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世界史なんでも質問スレッド57

目次

5a2 【質問】 アジアやアフリカで植民地にならなかったのは,本当に日本のみ?

12c 【質問】 スパルタや各種遊牧民に代表されるような極めて少数の民族集団が,希に何十倍もの国家や民族を平定してしまうのは,主に兵制のせいですか?

 【質問】 ヒトラー政権の公共投資は「詐欺みたいなもの」だったの?

 【質問】 奇兵隊

20 【質問】 argentinaアルゼンチンという単語も,銀と関係すると思われるが,スペイン支配時代,銀鉱山がアルゼンチンにあったの?


世界史なんでも質問スレッド58

目次

21 【質問】 キエフ公国は13世紀にキプチャクハン国に屈服しましたが,ノブゴロド国はどうなったんですか?

 【質問】 なんでイスラームでは奴隷が王になったり閥族になって勢力を持ったりできるんだ?


世界史なんでも質問スレッド59

目次

 【質問】 ニュルンベルク裁判をドイツ政府は受け入れてないのではないのでしょうか?

18 【質問】 中国に日本,朝鮮,東南アジアなどが朝貢した封柵がありましたが西欧,イスラム,アフリカ,他の地域にもあったのですか?

 【質問】 鄭和艦隊の南海遠征はインド洋以西のイスラム圏やアフリカ東岸まで行ってるので,その地域まで朝貢貿易に視野に入ってたんじゃない?

 【質問】 現在の国家のなかで日本みたいにどこの支配も受けずに,今日まで連綿と国体を維持し続けた国は日本とデンマークだけ?

 【質問】 大アミールとスルタンの違いがよくわかりません.

未成 【質問】 テルシオ等の方陣って戦場に着いてから組んだんですか?

 【質問】 大アミールは軍事指導だけでなくイスラーム世界も統治していたんですよね?

 【質問】 昔,カムチャツカ半島は,日本でなんと呼ばれていたのですか?

 【質問】 台湾のドまん前,華南が華北に比べ,日本軍の展開が少ないのは何故ですか?

 【質問】 映画『アンナと王様』って,なんでアンナが先にくるんだ?


世界史なんでも質問スレッド60

目次

 【質問】 第1次世界大戦のビデオの感想文が書けません.

 【質問】 ウェストファリア条約で神聖ローマ帝国内の領邦の主権がほぼ完全に認められましたが,これによって神聖ローマ帝国は1つの国としての機能をまったく失った,というのはどういう意味ですか?

 【質問】 ニコライ2世は大津事件によって対日感情を悪化させたのですか?

 【質問】 硝石はどうやってできるの?

 【質問】 ペリー艦隊には沖縄占領計画もあったのですか?

 【質問】 第2次世界大戦で,米国がノルマンディー上陸作戦以降,欧州での軍事作戦に積極的に加勢した理由が分かりません.

 【追記】 ヒトラーが何故アメリカに宣戦布告したの

 【質問】 ベルナドットが,昔は結婚するつもりでいたような女性を娶る成り行きになってしまったのは何故ですか?

 【質問】 信長は魔王名乗ってたけど魔王の元は何?


** 【質問 kérdés】
 中国内戦っていうのは米ソの代理戦争じゃないよね?
 でも,共産党はソ連が援助したってのは聞いたことがあるんだが…

 【回答 válasz】
 うん,良い質問だね.

 戦前,戦中の共産党はソ連共産党が指導するコミンテルンのもとに統制されていたんだな.
 つまり,各国の共産党はコミンテルンの指導のもとに,実際にはソ連共産党の都合で行動させられていた.
 理論的には「労働者の祖国,ソ連邦を防衛することは,世界の共産主義者にとって急務」だということで,各国の共産主義活動や共産主義革命よりも,ソ連という唯一の共産党支配の下にある国家を日本やドイツから防衛することを優先させたんだ.
 このために,コミンテルン時代の各国共産党の行動はかなり解り難くなっている.

 中国について言えば,スターリンは中国の共産主義革命よりも,当時は極東地域で軍事的に大きな力を持っていた日本を牽制してくれる勢力に期待し,これを支援することを原則としていた.
 具体的には毛沢東の共産党よりも蒋介石の国民党のほうに肩入れしていたんだ.
 そして,中国共産党に対しては,国民党と合作して日本と戦うように,「抗日」連合工作を第一の目標として活動するように指示していた.
 だから,少なくとも日本が敗北するまでの間は,ソ連と中国国民党の関係は緊密だったんだ.
 蒋介石の息子で後継者でもある蒋経国は,ソ連で教育を受けているくらいだな.

 日本が敗北した後は,毛沢東に対する支援も強化されてはいるが,国民党とただちに絶縁したわけではなく,毛沢東の優位が明確になるまで,ソ連の立場は微妙だった.
 だから,単純に国民党のバックがアメリカで共産党のバックがソ連の代理戦争というには,実態はもっと複雑だったということ.

世界史板,2003/01/08


 【質問】
 アジアやアフリカで唯一植民地にならなかったのは日本のみと教わりました.
 でもタイ,ネパール,ブータン,オマーン,エチオピアもそうだと思いましたが,これらの国はやはり植民地だったのか?
 確かに不平等条約は日本も結ばれてた.
 このらの国もしょきききちい.
〔原文ママ〕

 【回答】
タイ …… 13世紀 アンコール王朝(カンボジア)の属藩,15世紀~ 明・清に朝貢
ネパール …… 16世紀 ムガル帝国の一藩,19世紀 イギリスの保護国
ブータン …… 16世紀 ムガル帝国の一藩,19世紀 イギリスの保護国,20世紀 インドの保護国
オマーン …… 19世紀 イギリスの保護国
エチオピア …… 20世紀 イタリアの保護国

 保護国,つまり,外交権を別の国に付託した国というのは,外交権を預っている国の植民地ということだ.

 以下余談.
 ネパールの歴史を細かく勉強したわけじゃねーからわからないけど,ネパールからの留学生が言うには,ネパールはイギリス,チベット,清,ムガル帝国にも果敢に挑み,水際で防いだ.
 要するに他のアジアの国が屈服する中で自らの力で,独立を守り抜いてきた誇りが,ネパール人にはあるという.

 また,日本が古代から天皇制を敷いていたのと同じく,ネパールもまた古代から王制の伝統を保っている.
 日本の戦国時代のような群雄時代もあり,19世紀からの20世紀までは江戸時代の幕朝のような関係が続き,明治維新のような王政復古も経験しているという点で,日本史と似ているとも言っていた.

世界史板
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 【質問】
 スパルタや各種遊牧民に代表されるような極めて少数の民族集団が,(大抵は惨敗して撃退されるにしても)希に何十倍もの国家や民族を平定してしまうのは,主に兵制のせいですか?
 欧州では戦争は諸侯が指導して騎士等が将校士官になって,兵士は食うに困る連中を傭兵に雇うか民衆を無理やりぶち込むかだと思うのですが
 上記の少数民族は男子全員が悉く兵士になりますよね.
 その,兵でもある民衆は普段何して食っているのでしょうか?
 マサイ族みたく戦闘以外では労働しないのですか?

 【回答】
 遊牧民の場合は,普段は放牧などをしていて戦時にはそのまま兵士に移行します.
 簡単に言えば部族全体が,家族を引き連れて軍隊として放牧生活してるようなものかと考えて貰えばいいんじゃないかと.
 希に何十倍もの国家や民族を平定してしまう要因は,個別に小さく分かれている部族や,または常に部族間で抗争を重ね淘汰された後に残った,精鋭部隊化した部族が,突出したリーダーに取り纏められて大勢力に発展.
 まずゴタゴタの起こっている農耕民族の国家などに侵攻.
 侵攻した国の勢力を吸収し,後はその繰り返しで雪だるま式に増大して行くパターンが殆ど.

 この他に,アッバース朝の傭兵として雇い入れられたトルコ系騎馬民族や,東晋が傭兵として活用していた鮮卑族が,自分の実力に目覚め,王朝に圧迫を加えたり自身が取って代わった場合もある.

 あと,兵制よりも軽騎兵に依る機動性と,類い希なる弓術と馬術を生かした戦術,少量の食料で何日も飢えを凌ぐ事が出来る事を生かした焦土作戦とかが,主な要因じゃないかな?

 スパルタの場合は,上から市民,周辺民,奴隷の三階級に分かれてて,それぞれ日本で言えば,士,工商,農.もちろん支配者階級は市民.
 スパルタの市民は7歳くらいから全寮制の学校みたいな集団生活をして,軍隊式の教育を受ける(この間裸).
 18歳から兵役に就き,20歳から軍団配備.
 30歳で後備役に編入され,60歳で退役.
 この時点でやっと市民権がもらえる.

 というわけで,スパルタについてだけ言うなら,文字通りの国民皆兵で圧倒的多数の他民族を支配していた,という形.
 兵制というよりは社会制度に近いかな.

世界史板
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 【質問】
 ヒトラーの場合の公共投資はどうだったの?
 よく,「あれは詐欺みたいなものだ」とか聞くんだけど,実際どうだったのか良くわからない.
 アウトバーンなんて今でも使われてるけど…

 【回答】
 アメリカのニューディール政策もナチスドイツの経済政策も,大恐慌に対処するため生まれた.
 どちらも「有効需要を国が生み出す」という,有名なケインズ理論による政策.
 しかしニューディールは国民の個人主義もあって,数年後には結局のところ失敗に終わり,のち,WW2参戦による戦時経済でうまいこと失業が解消された.

 ドイツの場合,WW1での賠償金支払いも重なってて,もう国内はメッタメタ.
 そこへ現れたヒトラーは,経済をよく知らなかったが,ヒャルマル・シャハトという国立銀行総裁(のちに経済大臣)が大変有能だった.
 1924年には破滅状態にあったインフレを,デノミとレンテンマルク発行で沈静化させ,「マルクの魔術師」と言われたぐらいで,彼なくして国内の安定とナチスドイツの強大化はありえなかっただろう.

 国家による市場介入はスムーズに進み,大規模な公共投資により経済・金融は奇跡的に立ち直る.
 失業率ゼロ,高速道路の敷設とフォルクスワーゲンの普及,持ち家政策などなど,ドイツ国民の生活は急激に向上した.
 「インフレなき好景気」というものが本当に実現したのだ.

 ところがうまく行き過ぎて,国力・軍事力を急激に膨張させてしまい,第二次世界大戦を引き起こすに至った.

 第2次大戦勃発時,シャハトは軍備拡大に反対したため失脚していたという…….

世界史板
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 【質問】

 【回答】
 周防長門を拝領する毛利の長州藩は120万石から40万石への大減封からはじまった藩で,もともといた家臣を養えきれず,リストラされたり,自ら出て行ったり,薄給でがまんしたりと散々だった.
 帰農した者も珍しくない.
 上士でさえ百石程度でもめずらしくない.

 江戸の極貧旗本が,それでも武士として知識階級であり続けたことは,欧米の目を見張るところであるが,長州のそれはもっとすごく,農民と武士の違いがほとんどなく,武士も農民を区別することなく私塾や寺子屋が開かれ,教養が高かったことが伺える.

 それがために,奇兵隊などという組織が結成可能だった.

世界史板
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 【質問】
 argentという単語はフランス語でお金とか銀貨とかいう意味があり,argentierという単語は銀器戸棚とか大蔵大臣とかいう意味もある.
 おそらくラテン語起源のこの語とargentinaアルゼンチンという単語も,銀と関係すると思われるが,スペイン支配時代銀鉱山がアルゼンチンにあったのだろうか?

 【回答】
 ここに書いてあった.

――――――
 アルゼンチン Argentina の名は,この「銀の川」にちなみ,ラテン語で「銀」を意味するArgentum に拠って,地名表現のために女性名詞化したものである.
 スペイン語の「ラ・プラタ」からラテン語由来の「アルゼンチン」へと置き換えたのは,スペインによる圧政を忘れるためであり,フランスのスペインへの侵掠を契機として,フランス風の言い方に倣ったものでもあるという.

――――――wikipedia

 先住民が銀の飾りを身につけていて,「こりゃ上流に銀山があるぞ」と早とちりした発見者が「銀の川」と命名した.
 が結局,ポトシのような銀鉱山はなかったらしい.
 ウソ大げさ紛らわしい.(現在ではなくもないのか?)

 それにアンデス山脈側はインカ帝国の領土だったが,全体的に先住民も少なく古代文明もなく,スペイン領になっても長らく大した産業は発展しなかった.
 せいぜい農業・牧畜程度.
 19世紀末から20世紀にかけては,大英帝国の傘下で急速に経済力をつけたが,しょせんモノカルチャーだったので大恐慌で破綻.
 以後,イギリスの半属国になったりファシズム・ポピュリズム政権が台頭したり,そんな感じに.

世界史板
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 【質問】
 キエフ公国は13世紀にキプチャクハン国に屈服しましたが,ノブゴロド国はどうなったんですか?
 また,キエフ公国のあった場所の大部分がリトアニア大公国となっているんですが,リトアニア大公国となる場所にいた諸侯はリトアニアに,キプチャクハン国となる場所にいた諸侯はキプチャクに,屈服したということですか?
 あと,ノブゴロド国もキエフ公国もスラブ化したというのは,「ノブゴロド国」「キエフ公国」という国が消えたわけではなくて,文化や支配層などがスラブ人化したということですか?

 【回答】
 ノブゴロド(ノヴゴロド)も他のロシア諸公国(ルーシ)同様,キプチャク・ハン国の支配下に組み込み込まれている.
 しかしノブゴロド(ノヴゴロド)を含むロシア諸公国(ルーシ)は,キプチャク・ハン国の直接統治は受けず,従属国家として,徴税・徴兵の義務に服していたたに過ぎない.

 またリトアニア大公国,キプチャクハン国となる場所にいた諸侯はそれらの勢力に屈服している.

 スラブ化とは国家が消滅する訳ではなくスラブに同化したと言う事.
 中華の鮮卑族などが中原に流入し定着,国家を建国後中華の文明に触れ,代を重ねるて次第に漢化して行ったのと同じで,つまり文化や制度など積極的に取り入れたって言う事.
 これは支配層だけに限った事ではない.

世界史板
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 【質問】
 バングラディシュは1971年にパキスタンから独立したそうですが,その前から独立を宣言していて,1971年になってからパキスタンに承認されたの?
 それとも話がまとまってから独立したの?
 後,「東パキスタン」って独立時までの国名で使ってたの?
 それともパキスタンと区別するため?

 【回答】
 独立宣言は1971年3月.
 独立は1971年12月.
 独立以前は同一国なのだから国名ではない.
 地理的呼称.

 元々,東パキスタンは西パキスタンからの差別的待遇に不満を持っていたが,軍事独裁政権に抑えられていた.
 1970年の総選挙で,人口で優る東パキスタンを基盤とするアワミ連盟が大勝利.
 ところが西を基盤とする軍事独裁政権が,この結果を認めずに不当に弾圧した.
 東パキスタンは弾圧に反発して,独立宣言に至る.
 内戦,内乱状態に陥ったが,インドが東パキスタン支持の立場で介入すると,西パキスタンは降参して東パキスタンの独立を承認した.

 東パキスタンは地域名だ.
 独立時までの国名などというものは一般に存在しない.
 元々の地域名はベンガル州だったが,パキスタン分離独立の時にイスラム教徒が多い地域,東ベンガル州パキスタンとして,ヒンドゥー教徒が多い地域,西ベンガル州インドになった.
 東ベンガル州も東パキスタンも同じ地域を指すが,東ベンガル州と表現すると,インドの西ベンガル州との対比を強調してしまうから,西パキスタンと区別するためには東パキスタンと表現するのが適当である.

 西パキスタンも東パキスタンも,どちらも国名ではない.
 内乱時代の地域名,その政治的立場を表す名称だ.

世界史板
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 【質問】
 なんでイスラームでは奴隷が王になったり閥族になって勢力を持ったりできるんだ?

 【回答】
 奴隷と言ってもイスラム世界に置ける便宜上の身分であって,アンタが恐らく考えてる黒人奴隷とは全然違うんだよ.
 「鞭でピシピシたたかれて不自由を強いられ物同然に扱われている,可哀想なヤツ」なんかではない.

・日本史的に言えば下克上・完全実力主義.奴隷でも力さえあれば主君に見初められ出世し,最終的に自分が王になるケース.
・官僚や諸侯が,自分の好き放題やりたいので,無能無知な奴隷をテキトーに王に祭り上げてしまい,実権を握るケース.
があった.

 ただ,マムルークなどはトルコやカフカスや中央アジアなどから買い取られて来たという点ではリアル奴隷.
 ここが他の地域とイスラムの奴隷と似ている点で難しい.

世界史板
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 【質問】
 ニュルンベルク裁判をドイツ政府は受け入れてないのではないのでしょうか?
 だからドイツの司法が改めて,旧指導者や軍人容疑者を裁いたのではないでしょうか?
 かなり複雑な問題ですが,なかなか正確な資料が見つかりません.
 西尾とかドイツ史の学者じゃない者が書いてる資料が多いもんで.
 よろしくお願いします.

 【回答】
 そういうことではないのです.
 ニュルンベルク裁判は国際政治のイベント,決着,手打ち式です.

 それに対し,ドイツの司法がうんぬんは国内政治の話.
 両者は全然別で相互に独立していて,関係ないことなんです.
 国際政治の場で無罪とされたからといって国内政治でもそうだとは限らない.
 それが独立国の国家主権なんです.

 ちなみにその西尾が西尾幹二なら,専門はドイツ哲学史だからまるっきり畑違いでもないぞえ.

世界史板
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18

 【質問】
 中国に日本,朝鮮,東南アジアなどが朝貢した封柵がありましたが,西欧,イスラム,アフリカ,他の地域にもあったのですか?

 【回答】
 強国や,歴史の長い国が上位,新興国が下位,というような外交は世界中どこでも.
 ヨーロッパなら,ローマの法王とか,ビザンチン皇帝とかに覚えめでたくなるべく,貢物なんかをしてキングだのデュークだのプリンスだのの称号を貰いにいっただろ.
 イスラム圏でも,アッパース家のカリフがカイロに保護されていて,ファティマ王朝やマムルーク王朝がイスラム諸国の盟主として振舞ったり,ティムール王朝の初期にもチャガタイ家の王子を担ぎ出してハーン位につけて,チムール自ら摂政として振る舞いながら,近隣のトルコ系モンゴル系の勢力に対して宗主権を主張したりしていた.

 しかし厳密に言えば,冊封とは,中華王朝の皇帝がその周辺諸国の君主と「名目的」な君臣関係を結ぶ事.
 これによって作られる国際秩序を冊封体制と呼ぶので――冊封について細かい部分は省略するけど)――
 だから,オスマン帝国を宗主国として周辺国が朝貢してるからと言って,それは「冊封を模倣した体制」であって中華と同様の冊封とは言えないかもしれない.

 中華の場合は周辺国が自発的に競って中華に寄り添ってきた感がある.
 オスマン帝国の場合は,侵略されるのが怖いからご機嫌取りと朝貢を強制された事実がある.
 だから朝貢と取れば同じだけど,全くタイプは違うはずだよ.

世界史板,2008/10/29(水)
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 【質問】
 【回答】

77 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/10/29(水) 00:03:17 0
鄭和艦隊の南海遠征はインド洋以西のイスラム圏やアフリカ東岸まで行ってるので,
その地域まで朝貢貿易に視野に入ってたんじゃない?

中央アジアのイスラム圏もカザフ,ウズベク,アフガンあたりは清の朝貢国だったし.
オランダとかポルトガルの商人も清から見たら朝貢でしょ.
78 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/10/29(水) 00:06:09 0
>>75
戦後のドイツ政府は裁判結果を受け入れ
次世代へ伝えようとしていた様ですが…

>>76
封柵は中華思想に拠る言わば押し付けがましい物だからね
中華独自の行為じゃないかな?
貢物持ってきて子分になるなら王として認めてやるし
侵略などを受けて困った事態が発生した時は俺が助けてやるなんて
傲慢な考え方は中華以外に無いと思う.
完全なる支配者やあくまで盟主として君臨と言うのケースが殆どだと思うし.
79 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/10/29(水) 00:10:50 0
>>78
朝貢は貢物の何倍もの返礼が帰ってくるから周辺諸国は進んで朝貢しまくってたんだけどな.
あれは傲慢というよりは中国のプライドを満たすためのやせ我慢に近い.
80 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/10/29(水) 00:23:29 0
>>79
やっぱりあれってかなり中国の負担になってたの?
81 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/10/29(水) 00:42:14 0
>>80
そりゃそうだw
相手側はちょっと我慢すればウハウハ物だが
既に指摘されてる様に中華王朝が自尊心を満たす目的が大の物だからね.
何かの本で朝貢はしてほしいが頻繁に使節を送ってくるのは
勘弁してほしいのが本音みたいな話を読んだ事がある.

あと,ちょっと事情が違うが北宋の財政が逼迫したのはそこら辺が理由の一つ.
82 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/10/29(水) 00:49:15 0
>>80
王朝に経済力があればその負担も問題にはならないが,
経済状況が悪化すると,朝鮮や琉球など朝貢の頻度が高い国に対して
「お前らあんまりしょっちゅう来るなよ」とかいって回数を減らさせたりしてたような.

>>76


>>76
損するも何も中国は安全を保つにはそうするしかなかった.

中国は人口は多い割に文弱国で,伝統的に北方東アジアとかの覇権国の
属州.独立していた時期が少ない.
よく分からん外国にすぐ侵略されてるので怖いから,相手が交易とか求めてきたら
これ幸いに進物を提供して友好を保とうとする.それでも自尊心とプライドは高いので
明らかに劣位でも相手が中国的価値観を知らないのを良い事に「朝貢」しにきたとか記すわけ.
近代のロシアやイギリスも朝貢国に入れてるのを見れば実態分かるだろ.

例えば漢王朝が服属した宗主国の匈奴とか,遊牧民とかその他は歴史的文書を残す事が少ないため
後の代で研究しようとすれば真実がうまく糊塗される事が多かった.
中国の史料使わざるを得ず,時代遅れな研究者では中国的な立場に立って
客観性が保たれてないとかね.近代のことはさすがにばればれだが.

98 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/10/29(水) 18:57:46 0
>>89

99 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/10/29(水) 19:04:13 0
気前のいいところを見せて権威づけ,てのは北米先住民のポトラッチに通ずるもんがあるな

世界史板,2008/10/29(水)
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 【質問】

 【回答】
102 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/10/29(水) 22:51:50 0

現在の国家のなかで日本みたいにどこの支配も受けずに
今日まで連綿と国体を維持し続けた国は日本とデンマークだけ?
もっとも日本はGHQ,デンマークはナチス占領の憂き目はあったけど.

105 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/10/29(水) 23:00:34 0
>>102
「占領」された時点でGHQ=異民族の支配を受けてるだろうが.
あの状態で支配されてないなんて,どういう神経してるんだ?
106 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/10/29(水) 23:05:05 0
>>102
占領=他国の支配下に置かれるじゃないのか?w

112 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/10/29(水) 23:15:08 0
別に日本政府が解体したわけじゃないから,
実体はどうあれ名目としてはあくまで統治権は日本にあったんだが

もちろん,直接支配じゃ具合が悪いから
わざわざそうなるようにしたんだけどな
勝った国が負けた国を完全にどうこうするのは
近代的でない野蛮な行為だから

117 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/10/29(水) 23:42:02 0
>>112
GHQは進駐当初,軍政=直接統治をやる気マンマンだったけどな.
それを重光外相が猛烈に抗議してやめさせたわけだが.

それでも間接統治であることに変わりない.
ポツダム宣言受諾時に国体護持について念押しした日本政府への回答で連合国は,
天皇と日本政府は連合国最高司令官の「従属の下」におかれると明言している.
占領後の歴史を見れば,日本政府が完全にGHQ=アメリカに従属したのは明白.
日本政府が占領政策の下請け機関となり,それに対する拒否権はなかった.

119 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/10/29(水) 23:46:22 0
もし占領時代の日本政府がGHQ(米国)に支配されていないと言いうるのなら,
仏印時代の安南もカンボジアも,英領時代のインド藩王国もマレーのスルタン領も,
みんな宗主国である英仏の支配を受けていないという理屈になる.



軍事占領しながらも,日本に主権は存在すると明言してるで.
大体,従属下にあるなら,講和条約もヘッタクレもないわけで.

>>121
主権はない.
だから講和発効で「独立」「主権回復」と言われた.
これは当時の政府自身がそう言ってた.

外交権も剥奪されてた国に完全な主権などない.
保護国と同じ状況ではないか.

137 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/10/30(木) 01:20:21 0
>>130
だから主権が消滅したわけではないじゃん.
そもそもポツダム宣言自体が「日本の主権」を「元の列島一帯に限定」するって内容にすぎないんだし.
主権の喪失やプロイセンみたいに国民や民族的な消滅企図からは程遠い.
その宣言を受諾してるわけ.

当然,一時的に占領状態に置かれても,条件だった侵略勢力の除去され
新体制が確立されると回復.
138 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/10/30(木) 01:29:01 0
NGword:「日本」「次」
139 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/10/30(木) 01:37:18 0
>>137
主権って色々な意味があるぞ.

GHQの下請として内部的な統治作用を行ってたという「主権」はあったけど,
独立国家としての対外的「主権」は消滅してると解するのが妥当かと.

この場合重要なのは後者なわけだから,「主権」は消滅したと言えるでしょ
140 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/10/30(木) 01:51:11 0
>統治作用
だからその講和条件を受け入れて,条件である軍国主義の除去と新体制の確立を
日本の民主派勢力の復活を履行してるわけだから主権があるって事じゃん.
戦争やってたんだから,その間に駐留されるのは仕方ない.

例えば戦前の韓国の場合は一時的な駐留でもなく,その課程は日本に主権を譲渡し
併合して恒久的に日本の一地域してたんだから,完全な消滅だったと言えるだろう.

日本の場合はナポレオンの遠征失敗後のフランスと同じようなもんだな.
旧軍事勢力が駆逐されて,新体制と勢力が入れ替わったが変わったが,フランスは続いている.

世界史板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 大アミールとスルタンの違いがよくわかりません.
 用語集には,
大アミールは「全イスラーム世界の軍事指導権・統治権を与えられた者」
スルタンは「イスラーム世界の世俗君主の称号」
とあります.

 ということはどちらもイスラーム世界のトップで,両方が成立するのは矛盾しませんか?
 ブワイフ朝がセルジューク朝に倒されて大アミールというものはなくなったんですか?

 【回答】
 喩えて言えば,
カリフ≒ローマ教皇
大アミール≒ローマ皇帝が大司祭も兼任と言うところか?
アミール≒○○地域の総督,元帥

 アミールは総督や軍指揮官を表す言葉で,大アミールとはアミールの中のアミールと言ったところか.

 スルタンは政治とか実務的なことをして,カリフは宗教界の儀礼とかを行うってもので,スルタンも大アミールもその任務についてはほぼ同様のもの.

 イスラム世界の唯一の指導者的役割を果たしたカリフは,すでに他の2王朝(後ウマイヤ朝・ファーティマ朝)が擁立し,マムルークの台頭によってアッバース朝はカリフの国ではなくなりつつあった.
 こうした中で,932年,カスピ海の西南デイラム山地におこったイラン系十二イマーム派(穏健シーア派)の軍事政権・ブワイフ朝の一派が,混乱の続くアッバース朝の首都バグダードに向かって出征し始め,946年(945年?)にアフマドの軍がバグダードを陥落させ入城した.

 ブワイフ朝は,これまでカリフが握っていた全イスラムの統治権,つまりイスラム法の施行権を強要した.
 アッバース朝カリフ・ムスタクフィーは遂に屈服してブワイフ朝政権に『アミール=アル=ウマラー』(大アミール)の称号を与えさせられた.
 カリフに代わる新しいイスラム指導者『大アミール』の称号を得たブワイフ朝は,シーア派でありながらアッバース朝のスンナ派をも保護するという相互関係を取り結んだ為に,アッバース朝は滅亡を免れた.

 その後,セルジューク朝のトゥグリル=ベクがシーア派追放に成功し,アッバース朝カリフのカーイムから,イスラム世界の世俗君主『スルタン』(支配者)の称号を受け,トゥグリル=ベクは初代スルタンとなった.

 こうしてスルタンは,スンナ派イスラム国家の君主の称号として広く知られて行った.

 つまりアッバース朝カリフは,ブワイフ朝には大アミールの称号を要求され,セルジューク朝には功績としてスルタンの称号を与えている事になる.
 一般的には,セルジューク朝がスルタンの称号を付与されてからは,大アミールは使われなくなり,アミール自体はスルタンの下でマムルークを統括し,時に地方総督となる将軍クラスの軍人の称号となった.

 また,現在でもアラブ首長国連邦やカタールの君主が,アミールを名乗っている.

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 【質問】
 テルシオ等の方陣って戦場に着いてから組んだんですか?
 それとも敵地に入ったら常に戦闘陣形?
 それと,行軍中から組んでいたんじゃ戦術機動が取れないし,会敵してからでも十列も槍襖を組んでノロノロ進んだら,包囲されて終わりだと思うのですが,実際の所どうだったのでしょうか?

 【回答】
 そんなに今の戦争みたいに,敵兵と出会ったらいきなりドンパチはしなかったわけだよ.
 ちゃんと会戦方式で,それなりにお互いに陣列を敷いたわけだね.
 テルシオってそういう頃の戦法ですよ.

343 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/11/02(日) 23:31:38 O
>>338

有り難うございます.両軍布陣してから戦ったわけですね.
密集方陣は中心部の兵は戦闘に参加出来ない上,ブロックごとに固まっていては戦線を作れないイメージがあるのですが,戦況に応じて方陣を崩して延翼したりはしたのでしょうか
つまり密集方陣は,それ構成する戦闘単位の取り得る一形態であるのか?
それとも会戦を通じて恒常的な陣形なのかをお尋ねします
344 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/11/02(日) 23:39:22 0
陣形の変形なんて簡単にできるか?

よほど普段から練習してないと無理だっつーの.
小学校のころの運動会の行進でもそうだろ?
何時間も練習してどなられて.

傭兵の集団だからそれなりの訓練はしていただろうけど,陣形というのは臨機応変の対処をしなくていいための決まり事なわけでしょ?
決まったパターンは作ってたかもしれないが.
基本的には隊形が崩れたときは敗戦モードなわけでしょ.

345 名前: 大西郷 投稿日: 2008/11/02(日) 23:54:18 0
陣形って地理的条件に束縛されるんじゃないんか.
346 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/11/02(日) 23:57:15 0
だから会戦に適した地形で大きな戦闘は起きてるでそ?

347 名前: 大西郷 投稿日: 2008/11/03(月) 00:01:31 0
戦闘ってまず少数の諜報をはなって様子を探り,敵を発見したら状況に応じて有利な地の利を取って布陣したりするもんだろ?
348 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/11/03(月) 00:02:49 0
方陣を崩して延翼するのではなく.
できた隙間には相手側がねじ込んでくるからさ,予備隊や親衛隊をそこに突っ込むという感じ.
だからこそ指揮官直属の親衛隊については機動的な行動ができる精鋭,古参なわけですよ.

 将棋みたいなもんだよ.

>>343

確かに中心の兵士は戦闘に参加できないが,一旦敵への攻撃が始まったら弓矢や石が雨アラレと飛んできてバタバタ倒れる.
中心の兵士はその倒れた兵士の穴を臨機応変に埋める役割がある.つまり予備兵力.

予備兵力のない陣形では戦線は維持できない.
方陣を有機的に組み合わせる事で突破しにくくする(≒戦線を作る)ことは可能なんだよ.

あと方陣は敵の騎兵に突撃を躊躇させる”プレッシャー”を与える面で横隊よりも優れていた.これ超重要

でも,あなたの言うのもある意味では正しいよ.
「真ん中の兵士戦えないし意味無くね?一列横隊にすれば全火力を一方向に集中できるんだが・・・
 でも横隊は騎兵の突撃に弱いし・・・う~ん」

って用兵上の大問題は古くからあるからね.

この問題に対して完全に横隊が浸透したのは銃剣付きマスケット銃っていう歩兵とも騎兵とも戦える真の万能兵器が登場してから.
これなら騎兵も怖くない

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 【質問】
 「大アミールとはアミールの中のアミール」とおっしゃいましたが,大アミールは軍事指導だけでなくイスラーム世界も統治していたんですよね?

 【回答】
 『アミール・アル=ウマラー』のウマラーとはアミールの複数形で,即ち,諸アミールたちのアミール=大アミールと訳される.
 だから大アミールはアミールの中のアミールと言ったところか,と明記してみた.
 『アミール』とは本来,命令する(者)という意味で,カリフやスルタンなどの下で軍や地方を統括していた.
 これが転じて総督や軍指揮官を指す言葉になった.
 軍指揮官も指し示す言葉だからと言って,統治権を一切与えられてなかった訳ではない.

 アッバース朝時代スンナ派ムスリムは基本的に,アッバース朝の君主を,預言者ムハンマドの現世における代理人『カリフ』と仰いでいたが,このカリフの雅称の一つに『スルターン』の語があった.
 具体的には(軍事)政治権力者くらいの意味で使われていて,ガズナ朝のマフムードが,アミールや大アミール(アミール・アル=ウマラー)に代わる称号として使用し,セルジューク朝から世俗君主の称号として一般化した.
 ブワイフ朝は『シャーハンシャー』(シャーはペルシア語で王を意味し,シャーハンシャーは王の中の王(帝王,皇帝)を意味する)や,『スルタン(スルターン)』の称号の使用許可をアッバース朝カリフに再三,要請したが,特に『スルタン(スルターン)』については許可されなかった経緯がある)
 だからブワイフ朝は仕方なく,代わりに大アミールの称号で我慢したと言う感じか?

 あとブワイフ朝は,アッバース朝カリフに称号と全イスラム世界の世俗的な権威も寄越せやと迫った訳.

 ちなみに領土の大小に関わらず,独立的な権力を持つ君主であれば,『スルタン(スルターン)』と称する.

 上に補足.
 セルジューク朝はブワイフ朝が称していた大アミールの代わりに,アッバース朝カリフから新たに与えられたスルタンの称号を使用しただけで,セルジューク朝のスルタンもブワイフ朝の大アミールも持ってる権威は同じ.
 セルジューク朝以降,『スルタン』の称号が世俗君主の称号として一般化しただけの話で,セルジューク朝のスルタンは,ブワイフ朝の大アミールと中身が違うと言う訳ではない.

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 【質問】
 昔,カムチャツカ半島は日本でなんと呼ばれていたのですか?
 漢字の当て字とかはありますでしょうか?
 自分でも調べたのですが,勘察加なんてのはあったのですけれども.

 【回答】
 江戸時代に工藤平助が著した赤蝦夷風説考では,ヲロシヤ,カムサスカと呼んでいる.
 赤蝦夷風説考の写本では,加摸西葛杜加(カムチャトカ)国風説考というのがある,そうだ.
 赤蝦夷風説考は教育社から1979年に出版されているが,こちらは現代語訳.
 江戸時代は北海道は未開の大地であり,松前藩がアイヌとの交易を独占していたが,樺太も北海道も北方領土も皆ひっくるめて蝦夷地と呼ばれていた.
 アイヌが蝦夷で露西亜人が赤蝦夷と呼ばれていた.
 カムチャツカ半島は,工藤平助がアイヌから噂話レベルで聞き取ったというレベルの話なのだ.
 普通の和人にとっては見たことも聞いたこともない,遠い北方の地だ.
 並みの和人では凍死してしまうからな.
 大黒屋光太夫が生きて帰ってきたのは奇跡だ.

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 【質問】
 歴史地図なんかで日中戦争~第二次大戦時の日本軍の最大進出領域を見ても,華北はほぼ全域に日本軍が展開している(八路軍の解放区で虫食い状態だが).
 一方,華南は沿岸水域を日本海軍が海上封鎖しているとはいえ,一部の都市を点として支配しているだけで,華北に比べると日本軍の展開が少ない.

 台湾のドまん前が,大部分,敵の支配領域のままというのは落ち着かないと思うが,当時の人は気にならなかったのだろうか?

 【回答】
 虫食いと言っても,大陸間弾道弾や高性能の飛行機が未発達な時代だから,簡単に遠隔地を攻撃できないし,制海権,制空権,飛行機の航続距離などから,防衛体制はある程度逆算できる.
 一時期の対米の絶対国防圏の発想もそれ.

 日本側が中国に長期の駐留体制を確立し,重慶まで戦略組織的に爆撃敢行できてたが,蒋介石は米軍の支援を受けても,散発的に部分的に空襲できるぐらいで,制海権も日本に劣っていて,総合的に侵入は不可能だった.

 地図上の「目と鼻の先」と言ってもそれぐらい差があるから,対中国ならそんなに心配されなかったわけ.

 また,当時は軍閥が割拠しておったから,直接日本軍が攻め込んで支配するより,こいつらを手なずけて間接統治したほうが都合がよかったのかもね.

南海の軍閥 甘志遠
http://www.gaifu.co.jp/review/kanshien.html

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 【質問】
 映画『アンナと王様』って,なんでアンナが先にくるんだ?
 王様とアンナ.にすべきだろ!?
 かつては『王様と私』という慎み深い題名だったのだ~!

 【回答】
 違うぞ.
 「王様と私」のさらにオリジナルは,「アンナとシャム王」だ.

 あの映画の面白い見方を教えてやろう.
 本当の英国人は,作中のアンナのように英国の文化規範がすべてに優越する,などと信じてはいない.
 ただ,覇権を押し通すため,植民地や他国に信じ込ませるのに熱心なだけで,英国人自身はそんなこと世界の誰より信じてないんだ

 アンナは,「米国人による英国人のイメージ」に過ぎない.
 そして,そうしてまんまと騙される米国人を,英国人は冷笑してるというわけだ.

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 ※要調査.


 【質問】
 第1次世界大戦のビデオを見たんですが,感想を書けと言われました
 感想を考えていただけないでしょうか?
 ビデオ見てないから分かんねーよって言われそうですが,内容関係なくていいです.
 お願いします.

 【回答】
 ビデオというのは「映像の世紀」かな?

 学校の課題は,教師が期待する答を書けば正解.
 教師がビデオを見せた意図を察知すればよい.

 直接的な感想ならこんなところだろうか.
・塹壕が水浸しで寒そうだった
・砲弾がそこらじゅうで炸裂してる中,何日も過ごすなんて気が変になりそうだと思った
・敵の機関銃が火を吹きまくってる中突撃なんてありえない
・砲弾神経症の人って治ったのかな

 反戦教育の一環で見せられたなら
・戦争は悲惨だと思った
・平和が一番だと思った
とでも書いておけばいいんじゃない?

 まあ,戦争が悲惨なのは事実だし,平和が一番なのも当たり前だし,平和だからこうして2ちゃんできるわけだし・・・
 昔は兵役があるから戦争になったら,否応なしに何年も戦場に引っ張られ,下手したら死ぬか障害者になる危険が大きかった.
 生還する保証などなかった.
 フランスは第二次大戦より第一次大戦のほうが死傷者数多かったし,毒ガスだって使用されたし,ある意味一番悲惨な戦場というのは第一次大戦.

 今は兵役も戦争もないので,こうしてネットを楽しむことができる.

 やっぱり平和が一番.
 平和が最高.

 正直,ネラーの本音だろ.

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×

* 【質問】
 ウェストファリア条約で神聖ローマ帝国内の領邦の主権がほぼ完全に認められましたが,これによって神聖ローマ帝国は1つの国としての機能をまったく失った,というのはどういう意味ですか?

 【回答】
 ウェストファリア条約により,神聖ローマ帝国に属していた国々の独立が認められたって事だよ.
 その条約でフランス,スイス,オランダなんかが,ドイツ神聖ローマ帝国から離脱したんだから.

 たとえて言えば,江戸幕府が大名に対する統制権や対外的な代表権を完全に失って,薩摩や長州が幕府の頭越しに勝手に外交したり戦争したりできる状況になったようなもの.
 戦国時代の元亀天正の世みたいなものか.

 それまでも神聖ローマ皇帝が帝国諸侯に対して,支配権を行使したなんて事は全く無かった事だけど,それでも名目として残存していた,皇帝に対する封建関係が,諸侯の領邦高権に優先するものではない,という事が明文化されてしまったってのがウェストファリア条約.

 まあ,神聖ローマ帝国が完全に崩壊するのは,もっと先の話なんだが・・・

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* 【質問】
 神聖ローマ自身の領土は無かったの?

 【回答】
 神聖ローマ皇帝は,ドイツ諸侯から選挙で選出されたローマ王(ドイツ王)が,ローマ教皇に戴冠してもらって盟主として君臨している存在.
 謂わば代表者みたいな者.

 そもそもホーエンシュタウフェン朝が絶えてからは,帝国領土なんて概念消滅してるよ.
 大空位時代の中で帝国領は消滅していった.
 帝国諸侯に横領されたり,皇帝が自家の所領にしちゃったりと.
 ハプスブルク朝が自家の所領以外を権力の源泉にした事なんて一度も無いよ.
 ついでにいうと,当時の皇帝は諸侯をまとめてもいない.

111 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/11/14(金) 20:09:42 0
>>108
「これによって」は領主の主権が完全に認められた,にかかるんじゃなく
ウェストファリア条約にかかるんじゃないか?
112 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/11/14(金) 20:11:10 0
>>108
113 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/11/14(金) 20:16:56 0

114 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/11/14(金) 20:19:20 0
115 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/11/14(金) 20:27:04 0
>>114
116 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/11/14(金) 20:41:17 0
取り潰しとか無かったの?
117 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/11/14(金) 21:18:37 0
>>108

>>112

>>114


>>115
マクシミリアン1世以降の皇帝は教皇の戴冠を必要としなかった.
ちなみにカール5世はその辺の懐古思想も相まって,最後の皇帝と呼ばれてる.

>>116
帝国諸侯の座を剥奪する権利を持っていたのは,皇帝ではなくて
帝国諸侯の全員一致による議決だけだったから,取り潰しなんて出来なかった.
但し,封の継承にあたっての不備があった場合は別だけど.
118 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/11/14(金) 21:18:55 0
>>116
なに?取り潰し?幕藩体制じゃないって.
神聖ローマ皇帝に,そんな力なんかない.
担がれてるだけなんだから.馬鹿やらかせば,代わりの者が立つだけ.
119 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/11/14(金) 21:20:04 0
>>118
力がないんじゃなくて,法律として出来なかったんだよ.
詳しくは等族集会で調べてみると良いよ.
120 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/11/14(金) 21:21:22 0
>>116
取り潰しって何?
ドイツ諸侯に支持されなきゃローマ王(ドイツ王)になんてなれないし
幾ら権力が強くてもそこまで好き勝手は出来ないはずだが・・・
あとハプスブルク家なんかは神聖ローマ帝国内にある
幾つかの王を兼ねてるんだが・・・
121 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/11/14(金) 21:24:23 0
>>120
幾つかの王って何ですか?
122 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/11/14(金) 21:29:14 0
>>121
いい加減に自分で少しは調べようや.
レス返すまでに3分しか経ってないじゃん.
123 名前: 121 投稿日: 2008/11/14(金) 21:34:37 0
ドイツ王国の諸侯の中で,王冠を保持している諸侯は
三十年戦争当時にはまだベーメンだけだと思ったんだけどな.
ベーメン王と他の選帝侯が何らか上下関係があったわけでは無いしね.
(ルクセンブルク朝のベーメンが帝権の拠り所だったってのは認めるが)

神聖ローマ帝国にある王号というと,ブルグントとかイタリアとかあるけれど
それらは主体的なタイトルじゃなく,ドイツ王位に付随するものだったし.
で,肝心のドイツ王位は選挙制だったわけで・・・.

正直,120は文の前半と後半が繋がってない様に思うんで聞いてみただけだよ.


124 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/11/14(金) 21:40:55 0
「ブルグント王国」なんて,王国の実態が存在してた時期あったの?
125 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/11/14(金) 21:46:28 0
フランク王国が滅ぼすまでは普通に王国だったよ
126 名前: 121 投稿日: 2008/11/14(金) 21:47:25 0
>>124
ブルグントに限らず中世の王国なんてのは,実態が非常に曖昧.
何せ主従関係が個人的なものだったからね.
早死にや血統の断絶であっという間に四分五裂するもんだよ,王国も諸侯領も.


ちなみにドイツ王国が皇帝位を独占する契機になったのが
ブルグント王国の確保だったりするよ.

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 【質問】
 ニコライ2世は大津事件によって対日感情を悪化させたのですか?
 だとすれば,大津事件がなく,対日感情が良好のままなら,日露戦争は起こらなかった?

 【回答】
 大津事件のあと,ニコライは至れり尽くせりのフォローを受けた.
 政府からも日本国民からもお見舞いが届き,お土産もたっぷり持って帰って,ニコライの対日感情はきわめて良好になった.

 ロシアの南下政策は,北の国が南の領土を求めるという,自然な欲求から来たもの.
 そうしたら日本とぶつかることになってしまった.

 大津事件は1891年,ニコライが皇太子時代.
 日露戦争は1904年,ニコライは皇帝.
 この年月の流れも考えに入れよう.

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 【質問】
 硝石はどうやってできるの?
 大昔の恐竜達のトイレ跡とかにできるのかな.

 【回答】
「Wikipedia」:硝酸カリウムより

―――――
製造

 歴史的には以下のようにして作られていた.
 まず,厩肥,漆喰か木灰,藁などの有機物を混ぜ,およそ高さ1.5メートル,幅2メートル,長さ5メートルほどの塊を作る.
 覆いをして雨などで濡れるのを避けながら尿を掛け,分解を促進させるために度々かき混ぜる.
 およそ1年後に,水で溶かして液状化する.
 その液体には様々な硝酸塩が含まれるが,木灰でカリウム塩としたのち,結晶化によって精製し,火薬として使用に供される.
――――――

 旧日本軍では,便所の床下の地面に堆積した物を採掘したり,枯れ草に尿をかけ発酵させて生成させたりして入手していた.
 イングランドでは1588年以前から,記録家として知られるジョン・イヴリンの一家に爆薬製造を独占する特権が王家から与えられていた.

 最近の説では加賀前田家の史料から,この方法により,すでに日本において朝鮮の役の頃にはある程度の自給製造が可能になっていたという

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 【質問】
http://ishigantou.seesaa.net/article/94707474.html
http://ishigantou.seesaa.net/article/94927804.html
http://www.tabisupport.net/okinawa/rekisi.html
に,ペリー艦隊には沖縄占領計画もあったとありますが,本当ですか?

 【回答】
 昔から,ペリー艦隊が琉球を征服する意志はあったか,なかったかは色々説があるが,ペリーの報告や当時のアメリカ世論などを見るに,どうもあったと考える方が妥当なよう.

――――――
 共和党のフィルモア大統領の密命を受けていたペリーは,沖縄や小笠原を占領下に置く領土的野心をもっていたといわれる.
 ペリーのこうした領土的な野心の心象は,停泊地から本国に出した書簡などから明らかである.
 ペリーがケネディ海軍長官にあてた書簡には,
「薩摩藩の圧政から琉球島民を開放する意図」
を示し,それを実現するためには
「海軍力による制圧が必要だ」
と書いている 20).
 また1853年にペリーは,「琉球における米国の保護権を確立した」旨の書簡を本国に送っている21).

――――――京都女子大学教授 柴山哲也
『米国世論に現れた日本「Misanthropic Orson」 (人間嫌いの小熊)』(PDF)

 結局,ベリーが遠征中に艦隊を派遣したフィルモア大統領からピアス大統領へと政権交代が起き,対日交渉の進展もあって,アメリカの対外戦略が変わって,琉球への武力征服は無しになった,つうこと.

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 【質問】
 第二次世界大戦で,米国がノルマンディー上陸作戦以降,欧州での軍事作戦に積極的に加勢した理由がいま一つ理解できない.
 土地を手に入れられるわけでもないし,独軍は露払いで済むほど簡単な相手でもないわけで.
 太平洋戦争の方は,中国に権益があったし,日本が明確な侵攻意思を持ってたわけだから分かるんだけど,欧州の方に積極的に加担する理由って何?
 イギリスに恩義でもあったの?

 【回答】
 西ヨーロッパにおいてあるひとつの勢力が圧倒的な力を有するという事態を西欧人は警戒し続けてきた.
 ある国が力を伸ばせば,他の国同士が結託して足を引っ張るという構図は,古代ローマ崩壊以後,西ヨーロッパのあらゆる時代において見られ,このような,意図的に西ヨーロッパを「分裂」状態におこうとする西欧人自身の努力の結果が,主権国家体制であり,勢力均衡政策であるわけだ.

 ドイツを放っておくということは西ヨーロッパ全土を支配下に置く独裁制の大帝国の出現に繋がりうる(少なくとも当時はそう思われていたし,事実大陸部はドイツの占領下にあった)わけで,そのような事態をアメリカが容認しうるわけがない.
 動機は利益の追求よりも恐怖心だよ.

 ヨーロッパ分裂の長い長い歴史を考えると,EUによるヨーロッパ統合はやっぱり凄いんだなあと思う.

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* 【追記】

 ヒトラーが何故アメリカに宣戦布告したのかについては諸説あってはっきりしないんだけど(三国同盟は援助義務のみで参戦義務はなかったはず),アメリカは参戦前からレンドリース法に基づいて,イギリスとソ連に大量の戦略物資を援助していて,しかも戦争状態にない以上ドイツはアメリカ船籍の輸送船を沈められない状態にあったので,日本の対米参戦を期に英ソに対するアメリカの援助を断ち切ろうとして,宣戦布告に踏み切ったというのが最も無難な説かな.

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 【質問】
 ベルナドットがよりによって,…表向きは同志のようでいて,その実は内在的な政敵…が,昔は結婚するつもりでいたような女性を娶る成り行きになってしまったのは何故ですか?

 【回答】
 ナポレオンに敵対する立場だった.
 ベルナドットは軍人として勇名を馳せていて,しかも軍事的な才能を持つと共に民衆からも人気のある彼を,ナポレオンとその兄弟はなんとか味方に取り込みたいと考え,ナポレオンの兄嫁の妹という関係にあったデジレとの結婚させる事で,自分の側に引き込もうと目論んだ.
 そしてその目論見通り,ベルナドットはデジレの美しさに魅せられ,デジレもまた彼の穏やかな人柄に惹かれて,1798年の夏に2人結婚するに至ったから.出会いのきっかけはナポレオン兄弟が画策した事とは言え,ベルナドットはデジレと嫌々結婚した訳ではない.

 ただし,ナポレオンの兄弟が画策したという話自体が眉唾というか,俗説では?という見方もある.

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 【質問】
 信長は魔王名乗ってたけど魔王の元は何?

 【回答】
 天魔=第六天魔王波旬(はじゅん=悪魔)は,仏道修行を妨げている魔のこと.
 天子魔(てんしま)・他化自在天(たけじざいてん)・第六天魔王(あるいは単に魔王)ともいう.

 以上wikiより抜粋.

 六道は天道・地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道の総称.

 仏教の「天魔」は,多神教でいうところの神(ディーヴァ)の一柱.
 天道は下から欲界(地獄以上)に属する六欲天,色界,無色界の三つに分かれ,色界には梵天や大自在天など創造主クラスの高位の神々が住む.

 六欲天は最下層から,
須弥山中腹の四大王衆天:四天王たちと眷属の住まう天界
須弥山頂上の三十三天:帝釈天・天帝インドラを大王とする神々の世界
須弥山上空に浮かぶ夜摩天:閻魔大王・祖霊の主たるヤマ神の支配する天界
その上空にある兜率天:弥勒菩薩が修行している天界
さらに上空の化楽天:愛欲の神々が住まう天界,と来て,
最上層に天魔波旬の支配する他化自在天がある.
 天魔はこれより下の欲界全てを主宰して衆生を惑乱させ,輪廻からの解脱を妨げているのだ.

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