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世界史なんでも質問スレッド 77

目次

 【追記】 インド式植民地化の末路

 【質問】 大繁栄したマリ王国が,滅んだのはなぜですか?

 【質問】 ヘンリ8世がカトリックと決別してイギリス国教会を定めた時,国民に対して信仰の強制はあったのですか?

 【質問】 ローマの兵士の給料は,塩で払ったんでしょうか?

 【質問】 ポエニ戦争で剣闘士が徴用されたって聞きましたが,興行師にいくらくらい金払って徴用できたんですか?

 【質問】 中国史において,南から天下を統一した王朝はほとんどなく,北や西から天下を統一した王朝がほとんどなのはなぜですか?


 【追記】

679 :世界@名無史さん:2010/07/30(金) 19:11:33 0
植民地の初期段階は冒険であり,財宝を探しに旅立ったのが主な理由でした.
ところがイギリスのインド植民地の産業が発達し大英帝国の富の源泉となった時
多くの西洋諸国はこれに憧れて様々な国をインド式植民地化していきました.
植民地を発展させて搾取しまくろうという腹です.
ところがどっこい,未開の地にインフラの整備やらを行っても
ちっとも黒字になりません,むしろ本国の財産を食い潰してしまう赤字の不良債権になりました.
これはインドが特別であり,ほかの国では富は生まれなかった.
19世紀の経済学者アダムスミスは名著「国富論」で植民地は宗主国の自尊心のための
アクセサリーだからとっとと捨ててしまえと書いています.
が,しかし意地なのか見栄なのか,この言葉に耳を傾けませんでした.
日本国も明治維新後は列強に習い,植民地を経営いたしましたが,
いずれも赤字.昭和の財界人かつ総理大臣の石橋は満州等は赤字だから手放せと書いていました.
戦後植民地がなくなった日本が経済成長したのも,戦前の不良債権に
金を捨てず国内に回したからだとも言われています.植民地は残酷で非道なイメージがありますが,
支配されたことにより人口は増え,寿命が延び,経済は上向きでした.

という話を聞いたんですがこれって本当なんですかね?

680 :世界@名無史さん:2010/07/30(金) 19:22:50 0
植民地経営の大半が赤字というのはその通り
イギリスだけが上手くいってたように書いてあるがイギリスだって赤字だよ

684 :世界@名無史さん:2010/07/30(金) 19:37:36 0
>>680
ありがとうございます.
じゃあさ,もしかして植民地になってた国々は自分達で戦って独立を勝ち取ったなんて言い方
してるけど実際は単にメリットがなくなったから西洋諸国が引き上げただけってことになるのかな?

695 :世界@名無史さん:2010/07/30(金) 22:08:53 0
>>679>>684
単純に,植民地を統治することによる直接的な利益(税収等)よりも,その植民地に投下せねばならない国家予算
(たとえば,官僚機構の整備や,治安維持のために駐留させる軍の費用)などの方がでかくて,一般に植民地経営
は赤字だが,その赤字を出してでも押さえておくメリットはあった
1つには,その地を資源の供給地として,また,本国製品を輸出する市場として確保できること
世界大恐慌時には特に,ブロック経済という形で,その強みが発揮された
つまり,統治そのものは赤字でも,それによって商業で民間では利益が上がっていた
(そして,往々にして,その利権の受益者が政府にも強い発言力を持っていた)
また1つには,本国で不満を持つ人々の新天地,移住先としての植民地(植民地とは本来,入植する土地だ)として
意義があった
開拓時代のアメリカ西部がフロンティアとして人々を惹きつけたのと同じように,植民地は,一攫千金を夢見る人々
の希望の土地だった
本国で不満を鬱屈させている貧民や失業者をどんどん植民地に送り込んで開拓に従事させれば,本国では不満
分子が減る
日本の傀儡国家満州国も,そういった,日本の開拓地としての要素があった

旧宗主国が独立を認めるようになったのは,大戦での疲弊や,本国でも民族の平等を唱える人道主義者の知識人
たちによる批判が高まったこと,かつては一部の活動家やゲリラのものだった独立運動が民族全体に拡大してきて
押さえきれなくなったこと,など,さまざまな要素があって,単純にメリットがなくなったから,というものではない

世界史板,2010/07/30(金)
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 【質問】
 メッカ巡礼のついでに金バラまきまくって,インフレ引き起こしたほど大繁栄したマリ王国が,滅んだのはなぜですか?
 あの立地と資源の豊富さを考えると,簡単に滅びそうにはありませんが.

 【回答】
 黄金の「産出地」をおさえてたからバラまくことができたんであって,国王が悪政をしいて求心力を失い,各地で従属国の反乱が起きると,マリ帝国は瓦解した.

 そもそも,金を持ってたから富裕とは限らん.
 イスラム商人が何を売って取引してたか知ってる?
 サハラ砂漠の岩塩ですよ.
 マリの庭先で取ってきた岩塩を,マリ人が黄金で買ってた訳だ.
 滑稽な話じゃろが.
 昔は貴金属の重量が貨幣価値だったから,黄金が豊富だった地域では,そうでない地域より黄金の価値は低い.
 金はなくても死にはしないが,塩はないと死ぬので世界中で取引の具になりえた.
 もちろんそれが希少な地域へ持っていけば高く売れる.
 これ商売の基本.
 まあ,銅塊や宝貝も通貨となっていたが,それがその地域で通用すれば問題ない.

 また,ガーナ・マリ・ソンガイは,単に黄金が産出されたから富裕だったわけではない.
 ニジェール川流域は肥沃で農産物や家畜もよく育ち,サハラ交易の十字路だからアフリカ中の富が集まり,取引税をとることで大いに儲かった.
 その都市は広大かつ富裕で治安もよく,学問や芸術が保護され,イスラーム的な福祉政策もさかんだった.
 それを報告したマグリブのムスリムたちが,一様に驚いているほどだ.

 それに,マリの前身であるガーナ王国は,北方のムラービト朝に攻め滅ぼされているから,外敵の侵入がなかったわけではない.

 このマリを保護国として領地を受け継いだソンガイ帝国は,ニジェール川の水上交通を掌中におさめ,さらにベルベル系遊牧民の騎馬兵力も操るなどして,16世紀末まで200年以上も繁栄した.
 しかし王位継承争いで国内が混乱しているすきに,モロッコのサアド朝に征服されてしまった.
 また,16〜17世紀には西欧諸国による大西洋交易がさかんになり,マグリブや西アフリカの経済圏は変調・衰退していく.

世界史板,2010/08/02(月)〜08/03(火)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ヘンリ8世がカトリックと決別してイギリス国教会を定めたそうですが,その時,国民に対しては信仰の強制はあったのですか?

 【回答】
 ヘンリー8世は国教会を作り,修道院を破壊して財産を奪い,トマス・モアなど逆らうものは処刑した.
 だが奇妙なことに,ヘンリー自身の信条はカトリックで,教皇の支配は嫌ったものの,プロテスタントではなかった.
 彼は専制君主として,自分の好きなように振舞い,懐を肥やしたかったなのだけだろう.

 ヘンリーの子エドワード6世はプロテスタント的改革を進めたが,次のメアリー女王の時代には,逆にカトリック以外は弾圧・処刑された.
 エリザベス女王は国教会を整備しつつ,プロテスタントとカトリックの共存を目指したが,ジェームズ1世は国教会を強化し,プロテスタントやカトリックの恨みを買う.
 かくも宗教的に揺れ動く英国では,さまざまなセクトや教団,秘密結社が乱立して混沌の様相を呈し,のちの清教徒革命につながっていく.

 一方,臣下や庶民は,権力者に強制されて表面的に従うけど,裏ではもとの信仰を捨てなかったり,公然と信仰の強制に従わず追放・処刑されたり,大陸へ亡命したり新大陸へ逃げたり,信仰の違う者同士が利害関係で同盟したり裏切ったり殺しあったり,信仰を名目にして戦争や略奪や犯罪行為にふけったり反乱を起こしたり,信仰なんかどうでもよくて,生き残りやすく儲かりそうな方へついたり,神だか悪魔だかの声を脳内で聞いて「世界の終末は近い!」と叫んだり,魔女狩りがさかんに行われて,罪もない連中が焼き殺されたり沈められたり,ユダヤ人やジプシーや貧民が民衆にリンチで殺されて略奪されたり.

 そんなすばらしい時代です.

世界史板,2010/08/03(火)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ローマの兵士の給料は塩で支払われていて,それがサラリーの語源になったそうですが,当時のローマは普通に貨幣発行してますよね?
 なんで貨幣じゃなくて塩で給料払ったんでしょう?

 【回答】
 兵士の給料は塩じゃない.
 初期には無給,
 後に最低経費として銅貨数枚.
 マリウス以降でようやくきちんと給与をもらうようになる.
 「サラリー」は「塩取引に使う貨幣」という意味で,物々交換が基本の最初期のローマにあって ,唯一対外輸出品だった塩の売買に使ったことから,労賃のことをサラリーと言うようになったんだ.

世界史板,2010/08/08(日)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ポエニ戦争で剣闘士が徴用されたって聞きましたが,興行師にいくらくらい金払って徴用できたんですか?
 それとも有無も言わさずに剣闘士を奪ったのですかね?
 ローマカルタゴに対して,剣闘士を徴用するほどに苦戦した原因はなんでしょうか?

 【回答】
 剣闘士を法的に軍に組み入れるには3通りある.

 ひとつは市民として徴用すること.
 剣闘士の中には普通にローマ市民もいたから,これは要請によってローマ軍に編入できる.
 ただし大半は無産階級なので,実際にはほとんどない.

 次に,フリーランスの剣闘士と取引する.
 ローマ市民ではない属州民の剣闘士を,報酬と引き換えに雇用する.

 最後に,奴隷の剣闘士を買い上げる.
 奴隷は奴隷であるため,当然値段があり,それに従って国が買い上げる.

 後の2つは,条件として剣闘士に市民権を与えることを約束していて,現に与えている.
 ファイティングマネーと同額を払ってた気がするが,強かったけど高コストすぎたとかなんとか.

世界史板,2010/08/08(日)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 中国史において,南から天下を統一した王朝はほとんどなく,北や西から天下を統一した王朝がほとんどなのはなぜですか?
 経済力では南の方が上と思うのですが.

 【回答】
 明は南から北を征服したけどね.

 一般に,経済力が高いと,文化が発達する.
 経済力と文化が発達すると,人々の生活が安定して,娯楽産業が発達する.
 「ローマ市民はパンとサーカスしか求めない」と詩人が嘆いたように,パン(安定した生活)とサーカス(娯楽)に慣れた人々は,戦いなんて求めない.
 ローマもビザンツも,漢や南朝諸王朝や唐や宋も,戦後の日本も,文化が発展すればするほど兵士は弱くなり,軍は弱体化し,軍事を異民族に頼らねばならなくなったり,貢納金で平和をあがなったりするようになる.
 そして,その民族の強大化を招くことになる.

 というわけで,経済力の高かった南中国の方が,軍事的には北中国より弱いのは別に不思議じゃない.

 そして,文明国はその豊かさゆえに,常に外部からの侵入圧力に晒される.
 侵入されるということは,その国の国情や制度自体が疲弊し,圧力に耐え切れなくなった結果に過ぎない.
 中華王朝の場合,その圧力が南蛮より北夷のほうがはるかに強いが,これは地理,気候条件だろう.
 モンゴルから中原北部の平原は,騎馬のためにあるような土地で,この土地で騎馬の突進力を抑えるのは容易でなく,黄河を超えられれば,もはや止める手立てがない.

世界史板,2010/08/08(日)
青文字:加筆改修部分


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