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東亜FAQ目次


 【Link】

小川和久 in twitter◆(2011/12/07)
 日本の集団的自衛権の議論はおかしい.
 集団的自衛権の本質はアテになるかどうか.
 米国の同盟国で片務的でない国は皆無.
 最も双務性が高いのは日本.
 国際平和協力活動は,集団的自衛権の対象ではない.
 隣にいる「友軍」は中国軍かもしれない.
 「任務への攻撃」に反撃するか,救援するか.
 一般論は不可.

「国立国会図書館」:集団的自衛権の法的性質とその発達―国際法上の議論:安全保障の今日的課題(登録日:2009-02-24)(PDF)

『新版 集団的自衛権 新たな論争のために』(佐瀬昌盛著,一藝社,2012.7)


 【質問】
 日本国憲法において,自衛権はどういう経緯で残されることになったのか?

 【回答】
 上部からの簡単な指令では,自衛権も放棄することになっていたところを,当時のGHQの民政局次長チャールズ・ケイディス大佐の一存で,それを残したのだという.
 以下引用.

古森 〔略〕
 ところでケイディスさん,そのいわゆるマッカーサー・ノートですが,本来は日本が単に紛争解決の手段としての戦争を放棄することのみならず,自国の安全保持にも戦争を放棄するというのは,固有の自衛権をも否定してしまうに等しい,と多くの人がこれを解釈していますが.

ケイディス そうです.それだけでなく,(マッカーサー・ノートは)さらに一歩進んで“自国の防衛のためでさえも”,戦争を放棄する,と述べていたのではないですか.

古森 そうですか.私の持っている資料では,“自国の安全を維持するためにも”となっているのですが.もしそうなら,これは固有の自衛権の否定に近いのではないでしょうか.

ケイディス はい,もしそう書かれているならそのおとりですね.
 ただ私は原文は少し違ったふうに記憶しています.
 私の記憶では,“自国の防衛のためでさえも”戦争を放棄する,といった趣旨の記述があったようです.
 この点について私は,道理に合わないと思いました.
 すべての国は自己保存のための固有の自衛の権利を持っているからです.

 だから私が憲法の第九条の草案を書く時,その部分をあえて削除しました.
 だからあなたの持っている資料は,完全な原文ではないと思います.
 私自身がその自衛のための戦争をも否定,という部分をあえて落としたのを,はっきり覚えているからです.
 そのことについてホイットニー将軍から
“君はその部分(自衛のための戦争をも放棄)を憲法原案に含めなかったじゃないか”
と問いつめられました.
 私はそれに対し,
“それが現実的ではなかったから削除したのです”
と答え,
“一国が外国から侵略を受けてもなお自国を防衛することができない,などといかにして主張することができるでしょうか”
と説いたのです.
 ホイットニー将軍は私の言い分にさらに反論しました.
 しかし結局は憲法は(私の主張どおり)マッカーサー元帥によって承認されたのです.
 そして幣原首相らに送られたのです.
 あなたは(マッカーサー・ノートの)完全な本来の原案を持っていないのでしょう.

古森 そうですか.

ケイディス 問題の部分は,“自国の防衛のためでさえも”,あるいは“自国の保存のためでさえも”となっていたはずです.
 いや,“自国の安全保障のためにも”だったかも知れない.
 そうです.思い出しました.
 “自国の安全保障のためにも”です.
 この字句こそがまさに難点だったのですが,故意に削除されたわけです.

古森 で,その字句を故意に削除するということは,あなたがやったわけですね.

ケイディス そうです.私が削除しました.

古森 間違いなくあなたがやったのですね.あなた自身の考えにもとづいてやったのですか.

ケイディス はい.しかし削除した後,私はホイットニー将軍にその旨を説明しました.
“この字句は削除しました.
 なぜなら自分自身を守らない,一国が自国自身を防衛しようとしないと考えるのは,現実的ではないからです”.
と,私はこういう言葉を使ってホイットニー将軍に説明したのです.

「古森義久iza」,2007/06/04/04:28


 【質問】
 憲法9条あっても自衛戦争は出来るの?

 【回答】
 憲法議論は,法学板でどうぞ.
 ただし,「自衛戦争」の自分なりの定義を確認してから行くように.
 単に「自衛戦争」って単語だけだと,解釈次第では太平洋戦争ですら自衛戦争と解釈しうる(矛盾するようだが攻撃的防御・・具体的には自衛のために他国を攻撃してもいいという事)ので,具体的にどのような行動を指すのか明記しながら質問すべし.

 個別ケースから回答すると
・攻撃の徴候をつかんでの先制攻撃は可能か.

→小泉政権下で北朝鮮に対してどうするかという論議が起こったが,結局明確な回答は出ていない.
 もう2〜3発テポドンでもぶっ放さないと議論が進まなさそう.
 可能不可能の法解釈は未だ個人の意見レベル.

・領土侵略に対する反撃

→日本国民が危害を加えられる場合は憲法第二十五条【生存権,国の生存権保障義務】によって可能とか,解釈次第.
 戦争では無く,あくまで国民の生存権を保障する業務だと言ってしまえばそれまでなので,9条違反にならないとも言えるが,記憶する限りその観点から議論された事は無い
(俺の記憶に無いだけの可能性高し).
 無人島や,既に他国民による実行統治が行われているのであれば,竹島のように外交と警察権の問題で捉えられているので,軍事の問題より上のレベルの話.

・海外での他国民に対する武力行使

→ソマリア海賊問題もあって,これから議論するところ.
 実際やってみて目の前で,自国民だけでなく他国民が攻撃されているのを見捨てるわけにいかないので,慎重に討議中.
 現在の麻生政権下で議論が始まったばかりというレベルなので,まだ可能と言う解釈には至っていない.

 最後に付け加えると,軍事行動に対する事前の可否検討は,明確な法解釈が必要なので,軍事レベルではあくまで「法解釈で可能であれば可能」としか言いようが無い.
 法で定められた範囲内での命令に従いますよ,という主従の「従」でしか無いので.
 自衛隊法における防衛出動を命令する時の総理大臣が,どんな憲法解釈をするかとか,海外派遣を行う際の法が,憲法に対してどう整合を取れているか,あるいは整合が取れていないなら憲法を改正するのか,という話になるので,軍事的な話じゃなく,政治や法律の話になるというわけ.

 というわけで,仮に上記に反証されても,軍事的には
「あなたの考えはそうなんですね.法的にそう解釈されればそれに従います.」
としか言いようが無いので,疑問があれば法学板へどうぞ.

軍事板
青文字:加筆改修部分

▼・攻撃の徴候をつかんでの先制攻撃は可能か.

→日本政府には敵基地攻撃論という限定的先制攻撃論が昔からあって,敵による攻撃が明白に迫っており,それを防ぐ手段が他にない場合に敵基地を先制攻撃することは可能であり,それは憲法9条に反しない自衛の範囲に含まれる,とされています.
 このような見解を最初に唱えたのは,1956年の鳩山一郎内閣で,その後も何度も確認されています.

 今行われているのは,具体的に自衛隊にそのような能力を付与するかどうか,という議論.

参考:
解説 ミサイルによる攻撃と自衛権との関係の法的整理について
敵基地攻撃に関する政府見解(国会答弁等)

バグってハニー in 「軍事板常見問題 mixi支隊」


 【質問】
 国連および日本の政府見解としては,「自衛権行使の条件」は?

 【回答】
 防衛庁HPの「憲法と自衛権」によれば,

自衛権発動の要件
 憲法第9条の下において認められる自衛権の発動としての武力の行使については,政府は,従来から, わが国に対する急迫不正の侵害があること.
 この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと.
必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと.

に該当する場合に限られる.
 どこまでこれを拡大解釈できるかは,そのときの世論と政権次第なところはあるけどね.

 国連憲章における自衛権行使の条件は,以下のサイト
http://www.law.ryukoku.ac.jp/~sakai/funsou2003/funnsou2.htm
を参照のこと.
 ま,これも強制力がないので,どうにでも解釈可能な空証文みたいなもん.


 【珍説】
 現行法では,許可があっても,領海12海里に入るまで攻撃開始できない.

 【事実】
 ウソです.
 以下,
http://jda-clearing.jda.go.jp/hakusho_data/2004/2004/pdf/16210000.pdf(PDFファイル)
より引用.

(2)自衛権発動の要件
 憲法第9条の下で認められる自衛権の発動としての武力の行使について,政府は,従来
@ わが国に対する急迫不正の侵害があること
A この場合にこれを排除するために他の適当な手段がないこと
B 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
という三要件に該当する場合に限られると解している.

(3)自衛権を行使できる地理的範囲
 わが国が自衛権の行使としてわが国を防衛するため必要最小限度の実力を行使できる地理的範囲は,必ずしもわが国の領土,領海,領空に限られないが,それが具体的にどこまで及ぶかは,個々の状況に応じて異なるので,一概には言えない.

 【質問】
 領土領海を越えて「個別的自衛権」を主張し始めた場合,そこでの際限のない競争が起こると考えますが,それに対して「ROEを含むグランドデザイン」で対応するとはどの様な意味でしょうか?

タケル in mixi
(軍事学的考察上の必要性に鑑み,
引用権の範囲内で引用しています)

 【回答】
 これに関しては,交戦規定を調べてくださいとしか言えませんね.
「どの場合に,どういう風に,どう対処するのか」
という細かい規定を決めて,それにしたがって,防衛を行う.

 ここで大事なのは「何を守るのか」になります.
 私は,日本と言う国は,資源の大半を他の国に依存している状況ですので,貿易航路の死守が絶対条件となります.

 現状では,アメリカが控えているために,あまり考えなくてもいい状況です(世界最大の軍事国家に喧嘩売る馬鹿はいないから)が,タケルさんが主張する「アメリカ抜きでの自主防衛」だと,そのアメリカと利害が一致しない場合は,争わなくてはならない,
 その覚悟がないのなら,そもそも「アメリカからの脱却」など夢のまた夢です.

ますたーあじあ in mixi



 【質問】
 「国連付託によって,武力行使もやむなしといった状況下」で,各国が「個別的自衛権」を行使して「自国民を保護」し始めたときに,「交戦規定」さえあれば秩序が保たれるとでもお考えでしょうか・・・.

タケル in mixi
(軍事学的考察上の必要性に鑑み,
引用権の範囲内で引用しています)

 【回答】
 論理が飛躍してますよ.
 国連付託が出た場合に「どのような場面で,どのように対処するか」と言ってるだけです.
 それで秩序が保たれるとは言ってません.
 最悪のケースを想定し,それに対する対処方法を細かく決めて,それにしたがって戦略を立てる.
 外交において,目的を定めて交渉するのと同じ意味です.

ますたーあじあ in mixi


 【質問】
 シーレーン防衛など,領土外で「自衛権」を主張し始めたら際限がなくなるのでは?

 【回答】
 純粋に理論的には,たしかにそういう危険性はあります.
 しかし実際問題として,そこには様々な制約が内外に存在します.
 はたして「自衛」かどうかを巡る世論.
 自衛権を主張することを可能にする理論武装.
 主張を貫き通せるための国力(宣伝力,ネゴシエーションのための武力・経済力,その他色々).

 あまりにも理不尽な「自衛権」主張の場合は,国内外からの反発を招き,場合によっては制裁などの不利が生じます.その内容によっては,該当「自衛権」防衛で得られる国益が,制裁などによる不利益を下回るでしょう.

 逆に,日本の貿易路を妨害された場合,日本国民には「自衛権を行使しないので,餓死してくれ」という理屈は通じないでしょう.
 であれば,それは正当な自衛権と言えます
(ただし,正当だからといってその主張を貫き通せるかどうかは,また別問題です.国際政治では,必ずしも正当性が最優先に考慮されるわけではないからです).

 したがって,「際限がなくなる」ようなことは実際にはありえないと言えるでしょう.

ますたーあじあ in mixi(青文字)に加筆


 【珍説】
 自衛隊が在外邦人や企業を「わが国」と認定して「自衛権」を行使するのは,危険な行為です.

タケル in mixi
(軍事学的考察上の必要性に鑑み,
引用権の範囲内で引用しています)

 【事実】
 どの国家も自国の「資産」だと考えていますよ.
 経済学の基礎ですがね.

腹黒紳士 in mixi

 危険な行為も何も・・・国連付託によって,武力行使もやむなしといった状況下だってありえるわけですが.
「自国民には何もしません,お祈りしてますので,あんたら行って助けてね」
と言うことですか?

ますたーあじあ in mixi


 【質問】
 敵基地攻撃論とは先制攻撃のことですか?

 【回答】
 ややニュアンスが異なる.
 これについては,以下のブログにあった解説が分かり易い.

 今朝の産経新聞一面(一部5面)の「敵基地攻撃論」は面白い.「先制攻撃」「予防攻撃」という,いわば軍事常用語を回避して,専守防衛を旨とする日本特有な「敵基地攻撃論」のまやかしを追及しているからである.

 「単純な例え」として,
予防攻撃は「銃を持って立っているだけの相手に発砲すること」,
先制攻撃は「銃をこちらへ向けている相手に先んじて撃つこと」,
そして敵基地攻撃論は「こちらに銃を向けて引き金に指をかけた相手への発砲」
だという.

軍事評論家=佐藤守のブログ日記,2006/8/29

 もっとも,世の中にはどうしたわけか,銃を向けられて引き金に指をかけられていても,
「一発だけなら誤射かもしれない」
と,まるで他人事のように述べる連中もいて,議論を無意味に混乱させている.


▼ 【珍説】【質問】
 日本国憲法がありますから,敵地攻撃は無理ですね.
 現在の日本国憲法の下では,敵地攻撃は無理ですか?

タケル in mixi
(軍事学的考察上の必要性に鑑み,
引用権の範囲内で引用しています)

 【事実】【回答】▲
 これは現憲法下(正確には九条下)でも大丈夫です.

――――――
 衆院内閣委(昭和31年2月29日)鳩山総理答弁,船田防衛庁長官代読
「誘導弾等による攻撃を防御するのに,他の手段がないと認められる限り,誘導弾等の基地をたたくことは,法理的には自衛の範囲に含まれ,可能であるというべきものと思います.」

 2002年5月16日 内閣法制局 憲法判断
「ある国が日本を攻撃する為に,予備役の招集,軍人の無許可移動の禁止,非常呼集を行なう等の兆候が見られ,日本を攻撃する為と推定される軍事施設の新たな構築を行う,等が認められた場合,『武力攻撃が予測される事態』とみなし,これをもって先制攻撃を行うことは許容される」
――――――

 以上から九条下でも,敵基地攻撃は可能です.

葉月 in mixi

▼>これは現憲法下(正確には九条下)でも大丈夫です.

という回答は必ずしも法的に正しいとは言えず,あくまで”内閣の見解によれば”というものでしかありません.
 現今,この問題に関する裁判所の判断は示されていないので,明確な法的結論は出せません.

 法律の公権的解釈は裁判所の権能ですので,内閣の解釈は,ぶっちゃけて言えば,
「そこらのおっさんおばはんがそう言った」
というのと,法的には変わらないわけで,これをもって当該質問者の主張を否定する根拠にはなりません.

 学説的には1項2項で全面的に戦争放棄,というのが実は主流なので,この立場に立つと,むしろ質問者の見解の方が正しい,とも言えます.
 もっとも学説というのも当然,公権的解釈ではありませんが.

 まあ,この問題に関して最高裁が何らかの判断を下す可能性は0に近いと思いますが,過去の判例では自衛権を肯定し,在日米軍は「戦力」に当たらない,と言ってますので,いざって時は理念や理想よりは国防上の必要を優先すると思います.

ディセプティコンわがまま参謀 in FAQ BBS
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 こういう形の憲法改正はどうでしょう?

――――――
 〔憲法は〕むしろ,自衛権は自衛権として,はっきり認めた上で,
「侵略戦争はしない.海外派兵は行わない」
といった文言を憲法に明記し,自衛隊の活動範囲に縛りをかけた方がよいと思う.
 自衛隊は専守防衛の戦力であることを.あらためて明確にするのだ.
 さらに言えば,核兵器を「作らず,持たず,持ちこませず」という非核3原則を,憲法の条文に取り入れる形で,法制化することが望ましい.

 国際貢献はどうなるのか,という議論もあろうが,これはPKO(国連平和維持活動)に限定して,自衛隊の任務の一環だと,はっきり位置付ける.

――――――ホホイ(林信吾)著『反戦軍事学』,p.202

 【回答】
 うーん……,イデオロギーで目が曇っているためなのか,現実をまるで無視している意見でしょうねえ.

 第1に,「国境を超えれば侵略戦争.超えなきゃ自衛戦争」とでも言いたいかのような文言ですが,それが通用するのは19世紀まででしょう.

 ところが21世紀の現代では,たった1発でも甚大な被害を他国に与えることのできる兵器を,国境の向こうから,下手すりゃ海の向こうから飛ばすことができますんで.
 これを阻止するための最善の方法は,そういうミサイルに燃料が注入されている段階で,ミサイル基地を空爆して潰すというものなんですが,ホホイ憲法によれば,これも侵略戦争に該当しかねません.
 少なくとも憲法解釈を巡る議論が起きてしまい,そのせいで迅速な対応ができず,みすみすミサイル発射を許してしまう,なんてことになるでしょう.

 日本にとって重要な航路であるマラッカ海峡も,もし封鎖されても,ホホイ憲法の下では日本政府は手も足も出せなくなりますね.
 そうなったら他国の軍事力に完全依存しろ,ということでしょうか?
 台湾問題もどうするんでしょう? 放置しろということでしょうか? 日本にとってどんなに地政学上,重要な場所であっても.

 第2に非核3原則ですが,最初から核兵器保有の選択肢を放棄してしまうのは得策ではありませんね.
 現状,核武装は日本にとってデメリットがメリットを大きく上回っていますが,未来永劫これが逆転しない,などという保証は誰にもできません.
 小川和久も,他に選択肢がもはやなくなった,という場合には,核武装も「最悪の選択肢としてありうる」旨,『日本の戦争力』にて述べていますし.⇒more

(ホホイは『反戦軍事学』p.215において,『日本の戦争力』から引用している個所があるのに,同じ『日本の戦争力』のこの部分の記述は無視しているのは何故なんでしょうね?
 理由も示さず,同じ本のある部分は信頼して,他のある部分は都合が悪いと無視するという態度は,まるで詭弁屋ですね)

 最悪の場合に備えておかなければならない(経済的に可能な範囲において),というのは危機管理の初歩のはずなんですけどね.

 もちろん,ミサイル撃たれまくり許容,マラッカは他国に丸投げ,どんなにメリットが上回っても核武装否定,というのも一つの選択肢ではあります.
(指摘見解で言えば,「断る!」ですけれど)

 結局,こういうものは国家戦略の問題なんで.
 どこまでやって,どこからやらないかの境界線を引くのは,戦略設定を決める際のお話.
 戦略を決めて初めて,「戦略上,支障が出るから改憲しよう」「別に問題はないからほうっておこう」という議論が出るのが普通だと思うんですがねえ.

 先に憲法を決めておいて,戦略を憲法に合わせようなんてのは本末転倒.
 服を決めておいて,身体を合わせようったって,身体が合わなければどうしようもない.
 まさか服に合わせて手足をチョン切ったりするわけにもいきませんよね?
 それと同じこと.
 まして19世紀レベルの軍事観で憲法を決めたって,21世紀の戦略環境という「身体」がそれに合わないだろうことは,ちょっと考えれば分かりそうなものですが…….


◆◆◆◆◆集団的自衛権


 【質問】
 集団的自衛権行使を憲法は禁じているのか?

 【回答】
 いいえ.

 すでに皆さんご存知のように,自衛権は国連憲章で認められた国家の権利であり,それを行使するかどうかは政府に委ねられているわけです.
 集団的自衛権というのは,同盟国が攻撃を受けた際,自らは無事でも,同盟国を見殺しにすることなく一緒に戦うことを指します.

 しかし,それを行使(実行)するか否かは,軍最高司令官(日本でいえば首相)の意思決定ひとつにかかっています.
 すなわち,集団的自衛権行使という言葉は,法律用語ではなく,指導者の意思決定にかかわる純然たる政治用語なんです.
 憲法で規定されているわけがありません.

 憲法が禁じているのは9条2項での「国家間の紛争を武力で解決することはしない」ということで,これはこれで大問題ですが,集団的自衛権行使とは何ら関係がありません.

おきらく軍事研究会,平成18年(2006年)7月3日

 政府憲法解釈は,
「国際法上,国家は,集団的自衛権,すなわち,自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を,自国が直接攻撃されていないにも関わらず,実力をもって阻止する権利を有するものとされている.
 我が国が,国際法上,このような集団的自衛権を有していることは,主権国家である以上,当然であるが,憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は,我が国を防衛するため必要最小限の範囲に留まるべきものであると解しており,集団的自衛権を行使することは,その範囲を超えるものであって,憲法上許されないと考えている」(1981年5月,政府答弁書(8))というものである.

 しかし,

 (1) 政府憲法解釈において,個別的自衛権と集団的自衛権との間に線引きをしていることは,法の一般原則=民放や刑法の正当防衛の考え方(9),に反する.
 そもそも,日本語でこそ,別の言葉が当てられているが,「正当防衛」と「自衛」は,英語ではどちらもself-defenseであり,フランス語でもどちらもlégitime défenseだ.
 私人間の「正当防衛」の場合と国家がからむ「自衛」の場合とを別に論じることなど不可能なのだ.
 いわんや,その正当防衛=自衛,にあって,守られる対象が自分(自国)の場合と他人(他国)の場合とを区別する考え方など,存在しうるわけがない.

 (2) 政府憲法解釈が,極めて狭い集団的自衛権の定義を採用していることもおかしい.
 政府の憲法解釈は,自分(自国)の正当防衛(自衛)=個別的自衛権の行使と,他人(他国)の正当防衛(自衛)=集団的自衛権の行使,とを区別しているだけでなく,自分(自国)と密接な関係にある他人(他国)と密接な関係にない他人(他国)とを区別し,後者を対象とする正当防衛(自衛)を集団的自衛権論議の対象から外すというとんでもないものである(10)
 また,集団的自衛権の行使を,「武力攻撃を……実力をもって阻止する」ことに限定していることも,政府自らのかつての集団的自衛権の定義を著しく狭めたものであり,恣意的である.

 (3) 集団的自衛権の保有と行使と分離できるとしていることも非論理的である.
 政府の憲法解釈は,個別的自衛権の保有とその抑制的行使を認めながら,集団的自衛権については,保有を認めつつも一切の行使を認めないという非論理的なものだ.
 その詳細については,注8の佐瀬昌盛氏の書にゆずる(氏は,「国際法上」保有を認めながら,「憲法上」行使を認めない政府解釈の非論理性を完膚なきまでに論証している).

 (4) 日本が締結している様々な条約に抵触する憲法違反の解釈である.
 日本国政府は,日本国憲法が1946年に公布された後,次に掲げるように,5度にもわたって日本が「個別的または集団的自衛の固有の権利を有する」と国際条約上確認を繰り返してきている.

   (a) 国際連合憲章(1945年発効.日本の国連加盟は1956年)第51条には,
「この憲章のいかなる規定も,国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には,安全保障理事会が国際の平和および安全の維持に必要な措置をとるまでの間,個別的または集団的自衛の固有の権利を害するものではない」
と記されている.

   (b) 日本国との平和条約(1951年調印)第5条(C)項では,
「日本国が……個別的または集団的自衛の固有の権利を有すること……を承認する」
としている.

   (c) 旧日米安保条約(1951年調印)前文では,
「国連憲章は,すべての国が個別的または集団的自衛の固有の権利を有することを承認している」
としている.

   (d) 日ソ共同宣言(1956年署名)第三項第2段では,
「日本国およびソヴィエト社会主義共和国連邦は,それぞれ他方の国が……個別的または集団的自衛の固有の権利を有することを確認する」
としている.

   (e) 新日米安保条約(1960年調印)前文では,
「両国が……個別的または集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し」
ている.

 これら条約における「集団的自衛の固有の権利を有する」の意味は,既に述べたような法の一般原則や国際通念に則って理解されなければならない.
 日本国憲法は,第98条で,
「日本国が締結した条約……は,これを誠実に遵守する……」
としているのであるから,第9条の解釈も,日本がこのような意味で「集団的自衛の固有の権利を有する」ことを否定するようなものであってはならないはずだ.
 しかるに,政府憲法解釈は,これら条約の該当箇所を真っ向から否定するものであり,憲法違反である.
 すなわち,政府憲法解釈は,およそ法律解釈の名に値しない代物なのだ.

 それだけではない.
 何よりも私が問題視しているのは,こんな政府憲法解釈は道義に反するということだ.
 自分の身を守ることなど,当り前の話であり,どんな動物でも行っていることである.
 その一方で,動物が決してできない,人として一番尊い行いは,自らの命を顧みずに危機に瀕している見ず知らずの他人を救おうとすることであろう.
 現行の政府憲法解釈は,言わば,他国(他人)のことを見て見ぬ振りをしなければならないと言っているに等しい.
 これは政府によるエゴイズムの奨励で在り,戦後日本の道義が廃れる大きな原因の一つになっていると私は思っている.
 政府憲法解釈がエゴイズムの産物であることは,「自国(自分)と密接な関係にある外国(他人)を救うことを集団的自衛権行使の定義とする所に端的に現れている.
 救うかどうかを考慮する相手を家族や友人だけに限定し,しかも考慮の結果これらの人々も救ってはいけないことにしたというのであるから,何をかいわんやである.
 (8) 佐瀬昌盛『集団的自衛権 論争のために』PHP新書,2001年,124〜125頁.

 (9) 「他人ノ不法行為ニ対シ自己又ハ第三者ノ権利ヲ防衛スル為メ已ムコトヲ得スシテ加害行為ヲ為シタル者ハ損害賠償ノ責ニ任セス」(民法720条1項).
「急迫不正の侵害に対し自己又は他人の権利を防衛する為め已むことを得ざるに出でたる行為は之を罰せず」(刑法36条1項).

 (10) 佐瀬,前掲書,114頁.

太田述正著『防衛庁再生宣言』(日本評論社,2001/7/5),p.71-74

 太田述正情報はクロス・チェック必須だが,この記述に関しては,モラル的側面はともかく――モラルのような抽象を論争の種にするとキリがない――,理に叶っている主張と愚考する.



 【質問】
 憲法における解釈変更は,解釈改憲と呼んでいいのか?

 【回答】
 上智大学教授,村瀬信也によれば,それは短絡思考であるという.
 法の解釈はもとより一義的ではなく,政府が一定の事情の下,その変更に合理性・実効性が認められ,かつ,その変更に対する国民の支持があるならば,現行法の枠内で正当化されるだろうという.

 詳しくは
『ジュリスト』,2008.2.1号,p.93
を参照されたし.



 【質問】
 どんな理不尽な解釈であれ,それを憲法改正手続きによらず,政府の憲法解釈変更により改めることは,恣意的な憲法解釈変更への道を開くことになるのでは?

 【回答】
 これまでも変更されているので問題ないと,太田は述べる.
 以下引用.
実際問題として,政府の憲法第9条に係る解釈は,過去3回(数え方によっては5回)も変更されてきて,4通りもあるのだ.

<個別的自衛権関係>

 (1) 日本国憲法審議(1946年)の際の政府憲法解釈
 (2) 警察予備隊発足(1950年)時の政府憲法解釈
 (3) 保安隊発足(1952年)時の政府憲法解釈
(このときは「戦力=近代戦争遂行能力」だったが,自衛隊発足(1954年)時には,これが「戦力=必要相当な範囲を超える実力行使」と言い換えられ,それがさらに「戦力=必要最小限度を越える実力行使」に言い換えられて現在に至っている)

<集団的自衛権関係>

 (4) 日米安保改定(1960年)時までの政府憲法解釈
(自国と「密接な関係のある」「外国」に対する基地提供や経済援助による集団的自衛権行使を認めていた(11)
 (5) 現在の政府憲法解釈は,(4)を含め,一切の集団的自衛権の行使が禁止されているというもの.

 したがって,これほど理不尽な解釈であれば,それを4回目(数え方によっては6回目)の憲法解釈変更の対象にすることに何ら問題はあるまい.
 新たな9条解釈はこうなる.
「我が国は,(個別的と集団的とを問わず)自衛権を保有しており,その行使に当たっては,必要最小限度の武力行使ができる」
(11) 佐瀬昌盛『集団的自衛権 論争のために』PHP新書,2001年,147〜148頁.

太田述正著『防衛庁再生宣言』(日本評論社,2001/7/5),p.74-76


 【質問】
 集団的自衛権行使の制限は,法律判断のレベルなのか?
 それとも単なる政策的判断のレベルの問題なのか?

 【回答】
 前者は憲法解釈説,後者は政策説と称されるが,上智大学教授,村瀬信也によれば,従前から政府部内では見解の相違があり,政府として最終的に「不行使」を確認した1981年「答弁書」においても,両説が並存しているという.
 しかし憲法9条は自衛権を何ら規定しておらず,少なくとも規定上からは,「個別的自衛権についてはこれを容認し,集団的自衛権については,その保有を認めつつ,行使を認めない」ということの根拠を見出すことはできないため,「憲法解釈説」では根拠に乏しく,「政策説」が妥当であるという.
 国家が国際法上認められている権利を,政策的に権利放棄または一方的停止をすることは国家の自由であり,安全保障の分野でも,権利の行使を控えることは良く見られる現象であるという.
(たとえば,非同盟中立主義を掲げる多くの国々が,「政策」として中立政策をとっている場合,同盟の権利から見れば,単にその権利を政策として放棄ないし停止しているに過ぎない)

 詳しくは
『ジュリスト』,2008.2.1号,p.94-96
を参照されたし.


 【質問】
 集団安全保障下の国際平和活動に関する武器の使用は,憲法9条で禁止されている武力行使に当たるのか?

 【回答】
 上智大学教授・村瀬智也によれば当たらないという.
 なぜならば集団安全保障は言うまでも無く,集団的自衛権とは別物であり,国際平和活動のために軍事力を用いることは,そもそも個別国家が行う「武力の行使」ではなく,国際の平和と安全の維持という国際公益を実現する目的で,国連安保理その他の権限ある機関の決議・要請によってとられる「強制行動 enforcement actions」であり,そこでの軍事活動は「武器の使用 use of weapons, arms」として,「武力の行使」とははっきり区別しなければならないという.
 そしてこうした区分は,国際法のイロハに属する常識であり,その任務が各国部隊のチームワークで成り立っている以上,他国部隊への「駆け付け警護」などは当然の任務と考えられる,と村瀬は述べている.

 詳しくは
『ジュリスト』 2009.2.15号,p.53-54
を参照されたし.

 こうした国際常識に背を向けようとするならば,鎖国でもするしかないだろうね.



 【質問】
 国連の活動とはいっても,日本がその意思によって受け入れたものである以上,「わが国の行為」であることに変わりは無いのではないか?

 【回答】
 上智大学教授・村瀬智也によれば,我が国が受け入れるのは,国連などの「決議」ないし「要請」によるものであり,そのことを無視して,「わが国の行為であることに変わりは無い」などと短絡するのは誤りであるという.
 また同様に,作戦上の指揮権が国連側にあるのか,部隊派遣国側にあるかについても,その組織ないし任務の国際的正確を変えるものではないという.

 詳しくは『ジュリスト』 2009.2.15号,p.54を参照されたし.



 【質問】
 国連の活動とはいっても,それが「国際紛争を解決する手段」であることには変わりはないので,憲法9条の禁止する「武力の行使」に当たる行為については,日本はそれを許されないのではないか?

 【回答】
 上智大学教授・村瀬智也によれば,憲法9条で規定しているのは,「日本が当事者となっている」国際紛争を解決する手段という意味であり,日本が当事者となっていない国際紛争,すなわち「第三国間の国際紛争」の解決努力に日本が参加することを禁じる趣旨では毛頭なく,むしろ,憲法前文等の趣旨からは,積極的にコミットすることが求められている分野であるという.
 また,集団安全保障の下でとられる軍事的措置は,「強制行動 enforcement actions」と呼ばれるように,国際公益を実現するための措置であり,国際的な法執行・警察行動としての「武器の使用」であることは,ケルゼン H. Kelsen の1848年の論文 "Collective Security and Collective Self-Defence under the Charter of the United Nations", American Journal of International Law, vol.42 以来の,世界の国際法学者の常識であるという.
 これは個別国家が自国利益の追求のために,自国が当事者となっている国際紛争解決のために行う「武力の行使」とは,全く異質な行動であると,村瀬は述べている.

 詳しくは
『ジュリスト』 2009.2.15号,p.55
を参照されたし.



 【質問】
 日本政府は,国連軍などの武力行使と一体化すると違憲になるという見解だが?

 【回答】
 上智大学教授・村瀬智也によれば,そのような一体化論は,そもそも論じる意味がないという.
 なぜなら上述のように,国連の集団安全保障等の下に行われる強制行動その他の軍事行動は,個別国家が行う「武力行使」ではなく,憲法9条の枠外でとらえるべきものであるからだという.
 しかも,国連PKOなどは,国連の統一的コマンドの下でその任務を遂行することが不可欠であり,「一体化」された軍隊として行動することは,むしろ基本的要請であるという.

 詳しくは
『ジュリスト』 2009.2.15号,p.55-56
を参照されたし.

 【質問】
 日本みたいに片務的な安全保障条約が結べてる国にとって,集団的自衛権の行使って,戦争に巻き込まれる可能性が高くなるだけじゃないんすか?

 【回答】
 戦争に巻き込まれる,巻き込まれないって,最大要因は地理的条件だから,外交関係はあまり関係ない.

 例えば,サンマリノ共和国は,その防衛は条約に基づいてイタリアが責任を持つことになっている.
 で,イタリアは旧ユーゴ紛争がらみで派兵したことがあるけど,サンマリノは旧ユーゴ紛争に巻き込まれましたか?

 パラオ共和国,ミクロネシア連邦,マーシャル諸島共和国なども,アメリカと片務的な安保関係にありますが,それで対テロ戦争に巻き込まれましたか?

 ついでに,第二次大戦中のイランは,中立を宣言したにも関わらず,「ソ連への補給路が必要」との理由で,英ソ両国から攻撃されてますが.

戦争・国防板,2009/07/30(木)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 集団的自衛権を持つということは,他国が戦争に巻き込まれたときは,日本も,戦争に巻き込まれても何らかの行動を起こすべき,ということでしょうか?

 【回答】
 こういうのはケースバイケースでしょう.

 日本にとって,その国々による国際紛争が重大な影響を及ぼすとなったら・・・対岸の火事と決め込むわけにはいかないでしょうね.

 ・・・で,逆に聞きますが,「日本は軍事的オプションは一切放棄」が,本当に「平和」というものの実現に貢献するのでしょうか?

 こういう例え話がヤフー板にありました.

>引用開始

 町内会でドブさらいをやる事になったとします.
「我が家では,そういう汚い事はしないと決めてますので」
という理由で参加せず,
「その代わりお金は出します」
と言い続ける家があったとします.
 そんな家を町内会の人たちはどう思うでしょう?
 当然
「勝手な家だ」
と顰蹙を買い,町内での信用を失うでしょうね.
(近所付き合いにも重大な支障が出るでしょう.)

 湾岸戦争の時の日本はまさに,この「勝手な家」だったと私は思います.
 で・・・日本という国家は「通商」で成り立っている国であります.
 町内で例えれば「店を経営している」事になると思いますが・・・お店をやっていて,町内から信用されず,それどころか顰蹙を買って・・・成り立つでしょうか?
 私は成り立たないと思います.
 そういう店は遠からず潰れますよ.

>>引用終了

 日本だけ,軍事という汚れ事を忌避し,他の国々にそれを押し付け続け,その結果だけを享受することが本当に「平和」に繋がるのでしょうか?
 私は大変疑問です.

 改めてお聞きします.
 貴殿ら〔護憲論者〕の仰る「平和」とは一体なんですか?

 ちなみに,日本独自で防衛体制を整え,米国依存の部分を可能な限り減らし,また国際法上妥当,あるいは人道上やむなしという米軍の軍事行動に関しては強調路線を取り,あちらにある程度日本を「頼り」にするような土壌作りも必要だと思います.
 その事こそが,アメリカという暴れん坊の首に鈴をつける事になる・・・私はそう考えます.

平作 in mixi

▼ 村瀬信也(上智大学教授)は,「巻き込まれて……」論を以下のように批判している.

――――――
 他国が攻撃された場合については,集団的自衛権を援用する以外に対応すべき手段はない.
 我が国が行使できるのは個別的自衛権だけ,という政策を維持するのであれば,結局のところ,「一国平和主義」の殻に引きこもり,息をひそめているしかない.
 しかし,それでは日本の平和さえ確保できない時代である.
 とすれば,個別的自衛権を「膨らませる」のではなく,端的に,必要最小限度での集団的自衛権の行使を容認することが必要であると考えられる.

―――――― 『ジュリスト』,2008.2.1号,p.108


 【珍説】
■深化した日米同盟 小泉政権の5年半
>「非核市民宣言運動・ヨコスカ」の広沢努さんは「米国から強い圧力を受け,言いなりに同盟強化の路線が敷かれてしまった.集団的自衛権行使が現実味を帯び,今後に与えた影響は大きい」と指摘.「日本が独自に軍備増強を進める動きに通じるだけに市民の関心を呼び起こす広範な運動を展開させたい」と警鐘を鳴らす.
----

 【事実】
 ・・・??? 何を言ってるんだろう,この人.
 集団的自衛権というのは集団で敵に対処できる権利です.
 どうしてそれが「日本が独自に軍備増強を進める動きに通じる」のか,分からないです.
 日本は現在,軍縮している筈ですが・・・.

JSF in mixi


 【質問】
 「集団的自衛権行使を検討する有識者懇談会」のメンバーは?

 【回答】
 以下の通り.

柳井俊二(元駐米大使)
西元徹也(元統幕議長)
岡崎久彦(元タイ大使)
岩間陽子(政策研究大学院大学准教授)
葛西敬之(JR東海会長)
北岡伸一(東大大学院教授)
坂元一哉(阪大大学院教授)
佐瀬昌盛(拓大海外事情研究所客員教授)
田中明彦(東大教授)
中西寛(京大教授)
西修(駒沢大教授)
村瀬信也(上智大教授)

おきらく軍事研究会,平成19年(2007年)4月30日

 わが政府が集団的自衛権行使容認を視野に入れた有識者懇談会の設置を決めたことに対し,元米国務副長官のアーミテージ氏は二十六日,
「勇気づけられる動き.日本がより柔軟になるなら米は歓迎する」
と評価しました.

 ⇒海外の声を通じて国内事情を評価するのはなんとも情けない話です.

「わが政府が,新たな憲法解釈で集団的自衛権を容認することを米が評価した」
という意図的な誤報が大手を振ってまかりとおる現状は,不安でなりません.

 先ほども書いたとおり,集団的自衛権行使というのは,自衛隊最高司令官たる首相のリーダーシップに属する「活きた政治用語」です.
 国家の意思決定,最高司令官のリーダーシップの問題です.
 机上で固定化された法解釈用語ではありません.

おきらく軍事研究会,平成19年(2007年)4月30日


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