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<◆◆災害派遣
<日本/自衛隊FAQ目次
<東亜FAQ目次
(※この写真はおそらく韓国軍)
【質問】
阪神淡路大地震で,自衛隊の初動には問題があったんじゃないの?
【回答】
そう,最高指揮官(村山富市首相)が一番問題だった.
危機の時は,情報が正しく遅滞無く届くことは期待できません.
断片的な情報で判断していかざるを得ないのが危機管理.
阪神のときは高速道路の倒壊,市内各所からの煙のニュ−ス(10:00くらい?)のときに救助活動の指示.対応ができなかったから,指揮官が問題とされるのは当然でしょう.
これだけは言わせてもらう.
阪神大震災の時,オレは朝から当直だった.
TVを見て,被害が拡大していく様を,
「大丈夫だろうか,出動命令はまだか」
と思いながら待っていた.
営外者からも「出動,呼集は無いか?」と電話がひっきりなしだった.
だが,日本唯一の即応部隊(これは,速攻でヘリボーンが出来ると言う意味で書いた,他部隊の人は気を悪くしないで欲しい)に命令が降りたのは3日後,すでに死者は5000人に上っていた・・・.
これに対する我々(少なくとも可能なら動けた自衛官)の感情は言うまでもない.
【質問】
「空挺団がすぐに駈けつけられたなら」と言うが,あの火事に落下傘で兵隊が降りていって,何ができた?
現場に向かいたい.って気持ちはわかるけど,それだけじゃだめなんじゃないかい?
【回答】
ヘリボーンというのは落下傘降下のみを指しているのではないので念のため.
ヘリ部隊との連係等に関しては,やはり空挺団が群を抜いています.
木更津にはチヌークなどが多数あり,かなりの人員が乗れます.
それに他部隊と違い,全員がリぺリング訓練をうけています.御鷹巣山の時を思い出していただきたい.
ガスマスクである程度の煙には対処できますし,某知事さえ派遣要請を出していれば,迅速にかけつけて近隣の伊丹,信太山等の部隊を大分支援できただろうと思います.
あと,伊丹駐屯地で連隊長の話を聞く機会があったのだが,災害派遣活動中に自衛隊からの連絡事項を役所に伝えたが,知事にはなかなか伝わりにくい.
役所と知事は非常時にまで仲たがいするな.
一番くやしかったのは地元の伊丹,せん僧駐屯地の方達だったろう.
また,ロジを整えるだけで住民が受けるストレスが大幅に軽減される.
【珍説】
人殺しが職業の軍人が,災害問題の時だけ訳知り顔で出てくるな.後からだったらなんとでも言える.
ほんとに神戸のことを考えるんだったら,シビリアンコントロールを無視して,なぜ動かなかった?
国民あっての軍だろ? 法に束縛されて動きがとれなかったのなら,あのときの官僚と同罪だ.
【事実】
言ってる事,的が外れてるよ.
今の日本の自衛隊は『人殺しが職業の軍人』じゃないでしょ?
国民の生命,財産,権利を守るために存在してることは,あなたもわかってるはずじゃん.
よしなよ,そんな言い方は.
それに,あの時,自衛隊が自由に行動できなかったのは,『シビリアン・コントロール』が徹底されてる証拠だし,自衛隊そのものの『立場的な難しさ』があるからでしょ?
そして,自衛隊をあんな時でさえ自由に『救助活動』さえできない立場に置いてるのは,そういうシステムを作れてない政治家と,そんな政治家を選んでるオレらの責任じゃん.
『そんなんなら何で動かなかった?』って?
違う違う. いまの自衛隊は『動けない』でしょ?
『法に拘束されるな』みたいなこと書いてるけど,じゃあどこまで? 勝手に動くことを許されるラインはどこ?誰が判断するの?
そういう『法整備』はすべて政治家の仕事であって,あの時の自衛隊の行動が出遅れになったのは,全て政治家の責任じゃん.
自衛隊を責めるのはお門違いだよ.
この手の話ならあるよ.ちょっと古いけど.
日航機墜落事件の時,現場を真っ先に確認していたのは米軍で,彼らは暗視装置をつけてヘリを飛ばし,その状況を自衛隊に連絡していた.
その頃政府サイドは,現場の指揮権をどこが取るのかで揉めていた.
当時の第一空挺団指令は,政府の命令を待たずに木更津のヘリ団に連絡,出動を要請.現場に真っ先に到着し,4名の生存者の救出に繋がった.
ここまでは有名な話.
だが,続きがある.
この空挺団指令,転属と言う形で左遷された.理由は「政府からの命令無視」.ここまでは,はっきり言ってよし(よくはないんだが)としよう.
この際,ある政治家が口を挟んだ.
「彼は国家の命令に逆らい,あるべき幹部としての姿を殺めた.今後この男は,謀反を起こす恐れがある.」
・・・,どうする?,国民のために独自の決断を出したとはいえ,4名救って反逆者呼ばわりされたんだよ?
結局,阪神大震災も変わらなかったってとこだと思うが.
この場合,こたえたのは「命令を無視した為に」左遷させられたのではなく,「謀反を起こす恐れがある」と見られたため左遷させられたと言う事.
あの時,さすがに誰もが人を助けて反逆者扱いされるとは思わなかったし.
それと同じ事が,阪神でも言えた事.
あと,あなたは多分,自衛隊が動いていたら,
「自衛隊はシビリアンコントロールを無視した!!!!!!」
とか書き込むでしょうね.
【反論】
> あと,あなたは多分,自衛隊が動いていたら,
>「自衛隊はシビリアンコントロールを無視した!!!!!!」
>とか書き込むでしょうね.
書き込みますよ.当たり前じゃない.
【再反論】
呆れたものだ.
「後からなら何とでも言える」
というのはまさに貴殿のことであろう.
貴殿もまた「TVの評論家ども」と同類である.
【珍説】
じゃぁ,あとから「悔しかった」なんて泣き言言わないでくださいよ.
問題は,シビリアンコントロールを含む法規と,目の前で死んでいく国民と,さらには救助能力を持つ個人/組織の関わり合いの問題だ.
悔やむくらいなら死ぬ気で助けにくればよかったんだよ.
【事実】
問題点は理解されているようだけど,その辺が現実を見ることができてないよ.
ただでさえ,人を救って謀反扱いされるのを解って,同じミス――この場合,ミスとは言わないんだろうが――を起こす組織なんてないよ.
ましてや,日本みたいな官僚的な国ならなおさらだ.
自衛隊は,マスコミを見れば解るが,叩かれるのが非常に簡単な組織だ.
おまけにオーナーである国家ですら,自衛隊を平気で叩く.
そう言う場所で,自分の為とはいえ,誇りもメリットも得られない活動なんて誰がやる?
それこそ結果論的に,国規模で叩かれるのは目に見えた結果だ.
あなた自身が
「じゃあ,あんたがやれよ」
と言われるのと全く一緒.
【珍説】
実際にあの地震で家族を殺されていれば,そういうことはいえないと思うぞ.想像力が足りない.
反逆者扱いされるのが怖かった.ってことは,俺たちを助けるより自分の身が大事だった.ってことでしょ.
大体,メリットがなければ救助しないわけか?
そんな奴らに同情されたくないよ.
【事実】
貴殿の怒りは感情的には理解できる.
しかし自衛隊は組織であり,法の下,政府の指揮を受ける動く事が筋道である.
我々は組織の構成員であり,個人の感情で組織を動かすわけにはいかない.
だからこそ個人として無念が残るのである.
>自分の身が大事だった.ってことでしょ.
我々は国民を守る任務を帯びている.
しかし同時に家族の生活も守らねばならないし,首になっては今後国民を守れない.
その怒りを自衛隊員に向ける事は筋違いである.
政治家に向け,法整備を行わせる世論形成を行っていただきたい.
最高指揮官の責任.シビリアンコントロ−ルでシビリアンに自衛隊の出動判断まかせているのだから.自衛隊に文句言うのは明らかに筋違い.
緊急時の自衛隊の自立的な行動を求めるなら,警察官の発砲の条件のようにきちんと法律で明文化.し,正当性を持たして――警官はそれでも発砲するたび「発砲は正当」とアナウンスしている――,現場に判断基準を与えなければならない.
ただ,
>反逆者扱いされるのが怖かった.ってことは,俺たちを助けるより
>自分の身が大事だった.ってことでしょ.
などと言う人間は助けたくないね.もっと役に立つ人を助けたい.
【珍説】
あなたの意見はわかりました.
目の前で人が死んでいく姿を見て,自分の命を顧みずに火の中に飛び込んでいった人たちのことを想像することもできないのでしょう.
自衛隊という組織自体が感情で動いては,それこそ一大事ですが,個人というものをこういったスレッドの中で持ち出すのであれば,
「じゃ,なんで自衛隊辞めてたすけにこなかったん?」
と言われてもしょうがない.とは思わない方々なのでしょう.
そんな「僕たちの気持ち,早く誰か分かってよ」なんていう情けない方々が国を守っていることに恐怖を抱きますね.
【事実】
これほどまでに物事を歪曲した書き込みを珍しい.
炎にまかれる街への自衛隊の災害出動は,指摘の通り緊急時である.
そういう事態を想定し,空論ではない法整備や緊急時命令系統の整備の必要性が認識されたはずだ.
現地判断で出動すれば「統制がきいていない」,命令を待っていれば「冷血漢」などと,いわれのない非難を受けるのは,総て法的基盤が不整備であることが原因である.
そういうことを棚にあげての意見は不毛だ.
恐怖を感じるなら,その是正を考えるべし.
論理性が崩壊している時点で怒る気にもなれんが,一応書いておこう.
恣意的な論点のすり替えである.
・出動が遅れた原因は政府と自治体の対応にあり,これは隊員個人の自己犠牲/自己負担により埋め合わせる筋合いの物ではない.
・「隊員の生活基盤を放棄させ,被災者を救助せよ」と言う意見は,同じ国民である自衛隊員の生活を営む権利を無視した物であり,貴殿の単なるエゴである.
・災害時に求められるものは組織化された救助活動であり,装備・後方支援を持たない少人数での救助活動は無意味である.
・当時自衛隊が取るべき行動は,政府出動命令による組織的出動に備えた待機であり,シビリアン・コントロールを無視した自己判断による出動,または隊を離脱することによる職務の放棄ではない.
法で規定される以上,シビリアン・コントロールは災害出動に優先する.
以上の理由により,貴殿の意見には正当性は見られない.
先に「メリット〜」と言う表現を使ったけれど,これは「自衛隊か得をする」と言う事ではなく,「命令無視の元,自衛隊が勝手に動いたらどうなるか」と言う意味.
いくら人命を救っても,今後さらに活動が制約されようモノなら,結果はおのずと見えてくる.
そして,
>だったら死ぬ気で来れば良かったんだよ
>要は自分がかわいいんだろ
>情けない方々が国を守っていることに〜
・・・,論外.理解できない.
この台詞には,心底考えさせられた.
どういう生活をしているのか? 日本と言う国をまだ知らないのか?
つまり,自分が助かれば他人はドウだって良いってこと?
自衛隊の人間は,オレらよりも劣ると考えているのか?
こういう自己中心主義者,ジャイアニズムの持ち主は勝手に被害に遭うか,一人で救済活動に専念してもらいたい.それこそ,○産党と一緒か,事実党員としか思えない.
そこまで他力本願な人間は,それこそ何が起きても助からないよ.
しかし,これらのやりとりは典型的ですね.
実効ある危機管理対策の話が,「空想平和主義者」による反軍事の話にすりかえられるパターンの典型ですね.
最後は「反自衛隊」となり,どこの組織にも発生する普遍的な問題点さえも,全て自衛隊の問題とされてしまうパターンです.
【質問】
中部方面隊が組織的な災害派遣準備を始めたのは何時?
【回答】
06:30.
地震発生(05:46)から44分かかったのは,その間,
・中部方面総監部(伊丹市在)自体の地震後の後片付けをして,仕事ができる態勢を作らねばならなかったため.
その際,懐中電灯の明かりが頼りだったという(自家発電装置はないのか?).
・総監部勤務の隊員の殆どは,近くの官舎か,近在の借家等に住んでおり,集まってくるまでに若干の時間がかかったため.
指揮所開設は06:10頃だったとされている.
詳しくは,松島悠佐著『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(時事通信社,1996.6.15),p.3-4を参照されたし.
【質問】
阪神淡路大震災で自衛隊が最初に出動したのはいつか?
【回答】
伊丹市駐屯の第3師団第36普通科連隊から06:42,偵察班が近傍災害派遣によって伊丹駅に急行している.
06:35に第3師団司令部へ,伊丹警察署から
「阪急伊丹駅が倒壊,派出所が潰れて警察官が埋まった.救出頼む」
との連絡が入ったのを受けての出動.
同班はオートバイで06:50,現場に到着して状況を連隊本部に連絡.
救出部隊(第1中隊長以下42名)は07:35出動,07:50に現場到着.余震が頻繁で上から物が落ちてくる中,作業を開始した.
詳しくは,松島悠佐著『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(時事通信社,1996.6.15),p.5-7を参照されたし.
また,中部方面航空隊からは
「7時14分には観測用ヘリコプターが飛び立」
ったという(「国際派日本人養成講座」,平成10年1月17日)
【質問】
震災直後に出動した自衛隊部隊は,どういう名目でそうしたの?
【回答】
空自のお話です.
あの時,移動部隊は命令を待たずに出発しました.
たまたま小松にいた移動部隊です.
北海道地震での百里の件があったので,指揮官は更迭覚悟だったらしいです.
派遣命令が出ないということは,現地の情報も一切入らない状態です.
それでも訓練名目として,とりあえず出発したのです.
当然,その他の各部隊も出発準備はしていました.
各指揮官はかなりイライラしていたでしょうね.
「空自のお話です」 in 週刊オブイェクト・コメント欄,2007年01月21日
また,伊丹市の陸自は「近傍派遣」で対応.
(災害派遣)第83条
1 都道府県知事その他政令で定める者は,天災地変その他の災害に際して,人命又は財産の保護のため必要があると認める場合には,部隊等の派遣を長官又はその指定する者に要請することができる.
2 長官又はその指定する者は,前項の要請があり,事態やむを得ないと認める場合には,部隊等を救援のため派遣することができる.
【ただし,天災地変その他の災害に際し,その事態に照らし特に緊急を要し,前項の要請を待ついとまがないと認められるときは,同項の要請を待たないで,部隊等を派遣することができる.】
3 庁舎,営舎その他の防衛庁の施設又はこれらの近傍に火災その他の災害が発生した場合においては,部隊等の長は,部隊等を派遣することができる.
4 第1項の要請の手続は,政令で定める.
近傍火災は,駐屯所のすぐ隣で火災が発生したような場合を想定してるので,これではありませんね.1・2のあわせ技ってとこではないでしょうか.
松島悠佐著『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(時事通信社,1996.6.15)によれば,
「〔近傍災害〕派遣は別に距離的なものが決まっているわけではないが,普通は同じ町村や市内と考えられている」(p.5-7)
が,この地震では,
「よし,人命救助が最優先だ.正式の災害派遣要請があるまでは,自分の判断と責任で,行けるところにはどこでも行こう」(伊丹市駐屯第36普通科連隊黒川連隊長――上掲書,p.9)
ということで,同連隊では伊丹市以外に西宮市,宝塚市,芦屋市にも出動している.
以下,そのときの状況を伝える報道.
『史上最大の派遣−震災10年 守れいのちを 第3部』神戸新聞WebNews
1.涙 「自衛隊の転機だった」 (2004/09/03)
近畿など二府十九県を管轄する陸上自衛隊中部方面隊(総監部・伊丹市).阪神・淡路大震災で活動した自衛隊員は,大半がこの方面隊の傘下だった.
トップの松島悠佐(ゆうすけ)総監(65)=現・ダイキン工業顧問=は,「午前五時四十六分」の揺れを感じ,寝間着のまま庭に飛び出した.昭和初期に建てられた木造平屋の官舎は,壁が傾いた.
午前六時二十分ごろ,総監部から部下が駆け付けた.主要な幕僚が集まりつつあるとの報告を受け,午前六時半,全部隊に非常勤務態勢を命じた.
百一日間に及ぶ災害派遣活動の始まりだった.
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200409ma-3/01.html
2.事後了承 あやふやな「要請」時刻 (2004/09/05)
姫路市北部に,陸上自衛隊第三特科連隊の本部がある.車で十分ほどの官舎で,当時の林政夫連隊長(56)=現・高知県消防防災指導監=は,揺れが収まるとテレビをつけた.「神戸で震度6」.前年十月の北海道東方沖地震が頭をかすめた.釧路市で震度6,死者はゼロ.「神戸は近代的な都市だ.被害はそう大きくないはず」
陸自の各部隊には,災害時の担当区域がある.約七百人を擁する第三特科連隊の担当は,阪神・三田の七市一町を除く兵庫県全域.政令指定都市の神戸を抱える.
隊員が市町に電話をかけ続けたが,神戸市周辺がつながらない.午前六時四十分ごろ,異変を決定づける情報が姫路署から入った.「阪急伊丹駅と兵庫署が倒壊」.林連隊長は午前七時半,出動の準備命令を出した.「九時半をめどに出発する」
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200409ma-3/02.html
3.露呈 不備だった救助資機材 (2004/09/06)
伊丹市にある陸上自衛隊第三師団司令部に,伊丹警察署から救助要請が入った.地震の約五十分後だった.
「阪急伊丹駅が崩れ,駅舎内の交番で警察官二人が下敷きになった」
司令部は,阪神間や三田市,大阪府の北半分を管轄する第三六普通科連隊に「速やかな対応」を指示.午前七時半ごろ,まず四十二人が出動した.
兵庫県から災害派遣要請はまだなく,自衛隊法に基づく「近傍派遣」だった.駐屯地近くで災害が起きた際,“近所付き合い”として限定的に部隊を派遣する制度だ.午前八時二十分にも,西宮市内の生き埋め現場などに,五十四人が向かった.
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200409ma-3/03.html
4.指揮 前例ない海自の陸上隊 (2004/09/07)
その基地の存在は,市民にさえあまり知られていなかった.
神戸市東灘区魚崎浜町.「第三工区」と呼ばれる埋め立て地南端にある海上自衛隊阪神基地隊.神戸に拠点を置く唯一の自衛隊部隊だ.地震があった一月十七日,約三万平方メートルもの敷地は液状化に見舞われ,機能まひに陥った.
基地隊トップだった仲摩徹弥司令(60)=現・第一阪急ホテルズ専務=は午前七時半ごろ,官舎から徒歩でたどり着いた.神戸にいた隊員約百八十人のうち,集まっていたのは約四十人.「この数で出ても,何もできない」.近傍派遣はしないと腹に決めた.
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200409ma-3/04.html
5.水 ニーズ探りながら支援 (2004/09/08)
震災四日目の一月二十日午前七時すぎ.民放ラジオで,陸上自衛隊中部方面総監部の広報担当者が呼び掛けた.
「神戸市中央区,東灘区の埠頭(ふとう)に,海上自衛隊の船が十隻ほど入っています.水を補給します」
総量約千五百トン.生命維持に必要な一日三リットルなら,五十万人分になる.その水は十八日朝,神戸に着いていたが,十九日までの給水量は百分の一.指揮を執る海上自衛隊呉地方総監部は,市民へのPRに手をこまねいていた.
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200409ma-3/05.html
【質問】
なぜ第36普通科連隊には特に迅速に,多方面へ近傍災害派遣を行えたのか?
【回答】
普段は早朝なら駐屯地には40〜50人しかいないところ,17日には早朝から演習に出発する予定があったため,殆どの隊員は帰隊しており,また,装具・携行品も準備されていたため.
詳しくは,松島悠佐著『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(時事通信社,1996.6.15),p.10を参照されたし.
【質問】
観測ヘリの偵察情報では災害派遣部隊を運用するに足る充分な情報を得られなかったのは何故か?
【回答】
・航空偵察自体の限界.
道路の障害がどの程度あるのか,迂回路はあるのか,集結地として利用できる場所はあるのか,ヘリポート利用上の障害はないのか等々は,いわゆる「虫の目情報」,地上偵察によって確認しなければ分からない.
それらはヘリからはなかなか見えにくかった.
・観測ヘリOH-6には航空偵察用の専門カメラは装備されていなかったので,ホームビデオのカメラを携行したが,撮影距離が遠く,かつ,専用のカメラではないのでヘリの振動が影響し,映像が不鮮明だった.
詳しくは,松島悠佐著『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(時事通信社,1996.6.15),p.11-13を参照されたし.
【質問】
具体的な被災状況の情報がない中,出動準備態勢を自衛隊がとれたのは何故か?
【回答】
第3特科連隊の場合,即応対処計画により,震度4以上では,自動的に情報収集,出動準備のために所要の勤務態勢をとることが定められているため.
詳しくは,松島悠佐著『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(時事通信社,1996.6.15),p.14を参照されたし.
他の部隊にも災害や有事に対しての同様の対処計画があるだろうことは,高い確率で推測できる.
なお,全体状況の把握ができたのは,現地入りした部隊が現場で確認した情報が集まった17日夕方から夜にかけてだったという.
同書 p.152参照.
【質問】
阪神淡路大震災の際,自衛隊は自衛隊法第83条第2項に基いて自主出動すればよかったのでは?
【回答】
それは後知恵.
まず,シビリアン・コントロールの大原則に外れる.
また,運用上の解釈では,第2項の「やむをえない場合」とは,船舶海難事故,大きな航空機事故,離島の急患輸送のこととされている.
詳しくは佐々淳行著『危機管理宰相論』(文芸春秋,1995.12.15),p.157-158 &
185を参照されたし.
【質問】
治安出動なら,県知事が要請しようとすまいとに関わらず,首相命令で全部隊に出動命令を出せるから,阪神淡路大震災でも治安出動命令を出せばよかったんじゃないの?
【回答】
「間接侵略その他の緊急事態に際して,一般の警察力をもっては,治安を維持することができないと認められる場合(自衛隊法78条1項)」
じゃないだろ・・・ 阪神淡路大震災は.
同地域が「警察力をもって治安維持が出来ないほどの騒擾状態に置かれた」なんて聞いたことない.
また,治安出動で出たらガレキの撤去とか救出とかができない.
治安出動での行動は確か警官職務執行法に準ずるはずだが,この時の職務権限では,犯罪に関係が無いときに出来ることって,せいぜい事件・事故現場からの避難誘導.
だからがれきの撤去とかすると,私有地への不法立ち入りとか,建造物破損になりかねない.
もう少し詳しく説明すると,治安出動では,その活動の根拠として警官職務執行法を援用している.
だから私有地への立ち入りなどは
「第6条 警察官は,前2条に規定する危険な事態が発生し,人の生命,身体又は財産に対し危害が切迫した場合において,その危害を予防し,損害の拡大を防ぎ,又は被害者を救助するため,已むを得ないと認めるときは,合理的に必要と判断される限度において他人の土地,建物又は船車の中に立ち入ることができる.」
というのが基本.
目の前で人が瓦礫に挟まっているというケースならともかく,広範な工作物の撤去や震災復旧的な活動で私有地にはいる根拠にはならん.
安保警備の時には工作物撤去が行われた事例もあるが,これは被疑者逮捕,ないしはのための刑法上の正当業務だから,問題にならんだろう.
まあ,敷石剥がしはちょっと怪しいところがあるが.
一方,災害派遣時は災害対策基本法に規定された行動が出来るので,工作物の撤去に関する権限がちゃんと発生する.
災害派遣時の自衛隊員,および警察官,海上保安官については,災害対策基本法の第5章第4節で権限が色々と定められているが,例えば市町村長の命令で以下のような作業も可能.
「第64条 市町村長は,当該市町村の地域に係る災害が発生し,又はまさに発生しようとしている場合において,応急措置を実施するため,緊急の必要があると認めるときは,政令で定めるところにより,当該市町村の区域内の他人の土地,建物その他の工作物を一時使用し,又は土石,竹木その他の物件を使用し,若しくは収用することができる」
【質問】
「刑法上の正当業務」は,自衛隊も同じじゃないのー?
【回答】
犯罪の規制や被疑者の逮捕に関することが警察の「正当業務」です.
これについては刑事訴訟法と警官職務執行法にきちんと「何をしていいか」が書いてあります.
災害復旧はそこに書いてありません.
ですからわざわざ災害対策基本法で「何をしていか」を付け加えているのです.
自衛隊の場合も,きちんと自衛隊法その他で「なにをしていいか」が書いてあります.
そこから逸脱した行動は,どれだけ正当なことに思えても,緊急避難的な場合を除き,すべて罪に問われる可能性があります.
その点,法体系を大陸法系から英米法系に変えてしまえば(以下略
【質問】
震災に際し,なぜ官邸は速やかな対応ができなかったのか?
【回答】
太田述正によれば,官邸へ碌に情報が入っていなかった以上,村山より有能な首相であったとしても,あれ以上の事はできなかっただろうという.
以下引用.
(注4)55年体制とは,私に言わせれば,どちらも吉田ドクトリン墨守政党たる自民党と社会党が事実上の連立関係を組んでいた体制を本来は指(拙著「防衛庁再生宣言」日本評論社58頁注25参照)し,1955年以前から始まって,細川内閣成立によって一旦中断したが,村山内閣成立によって,自民党と社会党が形式上も連立関係を組んだ形で復活した,と見ることができる.
その後,社会党(社民党)は事実上消滅したが,自民党は,公明党と野合する形で政権にしがみついており,55年体制は依然続いている.
ちなみに,1995年1月の阪神大震災の時の村山内閣の失態は,55年体制の何たるかを如実に物語っている.
村山氏が首相を辞任したのは1996年だが,その2年後くらいに,私的勉強会で,村山氏の話を直接うかがう機会があった.
阪神大震災の朝,時間をおってどんな情報が自分の所に入ってきたか,そしてご自分がその都度何をされたかについて訥々と語られるのを伺った限りでは,村山氏に全く落ち度はないことははっきりしていた.
最大の問題は碌に情報が入っていなかったことだ.
私が総理だったら,いや,私が村山首相の秘書官だったら首相に進言し,自衛隊に対し情報収集と救援活動の実施を速やかに命じただろう.
自衛隊は空中偵察・機動能力を豊富に持っているだけでなく,障害物を乗り越え,排除しつつ偵察・機動する能力のある日本で唯一の組織だからだ.
ところが,当時,村山氏に誰もそんなことは教えなかったし,兵庫県知事も,自衛隊との関係が疎遠であったこともあり,自衛隊への出動要請が大幅に遅れてしまった.
この時,連立政権の相手方の自民党の総裁であった河野氏が総理であったとしても,防衛庁長官の経験もない彼が,村山氏以上のことができたとは思われない.
太田述正コラム#1071(2006.2.5)
一方,佐々淳行は以下のように,村山首相についても厳しい批判をしている.
以下引用.
一方,政府は何をしていたか.
ときの,村山富市総理に地震の第一報が入ったのは地震発生から1時間半以上たった午前7時30分頃.
村山富市総理はその後も予定通り経済報告閣僚会議や地球環境の懇話会に出席しているのです.
定例(緊急ではない)閣議のあと,この地震対応について非常災害対策本部(国土庁長官指揮,総理指揮の緊急災害対策本部ではない)の設置にとどめたのは,いま彼女が所属する社民党の前身政党・社会党内閣です.
さらに,総理が現地視察をしたのは1月19日.
帰京直後の記者会見で「(総理指揮の)緊急災害対策本部を設置する」と述べたものの,夜になって撤回し,とうとう総理が陣頭指揮をとることはありませんでした.
災害時も含め,国民の生命・身体・財産を護るのは国家の最大の任務であり,その長は言うまでもなく内閣総理大臣なのです.
犠牲者6434名をだし,約10兆円の国富を灰燼に帰した責任がどこにあるのかは,明確でしょう.
私の著書『危機管理宰相論』には,阪神大震災の際の初動措置や当時の国家危機管理システムの問題点が,当時の事実と共に書いてあります.
また,衆議院公聴会の議事録も掲載してあります.
彼女が議員になられたのは2000年とのことで,経歴も浅いことは承知しています.
しかし,現在社民党の政策審議会会長という責任ある立場でご発言をなさるのであれば,きちんと勉強してから意見を述べるべきです.
当時の事実関係を詳しく調べることなく,法律を読むことなくいたずらに批判をすることは,極めて愚かなことであります.
佐々淳行のweb site
2007/1/26アクセス
もっとも,佐々も次のように補佐官達の責任論も取り上げている.
〔震災後,2月20日に総理公邸で佐々氏が進講した情況〕
「自衛隊を出すと憲法違反になる,戒厳令になるといって,イデオロギーを人命に優先させた社会党の態度は甚だよろしくない」
と大島三原山噴火のときの中曽根内閣の措置を実例に挙げて厳しく批判すると, 村山総理は率直に頭を下げ,実に素直に一々うなずかれるのだ.
本当に反省しておられる様子なので,私は言いすぎて悪かったなという気持ちになった.
だがふと気がつくと,五十嵐官房長官以下誰一人として反論も質問もない,だからといって納得してるかというとそうでもない. 皆「我関せず焉(エン)」といった感じ.”佐々ハリケーン”が通過するのを待っている顔つきなので,再び勃然と怒りがこみあげてきた.
「以下,官房長官以下の補佐官たちに申し上げる」
と言葉をあらためると,脇見したり眼をつぶっていた補佐官たちが一斉に顔をあげ,私の方をみた.
「安保室長!! 君は総理に理路整然,自分の仕事ではないといったそうだな,
何のために中曽根内閣は安保室をつくったのか.後藤田官房長官の国会答弁に,所管事項として『治安問題を伴う大災害』とあるではないか」
防衛庁から出向の安保室長は,防衛庁のキャリアにとくに強い「消極的権限争議」こそキャリアの腕前(スキル)だと思いちがいしている傾向を帯びている.
かつて防衛庁時代,通産省から来た和田裕装備局長が
「ガラパゴス島にはうしろにしか進めない珍しい亀がいるそうですが,防衛庁のキャリアは皆それと一緒だ」
と発言して,仲間うちの爆笑を誘ったことがある.
まさに阪神大震災の最中に,官邸出向の役人たちが”ガラパゴス島の亀”を演じてしまったのだ.
「広報室長!! 何故君はすぐ総理記者会見をやらなかった!! 一年前のロスアンゼルス・ノースリッジ大地震ではクリントンが一時間後くらいにすぐ全米記者会見をやり,テレビで全国民にロスを助けろとよびかけてるじゃないか!!」
広報室長は警察庁から出向.親元に戻って出世コースに乗ることを夢みてるから,行き先の知れない社会党内閣に体重をかけるようなリスクのある仕事はしない.
外務省からの外政審議室長はアメリカからの空母インディペンデンスの応援派遣を断り,アメリカ最大のボランティア団体「アメリケア」の救援物資の急送と医師団の派遣を断っている※
黙ってきいていた村山総理が声を荒らげた.
「だからあの時,すぐ記者会見をしようと私がいったではないか!!」
この一言で当時の情況がハッキリわかった.私はこれ以上村山総理を責めるのは酷だと重い,鉾を収めることにした.
一国の総理を体を張ってまで補佐しようとしないまわりが悪かったのだ.
(中略)
残念ながら,意見具申したことは殆ど一つも採用されることなく,新設された災害臨調に私が平委員としても指名されることはなかった.
役人と社会党は私に一目置いているには違いないが,他方煙たがり,敬遠してもいるようだった.
「後藤田正晴と十二人の総理たち もう鳴らない”ゴット・フォン”」,P193-198
※村山内閣が受け入れ拒否したアメリケアからの支援は救援物資100トン,および医師8名
そのために,1月20日,カール・ジャクソン元副大統領特別補佐官から佐々に,ロスのお礼として救援物資がJIRACを受取人として閉鎖されている関西新空港へ送りたいとの要請があり,河野洋平外務大臣にアメリカの善意に対する支援・協力のための関係機関との調整や,関係者の出国・滞在中の便宜供与を,亀井静香運輸大臣に貨物機の関西国際空港への着陸許可と被災地までの海上輸送を,玉澤徳一郎防衛庁長官に神戸港から神戸市指定の物資保管場所への物資輸送の協力を求めることになる.
同195ページ
自衛隊の災害派遣に関してはここ
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/5761/index.html
が一番よくまとまっている.
災害派遣手続だけど一般に,市町村から県への要請→県から担当部隊への要請が必要とされていた.総理が命令することも法律上は可能だったが,実際には地方自治の原則や自衛隊アレルギーもあって国が命令出す行政手続きは定められていなかった.
阪神淡路大震災のような広範囲の突発災害は事実上戦後初めてだったから,要請を出すはずの地方行政機構が破壊されてしまっては,それまでのような手続きを踏めなかったんだな.
もちろん兵庫県が自衛隊を活用することをあまり想定していなかったあたりは,雲仙普賢岳災害のときの長崎県とは大きく違い,批難されるべき点ではある.
なお官房長官などが総理の出動命令を出すことを督促していたが村山総理は考慮しなかったと自身が述べている.(1)
週刊オブイェクト・コメント欄 at 2007年01月24日13:19
(1) 日経新聞 2005年1月17日 このインタビューより当時の状況を推察すると官房長官や副長官は自衛隊の出動を督促していたが村山は当初,自衛隊の出動を考えていなかった.
17日午後3時消防庁長官から死者300人の情報が入り,必要なことを(自衛隊の派遣も含めて)すべて行うよう指示したとなる.
このインタビューは村山本人が当初,自衛隊の出動を考えていなかったと証言している点で重要である.
――「自衛隊の災害派遣について知ることのできるページ」(2007/1/25アクセス)
+
【質問】
> 最大の問題は碌に情報が入っていなかったことだ.
> 私が総理だったら,いや,私が村山首相の秘書官だったら
>首相に進言し,自衛隊に対し情報収集と救援活動の実施を
>速やかに命じただろう.
>ところが,当時,村山氏に誰もそんなことは教えなかった
とのことですが,政治家はそれを教えられるまでもなく知っておいて当然なのではないか,と当方のような素人は考えますが,そういうものではないのでしょうか?
消印所沢 by e-mail
【回答】
雑駁なお答えですが,
村山さんは,首相が自衛隊の最高指揮官であることすら知らなかった方ですから,自衛隊がどんなことができるか,など皆目ご存じなかったはずです.
そんな村山さんに自分で判断しろと言っても,せんないことです.
災害派遣は,都道府県知事の要請があることが要件となっており,この要請がなければ自衛隊は動けません.
しかし,情報収集なら調査名目,救援活動なら訓練名目ないし官庁間協力名目で,実質的に災害派遣を知事の要請なくしてやることも不可能ではありません.
こんなことは,ウルトラCであり,役人が智恵をつけなければ,村山さんよりまともな首相でもなかなか思いつかないでしょう.
太田述正 by e-mail
〔強調,編者〕
▼
元防衛庁の人間であり,かつ,村山と直接話をした,という人物の証言であり,この情報の信憑性は高いと考える.……信じたくはない話だが.
なお,いやしくも一国の首相がそのような無知だったこと自体,罪ではないか,と編者は愚考する.
刑事事件ではよく言われるように,
「知らなかった,では済まされない」
▲
▼
ただし,後に太田は以下のように述べており,ただの伝聞でしかないことを事実上認めている.
――――――
太田述正コラム#3841(2010.2.20)
<皆さんとディスカッション(続x750)>
<ΒνΒν>(「たった一人の反乱」より)
村山が<首相が自衛隊の最高指揮官であることを知らなかったという>って本当かぁ?
<太田>
さすがに,そりゃ本人から直接聞いた話じゃないけど,
http://www.n-shingo.com/jijiback/387.html
などにも出てくる,当時出回ってた話だよね.
誰か典拠を思いださせてくれ!
――――――
現状で判断する限り,
「西村眞吾がソースかよ!」
では,上記情報が誤りである可能性のほうが,そうでない可能性より高い.
(「絶対匿名」とのことなので,HNは伏せさせていただきます)
by mixi massage,2010.2.26
青文字:加筆改修部分
▲
さらに,村山首相は当時,国民の命よりも,社会党の分裂問題が大事だったのではないか,とする見方まで出ている.
以下引用.
【同じ日に起きた社会党の大地震】
手元に95年1月17日付の『朝日新聞』夕刊がある.紙面の70%程度が,早朝に起きた阪神大地震関連で埋め尽くされている.
その片隅に由々しき記事が記載されているのだ.
社会党の内紛を報じたものである.文字が小さくて確認しづらいが,左上には,(平成7年)1月17日とある.
▽阪神大震災当日の『朝日』夕刊4面
記事の見出しは「山花氏ら24人会派届けを提出離党届けきょう中にも」
政権与党であった社会党は,阪神大震災が起きる前から大分裂の危機に置かれていた.山花氏とは,前の社会党委員長だった山花貞夫のことである.
95年1月17日に何が起きていたのか…
同記事はこう伝えている.
山花氏らは17日午前,衆参両院に分けて,国会対策委員会などに衆院17人,参院7人の会派離脱届を提出した.山花氏は提出後,「新党に向けて全党のさきがけとなって行動する」と強調するとともに,離党届については「中執委の状況を見極めて考えたい」と語った.
なんと大震災の直後に政権与党・社会党は,党内抗争に明け暮れていたのである.
山花グループは後に党を飛び出して民主党に合流するが,その動きは正に大震災当日に先鋭化していた.
【大震災よりも党内抗争で白熱】
党を率いる村山富市は,震災被害よりも党内造反の動きに震えていた…大震災などは小さな問題としか認識していなかったようだ.
記事には,富市の対応についても触れられている.
一方,村山首相ら与党首脳は同日昼の政府・与党首脳連絡会議で,この問題への対応を協議する
夕刊の締め切り時刻は午後1時ころで,実際に協議が行われたかどうかは不明だ.しかし,阪神・淡路エリアの甚大な被害が刻々と伝えられる中,総理周辺が党内抗争に力点を傾けていたことがハッキリ分かる.
国民の命など二の次で,党の分裂問題が大事だったようだ.
社会党の抗争勃発を受けて,最大の支持母体である
「連合」も大震災そっちのけで,立ち回りに苦慮していた.
関連記事は,17日午前に都内のホテルに「連合」の芦田会長ら幹部が参集し,分裂状態となった社会党への対応を協議した…と伝えている.
傘下の組合員にも被災者が出る中,ホテルで懇談していた連合幹部の鈍感ぶりも理解できない.
1月17日,村山亡国総理や社会党関係者の頭の中を埋め尽くしていたのは,大惨事ではなく党の内紛だったのだ…
阪神大震災の深刻な被害は翌日,翌々日になって明らかになった.しかし,17日午前の段階でも,全テレビ局は特番態勢に切り替え,中継ヘリを上空に旋回させて生々しい被害状況を伝えていた.
社会党は,それを横目で見ながら,国民無視の党内抗争でヒートアップしていたのである.哀れな政党だ…
〔後略〕
http://dogma.at.webry.info/200701/article_22.html
▼
やつを追う前に言っておくッ!
おれは今やつのスタンドをほんのちょっぴりだが体験した
い…いや…体験したというよりはまったく理解を超えていたのだが……
,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
(.___,,,... -ァァフ| あ…ありのまま
今 起こった事を話すぜ!
|i i| }! }} //|
|l、{ j} /,,ィ//| 『おれは奴が自衛隊の最高司令官だと
i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ 思ったら奴にそんな認識はなかった』
|リ u' } ,ノ _,!V,ハ |
/´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人 な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
/' ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ おれも何をされたのかわからなかった
,゙ / )ヽ iLレ u' | | ヾlトハ〉
|/_/ ハ !ニ⊇ '/:} V:::::ヽ 頭がどうにかなりそうだった…
// 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
/'´r -―一ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐
\ 超スピードだとか催眠術だとか
/ // 广¨´ /' /:::::/´ ̄`ヽ
⌒ヽ そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
ノ ' / ノ:::::`ー-、___/::::://
ヽ }
_/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::...
イ もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…
▲
ウィキペディアより
関西では今もなお「神戸市民6000余名をイデオロギーで殺した大量虐殺犯」と村山を批判する声が根強い.
実際には即死者が9割以上だったと言われている.
しかし敢えて指摘すると,生物的な死と,社会的な死とは違うと指摘できる.
生物的,心肺停止なり呼吸停止なり,その人が生命活動を止めた状態を見れば即死,という概念なら,
「イデオロギーで殺した」
ということにはならない.
しかし,人間は生活するために他者との交流を積み重ねた社会を構成する一員だからこそ,そのなかで誰かが死んだとき,その不存在を確認する行為,葬儀・埋葬を行うことで,彼が社会から居なくなった損失に向かい合う.
震災の場合,社会を構成する人がその死を受け入れるには,その人の死体が見つかるか,その人が確実に居たところに,死亡するに値するような自体が発生した場合,例えば声がするところに火の手が回ったなどで,確認されなければならない.
その場合には,生物的死亡から社会的死亡まで時間の幅がある.
死体が見つかるまで,或いは遺骨が見つかるなどだ.
生物的に死んでいても,社会的に死んでいない状態として「行方不明」を指すことからも,即死だからといって,
その死体を放置することは許されない.
死体になった人の家族や友人は,間違いなく彼の安否を気遣っている.
その人の安否を確保することは,自衛隊の救出活動の一端であって,彼が死んでいたとしても,それを明らかにすることで,それが社会に確認される.
こうして社会的な死がもたらされることを考えれば,自衛隊の活動が迅速であったなら,その時間差を産むことは無かっただろうと考える.
軍事板常見問題の指摘通り,確実に生存者を救出できたとは思わない.
それでも死体を探しだすことも,社会生活として必要だったと考えれば,火災あったの長田区で何体かの亡骸を探し出せたと思うよ.
( ´U`) 以上,おいらの妄想でお送りしました.
「全米が泣いた,首相が厨過ぎて」(NYタイムズ紙,うそ)
【質問】
震災直後からの村山首相の動きは?
【回答】
第三書館『そうじゃのう』(村山富一著)によりますと(P.89以下)
地震の発生は偶然テレビをみていてしった.朝の6時のニュースを習慣としてみていたのが良かった.
官邸には危機管理のための当直はいなかった.
災害担当の国土庁にも当直はいなかった.
警察庁からきている秘書官(危機管理担当)が親元で不幸があって地元に帰っていた.
村山首相が官邸に出たのは8時.
自衛隊に出動要請が兵庫県から出たのは10時.官邸としては地元でさえ,よく分からないときに官邸から指図するわけにもいかないとして,いろいろ情報確認作業に追われるばかりだった.
地元に総理が飛ぶということは,かえって警備とかなんだとかで地元に負担をかけるし,現場に総理がいったからといって何が出来るわけでもなく「遠慮した」.
こんなところでしょうか.
塩津計 by mail
【質問】
阪神淡路大震災の情報は,首相へはいつ,どのように伝わってきたのか?
【回答】
本人の言によれば,最初に首相が地震を知ったのは,朝6時のNHKのニュースで.
5W1Hを多少なりとも伴った具体的情報がもたらされたのは,10時近かったという.
以下引用.
当時首相であった村山富市氏は『朝6時のテレビのNHKニュース』(村山富市インタビュー『そうじゃのう,,』)で震災を知ったという.
政府機関の中で最初に震災の情報を得たのは気象庁である.6時5分気象庁火山地震部から災害を所轄としている国土庁に
「京都など震度5」
という地震情報第1号が届けられるが,阪神淡路のことには何も触れられていない.
6時19分,ようやく
「神戸,淡路島は震度6」
という地震情報第2号が国土庁・消防庁に届く(震度は実際には「7」であるが,震度を測定する機械の針が振り切れ,6以上の震度を測定できなかった).
国土庁から首相官邸に情報は迅速に届けられるはずであった.
しかし,当時国土庁には担当の当直がおらず,首相官邸に震災の発生を伝える第一報は,警察庁から出向していた総理秘書官によって7時30分にようやく伝えられる.
この秘書官が父親の葬儀に立ち会うために北九州に帰郷していたことも,報告が遅れる結果となったことは否めない.
この秘書官から村山首相に伝えられた情報は,地震の発生,被害が相当大きくなりそうというものでしかなかった.
村山首相は8時26分,官邸入りするが,首相官邸には誰も居ない.
村山首相は9時19分,記者に対して
「だんだん被害は大きくなっているようだし,非常対策本部の設置も考えなくてはならないな」
とのコメント.
9時50分,警察庁より
「死者22人,負傷者222人」.
9時55分,
「兵庫県で生き埋め223人」
との報告をうけるが,10時4分定例閣議に出席.
11時,国土庁で開催された「災害対策関係省庁連絡会議」で「消防庁震災対策指導室」より
「死者1名,負傷者55名」
といった報告を受ける.
11時5分からは21世紀地球環境懇話会に出席.
12時7分,政府与党首脳会議に出席.
14時7分から,3日後に控えた国会の施政方針演説の検討会を開く.
『執務室にいた村山首相に至っては,テレビさえ点けていなかったという事実がある』(麻生幾『「情報」官邸に達せず』).
村山首相が消防庁長官に
「制度や法律に構わず,やらなきゃならんことはやり尽くせ」
と言ったのは,事件発生からおよそ10時間後のことであった.
上記を読んで驚くべきは,村山首相自ら能動的に情報を求める動きが,何も見えてこないことである.
朝のテレビを見ていたのなら,相当の惨事になっているだろう事は容易に想像できるはずなのに,定例閣議だの,21世紀地球環境懇談会だの,政府与党首脳会議だのといった,震災そっちのけの動きが並んでいる.
佐々淳行は,こうした情報収集上の無策ぶりを,清国を滅ぼした官僚主義のごときものだと批判している.
以下引用.
危機管理にとってもっとも恥ずべきは,野球で言えば「見逃しの三進」つまり「何もしないこと」,「不作為」「無為無策」「不決断」である.
〔略〕
「派手なほうがいいというものではない」
という消極的な姿勢では,「国民の生命・安全と官僚の保身を秤にかけているのか」
と問われても仕方あるまい.
「待ち情報」――報告がないと腕組みしている「北京大官(マンダリン)主義」(清国を滅ぼした官僚主義のこと),
「要請主義(自衛隊法83条1項の知事の要請がないから出られない〔「出せない」の書き間違いか? 編者注〕という姿勢)
「査定主義」(予算要求を一々査定して削る財政当局の姿勢),
そして「決断」をしないで「決済」しようとしていた役人感覚が,より多くの死者を出し,より多くの家を焼失させたのではないか.
「最善の措置」答弁の背景には,「作為」すなわち情報収集し,情勢判断し,決断し,指揮命令することから生じる不測の結果責任を避け,「天災地変」「不可抗力」だから「不作為」でいることがより安全であると判断した,退嬰的な「北京大官主義」が濃厚に感じられるのである.
「危機管理宰相論」(文芸春秋,1995/12/15),p.147-148
少なくとも,情報収集に関する村山首相の感覚は,市井の一般市民よりも鈍かった,と言わざるをえない.
先に引用したサイトも,村山首相の「情報不収集」責任について言及している.
私は村山首相に全面的ではないにしろ,部分責任があると考える.
確かに危機管理システムの構造的欠陥があったことを認める.
しかし,システムが予想した以上の事態が起こった場合に,システム内の規則を破ってでも国の組織力を緊急に動員する権力があったのは村山首相以外に誰も居なかったのである.
情報が来ないのであれば自らが指揮して情報を集めることができたのではないか.
7時30分に総理秘書官から連絡があったとき,総理自ら積極的に情報収集を指揮することは容易ではなかったのか.
災害の様子が分かるまでという条件付きで,17日の予定を全て保留し,事態に即応できる体制を整えておくことは可能だろう.
いわゆる「禿同」.
ちなみに,民間はどうだったか?
シンガポールやバンドンでは,午前9時半〜10時半にはすでに具体的な情報がもたらされていたという.
以下引用.
一九九五年一月十七日,定例の職員朝会(八時二十分開始)の最後に,校長訓話があった.そして,その最後に,「早朝,日本の淡路島,神戸の辺りでかなり大きな地震があったそうです.詳しくは,情報が入り次第,先生方にもお知らせします」という文言が加わった.一瞬,おやっと思ったが,誰もそう驚かなかった.なぜなら,昨年も東京近郊で地震があったし,北海道沖地震(奥尻島他)も同様の発表があったが,それらは被害が小さかったり,被災地が大都市から離れていたため,大きな被害に結びついていなかったからだ.
しかし,時間が経つにつれて,様相が一変した.まず,第一報のファックスが「大至急扱」で外務省通信課から大使館を経由して本校にも送られてきた.
「近畿で直下型大地震,死者七十四名,負傷〇〇名,行方不明〇〇名.十七日午前五時四十六分頃,近畿地方で兵庫県・淡路島を震源とした大きな地震が起き,神戸と同島洲本で震度6(烈震)(略)を記録した」
たしか,十時三十分ころであったと記憶している.震度6といえば,この二十年間以上,聞いたことのない数値である.
※シンガポールと日本の時差は1時間.つまり,日本発信時間は9時半頃.
そうするうちに本社の海外担当者よりFAXが入った.10・30AM発信(現地時間受信8・30AM).
「本日AM5・40,淡路島を震源とした地震が発生し,神戸震度6,京都震度5,神戸地区では高速道路,鉄道の高架部分落下,神戸市内では十カ所以上で火災が発生しております.
この地区への電話もつながらない為,直接連絡が現状不可能です.
大下さん宅の伊丹は,今のところ大きな被害はない様です.
本社(京都)は通常どおり業務を行なっていますが,JRが止まっており,JRを利用している人は出社不可能な状況です.
伊丹地区何らかのニュースがあれば連絡致します.
余震は震度3が二回,7・30,9・30AMに発生しております」
自衛隊のような装備を持たない民間でも,この程度の速度での情報伝達はできたわけである.
村山内閣は言い訳できまい.
なお,
「5千5百余名の死者を出した震災にあって,政治家,首長,官僚,誰一人として辞表を出した者がない」(「危機管理宰相論」,p.32)
んだってさ.
真面目に生きるのが嫌になるね.
【質問】
森喜朗によると,震災時に,知事からの要請があればいつでも出動できるよう隊員が基地に集結していたのは
,村山首相の指示によるものだそうですけど?
その知事にしても震災の混乱の中にあっては,庁舎までたどり着くのも一苦労だったそうですし.
該当する本を持っていたので,以下引用.
[quote]
――ところが,95年1月に起きた「阪神・淡路大震災」で,「政府の対応が鈍い」と批判されました.
森 あの批判はおかしい.村山さんが可哀想だよ.
たとえば自衛隊を迅速に動かさなかったと言われたけれども,自衛隊は首長の要請がなければ勝手に災害救助のための出動はできない.
そして,関西は共産党をはじめ自衛隊に批判的な勢力が強いから,知事たちが出動を要請できなかったんですね.
それ以前に,あの地震のときは,知事さんや市長さんたちもそれどころじゃなかったと思うんです.
――あの時は完全にブラックアウトですからね.まともに連絡もとれなかった.
森 そうだった.
しかし,自衛隊はすぐ出動できるように集結していたんです.
それは村山さんの指示でやったんで,村山さんが自衛隊を出すことをためらったとか,そんなことは絶対ないです.
[/quote]
―――『森喜朗 自民党と政権交代』(森喜朗著,朝日新聞社,2007/10/30),p.184-185
【回答】
ダウト.
自衛隊の出動態勢は自衛隊内部の判断による自発的なもの.
村山はニュースで被災地の映像が流れるまで,指示どころか事態の深刻さすら認識していなかった.
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阪神・淡路大震災における活動
災害派遣要請
要請時刻一覧
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/5761/hannkatu0.html
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日経新聞 2005年1月17日
このインタビューより当時の状況を推察すると,官房長官や副長官は自衛隊の出動を督促していたが ,村山は当初,自衛隊の出動を考えていなかった.
17日午後3時消防庁長官から死者300人の情報が入り,必要なことを(自衛隊の派遣も含めて)すべて行うよう指示したとなる.
このインタビューは村山本人が当初,自衛隊の出動を考えていなかったと証言している点で重要である.
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
〔自衛隊において,〕個別の災害に対する計画が出来たのは,ここ数年のことです.
それまでは一般的なレベルで
「これくらいの災害が起こったら,駐屯地等へ」
といったレベルの基準が,「各部隊ごと」(師団レベル)にあっただけです.
そして,その各部隊の基準による集合指示(いわゆる非常呼集).もしくは自衛官個人の判断での自主登庁で対応していました.
阪神の際もそれによって非常呼集がかかっただけと認識しています.
村山首相の指示・・・八百屋で売ってるんでしたっけ?,ソレ.
Cpt.hige in mixi,2008年05月18日 00:21
【質問】
阪神淡路大震災でとるべきだった初動体制は?
【回答】
まずRFファントムによる偵察飛行.
ただし,これには1回につき何百万円という燃料代がかかり,現場では逡巡するだろうから,責任ある地位の人物が
「飛べ.経費は心配するな.1時間おきに撮れ」
と言わねばならない.
1985年の御巣鷹山日航機墜落事故では,ファントムを飛ばし,中曽根首相がヘリも飛ばせと遠慮会釈なく注文をつけた.
そして,その情報を前提に,自治体に対して官邸から自衛隊派遣要請を出すよう働きかける.
同時に,官邸には実力部隊を掌握している関係省庁局長級を集め,内閣法第12条の調整権に基づいて内閣官房長官もしくは自治相をして指揮をさせる(事態が収まって復興段階に入ったら国土庁長官に交代させる).
内閣五室からは要員約10名を選抜し,中央指揮所を官邸内に設ける.
内閣広報官は首相をテレビ出演させ,激励の演説をさせる.
消防に関しては,水がないのはすぐに分かった事なのだから,憲法第29条および消防法第29条を根拠にして,化学消防と破壊消防を早期に実施させる.
詳しくは佐々淳行著『危機管理宰相論』(文芸春秋,1995.12.15),p.165-174を参照されたし.
【質問】
阿部知子の発言がアホなのは事実だけど,自民単独内閣だったら〔村山内閣より〕もっとましだったわけ?
【回答】
話がまったく食い違っていますね.
これまでの流れは
「阿部自衛隊批判
→責任はてめえのとこの親玉だろうが! 何擦り付けてるんだ!
→それでも村山は悪くない
→自民だったらましだったのか」
とりあえずは自衛隊に対する謝罪が先だと思いますがね.
それに少なくとも,自分が自衛隊の長であることを知らない人よりはまともなことをできたと思いますし.
三毛招き in 週刊オブイェクト・コメント欄 at 2007年01月28日21:22
そもそも,その命題は「歴史のif」に属します.
ジョゼフ・S・ナイ教授によれば,歴史のifを議論するには,
(1)信憑性
(2)時間の近接性
(3)理論の関連
が必要だとされていますが,当時,首相になりえる可能性のあった自民党政治家全てについて,何ができたか,何をできうるだけの知識があったかを探るのは全く不可能でしょう.
タイムマシンでもあるならいざしらず,当時まで時間を遡って知識テストをやるわけにはいきませんから.
有力な傍証・証言でもあれば別ですが,そのようなものがない状況で,上記命題を議論するのは無意味でしかありません.
なお,念のために申し上げれば,
「社会党の村山首相に不作為の責任があったかどうかを検証する上で,村山自身のイデオロギーがどこまでその判断に影響したか」
を考察することと,
「自民党ならどうだったのか」
を考察する事は,似て非なるものです.
その点,お間違えなきように.
それでも,少ない材料の中であえて言うなら,自民党単独政権ならなんぼかマシだっただろう可能性は比較的高い.
その理由の第1は,災害緊急事態の布告を村山首相が躊躇し,法的根拠のない非常災害対策本部程度のもので対処したことである.
そのまずさについては,以下のように述べられている.
5,国民の緊急事態意識について
仮に,完全な緊急事態の法制・システムが出来たとした場合,それは機能するか,という問題がある.
阪神大震災で,なぜ災害緊急事態の布告をしなかったか.
国土庁は,災害緊急事態とは,関東大震災規模のものを想定していると答えている.しかし,死者5000人が出た阪神大震災を,なぜ「極度の激震災害」と判断しなかったのか.
システムが在っても,「だれが判断するか」,「どういうタイミングで判断するか」ということに慣れていない,勇気が無い,責任が取れないから,総理大臣が指揮権を持たない非常災害対策本部レベルのシステムで対処してしまった.
また,当時国土庁の役人は,村山首相が通常日程をこなすことを重視しており,緊急事態だという意識が足りなかった.まさに,人間の問題,意志の問題である.
交通渋滞やマスコミ・ヘリの上空乱舞という事態を法的に規制できず,救難活動に大きな支障をきたさせたことは,この指揮権のないシステムがもたらしたものと言っていい.
事実,当時の中部方面隊総監,松島悠佐は次のように述べている.
緊急物資の総合的な輸送統制というような問題こそ,総理や閣僚が主導性を発揮してトップダウンで実施しなければできないことであり,こういう点にこそ政府の危機管理機能を発揮して,混乱した状態を解決してやらなければならない1つの例であろう.
『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(時事通信社,1996.6.15),p.204
一方,その前の三原山噴火では内閣の強いリーダーシップが発揮されている(これも土壇場でのものではあったが).
その三原山災害の後,強権を批判したのは,その当時の野党である.『危機管理宰相論』において,佐々淳行がこれははっきり述べている.
ゆえに,阪神淡路大震災における対応の「後退」は,村山政権固有のものと見るほうが自然である.
理由の第2は,村山首相がそもそも自衛隊投入を考えていなかったことである.
日経新聞 2005年1月17日のインタビューによれば,官房長官や副長官は自衛隊の出動を督促していたが村山は当初,自衛隊の出動を考えていなかったという.
現場において痛感された事は機材不足と人員不足である.
そのようなときに,首相の消極姿勢がどのようなマイナスをもたらしたのか,言うまでもなかろう.
これまで大規模自然災害時に,自衛隊投入をためらう首相が一人としていなかったことを考えると,この点も村山首相固有の問題であると推測される.
傍証もある.
社会党自体が「自衛隊派遣」や「非常事態宣言」を忌避していたのではないかと推測できる証言がある.
神戸にいて被災した高見裕一衆院議員(新党さきがけ,当時)は次のように記している.
アドレス帳を何枚かめくってみると,幸いにも衆議院議長公邸の番号を発見することができた.
「そうだ,土井さんだ.
土井さんは芦屋,西宮あたりが中心の地盤だったはず.
地元の人なら必ず切実感をもって動いてくれるに違いない」
と考えたのだ.
衆議院議長ならばできるということも,必ず幾つかあるはず.
そして何よりも地元の方だ.
すがる思いで議長公邸の番号をダイヤルした.
ちょうど午前8時くらいのことだったと記憶している.
電話に出られたのは秘書官の方のようだった.まだ議長は来ていないという.
私はいささか苛立ちを覚えていた.
「まだ来てないのか.今はどこに?」
「ちょっとわかりかねます」
「どこでもいい,大至急探してくれ.
神戸で大地震が起こったとそう伝えてくれ.
そして,議長として打てる限りの手を打ってくれ.
ラジオで言っているような状況じゃない.
そう伝えてほしい」
電話を切った私は,再び弓場線へと戻った.
高見裕一著『官邸応答せよ』(朝日新聞社,1995.4.10),p.61
土井たか子が「議長として打てる限りの手を打っ」た形跡は,知る限りどこにも見当たらない.
本書にもその後,土井は登場しない.
高見は次のようにも書いている.
ちょうど弓場せんの中央分離帯に立って,やや絶望を感じながら周囲の状況を見回していたとき,コートのポケットの中で携帯電話が鳴り始めた.
「おーい,高見君か.なんか神戸で地震があったそうやないか.どうしてんのや,大丈夫か?」
どこかで聞いた覚えのある野太い,しっかりした声が耳に飛びこんできた.
「五島ちゃんか!」
社会党の衆議院議員・五島正規さんから電話がかかってきたときは,正直「救われた」,そんな思いがした.
五島さんとは夜中,議員宿舎の部屋を行き来して,話し込むことがよくある.彼と私は「同じ議員宿舎の屋根の下」に住んでいるのだ.
昨年の9月には,あの大量虐殺のあったルワンダの調査にも一緒に行った仲.そのときの正式な報告書を共に仕上げた友人でもある.
地震をニュースで知り,電話をくれたことはうれしかった.
そして何より,気心の知れた近しい国会議員を通じて東京へ情報を伝えることができるという安心感は大きかった.
「すまん,頼みがある.すぐ官邸に電話してな,国家非常事態宣言,出してもらってくれ」
「なんや,それは.どうしたんや.死人でも出てるんか」
「死人でも出てるんか,なんてもんじゃない.今おれがここに立って見渡せるところだけでも,死んだ人とけが人と,20や30は転がっているんだ!」
何とか,1分1秒でも早く,官邸に連絡をとらなきゃ行けない.
早く自衛隊を,早くヘリコプターを,重機を,クレーンを……,その思いを永田町に届けることができる.
五島さんには必死で話をした.
その私のすぐ後ろでは,大きく崩れたJRの高架が道をふさいでいる.
「何百メートルにもわたって,JRの高架がガタガタに崩れているんや.ここに電車が来たら,いったいどうするんだ.
そこいらじゅうから,煙突千本も合わせたような煙がもうもうと天を覆っている.いったい何軒の家が焼けているのかわからへん.
とにかく急いでくれ!」
JRの高架が何百メートルにもわたって恐ろしいほど崩れている.そう言ったとき,五島さんは初めて,
「えっ? ほんまかいな」
と反応してくれた.
彼の口調が急に真剣で,緊張したものに変わっていったのだ.
この国に「国家非常事態宣言」などというものがあるのかどうか,そのときは考えもしなかった.
しかし,これが非常事態でなくして何だ! 単純にそう思い込んでいたのだ.
「頼むぞ.この惨状を伝えてくれ.ラジオで言っていることとは全然違う!」
「よっしゃ,わかた! すぐ官房長官に,首相官邸に電話する」
電話の向こうで,彼の大きな声が返ってきた.
電話を切ったのが午前8時半ごろ.
相変らずポケットのラジオからは
「死者も出ている模様……」
というようなアナウンサーの声が聞こえてきていた.
同,p.64-66
本書にその後,五島は登場しない.
以上の諸点により,あくまでも大雑把な推察ではあるが,
「村山内閣でなかったなら,少しはマシだっただろう」
と愚考する次第.
そもそも,
「震災のショックが大きすぎて,二人きりになると辞めたいという.『首相の資格がない,限界だ』というのを,なだめすかして,何とか続けさせた1年(95年)だった」(田中秀征
in 「総理の座」)
というようなヘタレが,分不相応に総理になりたいとか思う点で既にどうかしている.首班指名を受けた時点で辞退すべきであった.
余談だが,後に村山は自衛隊合憲論すら撤回している.
首相時代に掲げていた「合憲論」の本気度が透けて見えるエピソードである.
社民党,「自衛隊は違憲」党宣言で方針転換へ
社民党は2日午前の常任幹事会で,自衛隊を「現状,明らかに違憲状態にある」と明記した「社民党宣言案」を了承した.
同党は1994年の社会党時代に,それまでの自衛隊違憲論から合憲論に転換したが,今回再び違憲論に方針転換する形だ.宣言案は12日の党大会で採択される.
宣言案では,違憲状態にあるとした自衛隊を「縮小を図り,国境警備,災害救助,国際協力などの任務別組織に改編・解消して非武装の日本を目指す」とした.
社民党が,違憲としていた自衛隊を合憲と認めたのは,自民党,新党さきがけと連立政権を組んだ社会党時代の94年7月.同党出身の村山首相が「自衛のための必要最小限度の実力組織である自衛隊は,憲法の認めるものである」と国会で答弁した.
今回再び,自衛隊を違憲とする理由について,社民党は「自衛隊はイラクやインド洋に派遣されるなど,94年当時と比較して大きく変質し,必要最小限度の実力組織の枠を踏み越えている」と説明している.
〔略〕
2006年2月2日12時13分,読売新聞
【質問】
阪神淡路大震災の際,村山首相が設置した「緊急対策本部」は,どこに問題があったのか?
【回答】
法的に定められた「緊急災害対策本部」ではなかった点.
災害救助の初動措置として最も必要だったはずの,強制力を伴って首相のリーダーシップを執行できる権限が,「緊急対策本部」には何らない.
ちなみに1/23,新進党からの野党質問に対し,村山首相は緊急災害対策本部を設置する必要はないとの考えを示した上で,
「最善の措置を講じたと,確信をもって申し上げる」
と答弁している.
詳しくは佐々淳行著『危機管理宰相論』(文芸春秋,1995.12.15),p.140-148を参照されたし.
【質問】
自治体からの災害派遣要請が遅れたのは不可抗力だったか?
【回答】
出そうと思えば要請を出せたはず.
***
当時現地にいたから知っていますが,当日の兵庫県庁と神戸市役所(いずれも三宮近くにあります)は,自身も被災の被害を受け,機能不全に陥っていました.
出勤できた職員も現場レベルでしか動けませんでした.
また,お恥ずかしい話ですが,兵庫県と神戸市は国内でも名高い反自衛隊思想に牛耳られた自治体で,他の自治体とは違い,平素からの自衛隊との交流はほとんどありませんでした.
実務レベルで自衛隊とのルートを持っていなかったとも聞いています.
とはいえ,知事や市長が現場を見て「こりゃあかん」と思えば,災害派遣要請は7時までにできたはずなんですよ.
当時の,見渡す限り建物が崩れていて,あちこちで火が出ている現場を見れば,誰でも「警察と消防では無理や」と思うはずです
ここんとこ,多くの方が見落としてる部分なんですよね.
自治体の首長は直接選挙で選ばれた大統領なので,その意思決定は首相よりも強いんですよ.
すなわち,震災死者の数が増えた最大の原因は
当時の貝原知事(元自治官僚),笹山神戸市長の危機管理能力・意思の欠如
にあるんです.
そして,出動命令を適時に出すことすらできない意思決定能力がない人物がトップにいたことです.
阪神淡路大震災問題の本質は,あまりの被害に我を失ってしまうようなリーダーを抱えた自治体住民の悲劇であり,無能な最高司令官を抱えた自衛隊(軍)の悲劇,なんですね.
この震災はこういう形で受け止めなきゃいけないと思います.
でも,そんな視点どこからも出てません.
12年も経ってるのに.
ちなみに,
http://www.abetomoko.jp/
では,自衛隊は現場で頑張ったとか,自治体職員も被災したとかいっています〔改変後に〕けど,そんなことは誰でも知ってることで,国民の間では常識です.
そんな話で,国政政治家がお茶を濁してはいけないでしょう.
ことの本質である「トップの意思決定」について触れるのが,国政政治家レベルの見識でしょう.
被災者として思うのは,
自衛隊に早く来て欲しかった.
ということです.
実際に救助が思うようにいかなくてもいいんです.
自衛隊が来てくれた.
それだけで,住民はどれだけ安心し・納得できたことでしょう.
それを妨げたのが革新思想から逃れられなかったわが自治体であり,社会党(現社民党)の首相周辺でした.
最後になりましたが,わが自衛隊が風呂を提供してくれたこと.真冬に家を失った被災者には,これが最大のプレゼントでした.
今でも感謝してます.
エンリケ航海王子 in おきらく軍事研究会,平成19年(2007年)1月24日
さらに,こんな話もある.
政府・官庁の拙劣な対応が被害を大きくしたという声が外国のマスコミからもあがり,国土庁防災局の伊藤防災調整課長が一月二十六日に,外国特派員向けに記者会見を行った.
その中で地方自治体の対応遅れに対し,政府としてもっと手を打てなかったのかという質問に,伊藤課長は
「自治体の意思を圧殺するのは,戦前の軍国主義復活を求めているように聞こえる」
と答えた.
「何千人も死んでいるのにそれでいいのか」
という外人記者の声に
「私は評論家の相手をしているヒマはない」
と怒鳴りつけて,席を立ってしまったという.
おいおい,「軍国主義」って……
【質問】
阪神淡路大震災での貝原・兵庫県知事の自衛隊出動要請の遅れは,やむをえないものだったのか?
【回答】
そうとは言い難い.
8時10分には自衛隊からの要請催促さえあったが,知事は決断できずにいたという.災害を目の当たりにしていたにしては,適正な判断とはとうてい言えまい.
また,日頃からの自衛隊との意思の疎通もなかったという.
それどころか,自衛隊からの共同訓練や連絡調整の呼びかけを拒否してさえいたという.
以下引用.
兵庫県知事が自衛隊に出動要請したのはようやく10時であった.
災害時の自衛隊派遣要請は,被災地の市町村長の求めに応じて知事が行うと決められているが,通信が途絶し,
「早急に応援を要請しなくてはと考えていたが,決断に踏み切るだけの詳しい情報がなかった」
と貝原知事は語っている.
8時10分には逆に自衛隊側からの要請督促があったが,決断できずにいた.
しかし自衛隊に応援を求める事自体が,それほどの「決断」なのだろうか.
その2年前の北海道南西沖地震では,発生18分後に最大の被災地である奥尻島との連絡がとれないまま,北海道庁は自衛隊に派遣要請を行い,多くの人命救助を果たした.
今回とまったく同じ状況である.
北海道の18分と兵庫県の4時間13分との差に隠された「真実」がある.
■3.黙殺されていた自衛隊の共同訓練の呼びかけ■
そもそも災害出動を迅速に行うには,日頃から自治体と自衛隊との間で意思の疎通を図っておく必要がある.
それが出来ていれば,たとえ状況が不明でも「とにかく頼む」「よし分かった」と,あうんの呼吸で迅速な出動ができるのである.
そのために多くの自治体は,毎年9月1日の防災の日に自衛隊との共同訓練を行い,日頃から密接な連携を築く努力をしている.
ところが関西の各自治体は自衛隊が日頃から共同訓練や連絡調整を呼びかけても,「結構です」と拒否していたのである.
自衛隊幹部の間では「関ヶ原を過ぎると寒くなる」という言葉があるそうだ.
関ヶ原以西の関西地方の自治体とはつきあいがまったくなかったという.
■4.予測されていた被害状況■
関西には地震がないと言われていたが,自衛隊の準備に怠りはなかった.
京阪神地域で震度5〜6の地震を想定して,被害状況を推定する調査書を作成している.
それによると,特に神戸市などは木造家屋の密集している地域が多く,建物の倒壊と火災により兵庫県全体で被災者38万5千人と予測している.
今回の被災者数は31万6千人であり,大災害は正確に予見されていたのである.
さらに調査書では兵庫県の災害救助の体制が不備であることを指摘し,冬季には40万枚必要な毛布が2万3千枚しかないこと,煮炊き不要の食料備蓄がほとんどないこと,給水車や緊急病院の能力不足など,具体的な問題点を列挙している.
自衛隊はこの調査書をすぐに関西地区の各自治体に直接持ち込み,協議を提案したが,黙殺されている.
自衛隊の松島中部方面総監は,ある週刊誌とのインタビューでこう語っている.
「やるべきことは全部やって,その上でこれしかできなかったというなら,ある意味であきらめもつきます.
だけどね,やることもやってなくて・・・と思うと,死んだ方に対して人間として申し訳ないと思ってしまうんです.
特に人命救助というのはですね,助けに行った人間が痛切に助けてやりたいと思うんです.
そして現場にいて助けてやれなかった時,さらにもう少し早く着くことができればと思える時,どうしても悔しさがこみあげてくるものなんです」
これでは,「知事はイデオロギーの虜となっていた」という批判も説得力を持ってしまうだろう.
【質問】
自衛隊と被災地機関との連絡状況はどうだったのか?
【回答】
伊丹第3師団司令部から兵庫県庁・県警本部へは全く不通.防災無線,NTT共に駄目だった.
神戸市の災害・警備を直接担当する,姫路市駐屯の第3特科連隊でも,同様の状況.
同連隊では07:30,連絡班を県庁に派遣したが,交通渋滞を考慮して3個の班を別経路で派遣したにも関わらず,山側から行った組は,県庁到着が14:00過ぎ,海側から行った組は,21:00頃の到着となってしまった.
電話連絡では0810,県庁の野口防災係長とつながったが,
「災害対策本部を開設したばかりで被害状況は分からない」
との旨.
その後電話は再び不通となり,再度つながったのが1000頃.
連隊警備幹部「この電話で,災害派遣の要請があったと受け止めてよいでしょうか」
県防災係長「よろしく御願いします」
というやりとりで,連隊は行動を開始した.
なお,神戸市は防災訓練でも「自衛隊は来なくて結構」という自衛隊アレルギーの強い土地柄だったため,同連隊は殆ど神戸市内に入った事がなく,そのため地理不案内で,救難活動に支障をきたしている.
淡路島を担当する,姫路市駐屯の第3高射特科大隊では,師団にヘリを要請して,情報幕僚を被災現場に派遣.
1020,一宮町役場に到着したが,役場では,被害はあるものの「災害派遣の必要はない」.
次いで,北淡町に行き,「災害派遣を要請したい」との返事を貰う.
しかし携帯電話が不通で,情報幕僚から大隊に電話が通じたのが昼過ぎ.
各府県の被害状況が確認できたのは最終的には11時過ぎ.
各府県とも,職員が8時半頃に出勤し,それからやっと連絡がとれ,警察への照会・確認をとって被害状況を通報してもらった.
夕刻になっても県も市も警察・消防も自身が被災者となって混乱,通信も途絶してお互いに連絡も取れず,ときおり連絡がとれても状況は分からず,部隊の移動・展開や人命救助活動に必要な情報はどこにもなかった.
災害派遣要請をした後においても,自衛隊・警察・消防の連携は取れていなかった.
県の災害対策本部に派遣されている自衛隊連絡幹部に対し,県側からは何の連絡もなく,県警からも直接被害情報は入らなかった.
このことは派遣要請の遅れよりも重大である.
その原因の一つには,自治体と自衛隊とが普段から殆ど接触がなく,その背景には自衛隊に対するアレルギーがあったと考えられる.
詳しくは,松島悠佐著『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(時事通信社,1996.6.15),p.6, 15-16, 23,
32, 39, 54 & 178-183を参照されたし.
その弊害について,同書では次のように述べられている.
県側の窓口は普段からの縦割り行政そのままであったため,同じことを複数の部局と調整しなければならず時間がかかる上に,それぞれの部局の要求が対立したときに,それを纏める機能が充分ではないため,結論が出ないことがしばしばだった.
そこで県側の窓口の一本化を強く求めて,次第に窓口の整理統合を進めてもらってだんだんに調整がスムーズに行われるようになってきた.
さらに県側も自衛隊側も,相手の顔が分かってきて,この問題は誰と調整すればうまくいくかが分かるようになってきた.
しかしそのために,約1週間を要し,救援活動の初期に種種の混乱を生じたことは残念であった.
松島悠佐著『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(時事通信社,1996.6.15),p.141-142
致命的な1週間と言えよう.
【質問】
自衛隊の出動が早ければ,阪神淡路大震災の死者6000人のうち,半分くらいは救えた?
【回答】
残念ながら,9割以上は即死だったので,それはないかと.
まず,即死の定義.
http://q.hatena.ne.jp/1121848507
これを見る限り,1時間以上経過しての死亡は即死とは呼ばなそうです.
で,午前6時まで(14分)に近い15分以内の死亡を即死と考えて,ググってみました.
キーワード「阪神・淡路大震災 即死 15分」
即死率が出てきているページは最初の10件中6件.
a)即死90%以上説
(1)http://web.pref.hyogo.lg.jp/governor/gov3_00000017.html
(2)http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/doboku/jutaku/mokuzo_shindan_sokusin/index.html
(3)http://www.scopenet.or.jp/main/products/scopenet/vol07/snet07_06.html
b)即死80%説
(4)http://www.ynet.co.jp/~yokohama/forum/2005/20050924_r.html
c)即死60〜65%説
(5)http://www.tokyo-machidukuri.or.jp/machi/vol_34/m34_08.html
(6)http://www.city.yokohama.jp/me/machi/housing/minju/mokukin/can.pdf
かなりばらつきがありますが,即死90%以上説が半数を占めています.
しかし,(1)と(3)は,どちらも河田恵昭氏の言である事に注意.
この(3)の『5.3 災害医療』の章に,
「兵庫県南部地震による,被災者の死亡推定時刻に対する神戸市観察医検案分の2,416体のうち,午前6時までのおよそ15分以内の比率は90%を超えている」
との記述から,90%超説の母数は,2,416体っぽいですね.
なお,(5)の65%説の母数は,5,530件です.(他は母数の表記なし)
例えば
[『阪神・淡路大震災 神戸大学医学部記録誌』神戸大学医学部(1995/12),p.121]☆
には
◇[参考]監察医及び日本法医学会派遣医師によって検案された死体のの内,「93.6%が1月17日午前6時まで,17日中には99.6%が死亡したと推定される」としている.
臨床医が記載した死亡時刻が,死亡推定時刻ではなく,死亡確認時刻である場合が含まれているため,これを除いた検案分から集計したもの.
とあり,また,
http://www.hyogo.med.or.jp/EQDOTA.htm
では,
地震当日である1月17日の午前に4,461人(81.3%),午後も合わせると5,175人(94.3%)と,ほとんどの犠牲者が地震当日に死亡していた.
と述べられている.
さらに,
財団法人阪神・淡路大震災記念協会公式サイトの資料3ページ
では,
「93.6%が1月17日午前6時まで」との記述があるが,これは「監察医及び日本法医学派遣医師によって検案された死体のの内」(誤字は本文まま)との但し書き付き.
http://www.e-quakes.pref.shizuoka.jp/data/toukei/passport/p11.htm
では,即死と呼んでいいのは,圧死・窒息死(83.7%)とショック死・出血死(2.0%)だけのように思えます.(圧死・窒息死の全てが即死とも思えませんが)
週刊オブイェクト・コメント欄 at 2007年01月26〜29日
なにぶん6時以前の発生だったもので,起床する間もなく倒壊した家屋や家具の下敷きに,というのが,典型的な犠牲の例として多かったようです.
不幸な事に,台風への備えとして当地の家屋は『瓦が重たい』ものが多かったことも,倒壊した家屋で圧死するケースの多発を招いたと言われています.
くわえて当時,『関西では地震は起きない』というのは,皆の認識としてごく“当り前”の事であったというのも,日頃からの防災訓練にあまり身が入らなかった事の一因であるとは言われています.
guldeen in 週刊オブイェクト・コメント欄 at 2007年01月26日01:57
震災犠牲者のおよそ70%は震災の直接被害により死亡し,その90%は24時間以内の死亡であっただろうと推測されています.
すなわち,犠牲者を減らせるかどうかは,最初の24時間以内に,いかに多くの被災者を発見し救命できるかにかかっていると言えます.言い換えれば,初期被災者救出とトリアージ*1)が鍵を握っているのです.
震災により病院自体も大きな被害を受けました.多くの病院は,水,ガス,電源システムなどを独立させていなかったため,これらのライフラインを破壊された地区の病院は機能しなくなってしまったのです(当時まだ斬新だった携帯電話は使用可能だった).
339の団体にまで膨れ上がった医師,看護婦,他のスタッフを含む1700人の医療関連ボランティアも,行政の対応の遅れにより宙に浮いてしまいます.
クリントン大統領のほうが当時の村山首相より早く地震の報告を受けたくらいですから.
全体を把握して指示を出すリーダーがいなかったために,ボランティア活動は十分に活かされなかったのが現状でした.
災害時には,被災者の重症度と病院のレベルに応じて処置・治療を適切に振り分けること,すなわちトリアージが大切です.
軽症しか看ることのできない病院に重症者が,重症も看ることのできる病院に軽症者が集中すると,救命できる犠牲者を見すみす失うことになりかねないからです.
地震後初期15日間に6107人の犠牲者が48の地域病院あるいは47の後方病院に入院しています.
そして,全体の38%にあたる2290人が地域病院に入院したあと,後方病院に転院しています.
しかも,救急車を利用した入院は26%であり,他は自家用車か独歩による入院であり,ヘリコプターはほとんど活用されませんでした.
また,後方病院にも自己判断で多くの被災者が詰め掛けました.
後方病院転送基準も曖昧で,必ずしも重症度の高い順に転送されたわけではありませんでした.
事実,外傷やクラッシュ症候群*2)による死亡はむしろ地域病院で高くなっていました.
つまり阪神淡路大震災の被災者に対するトリアージは,ほとんど有効に機能していなかったことになります.
〔著者注〕
*1) トリアージ(Triage)とはフランス語でtrierのことで英語のsort(分類する)に相当します.
つまり患者さんのさまざまな医学的状況を分類することを意味します.
もともとは闘いの際,負傷者を再び戦場に送り出せるか,それとも後方に送りさらなる治療が必要かを判別するために用いられた手法です.
トリアージを考える際,戦場と一般災害との大きな違いは,前者では被害者はもともと若い健康人であるのに対して,後者では子どもから老人まで,さらに基礎疾患を持つ者も含まれ,バラエティに富んでいます.
そしてトリアージを行なう者は人材,装備,システム,病床など多くの要素を念頭に置いてトリアージを実践することが要求されます.
また,完全なトリアージはありえません.70%以上の正解率をもってよいトリアージだったと評価されます.
一般的にはS.T.A.R.T(simple triage and rapid treatment)を基本とし,災害場所付近と病院の入り口でトリアージは行なわれます.
浦島充佳(東京慈恵会医科大学 薬物治療学研究室)著
「ベスト・トリアージで被災者を救え(1) 」:週刊医学界新聞
即死ではなかった数%を救うためにも,自衛隊ができるだけ早く出動したほうがよかったのは,もちろん言うまでもないが.
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