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総記FAQ目次


(『はだしのゲン』より引用)


 【Link】

「Gigazine」◆(2013/04/25) PTSD治療のため愛情ホルモンの研究を米国国防総省の機関DARPAが要請

「Newgrounds」:Durk Cut!
(ブログ「ARM1475」によれば,『野戦病院体感ゲーム.身体にめり込んだ弾や壊死した手足を時間内に手術で何とかするゲームです』
 by 仮 in FAQ BBS

PTSDの医療人類学倉橋優の本棚より)

「Strategy Page」◆(20130412) ATTRITION: The Medical Revolution

「Wired Vision」:戦争と医療:米軍が撮影していた写真のギャラリー

「スラッシュドット・ジャパン 」:負傷兵士を仮死状態にして生存率を上げる技術,豚での実験開始へ

戦争神経症とイギリス(PDFファイル)

第1次世界大戦期イギリスにおける戦争神経症をめぐって(PDFファイル)


 【質問】
 赤十字はどのように誕生したか?

 【回答】
 Michael Ignatieff(a writer & journalist)によれば,以下の通り.

 1859年6月24日,北イタリアを旅していた裕福なジュネーヴ市民,ジャン・アンリ・デュナンは,ソルフェリーノの葡萄畑や狭い谷間で,フランスのナポレオン3世軍と,オーストリアのフランツ・ヨーゼフ皇帝軍が戦っているのを,カスティリオーネ周辺の丘から眺めた.
 夕暮れ頃,オーストリア軍が一斉に敗走しだした.
 デュナンの「ソルフェリーノの思い出」ほど,戦いの後の戦場の様子を克明に記録したものはない.
 地面は凝固した血で黒ずみ,投げ捨てた銃や背嚢や軍服の上着が散乱し,至るところに,切断された人体の一部,骨の破片,弾薬箱が転がっており,乗り手を失った馬達が死体を嗅ぎ回っている.断末魔の痙攣で歪んだ顔の死者,渇きを癒すために血みどろの水溜まりへと這っていく負傷者達,そして,死体の間を駆け回って死人の足から軍靴をもぎ取る,強欲なロンバルディアの農民達.

 カスティリオーネの村に入ったデュナンは,両軍の数千の負傷者が,村のあちこちの教会や広場や小道で枕を並べて死にかけているのを目にした.
 彼は,包帯その他の必需品を取りにやり,村の女達に協力を求めて負傷兵の手当てにかかった.休暇旅行で通りかかった英国紳士2人も手を貸した.
 当時30代前半のデュナンは,その方面についてはずぶの素人で,古戦場巡りの旅行者に過ぎなかった.
 10時間に及ぶ戦闘で6千の命が失われ,その後,数ヶ月間にさらに何千もの兵士が,傷が元で死ぬことになった.
 デュナンがその週末に,一人でも命を救ってやれたかどうか疑わしい.本の2~3日後には,諦めてジュネーヴに戻った.

 だが,彼が目にしたものは,彼の人生を変えることになった.
 大方のリベラルなヨーロッパ人にとって,ソルフェリーノ戦役は,イタリアをオーストリアから最終的に解放するのに役立った輝かしい勝利だった.
 デュナンからすれば,ソルフェリーノは,解く努力に生涯を費やすことになる倫理上の謎であり,負傷者の放置は,兵士に国家は感謝するという神話が偽りであることを示すスキャンダルだった.

 自らの体験を彼は詳しく書き,同時代人の良心に訴えようと思い立った.
 瀕死の患者達のことを「トゥッティ・フラッテリ(皆,兄弟)」といったカスティリオーネの看護婦達についての記述もある回想記が,1862年に出版されるや,彼は道義上の名士になった.

 さらにデュナンは,救護団体が戦時負傷者の手当てをすることを可能にする国際条約を纏めるという,新たな計画に自分の名声を利用して支持を募るため,ヨーロッパ各国の首都を回った.
 ナイチンゲールにも手紙を書いて支援を求めたが,心気病みの孤高のこの聖女にはきっぱり断られた.彼女は,各国の軍医療機関があくまで自軍負傷兵に責任を持つべきだと主張した.
 デュナンはスイス人だけに,敵対する双方の負傷兵の面倒を見る中立的ヴォランティアの国際組織を良しとした.彼の考えを広めるため,ジュネーヴの名士達から成る5人委員会が1863年2月に結成され,これが後の赤十字国際委員会の中核になった.

 1864年8月,スイス政府主催の下,アメリカを含む16ヶ国の代表がジュネーヴで会議を開き,戦場における医療の改善について合意した.
 会議の中で一人が,医療従事者は白い腕章をつけることにしては?と持ちかけ,別の一人が,それに赤い十字を入れよう――赤地に白十字のスイス国旗に対する敬意の印として――と提案した.
 おそらく世界中で最も広く知られているシンボル,赤十字はこうして生まれた.

 3週間後,12ヶ国の代表が,ジュネーヴ条約と呼ばれるようになるものに調印した.
 その種のものとしては最初のこの条約は,病院・救急車・医療スタッフを「中立化」することを定め,敵兵も自国兵士達と同じ手当てを受ける資格があるという原則を確立した.
 それに従わないことに対する罰則は決めず,強制する仕組みも備えていなかったが,戦闘員達が「文明人」と見なされることを欲するなら準拠しなくてはならない基準を示したことになる.デュなんとしてはそれで十分だった.
 当時ですら,戦争を「文明化」するという発想は,理屈に合わない,それどころか倒錯した考え方のように思われた.ジュネーヴ条約調印当時,血みどろの結末に向けて戦われていたアメリカ南北戦争は,到底文明的とは言えなかった.戦争の栄光などという幻想を抱いている者には,泥棒にポケットを裏返され,壊疽で足が膨れ上がった,マシュー・ブレイディ撮影によるゲティスバーグの死者の写真を見せてやるだけで良かった.

 ジュネーヴ条約はまた,17~18世紀の旧制度(アンシャン・レジーム)の下で遵守されていた戦争の礼節を,ナポレオンの大量徴兵制によって導入された新たな野蛮さから守ろうとする試みとも見るべきである.
 例えば,ルイ14世時代の傭兵軍は,莫大な経費を要したため,必然的に君主達は,傷病による兵士の損耗を少なくする強い動機を持った.
 チェルシーの王立病院やパリの廃兵院(アンヴァリッド)は,いずれも17世紀の創建で,傷病兵の病院だが,そうした配慮を物語っている.

 1789年のフランス革命は近代的な大量徴兵軍を誕生させ,全国民を利用できるようになったナポレオンには,兵士の命を浪費する余裕があった.
 その上,戦争が特権階級間の勝ち抜き競争だった時代に守られていた慎みを,平民による民主戦争は無用とした.戦争を民主制と保守反動との抗争と考え,禁じ手無しで戦いに臨んだフランス共和国軍より,フランス歴代の王の軍隊のほうが,医療班の中立性を尊重しそうなくらいだった.
 したがって歩兵は,1859年にソルフェリーノの戦場で戦うより,1690年にルイ14世の下で戦ったほうが,負傷しても生き延びられる公算は大きかった.
 ワーテルローでは,両軍の名もなき戦死者達は,戦場で朽ち果てるに任された.遺骨はイギリス人請負業者達が収集し,イギリスに送り返して磨り潰し,骨粉飼料や肥料として販売した.
 死者はもっとましな扱いを受けてしかるべきだという考えが一般に広まったのは,クリミア戦争と南北戦争の後のことに過ぎない.

 1870年8月,ビスマルクのプロシアがフランスを侵攻したとき,デュナンの思想は初めて実戦で試された.
 赤十字国際委員会は,フランス兵が殆ど誰もジュネーヴ条約のことを知らないらしく,また,同国の従軍看護婦には赤十字の腕章が殆ど支給されていないという事実にフランス政府の注意を喚起した.
 同年秋,返還された捕虜を戦線に復帰させないとフランスが保障できないのを理由に,プロシアが傷の癒えたフランス兵達を条約の規定通り引き渡すのを拒んだとき,委員会は調停に乗り出した.
 デュナンはパリの一般市民を攻撃から守るため,同市を「安全地域」と宣言することを提案したが,これは無視された.パリは包囲され,市内の病院の上に翻る赤十字のシンボルは銃撃された.

 この頃デュナンは金銭的に逼迫し,アルジェリアでの商売が破綻するに至って,国際委員会幹事を辞任せざるをえないという心境になり,コンスタンス湖畔の小さな町に引っ込んだ.
「貧乏がどういうものか聞いて知ってはいたが,今やそれが我が身に降りかかった」
と彼は書いている.

 23年間ひっそりと隠遁生活をしていたが,詮索好きなあるジャーナリストによって再び見出され,1901年に第1回ノーベル平和賞を授与された.
 彼はその賞金を寄付し,最後まで頑として希望を捨てずに1910年,82歳で亡くなった.

 デュナンが亡くなった頃には,既に大方の国が国内赤十字社を設立していた.
 イスラーム世界では,各国の組織は当初から今に至るまで赤三日月社と呼ばれている.
 第1次世界大戦までには,赤十字は世界最大の人道運動組織になっていて,それは今も変わらない.

(「仁義なき戦場」,毎日新聞社,1999/10/30,p.133-139,抜粋要約)

赤十字マーク@戦場
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 アンリ・デュナンってどんな人?

 【回答】
ジャン・アンリ・デュナン Jean Henri Dunant(1828~1910)

 スイスのジュネーブ市の旧家の生まれ.
 父は政治・経済界の名士で,母は名門コラドン家の出身.
 ぶっちゃけ良家のボンボンですな.
 それだけでなく両親は熱心なキリスト教徒で,慈善事業に熱心だったと申します.

 さて,デュナンは31歳の時,仕事で北イタリアへ出かけます.
 すると,そこで出くわしたのがイタリア統一戦争.
 オーストリア軍とフランス・サルジニア連合軍との間でおこったソルフェリーノの戦いでは,兵士4万人が死傷.まさに死屍累々.

 この戦場に行きあわせた彼は,「みんな同じ人間同士」という合い言葉のもと,町の人々といっしょに,敵・味方の区別なく負傷兵を助ける活動に奔走するのでありました.

 さらに彼はスイスに帰りますってぇと,戦争犠牲者の悲惨な状況を語り,「ソルフェリーノの思い出」という本も自費出版して,この中で国際的な救護団体の設置を訴え始めます.
 今でこそ自費出版も「戦争の語り部」もありふれておりますが,その当時は世界中の多くの人がそれに賛同いたしまして,デュナン,ギュスターブ・モアニエ,アンリ・デュフール,ルイ・アッピア,テオドール・モノアールの5人が集まって「5人委員会(国際負傷軍人救護常置委員会)」ができました.
 「赤十字国際委員会」の始まりであります.

 しかしデュナンの慈善精神は,これだけでは満足いたしません.
 彼は自腹を切って,2ヶ月もの間,ヨーロッパ各国の皇帝や元首の説得を説得して回り,そしてついに1863年,ヨーロッパ16ヶ国の代表者をジュネーブに招いて,赤十字創立のための初めての国際会議を開くことに成功いたします.
 この会議で作られたのが,赤十字に関するジュネーブ条約と,もう一つ,赤十字の旗.
 これはデュナンら5人委員会に敬意を表し,スイスの国旗の色を逆にしたデザインとされました.

 けれども,実業界では「経営以外のことに力を入れ過ぎる経営者は,ビジネスでコケる」という法則がありまして,過去,多くのビジネスマンがそれで失敗しております.
 デュナンも例外ではありませんで,彼の会社もまもなく経営破綻,莫大な借金を抱えることになってしまいます.
 そのため,デュナンは委員会から脱会を余儀なくされるのでありました.

 時は流れまして,世間がデュナンの名前を忘れかけていた頃でした.
 一人の新聞記者がスイスのハイデンにある老人福祉病院にて,デュナンを発見いたします.
 時にデュナンは67歳.
「ああ,なんということであろうか.
 偉大な赤十字の父が,一人寂しく病院暮らしをしているとは」
 記者は驚き悲しみ,それを記事にいたします.
 記者クラブで官僚にぶら下がって,記事を頂戴するだけが仕事の,どこかの国の記者とは,記者の質が違いますな.

 そのかいあって,1901年,デュナンに朗報が舞い込みます.
 最初のノーベル平和賞が彼に贈られた,というものでありました
 彼はその賞金の大半を赤十字に寄付し,1910/10/30,ハイデンの病室で亡くなりました.
 享年82歳.
 静かに,目立たないように葬儀をしてほしいとの希望により,チューリヒで荼毘に付されました.

 一方,赤十字加盟国は150ヶ国,さらに赤新月社も含めますと180ヶ国以上となり,現在も世界各地の紛争地域で活動を続けております.

 講談「アンリ・デュナン伝」,これにて語り終わりとさせていただきます.

written by 一龍斎貞山(うそ)


 【質問】
 赤十字国際委員会はどのような人々によって構成されているのか?

 【回答】
 Michael Ignatieff(a writer & journalist)によれば,以下の通り.

 スイス人の法律家・銀行家・外交官を主たるメンバーとし,1999年現在,弁舌爽やかだが老獪なイタリア系スイス人法律家コルネリオ・ソマルーガが統括している.
 国際組織が何故スイスの委員会によって運営されているか?
 ソマルーガは,その問いを逆手に取り,国籍の同じ者――この場合はスイス人――のみから成る執行部なればこそ,国連のような多国籍組織をしばしば悩ます麻痺常態を免れられると答える.

(Michael Ignatieff, a writer & journalist, 「仁義なき戦場」,
毎日新聞社,1999/10/30,p.145,抜粋要約)


 【質問】
 赤十字の標章問題について教えられたし.

 【回答】
 日本に於いて赤十字と言えば,日本赤十字社が用いている旗の事なのですが,これまでに幾度か書いた様に,赤十字条約に加盟が認められるまでは,こうした救恤活動用に日本でも様々な旗が用いられました.
 最終的には,赤十字旗が採用されましたが,元々,赤十字はキリスト教徒のシンボルであり,それが受容されるまでには,皇室の力を用いたり,本願寺など既存宗教勢力との話し合いをしなければなりませんでした.
 宗教的には,ある程度寛容な日本でさえ,そう言う状態であり,他国でもこれは同様の動きを行っています.

 当初は赤十字加盟国はキリスト教諸国ばかりだったので,赤十字旗を採用するのに全く躊躇わなかったのですが,非キリスト教諸国が入ってくると話がややこしくなります.
 とは言え,各国独自の標章を用いると,世界共通のシンボルとしての考えが揺らぎ,戦地や紛争地という限界状況の中で,敵味方の区別無い救護を行うと言う運動の理念に反することになります.
 運動自体は,合意が図られていましたが,標章に関しては,様々な対立を孕んできました.

 キリスト教のシンボルである赤十字を受け入れられなかったのは,19世紀のオスマン・トルコ帝国が最初でした.
 その結果,白地赤十字標章は,イスラーム圏内に於いては,白地赤新月標章に変容し,露土戦争で用いられましたし,エジプトでも採用されました.
 ペルシャは,イスラームの国ですが,スンニ派の推す白地赤新月標章を受け入れず,独自に白地赤獅子太陽標章を制定し,シャムも赤い火炎を採用しています.
 そう言う意味では,標章に拘らなかった非キリスト教諸国は日本だけだった訳です.
 こうした国々では,シャムを除いて,赤十字条約の標章部分の条文だけを保留していましたが,1929年のジュネーヴ条約第19条に於いて,赤新月と赤獅子太陽を例外的記号として認めると言う事になりました.

 こうして赤十字以外の標章が認められると,1931年にパレスチナ委任統治領で設立された救護社が,「ダビデの赤盾(the red shield of David)」の採用を赤十字国際委員会に通報し,1935年,アフガーン政府が赤壁龕社を設立し,赤壁龕(Mehrab-e-Ahmar/The Red Archway Society)の承認を要請しました.
 「ダビデの赤盾」とは,所謂ダビデの星と呼ばれる六角星形のデザインで,「赤壁龕」とは,モスクの壁龕,即ち,イスラームが祈りを捧げるメッカの方向をデザインした標章でした.
 これらは何れも赤十字国際委員会が,条約上認知されている標章を用いる様警告し,それぞれの救護社の承認に消極的な態度を示しています.

 その後,第2次世界大戦が終了して,各国の植民地が独立を始めると,標章問題が再燃します.
 1949年の外交会議に於いて,ビルマは同国を含むアジア諸国の救護社が独自の新標章を採択する可能性を示唆した他,その後もインドやジンバブエと言った非ヨーロッパ地域の一部の救護社が独自標章を選択し,赤十字国際委員会に承認を要請しましたが,何れも拒否されました.
 一方,1949年の外交会議では,イスラエルが20年に亘って使用してきた「ダビデの赤盾」標章の承認を求めてきました.
 しかし,結局この要請も1949年ジュネーヴ条約の第1条約第38条では,1929年条約第19条を殆どそのまま踏襲し,赤十字標章と共に,赤新月と赤獅子太陽を保護標章として公式に確認したに留まりました.
 その後,1980年にイランの帝政が倒れ,イスラーム共和国となると,イランの赤獅子太陽は放棄され,代わって赤新月を利用する事になり,1983年に,それが追認されました.

 とは言え,この考えは国際赤十字・赤新月運動の原則の1つである,「公平」や「世界性」に反するものではないかと言う疑義が出されています.
 世界にはキリスト教が多数を占める国や,イスラームが大多数を占める国ばかりではありません.
 イスラエルはユダヤ教徒が多数を占め,赤十字や赤新月を受容しませんので,未だにダビデの赤盾を用いています.
 また,エリトリアの場合は,人口の半分ずつがキリスト教徒とイスラームで折半されています.
 この為,エリトリアは「ダブル・エンブレム」,つまり,赤十字と赤新月を併記した標章の使用承認を求めていましたが,現条約に於いては「ダブル・エンブレム」は認めておらず,エリトリアが加盟する際には,標章に関する条約上の留保は一切行いませんでした.
 因みに旧ソ連も多民族国家ですが,ソ連の場合は,「ソ連赤十字赤新月社同盟」がソ連を代表しており,各共和国は,その人口比率に応じてそれぞれに赤十字社乃至赤新月社を設立していました.
 ソ連崩壊後,その人口移動が行われた中で,特に「ダブル・エンブレム」を採用していたのが,カザフスタンでした.
 この国も,エリトリアと同様,キリスト教徒とイスラームの割合が丁度半々で,一旦はダブル・エンブレムを採用しましたが,結局は2003年にカザフスタン赤新月社に改称され,赤新月を標章に採用しました.

 こうした多宗教国家内の標章に関する不満を,該当国の赤十字社や赤新月社が辛うじて押さえつけている場合は,万一内戦が勃発した場合,社内が分裂し機能麻痺に陥るケースが発生しかねません.
 また,複数の標章が併存している場合,異なる標章を用いている勢力の間で戦線が開かれた場合,保護標章としての機能を弱体化させ,中立を表わすシンボルではなく,「敵」を認識する為の記号として機能してしまう恐れが出て来ました.

 これが是正される動きが出て来たのが,1990年代の事で,赤十字国際委員会は非宗教的な新デザインの標章の制定を提案し,2000年にジュネーヴ条約締約国会議の席上で新標章が制定されるはずでした.
 しかし,当時は中東情勢が悪化した事から延期され,2005年12月のジュネーヴ外交会議に於いて漸くこの問題に一応の終止符が打たれました.
 このジュネーヴ外交会議の一般討議には,50カ国以上の代表が参加し,イスラエルの「ダビデの赤盾社」と「ダビデの赤盾」の問題,パレスチナ赤新月社の正式承認を巡る問題,シリア赤新月社の問題を念頭に,大多数が標章問題の包括的解決に至る必要性を強調して,第3議定書を支持しました.
 様々な討議の結果,第3追加議定書は98対27,棄権10で採択され,赤十字,赤新月標章に続いて,非宗教的で普遍的なシンボルである,赤水晶(red crystal)の標章が追加されました.

 因みにジュネーヴ条約加入国数194のうち,第1議定書採択国167,第2議定書採択国163に対し,第3議定書はまだ75カ国しか採択されていません.
 日本は,第2追加議定書の採択が漸く2004年だったりする訳で,第3追加議定書の採択は更に先になるのでしょうか.
 第3追加議定書が発効した場合,日本では,赤十字になるのか,赤水晶になるのかは気になる所です.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2010/07/10 23:28


 【質問】
 ベーリングとは?

 【回答】
 ドイツの細菌学者・免疫学者(1854~1917).
 ハンスドルフ生まれ.
 ベルリンの陸軍医科専門学校を卒業後,数年軍務につき,その間,ヨードホルムに殺菌作用のあることを発見.
 才能を陸軍医務局から認められたベーリングは,薬理学者ピングの下に師事した後,コッホの助手となって,血清による免疫を研究.
 1890年,北里柴三郎と協力し,ジフテリア菌の培養液を濾過して細菌を除いた,毒をふくむ濾過液(致死量以下)を動物に注射して,細菌の毒素を無毒にすることができる免疫血清を作り,血清療法の基礎を作った.
 やがてベーリング会社を設立し,血清とワクチンの販売によって財を成す.

 1901年,「ジフテリア治療血清の創始」の功績により第1回ノーベル賞.


 【質問】
 軍医って内科,外科だとどれを担当するの?

 【回答】
 船医と同じで,本来の専門は様々.
 軍病院レベルになれば当然分業となり,各専門科を担当するけど,人数が少なければ兼務,あるいは一人で全科を診る.

 医師免許には科の限定はない.
 医師免許を取得した後に,専門科の医局で修行を積んで,その科の医師として一人前になる.
 医師免許を取るには内科,外科,産科など,基本となる科を修得し,試験に合格する必要があるから,それでも問題ない.

 熱心な医者なら,軍医に任官されたら,自分の不得意な分野を(例えば内科医なら外傷外科を)復習するかもしれない.しないかもしれない.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 戦地で必要とされる医師の診療科は整形外科,外科という認識でいいでしょうか?
 防衛医大では火傷の治療と精神科に力をいれていると聞きましたが,なんかイメージと違うと思いまして.
 火傷なんて後方の病院に運ぶまでに死ぬだろうし,精神科が軍隊にそんなに必要とされているんですか?

 【回答】
 防衛医大では「現在,自衛隊に発生している医学的問題」を重要視しているようです.
 結果,精神科的治療,予防などに力を入れることになります.
 また,火傷には先端医療を応用できる部分が多く,大学での研究対象としてはおいしいということになります.
 あと強いていうなら麻酔科じゃないでしょうか.
 災害救助活動にも役に立ちます.

 戦地の戦闘中はふつーに外科,整形外科などが重要ですが,戦闘中以外では内科的な管理や精神科的管理も必要になります.

 詳細は「戦争神経症」シェル・ショックでググってもらうといいんですが,とにかく戦場では,日常および訓練ではありえない光景や事態に見舞われます.
 目の前でバタバタ人が死んでいく上に,グロい場面になったからとてチャンネル変えるわけにもいきません
(人間としてチャンネル変わっちゃう人も出ますが).
 戦地でのメンタルケアは非常に重要ですね.

 それに,爆弾やら鉄砲やら,物騒なものが手の届く所にゴロゴロしている環境で,目つきがおかしくなった奴がいたら嫌でしょ?

 いずれにせよ,外科や内科は別に大学が研究しなくても,常識的な治療で十分なんで,防衛医大が特に力を入れる必要なんかありません.

 火傷ですが,気道熱傷なんかが無い限り,すぐに死ぬ事はそうありません.
 適切な点滴を行う事で循環動態を維持(つまり血圧を維持)し,後方病院に搬送し治療する事で,救命する事は十分可能です.

 大学医学部の第一の存在意義は研究,ついで教育.
 防衛医大も,その域から出ないと言うことでしょ.

軍事板
青文字:加筆改修部分

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 先進国の軍医ってのは,普通の医者と比して腕前や経験はどうなのでしょうか?
 戦傷とかPTSDとか特殊なところは強いかもしれんが,臨床経験や実数が普通の医者と違って少ないので,普通の病気への対処は
「陸に上がったカッパ」
と同じ,と市井の医者が言ってたけど.

 【回答】
 軍医と言ってもピンキリですが,例えば米軍の軍医の場合,市井の医者,特に外科医が志願して軍医となるケースが多いです.
 従って,一般の外科医並みに場数は踏んでいます.

 但し,野戦病院なんかでは,市井の医者みたく,じっくり治療するのではなく,まず生き延びさせることを優先して治療を行うため,じっくり治療していれば,切り取らなくても良い四肢を切断せざるを得ないと言うことはあります.
 その辺,市井の医者とは医療に取り組む姿勢が変わるとか.

 ついでに,日本の場合は,麻酔医とか特殊な医者以外は,医学部を出て自分の得手で勝手に何科の看板を掲げられるので,まぁ,一通りの対処が出来たか,と.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 軍医は,平時はどうやって腕を磨いているんですか?
 軍病院には,民間病院に比べて患者はすごーく少ないはずですよね?
 軍人は健康な人が多そうですし.
 常に診療していないと,技術を身に付けられないような気がしますが.

 仮に,平時は民間人の診療ばかりやっているとしたら,有事は患者を捨てて軍に戻らなくてはならないですよね.
 それは現実的ではないのでは?

 【回答】
 アメリカだと,一時退役して,民間の病院に勤務して臨床例を学ぶ.
 日本だと自衛隊病院くらいで磨くしかない.

軍事板
青文字:加筆改修部分

 一般的に言って,軍人だって人間だから怪我や病気をするし,一般患者も受け入れる.
(大学病院と同じで研究もしてる)
 逆に軍医が一般病院に出向してもおかしくない.
 初めから予備役として民間で暮らしてることもあるし,戦時に一般の医者を軍に受け入れたりもする.
 その分,一般社会の医者は減るが仕方ないし,国が育成を支援する事もある(総力戦・長期戦の時代の話だが)

モッティ ◆uSDglizB3o in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 軍医って,腕はどうなんですか?
 軍病院は普通の病院より患者が少なそうだし,経験が少なくてヤブになっちゃうんじゃないですか?
 軍医なんてシステムより,戦争になったら民間から医師を徴用するほうが効率がいいと思いますが?

 【回答】
 軍病院はまずどこの国でも,軍人の家族や一定数の地域民間人を受け入れてるよ.
 軍人以外は見ないわけじゃない.
 最近まであった郵政病院なんかと同じシステムで,戦争が本格化して軍人の負傷者でいっぱいになったら,家族とか地域の民間人は民間医師に回さなければいけないので,民間医師を徴用する余地はない.
 地域住民はともかく,家族が何の医療も受けられなくなったら,兵士の士気が下がっちゃう.

 また,激しい訓練を行い感染リスクの高い集団生活を送る軍隊でけが人や病人が少ないなどということはありません.
 それと,民間人である医師を危険な戦場に送ることで生じる,様々なリスク(死傷者が出た場合の保障や拒否した場合の影響)なども考えてみましょう.

 もう一つ,軍病院は先端医療実験医療という名に隠れて,生物化学兵器の開発や対抗手段の研究という,重要な役目も担ってるわけで,軍医制度を廃止したら,こっちは不可能に近くなる(笑)

軍事板,2009/07/04(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 有事の際,兵隊や民間人が負傷した場合は,民間病院の医者も治療に当たると思うのですが,戦傷とかの臨床経験が皆無に近いのに治療するのは可能なんでしょうか?
 鉄砲傷でも普通の拳銃のと自動小銃のそれとでは,傷や治療法が違いどう治療するするんだ?と戸惑う声が医者にあるとか,新ガイドライン制定時に朝日新聞が報じてたけど.

 【回答】
 戦傷だろうが平時の負傷だろうが,手技自体はそう変わらないよ.
 たとえば俺は耳鼻科医だから,範囲は顔面耳鼻頸部咽喉頭だが,
酔っ払ってガラスに首から突っ込んだ=砲弾の破片を首に死なない程度に受けた
交通事故で顔面強打して顔半分がぐちゃぐちゃ=乗っていた歩兵戦闘車が地雷踏んで投げ出されて顔を潰した
散弾銃の散弾が首に命中=指向性散弾の散弾が首に命中

 ほら,平時の技術がそのまま戦時にも応用できるでしょ.
 銃弾でも同じだよ.
 いずれにせよ止血して血管つないで,臓器がつぶれている部分を取り除いて,生理食塩水で洗って洗って洗って,ドレーン入れて止血して,輸液と抗生剤たっぷり使う.

 問題はその後の処置と,感染症の管理のほうだよ.
 それと患者が大量に発生するので,その振り分けの問題かな.
 それに戦傷の経験が少ないのは,どこの国でも同じ.
 経験が少ないなりに,その場で最善の方法で処置を尽くす,それだけ.

耳鼻科医 in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 自衛隊では医官,薬剤官,歯科医官は幹部で,看護師は曹だけど試験を受けてほとんど幹部になると聞きました.
 空自の救難員も准看護師でほとんど曹以上になりますよね.放射線技師も曹で幹部になる人もいるそうで・・
 他の職種に比べて,医療関係者は階級が高い傾向があるような気がします.
 ベテランの陸自の曹に比べて,卒後数年の看護師のほうが階級が高いです.
 ぐぐってみたら,他国の軍もほとんど同じような制度でして・・
 そういえば石井部隊の石井四郎氏も中将でしたよね.
 こういうのはなにかの理由があるのでしょうか?

 【回答】
 医官は兵に指示を与えなければならない.
 一般的な兵よりも上の階級を持たせると,これがスムーズにできる.
 兵の健康を保ち,伝染病などを防ぐために必要な指示が,
「イヤだね.オレの方が上官だし.めんどいからやらない」
と無視られては困るわけ.

 士官クラスになると,それなりに話も通じるから,階級で押しつけなくてもいい(と思いたい).

 また,
・民間でも高く評価される技術を持ちながら軍務に付いてくれる人材に報いる
・戦場医療は特殊技能であり,技能保有者は非常に貴重
ということもある.
 やたら高く評価されてるように思うかもしれないけど,それでも大多数が民間での勤務を求めるわけで.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 衛生兵って,たとえば銃弾の摘出や抗生剤の注射をやっても,違法にはならないんですか?
 シャバでは医療行為は医者以外はやってはならないとされていますが.

 【回答】
 諸外国の立法例は知りませんが,日本の自衛隊の場合,現在のところ,明文上の例外規定はありません.
 有事立法の際に,医師法17条の「医業」禁止につき例外規定を置くことが検討されましたが,結局は見送られました.

 当時の防衛庁の説明では,正当行為などとして違法性阻却されるとしています.

 以下,2002年の田岡元帥による解説.
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/01257/contents/136.htm

 なお,消防の無資格の救急隊員の場合について,1950年代初頭までは,カンフル注射などの応急処置が実務上行われていました.
 しかし,1953年に起きた被疑者死亡事件に関連して,救急隊員の医行為が問題になりました.
 この時出された政府解釈によると,緊急時の医行為は社会通念上反復継続する意思に基づかず,「医業」に該当しないので,医師法17条違反の罪の構成要件該当性を欠くとしています.
 ただ,この事件を境に,救急隊員の医行為は自粛する傾向が強まったようです.
 現在は救急救命士の創設による,多少の立法的手当てがされています.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第二次大戦モノの映画では,衛生兵は腕に赤十字の腕章をしていますが,今でも腕章はしているのでしょうか?
 それとも,「衛生兵は撃たない」という国際法が有っても意味無いと判断して,外しているのでしょうか?

 【回答】
 現在でも,衛生要員は赤十字(イスラム圏の国では各国で定められたもの)の腕章を着用する義務があります.

第1ジュネーブ条約40条1項
 第24条,第26条及び第27条に掲げる要員は,特殊標章を付した防水性の腕章で軍当局が発給し,且つ,その印章を押したものを左腕に付けなければならない.
(24条=各国の衛生要員,26条=各国赤十字社の職員,27条=中立国の救済団体職員の保護についてそれぞれ規定)

 この条約にもとづき,例えば自衛隊衛生要員の腕章についても,「赤十字標章及び衛生要員等の身分証明書に関する訓令」(昭39・9・8,防衛庁訓令32)で規定されています.

第1次世界大戦時の衛生兵
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 戦争映画を見ていると,主人公がやられた戦友を抱きかかえながら,
「衛生兵(メディーーーック!!!」
と叫ぶ場面を目にします.
 すると,ものの数秒で衛生兵らしき人が駆け寄ってくるじゃないですか.
 そこで質問です.衛生兵って仮に100人の歩兵部隊だとしたら,そのうち何人くらいいるんですか?

 【回答】
 100人だと中隊ですけど,日本陸軍の歩兵中隊だと,衛生兵は中隊指揮班に数名のみでした.
 前線では基本的に小隊(20~50人)に一人. 野戦病院にいくと衛生兵がいっぱい働いています.

衛生兵
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 軍医,衛生兵の救急キットの中身についてですが,サルファ剤,止血帯,ガーゼ,包帯,モルヒネ,ハサミ以外であれば教えて下さい.

 【回答】
インスタントコールドパック(負傷時にインスタントに中の液体を押して袋をもめば冷却湿布をつくれるもの)
伸縮ロング包帯(時着止め付き),
医療ゴム手袋,
3”×3”消毒ガーゼパッド,
砂糖2,
石鹸1,
ピンセット1,
綿花2,
バンドエイド数種12,
ガーゼ包帯1巻き,
自着テープ1巻き,
アスピリン4錠,
アルコール消毒パッド2,
抗生物質軟膏2,
コットン殺菌スポンジ1,
殺菌パッド1,
殺菌消毒ミニタオル2,
過酸化水素消毒液1本(傷や火傷用の一般消毒液だけでなく口の中の消毒液としても可)

 以上は,
http://www.amerikazakka.com/item/data/asu-17.htm
の商品番号:ASU-1702で紹介されている中身.

 ちなみに,第二次大戦ドイツの場合は
http://www5e.biglobe.ne.jp/~reserch/Truppen/index05.htm

軍事板,2006/03/19(日)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 エタノール血止めできますか?

 【回答】
 傷口に無水エタノールかけてみ?
 けっこう止まるよん.
 擦り傷程度なら,ぶっかけてちょっと待てば,うっすら膜が張る.

 そもそも,消毒用エタノールの説明書き読んでみ.
「膿汁等のタンパク質を固まらせる」
ってしっかり書いてある.

 ま,血止めやるなら無水のがいい.

------------
 ☆無水エタノール
 99.5%エタノールの強力な脱水固定作用 により血管が収縮,さらに血管内に血栓が形成され止血する.
 露出血管周囲1~2mmの3~4カ所に,0.1~0.2mlずつ注入し,血管が白色に変化した時点で終了する.
 1回の注入量は1~2ml以下,合計の注入量もなるべく少なくする.
 注入量が多くなると潰瘍が拡大することがある.
------------

軍事板,2003/03/09
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 映画「プライベートライアン」の中で,致命傷を負った兵士に対し,衛生兵がモルヒネを打つシーンがありましたが,これは現代の戦場でも行われていることなのでしょうか?

 【回答】
 明らかに致命傷で救命不可能な負傷者に対して,医療行為を行うのか?と言えば,もちろん行うだろな.
 衛生兵による救護(たとえ終末医療・緩和ケアでしかなくとも)はもちろん,可能であればヘリで後送するだろ.
 それが可能な兵站線を構築してから,地上軍を投入する.

 ただし戦場医療の鉄則として,民間より厳しいトリアージが行われるのも事実.
 よくある命題として,
「重傷の兵士と軽傷の将軍,どちらを先に治療する?」
というものがある.
 正解は「軽傷の将軍」
 衛生科の任務は患者を救う事ではなく,速やかに部隊戦力を回復する事にあるから.
 手間のかかる重傷者一人を治療する時間で,軽傷者二人を戦線復帰させられるなら,後者を選択すべき,という話になる.

軍事板


 【質問】
 負傷してないのにモルヒネ打つと,どうなるんですか?

 【回答】
 モルヒネをはじめとしたアヘンアルカロイドやその塩類には大きく分けて
1)鎮痛作用
2)呼吸抑制作用
3)消化抑制作用
の三大作用があります.
 モルヒネはアヘンアルカロイドの中でも取り分けて効果が強く,健康な人が適量以下の少量を服用または注射などで接種した場合でも,眠気・多幸感・便秘などの作用が現れます.
 大量に摂取した場合,窒息する場合もあります.
 モルヒネの致死量は,個人差・過去の使用量や中毒の有無にかなり作用されます.
 なお,モルヒネは比較的習慣性・依存性が発現しやすく,服用量にもよりますが,一回または数回の使用で中毒になる事もあります.


 【質問】
 人間は正面と背面のどちらの方が,ダメージを小さく抑えられる構造になってますか?
 手榴弾を投げる際に相手の前方に投げるのと後方に投げるの,どちらが正しいのか気になったもので.

 【回答】
 正面で爆発物が爆発したら腹(内蔵)や顔(目とか)に爆風や破片を被るから重症になりやすくなる.
 背中側なら,脊髄や腰椎に破片が食い込んで下半身不随や全身不随になる程度で済む,かも.
・・・つまりはどっちも危険なのは同じ.

 人間,後ろはどうしても注意が十分に向けられないので,不意を打ちたいなら後ろ.
 でも,相手の前に落ちるように投げようとすると,失敗すると自分自身の目の前に落ちたりする.

軍事板


 【質問】
 ガンダムでシャアは表向き 顔にひどい傷があるということでマスクをしています.
 実際の軍隊で 顔にひどい傷があり,傷そのものが軍人としての能力に大きな影響を及ぼさない場合,このような措置がとられることってありますか?
 それとも やめたりしなければならないんでしょうか?
 アニメの話なんで申し訳ないんですが 回答お願いします.

 【回答】
 軍隊に残れるかについては,その傷が軍務に支障がなければ残れます.
 たとえば両目を失ったりすれば,もう軍人としては任務が全く果たせませんから,退役ということになるでしょう.
 ただし辞めた後も,”恩給”という形で給料が貰えます.
 あと,戦闘で退役しなければならないほどの負傷をした場合,「名誉の負傷」ということで,勲章が貰えることが多いです.
 アメリカの”紫心勲章(パープル・ハート)”が有名です.

 「スカー・フェイス」の軍人として有名なのは,オットー・スコルツェニー.
 顔に大きなキズがありました.

 また,ドイツのエースパイロット,ヨハネス・シュタインホフは,Me-262の着陸事故で顔にひどい火傷を負いましたが,特にマスクで顔を隠すことなく,復興西ドイツ空軍に復帰し,空軍総監まで上り詰めました.

 第一次世界大戦後には,欧州各国では顔に激しい戦傷(酷い人になると,下顎がすっぽりなくなってるとか・・・よく生きていたなぁ)を負った人の為に,ゴムで顔のパーツを再現したマスクを,オーダー・メイドで作るという職業があったそうです.
(NHKの「映像の世紀」に映像あり).

 だから,シャア=アズナブルのように,「”酷い傷があるから”マスクで顔を隠しています」というのは非常に不自然で,軍隊に残るとしても,整形手術や上記のような整形マスクを使うでしょう.
 ただ,軍人にとっては,戦闘で負った傷は”名誉の負傷”ですから,よっぽど醜い容姿になったのでもない限り,傷痕を完全に消そうとはしない人が多いようです.

軍事板,2003/09/13
青文字:加筆改修部分

シャア=アズナブル

「名誉の負傷」

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 傷痍軍人(しょういぐんじん)って何?

 【回答】
 傷痍軍人とは戦場において,後遺症の残るような負傷をした軍人のこと.
 特に近代戦は大量の戦死傷者を生みだす傾向がある.
 傷痍軍人には早くに亡くなる者,生涯病や不自由に悩む者も多く,彼らのための福祉団体が必要とされる一方で,ニセの傷痍軍人が募金を行うような場合もあったり.

 【参考ページ】
http://www.faminet.net/mei/rensai/fake-rensai-08.htm
http://www.mhlw.go.jp/cgi-bin/hojin/view.cgi?id=engo03
http://yasai.2ch.net/middle/kako/1017/10174/1017492231.html
http://omoidekan.com/syouigunszin.html
http://www.mf-davinci.com/yoo/index.php?Itemid=52&id=968&option=com_content&task=view
「傷痍軍人等更生援護事業に係る補助金の交付申請/eとやま.net」
http://www.shinshu-liveon.jp/www/topics/node_77275

【ぐんじさんぎょう】,2009/6/21 21:00
に加筆

 昔は四肢欠損など,見た目にわかりやすい傷痍軍人が,道端に空き缶置いて座ってたそうですなー.
 私は子供の時,1人だけ見たことがあります.(当方28歳)

唯野 in mixi,2009年06月20日 20:38

 私が子供の時代は,大阪や神戸のガード下なんぞに,団体さんで座っておられるのを何度も見た事があります.
 可哀想な人たちのはずなのに,私が欲しくてしょうがないアコーディオンを持っておられて,羨ましかった記憶.

赤の9番 in mixi,2009年06月20日 21:32

 子供の頃,三宮あたりでよく見ました.

ギシュクラ in mixi,2009年06月20日 23:00

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 腹部や四肢に銃弾や砲弾が当たった場合,どういう場合に致命的になり,どういう場合に助かるの?

 【回答】
 わかる範囲で解説します.

1 腹部の場合
 大血管(腹大動脈,下大静脈)が損傷したら,まず死亡.
 肝臓が損傷しても出血が多く致命的,門脈や肝動脈がやられても致命的.
 腎臓も腎動脈がやられたら,出血多く救命は難しい.
 胃や脾臓だけなら処置が適切なら助かるかも.
 でも,他の臓器も一緒にやられる場合は難しい.
 腸管なら,早期に手術して損傷した場所を切除して繋いだりすれば助かりそう.
 でも上腸間膜動脈や下腸間膜動脈が損傷したら,戦場では救命は難しいかも.

2 四肢の場合
 大腿動脈がやられたら救命困難.縛ったくらいじゃ血は止まらない.
 上腕動脈や前腕,下腿の動脈や静脈なら,縛れば何とかなるかも.
 早く軍医のところへ行け.

 外傷の処置がうまくいっても,その後の感染症の管理がきわめて重要.
 先の大戦では,多くの兵士が感染症であぼーんしたらしいし.
 戦場の傷は汚染されているから,感染は必発なんです.

 いずれにせよ,「どこで負傷したか」が生死を分ける.
 運がよければ肝臓80%吹っ飛ばされても助かるし,運が悪ければかすり傷でも感染症であぼーん.
 抗生剤,輸液は必須ですね.近くに病院があれば幸運ですね.

耳鼻科医 in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 顔面が銃弾や砲弾で吹き飛ばされても,ある程度の形の修復は利くんですか?
 一生ブラックジャックのような顔では,かわいそうです.

 【回答】
 耳鼻科医です.
 まさに私の専門分野・・・

 「形成外科」って知っていますよね?
 この起源は,戦傷で醜い外見を残してしまったときに,その外見を正常に「近い」形まで戻す技術です.
 WW1のときから徐々に発達してきた技術です.
 現代医学でもこの技術の恩恵はもたらされていまして,例えば耳鼻科の分野では,
①舌癌で舌をほとんど全部とっちゃった→前腕の皮膚を血管つきでとってきて,舌の代わりを作ろう(当然,舌の近くの血管とつないで血流を保つ)
②上顎癌(上あごの癌)で顔面半分とっちゃった→おなかの皮膚と腹直筋を血管つきで(以下略)
③下咽頭癌(食道の入り口よりちょっと上の癌)で咽頭と喉頭と食道の一部をとっちゃった→腸管を血管つきで(ry

というような使い方をします.

 で,戦場で顔面や首など,人の目につく部分に傷ができても,同じような使い方はできます.
 たとえば砲弾で顔面半分吹き飛ばされたら,②を応用すればいいし,のどを吹き飛ばされれば③などを使えばいい.
 てか,もともとは戦傷外科が本家なんで.

 しかし,完全に元の姿に戻るわけではない.
 やはり明らかに痕は残ってしまうが.それでもぐちゃぐちゃの顔面よりははるかにましで.
 また,感覚器(目や嗅覚や聴覚)は,一回やられたら改善は困難,てか不可能だし.
 でも,この分野は戦時だけじゃなく,平時でも十分応用されている分野なので,これからもどんどん発展していくでしょう.
 そのうち再生医学が発達すれば,もっときれいに治るようになるかもよ.数十年後には・・

耳鼻科医 in 軍事板
青文字:加筆改修部分

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 砲弾の破片とかで下あごが吹っ飛んでも,人は生きていけるものですか?
 医学が発達していなかった時代でも,それで生き延びる人はいたのでしょうか?

 【回答】
 運が良ければ,生き残れる.

 下あごには大血管はないから,それだけで死ぬことはない.
 近くに首とか脊椎とか脳とかあるんで,そっちに被害が及ぶとヤバいけど.

 あごがない状態で長いこと生き続けることができるとかというと,再建術がない時代だと難しそう.
 しかし,顎関節や筋肉が残っていれば,銀製のアゴでもつけてなんとか生きていけるかもしれない,
 てーかそんな話を見た憶えがある.
 うる憶えだが,一次大戦時代だったか.
 下あご全部ではなく,欠けた部分を部分的に補って,だったかもしれない.

 極論すれば流動食でなんとかやっていけるかもしれない.

軍事板
青文字:加筆改修部分

顎がなくても……
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 いろいろな著作で,戦中,日本軍の軍医は,麻酔なしで四肢切断手術や開腹手術をしたとありますが,そんなの人間が耐えられるんですか?
 麻酔なしで開腹したら,腹圧で腸が飛び出る,と聞いたことがありますが.

 【回答】
 ナポレオン戦争の映画でも観てもらえばわかるが,麻酔なしでの手術は可能.
 ただ,痛みでショック死する奴がいるし,暴れるので施術自体が難しい.
 口に布や棒をかませ,数人がかりで取り押さえ……ってことになる.

 もっとも,「麻酔なしで開腹手術をしたら必ず死ぬ」のであれば,内蔵が見えてしまうような怪我をしたら処置をしても必ず死ぬ,ということと同義な訳で,大丈夫な時(大丈夫な人)は大丈夫.

 それよりは,麻酔もろくに用意出来ないような環境ってのは,衛生的に最悪な事が多いため,手術に耐えても術後の感染症で死に至る可能性が飛躍的に高まる.
 戦地では,無麻酔での四肢切断手術はよく行ったが,抗生剤がなかったために感染症でよく死んだそうだ.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 衛生兵は,弾の摘出や縫合はやらないの?

 【回答】
 昔の西部劇やらいい加減な戦争映画やらで誤った感覚持ってる人がいる気がしますが,縫合程度ならまだシロートでも道具さえ渡せばできないことはないでしょうが,弾の摘出となると,プロの医者でも,まずレントゲン撮って弾の場所確認してから始めないと難しい.
 弾は体内で曲がることもあれば砕けることもある.
 見当で指突っ込んでかき回してたら殺しちゃいます.
 縫合にしても,内部の出血がないことを確認し,あるいは止血し(体内での止血がこれまた熟練が要る),それから縫わないと意味ありません.
 一般的な訓練を受けただけ,あるいは衛生兵レベルなら,感染予防だけして後送するのがもっとも妥当.

 余談だが,包帯が足りない場合,海苔が使われた例もあるとか.
 以下は第1次大戦直後のポーランドにおける,赤軍対白軍の戦いでの話から.

 ノヴォグロドノの村で,私達はコサック騎兵隊の攻撃を受けた.
 コンラート,ショパン,50人ほどの部下,それに私は,手のひらほどの谷間の小さな部落に宿営した本隊と分断されて,その村の墓地に立て篭もっていた.
 夕方近く,最後まで残っていた敵の馬がライ麦畠に姿を消したが,腹部に負傷したコンラートは死に瀕していた.
 生涯全体よりもっと長く感じられたあの忌わしい15分のために,突然彼の勇気が挫けるのではないか,それまで震えていた連中に,しばしば突如として生じるあの同じ勇気が欠けるのではないかと私は恐れた.
 しかし,やっと彼の世話ができるようになったとき,彼は既に,それを越えればもはや死の恐怖も消えてしまう理想の境界線を乗り越えてしまっていた.
 ショパンは,入念に節約してきた包帯の束を傷口に詰め込んだ.傷がさほど重くないときには干した海苔を使っていた.
 夜の闇が落ちかかっていた.
 コンラートは,か細く執拗な子供っぽい声で光を求めた.死にあって最悪なのは暗闇であるかのように.
 そのあたりで墓石に吊るす鉄製の角燈を私はともした.晴れた夜には非常に遠くから見えるその常夜燈は,敵の銃撃の格好の的になる恐れがあったけれども,そんな事は全く意に介さなかった.
 君達にもそれは想像できるだろう.
 彼の苦しみようはあまりにも激しかったので,一度ならずとどめを刺そうかと思ったほどだった.
 そうしなかったのは,要するに私が卑怯だったからだ.
 数時間で彼が別の時代の人間になっていくのが分かった.殆ど別の世紀のと言っても良い.
 次々に彼は,シャルル12世の遠征で負傷した士官に,墓石に横たわった中世の騎士に,そして最後には,階級的にも時代的にも何の特徴もないあらゆる瀕死の人,若い農夫,あるいは彼の一族を生んだ北国の船乗りに似て見えた.
 明け方,殆ど意識を失い,ショパンと私がこもごものませたラム酒を詰め込んで,見分けもつかぬ姿で彼は死んだ.
 私達は交代で,なみなみと注いだコップを彼の唇の高さに支え,しつこく寄ってくる蚊の群れを彼の顔から払いのけた.

――――――Marguerite Yourcenar ユルスナール著「アレクシス とどめの一撃 夢の貨幣」
(白水社,2001/10/10),p.196-197

(朝目新聞より引用)


 【質問】
 戦場では腸とか出ても痛くないんですか?

 【回答】
 医学的な話になるが,痛みを感じる神経というのは,ほとんどが皮膚の表面に近い側にあって,内臓には無い.
 傷があまりに深いと,あまり痛みを感じないと言うことが起こりえる.

 また,ものすごい重傷の場合,脳内物質が出まくってて,本人はあまり痛みを感じていない,ということもある. そういう状態になってると,大概は助からない事が多い.

(朝目新聞より引用)


 【質問】
「衛生兵は非武装であるのがタテマエ」
――林信吾著『反戦軍事学』(朝日新聞社,2006/12/30),p.75

というのは本当ですか?

▼ 【回答】
 1949年のジュネーヴ条約改正までは「非武装が原則」.

---引用ここから---

衛生兵の保護

 国際法規では1929年にジュネーブで傷病兵保護条約が結ばれ1949年に改定された.これによれば,

・衛生兵は武器を携帯してはいけない(改定後,自己防衛及び患者の保護を目的とする武器の携帯が許可)
・衛生兵はたとえ敵国に属する者であっても攻撃してはならない
・衛生兵は本来の任務(傷病兵の看護,治療)以外での戦闘行動を行ってはいけない.(違反した場合,保護規定適用が消失する.)
という国際法規が成立.
 そのため,一般的に従軍中は武器は持つ必要が無かった.
 また,衛生兵は敵国にも衛生兵と分かるようにヘルメットに赤十字のマークがペイントされて,また“白地赤十字”章入りの腕章を着装していた(映画プライベート・ライアンでウェイド衛生兵が武器を携帯していなかったのもそのためである).
 しかし,第二次世界大戦後半になると戦闘中の混乱等から,衛生兵であっても攻撃を受けることが出始めた.

 そのため自己防衛のため,衛生兵であっても武器を携帯し従軍するパターンも出始めたという(とはいえ,本来の目的は傷病兵の治療のため,武器も拳銃くらいしか持てない場合が多い).

――Wikipediaより

---引用ここまで---

>国際法規では1929年にジュネーブで傷病兵保護条約が結ばれ
>1949年に改定された.
> これによれば,衛生兵は武器を携帯してはいけない
>(改定後,自己防衛及び患者の保護を目的とする武器の携帯が許可)

と言うことで1929年のジュネーブ条約を探してみると.

---引用ここから---

戦地軍隊ニ於ケル傷者及病者ノ状態改善ニ關スル千九百二十九年七月二十七日ノ「ジュネーヴ」條約

第二章 衛生上ノ部隊及營造物

第六條 移動衛生部隊即チ戦地軍隊ニ随伴スヘキモノ及衛生機關ノ固定替造物ハ交戦者ニ於テ之ヲ尊重保護ス

第七條 衛生上ノ部隊及營造物カ害敵行爲ノ爲ニ使用セラルルトキハ其ノ保誕ヲ失フヘシ

第八條 左記ノ事實ハ衛生上ノ部隊叉ハ營造物カ第六條ニ依リ保障セラレタル保護ヲ喪失スヘキ性質ノモノト看徹サレルヘシ
(1) 部隊叉ハ營造物ノ人員カ武装シ其ノ武器ヲ自己叉ハ傷者及病者ノ防衛ノ爲ニ使用スルノ事實
(2) 武装看護人ノ在ラサルニ當リ歩哨又ハ衛兵ヲシテ部隊叉ハ營造物ヲ守術セシムルノ事實
(3) 傷者及病者ヨリ取上ケタルモ未ク所轄機關ニ引渡サレサル携帯武器及弾薬力部隊又ハ營造物内ニ發見セラレタルノ事賓
(4) 獣醫機關ノ人員及材料カ部隊叉ハ營造物ノ一部分ヲ構成セスシテ其ノ内ニ在ルノ事實

---引用ここまで---

>第八條 左記ノ事實ハ衛生上ノ部隊叉ハ營造物カ第六條ニ依リ
>保障セラレタル『保護ヲ喪失』スヘキ性質ノモノト看徹サレルヘシ
>(1) 部隊叉ハ營造物ノ人員カ武装シ其ノ武器ヲ自己叉ハ傷者及
>病者ノ防衛ノ爲ニ使用スルノ事實
>(2) 武装看護人ノ在ラサルニ當リ歩哨又ハ衛兵ヲシテ部隊叉ハ
>營造物ヲ守術セシムルノ事實
(『』は某S氏)

 1949年の改正までは「非武装が原則」だったんですなぁ.

某S氏 in mixi

 1929年のジュネーヴ条約によれば
「武器ヲ自己叉ハ傷者及病者ノ防衛ノ爲ニ使用スル」
のは合法とされている.
 よって
「自己と傷病者の防衛の為の武器」
であれば装備できる.

――――――
戦地軍隊ニ於ケル傷者及病者ノ状態改善ニ関スル「ジュネーヴ」条約

第二章 衛生上ノ部隊及營造物
第六條
 移動衛生部隊即チ戦地軍隊ニ随伴スヘキモノ及衛生機關ノ固定替造物ハ交戦者ニ於テ之ヲ尊重保護ス
第七條
 衛生上ノ部隊及營造物カ害敵行爲ノ爲ニ使用セラルルトキハ其ノ保護ヲ失フベシ
第八條
 左記ノ事實ハ衛生上ノ部隊叉ハ營造物カ第六條ニ依リ保障セラレタル保護ヲ喪失スヘキ性質ノモノト看徹サレザルベシ
(1) 部隊叉ハ營造物ノ人員カ武装シ其ノ武器ヲ自己叉ハ傷者及病者ノ防衛ノ爲ニ使用スルノ事實
(2) 武装看護人ノ在ラサルニ當リ歩哨又ハ衛兵ヲシテ部隊叉ハ營造物ヲ守衛セシムルノ事實
(3) 傷者及病者ヨリ取上ケタルモ未ダ所轄機關ニ引渡サレザル携帯武器及弾薬力部隊又ハ營造物内ニ發見セラレタルノ事賓
(4) 獣醫機關ノ人員及材料カ部隊叉ハ營造物ノ一部分ヲ構成セズシテ其ノ内ニ在ルノ事實

第三章 人員
第九條
 傷者及病者ノ收容,輸迭及治療竝ニ衛生上ノ部隊及營造物ノ事務ニ專ラ従事スル人員竝ニ軍隊附屬ノ教法者ハ如何ナル場合ニ於テモ尊重且保護セラルベシ此等ノ者ハ敵手ニ陥リタルトキト雖モ俘虜トシテ取扱ハルルコトナカルベシ
 軍人ニシテ場合ニ依リ補助看護人叉ハ補助擔架兵トシテ傷者及病者ノ収容,輸送及治療ニ使用セラルル爲特別ニ教育セラレ且認識證明書ヲ携帯スルモノハ此等ノ職務ノ遂行中捕ヘラレタルトキハ常置衛生人員ト同一ノ制度ノ利益ヲ享有スベシ
――――――

 これによって以下のような規定が成立した.

――――――
 衛生上の部隊・施設について

 衛生部隊及び衛生機関の施設は交戦者によって尊重保護される.(第6条)
 衛生部隊及び衛生機関の施設が害敵行為に使用される時は保護を失う.(第7条)
 以下の事実は,衛生部隊及び衛生機関の施設が第6条による保護を失う理由と見なされない.(第8条)
・衛生部隊又は衛生施設の人員が武装し,その武器を自己又は傷病者の防衛の為に使用した場合
・武装した衛生兵がいない場合に,歩哨又は衛兵によって衛生部隊又は衛生施設を守衛している場合
・傷病者より取り上げたにもかかわらず,所轄機関に引渡されていない携帯武器及び弾薬が,衛生部隊又は衛生施設内で発見された場合
・獣医機関の人員及び材料が,衛生部隊又は衛生施設の一部分を構成しないでその中にある場合

衛生兵について

 以下に従事する人員は,如何なる場合においても尊重かつ保護しなければならず,敵に陥った場合といえども捕虜として取り扱われることはない.(第9条)
・傷病者の収容・輸送・治療に専ら従事する人員
・衛生部隊及び衛生施設の事務に専ら従事する人員
・軍隊に随伴する宗教要員
・軍人であっても補助看護人・補助担架兵として,傷病者の収容・輸送・治療の為に特別な教育を受け,その証明証を携帯する人員が職務遂行中に捕らえられた場合.
・衛生兵は自己又は傷病者の防衛の為の武器以外は所持してはならない.(第8条)
――――――

 訂正してお詫び致します.

某S氏 by mail,2008年09月20日 01時56分

第2次大戦時のドイツ軍救急戦車(非武装)

現代のドイツ軍救急車輛

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 兵士のドーピング技術について興味があります.
 私の聞いたところによるとかつて日本軍はヒロポンを使ったとか.
 現在どの程度まで研究が進み,どの程度実用されているのか興味があるんですが.

 【回答】
 米空軍では覚醒剤の使用を公認,もしくは強く薦めており,いくつかの誤爆事故はそれが原因ではないかと言われています.
 ただ不使用による害のほうが大きいと考えられるため,使用されているわけです.

 覚醒剤と言っても現在はモダフィニルなど医療用にも使用されている程度の物で,深刻な副作用は今の所報告されていないかと.
(日本では臨床試験が行われていないので認可されていません)
 国内でも認可されている薬品で言えばリタリン散/錠のようなものです.
 また,ヒロポン錠やアンプルも純度というか,効果成分であるメタンフェタミンの含有量は低く,効果としては現在流通している結晶状のメタンフェタミンに遠く及びません.
 簡単に言えば0,05mgのシャブ結晶を水溶液にした時と,同量のヒロポンアンプルを静注した場合,水溶液の方がパッキパキに効いてくれると言う事です.

 つまり,現在の覚せい剤中毒患者のような精神的依存症状は余り起こしません.
 現代の軍隊による薬物事件は,こういった覚せい剤類似薬品やモルヒネの横流しなどではなく,兵士が薬物を密輸する事のほうがよっぽど問題視されています.

 CBSドキュメントと週刊新潮でイギリスの特殊部隊SASの元隊員はクスリのやりすぎで除隊後レイプ魔になるってやってた,という話もありますが,米空軍パイロット上がりが全員レイプ魔になるわけではないので,そのあたり,あまりシンプルに考えない方がいいでしょう.

軍事板

 ちなみにモダフィニル(モディオダール)という薬は今年の春より,ナルコレプシー等ごく一部の疾患を持つ患者にのみ処方が開始されています(希少疾病用医薬品ってヤツですね)
 私もこの薬を処方されているのですが,今までのリタリンやベタナミン等の薬と違い,覚醒効果,つまり目を覚まし眠気を抑える効果が中心であり,凄く"ハイ"な気分になったりはしませんし,一部の方が心配されるような覚せい剤中毒患者を生み出す事は殆どないと思います.
(無論の事ながら個人差はあると思いますし,リタリンは正直どうかと思っています・・・)

 余談ですが,この薬を服用すると副作用なのか,”尿からドクダミの様な独特の臭い”がするようになります.
 そのため

「モダフィニルを服用したパイロットの乗る航空機が攻撃を受ける

撃墜されるもなんとかパイロットは脱出するがそこは敵地

逃亡の最中に尿意を催して粗相をする

臭いで敵から見つかる(゚д゚)

なんてエネミーラインみたいな事があるから,この薬を服用時に排尿する時は臭いに注意すること!」
なんて指令が下ったりしそうだなぁなどと妄想してみたり・・・.

rosoco in FAQ BBS


 【質問】
 前線の兵士をアル中にしたら,痛みも感じないし恐怖も感じないし,スーパー軍人が出来ると思うんですが,なんでどこの国もやらないんですか?
 どうせ死ぬから,肝臓とか健康とかどうでもいいのに.

 【回答】
 「アルコール中毒」と「酔ってる状態」は別なので.

 アルコール依存症を一言で言えば,アルコールを手に入れるためには何でもする人.
 「いざ鎌倉」と言う時に,酒をどうやって手に入れるかばかり考える奴が役に立つか?
 酒があれば満足するだろうが,酔っぱらった奴が素早い判断や,的確な行動がとれると思う?

 アルコールよりは覚醒剤の方がよっぽど効果的で,かつては大々的に,現代でも(国によって)限定的に処方されてる.

 なお,コルドトミーはあまり勧められない.
 確かに痛覚遮断できるんだけど,負傷しても気付かないので放っといて,気がついた時には出血多量であぼーん.
 大した事無い傷であぼーんしかねんので,割にあわんよ.

軍事板●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 507
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 片目が見えない軍人っていますよね.
 夏候惇とか伊達政宗とかイスラエルのなんとかいう人とか.
 実際,戦場で戦闘行動をとるにあたって,まともな働きはできるんでしょうか?

軍事板

 【回答】
 普通なら退役するか,後方勤務に回るかですが,歴史に名を残している隻眼の軍人・武将も幾人もまた存在しています.
 ただし以下に見られるように指揮官職に多く,前線では稀である模様.
 したがって,戦場では厳しいのではないかと推測されます.

【ぐんじさんぎょう】,2009/1/14 23:02
に加筆

 隻眼の人物がどれ位いるか調べてみた.
 眇めも含んでいるが.

・カルタゴのハンニバル

・アンダルス・ウマイヤのアブドゥ・アッ・ラフマーン1世

・後唐の李克用

・バハリー・マムルーク朝のバイバルス1世

・ネルソン提督

・三国志の夏候惇

・山本勘介

・伊達政宗

・柳生十兵衛

・弓裔:
 新羅末の動乱期の群雄の一人だ.
 戦上手だったが,それよりもすごいのがそのきれっぷり.
 興味があるやつは三国史記の弓裔列伝を読もう!

・ヒトラーを殺しそこなったシュタウフェンベルク大佐も捨てがたい.

イスラエルのダヤン参謀総長
 映画やドラマによく出てくるキャラ――ほとんどは悪役だけど――だが,実在してたんで驚いた.

トミー(黄文字部分)他 in 世界史板
青文字:加筆改修部分

 隻眼と言えばオーストリア帝国きってのプレイボーイもとい,名将・隻眼のアルベルト・グラフ von ナイペルクを忘れられては困る!!
 マジな話,マリア・ルイーゼ様は名器であった.

ナイペルク伯爵 in 世界史板
青文字:加筆改修部分

・ヨハネス・コムネノス
 ビザンツ帝国の皇帝マヌエル1世コムネノスの隻眼の甥.
 プロートセバストス(第一の尊厳者)の爵位を保有.
 キプロス島総督,コムネノス家の家産全般を掌握する侍従長などに就任.

・ジョン・チャンドス
 百年戦争初期のイギリスの将.

・フィリッポス2世
 かのアレクサンドロス大王のパピー.
http://www.edp.eng.tamagawa.ac.jp/~sumioka/history/hellas/hel6/hel62.html

・エドワード マノック少佐
 第一次大戦の英国の戦闘機乗り,
 入隊時から隻眼だったが,公認撃墜数73機という成績を残す.
 大戦最末期に戦死.
http://www.warbirds.jp/ansq/5/E2000242.html


・ロマン=ニコラウス・フョードロヴィッチ・フォン=ウンゲルン=シュテルンベルグ男爵(Baron Roman Nikolaus Feodorovitch von Ungern-Sternberg/1885-1921)
 帝政ロシア末期の軍人.
 混迷を極めたロシア革命史の中にあって,一際異彩を放つ怪人物.
 人呼んで,「隻眼のマッド・バロン」
http://ginnhekitei.cocolog-nifty.com/tando/2004/10/post_10.html

von Ungern-Sternberg
(こちらより引用)

・チェコのフス派の名将ヤン・ジシュカ
http://blog.goo.ne.jp/gakuhoukyo1208/e/d6d2086bfed2c056e05d13ade34bfece

世界史板
青文字:加筆改修部分

 ジシュカはラビ城の攻防戦で負傷して,盲目の天才将軍になってます.
 それでも,その後も不敗を誇っていたのですから,奇跡としかいいようがありません.

ギシュクラ 2009年01月14日 00:27

 ↓以下,愚地独歩ネタ禁止

ギルバルス
(画像掲示板より引用)

消印所沢 2009年01月14日

 じゃあ,とりあえずシュトロハイムで.

 あと,十兵衛隻眼説については,実際どうだったかは不明である事を一応書いておきたく.※

神無月久音 2009年01月14日 00:27

 十兵衛は,寛永御前試合で陸奥圓明流に敗れたときに隻眼に……って,『修羅の刻』はさすがに知名度が低いか.

寄星蟲 2009年01月14日 00:45

 盲目の武将と言えば大谷刑部.

ROCKY 2009年01月14日 02:10

16 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/01/20(土) 10:52

 三つ目が通る!

世界史板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ショッカー怪人タイプの改造人間が開発されたとして,軍事的にどれほど価値があるんだろうか?

 【回答】
 それこそ生産性と性能によりけりじゃね?
 コウモリ男ならそれこそ世界征服できるわけだから,金にできないほど価値があるだろうが,平均すれば武装した一個小隊ぐらいじゃね?

 むしろ,いわゆる戦闘員の方が価値は高そうだ.
 生産コストから見たら,ショッカー怪人より戦闘員の方がコスト的には割に合うよ.
 特殊能力持った整備に問題がある,生産性に劣る怪人より,能力はそこそこ,整備しやすく量産できる戦闘員の方が,よっぽど兵器としてみれば優秀だよ.

 俺の記憶違いでなければ,

ショッカー=動植物1体+人間(例:クモ男,サボテグロンetc)
ゲルショッカー=動植物2体+人間(例:サソリトカゲス,イソギンジャガーetc)

 1体辺りの生産コストでいうと,明らかにゲルショッカーの方がコストかかっている割には,極端には戦闘力が上がっていない事を考えると,戦闘員を大量生産してそれに強力な武装持たせた方が,ライダーに勝てそうなんだけどな.

 設定によるとショッカー戦闘員1人で,10~15人くらいの戦闘力があるらしい.
 ここで言う10~15人が一般人レベルなのか,平均的な軍人警官レベルなのかは分からんが.

 ちなみにゲルショッカーだったかデストロンの構成員は,全世界で約10万人らしい.

 どうしても怪人を作って戦線に投入する必要があるとすれば,特殊作戦用じゃないか?



850 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2008/11/15(土) 18:37:24 ID:???

「我らはわずかに一個軍 10万人に満たぬ敗残兵にすぎない
 だが諸君は 一人十殺 の古強者だと私は信仰している
 ならば我らは 諸君と私で総兵力100万と1人の軍集団となる」


852 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2008/11/15(土) 19:16:42 ID:???

 「ライダー」モノじゃないが,「ボウケンジャー」では戦闘員が,ヒロイン達のM16とMP5SDで惨殺されまくる笑劇シーンがあってな…


853 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2008/11/15(土) 19:30:36 ID:???

 ライダーでも,女性陣やおやっさんにフルボッコされるシーンが続出していたんだが……戦闘員.


 863 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2008/11/15(土) 20:46:37 ID:???

 村枝賢一の『仮面ライダーSPIRITS』見ると,怪人メッチャ強いお.
 名作だからお勧めするお.


860 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2008/11/15(土) 20:29:03 ID:???

 アメコミで,スーパーヒーローたちが戦争に駆り出された,という設定のものがあったな.
 作中では戦後で,彼らはベトナム帰還兵のようなかんじに描写されていた.
 一応,スーパーヒーローの能力を使って一騎当千の活躍をしたようだが.


862 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2008/11/15(土) 20:46:04 ID:???

 9.11の後も,マイナー系で編成した部隊でカチ込みかけたそうです.
 まあ,キャップもスーパーマンも日本兵と戦ってますが.


軍事板
青文字:加筆改修部分

 ところで,最も安価で最も活躍できそうな「改造人間」は,これではないかと……


 【質問】
 戦場で,ショック死というのはありえますか?

 【回答】
 純粋に精神的な動揺だけで死ぬ事はない.
 絶対ないって事はないし,探し回れば一例報告ぐらいはあるかもしれないが,簡単に言って,ない.

 二次的に,つまり精神的な動揺が原因となって血圧が上がって,とか,動悸が速くなって持病の心臓病が,とかはけっこうあるかもしれない.

 実際に戦場で,外傷がまったく見当たらないにも関わらず死んだ例の報告はたくさんある.
 爆風で頸骨が折れたとか,衝撃波で内臓破裂とか,頸部胸部圧迫で窒息とか.
 外傷がなくともいくらでも死ねます.

 蛇足ですが,すごい傷を負うと脳内にモルヒネ様物質が沢山出て,痛みを殆ど感じなくなると聞いた事があります.
 兵士の手記なんかで,気がついたら手足がブランブランになったのにあまり痛みを感じなかった,なんて信じられない話を時に目にする事がありますが,多分この為なのではないかと.
 まあ血の海,阿鼻叫喚の巷となっても,慣れると何とも思わなくなる,なんて話もこれまた目にしますので,要は慣れかなと.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 負傷して出血している味方の将兵の血液には,絶対に触っちゃいけないの?

 【回答】
 いや,確かに触らざるを得ない場面はありますが,B型肝炎,C型肝炎,エイズ,梅毒,成人T細胞白血病なんかは血液を介して感染する.
 感染者の血液を触っただけで簡単に感染するとは思えないが,皮膚ではなく粘膜からは感染しやすくなる.

 たとえば,隣で負傷して出血している兵士がエイズだったら?
 その血液を触った自分の手に,見えないくらい小さい傷がついていたら?
 また,その血液が自分の口腔や目の中に入ったら?

 だから,可能であればゴム手袋をつけて触るべきだし,現代の衛生兵はゴム手袋や簡易止血キットくらい持っていそうだがなあ??

耳鼻科医 in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 戦争なんかで,輸血用の血液とかの不足とかってあったりしないんでしょうか?
 場合によりけりでしょうけど,現代昔の軍隊ってどうしているんですかね?
 何か対策とっているんでしょうか?

 【回答】
 乾燥血液やら緊急用人工血液(白い液体)なら30年近く前から医療現場で使われているが,現代では生血液を輸血することはまずありえない.
 用途により血液製剤を使い分ける.

 このため戦時であれば,保存しやすく,ムダが少ない,血液製剤,部分血輸血が主になると考えられる.

 したがって,これらを平時の病院以上に備蓄することになるだろうが,いずれも有効期限があり――例えば赤血球は3週間しか保たない――,しかも平時でも不足気味なので,戦時に備えて多量に備蓄し,期限切れで多量に廃棄することは考えにくい.
 開戦が見えてきたら当然,準備にかかるだろうが,やたらに増やせるものでもないので,不足分は代用血液でガマンすることになりそう.
 あとはその国の医療水準と,国民の協力しだいでしょ.

 なお,この記事(PDFファイル)によれば,米軍には血液を輸送する小隊がある,らしい.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 自分は血を見るだけで気絶しそうになるくらいに気持ち悪くなるのですが,軍隊で直接,血を見ることが多い兵士(陸上戦闘を主としている)の中には血を見れない人なんていませんよ
 いたとしたら被弾しただけでショック死してしまいそうですがどうなのでしょう?

 【回答】
 そういう人は入隊時の適正調査や訓練の段階での審査で判断されて後方職種に廻される.
 今は狂牛病懸念からやってないそうだが,昔は家畜の臓物をぶちまけた中を匍匐前進させたりして,そういう”グロい状況”をある程度擬似的に作り出して慣れさせた.

 でも,いざ実戦となると負傷した人間を見て立ちすくむ兵士は少なくない.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 現代の兵隊って過去に比べると,やっぱ肉体・精神的にヤワになってません?
 PTSDだの自殺だの….
 食生活や衛生学的な暮らしに原因があるのですかね?
 少なくとも30年戦争とかの時代に,そういう話は聞いたこと無いのですが…

 【回答】
 戦争が将兵の精神に多大な影響を与える,ってのは昔から囁かれた事だが,それが学問としてはっきりと体系化されたのは第一次大戦以降.

 また,会戦を何回かやって終わりって戦争だと,PTSDは発症率が低い,若しくは発症しても短期間で回復する.
 戦場で受けるストレスが,現代と比較して極短期間だから.
 対して,第一次大戦以降の戦争は連日,砲弾の雨が降り注ぎ,屠殺場に向かう家畜のように兵が死んでいく,非常に過酷な環境.
 ダラダラと何十年も小競り合い&たまに会戦をやる30年戦争とは,比較にならない.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ガンダムの中で「アムロが新米の兵隊がよくかかる病気になっている」という話がありましたが,現実でも新兵が,ストレス・緊張等から精神の病気になるということはあるんでしょうか?

 【回答】
 そう言う病気を一般的に戦闘神経症(シェル・ショック)と読んでいます.
 第一次大戦中の塹壕戦で、相次ぐ砲弾の飛来によるストレスで神経を病む兵隊が多く出たことから,この名前が付けられました.
 また,阪神・淡路大震災で人口に膾炙するようになったPTSD(心的外傷後ストレス障害)ですが,もともとベトナム戦争などの帰還兵の多くに症状が見られたことから研究が進んだものです.
 この他に、パイロットに起こる病気として航空神経症というノイローゼによく似た神経症があります.(名無し軍曹)

 どんなに訓練を積んでいても,戦場では命のやりとりをする訳ですから,その恐怖心をコントロールする事は大変です.
 旧日本軍やナチス・ドイツ軍のようにイデオロギーで締め付けていても,20%前後はかかっていますし,同じくWWⅡでのアメリカ軍では,60%もかかっているそうで,それがベトナム戦争のように,さしたる大義も無い戦争の場合,士気が落ちるのと比例して,割合も増加します.
 ちなみに第二次大戦時,イタリア戦線で「戦争神経症」の兵隊をブン殴って問題となったのが,パットン将軍です.

兵士をぶん殴るパットン将軍の図
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 シェルショックが知りたいなら,何を読めばいいかな?

 【回答】
『戦争ストレスと神経症』(エイブラム・カーディナー著,みすず書房,2004.12)

 デーブ・グロスマンの著作;
『「戦争」の心理学』(二見書房,2008.3)
『戦争における「人殺し」の心理学』(ちくま文庫,2004.5)

 あと,PDFで読めるものを幾つか.

傷つく兵士―戦場の被害者―
http://www.cdams.kobe-u.ac.jp/archive/dp05-4j.pdf

メンタル・ヘルスをめぐる米軍の現状と課題
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200908_703/070302.pdf

沖縄戦の心の傷(トラウマ)とその回復
http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/123456789/8290/1/No09p019.pdf
 ここでは以下の論文も紹介されていた.

・-ノ渡尚道・井上泰弘「シェル・ショックとは何か?」 in 『imago(イマーゴ)』1991年1月号第2巻,47頁,青土社

・橘覚勝「戦場に於ける将兵の心理」『国防心理学』204頁,河出書房,1941年

・今次大戦下太平洋地域における,米軍の「戦争神経症」対策とその実際
http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/123456789/8294/1/No17p231.pdf

軍事板,2010/06/14(月)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 戦争が終わると必ず精神的な病の話がでますが,日清日露戦争や太平洋戦争終結後の日本では問題にならなかったのでしょうか?

 【回答】
「あの人は戦争に行っておかしくなった」
という話は無数にあった.

 例えば高野五十六は日露戦争で負傷して,「あわや戦傷退役」の状態で帰ってきたが,周りの人はみんな「高野さんは戦争で変わってしまった」と言ってたそうだ.
 本人はあんまり気にしてなかったみたいだけど・・・.

 また,確か一等自営業先生の父上は,憲兵だったので戦犯扱いになり,ようやく出所してきたら全く別の人になってた,って話を先生本人がよく書いていたような.

 でも,今と比べて人間のメンタルな面は大して気にもされないような時代だから,社会的問題にはあまりならない.
 第二次大戦後しばらくは,みんな生きるのに必死でそれどころではないし,戦争でボロボロになった状態から復興したら,今度は高度経済成長で,精神的な面には気を向けてる暇なんかなかった.

 そもそも,日本人のほとんどは,ほんの四半世紀前までは精神病の類いはみんな
「軽いもの=ノイローゼ 重いもの=きちがい」
で片付けてた程度の認識しか持ってなかったし.

 ただし,文学の面にはどの戦争も多大な影響を与えているな.

軍事板
青文字:加筆改修部分

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 兵士は厳しい訓練で鍛えているのに,戦場へ出るとCSRやPTSDにどうしてなるんですか?

 【回答】
 訓練で発症の可能性を下げることはできるが,失くすことはできない.
 兵士は人間でロボットでもRPGのキャラでもないので,鍛えたからといって絶対に精神を病まないということはない.
 どんなに対策をとっても事故や事件がなくならないのと,同じっちゃ同じ.

 『私の中の日本軍』(山本七平著,文春文庫,1983.5)を読むと,兵として戦地で過ごすのは7年が限度という話が出てくる.
 騎兵の話で,7年をすぎるとぼんくらになってしまうという書き方だったと思う.

 米兵については,第1次世界大戦の頃の砲弾ショックが,心理的な外傷が大々的に取り上げられたきっかけではないかと思う.
 その後,ベトナム戦争神経症などを経て現在のTBIやPTSDへと続いてい

 訓練と人間の本性,社会文化の問題などが絡んでおり,訓練だけで克服するのは困難ではないかと思

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 戦争神経症にかからないようにするには,どうすればよいのでしょうか?

 【回答】
 戦争に行かない事です(笑).

 まぁ,冗談はさておき,戦闘中,もしくは戦闘後に15~30%の兵士が戦闘ストレス反応を起こし,吐き気や混乱,下痢,震えなどを起こします.
 戦闘ストレスに陥った兵士の70%程は三日で戦闘に復帰できるますが,5~10%は二度と復帰出来ません.
 つまり,戦闘に参加する以上,戦争神経症はほぼ不回避と言えます.
 故に個人で出来ることは殆どないでしょう.精神論になってしまうので.
 人を殺すのが大好きな人とかは戦争神経症を患うことは無いでしょうが.

 軍全体としての対策はなるべく前線の兵士を交替させる事です.
 60日以上戦闘が続けば,戦闘参加者のほぼ全てが何らかの精神的負傷者となりますので.
 また,読書やテレビ等の娯楽を充実させる事も有効でしょう.
 湾岸戦争の折,ある将官が,米兵がゲームボーイに興じるのを見て,
「ベトナムでこれがあったのならば,兵が麻薬に走る事は無かっただろう」と,ぼやいた程ですので,結構重要です.
 なお,アルコールはあまり効果が無いそうです.ロシア人が聞いたら反論が来るでしょうが.

軍事板,2006/04/08(土)
"2 csatornás" katonai BBS, 2006/04/08(szombat)

青文字:加筆改修部分
Kék karaktert: retusált vagy átalakított rész

 戦闘神経症または戦闘疲弊症は,戦場の環境に慣れる事で幾分かは軽減されますが,ストレス源である爆発音,圧迫感,敵を殺害する事への抵抗を,ある程度は事前の訓練によって内分泌的に防御する事は可能だそうです.
 しかし,結局はドラッグに依存することになるようで,発症を防ぐ事はまず不可能です.耐性を高める努力しかできません.
 ヒドイときには退役後にも,背後から近付いた家族を反射的に殺害するという痛ましい例もあるようです.

三等自営業◆LiXVy0DO8s :軍事板,2006/04/08(土)
3 stb. Önálló vállalkozó◆LiXVy0DO8s :"2 csatornás" katonai BBS, 2006/04/08(szombat)

青文字:加筆改修部分
Kék karaktert: retusált vagy átalakított rész

戦争神経症患者
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 戦争後,戦地から兵士をすぐに帰国させず,クールダウン期間を置くようになったのは何故ですか?

 【回答】
 「戦争における『人殺し』の心理学」(デーブ・グロスマン著,ちくま学芸文庫,2004.5)にありましたね.
 ベトナム戦争の反省から生まれました.
 部隊をまるごと徒歩または海路で帰国することは,それが兵士に冷却期間をもたらし,一種のグループ・セラピーになっていましたが,ベトナム帰還兵には与えられませんでした.

 昔,DoD のニュースメールか何かで読んだのですが,第二次世界大戦のときは船で帰国していていましたから,その移動時間がちょうどクールダウン期間になったのですが,ヴェトナム戦争では飛行機でピューッと帰っちゃうことになりました.
 グループ・セラピーは帰還兵の精神衛生には欠かせないのですが,それが出来なかったのです.
 この事が戦後のPTSDに苦しむ兵士を増やしてしまいました.

 ベトナム戦争後,様々な帰還軍がこの重大な教訓を受け入れました.
 イギリスのフォークランド戦争が国に戻るとき,空輸という手っ取り早い方法でも良かった,
 しかし,海軍の船で南太平洋を横断して帰国させる事にしました.長くて,やるせない,治療効果のある帰還です.
 イスラエルでも1982年のレバノン侵攻からの撤退のさいには,この「冷却期間」に考慮してたようです
 同じ頃アメリカでは「冷却期間」の暗黙の緘口令が敷かれていましたが・・・
 しかしイスラエルはこの問題に着目し,心のガス抜きの必要性を認識していました.
 その方法は,まず撤退してきたイスラエル兵達を「部隊」ごとに会合に集めて,何ヶ月ぶりかで心から安らぎくつろぐ機会が与えられました.
 その後,
「軍の行動や計画の失敗から,仲間たちの無意味な死や,完全に失敗したという挫折感まで,ありとあらゆる問題について自分の感情,疑問,疑惑,批判を吐き出す」
という方法です.
 やっとその重要性に気づいたアメリカも,部隊単位で戦場を離れ,本国に帰還した時に,作戦終了後の反省会などが可能になりました.

 「NHKスペシャル」で報道されたところによると,イラクで警備に当たっていた米軍の州兵部隊が,アメリカに帰国する際,とある場所に一箇所に集められて,そこで一週間ただブラブラすることが許可され,各人思い思いに過ごしていました
(ただ,銃器は専用のケースに集められて厳重に管理)
 音楽を聞く者・ゲームや読書・家族に電話・戦友と会話など……
 そこにはショッピングセンターまであり,給料で買い物もできます.
 食堂もあってそこで戦友と語り合う事も可能です.
 そこでクールダウンをした後は,部隊で故郷に戻って家族達を再会するわけです

 「生きながら内側から食い荒される」という事態を防ぐためにも,このクールダウンは兵士にとって必要な事ではないでしょうか.

CRS,井上@Kojii.net in mixi支隊


 【質問】
 野戦訓練中にしゃっくりなどが止まらなくなったら,どうするんですか?
 サバゲー中にこれで困ったことがありまして(--;

 【回答】
 そういう問題は発生しない.

 しゃっくりは,横隔膜のけいれんだから準備運動が足りないか,食事時間から近いとかが原因.
 斥候なんかは潜入行動がそのものが運動になるし,緊要な偵察の前2時間は食事をとらない.
 くしゃみは鼻をつまんで左右に揉んで消す.

 問題は咳で,止めることができない.
 だから風邪引きは斥候要員から外れる.

 それと演習場の規模はサバゲのフィールドの数百倍だ.
 単独行動もしないし,装備の数も違う.
 どうしたって音は出る.

 困るのは夜間の歩哨ぐらいだろう.

自衛隊板
青文字:加筆改修部分

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 水虫は兵隊さんの職業病ですか?

 【回答】
 そうです.

 私も自衛隊で現役時代,一時期薬の世話になりました
 短靴で蒸れるってのもありますが,浴場のマットが原因と言われてましたね.
 常にグジュグジュで誰も洗わず,その上を水虫持ちが歩くわけですから,「白せん菌の培地か?」ってな状況でして・・・

 私自身は軽度だったので,PXで買った市販薬で治しました
 しかし,今考えると地方のレーダーサイトなのに,何は無くとも水虫薬がある店って・・・(笑)(店と言ってますが,訪問販売みたいなレベルです)

 先輩空士長で衛生隊から薬を貰っていた人はいましたね,
 苦悶の表情で「これが効くんだよ!」と言いながら.
「あんた,万年水虫やんけ!」
と心の中で突っ込んだのは内緒(笑).

EF63-24 in mixi支隊

 教育隊の小隊長が軍用水虫薬の経験者だった.
 菌を「周りの細胞ごと」根本から完全破壊.確実に治るのは間違いないとか.
 でも,水虫が治らないよりも治す方が苦痛らしい.
 二度と使いたくないって言ってた.

雪風 in mixi支隊

 足ふきマットはかなり有力な感染経路ですよ.
 家庭でも足ふきマットを通して父ちゃんから家族へ,という例は結構あるようで.

丼炒飯 in mixi支隊


 【質問】
 米海軍SEALSや海兵隊は,「仲間は決して見捨てない」が信条だそうですが,陸軍(或いは,他の国の同様な部隊)も同様なのですか?

 【回答】
 近代軍は皆そうだ.
 中国の国民党軍は当初,怪我したら捨てられるということで,異常に士気が低かったそうだが,米軍から派遣された軍事顧問の将軍が,軍医や衛生兵制度を導入してから,
「戦って負傷しても助けてくれる」
ということで,勇猛果敢になったそうな.

緑装薬4◆8R14yKD1/k


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