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(画像掲示板より引用)


 【質問】
 旧海軍が行った北洋警備について教えてください.

 【回答】
秩父丸
笠戸丸を塗りつぶして
積雲益々ひろがり
雷雨オンで
止んで東の空に二筋の虹を見る

 北方漁場で,日ソ間の領海解釈の違いから,その操業は屡々トラブルを起こしました.
 このため,日本海軍はその海域の漁業権を守るため,水産関係者の陳情を受け,駆逐艦を派遣していました.
 ちなみに,日本は領海3海里を,ソ連は領海12海里を主張し,これによる拿捕が結構あった為です.

 1917年,帝政ロシアが倒れると,反革命勢力の白軍と赤軍との内戦が始まり,1920年には有名な尼港事件が起きたり,26漁区での焼き討ち事件などもありました.
 その後,度重なるソ連の監視船の妨害や,武力行使に対し,日本政府が現地政権へ責任を追及すると,シベリア・ソヴェートのアントノーフ臨時政権は,「カムチャツカは我々の知るところではない」と言う声明を発します.

 となると,日本の漁師も黙っておらず,自衛出漁と称して武器を持って出漁し,ロシア人に捕獲された仲間の漁船を発砲して取り返すと言った紛争の情景が,岡本正一氏の『蟹缶詰発達史』に描かれています.

 こうした紛争に対処するため,大湊に駐在する海軍部隊から,旧式駆逐艦が派遣されました.
 この駆逐艦の仕事は,漁船の保護やソ連監視船からの妨害に対応するだけではなく,日本の主張するソ連領海としての沿岸3海里を計測し,その地点に旗付きのブイを設置する作業も行っています.
 つまり,この地点から中に入ると,ソ連領海の侵犯となり,捕まっても文句が言えない,と言う訳.
 しかし,それをソ連側に説明しようと士官を送ったのですが,ソ連船は日本士官の乗船を拒否し,説明文書も中央からの指示が無いと受け取れないとして,書類すら受け取らなかったそうです.

 こうした北洋警備は,水産関係者からの陳情で始まったため,駆逐艦の乗組員は屡々母船を訪れることがあり,その時には士官ばかりでなく手隙の水兵も一緒に母船に乗り組み,歓待を受けたとか.※

 ※ちなみに小林多喜二の『蟹工船』では,北洋警備の駆逐艦の士官が酒食を供応されて酔っぱらって帰艦したり,ストライキをした工船労働者を,着剣した水兵が「不届き者」「不忠者」と罵倒しつつ,艦に連れ去ったり….
 戦後に製作された山村聡監督の映画版『蟹工船』だと,エンディングで水兵が労働者を蟹工船の甲板上で射殺して,軍艦旗が血に染まったり….
 こうした描写は全て嘘なのですが,この文学作品や映画を通じて,〔間違った知識が〕人口に膾炙したケースもあったりする訳で.

 その北洋警備ですが,1932年からは毎年春の出航前に,函館で北洋漁業に関する保護,警備,取締,通信連絡の打合会が開催されました.
 出席者は水産会社の幹部の他,外務省,農林省,逓信省,北海道庁,海軍省軍務局,軍令部と大湊要港部参謀長,駆逐隊司令と駆逐艦長,海軍水路部要員に,函館警察署,水上警察署など総勢100数十名が出席する会合でした.
 会合では,海軍の方から,「領海侵犯した時には速やかに報告し,決して取り繕ってはならぬ事」と言う警告が出され,漁業関係者の方からは,出港船舶,日程,操業区域などが事細かに報告されています.
 海軍の警告は,先述の自衛出漁によって,当局の黙認の下で機関銃を積んで出漁した漁船があったのですが,その機関銃が日本漁船同士の争いに使われたりした苦い経験もあって,漁業関係者の暴走を厳しく戒めるものでした.

 この駆逐艦の派遣は結構効果があり,例えば,漁船の一隻がソ連の監視船が近づいている事を知らせる無線を発信すると,直ぐ様,駆逐艦は速力を上げ,該当海域に向かいます.
 当然,この時には主砲のカバーは取って戦闘態勢に….
 こうした駆逐艦が近づくと,ソ連の監視船は転舵して遠ざかっていったそうです.
 また,ソ連の漁船団もこの海域で操業するのに出くわすこともあったそうですが,こちらの蟹工船には女性が乗り組み,出くわすと手を振ってくれることもあり,華やいだ雰囲気で,和ませてくれたとか.

 ちなみに,高緯度地域では磁気コンパスの修正が屡々必要になりますが,それを面倒臭がって,位置を間違え,カムチャツカの海岸に直角に乗り上げた日本漁船があったそうです.
 普通なら,これで拿捕とか必至ですが,流石に「これは領海侵犯の意図はないだろう」と言って,ロシア官憲も苦笑して見逃してくれたこともあったそうな.

 こうした北方海域での漁業保護は,その後,占守型海防艦に任が引き継がれ,旧式駆逐艦は随伴しなくなりました.

 日本の漁船が引っ張られたから海軍が総員で浦塩まで行って示威行動をした,とかそんな話と言うのは,実は平田晋作が書いた「新戦艦高千穂」にその様な下りがあって,その辺から尾ひれが付いた話ではないかな,と思ってみたりするのですがねぇ.

 駆逐艦波風の艦内新聞「波風新聞」より「工船のエレベータにて詠める」

蟹ならばすぐさま殺られるこの次は
揚がったら甲羅とアンヨは生き別れ
人間で良かった無事に生きてきた

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年04月29日22:25


 【質問】
 太平洋戦争中の日ソ漁業交渉について教えられたし.

 【回答】
 さて,200海里問題で日ソサケマス交渉と言うのが,屡々新聞やニュースを賑わしていましたが,両国の漁業条約は1936年以来更新されていませんでした.
 これは,この年に行われた日独防共協定の締結によって,ソ連側が態度を硬化させた為に依るもので,ソ連との漁業協定は,以後,1年ごとの暫定取決めで年々継続する形を採っています.
 1940年に条約の長期延長交渉が再開されますが,今度は独ソ戦の影響でソ連側がそれどころではなく,結局,尚も暫定取決めを延長する形で放置されてきました.

 先述の様に,1943年になって漸く日ソ間の話し合いが纏まり,佐藤大使とロゾフスキー外務人民委員代理の間で会議が開催されました.

 この中で問題となったのが,以下の2点です.
 第1の問題は,日本側漁区の無競売貸付の問題と,それに関連するソ連側漁業団体及び人民に対する漁業条約の不適用問題.
 第2の問題は,日本人に対し漁業を禁止する入江,湾,地域の問題ですが,12月3日の会議では更にソ連側から,「太平洋に於ける戦争終了まで,日本漁業者がカムチャツカ東海岸漁区を経営しない事を日本政府に於て補償されない」との問題が持ち出されたので,都合3点について話し合いを行う事になりました.

 このうち,第1の問題について日本側は,漁区貸付の為にソ連側に依る競売制度を認める事としつつ,日本側が経営してきた,利権契約によるサケマス缶詰工場附属漁区である特別契約漁区39カ所と,1941年に契約解除に同意した24漁区については,競売適用から除く事,その他漁区は8%をソ連側で競落し得るも,その漁区は日本側から入札を差し控える旨,通報した漁区である事,また普通漁区で工場の存在するもの13カ所は,8%の漁区から除外する事を申し入れる事にしました.

 第2の禁漁区問題は,戦時中の非常措置として,ソ連側の主張を認める事にしました.

 第3のカムチャツカ東海岸漁区の経営を休止する問題については,米国との戦争の為,1942年には東海岸漁区で15カ所を経営したに過ぎず,1943年に全てこれを休漁した点を鑑みて,全て休営する方針を決定しますが,これら漁区に課せられる抵代税(総合課税)の免除,休営漁区の財産はソ連側で監視に任ずる事,缶詰工場は3年連続休業する場合,解約するとの特別契約の規定を適用しない事をソ連側に申し入れる事にしました.

 この申し入れに関して,ソ連側は,まず第3の問題中,抵代税については借区量と不可分の関係にあるとして同意しませんでした.
 次に,第1の漁区競売の場合の条件については,日本側の特別契約漁区39と,工場所在普通漁区13の5年間安定には同意しましたが,ソ連側の競落し得る漁区数は10%を主張し,その他の日本側条件に同意を示しませんでした.
 但し,競売については好意的考慮を払うとの態度を示し,日本側が提示した入札を差し控える漁区表を研究するとして受理しました.

 こうして,日ソ双方の見解が一致に近づいた事から,1944年1月12日からの委員会で議定書と交換公文の案を審議しますが,3月1日にソ連側から対案が示され,更に佐藤大使とロゾフスキー外務人民委員代理との間に調整が行われた結果,3月30日に漁業条約の5年間効力継続に関する議定書と附属交換公文4件の署名が行われました.

 この議定書は,1944年1月1日から5年間に渡り効力を発するとされ,ソ連漁業団体及び人民の漁業経営に関する一切の問題は,専らソ連専管事項とされ,漁業条約や付属文書によって規律されないとされました.
 つまり,ソ連側は条約の束縛を何ら受けなくなった訳です.
 反面,日本側に対しては,アヴァチャ湾,デ・カストリー湾,ソヴィエト湾,セント・オリガ湾,セント・ウラディミール湾,ピョートル大帝湾での漁が禁じられ,抵代税として借区料の30%を支払い,缶詰工場に対する特別報償金の率を魚種により缶詰1函当り12〜25コペイカ,蟹の場合50コペイカと規定されました.
 また,漁区についても,1939〜40年に日本側が経営出来なかった漁区24カ所が閉鎖され,1943年末現在閉鎖された漁区や禁漁区は競売に付せられるとし,但し,競売でのソ連側競落漁区は競売総数の10%を超えないとされ,缶詰工場が設置されている漁区は競売しないとされました.
 最後に,ルーブルと円の換算率については,1940年1月2日のソ連国立銀行の為替相場表に基づき,100円に付き124ルーブル28コペイカとするとして,従来から対ソ支払いの手段となってきたアコ債券の利用が停止され,ソ連の公定相場を以て支払うべき報奨金逓減率を定めました.
 逓減率は大部分について,43%,特別契約漁区のそれは39%とされています.

 1928年に締結された日ソ漁業条約では,日ソ漁業企業とも,平等の基礎に於て規制されたものでしたが,今度はソ連企業が漁業条約から離れ,日本企業のみ規制される事になりました.

 1944年と言えば,日本は彼方此方で退勢に追い込まれ,北洋漁業どころではない状態です.
 結局,これも外交的に押しまくられ,片務的な条約を締結せざるを得ませんでした.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2010/11/19 22:30


 【質問】
 ソ連船舶の太平洋通行問題について教えられたし.

 【回答】
 さて,飛行機問題は大きな問題とはなりませんでしたが,太平洋戦域で,ソ連は中立国,片や最大の援助国である米国は敵国です.
 ソ連の国旗を掲げ,太平洋を渡っている船舶でも,戦争開始後に米国から譲渡された船は国際法上グレーゾーンであり,日本海軍は屡々臨検によってこれを拿捕し,抑留しています.

 例えば日本海軍は,1943年4月28日にカメネツ・ポドリスク号,4月29日にイングル号を抑留しました.

 すぐさま,5月3日にマリク大使が松本外務次官を訪れ,抗議と即時釈放を求めてきました.
 松本次官は,両船は日本海戦法規違反の廉で,取り調べの為に日本の港湾まで回航を命じられたものであり,詳細判明次第回答すると答えました.

 これに対し,マリク大使は,両船がソ連の所有に属し,禁制品の積載もなく,正当な政治関係にある中立国所有戦である為に,抑留される根拠はないし,仮に日本の敵国からの船籍移転が事実だったとしても,ソ連は完全な所有権を有するばかりでなく,船籍譲渡によって敵国はその船舶を自由に処分し得ない事になるので,敵国を強化する結果とはならず,海戦に関するロンドン宣言違反ではないと主張しました.

 松本次官はこの抗議に対して,取調べの為に中立国船舶を交戦国の港まで回航するのは国際法の認める事であり,日本側の措置は適法であり,開戦後の転籍は,日本海戦法規第22条,第23条違反となるのであるが,日本はあくまでソ連との友好関係を保っているので,中立国に対して行使しうる以上の権利を日本海軍が行使するはずもなく,日本は海戦法と国際法に基づいて公正に解決すべく,次官もこの問題で日ソ関係が阻害されない様に努力中であるとしてこの時は,マリク大使を帰しました.

 しかし,5月8日にマリク大使は再び回答を督促してきたので,両船とも太平洋戦争勃発後に米国から転籍した嫌疑が濃厚である為,更に詳細取調べの為,最寄りの日本の港に回航された事を告げ,これは専門家によって詳細を調査中であるので,暫く待って欲しいと回答しましたが,マリク大使はそれに満足せず,即時釈放を要求してきます.
 この申し入れに対し,松本次官は,日本側の見解はソ連側と異なるが,日ソ友好関係に影響する虞があるものは急速に解決したいと述べるに留まります.
 また,5月12日には大使館員2名を現地に派遣したいと許可を求めてきましたが,日本側はこれに応じませんでした.

 一方でこの問題は,クイビシェフの日本大使館にも飛び火します.
 ロゾフスキー外務人民委員代理が,佐藤大使と会合を持ち,書類を以て抗議をしてきたのです.
 これに対し,佐藤大使は日本側の措置は日本海戦法規に準拠する合法的なものであり,それはロンドン宣言に完全に合致し,国際法も認めるものであると反駁すると共に,日ソ両国は親善国に相違ない.
 但し,日本は交戦国の権利を主張せざるを得ないと押収しました.
 因みに,佐藤大使は日本海戦法規が,ロンドン宣言に準拠して制定されたものである事を強調した後,ソ連はロンドン宣言の署名国かを尋ねた所,ロゾフスキー外務人民委員代理は,ソ連は帝政ロシアの調印したその他の国際条約を遵守する限度において,これを遵守する旨を伝えました.

 5月14日,松本次官はマリク大使を呼び出し,事件取調べの結果船舶書類が不備不整頓であり,船長の陳述も要領を得ない為,調査が遅延している事を述べ,それを円滑にする為,ソ連に対し,両船の転籍年月日と両船に対するソ連政府の航行許可年月日を知らせてくれる様申し入れを行います.

 これに対し,ソ連側は転籍年月日と航行許可年月日の何れも通報しないばかりでなく,5月21日にはロゾフスキー外務人民委員代理が佐藤大使を召還して,在東京ソ連大使館員の現地出張不許可を国際法違反であるとして許可の斡旋を要望してきます.

 5月28日も再度,ソ連から回答の督促を要請してきました.
 日本側としても,日ソ関係を考慮して問題解決の為に,ソ連側をして日本側の法律論を納得させた上,両船を釈放することに決しました.
 但し,それに関連して諸懸案,特に日ソ漁業問題,北樺太石油利権問題などの解決を絡める事にしています.

 6月1日にマリク大使が重光外相に対して,両船釈放と館員の出張問題の急速解決を陳情しに来たので,重光外相も,前の情報を速やかに提示する事を要請し,問題は更に考慮の上回答すべきことを約束しました.

 同じ日,クイビシェフでも,佐藤大使からロゾフスキー外務人民委員代理に対し,両船の情報が不備である事から,両船とも日本の交戦国米国からソ連への転籍船であることは明瞭であり,日本海戦法規とロンドン宣言第56条の規定で船舶を処分する事になると通知し,こうした措置を執る前に,松本次官からマリク大使に若干の必要事項を通報する様,申し入れを行ったのに依然として回答が無い事を問題にしています.
 因みに,ロンドン宣言第56条の規定というのは,戦争の開始後船舶を中立国籍に移転した場合には,この移転は敵船という性質から生じた結果を免れる為に行われたものではないと立証されない限り,無効とすると言うもので,更に,次の諸点に該当する場合,つまり,船舶の航行中や封鎖港内にいた場合に行われた場合,移転が買い戻しや返還の条件付で有る場合,国旗の掲揚の権利に関して,国旗所属国の国法で規定する条約を遵守しない場合の3点に抵触した場合は,移転は絶対的に無効と見なされます.

 とは言え,日本はソ連との友好関係も大事であり,本件に関する法律の厳格な適用を避ける事を顧慮し,その結果が友好関係増進に寄与するのであれば,本件を大局的見地から政治的解決に導く用意がある事を内報してきたと伝えさせ,更に中立条約の厳守と,日ソ間諸懸案の解決に協力する事も申し入れています.

 これに対し,ロゾフスキー外務人民委員代理も法律論の上下は適切ではないので,中立条約厳守に関する申し入れを受入れるとし,政治的解決に同意して,その実行方法について大使の意見を求めました.
 佐藤大使は,モロトフ外相が日本側申し入れに賛意を示すのであれば,こちらから両船の即時釈放を政府に進言したいので,ソ連側に急速な回答を求め,同時にソ連側も諸懸案,特に利権関係の諸懸案解決に協力されたい,と希望を述べました.

 ところが,この硬軟織り交ぜた日本側の提案は,6月4日にモロトフと会談した際に手渡された覚書では全く顧慮されず,強硬に両船の即時釈放と,日本側への一方的な批判を行うだけになっていました.
 しかも両船の抑留と拿捕が,石油利権に関する諸問題を日本側に有利に解決する為に利用するものであったと,完全に見透かされていた訳です.

 当然,佐藤大使もソ連側は自己の見解に固執しているが,日本側も交戦国の権利の主張に固執するものであると応酬し,ただ,それでは何時までも合意に達しないので,政治的解決を提案したのだと反論しました.

 しかし,モロトフはなおも譲らず,ソ連側は日本との友好関係を希望している上に,ソ連は日本船を抑留した事が無いのに,日本側は不法にソ連船を抑留している.
 それを解決するのに政治的解決を図ろうとしている上,将来に事件を防止する為の保証が全くない訳で,日本政府こそ中立条約に違反するものであると主張しました.

 このため,佐藤大使は,両船の抑留については,国際法の原則としてロンドン宣言があることを指摘しましたが,モロトフはロンドン宣言第56条の規定が適用されるのは,移籍が交戦国船舶である事を隠そうとした場合に限られるのであり,今回はこの規定を適用し得ない.
 また,こうした事件は将来も発生する可能性があるので,この事態を甘受し得ないと反駁しました.
 佐藤大使も,抑留事件などの懸案の解決で,日ソ関係の解決を図ろうとしているものだと反論しましたが,モロトフは,その政治的解決は法的根拠がない為であり,ソ連側は船舶の無条件即時釈放を求めるもので,これ以上忍耐し得ないと述べ,佐藤大使も,ソ連側の覚書の趣旨は,日本側の法的根拠を一蹴し,即時無条件釈放を求めるものであり,日本側方針と懸隔甚だしく,大使の有する権限を逸脱するので,政府に報告する必要がある,と答えて,遂に会談は物別れに終わってしまいます.

 こうしたソ連側の強硬な態度の為,日本側も対抗措置を考えざるを得ない状態になりました.
 とは言え,ソ連との友好関係も大事であり,6月15日,改めて佐藤大使はモロトフの元を訪れ,この問題に対し,日本政府はソ連の法律論に同意しないばかりでなく,ソ連側の解釈に同意も出来ないが,日本政府はソ連側の対日友好関係の維持と中立条約尊重の意向を承知したので,両船を釈放する事に決したと述べました.

 モロトフは,なおも自説に固執し,両船は太平洋戦争前に転籍されたものであると述べましたが,それは聞き置くと言う事で,この事件は6月28日に両船が釈放される事で漸く解決しました.

 なんか,この辺りの動きを見ていると,この前の中国漁船釈放の話をなぞっている様な感じを受けますね.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2010/11/16 23:54

 さて,昨日はイングル号とカメネツ・ポドリスク号の抑留について書きましたが,折角,外務省の尽力で釈放されたのにも関わらず,日本海軍の臨検船は非常に優秀で…どちらかと言えば,外務省に対する海軍の嫌がらせに近い様な印象を受けますが…,釈放前の6月25日にも,ノギン号が戦争開始後の転籍容疑で抑留されました.
 7月3日,再びマリク大使が松本次官にその釈放を要求すると共に,日本海軍の措置については佐藤大使の言明と異なると抗議してきました.
 また,モスクワに於ても,佐藤大使がモロトフから,こんなに頻発するのでは際限がないと苦情を言われ,この様な事件が反復発生するのであれば,ソ連の利害を害し,中立条約に反する事になるとして,日本側からの将来の保障について確言を要望しました.
 佐藤大使は,一旦政府に照会すると回答し,この場はそれで収まりました.

 しかし,7月8日に再び佐藤大使に対し,モロトフ外相が日本側の回答を督促すると共に,抑留後2週間以上も回答が無いのは,日本政府をして中立条約があると雖も,正常関係にあるのだろうか,と疑問を呈されました.
 しかも,その間7月20日にはドヴィナ号が新たに抑留されて,大泊に回航されると言う事件も起きています.
 この問題も長らく放置され,遂に痺れを切らせたソ連側はロゾフスキー外務人民委員代理から,佐藤大使に宛てて,長文の覚書を提示してきました.
 その内容は,こんな感じです.
「モロトフが佐藤大使に問題の善処を申し入れ,東京でもマリク大使が松本次官に対し,同船の即時釈放を求めたのに対し,日本政府は未だに問題の解決を図っていない.
 更に,7月20日には,新たにドヴィナ号をも抑留している.
 両船の抑留は中立条約の違反であり,ソ連政府はこれに抗議する.
 ソ連政府は,その両船が抑留されている事により,ソ連海運が被った損害の賠償請求の権利を留保しながら,両船の即時釈放と今後の抑留を抑止する旨の,日本政府の保障を要求する」

 佐藤大使は,日本側の措置は交戦権発動に伴うものであり,日本が交戦国の権利を将来に対して放棄する事は困難であり,ソ連に特恵措置を与えると,他の中立国全てにも適用しなければならないと反駁すると共に,釈放に向けて鋭意努力中である事を述べます.

 しかしロゾフスキー外務人民委員代理は,両船がソ連の所有に帰しており,尚且つ日米開戦前に購入された船舶である事を主張し,中立条約の違反となる様な抑留問題は速やかに調整するべきであり,ソ連が将来の保障を求めるのは当然であると繰返します.

 これに答えて,佐藤大使は,ソ連側が中立条約に規定する友好関係の維持を言うのであれば,北樺太に於ける日本の利権に対するソ連側の圧迫に言及し,これは日ソ関係に悪影響を及ぼしているとして,ソ連側にも注意を喚起しました.
 8月13日,やっと佐藤大使はロゾフスキー外務人民委員代理に対し,ノギン号の釈放決定を通告します.

 しかし,ロゾフスキー外務人民委員代理は,日本政府の将来の保障をなおも要求してきました.

 そこで,大使は5点を挙げて,将来の保障を与え得ないとした日本の主張を繰返しました.
 第1に,ソ連が米国から船舶の転籍を受ければ,それだけ船舶の余裕を与える事になる.
 これは,米国が援ソ物資を米国船によって輸送すると,日本の攻撃を受ける事になるが,ソ連船にすればその危険がない為,米国は撃沈されるべき自国船の補充をする必要がないので,それだけ船舶に余裕を生じると言う訳です.
 第2に,今後転籍船の増加に伴って,日米交戦地域とソ連領内に多量の米国製武器弾薬などの蓄積される結果となるかも知れず,それが日本の脅威となり得る.
 更に,この点については,米国人が多数ソ連アジア領に入り込むかも知れないと懸念しています.
 第3に,転籍船はソ連国旗の下に,主として米国人たる船員によって運航される可能性が絶無と言えず,この点について日本側には何らの保障もない故に,これも亦日本にとって脅威になり得る事.
 第4に今後,転籍船がどれくらい増加するか,日本側は判らない.
 最後に,ソ連以外にも中立国はあり,ソ連だけに対し,日本の重要な権利を例外的に放棄し得ない.

 なお,佐藤大使は,ロンドン宣言第56条の解釈については,日本側は自説を堅持するものであり,交戦国当然の権利を米英と乾坤一擲の戦争をしている現在,到底放棄し得ない.
 従って,将来に対する再発防止に関しては,日本側から防止の可能性を提供するを得ないので,ソ連もこの種転籍船の仕様を差し控えてくれる事こそ,再発防止の唯一の方法であろうと付け加えています.

 これに対し,ロゾフスキー外務人民委員代理は,佐藤大使は種々の論拠及び想定を,構えて不正当な結論を下しいる所,日本側ではソ連が中立条約を毫も侵犯していない事を確言しているので,この様な想定は将来の保障を与え得ないとする日本にして,初めてなし得る事であろうと述べ,ロンドン宣言第56条についても,兎に角政府に報告すると述べましたが,佐藤大使は,これらの説明は,日本政府が留保する交戦権の問題であるが,不幸にして同種事案が発生した場合,日本側も日ソ友好関係を考慮しながら政治的にこれを解決する可能性がないというものではないと回答しています.

 この問題については,8月24日にもモロトフ外相が佐藤大使に対し,種々将来の保障を要求してきましたが,大使は日本側としては,ロンドン宣言の認める交戦権を放棄し得ない次第で,ソ連に対しても同様瀬有るが,それは中立条約に基づく日ソ関係を悪化させようというものではなく,日本官憲も既に数度の前例を経ているので,それによって善導されるであろうから,兎に角将来を見られたく,友好関係の維持については,ソ連側の態度如何についても大きな関係があると述べ,交渉を打ち切りました.

 何しろ日本政府は,松岡元外相の勝手な暴走の後始末を優先させたかったからです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2010/11/17 23:42


 【質問】
 日ソ間の,津軽海峡と宗谷海峡の通航問題交渉について教えられたし.

 【回答】
 太平洋戦争中,日本とソ連は末期に至るまで真っ当に外交交渉を行っていた関係でした.
 このうち,日本とソ連が対立する場合は,大抵が津軽海峡と宗谷海峡の通航問題です.
 日本側が設定した航路帯では,安全航行が認められないとして,ソ連は常に両海峡の通航を求めていました.

 1943年1月30日,ロゾフスキー外務人民委員代理は,佐藤大使を外交当局に呼び出し,当時進行中だった日ソ漁業交渉暫定取決めに関連させ,日本側の両海峡通航問題についての回答を正常な航行の安全を保証し得ないものであるとして,両海峡通航を許可せよと迫ってきました.

 佐藤大使は,漁業交渉と船舶通航問題は全く別問題であると応酬しましたが,ロゾフスキーは漁業条約そのものが既に1936年で失効し,以後は暫定取決めで効力が延長されているだけであるから,漁業交渉は条約上の問題ではないとし,他方津軽海峡通航問題は,津軽海峡は日本の内海ではなく,2個の公海を結ぶ海峡であるから,之を閉鎖するのは国際法上違法である,その閉鎖によってソ連が経済上の損害を被っているのであるから,同じく経済的性質を持つ漁業交渉に影響するのは当然であると言う,従来の立場を繰返し主張しています.
 これに対し,佐藤大使は,漁業条約は暫定取決めによって条約自体が存続しているものであると解釈されるので,ソ連側の言う2つの問題に関連性は無いと主張しました.

 事は一旦収まりましたが,2月3日,今度は舞台を東京に移し,マリク大使が谷外相を訪問し,冬期の宗谷海峡の通航は絶対に困難であるとして,ソ連政府の主張を繰返しました.
 対して谷外相も,日本側の立場を強調したのですが,日本政府は宗谷と対馬の両海峡の通航に最大の好意的取り計らいをしたのだから,これを利用されたし,との勧告を発しています.
 翌日もソ連大使館から,ソ連船6隻が宗谷海峡で流氷に閉ざされているが,これに対する損害と危険は日本側に責任があると外務省に伝えてきて,津軽海峡の通航を重ねて要請してきます.
 これに対し,外務省は再びソ連の言う責任は日本側にはないと強調し,津軽海峡の通航について許可出来ないのは,軍事上の理由によるものであると応酬しています.

 一方,クイビシェフでも,ヴィシンスキー外務人民委員代理を他用で訪問した佐藤大使に,6隻の為に砕氷船を急派しており,場合によっては食糧支援を求めるかも知れないと述べ,佐藤大使に対し,津軽海峡通航問題の解決斡旋を依頼してきました.
 丁度この頃,日本側は,シベリアからトルコ経由で渡欧しようとしていた日高大使一行の為にソ連通過査証を発給する交渉中でした.
 ソ連側は,日本側請求の18名の査証発行に異議はなく,乗船の撃沈や事故の為に香港に在留していたソ連船員30名の帰還についての,上海・満州経由の査証を請求することで合意が図られていましたが,2月に突然,査証発給を海峡通航問題に絡めてきました.
 このため,日本側では日高大使の査証発給が為されるまで,船員の出発を差し止めます.

 この小競り合いは,ソ連側が2月5日に日高大使他9名に対し,査証を発給する事になり,残りの陸海軍武官8名分の査証も,2月10日に佐藤大使がヴィシンスキーを来訪して督促と,通航問題に関する改めての日本政府の考え方を伝えて,ソ連側が矛を納める形で収束します.
 〔略〕

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2010/11/14 22:19


 【質問】
 武装日本商船のソ連港湾入港問題とは?

 【回答】
 さて,1944年,北方のアリューシャン列島が奪還されると,その地を基点にした,千島方面への侵攻作戦が懸念されました.
 従って,北樺太やカムチャツカに向かう日本船も,自衛の為に火器を搭載する事が必要になってきました.
 ただ,これらの船舶がソ連の港に入る場合に起こりうる紛議を避ける為,予めソ連側の了解を得る必要がありました.

 5月19日,佐藤大使はロゾフスキー代理に対し,此の事についてソ連側に於て誤解の無い様希望すると共に,ソ連領事がこれに対する必要な許可を与え,かつ現地官憲に対しても何ら誤解を生じない様手配されたい旨を申し入れます.
 これに対し,ロゾフスキーは,問題は複雑であり,武器を搭載した船舶は単なる商船又は漁船と異なるので,関係機関及び条約部とも協議する必要があると述べました.
 よって,佐藤大使は,重ねてその武装の目的は自衛にある点を強調し,ソ連領海内ではソ連側の指示に従い,或いはその武器の封印を行うなどの措置を執っても差し支えない旨を述べますが,ロゾフスキーはそれには回答しませんでした.

 6月3日,佐藤大使はロゾフスキーに呼び出され,ソ連政府としては漁業送込み船舶が武装してソ連諸港に入港しない事を希望しない旨を答えてきました.
 そこで大使は,戦時状態下に於て船舶の武装が絶対必要であるのに鑑み,ソ連側で再考される様要望しますが,ロゾフスキーは日本の対米英戦に対するソ連の厳正中立の立場を説いて動きませんでした.

 6月27日,ソ連外務人民委員部ジューコフ極東部長は,駐ソ日本大使館の亀山参事官を呼び出し,以下の書簡を渡します.

――――――
 ロゾフスキー人民委員代理は日本大使との会談に於て,ソ連政府は日本の対米英戦に厳格な中立の立場を維持するものであり,この見地からソ連政府は,何人に属する武装船舶たるとを問わず,ソ連の港に入る事に反対する旨を述べた.
 ソ連政府のこの明白な声明にも関わらず,6月14日,日本船金津丸は大砲及び機関銃により武装してオハに入港した.
 右に関し,ソ連政府は日本政府に対し,日本武装船舶のソ連港へ入港する事の望ましくない事を想起するものである.
――――――

 亀山参事官は,開港場であるオハへの入港については,前年もソ連側から異議の申し出が無かった事を述べますが,先方はこの問題に対し,ロゾフスキーの声明以外何ら付加する事が出来ないとの態度を示しました.

 ところが,7月5日,現実的な問題が発生します.
 日本船神明丸が,カムチャツカ・オゼルナヤ漁場の沖合であるソ連領海内で碇泊荷役中,領海に侵入してきた米潜水艦によって撃沈されると言う事件が発生したのです.
 此の事については,ソ連側もモスクワに於て,国籍不明潜水艦による撃沈事件であるとして,日本政府に通報してきました.

 7月19日,佐藤大使はロゾフスキーに対し,次の声明を手交します.

――――――
 日本政府は,国籍不明の趣である潜水艦による日本船・神明丸の撃沈に関する7月8日のソ連政府の通報に接し,7月5日ソ連領水内に於て行われた同船攻撃に関する一切の状況を仔細に検討した.
 その結果,日本政府は,この不法攻撃は米国潜水艦の所為とする結論以外に到達するを得ないものである.
 右に関連して,次の事項は特に注意を要する.
1. 千島以北のオホーツク海に於て,最近多数の米国潜水艦が現認された.
  特に7月5日乃至7日の間に於て,右潜水艦の数は9隻に達した.
2. 右米潜水艦は特別の電波発出方法を使用しており,右は他の海域に活動する米潜水艦のそれと明瞭に
  異なる特徴を有する.
  右の事実からして,オホーツク海で活動している米潜水艦は特殊の任務を有する者と判断しうる.
  7月5日日本船攻撃後3時間にして,この攻撃を行ったものと推定される1米潜水艦から,その基地に宛て
  た前記特別の方法による無線通信を聞き得たが,更に日本時間同夜12時同性質の通信が反復されるのを聞いた.
3. 現地日魯会社代表の在ウラジオストック日本総領事館に宛てた電報には,攻撃を行った潜水艦は米国の
  ものである事を明白に記載しており,右は現状に於て何人もこの攻撃が,米潜水艦の所為である事に
  つき,疑念を有しなかった事を思わしめる.

 本件攻撃は,ソ連領水内で白昼日本の1船舶に対して行われたものであるが,日米両交戦国に対し厳正中立を維持せんとするソ連政府の明白な要望に従って,この船舶はソ連領水に入るに先立ち一切の防御的武器を撤去していたものである.
 日本政府は右ソ連側の要望に副うに当たって,ソ連政府に於て如何なる交戦国に属する事を問わず,一切の武装船舶を自国領水に立ち入らしめず,かくしてソ連領水に於ける中立を侵害する,この敵対行為の行われる事を防止する為,一切の必要な措置を講ぜられるべき事を期待した次第である.
 上記の次第に鑑み,日本政府はソ連政府に対して先の要望を提出する.
1. ソ連政府は米国政府に対し,ソ連領水の中立を尊重すべき旨の保障を要求されん事を望む.
  日本政府はこれを期待すると共に,ソ連政府が右米国政府に対する申入れの結果を通報されるに
  於ては,これを多とする.
2. 漁業経営の為,又オハから石油積み出しの為,ソ連領水にある一切の日本船舶の安全を将来に亘って
  保障する為,ソ連に於て今後有効な措置を執られたい.
――――――

 これに対し,ロゾフスキーは,神明丸の遭難に際しては第1報に接するや,モロトフの意向で直ぐに日本大使館に通報したものであること,また,損害は神明丸のみならず,ソ連側にもオビ号が撃沈される被害が生じた事,潜水艦の国籍は今日まで確認し得ない事,日本側要望の中でソ連側からする対米申入れの件だけは,日ソ間で審議すべき問題の範囲を逸脱する故にソ連側として受諾困難な事,その他に関しては周到な注意を以て審議すべき事などと回答します.

 8月8日,佐藤大使はロゾフスキーに対し,神明丸事件に再び言及して,まず,神明丸撃沈は米国潜水艦の攻囲である事は殆ど疑いの無い事なので,ソ連政府は米国政府に対し,ソ連領水の中立尊重について申し入れられるであろうか,次いで,漁業及び石油積込みの為,ソ連領水内にある日本船舶の安全保障が為されるのであろうかと言う2点を尋ねます.
 それに対し,ロゾフスキーは最初の点は既に日ソ間の交渉題目になり得ない事を述べ,それはソ連政府の見解でもあると言い,保障の点については,攻撃した船舶の国籍が判明しない為解決困難であり,ソ連領水内の安全についてはこれを保障した事例も無く,ソ連側はその領水を防衛し警備しているが,然りとてその安全を保障し得ないと答えるに留まります.

 その煮え切らない回答に対し,佐藤大使は,神明丸事件はソ連領水内の出来事であり,ソ連領土内で中立国人が保護される事と同様であるべく,その意味で日本船舶の安全確保を依頼した次第である事,及び撃沈が米潜水艦の行為である事は何人も疑わない事を重ねて説明しますが,ロゾフスキーはそれに対し,ソ連領水内で戦闘行為乃至衝突などを防止する為に能う限りの方策を採って警備しているが,事件は突然で有りこれは明らかにし得なかったこと,船舶を一々警備することは不可能であり,またその様な義務は課されていないこと,日本の警備区域に於てもソ連戦が撃沈されたことなどを述べて反論しますが,佐藤大使も,公開に於ける撃沈ならば日鵬丸の如く日本側は何人に対しても抗議し得ないし,ソ連船の場合も又同様であるが,忠神明丸の場合はそれらと趣を異にすると説きます.

 結局,ソ連側はそれ以上に答えず,神明丸の一件は有耶無耶になってしまいました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2011/08/15 22:41
青文字:加筆改修部分


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