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<◆大西洋・地中海方面 目次
<第二次大戦FAQ


 【質問】
 WW2ハンガリーの装甲車輌について教えてください.


 【回答】
 マジャルの場合は,最初はオーストリアの影響,次いでイタリアの影響が強く,小銃などの主要装備はオーストリアから導入しています.
(周辺諸国と折り合いが悪くてチェコなどの装備が買えなかった).
 周辺諸国と折り合いが悪いので,その装備は出来るだけ国産化する方針が立てられ,マンフレート・ヴァイスと言う日本の三菱重工みたいな一種の国策会社で生産が行われてます.

 戦車については,まず,1935年にイタリアのL3軽戦車を導入して35Mとして国産化,これは150両が導入されました.
 主力戦車となったのは,スウェーデンが開発したランズベルク社のL-60軽戦車を,38Mとして輸入品のA20が80両,国産品のB20が110両引き渡されました.
 これは,独ソ戦の結果80両に対して火力増強が行われています.
 また,対空戦車型が開発されました.

 その後,新型主力戦車としてチェコのシュコダが開発したT-21中戦車を元に,40M/41Mが開発され,40mmボフォース対戦車砲を備えた型が280両,75mm榴弾砲搭載の火力支援型が140両.
 このほか,長砲身75mm砲を備えた型がありましたが試作に終わりました.
 41Mについては,この車台を元に突撃砲型が開発され,70両程度が生産されました.

 装甲車としては,英国のアルヴィス装甲車の発展型を導入し(設計者がマジャル人だったので),100両程度を生産しています.

 このほか,損耗補充用にドイツから38(t)戦車,4号戦車などが導入されています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 軍事板,2005/11/13(日)
青文字:加筆改修部分



 【質問】
 東部戦線で戦ったのだから,せめてT34 に対抗できる程度の火力を持つ車両か対戦車砲はないのかなぁ?と思ったものですが,上記を見ると,トゥランが少々マシな程度で,ずいぶん寒いものなんですね……

 【回答】
 基本的に,東欧各国はソ連相手に戦争をする予定はなかった訳です.
 マジャールなんか,大戦に参加するか否かで,首相がピストル自殺しています.とりあえず,ドイツの尻馬に乗っかってソ連に侵攻した時点では,未だボロが出なかった訳ですが,ソ連が反攻作戦に出たときに,ブルガリアを除く東欧各国とも大損害を出して撤退しています.

 それで補充されたのが,ドイツ軍が使った中古とか故買品でして.
 国産戦車が製造できたマジャールは随分恵まれている方なのです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 軍事板,2005/11/20(日)
青文字:加筆改修部分


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリー軍が保有したことのある装甲車を教えてください.

 【回答 válasz】
 年代順に…

・ビュッシング・フロッシュ装甲車 Büssing-Fross páncélgépkocsi
 フロッシュ・ビュッシング・トラックを即席で改造したもので,オーストリア=ハンガリー軍の遺物としてWW1終結時,数両残存.
 なぜ装甲車が「フロッシュ・ビュッシング」ではなく「ビュッシング・フロッシュ」と呼ばれたのかは不明.
 正確な由来も不明だが,バルカン半島で改造された模様.
 武装はシュワルツローゼ機関銃×2.
 トリアノン条約では「オフロード能力を持つ装甲車輌」の保有は禁じられたが,この装甲車はオフロード能力を持たなかったため,警察用として2両の保有を許された.
 連合軍の査察官がハンガリーから出国するや,この2両は国軍に譲渡.
 1930年代に軍の近代化が進むと共に退役した.

 WW1終戦時,オーストリア=ハンガリー軍から引き継いだ車輌としては,他に
ロムフェル Romfell 1両
ユノヴィッツ Junovitz 数両
オースティン 1両(ロシア軍から鹵獲)
があった.

ビュッシング・フロッシュ装甲車二面図
(図表番号faq190411bf)

こちらより引用)

・ラーバ「Vp」装甲車 Rába "Vp" Páncélgépkocsi
 別項参照

・29Mヴィッケルシュ装甲車 29.M Vickers páncélgépkocsi
 1928年,連合国側の承認を経てハンガリーに輸入された,ヴィッカース・アームストロング社のD3E1試作装甲車.
 条約の制限により,オフロード能力無し.
 輸入時には武装もない状態だったが,シュワルツローゼ機関銃をハンガリー側で搭載.
 1930年代の終わりまで,訓練や治安出動に使われた.

29Mヴィッケルシュ装甲車
(図表番号 faq190415vc,こちらより引用)

・29Mクロッシュレイ 29.M Crossley
 オフロード能力がない英国製装甲車ヴィッカース・クロスレイの輸入を,ハンガリーは連合国に許可され,1928年にBGV型2両を購入.
 武装はシュワルツローゼ機銃2丁.
 上部構造物を付け加え,うち1両は長距離無線機を装備されて指揮車として運用.
 しかし,より重装甲にする改造や,運転席を前後に設ける改造を行う余地は無く,これらは当時の軍用装甲車の基準とされていたために,この2両が第一線投入されることは無かった.
 一方,1939年3月のスロバキア=ハンガリー紛争には出動したという情報もある.
 1939年退役.

29Mクロッシュレイとその指揮車型(2枚目)
(図表番号 faq190418vc & faq190418vc2,こちらより引用)

・ルノー Renault UE
 おふらんすの小型装甲装軌車ざんす.
 ハンガリー軍には1942~1943年,ドイツから4~5両が供与されたざんす.

ハンガリー軍所属のルノーUE
(図表番号 faq190512rn,こちらより引用)▲

・フィアットF2F装甲車 FIAT F2F páncélgépkocsi
 軍備制限下,密かに装甲部隊の訓練をするための車輌が不足していたため,1930年代初めに作ったダミー装甲車.
 これはそのうちの一種で,フィアットF2F救急車を改造して8両製作.
 29Mクロッシュレイ装甲車を模した形に作られ,武装もクロッシュレイと同じくシュワルツローゼ機関銃2丁を装備していた.

FIAT F2F
(図表番号 faq190418fa,こちらより引用)

・フィアット2F装甲車 FIAT 2F páncélgépkocsi
 フィアットF2Fと同様の経緯で1930年代の初め,フィアットF2F救急車を改造して4両製作されたダミー装甲車.
 こちらのほうはシュコダPA-II「Želva」を模して作られ,軍事演習では仮想敵の役割を果たした.
 武装はシュワルツローゼ機銃2丁.
 1939年まで使用された.

FIAT 2F
(図表番号 faq190418fa2,こちらより引用)

・Tatra OA vz.30
 チェコスロヴァキアはタトラ社の装甲車.
 チェコ解体の際,1938年11月2日から1939年1月12日の間に国境での衝突が22件発生.
 Mukacheveにおいては装甲車を伴ってチェコ軍が攻撃を行ったが,国境警備隊および地元ハンガリー系住民の民兵によって撃退された.
 その際,チェコ軍の退却時に,道路の路面が凍結していたために1台のOA vz.30- 登録番号13.326 - が溝に滑り落ち,乗員は装甲車を放棄して脱出.
 この車輌が1939.1.6,ハンガリー軍によって鹵獲された.
 1941年までは訓練に使われたが,その後の消息は不明.

鹵獲されたOA vz.30
(図表番号faq190214oa,こちらより引用)

・39Mチャバ偵察装甲車 39M Csaba felderítő páncélgépkocsi
 別項参照

・ブレンガン・キャリア
 英国の装軌式汎用輸送車.
 正式には「Universal Carrier」
 ハンガリー軍が少なくともこれを1両鹵獲して運用していたことを示す写真が,ただ一枚残存.
 牽引車として使用されたと思われるが詳細不明.

運用中の鹵獲ブレンガン・キャリア
(図表番号faq190522un,こちらより引用)

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://militiahungarorum.roncskutatas.hu/1920_f_j_p_r.html
https://live.warthunder.com/post/553799/en/
https://live.warthunder.com/post/558645/en/

2019.4.20,抽出して加筆し,単独項目化

▼  Csaba Becze著の『Magyar Steei』より,外国製の装甲車輌のハンガリーでの使用状況について.
(ただし,この本は古いので,近年の研究成果は反映されていません)

●チェコスロバキアとの国境紛争で捕獲した車輌

Tatra OA Vz.30 A.C.(装甲車)
 1939年に1両

●ソビエト軍からの捕獲車輌

BA-6 装甲車
 1941年から1942年に4両から6両

 また,
https://live.warthunder.com/post/558645/en/
によれば同年頃,BA-10も鹵獲(総数不明).
 両者はハンガリー軍において兵站警備や偵察に使用されたという.

BA-10を用い,ロシアでの占領地を警備するハンガリー憲兵隊
(図表番号faq190916ba,こちらより引用)▲

カチューシャ Katyusa
 ソ連の自走式多連装ロケット砲.
 ハンガリー軍では英国製オースティン・トラックをベースにした132mm BM-13型を,ドン河河畔で2両鹵獲.
 ブダペシュトに送られ,1942.9.5到着.
 どちらも大破していたが,トラックは工兵によって,ロケット発射システムはヴァイス・マンフレート社によって修理され,後に軍の技術研究所で試験された.
 戦闘には使用されていない.

鹵獲カチューシャ
(図表番号 faq190602kt1~4,こちらより引用)

T-20コムソモーレツ T–20 Komszomolec
 ソ連軍の小型装甲牽引車.
 ハンガリー軍は1941~42年に鹵獲.
 鹵獲数不明.
 ハンガリー軍車輌としての登録番号を付与され,前線での牽引や輸送に使用.
 その後,訓練用に転用された.

鹵獲T-20
(図表番号 faq190516t20,こちらより引用)

ギシュクラ in mixi,2016年05月06日
青文字:加筆改修部分


 【質問 kérdés】
 第二次世界大戦におけるハンガリーの装甲板はどんなものだったの?
Kérem, mondja meg a második világháborúban magyar páncéllemezeiről.

 【回答 válasz】
 ハンガリーは装甲板に必要な資源が不足していたため,輸入に大きく依存していたが,ドイツの絶え間ない領土獲得により,それは殆ど不可能となっていった.
 当初からドイツはハンガリーに「経済協力」を強制したが,これは実際には片務的貿易契約であり,ハンガリーは常に最大限の役割を果たした――ハンガリーは民需や軍需の需要を最小限に抑えることを余儀なくされた――ドイツはハンガリーからの輸出増加をしばしば脅迫や恐喝を使って約束させ続けた.
 ハンガリーの他のヨーロッパの貿易相手国がドイツに占領されていることも助けにはならず,殆どの貿易ラインがドイツの占領地域を通過したため,ドイツとハンガリーの間のつながりはさらに強くなった.
 しかもドイツは契約の一部を履行せず,資源輸出を常に最小限に抑えていたため,資源は約束よりもはるかに遅れて到着した.
 そのため,ハンガリーは代替資源を探すことを余儀なくされた.
 実験室レベルでは代替資源探しは巧くいったが,それは高価くついた.

 大戦当初,ハンガリーは多くの資源を備蓄していた.
  38.Mトルディ軽戦車,36/40.Mニムロード自走砲,39.Mチャバ装甲車の装甲板は全てクロム-ニッケル-モリブデン(Cr 1,0~2,0%,Ni 4,0%,Mo 0.3%)で作られた高品質のものだった.

 しかし1941年には希少金属不足が問題になり,代替鉱物の研究が始まった.
 1941年3月,ディオーシュジュール Diósgyőr の鉄鋼鍛造工場では,一人の技師がメシュテル装甲を開発した.
 メシュテル装甲はハンガリーで採掘できる資源のみで製造できたが,クロムは唯一の例外だった.
 メシュテル装甲の構成:C 0,55~0,72%,Mn max 0.5%,Si max 0.35%,Cr max 0.65%.

 この装甲板は耐久力良好で,1941年5月には生産開始.
 ただ問題点は,13mm以上の厚さの装甲板しか作れないことだった.
 13mm以下の装甲板は多くがスクラップになった.
(40~50%,場合によっては80%)
 このため13mm以下の装甲板は,トルディ,ニムロド,チャバで使用されている装甲板と同様,全てクロムやニッケルを使って生産したが,ニッケルは少なくなっており,モリブデンは全く使われなかった.
(Cr 1,0~2,0%,Ni 1,0-1,5%)
 40.M トゥラーンTurán戦車はメシュテル装甲やクロム・ニッケル装甲を使用していた.

 メシュテル装甲板の欠点を克服するには,より多くの研究を必要とした.
  1942年10月,新しい装甲板が作られた.
 アヤックス装甲板がそれである.

 アヤックス装甲板は厚さ13mm以下の装甲板に適していたが,25~50mm厚の装甲板も製造でき,メシュテル装甲板とほぼ同等の品質だったが,耐久力の点でメシュテル装甲板より劣っていた.
 しかしアヤックス装甲板は輸入資源であるチタンを使用していた.
 戦前にはハンガリーはスイスとベルギーからチタンを輸入し備蓄することができたが,1940年以降,ドイツを経由した輸入体制の下ではチタンの輸入は不可能となった.
 そのため1943年に研究開発が行われ,チタンはハンガリーでは豊富に産出する資源であるアルミニウムに置き換えられた.
 アヤックス装甲板の組成は以下の通り:
C 0,45~0,55%,Mn 1,0~1,3%,Si 最大0.4%,Cr 0,8~1,0%,Ti最大0.3%.
 41.M トゥラーン戦車にはメシュテル装甲板が使用されたが,13mm厚の装甲板はアヤックスであり,クロム=ニッケル装甲板ではなかった.
 40.M トゥラーン戦車も1942年から1943年にかけて,より薄い装甲にアヤックス装甲板を使用し始めた.

 38/42.M トルディ(トルディ IIA)や,43.M トルディ(トルディIII)試作車の増加装甲板は,おそらくすべてクロム=ニッケル装甲板で作られていまが,量産開始時にはアヤックス装甲板が使用可能になっていたので,量産車輌はおそらくアヤックス装甲板を使用してした.
 トルディ軽戦車の生産は1942年まで継続され,また,チャバ装甲車とニムロード自走砲は1944年まで生産されているため,一部の車両はおそらくクロム=ニッケル装甲板で製造され,後にアヤックス装甲を使用し始めただろう.

 メシュテル装甲板とアヤックス装甲板には共通の特徴があった.
 割れ易いという点である.
 7.5cm以上の大口径砲弾が命中した時,これら装甲板は十分な防御力を発揮せず,これら装甲板の破片は戦車乗員にとって非常に危険なものだった.

 これら装甲板の脆弱性を減らすため,ハンガリー軍事技術研究所はクロム=マンガン合金である点はそのままに,表面硬化処理することを決定した.
 だがハンガリーにはそのための産業能力が不足していたため,暫くの間75mm厚の装甲板の生産に問題を生じていた.
 しばらくの間,75mmの装甲板は25mm厚さの装甲板を3枚重ねることによってのみ実現が可能だった.
 このため,初期のズリーニ突撃砲はこのような「サンドイッチ」装甲を持っていた.

 1943年10月に75mm厚のアヤックス装甲板が新しく作られた.
 この装甲板の引張強度は78〜90 kg / mm2でした.
 75mmアヤックス装甲板の組成は以下の通り:
C 0,32~0,40%
Mn 0,9~1,2%
Cr 1~1,7%
Si 最大0.4%
Va 最大0.2%
Ti 最大0.15%

 以降,ズリーニZrínyi突撃砲の正面装甲板は全て,このタイプのアヤックス装甲を使用した.
 43.Mトゥラーンと44.Mズリーニの量産車輌もおそらくこのタイプの装甲だったと思われる.

 75mmより厚い装甲板(正確には100mmと120mm)については,ハンガリーはドイツの装甲板のライセンスを購入しようとしました.
 この装甲板は44.Mタシュ駆逐戦車で使用するためのものだった.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/558957/en/
https://forum.warthunder.com/index.php?/topic/351529-hungarian-armor-of-ww2/
https://hungarianweaponryww2.wixsite.com/hungarianmilitaryww2/single-post/2018/01/07/part-iv-hungarian-armor-plates

1枚目:トゥラーン戦車の側面部
1942年,ブダペシュトのガンツ工場の組立ラインにて[Bonhardt Attila]
(図No. faq210408am,こちらより引用:原出典はPéter Mujzer 著『Hungarian Armored Forces in World War II』 (Kagero publishing), p.76)

2~4枚目:トゥラーン戦車の装甲板の一部
ティサケーツケ Tiszakécske で戦闘で撃破された車輌の一部を民家で保管していたものだという
3枚目にはガンツ工場の刻印が見える
(図No. faq210412am1~3,こちらより引用)

mixi, 2021.4.14


 【質問】
 「チャバ」装甲車について3行以上で教えてください.

 【回答】
 39Mチャバ偵察装甲車 39M Csaba felderítő páncélgépkocsi は,ニコラス・ストラウスラー設計のストラウスラーAC2装甲車を基に,ヴァイス・マンフレート社 Weiss Manfréd にて生産された装甲車.
 通常の前部操縦席以外に,後進用の後部操縦席もあったことが特徴.
 前身速度と同じ速度で後退できた.
 兵装としてはゾロターン20mm対戦車銃と8mm機関銃を搭載した他,車内にもう1丁の8mm軽機関銃を携行していた.
 これは後部ハッチを開放しての対空射撃や,乗員が降車して偵察任務を行う際の携行用として使われた.
 エンジンはフォード 90馬力エンジンで,ドイツのケルン工場から輸入された.

 合計202両生産.
 そのうち20両は無線指揮車型の40Mで,これは武装は8mm機銃のみ.
 その代わり,通常型のR-4無線機に加え,R-4T無線機と大型のフレームアンテナを装備した.

ルーク「"茶葉"と書くと,中に利休が乗ってそうで素敵ですね」
ヤン 「素敵です」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10264651

 【参考ページ】
http://ameblo.jp/solderkirby/entry-11209294146.html
http://www.internetmodeler.com/2001/may/first-looks/Botond_Csaba.htm
http://world-war-2.wikia.com/wiki/39M_Csaba
http://someinterestingfacts.net/straussler-armored-car-ac1-ac2-and-ac3/

【ぐんじさんぎょう】,2016/05/04 20:00
を加筆改修

 どこかで見たなと思ったら,八重洲出版の第二次大戦で活躍した世界の軍用自動車と言う本の,「ドイツの戦闘車両」の項目に「マンフレット・バイス シュトラウスラ クサバ装甲車」として掲載されていたよ.
 隣が,中国陸軍使用のSdkfz.223と言うマニアックな本だけどさ.

 しかし,なんでハンガリー向けの装甲車がドイツの項目に入っていたのか,小一時間問い詰めたい気分.
 この本によると,4気筒デュアルイグニッションつきツインOHCリアエンジン.
 4520×2100×2270ミリ,重量5900kg.
 各車輪にステアリングボックスを備え,2輪もしくは4輪ステアリングの独立懸架.

 英国の奴は6気筒で120馬力リアエンジン,全輪独立懸架.
 殆ど変わらない.
 ただ,馬力当たりの重量はこっちの方が勝ってたのかも.

眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2002/09/17
青文字:加筆改修部分

 軽めの本ですけど,デルタ出版の「世界の軍用車両4」という本では,ページの上にイギリスという表記がなされていますた.
 ・・・ま,いいんですけど.

 路上速度が65 km/hで航続距離が150 kmというのは他国の同種の車両に劣っている気がしますけど,矢張り前進5速,後進5速というのは良いですね.
 エンジン独逸製ですか.
 一応.↓
http://www.phg.hu/models/botond/csaba.htm

 装甲車の名前になっているチャバって,アッツィラの(伝説上の)息子の名前なんですね.

「チャバ」三面図
こちらより引用)

彩色写真
(こちらより引用)

軍事板,2002/09/19
青文字:加筆改修部分

ブダペシュト包囲戦後に残っていたチャバ装甲車
(図No. faq210203cb)
右上に独特のハッチがあり,前フェンダーが車体先端まで延びている
(通常の39.Mチャバは先端までフェンダーは延びていない)点から見て,
非装甲鋼板で8輌製造された訓練用チャバの1輌らしい.
ちなみに士官学校部隊でも44年末~45年に訓練用チャバを偵察任務に使用したらしく,
乗り込んだ車長が神経質になってたと.
ほとんどソフトスキンみたいなもんだからまあ確かに.
https://t.co/Yfnp2Tqh9g
https://twitter.com/Nasikandar_/status/1354277397684658180
https://twitter.com/Nasikandar_/status/1354281635555012609
https://twitter.com/Nasikandar_/status/1354399700883914754
https://twitter.com/Nasikandar_/status/1354402162453880834

2021.2.3追記


 【質問 kérdés】
 40.Mチャバ指揮装甲車について教えてください.
Kérem, mondja meg a 40.M Csaba Vezér Páncélautóról.

 【回答 válasz】
 39.Mチャバ装甲車の量産が始まった頃から考案された,長距離無線機を搭載した指揮車.
 36.M対戦車銃を外して武装を8mm 34/37.AM機銃だけとし,元のR-4無線機×1に加えて空きスペースにR-4/a無線機×2を搭載.
 砲塔上方にグリット・アンテナを設置したが,これは空気圧で後方に下げることができ,また,4本の支柱は伸縮自在.
 砲塔自体も小さくなり,指揮官一人しか砲塔ポジションに座ることができなくなった.
 また,砲塔後ろ向きにあった両開き型のドアは,エンジン区画の方向に開くことができる,1枚型のドアに変更された.
 これら変更により,40.Mは39.Mよりも100kg軽い満載重量200kgとなり,速度も65km/hに対して70km/hに増加.

 生産はヴァイス・マンフレート工場で行われ,試作型も含めて39.Mチャバのうち13輌が指揮型に変更された他,1944年からは完全新作の40.Mが6輌生産.
 中隊~大隊間の通信を担った.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://www.wardrawings.be/WW2/Files/1-Vehicles/Axis/4-Others/02-Hungary/02-Vehicles/01-ArmoredCars/File-Csaba/Csaba.htm
https://live.warthunder.com/post/539858/en/
http://world-war-2.wikia.com/wiki/39M_Csaba

1枚目:カラー側面図
(図No. faq210627cb3,こちらより引用)

2枚目:側面より撮影
(図No. faq210627cb,こちらより引用)

3枚目:左斜め後方より
(図No. faq210627cb2,こちらより引用)

4枚目:正面右方より
(図No. faq210627cb4,こちらより引用)

mixi, 2021.6.28


 【質問】
 ラーバ「Vp」装甲車 Rába "Vp" Páncélgépkocsi について教えてください.

 【回答】
 第一次大戦終結直後,ハンガリー軍は旧オーストリア=ハンガリー軍から
ロムフェル Romfell 1両
ユノヴィッツ Junovitz 数両
ビュッシング=フロシュ Büssing-Fros 数両
オースティン 1両(ロシア軍から鹵獲)
を受け継いだ.

 一方,ハンガリー革命に介入したハンガリー・ルーマニア戦争や,カール一世擁立を目指したレハール将軍のブダペシュト進軍といった混乱期,新規調達した装甲車と言えば,たった2両のビュッシング=フロシュだけだった.
 第一次大戦の敗者となったハンガリーは,トリアノン条約により軍が装甲車輌を保有することを禁止されていたのである.
 しかし抜け穴があった.
 民兵や警察によって,LK軽戦車やビュッシング=フロシュ装甲車が輸入された.
 LK軽戦車は農村の小屋に隠され,その間に錆だらけとなったが,オフロード機能のなかったビュッシング=フロシュ装甲車は,連合軍の監視委員会も警察用として許可を出した.
 最終的にはそれらは1930年代には廃車となった.

 1923年,秘密裏に「軍備管理委員会」が立ち上げられ,再びその抜け穴を利用することとなった.
 表向きは警察用の装備として,装甲車の設計開発に取り組んだのである.
 ラーバ Rába自動車&機械工場でライセンス生産されていた,チェコの5tトラック,プラガ「V」型の車体を装甲で覆い,屋根に円形の砲塔を備えた.
 外観はビュッシング=フロシュと似ている.
 砲塔にはSchwarzloze M07 8mm機銃1.
 他に同じ機銃1や小銃,手榴弾を車内に配備し,車体の銃窓から射撃できる他,車内から警官隊が出動する際に携行することが可能だった.
 その警官は12名を輸送可能.
 実態としては「装甲バス」に近いかもしれない.
 エンジンは35馬力,時速は20kmだった.

 1925年には試作車が完成したが,生産のほうは1927年にキャンセルされた.
 「Vp」は何度か改修をされながら,1930年代まで使われ続け,軍の訓練に貢献.
 装備品リストからその車輌番号が消えたのは1940年になってのことだった.

▼ また,
https://live.warthunder.com/post/553799/en/
によれば,1934年に鉄道車に改修.
 退役したのは1939年だったとしている.▲

 【参考ページ】
http://militiahungarorum.roncskutatas.hu/1920_f_j_p_r.html
http://www.aviarmor.net/tww2/armored_cars/hungary/raba_vp.htm
http://forum.valka.cz/topic/view/59290/HUN-Raba-Vp

模型ページ
http://ipmsmalta.forumotion.net/t1734p30-1-35-hungarian-raba-v-p-scratchbuilt

ラーバ「Vp」3面図および写真
図表番号 faq160528vp
図表番号 faq160528vp2
図表番号 faq160528vp3
図表番号 faq160527vp3

こちらより引用)

mixi, 2016.4.28


 【質問】
 ラーバ「Vr」対空自走砲について3行以上で教えてください.

 【回答】
 ラーバ「Vr」対空自走砲 Rába "Vr" önjáró légvédelmi löveg は,ハンガリーが第一次大戦後,初めて作った対空自走砲.
 戦後,軍備を厳しく制限されたハンガリーでは,空軍保有を禁止されていたが,将来的には航空機が大きな脅威になるだろうことを軍首脳は予想していた.
 そのため,当時としては唯一の選択肢として,対空兵器を開発することとした.
 ラーバ自動車&機械工場 Rába Magyar Vagon- és Gépgyár が1913年にチェコからプラガV型トラックのライセンスを取得して生産していた「ラーバV」型トラックに,やはりチェコはシュコダのM05 8cm野砲(ハンガリーにおける制式名称8cm 5.M野砲)を搭載した.
 ハンガリー軍は当時すでに対空砲として40mmと8cmのボフォース対空砲を有していたが,数が少なかったために,この選択となった.

 ちなみに第一次大戦中のオーストリア=ハンガリー軍も,トラックの荷台に火砲を乗せただけの対空自走砲を各種開発しており,ラーバVrもその発想の延長上にあると言えるだろう.

 このラーバVrは ディオーシュジェーリ機械工場 Diósgyőri Gépgyár において,1922~23年に20台が生産された.
 第二次大戦中,本車がどのように使われたのか,それは定かではない.
 ただ,1942年に撮影されたニュース映画において,国内防空演習の中の一コマに本車が登場している.

 【参考ページ】
https://forum.warthunder.com/index.php?/topic/252288-magyar-harckocsik-a-ii-világháborúban/
https://live.warthunder.com/post/538996/en/
http://www.raba.hu/cegtortenet.html
http://www.armourbook.com/forum/topic_916/2
https://www.youtube.com/watch?v=L0PY97yknvY

1枚目:乗員休息中のラーバVr自走対空砲
(図表番号faq190317vr,こちらより引用)

2枚目:1920年代後半~1930年代前半と思われるラーバVr写真
(図表番号faq190427vr,こちらより引用)

3枚目:ラーバ「Vr」模型
(図表番号faq160427v2,こちらより引用)

4枚目:ラーバ「V」型トラック
(図表番号faq160427v,こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2016/05/09 20:00
を加筆改修


◆◆◆◆◆◆◆「ニムロード」およびその派生車輌


 【質問】
 「ニムロード」自走砲について3行以上で教えてください.

 【回答】
 40M「ニムロード Nimród」対戦車/対空自走砲 páncélvadász és légvédelmi gépágyú は,スウェーデン・ランズベルク社のL-62自走砲をハンガリーでライセンス生産したもの.
 その際,操作性向上のために若干砲塔が大型化され,砲塔後部が延長されて円筒形から馬蹄形になるなどの改良が行われている.
 ドイツのビュシングNAG社製エンジンを搭載した第1生産ロット(46両)と,ハンガリー国産のガンズ社製エンジンを搭載した第2生産ロット(89両)とがあり,いずれもマーヴァグ社において生産された.
 対空・対戦車の両方の用途に使うことを計画されており,また,実際に「トルディ」や「トゥラーン」Iの主砲より対装甲威力が優れていたため,対空戦闘だけでなく対地戦闘にも積極的に使用され,ソ連軍のT-34中戦車やKV-1重戦車とも撃ち合ったことがあるという.

 【参考ページ】
http://combat1.sakura.ne.jp/40M-T.htm
http://kleinpanzer.jimdo.com/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%84-contents/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%BC%E8%BB%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7-hungaryan-afv/
http://www.tanks-encyclopedia.com/ww2/hungary/40M_Nimrod.php
http://fhsw.wikia.com/wiki/40M_Nimrod

 「ニムロード」模型
http://fwge2272.la.coocan.jp/nimrod/nimrod_1.html

unknown

クビンカ博物館のニムロード Nimród Kubinkai Múzeumban
現存する2両のうちの1両.
ほぼ原形を保つが,泥よけの上のサーチライトのみ形状が異なる.
また,サーチライトは左右にあったが,クビンカのものは右側が失われている.
(図表番号 faq190726nm,こちらより引用)

2019.7.26

 なお,2018年頃にクビンカ博物館からパトリオット・パークへ移され,よりオリジナルに近い塗装に塗り直されている.
4枚目:パトリオット・パークのニムロード
(図No. faq200329pt4,こちらより引用)

2020.4.10

ブダ城のニムロード Nimród a Budai Várban
現存する2両のうちの1両.
この車輌は1944年に道路の牛をよけようとして溝に嵌り,溝から抜けようとしたときにケーブル火災を起こして放棄.
燃料に引火はせずに済んだので,後にブダ城まで牽引され,火点代わりに城門に置かれた.
1980年代にはシェルターの中に置かれていただけだったが,今日ではエンジンも40mm砲も駆動するまでに復旧されている.
(図表番号 faq190729nm,こちらより引用)

2019.7.29

クビンカ時代のニムロードの砲閣内部
パトリオットパークの展示に合わせてリペイントされた時の状況
40mm砲の機関部は,砲弾の装填フレームから中身ごと無くなっているが,可動式の装填手席や砲弾クリップの収納ラックは残存
(図No faq210423nm,こちらより引用)

https://twitter.com/Nasikandar_/status/1379439214106845197
https://twitter.com/Nasikandar_/status/1379448218782605317

ニムロードもたまに持ってた,紅白の測量ポール
ドイツの自走砲みたいに規定の装備では無かった様子
(図No faq210423pl1~2)

2021.4.23追記

何気なく見ていたニムロードのプロトタイプ,車体はスウェーデンから輸入したL-62だったか.後部右のつるはしと雑具箱が目印

マーノシュ in twitter, 2021.4.19


 【質問】
 ニムロード自走砲の性能要目を教えてください.

 【回答】
全長:    5.32m
最大長   5.75 m(主砲砲身長含む)
全幅:    2.30m
全高:    2.80m
全備重量: 10.5t
車体容積  7913 cm3
装甲厚:  13mm(車体前面),10mm(砲塔&車体側面),6mm(後部)
乗員:    6名(車長,運転士,装填手2,射撃手2)
エンジン:  ビューシンク NAG L8V/36TR V型8気筒液冷ガソリン(第1生産ロッド分)
        またはガンツ VGT107 V型8気筒液冷ガソリン(第2生産ロッド分)
最大出力: 155hp/3,000rpm
最大速度: 50km/h
航続距離: 225km
戦闘行動半径 200km
懸架・駆動 トーションバー・サスペンション,装軌式,前方起動輪
トレッド   2.066m
トラック幅  0.286x0.065 m
トラック数  2x132
接地高   0.35m
接地圧   0.6 kp (キロパウンド)/cm²
最小旋回半径 5m
登坂能力 0.6-0.8 m
超壕能力 2-2.2 m
渡河能力 0.7m
武装:    60口径40mm対空機関砲36M×1 (160発)
最大射程 7160m
初速    850 m/s
発射速度 120/min
俯角仰角  -5° - +90°
貫通能力 100 m /90°/50 mm
       500 m /90°/40 mm
       1000 m /90°/32 mm
砲塔の長さ 2.84m
砲塔高さ  0.8m
砲塔旋回範囲 全周
砲塔旋回速度 50°/s
ターレットリング半径 2m
乗員携行兵器 9mm短機関銃×3,小銃×2

 【参考ページ】
http://forum.warthunder.com/index.php?/user/292258-hebime/?tab=reputation&app_tab=forums&type=received
http://combat1.sakura.ne.jp/40M-T.htm
http://sweeper.a.la9.jp/pamzer/another/nim.htm

mixi,2016.5.17

ニムロードの各部装甲厚
(図表番号 faq190125nm,こちらより引用)

2019.1.25


 【質問 kérdés】
 「ニムロード80」とは?
Mi az Nimród 80?

 【回答 válasz】
 セベニ・ヂェルジ Szebeny György の構想に端を発する,ニムロード自走砲の80mm砲搭載型計画案.

 1940年,セベニ技師は「動く要塞」製作計画をハンガリー国防省に提出した.
 これは80mm砲を備え,トルディよりも装甲の厚い「動く要塞」の計画案だった.

 スペックだけ聞くとティーガー戦車に近いが,時代はまだ1940年.
 HTI(軍事技術研究所)は,生産の困難さと費用対効果の悪さを理由として,この案を拒否する.
 トルディやチャバの数倍は高価になるというのがHTIの見積もりだった.

 だが,時の国防相バルタ・カーロイ Bartha Károly はセベニ案に関心を示し,ベーズレル・カーロイ Bézler Károly 中佐に対し,ニムロード自走砲の車体に80mm砲を搭載した駆逐戦車の実現性を評価するよう命じた.
 命じられた時の中佐の表情は,想像するに難くない.

 同年9月,ベーズレル中佐は報告書を提出.
 それによれば,80mm対戦車砲では反動が強すぎて,ニムロードの車体に搭載することは不可能で,搭載するとすれば80mm野砲になるとした.
 また,砲塔は完全固定となり,左右それぞれ15°にしか向きを変えることができない.
 費用も33.000~44.000ペンゲーに達する.

 要するに「高価な上に非現実的です」と暗に言っているのだが,バルタ国防相はセベニ技師に18M80mm野砲をニムロードに搭載する計画を依頼してしまった.
 バルタの要望は,
装甲は50mm以上
対地目標に限定
砲の偏向角度は水平方向に-30~30°,垂直方向に-10°~30°とすること
乗員保護のために装甲の天蓋をつけること
だった.

 1941年4月,HTIでの会議の席上で,セベニは次のような計画案を発表した.
・砲弾は装薬と砲体が分離していない,新型の一体型砲弾とし,ニムロードの「額板」につけた2つのコンソールに載せる
・装甲は20~30mm
・仰角は50°
・車長のキューポラを屋根の上に追加
・非常口を車体側面に追加
・両サイドと上部にもハッチを追加(合計5つ)

 だがHTI側の技術者たちは,
・改造費用が高すぎる(~100.000ペンゲー)
・重心が高すぎる
・車体と砲の重量が増えすぎる
として計画案を拒否.

 けれどもバルタ国防相は計画継続を望み,セベニ技師に対して行動の自由と予算45.000ペンゲーを与えた.
(何故に???)

 1941年11月,ゼベニーは計画案を作り上げた.
 それによれば,砲は仰角100°で対空にも使えるようになっていた(そんな要望は誰もしていなかったのに)

 新型の80mm砲はトゥラーン中戦車の75mm砲と比較試験された.
 結果,軍事技術委員会 Hadiműszaki Tanács は計画を否決.
 その理由として,以前と同じ理由のほか,
・新型砲は最低限の要求しか満たしていない
・新型砲への改修とニムロードへの搭載には,276.500ペンゲーの費用がかかる(さらに高価くなってるやん)
・対空照準器を取り付けるためのスペースが,車内にない
・新型砲の砲口速度(580m / s)は航空機に対して十分な威力がない
・上部構造が密閉式のため,対空監視能力が低い
・超信地旋回できないため,固定砲塔では空中の標的をとらえきれない
・最初の量産型が登場するのは1944年末のことになる

 さすがのバルタ国防相も1942年2月,計画を放棄.
 試作車輌も作られずに済み,ラフな線図のみが今日残っている.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://karosszektabornok.blog.hu/2015/08/18/169_a_29_m_8_cm-es_legvedelmi_agyu

1枚目:3Dモデル
(図表No.faq191128sb2, こちらより引用)

2枚目:側面図
(図表No.faq191128sb, こちらより引用)

3枚目:国防相と技師のやりとり(想像図)
(図表No.faq191128sb3, こちらより引用)

mixi, 2019.11.29

80mm砲搭載型イラスト

80mm砲を諦め,より軽量な野砲を搭載する案も検討されている(側面イラスト)

Petronio Longo in twitter, 2021.3.8


 【質問】
 「レヘル」って何?

 【回答】
1)
 マジャル人の族長で,アールパード王の子孫タクショニ Taksony 配下の軍事指揮官の一人.
 マジャル人のバイエルン侵攻に従軍.
 955年,レヒフェルトの戦いにおいて捕虜となり,その年のうちにレーゲンスブルクにおいて殺害された.

2)
 43M「レヘル Lehel 」は「ニムロード」の車台を流用した装甲兵員輸送車.
 戦闘室となっていた車体中央部を改設計して,8名の兵員を収容する,オープン・トップの兵員室とした.
 「ニムロード」を改造して試作車が作られ,1943年に試験には合格したが,工場の生産力が他の優先度の高い車両に回されたため計画は中止.

 代わりに救護車型の「レヘルS」が計画された.
 これは元の「レヘル」から対空機銃座を撤去し,天蓋となる幌をつけたもの.
 軍部は既存の9両の「ニムロード」を「レヘルS」に改造,および新造の「ニムロード」のうち28両を「レヘルS」として完成させる意向を示したが,実行されなかった.
 既に多くの「ニムロード」を失っていたためである.

 また,工兵車型の「レヘルÁ」も計画.
 こちらは装甲厚を20mmに増加させたものだった.
(つまり突撃工兵用?)
 MÁVAG社は1943年8月16日に兵員輸送型をこれに改造完了し,1943年8月30日から9月14日の間に一連の試験を行ったが,こちらも計画中止.
 残された写真から見るに,試作車はブダペシュトでの戦闘で遺棄された模様.

 【参考ページ】
http://combat1.sakura.ne.jp/LEHEL.htm
http://www.aviarmor.net/tww2/tanks/hungary/43m_lehel.htm
http://bpp.gportal.hu/gindex.php?pg=35366240
http://deuxiemeguerremondia.forumactif.com/t7520-43m-lehel
http://forum.axishistory.com/viewtopic.php?t=34143&start=15
https://forum.warthunder.com/index.php?/topic/252288-magyar-harckocsik-a-ii-világháborúban/
https://live.warthunder.com/post/536698/en/

「ヘレル」4面図
こちらより引用)

同写真
(こちらより引用)

「レヘル」彩色写真
faq190217lh

(こちらより引用)

路上試験中の「レヘル」
faq190217lh2

(こちらより引用)

「レヘル」内部
faq190217lh4
「レヘルS」内部
faq190217lh3

こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2016/05/07 20:00
を加筆改修


 【質問 kérdés】
 「ニムロード」IVとは?
Mi az "Nimród" IV ?

 【回答 válasz】
 「ニムロード」対空自走砲は,対戦車自走砲兼用としても期待されていたが,武装が40mm機関砲だったため,ソ連軍戦車に対しては威力不足だった.
 そこで計画されたのが,「ニムロード」の火力強化型である「ニムロード」IVである.

 最初に計画されたものは,対空火力の強化型,「ニムロード」IIIだった.
 「ニムロード」I・IIでは40mm機関砲×1門であったのに対し,4連装40mm対空機関砲1基を搭載する計画.
 外見はドイツの対空自走砲「ヴィルベルヴィント」と似たものになった.

 そして「ニムロード」IIIがまだ設計図だけの存在だったうちから,「ニムロード」IVが早くも計画された.
 「ニムロード」IVは「ニムロード」IIIを対戦車火力強化に特化させたもので,武装は4連装75mm対戦車砲または6連装75mm対戦車砲を1基搭載.
 重量増加を支え,また,6連装砲斉射の反動を抑えるため,車体も大幅に改設計され,左右3本ずつのキャタピラを備えた.
 エンジンはDB605DC 1970HP×2基で,時速40kmを出す予定だった.

 もちろん,大戦末期にこんな誇大妄想じみた戦車が実現できるはずもなく,設計図段階から進まないうちに終戦を迎えた.

「ニムロード」IV想像図

2017.4.1
注意! この項はエイプリル・フールのネタです


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