錨マークがついていました.

 【参考ページ】
http://tksu1co.fc2web.com/gunsouhin.html
http://kon-tan.hp.infoseek.co.jp/equip/japarmy/a_ryakubo.html(画像上も)
http://military-web.hp.infoseek.co.jp/army/army-shoukouryakubou.htm
http://juntama-juntama.hp.infoseek.co.jp/model_ohshimizu.html
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/8926/vest.html

【ぐんじさんぎょう】,2009/1/28 00:05
に加筆

 海自は昔ながら,陸自はベレー,空自はサンダーバードですね.

整備兵 in mixi,2009年01月27日 22:11

略帽

http://kon-tan.hp.infoseek.co.jp/equip/japarmy/a_ryakubo.html

中国戦線の何処か

 熱河作戦頃かも知れませんが,サクラヘルメットより,部隊長が持つ現地人の槍より,右から二人めの人物の冠り物が気になります.
 どうも,戦帽を後ろ前に冠っただけの様にも見えず,もしかして例の試製略帽?
 ちょっと謎です.

よしぞうmaro' in mixi,2007年03月29日02:43


\

 【質問】
 太平洋戦争当時に開発されていた「陽電子砲」について詳しく知りたいです.
 ネットで調べてみたんだけど,アニメのネタばかりで.

 今のところ知ってるコトは…
・静岡県金谷町に砲台の跡が残っている.
・島田理化の○○博士というヒトが開発したらしい.
・船舶に搭載して遠洋からウラジオストクを砲撃する予定だったらしい.
・試射実験したところ一発打っただけで壊れてしまったらしい.

 【回答】
 どこでそういうネタを拾ってきたか知らんが間違いだらけ.

 陽電子砲ではなく,「Z兵器」もしくは「勢号」と呼称された極超短波(マイクロウェーブ)照射装置.
 まず実験室で,鼠を2分間かけて殺すことに成功した.
 さらに大型化し,パラボラ・アンテナで敵航空機に大出力のマイクロ・ウェーブを当て,エンジンを故障させて撃墜することを目標とした.
 エネルギー源としては,大井川発電所を使用するつもりだったとか.
 開発を開始した時期は1944年で,当然のことながら間に合わなかった.

 ソ連が参戦したのは終戦間際.当時は中立国だったソ連に使用するくらいなら,まずアメリカに使うことを考える.

 島田理化は戦後に創設された会社.

 陽電子は電子と逆の+の電荷を帯びた反粒子で,これを発生させるためには超巨大な加速器が必要.
 兵器として使用できるくらい大量に陽電子を発生させるのは現代でも不可能.

 ところで,「勢号」開発メンバーの中には,トップクラスの技術者・研究者が結集していたそうで,後にノーベル賞を受賞した江崎玲於奈なんかも含まれていた.
 中には,戦後某家電メーカーに就職した方もいて,勢号で培った技術をマンマ流用.
 世界初の「家庭用小型電子レンジ」(それまでの電子レンジはでかい,重い,値段も高いだった)開発に成功したとか.(さすがに「プロジェクトX}では語られなかったが)

 コンビニで暖かい弁当が気軽に食べられるよーになったのも,勢号のおかげ.


 【質問】
 伝書鳩は旧軍に居たのですか?

 【回答】
 軍用の伝書鳩は無線発達前には,連絡のために用いられ,無線が発達した後もしばしば用いられています.
 ちなみに,旧日本軍では鳩舎移動車なる車が試作され,他にも89式人体呼吸缶をつけた軍用鳩防毒具なる代物も開発されています.

軍事板

 祖父は通信隊所属だった.
 そこに鳩兵の鬼のように怖い一等兵がいたが,一旦鳩の世話になると別人のように優しくなったそうだ.
 ニコニコしながら鳩たちに話しかけ,誰よりも献身的に世話を焼く.

 ある時は,いかめしいヒゲ面が鳩の群れの中で,鳩と一緒にクルックー(・∀・)クルックーと笑顔で鳴き真似してて, 裏で祖父たちは爆笑していたらしい.

 その一等兵は戦地にて,愛する鳩たちの鳩舎もろとも砲弾で木端微塵になってしまったらしい・°・(ノД`)・°・.
 やっぱり動物は人を丸くさせるのかな?

生活板


 【質問】
 九四式無線機って何?

 【回答】
 昭和9年に制定となった旧日本陸軍野戦用無線機で,終戦まで野戦用無線機の主力機材でした.
 二号乙,三号甲〜丙,五号,六号という種類がありました(他に,中型航空機用の「九四式飛二号」等もあり)
 主として師団通信隊で使用されました.

 【参考ページ】
http://www13.ocn.ne.jp/~seiroku/musen.html
http://detmills.hp.infoseek.co.jp/94-6/JA3ANF.htm
http://www.n-mmra.net/radio/94-6/94-6.html
http://www.wdic.org/w/MILI/
%E4%B9%9D%E5%9B%9B%E5%BC%8F%E9%A3%9B%E4%BA%8C%E5%8F%B7%E7%84%A1%E7%B7%9A%E6%A9%9F

http://yokohamaradiomuseum.com/army1.html

【ぐんじさんぎょう】,2010/02/26 23:01
に加筆改修

 ちなみに,戦後に青少年向け雑誌の工作作例の定番とされていたワイヤレスマイクは,九四式六号無線機の回路構成と非常に類似しています.
(参考元でも指摘されています)

"3A5" 50MHz/AM Transceiver
http://www5a.biglobe.ne.jp/~jh2clv/wlmic&trcv.htm

 ここでは国産ではなく,レイセオンの3A5という双3極管を使用しています.

 しかしながらこの回路は受信時にも高周波ノイズを撒き散らし,周波数の安定度も現在の水準で見れば非常に不安定です.

 自励発振器(コイルとコンデンサを用いた発振器)は,発振器にかける電圧や外気温,振動などで簡単にその発振周波数が変化します.
(それに直接音声信号を掛けるわけですから,その安定度は推して知るべし)

 軍用無線機をアマチュア局に使う趣味人は,一定数いるわけですが,参考ページにありますとおり,現在の法制度において同機の「発振・変調を1球で行う」構成では,アマチュア局としての免許は下りないようになっています.
 以下は上記ページより.

[quote]

 非常にシンプルで無駄のない構成であるが,回路図から分かるように自励発振器のプレートに変調をかけているので,AM成分の他にFM成分も多かった.
 周波数調整は,TV3chの音声(FM)で第2高調波を確認する等の工夫を凝らして対応した.
 周波数安定度やその他特性は今からみると大きく劣っていたが,簡単に作れて十分実用になった屋外仕様のトランシーバだった・・・大らかな時代の!

[/quote]

クローム・ツァハル in mixi,2010年02月26日 00:53

九四式二号乙

http://yokohamaradiomuseum.com/army1.htmlより引用

九四式六号

http://www13.ocn.ne.jp/~seiroku/musen.htmlより引用


 【質問】
 中国軍の兵器の流入経路は?

 【回答】
 中国軍の装備は種々雑多で,国民党軍にしても,米国一辺倒ではなく,ソ連,ドイツ,日本の兵器も満遍なく使用しています.
 そもそも,中国軍の軍閥同士の戦いでは,戦闘前に互いの装備を一覧表にして交換し,それを見てその傘下に入るか,戦うかを決めたものですし….

 それから,清の時代から主力の小銃はドイツのKar-98bと同等の国産品,機関銃はチェコのZB26国産品,手榴弾もドイツ型です.
 南京に装備されていた高射砲は,ドイツ製のクルップ88mm,スウェーデン製75mmボフォース,英国製76mmヴィッカースが用いられています.
 迫撃砲は,ラインメタル製の81mm迫撃砲を主軸に,150mm,240mmの国産品が確認されています.

 1938年7月,日本政府の厳重抗議により,ドイツ軍事顧問団が中国から引揚げますと,入れ代わりにソ連軍事顧問団がやってきて,機械化師団を作り上げます.
 これがちょっとだけ有名な第200機械化師団で,T-33を88両,その他,雑多な装甲車(ソ連製,ドイツ製,イタリア製,英国製)を保有.
 編成から1年足らずで,南寧作戦で壊滅してしまいますが.

 また,航空機もI15,I16戦闘機,SB-2 bis爆撃機が,パイロットつきで供与されています.
 1937年にはそれぞれ,93機,62機,62機.

 第二次大戦末期で,蒋介石直属軍の装備にやっと米軍装備が行き渡り,M1ガーランド小銃,M2重機関銃,バズーカ砲などが配備されています.

 共産党については,ソ連製も多かったですし,日本からの鹵獲品,蒋介石軍から供給されていたものなども使用しています.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2 & 消印所沢 ◆z3kTlzXTZk)

歩兵第13連隊第6中隊の兵隊の個人アルバム「支那事変 思ひ出」より

 国民党軍からの捕獲兵器の写真も幾つかありましたが,その中にチェコ製ZB26機関銃に混じって,縦マガジンの中国製ベルグマン型短機関銃が!!
 こうやってアップ写真で見ると,やや荒い造りだという事も判りました.
 コッキング・ハンドルも真上に付いていて,安全装置のフック溝が右側面に在るという作りも面白い.

 縦マガジンのベルグマン型短機関銃の存在は,私も最近まで知りませんでしたが,中国国内で二次大戦以前のかなり早い時期から製造されていたそうです.

 それにしても,こういった証拠写真は貴重ですね.
 また,その情報が無ければ,そのまま見過ごしてしまう所でした.

 また当時,多く複写された国民党軍のプロパガンダ写真もあり,08/15機関銃やブローニング系自動小銃を装備していた事等も良く判り,参考になります.

よしぞうmaro' in mixi,2007年06月30日13:13
〜07月01日 23:32
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 インド国民軍って何?

 【回答】
 大東亜戦争中,日本軍の支援によって作られたインド人部隊.
 マレーやシンガポールで英軍と戦闘中に捕虜となった英印軍将兵の中から志願者を募った他,東南アジア在住インド人からも志願者を募り,総兵力は最大時で約45,000人に達した.
 インパール作戦,イラワジ会戦などに参加し,ビルマで残存兵力は終戦を迎えた.

 【参考ページ】
http://members.at.infoseek.co.jp/utidayuki/ina.htm
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/?m&no=825
http://en.wikipedia.org/wiki/Indian_National_Army

【ぐんじさんぎょう】,2009/11/1 23:00
に加筆

 チャンドラ・ボースは現在でもインドでは英雄で,インド政府主催の独立式典にはネール,ガンジーと並んで肖像画が掲げられるとか.

バルセロニスタの一人 in mixi,2009年11月01日 05:44

 3万人超が餓死.

しまだ in mixi,2009年11月01日 11:46

 『写真週報』より,シンガポールで日本軍により再訓練されるターバンを巻いた,シーク教徒のインド国民軍兵士.
 右胸に着いた日の丸付きの名札が面白い.
 この“カツムシン”君のその後の運命はどうなったのかも考えさせられます.

 下は中ページにあった訓練風景.
 別写真では英軍の皿ヘルメットを被ったインド兵達が,複数のボーフォス40ミリ砲を扱う写真も在りました.

よしぞうmaro' in mixi,2007年08月13日22:54


 【質問】
 インド国民軍への日本からの支援がショボかったのは何故?

 【回答】
 太平洋戦争初期に大本営陸軍部はインド進攻作戦を何度か俎上にあげて検討している.
 ビルマ方面からの攻撃は「国力的に不可能」,セイロン島攻略は「消耗戦生起の恐れあり」として無理だと結論している.
 ビルマ方面からの攻撃は末期になって起死回生の策として行なったが,その結果は周知の通り.

 余裕の無い戦時下に,史実以上のインド独立支援なんて無理な要求だったわけだ.

 それで結局,太平洋戦争自体が国力を超えた消耗戦になってしまったのは皮肉な話だ

軍事板
青文字:加筆改修部分

『アサヒグラフ』より

 戦中発行のグラフ誌では『アサヒグラフ』が一番写真クオリティが良く,資料性も高いですね.
 枢軸側に立ったチャンドラ・ボースと自由インド軍の特集記事では謎な装甲車が,ジャワ防衛義勇軍特集では日本軍型戦帽を被り,オランダ軍のものでしょうかマンリッヒャー系ライフルを構えるインドネシア人兵など枚挙に暇がありません.

よしぞうmaro' in mixi,2007年06月11日02:25

>謎な装甲車

 South African Reconnaissance Cars MKIII
 日本軍占領下の蘭印などでも良く見受けます.
 詳しくは
http://www.overvalwagen.com/armoured3.html

>オランダ軍のものでしょうか

 おっしゃるように蘭印軍のライフルのようですね.
 詳しくは
http://www.collectie.legermuseum.nl/strategion/strategion/i004817.html

から in mixi,2007年06月11日 03:05


◆◆◆火砲関連


 【質問】
 太平洋戦争初期〜中期の日本陸軍は,1コ師団あたりどれくらいの数の大砲を持っていますか?
 できれば,連隊砲以上が知りたいのですが……

 それと,旅団砲兵はどのクラスの砲を,何門くらい持っていますか?

 【回答】
 師団といってもピンからキリまであって,一定しませんが,師団砲兵が定数36門,連隊砲が定数4門(1個連隊あたり)といったあたりが一般的かと.
 大戦中期以降は,編成の中に砲兵連隊を持たない,いわゆる「治安師団」も増えています.

 例えば第三師団の日中戦争出動時の場合,砲兵連隊には,改造38式野砲(75mm)が36門,91式10cm榴弾砲12門の計48門.
 歩兵連隊には1個あたり,41式山砲4門,94式37mm速射砲4門,92式歩兵砲6門が装備されていました.
 師団には歩兵連隊が2つあったので,砲装備はその倍.

 特設師団の場合は,砲兵連隊には38式野砲4門装備の中隊が3個で1個大隊を編成し,連隊は3個大隊ですから,38式野砲36門,歩兵連隊には,歩兵砲中隊として11年式歩兵砲2門と11年式曲射歩兵砲4門,連隊砲中隊として,31年式速射山砲3門が装備されており,連隊は2個なので倍の砲があります.

 3単位師団では,野砲8門,10糎榴弾砲4門の大隊が3個,これに歩兵砲隊が付きます.
 師団砲兵は野砲8門,10榴4門に減らされている例もあるようです.
 逆に機動90式野砲や15榴を与えられる恵まれた師団もあるようですね.

 ノモンハンで全滅に近い状況になり,再編成された,1941年編成の第23師団の場合は,機械化師団のモデル・ケースとして,機動90式野砲24門と,96式15cm榴弾砲8門を持つ野砲兵連隊と,歩兵直属の支援火器として,41式山砲4門,92式歩兵砲6門,94式37mm速射砲4門,97式自動砲6門.
 これが歩兵連隊3個分有りますからその3倍が所謂砲になっています.

 治安師団の場合は,初期に95式野砲4門と91式10cm榴弾砲4門を持つ野砲兵連隊が付属していましたが,これは外され,歩兵連隊直属装備としては,94式37mm砲4門,92式歩兵砲6門,41式山砲3門を有し,これが3個歩兵連隊ありますから3倍のものを保有しています.

 15榴は兎も角,10加が師団砲兵に来た事は無いはず.
 15榴や10加は,師団に属さない野戦重砲兵連隊の持ち物だったかと.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2他)

38式野砲(模型,画像引用元:Pit-Road


 【質問】
 日本陸軍歩兵師団の連隊歩兵砲大隊の規模は?

 【回答】
 米陸軍省編『日本陸軍便覧』(光人社,1998.4.27),p.37によれば,以下の通り.

大隊本部(24名)
  ┃
  ┗━歩兵砲中隊(「甲」型,170名)×2
      ┃
      ┣━中隊本部(29名)
      ┃
      ┣━戦砲隊(110名)
      ┃
      ┗━弾薬小隊(31名)

中隊長:少佐または大尉
兵器将校:大尉

中隊本部
  管理班
    人事記録係曹長1名
    補給係下士官1名
    兵器・器械係下士官1名
    伝令および当番兵3名(1名は騎馬)
    衛生兵2名

  通信班
    下士官および兵6名

  観測班
    下士官および兵10名

戦砲隊
  歩兵砲小隊(55名)×2個
    小隊長:中尉
      砲分隊(下士官および兵26名)×2

弾薬小隊 31名

 これが強化連隊の連隊本部の下に配属される.

 詳しくは同書を参照されたし.


 【質問】
 日本陸軍歩兵師団の連隊歩兵砲中隊の規模は?

 【回答】
 米陸軍省編『日本陸軍便覧』(光人社,1998.4.27),p.37によれば,以下の通り.

中隊本部(25名)
  ┃
  ┣━弾薬小隊(31名)
  ┃
  ┗━戦砲隊(66)
      ┃
      ┗━砲小隊×2

中隊長:大尉
兵器将校:大尉

中隊本部
  管理班
    人事記録係曹長1名
    補給係下士官1名
    兵器・器械係下士官1名
    伝令および当番兵6名
    衛生兵2名

  信号班
    下士官および兵6名

  観測班
    下士官および兵4名

戦砲隊
  歩兵砲小隊(33名)×2個
    小隊長:中尉
      砲分隊(下士官および兵15名)×2

弾薬小隊 31名

 これが標準連隊の連隊本部の下に配属される.


 【質問】
 日本陸軍歩兵師団の連隊歩兵砲中隊の兵器は?

 【回答】
 米陸軍省編『日本陸軍便覧』(光人社,1998.4.27),p.37によれば,75mm連隊歩兵砲4門が標準.
 しかし,しばしば連隊砲および速射砲各2門で構成されるという.
 また,ときには臼砲(おそらく81mm短砲身)が代用されるか,または含まれるという.

 同書,p.215によれば,41式75mm歩兵砲は75mm山砲と大規模にとりかえられたときから,歩兵の「連隊砲」として使用され,日本陸軍に広範囲に分配されたという.
 砲身に「四一式山砲」の刻印があるのは,そのため.

 細木重辰(軍事史家)によれば,94式山砲が制定されたあとも,

――――――
山が多く,道の悪い中国戦線での山砲隊の活躍を知っている歩兵たちは,使い勝手のよい41式山砲の味が忘れられず,歩兵連隊にこれを譲り受け,これを「連隊砲」と称して多いに愛用した

――――――『日本帝国陸軍』(成美堂出版,2000.4.15),p.52

のだという.

 詳しくは上記ソースを参照されたし.


 【質問】
 日本陸軍歩兵師団の大隊砲中隊の規模は?

 【回答】
 米陸軍省編『日本陸軍便覧』(光人社,1998.4.27),p.41-42によれば,以下の通り.

中隊本部(33名)
  ┃
  ┣弾薬小隊(27名)
  ┃
  ┗戦砲隊(62名)
     ┃
     ┗小隊(31名)×2個

中隊長――中尉

中隊本部(指揮班)
  人事係准尉1名
  人事記録係曹長1名
  補給係下士官1名
  兵器・器械係下士官1名
  連絡係下士官1名
  通信分隊(下士官1名,兵8名)
  観測係下士官1名
  伝令および当番兵5名
  衛生兵2名
  観測分隊(下士官1名,兵10名)

戦砲隊
  小隊長――中尉または少尉
  下士官1名
  兵14名

70mm大隊砲4門

 詳しくは同書を参照されたし.


 【質問】
 日本陸軍歩兵師団の大隊砲中隊(自動砲装備)の規模は?

 【回答】
 米陸軍省編『日本陸軍便覧』(光人社,1998.4.27),p.42によれば,以下の通り.

中隊本部(32名)
  ┃
  ┣弾薬小隊(27名)
  ┃
  ┗戦砲隊(158名)
     ┃
     ┣自動砲小隊(24名)×4個 ━━分隊(20mm自動砲1門)×2個
     ┃
     ┗小隊(31名)×2個 ━━分隊(70mm砲1門)×2個

中隊長――大尉または中尉

中隊本部32名

戦砲隊
  70mm砲小隊(31名)×2個
  20mm自動砲小隊(24名)×4個

70mm大隊砲4門
20mm自動砲8門

 詳しくは同書を参照されたし.


 【質問】
 日本陸軍歩兵師団の大隊砲小隊の規模は?

 【回答】
 米陸軍省編『日本陸軍便覧』(光人社,1998.4.27),p.41によれば,以下の通り.

小隊本部(10名)
  ┃
  ┣弾薬分隊(15名)
  ┃
  ┗戦砲班(30名)
     ┃
     ┗分隊(15名)×2個

小隊長――中尉または少尉

小隊本部(指揮班)
  人事記録係曹長1名
  兵器・器械係下士官1名
  観測係下士官1名
  伝令および当番兵5名
  衛生兵1名

戦砲班
  下士官2名
  観測兵2名
  砲手12名

 詳しくは同書を参照されたし.


 【質問】
 日本陸軍歩兵師団の大隊砲小隊の装備は?

 【回答】
 米陸軍省編『日本陸軍便覧』(光人社,1998.4.27),p.41 & 215によれば,70mm歩兵砲2門.
 92式70mm歩兵砲は垂直鎖栓式砲尻栓機構を備え,88式標準遅延および瞬発信管を使用して,半固定式の弾薬を発射する.
 榴弾,徹甲弾,発煙弾の種類がある.

 戦闘時重量212kg
 旋回角800ミル(45°)
 仰角+50度
 俯角−10度
 射程2.8km

 詳しくは同書を参照されたし.

92式歩兵砲@ミズーリ・ミュージアム

(引用元:かつ丼日記,2008/5/29付)


 【質問】
 九七式曲射歩兵砲に関して
・歩兵大隊の大隊砲として配備されていたのか
・その場合の編制定数
・九二式歩兵砲配備とどちらが一般的だったのか
・九二式歩兵砲と九七式曲射歩兵砲,どちらが用兵から高評価だったか
どうかお教えください.

 【回答】
 九七式曲射歩兵砲については,1932年の九二式歩兵砲の採用直後にストークブランから迫撃砲の売り込みがありましたが,その構造簡便,軽量,運搬すべき人数が少ない(九二式で11名,ストークブラン砲では3名)と,技術関係者は大いに興味を示しています.
 が,如何せん既に国内では九二式の試作生産が開始されていたのでお蔵入りとなりました.

 しかし,中華民国軍に採用されたとの情報を聞いて,「有翼弾の研究」ということで国内製造権と見本を購入します.
 しかも,満州事変の戦訓で,この種の曲射砲の必要性が再認識され,生産準備が行われますが,これまた極秘の内に行われたので,生産数は余り多くありませんでした.
 と言うわけで,大隊砲として配備されていたか,については,大隊砲として配備はされていました.
 定数は大隊砲と同等のものとしていたので,大隊に付き2門〜4門.九二式歩兵砲とどちらが一般的かと言うと,当然,九二式になります.

 どちらが高評価か,と言う質問には,それしかなかった訳ですから,何とも言えない(但し,技術関係者の評価としては,曲射歩兵砲に軍配が上がるし,南方のジャングル戦線であれば,曲射歩兵砲の方が高評価と言うことになります.

眠い人◆gQikaJHtf2


 【質問】
 野砲,歩兵砲,山砲の違いって何なのでしょうか?
 重量とか分解可能とかですか?

 【回答】
 野砲は師団レベルで運用する野戦砲.75mmクラスの口径を持つ.

 山砲は野砲を簡易化し,分解して運べるようにしたもの.

 日本陸軍では師団に野砲・山砲いずれかで編成された一個連隊が付属するのが普通.
 ただし,後には野砲・山砲各一個大隊で編成された野砲兵連隊も存在する.
 また,山砲は昭和12年以降各歩兵連隊に一個中隊四門が配置されるようになり,これは連隊砲と呼ばれた.

 歩兵砲は歩兵の直接の支援に当たる小型の砲.分解可能で馬で運べる.
 日本陸軍では一個大隊につき一個小隊二門が付属されたので,大隊砲とも呼ばれた.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE

歩兵砲

(うそ)


 【質問】
 沖縄戦で使用されたといわれる日本陸軍の九八式臼砲,四式四十糎噴進砲の破壊力はどんぐらいですか?

 【回答】
 いろいろ比較法はありましょうが,単純に炸薬量で比較すると以下のとおりです.
・98式臼砲:炸薬量40kg
・4式40cm噴進砲:炸薬量98kg

 参考
・90式榴弾(38式野砲など):炸薬量1kg
・94式重榴弾(94式軽迫撃砲):炸薬量3.7kg
・92式15センチ榴弾(96式15センチ榴弾砲など):炸薬量7.7kg
・94式100kg爆弾(航空爆弾):炸薬量45.5kg
・92式250kg爆弾(航空爆弾):炸薬量98kg

 通常火砲では比較にならず,それぞれ100kgと250kgの航空爆弾に近い.
 航空爆弾の危害範囲の目安
http://www.warbirds.jp/heiki/bakudan.htm

 逆にいえば,米軍なら航空機呼んで簡単にばら撒ける威力ともいえますが(´・ω・`)

軍事板
青文字:加筆改修部分

試製四式噴進砲の側面イラスト

 なかな“ブス”なデザインが,日本兵器らしくて私は好きですね.

 戦後,米軍が接収した試製四式噴進砲の現物は,数門が数門共に少しずつパーツが違っていたそうなので,これは本当に手作りのプロトタイプだった様ですねー.

よしぞうmaro' in mixi,2007年06月28日02:19
〜06月28日 22:31


 【質問】
 日本陸軍の迫撃砲って,独立の大隊及び中隊,又は本土決戦用の師団に連隊及び大隊が編制・配備されていたようですが,それぞれの部隊の配備定数,配備された迫撃砲の種類や,編制された部隊の総覧なんかを教えて頂けないでしょうか.

 【回答】
 本土決戦師団に於ては,師団砲兵隊の代りに迫撃連隊が編成されています.
 また,各歩兵連隊の編成中,歩兵砲中隊の装備に迫撃砲がありますし,各大隊の歩兵砲隊の代りに迫撃砲中隊が配備されていました.

 迫撃連隊は,連隊本部と段列,迫撃砲3個中隊と大隊本部,段列から成る大隊で編成されています.
 これには,二式12糎迫撃砲が一個中隊8門充て装備されています.
 これで合計24門となります.
 また,歩兵砲中隊には同じく二式12糎迫撃砲が4門,迫撃砲中隊には4門それぞれ配備されていました.
(但し,末期になればなるほど,編成が様々なので,定数がこれであるとはっきりは言えません)

 装備された迫撃砲は二式12糎迫撃砲のみです.
 九六式中迫撃砲は1941年6月から翌年7月までに僅か90門しか生産されていませんし,九七式中迫撃砲は1941年に40門,42年に40門,43年に30門しか生産されていませんから到底戦力になり得ませんでした.

 配備部隊としては,201,202,206,205,214,209,212,216の各師団がそう言った編成を取っています.
 他にも配備された部隊があったかも知れませんが,記録は定かではありません.
 戦史叢書辺りに掲載されているかもしれませんので,調べられては如何でしょうか.

 ちなみに,二式12糎迫撃砲については,1945年に必要数が5500門,九九式軽迫撃砲が600門という数字が出ていますが,生産予定数ですから,実際に生産されたのかは不明です.

眠い人◆gQikaJHtf2


 【質問】
 九○式二十四糎列車加農の動力車について教えられたし.

 【回答】
 九〇式二十四糎列車加農に付いては,余りにも有名ですが,FranceはSchneider社から購入したもので,日本国内の幹線に於ける車輌限界ぎりぎり一杯の大きさで大威力のものとして,1門だけ購入され,国内でテストの後,満洲に送られたのですが,結局,その砲は仮想敵国であるソ連に向けて火を吐かない内に終わってしまいました.

 その列車砲の動力源は,直流250V20馬力の電動機です.
 この電動機に電力を供給する為と列車砲と弾薬車の牽引の為に,列車砲の購入に先立つ1928年,鶴見芝浦製作所(今の東芝鶴見製作所)に陸軍が発注したのが,九〇式二十四糎列車加農動力車です.

 10月に完成した動力車は,10月9日から14日に予備試験が実施された後,10月24日から11月21日にかけて延べ10日間の本試験が行われました.

 動力車は製造費逓減の為,鉄道省標準の15t2軸有蓋貨車を元に,機器を多数搭載する関係から,台枠の補強などが行われています.
 2軸車が元になっている為,機器の設置スペースは相当程度無理したようです.

 動力源は,80馬力軽油発動機で,これで35kw発電機を回し,別に充電用に1.5kwの発電機を搭載していました.
 列車砲を制御する電力を供給する場合には,列車砲の位置から因みに,軽油発動機を軽油・石油切換式発動機とする改造は,気化器と圧縮余積の変更で出来る様になっていました.

 同一軌道上を500m離れたところに停車し,送電用ケーブルを用いて列車砲に電力を供給します.
 そのケーブルの伸縮は運行操作と連動しており,伸縮時には警報灯が付き,延長の終端に来ると警報装置が成る仕組みになっていました.

 燃料タンクは400リットル入りで当初は1つでしたが,故障時の事を考え,数個に区分するか予備タンクを持つかのいずれかの措置が為されたようです.

 動力車は列車砲と弾薬車の牽引に用いられるとは言っても,流石に長距離の牽引は無理(そもそも133t+αの重量物を牽引するのに35KWの発電機だけではアンダーパワーですわな)なので,長距離牽引は普通の鉄道機関車に頼ります.
 あくまでも,短距離の陣地展開用な訳で….

 しかし,牽引に付いてもアンダーパワーではどうしようもないので,電動機の歯車比を大きくして牽引力を増すことにしています.
 これすると速度が制限されますが,土台,陣地の変換用なので,余り速度までは要求されなかった様です.

 また,鉄道機関車による長距離牽引時には歯車が破損しない様に取り外すことが考慮されていました.

 この車輌も他の車輌と同じく,車輪は狭軌と広軌の両方が準備され,交換する事で両方の軌間を行き来する事が出来ました.

 ただ,思うのですが,当時国鉄でも同時期に試作したディーゼル動車は使用実績が芳しくありませんでした.
 この80馬力軽油発動機が,いすゞなのかそれ以外(池貝鉄工所の内火艇改造?)なのかは定かではありませんが,何れにしても初期の物であるからには,故障が多かったのではないかと思ってみたりして.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年08月12日22:17


 【質問】
 日本陸軍の重砲について質問です.
・九六式15p加農と九六式24p榴弾砲は,砲床無しでの射撃は可能なのか
・砲床無しでの射撃が可能ならば,砲床抜きの放列砲車重量はどれくらいか
・これら二砲の位置づけは,攻城砲であり,野戦重砲としての使用は考慮外だったのか
・これら二砲の生産数と配備部隊
・九六式24p榴弾砲がバターン戦で起こした腔発問題はその後どうなったのか
 可能な範囲で,どうかお教えくださいませ.

 【回答】
 九六式15糎加農砲の場合は,砲床無しでの射撃は不可能です.
 ちなみに,この砲は,砲身,砲床,砲架の3つに分解し,三車に分載して九五式15噸牽引車にて運搬します.
 これら一車当りの重量は,最大12tになります.
 でもって,この砲は,野戦攻城重砲であり,なおかつ海岸要塞重砲として使用する目的で開発されています.

 配備部隊は,
Bataan攻略戦で,独立重砲兵第二中隊が九六式15糎加農砲2門,
壱岐要塞生月砲台(壱岐要塞守備隊の壱岐要塞重砲兵連隊)に敗戦時2〜4門,
虎頭要塞(第四国境守備隊)第1大隊に砲塔式のそれが4門,
他に鎮海湾機張砲台に4門,
下関角島砲台に4門,
津軽汐首第二砲台に4門,
羅津花端砲台,宗谷岬砲台,宗谷西能登呂砲台にそれぞれ4門
が配備されています.

 九六式24糎榴弾砲も同様に砲床無しでの射撃は不可能です.
 分解は,砲身,砲床,砲架,小架の4つは1車当り12t程度,それ以外は4t運搬車2両に分載しています.
 これも同様に,野戦攻城重砲と要塞重砲の位置付けです.
 配備部隊は,独立重砲兵第二中隊に重砲兵学校の2門を充当くらいしか判らないです.
 但し太平洋戦争中はResourceが他に食われ,数門しか製造していません.
 腔発問題については,弾薬の問題と言う形になっていた様ですが,戦争の進展で等閑にされていた感じです.

眠い人◆gQikaJHtf2


 【質問】
 戦前の日本陸軍が火砲の(特に大型のもの)実弾演習をするところは,富士と北海道あたりだったのでしょうか?
 それとも朝鮮とか満州なんかに行って演習していたのでしょうか?

 【回答】
 渥美半島の先端に,陸軍技術研究所伊良湖試験場と言うのがあり,此処で大阪砲兵工廠にて試作した大砲,砲弾,信管の試験データの採取,鹵獲砲の試験を行っています.
 1901年11月30日に開設,敷地面積285万坪の広大な試験場です.

 また,赤城山北面山麓一帯は迫撃砲の演習場でしたが,実際は化学戦部隊,つまり,毒ガス弾専用の射場でした.

 他に,15糎高射砲弾道試験用には浜松試験場を有しており,他に1920年,海岸砲兵用の41糎榴弾砲試射の為に,射程が大きすぎて伊良湖試験場では対応出来ないため,今の千葉県富津岬に,富津試験場が整備されています.
 此処では,41糎榴弾砲の他,24糎加農砲の試験も行われています.
 これは東京湾元洲砲台の跡地に建設され,射線は房総半島に平行して,上総湊方面に1万メートル,館山方面に向けて3万5千メートルでした.

 伊良湖試験場,富津試験場ともいくらかの遺構は残っているようです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 よく「爆弾砲」というものを戦記物で読むのですが,これは具体的にはどのようななのでしょうか?
 海軍守備隊や飛行場守備隊など手持ちで航空用爆弾などを抱えており,榴弾砲はさほど無い部隊などで出て来る話です.
 
 一番最初に読んだのが檜山良昭の『日本本土決戦』で,相模湾に上陸してきた部隊相手に使われる描写だったので架空かもと思ったのですが,その後戦記物でも読みまして気になっていたのです.

 【回答】
 檜山氏の「日本本土決戦」に出てくる「爆弾砲」は,作中の描写の通り,航空爆弾のストックを大型の鉄パイプから少量の炸薬で発射する装置.
 要は急造の迫撃砲.
 正式な名前は忘れたが,「爆弾砲」と言う名前で本土決戦用兵器として生産されて準備されていた.
 硫黄島で使われたのが有名な,「ム砲」と呼ばれる有翼臼砲の簡易型.

 あと,これまた航空用爆弾のストックに少量の炸薬をつけ,斜めに立てたレールの上に置いて発射する,という簡易投射兵器もあった(これも名前忘れた,スマン).
 最初は対潜用に開発されたが,これも本土決戦の際は砲撃兵器として大量に使用する予定だった.

 航空部隊が撤退したラバウルでは,使い道のなくなった航空爆弾(50kg,100kg)を使った現地自活兵器として爆弾砲が製作されている.
 昭和19年5月頃に,陸軍第26野戦兵器廠の重富信中尉が研究主務者となって,製造試験が行われた.
 打上花火筒のような構造の発射筒(薄鉄板筒の周りを鉄筋コンクリートで巻いたもの)を使い,航空爆弾を黒色火薬(これもラバウルで製造)で飛ばすというもの.
 10数回の発射試験が行われたが,第1回目の発射試験では射角45度で1500m飛んだとのこと.
 発射から弾着するまでの間,空中で数回回転することが問題となり(瞬発信管が付いてため弾頭部から着地しないと爆発しない可能性がある),弾道性能の改善に半年以上かかったとされている.
 終戦までの製造実績(計画数)は,50kg爆弾砲50門(100門),100kg爆弾砲20門(50門)とのこと.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 大戦時の資料を読みますと,要塞砲として戦艦の砲塔をそのまま据えつけた例が見られますが,どうやって運んだんですか?

 【回答】
 専用艦を建造して砲を運搬し,要塞の港に起重機を臨時で製作し,それで釣り上げ,要塞の砲設置場所まで,軍用軽便鉄道を敷設して,それで目的地まで持ってきて,更に起重機を設置場所に組み立てて,砲を設置すると言う方法を用いていました.

 専用船と共に,起重機も専用の分解,組み立て式の120tクレーンを石川島造船所に発注しています.
 何しろ,40cm砲塔の旋回盤が100t,砲身もそれくらいありましたし….
 これと,従来からあった30tクレーンやウィンチを併用していました.

 また,砲塔の旋回には水圧を用いましたが,その原動機としてはディーゼル機関を新潟鐵工所に発注します.
 他に,照明用発電機,噴射用圧搾空気機関はなるべく市販品を用いて費用を削減していますね.

 ま,今の時代ではどうということはないかもしれませんが,当時としては大変な話で,1923年〜1932年に掛けての大事業だった訳で.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


◆◆◆歩兵装備


 【質問】
 旧陸軍の,背嚢・雑嚢の中身について,知りたいのですが.
 武器や弾薬ではなく,一兵士・一軍人がそれぞれ国から支給された装備品です.

 【回答】
 1941年9月の中国戦線での,ある歩兵部隊の装備品の例

携行口糧 甲 4日分
携行口糧 乙 1日分
缶詰       3
食塩       1日分
干魚       1日分
梅干       1日分
被服・日用品
弾薬盒    前2,後1
弾薬実包    120発
鉄帽(ヘルメット)
防毒面
円匙(スコップ)
飯盒
水筒
地下足袋

 その他に携帯天幕や外套を持つことも.

 日用品は洗面具(歯ブラシ,かみそりなど),裁縫道具,包帯包など.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 中国大陸で鹵獲された兵器のうち,日本軍でも用いられた主な陸戦兵器を教えてください.

 【回答】
 中国軍からの軍需物資の鹵獲で喜ばれたのは,チェコ軽機ことZB26だと思われ.
 日本軍の11年式軽機関銃(平均200発で故障する)に比べ,無故障機銃の名をほしいままにした,世界的名機関銃.
 製造設備が鹵獲できたおかげもあって,わざわざ弾薬製造までされる.

 あとは,ドイツ製のPAK37も,ラ式37mm速射砲として愛用された.
 47mm速射砲が配備されるまでの日本軍の対戦車戦の切り札だな.
 94式37mmでは貫通できないチハの装甲を打ち抜ける.

◆yoOjLET6cE in 軍事板●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 491
(重複スレッド)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 旧帝国陸軍は,ドイツ軍の小火器をライセンス生産しようとはしなかったのでしょうか?
 自主開発に拘らず,MP40とかMG34なんかをライセンスした方が良かったんじゃないかと思うのですが.

 【回答】
 モーゼル・スタンダード・モデル24式とチェコ製の同型銃を1938年に,準制式小銃として試験.結果,8,000挺を輸入しています.
 但し,大陸戦線で使用する場合は,防塵対策が不十分,安全性にイマイチ不安な点があることを挙げています.

 ついでに,License生産をするというのは,それなりにLicense費用が上乗せされ,数を揃えるのには不利になります.
 そのLicenseeがどれくらいかかるか判らないですし….
 ならば,機構だけ模倣して,独自に生産した方が安上がりだったりしますわな.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 日本が自動小銃や短機関銃を大量に用いなかったのは何故ですか? 怠慢?

 【回答】
 弾薬の消費が激しい自動火器を運用する余裕が無かったからです
 ちゃんと戦術研究によって短機関銃や自動小銃の有効性を認めていましたが,兵站への負担が大きく,全部隊での採用は事実上不可能である,と判断したのです,
 なので怠慢と言う一言で片付けるのは早計に過ぎると思います

 また一部の空挺作戦などで短機関銃を活用し,米軍が短機関銃を装備した部隊には注意せよとの通達が出された程です.

 自動銃と言う全く新しい兵器について,当時の人間は,機関銃のような火力を発揮する自動小銃と言う物を想起したと思います.
 これは現代の自動小銃そのものですが,機関銃と同等の火力を発揮する場合,必要な弾薬は,従来の歩兵小銃との比較で従来の20倍と胸算用した事でしょう.
 自動小銃は連発式の5倍,突撃銃は実に20倍の火力を持つと評価される所以ですし,実際全力で火力を投射するならそれくらいの弾薬消費となります.

三等自営業 ◆LiXVy0DO8s in 軍事板
青文字:加筆改修部分

 戦前に自動小銃を開発した銅金義一によれば,採用直前に兵器局で次のような遣り取りをしたそうだ.

「手動銃の発射速度は一分間に七発.
 自動銃といっても,全自動ではないんだ.
 半自動ということで,実用発射速度は一分間にせいぜい十一発か十二発にすぎない.
 いくらも違わないんだ」
「それなら,いまさら何もいうことないではないか」
「必要なときに集中発揮が必要なんだ.
 それが自動銃の強みというものだ.
 それくらいのことがわからないでどうする」
「作戦上のことなら,当方が専門家だ.いまさら,あんたの意見などに耳を傾ける必要はない」
どこまでいっても,議論は平行線を辿った.

――――――
 実用発射速度とは,命中させることを考えて設定した数字である.
 たとえ一分間に40から50発といっても,実際には一分間に十一発から十二発しか撃てないのだ.
 問題の製造費に関しては三八式歩兵銃の納入価格が四十五円のとき,自動銃の見積もり価格は六十八円であった.

――――――津野瀬光男著『幻の自動小銃』(光人社NF文庫,2006.5)から引用

 財政的な負担が不採用の大きな理由になったのは確かだけど,弾薬消費に関しては今日の目から見ると些か疑問が有るというところ.
 当時の陸軍は浪費すると思っていたけれどね.

軍事板
青文字:加筆改修部分

▼ 一応,昭和10年にピダーセン自動小銃をコピーした試作自動小銃・甲を作ってみたりはしています.

 また,日本軍がガーランドを鹵獲すると,それを元に4式自動小銃を開発しましたが,工業力の問題で模造に手間取り,実化に失敗します.
 進駐軍が,完成していた125丁を調査したところ,装填不良があったとか.
 完成していたとしても主力にはなりえなかったでしょう.
 このころには99式の生産すら間に合わなくなっていましたから・・・

モッティ ◆uSDglizB3o in 軍事板,2008/12/16(火)
青文字:加筆改修部分

 ちなみに,当時の列強諸国の主力小銃はボルト・アクション式で,M1ガーランドを全体に行き渡らせていたアメリカが異常なだけです.
 大陸側では
ソ連軍(モシン・ナガン),
中国軍(Kar98k),
仏軍(ルベルM1886),
英軍(リー・エンフィールド)
と,ボルトアクション装備の軍と交戦していましたので,小銃の面で互角でした.

 ドイツやソ連では,狙撃銃や火力集中のために自動小銃が使われましたが,ドイツのMG34やMG42はベルト式,ソ連のDP28は大容量マガジンで,扱いにくい面があったために,機関銃とボルトアクション式小銃の間を埋める火器が必要とされた面もありました.

 日本軍でも,第一次上海事変の際は軽機は分隊ではなく集中して使用されたことや,十一年式軽機関銃の信頼性の問題から,火力を集中発揮する狙撃銃(マークスマンライフル)として自動小銃が要求されています

軍事板,2008/12/16(火)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 「小銃 拳銃 機関銃入門」を読んでいると,日本軍の銃器開発では,問題に対して銃本体の改良でなく,新型の弾薬を用いることで対応することにしている場面がしょっちゅう出てきます.

 これは銃本体の改良がすでに手詰まりだったのもあるのかもしれませんが,補給面で問題になるといったことは考慮されなかったのでしょうか?

 読んでいるうちにもう,少し銃開発側でがんばって改良しとけば,弾薬の種類も削減できたんじゃないかな,と思ったのですが,どうでしょう?

 【回答】
 銃自体の改良ができればそれに越したことはないのですが,当時の日本における機械工作技術・冶金技術の水準を考えると,限度があったのも事実.
 誤解を恐れずに言えば,当時は拳銃小銃ですら,一丁一丁手作りの品物でしたし,
 同じ鉄でも,ドイツや米英のものとは品質ががた落ちでした.

 銃の開発史を見ているなら気が付いていると思いますが,日本オリジナルの設計というものはほとんどありません.大抵のものが「〜を元とし」「〜をベースに」などと書いてあると思います.
 つまり,コピーだったわけです.
 本国生産の品物がうまく動いているのに,日本で作ったものはうまく動かない.
 そこで「改良」となるわけです.
 工作精度が低く,材質の悪いものであっても作動するようにつじつまを合わせる.
 その一環が弾薬の「改良」です.
 つじつま合わせである関係上,互換性など考慮する余裕がないわけですね.

 また,組織としての問題も大きいでしょう.陸海軍間の意思の疎通が殆ど無い点も,弾薬規格の乱立に拍車をかけています.


 【質問】
 日本側の手榴弾の発火方式は,米軍のそれと比較して不利だったと聞きましたが,どの辺りが不利なんでしょうか?

 【回答】
 日本の手榴弾は,安全ピンを抜いた後に撃発板を打撃して,時限信管に着火させていました.
 日本の手榴弾は,スプリングで浮かされてる撃針を,叩くことで押し込んで信管に点火するようになってたからです
 だから叩き方が悪いと点火しない,なんてこともあったようで.

 米国式は投げる安全レバーを握ったままであれば,安全ピンを抜いた状態でも安全に保持出来ました.
 投擲してレバーが外れた時点で,内部の撃鉄が時限信管を打撃し着火する構造に成って居る為, 取り扱いが容易であった事が有利な点と成っています.

三等自営業 ◆LiXVy0DO8s(黄文字部分)他 in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 支那事変で,日露戦争時に製造された手榴弾が使われた,というのは本当ですか?

 【回答】
 日露戦争時には,現地で急造した手榴弾はありましたが,軍で正式に採用した手榴弾はありませんでした.
 陸軍最初の手榴弾は,大正十年に欧州大戦の戦訓を受けて正式化された十年式手榴弾です.

 ただ,制式名称こそ与えられなかったものの,手榴弾という名称で陸軍の文書には出てきています.
 兵頭二十八氏の著書によれば,明治41年7月の陸軍のマニュアル「手榴弾用法」なるものがあるとか.
 それによると,30gの黄色薬の粉末を棒で突き固めて円筒状に紙で包みニスで防湿塗装した物をつめていました.
 弾殻は鋳鉄で,炸薬の劣化防止の為,外側と内側に漆を塗っていたそうです.
 しかし,着発式で使い勝手が悪く,また,不発も多かったため,歩兵には嫌われて,あまり使われなかったそうです.

 そのため,シナ事変までストックが残っていた,とか.


 【質問】
 陶器製手榴弾について教えられたし.

 【回答】
 〔略〕
 太平洋戦争末期,深刻な鉄不足に陥った日本は鉄を節約するために,さまざまな物を陶器で作りました.
 そうやって作られたモノの一つが,陶器製手榴弾です.

 
 ってなワケで,

   ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  (・(・・)・) < 『二代藤田龍峰作の備前焼手榴弾』 Get!
  /JベタJ   \__________


 タイプ・アリタ,タイプ・シガラキと違い,第二次世界大戦中にアメリカ軍が使っていた,パイナップル型を模した形になっております.
 表面には茶色の上薬がかけられ,タイプ・アリタ,タイプ・シガラキよりも小型. 形が形だけに,丸いタイプ・アリタ,シガラキより持ちやすいですねぇ……

 このパイナップル型の陶器製手榴弾は一個一個を轆轤で回して作ったもので,またアメリカ軍が使っていた手榴弾のように表面にそれっぽく筋が書き込んであります.
 無駄に手が込んでいますねぇ (w`;

 で,備前焼手榴弾の底には数字が書き込んであり,その数字をみれば,誰が作ったものかが分かるようになっています.
 今回入手したモノの底には10の数字.
 これは,岡山県無形文化財保持者,二代藤田龍峰に与えられた番号で,手榴弾の底に10の数字が書かれていれば,二代藤田龍峰が作った証拠になるんですねぇ……

 そこの番号を見れば作者が分かる,って〜のは面白いもんで,人間国宝の山本陶秀作の陶器製手榴弾もあるそうで…… (w`;
 

 いよいよ残る陶器製手榴弾は,

・京
・瀬戸
・筒型練習用

 のあと3つ! (w`;
 

 でも,京と瀬戸は売っているの見たことナシ!

ベタ藤原 in mixi,2007年06月02日23:14

備前焼の陶製手榴弾


有田焼の陶製手榴弾


信楽焼(?)の陶製手榴弾

(以上,「ベタ藤原コレクション」より)


 【質問】
 なんか昔,「間違えて膝撃ちして骨折するヤツ続出」みたいな兵器があったそうなんですが,詳しく教えてください.

 【回答】
 それは多分,太平洋戦争時の日本軍の装備兵器である「擲弾筒」のことだと思う.
 地面に底版を押し付けて固定するグレネードランチャー,というか小型迫撃砲だったのだが,Rのついた底版を見て
「これはこの部分を足に押し付けて固定して使うんだな」
と誤解したアメリカ兵が,捕獲したものを誤用し,腿の骨を骨折する重傷者が続出した.


 【質問】
「日本軍の89式擲弾筒は,腹で反動を受け止める直射行っていた」
というのは本当ですか?
 腿に当てて撃ったら複雑骨折を起こすような反動を,腹で受けたら死ぬのでは?

 【回答】
 八九式重擲弾筒に平射用の射表が用意されていたのは確かで,その上,直射に使うことが確実なタ弾も試作されてたから,現実に直射が行われていたのは間違いない.
 だけど,実際にどうやって直射をしたのかはよくわからない.
 背嚢を前にまわして,腹に当てて撃つなんて記述を,どこかで読んだ気がするが,出所が思い出せない .

 大陸物の戦記で,新米将校が迫撃砲の直接射撃命じたら,「は?」って聞き返されたシーン見た覚えがあるな.
 それで後になって直射のやり方兵隊に教えたら,ウケたとかなんとか…

軍事板,2009/12/29(火)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 太平洋戦争でアメリカの火炎放射器で日本軍が酷い目にあわされたのはよく聞くのですが,日本の火炎放射器 九三式火炎放射器 などの太平洋戦争での活躍を聞いた事が無いので,どなたか教えてください.

 【回答】
 日本の火炎放射器は第一次大戦後,主に工兵が用いる機材として,独仏の方式を混合して試用していましたが,余り発達していませんでした.
 その後,陸軍士官学校でのテストで意外に利用価値があることが分り,独式を参考に火炎放射器を作り上げました.
 但し,これらの火炎放射器は秘密兵器扱いであり,大々的な活躍までに至ってません.

 最初の正式兵器である,九三式火炎放射器は,日華事変で用いられています.

 九五式五号火炎放射器は,マレー戦のスリム戦で用いられました.
 なお,コレヒドール作戦時にも装備されていましたが,実際に使われることはありませんでした.

 百式火炎放射器は,陸軍挺進練習部用に製造されたもので,スマトラのパレンバン製油所攻撃の際に,支援火器として投下されましたが,実際には使用されず,ビルマ作戦,南方島嶼戦の陣地攻撃に使用されています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2

よしぞうmaro' in mixi,2007年08月11日17:38


 【質問】
 日本軍は戦争初期には火炎放射器を多用しましたが,後期に使用しなかったのはどうしてなんでしょうか?

 【回答】
 大戦後期の日本軍も使用している.

 もともと火炎放射器は陣地攻撃用の兵器なので,日本側が陣地に篭る大戦後期では,多少活躍の頻度は下がったかもしれないが,主に対戦車兵器として工兵隊などが使用している.

 例えば,独立混成第58旅団工兵隊は,火炎放射器15器を装備しており,ルソン島防衛戦初期に,爆薬とあわせて米軍戦車隊を迎撃して,戦果を報じている.
http://www.geocities.jp/bane2161/dokukon58ryodan.htm

 同じくルソン島では,戦車第2師団工兵隊の装甲作業機も,火炎放射器をつんでる.

◆yoOjLET6cE in 軍事板
青文字:加筆改修部分

 あとな,火炎放射器は防衛戦には不向きなんだよ.
 一回放射すると位置が丸分かりになるから,あとはいい的だ.
 そんで1発ボンベに食らえば火達磨になる.
 そんなの陣地に置いとけるか?

◆iqK7ZoWK2. in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 太平洋戦争時に米軍は,火炎放射器を有効に用いて,洞穴にいる日本兵や民間人をいぶりだしましたが,日本軍は火炎放射器の攻撃に対する対策を取らなかったんでしょうか?
 狙撃兵に米軍の火炎放射器兵の燃料タンクを狙撃させる事を徹底させる等の対策は,日本軍には無理だったんでしょうか?

 【回答】
 まず,あれは「隠れてるものを燻り出す」為に行っているのではありません.
 物陰に潜んでいるであろう兵員,ゲリラを問答無用で「撃破」する為です.

 物陰,藪,洞窟等,人間が隠れていそうなところには片っ端から,実際に人間が隠れているかどうかの確認などはせずに,徹底的に行われていました.
 尚,火炎放射器と言うと「焼き殺される」イメージですしそういう映像が多いですが,ほとんどの人は,強力な火焔の燃焼に伴う局所的酸欠(洞窟に行われた場合は殆どこれ)や,周囲の物が燃える事による煙の吸引で死亡しました.

 で,アメリカ軍のマニュアルでは,
「火炎放射器使用時は,最低1名の自動火器を持った者が援護に当たる事」
等,火炎放射器を前線で対人掃討任務に使う際の規約を定めています.
 仮に日本軍が狙撃等で対抗しようとしても,逆撃に遭うのがオチだったでしょう.

 ただし日本軍は,敵将校や指揮官,通信兵等への狙撃は積極的に行い,米軍を相当に悩ませています.
 南方や沖縄では米軍には,
「将校は階級章を付けない事」

「指揮官はマップケースを携行してはならない」
等の狙撃対策指示が出ていました.
 それでもかなりの数の米軍将校が,狙撃で死傷しています.


 【質問】
 サクラ・ヘルメットとは?

 【回答】
 満州事変のころに,日本陸海軍が使っていたヘルメットの一種で,モデルはフランスのアドリアン・ヘルメット.
 前面のフチが帽子の鍔のようにせり出しており,全体的にやや浅め.
 ヘルメット天頂部には開口部があり,その上にまるで5枚の花びらのような覆いが溶接されていたことから,「桜」ヘルメットと呼ばれるようになったとさ.

【ぐんじさんぎょう】,2008/9/21

 写真左は海軍陸戦隊の連絡車.
 グリルカバーと錨&桜の金属章と海軍旗がイカします.

 右は極初期のサクラヘルメットを被った陸軍兵.
 トラックに鈴生りでなんだか物々しい感があります.

よしぞう(maro') in mixi,2006年12月20日01:43

 ひさしの長さがわかりやすいなら,こんな写真もあります.

よしぞう(maro') in mixi,2008年09月20日 22:49


 【質問】
>日中戦争には鎧兜に身を固めた日本兵がいたお
>写真も残ってるお

 ネタ回答はネタスレで.

 【回答】
 いや,実際あるんだ.
 〔略〕

軍事板
青文字:加筆改修部分

 大分の第47連隊機関銃隊所属の金丸高秋中尉とその甲冑の謎については,こちらの「兵器生活」サイトに詳しく紹介されています.
 未見の方は,どうぞ.
http://www.warbirds.jp/heiki/kanamaru2.htm

よしぞう(maro') in mixi,2006年09月29日 16:40


 【質問】
 太平洋戦争中の日本では竹槍訓練が行われていましたが,その訓練の起源・目的を教えて下さい.
 以前どこかで
「B29等が撃墜された際にパイロットを突く為」
との文章を読んで,なるほどそうかと思っていたのですが,実際に検索してみると,あまりにも
「竹槍でB29を落とそうとしていた」
との発言が多く,実際のところが解りません.

 あと,竹槍の武器としての性能はどの位のものでしょうか?
 制作コストや手間も低く,白兵戦だとスコップに匹敵する程には強そうに見えますが.

 【回答】
 1942年3月7日付の朝日新聞に以下の記事が掲載されています.

 一億は全て武装せよ.今日の決戦は要求する.前線の将兵のみに戦いを任せて安閑としている時ではない.
 銃後も武装せよ,一億国民は一人残らず「撃ちてし止まむ」突撃に参加しなければならぬ.子らも起,女も武装せよ,
 父よ,夫を戦場へ,職場へ送った後,家庭は,郷土は婦女の手によって護られる.
 昨年の夏,村で体育錬成の運動会が催された時,千葉県夷隅郡中根村,五百名のお婆ちゃん,お母さんたちが,竹槍を握って,体操をして見せた.やんやの喝采であった.
 それが切っ掛けとなって,銃後の固めはこれで行きましょうとなった.他の女たちも率先して猛練習を開始した.
 村長さんが慌てた.
 郷軍分隊長が眼を回した.あちらの字から,こちらの里から指導員の分会は引っ張りだことなった.
 体操ではもの足りぬと,竹槍を振るっての銃剣術である.
 昨年の暮れには女子竹槍部隊が立派に編成された.女子青年学校の生徒が「えいっ」と呼べば,七十のお婆さんも,炬燵から飛び出して「さあっ」と応じる.
 もんぺに鉢巻,きりっと襷を掛けたのが,この部隊の制服,武装の竹槍は,いずれも背後の山から伐り出したお手製である.
 集合,行進,散会,突撃,全て実戦場を経験した帰還勇士に依って軍隊式にたたき込まれる.
 おなごどもが余りに熱心じゃ,ついつり込まれ男たちも働くわ,働くわ,近頃では田畑の増産目標もぐんぐん上がっとります.喧嘩も酒飲みも一ぺんに消えてしまった.と,村長さんは髭をしごきながら,おなごたちの突撃に眼を細くするのである.

 千葉から始まった竹槍部隊の編成は,大日本婦人会の提唱で,1943年2月から各支部で竹槍部隊の編成が始まっています.
 どちらかというと鍛錬のためで,どうしようもないからせめてもの武器として竹槍で自衛しようと言う考えではないか,と思います.
 精神的なものが大きいのではないかと思いますね.

 なお,さる陸軍大将は,「竹槍3000本あれば,ソ連軍をやっつけて見せる」と豪語したそうです.

 ちなみに,竹は安価で日本各地で手に入ります.
 真竹の場合は,弾力があって粘性があり,槍の代用に適していました.
 英国のバヨネットと良い勝負ではありますが.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 本土決戦では竹槍を主力兵器にしようとしましたが,まだ石での投石のほうがましだったんじゃないでしょうか?
 大体何故,竹槍なんでしょうか?
 竹で弓矢を作るという発想すなかったんでしょうか?

 【回答】
 現代でも弓道をやったことのある方ならわかると思いますが,弓矢というのはそのシンプルな構造に似合わず,兵力としてまともに運用できるようにするには,かなりの鍛錬・修練を必要とします.
 なので「弓矢を民間人に配る」というのは,あまり有効では無いと思います.
(余談ながら,戦国時代において火縄銃が画期的だったのは,威力や射程ではなく,弓矢の修練を積んでいない兵卒でも,火縄銃の習得は比較的容易だったことです)

 ついでに言うと,竹槍訓練の最大の目的は
「一般市民に(まがりにも)武器を渡し,訓練をさせることで,萎えかけた国民の戦意を奮い立たせる」
ことだったので,その意味では一番わかりやすく,素人や女子供でも扱いやすい「槍」という選択肢は,悪くないかと思います.


 【質問】
 日中戦争当時,中国でトンプソン短機関銃が生産されていたというのは本当ですか?
 中国兵がシカゴタイプライター持ってる姿が想像できない.

 【回答】
 基本的に2種類,1921年式Tompson手提機関銃と,1918年式Bergman手提機関銃の二種類が国産化(と言っても無許可国産化ですが)されて,各軍閥で使用されています.
 特に前者は,山西兵工廠にて月産1200挺,重慶兵工廠でも生産されました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板,2007/09/28(金)
青文字:加筆改修部分


◆◆◆◆機関銃関連

 【質問】
 日本陸軍には各分隊に短機関銃,軽機関銃の装備はあったのだろうか?

 【回答】
 日本陸軍の歩兵分隊には分隊あたり一丁の軽機関銃が配備されてましたです.

 短機関銃は一般の歩兵部隊には配備されず,空挺隊のような特別な部隊で使用された例が殆どでした.
 例えば,昭和20年の義烈空挺隊は,総勢120名中,四分の一に当たる30名が100式短機関銃を装備していました.

(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)


 【質問】
 戦局が怪しくなったことに中部太平洋に派遣された師団の編成を調べていたのですが,大隊の下に機関銃中隊がありませんでした.
 そこで質問なのですが,
1,これは編集者や執筆者のミスではなく,本当に機関銃中隊を持たなかったのですか?
2,本当だとすれば,なぜ機関銃中隊を編成からはずしたのですか?

 【回答】
 機関銃中隊は編成に存在します.
 後方警備部隊でも編成表上にありますし,本土決戦用師団でも存在しています.

 但し,資料にある時点が,派遣された先での編成というものであれば,機関銃中隊の欠落は十分考えられます.
 と言うのも,日本の船舶輸送では,兵士は兵士,装備品は装備品,弾薬は弾薬という形で分けて 輸送していました.
 欧米の場合は,兵士,装備品,弾薬,車輌などが或程度一定の比率で分けられていますが,これには無駄なスペースが出来てしまいます.
 日本の船舶にはそんなに余裕がないので,出来るだけ,単一のものを輸送する傾向にありました.
 で,なるべく,それに関連する人員も乗せるようにしています.

 そんな時に,ある船舶が沈んだらどうなるか.
 例えば,其処に機関銃中隊の装備が搭載されていたら,機関銃中隊諸共装備は失われる訳です.
 フィリピン向け輸送船団ヒ81なんかそう言う典型例ですね.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 日中戦争の頃日本軍が使っていた,機関銃のデータと,その弾のデータ教えてください.
 特に重さと,一丁の銃が使えなくなるまで何発くらい撃てたのかを.

 【回答】
 *十一年式軽機関銃
全長:110.0cm   銃身長:44.3cm
装弾数:30発(6個の挿弾子)   重量 :10.3kg
6.5ミリ口径の三八式歩兵銃実包を使用.銃身命数20.000発.
ただし,それ以前に薬莢の焼き付きや装弾不良・排莢不良などの故障が起こる率が高い.

 *三年式機関銃
全長:120.4cm   銃身長:74.2cm
装弾数:30発(保弾板)   重量:54.1kg
6.5ミリ口径の改正三八式普通実包.銃身命数25.000発,機関部寿命約12万発.

 他に,中国軍から捕獲した物も多い.かの有名なZB26軽機関銃とか.

(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE他)

 【質問】
 マガジンタイプだとドイツのMG34のような大量火力は発揮できないですかね.
 どれぐらい実弾を携帯していたのでしょう?
 【回答】
 九九式よりも古い十一年式の場合,歩兵で鉄板製の弾薬匣に小銃弾120発,
 それが無い場合は,麻布製の弾薬嚢(本来は弾薬匣を包んで運搬するもの)に小銃弾150発.
 これらは弾薬手が運搬していました.
 自分で携行する場合は麻布製の弾薬盒に小銃弾60発を入れます.

 騎兵の場合は,木製の弾薬箱に360発の小銃弾を収容します.馬一頭につき,これを4箱駄載します.

 射撃に関しては,あくまでも突撃時の支援火器として使用するもので,歩兵に随伴して火力支援を行ないます.
 但し,ドイツのものとは考え方が異なり,面制圧ではなく,拠点制圧として使用していました.
 目標手前400〜500mで5発点射,300mなら3発点射が標準になっていました.

 日本に於いての軽機関銃の使用は,歩兵と共に機関銃手も突撃し,歩兵の突撃に邪魔になる目標を狙い撃ちする為のものです.

 従って,機関銃手が多量の弾薬を携行していたら,歩兵の突撃について行けず,有効な支援が出来ません.(一応,手持ち弾薬は弾薬盒のうち,30発入り前盒を2個ぶら下げ,背部に60発入後盒を持っているので,携帯弾薬定数は120発.これに,軽機関銃弾薬手が金属製の弾薬箱(120〜150発)を抱えると言う形ですが)

 一回の突撃で,数回5発ずつ発砲するとしても半分くらいは手持ち弾薬が残るという計算でしょうか.

 実弾に関してはその生産量が急激に増えた訳でもなく,出来るだけ節約する方向にありました.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 私の爺さんは陸軍の高田58連隊の弾薬班の兵隊で,インパール作戦(インパール戦時は上等兵)に参加したんだけども,弾薬班というのは具体的に何をする兵隊さんなの? 爺さんは馬を引いてたと言っていたが,弾を運ぶだけ?

 【回答】
 良くぞ生き残られましたなぁ……∠(^_^;

 さて弾薬班とは,弾薬の消耗の激しい重・軽機関銃に弾薬を運搬する専門の班です.
 機関銃分隊は8名の人員で構成されてますが,この半数の4人が専門に弾薬を運びます.
 また,機関銃中隊には弾薬小隊があります.
 重機関銃の運搬には馬が用いられており,弾薬運搬にも使われていました.
 戦時には携行分だけでは間に合わないため,弾薬小隊が前線と後方を駆け回って補給を行います.
 弾薬班の兵は小銃を携行せず,銃剣を携帯するのみだったと思います.


 【質問】
 祖父から聞いた話なのですが,旧軍の30年式銃剣は,普段刃がついていないと言うのは本当ですか?
 それと黒塗りとそうでないのがありますが,造られた時期は同じなのでしょうか?

 【回答】
 平時には,破損しないように刃はつけない.出征前に旋盤なんかで刃付けする.

 30年式銃剣は当初は白磨き.大陸戦線ではほぼ白磨き.
 その後昭和14年ごろから段々黒染が基本になり,昭和16年ごろになると全て黒染に.
 これは,敵(米国)の強力な照明装置に対応するため.
 日本陸軍内部でも,白刃のひらめきが敵に畏怖を与える効果があると主張する者もいたそうだが.

剣恒光 ◆yl213OWCWU他

▼ この回答で旋盤という言葉が出ていますが,工作機械としてはその用途に不適当かと・・・
(通常,それは工作対象物が回転してそれにバイトを当てて削る物ではないのかなあ?)
 グラインダー(研削盤???)とかでしたら,話が通じますか(要確認)

bugaisha in FAQ BBS,2009年9月3日(木) 22時5分
青文字:加筆改修部分

旧軍写真の一枚.
故郷に送るために完全装備で撮ったものでしょうか.

銃剣突撃
戦前の講談社絵本43「支那事変美談」(昭和12年)より

よしぞうmaro' in mixi,2007年07月15日00:17


 【質問】
 なんで日本には銃剣をつけれる機関銃があるのですか?

 【回答】
 日本陸軍が軽機に銃剣をつけたのは,銃剣を装着することができない11年式では,銃剣突撃時は白兵装備が心もとなくなってしまったから.
 また,相手の顔が見えるほど接近した至近距離での戦闘では,万が一の自体が発生した時に,攻撃手段を完全に失ってしまうとパニックになり,トラブルへの対処が遅くなってしまう.

 「銃口に重りをつけることで命中率増大を狙ったから」という説もある.
 最初から銃口を重くしたのでは携帯のさいに不便です,しかし兵隊なら全員が持っている銃剣を利用すれば一石二鳥,というアイディア.
 戦後に行われた実験でも,その様な効果が有る事は確認されている.
 しかし,
「設計段階において,発射ガスが銃剣と干渉して命中率の低下に繋がらないように研究が行われた」
もしくは,
「設計段階から銃剣を錘として用いる事を想定した」
という様な,当時の資料等があって然るべきだが,その様な資料に触れた記事などは見受けられない.

 また,銃口より噴出したガスが銃剣と干渉して命中率低下を引き起こす事もあった.

 ちなみに自衛隊の64式小銃の銃剣も他国に比べて長く,銃剣の長さを巡っての,幹部達の決闘騒ぎまであった.

軍事板 & 遠吠えするいぬ in mixi支隊(青字部分)


(うそ)


 【質問】
 なぜ日本軍は12.7mm口径の陸上用重機関銃を造らなかったのでしょうか?

 【回答】
 車両に積んだものとしては存在する(九二式13mm機関砲)
 あと,名称こそ「自動砲」だが,対戦車用に開発した九七式20mm自動砲というものもあった.

 どちらも,兵が担いだり分解して持ち運んだりするのが大変なわりには威力が低い,として日本軍は小口径の曲/直射砲の方に力を入れ,大口径機関銃はあまりかえりみられることはなかった.

軍事板

▼ 当時の陸軍では,重機関銃の弾薬は6.5mm×50弾を使用でき,射程距離も2kmあれば十分としていた.
 というわけで三年式機関銃を使用.

 それでも他国の重機関銃と比較すると威力不足で,対空能力も劣ってたんで,7.7mmにした九二式重機関銃が開発される.
 九二式は命中率が高く,評判で,米軍からも極力注意しろと言われたそうだ.
 日本軍にとってはこれが使いやすかったということで,次の一式重機関銃も7.7mmだった.

 まあ,九三式十三粍重機関銃なんてものも一応開発してるけど,日本の当時の重機関銃のドクトリンに適合したのが7.7mmというわけだったから,ということらしい.

軍事板
青文字:加筆改修部分

 一方,米軍の.50口径機関銃は元々は観測気球や小型の飛行船を撃墜するための「対空砲」として開発,装備された.
 しかし実戦投入しても本来の用途に使われることはほとんどなく,むしろ「小口径の歩兵砲として」使われることが多かった.
 飛行機が戦争に使われるようになると,本来の対空砲としても活躍し,
「手軽な対空対地両用の支援兵器」
として装備体系に加えられた.

軍事板


 【質問】
 十一年式軽機関銃って何?

 【回答】
 十一年式軽機関銃は,日本陸軍が初めて制式採用した軽機関銃であり,1922年(大正11年)に制式採用された.
 南部麒次郎が設計したもので,1941年までに総数29,000挺が生産され,太平洋戦争でも全戦域で使用された.
 歩兵が装備する小銃と同じ弾帯を使用でき,また,銃床が銃把部に連結しているスタイルが特徴.
 よくジャムったそうだけど……

 【参考ページ】
http://homepage3.nifty.com/sweeper/gun/m_gun/11lmg.htm
http://www.japaneseweapons.com/kikanjyu/ex02/index.htm
http://military.sakura.ne.jp/army/rifle/jp_11lmg.htm
http://gunsight.jp/c/sight-3D%20Type11LMG.htm
http://www1.odn.ne.jp/tobu7757/J_wsd/armydate/weapon/lightmachinegun.htm

http://en.wikipedia.org/wiki/File:Japanese_Type_11_LMG_from_1933_book.jpg

【ぐんじさんぎょう】,2009/9/25 23:00
に加筆

日本に輸入されたホイペット戦車(上)とルノーFT戦車(下)の着色絵葉書

 11年式軽機関銃を撃つ射手の横で,捕虫網の様な薬莢受けを持つ兵士がいるのが面白い.
 もうカートキャッチャーという発想があったのですね.

よしぞうmaro' in mixi,2007年07月27日01:10


 【質問】
 一式軽機関銃とバリエーションの画像を探しています.
 どちら様かお持ちではないでしょうか?

 【回答】
 ここは見た?
http://earth.endless.ne.jp/users/mac0115/type1lm.html

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 92式重機関銃とは?

 【回答】
 皇紀2592年(昭和7年)に採用され,終戦まで使われた,日本陸軍の重機関銃です.
 チェコ製のホチキス機関銃を参考にして,3年式重機関銃(6.5mm弾)を7.7mm弾仕様に変更しました.
 光学照準器(スコープ)を採用していたため,遠距離での命中精度がかなり高く,自衛隊が発足したときに,「92式重機関銃を採用しよう」という声も出たそうです.

【ぐんじさんぎょう】,2008/9/12 20:30

 館山海軍砲術学校の九二式重機関銃の操作/用兵マニュアル

 こういったマニュアルは好きであると買っていますが,240ページの図解付き解説は読みごたえがありました.
 おそらく陸戦隊の訓練に使われた物だと思われますが,陸軍のマニュアルから図版やテキストを流用している様で,先日入手した海軍陸戦参考書の図の兵隊
http://8917.teacup.com/fulmine1944/img/bbs/0000358.jpg
と異なり,これは陸軍服を着用していました.

よしぞう(maro') in mixi,2006年12月20日01:43


◆◆◆◆軍刀関連

 【質問】
 帝国陸軍は下士官まで皆軍刀を持っていましたが,あれは日本刀ですよね?
 そうなると,軍全体で装備している日本刀の数はものすごい数になったと思うのですが,どうやってそれだけの日本刀を生産していたんでしょうか?
 日本刀は,そう簡単に作れるものではないと思うのですが・・・.当時の日本にそんなに大量の刀鍛冶の人がいたとも思えませんし・・・.

 それとも見た目が日本刀型なだけで日本刀とはまったく別のものなのでしょうか.

 【回答】
 日本刀というのは間違いと考えた方がいいかもしれません.
 旧軍の九五式軍刀は無垢材を機械的に鍛えられているはず.
 構造的には普通の日本刀よりずっと頑丈で,生産性を考慮した一発焼入れ.
 仕上げは良いとは言えませんが,戦場で使う刀としては非常に洗練されていました

 いくら日本の工業力が低いといって,もそれくらいの数は作る能力はありました.

 刃物は腕のいい職人さんが魂こめて作り上げるものだという考え方が,ちょっといきすぎているかもしれません.軍刀はしょせん軍刀にすぎません.
 美術的価値まで求められる観賞用の名刀と同等に論じられるべき物ではありません.

 余談だが,以下のような話もあることから,旧軍においては

鉄としての材料>日本刀

という価値観だったのかもしれない.

 祖父からボロボロの木刀をもらったんだが,実は偽装した銘刀だった.
 何で木刀に装ってるのかと聞くと
「金属回収から刀を守るため」
と言っていた.他にも,庭に埋めたり,天井裏に隠したりと大変だったらしい.

 ただ,当の金属回収は一度もこなかったそうだが.

(生活板)


 【質問】
 軍刀には刃がついているの?

 【回答】
 ついていたと思われる.

 「旧日本帝国陸海軍軍刀」というサイトに,

 この軍刀身の材料は普通鋼に比して更に軟かい.けれども「撓(しな)ひ鋼」を適當に鍛錬して刃部に用いました.
 これは所謂「甘斬」を主とすると共に刃に耐久力を持たせたい意味であります.
 又棟部は「卸鋼(おろしがね)」の焼が入るか入らぬかと言ふ程度の軟らかいものを適當に鍛錬して用ゐてあります.

http://www.k3.dion.ne.jp/%7ej-gunto/gunto_107.htm

とあるように,最初から刃を入れて出荷していた模様.

 ただし,指揮用として使用された,刃のつけられていない模擬刀身の軍刀「指揮刀」もあった.

 なお,余談だが,銃剣のほうは平時には刃はついておらず,「銃剣刃付け」と言う実戦前の儀式が旧軍には有ったそうな.
 戦時は工場で刃をつけて支給されたそうだが.


 【質問】
 軍刀持てるようになるのって尉官から!?

 【回答】
 下士官刀もある.
 これは曹長に下賜されたものだが,歩兵の下士官では,参謀本部付や永年勤務(6年)で英外居住のベテラン下士官以外はつけなかった.
 砲兵,輜重兵の下士官,憲兵(伍長まで)は常に佩用.
 32年式改軍刀は俗に曹長刀と呼ばれた.
 第二次大戦末期になると,95式軍刀が伍長まで支給された.



 【質問】
 整備兵はスプリング刀持ってなかった?

 【回答】
 スプリング刀ってのは,鈴木真哉が書いていたもので,成瀬間次氏の刀工出身の下士官が,自動車のスプリングを材料に作ったという.
 かなり作られたとあるが,どのくらいか分からないし,いずれにしても制式装備じゃない.
 元々は,軍の工場の工員が何も武器を持ってないから作ったそうだが,まぁお目こぼししてくれたんだろう.

 【質問】
 COD5で旧日本軍が敵役として登場するらしいですが,なんと藪から刀で斬りかかってくるそうです(笑)
 実際の日本軍はそんなアホなことしませんよねぇ?

 【回答】
 別に日本軍でなくても,状況次第では藪から刀で斬りかかることはあるでしょう.
 アホな事かどうかは必要性,必然性で決まります

 旧日本軍について言えば,三十二年式,同改(仮制九一式),九四式,九五式,九八式などの各種日本刀型の軍刀を制定しており,それは終戦まで生産・使用されていました.
 これらの一部は,東南アジアやニューギニア,南方島嶼の各戦場で使用されています.

 日本陸軍の将校の場合,小銃を持たず軍刀と拳銃を装備していたので,小銃を撃つことはありません.
 小銃がなければ銃剣も使えないわけで.
 夜間の浸透攻撃とかであれば,たとえ拳銃を持っていても「音を立てるのを嫌って」軍刀を使うケースはままありました.
 部下の兵は銃剣です.
 軍刀を指揮棒のように使ってましたから,傍からだと日本軍の指揮官は銃を持たず,軍刀を振り回しているように見えるでしょうね.

 島嶼の争奪戦になると,日本軍は補給で苦しめられ食糧弾薬の欠乏は常態化しましたが,
「これ以上,軍隊としての組織を維持できない」
となると,上級司令部に決別電報を打って最後の攻撃をかけました.
 玉砕を目的としたバンザイ突撃です.
 温存した最後の弾薬が使われることもありますが,すぐ使い切ってしまうので結局は兵は銃剣,将校は軍刀で藪から飛び出すことになったでしょう.

「藪から刀で斬りかかってくる」
という事象だけを指すのであれば,日本陸軍では充分ありえた,もしくは実際に行った事です.

軍事板
青文字:加筆改修部分


◆◆◆◆拳銃

 【質問】
 日本陸軍では将校の拳銃は自前だったようですが,拳銃である以上特に制限は無かったのでしょうか?
 また,どの拳銃が持たれる事が多かったのでしょうか?

 【回答】
 一応,将校が購入する拳銃としては,南部式,14年式といった国産自動拳銃が主だったようですが,
前者は威力が足りず,価格が高くて品切れ状態,
後者は大型で重すぎ,しかも価格が高い
と言ったモノでしたので,モーゼル,ブローニング,コルト,ベルグマン,パラベリューム,エキスプレス,ハーリントン,アストラ,ユニオン,ローヤル,スター,シムソン,ダントン,ベラー,コンチネンタル,レジナ,ベアード,ビッカース,デモン,ジュピター,ウェブリー,マンリッヘル,グリセンチ,レキザーなど,東西の拳銃なら何でも購入し,装備していました.
 そのため,兵器部や野戦兵器廠は大変だったそうです. 有名どころは兎も角,それ以外のものは使用に耐えうるか,現品を見て,実包を装填し,検査しないといけなかったりするので.

 基本的には,国産以外なら,ブローニング,コルト,モーゼルが好まれたみたいで,特に大陸ではモーゼルが生産されていたことで,部品の供給も容易で,しかも威力があるため,これが結構好まれたりしています.
 前二者に関しては,航空兵が好んで装備していたようです.
 また,蘭印占領時にルガーが3000丁鹵獲されています.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 軍刀の柄が拳銃になっている武器を,日本で作っていたような記憶がありますが,何が目的だったんですか?

 【回答】
 試製軍刀付き拳銃ね.
 騎兵に持たせるとき,二つもよりかさばらない,という発想.
http://www.vesta.dti.ne.jp/~pickles/unchiku/siseikenjuutukiguntou.html

 これ,当時の一時期,儀礼用として各国騎兵の間で流行ったのにも乗っかっているんだよ(笑).
 金銀で装飾された,この手のものは結構ある.
 実用性皆無なんでいまだとバカっぽいけど,第一次大戦前の他国の陸軍だと,貴族様の嗜みとして帯剣求められたりした為,でっち上げられたという話もある.


 【質問】
 明治や大正時代に,拳銃は一般所持が可能なモノだと聞きましたが,これは国などの許可なしに,一般人でも所持可能だったのでしょうか?
 あと外国人が所有可能だったかも知りたいです.

 【回答】
 戦前,特に大正時代から昭和初期には,個人でかなり自由に拳銃が購入できた.
 取り締まる法律はあった(「銃砲火薬類取締法」(明治43年法律第53号))が,実際には「住民票などを提示すれば購入できる」レベルの制限に過ぎなかった.
 昭和10年代だと,大卒初任給が70円の時代に,94式拳銃の値段は80円.

軍事板,2008/08/30(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 戦前の日本国内での拳銃所持は合法だったと聞いていますが,誰でも買うことができたのでしょうか? あるいは何らかの許可制だったのでしょうか?
 または軍人や警察官を除いては,合法ではなかったのでしょうか?

 【回答】
 国家総動員令が施行された昭和14年9月11日以後敗戦まで,銃刀法は事実上の凍結.
 戦前は銃刀法が厳密に適用されなかったので,民間人でも許可を得ずに普通に銃を購入することができたし, 所持している民間人も多かった.
 許可を得ず拳銃を所持していた民間人では,小説家の江戸川乱歩,俳優の榎本健一が有名.


 【質問】
 日本陸軍の将校は,私物拳銃としてブローニングベイビーやM1910等を多く使用していたらしいですが, これらの弾薬補給,特に戦地での弾薬補給はどのようにして行っていたのでしょうか?
 所詮将校の拳銃なんて使うこともあまりないだろうから,補給の要などないのかもしれませんが.

 【回答】
 中国大陸では民間の銃砲店が輸入拳銃とともに弾薬を扱っており,将校が私物で携帯する程度の弾薬なら購入できました.
 ただ,入手の難易はあったようで,例えば生産数の少ない,南部式小型の7mm南部弾などとなると,ほとんど入手を期待できなかったようです.


 【質問】
 南部拳銃ってなんか威力が低いそうですが,
(あくまで,外国の大型拳銃に比べてのはなしですが)
理由は使用弾薬にあるのでしょうか?
 それとも銃の構造にあるのでしょうか?

 【回答】
 使用弾薬のサイズが各国の拳銃より小型だから.
 8mm南部弾は一般に中型拳銃のカテゴリになる.
 ドイツの7.65mmパラベラム弾に相当するが,ドイツ軍は威力に不満で一回り大きい9mmパラペラムを開発する.
 これが軍用拳銃の標準になった.
 当時のアメリカはさらに強力な,.45APCを使用するコルト.45を制式にしてたが,これはちょっと強力過ぎたので現代では9mmパラを採用してる.

 こう書くと十四年式拳銃の性能が低いように聞こえるだろうけど,一概にそうでもない.
 威力と比例して反動も強くなるので扱いにくくなるし,拳銃も大型になる.
 拳銃はあくまでも自衛用(自決用)なので,必ずしも威力にこだわる必要は無いわけ.
 グリップ細いから掌が小さい人でも握りやすいし.

モッティ ◆4yqby7RT36 in 軍事板,2009/08/02(日)
青文字:加筆改修部分


◆◆◆◆小銃関連

 【質問】
 日本の小銃の弾丸の製造量が知りたいです.

 【回答】
 戦前(昭和14年度)の生産数.

*三八式歩兵銃実包   3億2,633万発
*同空包   5,185万発  
*三八式歩兵銃狭窄射撃実包   1,186万発
*二六年式拳銃実包   129万発
*十四年式拳銃実包   318万発
*三年式機関砲(実包/空包)   2,933万発
*十一年式軽機関砲実包/空包)   2,818万発

 昭和二十年度の調達計画によると,
*九九式普通実包   7,700万発
*九九式普通実包(鉄薬莢)   2億6,000万発
*同空包   1,400万発
*十四年式拳銃実包   2,120万発
*九二式普通実包(鉄薬莢)   4,000万発

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE


 【質問】
 旧軍の小銃は一丁一丁手作りで量産に不向きだったといいますが,小銃弾の生産体制はどうだったんでしょうか?

 【回答】
 ほぼ,陸軍兵器廠の第一陸軍造兵廠第1製造所で一手に作られていましたが,関東大震災後に九州小倉に陸軍造兵廠の分工場が作られ,こちらでも銃弾が製造されています.
 一般に造兵廠自体は,最先端の生産設備を導入し,その技術は高いものでしたが,量産技術は余り高いものとは言えず(それでも,民間に比べれば遙かに高い),戦時中も,前線からの要求を満たすことはありませんでした.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 日本式の小銃の射撃の構えを詳しく教えて下さい.

 【回答】
●立射:
 頭は垂直に保て.照準したら,床尾板の位置を,肩と頬につけ固定する.
 この際,あまり肩を上げ下げすると,照準が狂うばかりか,かえって身体を疲れさせる.
 また,銃を構えたとき,右手を緩めたり,床尾板の位置を動かさないこと.
 両足は肩の幅くらいに開き,右肘は凡そ肩の高さに,左肘はなるべく垂直におろした形がよいが,これに拘って,あまり垂直に位置すると,肩が張って銃を構えたときに困難になる.
 各自,体格によって位置を考えること.
 構えたら銃は目標に向けること.

●膝射:
 頭の位置は自然に,臑と肘の突出部を合わせ,状態を真っ直ぐ保つため左足,及び左手の位置を前後して疲れを極力抑える.
 しかし,掌は銃床に必ず密着していること.
 銃把はしっかり握り,人差し指の第二節あるいは第一節根を引き金に掛けること.
 右肘の位置は大体肩の高さに保つことが望ましい.
 左肘と左臑は,なるべく垂直に保つことが望ましいが,あまり無理をすると,肩が張って上体のバランスが崩れるので要注意.
 肩の方向(位置)は場合によって動かしても良い.

●伏射:
 左肘の位置は,肩に無理な負担が掛からぬように,両肘の間隔は,各自の体格によって異なっても,凡そ肩幅に等しい位置が理想的で,銃を構えたとき,あまり窮屈にならぬように少し前の方へ置く.
 また,上体の重みが両肘に均等にかかる位置に置くこと.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 他の列強国がいずれも8ミリ弱の小銃を装備していたのに,日本の三八式歩兵銃は何で,6.5ミリなんて小口径を採用したのでしょうか?

 【回答】
 三十式歩兵銃の以前に用いられていた村田式連発銃は口径八ミリでした.
 しかしこの銃は弾倉がチューブ式で再装填に手間がかかったために,砲兵大佐有坂成章が中心になってモーゼル銃に範をとって開発されたのが,三十式歩兵銃(改良型が三八式歩兵銃)です.
 このとき6mm/6.5mm/7mmの各口径の弾薬がテストされましたが,最も良い成績を収めたのが6.5mm小銃だったために6.5mm弾薬が採用されました.
 またこの時,砲兵会議議員だった井口省吾大佐は「残酷な殺傷は人道にそむき,敵兵の戦闘力を奪えばそれで十分」と主張したことも6.5mm弾薬の後押しになっています.

 ところが,日露戦争で彼我の負傷兵の回復度に差がつき,ロシア兵のほうが回復が早い(6.5mm弾の破壊力が低い)ことが明らかになってしまいました.
 そこで7.7mm弾の研究が始まりましたが,機関銃の発達により歩兵の遠距離射撃が減ったと判断されたのと,携帯弾薬の増加の必要から6.5mm弾が継続して使用されたのです.

 三八式の6.5mm弾は,2000m離れた軍馬を撃ち殺せるほどの威力があり,対人戦闘なら威力は十分でした.
 しかし,車両が発達し戦場に多数登場するようになると,6.5mmでは軽いため,パンチ力に欠けると思われるようになりました.
 そのため7.7mmに移行しようとしましたが結局,戦争後期の混乱に拍車をかけるだけだったと言えるでしょう.

(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE他)


 【質問】
 三八式歩兵銃って,かなり質が悪いと言うのがよくTVとかで言われてますが,どのくらい悪いものなのですか?

 【回答】
 質が落ちたと言われるのは,戦時生産の九九式小銃の事だと思われ.

 三八式の短所
・長い:湿度や温度の変化で銃身が曲がりやすい.しかしこれは,別に日本に限った事じゃない.

・古い:これは何処も一緒.同時代のモーゼルやモシンナガンはもっと古い.

・他国の7.62mm〜7.92mmに比べて口径が小さい.:威力と命中精度の影響が出る

・完全な統一規格じゃない:一丁ずつ職人が仕上げる銃だから,精度に大きなムラが出て,生産性にも影響が出る.九九式小銃では完全に統一規格になる

 長所
・工業技術が未熟な日本でも生産できるように,当時でも単純な構造だったモシンナガンより更に単純な構造になっている.

・当たりを引くととんでもない精度が出る.まあ運次第.

 【参考サイト】
 http://taka25th.cathand.com/newpage224.htm


 【質問】
 三八式歩兵銃は名銃か否か,軍板の皆さんのご意見を頂戴したいです.
 亡くなった祖父(逓信省から無線兵に.一発も実戦で撃たず)が酷評していたので.
 とにかく重くて長くて扱いにくいと.
 祖父の体格は身長162センチの中肉中背.当時の日本人としては標準に近いかと思います.

 【回答】
 明治の設計の銃なので,工場での大量生産に向いていないなどの問題を除けば名銃です.
 他国の小銃と比べても特段重いということはなく,口径は小さく比較的長銃身ですが,それを改善した九九式短小銃より,兵の中には命中精度の高さから,三八式を好む評価も少なくありませんでした.
 極々一部のとても良く出来たヤツは,欧州の狩猟家に愛用されていたりもしますよ.
(職人お手製なので,稀にそういうのが出来た)

 当時の日本人男性の平均体格からすれば,着剣した三八式は長くて重いものであったかも(160cm/4.1kg).
 ただ,旧軍は銃剣突撃の白兵戦を主眼に据えていましたから,長くなるのは仕方ありません.
 もっとも,銃剣突撃が半ば無意味化されかかってる時代になっても,そのまんま使い続けてたのは大きなマイナスでしたが.

 また,三八式は当時の小銃の中ではKar98と同等と,比較的軽い部類に入り,ロシアのM1891,イギリスのリー・エンフィールドなどの方が幾分重くなっています.

 そして銃というのは軽くすればするだけ,射撃時の反動でぶれ,命中精度が落ちてしまいます.
 理想的な精度を持たせるには最低限これだけという重量があるので,無策に軽くすればいいというわけにはまいりません.

 弾の設計に現代のような工夫がなかった時代,「威力」は弾の重さと速度(の自乗)で決まりました.
 そして有効射程も弾の重さと速度(厳密には初速と「弾の重さ÷弾の前方投影面積」で決まります.
 累常数が違いますので,威力と有効射程の調整余地はありますが,反動を含めた実用性を考えますと,余地は限られます.
 貫通力も威力のうちに数え出すと,有効射程と威力はほとんど比例してしまいます.
 そもそも「有効射程」の定義は「威力」込みです.
 「日本人の体格に合わせて」軽く(=威力を低く)短くしたら,列国の軍隊と戦った時に不利になってしまいます.
 戦車がそうであったように,他国の軍隊と他国の土地で戦うことを考えると,自国民の体格に合わせることを第一にはしてられない,というのは止むを得ません.

 それでも基本的な方針として,小口径(軽弾重)高速で行くか,大口径(重弾重)低速で行くかという選択はあり, 前者の方が銃の重量を節約しやすく,反動も比較的マシになります.
 三十八式は前者の選択をしており,十分に最適化の工夫はされています.
 6.5mm弾薬は反動が少ないために,全自動射撃を行うアサルトライフルにも使用できると言われており,あれ以上威力を落としたら,当時の比較的距離のある戦闘では役に立たなくなったでしょう.

 ちなみにどこの国の軍隊でも,身体がでかいアメリカ軍でも,装備,特に常時手に持ち肩にかけてる銃を,「重い」と不平垂れない兵隊はいません.
 人間とはそういうものです.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 大東亜戦争で日本軍が使っていた三八式歩兵銃の性能は,他国のと比べてどうなんですか?

 【回答】
 手動連発式のボルトアクションライフルとしては標準的なもの.
 ただ,工業技術力の限界から安定した品質のものを量産できてなかった,という問題があったが.

 あの当時,自動連発式の歩兵用火器を広く装備できてたのはアメリカくらい.
 それは当時の戦闘形態では,小火器で弾幕張る必要性がさほど認識されていなかったこと,当時の兵站では多量の弾薬消費を支えきれなかったことなどの事情があり,アメリカが単に例外.
 日本も含めて,弾薬の生産と補給体制が,莫大な弾薬消費を支えられるような国はアメリカくらいしかなかった.

 ソビエトは「とりあえず撃ちまくるだけなら訓練をほとんどしなくていい」という理由で,イギリスは「緒戦の敗退で大量に装備をなくしたから」という理由で,機関短銃を歩兵用の火器として大量生産して装備したが,これらは拳銃弾を使うので威力・射程共に劣っている為,単純に比較できない.

 まぁ日本は機関短銃の全面導入という面では他国に激しく遅れてたが・・・.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 旧日本軍が使用してた38式小銃って,当時はどれくらいの評価だったのでしょうか?
 例えばベトナム戦争ではM16より,敵兵が持ってたAK47を米兵が使ってたり,イラクでも同様の事が起きてるそうですが,米兵からも評価が高かったりしたのでしょうか?

 【回答】
 ベースの三〇年式が,ロシアの小銃を性能面で上回っていて,日露戦勝の要因とされ,開発者の名をとってアリサカライフルと呼ばれ有名になったほどで,それに改良を加え,実用性を高めた三八式の評価も高かった.

 高初速で反動の少なく,小銃を使用する競技には使用禁止とされるなど命中精度が高く,優秀な小銃ではあるが,口径が6.5mmということで殺傷能力が比較的低く,また構造上量産に向いていなかった.
 それらを改善したのが後に更新された九九式小銃だが,これは戦後にキングオブボルトアクションと評価された例もあるように,乱造の不良品でなければボルトアクションとしてはかなりの代物となった.

 ただし下手に敵を殺すより負傷させたほうが効果的なことと,口径が増えたことで反動も増し,命中精度が落ちたことで,兵の間では三八式の方を好む声も少なくなかった.

 よくアメリカの自動小銃と比べて叩かれることがあるが,当時の小銃というのはドイツもソ連もイタリアもイギリスも,もっと古い19世紀の設計の小銃を使っていたわけで,自動小銃を兵に行き渡らせていたのはアメリカだけと言う事を考えれば,そこまで悪し様に言われるほどのものでもない.
 WW2当時としても,小銃としてはそれなりのものだった.
 銃器マニアや研究者方面には,現在もそこそこ評価を受けている銃だ.

 それ以降の小銃の進歩によって,連合軍側の装備に性能面で差を付けられていったが.

 まあ現代の評価では,どちらかというと使用弾薬の方の評価によって,38式本体も評価がされているという面も大きい.

軍事板,2008/12/11(木)
青文字:加筆改修部分

 米軍の場合,潤沢に武器弾薬が供給されたので,鹵獲兵器を大々的に使う事はなかった.
 兵士が拳銃や軍刀を集めたのは戦力としてより土産として.
 アリサカライフルは反動が少なく扱いやすい,発砲炎や音が小さく見つかりにくいといったメリットはあったが,わざわざ米製の兵器を捨てて使うほどのものとはとられてなかった.少なくとも一般的には.

 鹵獲されたアリサカライフルは,やはり土産としてそれなりの数が本国にわたり,狩猟用などに活用されたという.
 まあ独製火器も優秀な割には,大々的に鹵獲使用されなかったわけで,こんなものではないかと.
 チェッコ機銃やAKの耐久性ぐらいのアドバンテージがあれば,兵器体系に組み込まれたりするけどさ.

モッティ ◆uSDglizB3o in 軍事板,2008/12/11(木)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 日米両軍の小銃,M1ガーランドと38式とを比較すると,どんな優劣がありましたか?

 【回答】
 ガーランドは,WW2当時としては先進的なシステムを持った優秀な自動火器であり,現在でも生産・販売が続けられています.
 一方38式は,昭和16年にすでに生産が停止された(異説もあり)旧式な手動式の銃で,パーツの互換性も十分でなく,威力の面でもガーランドに劣っています.
 38式と比べての,ガーランドの不利な点といえば,せいぜい,途中で追加の装弾ができないことと,射撃後にクリップが飛ぶことくらいでは?

 当時の現場の兵隊さんの話を読んでも,自動火器を羨ましがる記述は多くありますが,38式の方が優れているなんていう記述は,ついぞ見たことがありません.
 また,日本はM1ガーランドのコピーを行っていますが,これはガーランドが38式以上に優れた兵器であることの証拠になるでしょう.

 そもそも,日露戦争後すぐの明治生まれの銃と,その30年もあとに生まれた銃を比較すること自体,ナンセンスでありますが.

極東の名無し三等兵◆5cYGBbCsjQ in FAQ BBS

 そういえば皇軍はトグルアクション型の自動小銃も試作していたなぁ…
http://www.carbinesforcollectors.com/pedersen.html

ウィナ・ツァハル in FAQ BBS


 【質問】
 旧軍の38式歩兵銃はほぼ職人の手作りだったため精度の高いものがあり,それらが今現在でも狩猟用に使われていると聞きましたが,今でもその38式用の保守部品などは作られているのでしょうか?
 また,いくら当初の精度が高くとも,使用の経過で部品が摩耗し,また部品を交換する事で精度が落ちてしまわないのでしょうか?
 さらに,今現在において,現代の狩猟用小銃と比べてわざわざ38式を使うメリットは存在しているのでしょうか?

 【回答】
 38式歩兵銃の威力は,鹿などの中型の獣に対して適当な威力を持ち,また反動も小さい為に扱い易く,狩猟用として人気が有りました.
 なのでごく最近まで6.5mmJAP弾が製造されていました.
 部品に関しては,破損した場合にはガンショーなどで現物を確保して部品取りするか,ワンオフで製造するしかなく,また部品取りする場合でもガンスミスによりフィッティングが必要でした.

 弾薬の威力としては前出の通り,扱い易く適切な威力で,何よりその弾道性能は現代でも良好な部類です.

 余談ですが,各国の次期主力小銃の弾薬の候補として6.5mm〜6.8mm口径の弾薬が上がっており,ある意味で先見性のあった設計であった,とも言えます.

三等自営業 ◆LiXVy0DO8s in 軍事板
青文字:加筆改修部分

 まあ,「先見性」云々はジョークでしょうが.


 【質問】
 99式小銃は,どの程度いきわたってたでしょうか?
 一部の師団しか行き渡らずに,38式装備の部隊と前線で混在して,弾薬補給に混乱をきたしたと聞いてるが.

 【回答】
 九九式小銃の量産は太平洋戦争開戦とほぼ同時期の昭和16年頃に立ち上がり,昭和17年以降は年間50万丁〜100万丁規模の量産が行われています.
 九九式の量産開始と前後して三八式歩兵銃の生産はディスコンになっています.
 例えば昭和18年の1年間だけで,三八式の生涯生産数を越える数の九九式が生産されており,太平洋戦争中に使用されたのは圧倒的に九九式の方が多いのです.

 三八式から九九式への転換は基本的に師団単位で実施されており,例えば関東軍を引き抜いて南方へ投入する際に転換したり,師団の再編成に同期して転換したりと,陸軍補給廠としても異口径の小銃が混在しないよう,一応の配慮はしていたようです.

 しかしながら,昭和18年以降は海上輸送そのものが途絶するという事態が頻発するようになり,南方の島々では,九九式を受領することなく玉砕してしまった師団も少なからずありました.

 小銃の口径を変更するという決断を,開戦とほぼ同時期に着手したために,現場での転換作業はかなり混乱しましたが,それでもまだ機関銃に比べれば小銃はマシな方なのです.
 九九式実包を使用する九九式軽機関銃の量産は,九九式小銃ほどスムーズには立ち上がっていませんし,一式重機関銃に至っては量産すらされていません.
 その結果,最前線では小銃(九九式実包,7.7mmリムレス,弱装弾),軽機(三八式実包,6.5mm),重機(九二式実包,7.7mmセミリムド,強装弾)の間で使用する実包が異なる……という,何と形容してよいのか分からないような事態も現出したわけです.


 【質問】
 九九式歩兵銃は三八式の単なるボア・アップ版と考えてよいのでしょうか?

 【回答】
 九九式は,三八式に比べ,口径増大に伴う所要の改修と,製造の簡易化に主眼が置かれています.
 口径以外の変化としては,
・全長が1276ミリから1118ミリに
・照準具が対空射撃可能なものに
・折りたたみ式の単脚が付く
なんてのが主なところです.


 【質問】
 九九式小銃の実包(実弾)って,九九式軽機関銃や九二式重機関銃と互換だったのでしょうか?

 【回答】
 九九式に使用するために開発された実包は二種類あり,九二式普通実包は,セミリム付で13.2g.
 これは主に九二式重機関銃に使用されていますが,九九式小銃,九九式軽機関銃では使用不可能です.
 九九式普通実包はリム無しでこれより軽く,11.8g.
 この弾薬は九九式小銃,九九式軽機関銃は基より,九二式重機関銃でも使用可能でした.

 7.7mm実包は,92式と97式,99式,4式の4種類があります(普通実包の場合).
 92式重機は,3種すべての弾薬が使用できますが,それ以外の7.7ミリ銃は,99式と4式しか使用できません.

 92式重機で,92式実包以外を使用すると,若干性能が低下します.
 他の2種の弾薬は,装薬が減らされているためです.

軍事板

 九七式は,九七式車載重機関銃用のものです.
 九七式車載重機関銃は,試作時は九二式実包(セミリムド)を使ったのですが,第4次試作品の時点で,第3次試作品より弾倉機能が不良だった物を当時,完成していたリムレスの物で試したところ,良好な成績を示したので,九二式を無起縁に変えた実包をこの銃用としたそうです.
 銃自体も無起縁に適合させたので,半起縁の九二式は使えなくなったようです.
 つまり,昭和十二年の時点で九二式実包とは別に九七式実包が存在します.
 詳しくは,佐山二郎著「小銃拳銃機関銃入門 日本の小火器徹底研究」(光人社NF文庫,2000.9),p.360〜362,405〜406等参照してください.
 余談ですが,同書によれば九九式実包の薬莢と雷管は九七式と同じだそうです.

 他の本でもこの名前は出てきます.
 ただし,九二式実包でもリムレスなものが存在するようですので,もしかするといつの間にか名称が無くなって,実質的に九二式を置き換えたのかもしれません(謎)

 もっとも,オリジナル7.7mm弾で実射している(どうも欧米互換品だと横転弾がでるそうで)Peterさんは,九二式のセミリムドを加工してリムレスにして撃ったことはあるけど,無起縁九二式の存在は気づかなかったそうです.
 本人,反動,気にならないそうで(アメリカ人),鈍いからといってます.
(しかし,ネット上の他の記述に比較すると無事に使えてるのも凄いかも,掲示板上の日本語での会話なので,全てを伝えてきていない可能性もあり)

 なお,アメリカでもオリジナルの薬莢に合う雷管が入手出来ないため,薬莢の再利用は出来ないようです.

 ただ,ネットの掲示板でお話ししながら得た知識ですので公式な物ではありませんが,「しゅんじ」さんの所の掲示板
http://6202.teacup.com/shuntachi/bbs
で,以前,Peterさんという,日本製小銃をコレクションして実射しているという方(仲間を含めて,コレクションの一部は津野瀬氏の本の写真にも使われているとか)の話では,槓桿操作を手早く(勢いよく)行えば大丈夫と書かれてました.
 また,内部を一カ所?削れば使える(けどやらない)とも書いています.

部外者 in FAQ BBS

▼ 旧軍の7.7mm弾の件で九七式と九二式の関係についてですが,こういうキャッシュをみつけました.

 アジア歴史資料センターにあるそうです.
・九二式重機関銃外1点弾薬中改正の件 【 レファレンスコード 】 C01001857200

部外者 in FAQ BBS


 【質問】
 戦争末期の九九式小銃の精度は,どの程度だったか?

 【回答】
 戦後,それを再使用した自衛隊の検査によれば,まともに動くものは殆どなかったとか.

◇   ◇   ◇

 先日,光文社NF文庫に「幻の自動小銃」という本が収録されたので,早速買って読んでいます.
 戦時中の九九式小銃製造の話から,旧陸軍のピターゼン自動小銃を基にした自動小銃の開発,ガーランドを基にした旧海軍向け自動小銃(ぉぃ)の試作と言った話から説き起こし,その技術と経験を生かし,尚かつ各国の技術を基に,自衛隊最初の自動小銃である六四式自動小銃を開発していくお話です.

 警察予備隊から自衛隊になるまで,米国のM1自動小銃を供与されたのと共に,韓国に渡して,「こんなんいらん!」と突き返された旧陸軍の九九式小銃改悪版なんてのを当時の自衛隊員は使っていた訳で.
 試作銃や平時では非常に精巧に作られていた九九式小銃も,数が必要とされる戦争末期の日本では,兎に角一発弾が出れば良い,一丁でも余分に欲しい,と言う軍部からの要請の下,どんどん機構が簡略化され,どんどん精度が悪くなり,更に空襲などによる物資不足やベテラン工員の不足からどんどん工作も悪くなっていく有様.

 それが大量に余ったから,朝鮮戦争で小銃が必要となった米軍は,その九九式小銃に目を付け,米軍の弾薬が使えるように改造して,韓国軍に供与した訳です.

 元々,日本の弾薬は米国のそれよりも威力が小さかったのに,この改造のお陰で,バランスが崩れてしまい,5発撃てば肩が反動で腫れると言う恐ろしい銃になってしまいました.
 これでは恐ろしくて使えないと,韓国軍は米軍に返還し,それが回り回って自衛隊に再供与されました.

 しかし,案の定此処でもクレーム続出.
 槓桿を押して閉鎖しただけで発射して掌を負傷したとか,安全装置を掛けていても引き金に触れると発射したとか,射撃中に銃身が割れたとか….

 そこで,1961年に500丁のそれを再検査することとなりました.
 結果,尾筒の合格数は僅かに2個.
 遊底,撃針,安全子の合格数ゼロ.
 撃針止バネの合格数37.
 組付け状態での合格,ゼロ.
 逆鈎の機能で合格したものは126….

 この報告を聞いた陸上自衛隊は,即刻,これらの小銃の射撃禁止措置を取り,スクラップにしたのだとか.

 戦中や戦後の工業史と言うのは,民間技術については,先日終了したプロジェクトXの様に,絵になるからか,良く取り上げられます.
 しかし,軍事技術というのは,この国の戦後の来し方の所為でしょうか,殆ど表に出ません.
 しかも,良かったことや誇れる技術については色々と取り上げられていますが,この本の様に,失敗したケースとか技術的思索の流れという面から述べた本というのは,最近でこそ,ぼつぼつ出てきていますが,未だ中々表に出ません.
 失敗例や試行錯誤の過程こそ,本質を見極める要諦ではないかなと思ってみるのですが….

 成功した話の方が語る方も心地良いんだろうなぁ.

眠い人◆gQikaJHtf2 in mixi


 【質問】
 太平洋戦争末期に日本軍部は,本土決戦にそなえて民間人に竹槍や毒矢を供給して米軍に対抗するつもりだった事は有名ですが,博物館等にあった火縄銃や,スナイドル銃等の骨董品を,本土決戦に備えて供給する計画はなかったんでしょうか?
 少なくとも,竹槍よりかははるかにましな気がするんですが?

 【回答】
 実際本土決戦に備えて火縄銃を持ち出そうとしたという話はある.

 また,マタギから村田銃を徴発して,旧式銃(火縄式)をあてがってもいる.
 しかも火薬の供給が絶たれた上に,上納する獲物の数は減らされなかった
 黒色火薬では射程距離が短くなるため,少しでも威力向上させるための火薬の製造に苦心したという話が残っている.

 ただ,スナイドル銃みたいなのは, 戦前に泰平組合が海外に売っ払ったから,それほど数が残ってなかったのかもしれん.
 泰平組合結成以前にも,いらない銃は結構中国なんかに密輸していたようだし.

 旧式銃以外では,軍が研究していた兵器に「国民簡易小銃」というのがあった.
 「藤田兵器研究所」で検索して,そこの「歩兵兵器研究部」の「小銃」っていうコンテンツの下の方を見てみよう. 悲しくなってくるぞ.


 【質問】
 じいちゃんが中国戦線に居た時,三八ではなくモーゼルM712?を装備していたと言っていたのですが,日本軍が支給した事はあったのでしょうか?
 モーゼルにとても詳しく,どうやら本当らしいのです.
 戦利品とも考えられるのですが・・・.

 【回答】
 鹵獲品を再配布で支給されたり,個人的に調達した例があります.
 全自動切り替え式のM712ではなく,C96等の半自動モデルが大半でした.

三等自営業 ◆LiXVy0DO8s

 中国軍(中華民国軍)はモーゼル拳銃を制式装備にして大量に導入していたので,日本軍は捕獲兵器として大量に入手した.
 戦利品を個人的に持ってる将兵もたくさんいたし,部隊によっては,集めさせた銃と弾薬を武器係に整備させたあと,改めて部隊の将兵に配備して装備させたりしている.

 付け加えると,中華民国の各軍閥はモーゼル・ミリタリーがいたくお気に入りで,勝手に自前の兵器工場でコピー生産したりしている(当然,無パテントの海賊版).
 特に元祖のモーゼルC96を,スペインのアストラ社がコピー生産してフルオート機能を追加したものが好まれて,これを各軍閥が自前の工場で大量に作って使用していた.

 で,海賊版がガンガン作られてるのが気に食わない(というか,大損害だよな)モーゼル社は,自社オリジナルでフルオート版を開発,中国市場に送りこ込んだ.

 モーゼル製の正規品だけでもセミオート型が10万丁以上(20万丁とも30万丁とも), フルオート型が11万丁余り中国に販売されていて,これに海賊版を含めると,それこそ天文学的な数のモーゼルミリタリーが中国大陸で使用されていたと見られる.


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