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「平和ミュージアム 旧日本陸海軍博物館」◆別館 陸軍主要兵器写真館>高射砲及び防空兵器


 【質問】
 戦艦大和の対空火器はレーダーと連動してないから駄目だ,としばしば言われますが,逆に連動している,第二次大戦中の対空火器というのはどういうものなのですか?

 【回答】
 有名なものでは米海軍の5インチ38口径砲がそうですね.
 米海軍では射撃用レーダーとしてMK.4レーダーを採用しており,これに射撃指揮のための計算システムを組み合わせたMk.37GFCS(射撃指揮装置)を,駆逐艦以上の中/大型艦に搭載していました.
http://www.de220.com/Armament/Fire%20Directors/Mk%2037/FD%20&%20Mk%2012.jpg
 これは射撃に必要な測距議と照準機・さらに計算装置を組み合わせており,それにレーダーで収集したデータを取り込む電波式測距・測角を取り入れたもので,従来のものより測距精度が向上しています.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE :軍事板,2005/11/15(火)
青文字:加筆改修部分

 ただし,連動してる,というのには語弊がある.
 第二次大戦下でいえば
射撃管制の対空目標の指示→各銃座が射撃
という流れなので,レーダーを使用しているかは射撃管制に拠る.
 それに通常夜間射撃に使用するものであり,だから大和の対空射撃は効果が無かった,とは言いがたいと思う.

 地上の話では,レーダー管制と対空射撃を上手く連動させたのはドイツ軍.
レーダーで敵爆撃機を捕捉→対空砲で見越し射撃
と迎撃し,恐らく二次大戦中では最も優秀な対空射撃能力を誇っていた.
 詳しくはミリタリークラシック(何号かは忘れた)に掲載されているので,書店に行くべし.

軍事板,2005/11/15(火)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 名古屋の高射砲陣地の笠寺について知っていることがあれば,なんでも教えてください.
 隊長の名前とか知りたいです.よろしくお願いします.

 【回答】
 1942年に熱田神宮と三菱などの航空機工場を防御するために,高射砲4門(後に6門に増強)する陣地を,見晴台遺跡の上に構築したものです.

 本陣地には,八八式七糎高射砲6門を有する一個中隊(敗戦時には第124連隊第8中隊の300名)が駐屯していたほか,1944年11月からは,名古屋北部の茶屋ヶ坂陣地から移動してきた高射砲大隊本部(第124連隊第2大隊の200名)が配備されていました.
 上級部隊は高射第2師団.

 『高射戦史』(下志津(高射学校)修親会編著,田中書店,1978.12)によれば

高射砲第124聯隊
 第2大隊長 中原源治少佐
 第8中隊長 占部 弘大尉

敗戦時の連隊長は,山田正樹大佐です.

 中隊陣地は半径45mで南側に半円を描くように,25m間隔で6基の砲台を構築し,中隊長はその内側中央に位置,観測班は前面に,通信班が背後に配置されています.
 これら戦闘空間の後方に中隊事務所,兵舎,炊事場,便所,浴場など日常生活空間がありました.

 大隊本部は,麾下の6個中隊との通信が主な任務でした.
 中枢部には戦闘指揮所の他,電波標定機タ号III型送信機と受信機(つまり電探ですね)があり,指揮所地下には通信交換所がありました.

 このほか陣地内には,撃墜機数を示す敵機撃墜柱が20数本建てられ,撃墜したB29の機体の一部が展示されていました.

 砲座はコンクリート製で断面凸型の砲床を構築し,周囲に防御用の土手を巡らしています.
 出入り口はスロープ状で,外縁部三カ所には砲側弾薬庫がありました.
 通信事務所は東西15m南北4.8mの長方形で,周囲に溝が掘られ,その中にはコンクリート製の通信ケーブル埋設管が入り,陣地外と通信事務所,砲台に連絡していました.

 高射砲第124連隊は,1944年4月19日に編成されています.
 これは1941年11月8日に名古屋で編成された,中部防空旅団麾下の防空第15連隊を,装備,人員は其の儘に改称,改編したものです.
 高射砲の定数は,編成当時は4門でしたが,ドゥーリットル空襲を受け,1942年9月に6門に増強されています.

眠い人◆gQikaJHtf2(青文字)他 in 軍事板


 【質問】
 帝国海軍の主要対空火器は,なぜ89年式12.7センチ高角砲の次は96式25ミリ機銃なのでしょう?
 この間に相当するのは,米軍ならば40ミリ4連装機銃ですが,これに近い火器として,何か帝国海軍では開発されましたか?
 あるいは,陸軍には,艦載可能な高角砲か機銃があったり開発中だったりしませんか?
 教えてください.

予備役間近 : 軍事板,2005/12/11(日)
青文字:加筆改修部分

 【回答】
 日本は大口径機関砲をどちらかと言えば不用と見なしていたから.
 あと,日本の技術力では大口径の機関砲が開発できなかった.
 25mm機銃はフランスのホチキス社の物が基礎になっている(というかほとんどデッドコピー)が,参考にするような外来品もなかったし.
 一応英国から40mm機関砲を輸入,対水雷艇用に装備した時代もあったが,基本的に30mm以上の大口径機関砲は「機関砲としては大きすぎ,砲としては小さすぎ」であるとされていた.

 25mm以上の機関砲としては一応30mm機関砲があったが,むしろ海軍の25mm機銃を航空機に搭載すべきだったといえる.

 なお,縄張り争い以上に,陸軍の高射砲は発射速度が低いわ,射程高度が低いわ,そもそも数が足りないわで,とても艦艇に載せるような余裕はない.

 ついでに書くと航空機用機銃は,陸軍が7.7mmからイタリアから導入したブレダの13mm機銃を導入したが,故障がひどくて使い物にならず,ブローニングの流れ(というかやっぱりほとんどデッドコピー)の機構の13mm機銃,ホ-103を開発(一応独自に改良.でも結果的には改悪.尚弾の規格だけはブレダと同じ).
 それでも威力不足なので,ホ-103を拡大したホ-5 20mm機銃を開発したが,配備を急ぐあまり最終試験も済んでいないのに量産品を製造,性能がちっとも安定しないスクラップを量産した.

 海軍は海軍で5式30mm機銃を開発.
 これはほとんど日本独自の設計のそれなりに優れたものだったが,やはり配備を急いだのと戦争末期の工業力の低下で,マトモな量産品がほとんど作れず,故障続出で実用にならなかった.
 一応は実戦でも使われているが.

 ということで日本には大口径機関砲を開発/生産する工業技術力が乏しい.
 40mmクラスの対空機関砲を艦艇の対空兵装として大量に装備するなど,夢のまた夢であったろう.

軍事板,2005/12/11(日)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 九六式二十五粍高射機関銃は,陸軍でも使用されたんですか?

 【回答】
 昭和19年中期以降,陸軍の高射機関砲(九八式二十粍高射機関砲)の不足を補うため,海軍から移管されましたた.
 陸軍での呼称は「九六式基筒単装二十五粍機関砲」(連装のものは「九六式基筒双連二十五粍機関砲」).
 陸軍では移管された機関砲により「特設機関砲隊」を72隊?編成し,セレベス,フィリピン,マレー,スマトラ,パラオ,小笠原(硫黄島・父島),八丈島,台湾,宮古島,大東島などに配備しました.
 八丈島に配備されていた「特設第41機関砲隊」の例では,隊長以下85名で25ミリ粍単装機銃12を装備していました.
 なお,部隊名に「特設」という語が入っていますが,正規に編成された部隊であり,現地で臨時に編成された部隊ではありません.


 【質問】
 九八式高射機関砲について簡単に教えてください.

 【回答】
 本砲は中低高度用対空火器として局地防空に用いるために制定されたもので,口径は20ミリ.
 六門で機関砲中隊を編制して師団防空に当たったり,基地の警備に当たる飛行場大隊に数門配備されて基地防空の任に付いた砲です.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板


 【質問】
http://www.yomiuri.co.jp/zoom/MM20070606121434092M0.htm
 この高射砲はなんですかね?
 88式か,99式じゃないかと思うんですが.
faq01k18b.jpg

http://www.zakzak.co.jp/top/2007_06/t2007060631.html
 これによると口径3.3センチとあるが,中途半端な数字ですし,間違いですかね?

 【回答】
 本砲は二式二十ミリ高射機関砲(ケキ砲Ⅰ型)です.
 最初,砲身や砲の大きさのみを見て九八式高射機関砲と判断しましたが,砲架の形状から明らかにケキ砲であると思われます.

 二式二十ミリ高射機関砲はドイツの2cmFlak30機関砲の設計を取り入れてて九八式高射機関砲を改良したもので,自動貨車で牽引して単砲で運用する形式のものをケキ砲Ⅰ型,6門を1台の指揮装置から電気系統で同時に照準して射撃を行う射撃システムを二式多連二十ミリ高射機関砲(ケキ砲Ⅱ型)と呼称しています.

 zakzakの記事ですが,そもそも30mm前後の口径の高射機関砲が日本軍には存在しませんし,それより上となると一式三十七粍高射機関砲(ラ式)かボ式四十粍高射機関砲ということとなり,まずありえない.
 間違いでいいんじゃないかな.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板FAQ BBS

 皇居直衛の高射第一師団機関砲第一大隊・近衛機関砲第一大隊・川崎の同師団機関砲第四大隊がケキ砲抱えてたみたいで羽田に埋められてもまぁおかしくはないかという辺りもあるし.
http://www2u.biglobe.ne.jp/~surplus/tokushu28.htm

 ついでにケキ運用陣地跡のような遺物の写真ページ.
http://officers.hp.infoseek.co.jp/22ikou/ikou-tokyo-konoe-aa.htm
 ケキは確か砲座6+高射算定装置で動いてるんで,台座が7個あるここで使ってたのかなぁと思ったり.

たれ in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 どうでしょうか……
 ケキ砲は生産数が20門を割ってますから……
http://www.shima.cc/shimanet/old/vc/ss/98ss.html
では16門,オレの手元の資料『日本陸軍兵器集』(ワールドフォトプレス,1979.10)では12門となってます.

 4門編成だとしても,わずかに3~4セット(3~4個中隊分)でしかなく,この機関砲は事実上試作の域を出てません.
 これが出たというのなら,ちょっとしたお宝ですけど,それは厳しいのではないかと……

 ケキ砲だという積極的な証拠が無い限りは,九八式だと考えるのが,無難だと思います.
(ロマンもクソもないけど)

 「2門が折り重なった状態で……」と記事にあるから,双連20ミリ高射機関砲かな?とも思いましたが,あの機関砲はそもそも生産ルートにすら乗ってないし……

極東の名無し三等兵 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」


 【質問】
 獨立照明中隊って何?

 【回答】
 獨立照明中隊(250名,照空燈64臺)は,野戰高射砲兵旅團司令部の下に1個配属された部隊で,通信班,第1分隊(照空燈),第2分隊(照空燈),第3分隊(聴音機),並行李車より成ります.
 高射砲1箇中隊に就きサーチライト3臺(故障の場合は聯隊の豫備5臺から補充)が対応しており,夜間空襲があると,聴音中隊の発する警報に従って行動を開始し,強力なサーチライトで目標を捕捉します.
 照空燈の操作は,照準手が照準鏡で目標を捕捉し,照準鏡で追尾していくと,これと電氣信號で連動している照空燈が動いて同様に目標を照射します.
 その動きは,やはり電氣信號で高射砲中隊の自働算定具(照準計算機)に同時に伝えられており,その後は型通りの射撃となります.

 【参考ページ】
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/8926/hensei-aa.html#shomei
http://www.warbirds.jp/sudo/artillery/artillery_2_1.htm
http://www.warbirds.jp/sudo/artillery/artillery_2_3.htm
http://www003.upp.so-net.ne.jp/Zbv/sub17.htm
http://www.city.komae.tokyo.jp/index.cfm/11,3378,102,282,html
「google books」:命綱の記憶 著者: 伊藤順子

【ぐんじさんぎょう】,2009/5/9 21:00
に加筆

今回も幾つか日本軍写真を購入しましたが,その中でもちょっと面白かったのが,大正時代の中頃にアメリカから輸入したスペリー・デュプレックス照空燈車

 これは,良く本にも紹介されている物と同じ写真なので,アルバムに貼られていた物ですが,当時教育用に配られた写真でしょうか.

 その後のレーダーを思わせる様な,突き出たライトと,反射鏡の形状のスペリー式照空燈(サーチライト)が面白い.
 また,出版物ではトリミングされていた左側に,日の丸付きの閉塞気球も見えます.

よしぞうmaro' in mixi,2007年05月30日02:09

92式重装甲車(左)と並んだ探照燈

よしぞうmaro' in mixi,2007年08月30日02:19

 獨立音響中隊;
 重低音音響兵器,長距離音響装置(LRAD),スクリームを装備する.
 別名クラウザー隊.

しまだ in mixi,2009年05月09日 15:08


 【質問】
 1930年あたりのLIFEの大戦直前の日本軍の記事に載っていた,人の身長の3倍ほどありそうな軍用の車載巨大トランペットは,何という名称なのでしょうか.
 写真には確か,gigante trumpetとか書いてあったと思いますが,google検索しても目ぼしい情報がなく.
 何本もの数メートルはあろうかというホーンと有機的な曲線を描く導音管,こんな巨大楽器を載せた車が十数台並んでいる姿はなかなかに雄大で,なにげに興味引かれたもので.

 【回答】
 音波兵器です・・・・としたいですが,楽器でもなく,大戦初期に各国で使用された防空部隊の聴音機です.

一等自営業 ◆JYO8gZHKO. :軍事板,2004/11/23
青文字:加筆改修部分

 レーダーなどが無い時代,航空機のエンジン音を聞いて方向と距離を定めて,対空砲火を誘導しようとした代物です.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2004/11/23
青文字:加筆改修部分

 ドイツのものでは聴音機のそれぞれ左右及び上下のラッパが捉えた音をたよりに聴音手が旋回ハンドルを操作する.
 ラッパで拾われた音は振動板に導かれる.
 ラッパが音源に正しく向いていないときは(上下or左右)二つのラッパから来る音の位相差で板が振動し,それ(うなり)が計器に振れとして表示される.
 ラッパが音源に正向すると位相差はなくなり,メーターの振れがなくなる.
 三人目の聴測手が計器を見て,上下及び左右それぞれの振れがなくなったとき,聴音機は目標に正しく向いていることがわかる.
 これで測定された目標の方位と高度をもとにサーチライトが照射され,それに向けて高射砲を撃つ.
 後にこの聴音機がレーダーに取って代わられるわけだ.

軍事板,2004/11/23
青文字:加筆改修部分

 余談ながら,第二次大戦末期,日本では,喇叭の大げさなものではなくとも,穴を掘ってそこに跳ね返る音を聞いて方向とか距離を判断したりした対空監視所が多数作られたりしています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2004/11/23
青文字:加筆改修部分

▼ 戦前,防空機材として,必ず雑誌などに紹介されていたのが空中聴音機と言うものです.

 これは音波の集束拡大とピノラール原理に基づく方向判定を企図しています.

 前者は,遠方の人の言葉を聞くのに,耳に手を当てて聞く様な構図,後者は,人間の耳が二個あることと同じで,両方の耳から入った音が脳内で音像を結び,これで音の方向を探知することが出来ると言う原理を応用したものです.

 但し,人間の耳とは違って,航空機からの音源を特定するためには,左右位置だけではなく,高低位置も判明させる必要があります.
 このため,聴音機は一般的に高低用に2個,左右用に2個,都合4個の喇叭を使う構造を採っています.
 この構造のものは,その形式通り,喇叭型空中聴音機と呼ばれていますが,喇叭の数を増せば,より音を集中することが出来るわけです.

 喇叭を増やしていくと,蜂の巣状になります.
 これで音を集中させたのが,ペラン蜂の巣型空中聴音機で,30年代の主流はこちらでした.

 一方,大規模なものになると,照空灯の逆で,音波を放物面の反射鏡に反射させてこれを焦点に集めて聴取しようとする反射鏡型空中聴音機がありました.

 これら聴音機は,都市防空用と野戦用の二種類が作られ,一般的に前者の方がより大規模です.
 その性能は,最も良い状態で,10,000mに及びますが,実用的な距離としては,6,000m,誤差角は,最大1度(距離の1000分の16)乃至1度半(距離の1000分の25)で,更に技術が進むと,0.5度以下と言うものも出来てたらしい.
 ただ,聴取距離6,000mとなると,第二次大戦の航空機だと指呼の間になってしまいますから,意味を為しません.
 また,地形,気象条件によっても変わってきますから,より正確な監視設定が出来る,電波の反射波での測定方法に移っていった訳で.

 ちなみに,これと対空砲,あるいは照空灯と連動した夜間防空装置をフランスやベルギーは研究していました.
 これは,聴音機で目標を測定し,指揮所に測定値を送ることで,照空灯の位置を決定します.
 そして上空に来たら,照空灯を複数の方向から目標に照射して,不意を突き,目標に対して夜間戦闘機が迎撃を仕掛けたり,対空砲を集中させたりする予定でした.

 これも,航空機の発達で砂上の楼閣になってしまいましたが….

 ところが太平洋戦争時の日本では,これを本気で取り上げ,対空監視網を作っていました.
 例えば群馬県には,防空監視隊令に基づいて,県庁に防空監視総本部を設け,防空監視隊本部を前橋,高崎,渋川に設置,その傘下に40カ所の防空監視所を設置しました.

 その監視所には,上部に屋根が付き,下部に聴音壕がありました.
 この聴音壕は,コンクリート製で,底面が浅い凹面構造で,喇叭状の口径が4.2m,円筒部内径3.1m,円筒部の深さが3m,壁の厚みが0.33mの構造物で,その上に8本の柱を建てて,茅葺きの円錐形の屋根を載せていました.

 これに付属して,通信室,仮眠室,控え室,事務室があり,此処には,哨長1名,哨員20名の5つのグループで4班体制で交代勤務を執っていました.
 勤務は18時から翌日18時までの24時間体制で,昼は4名,夜は2名で1時間交替で監視に当たっていたそうです.

 そして,侵入してきた敵機の機数,侵入経路,侵入時間,音響と機影による機種判別を実施し,その結果を記録用紙に記録した後,監視隊本部と地元警察署に直通電話にて報告されることになっていました.

 これが機能したのか否かは残念ながら不明ですが….
 ま,貧すれば鈍するの典型と言えば言い過ぎかもしれません.

眠い人◆gQikaJHtf2 in mixi,2006年12月11日22:43

 【関連リンク】
Acoustic Radar.
http://www.dself.dsl.pipex.com/MUSEUM/COMMS/ear/ear.htm

仮 in FAQ BBS

聴音機(上:偽物,下:本物)
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq01k15b.jpg
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq01k15.jpg
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 阻塞弾って何ですか?

 【回答】
 旧日本陸軍が開発していた兵器にそういうものがあって,これは低空から地上攻撃してくる敵戦闘機や爆撃機等を阻止するための空中爆雷でした.
 パラシュートが付いた爆雷を地上から打ち上げ,これに敵機を絡ませて破壊する仕組みでした.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE :軍事板,2006/04/19(水)
Névtelen őrmester ◆Sgt/Z4fqbE :"2 csatornás" katonai BBS, 2006/04/19(szerda)

青文字:加筆改修部分
Kék karaktert: retusált vagy átalakított rész


 【質問】
「日本軍は殺人光線(レーザー兵器)の開発に成功 ∩(・ω・)∩
なお,ネズミ1匹を殺害するための所要時間は30~60分orz 」
 上記のエピソードを小学校のとき父親から聞いたのですが,事実だったのでしょうか?

 【回答】
 ▼上述の通り,事実です.

 ネズミへの照射は兵器としての可能性を探る実験の一環で,その後の研究で大出力のマイクロウェーブで敵機のエンジン点火系統にダメージを与えることが主目的となった.
 この兵器は「勢号」と名付けられたが,開発途中で終戦となった.
 発振用のパラボラアンテナの直径は22mに達し,大電力を消費する為発電所の近くにしか設置できなかったので,実際に完成したとしても効果は小さかったものと思われる.

 1943年(昭和18年)のこと,海軍技術研究所の伊藤庸二大佐が,原爆開発を議論しようとする物理懇話会に,大学の先輩である仁科芳雄を呼んだ事がきっかけとなり,仁科達は強力なマイクロ波発振管の開発に協力する事になった.
 これが海軍“勢号”計画.
 “勢”は“大勢力”磁電管の“勢”のことだった.
 磁電管すなわちマグネトロンとは,直線状の陰極のまわりに円筒状の陽極を分割して配置した,一種の真空管.
 マイクロ波(波長1~10cm)発生のために1927年(昭和2年),岡部金次郎と八木秀次が開発したものだった.
 伊藤の電波研究部では,電波探信儀,すなわちレーダーのマイクロ波発信のために,“大勢力”磁電管をを作ろうとした.

 そのマイクロ波発振実験中,たまたま近くで稼働中の航空機エンジンが停止した.
 そのとき海軍は考えた.
「これは兵器に転用できるのでは?」

 “勢号”の一環として,海軍は東大医学部放射線科にマイクロ波の生理作用の解明を,また東大理学部化学科・水島研究室にマイクロ波の化学作用の解明を依頼.
 水島教授は,光と物質の相互作用の国際的権威だった.
 B29のプロペラが止まってパイロットが死ぬ,
 そんな最終秘密兵器を担当者は夢見ていたらしい.

 しかし現実には,マイクロ波はすぐに拡がるし,金属製の機体に反射されてしまう,
 マイクロ波は水分子の運動を加速し,熱発生ぐらいの効果しか示さなかった.
 この現象から後に生まれたのが,電子レンジだったとさ.
 どっとはらい.

 【参考ページ】
http://otonanokagaku.net/issue/origin/vol6/index05.html
http://otonanokagaku.net/issue/origin/vol6/index06.html



 【質問】
 第二次大戦中,日本軍が虫眼鏡の理論で,敵機を光線で溶かして落とそうとした,と「日本の秘密兵器」という本で読んだのですが,他の国は研究もしなかったのでしょうか?

 【回答】
 大戦末期のドイツが,沢山の鏡で太陽光を集中させて敵機を撃墜する「太陽砲」という兵器を開発しようとしていたという話はある.
 そのほか
L字型の筒の中で爆発を起こし,その衝撃波で敵機を撃墜する「風砲」
地面に埋めた筒の中で緩燃爆発を起こして小規模な旋風を発生させて敵機を撃墜する「竜巻砲」
反射鏡で爆発音を集束照射して敵兵を殺傷する「音響砲」
などわけのわからん超兵器が研究されてるが,当然のことながらひとつも物にならなかった.

 なお,日本が研究していたマイクロ波兵器「勢号」は敵機を直接破壊するのではなく,マイクロ波でエンジンなどの電気系統を焼ききる事を目標としていたそうだ.

 【質問】
 WWIIで,中国軍の高射砲の配備状況はどうだったんですか?

 【回答】
 例えば,首都重慶には厳重な対空火網が形成され,クルップの88mm,ボフォースの75mm,ヴィッカースの75mmなど各種の対空砲,機関銃が配備されていました.
 遷都前の首都南京には,高射砲32門,高射小砲60門,高射機関銃96門が配備されていたりします.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 アメリカ軍は日本軍の航空攻撃に対し,どれだけの弾丸を浴びせて撃墜判定したか?

 【回答】
 以下,44年10月~45年1月なので比島決戦時ですね.
 左が特攻機,右が通常攻撃機です.
 出典は「Naval Weapons of World War II (Naval Institute Press:J. Campbell) 」

5インチ両用砲
10月 1479発/機(スコア1.5機), 748発/機(スコア23機)
11月 1213発/機(スコア5機)  ,2601発/機(スコア1.5機)
12月  493発/機(スコア9機)  , 795発/機(スコア5機)
 1月 2675発/機(スコア3.5機),1765発/機(スコア4機)

5インチVT
10月  242発/機(スコア6.5機),  65発/機(スコア9.5機)
11月  324発/機(スコア6機)  , 798発/機(スコア1機)
12月  218発/機(スコア4機)  , 179発/機(スコア6.5機)
 1月  402発/機(スコア8機)  ,1083発/機(スコア3機)

3インチ両用砲
10月   59発/機(スコア1.5機), 294発/機(スコア4機)
11月  392発/機(スコア1機)  ,     なし
12月      なし           ,     なし
 1月  986発/機(スコア4機)  ,     なし

40mmボフォース
10月 2201発/機(スコア23.5機),3672発/機(スコア23機)
11月 2408発/機(スコア27機)  ,1249発/機(スコア6.5機)
12月 1007発/機(スコア33機)  ,2151発/機(スコア9.5機)
 1月 3576発/機(スコア30.5機),5633発/機(スコア7.5機)

28mm機銃
10月      なし           ,     なし
11月      なし           ,     なし
12月      なし           ,     なし
 1月 2170発/機(スコア1機)  ,     なし

20mm機銃
10月  9983発/機(スコア11機)  ,7802発/機(スコア27機)
11月  8755発/機(スコア13機)  ,3156発/機(スコア5.5機)
12月  3933発/機(スコア23.5機),6729発/機(スコア8機)
 1月 16313発/機(スコア15機)  ,7935発/機(スコア10機)

12.7mm機銃
10月       なし           ,39986発/機(スコア0.5機)
11月       なし           ,  875発/機(スコア1機)
12月 24942発/機(スコア0.5機),     なし
 1月 17402発/機(スコア2機)  , 9929発/機(スコア1.5機)

ゆうか ◆9a1boPv5wk in FAQ BBS
青文字:加筆改修部分


◆◆◆◆15cm高射砲

 【質問】
 太平洋戦争末期に,久我山というところに高性能な高射砲が据え付けられて,たった一発の射撃でB-29を2機撃墜したと聞くのですが,どのような砲だったんでしょうか? 誘導砲弾?

 【回答】
 地上設置型レーダーでB-29の位置と高度を測定した後,試製15cm高射砲が砲撃,撃墜した.
http://www.hkr.ne.jp/~igyou/mai/j_army/si/si.htm

 ただし,この撃墜は誤認説が優勢.

15cm高射砲
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 日本軍は,B29に有効な15cm高射砲を昭和19年の時点で開発してたのに,どうして2門だけ久我山に配備したきり,量産しなかったんですか?
 もう量産する国力がなかったんでしょうか?
 それにしても,それまでの高射砲鋳潰してまでも造る価値あったと思いますけども.
 まあ,2門が100門になったところで,大勢に影響なかったでしょうが.

 【回答】
>15cm高射砲を昭和19年の時点で開発してた

十五糎高射砲の開発経過
昭和18年12月 試作決定,陸軍技術研究所で開発開始(火砲・照準具とも完成目標は昭和20年4月)
昭和19年4月 起案図完成,詳細設計開始
昭和19年10月 設計図面(総数約500枚)完成
昭和20年4月 2門完成
昭和20年5月 東京久我山陣地に据砲

 高射砲というのは砲身だけではなくて,射撃管制システムとセットです.
 当時の日本で高性能な電子機器をつくるとういのは(結局は計算機ですので)非常な苦労がありました.
 秋月級防空駆逐艦も,当初は2セットの高射装置(射撃管制装置)を搭載予定でしたが,結局は1基しか積んでいません.

 間に合ったのがアレだけということです.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 15センチ高射砲の陣地は,久我山のどの辺にあったのですか?

(PN 割れた草加煎餅 by e-mail)

 【回答】
 15センチ高射砲の運用にあたったのは,埼玉県大宮にあった高射砲第百十二連隊第一大隊第一中隊.
 この中隊と2門の高射砲が配備された久我山陣地は,現在の杉並区立富士見丘中学校,及びその周辺の都営住宅,本州製紙運動場にあたる.

(「久我山/高射砲陣地」 from 「東京デジカメ日記」)

現在の現地付近
(撮影:HN「割れた草加煎餅」)


 【質問】
 15センチ高射砲は戦後どうなったのか?

 【回答】
 2門の15センチ砲のうちの1門はその場で輪切りに切断処分された.目撃者は「まるで一斗樽のようだった」と語る.
 残る1門は調査のためアメリカ本土に海上輸送されることになった.
 しかし航行途中で悪天候に見まわれ,やむなく海中に投棄された.

(「久我山/高射砲陣地」 from 「東京デジカメ日記」)


◆◆◆◆VT信管

 【質問】
 第二次大戦の特集テレビ番組等を見ていると,VT信管がかなり強力な兵器みたいな扱いがあるのですが,VT信管はそんなに強いのでしょうか?

 【回答】
 VT信管のセールスポイントは概ね二つ

・調定しなくても敵機の近傍で自動的に炸裂する事
・調定する必要がないので速射性に優れる事
 つまり,潤沢なVT信管が準備できるなら,照準して撃ちっぱなしにできるって事
まさにアメさん向き(笑)

 VT信管という電波式自動信管が実用化されるまでは,高射砲の砲弾
「目標の飛んでる高さまで飛ぶには*秒かかるから,*秒後に作動させよう」
と,信管のセットを人間が計算して手動で設定していた.
 第2次大戦の頃にはある程度は自動化されたが,距離から時間を逆算してセットする事は変わらない.

 コンピューターのない時代なので,高速で飛行する飛行機を上手く捉えるように信管が作動する事はほとんどなく,ちっとも当たらなかった.
 一節には命中率は数万発に一発だった,と言われる.
(勿論,命中しなくても砲弾の炸裂した破片で損害を与える事はできたが)

 VT信管はこの高射砲の命中率を飛躍的に向上させた.

 因みに「軍艦長門の生涯」の表現を借りると,通常の時限信管をVT信管に換装した場合,命中率に関しては目標の体積が100倍に膨れ上がったのと同じ効果が得られる.
 これは零戦がボーイング747に化けたのと同等の数値.

 VTの威力については諸説ある.
 3倍という資料もあるが,VTは特攻機には効果的であるものの,通常攻撃機には1.5倍程度という資料もある.

 米海軍1944年10月から1945年1月のデータ

<対通常攻撃機>
対空火器         撃墜数(1機当りの発射数)
5"/38 using AA Common-33.5(960)  
5"/38 using VT-      20(624)
3"/50 using AA Common-4(752)
40mm Bofors-46(3,361)
1.1"MG-0(4,764)
20mm Oerlikon-50.5(7,152)
0.5“MG-3(15,139)

「時限信管に比べてVT信管が圧倒的に有利なのは,対特攻機のみ.
 生還を期さない分,特攻機は突入速度が大きいので時限信管が不利.
 他方,対通常攻撃機ではその差が縮まる(時限信管の調定が追随可能)

 対空火器の真打はVT信管ではなく,40mm Boforsと20mm Oerlikonである」
とも.

 但し,VT信管は艦隊防空システムの「一部」にしか過ぎず,また,そんな高度な兵器を開発し,製品として均一な品質で大量に送り出す米の国力こそ脅威であった,

軍事板,2006/04/24(月)
"2 csatornás" katonai BBS, 2006/04/24(hétfő)

青文字:加筆改修部分
Kék karaktert: retusált vagy átalakított rész

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 VT信管の砲弾が実戦に初めて登場したのはいつごろですか?

 【回答】
 1943年1月,ソロモン海で米巡洋艦「ヘレナ」が日本海軍の艦上攻撃機に対して使用したのが,初めての実戦投入といわれています.

(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)


 【質問】
 VT信管がもし米軍になかったら,マリアナ沖海戦('44 Jun. 19-20)での日本軍の戦果は少しは増えただろうか?

 【回答】
 VT信管の効果はそんなに高くない.
 あのときは砲の数が足らず,砲の性能もあまりよくなかったらしい.
 日本機を打ち落とした内の8.9割はCAP.
 もしもCAPの待ち伏せを突破することができたならば,戦果は挙がっただろう.マリアナ沖で証明されたように,水上艦艇は航空機に対して有効な防御手段を持ち得なかった.
 だが有効なエアカバーをもつ艦隊に対する攻撃は非常に難しくなる.ある程度のCAPがいるだけでも一気に難易度が上がる.
 VT信管は,水上艦が独自の航空機に対する有効?な対処手段を得たという意味で大変意義があったんじゃなかろうか.

 CAPなしではVTやボフォースといえども組織的空爆の前には大した効果はありません.編隊で突入されれば何機かは墜とせても残機により攻撃は成功してしまいます.

 CAP最大の効能は,撃墜そのものよりも組織的攻撃を著しく困難にすることです.単機あるいは少数機による五月雨攻撃に変えてしまうことで,攻撃機に大量の弾幕を集中することが可能になるわけです.

 例えば在来型防空砲火が一回の攻撃当たり1機墜とせるところをVTやボフォースで2,3機墜とせるようになったとしましょう.
 相手が十数機の編隊を用いた組織的空襲だったら,撃墜戦果が1機から2,3機に増えたところで大した効果はありません.
 これを2,3機毎の五月雨空襲に変えてしまえば,毎回全機墜とせるようになる,というわけ.

ゆうか ◆9a1boPv5wk他 in 軍事板


 【質問】
 なんで日本もVT信管作って対抗しなかったの? 音に反応して破裂するだけでしょ?
 発想自体がなかった? それとも技術不足?

 【回答】
 VTは電波信管です,音波じゃない.
 数万Gの加速に耐える真空管と電波技術があって,初めてできるのがVT信管.
 技術・発想共に日本は不足していただけ.

 日本でも光学的な近接信管なら開発されました.
 ただ,これは爆撃に使用するもので,アメリカのように対空砲火に近接信管を使用する発想は無かったようです.
 それと,発想や技術力があっても開発できない場合もあります.
 NHK取材班編「電子兵器『カミカゼ』を制す」なんかを読むと分かりやすいんじゃないでしょうか.

▼ 「奮竜」の開発に携わった吉田隆(元海軍技術少佐)氏によれば,電波信管の開発・計画状況は以下の様らしいです.

> 二十年二月,高角砲弾および噴進弾に装備する“電波信
>管”(中略)の計画要領がまとまった.
> “電波信管”は高角砲弾を地上から電波で指令発火する
>ものと,目標と弾の位置をレーダーで刻々と探知してその
>距離が一致した時に自動的に電波で正確に発火させるもの
>とがある.なお,弾に送受信器を持つ“近接(VT)信管”
>が以前から開発が進められていた.

名無し三等兵 in FAQ BBS


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