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世界史なんでも質問スレッド82

目次

 【追記】 自然発生的にヨーロッパの貴族のパーティのマナーを準用しているだけ

 【追記】 オーストラリアがインドネシア独立を邪魔した.

 【質問】 ヨーロッパから早くに自立して,文明国だった南米地域がどうして,ヨーロッパや北米のような先進地域になれなかったん?

 【質問】 ルイ16世って,なぜ処刑されたんですか?

 【質問】 英雄チャーチルが第2次世界大戦後,選挙で惨敗したのはなぜ?

 【質問】 南米の政情が落ち着かないのって何で?

 【質問】 メキシコなんかでもポルフィリオ・ディアスなんかは,ラテン系独裁者の典型では?

 【質問】 ド・ゴール率いる自由フランス軍は,連合国の勝利に貢献したのでしょうか?

 【質問】 東郷平八郎が世界三大提督というのは,過大評価では?

 【追記】 最近じゃラテンアメリカ諸国もスペインの征服を絶対的な悪だと評価しなくなってる.

 【質問】 スペイン征服前のフィリピンは,どんな歴史を歩んできたのでしょう?

 【質問】 西ローマ帝国のその後は,どうなったんでしょうか?

 【質問】 何故スイスは第1次世界大戦の時,リヒテンシュタインに食糧援助したの?

 【質問】 欧米では中国を,どういう呼称で呼んでいたのでしょうか?

 【質問】 南北戦争において,シャーマンは何故「海への進軍」をやったのでしょうか?

 【質問】 せん淵の盟と慶暦の和約って結局,宋は損しかしてないんでしょうか?


 【追記】

212010/11/15(月) 20:56:19 0
>>11
特に格付け機関なんてない
あくまで主催国が独断と偏見で勝手に席順や料理の質を決めている.
だから小渕総理の時代に江沢民が小渕首相を怒らせたとき,接待の責任者を
部長から課長にかえて,格式を落としたことがあった.
とは言っても,何でもかんでも自分の流儀で仕切るのは
どこの国でも,どの民族でも,だれでも疲れるから,
自然発生的にヨーロッパの貴族のパーティのマナーを準用しているだけ

世界史板,2010/11/15(月)
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 【追記】

332010/11/16(火) 06:58:10 0
>>5
オーストラリアが独立を邪魔した.

第二次世界大戦中,日本が侵攻し,オランダ勢力を排して占領.
戦後には速やかに独立をさせるという約束で在郷有力者に日本の軍事作戦に協力を要請.
今になってはその気もないカラ手形で精々傀儡国家しか作る気はなかったろうということだが
結構インドネシアの在郷勢力は独立を信じて日本軍に協力的だった.
赤紙でかき集められてきた日本の兵員も大東亜共栄圏の建前とか信じている人も多かったが.

日本の敗戦.連合国側の指示は,連合国進駐軍が到着するまで占領を維持し,到着後は
速やかに引き渡せ.第一陣は,オーストラリアからイギリス軍が来る.というもの.
ところが,むざむざ渡すのも癪だ,白人の植民地になっては申し訳が立たない,ましてや
再植民地化の協力はイヤだという日本の現地占領軍の判断で勝手に在郷勢力に武器を
渡して自ら捕虜になってしまう.言い訳は「敗戦の報が来た時点で既に降伏して,武装解除して
武器もなんもかんも現地官吏に渡して捕虜になってる.ところで国にはいつ帰れますか?」ってなもの.

で,オーストラリアからイギリス軍と,オーストラリに逃れていた蘭印の高官,カナダで訓練を
受けたオランダ軍がやってくる.ついでにオランダの女王様一家は戦中イギリスに疎開していた.
「日本は戦争に負けたでよ,インドネシアはイギリスが占領して,オランダに引き渡すからね」と
言っちゃったものだから,インドネシア人怒って再占領拒否.話し合いもこじれて,ドンパチが
始まってしまった.
既にイギリスとの間で独立が約束されているインド・マレーシアは撤兵を強く主張,本国イギリスの
意向に唯々諾々と従うオーストラリアからは白人の兵隊がどんどん来るものだから,そりゃ,
植民地化の手先であるオーストラリアに良い感情は持ちようがない.

世界史板,2010/11/16(火)
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 【質問】
 ヨーロッパから早くに自立して,文明国だった南米地域がどうして,ヨーロッパや北米のような先進地域になれなかったん?

 【回答】
 中南米諸国の19世紀における独立運動は,スペイン・ポルトガルからの市場開放を望む英国が支援したものだ.
 英国海軍が大西洋の制海権を握り,豊かな鉱物資源や農作物の市場を奪ったため,中南米諸国は独立国とはいいながら,政治的・経済的に英国の支配なくしてやっていけなくなった.
 また,ブラジルはポルトガル王家の皇帝を頂くポルトガル語圏でなんとかまとまったが,旧スペイン領は地域経済圏ごとに分裂してしまい,統一したナショナリズムを形成することができなかった.

 そして米に比べると,工業化がめっさ遅れた.
 原因は下記2点があげられる.

上述のように,独立時に英が支援し,その後も経済的な従属関係がズブズブ続いた.
 後に英国の影響力は弱まるが,変わって米国がガッチリ確保する.

・独立時にクリオーリョが活躍し,その後も封建的保守派として蔓延った.
 んで19世紀は自由主義者と延々争う,或いは保守派が独裁することになり,大土地所有制が残る.

 対して米国はどうだったのかというと,米英戦争後に北部が木綿工業等で経済的自立を始めた.
 南部はちょうどラテン・アメリカと同じように,英に従属した経済だったのだが,南北戦争で壊滅した.

 工業化に絞って考えると,アルゼンチンやウルグアイが一時期裕福だったものの,波に乗れなかったことも説明がつく.
 それは農牧業と外資に依存していたため.

 有名なサッカー戦争も,この問題の一端と言える.

世界史板,2010/11/16(火)〜11/17(水)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ルイ16世ってテュルゴーとネッケルを起用して,特権身分へ課税したんですよね?
 国王であるルイ16世が,特権身分に課税するってことは,下層民衆の人たちのことを考えるいい国王ってことですよね?
 なのになぜ処刑されたんですか?

 【回答】
 その改革が引き金だ.
 保守派貴族層は当然免税特権を守ろうとし,パリ高等法院は「納税者の代表の同意が必要」だとして,175年ぶりに「三部会」を召集することを要求.
 このうち貴族・聖職者の票で反対多数として,否決しようとした.
 ところが第三身分がこれを不服とし,結果的にフランス革命が勃発.
 国王は人民から好まれてはいたが,革命は望んでおらず,封建制度の廃止を求めるなど,平民層の要求がエスカレートすると,密かに国外脱出を図るが,発覚.
 これにより平民からの支持をも失い,王権が停止されて国民公会による共和政が敷かれる.
 彼をどうするかについての議論は紛糾したが,結局「主権は人民にあり,それを独占してきた王政そのものが罪悪だ」とされ,国民公会での投票の結果,ルイの死刑が確定した.

世界史板,2010/11/20(土)
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 【質問】
 第2次世界大戦でイギリスを勝利に導いて,国民的英雄になったチャーチルが,戦争終わった後の選挙で労働党に惨敗して,政権の座を追われたのはなぜ?

 【回答】
 チャーチルが共産主義の脅威をことさらに訴えたのに対し,労働党は福祉の充実と産業国有化を軸とする,大規模な社会改造計画を提案し,圧勝した.
 アメリカ以外の先進国は皆,イギリスの影響を受け,福祉国家を目指すようになる.
 それほどに強いメッセージ性を,当時の労働党は持っていた.

 誤解のないように述べると,決してチャーチルの人気が無かったわけではない.
 当時の多くのジャーナリストは,チャーチルの人気の高さから保守党勝利を予想していた.
 また,その人気の高さから,チャーチルは第2次内閣を率いている.
 現在のイギリスでも英雄視されている.

 ただ,1945年の選挙戦でチャーチルは,労働党よりも強力なメッセージを持っていなかった.

世界史板,2010/11/23(火)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 南米の政情が落ち着かないのって何でだろうね?
 独裁や内戦や政変がやたら多くて,国の発展の足を引っ張ってるような気がする.
 立地条件には恵まれてるのに,人災のせいで第二のヨーロッパになり損ねたって感じ.

 【回答】
 ラテン・アメリカ諸国は独立当初から既に,自由党と保守党の対立が激しかったね.
 これは独立後の国家体制の骨組みがまだはっきりと決まる前に,勢いでスペインから一斉に独立してしまったからというのもあるね.

 そうは言っても19世紀半ば頃には,そういった対立も落ち着いてきて,多くの国で多元主義に基づいた,議会政治が行われるようになったんだ.
 この頃のラテン・アメリカの政治体制は,同時代のヨーロッパ諸国とさして変わりはなかった.
 ただ,経済に関しては工業化を遂げていたヨーロッパと違って,資源の豊かなラテン・アメリカでは一次産品の輸出だけでもやっていけたから,議会政治のせいで支配層の政策方向が1つに定まりにくかったラテン・アメリカ諸国は,国が積極的に工業化の後押しをすることがなかったんだ.

 しかし,20世紀になるとポピュリズムという考え方が,ラテン・アメリカで流行ってくるんだ.
 1次産品輸出の結果,ある程度豊かになったラテン・アメリカ諸国は,そのために都市が発展し,中間階級や労働者階級の人が多くなった.
 アルゼンチンなんかでは国がアメリカを真似て,ヨーロッパからの移民を積極的に呼び寄せたから,余計にそういう層が育ちやすかったね.
 多元主義の議会政治じゃ,ポピュリズムを実行できないと思った多くの人々は,強力なリーダーシップに彩られた独裁者に国政を委ねようとする.
 こうして出来たのが,ヴァルガスやペロンといったラテン・アメリカの独裁者たちなんだ.
 ラテン・アメリカの独裁者はおおむね,こういったポピュリズム的政治家が大半だった.

 しかし,企業の国営化など国が積極的に経済に関与するポピュリズム政策は,20世紀後半の自由経済・自由貿易が盛んになった世界には対応できなくなっていく.
 それにメキシコ債務危機などの影響も加わって,たちまちポピュリズム的独裁者たちは失脚していく.
 議会政治もダメ,ポピュリズム的独裁もダメだったラテン・アメリカでは,キューバ革命に代表されるように社会主義体制に移行しようとするか,そういった社会主義を押さえ込もうとして軍事政権が誕生するかの,2通りに分かれた.

 ちなみに,上で話題になったチリのピノチェトは後者のパターンだよ.
 軍事独裁政治は,ポピュリズム的独裁の名残みたいな面あったから,次第に時代遅れとなり,20世紀末から21世紀初頭にかけて民政移管された.
 社会主義体制のほうも,キューバ以外の国では冷戦の終了に伴い,自然消滅した.

 以上がラテン・アメリカの政治が不安定で,独裁が多かった主な理由かな?
 ちなみに,メキシコの歴史だけは例外で,上に書いたラテン・アメリカの歴史パターンに,この国だけは当てはまらないんだけど,それはこの国がスペイン植民地時代から特別な地域だったからだと思うよ.

◆EAbyJft1LY :世界史板,2010/11/23(火)
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 【質問】
 メキシコなんかでもポルフィリオ・ディアスなんかは,ラテン系独裁者の典型では?

 【回答】
 ディアスはラテン・アメリカ史の研究家の間では,歴史的位置付けが難しい,厄介な独裁者なんだよねぇ.
 この時代,多くのラテン・アメリカ諸国では,多元主義的な議会政治が行われてたのに,メキシコだけがディアスによる独裁だったから.
 基本的にメキシコはラテン・アメリカの中では,歴史的に少し特殊な地域なんだよね.

◆EAbyJft1LY :世界史板,2010/11/23(火)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ド・ゴール率いる自由フランス軍は,フランスが戦勝国になって,戦後,国際連合の常任理事国に入る国際的地位を獲得できるほど,連合国の勝利に貢献したのでしょうか?
 戦争序盤での負けっぷりや,あくまで英米の補助的役割しか果たせなかったことを思うと,自由ポーランド軍と大して変わらない気がするのですが.

 【回答】
 「ドゴールのフランスを加えよう」と主張したのはチャーチル.
 ヴィシー政権は親ナチスで,仮にこれを「正統なフランス政府」として認めていたら,フランスはドイツのごとく,「敗戦国」として懲罰を受けて分割統治され,ことによると一部が共産圏に組み込まれたかもしれない.
 そうなるとヨーロッパの危機で,対岸のイギリスも危ない.
 そうでなくても,大戦ですっかり衰退したイギリスとしては,米ソに対抗できる勢力を,近場で味方につけておきたかったし,パリに入ったドゴールは,国民から熱狂的支持を受けていた.
 一応,かつては大英帝国を向こうにまわして世界中で戦った歴史もあり,華やかな文化もある.
 ヨーロッパの大国として国際秩序の一端を担っても,当時ではそうおかしくはない.

 蒋介石の中華民国だって,焦土戦術で日本を苦しめたものの,戦果というほどの戦果はない.
 多大な犠牲を払った米英ソの3大国だけで,常任理事国になったっておかしかないのだが,1943年のテヘラン会議でルーズベルトが,「中国も加えよう」と言い出した.
 米国としては,同じく日本と戦う「敵の敵」の指揮を高めることは必要だったし,戦後のアジアで中国が親米になれば,ソ連の覇権を抑えることもできると考えていたようだ.
 すごく失敗したが.

世界史板,2010/11/24(水)
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 【質問】
 世界三大提督の一人に数えられる,東郷平八郎について教えてください.
 自分は,バルチック艦隊が「奇跡の航海」でかなり弱っていたこと,丁字戦法は難しいものの,古くから有る戦法だし,秋山真之の具申であることから,東郷が世界三大提督というのは過大評価ではないか,むしろ日本海海戦だけでは世界史的に見て「有能な提督の枠に入る」程度の証明にしかならないと思うのですが,どうでしょうか?

 【回答】
 世界三大提督っつーのは,「日本人が思う世界三大提督」なんだ.
 しかも,実際に権威ある学者が発表したとか,実際にアンケートを採ったとかじゃなくて,誰が言い出したか分からない適当な俗論が,(日本国内のみで)人口に膾炙したにすぎない.
 すると,東郷はわが国の国民的英雄なので,自然と入るわね.

 これだけじゃなく,世界三大○○ってのはほとんど適当なもの,あるいは旅行会社が言い出したもので,まぁ雑学披露の種にでもなればいいし,気に入らない三大○○があれば反論しちゃえばいい.
 だから今日から世界三大美人は,「クレオパトラ・楊貴妃・それと俺の彼女」だ.
 そもそも三大に拘らなくてもいいかもな.

 ちなみに,日本でしか言ってないので,世界三大が外国で通用するってのはほぼ嘘ね.
(ネルソン・ジョーンズ・東郷が知られていないわけではない.
 東郷は世界の近代海戦史には必須だし,民間のビール会社が世界の提督シリーズで出す位の知名度はあり,ブリタニカにも載ってるが,これらをセットにする考え方共有されていない)

 それに実は,世界史上重要な海戦というのは,まだ大砲のなかった古代のものや,すでに航空戦力が主力となって いた第2次大戦のものをのぞくと,意外に,そんなに多くはない
 砲撃戦が主体の時代には,意外に小競り合い程度の海戦が多く,重大な決戦的な海戦は少なかった.

 そのあまり多くない海戦の中で,特にインパクトのあったものが,ナポレオンの野望を打ち砕いたトラファルガー だったり,東洋の新興国が大国ロシアを破った日本海海戦だったりするわけで
(もし他に挙げるとしたら,レパント海戦,アルマダ海戦,日清戦争の黄海海戦,第1次大戦のユトランド海戦ぐらいか),
提督としての能力よりも,その歴史的海戦の勝者側の指揮官ということで,上述のような理由もあって,世界三大に数えられているのだと思う.
 なお,あとの1人のジョーンズについては,著名な海戦があるわけではないが,海軍による通称破壊戦略や,英国襲撃でアメリカ独立に寄与した点で,インパクトがあるのかと.

 東郷の能力に関して言えば,丁字戦法を完成する為には,揺れる船からの砲撃の精度が問題になる.
 東郷は訓練に訓練を重ねて,砲撃の精度を高める事によって,丁字戦法を完遂し,バルチック艦隊を撃滅する事に成功した.
 つまり机上の空論を実現したのが功績,と「ヒストリア」ではやってたな.
 実際の所は知らんけど.
 どんな優れた作戦でも,それを実際に指揮して成功に導くリーダーが居ないと,絵に書いた餅で終わる.

 ただ,残念ながら,彼の後半生(特に最晩年)は,まさに老害以外の何ものでもなくなってしまった.

 昭和に入る頃から,海軍ではいわゆる統帥権干犯問題が持ち上がってくる.
 要するに軍隊というものは憲法上,天皇直属だから,内閣の統制は受けない,オレたちは天皇からじきじきの統率を受けるのだ,という訳だ.
 これで軍は内閣をぶっつぶしたり,外地で勝手ないざこざを起こしたりする言い訳を作ってしまったのである.

 不幸なことに東郷平八郎が,こうした連中のみこしに乗ってしまった.
 東郷は日露戦争後は,神様扱いになっていた.
 直接の権限はなかったにせよ,彼の言うことは海軍内では誰も反対できない雰囲気になってしまった.

 そして海軍内の艦隊派(要するに統帥権を振りかざして軍拡を叫んだ人たち)が,彼の声望を利用した.
 東郷を自分達の方に取り込んでしまえ,自分達の意見を東郷に言わしめるのだ,そうすれば誰も反対できない.
 不思議なことには東郷は,彼らにいとも簡単に乗せられてしまった.
 五十代までは,あれほど冷静な判断力や分析力があった人が,これほど簡単に艦隊派に取り込まれてしまったの,はまったく意外なことである.
 そして神輿に乗せられた東郷は,声高に艦隊派の意見を口にするようになった.
 彼が言えば,誰も止めようがない.
 東郷が「カラスは白い」と言えば,海軍部内ではカラスは白い鳥でなくてはならなかったのである.

 その後の日本の歴史は,周知の如くである.
 そして太平洋戦争後は艦隊派の評価はガタ落ち,反対の意見であった理性的な条約派が正しかったことを,歴史が証明した.
 もし東郷が耄碌せず,艦隊派に乗せられなかったなら,あるいは少なくとも沈黙を守っていれば,日本の歴史も変わっていたかもしれない.

 東郷は後半生を,このようにしてその評価をガタ落ちさせたのである.
 今でも進歩的知識人などの左翼は,東郷の後半生だけ取上げて,彼の功を無視して,その罪ばかりを攻撃しているが,彼の後半生のみをとれば,それはやむを得ないことなのである.

 また,東郷は練度を上げることに熱心なあまり,聯合艦隊解散の辞に
「百発百中の一砲能(よ)く百発一中の敵砲百門に対抗し得る」
という言葉を残している.
 これに対して,後に井上成美が次のように批判している.
「百発百中の砲一門と百発一中の砲百門が撃ち合ったら,相手には百発一中の砲九十九門が残る」

世界史板,2010/11/26(金)
青文字:加筆改修部分


 【追記】

664 : ◆EAbyJft1LY :2010/11/28(日) 14:31:03 0

後,最近じゃラテンアメリカ諸国もスペインの征服を絶対的な悪だと評価しなくなってる.
疫病やミタ制などの弊害もあったけどそればかりもたらした訳じゃないからね.
メキシコなんかはメスティーソとインディオが8割を占める割には,
反スペイン感情があまり高くない.そもそもスペインに征服に関する悪い噂は,
スペインの覇権を妬んだイギリスやフランスなどによる黒い伝説的な要素もあるからね.
まぁ,それらが全くの根も葉もない噂って訳でもないんだけど.

世界史板,2010/11/28(日)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 スペイン征服前のフィリピンは,どんな歴史を歩んできたのでしょう?

 【回答】
 「フィリピン諸島」という名前は,スペイン人からの他称であり,それ以前からこの諸島が政治的・文化的統一体としてあったわけではない.

 初期の住民はネグリト,次いでマレー系住民で,紀元後数世紀頃には,ジャワ方面から文化が伝来したようだ.
 中国の文献には10世紀末から14世紀にかけて,マニラのことらしい麻逸・摩逸・麻里・麻里魯といった国名が見え,
「麻里国人は木綿の布で身体を覆い,中国や大食(アラビア)と物々交易を行う」
「青銅の神像を祀る」
などと記される.

 14〜15世紀には,スマトラ方面からのムスリム系移住者が南部の島々に来て,スールー諸島にスールー王国を,ミンダナオ島にマギンダナオ王国を建てた.
 また,ルソン島などにも,ブルネイから来た人々による,イスラーム系都市国家が存在した.
 16世紀のマニラは,6000人の人口を持つ交易地で,金・蜜蝋・蜂蜜・蘇木を輸出し,陶磁器・鉄製品・織物・雑貨を輸入した.
 その交易網はマラッカを介して,インド洋全域から中国南部に及んでいる.

世界史板,2010/11/28(日)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 西ローマ帝国末期と,その後の状態について教えてください.
 西ローマ帝国のその後は,一体どうなったんでしょうか?

 【回答】
 ギボン「ローマ帝国衰亡史」を読んでくれ.

 395年,テオドシウス帝の子ホノリウスが西ローマ皇帝となるが,蛮族の侵攻を防ぐことはできず,ブリタニアにはブリトンとアングロサクソン,イベリアから南ガリアには西ゴート,北ガリアにはフランク,北アフリカにはヴァンダルが割拠.
 西ローマはこれらに名目的な宗主権を持つだけで,首都ラヴェンナやミラノ周辺にしか支配が及ばず,実権もヴァンダルやブルグンド出身の将軍・宰相が握るようになっていた.

 やがて宰相オドアケルは,東ローマ皇帝に西の帝位を返還し,東ローマの宗主権下にある「イタリア王」となるが,のち,東ローマは東ゴート王テオドリックを派遣して,オドアケルを殺させ,代わりにイタリア王に封じた.

 その後,イタリアは東ローマに再征服されたり,ランゴバルドに支配されたりしたが,西ローマ皇帝は存在せず,ローマ皇帝を称するのは東ローマ皇帝だけだった.

 8〜9世紀にフランク王国が再統一されて強大化すると,その王カールに教皇が勝手に戴冠して,「ローマ皇帝」に祭り上げた.
 東ローマは彼をローマ皇帝とは承認しなかったが,一応この帝位が,のちの神聖ローマ皇帝にまでつながっていく形となる.

世界史板,2010/11/30(火)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 何故スイスは第1次世界大戦の時,リヒテンシュタインに食糧援助したの?
 見返りなんかほぼ期待できないのに.

 【回答】
 戦時中のイギリスやフランスが,リヒテンシュタインの「非武装中立宣言」を無視する行動をとり,見かねた「武装中立国」スイスが支援の手を差し伸べた.
 自国と国境を接し,言語的にも民族的にも非常に近い小国が,罪もないのに大国から虐げられているのは放置できない――とスイス人は考えたのだ.
 まあ,騎士道精神というか,元々民衆の連帯で成立した国だから同胞精神というか.

 幸いにリヒテンシュタイン家は大金持ちだったので,のちの金融立国スイスも潤ったとか潤わなかったとか.

世界史板,2010/11/30(火)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 欧米では中国を,どうう呼称で呼んでいたのでしょうか?
 ローマ時代に「絹の国」と呼ばれてたらしいとは,どっかで読んだ気がするのですが.

 【回答】
 古代ギリシャ時代には,かの地は「セリカ」と呼ばれた.
 絹をギリシャ語でセーリコンというのは,漢語の「糸(スー)」から来たとも言われる.

 西暦1世紀のエジプト在住ギリシャ人が書いた,『エリュトラ海案内記』では,インドの彼方にチーナイThinaiという国があると記す.
 これはインド人がかの地を,「チーナ(秦)」「チーナ・スターナ(秦の地)」と呼んでいたことによる.
 漢訳仏典では音写して支那,震旦という.
 これが西へ伝わって,セリカの他にもシナエSinaeという呼び名が広まる.
 ペルシア語ではチーンChin,アラビア語でスィーンSin,イタリア語でチーナCina,フランス語でシーヌChine,デンマーク語でキーナKina,英語でチャイナChinaとなった.
 他にも各国でチーナ系の呼び名を使っているが,日本だけは歴史的なあれこれにより,「シナ」「支那」を使うとあちらから文句を言われる.

 また,7世紀のビザンツ帝国では,かの地のことをタウガスTaugasとも記したが,これは鮮卑「拓跋」部が建てた北魏や,その系列の隋唐などを,突厥が「タヴガチュ」と呼んだことに由来する.
 10世紀に契丹が興り,同族のモンゴルが大征服を行うと,かの地は「キタイ」「カタイ」として知られ,ロシアやモンゴルやブルガリアや旧ソ連諸国では,今も「ヒタイ」「キタド」などと呼ばれている.
 また,南部の旧南宋領は「マンジ(蛮子)」,あるいは「チーン」と呼ばれた.

世界史板,2010/12/01(水)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 南北戦争において,シャーマンは何故「海への進軍」をやったのでしょうか?
 当時,既に北部の勝利はほぼ時間の問題だったわけですし,なにより内戦なのですから,南部を徹底的に破壊したら,勝っても復興に莫大な時間とカネがかかる上,南部人の恨みを買って,連邦を再統合しても,南北間に感情的なしこりを残すなど,長期的に考えてデメリットの方が大きかったと思うのですが.
 事実,南部の復興には時間がかかりましたし.

 【回答】
 軍人の仕事は勝つことであって,戦後のことを考えることじゃない.
 勝利が時間の問題といったって,南軍側の武装戦力が残っていて,まだ降伏していない以上,なるべく効率よく敵戦力を潰し,降伏させるよう戦略や戦術を立案し,それを実施するのは,彼の立場としては当然の話だ.
 戦後の復興だの南部住民の感情だの,そんな政略を考えるのは彼の任務じゃない.
 政略を考えるのは,リンカーンら政治家の仕事.

 復興についても,経済から見ると解る.
 近代社会での好況不況の波で,経済活動の停滞する不況の最大の原因は,財の過剰,特に生産財の過剰に よってもたらされる.作りすぎた製品,需要を超えた生産設備なんかが不況を引き起こす.
 不況から好況に立ち上がる転換点は,余剰の生産設備の破棄が或る程度進んだところにある.
 戦争というものは,財を多量に消費し,生産財を破壊する.余剰の財を消し,余剰の生産設備の破棄をすすめることに等しい.
 資本の蓄積のある北軍が,産業的に立ち遅れた南部の生産財を破壊することは,乱暴だが,経済政策的には合理的であり,復興即ち経済の活性化には寧ろ破壊が理に適っている.

世界史板,2010/12/02(木)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ●淵(せんえん)の盟と慶暦の和約って結局,宋は損しかしてないんでしょうか?

 【回答】
 いいえ,戦争を止めてもらえたので,宋の大得.

 宋が欲しがってた燕雲十六州は,宋建国以前に後晋が遼に割譲した土地で,一度も宋の領土になった事がないし,当時の中国は華北より,華南の方が圧倒的に経済力が上.
 金は華北を手に入れたけど,手に入れてもあまり旨みが無い.
 むしろ,経済的に立ち遅れた華北を手放した南宋は,華北の経営コストを払わなくて済むようになり,華南の富を華南にだけ注ぎ込めたから,北宋より南宋の方が経済的には繁栄している.
 正直,華北なんて手に入れても,大して旨みが無い.

 領土意識というプライドさえ抜けば,契丹に払ってた歳幣は,交易で結局宋に戻ってきてたし,歳幣の負担も宋の財政規模で言えばたいした額じゃないから,戦争する場合の負担とリスク考えれば,長期的には得になってる.
 宋の対遼貿易や,南宋の対金貿易はものすごく儲かってて,圧倒的な貿易黒字叩きだしてて,遼や金の金をゴッソリ吐き出させてた.
 歳幣どころか,普通に集めた金も宋に持ってかれてた.
 茶の交易代金が莫大なので,金は華北でも茶の生産を奨励してた.
 歳幣額以上の代金が宋に戻ってる.
 金の食貨志を見んさい.
 遼や金では,あまりにも出てく金が多すぎて,経済を圧迫してるから,宋との貿易を止めようって意見がたびたび出てた.
「国中の金を,毎年毎年宋に持っていかれる」
と嘆く大臣もいた.
 全部史書に書いてある.

 ついでに言えば,当時の宋は貨幣を蓄えてたわけじゃない.
 逆に貨幣が密輸出の対象で,銅なんかの一般貨幣それ自体は,常に銭不足.
 銅銭の輸出は厳禁されてたけど,宋の商人にとっては銭自体も,単なる「輸出品」なわけ.
 そんで銭不足に対応して,初めて政府が信用を保証する,「それ自体には価値のない」紙幣が生まれたの.
 勿論宋国内でしか通用しないし,政府も紙幣なんか溜め込んでも,嬉しくともなんともないわけだが.

 宋の黒字というのは,相手の経済構造自体が宋に依存している所が大きくて,茶葉や陶磁器と引き換えに,銀なんかの貴金属や絹,馬,その他の,より実質的価値のある「モノ」が,圧倒的に宋に流れ込んでる状態.
 特に金なんかは,財政を逼迫させるほどにな.
 逆に宋のほうは,そこまで相手に経済的に依存していない状態なんだよ.

 宋は歳幣との交換で平和というサービスを得て,それが国内産業・貿易の振興になって帰ってきて,富を蓄えたということになる.

 そもそも古代から現代まで,人類は商業圏のために戦争してきたところがあるわけで, 歳幣でそれが買えるならむしろ安いもんかも.

 まあ,人間はそれだけで満足できるものじゃないが.

 寧ろ,西夏方面のほうが,歳幣与えてても小競り合いが絶えなくて,戦時と同じ規模の軍を配置しなければいけなかったから,その軍事費が財政圧迫して,新法の原因になってる.
 単純な損得勘定で言えば,対西夏関連のほうは損になってる.

世界史板,2010/12/02(木)〜12/03(金)
青文字:加筆改修部分

●=さんずいに亶


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