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テロリズムFAQ目次


 【Link】

Пограничники в Чечне. Сюжет, часть первая.
http://pilot.strizhi.info/2009/04/03/6468#more-6468
http://pilot.strizhi.info/2009/04/13/6494
 チェチェン国境近くに駐屯するロシア国境警備隊.
 国境警備隊用の新型迷彩に要注目.

チェチェン紛争(戦闘序列など)


 【質問】
 チェチェンに投入されているロシア地上軍第58軍は,どんな部隊か?

 【回答】
 アンナ・ポリトコフスカヤを信頼するならば,ロシアでは悪名高く,「堕落した軍隊」の代名詞のようになっている.
 この部隊の将校は,チェチェン人や自軍の下級兵士に対する残酷行為が多く,ロストフの「ロシア兵の母委員会」にある大量のファイルのほとんどは,将校からの暴行に耐えかねた脱走兵に関するものである.
 また,兵站物資窃盗や部隊単位での反逆でも有名であり,部隊の兵器を盗んでチェチェン武装勢力に売り渡しているという.

 詳しくは,アンナ・ポリトコフスカヤ著『プーチニズム』(日本放送出版協会,2005/6/25),p.28-29を参照されたし.


 【質問】
 ロシア軍のチェチェン人部隊とは?

 【回答】
 ロシアが,元独立派や連邦派であったチェチェン人達を集めて編成した部隊.
 現在確認されているのは 

・チェチェン共和国内務省アフマト・カディロフ名称特別任務民警連隊
(ラムザン・カディロフの元私兵)

・チェチェン共和国内務省特別任務民警支隊 - OMON

・ロシア連邦軍第45自動車化狙撃師団特殊任務大隊
(通称ヴォストーク(東)大隊.旧独立派国家親衛隊第2大隊(ヤマダエフ氏族の元私兵)

・ロシア連邦軍第45自動車化狙撃師団特殊任務大隊
(通称ザーパド(西)大隊.サイード=マゴメド・カキエフの元私兵)

・内務省国内軍第248独立特殊自動車化大隊
(通称ユーク(南)大隊.ラムザン・カディロフの元私兵)

・内務省国内軍第249独立特殊自動車化大隊
(通称セーヴェル(北)大隊.ラムザン・カディロフの元私兵)

 何れもGRUやFSBの管轄下に入っているのも記しておく.

 【参考文献】
『チェチェンの呪縛』(横村出著,岩波書店,2005.7)

CRS@空挺軍 in mixi,2007年12月27日22:58

▼ 英語版とロシア版wiki等によれば,ヴォストーク(東)大隊及びザーパド(西)大隊ですが,2008年に解散していたようです.
 解散の背景にはカディロフが込み入ったという噂もあるようです.

Special Battalions Vostok and Zapad

Восток (батальон)

В Чечне расформированы батальоны "Восток" и "Запад"

Chechnya: Vostok, Zapad battalions disbanded

Chechnya ambiguous to disbandment of "Vostok" and "Zapad"

スリム・ヤマダエフ

CRS@空挺軍 in mixi,2009年02月01日17:19

南オセチアに出現したチェチェン人の特殊部隊「ヴォストーク大隊」

 上の動画によれば,このマルチカムを着ているのは,ヴォストーク大隊のハムザット副隊長のようです.
 ここまでマルチカムが広がっていくとは,グローバリゼーションって凄いですね(棒)

 しかし,2008年にヴォストーク大隊が解散したというのは,今でも信じられません・・・
 ザーパド大隊も解散と聞きますし.

 ますますカディロフの権力が増すような気がしなくでもない・・・
 そのうち親父みたく爆殺されるかもな(笑)

推定ハムザット副隊長

CRS@空挺軍 in mixi,2009年02月03日14:52


 【質問】
 何故ロシアはチェチェン人部隊を編成したのか?

 【回答】
 ロシアにとっても,チェチェンおける軍事費の削減とロシア兵のチェチェン派遣が長引けば,世論の不満が貯まりにたまって,政権を弱体化させるのが否めなくなってきた.
 そこでチェチェン紛争を.チェチェン人同士の争いとして押し付けようとした.
 チェチェン人同士が殺しあっても,ロシアにとっては痛くも痒くもないからだ.

 また,宗派対立のお陰で,イスラム原理主義者に対する敵愾心が,チェチェン人達の間に広がっていたことも幸いし,内ゲバにより家族・親族を殺されたことからロシアに投降した者を恩赦して,チェチェン人部隊へと加入させた.
 このため上記に記した,チェチェン人部隊の隊員の多くが,独立派への復讐を誓っている.

 そしてロシアは,チェチェン共和国の内務省軍や特殊部隊の増強を進めた.

 しかしチェチェンでは,90年代からの長き渡る紛争のせいで,徴兵できる若い世代が育っていない,
 そのためこのチェチェン人部隊の要員となるのは,武装勢力のメンバーからリクルートしてこざるを得ないという皮肉な現象が起きている.
 確かに連邦政府からの贅沢な支出によって,武装勢力の切り崩しに成功してるとも言えるが,現実には連邦予算から支出された武器や資金の一部が,武装勢力に還流されているという情報もあるようだ,
 また,このチェチェン人部隊が虐殺事件などを起こしてることもあり,上手く言ってるとは言いがたいということは指摘しておく.

 【参考文献】
『チェチェンの呪縛』(横村出著,岩波書店,2005.7)

CRS@空挺軍 in mixi,2007年12月27日22:58


 【質問】
 チェチェン人部隊創設の経緯は?

 【回答】
 ロシアは,武装勢力に加わっていたチェチェン人の寝返り工作をするために,2004年5月に暗殺されたアフマド・カディロフ前大統領の影響力を使った.
 彼は第一次チェチェン紛争時は独立派として戦っていたが,独立派内部での抗争に敗れると,プーチン首相(当時)のたくみな懐柔工作により,親ロシアに転向し連邦政府のチェチェン行政長官に任命されていた.
 そのとき,武装勢力に加わっていた私兵数千人を,カディロフは引き連れてきた.

 アフマド・カディロフ前大統領は暗殺されてしまったが,彼の私兵は「アフマト・カディロフ名称特別任務民警連隊」に移動されて,チェチェン共和国内務省の指揮下に入った.
 彼の私兵が武装勢力に戻ることを避けたかったという,ロシア側の思惑である.

 また同部隊はチェチェン人という立場を利用し,武装勢力のリクルートの受け皿にもなっている.
 新たな隊員は,武装勢力の中の小隊の指揮官を寝返らせて,小隊単位で引き抜いてくる.
 ただしこの連隊でも,武装勢力との繋がりを維持する隊員が多いのが実情のようである.

 ザーパド大隊やヴォストーク大隊も同じ頃に創設され,部隊の構成員は独立派の武装勢力と政治的に反目してきた勢力や宗派対立や敵対する部族で構成されるようになった.

 【参考文献】
『チェチェンの呪縛』(横村出著,岩波書店,2005.7)

CRS@空挺軍 in mixi,2007年12月27日22:58


 【質問】
 ザーパド大隊とは?

 【回答】
 ザーパド(西)大隊は,チェチェン人で構成されているスペツナズの通称.
 チェチェン共和国に駐屯するロシア連邦軍第42自動車化狙撃師団に配属された特殊任務大隊で,GRUの管轄化に置かれている.
 総員は,2005年1月現在で3144人.
 他のチェチェン人特殊部隊と異なり,大隊長サイード=マゴメド・カキエフ中佐を始めとする隊員は,第1次チェチェン戦争以前から連邦派であり,元独立派の入隊は認められていないのが特徴である.

 ザーパト大隊司令官である,カキエフ中佐のインタビューに成功した横村出氏が書いた『チェチェンの呪縛』より引用する.

[quote]

第6章 チェチェンへ

「ロシアの英雄」のチェチェン人 P166

 緑色の迷彩服を着た小柄な男が,玄関に現れた.
 血色がよく,相手を釘付けにするように据わった目がぎろりと光った.
 握手した右手の握力は強い.
 左手は,マネキンのような義手である.

 この男は,前述したサイード・マゴメド・カキエフ.35歳.
 ザーパトの司令官であり,チェチェン武装勢力と戦うカリスマ的な戦士である.
 ロシア軍よりもどう猛で残虐な戦い方で,恐れられている.

「アニ・ニェ・リュジィ(奴らは人じゃない)!動物,化け物だ」
 息もつかずにまくし立てた.
 ここでいう「奴ら」とは,マスハドフ大統領派と武装勢力のことだ.
「私は10年間,自分の祖国のために,チェチェンの虐げられた民衆のために戦ってきた.
 奴らのいう『ジハード』とは何だ.
 悪党ども間違ったことを言っている.
 私は,奴らと一緒にいたアラブ人もドイツ人もロシア人もグルジア人も殺した」
 司令官室には,イスラムの象徴である黒地に,赤,白,緑のチェチェン国旗の三色をあしらった大隊旗が掲げられていた.
 ザーパトは,イスラム戦士の部隊でもあるのだ.
 カキエフは第二次チェチェン戦争ではザーパトを率いて戦い,プーチン大統領からはロシアの軍人の栄誉である「ゲロイ・ロシイ(ロシアの英雄)」の称号を授与された.
「私は,母の腹もいたときからイスラム信者だった.
 私という存在の根源はここにある」
 そうカキエフが語るように,武装勢力と対立するには,もう一つの宗教的な理由がある.
 カキエフは,グロズヌイの西である村で生まれた.
 この地方はもともと,イスラム神秘主義のスーフィズムの影響を受けてきた.
 母親は,このスーフズムの一派の「占い師」のような資質を持っていたといわれる.
 なぜ,同じイスラムを標榜する武装勢力と対立するのか.政治的な理由も大きい.
 それだけでなく,イスラム原理主義の影響を受けたバサエフに代表される武装勢力の宗派とは,もともと折り合いが悪い.
 バサエフらは,スーフィズムを「イスラムに反する偶像崇拝」として忌み嫌っていたからだ.

 第四章でも述べたように,96年ごろから数度にわたって,チェチェン第二の都市グデルメスで,スーフィズム派と原理主義勢力が武力衝突した.
 ザーパトの隊員には,このスーフィズムに影響された地方の出身者が多い.
「アッラーの神と,ロシアに命を捧げる」
 陶酔しきった表情で,片腕を振りあげる.
「プーチンがチェチェンでの戦争は終結した,と言っているが,どう思うか?」
と尋ねてみた.
「我々の戦争は,今日終わっても,明日また始まる.
 大統領は終わりにしたいのだろうが,はっきり言って,戦争は終わっていない」
「チェチェンの女たちも,我々の戦士も,紙にペンで書き記すことができないほどたくさん死んだ.
 奴らを許すわけにはいかない」
 大粒の涙を流し,声を詰まらせた.

[/quote]

 宗派対立を引き起こしてしまったのはとんでもない失態でしたね.
 そこを上手く利用したロシアも狡猾といえば狡猾ですけど.

 【参考文献】
『チェチェンの呪縛』(横村出著,岩波書店,2005.7)

CRS@空挺軍 in mixi,2007年12月27日22:58


 【質問】
 ヴォストーク大隊とは?

 【回答】
 ヴォストーク(東)大隊とは,チェチェン人で構成されているスペツナズの通称.
 正式名称はロシア連邦軍第45自動車化狙撃師団特殊任務大隊.
 旧独立派国家親衛隊第2大隊(ヤマダエフ氏族の元私兵)で構成され,GRUの管轄下にある.

BATTALION "VOSTOK"
BATTALION “VOSTOK”, LED BY FAMOUS CHECHEN WARLORD SULIM YAMADAYEV WAS ORGANISED FROM A FEW THOUSANDS OF CHECHEN INSURGENTS, WHO FOUGHT THE RUSSIANS IN THE REPUBLIC’S 1ST WAR FROM 1994-96, BUT CHANGED SIDES AND JOINED MOSCOW’S BATTLE AGAINST ISLAMITE MILITANTS IN THE CURRENT CONFLICT, WHICH BEGAN 1999.
BASED 25 MILES EAST OF THE BOMBED OUT CAPITAL GROZNY, THE SPECIAL FORCES BATTALION IS UNDER COMMAND OF RUSSIA’S MINISTRY OF DEFENSE AND CLAIMS IT’S MISSION IS TO KILL THE “SHAITANY” (DEVILS) ? RADICAL ISLAMITE UNDERGROUND’ FIGHTERS AND IT’S ARAB ALLIES, WHO ARE STILL FIGHTING THE KREMLIN TROOPS.
THE BATTALION HAS LOST OVER A 100 OF FIGHTERS IN THIS RUTHLESS WAR AND KILLED MORE THAN 500 INSURGENTS.
“VOSTOK” WORKING METHODS ARE OFTEN CRITICIZED BY THE HUMAN RIGHTS GROUPS, WHICH ACCUSE “YAMADAYEVTSY” OF NUMEROUS VIOLATIONS OF HUMAN RIGHTS, EXTRAJUDICAL EXECUTIONS, ABDUCTIONS AND TORTURES OF DETAINEES AND SECRET MURDERS OF THEIR OPPONENTS.

all photos here (グロ注意!!)
http://www.dimapics.com/gallery.php?...viewtype=&lng=

ヴォストーク大隊
faq02cc13.jpg
faq02cc13b.jpg

CRS@空挺軍 in mixi,2007年09月23日17:20


 【質問】
 ヤマダエフの最期は?

 【回答】
 何者かによってドバイで射殺されました,

Chechen Hero of Russia shot dead

元チェチェン人特殊部隊隊長スリム・ヤマダエフ,ドバイで死亡

 08年に大隊が解散させられ,その後潜伏していたようですが,まさかドバイにいるとは思ってもみませんでした .
 これでヤマダエフ一族の政治基盤は殆ど断たれたわけです.

 そういや,ザーパト大隊指揮官であるカキエフ中佐はどうしてるのか?
 彼の大隊も解散させられましたけど,彼は初期から親ロシア派傾向がありましたので,さすがのカディロフも手が出し難いのかなぁと思ったり.

CRS@空挺軍 in mixi,2009年04月11日12:23

 【関連リンク】
ヤマダーエフ殺害事件から見えてくるもの 岡田一男(映像作家)
 スリム・ヤマダエフ殺害に関連して,ヤマダエフ一族の動向やここ最近のチェチェン情勢について解説


 【質問】
 アフマト・カディロフ記念内務省連隊とは?

 【回答】
 チェチェン内務省軍特殊部隊.
 カディロフ前大統領の私兵が母体だという.

引用開始------------------------

 一方,チェチェン内務省軍は総数1万3000人規模だが,そのなかに,チェチェン人による特務部隊がある.
 「アフマト・カディロフ記念内務省連隊」(注 正確にはアフマト・カディロフ名称特別任務民警連隊).
 こちらは,親ロシア派の初代大統領となり,2004年5月に暗殺されたカディロフ前大統領の私兵が母体となった.

 ロシア軍と同じ迷彩服を着て,右側には「オモン(OMON=内務省警察特殊部隊)」の刺繍がほどこしてある.
 司令官はアルトゥール・アフマーノフ.34歳.
 もともとは武装勢力の連隊長だった.
 2003年ロシアに投降し,カディロフの私兵になった.

 もともとマスハドフに従っていたから,マスハドフの側近にはパイプがある.
 2004年4月,マスハドフ派の司令官が大量に投降してきたことがあったが,アフマーノフが裏で活躍したといわれる.

「マスハドフはワッハビスト(原理主義)と結んで我々を裏切った.
 私が寝返ったのではない.
 第一にチェチェン戦争は独立のための戦いだったが,第二次戦争はワッビストを滅ぼすための戦いになった.
 独立よりも,ワッハビスト殲滅のほうが重要である」
と主張した.

 そしてこう断言した.
「マスハドフは,ある村に潜伏している.山岳地帯で戦ってるのではない」
 マスハドフが殺害されるわずか三ヶ月前のことだった.
 2005年2月,この言葉とおりに,マスハドフはトルストイユルトの民家でロシア軍に襲撃され,命を落とした.

 アフマーノフの部隊には301名の兵士がいるが,武装勢力から転向してきた兵士が中核になっている.
 ほかは,戦闘経験に乏しい元警官や警備員などがリクルートされた.
 新米隊員である交通警官出身のシェリプ・ドゥキエフ(35歳)は
「金が魅力だったからだ」
と入隊の動機を話した.
 部隊では月額1400ルーブル(約5600円)もらえる.
 警官時代の五倍の額だという.

------------------------引用終了

第6章 チェチェンへ 「ロシアの英雄」のチェチェン人 P169
『チェチェンの呪縛』(横村出著,岩波書店,2005.7)

 元々チェチェンはスーフィズムの影響が非常に強く,原理主義とは犬猿の関係である.
 第一次では独立・反ロシアのため協力していたが,原理主義はスーフィズム迫害政策をとったため関係がこじれるようになった.
 アフマーノフの言葉にもあるように,すっかり目的が入れ替わっている.
 独立を目指す動きが,同じイスラム同士でいがみ合う結果になってしまった.

チェチェン人特殊部隊員
(後ろの墓石に刻まれた人物は恐らくラムザン・カディロフ.
この隊員はアフマト・カディロフ名称特別任務民警連隊である可能性が高い)

CRS@空挺軍 in mixi,2008年01月14日18:55


 【質問】
 コサック兵はチェチェン紛争に参戦しているのか?

 【回答】

---------------------引用開始--------------

*戦場に行ったコサック達

 コサックの軍事組織であるコサック軍は,義勇兵として民族紛争に参戦している.
 もちろん,コサック軍はロシア正規軍とは違う.国際法上の交戦権はもっているわけではない.
 どちらかと言うと自警団に近く,治安維持のパトロールを主な任務としている.
(中略)
 チェチェンなどの紛争地帯に近づけば近づくほど,軍事的な特色を持つようになる.

 取材班はロシア南部にある,アビンスクという人口30万人程の街を訪ねた.
(中略)
 私達がここを訪れたのは,アビンスクのコサック軍が義勇兵の派遣に熱心だと聞いたからだ.
 義勇兵はチェチェンで悪行を繰り返したとも伝えられている契約志願兵とは違う.
 契約志願兵は傭兵に近いが,彼らは無償・大義のために自主的に戦場へ行くのである.
 大義とは,もちろん異教徒からスラヴ民族とスラヴの土地を守ることだ.
 一応ロシア政府としては,義勇兵の参加を公式には認めていないし奨励もしていない.
 しかしチェチェン紛争時,ロシアは混乱期にあり,義勇兵が出向くと正規軍が武器弾薬を渡してくれたと言う.
 コサック義勇兵は正規軍の指揮下に入ったり,単独行動したりして,それなりの「戦果」をあげたと言う.

(略)

 やむなくウラジミール・ロゴヴェンコ支部参謀総長に話を聞いた.
(略)
 ただカメラがオンになった時彼は寡黙になり,こう言った.
「何人を派遣したのか機密に関わるので言えない.
 軍の編制,構成員についても言えない.
 チェチェンに行ったとも行かなかったとも言えない」

(略)

 その後本部長はいいものを見せてやると言い,別室に案内した.
 コサックの写真,民芸品,宗教画,歴史書が展示されていた.
 その部屋「記念品」と呼ばれており,お目当てのブツは小さなガラスケースの中に納められていた.
 それは焼け焦げたボロボロの刺繍だった.
 チケリアの文字と,チェチェンのシンボルである狼の絵が刺繍されている.
 片端は激しく煤け,ボロボロになっている.
 戦死したチェチェン兵から剥ぎ取ったものだった.

「誰がこれをもってきたか,その時の状況はどうだったのか,それは言えない.
 言えるのは,誰かが戦場でこれを捕獲し,私達はこのブツがコサックの功績だと思ったから,ここに展示しているのだ」

 本部長はもういいかと言うふうに「戦利品」をガラスケースに戻すと,少しシニカルな笑いを浮かべてこう言った.
「コサックに戦争はつきものだ.
 二つは切っても切り離せない.
 コサックの歴史は戦争の歴史なのだ.
 戦いのない人生はつまらない.
 いすれにしても,エカテリーナU世から頂戴した土地をどうして他人に渡す必要があるのだ?」

-------------引用終了--------------
―――『新シルクロード激動の大地をゆく』上(NHK「新シルクロード」プロジェクト編著,日本放送出版協会,2007.7),p.260

コサック学校を訪問したプーチン
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CRS@空挺軍 in mixi,2008年02月03日20:22

 上述の引用文章を読む限りでは,参戦していることはまず間違いないと思われる.
 歴史的経緯があり,物証がある.
 ツッコミが物足りない取材ぶりだが,NHKなら,こんなものだろう.


 【質問】
 チェチェン独立派の兵士って,どれくらいの人数いたのでしょうか?

 【回答】
 第一次チェチェン紛争勃発時のチェチェン軍は以下のとおり.
現役兵:5千〜6千人,
予備役:1万人以上
 編制は「旅団」*2,「連隊」*7,「大隊」*3で,4人の野戦軍司令官に分属.

 第一次チェチェン紛争中期1995年3月のチェチェン軍は以下のとおり.
現役兵:9千人(うち外国人傭兵350人),
その他不明

 第二次チェチェン紛争前のチェチェン軍兵力は以下のとおり.
現役兵:2万2千人
予備役:1万人
非正規武装勢力:不明

 編制は以下のとおり.

大統領防衛隊:2千人
・突撃大隊*1
・自動車化歩兵大隊(中隊*3,大統領護衛中隊)*1

国防軍:2万人
・戦車連隊(戦車大隊*3,自走砲大隊)*1
・自動車化歩兵連隊(歩兵大隊*3,対戦車大隊,高射大隊)*2
・歩兵連隊*1
・山岳連隊*1
・対戦車連隊*1
・高射連隊*1
・特殊任務連隊(実質はゲライェフの私兵)
・突撃大隊(実質はバサィエフの私兵)

 なお,これは建前であって,実際には充足してなかったり,分散使用したりしてるかと.

 【参考ページ】
http://ir.library.tohoku.ac.jp/re/bitstream/10097/35071/12/kitagawa-Seiichi-09-08-0001%2312-10.pdf

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第1次チェチェン紛争当時のチェチェン軍は,どこから兵器を調達していたのか?

 【回答】
 ソ連軍が大慌てでチェチェン領内から引き上げた際に,武器庫の大半は放置された.
 1991年12月26日,ドゥダエフは,チェチェン領内にある武器は,全てチェチェン所有のものであるとして,持ち出しを禁ずる大統領令を出した.
 この命令により,チェチェン領内にある旧ソ連軍施設の略奪が始まった.
 ロシア議会調書によれば,
「92年5月までに兵器の80%,火器の75%はドゥダエフの戦闘員によって略奪済みだった」
という.
 92年5月28日,ロシア初代国防相グラチョフは,北カフカーズ軍管区指揮官に宛てた電報にて,チェチェン領内にある第173軍事訓練センターの兵器・火器50%をチェチェンに引き渡すことを許可した,
 名目上「引き渡した」ということにして,略奪という事実を隠蔽・容認したとも言える.

 こうして92年8月までに略奪もしくは“引き渡された”装備は,戦車42輌,歩兵戦闘車34輌,対戦車砲89門,火器3800丁と言われる.
 また武器密輸・輸出ルートとして,グルジア アゼルバイジャン アブハジアが挙げられる.
 これらの国を通して密輸・輸出が盛んに行われていた.

 【参考文献】
『ロシア・CIS南部の動乱 岐路に立つプーチン政権の試練』(徳永晴美著,清水弘文堂書房,2003.2)

 【関連リンク】
T-72A Captured by Chechen Forces
チェチェン独立派に使われた鹵獲T-72

CRS@空挺軍 in mixi◆2010年06月06日20:01
青文字:加筆改修部分


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