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Engines of the Red Army in WW2
大祖国戦争時のソ連軍所属戦闘車両を紹介.
また,レンドリースされた戦闘車両の数やら損失数までを数値化.
カラーイラストと写真が数多く含まれているので,資料性が高いサイト.
ちなみに一部の画像は音付きで動きます
例 (重いので注意)
BM-13-16 Rocket Launcher - animated
――――――CRS@空挺軍 in mixi,2008年05月08日23:10
「militaryphotos.net」:1 x HiRes image captured
Russian T-35
放棄されたT-35を撮った画像.
「militaryphotos.net」:IS-2 tank photos
「militaryphotos.net」:Kubinka tank museum
Modelling & Military History - Romanian Army 1941-1945(英語?)
「YouTube」:Fiat-Ansaldo M13/40
「YouTube」:Italian Fiat 3000 Tank
「YouTube」:Italian Semovente Tank Destroyer
『萌えよ!戦車学校 2型』(田村尚也他著,イカロス出版,2006.4)
『萌えよ!戦車学校 V型』(田村尚也文,野上武志イラスト,イカロス出版,2008.6)
――――――
〔略〕
イカロス出版の萌え×ミリタリー本の元祖である「戦車学校」の最新刊.今回は第二次大戦中に行われた戦車戦を通して,戦車の運用や戦術などを解説していきます.
今回収録されてるのは,「MCあくしず」での連載分(1940〜42年まで)に書き下ろしで,ポーランド電撃戦(1939年)と,ティーガー戦車の取扱説明書である「ティーガーフィーベル」の萌え戦流翻案など.
〔略〕
もう一つの書下ろしである「ティーガーフィーベル」の萌え戦流翻案については,オリジナルの「ティーガーフィーベル」
(ティーガー戦車を擬人化したエルヴィラ・ティーガーの御機嫌をどの様にとって口説くか,という恋愛マニュアルに模している)
を元に更にムチャクチャやってます.
しかしオリジナルでも「ティーガーは俺の嫁」で締めくくってるとは….
個人的にはそこまでして御機嫌取りをせなアカンのなら,ティーガーではなくパンツァーファウストの方を選択するかなぁ.
ドイツ軍戦車兵は良く付き合えたもんだ.
間幕劇で第二次大戦編は三分冊の予定だとのこと.
すると今回は42年までだから,次のW号(仮)は43年から44年半ばまでと推測すると…
へたするとマンガパートで秋山教官の主役は無さそう(笑).
(44年6月のサイパン戦がギリギリかな)
続きが楽しみなシリーズです.
――――――グンジ in mixi, 2008年08月17日18:13
「ワレYouTube発見セリ」:Austin Armoured Car
◆◆◆◆総記
【質問】
大戦間の輸出ベストセラー車両はブレンガンキャリーアーですか?
【回答】
ブレンガンキャリアーは,1936年に初めて出現したもので,英国軍の軍備増強に回され,輸出に振り向けられる事は殆どありませんでした.
大戦間期では,一つはCarden-Loydシリーズで,特にMk.VIは各国に輸出され,欧州各地でライセンス生産が行われています.
もう一つはVickers 6t戦車で,特にMk.Eは,ボリビア,ブルガリア,中国,エストニア,フィンランド,ギリシャ,日本,ポーランド,ポルトガル,ルーマニア,シャム,ソ連,米国と各国に輸出され,ポーランド,ソ連,米国ではライセンス生産や複製が行われています.
ブレンガン・キャリア

【質問】
ケッテンクラートのような装軌オートバイや、
シュビムワーゲンのような水陸両用車が現在無いのは
何故ですか? 実際のところ、有用じゃなかったからですか?
また、実際に有用でなかったとしたら、なぜ当時のドイツ軍はそのようなものを開発したのでしょうか?
【回答】
西ヨーロッパは舗装され河川に橋もあります。東部戦線は主に未舗装の道路であり,河川も橋は少ないです。
更に橋は爆破される事も多いです。
ケッテンクラーットにシュビムワーゲンが開発されたのは,その対応策です.
戦後のソ連軍では戦闘車両に、水陸両用の性能を持たせた車種が多いのもこの為です。
現在も一応、ドイツ製でこういうのがあります。 シュビムワーゲンの直系の後継ではありませんが。
市川市の消防局にも,これと同じものがありますね。
昔、日商岩井が20台ほどドイツから輸入して官公庁向けに売っています。
また、Trippelが、1934年に開発した水陸両用車、SG6シリーズはドイツ軍に採用され、1961年からツェンダップエンジンに換装して68年まで量産しています。
フランスも同じようなものを作っていたはず。
他にも,水陸両用車ならこんなのが.
http://www.fas.org/man/dod-101/sys/land/aaav.htm
http://www.fas.org/man/dod-101/sys/land/aavp7a1.htm
(眠い人 ◆gQikaJHtf2,一等自営業 ◆6znir1Xk3I他)
【質問】
ナチドイツ軍ってやたらとオートバイ/サイドカー使ってるイメージがあるのですが,他の国ではバイクは多用されていたのですか?
【回答】
例えば,ソ連は,ドイツと戦争をしている際に,米国にサイドカー付おオートバイを多数注文しました.
しかし,米国は,生産の近代化と合理化(特に合理化)の為にジープを供給するからとソ連を説得しています.
米国は単車を数千台単位でしか生産していません.
寧ろ,英国の方が多数生産しており,戦争勃発時に21000台を保有し,6345台を徴用しています.
この数は,1940年6月までに50000台に達し,最終的には勃発時の10倍以上の270000台を保有するに至っています.
ドイツの場合,それなりに生産していますが,独ソ戦頃から徐々にVWにシフトしていっています.
眠い人 ◆gQikaJHtf2

【質問】
第二次世界大戦で列車砲を実戦に使用したのはドイツだけなのですか?
【回答】
列車砲はフランスが多数保有していましたが,実戦で活動したものはありません.
装甲列車搭載の火砲(まぁ,一種の列車砲でしょうか)ならば,第二次大戦勃発時のポーランドのシュミアウィ号の活躍がありますし,第二次大戦末期のスロヴァキアの叛乱でも,同様に装甲列車搭載の火砲が活躍しています.
(眠い人 ◆gQikaJHtf2)
【質問】
ドイツのような高速鉄道ネットワーク構築は,他の国では試みられなかったの?
【回答】
まず,フランス.
1930年代前半はまだ私企業の時代で,NapoleonIII世が1851年にバラバラだった鉄道を,パリを中心として,北部(NORD)鉄道,東部(EST)鉄道,西部(OUEST)鉄道,東南方面のパリ・リヨン地中海(PLM)鉄道,西南方面のパリ・オルレアン鉄道,そして,唯一パリから離れてトゥールーズを中心とした南部(MIDI)鉄道の6大鉄道会社に統合します.
後に,POとMIDIが合併して会社は5つに減り,OUESTは経営破綻のため国有化されてETAT鉄道になり,ESTはドイツのAlsace-Lorraine鉄道と統合して国有化して東部Alsace-Lorraine鉄道になりました.
東部Alsace-Lorraine鉄道は,工業地帯向けの路線で,貨物主体であり,最高速度は110km/h,表定速度82km/hと余りパットせず,ETATは農業地帯が中心で経営的に最も苦しく,パリ近郊路線をドル箱にしようと電化高速工事を施工します.
PO-MIDI鉄道は観光鉄道であり,また水力発電が恵まれていたお陰で電化の着手も早く,高速運転も可能でした.
NORDは,ロンドン〜パリ〜ブリュッセルの国際列車を走らせ,その最高速度は140km/hに達しています.
PLM鉄道はリヨン,マルセイユを包含しているので,都市間高速鉄道と観光列車を兼ね備えていましたが,電化資金までは手が回らない状況でした.
こうして独自カラーを打ちだしている訳ですが,高速列車としては,まず電車よりも気動車が主体になります.
で,高速気動車第一弾は1933年にAlsaceで試験運転した気動車で,これは高級スポーツカーで有名なブガッティの製品.
意外でしょうが,実はこれ,高級スポーツカー用に8気筒12.7lエンジンを25基製作したものの,このエンジンを搭載した車は僅か2台しか売れなくて,工場には在庫の山.
これを解消しようとエトール・ブガッティが窮余の一策で考えたのが,このエンジンを気動車に転用することだったのです.
そのエンジンを1輛に2〜4基搭載し,4軸ボギー台車2台のうち,2軸または4軸を液体変速装置付シャフトを介して駆動する方式で,単車運転用から3両編成まで各種に対応出来,内装も普及用から48席のPresidentialtypeまで製作可能でした.
この気動車は1935年11月12日に10km平均196km/hを記録し,東部Alsace-Lorraine鉄道では,パリ〜ストラスブールを3時間53分(平均130km/h)で駆け抜け,ETATが導入したのは,パリ〜ルアーブルを2時間(平均114km/h),PLM鉄道のそれは,パリ〜リヨンを4時間50分(平均106km/h)と,各地で高速を誇りました.
しかし,NORDはこれを採用しませんでした.
NORDで採用したのは,ミシュラン製気動車,そう,タイヤで有名なあの会社は気動車を作っていたのですね.
1929年から56輛が調達され,1934年7月27日にはTARと言う3輛編成のディーゼル動車を10編成パリ〜リールに投入し,此の間を2時間40分,平均速度96km/hで走らせています.
大メーカーとしてはルノーがあります.
1935年にABJと言うtypeを投入し,これは亜幹線やローカル線,更には植民地まで広く使われました.
12気筒33lで265〜300馬力を発揮するディーゼルエンジンを搭載した流線型で,308輛が製造され,うち,253輛が単車仕様,55編成が2輛連接構造のものでした.
一方,ライバルのイタリアの状況は,非電化路線にディーゼル動車が多数投入されていました.
白眉なのは,フランスに遅れて1936年に投入された高速気動車のATR100で,既に振り子構造が採用され,高速電車のETR200と共に開発されています.
ETR200は文字通り最高速度200km/h,ATR100は最高速度170km/hで半島を駆け抜けるもので,3車体を4台車で支える連接構造.一等36席,二等42席の豪華仕様で,エンジンは1車に付き,12気筒44lの375馬力を2基搭載し,運転席正面窓下にラジエーターを持つという,イタリアらしからぬDesignだったり.
Duceは,この車輌によって,ローマ〜ベルリン枢軸特急を夢想しましたが,この直後に国鉄の路盤が老朽化していることが判明して,最高速度制限が120km/hをなってしまって頓挫.
しかも,フィアットで9編成作られたそれは,第二次大戦参戦でお蔵入りとなりました.
ちなみに,Duceの夢は9編成のうち,5編成は戦後まで生残り,実に1961年まで国鉄で用いられてたりしています.
他に全長19m(後期は23m)のALn556シリーズが1937〜40年にかけ,ブレダなどで192輛,全長25mの大型気動車のALn772は,1940〜1957年に掛けて製造されたもので,293馬力のディーゼルエンジンを搭載し,最高速度130km/hという性能を持っており,これが319輛製作されています.
で,ブガッティの蒸気機関車.
これは1934年にETAT鉄道に提案していたもので,発注,製作まで行きました.
当時の蒸気機関車は巨大なシリンダを蒸気力で回す代物で,大きく,騒音もでかく,大量の石炭と水を要し,大量の灰が問題になっています.
そこで彼は考えた.
「一つの蒸気機関でシリンダーを動かすから無理がある,じゃ,小さいのを束ねればええやん…」と.
で,蒸気機関は8輪の駆動輪に各々一つずつ8気筒250馬力の合計2000馬力,その駆動はロールベアリングを多用し4輪の台車に動力を伝えるもの,潤滑油噴射装置はBosch製,ボイラーは2基で燃料は重油,発生した蒸気は水に復元して循環使用されました.
つまり,シリンダ数だけで64基あると言う途方もない代物ですが,個々のコンポーネントは軽量化できているので,最も重量を食う部分が軽くなり,燃費も良くなる.
しかも重油燃料なので,石炭の様に機関助士の投炭技術は不要で,灰も溜まらない,水も循環使用で大幅に削減できるので,炭水車を大きくする必要もなく,給水停車も削減可能と良いことづくめ.
ただ,メカニズム的にはシリンダ間の同期や伝動装置の複雑さなどで製造に手間取り,また,人民戦線による各鉄道のSNCFへの統合,国有化,ブガッティ自身の経営危機からこの野心的な計画は放棄されてしまいました.
フランスは自由な企業の提案,イタリアは国家の威信と,意外にこうした部分もお国柄が垣間見える訳で.
さて,高速鉄道の話は結構夢物語と言うか,夢想的な発想から,本物が出て来るのですが,これがソ連の場合……
1934年1月のNewYorkで新聞が大々的に伝えたのが,ソ連の新型特急電車です.
これは,「車輪の代りにボールベアリングを用い,コンクリートの溝に車体を埋めるようにして走る.最高速度は300km/hで,現在150km/hを出している」
で,写真には,単線線路に車体断面が丸く,側面窓も丸の3連の電車で側面の架線から集電している感じのものだったり.
いや,これは勿論,ソ連一流のPropaganda.
そもそも,どうやってボールベアリングに動力を伝えるのか小一時間(ry.
次いで話題になったのが,架空鉄道…懸垂式モノレールでプロペラ推進のもの.
車輪が見えない分,空力的には有利で,ゴムタイヤの車輪で走行するから音も静か,主に英国で研究されました.
ちなみに,今の千代田線の一番最初の申請時には,この架空鉄道やチューブ式鉄道なんてのが検討されていたり.
さらには,「原子力列車」というトンデモ計画もありまして,ソ連では1953〜57年に作られていたディーゼル電気機関車のTE-3/7を転用することが検討されました.
ソ連は1973年のオイルショックで石油が高騰したことで,原子力機関車構想を再燃させ,10,000〜15,000馬力の3m軌間の機関車を夢想します.
機関車は2両連結で18軸,1,500tの牽引力を備えるものとし,1両当りの定員は200〜250名.
これも,検討を進めると,リアクターからの放射能対策で機関車が巨大に成りすぎて断念.
然らば,と言うことで,軌間を1524mmに縮小し,全長50m,自重430t,12個のモーターで5,870馬力を発揮する既存機関車改造構想を立てます.
燃料はウラン235でリアクターは高さ2m,直径1.5mの水とナトリウムを冷却剤に使う黒鉛型(ぉ.
タービンの蒸気圧は80〜400気圧で,コンデンサーや冷却水パイプは防錆,防蝕措置が執られていました.
で,エレクトロニクス技術が発展してくると,リアクターとタービンの自動制御を組込み,リアクターの遮蔽は2.5mとし,媒体としてヘリウムを用いる構造となり,機関車全長35m,自重175t,出力6,000馬力のものとなり,更に安全性に配慮して,リアクターを5mに延長し,これに100t分を割くことになって,全長50m,出力7,000馬力にしてみたり.
つい最近まで真面目に検討されていたのに吃驚だったり.
フィアットの凶悪な面構え

ブガッティ

ミシュラン

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi
【質問】
日本陸軍の歩兵師団には多い場合で6000頭程度の馬がいたとのことですが,1940年ごろの他国の機械(自動車)化されていない歩兵師団には何頭ぐらいの馬がいたんでしょうか?
【回答】
WWIIのドイツ軍歩兵師団について言えば,110個歩兵師団にいた軍馬の総数は約65万頭なので,一個師団あたりの軍馬の数は6千頭弱と言う計算になる.
尚,歩兵師団には獣医中隊もちゃんとあって,軍馬のケア-以外に,畜殺中隊の食用牛が食用に適するかどうかのチェックなんかも実施している.
【質問】
SPA TM40ガントラクターについて教えてください.
【回答】
この車輌は,6気筒110馬力ディーゼルエンジンを備え,砲の牽引が主目的なので最高速度は43km/h程度ですが,大型のタイヤが不整地でも大きなグリップ力を生みます.
エンジンは操縦席と助手席の間に位置しているので,走行中は非常にうるさくてドライバーとの会話もままならず,また熱かった印象があります.
最近,日本からイタリア軍物や絵葉書を集めるのに良く利用している海外オークションのドイツ版で出品されていました.(写真1)
http://cgi.ebay.com/ws/eBayISAPI.dll?ViewItem&item=4635426853&fromMakeTrack=true
このオークション,たまに凄い物がでますが,こんな第二次大戦時の貴重なイタリアソフトスキンは初めて見ました.
因にこのオークションページのセレクトフォトの一番最後の写真には,何故だか私が4年前のリミニのヒストリカルイベントで撮った写真が勝手に使われていて笑えましたw.(写真2)
http://www.photohighway.co.jp/ImageAlbum.asp?key=15.084342&src=13166365&un=97071&m=2&pos0=1&type=0
この出品車輌は未レストアの置き物状態なので,イタリアのイベントでいつも眼にする,私も一度このリミニでのイベント助手席に乗った,そのものズバリでは無いのでしょう.
先日ファエンツァで行われたゴチック戦線イベントでも同タイプ車輌が出動していました.
http://www.jollyrogerxxx.it/faenza2006.htm
この時は,オークションの出品車輌オリーブグリーンの単色になっていました.(写真3)
だいぶRSI軍が増えてきましたが,やはりイタリア人のドイツ軍好きは相変わらずの様子(笑).
ちなみに上のSPA TM40の背景のヴィラ・エマルディ館は,最初ドイツ軍司令部として使用され,その後イギリス軍指令部となった由緒正しい(?)所.
流石,ロケ地本物のイタリアイベント!
また参加したい所です.
う〜ん,それにしても誰が落札してどうレストア,維持していくのか気になるところ.
PM14:30現在のハイビッダーは3,410ユーロのイギリス人で,このまま行くと白黒十字が描かれて,ドイツ軍車輌Radschlepper
110としてリエナクトメントで使われそう(笑)
こういう車輌こそイタリア陸軍が引き取って,完全レストアしてイベント毎に貸し出ししても良いと思うのですが….
【余談】
映画『炎の戦線エルアラメイン』にも,渋めのチョイスでイタリア軍の実物ソフトスキン車輛が色々と登場していますね.
同様にホイールベースの短い車輛では,地雷処理の爆破工兵が劇中で使用したSPA
TL37ガントラクターが私も好きです.
私が担当した当映画のパンフ用軍装&車輛解説はこちらに.
http://www.gaga.ne.jp/el-alamein/html/column.htm
(1)

(2)

(3)

よしぞう(maro') in mixi,2006年05月07日14:27
【質問】
第二次世界大戦時には対戦車ミサイルの研究ってあったのでしょうか?
【回答】
第二次大戦中にドイツが対戦車ミサイルの開発を行っています.
その結果X-7「ロートケップヒェン」(独語で「赤ずきんちゃん」の意味.名前はメルヘンチック)が開発されました.
ロートケップッヒェンは砲弾型の胴体に.前進翼の主翼が左右についたユニークなデザインで,有効射程は1200m,
戦後の対戦車ミサイルと同じ有線誘導です.
対戦車だけでなく地対空バージョンも開発されていたようです.
実戦には間に合いませんでしたが,もし実戦投入されていたらかなりの戦果を発揮したものと推測されます.
また,ドイツはX-4という有線誘導の空対空ミサイルを開発しています.
が,戦後の対戦車ミサイルのモデルになったのはむしろこちらだとか.
【質問】
今の技術ならパンジャンドラムは運用出来るんじゃないか?
もっとも,近づく前に吹き飛ばされるだろうけど.
Posted by 名無しT72神信者 at 2008年06月20日 00:27:41
【回答】
海辺の松林に直径二メートル半程の球体が数百個単位で隠されているところを想像してほしい.
鋳造とは言え,80ミリの合金鋼を鎧っているので有効な兵器は限られる.
これが指令電波を受けるや否や,GPSと慣性誘導をたよりに整列し方陣を組んで,あとは怒れる王蟲の群れのように,敵上陸部隊へ向かってまっしぐらに転がってゆくのだ.
この冗談のような兵器が内蔵した6トンのANFOを炸裂させる時,それまで敵の攻撃から彼を保護していた装甲は,敵を挽肉に変えるための無数の弾丸と化すのである.
…こうですか?
小官が上陸部隊だったら,こんなネタ兵器に殺されるのはご免です.
Posted by ハインフェッツ at 2008年06月20日 18:13:38
「あれは機甲パンジャンドラム部隊! 総員落とし穴用意!」
しかし,日本の山がちな地形に事前配置されてたら,気分は落石の計だな.
Posted by 名無しT72神信者 at 2008年06月21日 08:51:34
2008年06月16日付「週刊オブイェクト」コメント欄
青文字:加筆改修部分
▼http://www5a.biglobe.ne.jp/~happyman/text4/060727toukoudai.html
リンク先の「円筒形ロボが瓦礫を飛越」のキャプションの画像と同じようなロボットが,飛び跳ねてガレキを越える動画を見た覚えが.
今の技術でパンジャンドラム作ると,これくらいの大きさになるのでは?
自走式の小型爆弾として市街戦で活躍するかも.
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◆◆◆◆戦闘車両・総記
【質問】
この当時の戦闘車両の区分が分かりません.
【回答】
| 自走砲 | 対空砲,対戦車砲,榴弾砲,歩兵砲等を戦車やハーフトラックの車台を流用して自走化したもの.オープントップのものや前・側面を装甲板で覆った程度の防御力しかない |
| 対戦車自走砲 | 対戦車砲を積んだ自走砲.マルダーやナスホルンなど. |
| 突撃砲 | 戦車と違い旋回砲塔がない.基本的に歩兵砲を装甲・自走化したものであり,歩兵部隊の火力支援を任務とし,運用は砲兵が行う.V突など低車高で隠密性を高くしている.旋回砲塔がないぶん,生産性がよい. |
| 駆逐戦車 | 突撃砲と構造は似ているが,対戦車戦闘のためより強力な砲と防御力を備えている. 突撃砲が対戦車戦闘にも活躍したため、突撃砲の形式(カーマゼット)で対戦車戦闘を主体とする駆逐戦車が生まれた。 駆逐戦車は同じ車体を使っても戦車より大口径の火砲を搭載出来たので、旧式化した戦車の製造ラインを振り替えて生産される事が多かった。 ただし重量は主力戦車に比べて重く,また,旋回砲塔がないため接近戦では不利.よって待ち伏せ攻撃で威力を発揮する.運用は装甲兵が行う. 現代ではATMを装備した戦車駆逐車が見られるくらいである。 |
【質問】
突撃砲と駆逐戦車は,どういう点で区別されるんですか?
【回答】
ドイツ軍では戦車は装甲科(戦車兵)が運用し,突撃砲は砲兵科(砲兵)が運用していた.
突撃砲は元々,トーチカなどの攻撃用に砲に自走能力を持たせ,敵の対戦車砲に対抗できる装甲を施したものというコンセプトで開発された.
対戦車戦は,三号戦車では分が悪いT-34などに対抗するためにやるようになった,後付けの任務.
駆逐戦車は,旋回砲塔をあきらめる代わりにより大口径の主砲を搭載し,大戦後期の強力な敵戦車に対抗しようとしたもの.
このように,この二種は結果的には同じようなものになったが,開発の経緯は異なっている.
装甲科の将軍たち(グデーリアンなど)は,戦車と同じ運用をする突撃砲は装甲科に編入しろと主張し,砲兵科の将軍たちは,突撃砲を「砲兵に騎士十字章をもたらすもの」として手放したがらなった.
ちなみに突撃砲はドイツ軍独自の分類.
突撃砲

(うそ)
【質問】
対戦車自走砲・駆逐戦車は防御専用なの?
【回答】
対戦車自走砲・駆逐戦車の類は攻撃には不適と言われてる.
文字通り,自走する対戦車砲として捉えた方が適切じゃないかな.
機動防御に使うにしても,無砲塔・限定旋回では使い勝手がかなり悪いだろうし.
ドイツ軍でも戦車大隊と駆逐戦車大隊は基本的に別物扱いだと思うよ.
ただし,戦局が悪化するに従って,戦車の不足が問題になって,駆逐戦車・対戦車自走砲が戦車連隊,大隊に装備することが認められたりしてる.
戦車が必要とされるような反撃(反攻)作戦を実施する余裕がなくなってきたのも,理由の一つだろうね.
【質問】
重戦車とか軽戦車はどうやって区別するんですか?重量?
【回答】
重量や用途で区分します。
旧日本軍の類別では、
*装甲車→5トン未満 牽引用・パトロール・偵察
*軽戦車→5〜10トン 偵察・戦闘
*中戦車→10〜20トン 歩兵支援・戦闘
*重戦車→20トン以上 (日本では量産配備はなし)
もっとも、チト車やチリ車は分類は中戦車でも20トン超えているんですけどね。
諸外国では重戦車とは堅固な防御陣地の突破と中戦車に対する火力支援、
後には対戦車戦闘をも考慮した大型戦車のことを差しています。
ちなみに第二次大戦の代表的な中戦車であるソ連のT-34の76mm砲搭載型が重量約30t。(85mm砲搭載型で約32t)
それに対抗してドイツが作った中型戦車であるパンター(75mm砲搭載)が約44t。
ソ連が戦争後半に使った重戦車JS-2(122mm砲搭載)が約46t。
ドイツの重戦車ケーニヒスティーガー(88mm砲搭載)が約68t。
……とまあ、国によってこれだけ差があるわけで。
(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE他)
フランスの重戦車 B1

【質問】
独ソの戦車の戦力比は?
【回答】
主力戦車 独ソ比率 3:7
ドイツ 計29500両
三号戦車 約15000両
四号戦車 約8500両
パンター 約6000両
ソ連 計64500両
T-34/76 約35000両
T-34/85 約29500両
駆逐戦車 独ソ比率 4:1
ドイツ 計13670両
三号突撃砲 7720
四号突撃砲 1111
ヘッツァー 2827
四号駆逐戦車 804
四号戦車/70(V) 930
四号戦車/70(A) 278
ソ連 計3725両
SU-85 2050
SU-100 1675
数の上でドイツ機甲戦力の主力であったのは,7.5cm長砲身(Pak40系戦車砲KwK40,43口径75mm砲)を搭載した四号戦車F後期〜J型.
これが各型合わせて7347両となり,終戦までドイツ機甲戦力のワークホースとして戦った.
また,中戦車と駆逐戦車/突撃砲を合わせた場合の独ソ比率は,約4:7と差が縮まる.
戦車以外の火力も機甲戦に用いる事で,数の上で拮抗しようとしていた様子が良く分る.
主力だった四号F型以降と同じ43口径75mm(StuK40)を搭載した三突の長砲身(F〜G)型が7000両を超え,主砲が同じ四突を加えれば8000を超える.注:ヘッツァーと四号駆逐戦車の搭載する7.5cmはPak39系の48口径.
四号及び三,四号突撃砲の合計1万5千を超える75mmL43砲が,ドイツ機甲戦力の中心となって戦線を支えたと言える.
対するT34は30.5口径76.2mm砲の40年型,41.5口径76.2mm砲の41年型,51.6口径85mm砲の43年型,54.6口径85mm砲の44年型と,止まる事なく順次砲を増強しており,43口径75mmでは砲力で優越出来ない状況になっていく.
このギャップを埋めるべく投入されたのがパンター,四号/70(V&A)等の持つ超長砲身,70口径7.5cm砲だった.
しかしT34/85が三万両に迫る一方,パンター他で7000両しか無かった.
T34/76と75mmL43では各種突撃砲,自走砲を動員し2:1に近付いた比率は,T34/85と75mmL70では4:1にまで広がる.
T34/85が登場した43年末の冬季以降,東部戦線ではドイツ機甲戦力は徐々に守勢に回る事になる.
重戦車 独ソ比率 1:4
ドイツ 計 約2145両
ティーガーI 1354
ティーガーII 約800
ソ連 計 約8100両
KV-1+2+85 約4600
IS-2+IS-2m 約3500
重駆逐戦車 独ソ比率 1:7
ドイツ 計 約600両
ヤークトパンター 415
フェルディナント 90
ヤークトティーガー 82(〜100?)
ソ連
SU-152/ISU-122/ISU-152 計4075
重戦車,またそれを上回る火力を持った重駆逐戦車で見ると,合わせて1:4の割合で,重装備では圧倒的にソ連機甲戦力の方が多かった.
これらの重装甲戦力に対しては,パンターでもアウトレンジは厳しい.
特にJS-2の重装甲と砲力のバランスは素晴らしく,ティーガーの56口径8.8cm戦車砲(8.8cmFalk系のKwK36)でも正面からでは優越できず,71口径という超長砲身型の8.8cm(Pak43及びKwK43)が必要とされた.
しかし,これを積んだティーガーIIとヤークトパンター,フェルディナントは,3種を合わせても1300両が造られたに過ぎない.
「常に数で優越するソ連機甲戦力を,常に性能で勝るドイツ機甲戦力が止めた」
という認識は一面で真実であろうが,大きく見るとむしろ
「数でも火力でも,ドイツ機甲戦力はソ連機甲戦力に対して劣勢だった」
とした方が正解に近いのではないだろうか?
東部戦線がモスクワ寸前で膠着して以降,T-34/76を繰り出して反撃に転じたソ連機甲兵力の正面に有ったのは,50mmしか持たない三号であり,短砲身75mmしか持たない四号であった.
この時点でパンターが投入されていれば,確かに東部戦線の様相は違っていたかもしれない.
現実には長砲身化された四号と重戦車ティーガーの投入で一時火力で上回るも,それに対してT34/85が生み出され攻勢をかける.
パンターが投入されたのはその後であり,大量生産に成功したT34/85に対し,パンターは常に数において大きなハンデを背負って戦う.
更にJS-2が投入されるに至って常に火力で劣勢となり,ティーガーIIが生れた時には西部戦線との二正面作戦により更に数で劣った.
加えて米英の戦略爆撃で,重装備の生産はたびたび滞る.
「数において常にソ連を下回り,火力において時に拮抗するが,多くの時点ではこれも常にソ連に対し劣っていた」
というのが東部戦線ではないだろうか.
火力に劣るドイツ戦車が多くのエースを生み出しているのは賞賛に価するが,一部の重戦車,また超人的な戦車乗りに頼っては到底覆せない「大きな差」が有ったと見るべきだと思うがどうだろう.
【質問】
独ソ戦車の性能差,圧倒的だったの? 数の差はでかいし,稼働率悪いけど,カタログスペックでは….
むしろ,蹂躙された原因はドイツ側のちょんぼの積み重ねでは?
【回答】
たしかにチョンボもある,
国力で遥かに劣るドイツがソ連に勝利するには,先制攻撃と電撃戦あるのみだった.
しかし,結果は敗退,電撃戦は当初の目的を果たせず,手に入れた領地を死守するうちに徐々に追い詰められ,冬将軍が到来し消耗,国力の差を見せ付けられることとなった.
だがソ連側も似たようなもの.
負けた将校は粛清され,死守命令や「攻略しなければ銃殺」なんてこともしょっちゅう.
しかし主力戦車の性能差は歴然としていた.
ドイツ軍の主力は四号戦車,ソ連軍はT−34,
そのほかのことを考えても,ドイツ軍は三号や四号ばかりで,一部国民擲弾兵が混じっているような部隊.
一方ソ連軍は
整備は万全,
大戦後期では練度においてもドイツ軍の平均以上,
おまけにT−34,KV−1(この時点でも数で圧倒,性能で有利)などの中戦車が大量に配備されている.
これらに対抗してドイツでも豹や虎・象も製造されたが数は多くなく,稼働率は低い.
おまけに虎狩のためにスターリンII型,JSU−122などの重戦車・自走砲は製造され
,ドイツの重戦車は一部の伝説的な活躍を除き,先に述べたように練度で勝るソ連軍に狩られていった.
また,カタログ・スペックのことだが,整備性・機動力では平均してドイツ軍より上.
逆にドイツ軍戦車のほうが,過大評価される傾向にある.
伝説的な話ばかりが聞こえてくるから無理もないが,実際はひどいものだった.
戦車兵の練度は日に日に下がり,戦車は日に日に動かなくなる.
だが,一部の戦車が驚異的な撃破スコアを弾き出すたびに,ドイツ軍戦車の名声は高まる.
これを鵜呑みにしたソ連軍は,大戦初期,ドイツ軍の虎や豹を見ると,すぐさま逃げ出してしまったが,中期以降は4両のT-34で一両の豹,ないし虎を叩くことで,せいぜい1輌程度の被害で撃破できるまでになり,あまり脅威でもなくなっていた.
ソ連の戦車もカタログ・スペックの可能性はある(むしろ過小評価されることのほうが多いが)
しかし,ドイツ軍戦車は,ソ連の戦車よりはるかにカタログ・スペックだったともいえる.
名無し上級大将 ◆80fYLf0UTM;
FAQ BBSに転載
独ソ戦におけるドイツ軍4号戦車

【質問】
戦車が「撃破」される場合ってどんなパターンがあったのですか?
手元の本「バラトン湖の戦い」を見ると,4号やパンターは焼け焦げたり,砲塔が吹っ飛んで見るからに「撃破された」状態なんですが,待ち伏せした対戦車砲に側面抜かれた王虎なんかは,側面に小さな穴が開いているだけで,ぱっと見では普段どおりに見えます.
この場合,王虎は修理して再利用できたんでしょうか??
また,乗員は生きて脱出できたんでしょうか?
【回答】
大雑把に言えば
1)砲塔や戦闘室内の弾薬が誘爆.
四号やT-34なんかはバラバラに近い状況になる場合が多いが,頑丈なティーガーなどの重戦車は原型を留める場合が多い.
2)装甲を貫徹した徹甲弾や飛散した装甲板の破片,成形炸薬弾のメタルジェットなどで乗員が殺傷されるか脱 出する.
後で回収されれば修理できるかもしれんが,飛び散った肉片や血痕で汚れた車内を清掃しても臭気がえらいことになる場合もある.
3)変速機やエンジン,履帯などを破壊され戦闘不能になったので放棄.
これも回収できれば再使用可能の場合もある.
4)燃料タンクやエンジンを破壊されて火災を起こす.
弾薬が誘爆すれば(1)と同じ状況だし,原型を留めていても高熱により装甲が劣化したり機器が燃えてしまうので修理不可能になる場合が多い.
5)経験不足の乗員が撃たれたショックでパニックを起こし,戦闘可能なのに脱出して放棄.
小銃で撃たれただけで,戦車を捨ててしまった例もあるとか.
ドイツの戦車兵の手記を読むと,軽微な故障でも走行不能となるとあっさり戦車から脱出するケースが多い.
車内にこもって敵戦車に狙い撃ちにされたり,歩兵に手榴弾を投げ込まれるよりも,さっさと逃げて再起を期した方がましって感じだな.
近くに潜んで,敵兵がいなくなったのを見計らって修理に戻ったという話も多いが.
WW2ソ連の戦車にはそういった戦車を再利用する為に,車体底部に車内清掃用のシャワー取り付け口が付いてる.
パンターには上部のコマンダーキューポラの他,砲塔後部に円形のエスケープハッチ(砲弾の搬入にも使用)がある.
これを使って砲塔内のクルー三名(車長,照準手,装填手)が脱出する.
車体前部の操縦手,無線手にはそれぞれ専用のハッチがある.
しかしパニックになって我先に脱出しようと邪魔しあってでられなかったり,ハッチが歪んで開かなくなったりということはままあった.
三号や四号戦車には砲塔側面に照準手と装填手の専用ハッチがあった.
【質問】
第2次大戦のときの対戦車砲弾は ただ貫通するだけですか?
発火したりはしないんですか?
【回答】
戦車砲もそうなんですが,WW2当時の対戦車砲の砲弾はほとんどAP-HE(徹甲榴弾),つまり貫通した車内で炸裂するように少量の炸薬が充填してあるものが多いです.
例えばソ連のZIS-3 76.2mm野砲のUBR-354A徹甲弾とか,ドイツの7.5cmPak40のPzgr39徹甲弾とか.
ただし戦争後半になると,より貫通力を求めたAPCR(硬芯徹甲弾)なんかが登場するようになってきて,これには炸薬は使われていません.
▼ WW2時ですが,イギリス軍は徹甲榴弾を採用せず,ムクの徹甲弾(AP)を使用していました.
徹甲弾の方が徹甲榴弾より質量が大きく貫徹力が高いからです.
独自流を貫くイギリス人らしいですね.
なお,日本軍は徹甲榴弾を「破甲榴弾」と呼んでいました.
▲
被弾痕


【質問】
戦車の主砲で航空機を撃墜した事例はありますか?
【回答】
WW2東部戦線で虎戦車がヤーボを撃墜した例があります.
1943年12月16日,ベラルーシ・ヴィーテブスクにおいて第502重戦車大隊のオットー・カリウス少尉指揮のティーガー1による出来事だそうです.
仰角一杯にして,見越しで撃ってみたら当たったとの事.
丼炒飯◆HY/YgdSbHM
【質問】
質問なんですが,撃破された戦車を回収した後,突撃砲等に改造することは可能なのでしょうか?
タイフーン ◆i3FjaNbBfI
【回答】
「とりあえず,捕獲した戦車の砲塔外して,対戦車砲そのまま載せてまえ」な応急対戦車自走砲なら,ドイツ軍もソビエト軍も,沢山現地改造で作ってたみたいですよ.ほとんど使い捨てですけど.
模型の写真だけど,例えばこういうのがあらぁね.

T34/D30 122mm自走砲ってやつですが.
ただ,これは対戦車自走砲ではなく自走榴弾砲.
他にも,パンターに強引にW号の砲塔乗っけた現地改造車もあります.
それ以上のものになると,最前線の野戦工場レベルでは無理.それなりに設備の整った工場が必要.
例えばSU-76iは,搭載したZIS-5はT34/76やKV-1の主砲.
また例えば,フィンランドのBT戦車改造自走砲も,工場で作ったもので野戦改造ではありません.

他にも,こんなの
http://combat1.cool.ne.jp/ZIS-30.htm
やこんなの
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Bingo/1048/germany/rso_itareli/index_m.html
もありますが,どちらも後方のちゃんとした工場で作られたものです.
軍事板
「タイガー戦車をレオパルド1にする方法」
泥に嵌まった虎を,フィンランド軍に発見させる
→「回収しろ!(・∀・)」
→だが破損激しい虎('A`)
→じゃあ直せばいいじゃん
→軽量化やエンジン載せ換えなど,片っ端から弄る
→レオになってしまった!
【質問】
独伊以外の枢軸国の機甲師団の装備は?
【回答】
東欧に於いて,枢軸側で戦ったのは,ブルガリア,ルーマニア,マジャール,スロヴァキア,クロアチア,アルバニアの各国.
このうち,アルバニアは,イタリア王国に併合されたのに等しいので,書くことはないわけですが….
スロヴァキア,クロアチアは,分離前の国,即ち前者はチェコ,後者はユーゴスラヴィアの軍備の一部を引き継いでいます.
スロヴァキアの場合は,解体時にスロヴァキア国内にあった,第3機械化師団の装備をそのまま接収し,LTVz.35軽戦車を50両と,OAvz.30装甲車を20両程度を中核に発足しています.
LTVz.38軽戦車は,チェコ軍向けのもの10両を順次引き渡され,更に27両をCKD社に新規発注し,ラトビア向けでその国の消滅に伴い,引き渡されなかったLTVz.40軽戦車を21両買い上げました.
1943年までにこれらの装備は順次,ドイツから供給された中古のLTVz.38を37両と,OAvz.30の後継としてII号戦車(A〜Cの初期型の中古),主力戦車として,III号戦車,自走砲としてマーダーIIIHが発注されますが,1944年に起きたスロヴァキアの叛乱で軍隊は解体されました.
ちなみに,対戦車砲としては,シュコダの37mm砲が装備されています.
マジャールの場合は,最初はオーストリアの影響,次いでイタリアの影響が強く,小銃などの主要装備はオーストリアから導入しています(周辺諸国と折り合いが悪くてチェコなどの装備が買えなかった).
周辺諸国と折り合いが悪いので,その装備は出来るだけ国産化する方針が立てられ,マンフレート・ヴァイスと言う日本の三菱重工みたいな一種の国策会社で生産が行われてます.
戦車については,まず,1935年にイタリアのL3軽戦車を導入して35Mとして国産化,これは150両が導入されました.
主力戦車となったのは,スウェーデンが開発したランズベルク社のL-60軽戦車を,38Mとして輸入品のA20が80両,国産品のB20が110両引き渡されました.
これは,独ソ戦の結果80両に対して火力増強が行われています.
また,対空戦車型(ニムロード)が開発されました.
その後,新型主力戦車としてチェコのシュコダが開発したT-21中戦車を元に,40M/41Mが開発され,40mmボフォース対戦車砲を備えた型が280両,75mm榴弾砲搭載の火力支援型が140両,このほか,長砲身75mm砲を備えた型がありましたが,試作に終わりました.
41Mについては,この車台を元に突撃砲型が開発され,70両程度が生産されました.
装甲車としては,英国のアルヴィス装甲車の発展型を導入し(設計者がマジャール人だったので),100両程度を生産しています.
このほか,損耗補充用にドイツから38(t)戦車,4号戦車などが導入されています.
戦車に限ると
▲ルーマニア
ヨーロッパでも最も工業化が遅れた国なので戦車の自国生産は不可能.
チェコから戦車を輸入する予定だったが,契約直後に相手がドイツに併合され,以後はドイツを通してチェコ製の35(t)や38(t)の供与を受けていた.
しかし,ドイツが自国への調達を優先させたので配備は遅れ,もらった戦車も多くは中古品だった.
その他に鹵獲したソ連のT-60軽戦車に,同じく鹵獲品の76mm野砲を載せたTACAM自走対戦車砲を少数作っている.
▲ブルガリア
同じような状況
大戦末期に4号やパンターなどを供与されているが,そのすぐ後にソ連と講和,
以後はドイツの戦車でドイツと戦う.
▲フィンランド
ドイツから四号や三突の供与を受ける他,鹵獲したソ連のT-34などを積極的に使っていた.
基本的にドイツ以外の枢軸国は工業生産力が低かった(そのために経済的にも依存し枢軸側に付くことになったのだが)ので,兵器調達もドイツに大きく依存していた.
ルーマニアとブルガリアの装甲部隊については「ラスト・オブ・カンプフグルッペ」(高橋慶史著)が詳しいので,そちらを読むことを推奨する.
ハンガリー軍のニムロード対空戦車

【質問】
なんで第2次大戦のフランス軍は電気戦車が通用すると思ったの?
【回答】
シャール2Cのことか?
第2次大戦のフランス軍には,ほかにガソリンエンジン・モーター車はないが…
これは第1次大戦末期の開発だぞ.
完成したのは10両だけで,はっきりいって試行錯誤時期の産物.
第2次大戦に参戦させようとしたのは確かだが,6両が貨車で輸送中,ルフトヴァッフェの爆撃を受け輸送が不可能になって,乗員の手で爆破処分され,戦場には出ておらんはずだがのう…
このガソリンエンジン・モーターは,サン・シャモン突撃戦車の頃から採用してるんで.
これはクラッチが作れなかったからって言うのが通説なんだけど,クラッチ云々は怪しいって話もある.
実は戦車の共通スタイル的なものが確立する前から電動は使ってるんで,要はフランスは単に「電動から始めました」ってだけでは?と言う感じ.
パリ万博のローナー・ポルシェ・ミクステに感銘したか・・・.って説もある.
ローナー・ポルシェ・ミクステに関して言うと,ガソリン車の無段変速化じゃなくて,電気自動車のバッテリーをMGセットに切り替えるっつう発想なんで.クラッチ云々は後知恵.
フランス戦車もその可能性は無いでも無い.
少なくとも菱形戦車の時代の指揮官と操縦士,機関士などの意思の疎通には大問題があったようだから,それを改善出来る装備と考えてのことって可能性もある.

【質問】
「セモヴェンテ」って何?
【回答】
セモヴェンテM40はイタリア軍の突撃砲です.
M13/40中戦車の車体を流用して作られたため,名前の一部に「M40」とついています.
18口径75mm榴弾砲を搭載し,第2次大戦時のイタリア軍では最も成功した戦闘車両という評価を受けています.
なお,Semoventeとはイタリア語で「自走式の〜」という意味の形容詞です.
それがいつしか,「自走砲」そのものの名詞にも使われる様になりました.
よしぞう(maro') in mixi,2006年08月22日 01:00
【質問】
「パンフロ」やってて思ったんですが,「マチルダ」戦車に榴弾が積んでないのはなぜ?
【回答】
榴弾を撃てる砲を装備したやつもある.
名前はMatilda CS.CSはclose supportの略,つまり近接支援.
どうしてそうなったかというと,イギリスの戦車開発行政や陸軍内で,戦車を初めとする機甲をどう扱うかが混迷したため.先進的な機甲論者はいて,実験や演習も行われてはいたが,いろいろあって,榴弾を撃つ専門の戦車を対戦車専門の戦車の中に少数混ぜて運用する形になっていたため.
【質問】
WW2中のスイスの駆逐戦車「ナーカンプカノーネ」について教えてください.
【回答】
Nahkampf Kanone
Nah:近い、Kampf:戦闘、Kanone:砲。つまり近距離戦闘砲ですか.
http://mailer.fsu.edu/~akirk/tanks/switzerland/switzerland.html
のまん中あたりとかに,解説がありますな.
◆◆◆◆◆メカニズム
【質問】
WW2戦車の砲塔の旋回は,どのような操作で行ったんですか?
【回答】
戦車も色々,操作も色々.
●ドイツ
4号はH型までは動力(電動).ペダルで操作。最大毎秒14度(英国戦車の半分)、最小毎秒0.14度。
手動の場合は、砲手のハンドル1回転で1.9度、装填手のハンドル1回転で2.6度回転。(ヴァンガードの和訳本)
最後に生産されたJ型は燃料タンクを拡張するため、砲塔旋回用の小型エンジンを撤去して手動で旋回するようになった。
砲塔を90度旋回させるためにはハンドルを85回転させなければならなかったそうだ。
(宮崎駿の泥まみれの虎より)
タイガーにパンターは油圧駆動。
タイガーには方位(旋回)ハンドルもあるが微調整用で、砲手が熟練すれば高速と低速ペダルだけで充分照準が可能だったと記録されている。ビットマンの功績も砲手ヴォルのお陰。
●USA
シャーマンは3つのバリエーションがある
・オイルギヤ社製:動力機構(油圧)全周に15〜17秒、セットの手動機構ハンドル1回転で、75ミリ砲用18.9〜19.9ミル、76ミリ砲用100ミル。
・ローガンサポート社製:オイルギヤ社製に類似。
・ウエスティングハウス社製、動力機構(電動)全周に最小15秒・最大1分。手動機構記述無し。(グランドパワー誌より)
●ソ連
T-34は、T-34/76に/85で砲塔内写真や断面図によってモーターのパワーアシスト付き、あるいは無しのが混在してる模様。
手動旋回では.360度を14秒で旋回させる.
T-34/76の初期タイプでは、上部にやや円錐形の電気配線の付いたモーター(?)らしき物あり.
ただしオスプレイによれば、1944年夏までの最初の生産ロットまでは、砲塔の旋回は手動式で、1944年後半の生産ロットからMB-20V電動式砲塔旋回装置が導入された、とあり。
但し、精度が十分でなく、適当な位置まで電動装置を使い、最後の微調整を手動で行なった、とのこと。
オスプレイは標準的資料ではあるが、物によって「?」のときもあり。
他にも,KV-1と共通の形状であったり,「旋回装置」の一言で済ましてる資料多し。
今後の課題.
(一等自営業 ◆JYO8gZHKO.,眠い人 ◆gQikaJHtf2他)
【質問】
第二世代までの戦車の砲塔に鋳造が多用されているのは何故?
鋳造の場合,鍛造とかに比べるとスが入って強度が劣るので防御力的にマズイ気がするのですが.
【回答】
量産性の為.戦車は量産性も命なので溶接で砲塔や装甲を作ると量産性に難が出る.
大戦中のドイツ戦車がまさにそうだった.鋳造技術の問題だったけど.
他にも第二世代までの戦車の装甲は硬さよりも靭性と装甲厚で防御力を稼ぐタイプ.
鋼材の質が良くて装甲厚が確保出来るなら多少の強度の差は無視できる.
また,避弾経始を重視した複雑な曲面形状等が造りやすいから.プレス加工&溶接で曲面装甲なんか作ったら洒落にならない手間が掛かる.
後,金型製作業に関わっている身から言わせて貰うと,型の設計,製作がキッチリされていれば,巣は強度的に問題になるほど入らない.鍛造より劣るのは確かだが.
ue ◆WomMV0C2P
【質問】
大戦時のレシプロ航空機のエンジンの馬力は,車両全般のそれと違ってかなり馬力が高いですが、なぜこれを戦車用に転用しなかったのでしょうか?
【回答】
例えば、M3軽戦車の場合、Continental製航空用星形エンジンを装備していました。
9トンのM3軽戦車に対し、270kgのエンジン質量で、260馬力を出し、戦車自重に対するエンジン質量の比率は
3%と小さく、その分を走向と火力に配分できました。
対して、九八式軽戦車では、100式統制ディーゼルの質量は、850kg程度で125馬力であり、前述の比率は、
12%になります。
M3ショックで、日本軍軍部が、これと同等性能の空冷星形ディーゼルエンジンを日野に開発させようとしていましたが…。
しかし航空用エンジンを戦車に搭載する場合、特に星形エンジンは、エンジン自体がコンパクトでも、立方形の戦車内の空間に載せるには、スペース効率も整備性も悪く、特に下側のシリンダーにオイルが溜まり、そのための始動不良対策(プラグ交換)には4時間かかると言う代物でした.
結果的に、M3中戦車、M4中戦車は、フォードV8水冷ガソリンに変更され、クライスラーでは、6気筒の自動車用エンジンを5台束ねたものを実用化しています。
また、、冷却の問題があります。
特に自然冷却ではなく強制冷却にする必要がありますから、冷却ファンには大馬力のモノを用いなくてはなりません。
M3軽戦車の場合、エンジンの馬力が250馬力なのに対し、初期型では、冷却ファンの消費馬力に70馬力を要していました。
最終的にはファンの形状や置き方を見直して、冷却ファンの使用馬力を7馬力にまで落としていますが。
(眠い人 ◆gQikaJHtf2)
【質問】
冬場のスターリングラードでは,戦車のエンジンがなかなかかかりません.
どうしたらいいでしょう?
パウルス将軍 in 第6軍
【回答】
冬場のエンジン・スタートは規則違反ながら,慣性始動機などないため,戦車による押しがけが基本.
始動したら三十分はじっと暖気運転.
無理(アクセル)をするとピストンロッドかクランク軸がいかれる.
スターターキイ・オフ(点火栓)>クラッチ・ニュートラル>ブレーキ開放>僚車が押す>適当に動いたらキイ・オン>クラッチをトップギアへ>エンジンが始動したらクラッチ・ニュートラルへ>そのままじっと水温計の上昇を待つ.
簡単だろ?(笑)
一等自営業 ◆JYO8gZHKO
【質問】
WW2当時の戦車の駆動方式について質問です.
戦車によって前輪駆動・後輪駆動の違いがあるようですが,それぞれメリット・デメリットはどんなものがあったのでしょうか?
また,車で言う四輪駆動のようなものもあるのでしょうか?
あともしよろしければドイツの三号突撃砲の駆動方式も一緒に教えてもらえないでしょうか?
転輪の歯からして前輪駆動っぽく見えるのですが・・・.
【回答】
現代ではあえて前でなければ,また後ろでなければならないという発想はないと思う.
WWU終了ごろまでは後起動輪の場合,起動輪が巻き上げられた異物をかんで欠損したり,それによってキャタピラが外れやすいという思い込みがあったらしい.
それでリアエンジンの戦車でも,当時はプロペラシャフトを使って前に変速機と起動輪を持っていった.
また,超堤性(盛り土を乗り越える性能)において,後ろからキャタピラを押し出すよりも前でキャタピラを引っ張った方が優れている,という考えもあったと聞いたことがあるが,これは正確にはわからない.
現代は合理的な空間設計の必要性もあるので,エンジンと変速機を非常に近い場所におき,あるいは組み合わせて一つのパワーパックとして扱い,エンジンに近い位置に起動輪をつけるというのが一般的.
殆どの戦車は後エンジンなので後起動輪だけど,メルカバなど前エンジンのものは前起動輪.
車で言う四輪駆動,おそらく前後に起動輪がついているものという意味だとおもうけど,これは多分ないと思う.
四輪駆動の利便性というのは,車の場合車輪が直接地面に接地して,これと路面との摩擦を利用して車輪の回転を推進力にすることによる.
四輪駆動にすることで前後左右のタイヤに駆動力を配分でき,それによってどれかの車輪が宙に浮いたり,あるいは極端に荷重の偏りがでたり,またスタックしても残りの車輪に配分された駆動力で動くことができるので.これが特に不整地路面において,二輪駆動に対して優位なところ..
戦車の推進はキャタピラと路面との摩擦で行われており,キャタピラと起動輪は外れない限りは,強固な歯でかみ合っているので.
三号突撃砲はご指摘の通り,前に起動輪がある.
【質問】
小転輪を並べるとサスの間隔が短くて,乗り心地はよいが,不整地では低速走行しかできない,というのは本当なの?
ソ連/ロシアでも,T72からは大型転輪やめて上部支持輪付きの小型転輪にしてるし,現代の戦車で大型転輪使っているのは無いし.
大型転輪の元祖クリスティーも,整地走行は速いけど,不整地走行はそれほどでもないような.
【回答】
Yes.
チャーチル歩兵戦車が小型転輪を使用した戦車の代表例といえるのではないだろうか?
逆に大型転輪を使用した戦車の好例はT-34といえるのではないかな?
(T-34が揺れるのはクリスティー型サスペンションのせいもあるが)
挟み込み式の転輪は,サスペンションの間の間隔が短くて数が多く,かつ大口径の転輪ということになり,両者の長所を併せ持つ事になるが,この形式は整備工数が非常に大きくなるという,大きな欠点を持っている.
【質問】
T-34の登場まで,有力な傾斜装甲を備えた戦車が無かったのは何故ですか?
装甲が薄くてあまり意味がなかったのですか?
【回答】
あんまり「有力」じゃないのはそれ以前にもあるが,T-34ほど大胆に採用できなかった理由としては
・車体容積の問題.T-34はそこらへんを犠牲にした設計
30tクラスのT-34ならいざ知らず,1人砲塔,10t程度が当たり前の時代では,重量増加による弊害が大きい
・車体前面に関しては,前輪駆動車の場合,変速機の点検ハッチを設けなければいけないので,一枚板構成の傾斜装甲が採用しにくい・できない.
T-34は後輪駆動で変速機が後ろにある.
・戦車の対戦車戦闘が設計段階(戦前)にはまだまだ模索状態であったこと
・各国設計陣の保守性も無視できない.
【質問】
パンターとJS2は同じような重量なのに,側・後面の装甲厚が大きく違うのは何故なんでしょ?
【回答】
JS−2は前進であるKV−1重戦車があまりにも重く機械的な故障が多かったので,その克服のための研究がベースに完成している.
実に単純に居住性を犠牲にして車内に向けて装甲を厚くすることで,容積を減じて重量が限界を超えることを防いでいる.
前方機関銃手も廃止して車体前上面を絞り込んでいるのもそのため.
対して,ドイツ戦車の重量が大きい理由として良く語られるのは,車高が高いからではあるが,車高の高さを決定する要素として,砲塔バスケットの採用はさほど関係ない.
M26とM46,T54,3号戦車のように同系列の戦車で初期には砲塔バスケットを採用していなかったのに途中から採用した例があり,その過程で車高は増加していない.
ドイツ戦車の場合,ガソリンエンジンの背が高いのでエンジンデッキの背が高くなる.
当時のV型エンジンはバルブ開閉機構の配置の関係で総じて背が高いが,ドイツの物は特に背が高い.
これはトルクバンドの大きいエンジンを好んだと言う説と,オクタン価の低いガソリンに対応するためと言う説があり(多分どちらも当たっている),当然のように背が高くなる.
また,前方駆動を採用していたので,車体の前後にプロペラシャフトが貫通する.
M18のようにシャフトを低くする工夫もしていないので,当然のごとく戦闘室の床が高くなる.(つまりバスケットを廃止しても床板の高さは変わらない.)
ソ連の重戦車は後方駆動だが,これはソ連の重戦車が多砲塔戦車の流れを汲むためと言われている.
多砲塔戦車は車体が長いので,前方駆動にするとシャフトの長さが限界を超える.
ただし,T34はクリスティー戦車の流れを汲むので後方駆動を採用した理由は全く異なる.
なお,米ソは大戦中期以降,車体側面の燃料や砲弾の入った張り出しを廃止して軽量化と車高の低下(特に被弾に弱い上部車体)を図ったが,ドイツの場合,張り出しに冷却機が設置されており,この張り出しの廃止は出来なかったと言われている.
◆◆◆◆Russian Vehicles
【質問】
12Yといえば,ソ連はクリモフだかミクリンだかの派生型で1300hp程度にまでパワーアップしてますよね.
ソ連が凄かったってことなんですか?
BMW-6系列も後生大事に使ってパワーアップしてたらしいし(こっちがミクリンでしたっけ?).
【回答】
鍛造とかそう言う技術や冶金技術では,ソ連の方が優れています.
それに,Klimovはちょっとずつ進化していっているので,BMW9からいきなりDBにジャンプした日本より,かなりマシです.
ついでに,Hispano-Suizaのポテンシャルを上手く引き出していますね.
Klimovの派生型はストロークが基本形より2mm短く,排気量35.09lです.
最初のVK-103は単段式過給器で750馬力,次いで回転数を2400回転として860馬力となり,860馬力のまま,二段過給器を装備して,その改良で960馬力を発揮し,100オクタン燃料の採用で1,100馬力に達しています.
VK-105は,103の回転数を2700回転に上げたもので,馬力は1050馬力になっています.
これは改良を受け,最終的には1,280馬力となり,吸排気系の改良を施したVK-107で,混合気吸入量が増大し,回転数を更に2800回転まで上げて,燃料は94/95オクタンを使って,1400馬力,100オクタン燃料で,1650馬力にまで増大しています.
BMW系列はMikulinが監督して生産しています.
彼が自分で設計したAM-34は,BMWVIシリーズのシリンダーブロック,Hispano-Suiza12のリアホイールケース,アリソン製過給器と,RRバザード用の減速ギアを使用して製造されています.
(眠い人 ◆gQikaJHtf2)
【質問】
ソ連戦車が錆び止めに廃油を戦車にぶっかけてた,というのは本当なの?
本当なら,どの程度の範囲で行われてたんでせうか?
【回答】
本当.
スターリングラード戦の時に,スターリングラードで生産を続行されていたT-34は,最後の方では塗料のストックがなくなってしまい,カーボンの煤を溶かした廃機械油を塗って錆止めと塗装の替わりにしていた.
廃油塗装のT-34は,「鉛のような色」だったそうだ.
【質問】
KV-1って何?
【回答】
独ソ戦勃発当時のソ連軍重戦車で,T-34中戦車と共にソ連軍機構部隊の中核.
KVは,当時の国防相クリメント・ヴォロシーロフ
Климент Ворошиловのイニシャルから.
ヴォロシーロフは,KV-1設計者コーチン技師(キーロフスキイ工場)の義理の父親でもあった.
1939年にT-35多砲塔重戦車の後継車両として,T-100やSMKといった重戦車をベースに開発開始.
同年9月,試作車両完成.
同年末には生産開始.
76.2mm砲を装備し,当時の水準を超えた重装甲だったため,ドイツ軍の砲弾を88mm高射砲以外はことごとく跳ね返し,ドイツ軍からは「怪物」と呼ばれた.
小林源文の初期の作品に,『街道上の怪物』というタイトルの一編もある.
これは1941/6/23にドイツ第6装甲師団が実際に遭遇したエピソードの劇画化.たった1台のKV-1が,1個師団を2日も足止めしたという,比較的有名な実話.
しかしトランスミッションや砲の照準装置は信頼性も品質も悪く,また,重装甲のために重量も大きく,それが運用上の大きな制約をもたらしていた.
そのせいでKV-1Sという軽量型も開発されることになる.
その他のヴァリエーションとしては,SU-152,KV-2,そして最終型のKV-85(85mm砲装備)など.
その後はスターリン重戦車が後継車両となった.
●性能諸元
装甲
正面 110mm〜80mm(資料によっては75mmという数字もあり)
側面(1939年) 70〜60mm
側面(1941年) 110〜75mm
機関
B2-2K 水冷V12ディーゼル 550/2150(ps/rpm)
燃費 0.546km/l
燃料容量 458〜550l(?)
戦闘重量
1940年 46.35t
1942年 47.0t
全長
6.89m
全幅
3.25m
全高
2.67m
最高速度(路上)
1942年 35.30km/h
1943年 40km/h
最高速度(路外)
16km.h
航続距離
路上 225〜250km
路外? 150km
超壕能力
2.748m(初期型)
2.8m
超堤能力
0.914m
渡渉水深
1.4m
登坂能力
36度
武装
初期型 短砲身76.2mm砲
1940年型 39口径76.2mm戦車砲L41.2 F-34
1941年型 41.5口径76.2mm戦車砲 ZIS-5
砲塔は初期は鋳造,そののち溶接型に.
砲弾数114〜102発
7.62mm機銃×3
弾薬数3024発
乗員
5名
生産台数
約4300両
湖底より発見されたKV-1


【質問】
独ソ戦でドイツ軍はKV2戦車にかなり手を焼いたそうですが,開戦前にKV2の性能についてドイツ軍は掴んでいなかったんでしょうか?
【回答】
存在は把握していたし性能も掴んでいた.
だが,独ソ戦に先だってのフィンランド戦争での実戦投入結果から,
KV-2(当初のドイツ側の呼称は大型砲塔KV戦車)は「陣地突破戦用の火力支援戦車」であり,ソビエト軍が”守り”の戦闘を行うならば,拠点に固定配置されてトーチカのごとく運用されると考えられていた.
(これはソビエト側の開発意図もそうなので,分析としては正しい).
その為,電撃戦では敵軍が強固に守る拠点は迂回して孤立させるか航空支援で潰すものなので,ドイツ戦車が正面切ってこれと戦わねばならないような局面は,そうそう無いであろうと考えられていた.
まさか,「単独でドイツ軍部隊に対し阻止突撃を仕掛ける」とか「五月雨式に投入し,とにかく手近なドイツ軍部隊に殴りこませる」などといった運用をしてくるとは思ってもいなかったため,ドイツ軍はKV-2に遭遇すると非常に苦労することになる.
だが,現実にはKV-2は足回りとエンジンに無理が掛かっているので故障が多く,重量が重過ぎてちょっと路外走行をしただけで軟弱地にはまって動けなくなってしまったり,重すぎて橋が渡れず無理やり橋を渡ろうとして橋ごと川に落下・・・と,戦闘以前に行動に不能になってしまったものが多く――この辺,戦争後期のドイツ軍重戦車群と同じ――,”伝説”として語られているほどには実際の戦闘では活躍はしていない.
戦闘参加以前に上記のような理由で搭乗員に放棄されてしまった車両も多く,
ドイツ軍に「撃破」された車両の半数くらいは乗組員が爆破放棄したものであったり,ドイツ側が行動不能になって放置されたものに弾を撃ち込んで「撃破した」ということにしたものだったりして,そういう点でも戦争後期のドイツ軍重戦車と同じ結果になっている.
いや,「重すぎる重戦車は自滅する」ということが独ソ戦の初期に既に証明されていた,と言うべきか.

【質問】
KV2は重い砲塔を手動操作で,独軍戦車に狙いをつけて命中させることができたんですか?
【回答】
1000m先で弾着が10mずれたとして,修正する際に動かす角度は僅か0.57度.
手動で重くとも動かすのに支障は無い.
また,独戦車が動いていても,1秒に動けるのも十数m程度.
敵のいる方向に砲塔を回すのは苦労するが,向けてしまえばその後は普通に狙える.
【質問】
スペイン戦争時にドイツ軍は,自軍の一号,二号戦車よりはるかに高性能なT26戦車を,どの様に評価してい
たんでしょうか?
【回答】
所詮英国の物真似であり,装甲は薄く,ラインメタルのPaK36さえあれば,直ぐに装甲をぶち破ることが出来る.
従って,戦車などに頼らなくとも,対戦車陣地に誘い込みさえすれば,撃破は簡単.
1000m以内ならばPak36で撃破出来るし,2号戦車でも500m以下の距離であれば,その主砲にて撃破できる.
よって,T26は恐るるに足らず.
また,2号戦車は所詮付け焼き刃であって,本命は3号戦車だし,その主砲は37mmなのだから,T26を撃破できる.
眠い人◆gQikaJHtf2
一号に関しては元々訓練用に作ったからともかく,二号の評価はドイツ軍内では低くない.
というのも,二号の搭載している20mm機関砲の貫徹能力なら,側面と後面は十二分に貫徹可能.
正面も至近距離なら貫通できた.
おまけに連射するので,T-26戦車は貫通させられなくても何らかの損害を被った.
【質問】
ソビエト軍は第二次大戦中,連合軍の戦車を訓練に使ったそうですが,評判はいかがなものだったのでしょうか?
【回答】
「・・・操縦の訓練と戦術教習にはT-26とBT-7が使われたが,射撃訓練の方は実戦用の戦車から行なった
.
私たちの場合,まずはマティルダとヴァレンタイン,その後はT-34で射撃の訓練を続けた.
正直なところ,私たちはみんな外国の戦車に回されることを恐れていた.
マティルダもヴァレンタインもシャーマンも,みな棺桶のようだ.
これらの戦車の装甲は柔軟なので,砲弾が命中した時に装甲の破片が飛び散らないというような利点もあったが※,実際のところは,一方で操縦手の席が孤立しているという問題があった.
もしも砲塔が旋回している時に戦車がやられると,操縦手はもう脱出できなかった.
やはり我が国の戦車が一番だ.T-34は本当にいい戦車だった」
※T-34は命中弾が貫通しなくても,衝撃で装甲が剥がれ,それが乗員に刺さり死傷するケースが多かった
.
戦車長アレクサンドル・ブルツェフの回想より
・・・一部将校によるプロパガンダもあったが,事実,T−34は連合諸国の戦車より多くの点で優れており,赤軍戦車兵は,旧式な軽戦車に乗せられることより,M4などに乗せられることを,恐れることがあった
.
無論,大戦初期では整備不良なども多く,M4などは重宝されたが,すぐに需要は皆無となった.
つまり,評判は悪い.
なお,この回答は,前に読んでもらったものを覚書しておいただけなので,間違っているところがあるかもしれない.
そこのところをよろしく.
名無し上級大将 ◆80fYLf0UTM
ただし,「シャーマンは車高が高くて見つかりやすいが車内がT-34に比べて広かったので,ソ連戦車兵には『家』と呼ばれて親しまれた」という記述もある.
(SS戦車隊・下)
この辺の話は多分に個人の主観が入るからなあ.
バレンタインにかんしては「頑丈で機械的信頼性があったから,兵士たちにも好評だった」とも.
【質問】
昔,ソ連が数に合わせにトラクターベースで作った,オデッサ戦車なるものを見たのですが,ないよりマシ以外にどれくらい役に立ったのでしょうか?
なんか,チハの方がマシに見えるのですが…….
【回答】
オデッサを攻略したルーマニア第4軍には充分な対戦車兵器が無かったので,急造のオデッサ戦車でも歩兵にとっては大きな脅威だった.
ルーマニア軍唯一の戦車部隊である第1戦車師団も攻撃に参加しているが,歩兵との連繋がうまくいかず対戦車砲火で1日で戦力の半数を失っている.
また,実際の戦力と言うよりは移動時の騒音で「ここに戦車がいるぞ〜」というカカシ役も果たしていたと言う話もある.
なにしろ上述のように,包囲側の戦力もそんなに大したものではなかったので,相手をビビらせるだけでも効果があったようだ.
オデッサ戦車

【質問】
ソ連は何故平均寿命二週間と呼ばれるタンク・デサントを運用したのですか?
戦車が露払いした後にトラックでも徒歩でもいいんじゃないんでしょうか。
【回答】
まずトラックに関しては,数が足りなかったから。
トラックは物資輸送で手一杯で、しかもかなりの部分をアメリカからの輸入に頼っていた。
戦車はアホみたいに作れたが。
また,戦車に随伴するには路外を走ることになる
トラックじゃスタックして追随できないので、ハーフトラックなどに乗車して随伴するのが望ましい
.
しかし、無かったので、しょうがなく戦車の上に乗せた.
徒歩に関しては,進撃速度が遅くなるから無理。
戦車のみだと,敵の歩兵に肉薄されると戦車は弱いので,随伴歩兵は不可欠。
で、ハーフ・トラックが足りず,戦車があり,随伴歩兵が必要な状況で考案されたのがタンク・デサンド。
人命の価値が戦車以下という前提ならば有効な戦術(苦笑)
タンク・デザントの悪い例

【質問】
かってソビエトは戦車に歩兵を乗せて戦場に突入させてましたが,歩兵を一種の装甲にするという思惑もあったのですか?
【回答】
それは敵歩兵の肉薄攻撃から戦車を守るための随伴歩兵.
これを,戦車の防御力を上げる手段とするならyesだ.
APCやIFVが普及するまでは,戦車袴上歩兵って発想はソ連以外の国でもやってる.
自衛隊の61式戦車の砲塔横についてる棒は,歩兵用の取っ手だ.
歩兵を乗せたまま突撃しちゃうのはソ連独自の運用だろうが,必ずしも人命軽視とは言えない.
ソ連軍の戦術思想の根底には
攻撃重視
速度の重視
量の重視
全縦深同時打撃
といった発想があり,圧倒的な砲兵力の支援下で最大速度で突撃するほうが,徒歩兵の速度に合わせて突撃するより被害を低減できるとの思想があった.
【質問】
カチューシャ等,zisトラックを改造して作ったソ連の支援攻撃車両は,終戦までにどれほどの数が作られたのでしょうか?
【回答】
意外に少なくて,カチューシャとしては500輛程度.
82mmのものを含めると,1000輛くらいはいくかもしれませんが.
カチューシャ・トラックのベースは,米国製のスチュードベーカーが多かったりします.
眠い人◆gQikaJHtf2
カチューシャ・トラック

◆◆◆◆◆T-34
【質問】
T34はBT快速戦車シリーズの発展型で,キャタピラ外して走行可能と20年ぐらい信じてきたのですが,これって間違いですか?
転輪やドライブスプロケット,アライドホイールの造りがBT快速戦車そのものですよね.
多分リアが駆動輪だとおもうのですが,あのスプロケットでキャタピラ滑らないのでしょうか?
【回答】
キャタビラ外して……は間違いです.競争試作において,車輪での走行を諦めて大型化したモデルのほうが採用されました.
BT戦車設計チームがBT戦車の更新を図っている最中に責任者を筆頭に技師の逮捕者が出て,開発引継ぎの為に設計技師長に納まったのがコーシキン技師でした.
引き継いだ時に設計されていたのが競作で負けたA-20,それの車輪走行無し・装甲強化・砲強化版がT-34原型のA-32なので,T-34の足回りはBTの発展と言う捉え方で間違いないと思います
リア駆動であの起動輪では滑らないかとの事ですが,履帯に大型のセンターガイドを備えていますし,T−34のドライヴスプロケットは,内側に”歯”にあたる部分があって,履帯の爪はそこに引っかかって廻ります.
・起動輪に関してソ連側が問題にしたとは聞かない
・T-34/76の40年型から,69年の改修型まで同一の機構を使っている
以上から特に問題は無かったと思います.
増加装甲つきBT7

【質問】
傑作と言われるT-34ですが,その割りに主砲の貧弱さや,撃破された数が非常に多いのが気になります.そこで具体的なT-34の問題点を教えてください.
【回答】
T-34/76では車長が砲手を兼ねていたため,射撃の際の見張りが不十分になってしまう.
また,ドイツ戦車のようなキューポラを持たないことも見張りを不十分にして,敵戦車を見つけられずに撃破される要因となった.
これらの欠点はT-34/85で改善された.
T-34が大量に撃破されたのは,ハッチを開けて状況を確認せずに闇雲に突っ込むなどの用兵面での拙さも一要因.
主砲に関しては,貧弱どころか,三号戦車が50mm砲を装備していたときに76mm砲を装備していたのだから,必要にして十分なものだったと思うけど.
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE

【質問】
旧ソ連のT-34戦車は壊れ易かった,と友達から聞いたのですが,本当なんですかね?
未だに使ってる国もあって,整備などもし易いと聞いていたので,信じられないです.
【回答】
戦車は基本的に壊れやすい機械。
アフリカとか北朝鮮では使っているようだが、無いよりマシなので仕方なくだろう。
当時,アメリカ製の工作機械を使っているとは言え,就労人口を殆ど兵隊に取られているソ連でも作れる戦車と言う時点で,推して量るべき。
それでもタイガー戦車なんかよりよっぽど壊れにくいが。
壊れやすさは数の暴力で押し切った。
レンドリースされたM4A2シャーマンのソ連軍内評価報告書では,
「T-34に比べてM4A2は操縦操作が軽くて容易で、長時間行軍においてより頑丈で故障が無く、エンジンも整備無しで長期に渡って駆動している」
と述べられている.
また,朝鮮戦争で米軍に捕獲されたT-34/85の調査報告書では,
・エンジンとラジエーターが脆弱で、衝撃・小火器の被弾・凍結で容易に冷却水漏れを起こす
・吸気口のエアフィルターは粉塵を除去しきれておらず、シリンダーを摩滅させ、エンジン寿命を縮めている
・生産数を重点に置いたノルマ達成のせいか、ラジエータ部のはんだ付け不良で性能が半減
と述べられている.
このような事から、米国や英国(これもレンドリース車輌が「故障知らず」と好評だった)の戦車よりも壊れ易かったと思われる.
▼フィンランド軍が鹵獲・使用しているT-34

【珍説】
T-34は,見たら解るように燃料タンクが外部にあるから,ライフル弾一発で燃え上がる.(少佐)
【事実】
T-34の燃料タンクはちゃんと装甲内にあるのだが・・・
あんたの言っているのは増加燃料タンクだよ.
あんたそ,別にその増加燃料タンクに燃料を入れなくてもいいという事をご存知か?
しかも,使われているのは軽油だから,被弾時,発火の可能性はガソリンより遥かに低いのだが・・・
【質問】
どうしてソ連があんなにT34を作れたのかが謎だ.
当時のソ連の国力と,ドイツに占領された面積を考えると多少の生産性ぐらいの差では,とても説明がつかないと思うのだが.
【回答】
ドイツはシュペーアが軍需相になるまでは,生産現場が混乱していて非効率なことをやっていた.
ソ連はドイツみたいに戦略爆撃を受けてないし,それに西側連合国からの援助がすごかったからね.
生産する兵器を絞り込めた.
援助を受けるため,英国からのルートと,アラスカからのルートを,ソ連は死んでも離さなかった.
特に,餓死者累々でもレニングラード(サンクトペテルブルグ)を文字通り死守したことは,不凍港ムルマンスクからの補給ルート確保に絶大な効果あり.
http://www.sitesatlas.com/Atlas/PolAtlas/C2.htm
こっ酷い目にあいながらも,不屈に補給船団を送り込んだ英国も流石といえる.
日本帝國海軍が意味の無いミッドウエイ攻略ではなく,あの時,本気で北方ルート遮断していれば,スターリングラード,レニングラード戦はもしかしたら・・・.
【質問】
ソ連の戦車を「ミッキーマウス」と呼ぶのは何か理由があるのですか?
【回答】
T-34/76・1943年型の車長用キューポラの無い型は,砲塔上面の車長用と装填手用のハッチを全開にして固定すると,砲塔上面に丸い耳がついてるように見えたので,ドイツの戦車兵はこれを「ミッキーマウス」と呼んだ.
写真見ると,よく分かると思う.
この形のハッチは,それ以前のT34が大きな一枚板のハッチを採用していたことから,脱出のときなどにハッチが重いと言う問題に対処するため採用された.
が,当然ながら遠目にもやたら目立つので発見されやすくなる,という欠点となった.
もっとも,フラップ式のハッチを開けると非発見率が高くなると言うのは,割と当時どこの国でも抱えていた問題.
そもそも戦闘中にハッチを2枚開ける必要は無く,ソ連側が無警戒の時に両方が開放される状況になる.
当時のT34で問題視されたのはどちらかと言うと砲塔前方の紡錘型のペリスコープの視界の悪さと戦車長が戦闘指揮に専念出来ない乗員配置な訳で.
この問題は3人乗り砲塔・コマンダーズキューポラ・ビッカースタイプのペリスコープで改善される.
つまり,前開きハッチは問題視していないと言うことな訳.
実際,ソ連ではコマンダーズキューポラを採用した後もフラップ式で前開きハッチを採用し続けている車種があり,相変わらず体を出さないと前は見えない訳.
イギリス・アメリカ・ソ連の何れも戦闘中は旋回式ペリスコープで周辺を警戒してる.
大戦中期になると,固定式ペリスコープと旋回式の併用が増える.
ソ連も旋回式ペリスコープの視界が狭かったので,コマンダーズキューポラとビッカース式ペリスコープの併用に切り替えている.(コマンダーズキューポラは展視孔)
アメリカは6方向の固定式ペリスコープと旋回式ペリスコープの併用.
イギリスはセンチュリオンでコマンダーズキューポラそのものを旋回式にしてる.
顔を出して周辺警戒するのは戦時中のドイツ,中東戦争でのイスラエルなどで.実は多数派では無い訳.
実際,ドイツでも砲隊鏡が使える場合は顔は出さずに砲隊鏡を使用していた訳でしょ.
突撃砲も砲隊鏡が旋回する方式を採用してるし.
イスラエルもハッチを少し上にスライドさせることで目の高さだけスリットが作れるキューポラを採用していて,顔全体は出さないようになっている.
補足しとくと,「T-34=ミッキーマウス」の話はTAMIYAのT-34/76 1943年型のプラモ(579の写真がそれ)の説明書の実車解説で有名になったが,元々はドイツの戦車兵が戦後に書いた手記に
「T-34の砲塔ハッチは開くとまるで動物が耳を立てたように,そう,今で言うならあのミッキーマウスのように目立つので,遠目からでもよくわかった」
と書いてあったのが元ネタで,必ずしも戦時中からそう呼んでいたと言う保証は無い,という説もある.
【珍説】
>ソ連の戦車を「ミッキーマウス」と呼ぶ
全くの嘘.
ミッキーマウスの誕生は戦後だしね.
あの時代にアニメがあるわけないだろ(笑)
【事実】
”ミッキー・マウス”が産まれたのは1928年. これは1929年のミッキー.
現在見る形のデザインになったのは1939年.
どっちも戦前.
君の書いてることは全くの嘘.
アドルフ・ガーランドの愛機にミッキーマウスが描いてあった事くらい知ってるよね?
また,ディズニーの「ファンタジア」は,もともとは1940年に作られた実験アニメなんだが,現在の目で見てもむちゃくちゃな技術で作られている.
この映像を日本人が見たら,アメリカ相手に戦争起こす気にならんだろうと思うくらい.
さらに,ディズニーは1941年戦時公債購入キャンペーンの宣伝のために,「七人の賢い小人」というフルカラーアニメを作っている.
http://www.youtube.com/watch?v=kvV00wax1Uo
なんつーか,こら勝てんわ.いろんな意味で.
ちなみにディズニーの「白雪姫」は1937年.
日本でも『のらくろ』が1930年代に既にアニメ映画化.
<その他の作品>
1914年の「恐竜ガーティ」
1943年の「くもとちゅうりっぷ」
「ザイーガ」:【MOVIE】世界で初めて製作されたポルノアニメ(1928年,アメリカ)
戦の香りのする奴を
動物隣組
和製パチミッキー
ちなみに漫画家の杉浦茂によれば,昭和18年当時には出版業界は用紙不足と厳しい統制とで壊滅状態にあり,彼は食いつなぐために江古田の「茂原映画研究所」に入ったという.
これは海軍兵学校の教材映画を一手に製作していた会社で,彼はそこでアニメのセル画を描く仕事をしたという.
(同社は終戦直後の9月に『日映』と合併)
また彼は,昭和17年4月には日比谷映画劇場で,中国製アニメ「悟空火焔山」を見たとのこと.
(YouTubeで検索をかけてみたが,『ドラゴンボール』しか出てこず)
詳しくは『杉浦茂 自伝と回想』(筑摩書房,2002/4/25),p.47-50を参照されたし.
【質問】
T34/85は無整備でどれぐらい使えますか?
【回答】
常時稼働し続けるのなら,せいぜい1週間保ったら奇跡.
T-34-85は生産時期や生産国にもよるが,元々ソ連らしい設計の杜撰さのために,故障率がかなり高い戦車だったし.特にギアボックス回りとラジェーターの貧弱さのため,無整備で長期間使い続けるのはかなり無理.
レンドリースのM4シャーマンを使った戦車兵が
「すげぇ,この戦車,全然故障しないぞ!」
と感動したって話もあるね(大戦初期の頃)
とはいえ,戦後長期間野ざらしで展示されていた車両が,燃料を入れただけで再び動いた,というエピソードもあったりする.
【質問】
T34のエンジン部をラティで上から狙撃した場合,撃破するまで何発ぐらい必要ですか?
【回答】
対戦車ライフル弾は,WW2の段階では「戦車を撃破する」ということは目的とされず,
「乗員を死傷させる」
「火器を使用不能にする」
「走行不能にする」
などを目的に,特にソ連において盛んに使用された.
だから,何発当てれば撃破できるか,という問題はあまり意味を持たない.
当たった箇所に乗員がいるとか,照準器があるとか,走行装置があるとかして,戦闘が継続困難になることを狙っているわけ.
対戦車ライフルをガンガン撃ち込んで,戦車がドカーンという状況はリアリティを欠く.
それを前提に回答すると,T34/76のエンジンデッキの装甲厚は15〜20ミリだったと記憶してるが,ラティ20ミリ対戦車ライフル弾が直角に当たれば貫通できる.
(戦車の真上から対戦車ライフルを撃つことができるかどうかは別として)
また,グリルのメッシュ部分ならば容易に撃ち抜けるだろう.
T34はご存じの通り,ディーゼルエンジンなので着火しにくい.
燃料系に当たったとしても簡単には火がつかないが,数発も撃ち込めば燃料漏れが甚大になり,
加熱された軽油に火がつくことも大いにある.即座に爆発とはいかないけどね.
フィンランド側でもラティは対戦車戦には向かない,と判断され,もっぱら対トーチカとか軽車両を目標にしてる.
でもダメ元でKV-1をラティで撃ったら,砲塔に当ったと思われる弾が下側に跳弾して,(多分)エンジンルームの天井をぶち抜いたらしく機関室から火を吹いて撃破,って例が現実にあるんだよな・・・.
ラティ

【質問】
今でも動け〔略〕るT-34はあるのですか?
【回答】
アフリカの国とかにいくらかあるそうですし,ユーゴ紛争ではT-34/85が現役戦力として普通に使われていました.
映画『プライベート・ライアン』に「出演」したタイガー戦車も,T-34をベースにして,タイガー戦車に見えるよう改造をしたものだとか.
また,この前,ハンガリーで暴動が起こったとき,デモ隊の有志が整備したT-34/85が警官隊を蹴散らした,という事件も.
中国にもあるが火災対策用車両に改造されてしまってるらしい.
Wikipediaによれば,
http://en.wikipedia.org/wiki/T-34#Other_countries
の国名のあとに * がついてる27ヵ国では1996年の時点で現役だったらしい.
しかし2007年の『World Defence Armanac』で,この*付きの国を端から10以上チェックして見たが,どこにもT-34は載ってない.
ほとんど退役しちゃったんだろな.
一方,ロシア本国では,2005年戦勝記念パレードのさい,T-80&T-34が出演していたという話や写真が.
一体何所に出演していたのかと思っていましたが,よつべで解決しました
Rus Tank T-34&T-80 Red Square Moscow
May 2005 60Th Anniversa
大規模パレードの後に開催されたコンサートに出演しておりました
この後も歌や踊りで盛り上がったようですよ
(2005) Mireille Mathieu Red Square Lge subt
wmv
しかしロシアの力の入れ具合は凄すぎる・・・・
CRS@空挺軍 in mixi,2007年12月09日22:55(青文字部分)
&軍事板
黄色は加筆修正部分
【質問】
今だ世界の紛争地でみかけるT34ですが、50年以上前の戦車のパーツや砲弾の調達はどうやっているのでしょうか?
まさかソ連や東欧諸国がいまだに各種部品の生産を行っているのでしょうか?
【回答】
まず、50年前のものをそのまま使っていることは滅多にありません。
戦後、それなりに改良が加えられ、既存のものもアップデートされています。
また、ポーランドとかチェコスロヴァキアでライセンス生産されたものは、1959年まで作られています。
戦車のパーツに関しては、例えばエンジンは、オリジナルのV-2-34からV-34-M11に換装され、冷却機構、
オイル潤滑機構が改良されています。
このほか、発電機、無線など内部の部品が近代化されています。
これが1960年に行われた改修で、それから、1969年にはT-55/62の部品との互換性を高める改修が行われ
ています。
従って、部品に関しては、オリジナルの部品が底を付いても、T-55/62系列の戦車が有る限り、それなりに
整備は出来ます。
最悪は共食いで食いつなぐことも可能です。
砲弾に関しては、85mm砲はつい最近(今もかな)まで中国などでも製造されていましたから、弾薬についても
十分余裕があると思いますよ。
(眠い人 ◆gQikaJHtf2)
▼T-34戦車(2001年,アフガニスタン)
s
【質問】
最近(2006年),こんな事件があったそうですが,戦後何十年も経っているのに,なんでこのT-34は動けたの?
展示の戦車奪い突進 ハンガリー動乱50年式典騒然
民主化を求める民衆蜂起に対し,旧ソ連が軍事介入したハンガリー動乱から50年を迎えた23日,首都ブダペストで記念式典があった.
だが,4月の総選挙でウソをついたと認めたジュルチャーニ首相に反発する野党側はボイコット.
首相の辞任を求めるデモ隊の一部が暴徒化,この日のために大通りに運んで展示していた旧ソ連時代の戦車を奪って警官隊に向かって突進する騒ぎに.
警官隊は戦車の前進を催涙弾で阻止し,瓶を投げるデモ隊にゴム弾などで応酬,周辺は一時騒然となった.
旧ソ連時代の戦車が登場する衝突は,50年前を思い起こさせる皮肉な光景となった.
130人ほどがけがをし,約100人が逮捕されたという.
【回答】
乗り込んだグループは計画的に準備を整えていたらしいです.
しかし,右派のデモ・グループが,ソ連のシンボルとも言えるT34-85を乗り回すなんて,何かの皮肉ですかね.
あと,日本での主な報道ではデモ隊が「瓶」を投げたことになってますが,瓶は瓶でも「火炎瓶」ですので.普通の瓶も中にはあったのかもしれませんが.
magyar by mailform
JSF in 「軍事板常見問題 mixi支隊」
【参考動画】
T34 85 tank rampage
◆◆◆◆US Vehicles
【質問】
WW2において,アメリカ陸軍だけが全歩兵の機械化と全車両の無線化を成し遂げたという話をどこかで聞いた気がするのですが,本当でしょうか?
いくらアメリカの工業力が優れているといっても,少し大げさな気がするのですが…….
【回答】
米国は,1939〜45年の間に,3,200.436台の軍用車両,88,410輛の装甲車輌(ちなみに,英国は24,803台,ドイツは24,360輛の装甲車輌を生産),ハーフトラックは41,170台,トラクタは82,099台,これに特装車が数千台の単位で続きます.
トラックの大多数は,1/4t〜3/4tのLight Classで,988,167台,次いで21/2tのLight
Heavy Classで,812,262台,11/2tのMedium Classが428,196台,21/2t以上のHeavy
Classが153,686台で,これら全生産量の1/3が補給部隊の手に入りました.
ちなみに,カナダは815,729台のトラックと,50,663輛の装甲車両を生産し,英国に引き渡しています.
ドイツは,先に述べられているように,1940年にオランダに侵攻したとき,多数のドイツ歩兵は馬に乗っていましたし,この時から敗戦までの間,民間車両と軍用トラックとの比率は100対1だったそうです.
眠い人 ◆gQikaJHtf2
【質問】
アメリカの技師J・ウォルター・クリスティの製作した「クリスティ戦車」が,第2次大戦のソ連の優秀戦車,T34シリーズの始祖となったということですが,何故,地元アメリカではクリスティ戦車は発達しなかったのですか?
【回答】
アメリカではクリスティM1931戦車がT3戦車およびT1戦闘車(騎兵部隊向け.T3は37mm砲と7.62mm機銃を装備していたのに対し,T1は37mmと12.7mmを装備.当時の法律上,騎兵部隊は戦車を装備できなかったので,「戦闘車」と言い換えられた)として7両が生産されたが,当時はアメリカ陸軍戦車部隊冬の時代であり,戦車開発予算は殆ど認められず,戦車部隊の編成も,あくまでも実験レベルに留まっていた.
なによりも彼らは,クリスティ戦車の示した良好な機動性がもたらす,戦車の戦略的運用法への洞察力を持っていなかった.
このため,これ以後もクリスティ戦車系列の開発作業は続けられたが,これは実に細々としたもので,さらには技術的後退をするほどで,厳密にはクリスティ戦車と言えないものもあった.
また,クリスティ個人の性格も影響したという.彼は激しい性格の人物で,気まぐれというわけではなかったが,しばしば勝手に設計変更することで,顧客を悩ませたという.軍のお役人としては,いかにも発明家肌のクリスティとはやっていけない,というところだったのではないだろうか.
(斎木伸生「世界の『クリスチー式走行装置付き』高速戦車列伝」 from 月刊「丸」 '02 Sep.)

【質問】
なんでアメリカ軍はパンターをパクった戦車作らなかったの?
そうすればシャーマンの性能不足なんか解決したのに.
【回答】
米軍では前線での戦車の種類の統一にこだわったため,
T26(M26)の量産ですらM4の大量生産を阻害するとしてその優先度が低くされています.
ましてやパンターのコピーなど考えもつかなかったでしょう.
陸軍地上軍管理本部(AGF)は,敵戦車の撃破は戦車駆逐大隊の駆逐戦車に任せ,
中戦車は歩兵支援に重点を置くことを求めています.
1943年の時点で陸軍部内ではM4の75mm,および76mm砲に絶対の信頼を置いており,
ティーガー登場以降もその考えは薄らぎませんでした.
しかも,ソ連からの報告で,パンター戦車が量産されつつあることを認識しておきながら,それをティーガー同様の独立大隊で運用する重戦車であると誤認し,なんら手を打とうとしませんでした.
さらにT23重戦車の開発失敗,T26の開発遅延などで結局,WW2はほとんどM4のみで戦う羽目になったわけです.
パクリ戦車作る気なんか全然なかったのがお判りになりましたか?
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE
【質問】
http://www.roncobb.com/Graphics/M38A8.jpg
この写真のジープの,ボンネットの側面に「ARMY
73949」という文字や,バンパーに「TMP-7」や★マークのステンシルがありますが,このステンシルの事を,米軍では何と言うのでしょうか?マーキング?
あと,このようなステンシルは現代でも使われているのか,この文字が意味する内容についても教えて頂けますでしょうか.
【回答】
ボンネット側面のものは,俗に日本語では登録番号と言われ,体系は変っていますが今でも使われています.
この写真の体系は1929〜30年に始まり,30年近く続きました.
最初の1文字,または最初の2文字のアラビア数字の登録番号は車輌の形式を,その後の数字は,その車輌がその形式のグループに銜えられた数字上の順番を
示します.
数字全体の頭には一時期Wの文字(陸軍用車輌を示す)が付いていましたが,戦争末期には消滅しています.
数字の意味は以下の通りです.
0:キッチントレーラをのぞくあらゆるサイズのトレーラもしくはセミトレーラ,
00:トラック,修理車(レッカー,武器修理車,車輌修理車など)
1:乗用車(乗員2〜7名のセダン),
13:キッチントレーラ,
2:小型トラック,ライトトラック(積載量0.5〜1.0tでピックアップ,パネルバン含む),
20:トラック,偵察車,キャリオール,バス,
3:中型トラック(積載量1.5tのトラック,ダンプ,トレーラトラックを含む),
30:戦車もしくは戦車ベースの車輌(自走砲,戦車回収車など),
4:中型重積載量,大型重積載量トラック(積載量2.5〜5t),
40:全装軌車,ハーフトラック(但し,貨物輸送,電纜敷設,戦車,その改造車を除く),
50:消防車,事故処理車輌,6:モーターサイクル(ソロ,サイドカー,オート三輪含む),
60:装甲車,特殊車両,技術用車輌(無線車,司令車,発電機車,コンプレッサー車,照空灯車,消毒車,浄水車など),
7:救急車,
70:水陸両用車,
8:車輪式トラクタ,
80:タンク車(燃料補給用,散水車など),
9:半装軌,全装軌式トラクタ
1942年以前だとトラックの積載量は,
2:utility(0.25〜1t),
3:light(1.25〜2t),
4:medium(2.5〜4t),
5:heavy(5t以上)
と言う風に番号が体系付けられていました.
また,豪州駐在の米陸軍は,右ハンドルの現地生産車にUを頭につけた登録番号を有しています.
バンパーの記号は,所属部隊を表しています.
写真は少し途切れていますが,
xA-Fbが師団と大隊名,
TMPが中隊名,
7は号車つまり何とか中隊の7号車を表します.
☆は味方識別符号です.
(尤も,これらの記号が本物と同じかどうかは不明ですが)
◆◆◆◆◆M4 Sherman
【質問】
M4シャーマン Sherman 戦車は,性能はドイツのティーガーやパンターに劣っていたのに,どうしてドイツ軍に勝つことができたのですか?
【回答】
広田厚司によれば,「保守管理の良さと高い機動性・稼動率,そして数が勝因(「丸」
Feb. '03)」だという.
【質問】
シャーマン戦車はエンジンがタイプ別にバリエーションが多いのはどうしてです?
【回答】
要するにアメリカですら必要な生産量をなかなか確保できなかったからです.
当初M4A1に搭載されたR-975ワールドウィンド星型エンジンは航空機用であり,戦車用としての供給が不足気味でした.
そこで兵器局はGM製ツイン6-71ディーゼルエンジンの採用を決定しました.
ところが現場の補給部隊から,ディーゼル油とガソリンの両方を供給することは困難であるとの意見が出たため,これを搭載したM4A2は海兵隊とレンドリースに回されました.
そして新たなエンジンとしてフォードGAAエンジンの採用を決定し,これを搭載したM4A3は信頼性・耐久性もよく現場から好まれました.
また,6気筒エンジンを5つ直結というクライスラーA-57マルチバンクエンジンを搭載したM4A4は,点火時期調整が難しくて不良貧扱いされ,主に英軍への供与のために生産(でも,英軍では信頼性が高いと好評だったとか.何故そうなる?)
他の形式も含めてまとめると,
| M4 | 星形9気筒空冷 |
| M4A1 | 星形9気筒空冷 |
| M4A2 | 直列6気筒×2,水冷軽油 |
| M4A3 M4A3HVSS M4A3E2 |
V型8気筒水冷 |
| M4A3E8 | V型8気筒水冷ガソリン |
| M4A4 ファイアフライ |
6気筒マルチバンク液冷×5 |
| M4A5 | (カナダのラム戦車.シャーマンではない) |
| M4A6 | 星形9気筒空冷軽油 |
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE他,改
【質問】
M4シャーマン戦車に弱点はなかったのですか?
【回答】
広田厚司によれば,以下のような弱点があったという.
フランス戦線では当初,ドイツ軍戦車の戦車砲弾命中により,弾薬が誘爆するシャーマン戦車が続出しました.
この報告により,アメリカ本国で実験を行った結果,乗員室の格納弾薬の雷管,潤滑油,燃料の順で燃える事が判明.
そこで1944年後半以降,弾薬庫の周囲に不凍液を配置して誘爆を防ぐ湿式弾薬庫に改められました.
(広田厚司 「丸」 Feb. '03)
【質問】
M4シャーマン戦車の装甲の厚さは?
【回答】
M4シャーマン(中期)の場合
前面 側面 後面
砲塔___ 76.2(60)mm 50.8(85)~(90)mm 50.8(90)mm
車体上部分 50.8(34)mm 38.1(90)mm 38.1(80)mm
車体下部分 50.8(34)~(90)mm 38.1(90)mm 38.1(90)mm
砲塔防盾(固定)88.9(90)mm(可動狭幅)50.8(90)mm
上面 砲塔25.4(0)mm 車体19.05(7)~(0)mm 底面
前25.4 後19.05mm
【質問】
M4シャーマン戦車は何故あんなに車体が高いのですか?
【回答】
M4は,開発期間を短縮させる為にM3の車体を流用した為に,必ずしも
理想的なレイアウトには成っていません.
で,M3が何故あの様な高い車高に成ったかと言えば,航空機用の星型
エンジンを使用したからで,当時は大出力エンジンはアメリカと言えどそうそう有る物では無く,WWUに間に合わせる必要から,新規に戦車用のエンジン
を開発するより,出来合いの物を使用する事により,開発期間の短縮と
リスク回避を図った訳です.
尚,M3とM4の車高の高さによる不利は,米陸軍も重々承知していまして,
M3とM4は繋ぎであり,本格対応としてM26の開発を行っていました.
結局,WWUには間に合わなかったんですがね.
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE
【質問】
連合軍はヨーロッパでM4戦車に,現地改造でパンターから切り取った装甲版を溶接したり,コンクリートを盛ったりしたそうですが,戦車兵が勝手に元に戻せないような改造を行っていいんでしょうか?
軍規の問題などは無かったのですか?
【回答】
当然本来ならやってはいけない行為なんですが,現場での士気の向上を考慮して,師団レベルで対策として公認してたみたいです.
ただし,しばしば見られた土嚢の積み上げに関しては,パットンがブチ切れまして,傘下の部隊(第3軍)での土嚢の使用を禁じています.
このため,第6機甲師団では対策として,パンターの装甲を切り取って溶接を施す対策を各戦車に施し,1945年2月にはこれが公式にパットンの命令として第3軍に出されました.
この対策はバストーニュ近郊の民間工場に委託され,翌月まで続けられました.
一方,他の将軍の指揮下の部隊では,継続して土嚢の搭載を行っています.
このため,一時的にパットンの第3軍に派遣された戦車部隊が最初に行ったのは,搭載された土嚢を下ろすことだったとか.
(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)
【質問】
なぜ,パットンは土嚢の積み上げに激怒したのですか?
戦車に土嚢を積むと,どの様な不都合があるのですか?
【回答】
土嚢の過積載によって車重が2〜3トン増加しました.
当然これは機動性の低下や足回りの故障に繋がり,整備や補給に負担をかけることになります.
また,土嚢の搭載は成形炸薬弾に対する効果を期待しての物でしたが,第3軍の兵器課では重量増加の割に効果がないと判断していました.
しかし現場では,土嚢でパンツァーファウストを防いだ例がいくつもあるとして批判がありました.
もちろんパットンの言い分にも一理ありますし,改造を単に禁止したわけではなく,増加装甲の研究を行って目処のついたところで,麾下の部隊に装備させています.
パットンが個性的なキャラクターの持ち主であることは元々よく知られていますし….
(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)