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◆◆オシラク原子炉爆撃
<◆中東のWMD問題
<中近東FAQ目次
『イラク原子炉攻撃! イスラエル空軍秘密作戦の全貌』(ロジャー・クレイア著,並木書房,2007.7.9)
〔略〕
「バビロン作戦」は,「国益を図るための軍事力発動」という,まさに軍事の根幹分野に関わる作戦で,イラクのフセイン政権がああいうかたちで倒れなければ,こんなに早い段階で公開されることはなかったろうといわれています.
この本は,現時点で日本語で読める,おそらく唯一の「バビロン作戦」本といえます.
面白いのは,作戦に参加したパイロットに直接インタビューした内容が書かれている点です.
出撃したパイロットのなかには,その後スペースシャトル事故で死亡した人も含まれています.
「F16の訓練中におしっこを垂れ流した」
とか
「爆撃に失敗したのは,中途で作戦に参加した伝説の撃墜王のみだった」
「爆撃時に気を失いかけたパイロットもいた」
とか,その場にいた人ならではの生々しい話が満載です.
爆撃のあまりの正確さに驚愕したアラブ諸国は,
「モサッドが,原子炉に秘密にホーミング装置を仕掛けていた」
と主張しましたが,参加パイロットたちは黙って首を振って笑うだけだったそうです.
〔略〕
この本で書かれているのは,軍事作戦の詳細はもちろんですが,それ以上に「政治と軍事と情報は不可分一体である」ということ,そして諸国は国益を求めるためだけに動いているという,国際社会のえげつない姿です.
このあたりのニュアンスがとてもよく伝わってきます.
軍事作戦には準備期間が必要で,バビロン作戦も二年以上が準備にあてられています.
これは情勢判断を元に,政治が指示したものです.
準備期間中に情報機関モサッドは,世界各地でイラク原子炉に対する各種工作を展開し,軍事作戦発動の前段階としての役割を十分果たしました.
機密保持の至難さとその本質も,改めて思うところ大でした.
軍事に造詣ある政治家,精強な軍隊,世界に誇る情報機関を有するイスラエルでさえ,機密の上にも機密を要求された「バビロン作戦」の情報は漏れていたようです.
人間には完璧などありえないということですね.
完璧な準備をし,完璧な計画を立て,完璧な情報保全措置をとっても,敵は必ずそのことを知っているはずだ.
そういう前提で,すべての事柄は捉える必要があるようです.
それと,政治家のリークのせいで作戦が当日に中止となったことも紹介されています.
これがクルーに大変大きなショックを与えたことも生々しく書かれています.
機密を知る立場にある政治家がもつ各種の「欲」が,「機密は上から漏れる」事態を生む真の原因のようです.
これを除去することは,人間である限りおそらく不可能ではないか?との思いももちました.
作戦後,当然のことながらイスラエルは世界中から罵倒されます.
しかしベギン首相は,
「わたしは一秒たりともこの決心を後悔したことはない」
と世界に向けて断言します.
評価はいろいろあるでしょうが,「政治家の決心」という点でこの国は,見るべきものを持っているようです.
今もその伝統は脈々と受け継がれているのでしょう.
〔略〕
ことほど左様にこの本は,単なる軍事作戦を戦術面から取り上げただけの,マニア向け作品ではありません.
隣国に当時のイラクと同じような国を抱えるわが国にとっても,ひしひしと身につまされるところの多い本ではないでしょうか.
対内面では
・政治と軍事と情報のトライアングルが国益を護ること.
・軍事作戦発動にあたっては,政治家が対処しなければならないさまざまな課
題があること.
・軍事・情報分野で完璧を求めるのはよくないという現実.
といったことを,
対外面では
・国益を図るためには,軍事作戦をとる必要もある
・近隣国が原子力製造能力を持つことにはどういう意味があるのか
・情報工作・謀略活動がもつ真の意義
といったことを深く考えさせられます.
「軍事・対外関係・情報」の本質を読み手に照らし出させる素晴らしい内容です.
ご一読をおすすめします.
―――おきらく軍事研究会,平成19年(2007年)7月13日
訳者(高澤市郎氏)が悪いのか,
「オシラク炉が「濃縮ウラン製造用」」<p.153他複数箇所有
とするような記述が所々混じっているのが何とも.
前書きでは正確に「兵器級プルトニウム」製造用とあり,ロジャー・クレイア氏の元々の認識は間違っていないと考えられます.
しかし,各種資料を駆使している内に著者が混乱したのか,訳者のミスなのか不明ですが,実際はかなり酷い物になっています.
また,
「加熱と過熱」
の違いを全く認識していない,訳者責任のミスも散見されますね.
個人的には軍事行動については論評できませんが,事,原子力分野については,
「要出典・原著書他とのクロスチェック必要」
という評価です.
厳しいようですが,原子力分野に対する高澤市郎氏の理解は,
「(訳者としても)素人並み」
と愚考します.
――――――へぼ担当 in mixi,2011年02月22日 23:32
『バビロンまで何マイル?』(川原泉著,白泉社文庫,1997.12)
◆◆オシラク原子炉爆撃
【質問】
歴史群像アーカイブVol.14「中東戦争」では,オシラク空爆の記述は,どの程度詳しいですか?
消印所沢 in mixi,2010年06月13日 21:02
【回答】
・アラブ諸国における核兵器入手の動き(エジプトでの核開発やミサイル開発,リビアの核兵器購入計画,イラクの核開発)
・イラクの核(兵器)開発とそれに協力する国々(仏,伊,西独,ブラジル)の動き
・それに対抗するイスラエルの行動(核開発に関わる科学者の暗殺や協力する西側企業への脅迫,イラクと戦争中だったイランへの核施設への攻撃の示唆など)
・空爆の計画や立案時の問題点(A-4では目標まで届かない),その打開策(F-16の導入)
などが紹介されています.
グンジ in mixi,2010年06月13日 22:57
【質問】
オシラク原子炉空爆とは何ですか?
【回答】
イラク原子炉爆撃事件 - Wikipedia
イスラエル国防軍空軍(IDF/AF)
オシラクの日 バビロン作戦
http://www.masdf.com/eagle/idfaf.html#babylon
当時サダム・フセイン政権下のイラクでは,オシラク原発がフランスの技術援助で作られていました.
この原発は一応平和利用となっていまいたが,実は核開発用ではないかという疑念を,イスラエルは持っていました.
イスラエル空軍はモサドからの情報を得て,空爆を決意.
8機のF-16A/Bと6機のF-15A/Bで空爆作戦を実行,パイロットには18ヶ月の訓練を課しました.
そして1981年6月7日にバビロン作戦(オシラク原発破壊作戦)が実行されました.
レーダーに見えない程度の低空飛行でしたが,サウジ領空内を通過中にサウジのレーダーに引っかかったものの,アラビア語の訓練を受けていたパイロットは「旅客機だ」と説明,管制官は見事騙されました.
そして原発に到着すると緩降下爆撃で原発を破壊,イラクの核開発を阻止に成功しました
(ただしイスラエルは国際世論にフルボッコにされましたが)
バルセロニスタの一人 in mixi,2010年01月25日09:50
【質問】
イラクにおける核兵器開発の始まりは?
【回答】
少なくとも,サダム・フセインが権力者の一人として,アル=バクル政権の中に姿を現した1970年には,すでにサダムは核武装を考えており,自国の原子力エネルギー機構核研究センターに,ときには脅迫まがいの行為を行ってイラク人核物理学者を集め始めていた.
サダムはWMD,特に核兵器さえあればアラブ統一国家創設は可能だと考えており,核兵器保有に固執していたという.
1972年始め,所長のフサム・シャリフに対してサダムは原子爆弾製造を命じ,1975年には原子炉建設の契約をフランスとの間に交わしている.
また,「フランス」か……
【参考ページ】
『イラク原子炉攻撃! イスラエル空軍秘密作戦の全貌』(ロジャー・クレイア著,並木書房,2007.7.15),p.35-37,
52-53, 57-58
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=14-07-02-01
【ぐんじさんぎょう】,2010/05/01 22:46
を加筆改修
【質問】
イラクでの原子力研究の始まりは?
【回答】
1960年代初期,サダム・フセインの命令によってソ連からIRT-5000研究炉を購入したのが始まり.
これは高濃縮ウラン(80%)を燃料とするプール型で,1967年,初臨界.
臨界当時の原子炉熱出力は2MWtでIRT-2000(WWR-C-Bagdad)と称していたが,1976年から1978年までの間に5MWtまで出力増加が実施され,それに伴って1978年からIRT-5000と改称した.
ただし,フランスなどと違ってソ連は原子力拡散防止協定を厳守し,5MWtより大きな出力の原子炉は渡そうとはしなかった.
また,イラク人核物理学者キディール・ハムザの推測では,時代遅れの原子力設備と発電器材.関連機器と称するどうでもいい機器(1930年代のボイラーもあったという),役に立たない下請け作業員などを含む業務支援契約を,ソ連はイラクに売りつけたという.
しかも,その契約には炉心清掃が含まれておらず,イラク側では,その経験のない,バグダードの一般設備の清掃を行う会社に,その作業をやらせた.
同社の作業員は,倉庫などでやったように炉心をブラシでこすって,表面が滑らかだった炉心容器に,無数の細かな掻き傷と溝を作り,そこから炉心は腐食.
燃料棒の周りにある減速用の水が漏れ始め,ハムザによれば,購入から1年もしないうちに原子炉は使用不能になったという
(この点で,「1976年から1978年までの間に出力増加した」とする,Atomicaの記述とは食い違いを見せている)
【参考ページ】
『イラク原子炉攻撃! イスラエル空軍秘密作戦の全貌』(ロジャー・クレイア著,並木書房,2007.7.15),49-51
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=14-07-02-01
【ぐんじさんぎょう】,2010/05/02 21:00
を加筆改修
うーん.
ここの部分は真偽不明と誤解を招きかねない部分があるため,注釈を付けて参考扱いにとどめた方が良いと考えます.
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しかも,その契約には炉心清掃が含まれておらず,イラク側では,その経験のない,バグダードの一般設備の清掃を行う会社に,その作業をやらせた.
同社の作業員は,倉庫などでやったように炉心をブラシでこすって,表面が滑らかだった炉心容器に,無数の細かな掻き傷と溝を作り,そこから炉心は腐食.
燃料棒の周りにある減速用の水が漏れ始め,ハムザによれば,購入から1年もしないうちに原子炉は使用不能になったという
----
> 炉心清掃
通常,原子力の世界で炉心清掃というと,原子炉内部でも核燃料が含まれる部分の壁
(通常は圧力容器となっているが,IRT-5000研究炉の様なプール型原子炉では原子炉炉心プールの内側(核燃料側)を指す)
の清掃を意味する.
この場合,当然のことながら核燃料をどこかに移動させない限り,使用している核燃料から放出される強い放射線を考慮する必要があり,常識的には全ての核燃料を原子炉炉心から取り出して実施するのが普通である.
一方,当該のプール型原子炉の場合,核燃料から遠い部分も存在する.
そのため,通常のメンテナンスとして,水泳用のプール掃除と同様に清掃が行われてもそれほど不思議なことではない.
また,発電用原子炉とは異なり,全ての領域で水が均等に入れ替わるわけではないため,より清掃の必要性が増すことが指摘できる.
ただし,強い放射線や放射能による影響を考慮しなければならないため,慎重な作業が求められるところと言える.
当該のイラク側作業員は上記の様な作業を行ったのであろうが,そのような杜撰な作業を行えば,当該のアルミ製プールは傷だらけとなり,プール壁からの腐食,そして原子炉水の漏洩が起こっても不思議ではない.
上記で引っかかるのは「炉心は腐食」ではなく,恐らく「原子炉プール炉壁が腐食」とすべき所に起因すると思われる.
なお「炉心が腐食」というと,通常核燃料そのものやその近傍の腐食を指し,放射能等原子炉の安全上,きわめて深刻な事態を意味することが多い.
そして,漏れたのは「原子炉水」とすべきであって,「減速材」にこだわる理由に乏しい.
この場合,減速材と冷却材を兼ねているため,分けて論じる必要性が薄い.
敢えて言うのであれば,「原子炉プール」の外側を取り囲む,放射線遮へい用の水と区別する点にあるが,そこまでこだわって書き分けたのであるなら,減速材と冷却材の区別が無いことも考慮すべきであろう.
ただ,旧ソ連が通称としてどちらを用いていたかに依るが,少なくとも物理的に両者が異なる圧力管型原子炉のような特殊な原子炉でない限り,差異として減速材と冷却材の区別を付けるのは適切ではない.
<なお,実際に清掃したのは原子炉プール内壁ではなく,その外側を取り囲む原子炉遮へい用の水タンク部分の可能性も有りうる.
ただ,その場合は書きぶりが大きく異なるため,実際的には考えにくいところと言える.>
以上,ご参考まで.
へぼ担当 in mixi,2010年04月29日 01:10
【質問】
イラクのアル・ツワイサにあった原子炉は,どのようなものだったか?
【回答】
(1)IRT−5000(研究炉)
場 所:バグダッド近郊のTuwaitha
型 式:プール型,高濃縮ウラン
熱 出 力:5,000kW (5MW)
製造供給国:旧ソビエト連邦
初 臨 界:1967年
出力増加 :1967年臨界当時の原子炉熱出力は2MWtでIRT−2000(WWR−C−Bagdad)と称していたが,1976年から1978年までの間に5MWtまで出力増加が実施され,1978年からIRT−5000と改称した.
核 燃 料:旧ソビエト連邦が供給(80%高濃縮ウラン5kg)
(2)タンムズ−1号(オシラク:Osiraq)
場 所:バグダッド近郊のTuwaitha
型 式:プール型,高濃縮ウラン(フランスのOSIRIS型)
熱 出 力:40,000kW(40MW)
製造供給国:フランス
初 臨 界:燃料装荷直前の1981年6月7日,イスラエル空軍に爆撃され,破壊された.
核 燃 料:フランスが供給(93%濃縮ウラン:推定約8kg)
ロジャー・クレイアによれば,基本的には深さ30フィートの軽水を満たしたオープン・プール型.
プールの上には,直径50フィート,高さ40フィートのドームがあり,これがイスラエル空軍の標的となった.
(3)タンムズ−2号(ISIS)
場 所:バグダッド近郊のTuwaitha
型 式:プール型,高濃縮ウラン
熱 出 力:500kW
製造供給国:フランス
初 臨 界:1987年3月
核 燃 料:フランスCERCA社が供給(93%濃縮ウラン:推定約5kg)
ロジャー・クレイアによれば,タンムズIの西側に位置し,放射性物質はここに保管されていた.
タンムズIが爆撃を受けた当時,まだ臨界には達していなかった模様(保管庫として使われていて,原子炉としては休止状態?)
ちなみに当初オシリスという名前だったが,イラクのオシリス」という意味を持たせようと「オシラク」に改名された.
オシリスもイシスも古代神の名前.
さらに後にサダム・フセインにより,それぞれタンムズ(タムーズ)I,IIと改名された.
【参考ページ】
『イラク原子炉攻撃! イスラエル空軍秘密作戦の全貌』(ロジャー・クレイア著,並木書房,2007.7.15),p.123-125
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=14-07-02-01
faq57ir23.gifへのリンク
faq57ir23t.gifへのリンク
【ぐんじさんぎょう】,2010/06/01 21:00
を加筆改修
【質問】
オシラクの原子炉は,本当にPu-239生産用だったのか?
【回答】
ほぼそうだったろうと専門家は見ている.
イラクはプルトニウムの取扱いに必要なホットセルなどを購入し,また1980年と1981年にかなり多量の天然ウランをブラジル,ポルトガル,ニジェール,イタリアから入手していた.
さらにイラクは,1980年にドイツのNUKEM社に対し,2万5,000ポンド(11,364kg)の減損ウラン(天然ウラン中のウラン−235の含有率が0.711%より低いもので,従来航空機などの重量バランスに使用されたりしていた)を,特にピン型に成型加工したものを発注しており,これは決定的な証拠だといえるという.
【参考ページ】
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=14-07-02-01
【ぐんじさんぎょう】,2010/05/06 22:01
を加筆改修
取り急ぎチェックしましたが,修正必要点はありませんのでご安心下さい.
ただ,原文に有るとおり,「ホットセル」の存在だけで疑惑になるとは言いにくいところですね.
これは当該「ホットセル」がグラムオーダーの設備で留まるのであれば,核兵器生産のためのキログラムオーダーまではほど遠く,現在のイランのように医療その他研究用と抗弁すれば,それを阻止するのは難しい所にあります.
もちろん,IAEAによる厳重な査察を受け入れるのが核不拡散上の絶対条件であり,そのホットセルでのハンドリング(取扱い)経験が,核兵器開発にも重要な役割を果たすのは自明なのですが,核兵器開発には必要条件ではあっても絶対条件ではないところは指摘すべきかと考えます.
へぼ担当 in mixi,2010年05月04日 05:20
「ホットセル」の存在だけでは疑惑が薄く,後段の「決定的証拠」と合わせると,大きな意味を持つ,とご理解いただければと考えます.
以上,取り急ぎ.
へぼ担当 by mail,2010年05月05日 23時36分
▼ なお,サダムは遠心分離機用の部品も輸入していたが,これはモノにはならなかったらしい.
以下引用.
-----------------
湾岸戦争のときに,サダム・フセインのイラクが遠心分離機用の部品を輸入していたことが,国連の調査で明らかになったが,
「スパーク・プラグだけ買ってきても自動車が作れるものではない」
と嘲笑された程度で,見るべき成果には至っていない.
----------------『IAEA査察と核拡散』(今井隆吉著,日刊工業新聞社,1994.12),p.9
▲
【質問】
イラクは核兵器開発用の原子炉を,どこから入手したのか?
http://yaruokansatu.blog44.fc2.com/blog-entry-179.html
>念願の原子炉をフランスから手に入れたお!
って本当?
【回答】
主としてフランスから.
1975年9月,サダム・フセインはフランスを訪れ,シラク首相以下,ジスカールデスタン政権の閣僚らと会食し,数百万ドル分の安価な石油と交換に,フランスから原子炉を購入する契約に調印した.
フランスは2つの「研究用」原子炉製造,出荷,建設を指導監督し,操作についてイラク人技術者の訓練を担当することになった.
この契約でフランスは,数十億フランを稼いだ.
この仕事を請け負った業者の多くは,イスラエルの原子炉を建設したのと同じ会社だった.
シラクは,フランス原子力エネルギー委員会がオシラク原子炉を完全に管理していると言い張った.
また彼は,フランスはイラクにキャラメル化ウラニウムしか提供しないと公表したが,要求を呑まねば契約自体を反故にしかねないサダムの強硬姿勢の前に,93%に濃縮した72ポンドの兵器級ウラニウムを提供するという,最初の協定をこっそりと履行した.
1981年,フランス大統領がミッテランに代わると,彼はイラクへの核技術売却中止を宣言した.
しかしモサッドによれば,そのときすでにイラクはウラニウムを全て受領していたという.
ATOMICAによれば,イスラエル空軍に爆撃された後,フランスは引き続いての建設には,もちろん非協力的だったという.
【参考ページ】
『イラク原子炉攻撃! イスラエル空軍秘密作戦の全貌』(ロジャー・クレイア著,並木書房,2007.7.15),p.57-59,
61, 89,185
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=14-07-02-01
【ぐんじさんぎょう】,2010/05/08 21:22
を加筆改修
当時フランスは,このでかい商談を逃すまいと,シラクの自宅にフセインを招くなど,国を挙げての大歓待だったそうで.
Shaul in mixi,2010年05月10日 20:06
【質問】
上記は,atomica記載の「タンムズ−2号(ISIS)初臨界:1987年3月」と1981年就任ミッテラン大統領の行動とが整合が取れないのでは?
へぼ担当 in mixi,2010年05月05日 14:06
【回答】
同書によりますと,空爆時には両原子炉ともにすでにタムーズの核センターに存在していたそうです.
何らかの理由(どうやら,より小型のイシスは,空爆当時には放射性物質保管用として使われていた模様)によって,オシラクのほうが破壊されるまでは,原子炉としては稼動していなかっただけではないかと思われ,そうであるなら整合性がとれるのではないかと考えるのですが.
消印所沢 by mail
なるほど.
イスラエルによる空爆時に両原子炉が存在していたとすれば,より大型で能力が高いために脅威となるオシラクの方が,集中的に爆撃され,より小型のイシスは無傷,もしくは被害が軽微だったと考えれば,初臨界までの時間差(遅れも込みで)整合がとれると考えます.
ただ,それは状況からの類推でしかないため,はっきりとしたオシラクに関する記述と,類推を含まざるを得ず,時系列的に誤解を生みやすいイシスの方の記述は分けるべきであり,イシスの方の記載は上記の旨の推定が含まれることを明記すべきでしょう.
(私個人の上記コメントを注釈・追記,とされても構いません.)
へぼ担当 by mixi massage,2010年05月05日 23時36分
【珍説】
〔サダム・フセインの核兵器開発は,〕湾岸戦争前もイラク戦争前もできてませんでした.
所詮は机上の計画にすぎなかった.
実現性や現実性を無視して仮想敵の脅威を煽るのは酷使様の中国脅威論と変わらないな.
初心者スレ住人 in 2nd FAQ BBS,2010/10/22(金)
23:11
青文字:加筆改修部分
【事実】
・現実に原子炉を購入して,稼動寸前にあり,
・必要機器の調達を進めており,
・ATOMICAでも「イラクは核兵器開発をしていた」と認められている
ものを,「机上の計画」呼ばわりする精神は,全く理解できません.
ATOMICAの見解を覆したいのであれば,貴方の素人判断ではなく,論拠を出してください.
それとも何ですか?
「イラクの核兵器開発は,失敗する可能性もあったのだから,成功して実際にイラクが核兵器を持つまでは,手を出すべきではなかった」
とでも言いたいのですか?
「北韓の核兵器開発は,失敗する可能性もあったのだから,成功して実際に北韓が核兵器を持つまでは,手を出すべきではなかった」
と言いかえれば,貴方の主張が周辺国にとってどんなに受け入れ難いものか,お分かりでしょう.
2011.5.15
【質問】
湾岸戦争以前,IAEA査察はイラクに対してはどのように行われていたのか?
【回答】
イラクには20箇所以上の核関連施設があったが,IAEAに通告されていたのは,アル・ツワイサの原子力研究所と,そこにあるオシラク原子炉だけだった.
IAEA査察員は年に2回,同研究所を訪問し,「異常なし」と報告していた.
核兵器開発の諸施設は,国連安保理決議687号にもとづく調査団が,1992年イラクに行き,しかもイラク側の内部告発があって初めて分かったものだった.
【参考ページ】
『IAEA査察と核拡散』(今井隆吉著,日刊工業新聞社,1994.12),p.81-83
【ぐんじさんぎょう】,2010/08/06 21:10
を加筆改修
【質問】
オシラク原発に対する査察の問題点は?
【回答】
イラクは核兵器不拡散条約(NPT)加盟国(1969年加入)であり,所有する3基(実質2基)の研究炉は国際原子力機関(IAEA)による査察を受けており,その際には核物質への転用は認められなかった.
また,1991年4月3日の国運安保理決議第687号は,イラクにNPT条約下の義務の無条件遵守を求めていた.
にもかかわらず,結局イラクにおける秘密核兵器開発プログラムは,1991年まで国際社会に感知されなかった.※
イラクが保障措置協定に違反して秘密裡に核兵器開発計画が進めていた(電磁法や遠心分離法によるウラン濃縮およびプルトニウムの分離・抽出を実施していた)ことが明らかになったのは,湾岸戦争(1991年1月17日〜2月28日)後のことだった.
これは北朝鮮のIAEA保障措置条約不履行,南アフリカの保有核兵器の放棄などと並び,NPTの信頼性を揺るがす問題となった.
1991年9月の第35回通常総会において,IAEA査察をより効果的なものにするための強化策を講じる旨の決議を採択.
その後,特別査察の活用,設計情報の早期提出,
核物質等の輸出入に関する普遍的通報,核兵器国における保障措置の適用拡大,および有意量の見直し,に関し審議検討され,これら保障措置強化策を実現するために新たな法的枠組「IAEA追加議定書」が作成された.
当時,核原料物質や重水等の原子力開発に特有の資機材については,NPTやNSG(Nuclear
Suppliers Group:原子力供給国会合)により国際的な輸出規制が行われていた.
しかしながら,イラクはこれらの輸出規制対象資機材を密かに調達する努力を行うとともに,自らウラン濃縮技術やプルトニウム生産技術を開発していた.
そしてそこに用いられたのが,先進国から輸入された一般の資機材(汎用品)であった.
イラクの核兵器開発計画で使われていた資機材の多くが,英米独日等,NSGメンバーを中心とした先進国から輸出されたものであった.
このため,1992年4月には,原子力汎用品の規制を行うNSG
part−2のガイドラインと規制対象リストが合意された.
同ガイドラインは,輸出許可手続き,移転を許可するための統一的条件,再移転の同意等,包括的なものとなっている.
また,規制対象のリストは65品目(現在は64品目)となった.
また,IAEAの保障措置は申告された核物質に対しては有効であるが,未申告の核物質および原子力活動の存在を探知するには不十分であり,IAEAの保障措置を強化する必要性も指摘・検討された.
1993年,IAEA事務局は常設諮問委員会(SAGSI)の勧告および理事会の要請に従って,事務局プログラム案を理事会に提出し,了承された(「93+2計画」)
しかし,強制力という点で,なお限界がある−−たとえば北韓がやったように,主権国家が査察チームの立ち入りを拒めば,経済制裁程度の対応しかできない−−ことは,言うまでもないだろう.
【参考ページ】
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=14-07-02-01
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=13-05-01-03
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=13-04-01-01
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=13-01-01-05
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=13-05-01-04
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=13-05-02-01
※ ただしオシラク空爆以前から,フランス核エネルギー委員会のアンドレ・ジローなど,イラクが核兵器を作ろうとしている可能性が十分にあるとして警告を発している専門家もいた.
『イラク原子炉攻撃! イスラエル空軍秘密作戦の全貌』(ロジャー・クレイア著,並木書房,2007.7.15),p.88参照.
【ぐんじさんぎょう】,2010/05/15 21:00
を加筆改修
【珍説】
リンク先の,
>
>(4)ウラン濃縮の研究
> ガス遠心分離法,電磁同位体分離法(EMIS)および化学分離法,ガス拡散法の研究開発を実施していた.
>
という文章が,所沢のサイトでは
>>電磁法や遠心分離法によるウラン濃縮およびプルトニウムの分離・抽出を実施していた
と都合よく歪曲されている.
【事実】
参考ページの最初のリンクだけ読んで,何言ってんの?
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=13-04-01-01
にはきちんと
>1)イラク
> イラクでは,IAEAの包括的保障措置が適用(1969年NPT加入)され,1991年4月3日の国運安保理決議第687号で,
>イラクにNPT条約下の義務の無条件遵守を求めていたにもかかわらず,保障措置協定に違反して秘密裡に核兵器開発計画が
>進められていた(電磁法や遠心分離法によるウラン濃縮およびプルトニウムの分離・抽出を実施していた)ことが,湾岸戦争(1991年1月17日〜2月28日)
>後に明らかになった.国連及びIAEAは,これらの核物質を押収するとともに関連施設を破壊し無力化した.
と書かれているんだけどねぇ.
査察の受け入れ側が非協力なら何もできんという話.
戦争板,2010/06/12(土)
青文字:加筆改修部分
【珍説】
名前:信者撲殺マン 日付:2010/6/10(木) 19:23
>しかし,強制力という点で,なお限界がある−−たとえば北韓がやったように,主権国家が査察チームの立ち入りを拒めば,経済制裁程度の対応しかできない−−ことは,言うまでもないだろう.
とIAEAの限界を示してオシラク攻撃を正当化してるっぽいんだが,
査察を妨害したイラクに対しては2003年,武力行使したことを忘れてるのかな?
大量破壊兵器があるとのアメリカ主張が間違いだったから国際法違反と批判されてるが,
もし本当にイラクが核兵器開発を進展させていたなら,個別的自衛権が認められるケースだ.
一番原子力に詳しそうなへぼ担当氏は所沢と違ってあくまで慎重な物言いに終始してるわけだが.
それは所沢が確証バイアスで拾い集めた情報が,イラクの核兵器開発にとって必要条件なもので
あっても,十分条件にはならないことを知ってるからだろう.
あらあらあら,どーするんですかあ〜〜〜www
【事実】
論外.
当時の国際社会の動向から考えても,制裁決議が出された可能性は極めて低い.
別項参照.
仮に制裁決議が出される可能性があったとしても,安保理の仕組みから考えて,また,北韓の事例から考えて,そこに至るまでには膨大な時間がかかる可能性が極めて高く,当時すでに核兵器級ウラニウムを入手していたサダム・フセインが,武力制裁前に核兵器を完成させていた懸念は十分ある.
>個別的自衛権が認められるケースだ.
国際法上,先制的自衛権が認められるとする学説は少数意見.
『ジュリスト』 2009/5/1&15号,p.116-117参照.
【珍説】
764 :名無しさん@お腹いっぱい.:2010/06/14(月) 17:26:06 ID:wv4et6zY
>http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=13-04-01-01
>ウラン濃縮およびプルトニウムの分離・抽出を実施していた)ことが,湾岸戦争(1991年1月17日〜2月28日)後に明らかになった.
ソース元では1991年にNPT違反が発覚したことが書かれているだけなのに,
所沢はそれを
>オシラク原発に対する査察の問題点は?
というトピックの下に引用して,1981年のオシラク攻撃時点でNPT違反があったかのように印象操作している.
ソース元には時系列が明確でないのに,オシラク問題に繋げて書くのは歪曲に近い行為だろう?
【事実】
すると何ですか?
オシラク爆撃より前には核兵器開発を始めていたサダム・フセインが,なぜか爆撃直前に急にそれを中断し,爆撃が終わったら再開した,とでも言いたいのですか?
論外ですな.
そもそもその項には,
>※ ただしオシラク空爆以前から,フランス核エネルギー委員会のアンドレ・ジローなど,
>イラクが核兵器を作ろうとしている可能性が十分にあるとして警告を発している専門家もいた.
という注釈があるくらいで,オシラク空爆以前の査察ではイラクのNPT違反が見抜けなかったと言ってる内容なんだよ.
空爆の是非ではなく「査察の問題点」なんだから,違反していたのを見抜けなかったのは「問題」だろうよ.
戦争板,2010/06/14(月)
青文字:加筆改修部分
【質問】
イラン・イラク戦争中のイラク原子炉爆撃について教えてください.
【回答】
開戦から8日後の1980.9.30夜,少なくとも2機の,イラン空軍のF-4ファントムがアル=ツワイサを爆撃した.
しかし全体的に見ると,損害は軽微であり,爆弾はオシラク原子炉を外れて,研究施設や支援施設の一部を破壊しただけ.
直撃を受けた冷却システムと配管のみが,大きく破壊された.
これを機にアル=ツワイサの防空態勢が強化され,かえって後のイスラエル空軍の仕事をやりにくくしたという.
イスラエルによる爆撃と異なり,国際社会からの批判は殆ど無かったことにも留意.
【参考ページ】
『イラク原子炉攻撃!』(ロジャー・クレイア著,並木書房,2007.7.15),p.152
【ぐんじさんぎょう】,2011/05/03 20:50
を加筆改修
【質問】
オシラク爆撃はいつ決定されたのか?
【回答】
1981.3.5,最高機密の国家安全保障会議をベギン首相は招集し,10人の閣僚に対し,エイタン参謀長とイヴリー空軍司令官に作戦の細部まで説明させた.
そのあとで投票を行い,10人全員の賛成を得た.
その1週間後,作戦実行のため訓練を受けていたパイロットに対し,初めて作戦目標が告げられた.
【参考ページ】
『イラク原子炉攻撃!』(ロジャー・クレイア著,並木書房,2007.7.15),p.172-173
【ぐんじさんぎょう】,
を加筆改修
全員一致は無効とか,ユダヤ教養本になかったっけ?
しまだ in mixi,2011年05月05日 12:53
山本ベンダサンでちた・・・
>一般に流布されていた「ユダヤ人は全員一致は無効」という話も,実は完全な嘘あるいは間違いであり
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%B8%83%E5%B9%B3
しまだ in mixi,2011年05月05日 16:16
【質問】
イスラエルがオシラク原子炉爆撃を実行した1981年という時期には,どんな意味があったのか?
【回答】
イスラエル情報機関の見積もりでは,オシラクが稼動を開始するのが1981年6月だと推定されていたため.
稼動が始まった後では,民間に大きな被害を与える危険を犯さずに攻撃することは,不可能だと考えられた.
イスラエルの科学者の試算によると,アル=ツワイサを破壊して核分裂が起きた〔原文ママ〕場合には,そのときの風向きにもよるが,バグダードまで巻き込んで10万人もの生命が失われる可能性があったという.
一方で,イラクは1982年までに,原子爆弾2個を製造するのに十分なプルトニウムを手に入れることができるだろうとも見積もられていた.
また,同年秋にはイスラエルで総選挙が行われる予定だったが,世論調査ではペレス率いる労働党が大きくリードしていた.
当時のベギン首相は,この危機に対処できる度胸が労働党にあるとは信じておらず,したがってベギンの在任中に「問題を解決」せねばならないと考えていた.
【参考ページ】
『イラク原子炉攻撃! イスラエル空軍秘密作戦の全貌』(ロジャー・クレイア著,並木書房,2007.7.15),p.126-128
【ぐんじさんぎょう】,2010/08/18 21:20
を加筆改修
> 「アル=ツワイサを破壊して核分裂が起きた場合には」
一般にはかなり誤解されているのですが,爆撃や爆破などの破壊活動によって,破壊された原子炉が臨界,つまり核分裂する可能性は,余程のことがない限り有りません.
原子炉はその体系を維持することによって,臨界,つまり核分裂の継続を可能としている物であり,それが崩れれば中性子の減速が起こらなくなったり,発生した中性子が次の核分裂に向かうことなく,漏れなどで失われることとなるため,臨界維持は出来ず,核分裂の連鎖反応は止まることとなります.
ロジャー・クレイア氏が,上記の基礎的な事項を理解していたかどうかは不明ですし,本来は原文をたどる必要がありますが,常識的には原文の間違い(翻訳ミスではここまで単純なミスをしないはず)と考えます.
よって,当該部分は原文ままとして,
「アル=ツワイサを破壊して,原子炉稼働後に核分裂で蓄積された核分裂生成物が放出された場合には」
とするのが正,と注釈を付けるべきと考えます.
へぼ担当 in mixi,2010年08月08日 03:02
【珍説】
〔バビロン作戦当時,サダム・フセインが〕核兵器開発してたという証拠はない.疑惑があっただけ.
原子力発電所を作ればすぐに核兵器開発ができるというものではありません.
現在のイランが国際的な批判と監視の中でかろうじてウラン濃縮率20%な現状を見てください.
兵器級のウランは90%以上でなければなりません.核兵器開発がいかに困難かわかります.
机上の核開発計画なら子供でも作れますが,実現性は全く別の問題です.
またイラクはNPT加盟国でありIAEAの査察も受け入れていたわけだから,
仮に核兵器開発計画が事実であり,かつ実現性の高いものだったら,
制裁は国連安保理の役割であり,イスラエルが勝手に行って正かったなんてナンセンスです.
イスラエルは被害妄想で安保理無視の犯罪を行ったのだから国際世論にフルボッコされたのは当然です.
一部の軍事オタクにはイスラエルにシンパシーを抱いてオシラク爆撃を正当化してる人がいますが,
社会常識を身に付けて下さい.
奈梨 in 2nd FAQ BBS,2010/5/8(土) 14:58
(※都合により,1st FAQ BBSより移動させました)
青文字:加筆改修部分
【事実】
ウランとプルトニウムを区別できていない段階で,あなたは論外です.
事実関係については,別項の通り.
>正かった
日本語能力をまず磨いてください.
【珍説】
イランの例を持ち出したのは核開発がいかに困難かを説明するためだとわからんかな.
イラクが計画してたプルトニウム型ならIAEAの監視の目を潜り抜けて簡単に開発できると思ってるのかね?
【事実】
やはり論外.
実際に1991年まで,サダム・フセインの核兵器開発は,IAEAの監視の目を潜り抜けています.
そもそも当時の査察制度では,査察官が軍事施設に立ち入ることは基本的にできません.
【反論】
>実際に1991年まで,サダム・フセインの核兵器開発は,IAEAの監視の目を潜り抜けています.
>そもそも当時の査察制度では,査察官が軍事施設に立ち入ることは基本的にできません.
理解力不足.
>イラクが計画してたプルトニウム型ならIAEAの監視の目を潜り抜けて簡単に開発できると思ってるのかね?
と批判してるんですが.
「査察官が軍事施設に立ち入ることは基本的にできません」から核開発できたんですか?
初心者スレ住人 in 2nd FAQ BBS,2010/10/22(金)
23:11
青文字:加筆改修部分
【再反論】
「簡単」であるとか,ないとかいった,曖昧な言葉を持ち出されても,主観による水掛け論にしかなりません.
もっとも,少なくともIAEAをして,査察のやり方を変えさせる程度には「簡単だった」ようですが.
反論のつもりであるなら,最低限,
統合保障措置
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=13-05-02-21
をよく読んで理解してから出直すことを強くお勧めします.
統合保障措置において,ようやく軍事施設の査察をするようになった,その背景には何があったのか,最低限でもそのくらいは理解してからお越しください.
2011.5.14
また,別項ですでに触れたように,北韓の事例と比較して,イラクの核兵器開発は北韓のそれより有利であったと言える.
そのうえ,「軍事施設に立ち入ることができない」など,査察を免れる施設があるとなっては,可能性はさらに増しただろう.
まさかその有利性を否定するつもりじゃないだろうね?
否定するなら論拠をどうぞ.
もちろん今となっては「歴史のif」であるから,必ず完成しただろうと断言することもできない.
しかし,ことは核兵器である.
そこんじょそこらの駄爆弾と違い,使用された場合の損害は計り知れない.
ゆえに,開発を進めているだけで脅威と見なされるのが当然.
だからこそ北韓に対しても,まだ開発疑惑の段階から,周辺国は圧力を掛け続けたのである.
どうも反論者は,核兵器の脅威を過少評価しているように思われる.
ヒロシマ型原爆だけで死者12万人,負傷者8万人.
一方,イスラエルの人口は731万人(2008年現在.世界銀行ソース)に過ぎない.
2011.5.15
【反論】
国連憲章違反の武力行使が国際正義の観点から「正しかった」わけはなく,IAEAの存在意義を否定してNPT体制を揺るがせる武力行使がイスラエルにとって「正しかった」わけもないでしょうが.
in 2nd FAQ BBS,2010/6/9(水) 1:11
【再反論】
論外.
湾岸戦争の際,イラクからイスラエルへスカッド・ミサイルが撃ち込まれた事例を見るに,これが核ミサイルでなかったというだけでも,結果的にイスラエルにとって正しい判断だったと言える.
また,国連は国際正義の執行または推進機関などではない(別項参照のこと)
【反論】
>湾岸戦争の際,イラクからイスラエルへスカッド・ミサイルが撃ち込まれた事例を見るに,
>これが核ミサイルでなかったというだけでも,結果的にイスラエルにとって正しい判断だったと言える.
これも理解力不足.
湾岸戦争当時イラクは化学兵器を所有してましたが,それさえイスラエルに対して使用しませんでした.
なぜだかわかりますか?
アメリカに核で報復されるからですよ.
万一イラクが核開発に成功してたらイスラエルが核で攻撃されただろうなんて,妄想の上に妄想を重ねているに過ぎない.
初心者スレ住人 in 2nd FAQ BBS,2010/10/22(金)
23:18
青文字:加筆改修部分
【再反論】
湾岸戦争の事例は,たとえ紛争当事者で無くとも,いきなり攻撃されるリスクをイスラエルが有していることの証明です.
あなたは,湾岸戦争の事例がなぜ出されたのか,理解できていないようです.
(またはバイアスが強いため,わざと曲解を繰り返している可能性も)
イラクに限らず,イスラエルを攻撃することはアラブ諸国や同地の武装勢力にとって,
・「アラブの大義」という大義名分
・イスラエルを共通の敵とすることによる一致団結
といった「アイテム」を入手するための,便利なツールとなっている側面があることを理解しましょう.
例えばガザ紛争の原因になった,執拗なハマスのロケット攻撃も,イスラエルをパレスチナ人との戦争に引きずり込むことで,ハマス自身のアラブ世界から,また,パレスチナ人からの支持を再び上昇させる狙いがあった可能性が高いと言われています.⇒more
故に,「万一イラクが核開発に成功してたらイスラエルが核で攻撃されただろう」というのは,妄想でも何でもありません.
少なくとも,イスラエル当局者は可能性の高い話と考えたからこそ,爆撃を実行したのですが.
その上,イスラエルとアメリカの間に,安全保障条約も締結されていないこともお忘れなく.
そもそも,自国民に対してさえ,毒ガス使用を躊躇わないような独裁者が,他国に対してはWMD使用を躊躇うだろうという積極的な論拠を,反論者は何かお持ちなんでしょうか?
お持ちなら,是非それを出してもらいたいですね.
それ以前に,「核で報復されるから」という,反論者の主張の論拠は?
失礼ですがそれは,貴方の勝手な想像ではないのですか?
2011.5.14
【質問】
イスラエルによるイラクの原子炉空爆は,どのように行われたのか?
【回答】
1981年6月7日にイスラエル・ネゲブ砂漠のエチオン基地から離陸したF-15×6機とF-16×8機によって空爆が行われ,これは世界中を驚かせた.
イスラエルはアラブ諸国が核開発を行うことを恐れ,2000lb爆弾2発を装備したF-16をイラクの原子炉爆撃に向かわせた.
F-16はこのほかに増加燃料タンクとサイドワインダーを装備し,F-15を護衛として,ヨルダン,サウジ・アラビアを回避するよう注意深く定められたルートの低空を高速で飛行し,イラクへ向かった.
目標は,バクダット南西20キロにある原子力発電所だった.
離陸から50分で,攻撃部隊は原子炉のドームを捕らえ,F-16が爆撃のため上昇,F-15がその後方から護衛に当たった.
F-16は全く効果のないAAAの抵抗にあっただけで,爆弾を投下することができた.
16発の爆弾すべてが原子炉ドームとその周辺の建物に命中し,1トン爆弾数発の命中でドームは崩壊,原子炉も破壊され,周囲の建物も甚大な被害を受けた.
この攻撃が鮮やかに決まった要因は以下の通り
-----------------------------------------------------------------
この攻撃はきわめて迅速に行われたため,主とバクダッド周辺に配置されていた地対空ミサイルも要撃戦闘機も,全く対処できなかった.
岐路に着いたF-15とF-16は,航続距離を確保するため,イラクとヨルダンの上空を高高度で通過していった.
ヨルダンはその領空を露骨に侵犯されたにもかかわらず,対空ミサイルも戦闘機も,これを防ぐことはできなかった.
作戦後,攻撃部隊のパイロットたちは18ヶ月にあたって秘密裏に作戦訓練を行っていたことが明らかにされた.
その訓練の中には,イスラエル国内の砂漠に作られた原子炉を模した建物に対する,何十ソーティもの攻撃訓練も含まれていたという.
----------------------------------------------------------------
『現代の航空戦』(ロン・ノルディーン著,原書房,2005.5),p.287
ものすごい練度と度胸,緻密な作戦が絡み合った成功と言えるんじゃなかろうかと思う.
ますたーあじあ in mixi,2007年12月27日19:16
【質問】
オシラク原子炉の情報を,イスラエルはどのようにして入手したのか?
【回答】
セイモア・M・ハーシュ著『サムソン・オプション』(文芸春秋,1992/2/1),p.9-25によれば,アメリカの偵察衛星KH-11の情報をイスラエルは入手したという.
同衛星は偵察衛星の技術を飛躍的に高めたもので,アメリカにとって情報収集のエースであり,英国にすらその情報へのアクセスは制限されていたという.
アメリカからイスラエルへの情報提供に当たっては,
「先制攻撃計画の資料となる情報は提供しない」
という取り決めがあったが,レーガン政権時代のCIA長官ウィリアム・ケーシーは,イスラエルへの協力に積極的で,情報は何でも提供してしまったという.
詳しくは同書を参照されたし.
もっとも,偵察衛星だけでは内部構造までは知りえないので,ヒューミントも併用されただろうことは想像に難くない.
ちなみに自称「国際ジャーナリスト」の落合信彦は,
「モサドのエージェントが発信機をひそかに原子炉内に仕掛け,その発信機がイスラエル空軍F-16を誘導した」
とする話を述べているが,真っ当な根拠らしいものは何も見当たらないし,ノビーのこれまでの「前科」を考えれば眉唾くさい.
【質問】
オシラク原子炉爆撃に反対する意見は,イスラエル政府内にはなかったのか?
【回答】
あったようだ.
セイモア・M・ハーシュ著『サムソン・オプション』(文芸春秋,1992/2/1),p.17-18によれば,攻撃の是非を巡る意見対立はあり,1979年末近くから最高レベルで議論されていたという.
同書によれば,
「イラクの核兵器製造能力は確認されていない」
という理由で,モサドのイツハク・ホフィ長官と,軍情報部長ヨシュア・サギ少将,イガル・ヤディン副首相が反対しており,また,イスラエル軍部には,
「イラクが大金を原子炉に注ぎ込めば,そのぶんだけイラクが買う通常兵器の量が減る」
として,イラクの原子炉を歓迎する意見が強かったという.
詳しくは同書を参照されたし.
湾岸戦争を見るに,結果論だが爆撃賛成派のほうが正しかったと言えよう.
【質問】
爆撃ではなく,外交的手段によって,イラクの核兵器開発をやめさせることはできなかったのか?
【回答】
もちろんイスラエルは外交ルートでも動いたが,ロジャー・クレイアによれば当時,どの大国も消極的であり,外交解決は期待薄だったという.
米英は,イラクへの原子炉売却について,正式に懸念を表明していたが,当時の米国にとってはイラクは年額2億ドルを超える貿易相手国だったため,米国はイラクと決定的に対立するつもりはなかった.
フランスはこの原子炉売却で数十億フランを稼いでおり,そんな儲け話をやめる意思はなかった.
他の欧州諸国は,先のアラブ諸国による石油輸出停止に懲りていて,アラブ人を挑発するような行為には及び腰だった.
1980年10月,最後の外交的試みが行われた.
イスラエルのイザク・シャミール外相はテルアビブのフランス大使館を訪れ,また,ベギン首相はジスカールデスタン大統領に外交文書を送り,事業中止を懇願したが,フランスはこれを拒否した.
フランスがしたのは,「フランスはイラクがオシラク原子炉を使用して,原子爆弾を開発することは決して許さない」という口約束だけだった.
【参考ページ】
『イラク原子炉攻撃! イスラエル空軍秘密作戦の全貌』(ロジャー・クレイア著,並木書房,2007.7.15),p.61
& 126
【ぐんじさんぎょう】,2010/05/26 21:00
を加筆改修
「金のためなら独裁者に原子力技術を売って仲良くしましょう」ですか・・・.
フランス革命に参加した革命家が見たら泣くわ.
バルセロニスタの一人 in mixi,2010年05月19日 20:59
忘れちゃいけませんぜ.
革命→恐怖政治→独裁→帝政
フランス革命は民主革命としちゃ大失敗であることを.
ソフトヒッター99 in mixi,2010年05月20日 00:36
【質問】
オシラク原子炉爆撃は,国際法的にはどのように判断できますか?
【回答】
ジュネーブ条約第一追加議定書56条には,
――――――
1.危険な力を内蔵する工作物及び施設,すなわち,ダム,堤防及び原子力発電所は,これらの物が軍事目標である場合であっても,これらを攻撃することが危険な力のほう質を引き起こし,その結果文民たる住民の間に重大な損失をもたらすときは,攻撃の対象としてはならない.
2 1に規定する攻撃からの特別の保護は,次の場合にのみ消滅する.
(b) 原子力発電所については,これが軍事行動に対し常時の,重要なかつ直接の支援を行うために電力を供給しており,これに対する攻撃がそのような支援を終了させるための唯一の実行可能な方法である場合
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/k_jindo/pdfs/giteisho_01.pdf
――――――
と書かれています.
電力供給ではなくて,核兵器開発なので,このケースは当てはまるか疑問ですが,当時オシラク原発は燃料装荷直前なので,攻撃しても周辺住民というか非戦闘員に犠牲が出ないと判断された.
それによりイスラエル空軍は攻撃に踏み切ったので,ジュネーブ条約違反にはなりません.
なお,イラクの核開発はこちらを参考にしてください.
http://www.rist.or.jp/atomica/
http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/14/14070201/02.gif
この図を見れば解ると思いますが,オシラク原発周辺には対空火器及びSA-6対空ミサイルの陣地があり,厳重な防御がされていた.
イラクがこの施設を重視していたのも解るでしょう.
90式改 in FAQ BBS,2010/5/8(土)
青文字:加筆改修部分
しかし,そもそも国際法の通説では,先制的自衛権に否定的であり,本件は国際法に沿うのであれば,イラクのNPT違反を問う法的解決を図らねばならないことになります.
ですが現実的には,その過程でイスラエルにとっては諜報網が露呈することになって打撃を受ける可能性が高く,また,時間もかかるのでその間にイラクが核兵器を完成してしまう懸念がある上,さらに違法判決が国際司法裁判所にて下されたからといって,イラクがそれに従う保障は何もありません.
むしろ,NPTを平然と破るイラクが,判決を無視する可能性が高かったでしょう.
そうした国際法の不備をも勘案して,
「人気があって死ぬのと,不人気でもいきていくことの,どっちかを選択しろということなら,私は不人気でも生きていくほうを選ぶね」(アリエル・シャロン農相(当時))
という結論にイスラエルは至ったのでしょう.
【質問】
オシラク空爆は米の反対を押し切って行われたのか?
【回答】
米の反対を押し切ってやった.
てか,これまでいつも米はイスラエルの外征・攻撃作戦に反対していたが,実施されると擁護に回る.
戦前の日本の軍部中央と満州軍の関係に近い.
軍事板
青文字:加筆改修部分
セイモア・ハーシュによれば,レーガン政権にとっては反対する・しない以前に,寝耳に水の出来事だったという.
その数ヶ月前にウィリアム・ケーシーCIA長官が,イスラエルを秘密訪問しており,そのときに協力関係を再構築したと彼は認識していただけに,イスラエルからの事前通知がなかったことに彼は困惑し,苛立ったという.
また,最高機密であるはずの米軍事偵察衛星KH-11によって撮影された写真が,オシラク爆撃に役立てられていたことも判明し,原因究明のための調査委員会まで開かれる羽目になった.
爆撃後,アメリカ国務省は公式にこれを非難し,F-16の対イスラエル売却は凍結された.
したがって,「擁護に回った」というのは厳密には正しくない.
しかしレーガン大統領個人はオシラク原子炉破壊を歓迎し,爆撃から2ヶ月後には凍結は解除されている.
気持ちは分からんでもないが.
この辺のアメリカの迷走ぶりは,『サムソン・オプション』(セイモア・ハーシュ著,文藝春秋,1992.2.1),p.15-26を参照されたし.
【質問】
当初,1981.5.10に予定されていたオシラク原子炉空爆は,なぜ延期されたのか?
【回答】
その前日夕刻,当時の野党,労働党党首だったシモン・ペレスからベギン首相宛に,空爆に反対する至急の文書が届いたため.
これにより情報漏れを懸念した首相は,延期を決断した.
ペレスらに情報をリークしたのは,爆撃に反対していたエゼル・ワイツマンだと,ベギンはその後の調査によって確信しているが,証拠はないとの由.
【参考ページ】
『イラク原子炉攻撃!』(ロジャー・クレイア著,並木書房,2007.7.15),p.182-184
【ぐんじさんぎょう】,2011/05/10 20:30
を加筆改修
【質問】
オシラク原子炉攻撃時の飛行パターンは?
【回答】
1. 約30mの低空で侵入.
2. 4マイル地点にて,約1500mまで急上昇.
3. 90度反転上昇旋回して目標にまっすぐに向かってから,機体に加わるGを正方向にするため,また,目標をまっすぐに見えるようにするため,反転急降下.
4. 数秒後,ロールさせて機体を戻し,目標に向かって急降下.
5. 爆弾投下
6. 直後,対空火器を避けるため,機体を捻りながら高空まで急上昇.
【参考ページ】
『イラク原子炉攻撃!』(ロジャー・クレイア著,並木書房,2007.7.15),p.236-237
【ぐんじさんぎょう】,2011/05/07 20:20
を加筆改修
【質問】
オシラク原子炉爆撃は成功だったのか?
【回答】
セイモア・M・ハーシュ著『サムソン・オプション』(文芸春秋,1992/2/1),p.18によれば,戦略的には半分成功だったという.
なぜならイスラエルは計画通り原子炉を破壊したが,その近くにあるプルトニウム再処理施設には損害を与えなかったからだという.
詳しくは同書を参照されたし.
【質問】
オシラク原子炉がイスラエル軍の空爆で受けた損害は,どの程度だったのか?
【回答】
中央建造物は破壊されて,ドームは完全に姿を消し,格納容器は使い物にならなくなったという.
オシラクはプール型炉だったが,ドームの下にあった,燃料棒を冷却するプールは,瓦礫で埋まった.
フランス人技師は,
「作業を再開するとすれば,全てを更地に戻して,最初からやり直さなければならないだろう」
と空爆翌日,フランスの新聞の取材に答えている.
原子炉の内部構造まで,イスラエル側に筒抜けだったということ?
【参考ページ】
『イラク原子炉攻撃!』(ロジャー・クレイア著,並木書房,2007.7.15),p.280-281
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=14-07-02-01(画像引用元も)
【ぐんじさんぎょう】,2011/01/11 21:20
を加筆改修
> 原子炉の内部構造
まあ,研究炉はほぼ全て公開されていますし,仮に公開されていない物でも型式が分かれば,大体の配置が分かる.
原子炉格納容器への爆撃は,それを完全に理解していたものと言え,破壊の程度が適切(無駄に破壊せず,破壊が足りないこともなく)であったのは,それを十分に立証しているものと言えますね.
へぼ担当 in mixi,2011年01月11日 05:19
何せ,実物大のミニチュア作って爆撃訓練やってましたしねぇ>イスラエル空軍
事前の情報取得と併せて,もはやケチの付けようがないかなと.
領空侵犯云々も含めて.
ますたーあじあ in mixi,2011年01月11日 13:44
【質問】
オシラク爆撃の際の,イスラエル空軍の投弾の命中精度は?
【回答】
オシラク原子炉にはMk.84 2000ポンド(908kg)爆弾16発が投下された.
誘導装置のない自由落下型の爆弾だったが,15発がドームを直撃し,1発だけがそれて,その隣の中性子誘導ホールへ落下した.
15発のうち1発が,投下高度が低すぎたため,信管作動前に着弾して不発となった.
それにしてもこの命中率,セイロン沖での日本海軍急降下爆撃機の命中率を越える.
【参考ページ】
『イラク原子炉攻撃!』(ロジャー・クレイア著,並木書房,2007.7.15)
【ぐんじさんぎょう】,2011/01/13 20:40
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wikiだと命中せずと爆発せずが一発ずつで,成功が14発ってことになってます.
定かではないですが,確か「やる男」でもオプーナが爆弾を外してました.
「あの原子炉を叩け!」も読んだけど…一番大事なソースなのに覚えてないっていう(笑)
おいなり in mixi,2011年01月11日 01:40
> 中性子誘導ホール
これだけが良く分かりません.
通常の構造であるならば,中性子ビームの誘導管は通常,原子炉ドーム(原子炉建屋・原子炉格納容器)の中に存在するのですが,それ以上に引き延ばす設計になっているのか否か,私個人には良く分かりません.
日本国内での類例は,JAEAのJRR-3Mの構造を参照いただければよいかと.
へぼ担当 in mixi,2011年01月12日 00:49
【質問】
オシラク原子炉の中性子誘導ホールは,どこにあったのか?
【回答】
原子炉の東側に隣接して,10フィート地下に作られていた.
http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/14/14070201/02.gif
の図の,中央の水色の建物(原子炉)の下側のでっぱりが,事務室・データ処理室・予備電源の施設となっていて,ホールはその下(およびその西側へと広がる範囲の地下)にあった.
長さ60フィート,幅10フィート,高さ30フィートのコンクリート室であり,原子炉内で核分裂するウラニウムから取り出される自由中性子を使用しての,様々な実験に使用されていたという.
想像するに,水平実験孔を介して,JRR-3M
http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/08/08010311/06.gif
のようなものが,原子炉プールと続いていたのではないかと.
【参考ページ】
『イラク原子炉攻撃!』(ロジャー・クレイア著,並木書房,2007.7.15),p.124-125
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=03-04-02-02
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=14-07-02-01
【ぐんじさんぎょう】,2011/01/20 21:31
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【質問】
オシラク爆撃に際し,なぜイスラエル空軍は誘導兵器を選ばなかったのか?
【回答】
以下の理由による.
1) 「スマート爆弾」GBU-15は大きくて取り扱いが面倒で,これを搭載すると,長距離ミッションにとって最重要課題だった燃料効率が,重量と空気抵抗によって,さらに低下する恐れがあった
2) 信頼性が100%ではなかった
3) 対空砲火を浴びる最も危険な時間帯に,パイロットが爆弾の誘導に集中することになり,作業負担が増えるのを嫌がった
> このミッションの成功の鍵は,単純明快さと奇襲性であることを,イヴリーは確信していた.
(下掲書,p.131-132)
デヴィッド・イヴリー少将は当時,イスラエル空軍司令官.
後の駐米大使.
【参考ページ】
『イラク原子炉攻撃!』(ロジャー・クレイア著,並木書房,2007.7.15),p.131-132
【ぐんじさんぎょう】,2011/01/23 21:20
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【質問】
なぜイラク軍は,オシラクに襲来したイスラエル空軍機を撃墜できなかったのか?
【回答】
イスラエル軍の事前の見積もりでは,対空砲火や機材故障によって,少なくとも2機が失われるだろうと予測されていた.
しかしモサドは,アツ=ツワイサの対空火器部隊の兵士が毎日,18時前から夕食休憩を取る習慣があることを察知したので,爆撃時間が現時時間18:30になるように出撃した.
情報どおり,イラク軍兵士は爆撃当時は食事中であり,ZSU-23-4高射機関砲やSAMレーダーの電源も切っていたので,第2波編隊の迎撃にレーダー立ち上げが間に合わなかった.
彼らは手動で乱射するしかなく,低空飛行するF-16に合わせ,地面すれすれまで射線を落として射撃したため,施設の向かい側の射座をなぎ倒して,味方数名を死亡させ,十数名の負傷者を出した.
(せっかくのZSUが,なんたる宝の持ち腐れ!)
「なお,犠牲者の中に,日本人は含まれていない模様です」
【参考ページ】
『イラク原子炉攻撃!』(ロジャー・クレイア著,並木書房,2007.7.15),p.175,261-262
【ぐんじさんぎょう】,2011/04/28 20:54
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シルカ懐かしい.
某ゲームでは,初期の頃は資金無いので,
ヘリ→ブラックホーク
車両→ブラッドレイ
対空→シルカ
戦闘車両→メルカバ+フランスのはえーやつ
だったな
対空はローランド作れるようになったら,こればっかりだった記憶が(笑)
小岩井ぼにう in mixi,2011年02月11日 17:27
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何つうか・・・交代で休憩する規定がなかったのかな?>イラク軍
バルセロニスタの一人 in mixi,2011年02月11日 18:49
ダン・マッキノンのほうの本には,交代の隙を突かれて何もできなかったイラク軍に,
「ほらほら,ソ連製の武器なんか使ってるからこうなるんですよ」
とばかりに,商魂たくましいフランス人がつけいって,大量のフランス製兵器を購入させたと書いてありました.
Woynary in mixi,2011年02月12日 01:49
【質問】
オシラク爆撃に向かうイスラエル空軍機は,探知されなかったのか?
【回答】
事前の計算によれば,F-16が地上から100フィート以下で飛行すると,イラクから地上に設置した監視レーダーから12マイル以内に入るまでは発見されないとされており,それにしたがって低空飛行した.
ユーフラテス川をF-16が越えると,その35マイル北にあるアル=ハッバニヤとアル=タッカダムの両空軍基地にあるレーダーの探知範囲に入るはずだったが,迎撃機は上がってこなかった.
(迎撃機が上がってきた場合は,同行していたF-15が相手をする算段になっていた)
その前に,ヨルダンとサウディアラビアの領空を攻撃隊は通過していたが,ヨルダンのレーダーの覆域と,サウディ空軍のAWACSの間に存在すると思われた「誰の目も届かない回廊」に沿って飛行し,実際に両空軍のスクランブルもなかった.
唯一,アカバ湾のヨットの上を通過したときに,ヨルダンのフセイン国王によって目撃され,同国国防司令部に国王からの問い合わせが入っただけだったという.
【参考ページ】
『イラク原子炉攻撃!』(ロジャー・クレイア著,並木書房,2007.7.15),p.216-233
【ぐんじさんぎょう】,2011/05/04 20:00
を加筆改修
【質問】
オシラク原子炉爆撃がイスラエルによるものだと分かったのは何故か?
【回答】
メナヘム・ベギン首相が,戦術的成功に舞い上がって爆撃翌日,発表してしまったため.
セイモア・M・ハーシュ著『サムソン・オプション』(文芸春秋,1992/2/1),p.19によれば,国際的な非難を恐れたイスラエルは,爆撃に参加する航空機のマークを塗りつぶし,2分間で攻撃を終わらせることで,国籍をつかまれないようにしており,その可能性も低かったが,このベギンの軽挙で台無しになり,案の定,国際社会からは非難が殺到したという.
詳しくは同書を参照されたし.
せっかくの機密保持の努力を政治家が台無しにするというのは,比較的起こりやすいことなので注意を要する.
【質問】
オシラク原子炉爆撃に対し,アメリカはどのような対応をしたのか?
【回答】
見かけだけの「制裁」を,イスラエルに対して行った.
セイモア・M・ハーシュ著『サムソン・オプション』(文芸春秋,1992/2/1),p.16-17によれば,この爆撃により米国はF-16,4機の引渡しを延期した.
これは1975年の協定に基き,米国の長期低利融資を受けてイスラエルが購入する計画だった75機の一部.
「防衛のためにのみ」購入するとされていた.
しかしオシラク爆撃に参加したF-16も,その75機の一部だった.
その2ヶ月後,記者会見もなく凍結は解除され,何事もなかったかのようにその4機は引き渡されたという.
詳しくは同書を参照されたし.
【質問】
オシラク原子炉爆撃に対するイラクの報復行動は?
【回答】
セイモア・M・ハーシュ著『サムソン・オプション』(文芸春秋,1992/2/1),p.20によれば,その数日後にはソ連製スカッド・ミサイルを,サダム・フセインはヨルダン国境へ移動させたという.
これがヨルダン国内へ入っていれば,イスラエルのディモナ核施設(プルトニウム再処理施設を含む)がその射程距離に入っただろうという.
詳しくは同書を参照されたし.
原子炉破壊合戦に至らなかったのは幸いというべきだろうか.
【質問】
81年にイスラエルがイラクのオシラク原子炉を空爆で破壊した件は世界中から非難を浴びたけど,湾岸戦争後にそのことでイスラエルに謝罪した団体はあるのか?
【回答】
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