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Engines of the Red Army in WW2
大祖国戦争時のソ連軍所属戦闘車両を紹介.
また,レンドリースされた戦闘車両の数やら損失数までを数値化.
カラーイラストと写真が数多く含まれているので,資料性が高いサイト.
ちなみに一部の画像は音付きで動きます
例 (重いので注意)
BM-13-16 Rocket Launcher - animated
――――――CRS@空挺軍 in mixi,2008年05月08日23:10
「militaryphotos.net」:1 x HiRes image captured
Russian T-35
放棄されたT-35を撮った画像.
「militaryphotos.net」:IS-2 tank photos
「VOR」◆(2012/09/22)有名なソビエト戦車T-34 記念日
蛇乃目伍長の「エアフォースの英国面に来い!」 Mk.2◆(2013/04/04) 装甲スノーモービル 02SS
「週刊オブイェクト」◆(2010年05月09日)今年はヒストリカルなモスクワ軍事パレード
>ほんとなんで2010年にもなって中隊規模でT-34が動くんだよ.
【質問】
12Yといえば,ソ連はクリモフだかミクリンだかの派生型で1300hp程度にまでパワーアップしてますよね.
ソ連が凄かったってことなんですか?
BMW-6系列も後生大事に使ってパワーアップしてたらしいし(こっちがミクリンでしたっけ?).
【回答】
鍛造とかそう言う技術や冶金技術では,ソ連の方が優れています.
それに,Klimovはちょっとずつ進化していっているので,BMW9からいきなりDBにジャンプした日本より,かなりマシです.
ついでに,Hispano-Suizaのポテンシャルを上手く引き出していますね.
Klimovの派生型はストロークが基本形より2mm短く,排気量35.09lです.
最初のVK-103は単段式過給器で750馬力,次いで回転数を2400回転として860馬力となり,860馬力のまま,二段過給器を装備して,その改良で960馬力を発揮し,100オクタン燃料の採用で1,100馬力に達しています.
VK-105は,103の回転数を2700回転に上げたもので,馬力は1050馬力になっています.
これは改良を受け,最終的には1,280馬力となり,吸排気系の改良を施したVK-107で,混合気吸入量が増大し,回転数を更に2800回転まで上げて,燃料は94/95オクタンを使って,1400馬力,100オクタン燃料で,1650馬力にまで増大しています.
BMW系列はMikulinが監督して生産しています.
彼が自分で設計したAM-34は,BMWVIシリーズのシリンダーブロック,Hispano-Suiza12のリアホイールケース,アリソン製過給器と,RRバザード用の減速ギアを使用して製造されています.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/05/27(金)
青文字:加筆改修部分
【質問】
高校時代に戦史が好きで,色々と面白い話をして授業をしてくれる世界史の先生が居たんだけど,その人曰く・・・
「冬のロシアで戦車なんかは凍りついた.
だからドイツ人は戦えなかった.
ロシア人は戦車にガソリンをブッかけて火をつけて,温まった(熱くなった)ところにエンジンをかけて始動させた・・・
」
って言ってたんですが,コレマジ?
俺が軍ヲタになるきっかけをくれた,面白いおじいちゃん先生だけど,共産主義者をアカ野郎とかって授業中にも言っちゃう人なんで,嘘だろ・・・って思ってたけど,露助の無茶っぷりを今にして知ると,マジかも?と思いまして・・・
【回答】
それやると,エアフィルターだめにしたり,パッキングダメにしたり,火災に至らなくともろくなことにならない.
よってドイツ軍は,マニュアルで禁止してた.
普通はオイルランプや場合によってはロウソクで暖めるが,他にない,あるいは急ぐときには,ガソリンを適当な容器に入れて,ということはあったかも知れない.
冬季戦じゃないが,赤軍の戦車で油をぶっ掛けるというのなら,こんな話がある.
市街地での激戦たけなわのスターリングラード.
市内では戦車工場が稼働していて,できたそばから,戦車が前線に送り出されていく.
戦車工場は市街戦の重要目標にもなり,独軍が次第に迫ってくる.
そうなるともうキレイに塗装している暇がない.
だけど,その戦車が生き残り,その後も戦闘に使われるなら,装甲板剥き出しでは錆も発生するし,よろしくない.
そこで工場ではふんだんにあった,防錆用の潤滑油を戦車の車体や砲塔にダバダバ……….
そんな油をぶっ掛けただけの茶色い戦車が市街のそこここで見られたという.
風合いとしてはチャバネゴキブリみたいなもんだろうか(笑)
青文字:加筆改修部分
【質問】
ソ連戦車が錆び止めに廃油を戦車にぶっかけてた,というのは本当なの?
本当なら,どの程度の範囲で行われてたんでせうか?
【回答】
本当.
スターリングラード戦の時に,スターリングラードで生産を続行されていたT-34は,最後の方では塗料のストックがなくなってしまい,カーボンの煤を溶かした廃機械油を塗って錆止めと塗装の替わりにしていた.
廃油塗装のT-34は,「鉛のような色」だったそうだ.
【質問】
KV-1って何?
【回答】
独ソ戦勃発当時のソ連軍重戦車で,T-34中戦車と共にソ連軍機構部隊の中核.
KVは,当時の国防相クリメント・ヴォロシーロフ
Климент Ворошиловのイニシャルから.
ヴォロシーロフは,KV-1設計者コーチン技師(キーロフスキイ工場)の義理の父親でもあった.
1939年にT-35多砲塔重戦車の後継車両として,T-100やSMKといった重戦車をベースに開発開始.
同年9月,試作車両完成.
同年末には生産開始.
76.2mm砲を装備し,当時の水準を超えた重装甲だったため,ドイツ軍の砲弾を88mm高射砲以外はことごとく跳ね返し,ドイツ軍からは「怪物」と呼ばれた.
▼ 小林源文の初期の作品に,『街道上の怪物』というタイトルの一編もある.▲
これは1941/6/23にドイツ第6装甲師団が実際に遭遇したエピソードの劇画化.たった1台のKV-1が,1個師団を2日も足止めしたという,比較的有名な実話.
しかしトランスミッションや砲の照準装置は信頼性も品質も悪く,また,重装甲のために重量も大きく,それが運用上の大きな制約をもたらしていた.
そのせいでKV-1Sという軽量型も開発されることになる.
その他のヴァリエーションとしては,SU-152,KV-2,そして最終型のKV-85(85mm砲装備)など.
その後はスターリン重戦車が後継車両となった.
●性能諸元
装甲
正面 110mm~80mm(資料によっては75mmという数字もあり)
側面(1939年) 70~60mm
側面(1941年) 110~75mm
機関
B2-2K 水冷V12ディーゼル 550/2150(ps/rpm)
燃費 0.546km/l
燃料容量 458~550l(?)
戦闘重量
1940年 46.35t
1942年 47.0t
全長
6.89m
全幅
3.25m
全高
2.67m
最高速度(路上)
1942年 35.30km/h
1943年 40km/h
最高速度(路外)
16km.h
航続距離
路上 225~250km
路外? 150km
超壕能力
2.748m(初期型)
2.8m
超堤能力
0.914m
渡渉水深
1.4m
登坂能力
36度
武装
初期型 短砲身76.2mm砲
1940年型 39口径76.2mm戦車砲L41.2 F-34
1941年型 41.5口径76.2mm戦車砲 ZIS-5
砲塔は初期は鋳造,そののち溶接型に.
砲弾数114~102発
7.62mm機銃×3
弾薬数3024発
乗員
5名
生産台数
約4300両
湖底より発見されたKV-1
【質問】
小林源文の初期の作品に,『街道上の怪物』というタイトルの一編があります.
これは1941/6/23にドイツ第6装甲師団が実際に遭遇したエピソードの劇画化.たった1台のKV-1が,1個師団を2日も足止めしたという実話だそうですが,本当なのですか?
【回答】
小林源文作品『街道上の怪物』で描かれているのは増加装甲付きのKV-1Eですが,グランドパワー誌No.075やオスプレイのKV本で,数日間に渡り独第6師団の後方を遮断した街道上の怪物と,キャプション入りの写真で紹介されているのはKV-2でした.
プチロフ in FAQ BBS
青文字:加筆改修部分
▼ 『グラフィックアクション』46号や『タンクバトル』①にも,1941年6月23日から約3日,ドイツ陸軍第6“機甲”師団を足止めにしたロシア軍の戦車はKV-2と書かれています.
90式改 in FAQ BBS
青文字:加筆改修部分
▲
【質問】
独ソ戦でドイツ軍はKV2戦車にかなり手を焼いたそうですが,開戦前にKV2の性能についてドイツ軍は掴んでいなかったんでしょうか?
【回答】
存在は把握していたし性能も掴んでいた.
だが,独ソ戦に先だってのフィンランド戦争での実戦投入結果から,
KV-2(当初のドイツ側の呼称は大型砲塔KV戦車)は「陣地突破戦用の火力支援戦車」であり,ソビエト軍が”守り”の戦闘を行うならば,拠点に固定配置されてトーチカのごとく運用されると考えられていた.
(これはソビエト側の開発意図もそうなので,分析としては正しい).
その為,電撃戦では敵軍が強固に守る拠点は迂回して孤立させるか航空支援で潰すものなので,ドイツ戦車が正面切ってこれと戦わねばならないような局面は,そうそう無いであろうと考えられていた.
まさか,「単独でドイツ軍部隊に対し阻止突撃を仕掛ける」とか「五月雨式に投入し,とにかく手近なドイツ軍部隊に殴りこませる」などといった運用をしてくるとは思ってもいなかったため,ドイツ軍はKV-2に遭遇すると非常に苦労することになる.
だが,現実にはKV-2は足回りとエンジンに無理が掛かっているので故障が多く,重量が重過ぎてちょっと路外走行をしただけで軟弱地にはまって動けなくなってしまったり,重すぎて橋が渡れず無理やり橋を渡ろうとして橋ごと川に落下・・・と,戦闘以前に行動に不能になってしまったものが多く――この辺,戦争後期のドイツ軍重戦車群と同じ――,”伝説”として語られているほどには実際の戦闘では活躍はしていない.
戦闘参加以前に上記のような理由で搭乗員に放棄されてしまった車両も多く, ドイツ軍に「撃破」された車両の半数くらいは乗組員が爆破放棄したものであったり,ドイツ側が行動不能になって放置されたものに弾を撃ち込んで「撃破した」ということにしたものだったりして,そういう点でも戦争後期のドイツ軍重戦車と同じ結果になっている.
いや,「重すぎる重戦車は自滅する」ということが独ソ戦の初期に既に証明されていた,と言うべきか.
【質問】
KV2は重い砲塔を手動操作で,独軍戦車に狙いをつけて命中させることができたんですか?
【回答】
1000m先で弾着が10mずれたとして,修正する際に動かす角度は僅か0.57度.
手動で重くとも動かすのに支障は無い.
また,独戦車が動いていても,1秒に動けるのも十数m程度.
敵のいる方向に砲塔を回すのは苦労するが,向けてしまえばその後は普通に狙える.
【質問】
KV-85ですが,トランスミッションの不具合を克服し,かつ,高出力のエンジンを装備できていれば,T-34よりも有用な主力戦車になりえたんでしょうか?
【回答】
まず,KV-85はJS1開発までの繋ぎなので,優秀な主力戦車になどならない.
もう一つ,KV-85のベースはKV-1Sであり,同車はKVシリーズの本格運用開始以来,欠陥があると判っていたトランスミッションの改良を実施済みなのね.
T-34M計画を知ったコーチン技師は,同時期,KVシリーズの生産継続を賭けた改良を要求されていたのだけれど,一方,中戦車と重戦車の両方の良いとこ取りをした新型戦車を作れば,T-34の方を生産中止に追いやって,自分の新型戦車が主力になると言うプラス思考で,KV-13を開発した.
高速化は出来たけど,不整地走破性能が落ちた上に,トランスミッションはまったく改良していなかったので,保険として並行開発していたのがKV-1Sが開発された.
で,ティーガー1に対抗すべく,T-34Mは取りやめ,重戦車もJSシリーズの開発に入っている.
良く,病的なドイツ戦車ガソリン.エンジン擁護ヲタがデマを流しているけれど,大戦中期以降,ソ連重戦車が40t代で開発されたのは良いエンジンが無いからではなく,それ以上重く作ると路面や橋を壊してしまうから,と言うだけの話だったりする.
ソ連工兵の架設橋の限界もその辺りだったようだ.
ドイツは国内の主だった橋の荷重限界が24tで,潜水装備をつけることを前提で,それにより重い戦車を作ることにしたんだけど,実はこの潜水のための装備やエンジンデッキのレイアウトが意外と嵩張り,余計に巨大になってしまっている.
そんだけの話だったりする.
仮にもっと軽量高出力なエンジンがあっても,ソ連重戦車はあの大きさで設計されることになってたのね.
KVの欠点として,機動性の低さは問題視されていたけど,もう一つ,橋や路肩を壊して後続車の通行を妨げるってのも問題視されてたんで,仮に高速と重装甲を実現出来るエンジンがあっても,当座は40t代で設計することになった訳ですよ.
JS3がJS2より車体を小さくしたのは,パンターを分析した結果「側面投影面積が大きすぎて撃たれ弱い」と判断されたから,逆を目指しただけ.
そのため,エアフィルターをエンジン上から横に移動したり,車体高を低くする努力をしたんだけど,そのために設計したエンジンマウントのトラブルが続いたために,大戦に間に合わなくなっている.
一応,より強力なドイツ戦車の登場を予測して,より強力なエンジンを搭載して,重武装・重装甲の戦車としてJS4を開発したんだけど,こちらはゆっくり時間をかけて開発して良いとされていたらしく,大戦には間に合っていない.
けど,やはり予想されていたことだけれど,重過ぎて扱い難かったらしい.
それと,強力なエンジンは冷却器駆動のためのパワーロスが大きいと言うことが判明し,意外と当時の技術では「強力なエンジンがあっても駄目」ってな感じでJS3の再生産が始まっている.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
T-26軽戦車って何?
【回答】
量産されたものとしてはソ連最初の軽戦車T-18の後継として,英ヴィッカース6トン戦車を,ライセンスを得て改良し,国産化された軽戦車.
最初の量産型(1931年型)は,銃搭2基を横並びに搭載しているのが特徴.
のちに,45mm砲1門を搭載した,砲塔1基のタイプに改良された(1933年型).
その後も改良を繰り返し,最終的に12000輌以上が生産された.
しかし装甲が最厚15mmと薄く,また,機関部付近への榴弾の直撃でガソリン・タンクが燃え上がることも多かったため,ソ=フィン戦争(冬戦争)でも,独ソ戦初期でも多数の損害を出し,生き残った車輌は満州国境に転送された.
1945年の満州侵攻にも,本車は実戦参加している.
【参考ページ】
http://combat1.sakura.ne.jp/T-26.htm
http://www.geocities.jp/torikai007/1939/t-34.html
http://homepage3.nifty.com/sweeper/panzer/ussr/lt26.htm
http://www.bekkoame.ne.jp/~bandaru/deta02a3.htm
http://anteeksi.sunnyday.jp/t-26s.html
http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%A2-26
http://en.wikipedia.org/wiki/T-26
T-26 1931年型
(こちらより引用)
同:右銃搭にPS-1 37mm戦車砲を装備したサブタイプ
(こちらより引用)
T-26 1933年型
(こちらより引用)
【ぐんじさんぎょう】,2012/07/04 20:30
を加筆改修
しまだ in 「軍事板常見問題 mixi別館」,2012年05月01日 23:10
【質問】
スペイン戦争時にドイツ軍は,自軍の一号,二号戦車よりはるかに高性能なT26戦車を,どの様に評価してい
たんでしょうか?
【回答】
曰く,
「所詮英国の物真似であり,装甲は薄く,ラインメタルのPaK36さえあれば,直ぐに装甲をぶち破ることが出来る.
従って,戦車などに頼らなくとも,対戦車陣地に誘い込みさえすれば,撃破は簡単.
1000m以内ならばPak36で撃破出来るし,2号戦車でも500m以下の距離であれば,その主砲にて撃破できる.
よって,T26は恐るるに足らず.
また,2号戦車は所詮付け焼き刃であって,本命は3号戦車だし,その主砲は37mmなのだから,T26を撃破できる」
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2006/06/04(日)
Névtelen őrmester ◆Sgt/Z4fqbE : "2 csatornás" katonai BBS, 2006/06/04
(vasárnap)
青文字:加筆改修部分
Kék karaktert: retusált vagy átalakított rész
一号に関しては元々訓練用に作ったからともかく,二号の評価はドイツ軍内では低くない.
というのも,二号の搭載している20mm機関砲の貫徹能力なら,側面と後面は十二分に貫徹可能.正面も至近距離なら貫通できた.
おまけに連射するので,T-26戦車は貫通させられなくても何らかの損害を被った.
【質問】
ソビエト軍は第二次大戦中,連合軍の戦車を訓練に使ったそうですが,評判はいかがなものだったのでしょうか?
【回答】
「・・・操縦の訓練と戦術教習にはT-26とBT-7が使われたが,射撃訓練の方は実戦用の戦車から行なった
.
私たちの場合,まずはマティルダとヴァレンタイン,その後はT-34で射撃の訓練を続けた.
正直なところ,私たちはみんな外国の戦車に回されることを恐れていた.
マティルダもヴァレンタインもシャーマンも,みな棺桶のようだ.
これらの戦車の装甲は柔軟なので,砲弾が命中した時に装甲の破片が飛び散らないというような利点もあったが※,実際のところは,一方で操縦手の席が孤立しているという問題があった.
もしも砲塔が旋回している時に戦車がやられると,操縦手はもう脱出できなかった.
やはり我が国の戦車が一番だ.T-34は本当にいい戦車だった」
※T-34は命中弾が貫通しなくても,衝撃で装甲が剥がれ,それが乗員に刺さり死傷するケースが多かった
.
戦車長アレクサンドル・ブルツェフの回想より
・・・一部将校によるプロパガンダもあったが,事実,T-34は連合諸国の戦車より多くの点で優れており,赤軍戦車兵は,旧式な軽戦車に乗せられることより,M4などに乗せられることを,恐れることがあった
.
無論,大戦初期では整備不良なども多く,M4などは重宝されたが,すぐに需要は皆無となった.
つまり,評判は悪い.
なお,この回答は,前に読んでもらったものを覚書しておいただけなので,間違っているところがあるかもしれない.
そこのところをよろしく.
名無し上級大将 ◆80fYLf0UTM
ただし,「シャーマンは車高が高くて見つかりやすいが車内がT-34に比べて広かったので,ソ連戦車兵には『家』と呼ばれて親しまれた」という記述もある.
(SS戦車隊・下)
この辺の話は多分に個人の主観が入るからなあ.
バレンタインにかんしては「頑丈で機械的信頼性があったから,兵士たちにも好評だった」とも.
【質問】
昔,ソ連が数に合わせにトラクターベースで作った,オデッサ戦車なるものを見たのですが,ないよりマシ以外にどれくらい役に立ったのでしょうか?
なんか,チハの方がマシに見えるのですが…….
【回答】
オデッサを攻略したルーマニア第4軍には充分な対戦車兵器が無かったので,急造のオデッサ戦車でも歩兵にとっては大きな脅威だった.
ルーマニア軍唯一の戦車部隊である第1戦車師団も攻撃に参加しているが,歩兵との連繋がうまくいかず対戦車砲火で1日で戦力の半数を失っている.
また,実際の戦力と言うよりは移動時の騒音で「ここに戦車がいるぞ~」というカカシ役も果たしていたと言う話もある.
なにしろ上述のように,包囲側の戦力もそんなに大したものではなかったので,相手をビビらせるだけでも効果があったようだ.
オデッサ戦車
【質問】
オデッサ戦車の記述を見て面白い戦車と思ったんだけど,ルーマニア軍との戦闘ではマシだったとはいえ,独軍の本格的な戦車のⅢ号相手とかだとやばいよね?
記録とかでも一方的にやられてるの?
【回答】
そういう「マトモな相手がいるところ」には投入されてない.
あくまで「囮作戦用の代用兵器」的存在なので.
ただし,小銃の通常弾と拳銃くらいなら何とか防げるので,ちゃんとした対戦車兵器がないと,これでも相当の脅威だった.
対戦車砲や対戦車ライフルがなければ,肉薄攻撃して手榴弾車体の下に放り込むとか,地形障害に嵌ってひっくり返ってくれるのを期待するかくらいしか,対抗手段がないので.
尚,ルーマニア軍はこのオデッサ戦車を装備したソビエト軍部隊に対して,なけなしの戦車部隊を投入したが,随伴歩兵が追従できなかったので,オデッサ戦車に誘われてパックフロントに誘い込まれ,1日で戦車の半数を失った.
なので囮としても十二分に役に立っている.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
ソ連は何故平均寿命二週間と呼ばれるタンク・デサントを運用したのですか?
戦車が露払いした後にトラックでも徒歩でもいいんじゃないんでしょうか.
【回答】
まずトラックに関しては,数が足りなかったから.
トラックは物資輸送で手一杯で,しかもかなりの部分をアメリカからの輸入に頼っていた.
戦車はアホみたいに作れたが.
また,戦車に随伴するには路外を走ることになる
トラックじゃスタックして追随できないので,ハーフトラックなどに乗車して随伴するのが望ましい
.
しかし,無かったので,しょうがなく戦車の上に乗せた.
徒歩に関しては,進撃速度が遅くなるから無理.
戦車のみだと,敵の歩兵に肉薄されると戦車は弱いので,随伴歩兵は不可欠.
で,ハーフ・トラックが足りず,戦車があり,随伴歩兵が必要な状況で考案されたのがタンク・デサンド.
人命の価値が戦車以下という前提ならば有効な戦術(苦笑)
タンク・デザントの悪い例
【質問】
かってソビエトは戦車に歩兵を乗せて戦場に突入させてましたが,歩兵を一種の装甲にするという思惑もあったのですか?
【回答】
それは敵歩兵の肉薄攻撃から戦車を守るための随伴歩兵.
これを,戦車の防御力を上げる手段とするならyesだ.
APCやIFVが普及するまでは,戦車袴上歩兵って発想はソ連以外の国でもやってる.
自衛隊の61式戦車の砲塔横についてる棒は,歩兵用の取っ手だ.
歩兵を乗せたまま突撃しちゃうのはソ連独自の運用だろうが,必ずしも人命軽視とは言えない.
ソ連軍の戦術思想の根底には
攻撃重視
速度の重視
量の重視
全縦深同時打撃
といった発想があり,圧倒的な砲兵力の支援下で最大速度で突撃するほうが,徒歩兵の速度に合わせて突撃するより被害を低減できるとの思想があった.
【質問】
ISU152の試作長砲身型の種類と砲の名称,砲のスペックをご存知の方がいれば教えていただけないでしょうか?
【回答】
オブイェクト246:152mm試作砲BL-8 砲口初速900m/s
オブイェクト247:152mm試作砲BL-10 同上
オブイェクト250:130mm海軍砲S-26
http://schafe.s246.xrea.com/combat/data/ISU-152.htm
より.
◆w121yLHcFo in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
SU-122って何?
【回答】
SU-122は,ドイツ軍の3号突撃砲の活躍を見たソ連軍が,それを参考にして作った自走砲です.
主にT-34戦車の車体に,122mm榴弾砲M-30を搭載して作られました.
1942/11/20に最初の試作車が完成,約1100輌が生産されました.
【参考ページ】
http://schafe.s246.xrea.com/combat/data/SU-122.htm
http://po5.nsk.ne.jp/~sd.kfz.161-1/su122.htm
http://www.tamiya.com/japan/products/32527destroyer/index.htm
【質問】
カチューシャ等,zisトラックを改造して作ったソ連の支援攻撃車両は,終戦までにどれほどの数が作られたのでしょうか?
【回答】
意外に少なくて,カチューシャとしては500輛程度.
82mmのものを含めると,1000輛くらいはいくかもしれませんが.
カチューシャ・トラックのベースは,米国製のスチュードベーカーが多かったりします.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2006/05/29(月)
Álmos ember ◆gQikaJHtf2 : "2 csatornás" katonai BBS, 2006/05/29
(hétfő)
青文字:加筆改修部分
Kék karaktert: retusált vagy átalakított rész
カチューシャ・トラック
(画像掲示板より引用)
【質問】
クジマ・ミーニンって何?
【回答】
1)
クジマ・ミーニン Kozma(Kuzma) Minin Кузьма
Минич は,ゴーリキィ車輌集積所で,1942年2月に設計された装甲列車.
「軽量」級のOB-3型とは異なり,大型4軸車輌,BP-35やNKPS-42の後継だった.
装甲列車1本には(通常の車輌の他に)装甲機関車1輌,有蓋装甲車輌,無蓋車輌が各2輌連結されていた.
装甲有蓋車輌は45mmの装甲で覆われており,76mm砲搭載のT-34戦車砲塔を2基,そして機銃を6丁搭載(機銃砲塔に2,車体に4).
また,装甲無蓋車輌はM-8ロケット・ランチャーと37mm対空機銃2基を装備していた.
本列車は第15独立装甲列車師団に属し,ヴォルガの戦いに参加,最終的に1945年にオーデル河に達した.
2)
クジマ・ミーニンこと,クジマ・ミーニチ・ザハーリエフ・スホルーキィ
Kuzma Minich Zakhariev-Sukhoruky Кузьма'
Ми'нич Заха'рьев Сухору'кий
は,ニジニ・ノヴゴロドの肉屋.
16世紀末バラフナ生まれで,17世紀始め,ドミートリー・ポジャールスキィ公とともに,ポーランドのロシア侵入に立ち向かい,国民的英雄となった.
ミハイル・ロマノフのもとで貴族,帝国議会議員となり,1616年死去.
日本で言えば,装甲列車を「福田兼重」「竹崎季長」,あるいは「菊池武房」などと命名するようなものかな?
【参考ページ】
http://www.soviethammer.info/blog/633571-kozma-minin/
http://www.armchairgeneral.com/rkkaww2/galleries/Arm_trains.htm
http://www.ww2museums.com/article/15514/Armoured-Train-Kozma-Minin.htm
http://www.tankmuseum.ru/train4.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Kuzma_Minin
http://ja.wikipedia.org/wiki/クジマ・ミーニン
(http://www.ww2museums.com/article/15514/Armoured-Train-Kozma-Minin.htmより引用)
(http://www.armchairgeneral.com/rkkaww2/galleries/Arm_trains.htmより引用)
【関連リンク】
http://www.youtube.com/watch?v=pb1T1141LLM
【ぐんじさんぎょう】,2011/10/14 20:50
を加筆改修
◆◆◆◆◆T-34
【質問】
T34はBT快速戦車シリーズの発展型で,キャタピラ外して走行可能と20年ぐらい信じてきたのですが,これって間違いですか?
転輪やドライブスプロケット,アライドホイールの造りがBT快速戦車そのものですよね.
多分リアが駆動輪だとおもうのですが,あのスプロケットでキャタピラ滑らないのでしょうか?
【回答】
キャタビラ外して……は間違いです.競争試作において,車輪での走行を諦めて大型化したモデルのほうが採用されました.
BT戦車設計チームがBT戦車の更新を図っている最中に責任者を筆頭に技師の逮捕者が出て,開発引継ぎの為に設計技師長に納まったのがコーシキン技師でした.
引き継いだ時に設計されていたのが競作で負けたA-20,それの車輪走行無し・装甲強化・砲強化版がT-34原型のA-32なので,T-34の足回りはBTの発展と言う捉え方で間違いないと思います
リア駆動であの起動輪では滑らないかとの事ですが,履帯に大型のセンターガイドを備えていますし,T-34のドライヴスプロケットは,内側に”歯”にあたる部分があって,履帯の爪はそこに引っかかって廻ります.
・起動輪に関してソ連側が問題にしたとは聞かない
・T-34/76の40年型から,69年の改修型まで同一の機構を使っている
以上から特に問題は無かったと思います.
増加装甲つきBT7
(画像掲示板より引用)
【質問】
傑作と言われるT-34ですが,その割りに主砲の貧弱さや,撃破された数が非常に多いのが気になります.そこで具体的なT-34の問題点を教えてください.
【回答】
T-34/76では車長が砲手を兼ねていたため,射撃の際の見張りが不十分になってしまう.
また,ドイツ戦車のようなキューポラを持たないことも見張りを不十分にして,敵戦車を見つけられずに撃破される要因となった.
これらの欠点はT-34/85で改善された.
T-34が大量に撃破されたのは,ハッチを開けて状況を確認せずに闇雲に突っ込むなどの用兵面での拙さも一要因.
主砲に関しては,貧弱どころか,三号戦車が50mm砲を装備していたときに76mm砲を装備していたのだから,必要にして十分なものだったと思うけど.
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE :軍事板,2006/03/25(土)
青文字:加筆改修部分
【質問】
T-34は37mmや50mmではびくともしなかったそうですが,さすがに何発もくらうと中の人は衝撃で失神したり,照準機や計器が故障したりしなかったんですか?
【回答】
装甲は全然貫通されてないんだが,乗員がパニック起こして逃げ出したとか,そういう「撃破」例はあった.
あと,T-34の即用弾ラックは作りがいい加減なのが多くて,よく衝撃で砲弾が外れて落ちてきたそうで,
「・・・薬莢の尻のほうから落ちたからよかったけど,これ榴弾で弾頭の方から落ちたら終わってたぞ(汗」
ということがよくあったそうだ.
なので,被弾の衝撃で外れて落ちた砲弾が作動して自爆した車両は,結構あったものと思われ.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
旧ソ連のT-34戦車は壊れ易かった,と友達から聞いたのですが,本当なんですかね?
未だに使ってる国もあって,整備などもし易いと聞いていたので,信じられないです.
【回答】
戦車は基本的に壊れやすい機械.
アフリカとか北朝鮮では使っているようだが,無いよりマシなので仕方なくだろう.
当時,アメリカ製の工作機械を使っているとは言え,就労人口を殆ど兵隊に取られているソ連でも作れる戦車と言う時点で,推して量るべき.
それでもタイガー戦車なんかよりよっぽど壊れにくいが.
壊れやすさは数の暴力で押し切った.
レンドリースされたM4A2シャーマンのソ連軍内評価報告書では,
「T-34に比べてM4A2は操縦操作が軽くて容易で,長時間行軍においてより頑丈で故障が無く,エンジンも整備無しで長期に渡って駆動している」
と述べられている.
また,朝鮮戦争で米軍に捕獲されたT-34/85の調査報告書では,
・エンジンとラジエーターが脆弱で,衝撃・小火器の被弾・凍結で容易に冷却水漏れを起こす
・吸気口のエアフィルターは粉塵を除去しきれておらず,シリンダーを摩滅させ,エンジン寿命を縮めている
・生産数を重点に置いたノルマ達成のせいか,ラジエータ部のはんだ付け不良で性能が半減
と述べられている.
このような事から,米国や英国(これもレンドリース車輌が「故障知らず」と好評だった)の戦車よりも壊れ易かったと思われる.
▼フィンランド軍が鹵獲・使用しているT-34
【珍説】
T-34は,見たら解るように燃料タンクが外部にあるから,ライフル弾一発で燃え上がる.(少佐)
【事実】
T-34の燃料タンクはちゃんと装甲内にあるのだが・・・
あんたの言っているのは増加燃料タンクだよ.
あんたそ,別にその増加燃料タンクに燃料を入れなくてもいいという事をご存知か?
しかも,使われているのは軽油だから,被弾時,発火の可能性はガソリンより遥かに低いのだが・・・
【質問】
どうしてソ連があんなにT34を作れたのかが謎だ.
当時のソ連の国力と,ドイツに占領された面積を考えると多少の生産性ぐらいの差では,とても説明がつかないと思うのだが.
【回答】
ドイツはシュペーアが軍需相になるまでは,生産現場が混乱していて非効率なことをやっていた.
ソ連はドイツみたいに戦略爆撃を受けてないし,それに西側連合国からの援助がすごかったからね.
生産する兵器を絞り込めた.
援助を受けるため,英国からのルートと,アラスカからのルートを,ソ連は死んでも離さなかった.
特に,餓死者累々でもレニングラード(サンクトペテルブルグ)を文字通り死守したことは,不凍港ムルマンスクからの補給ルート確保に絶大な効果あり.
http://www.sitesatlas.com/Atlas/PolAtlas/C2.htm
こっ酷い目にあいながらも,不屈に補給船団を送り込んだ英国も流石といえる.
日本帝國海軍が意味の無いミッドウエイ攻略ではなく,あの時,本気で北方ルート遮断していれば,スターリングラード,レニングラード戦はもしかしたら・・・.
【質問】
ソ連の戦車を「ミッキーマウス」と呼ぶのは何か理由があるのですか?
【回答】
T-34/76・1943年型の車長用キューポラの無い型は,砲塔上面の車長用と装填手用のハッチを全開にして固定すると,砲塔上面に丸い耳がついてるように見えたので,ドイツの戦車兵はこれを「ミッキーマウス」と呼んだ.
写真見ると,よく分かると思う.
この形のハッチは,それ以前のT34が大きな一枚板のハッチを採用していたことから,脱出のときなどにハッチが重いと言う問題に対処するため採用された.
が,当然ながら遠目にもやたら目立つので発見されやすくなる,という欠点となった.
もっとも,フラップ式のハッチを開けると非発見率が高くなると言うのは,割と当時どこの国でも抱えていた問題.
そもそも戦闘中にハッチを2枚開ける必要は無く,ソ連側が無警戒の時に両方が開放される状況になる.
当時のT34で問題視されたのはどちらかと言うと砲塔前方の紡錘型のペリスコープの視界の悪さと戦車長が戦闘指揮に専念出来ない乗員配置な訳で.
この問題は3人乗り砲塔・コマンダーズキューポラ・ビッカースタイプのペリスコープで改善される.
つまり,前開きハッチは問題視していないと言うことな訳.
実際,ソ連ではコマンダーズキューポラを採用した後もフラップ式で前開きハッチを採用し続けている車種があり,相変わらず体を出さないと前は見えない訳.
イギリス・アメリカ・ソ連の何れも戦闘中は旋回式ペリスコープで周辺を警戒してる.
大戦中期になると,固定式ペリスコープと旋回式の併用が増える.
ソ連も旋回式ペリスコープの視界が狭かったので,コマンダーズキューポラとビッカース式ペリスコープの併用に切り替えている.(コマンダーズキューポラは展視孔)
アメリカは6方向の固定式ペリスコープと旋回式ペリスコープの併用.
イギリスはセンチュリオンでコマンダーズキューポラそのものを旋回式にしてる.
顔を出して周辺警戒するのは戦時中のドイツ,中東戦争でのイスラエルなどで.実は多数派では無い訳.
実際,ドイツでも砲隊鏡が使える場合は顔は出さずに砲隊鏡を使用していた訳でしょ.
突撃砲も砲隊鏡が旋回する方式を採用してるし.
イスラエルもハッチを少し上にスライドさせることで目の高さだけスリットが作れるキューポラを採用していて,顔全体は出さないようになっている.
補足しとくと,「T-34=ミッキーマウス」の話はTAMIYAのT-34/76 1943年型のプラモ(579の写真がそれ)の説明書の実車解説で有名になったが,元々はドイツの戦車兵が戦後に書いた手記に
「T-34の砲塔ハッチは開くとまるで動物が耳を立てたように,そう,今で言うならあのミッキーマウスのように目立つので,遠目からでもよくわかった」
と書いてあったのが元ネタで,必ずしも戦時中からそう呼んでいたと言う保証は無い,という説もある.
ミッキーマウス
(画像掲示板より引用)
【珍説】
>ソ連の戦車を「ミッキーマウス」と呼ぶ
全くの嘘.
ミッキーマウスの誕生は戦後だしね.
あの時代にアニメがあるわけないだろ(笑)
【事実】
”ミッキー・マウス”が産まれたのは1928年.これは1929年のミッキー.
現在見る形のデザインになったのは1939年.
どっちも戦前.
君の書いてることは全くの嘘.
アドルフ・ガーランドの愛機にミッキーマウスが描いてあった事くらい知ってるよね?
また,ディズニーの「ファンタジア」は,もともとは1940年に作られた実験アニメなんだが,現在の目で見てもむちゃくちゃな技術で作られている.
この映像を日本人が見たら,アメリカ相手に戦争起こす気にならんだろうと思うくらい.
さらに,ディズニーは1941年戦時公債購入キャンペーンの宣伝のために,「七人の賢い小人」というフルカラーアニメを作っている.
http://www.youtube.com/watch?v=kvV00wax1Uo
なんつーか,こら勝てんわ.いろんな意味で.
ちなみにディズニーの「白雪姫」は1937年.
日本でも『のらくろ』が1930年代に既にアニメ映画化.
<その他の作品>
1914年の「恐竜ガーティ」
1943年の「くもとちゅうりっぷ」
「ザイーガ」:【MOVIE】世界で初めて製作されたポルノアニメ(1928年,アメリカ)
戦の香りのする奴を
動物隣組
和製パチミッキー
「You Tube」:トムとジェリー 「勝利は我に」(1943年作品)
ちなみに漫画家の杉浦茂によれば,昭和18年当時には出版業界は用紙不足と厳しい統制とで壊滅状態にあり,彼は食いつなぐために江古田の「茂原映画研究所」に入ったという.
これは海軍兵学校の教材映画を一手に製作していた会社で,彼はそこでアニメのセル画を描く仕事をしたという.
(同社は終戦直後の9月に『日映』と合併)
また彼は,昭和17年4月には日比谷映画劇場で,中国製アニメ「悟空火焔山」を見たとのこと.
(YouTubeで検索をかけてみたが,『ドラゴンボール』しか出てこず)
詳しくは『杉浦茂 自伝と回想』(筑摩書房,2002/4/25),p.47-50を参照されたし.
【質問】
T34/85は無整備でどれぐらい使えますか?
【回答】
常時稼働し続けるのなら,せいぜい1週間保ったら奇跡.
T-34-85は生産時期や生産国にもよるが,元々ソ連らしい設計の杜撰さのために,故障率がかなり高い戦車だったし.特にギアボックス回りとラジェーターの貧弱さのため,無整備で長期間使い続けるのはかなり無理.
レンドリースのM4シャーマンを使った戦車兵が
「すげぇ,この戦車,全然故障しないぞ!」
と感動したって話もあるね(大戦初期の頃)
とはいえ,戦後長期間野ざらしで展示されていた車両が,燃料を入れただけで再び動いた,というエピソードもあったりする.
T34/85
【質問】
T34のエンジン部をラティで上から狙撃した場合,撃破するまで何発ぐらい必要ですか?
【回答】
対戦車ライフル弾は,WW2の段階では「戦車を撃破する」ということは目的とされず,
「乗員を死傷させる」
「火器を使用不能にする」
「走行不能にする」
などを目的に,特にソ連において盛んに使用された.
だから,何発当てれば撃破できるか,という問題はあまり意味を持たない.
当たった箇所に乗員がいるとか,照準器があるとか,走行装置があるとかして,戦闘が継続困難になることを狙っているわけ.
対戦車ライフルをガンガン撃ち込んで,戦車がドカーンという状況はリアリティを欠く.
それを前提に回答すると,T34/76のエンジンデッキの装甲厚は15~20ミリだったと記憶してるが,ラティ20ミリ対戦車ライフル弾が直角に当たれば貫通できる.
(戦車の真上から対戦車ライフルを撃つことができるかどうかは別として)
また,グリルのメッシュ部分ならば容易に撃ち抜けるだろう.
T34はご存じの通り,ディーゼルエンジンなので着火しにくい.
燃料系に当たったとしても簡単には火がつかないが,数発も撃ち込めば燃料漏れが甚大になり, 加熱された軽油に火がつくことも大いにある.即座に爆発とはいかないけどね.
フィンランド側でもラティは対戦車戦には向かない,と判断され,もっぱら対トーチカとか軽車両を目標にしてる.
でもダメ元でKV-1をラティで撃ったら,砲塔に当ったと思われる弾が下側に跳弾して,(多分)エンジンルームの天井をぶち抜いたらしく機関室から火を吹いて撃破,って例が現実にあるんだよな・・・.
ラティ
【質問】
今でも動け〔略〕るT-34はあるのですか?
【回答】
アフリカの国とかにいくらかあるそうですし,ユーゴ紛争ではT-34/85が現役戦力として普通に使われていました.
映画『プライベート・ライアン』に「出演」したタイガー戦車も,T-34をベースにして,タイガー戦車に見えるよう改造をしたものだとか.
また,この前,ハンガリーで暴動が起こったとき,デモ隊の有志が整備したT-34/85が警官隊を蹴散らした,という事件も.
中国にもあるが火災対策用車両に改造されてしまってるらしい.
Wikipediaによれば,
http://en.wikipedia.org/wiki/T-34#Other_countries
の国名のあとに * がついてる27ヵ国では1996年の時点で現役だったらしい.
しかし2007年の『World Defence Armanac』で,この*付きの国を端から10以上チェックして見たが,どこにもT-34は載ってない.
ほとんど退役しちゃったんだろな.
一方,ロシア本国では,2005年戦勝記念パレードのさい,T-80&T-34が出演していたという話や写真が.
一体何所に出演していたのかと思っていましたが,よつべで解決しました
Rus Tank T-34&T-80 Red Square Moscow
May 2005 60Th Anniversa
大規模パレードの後に開催されたコンサートに出演しておりました
この後も歌や踊りで盛り上がったようですよ
(2005) Mireille Mathieu Red Square Lge subt
wmv
しかしロシアの力の入れ具合は凄すぎる・・・・
CRS@空挺軍 in mixi,2007年12月09日22:55(青文字部分)
&軍事板
黄色は加筆修正部分
【質問】
今だ世界の紛争地でみかけるT34ですが,50年以上前の戦車のパーツや砲弾の調達はどうやっているのでしょうか?
まさかソ連や東欧諸国がいまだに各種部品の生産を行っているのでしょうか?
【回答】
まず,50年前のものをそのまま使っていることは滅多にありません.
戦後,それなりに改良が加えられ,既存のものもアップデートされています.
また,ポーランドとかチェコスロヴァキアでライセンス生産されたものは,1959年まで作られています.
戦車のパーツに関しては,例えばエンジンは,オリジナルのV-2-34からV-34-M11に換装され,冷却機構,
オイル潤滑機構が改良されています.
このほか,発電機,無線など内部の部品が近代化されています.
これが1960年に行われた改修で,それから,1969年にはT-55/62の部品との互換性を高める改修が行われ
ています.
従って,部品に関しては,オリジナルの部品が底を付いても,T-55/62系列の戦車が有る限り,それなりに
整備は出来ます.
最悪は共食いで食いつなぐことも可能です.
砲弾に関しては,85mm砲はつい最近(今もかな)まで中国などでも製造されていましたから,弾薬についても
十分余裕があると思いますよ.
T-34戦車(2001年,アフガニスタン)
(画像掲示板より引用)
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/01/10
青文字:加筆改修部分
【質問】
T34戦車は90年代に入ってからも実戦で使われた事があるそうですが,これは,戦力が
T34のような古い戦車≫古い戦車は使わず,その古い戦車に乗る人数に携帯無反動砲・ロケット砲を持たせる
ということでありましょうか?
どんな旧式戦車でも,携帯砲を持った歩兵4~5人よりマシと言う事でしょうか?
【回答】
特性が違うものを比べても無意味だお.
君は戦車の様に砲弾を何十発搭載したり,数十キロで走ったり,銃弾を受けとめたりできるかね.
モッティ ◆uSDglizB3o in 軍事板
青文字:加筆改修部分
戦車の衝撃力・突破力を歩兵で代替することは出来ません.
戦車に限らず兵器は,その戦場に存在させ続けることで大きな意味を持つものがあります.
戦車を圧倒できる攻撃ヘリコプターが,戦車というジャンルを駆逐しないのと同じ理由です.
T-34は極めて優秀で信頼性も高い兵器なので,90年代でも旧ユーゴや北朝鮮では第一級装備ではないものの現役です.
デモ隊が奪取した博物館の展示品のT-34が,燃料入れただけで動いたり※,60年泥の中で眠り続けていたT-34が引き上げてみたら,ちゃんと牽引できたりと,この手の話題には事欠きません.
曳光弾フェチ ◆slJfQfG2uc in 軍事板
青文字:加筆改修部分
※これはデモ隊参加者が事前に,大通りに展示されていたT-34を,あらかじめこっそり整備しておいたというのが実情らしい.
別項を参照されたし.
【質問】
最近(2006年),こんな事件があったそうですが,戦後何十年も経っているのに,なんでこのT-34は動けたの?
展示の戦車奪い突進 ハンガリー動乱50年式典騒然
民主化を求める民衆蜂起に対し,旧ソ連が軍事介入したハンガリー動乱から50年を迎えた23日,首都ブダペストで記念式典があった.
だが,4月の総選挙でウソをついたと認めたジュルチャーニ首相に反発する野党側はボイコット.
首相の辞任を求めるデモ隊の一部が暴徒化,この日のために大通りに運んで展示していた旧ソ連時代の戦車を奪って警官隊に向かって突進する騒ぎに.
警官隊は戦車の前進を催涙弾で阻止し,瓶を投げるデモ隊にゴム弾などで応酬,周辺は一時騒然となった.
旧ソ連時代の戦車が登場する衝突は,50年前を思い起こさせる皮肉な光景となった.
130人ほどがけがをし,約100人が逮捕されたという.
【回答】
乗り込んだグループは計画的に準備を整えていたらしいです.
しかし,右派のデモ・グループが,ソ連のシンボルとも言えるT34-85を乗り回すなんて,何かの皮肉ですかね.
あと,日本での主な報道ではデモ隊が「瓶」を投げたことになってますが,瓶は瓶でも「火炎瓶」ですので.普通の瓶も中にはあったのかもしれませんが.
magyar by mailform
JSF in 「軍事板常見問題 mixi支隊」
【参考動画】
T34 85 tank rampage
【質問】
2chで拾ったんですけど,これなんですか?
なんで人間の断面図みたいなものが描いてあるんですか?
ヨッチ,2010年02月27日 17:15
【回答】
いろいろ考えましたが,「人間の断面図みたいなもの」はやっぱり人間を胴切りにした断面だと思います.
見やすいように砲塔の内部を上に切り出したけれど,下半分を車内側に残しておきたくて,人間もウエストでカットしてしまったのではないでしょうか.
戦車砲もあちこちでぶつ切りにしてあります.
解像度が悪くて解説文までは読めませんが,図の左肩見出しにはキリル文字で「Танк(タンク)」と書かれており,事典か何かの「戦車」の解説ページと思われます.
私の見立て違いでなければ,図版はロシアのT-34です.
東部戦線,2010年03月02日 17:44
以上,「軍事板常見問題 mixi別館」より
青文字:加筆改修部分
▼ これの日本語版が
『クロスセクション 輪切り図鑑 有名な18の建物や乗物の内部を見る』(スティーヴン・ビースティー画,リチャード・プラット文,岩波書店,1992.11)
です.
城や地下鉄の駅,客船,スペースシャトルなど様々なものを輪切りにして解説した本で,写真はその中の戦車のページです.
解説されている戦車は,その通りT-34です.
in FAQ BBS,日付:2010/3/14(日) 22:14
青文字:加筆改修部分
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