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◆◆パキスタン
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テロリズムFAQ目次


(画像掲示板より引用)


 【link】

「Bangkok Post」◆(2013/03/23) Taliban vow to kill Musharraf

「Daily Telegraph」◆(2011/01/11)Pakistan frees leader with links to al-Qaeda and Taliban

「Guardian」◆(2010/07/28)Pakistan must not be left to export terror, says PM

「Indian Defence」◆(2013/06/02) Three reasons not to talk to the Pakistani Taliban

「Indian Defence」◆(2013/06/30) BSF seize arms on Pakistan border in Punjab

「Indian Defence」◆(2013/07/03) US drone attack kills 18 in Pakistan

「Indian Defence」◆(2013/07/03) US drone strike kills 16 suspected militants in Pakistan

「Indian Defence」◆(2013/09/14) Terrorist sanctuary,Pakistan's Tribal areas

「Russia Now」◆(2011/10/01)Killer of Pakistani governor sentenced to death

「SPIEGEL」◆(2012/10/07)In Pakistan marschieren Drohnen-Gegner in einem kilometerlangen Konvoi - und blamieren die Regierung in Islamabad
パキスタンにて,米無人機の攻撃に対し,抗議の車列

「Strategy Page」◆(2013/05/21) COUNTER-TERRORISM: The Other Al Qaeda
 パキスタンの「ラシュカ=イ=タイバ」は,組織の洗練さではアル=カーイダ以上

「Strategy Page」◆(2013/05/24) COUNTER-TERRORISM: Is Terrorizing Terrorists A War Crime?
 ワジリスタンのテロリスト,無人機攻撃を「戦争犯罪」と訴える

「Strategy Page」◆(2013/09/23) COUNTER-TERRORISM: Untamed SIMs Survive In Pakistan
 パキスタンでテロに利用される,違法匿名携帯電話

「TIME」◆(2013/06/25) Pakistan’s biggest challenge is not the Taliban ? it’s electricity

「Today's Zaman」◆(2013/05/29) US launches first drone strike in Pakistan since election

「Today's Zaman」◆(2013/06/08) First US drone strike under new Pakistan prime minister kills 7

「USA Today」◆(2013/05/12) Pakistanis go to polls despite increased terror attacks

「VOR」◆(2012/09/20)パキスタン イスラムへの無関心でビジネスマンが逮捕

「VOR」◆(2012/11/07)パキスタンで娘に酸を浴びせた親,恋人とのデートが原因

「VOR」◆(2012/07/07)米無人機の攻撃 17名のパキスタン人が犠牲に

「WSJ」◆(2012/06/03)U.S. Drone in Pakistan Kills 10 Suspected Militants

「日刊アジアのエネルギー最前線」(2012/01/09)◯ 安保理,機能停滞も パキスタンが非常任理事国入り 対テロ政策,欧米と一線

「ワールド&インテリジェンス」◆(2012/10/25) イスラム過激派vs少女たち


 【質問】
 JIP(パキスタン・イスラーム協会)とは?

 【回答】
 1941年創設の大衆イスラーム組織.ムスリム同胞団と並び,現代のイスラーム過激原理主義の元祖と言われている.
 アフ【ガ】ーニスタンの同名ゲリラとは別組織.

 47年のパキスタン独立では大きな役割を果たしたが,元来,基本的には政治活動から距離を置いた大衆組織だった.
 主にパキスタン側パンジャブのラホール地方を中心に,数百万の会員を持つといわれている.

 イスラーム協会が一躍政界の黒幕に踊り出たのは,77年のムハマド・ジア・ウル・ハク軍事政権誕生のときだ.極端な強権恐怖政治を行った政権だったが,背後でそれを支えたのがイスラーム協会だった.

 イスラーム協会は,政界では幾つかの支援宗教政党を持つが,議員数などで言えば,さほど大きな勢力ではない.
 力の根源は,ジア・ウル・ハク政権時代に国中に建設させた神学校を核とする,超保守的なイスラーム主義人脈のネットワークと,会員を集中的に送り込んで自らの「牙城」としている軍統合情報局ISIの存在である.

 ISIは,アフ【ガ】ーンでの対ソ・ゲリラ工作の他,対インド謀略戦,特にカシミール・ゲリラの組織化と運用についても,全面的に背後で取り仕切っている.
 他にも,インドア大陸から中央アジアにかけて,ISIが工作したイスラーム勢力は数多く,さらにアメリカ,カナダ,欧州の「インド=パキスタン系イスラーム教徒移民」にさえ触手を伸ばしているとされる.
 例えばアメリカのイスラーム過激派組織「アル・フクラ」は,ISIのダミー組織と言われる.

 イスラーム協会は,それらのISIの秘密工作を通じ,国境を越えた大きな影響力を行使している.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.142-143,抜粋要約)

 1941年,サイイド・アブル・アーラー・マードゥーディにより設立された政党.イスラム復興運動を目指す「近代派」イスラム主義に属する政治団体で,ムスリム同胞団としばしば比較される.
 結成当時,ズィヤーウル・ハク軍事政権側に与する.
 アフ【ガ】ーニスタン紛争では,ISIを通じ,パシュトゥーンの「近代派」イスラム主義者を重点支援した.

(柴田和重=アフガン・ネットワーク幹事 from 「ポスト・タリバン」,
中公新書,2001/12/20,P.32,抜粋要約)


 【質問】
 JUI(イスラーム・ウラマー協会)とは?

 【回答】
 デオバンド系の伝統的宗教指導者ウラマーによる宗教政党.
 デオバンド系とは,1857年のインド大反乱の挫折を踏まえてムスリムへの近代教育を説くアリガール運動に反対し,イスラム護持を掲げてデリー北方,デオバンドに神学校が設立された事に由来する.
 神秘主義は容認するものの,聖者信仰を否定.シーア派を異端とする教令も,かつて出している.
 パキスタンの宗教抗争では,このデオバンド系の武装集団「シバヘ・サハバ」が,シーア派との間で暴力的衝突を繰り返している.

 同党指導者ファズルール・ラフマンは,第2次ブット政権の連立与党に参加.下院外交常設委員会委員長となった.
 このため,パキスタンの外交政策に影響を及ぼすと同時に,パキスタン内務省やISIにも接触できる存在だった.

 アフガニスタンのパシュトゥーン地域におけるスンニー派宗教指導者の多くも,このデオバンド系に所属.
 そして,ラフマンのJUIは,パキスタンとアフガニスタンの国境沿いに数多くの神学校を設立,難民の子弟に無料でイスラム教育を施し,難民キャンプでの支援活動を通じてパシュトゥーン内での支持を拡大していた.
 そして,神学校で熱烈なデオバンド信者になった神学生達を送り出し,タリバンを支援した.
 タリバンによるカンダハル占領の際,多くのJUI傘下の神学校からの神学生達が,パキスタンの国境を越えてタリバンに加わったとされている.

(柴田和重=アフガン・ネットワーク幹事 from 「ポスト・タリバン」,
中公新書,2001/12/20,P.32-33,抜粋要約)


 【質問】
 ヒズブル・ムジャヒディン(イスラーム戦士党)とは?

 【回答】
 黒井文太郎によれば「ISIが全面的に関与する,カシミールのイスラーム・ゲリラ組織.ゲリラ最大勢力」とされている.
 以下は,黒井による,その概要.

 1989年,それまで最も力を入れていたカシミール独立派ゲリラ「ジャム・カシミール解放戦線」支援を停止し,その代わりにカシミールのパキスタン併合を掲げるゲリラとしてISIが創設.
 ISI・イスラーム協会から非常に強いコントロールを受ける.
 司令官はサイード・サラハッディン(本名ムハマド・ユセフ・カーン).
 兵力は1500〜3000と言われるが,パキスタン人,アフ【ガ】ーニスタン人などの外国人兵も多い.アラブ人義勇兵とも関係している.
 テロは軍事部門「アスカリ」が実行.カシミール地方で発生する無差別爆弾テロの過半数が,この組織によるものである.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.145,抜粋要約)

 2000年7月,「ヒズブル・ムジャヒディン」は3ヵ月の一方的停戦を宣言,和平へと歩み寄り始めた.
 しかしその直後から,他のカシミール・ゲリラによるヒンズー教徒住民への無差別テロが激化する.明らかに和平潰しの動きであり,犯人は「ラシュカレ・タイビヤ」と噂された(同組織は否定).
 仮にそれが事実なら,その背後にいるISIの陰謀による可能性が高い(パキスタン政府・軍は関与否定).
 強いライバル関係にある両ゲリラ組織だが,どちらもISIの強い影響下にあるため,
「比較的自立している『ヒズブル・ムジャヒディン』が,勝手に和平を打ち出したことで,その阻止にISIが動いたのでは?」
という見方や,
「ISIの一部がヒズブル・ムジャヒディンを和平路線に向かわせ,イスラーム協会の怒りを買ったのでは?」
という見方などもある.

 いずれにせよ,翌月にはISIの意向に従い,ヒズブル・ムジャヒディンは停戦破棄を宣言,爆弾テロを再開している.

(同,p.147-148,抜粋要約)

 その後,インド軍との交戦により,幹部が殺害されている.

 2005/4/16、インド軍スポークスマンの発表によれば,インド軍はカシミール南部の戦闘で上級司令官2名を含むイスラム系武装勢力7人を殺害。
 殺害された武装勢力のうち2名、Shabir BaduriとGhulam Mohiudinはカシミール最大の武装勢力ヒズブル・ムジャヒディンで多くのインド軍・民間人に対する作戦に関与した上級司令官であったとのこと。
 これに対しヒズブル・ムジャヒディン側からの声明は出ていない。

 これに先立ちインド軍は15日金曜日に強硬派武装組織Al-Badrのゲリラを殺害、最高司令官を含む3名の司令官も殺害された。
 16日にはカシミール内AnantnagとUdhampurの両地区でも武装勢力5人を殺害している。

(AFP, 2005/4/16)


 【質問】
 「ラシュカレ・タイビヤ(純粋な軍隊)」とは?

 【回答】
 ラホール近くのムドゥリケで,パキスタン人を中心に80年にISIが創設.
 CIAに武装化され,アフ【ガ】ーン戦争参加.
 93年よりカシミールで武装闘争を開始するが,アフ【ガ】ーン戦争時代の義勇兵人脈を母体としているため,幹部の殆どはパキスタン人かアフ【ガ】ーニスタン人.
 司令官はハファズ・ムハマド・サイード.
 全世界のイスラーム連帯を掲げる.
 兵力は300〜400と見られている.
 ISIにより訓練され,その強力な影響下にある.ISIの傭兵として,シーク教徒やヒンズー教徒住民の虐殺を行っている.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.145,抜粋要約)


 【質問】
 ハラカト・ウル・ムジャヒディン(イスラーム戦士運動)とは?

 【回答】
 80年代初め,アフ【ガ】ーン戦争に参戦するため,CIAの工作により結成.
 司令官はファズル・ラフマン・ハリル.
 93年10月,ISIの仕掛けにより,他の有力グループと共に連合組織「ハラカト・ウル・アンサル」に参加するが,98年の同組織分裂で名称を戻す.
 兵力は450〜500程度と見られる.
 世界的なイスラーム国家建設を掲げ,ビン・ラーデンと共闘関係にある.
 パキスタンだけでなく,アフ【ガ】ーン国内にも浸透している.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.146,抜粋要約)


 【質問】
 「ムハマドの軍隊」とは?

 【回答】
 1999年12月,カトマンドゥ発ニューデリー行きインディアン航空機がハイジャックされ,ドバイ経由でアフ【ガ】ーニスタン,カンダハールに着陸.
 インドで収監中の「ハラカト・ウル・ムジャヒディン」幹部3人の釈放と引き換えに,乗員乗客は解放された.
 多国籍犯人グループは,ISIの支援を受けたとの疑惑がある.

 釈放されたマウラナ・マスード・アズハルが,アフ【ガ】ーニスタンでビン・ラーデンと会談し,その資金援助を元に2000年3月に創設したと伝えられる新組織が,この「ムハマドの軍隊」.
 兵力は300〜400とされ,カシミールのパキスタン併合を掲げる.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.146,抜粋要約)


 【質問】
 「アル・バダル」とは?

 【回答】
 98年,「ヒズブル・ムジャヒディン」内の外国人部隊の一派が分裂して結成.
 司令官はナセル・アフメドとバカト・アスマン.
 パキスタン併合派.
 兵力は40〜50と見られる.
 「ラシュカレ・タイビヤ」と連携する.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.147)

 その後,インド軍との交戦により,幹部が殺害されている.

 2005/4/15、インド軍は強硬派武装組織Al-Badrのゲリラを殺害、最高司令官を含む3名の司令官も殺害された。

(AFP, 2005/4/16)


 【質問】
 アル・ファランとは?

 【回答】
 元「ハラカト・ウル・アンサル」内のテロ組織.アフ【ガ】ーン帰還兵集団と見られる.
 90年代半ば,外国人観光客誘拐・処刑を多数行った.
 兵力は不明だが,せいぜい数十人と見られる.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.147)


 【質問】
 イスラーム過激原理主義系マドラサに対し,パキスタンではどんな対策を講じようとしているのか?

 【回答】
 すべて政府に登録させて,近代教育を取り入れさせることを,また,外国人学生を排除することを計画している.
 ただし,2002年1月にもムシャラフ大統領は同様の声明を出しており,これが実行されるかは未知数.

 以下引用.

パキスタン 大統領が新法発令へ 「神学校」の外国人学生を排除

 【バンコク=岩田智雄】パキスタンのムシャラフ大統領は二十九日,ラワルピンディで記者団に対し,テロリストの温床になっているとされるマドラサ(イスラム神学校)について,今年末までにすべて政府に登録させて,近代教育を取り入れさせる新法を近く発令すると言明した.
 同国国営APP通信などによると,新法によりマドラサで過激主義をあおる教育は禁じられ,現在,約千四百人いるとされる外国人学生も国外退去させられるという.
 ムシャラフ大統領は米中枢同時テロ後の二〇〇二年一月にも同様の発表を行っている.しかし,実際には,全国に一万以上あるとされるマドラサはその後も野放し状態にあり,一部は現在も,過激主義教育をしたり軍事訓練をしたりしている.
 大統領は,米中枢同時テロ後は経済やカシミール情勢が不安定だったことなどを挙げて,現在とは完全に異なる環境にあったと指摘し,今回は強い姿勢でマドラサ改革に臨むとの決意を示した.
 貧富の格差が激しい同国にあって,寄付金で運営されるマドラサは,貧困層子弟の教育機関となる一方,アフガニスタンを実効支配したタリバンのメンバーらイスラム原理主義勢力の養成機関の役割も果たしてきた.
 ロンドンの同時爆破テロでも,実行犯の一部がパキスタンのマドラサを訪れていたといわれ,英政府はマドラサの存在に神経をとがらせている.

(産経新聞,2005/7/31)

 また,北西辺境州は独立自治的傾向が強く,中央政府の意向がどこまで反映されるかも未知数.


 【質問】
 アブドラ・メスードとは?

 【回答】
 イスラム過激派有力幹部.
 ターリバーンとも親交あり.
 2007/7/24,パキスタン南西部バルチスタン州にて,治安当局の掃討作戦を受け自殺したと報じられた.

 しかしその後も生存情報はある.
 2009/2/14には,米軍のものと見られる無人航空機が,南ワジリスタンのイスラム武装勢力の訓練施設に2発のミサイル攻撃を加えたという.
 AP通信によると,施設にいたウズベク人とアフガン人など27人以上が死亡.
 パキスタン諜報機関当局者によると,ターリバーンが遺体を搬送などしたという.
 同地区はイスラム武装勢力の指導者で,ブット・パキスタン元首相暗殺事件の首謀者とされるメスード司令官が率いており,爆撃時に同司令官が施設にいたとの情報もある.

 越境ミサイル攻撃は昨年夏ごろから加速し,2008年内には計約30回の攻撃があったとみられる.
 一般住民も巻き込まれて犠牲になった例も多く,パキスタン政府は,アフガン国境を越えたパキスタン内の攻撃は主権侵害だとして抗議している.
 今回の攻撃は米政府のホルブルック特別代表の訪問直後でもあり,パキスタンが攻撃を容認しているとの見方も出ているという.

 【参考ページ】
2007年7月25日8時1分,産経新聞
2009年2月14日17時3分,CNN
2009年2月15日8時3分,産経新聞(田北真樹子)

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産経新聞より引用)


 【質問】
 2005年10月のパキスタン大地震は,過激原理主義勢力にどんな影響を与えたのか?

 【回答】
 インド情報当局によれば,「ヒズブル・ムジャヒディン」の約400人等,過激派メンバー1500人が死亡するなどの被害があったという.
 以下引用.

<パキスタン地震>カシミールの武装組織1500人死亡

 【イスラマバード西尾英之】インド情報当局は15日までに,パキスタン地震でカシミール地方のパキスタン支配地域を拠点とするイスラム武装組織のメンバー約1500人が死亡したとの見方を明らかにした.
 インド有力紙「タイムズ・オブ・インディア」が伝えた.武装組織はインド支配地域側へ越境してテロ活動を繰り返し,印パ和平対話の最大のネックとなってきたが,地震で勢力を弱める可能性もある.
 情報当局によると武装組織「ヒズブル・ムジャヒディン」の約400人が死亡したほか,7月にロンドンで起きた同時爆破事件への関連も指摘されたラシュカレ・タイバ,ジャイシ・モハメドなど主な組織が軒並み被害を受けた模様だ.
 これらの武装組織はパキスタン国内でメンバーを募集.パキスタン側カシミール地方に点在するとされるキャンプで訓練後,カシミールのインド側支配地域に潜入し,インド軍やカシミールのインドからの分離・独立に反対する住民への襲撃を繰り返してきた.
 インド政府は「武装組織をパキスタン軍情報機関が支援している」と非難.01年の米同時多発テロ以降,テロ組織への取り締まりを求める米国の圧力もあってパキスタン軍の支援はほぼ停止したとみられるが,武装組織は現在もテロ活動を続けている.
 今回の地震で被害を受けたパキスタン側のアザド・カシミール州は,武装組織にとって最大の拠点地域.
 一部の武装組織は被災者救援を「ジハード」(聖戦)と規定し,各地で救援活動に乗り出している.
 しかし,自らの拠点も被災しているのは確実で,しばらくテロ活動が低下するのは間違いない.

(毎日新聞,2005/10/15)


 【質問】
 パキスタンの北西辺境州は,どの程度過激原理主義寄りなのか?

 【回答】
 以下のような法案が通るほどに.

【パキスタン】タリバン流の風紀取り締まり案可決=北西辺境州[07/15]

 【ペシャワル(パキスタン)14日】パキスタンの北西辺境州議会で14日,イスラム法に忠実に従うことを義務付ける風紀取り締まり案が可決された.
野党陣営は,隣国アフガニスタンの過激なイスラム原理主義勢力タリバンの前政権に倣った悪法と反発している.

 州議会では宗教政党6党連合の統一活動会議(MMA)が多数を占め,同案が68対34の大差で可決されると,イスラム勢力の議員の間から「神は偉大なり」と叫び声がとどろいた.

 同案は,イスラムの教えに基づく社会浄化に強権を持つ風紀取り締まり当局の新設や,報道管制などを盛り込んでいる.
 タリバンも1996−2000年にアフガンを支配した際,「悪徳と美徳」省を設けてイスラム化を強制,内外の悪評を買った経緯がある.

 野党側は「州史上,最悪の暗黒日.すべてを麻痺させる悪法だ」と反発.レーマン州知事も「施行を阻止するため,あらゆる憲法上の措置を取る」と宣言し,ムシャラフ大統領率いる中央政府も「憲法違反」と反対していた.

 MMAは2002年10月の州議会選で勝利を収め,イスラム法強制を公約.既に男性が女性スポーツ選手のトレーニングを担当したり,試合を見たりすることを禁じ,公務員には1日5回の礼拝を義務付けている.

時事通信,2005/7/15


 【質問】
 英国によるパキスタンへのテロ対策支援について教えられたし.

 【回答】
 2006/11/19,英ブレア首相とパキスタン・ムシャラフ大統領との会談の際に合意されたもので,マドラサ改革などのための財政支援4億8000万ポンド(約1100億円)が,その内容.
 イスラーム過激原理主義に洗脳するマドラサが存在し,テロリストを生み出す土壌となっているため.
(ただし全てのマドラサが問題あるというわけでは勿論ないので,その点は念のため)
 英国としても,2005年7月に起きた同時爆弾テロの実行犯だったパキスタン系英国人が,パキスタンのマドラサと関係しているなど,利害を共有しているための支援.

 【参考ページ】
2006年11月19日23時0分,時事通信
2006年11月20日8時1分,産経新聞(岩田智雄)


 【質問】
 2007/1/16の南ワジリスタン空爆は,なぜ行われたのか?

 【回答】
 時事通信,2007年1月16日17時0分によると,ワジリスタンにはタリバンの共鳴者が多く,アジトはタリバンやアルカイダの隠れ家だった可能性が指摘されている,という.
 パキスタン軍の発表によれば,この空爆では,南ワジリスタン地区にある武装勢力のアジト5カ所を攻撃,外国人を含む25〜30人を殺害した,と同記事は伝えている.


 【質問】
 2008年のパキスタンでは,テロは増えたのか?

 【回答】
 急増した.
 2008年版の国際テロ活動に関する,米国務省の国別報告によれば2008年には,世界平均で前年比18%マイナス(1万1770件)だったのに対し,パキスタンに限っては1839件(2007年は890件)と倍増している.
 死者数も世界平均では30%減少(1万5765人)だったのに対し,パキスタンでは2293人(2007年は1340人)と,これも倍近く増えている.
 自爆テロが増えていることも,死傷者数が増加する要因となっているという.

 【参考ページ】
2009年5月1日17時6分,産経新聞(ワシントン 有元隆志)


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