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 【link】

12_Lukacs Farobbantas cikk.pdf
http://www.hhk.uni-nke.hu/downloads/kiadvanyok/mkk.uni-nke.hu/pdf2013_2/12_Lukacs%20Farobbantas%20cikk.pdf


 【質問】
 ホビボスのニムロード,箱絵イメージを見たらハンガリー軍十字の赤と緑が逆だ.
 ああいうパターンもあったの?

 【回答】
 いいえ,ハンガリーの国籍マークで緑縁付き赤十字はありえません.
 日の丸の代わりに赤縁付き白丸を付けるようなもの.

 ハンガリー陸軍の国籍マークは大戦間から第二次大戦終結まで何回かの変更があり,また十字の太さや外形(8角形や丸)などのバリエーションがいくつかあったけど,赤十字というのはないでしょう.
 まぁ当時その場にいて実車見たわけでないので100%絶対とは言えないけど,

 詳しい変遷については,こちら
http://thehonvedhungarianarmedforces.blogspot.jp/2013/04/the-development-of-hungarian-military.html
および

http://www.zimmerit.com/zimmeritpedia/UNGHERIA_sez_1.html
に書かれているので,参照されたし.

 ちなみに車体の色彩は,光栄の「東部戦線」(小国に詳しい川畑氏が文章担当) によると
・ダークオリーブグリーン
・オーカー
・レッドブラウン
の三色迷彩が(戦争中盤までは)基本とある.

模型板,2013/10/23(水)~2015/01/03(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 「ニムロード」自走砲について3行以上で教えてください.

 【回答】
 40M「ニムロード Nimród」対戦車/対空自走砲 páncélvadász és légvédelmi gépágyú は,スウェーデン・ランズベルク社のL-62自走砲をハンガリーでライセンス生産したもの.
 その際,操作性向上のために若干砲塔が大型化され,砲塔後部が延長されて円筒形から馬蹄形になるなどの改良が行われている.
 ドイツのビュシングNAG社製エンジンを搭載した第1生産ロット(46両)と,ハンガリー国産のガンズ社製エンジンを搭載した第2生産ロット(89両)とがあり,いずれもマーヴァグ社において生産された.
 対空・対戦車の両方の用途に使うことを計画されており,また,実際に「トルディ」や「トゥラーン」Iの主砲より対装甲威力が優れていたため,対空戦闘だけでなく対地戦闘にも積極的に使用され,ソ連軍のT-34中戦車やKV-1重戦車とも撃ち合ったことがあるという.

 【参考ページ】
http://combat1.sakura.ne.jp/40M-T.htm
http://kleinpanzer.jimdo.com/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%84-contents/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%BC%E8%BB%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7-hungaryan-afv/
http://www.tanks-encyclopedia.com/ww2/hungary/40M_Nimrod.php
http://fhsw.wikia.com/wiki/40M_Nimrod

 「ニムロード」模型
http://fwge2272.la.coocan.jp/nimrod/nimrod_1.html

unknown

クビンカ博物館のニムロード Nimród Kubinkai Múzeumban
現存する2両のうちの1両.
ほぼ原形を保つが,泥よけの上のサーチライトのみ形状が異なる.
また,サーチライトは左右にあったが,クビンカのものは右側が失われている.
(図表番号 faq190726nm,こちらより引用)

2019.7.26

 なお,2018年頃にクビンカ博物館からパトリオット・パークへ移され,よりオリジナルに近い塗装に塗り直されている.
4枚目:パトリオット・パークのニムロード
(図No. faq200329pt4,こちらより引用)

2020.4.10

ブダ城のニムロード Nimród a Budai Várban
現存する2両のうちの1両.
この車輌は1944年に道路の牛をよけようとして溝に嵌り,溝から抜けようとしたときにケーブル火災を起こして放棄.
燃料に引火はせずに済んだので,後にブダ城まで牽引され,火点代わりに城門に置かれた.
1980年代にはシェルターの中に置かれていただけだったが,今日ではエンジンも40mm砲も駆動するまでに復旧されている.
(図表番号 faq190729nm,こちらより引用)

2019.7.29


 【質問】
 ニムロード自走砲の性能要目を教えてください.

 【回答】
全長:    5.32m
最大長   5.75 m(主砲砲身長含む)
全幅:    2.30m
全高:    2.80m
全備重量: 10.5t
車体容積  7913 cm3
装甲厚:  13mm(車体前面),10mm(砲塔&車体側面),6mm(後部)
乗員:    6名(車長,運転士,装填手2,射撃手2)
エンジン:  ビューシンク NAG L8V/36TR V型8気筒液冷ガソリン(第1生産ロッド分)
        またはガンツ VGT107 V型8気筒液冷ガソリン(第2生産ロッド分)
最大出力: 155hp/3,000rpm
最大速度: 50km/h
航続距離: 225km
戦闘行動半径 200km
懸架・駆動 トーションバー・サスペンション,装軌式,前方起動輪
トレッド   2.066m
トラック幅  0.286x0.065 m
トラック数  2x132
接地高   0.35m
接地圧   0.6 kp (キロパウンド)/cm²
最小旋回半径 5m
登坂能力 0.6-0.8 m
超壕能力 2-2.2 m
渡河能力 0.7m
武装:    60口径40mm対空機関砲36M×1 (160発)
最大射程 7160m
初速    850 m/s
発射速度 120/min
俯角仰角  -5° - +90°
貫通能力 100 m /90°/50 mm
       500 m /90°/40 mm
       1000 m /90°/32 mm
砲塔の長さ 2.84m
砲塔高さ  0.8m
砲塔旋回範囲 全周
砲塔旋回速度 50°/s
ターレットリング半径 2m
乗員携行兵器 9mm短機関銃×3,小銃×2

 【参考ページ】
http://forum.warthunder.com/index.php?/user/292258-hebime/?tab=reputation&app_tab=forums&type=received
http://combat1.sakura.ne.jp/40M-T.htm
http://sweeper.a.la9.jp/pamzer/another/nim.htm

mixi,2016.5.17

ニムロードの各部装甲厚
(図表番号 faq190125nm,こちらより引用)

2019.1.25


 【質問 kérdés】
 「ニムロード80」とは?
Mi az Nimród 80?

 【回答 válasz】
 セベニ・ヂェルジ Szebeny György の構想に端を発する,ニムロード自走砲の80mm砲搭載型計画案.

 1940年,セベニ技師は「動く要塞」製作計画をハンガリー国防省に提出した.
 これは80mm砲を備え,トルディよりも装甲の厚い「動く要塞」の計画案だった.

 スペックだけ聞くとティーガー戦車に近いが,時代はまだ1940年.
 HTI(軍事技術研究所)は,生産の困難さと費用対効果の悪さを理由として,この案を拒否する.
 トルディやチャバの数倍は高価になるというのがHTIの見積もりだった.

 だが,時の国防相バルタ・カーロイ Bartha Károly はセベニ案に関心を示し,ベーズレル・カーロイ Bézler Károly 中佐に対し,ニムロード自走砲の車体に80mm砲を搭載した駆逐戦車の実現性を評価するよう命じた.
 命じられた時の中佐の表情は,想像するに難くない.

 同年9月,ベーズレル中佐は報告書を提出.
 それによれば,80mm対戦車砲では反動が強すぎて,ニムロードの車体に搭載することは不可能で,搭載するとすれば80mm野砲になるとした.
 また,砲塔は完全固定となり,左右それぞれ15°にしか向きを変えることができない.
 費用も33.000~44.000ペンゲーに達する.

 要するに「高価な上に非現実的です」と暗に言っているのだが,バルタ国防相はセベニ技師に18M80mm野砲をニムロードに搭載する計画を依頼してしまった.
 バルタの要望は,
装甲は50mm以上
対地目標に限定
砲の偏向角度は水平方向に-30~30°,垂直方向に-10°~30°とすること
乗員保護のために装甲の天蓋をつけること
だった.

 1941年4月,HTIでの会議の席上で,セベニは次のような計画案を発表した.
・砲弾は装薬と砲体が分離していない,新型の一体型砲弾とし,ニムロードの「額板」につけた2つのコンソールに載せる
・装甲は20~30mm
・仰角は50°
・車長のキューポラを屋根の上に追加
・非常口を車体側面に追加
・両サイドと上部にもハッチを追加(合計5つ)

 だがHTI側の技術者たちは,
・改造費用が高すぎる(~100.000ペンゲー)
・重心が高すぎる
・車体と砲の重量が増えすぎる
として計画案を拒否.

 けれどもバルタ国防相は計画継続を望み,セベニ技師に対して行動の自由と予算45.000ペンゲーを与えた.
(何故に???)

 1941年11月,ゼベニーは計画案を作り上げた.
 それによれば,砲は仰角100°で対空にも使えるようになっていた(そんな要望は誰もしていなかったのに)

 新型の80mm砲はトゥラーン中戦車の75mm砲と比較試験された.
 結果,軍事技術委員会 Hadiműszaki Tanács は計画を否決.
 その理由として,以前と同じ理由のほか,
・新型砲は最低限の要求しか満たしていない
・新型砲への改修とニムロードへの搭載には,276.500ペンゲーの費用がかかる(さらに高価くなってるやん)
・対空照準器を取り付けるためのスペースが,車内にない
・新型砲の砲口速度(580m / s)は航空機に対して十分な威力がない
・上部構造が密閉式のため,対空監視能力が低い
・超信地旋回できないため,固定砲塔では空中の標的をとらえきれない
・最初の量産型が登場するのは1944年末のことになる

 さすがのバルタ国防相も1942年2月,計画を放棄.
 試作車輌も作られずに済み,ラフな線図のみが今日残っている.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://karosszektabornok.blog.hu/2015/08/18/169_a_29_m_8_cm-es_legvedelmi_agyu

1枚目:3Dモデル
(図表No.faq191128sb2, こちらより引用)

2枚目:側面図
(図表No.faq191128sb, こちらより引用)

3枚目:国防相と技師のやりとり(想像図)
(図表No.faq191128sb3, こちらより引用)

mixi, 2019.11.29


 【質問】
 「レヘル」って何?

 【回答】
1)
 マジャル人の族長で,アールパード王の子孫タクショニ Taksony 配下の軍事指揮官の一人.
 マジャル人のバイエルン侵攻に従軍.
 955年,レヒフェルトの戦いにおいて捕虜となり,その年のうちにレーゲンスブルクにおいて殺害された.

2)
 43M「レヘル Lehel 」は「ニムロード」の車台を流用した装甲兵員輸送車.
 戦闘室となっていた車体中央部を改設計して,8名の兵員を収容する,オープン・トップの兵員室とした.
 「ニムロード」を改造して試作車が作られ,1943年に試験には合格したが,工場の生産力が他の優先度の高い車両に回されたため計画は中止.

 代わりに救護車型の「レヘルS」が計画された.
 これは元の「レヘル」から対空機銃座を撤去し,天蓋となる幌をつけたもの.
 軍部は既存の9両の「ニムロード」を「レヘルS」に改造,および新造の「ニムロード」のうち28両を「レヘルS」として完成させる意向を示したが,実行されなかった.
 既に多くの「ニムロード」を失っていたためである.

 また,工兵車型の「レヘルÁ」も計画.
 こちらは装甲厚を20mmに増加させたものだった.
(つまり突撃工兵用?)
 MÁVAG社は1943年8月16日に兵員輸送型をこれに改造完了し,1943年8月30日から9月14日の間に一連の試験を行ったが,こちらも計画中止.
 残された写真から見るに,試作車はブダペシュトでの戦闘で遺棄された模様.

 【参考ページ】
http://combat1.sakura.ne.jp/LEHEL.htm
http://www.aviarmor.net/tww2/tanks/hungary/43m_lehel.htm
http://bpp.gportal.hu/gindex.php?pg=35366240
http://deuxiemeguerremondia.forumactif.com/t7520-43m-lehel
http://forum.axishistory.com/viewtopic.php?t=34143&start=15
https://forum.warthunder.com/index.php?/topic/252288-magyar-harckocsik-a-ii-világháborúban/
https://live.warthunder.com/post/536698/en/

「ヘレル」4面図
こちらより引用)

同写真
(こちらより引用)

「レヘル」彩色写真
faq190217lh

(こちらより引用)

路上試験中の「レヘル」
faq190217lh2

(こちらより引用)

「レヘル」内部
faq190217lh4
「レヘルS」内部
faq190217lh3

こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2016/05/07 20:00
を加筆改修


 【質問 kérdés】
 「ニムロード」IVとは?
Mi az "Nimród" IV ?

 【回答 válasz】
 「ニムロード」対空自走砲は,対戦車自走砲兼用としても期待されていたが,武装が40mm機関砲だったため,ソ連軍戦車に対しては威力不足だった.
 そこで計画されたのが,「ニムロード」の火力強化型である「ニムロード」IVである.

 最初に計画されたものは,対空火力の強化型,「ニムロード」IIIだった.
 「ニムロード」I・IIでは40mm機関砲×1門であったのに対し,4連装40mm対空機関砲1基を搭載する計画.
 外見はドイツの対空自走砲「ヴィルベルヴィント」と似たものになった.

 そして「ニムロード」IIIがまだ設計図だけの存在だったうちから,「ニムロード」IVが早くも計画された.
 「ニムロード」IVは「ニムロード」IIIを対戦車火力強化に特化させたもので,武装は4連装75mm対戦車砲または6連装75mm対戦車砲を1基搭載.
 重量増加を支え,また,6連装砲斉射の反動を抑えるため,車体も大幅に改設計され,左右3本ずつのキャタピラを備えた.
 エンジンはDB605DC 1970HP×2基で,時速40kmを出す予定だった.

 もちろん,大戦末期にこんな誇大妄想じみた戦車が実現できるはずもなく,設計図段階から進まないうちに終戦を迎えた.

「ニムロード」IV想像図

2017.4.1
注意! この項はエイプリル・フールのネタです


 【質問】
 ラーバ「Vr」対空自走砲について3行以上で教えてください.

 【回答】
 ラーバ「Vr」対空自走砲 Rába "Vr" önjáró légvédelmi löveg は,ハンガリーが第一次大戦後,初めて作った対空自走砲.
 戦後,軍備を厳しく制限されたハンガリーでは,空軍保有を禁止されていたが,将来的には航空機が大きな脅威になるだろうことを軍首脳は予想していた.
 そのため,当時としては唯一の選択肢として,対空兵器を開発することとした.
 ラーバ自動車&機械工場 Rába Magyar Vagon- és Gépgyár が1913年にチェコからプラガV型トラックのライセンスを取得して生産していた「ラーバV」型トラックに,やはりチェコはシュコダのM05 8cm野砲(ハンガリーにおける制式名称8cm 5.M野砲)を搭載した.
 ハンガリー軍は当時すでに対空砲として40mmと8cmのボフォース対空砲を有していたが,数が少なかったために,この選択となった.

 ちなみに第一次大戦中のオーストリア=ハンガリー軍も,トラックの荷台に火砲を乗せただけの対空自走砲を各種開発しており,ラーバVrもその発想の延長上にあると言えるだろう.

 このラーバVrは ディオーシュジェーリ機械工場 Diósgyőri Gépgyár において,1922~23年に20台が生産された.
 第二次大戦中,本車がどのように使われたのか,それは定かではない.
 ただ,1942年に撮影されたニュース映画において,国内防空演習の中の一コマに本車が登場している.

 【参考ページ】
https://forum.warthunder.com/index.php?/topic/252288-magyar-harckocsik-a-ii-világháborúban/
https://live.warthunder.com/post/538996/en/
http://www.raba.hu/cegtortenet.html
http://www.armourbook.com/forum/topic_916/2
https://www.youtube.com/watch?v=L0PY97yknvY

1枚目:乗員休息中のラーバVr自走対空砲
(図表番号faq190317vr,こちらより引用)

2枚目:1920年代後半~1930年代前半と思われるラーバVr写真
(図表番号faq190427vr,こちらより引用)

3枚目:ラーバ「Vr」模型
(図表番号faq160427v2,こちらより引用)

4枚目:ラーバ「V」型トラック
(図表番号faq160427v,こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2016/05/09 20:00
を加筆改修


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリー軍が保有したことのある装甲車を教えてください.

 【回答 válasz】
 年代順に…

・ビュッシング・フロッシュ装甲車 Büssing-Fross páncélgépkocsi
 フロッシュ・ビュッシング・トラックを即席で改造したもので,オーストリア=ハンガリー軍の遺物としてWW1終結時,数両残存.
 なぜ装甲車が「フロッシュ・ビュッシング」ではなく「ビュッシング・フロッシュ」と呼ばれたのかは不明.
 正確な由来も不明だが,バルカン半島で改造された模様.
 武装はシュワルツローゼ機関銃×2.
 トリアノン条約では「オフロード能力を持つ装甲車輌」の保有は禁じられたが,この装甲車はオフロード能力を持たなかったため,警察用として2両の保有を許された.
 連合軍の査察官がハンガリーから出国するや,この2両は国軍に譲渡.
 1930年代に軍の近代化が進むと共に退役した.

 WW1終戦時,オーストリア=ハンガリー軍から引き継いだ車輌としては,他に
ロムフェル Romfell 1両
ユノヴィッツ Junovitz 数両
オースティン 1両(ロシア軍から鹵獲)
があった.

ビュッシング・フロッシュ装甲車二面図
(図表番号faq190411bf)

こちらより引用)

・ラーバ「Vp」装甲車 Rába "Vp" Páncélgépkocsi
 別項参照

・29Mヴィッケルシュ装甲車 29.M Vickers páncélgépkocsi
 1928年,連合国側の承認を経てハンガリーに輸入された,ヴィッカース・アームストロング社のD3E1試作装甲車.
 条約の制限により,オフロード能力無し.
 輸入時には武装もない状態だったが,シュワルツローゼ機関銃をハンガリー側で搭載.
 1930年代の終わりまで,訓練や治安出動に使われた.

29Mヴィッケルシュ装甲車
(図表番号 faq190415vc,こちらより引用)

・29Mクロッシュレイ 29.M Crossley
 オフロード能力がない英国製装甲車ヴィッカース・クロスレイの輸入を,ハンガリーは連合国に許可され,1928年にBGV型2両を購入.
 武装はシュワルツローゼ機銃2丁.
 上部構造物を付け加え,うち1両は長距離無線機を装備されて指揮車として運用.
 しかし,より重装甲にする改造や,運転席を前後に設ける改造を行う余地は無く,これらは当時の軍用装甲車の基準とされていたために,この2両が第一線投入されることは無かった.
 一方,1939年3月のスロバキア=ハンガリー紛争には出動したという情報もある.
 1939年退役.

29Mクロッシュレイとその指揮車型(2枚目)
(図表番号 faq190418vc & faq190418vc2,こちらより引用)

・ルノー Renault UE
 おふらんすの小型装甲装軌車ざんす.
 ハンガリー軍には1942~1943年,ドイツから4~5両が供与されたざんす.

ハンガリー軍所属のルノーUE
(図表番号 faq190512rn,こちらより引用)▲

・フィアットF2F装甲車 FIAT F2F páncélgépkocsi
 軍備制限下,密かに装甲部隊の訓練をするための車輌が不足していたため,1930年代初めに作ったダミー装甲車.
 これはそのうちの一種で,フィアットF2F救急車を改造して8両製作.
 29Mクロッシュレイ装甲車を模した形に作られ,武装もクロッシュレイと同じくシュワルツローゼ機関銃2丁を装備していた.

FIAT F2F
(図表番号 faq190418fa,こちらより引用)

・フィアット2F装甲車 FIAT 2F páncélgépkocsi
 フィアットF2Fと同様の経緯で1930年代の初め,フィアットF2F救急車を改造して4両製作されたダミー装甲車.
 こちらのほうはシュコダPA-II「Želva」を模して作られ,軍事演習では仮想敵の役割を果たした.
 武装はシュワルツローゼ機銃2丁.
 1939年まで使用された.

FIAT 2F
(図表番号 faq190418fa2,こちらより引用)

・Tatra OA vz.30
 チェコスロヴァキアはタトラ社の装甲車.
 チェコ解体の際,1938年11月2日から1939年1月12日の間に国境での衝突が22件発生.
 Mukacheveにおいては装甲車を伴ってチェコ軍が攻撃を行ったが,国境警備隊および地元ハンガリー系住民の民兵によって撃退された.
 その際,チェコ軍の退却時に,道路の路面が凍結していたために1台のOA vz.30- 登録番号13.326 - が溝に滑り落ち,乗員は装甲車を放棄して脱出.
 この車輌が1939.1.6,ハンガリー軍によって鹵獲された.
 1941年までは訓練に使われたが,その後の消息は不明.

鹵獲されたOA vz.30
(図表番号faq190214oa,こちらより引用)

・39Mチャバ偵察装甲車 39M Csaba felderítő páncélgépkocsi
 別項参照

・ブレンガン・キャリア
 英国の装軌式汎用輸送車.
 正式には「Universal Carrier」
 ハンガリー軍が少なくともこれを1両鹵獲して運用していたことを示す写真が,ただ一枚残存.
 牽引車として使用されたと思われるが詳細不明.

運用中の鹵獲ブレンガン・キャリア
(図表番号faq190522un,こちらより引用)

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://militiahungarorum.roncskutatas.hu/1920_f_j_p_r.html
https://live.warthunder.com/post/553799/en/
https://live.warthunder.com/post/558645/en/

2019.4.20,抽出して加筆し,単独項目化

▼  Csaba Becze著の『Magyar Steei』より,外国製の装甲車輌のハンガリーでの使用状況について.
(ただし,この本は古いので,近年の研究成果は反映されていません)

●チェコスロバキアとの国境紛争で捕獲した車輌

Tatra OA Vz.30 A.C.(装甲車)
 1939年に1両

●ソビエト軍からの捕獲車輌

BA-6 装甲車
 1941年から1942年に4両から6両

 また,
https://live.warthunder.com/post/558645/en/
によれば同年頃,BA-10も鹵獲(総数不明).
 両者はハンガリー軍において兵站警備や偵察に使用されたという.

BA-10を用い,ロシアでの占領地を警備するハンガリー憲兵隊
(図表番号faq190916ba,こちらより引用)▲

カチューシャ Katyusa
 ソ連の自走式多連装ロケット砲.
 ハンガリー軍では英国製オースティン・トラックをベースにした132mm BM-13型を,ドン河河畔で2両鹵獲.
 ブダペシュトに送られ,1942.9.5到着.
 どちらも大破していたが,トラックは工兵によって,ロケット発射システムはヴァイス・マンフレート社によって修理され,後に軍の技術研究所で試験された.
 戦闘には使用されていない.

鹵獲カチューシャ
(図表番号 faq190602kt1~4,こちらより引用)

T-20コムソモーレツ T–20 Komszomolec
 ソ連軍の小型装甲牽引車.
 ハンガリー軍は1941~42年に鹵獲.
 鹵獲数不明.
 ハンガリー軍車輌としての登録番号を付与され,前線での牽引や輸送に使用.
 その後,訓練用に転用された.

鹵獲T-20
(図表番号 faq190516t20,こちらより引用)

ギシュクラ in mixi,2016年05月06日
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ラーバ「Vp」装甲車 Rába "Vp" Páncélgépkocsi について教えてください.

 【回答】
 第一次大戦終結直後,ハンガリー軍は旧オーストリア=ハンガリー軍から
ロムフェル Romfell 1両
ユノヴィッツ Junovitz 数両
ビュッシング=フロシュ Büssing-Fros 数両
オースティン 1両(ロシア軍から鹵獲)
を受け継いだ.

 一方,ハンガリー革命に介入したハンガリー・ルーマニア戦争や,カール一世擁立を目指したレハール将軍のブダペシュト進軍といった混乱期,新規調達した装甲車と言えば,たった2両のビュッシング=フロシュだけだった.
 第一次大戦の敗者となったハンガリーは,トリアノン条約により軍が装甲車輌を保有することを禁止されていたのである.
 しかし抜け穴があった.
 民兵や警察によって,LK軽戦車やビュッシング=フロシュ装甲車が輸入された.
 LK軽戦車は農村の小屋に隠され,その間に錆だらけとなったが,オフロード機能のなかったビュッシング=フロシュ装甲車は,連合軍の監視委員会も警察用として許可を出した.
 最終的にはそれらは1930年代には廃車となった.

 1923年,秘密裏に「軍備管理委員会」が立ち上げられ,再びその抜け穴を利用することとなった.
 表向きは警察用の装備として,装甲車の設計開発に取り組んだのである.
 ラーバ Rába自動車&機械工場でライセンス生産されていた,チェコの5tトラック,プラガ「V」型の車体を装甲で覆い,屋根に円形の砲塔を備えた.
 外観はビュッシング=フロシュと似ている.
 砲塔にはSchwarzloze M07 8mm機銃1.
 他に同じ機銃1や小銃,手榴弾を車内に配備し,車体の銃窓から射撃できる他,車内から警官隊が出動する際に携行することが可能だった.
 その警官は12名を輸送可能.
 実態としては「装甲バス」に近いかもしれない.
 エンジンは35馬力,時速は20kmだった.

 1925年には試作車が完成したが,生産のほうは1927年にキャンセルされた.
 「Vp」は何度か改修をされながら,1930年代まで使われ続け,軍の訓練に貢献.
 装備品リストからその車輌番号が消えたのは1940年になってのことだった.

▼ また,
https://live.warthunder.com/post/553799/en/
によれば,1934年に鉄道車に改修.
 退役したのは1939年だったとしている.▲

 【参考ページ】
http://militiahungarorum.roncskutatas.hu/1920_f_j_p_r.html
http://www.aviarmor.net/tww2/armored_cars/hungary/raba_vp.htm
http://forum.valka.cz/topic/view/59290/HUN-Raba-Vp

模型ページ
http://ipmsmalta.forumotion.net/t1734p30-1-35-hungarian-raba-v-p-scratchbuilt

ラーバ「Vp」3面図および写真
図表番号 faq160528vp
図表番号 faq160528vp2
図表番号 faq160528vp3
図表番号 faq160527vp3

こちらより引用)

mixi, 2016.4.28


 【質問】
 「チャバ」装甲車について3行以上で教えてください.

 【回答】
 39Mチャバ偵察装甲車 39M Csaba felderítő páncélgépkocsi は,ニコラス・ストラウスラー設計のストラウスラーAC2装甲車を基に,ヴァイス・マンフレート社 Weiss Manfréd にて生産された装甲車.
 通常の前部操縦席以外に,後進用の後部操縦席もあったことが特徴.
 前身速度と同じ速度で後退できた.
 兵装としてはゾロターン20mm対戦車銃と8mm機関銃を搭載した他,車内にもう1丁の8mm軽機関銃を携行していた.
 これは後部ハッチを開放しての対空射撃や,乗員が降車して偵察任務を行う際の携行用として使われた.
 エンジンはフォード 90馬力エンジンで,ドイツのケルン工場から輸入された.

 合計202両生産.
 そのうち20両は無線指揮車型の40Mで,これは武装は8mm機銃のみ.
 その代わり,通常型のR-4無線機に加え,R-4T無線機と大型のフレームアンテナを装備した.

ルーク「"茶葉"と書くと,中に利休が乗ってそうで素敵ですね」
ヤン 「素敵です」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10264651

 【参考ページ】
http://ameblo.jp/solderkirby/entry-11209294146.html
http://www.internetmodeler.com/2001/may/first-looks/Botond_Csaba.htm
http://world-war-2.wikia.com/wiki/39M_Csaba
http://someinterestingfacts.net/straussler-armored-car-ac1-ac2-and-ac3/

【ぐんじさんぎょう】,2016/05/04 20:00
を加筆改修

 どこかで見たなと思ったら,八重洲出版の第二次大戦で活躍した世界の軍用自動車と言う本の,「ドイツの戦闘車両」の項目に「マンフレット・バイス シュトラウスラ クサバ装甲車」として掲載されていたよ.
 隣が,中国陸軍使用のSdkfz.223と言うマニアックな本だけどさ.

 しかし,なんでハンガリー向けの装甲車がドイツの項目に入っていたのか,小一時間問い詰めたい気分.
 この本によると,4気筒デュアルイグニッションつきツインOHCリアエンジン.
 4520×2100×2270ミリ,重量5900kg.
 各車輪にステアリングボックスを備え,2輪もしくは4輪ステアリングの独立懸架.

 英国の奴は6気筒で120馬力リアエンジン,全輪独立懸架.
 殆ど変わらない.
 ただ,馬力当たりの重量はこっちの方が勝ってたのかも.

眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2002/09/17
青文字:加筆改修部分

 軽めの本ですけど,デルタ出版の「世界の軍用車両4」という本では,ページの上にイギリスという表記がなされていますた.
 ・・・ま,いいんですけど.

 路上速度が65 km/hで航続距離が150 kmというのは他国の同種の車両に劣っている気がしますけど,矢張り前進5速,後進5速というのは良いですね.
 エンジン独逸製ですか.
 一応.↓
http://www.phg.hu/models/botond/csaba.htm

 装甲車の名前になっているチャバって,アッツィラの(伝説上の)息子の名前なんですね.

軍事板,2002/09/19
青文字:加筆改修部分

「チャバ」三面図
こちらより引用)

彩色写真
(こちらより引用)


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリーの装甲列車について教えてください.
Kérem, mondja meg magyar pancélvonatokról.

 【回答 válasz】
 オーストリア=ハンガリーは装甲列車11本を有していたが,第一次大戦後,ハンガリーは4本を継承.
 それらにはIV号,VI号, VII号,IX号という番号がついていたが,1919年,ハンガリーは改めてI号,II号,III号,IV号と番号を付け直した.
(後にIV号はさらにV号と改番された)

 加えてハンガリーは民間列車のうちの8本を装甲列車に改造.
 最大時は装甲列車12本を有したが,そのうち2本はルーマニア軍やチェコスロヴァキア軍によって破壊された.

 1929年,ハンガリーは残存10本を調査.
 XII号は改造されて軍事史博物館となった.
 民間列車から改造された装甲列車は退役し,第一次大戦の生き残り組であるI号,II号,III号,V号だけが軍務を継続した.

 1932年,装甲列車は再び改番されて1号,2号,3号,4号となったが,1939年,さらに番号が改められて101号,102号,103号,104号となった.

 101号・103号はMÁV 377型蒸気機関車が牽引.
 砲車を後尾に接続していた.
 砲車は36.M 36mm対戦車砲(後に40.M 40mm対戦車砲に換装)1門,20mm対戦車銃1門を搭載する砲塔を有した他,07/31.M 8mmシュワルツローゼ機関銃4門を装備していた.
 列車トップは砲塔車で,18.M 8cm野砲×1,20mm対戦車銃×1を砲塔に搭載した他,07/31.M 8mmシュワルツローゼ機関銃2門を装備していた.
 また,地雷対策用に前後に空の貨車を1~2両接続した.

 この装甲列車の乗員は定員30名――各機銃や対戦車銃に2名,野砲や対戦車砲の要員が4名×4,通信兵2名以上,工兵2名以上,運転士1名(およびおそらくは運転助手1名),指揮官1名.

1枚目:装甲列車101号 Páncélvonat 101.(側面図つき)
(図表番号 faq190809pv,こちらより引用)

2枚目:高地を進む101号
A 101.sz. páncélvonat a felvidéki bevonulásban

(図表番号 faq190819pv,こちらより引用)

 102号は定員,牽引する機関車,砲車の兵装,空の貨車を前後に接続していたところまでほぼ同じだが,野砲は22.M 8cm野砲だった.
 22.Mは対空砲として使用できるほどの射高を有していた.

1枚目:装甲列車102号 Páncélvonat 102.
(図表番号 faq190811tr,こちらより引用)

2枚目:ウィーン裁定後,ベスキド Beszkid へ向かう102号
(図表番号 faq190820tr,こちらより引用)

 104号は軌道車部分のみハンガリー軍は保有.
 同車はガソリン・エンジン車で,砲塔に22M野砲,後部銃座に20mm対戦車銃,他に07/31Mシュワルツローゼ8mm機関銃×4を装備.
 また,地雷対策用に前後に空の貨車を1~2両接続した.

 乗員は20名.
 機関銃および対戦車銃に各2名.
 野砲に4名.
 通信兵2名.
 工兵2名.
 運転士1名.
 指揮官1名.

104号装甲軌道車 motorvonat 104.
(図表番号 faq190815tr,こちらより引用)

 101号・102号・104号はユーゴスラヴィア侵攻作戦(1941年)やバルバロッサ作戦に参加.
 1944~45年にはハンガリー国内で戦闘参加した.
 その後の消息は不明.
 戦闘で破壊されたか,戦後に廃棄されたと思われる.

 103号もユーゴスラヴィア侵攻作戦(1941年)やバルバロッサ作戦に参加.
 1944~45年にはハンガリー国内で戦闘参加し,ブダペシュト包囲戦で破壊された.

1枚目:装甲列車103号 Páncélvonat 103.
(図表番号 faq190813tr,こちらより引用)

2枚目:ブダペシュトの東駅に遺棄された装甲列車
経歴から考えて103号?
(図表番号 faq190820tr2,こちらより引用)

 ハンガリー軍はまた,特設装甲列車も使用した.

 「エーヴァ Éva」はウクライナ占領地域の治安維持部隊がソ連パルチザンと戦うのを支援するため即席で用意され,1941年または1942年から1943年まで使用された.
 列車前後に地雷よけのための,岩石を満載した貨物車を2両接続.
 1両には鹵獲品である10.5cm野戦榴弾砲(詳細は不明)を搭載.
 歩兵搭載車輌が6~7両.これにはスリッパ材(車輌床から10-15cmの間隔をあけて付けられた鉄道の枕木.床との間のスペースは砂で満たした)を張り巡らし,その張り巡らしたスリッパ材の上に,これもスリッパ材で作った四角いオープントップの銃座を設置し,07/31.M シュワルツローゼ機関銃を装備.これら車輌の上部は装甲板で強化した.
 弾薬用の貨車×1.
 定員は50〜60名.彼等のための寝台車の数は不明.
 36.M 40mmボフォース対空機関砲を搭載した貨車×1.
 MÁV424型機関車に装甲板を貼った車輌2両が,これらを牽引した.

 詳しい履歴は不明.
 「エーヴァ」がいつハンガリー国内に撤退したのかも不明だが,少なくとも1944年には「ボトンド Botond」と改名され,以下のように装備を改められた.
・列車前後に地雷よけのための,岩石を満載した貨物車を2両接続.
 前後ともにそのうち一両には07/31M 8mmシュワルツローゼ機関銃×2が搭載された.
・牽引車はMÁV328型機関車×1(シリアル番号328.649)に.
・鹵獲したソ連軍のVS-60装甲鉄道車輌×1を接続.
 同車には7.62cm野砲×2,07/31M 8mmシュワルツローゼ機関銃×4,36.M 20mm対戦車銃×1,対空砲およびそれらの弾薬を搭載.
・3.7cm Flakzwilling 43 対空機関砲×1を搭載した,耐爆性を強化した貨車を1両接続.
・迫撃砲×4を搭載した無蓋貨車×1を接続.
 迫撃砲の種類は15cm迫撃砲またはオーストリア=ハンガリー時代のM15迫撃砲のいずれかと思われるが,定かではない.
・ガンマ・ユハース GAMMA-Juhász 対空警戒装置を備えた36.M 40mmボフォース対空機関砲を搭載した無蓋貨車×2.
・兵員用の寝台車輌の数は不明

 「ボトンド」は1944年から45年にかけ,ハンガリー国内での戦闘に従事したが,1945年1月20日,ナジカニジャ近郊でソ連軍機の低高度爆撃により破壊されたという.

1枚目:特設装甲列車エーヴァ rögtönzött páncélvonat Éva
(図表番号 faq190817ev,こちらより引用)

2枚目:「ボトンド」時代
(図表番号 faq190819bt,こちらより引用)

 他に,ソ連軍の装甲列車OB-3型を鹵獲.
 ハンガリー軍に鹵獲された装甲列車はこれが唯一だという.
 OB-3型は標準兵装としては1902/30年式76.2mm砲×1,DT軽機関銃×1,4連装マキシム機関銃×1を搭載していた.

装甲列車OB-3型 OB-3 típusú Páncélvonat
(図表番号 faq190808tr,こちらより引用)

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/538047/en/
https://live.warthunder.com/post/538050/en/
https://live.warthunder.com/post/538055/en/
https://live.warthunder.com/post/538070/en/
https://live.warthunder.com/post/538283/en/
https://live.warthunder.com/post/538295/en/
https://live.warthunder.com/post/538306/en/
https://www.arcanum.hu/hu/online-kiadvanyok/Lexikonok-magyarorszag-a-masodik-vilaghaboruban-lexikon-a-zs-F062E/p-q-F0CB5/pancelvonat-F0CCF/
https://www.masodikvh.hu/haditechnika/kiserleti-fegyverek/magyar-kiserleti-fegyverek/1321-pancelvonatok-a-magyar-hadseregben

mixi, 2019.8.23


 【質問 kérdés】
 MÁV242形蒸気機関車について教えてください.
Kérem, mondja meg a MÁV242 sorozat gőzmozdonyról

 【回答 válasz】
 日本にとって決してなじみがあるとは言えない国ハンガリー.
 しかしこの国は,かつてブダペシュトに広大な鉄道車輌工場を有し,世界各国に機関車や気動車を輸出していたこともあった.
 今回はそんな知られざる蒸気機関車輸出国,ハンガリーで作られた高速機関車のお話.

 時は1836年,日本では大塩平八郎の乱が起きる前年,当時ハプスブルク家の領土だったハンガリーに対し,皇帝フェルディナント一世は鉄道敷設の許可を与えた.
 1844年,ハンガリーで初めての鉄道がペシュト~ラーコシュパロタ間に敷設開始.
 これは1846年には開業し,オーストリア=ハンガリーが成立する1867年までに,ハンガリー国内の鉄道網の長さは2,341kmに達した.

 この鉄道網に鉄道車両を供給すべく,1868年に2つの合弁会社が設立された.
 一つはハンガリー=ベルギー機械&駆動機構会社.
 もう一つはハンガリー=スイス鉄道車輌工場だった.
 特に後者は,大平原リエカ鉄道の牽引車両の殆どを生産していたが,1870年までに両社とも破産.
 ハンガリー政府によって買収され,ハンガリー王立鉄道機械&車輌工場 Magyar Királyi Államvasutak Gép- és Kocsigyára として再出発した.
 これが後のハンガリー王立鉄鋼&機械工場 Magyar Királyi Állami Vas-, Acél- és Gépgyárak,略してマーヴァグ MÁVAG である.
 1873年には同工場最初の機関車を製造.
 1900年より機関車の輸出も開始し,以後,多数の機関車や気動車をイタリアやルーマニア,ソビエト連邦,エジプト,インド,ユーゴスラビア,北朝鮮等へ輸出した.

 ところがハンガリー鉄道にとって大打撃となる事態が発生する.
 第一次世界大戦である.
 この敗北によってオーストリア=ハンガリーは解体し,ハンガリーは領土を72%削られた上で王国となって再出発する.

 そんな敗戦のドン底の状態でスタートした上に,1920年代後半から1930年代初頭の世界大恐慌が追い打ち.
 支線運営会社などは殆ど倒産する始末だった.
 そのためハンガリー国鉄も車輌の更新が他国よりも遅れ,1930年後半までに小規模高速輸送の需要が高まっていた.
 他国では1930年代前半には注目され,英仏独などがしのぎを削っていた分野である.
 ハンガリー国鉄は需要を具体的に調査して,時速120キロの高速機関車を製造することとなった.
 これがMÁV242形である.

 車輪配置は4-4-4.
 すなわち先輪―動輪―従輪が4つ(左右に2つずつ)あった.
 当時,高速蒸気機関車は4-6-2のいわゆる「パシフィック」式が一般的だったが,これによる駆動車軸への荷重増加によって必要になる制動力の増加分は,ドイツ・クノール社製の圧縮空気ブレーキを装備することで解決することとした.
 また,ターンテーブルで機関車を反転させず,前後どちらにも高速走行できるよう,テンダー機関車ではなくタンク機関車とした.
 水・石炭を別の車両(炭水車)に搭載するのではなく,機関車本体に水・石炭も搭載する方式で,これには燃料積載容量が少ないことから長距離運行には適さないという欠点があるが,250km(160マイル)という比較的短い距離を走る,郊外の旅客サービス用である本車はそれで十分と判断された.
 実際それで十分で,たとえばドイツのタンク機関車BR61形で発生したような,水槽の水不足などの問題は起きなかった.
 台車はボギー台車.
 これは駅でのターンアラウンドタイムを短縮することが目的だった.

 MÁV242形の1号車は1936年完成.
 運行は概ね好調だった.
 計画速度120 km/hは容易に達成され,後にフリーゲンダー・ハンブルガーが走行していたベルリン~ハンブルク間の特急路線で行われた走行試験では,時速152 kmを達成.
 また,1961年にはハンガリーの蒸気列車の最高速度記録となる161 km/hを記録した.
 また,乗り心地の良さは特に注目された.
 上り下りの両方で高速走行時の動揺は少なかった.

 問題と言えば火室が鋼製だったことで,これはハンガリーの伝統的な設計に沿ったものだったが,鋼製火室にひび割れが発生.
 鋼製火室は最初の2台だけでやめ,3台目以降は銅製火室となった.

 しかしこの銅製火室のMÁV242も,1939年までに2輌生産されたのみで,以後,この車輌が作られることは無かった.
 第二次世界大戦が始まったからである.
 戦時中の活動は,筆者の浅学にしてつまびらかではない.
 だが,小規模旅客高速輸送の需要は第二次大戦中は大変に少なかったであろうことは想像に難くなく,であれば活動の場は殆ど無かったに違いない.

 戦後,電化の進展によりハンガリーの蒸気機関車も徐々に退役していったが,MÁV242は242.001号車のみ解体を免れた.
 同車は数年間,公園で静止展示されたが,ハンガリー交通技術博物館はこれを1998年から2002年にかけて動体復旧.
 この復旧に際して燃料を石炭からディーゼル燃料に変える改造を行っている.
 そして2002年より同博物館の特別列車として運行を再開しているという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://repozitorium.omikk.bme.hu/bitstream/handle/10890/5510/ertekezes.pdf?sequence=2&isAllowed=y
https://hu.wikipedia.org/wiki/M%C3%81V_242_sorozat
https://live.warthunder.com/post/537556/en/
https://hvg.hu/cegauto/20180510_tank_sebessegrekord_gozmozdony_solymar_szelhegy_budapest_esztergom_vasutvonal
http://100hires.hu/cikkek/mav-242-sorozatu-aramvonalas-gozmozdony
http://www.borsonline.hu/aktualis/nem-ez-nem-egy-tank-hanem-a-mav-160-nal-repeszto-gozmozdonya/139080

1~2枚目:博物館の特別列車として運航中の242.001
(図No.faq201720mv, こちらより引用)
(図No.faq201720mv2,こちらより引用)

3枚目:模型
(図No.faq201720mv4,こちらより引用)

4枚目:242.001の運転台
(図No.faq201720mv5, こちらより引用)

mixi, 2020.7.20


 【質問 kérdés】
 MÁV328型蒸気機関車について教えてください.
Kérem, mondja meg a MÁV 328 sorozat gőzmozdonyról

 【回答 válasz】
 MÁV 327型を改良した過熱式蒸気機関車.
 第一次大戦後半以降の軍用列車や高速列車用の機関車不足を補うため,MÁVAG社によって1918年から製造開始されたが,当時,同社は他の諸々の注文によって生産能力の限界にあったため,ドイツのカッセルにあるヘンシェル社にもこの機関車100両が発注された.
 両社の328型には僅かに差異がある.

 この機関車の許容最大速度は時速100 kmで,完全に平坦な地形において,この時速で240トンを牽引することができた.
 運行速度は90km/h.
 車軸構成は2'C-h2(ホワイト式表記では4-6-0).
 駆動輪径1826mm.
 蒸気圧12 bar
 火格子面積164.7 m2
 運転整備時重量69t.
 機関車乗務員には,狭く,きつい運転姿勢のため不評だった.

 1919年,製造番号328 001~002をつけた最初の2両がMÁVAG社にて完成するが,当時ハンガリー国内は大変混乱しており,工場の敷地内で即ルーマニア軍に押収され,ルーマニア国内で使用された.
 MÁVAG社ではこの2両を含めて58両を生産.
 328 058までの製造番号がつけられた.
 一方,ヘンシェル社製造の車輌には328 601からの製造番号を付与.
 当時のインフレの下,蒸気機関車の平均的な購入価格は倍増していたが,最初の60両まではヘンシェル社は契約時の価格で納入した.
 もっとも同社に大きな経済損失は無かった.
 しかし残りの40両については,ハンガリー国鉄に対して合計2000万マルクの価格上乗せを要求.
 ハンガリー国鉄は費用捻出のため,その新車の内17両をチェコスロヴァキア国鉄に売却している.

 戦間期,全ての328型を近代化改修.
 また,1943年までにハンガリー国鉄の全ての機関車2,328両は,ブロータン=デフナー式ボイラーとなった.

 第二次大戦中は軍用列車の牽引に従事した他,1944~45年には1両の328型(製造番号328 649)が特設装甲列車「ボトンド」を牽引.
 この装甲列車は1944年12月からのバラトン湖の戦いにも参加した.

 終戦時,328型は72両がハンガリー国内に残存し,また,オーストリアやドイツ領内に逃げ込んでいた機関車もあったが,何両かはソ連軍やユーゴスラビアが押収.
 各国間の交渉の結果,112両の328型がハンガリーの手元に残ることになった.

 電化など近代化のため,1972年までに全車退役.
 2020年現在,現存するのはハンガリー鉄道歴史公園に展示されている1輌(製造番号328 054)のみである.
 この車輌は1922年にMÁVAG社にて製造.
 1972.3.14に退役して,ソンバトヘイのハラダス運動公園に展示されていたが,2000年にほぼオリジナルの姿に復元され,鉄道歴史公園に展示された.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/536781/en/
http://www.kosanyo.hu/html_doc/goz_b.htm
https://hu.museum-digital.org/index.php?t=objekt&oges=25538&navlang=id
https://forum.index.hu/Article/showArticle?na_order=&na_start=1168&na_step=200&t=9036868
http://villamosok.hu/nza/bkvtpot1.html

1枚目:328型写真,1920年頃,ミシュコルツ Miskolcにて
https://hu.wikipedia.org/wiki/M%C3%81V_328_sorozat
(図No. faq200512mv,こちらより引用)

2枚目:側面図
(図No. faq200512mv2,こちらより引用)

3枚目:328型と雪かきする兵士・労務者
(図No. faq200512mv3,こちらより引用)

4枚目:ターン・テーブル上の328型
(図No. faq200512mv4,こちらより引用)

現存する車輌
https://www.youtube.com/watch?v=l0YHWOyLRms

mixi, 2020.5.13


 【質問 kérdés】
 OMÁV36.0型蒸気機関車について教えてください.
Kérem, mondja meg a OMÁV36.0 sorozat gőzmozdonyról.

 【回答 válasz】
 1900年代のオーストリア・ハンガリー国立鉄道会社(OMÁV)における特急列車近代化の波の中,1908年にプラハのブルノ機械工場で製造された高速蒸気機関車.
 必要とされた性能を満たすため,新型のシュミット式煙道過熱器を装備.
 また,アセチレン照明とアセチレン生成装置とを設置した.
シャフト配列2C-h2
牽引力62.47 kN
最高速度90 km / h
ホイール径1820 t
自重 60.2 t
蒸気圧12 bar

 ハンガリー独立後,ハンガリー国鉄(MÁV)は多数のチェコ製機関車を引き継いだが,本車もその中にあった.
 ハンガリーではこれをMÁV 329型と呼称.
 車輌引き渡しは二度に分けて行われ(3輌と7輌),その引き渡し順にシリアル・ナンバー329.501~510が付与された.

 第二次大戦中,2両がトランシルヴァニア西部,オラデアに移動.

 終戦時,ハンガリー国内には4両が残存.
 赤軍の「T」戦利品となり,1948年まで返還されなかった.

 その後,順次退役していき,1963年に最後の一両「329.507」が登録抹消された.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://www.kosanyo.hu/html_doc/goz_b.htm
https://hu.wikipedia.org/wiki/MÁV_329_sorozat

OMÁV36.0型蒸気機関車
(1枚目:図No. faq200515om,こちらより引用)
(2枚目:図No. faq200515om2,こちらより引用)

mixi, 2020.5.17


 【質問 kérdés】
 kkStB 60型(MÁV 330型)蒸気機関車について教えてください.
Kérem, mondja meg kkStB 60 (MÁV 330) sorozat gőzmozdonyról.

 【回答 válasz】
 オーストリア国鉄(kkStB)の貨物列車用蒸気機関車.
 オーストリアでは機関車設計技師,カール・ゲルスドルフが設計したもので,59型の機構と制御技術を殆ど踏襲したが,速度の向上が図られている.
 計画最高速度60 km/h.

 1895年にウィーン機関車工場で1号車が完成.
 時速40kmにおいて,平坦な軌道で1230t,10‰の勾配では215tを牽引できた.
(59型機関車でそれぞれ965tと170t)

 この好成績によりすぐに60型の量産が始まり,
•ウィーン機関車工場で95輌
・Floridsdorf機関車工場にて58輌,
•オーストリア=ハンガリー国鉄ウィーン機関車工場にて133輌,
•クラウス=マッファイのリンツ工場にて3輌
•ČKDのプラハ工場にて7輌
を生産した.

 第一次大戦後,60型機関車も一部がハンガリー国鉄(MÁV)に移管され,元の製造番号順に330,301–321のシリアル・ナンバー番号が付与された.
 移管された車輌はすぐにエア・ブレーキを装備している.

 ウィーン裁定によりチェコスロヴァキア領の一部がハンガリーに「返還」されると,チェコスロヴァキア国鉄にあった60型の派生型である334.1型23輌も,ハンガリーは入手した.

 しかし第二次大戦終結時にハンガリー領内に残存していたのは18両のみ.
 しかも走行可能なのは7輌のみであり,他に1輌修理中.10輌は修理もされないまま放置されていたという.

 戦後,ソ連軍に鹵獲された後,交渉を経て29両がハンガリーに残存することになり,1961年まで現役にあったという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://hu.wikipedia.org/wiki/KkStB_60_sorozat
https://oldtimer-veranstaltung.de/service/technische-museum-wien-1979-abteilung-eisenbahn/

ウィーン技術博物館に展示されているkkStB 60型
(図No. faq200520kk,こちらより引用)

KKStB 60型模型

mixi, 2020.5.23


 【質問 kérdés】
 MÁV 331型(KFNB IIIc型)蒸気機関車について教えてください.
Kérem, mondja meg a MÁV 331 (KFNB IIIc) sorozat gőzmozdonyról.

 【回答 válasz】
 KFNB IIIc型蒸気機関車は,オーストリアのカイザー・フェルディナント北部鉄道 Kaiser Ferdinands-Nordbahn / Ferdinánd Császár Vasút (KFNB)が1902年に調達した貨物列車用蒸気機関車.
 輸送需要の増大に伴い,KFNBでは同年,機関車の設計と製造をウィーン機関車工場に発注.
 同工場では南部鉄道向けに製造されていた32f型機関車を改設計することで,その年の内に機関車を7輌(シリアル・ナンバー801~807)引き渡すことができた.
 翌年,蒸気室の火格子面積を増加させた後期型も製造された(808~811).

 第一次大戦後,オーストリア=ハンガリー解体により,これら機関車はチェコ国鉄に移管されたが,1939年,ハンガリー国鉄(MÁV)は本車を10輌獲得し,MÁV 331型と呼称.
 引き渡された順に331.001~331.010の番号を付与した.

 第二次大戦終結時,ハンガリー領内には2輌残存.
 しかしどちらも正常な稼働状態には無く,1両は空爆で損傷していた.

 戦後の交渉の結果,ドイツから帰国した1両を加えて3両がハンガリーの手に戻り,1953年まで現役にあったという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://hu.wikipedia.org/wiki/KFNB_IIIc
https://de.wikipedia.org/wiki/KFNB_IIIc

KFNB IIIc型
(図No. faq200524kf, こちらより引用)

mixi, 2020.5.26


 【質問 kérdés】
 MÁV 332型(SB/DV 29型)蒸気機関車について教えてください.
Kérem, mondja meg a MÁV 332(SB/DV 29) sorozat gőzmozdonyról

 【回答 válasz】
 オーストリア南部鉄道で運行されていた3軸動輪の貨物用蒸気機関車.
 Lokomotivfabrik der StEGによって1860年に最初の20両を生産.
 当初,SB/DV 23型と称されたが,1864年に29型と改称した.
 改良を重ねながら,1872年までに同工場に加え,ウィーンの Neustädter Lokomotivfabrik やシュトッツガルトの Maschinenfabrik Esslingen といった工場において,計205両を生産.

 第一次大戦後,29型の一部はハンガリーの他,ユーゴスラヴィア,イタリアなどに渡った.
 ハンガリーではMÁV 332型と呼称.
 第二次大戦終結時も1両が残存した.

 現在,ブダペシュト交通博物館にて,「ハンガリー最古の蒸気機関車」として展示されている.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://hu.museum-digital.org/index.php?t=objekt&oges=21605
https://hu.wikipedia.org/wiki/SB/DV_29_sorozat
https://en.wikipedia.org/wiki/S%C3%BCdbahn_Class_23_(old)
https://it.wikipedia.org/wiki/Locomotiva_SB_23
https://de.wikipedia.org/wiki/SB_alt_23

ブダペシュト交通博物館のMÁV 332
(図No. faq200527sb1~2,こちらより引用)

mixi, 2020.5.30


 【質問 kérdés】
 MÁV 333型(SB/DV 32c型)蒸気機関車について教えてください.
Kérem, mondja a MÁV 333 (SB/DV 32c) sorozat gőzmozdonyról.

 【回答 válasz】
 SB/DV 32c型は貨物列車用機関車で32aや32b型の改良型.
 1884~1900年に37輌製作され,オーストリア南部鉄道が南チロルやクラス(カルスト)地方,ハンガリーにて運行した.

 第一次大戦後,20両がオーストリアに残り,18輌がハンガリー国鉄に引き渡されてMÁV 333型と呼称.
 残りはイタリアに渡されFS 292型と呼称した.

 第二次大戦後,1966年に最後の1輌「333 018」が引退.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://hu.wikipedia.org/wiki/SB/DV_32c_sorozat
https://de.wikipedia.org/wiki/SB_32c
https://it.wikipedia.org/wiki/Locomotiva_SB_32c
https://www.fotocommunity.de/photo/sb-32c-bboe-58-fs-292-mv-333-mayr-johann/33691878
https://eisenbahnmuseum-heizhaus.com/de/sammlung/sb-32c1665

ウィーン技術博物館(Eisenbahnmuseum Strasshof)に展示されているMÁV 333型(SB/DV 32c型),1665号
1895年製造,無可動
本車はハンガリー国鉄で運行されていたものの1両である
(図No faq200601sb,こちらより引用)
(図No faq200601sb2,こちらより引用)

mixi, 2020.6.5


 【質問 kérdés】
 MÁVAG-Benz VL2とは?
Mi az MÁVAG-Benz VL2?

 【回答 válasz】
 1927~28年,マーヴァグ社はメルセデス・ベンツのL1,L2,L5,N1,N2トラックのライセンスを購入し,トラックやバスの生産を開始.
 1936年に同社が生産したのが鉄道トラックMÁVAG-Benz VL2で,これは100 hp(74.5 kW)エンジンを搭載した2,5-3トンのトラックだった.
 このトラックには通常の車輪があり,道路走行も可能だったが,この機能が使われることは滅多になく,専ら鉄路での輸送に従事した.

 ハンガリー軍では鉄道建設部隊用にこのトラックを数両導入,使用している.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/536575/en/
https://magyarjarmu.hu/ipar/mavag/
https://jarmuvekamultbol.blog.hu/2015/11/05/mercedes_buszok

1枚目:
(図No.faq200705mb,こちらより引用)

2枚目:
(図No.faq200705mb2,こちらより引用)

3枚目:1937年,シゲト,セント・エンドレにて Szentendrei-sziget
(図No.faq200705mb3,こちらより引用)

4枚目:
(図No.faq200705mb4,こちらより引用)

mixi, 2020.7.6


 【質問】
 第二次大戦中,ハンガリー軍が使用していたソフトスキン車輌を教えてください.

 【回答】
 主なものとしては以下の通り.

---------------------
Cars:(自動車)
*WM H-2 30 M
*FIAT 2F 29 M
*FIAT 508 33 M (2+1 uleses)
*FIAT 508C 1100 38 M (4 uleses)
FIAT 508M Ballila ? M
*FIAT 512 31 M
*FIAT 520 F4 33 M
*FIAT 525N 32 M
*Krupp L2 H.43 35 M
*Krupp L2 H.143 37 M
Krupp Protze Command (?)? M
*Horch 901 42 M
*Ford V-8 (60 LE) 39 M
*Ford V-8 (90 LE) 40 M
Mercedes-Benz G-5 38 M
*Steyr 55 ? M [tipuslap nincs, foto van]
Steyr 1500 43 M
*Škoda P1100 Popular/Colonial 42 M [tipuslap van, foto nincs]
*VW Typ 166 Schwimmwagen 44 M [tipuslap van, foto van]
*VW Typ 82 Kübelwagen 45? M [tipuslap van, foto nincs]

Trucks:(トラック)
*FIAT 4T 30 M
*FIAT XV 33 M
Botond I 38 M
Botond II 38/42 M
Krupp Protze 37 M
*Rába V 27 M
*Rába AFa ? M
*Rába AFe ? M
Rába AFh 33 M
Rába AFi 35 M
Rába 31 M (?)
Rába-Krupp L 3.6H 31 M
Rába-Krupp L 3.5H 63 32 M
Rába Super 32 M
Rába Super D ? M
Rába Speciál 32 M
*Rába Maros (K-31) 44 M
Ford-Marmon 39 M
*MAVAG-Mercedes LO 2000 36 M
*MAVAG-Mercedes LO 2500 38 M
Mercedes-Benz L3000 A/S 44 M
Mercedes-Benz L4500 A/S 44 M
*Klöckner-Deutz 330A/S 41 M
Magirus 3000 41 M
*ZIS ? (ex-Soviet, captured) ? M
FIAT 6M Autocarretta 32 M
FIAT/Spa Dovunque 35 M
FIAT/Spa 38-R 38 M
Ford V-8 (USA & Köln) 38 M
*Ford BB 39 M
Ford V-8 Marmon (USA & Köln) 39 M
*Ford V. 3000 Marta (repair truck) 43 M
Opel-Blitz Type 3,6 36S & 6700A 43 M
*Opel-Blitz (2.5t) Ambulance
Praga RV 42 M
Phänomen Granit ? M
*Škoda 256 Ambulance 43 M [tipuslap van, foto nincs]
*Škoda 356B (?) [Teves tipusjelzes?]

Artillery Tractors:(砲牽引車)
Pavesi P4-100 28 M
Breda 32 32 M
HSCS KV-40 41 M
HSCS KV-50 43 M
MWG T41M 41 M
Hansa-Loyd SdKfz 11 37 M

ハンザ・ロイドSd.kfz.11 37.M
戦前,ドイツから輸入
全車屋根付きで,それに合わせ左右のドアも本家と異なっている
(図No.faq200506hn1~2)

*Rába T41 41 M
Steyer RSO 44 M

ボフォース40mm対空砲をけん引するRSO
トランシルヴァニア東方,1944年秋
(図No. faq200209rs,こちらより引用)

Motorcycles:(オートバイ)
*AJS 500 36 M
*AJS 1000 36 M
Méray-Jap 500 32 M
Moto-Guzzi 35 M
BSA 500 35 M
BSA 770 35 M
Puch 350 GS 39 M
Puch 250 S4 40 M
*DKW 250 ?M
*DKW 350 ?M
FIAT-Gilera 300 (vagy 500?) 43 M
*Auto-Union 43 M
*Rába T41 Bakony 41 M
NSU 251 (vagy 241?) 43 M
BMW R.75 43 M
Zündapp 750 43 M

WM Army bicycle 32 M

*Cross-country Vehicle [Horse-drawn Wagon] 36? M ("országos jármű" = lo vontatta szeker) [tipuslap nincs, foto van]
*Cross-country Ammunition Vehicle [Horse-drawn Ammunition-carrying Wagon] ? M
---------------------

 上記はこちらに載っていたもの――日本語は編者が追記――だが,著作権が発生しない事実関係記述のみを転載させていただいた.
 ただし,上記記述の元ソースは不明.

2016.5.3

 一方,ハンガリー軍解説の巧者hebine氏によるリストは以下の通り.
https://live.warthunder.com/post/535801/en/
より引用:

Other trucks used by Hungary in WW2 (many were taken from companies and enterprises to fulfill Army requirements):
- Hungarian Rába V (licence built Praga V)
- Hungarian Rába AFa
- Hungarian Rába AFe
- Hungarian Rába AFh
- Hungarian Rába-Krupp L 3.5H 63 (licence built Krupp)
- Hungarian Rába-Krupp L 3.6H (licence built Krupp)
- Hungarian MARTA (Magyar Automobil Részvénytársaság/Hungarian Automobile Ltd.) truck (WW1 era truck)
- Hungarian MÁVAG-Mercedes LO 2000 (licence built Mercedes-Benz)
- Hungarian MÁVAG-Mercedes LO 2500 (licence built Mercedes-Benz)
- German Henschel Typ 33 D1
- German Klöckner-Deutz 330 A/S
- German Krupp L2 H.43 „Krupp-Protze” (Hungarian superstructure on German chassis)
- German Krupp L2 H.143 „Krupp-Protze” (Hungarian superstructure on German chassis)
- German Magirus 3000
- German Mercedes-Benz L3000 A/S
- German Mercedes-Benz L4500 A/S
- German O.D.-Rex 4 Eintonner
- German Opel-Blitz Type 3,6-36S & 6700A
- German Opel-Blitz (2.5t) Ambulance
- German Phänomen Granit
- Austrian Gräf&Stift
- Czechoslovakian Praga RV
- Czechoslovakian Škoda 256 Ambulance
- Czechoslovakian Škoda 256B
- Italian OM Autocarretta 32
- Italian FIAT 4Ts
- Italian FIAT XV
- Italian FIAT 6M Autocarretta
- Italian FIAT SPA Dovunque 35
- Italian FIAT SPA 38R
- American Ford BB (Köln)
- American Ford V8/51 (Köln)
- American Ford 817T (USA)
- American Ford-Marmon V8 (USA)
- American Ford V. 3000S (Köln)
- Looted Polish Polski Chevrolet COE „Bulldog” Omnibus
- Looted Polish Polski Fiat 621 L

2020.6.25


 【質問 kérdés】
 30.M ヴァイス・マンフレートWeiss Manfréd H-1について教えてください.
Kérem, mondja meg a 30.M Weiss Manfréd H-1-ről

 【回答 válasz】
 ヴァイス・マンフレート社が生産したSUVトラック.
 国防相Gömbös Gyulaの奨励の下,1928年,ハンガリーはイギリスからMorris-Commercial "D" 6x4トラックを輸入.
 これを元に,エンジンをハンガリー製の50 hp(37.3 kW)(60 hpとするサイトもある)のV-4 2ストロークWM La(フォード・エンジンのコピー)に乗せ換えたトラックを製造した.
 本車は時速60 kmの速度で2,800 kgのペイロードを運ぶことができた.

 車軸は3本あり,4つの後輪で駆動.
 また,前輪のうしろに一対の予備タイヤがあった.
 さらにリールを有し,設計上はこれを使って14tを牽引できたが,実地試験ではエンジン出力が弱過ぎてウィンチ能力は殆ど無かった..
 さらにまた,金属製の履帯を後輪に取り付ければ,オフロード機能を向上させることもできたが,後輪の2つの車軸は常に独立して動くため,履帯は外れ易かった.


 本車は設計に更なる改良が必要であり,生産数も10台だけだった.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/535466/en/
https://www.roncskutatas.com/node/566
http://budapestcity.org/02-tortenet/Budapest-gyarai/index-hu.htm
https://www.autoszektor.hu/hu/content/harcjarmuvek-csepelrol

30.M WM H-1
(図No.faq200708wm,こちらより引用)
(図No.faq200708wm2~3,こちらより引用)

mixi, 2020.7.10


 【質問 kérdés】
 ヴァイス・マンフレート H-2について教えてください.
Kérem, mondja meg a Weiss Manfréd H-2-ről

 【回答 válasz】
 H-1改良型のトラックで,H-1と同じように車軸が3本あり,4つの後輪で駆動.
 H-1と同様,H-2の後輪には履帯を取り付けることができますが,H-1での反省から,H-2では金属製の履帯の代わりにゴム製の履帯がつけられるようになっていた.
 もっとも,それでもまだ問題があった.
 H-2には運転室の後方下側に2対の「補助輪」があった.
 これはスペア・タイアを兼ねていたが,この補助輪にも車軸があり,可動できた.
 この補助輪によってH-2トラックは,丘の頂上に引っかかるのを防ぎ,頂上を超えるための補助となった.

 前輪の後ろにホイールがあり,14t牽引可能なリールを有した.
 また,フロントバンパーにもローラーがあり,これによって壕から抜け出すことができたため,オフロード機能も向上した.

 ただし非常に高価だったため,生産数は軍用型は47輌のみ.
 軍用型ではフォード・エンジンのコピーである,80 hp(59.7 kW)のV-4 2ストロークWM Laエンジンを搭載したが,他に50 hpエンジンを搭載した消防車型が存在する.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/535466/en/
https://www.autoszektor.hu/hu/content/harcjarmuvek-csepelrol

1枚目:走行中のWM H-2
(図No.faq200714wm,こちらより引用)

2枚目:H-2の車台
(図No.faq200714wm2,こちらより引用)

3枚目:H-2とPavesiの試験(元出典:MMKM / Korbulyアーカイブ)
(図No.faq200714wm3,こちらより引用)

4枚目:工場で組立中のH-2
(図No.faq200714wm4,こちらより引用)

mixi, 2020.7.16

 なお,上述の消防車型を含め,幾つかの派生型がある.
 軍用の47両のうち,何両かは無線車や救急車に改造されている.
 消防車型は軍用とは別に3両生産され,その後スペア・パーツを使ってさらに5両の消防車が製造されたという.

1~2枚目:無線車型
(図No.faq200718wm,こちらより引用)
(図No.faq200718wm2,こちらより引用)

3枚目:消防車型
(図No.faq200718wm3,こちらより引用)

4枚目:救急車型
軍事史博物館展示の模型
(図No.faq200718wm4,こちらより引用)

2020.7.18


 【質問】
 ラーバ「V」トラックについて3行以上で教えてください.

 【回答】
 ラーバ 27M「V」は,ラーバ自動車&機械工場 Rába Magyar Vagon- és Gépgyár が1913年にチェコからライセンスを取得して生産したトラック.
 同工場が初めて生産したトラックでもある.
 ハンガリー陸軍では1927年に制式採用.

 ジェール Győr という街がある.
 4つの河川(ラーバ Rába, ラーブツァ Rábca, モショニ・デュナ Mosoni-Duna, マルツァル Marcal )が交わる,古くからの商業の中心地である.
 近代に入り,鉄道の交差点ともなったジェールでは,街を挙げて鉄道車輌を製造する工場を建てることにした.
 それがラーバ鉄道車輌&機械工場である.

 1904年,工場では初めてガソリン・エンジン車を製作.
 以降,自動車製造にも乗り出すことになる.
 1913年,チェコ,プラハの技師フランチセク・ケッツ Frantisek Kec が開発した自動車のライセンスを取得.
 これが「V」型トラックやその派生車輌のベースとなった.
 各種合わせて500両生産.
 そのうち何両を軍が購入/徴用したのかは,編者には調べがつかなかった.
 また,1927年当時には,もっと新型のトラックもあったはずだが,なぜ「V」型のような第一次大戦モノの車を軍が購入することにしたのかも不明.
 在庫を安値で仕入れた,ということなのか,それとも別の理由なのか…

 【参考ページ】
http://www.raba.hu/english/our_history.html
http://www.offroadvehicle.ru/AZBUCAR/Raba/Raba%20txt.html

ラーバ「V」型トラック
(図No. faq160427v,こちらより引用)

mixi, 2016.5.4


 【質問】
 ラーバAFトラックについて教えてください.

 【回答】
 1928年,これまで生産してきた1.5tトラックが旧式であることを感じたラーバは,これを更新することにした.
 まあ,第一次大戦前の設計だったしなあ…
 今度のライセンスの購入先は,ウィーン近郊にある自動車工場,オーストリア・フィアット Austro-Fiat.
 その名が示す通り,イタリアのFIATがオーストリアに作った会社である.
 これによって1929年からライセンス生産開始された車輌が,ラーバ Rába AFシリーズ.
 plateau truck,バン,バス,救急車など6種類あり,1934年まで生産が続いた.
 長距離バス型は乗客20~22人を載せることができた.
 型式名称としてはAFa,AFe,AFh,AFk,AFp,AFsがあったが,上記のどれがその型式名称なのか,google検索程度の調査では判明しなかったのが残念.
 オーストリア・フィアットのトラック
http://www.cars-pics-db.com/photo/austro-fiat-afn/05/default.html
と見比べると,まあ,似ていないこともないかな?という印象.

 さて,モータリゼーションは軍においても到来しつつあった.
 1930年の試算では,軍を近代化するためには少なくともトラックは1万台必要であると見積もられた.
 軍はAfaを125両,AFh(33M)を60両購入したが,本来民間向けであるこれらトラックは,軍用車としては性能不足.
 そこで1934年,軍は1.5tの新型トラックを発注することにした.
 当時,ハンガリーでトラックを国産していたのはラーバ社だけだったから,必然,軍の発注も同社が引き受けることとなり,1935年,軍用タイプのAFi(35M)を開発した.
 3.5リッター55馬力エンジン,4速トランスミッション,ハイドロ空気圧アクチュエータのブレーキ付き,リール装備.
 速度は65 km/hで,荷台面積は7平方メートル.

 堅牢で堅実な設計だったが,生産数は350両に過ぎぬ.
 「ボトンド」が開発されて,軍はそちらに関心を向けたからだ.

 一方,民需としてのこのシリーズは,ラーバ・シュペル Rába Super に発展していくことになる.

 【参考ページ】
http://www.raba.hu/english/our_history.html
http://www.raba.hu/english/en.raba.hu/doctar/120/Raba_history.pdf
http://encyclopedia.1914-1918-online.net/article/automobile_industry_austria-hungary
http://www.autocluster.hu/ikreator/acl/cms_pub/file_00001072/R%C3%A1ba%20Components_2007.pdf
http://www.idi.btk.pte.hu/dokumentumok/kutatasifuzetek20.pdf
http://truck-auto.info/raba/38-istoriya.html
https://en.wikipedia.org/wiki/%C3%96AF
https://live.warthunder.com/post/535801/en/

1枚目:ラーバAFとAFi
(図No.faq160506af,こちらより引用)

2枚目:ラーバAFi 35M
3枚目:推定ラーバAFi

(図No.faq160506af1~2,こちらより引用)

mixi, 2016.5.6

 【質問】
 ラーバ「シュペル」トラックについて3行以上で教えてください.

 【回答】
 ラーバ「シュペル」Rába Superは,1936年にラーバ自動車&機械工場が開発した,2.5tのトラックおよびバス.
 それまで木造だった車体構造に変えて,溶接金属構造を採用した.
 「シュペル」シリーズは1951年まで生産が続けられて,約2500台が製造され,戦間期において同社では最も成功したシリーズとなった.
 翌年には,派生型として容量を3.5tに増やした「シュペツィアル」 Special も登場したほどである.

 【参考ページ】
http://www.raba.hu/english/our_history.html
http://www.raba.hu/english/en.raba.hu/doctar/120/Raba_history.pdf
http://encyclopedia.1914-1918-online.net/article/automobile_industry_austria-hungary
http://www.autocluster.hu/ikreator/acl/cms_pub/file_00001072/R%C3%A1ba%20Components_2007.pdf
http://www.idi.btk.pte.hu/dokumentumok/kutatasifuzetek20.pdf
http://truck-auto.info/raba/38-istoriya.html
https://en.wikipedia.org/wiki/%C3%96AF

ラーバ「シュペル」写真
(こちらより引用)

レール・カーとして使われている「シュペル」
faq160507sp2.jpg
faq160507sp3.jpg
(こちらより引用)

mixi, 2016.5.7

第2軍の,バスを転用した伝書鳩用の移動鳩舎
1942年ロシアにて
Magyar Királyi 2. hadsereg galambaházokájai galambjára átalakított busz Oroszországban, 1942
faq190113pg

こちらより引用)
時期から考えてラーバ「シュペル」のバスを転用したものではないかと個人的には推測しているが,確証無し
あるいは輸入車か?

twitter, 2019.1.12


 【質問 kérdés】
 ラーバ「シュペチアール」トラックについて教えてください.
Kérem, mondja meg a Rába Speciál tehergépkocsiről.

 【回答 válasz】
 ラーバ「シュペル」から発展したトラック&バス.
 2.5tだった「シュペル」のペイロードを3.5t,10平方メートルに増やし,1937年登場.
 ちなみに65 hp(48.5 kW)のエンジンを搭載し,時速は65~70km.

 「シュペル」同様,民間向けの発売だったが,大戦勃発により多くが軍に徴用.

 なお,ラーバ社は1937年,ドイツのMAN社からディーゼル・エンジンのライセンスを購入.
 D0530 80 hp(59.7 kW)ディーゼル・エンジンを搭載したラーバ「シュペチアール」を50輌製造した.
 これはラーバ「シュペチアール」D型と呼ばれ,速度は70 km/hと向上したが,荷台の広さは9.5平方メートルと縮小.

 このD型も,一部は軍が徴用している.

 「シュペチアール」は戦後も暫くの間は生産が続いたが,やがて姿を消した.
 総生産数850.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/535815/en/
http://www.automotor.hu/extra/latogatas-a-gyori-raba-gyarban-ahol-ket-hettel-elobb-akarjak-befejezni-a-haromeves-tervet/
https://magyartank.gportal.hu/gindex.php?pg=36409831&nid=6531575&cmd=inscomment#commentList
https://pecsivillamos.hu/25-erzodik-a-vilaghaboru/
https://icmagazin.hu/tehergepjarmu/2020/02/magyar-haszongepjarmu-gyartas-tortenete-a-2-vilaghaboru-utan/
http://www.raba.hu/www.raba.hu/doctar/120/Raba_tortenet.pdf
https://magyarjarmu.hu/ipar/magyar-waggon-es-gepgyar-rt-gyor/

1枚目:ラーバ「シュペチアール」
(図No.faq200621sp,こちらより引用)

2枚目:1998年製作のドキュメンタリー映画「看板の物語」に登場する「シュペシアール」バス,1938年
1938 Rába Speciál in Mesélő cégtáblák: Documentary, 1998
(図No.faq200621sp3,こちらより引用)

3枚目:戦後,AMGに配送された,「シュペチアール」最後の15輌
Az AMG-részére legutóbb leszállított 15 drb 3.5 tonnás Rába-Speciál tehergépkocsi
(図No.faq200621sp2,こちらより引用)

mixi, 2020.6.23


 【質問】
 「ボトンド」って何?
 3行以上で教えて!

 【回答】
1)
 勇者ボトンド Botond vitéz は,10世紀の半ば伝説上の戦士.

2)
 ラーバ 38M 「ボトンド」トラック Rába 38M Botond Tehergépkocsi は,ハンガリー軍の全地形型6輪トラック.
 1937年に陸軍の命を受けたヴィンクラー・デジェー Winkler Dezső が,ラーバ社で生産されていたAFi 1.5tトラックをベースにして開発.
・荒れた地形での機動を可能とするため,グランド・レベルよりも上にスペア・タイヤが位置し,このタイヤは第2の車軸を有している点
 ちなみに後輪駆動.
・前部バンパーに,超壕のためのローラーを2つ有している点
が特徴.
 東部戦線では「ボトンド」は,悪路でも走行できる貴重な輸送手段だった.
 軍の報告では,ドイツ軍のものを含む他の車輌が走行不能な悪条件でも,本車は走行可能だったという.

 陸軍の発注数を,一つの工場で生産することはできなかったので,HMV(ヴァイス・マンフレート鉄鋼金属工業)とMÁVAGを主工場とし,他に4工場が部品を生産する方式を採った.
 1938~1941年に1443両が完成.
 工場が空爆で破壊されるまで生産され続けた.

 唯一エンジン出力の弱さだけが弱点(65 hp(48.5 kW))であるため,1942年からはエンジン出力を強化したB型が登場.
 70 hp(52.2 kW)となった.
 それでもなお出力不足ということで,100 hpのC型の設計も開始されたが,実現する前に終戦.
 戦地では鹵獲したアメリカ車のエンジンを,本車に換装することもしばしばだったという.

 他に派生型として無線車や作業車が存在する.

 生産量,各型合計2554両.
 一部は1949年まで使われたが,1945年までのものは全て悪とするスターリニスト,ラーコシ政権の下,徐々に姿を消していき,現在はボトンドB型がラーバ工場の博物館に1台現存するのみ.

 【参考ページ】
http://www.botondveteran.hu/botond.html
http://totalcar.hu/magazin/kozelet/2013/03/16/a_legendas_botond/
http://www.masodikvh.hu/haditechnika/pancelosok/harckocsik/magyar-harckocsik/2912-botond-terepjaro-rajkocsi
http://www.flamesofwar.com/hobby.aspx?art_id=1243
https://kuruc.info/r/6/109394/
https://live.warthunder.com/post/535838/en/
http://www.ww2incolor.com/modern/Raba+Botond+Reenactment+Today_+2005.html

1枚目:レストアされた「ボトンド」
2004年のリエナクメントにて
(図No.faq200619bt,こちらより引用)

2枚目:「ボトンド」車台
3枚目:1938年,ハイマーシュケール Hajmáskér において試験される「ボトンド」
4枚目:路上試験時の「ボトンド」.バンパーのローラーは外されている

(図No.faq160502bt1~3.,こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2016/05/15 20:00
を加筆改修


 【質問】
 「マロシュ」って何?
 3行以上で教えて!

 【回答】
 ラーバ44M「マロシュ」 Rába 44M Maros は,1943年から1944年にかけて開発された,ハンガリー陸軍の4輪軍用トラック.

▼ 戦時中,ハンガリー軍ではドイツからフォード・トラックを輸入していたが不足しており,1941~43年にはクルップ・トラックの輸入が途絶えてしまったため,3tトラックが大変不足していた.
 「ボトンド」「AFi」「シュペル Super」の良い要素だけを集めて新型車輌を作ろうとしたもの.
 そこで「ボトンド」「AFi」「シュペル Super」の設計から良い要素だけを流用して集め,手っ取り早く新型車輌を作ろうとした.

 この新型車輌は当初「K-III」と命名されたが,後に「マロス」に変更された.

 エンジンは最大出力で70 hp(52.2 kW)のものを搭載.
 時速65kmで3000kmの距離を走ることができた.
 荷台は8平方m.

 試作車輌は1943年4月に試験開始.
 後輪のみの駆動でも行動可能なことが証明された.

 1944年1月,生産開始.
 戦争期間中,労働者を増やすことにより,ハンガリーの機械工業は生産力を増加させることができた.
 しかし,1944年からは工場に対する空爆が始まり,工場疎開を余儀なくされ,あるいは被爆により生産を停止するはめになり,生産数は「ボトンド」よりも1桁少ない350両だけだった.
 しかし,1944年からはハンガリーは連合軍機から絶え間ない空爆を受けており,工場も疎開を余儀なくされ,あるいは被爆により生産を停止するはめに.
 加えて資材不足も重なり,生産数は「ボトンド」よりも1桁少ない350両だけにとどまった.

 「マロシュ」の信頼性は高いものだったため,戦後も暫くは軍用や民生用として使われていたが,ハンガリー王国時代の全てを否定したがっていた共産政府は,この車輌をも「魔女狩り」の対象とし,そのために姿を消した.▲

 なお,マロシュとは現在のルーマニアを流れるムレシ川のこと.

 【参考ページ】
http://www.kisalfold.hu/blog/kisalfoldi_historiak/a_raba_vagon_es_gepgyar_legendas_gyartmanyai_i/146/2786/
http://epa.oszk.hu/02700/02735/00027/pdf/EPA02735_katonai_logisztika_1998_4_229-237.pdf
http://voenteh.com/voennye-avtomobili/vengriya/raba.html
https://live.warthunder.com/post/535847/en/

「マロシュ」写真
(図表No. faq191024mr,こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2016/05/16 20:00
を加筆改修


 【質問】
 マーヴァグ=メルセデス・ベンツの車輌について3行以上で教えてください.

 【回答】
 マーヴァグ MÁVAG は Magyar Királyi Állami Vas-, Acél- és Gépgyárak(マジャル王立鉄鋼&機械工場)の略称であり,その名が示す通り,ハンガリー王国政府によって設立された.
 設立年は1870年.
 当初の名前は Magyar Királyi Államvasutak Gép- és Kocsigyára (マジャル王立鉄道用機械&車輌工場)といい,1873年には工場自ら蒸気機関車の生産を開始するに至った.
 1924年からは,その方面の人にとっては有名なハンガリー国有鉄道424型蒸気機関車の生産を開始している.

 その後,他の工場を吸収合併するなどして,マーヴァグ MÁVAG の名となり,トラクターなども製造するようになった.
 そのマーヴァグが1926年から1936年にかけ,メルセデス・ベンツ Mercedes Benz の車輌の権利を取得,ライセンス生産を行ったのが,マーヴァグ=メルセデス・ベンツ のシリーズである.
 LOシリーズとNシリーズとがあり,それぞれの下に更にトラックやバスなどの派生型があった.

 第二次大戦が近づくと,陸軍によって
MÁVAG-Mercedes LO 2000が1936年に
MÁVAG-Mercedes LO 2500が1938年に
制式採用となり,1944年に制式採用となった本家メルセデス・ベンツの
Mercedes-Benz L3000 A/S
Mercedes-Benz L4500 A/S
ともども戦場に赴くことになった.

 戦前,広く世界に機関車を輸出していたマーヴァグの取引先は戦後,殆ど自国と共産圏だけとなり,1959年にガンツ Ganz 社と合併して社名をGanz-MÁVAGに変更.
 1988年の再編の結果,惜しくもマーヴァグの名前は消滅したのだった.

 【参考ページ】
https://hu.wikipedia.org/wiki/Magyar_Kir%C3%A1lyi_%C3%81llami_Vas-,_Ac%C3%A9l-_%C3%A9s_G%C3%A9pgy%C3%A1rak
http://jarmuvekamultbol.blog.hu/2015/11/05/mercedes_buszok
http://magyarjarmu.hu/ipar/mavag/
http://www.postamuzeum.hu/en/targyak/kategoria/463/jarmuvek
http://www.keptelenseg.hu/sorozat/regi-mercedesek-111662

LO 2000写真
LO 2500写真
こちらより引用)

メルセデス・ベンツL3000と鹵獲されたT-34/76
こちらより引用)

mixi, 2016.5.9


 【質問 kérdés】
 OM Autocarrettaって何?
Mi az OM Autocarretta?

 【回答 válasz】
 OM Autocarrettaは1932年にイタリア軍が開発した山岳用小型カーゴ・トラック.
 ハンガリー軍は1942年にMod.32を100輌輸入し,その一部は化学・細菌戦部隊にも配備.
 また,Mod.36の技術試験も行っている.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://it.m.wikipedia.org/wiki/OM_Autocarretta
https://live.warthunder.com/post/525732/en/
『Magyar Warriors』第1巻
http://www.esercito.difesa.it/storia/pagine/om-autocarretta-32.aspx

1枚目:化学・細菌戦仕様のOM Autocarretta 32
軍事演習中の写真
(図No.faq200629om2,こちらより引用)

2枚目:技術試験を受けるOM Autocarretta 36
(図No.faq200629om,こちらより引用)

mixi, 2020.6.29


 【質問 kérdés】
 ハンガリー軍のクルップ・プロッツェについて教えてください.
Kérem, mondja meg a Magyar Királyi Honvédség Krupp Protzéi.

 【回答 válasz】
A Krupp Protze egy hatkerekű német teherautó és tüzérségi vontató volt, melyet a német haderő használt a második világháborúban.
 Krupp Protzeは第二次世界大戦でドイツ軍が使用した6輪トラックor砲牽引車の一つ.

 1933~36年生産された,エンジン出力55馬力の前期型L2 H43と,1937~41年生産された,エンジン出力60馬力の後期型L2 H143とがあるが,ハンガリー軍は1937年,L2 H143型をクルップ社に72輌発注.
 主に対戦車砲牽引車として使用した他,司令官車や試製対空自走砲にも改造された.
 後者には31.Mゾロターン8mm軽機関銃あるいは07 / 31.Mシュワルツローゼ8mm機関銃のいずれかを搭載.
 補給部隊の対空用とされた.

 1942年,ロシアのドン川戦線に70輌配備されたが,同戦線でハンガリー軍は大損害を受けており…

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://hu.wikipedia.org/wiki/Krupp_Protze
https://translate.googleusercontent.com/translate_c?depth=1&hl=ja&prev=search&pto=aue&rurl=translate.google.co.jp&sl=en&sp=nmt4&u=https://steeldivision.gamepedia.com/Krupp-Protze&usg=ALkJrhi_ECupyzU12f0ByRDXD6Jc9guoEA
https://www.themotorpool.net/German-Kfz-70-Krupp-Protze-6x4-Cargo-Truck-p/em034.htm
https://live.warthunder.com/post/538981/en/
http://real-j.mtak.hu/11406/1/Haditechnika_2013-1_teljes_red.pdf

1枚目:司令官車仕様
(図No.faq20200701kp2,こちらより引用)

2枚目:ハンガリー陸軍のクルップ・プロッツェ
(図No.faq20200701kp,こちらより引用)

3~4枚目:試製対空自走砲型
(図No.faq20200701kp3~4,こちらより引用)

mixi, 2020.7.3


 【質問 kérdés】
 「ドボー」って何?
Mi az "Dobó" ?

 【回答 válasz】
 第二次大戦末期に,世界で初めて試作された二足歩行兵器.
 ハンガリーの天文学者でファンタスチカ作家,クリン・ジェルジ Kulin Györgyの考案によるものと言われているが,同時期のドイツの「武器人間」プロジェクトの影響もあった模様.

 航空機用のWM K-14Bエンジン(ノーム・ローンK-14のライセンス生産版),986HPを動力とし,50mm機関砲を装備する計画だったが,試作機製作中に終戦となったため,詳細は不明.
 試作機はバラトン湖に沈められたと言われている.

 ちなみに「ドボー」は,1552年,エゲル城を包囲したオスマン軍を撃退した守備隊長ドボー・イシュトバーン Dobó István の名に因む.

 【参考ページ】
http://empireofghosts.blogspot.jp/

「ドボー」完成予想模型
こちらより引用)

ドイツの「武器人間」計画
https://www.youtube.com/watch?v=PrDm_HuNjJY

2017.4.1
注意! この項はエイプリル・フールのネタです


 【質問 kérdés】
 34/37.M ゲバウエル車載機銃って何?
Mi az 34/37.M Gebauer harckocsi géppuska?

 【回答 válasz】
 この機銃は34.M ゲバウエル航空観測員用機関砲を,車載用とするために若干の改設計を行ったもの.
 弾薬は8x56mmR 31.M弾を使用.
 100発入りドラム・マガジンはretainされ,25発入りの取り外し可能なボックス・マガジンが使用された.
 それは後に,100発の金属製給弾ベルトを使用するよう改修された.
 この改修型は34/37.AMとも呼ばれる.
 図1左(図表番号faq180508gb3)は34/37.Mの図解,図1右(図表番号faq190328gb)は外観写真を示す.

 この機銃はアンサルドCV-35タンケッテ,チャバ装甲車,トルディ軽戦車に搭載された他,1942年以降,砲艦や哨戒艇にも搭載された.
 艦艇ではこの機銃は対空用にも使われたので,円形の大型照準器が銃にはつけられていたという.
 図2の1~3枚目(図表番号faq180508gb,faq180508gb4, faq180508gb5)は,CV-35の主砲として搭載されていた34/37.M.
 また,同4枚目(図表番号faq190328gb2)は,外された主砲部分を使った訓練の模様である.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/458259/en/ ※図1引用元
https://live.warthunder.com/post/525528/en/ ※図2の4枚目引用元
http://www.roncskutatas.hu/node/18031 ※図2の1~3枚目引用元
http://www.hungariae.com/Gebauer.htm

(図5) 39.M「チャバ」装甲車に搭載されたもの
(5 .ábra) 39.M Csabában beépítve


(図6) その取扱説明書に掲載されているもの
(6 .ábra) Beépítés a kezelési utasításban

mixi, 2018.5.8


 【質問 kérdés】
 R/4車載無線機とは?
Mi az R/4 páncélgépkocsiba beépített rádiókészüléket?

 【回答 válasz】
 R/7型に似た車載用の無線機で,送信部,受信部,変流器および2つの蓄電池から構成.
 周波数帯は 840 - 2270 kHz.
 アンテナは装甲車上の手摺り型アンテナだったが,6mのスティック型アンテナも使用可能.
 1939年採用.

 詳しくは
https://togetter.com/li/1361288
を参照されたし.

写真1枚目:R/4外観
(図表番号 faq1907063,こちらより引用)

写真2枚目:装甲車内での配置図
(図表番号 faq190722rd,こちらより引用)

写真3枚目:R/4受信部
(図表番号 faq190920rd,こちらより引用)

写真3枚目:チャバ装甲車上に見える手摺り型アンテナ
(図表番号 faq190920rd,こちらより引用)

2019.7.26


 【質問 kérdés】
 R/4a車載無線機について教えてください.
Kérem, mondja meg R/4a rádióról.

 【回答 válasz】
 1940年,大隊または連隊の指揮車輌となるためのチャバ装甲車が12両生産されたが,それらに搭載された100Wの無線機.

 全部で135両生産されたチャバ装甲車の内,30両が指揮車輌だった.
 指揮車輌型チャバ装甲車は,非常に特徴的なルーフ・グリル・アンテナを装着した.
(図表番号 faq170924rd3~4)

 その後,連隊または師団の指揮車輌となるトゥラーン戦車指揮戦車型にもR/4a無線機は装備された.
 20mm機銃は撤去され,その場所に高出力の無線機を装備.
 そのアンテナは空気圧の原理で伸縮可能だった.
 この機構はアンテナの保護のために必要だっただけでなく,指揮車輌は敵の装甲車輌の攻撃を大変引き付け易いことから,指揮車輌であることを目立たなくするためにも必要だった.
 8mm軽機関銃も撤去され,8mm重機関銃だけが残されたが,これは自衛用だった.

 なお,中隊指揮用の戦車は2種の無線機を搭載していた.
 R/4aとは交信できない周波数の無線機があったためである.

 R/4aの構造はR/4とは異なるもので,受信周波数については,共通の周波数出力を有する,2つの独立した受信部を含んでいた.
 送信部もまた,2組の異なる発振回路を有した.

 周波数範囲:840~2500キロヘルツ&2500~5010キロヘルツ.
 動作モード:電信および電話.
 変調:振幅.送信部と受信部で別々に.
 電源:24ボルト,80アンペアの蓄電池.
 定格アンテナ出力:100ワット
 アンテナ:1mの高さの格子ルーフ・アンテナ
 交信範囲:初期設定では電話はルーフ・グリット・アンテナでは30km,電信は60km.
 操作人員:1名
 送信部の真空管:OS12/500 発振管および OS12/2000型送信管

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://togetter.com/li/1361288

R/4aの送信部とその回路図
(図表番号 faq190728rd1~2)

R/4aの受信部
(図表番号 faq190728rd3~4)

R/4a受信部の短波回路概念図
(図表番号 faq190728rd5)

R/4a受信部中央部分の回路概念図
(図表番号 faq190728rd3~4)

2019.10.29


 【質問 kérdés】
 R/5車載無線機について教えてください.
Kérem, mondja meg páncélgépkocsiba beépített rádiókészülék-ről.

 【回答 válasz】
Az R/5 rádiókészülék 1940-től került gyártásra. (Balás B. Dénes kutatása alapján)
Gyártó: Standard Villamossági Rt.
 R/5無線機は1940年から量産された(バラーシュ B. デーネシュの研究によれば)
 メーカー:スタンダード電機

Az R/5 rádiókészüléket Toldi harckocsiba beépítve alkalmazták.
 R/5無線機はトルディ戦車に装備された.

Távíró, hangzó távíró és távbeszélő jelek adására és vételére alkalmas.
 通信機能としては電信電話の送受信が可能.

Áramellátása a harckocsiba beépített 12V-os 120 A/ó-ás savas akkumulátorról történt.
Töltése a jármű motorjával meghajtott dinamóval történt.
 電源としては戦車搭載の12ボルト,120アンペアのバッテリーを使用.
 充電は車輌のエンジンでダイナモを動かして行った.

Csőfűtés az akkumulátorról, az adó áramellátása forgó áramátalakítóról, a vevőé rezgő áramátalakítóról történt.
 真空管はバッテリーによって加熱され,トランスミッターの電源は回転変流器,受信部には振動コンバータ(適訳不明)が用いられた.

Az adó és a vevő egybe van építve, frekvenciabeállítás közös, az adó és a vevő frekvencia azonossága beállítható.
Két frekvenciát előre be lehet rögzíteni.
 送信部と受信部は共有されており,周波数設定は共通であり,送信部と受信部の周波数を同定可能.
 周波数2つを事前設定可能.

Beszélő szerelvénye gégemikrofon.
Fejhallgatója a fejvédő sisakban van.
 送話部品は喉頭マイク.
 ヘッドフォンはヘルメット内蔵.

Hullámterjedelme. 293-315 fsz. 2570-2760 kHz.
 波長はfsz.番号が 293-315であることから,すなわち 2570-2760 kHz.
※fsz.は略語と思われるが訳語不明.
Működési frekvenciája 2570-2760 kHz-ig terjedt, az R/4-kel nem tudott kapcsolatot tartani.
 周波数の作動範囲は2570~2760キロヘルツだったため,R/4とは交信不能.

Vevő része négy csöves szuper rendszerű 2 db ECH 3 és 2db. EBF 2 elektroncsővel felépítve.
A frekvencia pontosság kvarc kristállyal “koppanásos” módszerrel ellenőrizhető.
 受信部は4本の真空管のスーパー・システム[※適訳不明]2本のECH-3および2本のEBF-2真空管で構成.
 周波数精度は水晶発振子の「クロック式」により検証する.

Végerősítő csöve: OS12/600, Névleges adóteljesítménye: 10W.
 パワーアンプ真空管:OS12/600,定格送信電力10W.
Az OS12/500 típusú adócső elvileg 10W teljesítményt tett lehetővé távíró üzemben, gyakorlatilag azonban a rövid antennák miatt, csak 5W jött ki belőle.
 OS12/500型真空管は設計上,電信送信時には出力10Wということになっていたが,実際にはアンテナが短いため,5Wほどの出力しかなかった.
A vevő négycsöves szuper rendszerű. Csövei 2db ECH3 (Honvédségi száma 32.) és 2 db EBF2 (Honvédségi száma 33.)
 受信部は真空管4個のスーパーシステム[適訳不明].ECH3(国防軍番号32号)型真空管2個とEBF2(国防軍番号33号)型真空管2個.

Hatótávolság: 2-5 km., álló irányított keretantennával max. : 25 km.
 交信範囲;2~5km,直立指向性アンテナを立てた場合,最大25km.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://togetter.com/li/1361288

R/5無線機外観 R/5 adó-vevő készülék
(図表No. faq190808r5, こちらより引用)

車載状態のR/5 R/5-a harckocsiba építve
(図表No. faq190808r5_2, こちらより引用)

R/5送受信部配置図 R/5 adó-vevő elrendezése
(図表No. faq190808r5_3, こちらより引用)

フレームアンテナつきR/5の送受信部配置図 R/5 adó-vevő elrendezése keretantennával
(図表No. faq190808r5_4, こちらより引用)

R/5送信部回路図 R/5 adó kapcsolási rajz
(図表No. faq190808r5_5, こちらより引用)

R/5受信部のおおよその回路図 R/5 vevő elvi kapcsolási rajza
(図表No. faq190808r5_6, こちらより引用)

R/5送信部の電源 R/5 adó tápegység
(図表No. faq190808r5_7, こちらより引用)

R/5送信部のコンバータ R/5 adó áramátalakító
(図表No. faq190808r5_8, こちらより引用)

トルディ戦車のアンテナ  az antenna a Toldi harckocsin
https://t.co/whU4XSouAW
https://t.co/x51Dl7I26T
(図表No. faq190814tl1~3, こちらより引用)

mixi, 2019.11.10


 【質問 kérdés】
 R/5a無線機について教えてください.
Kérem, mondja meg R/5a harckocsi rádióról.

 【回答 válasz】
 R/5aはスタンダード電機社製の車載無線機.
 トルディ,トゥラーン,ニムロード,ズリーニ等の装甲車輌に搭載された.
 原型はイタリアのRF 1 CA無線機で,通信方式は音声通話と電信.
 インターコム機能により,車内の乗員同士,ヘッドフォンとマイクを使って相互に音声通話を交わすことができた.

周波数帯域:27.2~33.4MHz.
通信出力:9~10W
通信距離:5~15km
重量:26kg

 R/5-a無線機は基本的にはR/5無線機と同じだが,フレームアンテナの代わりに棒型アンテナを使用し,R/5(2570~3240 kHz)よりも波長が長い.
 規定では高さ1.8mの棒型アンテナを立てることになっていた.
 送信部は低電力のため,技術仕様書によれば,R/5やR/5a型は性能上,通話モードでは新品でも,規定外であるフレーム・アンテナを常設しているときは,同様の状態にある,移動中のR/5やR/5aとは,せいぜい2kmまでの範囲でしか使用できなかった.
 R/5-aの棒型アンテナは,1メートルのスティックに1メートルの別のスティックを取り付けることが可能なことにより,2つの長さにサイズを調整可能だった.
 技術仕様書によれば,道路・村落・都市では1メートルの,開けた地形のところでは2メートルのアンテナを使用した.
 これは,多くの戦車が互いに接近している時には無線機同士が干渉したことが原因だった.

 アンテナの他にも,R/5-aにはR/5との違いがある.
 送信部には送信電力を20%に削減する送信電力節電スイッチがある.
 送信部の励磁は2つの三極管であり,その六つの極が電信送信の変調信号を作り出し,通話モードではマイクの増幅器として機能する.
 受信部の真空管の一つは,高周波アンプとしてのみ機能する.
 ミキシングはもう一つの真空管が行う.
 無線機はキーを押すこともなくアノード電圧を表示してくれた.

 1941年以降に製造された戦車――その中には新型のトルディIIも含まれるが――には既にR/5a無線機が装備されていた.
 1942年夏,ハンガリー第2軍の第1装甲師団は,シュコダT-38 (Pz 38(t))中戦車102両とドイツ戦車IV.-F1中戦車20両を配備,再編した.
 体験者(カープラーン・ヂェルジ Káplán György元戦車中尉,2011年8月7日にMTV1が放送した,ガシュコー・バラージ Gaskó Balázs の番組)によれば,T-38には交信範囲500~600メートル(!)のR / 5無線も装備されていたという.
 これはどうやらR/5a無線機についての言葉であり,兵士は「a」をただの定冠詞だと思い込んで記憶から消していたらしい…

1.kép R/5-a rádió és tartozékai
1枚目:R/5a無線機とアクセサリ
2.kép R/5-a adó kapcsolási rajza
2枚目:R/5-a無線機の送信部の回路図
3.kép R/5a összekapcsolási rajza
2枚目:R/5aの接続図

(図No. faq191119rd, こちらより引用)

R/5-a adó működési leírása
R/a-aトランスミッタの機能説明

(図No. faq191209rd,こちらより引用)

 【参考ページ Referencia Oldal】
『Zrínyi』(グムカ・ミニチュア,2019.7.17), p.28
https://www.ha5kdr.hu/2018/11/magyar-harckocsiradiok-a-ii-vilaghaboruban
https://t.co/B56iFzc8G2
https://t.co/hJkMPBNyoE
https://t.co/gEhrEhspRM

mixi, 2019.12.13


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