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 【link】

「VOR」◆(2012/04/16) 日本軍731部隊 細菌戦の被害者遺族,日本で集会


 【質問】
 戦後,米国は731部隊関係者をどう援助したのか?

 【回答】
 報道によれば,情報提供の見かえりに報酬を与えるなどしていた,という.
 以下引用.

731部隊に現金供与 米,細菌兵器開発を優先

 【ワシントン14日共同】第2次大戦中に中国で細菌による人体実験を行った旧関東軍防疫給水部(731部隊)の関係者に対し,連合国軍総司令部(GHQ)が終戦2年後の1947年,実験データをはじめとする情報提供の見返りに現金を渡すなどの秘密資金工作を展開していたことが14日,米公文書から明らかになった.
 総額は,国家公務員(大卒)の初任給ベースで比較すると,現在の価値で2000万円以上に達する.

 人体実験で3000人ともいわれる犠牲者を出した同部隊をめぐっては,GHQが終戦直後に戦犯訴追の免責を約束したことが分かっているが,米国が積極的に働き掛ける形で資金工作を実施していた事実が判明したのは初めて.文書は,米国が731部隊の重大な戦争犯罪を認識していたにもかかわらず,細菌兵器の開発を最優 先した実態を記している.

(共同通信,2005/8/14)

GHQが731部隊関係者に現金 人体実験データの代価

 文書は四七年七月十七日付のGHQ参謀第二部(G2,諜報部門)=肩書は当時,以下同=のウィロビー部長のメモ「細菌戦に関する報告」と,同月二十二日付の同部長からチェンバリン陸軍省情報部長あて書簡(ともに極秘).神奈川大の常石敬一教授(生物・化学兵器)が米国立公文書館で発見した.
 両文書によると,ウィロビー部長は,七三一部隊の人体実験を調べた米陸軍省の細菌兵器専門家,フェル博士による部隊関係者への尋問で
「この上ない貴重なデータ」が得られたと指摘.「獲得した情報は,将来の米国の細菌兵器計画にとって最大限の価値を持つだろう」
と,G2主導の調査結果を誇示している.

 具体的な名前は挙げていないものの「第一級の病理学者ら」が資金工作の対象だったと記載.一連の情報は金銭報酬をはじめ食事やエンターテインメントなどの報酬で得たと明記している.
 陸軍情報部の秘密資金から総額十五万−二十万円が支払われたとし「安いものだ」「二十年分の実験,研究成果が得られた」と工作を評価している.
 当時の二十万円を国家公務員(大卒)の初任給ベースで現在の価値に置き換えると二千万−四千万円に相当する.

 GHQ中心の調査は,フェル博士が四七年六月に中間報告をまとめた後も別の専門家が継続.四七年末の別の米軍資料は総額二十五万円が支払われたとしており,資金工作がその後も続いた可能性を示している.

(中日新聞,2005/8/15)


 【質問】
 この問題を扱った訴訟では,
・遺棄もその後の放置も違法として国側に賠償を命じた判決(東京地裁03/09/29)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/hannketu0308.htm#dokugasubaisyou
・遺棄は違法であるが回収は困難であり賠償責任はないとした判決(東京地裁03/05/15)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/hannketu0301.htm#dokugasu
といった判断が示されています.
 もちろん地裁段階であり確定したものではないわけですが,「日本には法的な責任が無い」と断定するのは(現段階では)誤った表現ではないでしょうか?

 【回答】
 日本が「化学兵器禁止条約」に則って,処理しなくては成らないものは日本軍が遺棄したものだけである.
 法的責任があるのは,この範囲内のものに限られる.

 まず,日本が批准した化学兵器禁止条約(CWC)の中で,日本軍が遺棄した化学兵器は「遺棄化学兵器」に分類されている.
 締約国はこの条約に従い,他の締約国の領域内に遺棄したすべての化学兵器を廃棄することが義務付けられている.(第一条3項)
 これに伴い日中間では遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書の署名を行い,日本が処理を行っている.

化学兵器の開発,生産,貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bwc/cwc/jyoyaku/pdfs/05.pdf

 ところで日本は,昭和二十年八月,連合国のポツダム宣言に基づいて無条件降伏した.
 そのポツダム宣言は降伏の条件の一つとして,完全なる武装解除を挙げ,日本軍は毒ガス弾を含む全ての武器・弾薬,施設を没収された.
 武器・弾薬,施設などについて,日本国,日本軍は所有権,管理権が及ばなくなったのである.
 つまり現在,中国にある旧日本軍の毒ガス弾は,中国の同意を得ないで遺棄したものではなく,連合国に没収されたものであり,CWC“遺棄化学弾”に該当するのかどうかは疑問がある. 同条約の定義によれば
「一九二五年以降,いずれかの国が他の国の領域内に,その国の同意を得ないで,遺棄した化学兵器を遺棄化学兵器という」
とされているからである.
 もし中国側が遺棄化学弾だというならば,それらが遺棄されたものであることを証明しなければならないだろう.

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2003/10/post.html

 東京地裁03/09/29判決は,
「旧日本軍が日中戦争終了前後に中国本土に遺棄した毒ガスや砲弾がその後数十年を経て漏れ出したり,爆発したりした3つの事件」
についての事例である.
 東京地判H.15.9.29の方も,日本軍が遺棄した毒ガスであると認定されている.
 で,毒ガスを放置していることが継続的な不作為による違法な公権力の行使にあたるとして,国賠法上違法と判断されている.

 すなわち,2事例共に,「日本軍が遺棄した毒ガスである」との認定がまずある.
 したがって,中共が日本に処理させようとしている,敗戦で武装解除時に人民軍に引き渡したもの,中共が生産,購入したものまで日本に処理責任があることを証明するソースとはならない.

(FAQ BBS)

 この問題の最大の争点は,「日本製であるか否か,遺棄化学兵器であるか否か」の二点ですね.

 そもそもの問題の始まりは1945年8月15日にポツダム宣言を受託した事に端を発します.
 そのポツダム宣言には

九 日本國軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復歸シ平和的且生産的ノ生活ヲ營ムノ機會ヲ得シメラルベシ(「ポツダム」共同宣言)

と,日本軍に対する完全な武装解除が書かれており,これに基づき日本軍は各地で連合国側の武装解除を受けています.
 ここで重要なことは武装解除された武器弾薬等は接収側の連合国の所有・管理下に入り,日本側の所有権・管理権は及ばなくなった点です.

 武器を引き渡した相手については,中国大陸の支那派遣軍約百万においては蒋介石の国民党軍,満州の関東軍約五十万はソ連軍に,朝鮮半島の朝鮮軍は38度線より北側はソ連軍,南側は米軍に引き渡したものと思われます.
 また,中国大陸の一部においては,共産党軍の武装解除を受け引き渡した例もあるようです.
 これらの武装解除は,終戦から僅か2ヶ月後の1945年10月16日までに完了し,同日にはGHQ総司令官マッカーサー元帥が「日本軍武装解除完了声明」を発表しています.
 終戦時日本本土以外に約350万の兵力があったとされ,更に本土に同数程度の兵力があったとされていますが,これら700万兵士の武装解除が僅か2ヶ月程度で完了したこと,また西村慎吾代議士のホームページの「慎吾の時事通信」平成15年9月30日号によれば,西村事務所の秘書の方が防衛研究所で台湾派遣軍と海軍の作成した詳細な武器引渡しリストを入手したそうです.
 そこには毒ガス弾を何発引き渡したと記載されていたそうですから,他の日本軍も部隊ごとに武装解除を受けた際には詳細な武器引渡しリストを作成して,整然と引き渡し武装解除を行ったため2ヶ月で終えることができたと考えるのがもっとも合理的ではないでしょうか.

 また,中国大陸の特殊な事情として,日本軍降伏後の中国では国共内戦が本格化し,国民党・共産党共に日本軍の武器を必要としていた――中共軍に至っては,後の朝鮮戦争まで旧日本軍の武器を使用していたとする資料もある――から,武装解除と武器引渡しは短時間に行われた可能性が高いでしょう.

 と言うことで,前述のように支那方面軍は国民党軍に,万里の長城以北の在満関東軍はソ連軍に武装解除され,武器弾薬の一切の所有権・管理権は接収側に移ったのです.

(多事某論)

 そこから先の接収兵器の行方ですが,ハルビン協定やモスクワ協定によってソ連軍から毛沢東軍へ引き渡された,という説もありますが,未確認のようです.
 この点は,国会における以下のやりとりに端的に見られる通りです.

○山谷えり子君 ソビエトと中国共産党の間で,一九四七年から四八年の間,ハルビン協定,モスクワ協定が結ばれました.この中に,敗戦した日本軍の武器を二回に分けてすべて提供すること,ソ連の日本軍から接収した満州の弾薬や軍用物資も安い値段で中共に提供することというのがあるやに聞いております.同意を得てソ連,そしてそこから中共に渡った.相手に引き渡したと解釈できることもまた学説としてあるわけでございまして,遺棄したと主張する立証責任は中国側にあるんじゃないんでしょうか.
○政府参考人(西宮伸一君) 私どもといたしましては,旧ソ連からいろいろ提供されているということを確実に裏付ける資料の存在がないものというふうに承知しておるわけでございます.
○山谷えり子君 日本の武装解除により中国側に引き渡された兵器は現在の貨幣価値にして数兆円とも言われております.管理責任は中国にあるのではないでしょうか.普通,武器一式,書類,数量,保管場所を武装解除のときそろえて渡すはずですけれども,関東軍のものは日本にはないということなんですか.
○政府参考人(西宮伸一君) 政府といたしましては,平成十五年に化学兵器と思われる兵器,これは手投涙弾などでございますが,を含む引渡し目録と題されている資料が存在していることだけを確認しておるわけでございまして,この中身は,旧日本海軍の第二復員局作成とされるリストでございますが,その中で触れられている武器は手投涙弾等約四千六百発でございまして,それ以外の資料については我々存在を確認しておりません.
○山谷えり子君 関東軍のものはソ連に渡っている可能性もありますし,また中華民国に対するものは台湾に残っている可能性があります.また,当時の関係者がまだ御存命ですけれども,その辺は問い合わせられたんでしょうか.
○政府参考人(西宮伸一君) 政府といたしましては,化学兵器禁止条約に従って忠実に遺棄化学兵器を処理する観点から,できる限りのいろいろな情報収集をしておるものと理解をしております.
○山谷えり子君 なぜ日本だけがこれをしているんでしょうか.ベトナム戦争でアメリカはどうだったのか.イラン,イラクはどうだったのか.中越戦争で中国は化学兵器を使用したと思われますが,そのほかの国々はそのような処理の条約,約束をしておりませんが,なぜでしょうか,日本だけというのは.
○政府参考人(天野之弥君) お答えいたします.
 これまで化学兵器禁止条約にのっとって自国の領域内にある遺棄化学兵器について申告を行った国は,中国のほかイタリア及びパナマでございます.ただし,先生御指摘のとおり,中国以外の二国については,いずれかの国が当該化学兵器を遺棄したとの申告は行っておりません.
 なぜ日本のみが自ら申告し,廃棄の義務を認めたかということでございますけれども,これまでの日中共同現地調査における専門的な鑑定の結果,中国国内には旧日本軍の化学兵器が存在していることが確認されております.他方,これまでの累次にわたる調査の結果,これらの化学兵器を旧日本軍が残置することについて同意したということを示す根拠は見いだされておりません.したがって,条約上,このような化学兵器は我が国が遺棄した遺棄化学兵器に当たり,我が国はこれを申告し廃棄する義務を負うものと考えております.
○山谷えり子君 根拠を見いだせておりませんとおっしゃいますが,もう少しまじめに根拠を探していただきたいというふうに思います.
 町村外務大臣,遺棄という言葉が先行していないでしょうか.また,中国側二百万発と言っている.日本は最初七十万発と言いましたが,調べてみたら三,四十万発ではないかというふうに今言われております.また,当初の予算は二千億円だったのが今一兆円,あるいは複数箇所で建設,処理施設を建設というようなことも中国側からは言われているとも聞いておりますけれども,いずれにせよ条約は発効しているわけで,条約の目的は遺棄化学兵器の処理で,中国への経済援助ではございません.将来に禍根を残さないような十分な検証作業をしていく必要があると思いますし,また中国側に説明を求める必要もありますが,どのような姿勢で今後臨まれていらっしゃいますでしょうか,いかれますでしょうか.
○国務大臣(町村信孝君) この問題につきましては,化学兵器禁止条約に従って日本が必要な資金負担をするということになっているわけでありまして,今委員からは経済援助ではないよという御指摘がありました.それは正にそのとおりであろうと思います.
 実際,どのように経費が掛かっているか,使われているかということについては,外務省の職員が作業現場で,何台の車が来て,何人の人が従事してという現場を見ながら,彼らの必要,掛かった経費というもののその妥当性をチェックをすると,もちろん書類上のチェックもするというようなことで,請求内容というものを精査して対応していくということをやっておりますので,向こうからとにかくつかみでどんと請求があって,それを全部払うというようなことをやっているわけではございません.
 また,何万発というのは確かに必ずしも決め手のある話ではないとは思われますが,一応我が方からは幾つ幾つということを言いました.しかし,実際ここにはどのくらいあるだろうと推測をしながら作業をしてみると,それより少なかったりする場合もあるし,より多く出てくる場合もあるということなものですから,あくまでもこれは推計としてこの程度があるのではないかということで,実際そこは作業をやってみないと分からないという部分も現実にはあるようでございます.
○山谷えり子君 中国の作業者に平均,日当,日本は数十ドル払っているんですが,本人たちに支払われた額は百三十円.外務省はちょっとおかしいんじゃないかと言いましたところ,中国側はちゃんと答えていないということもあるわけでございまして,もう少し明細書もしっかりともらうようにしていただきたいと思います.
 また,その遺棄の定義があいまいであるということについてはどのようにお考えでございましょうか.
○政府参考人(西宮伸一君) 今大臣からお答えした点の繰り返しになるかもしれませんが,経費の内容につきまして透明性の確保が必要不可欠であることは御指摘のとおりだと存じます.この点につきましてはいろんな場で中国側に強調しておりますが,先ほど大臣からもやや細かめに言って,答弁申し上げましたように,我々といたしましても,中国政府から必要な経費として提示された請求に対しては,請求内容をよく精査して中国側に確認しているところでございます.
 それから,化学兵器の遺棄の定義そのものは先ほど来ございますけれども,実際の化学兵器の処理に当たりましては,中国で発見される化学兵器が旧日本軍のものであるかどうかを判断するということは非常に重要でございまして,そのために現地調査を行っておりまして,専門家による鑑定等により旧日本軍のものと確認された場合に日本側がその処理のための措置を行っておるわけでございますけれども,この専門家による鑑定といいますのは,OB自衛官など本当の専門家による厳密な鑑定を経た上で旧日本軍のものであるということを確認しておるわけでございます.
○委員長(林芳正君) 山谷君,時間でございます.

(第162回国会 外交防衛委員会 第17号,2005/7/5)

 つまり,まず支那方面軍の持っていたであろう化学砲弾の所有権と管理権は武装解除の際に接収した国民党軍に移ります.
 これが遺棄されたのであれば,責任は国民党軍かもしくはそれを接収した共産党軍にあります.
 次に関東軍が持っていたであろう化学砲弾の所有権と管理権は,武装解除の際に接収したソ連軍に移ります.これが遺棄されたのであれば,責任はソ連軍にあります.

 「化学兵器禁止条約」に照らし合わせると

第2条 定義及び基準

 この条約の適用上
 5.「老朽化した化学兵器」とは,次のものをいう.
  (a)1925年より前に生産された化学兵器
  (b)1925年から1946年までの間に生産された化学兵器であって,化学兵器として使用することができなくなるまでに劣化したもの

 6.「遺棄化学兵器」とは,
 1925年1月1日以降にいずれかの国が他の国の領域内に当該他の国の同意を得ることなく遺棄した化学兵器(老朽化した化学兵器を含む.)をいう.

「遺棄化学兵器」ではなく「老朽化した化学兵器」に該当します.

 と言うことは,処分する義務があるのは中共政府ですが,
「旧日本軍の毒ガスで中国人民が犠牲に!」
とかいう,焦点を徹底的にぼやかしたバカ話になったときに登場するのがあの男です.
 そう,当時外相であった「紅之傭兵」こと河野洋平と,当時の首相であった村山富一の売国コンビでした.
 このアホ共が,
「毒ガスに国境はない.
 どこの国のものでも,日本が責任を持って処理する」
と,売国奴丸出しの声明を出したせいで,訳も分からぬままに日本が処理する事になってしまいました.
 日本軍は連合国によって完全に武装解除され,全ての武器弾薬等を引き渡し管理・所有権を放棄したと言う事も忘れ,誰によって遺棄されたのか,日本製なのか外国製なのか,遺棄された化学兵器の数がどれだけあるのかと言った基本的な事をろくに調べもせずに,売国奴らしい無責任な発言をしてくれたものです.

 接収側が50年以上も放置しておいて,ある日突然被害が出たからと言って日本の責任だと言うのはまるでヤクザのごとき言い掛かりと言うものです.

(多事某論)

 少なくとも,以下のような例を見る限りでは,中国側の主張に信憑性は薄いように感じられます.

遺棄化学兵器処理費,中国要求丸呑み,巨額化
法外な森林伐採代償/プール付き宿舎

 中国に旧日本軍が遺棄したとされる化学兵器の廃棄処理問題で,中国側の要求を丸のみした結果,日本が拠出する処理費用が野放図に巨額化している実態が,内閣府の資料などからわかった.
 例えば施設建設に伴う森林伐採では,国際価格の数十倍という法外な代償を認め,要員宿舎はプール付きの豪華版としている.
 事業は今冬にも施設建設に入るが,費用の不透明性を残したまま見切り発車すれば,予算の垂れ流し,税金の無駄遣いにつながるのは必至だ.(長谷川周人)

 内閣府の予算関連資料によると,吉林省敦化市郊外のハルバ嶺で建設が予定される処理施設の「インフラ整備諸費」(共通施設分)に今年度,十八億五千万円近い予算が計上されている.
 避難路や要員宿舎の整備費用の一部に充当されるが,関係者によると,用地造成に伴う森林伐採で中国が要求した代償は「シラカバ一本百ドル」.
 しかし,シラカバは一般に製紙用以外に用途がなく,
「樹齢にもよるが二,三ドルが国際相場」(製紙業界関係者)
とされ,日本は常識はずれの費用負担を強いられている.
 また,要員宿舎は
「事業終了後の払い下げを見越し,地元当局から強い要望があった」(関係者)
として,2LDKの豪華版で,プールなどのスポーツ施設が併設される予定だ.
 また,「環境関連諸費」(約千五百三十万円)の内訳をみると,「マクロ気象観測費」(約三百三十万円)と「ミクロ観測機器・機材整備費」(千二百万円)だが,気象観測といっても,中国軍の「気象専門員」が百葉箱を使い,気温や風向などを定時放送するというもの.
 日本側が「無意味に近い」と改善を要求したところ,中国側は「ならば地表温度なども計測しよう」と提案,新たな資材購入費として千二百万円を計上することになったという.

 このほか,中国はハルバ嶺に軍医療班を派遣しているが,絆創膏(ばんそうこう)一枚でも,日本人スタッフには「(解毒剤などが入った)段ボール三箱分の医薬品がセット売り」となる.しかも,なぜか産婦人科医を含む医師団は北京から送り込まれ,これら全経費が日本負担となっている.
 遺棄化学兵器の処理事業で,日本は今年度までに約九百七十億円を投入.処理方法を検討するなど準備を進めてきた.外務省によると,保管作業は昨年七月までに三万七千発分を終えた.

 今後は残る砲弾の回収と並行し,実処理を行う施設の建設に移るが,回収施設だけで九百七十三億円の建設費がかかることが判明している.
 このほか燃焼処理を行うメーンの前処理施設のほか,燃焼時に発生する汚染ガスの処理に環境対策費なども必要で,総事業費は「一兆円規模」との試算も出ている.
 しかし,遺棄砲弾数は二百万発と主張する中国は,その根拠すら示さず,情報開示を先送りしている.
 七十万発と主張してきた日本は,独自調査に基づき三十万−四十万発と下方修正する方向だが,遺棄兵器の全容は見えていない.
 関係者からは
中国にとって処理事業は“金のなる木”.中国の機嫌ばかりを気遣う官僚の事なかれ主義を是正しなければ,いつまでも無駄な予算を垂れ流すことになる
と批判も出ている.

(産経新聞,2005/10/31)

 なお,以下報道にあるように,2006年になって,「遺棄化学兵器は中国に引き渡されていた」とする史料が発見されたというが……

遺棄化学兵器に新史実!?

 ■史料精査し責任の所在明確に
 『正論』(産経新聞社)六月号が水間政憲氏の論文「“遺棄化学兵器”は中国に引き渡されていた−残っていた兵器引継書」を掲載した.
 水間氏は全国抑留者補償協議会(故斎藤六郎氏が代表をつとめたいわゆる「斎藤派・全抑協」)の「シベリア史料館」で,「全体で六百冊にも及ぶ膨大な量の『旧日本軍兵器引継書』が長年,段ボール二十四箱の中でほこりにまみれて眠っている」のを発見した.
 ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長がペレストロイカ(改革)政策に沿って,KGB(国家保安委員会)がシベリア抑留問題に関する史料を公開し,日本世論に「ソ連は変化した」との印象を植え付ける工作を展開した.
 この工作の責任者がキリチェンコ・ソ連科学アカデミー東洋学研究所国際学術協力部長だった.
 その下で,カタソノバ上級研究員がシベリア抑留者問題の公文書調査にあたった.
 キリチェンコ氏の表の顔は学者であるが,KGB第二総局(防諜(ぼうちょう))の大佐で,日本大使館担当課長をつとめていた.
 日本の外交官や,大使館に勤務する学者(専門調査員)の弱点をつかみ,協力者に仕立て上げたるのがキリチェンコ氏の仕事だった.
 後にキリチェンコ氏は自らが,KGBの擬装職員であると告白した.

 斎藤六郎氏は日本政府に訴訟を起こしていた関係もあり,当時の日本大使館と「斎藤派・全抑協」との関係はほとんど没交渉であった.
 後に斎藤氏とキリチェンコ氏は決別したが,カタソノバ氏は斎藤氏への協力を続けた.
 ソ連(現ロシア)政府は,日本軍関係書類を日本政府に返還するのが筋だが,実際には日本政府が関知しないところで,ソ連から相当数の重要書類が斎藤氏に引き渡されたようである.

 今般,水間氏が発見した「旧日本軍兵器引継書」もそのような書類の一部と思われる.
 一九九九年七月三十日,北京で署名された「日本国政府及び中華人民共和国政府による中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」は冒頭で以下のように定めている.

<1・両国政府は,累次に亘る共同調査を経て,中華人民共和国国内に大量の旧日本軍の遺棄化学兵器が存在していることを確認した.旧日本軍のものであると既に確認され,及び今後確認される化学兵器の廃棄問題に対し,日本国政府は「化学兵器禁止条約」に従って遺棄締約国として負っている義務を誠実に履行する

 2・日本国政府は,「化学兵器禁止条約」に基づき,旧日本軍が中華人民共和国国内に遺棄した化学兵器の廃棄を行う.
 上記の廃棄を行うときは,日本国政府は化学兵器禁止条約検証附属書第4部(B)15の規定に従って,遺棄化学兵器の廃棄のため,すべての必要な資金,技術,専門家,施設及びその他の資源を提供する.
 中華人民共和国政府は廃棄に対し適切な協力を行う.>

 国際社会の「ゲームのルール」では,遺棄化学兵器について,それを遺棄した国家がカネや技術などをすべて提供して廃棄する義務を負う.当然,文明国家である日本もその義務を忠実に履行しなくてはならない.
 ただし,それは日本が遺棄した化学兵器に限られる.
 終戦時に日本軍を武装解除した中国軍やソ連軍に化学兵器が引き渡されている場合,日本に化学兵器を廃棄する義務はない.
 『正論』六月号のグラビアには「旧日本軍兵器引継書」の写真が掲載されているが,そこには「四年式十五榴弾砲台榴弾」「四一式山砲榴弾甲」など,秘密兵器概説綴と照合すると化学兵器とみられる事項が記載されている.
 〔略〕

Fuji Sankei Business i. 2006/5/18

旧日本軍化学兵器処理問題 中国やソビエトに兵器が引き渡されたことを示す書類発見

 旧日本軍が遺棄したとされる化学兵器について,兵器が引き渡されたことを示す書類が見つかった.
 この発見は国会でも取り上げられた.
 旧日本軍が遺棄したとの前提で日本政府が資金や技術などを提供してきた化学兵器処理問題.
 26日に行われた衆議院内閣委員会で,自民党の戸井田徹議員はこの問題に疑問を示した.
 戸井田議員は
「手元にお配りいたしました引き継ぎ書にあります,日本側と中国側の授者(受者)の署名・なつ印は,引き継ぎ者側の同意を得ていたことになります」
と述べた.
 戸井田議員が配った資料は,旧日本軍が中国やソビエトに化学兵器を正式に引き渡したとされる「兵器引き継ぎ書」.ジャーナリストの水間政憲氏から提供されたものだという.
 戸井田議員は
「旧日本軍の化学兵器なども同じように引き継ぎ者側の同意を得ていたのであれば,当然,旧日本軍の化学兵器といえども,所有権は中国側に移行したものと理解しておりますけども」
と述べた.
 外務相の梅田邦夫参事官は
「今この時点で明確なお答えをすることはできない」
と述べた.

 日本は1997年発行の化学兵器禁止条約に基づき,廃棄することが義務づけられている.
 日本政府は2000年以降,970億円を投じて化学兵器の発掘,回収事業を実施.事業総額は2,000億円以上とみられている.
 中国・吉林省敦化市ハルバ嶺には,遺棄化学兵器が30万発以上も眠っている.
 中国やソビエトに化学兵器が引き渡されていた場合,遺棄したのは旧日本軍ではない可能性もある.
 戸井田議員は指摘の意義を
「中国との関係が変わってくる可能性がある」,
「遺棄化学兵器に関しては,関係きちんと精査して,真実はなんだったのかということをそこに出せる資料なわけですよ」
と強調した.
 安倍官房長官はこの兵器引き継ぎ書について,
「遺棄化学兵器が当該目録に記載されているかどうかが,1つある意味でポイントになる」
と述べた.
 〔略〕

フジTV, 2006/05/27/01:56

……これはガセである可能性が高い.
 詳細な検証が,とあるブログに載っていたので引用したい.

〔略〕
ところが記事を読んでみれば,その論証は全くもってお粗末な限りで,記事中に名指しで批判されている朝日新聞も苦笑いの誤報並みの勇み足と言って良い.
 記事を真に受けて動いた議員も政府も,茶番劇につきあわされたと言える.
 以下では一次史料をもとに,水間論文を検証していくこととする.

 まず記事では,「代用弾の表現は化学弾が含まれていると思われる」「化学弾を含むと思われる各種代用弾も引継いでいる」と“代用弾説”を唱えているが,随分な珍説だ.
 旧軍における代用弾とは,弾頭部分などの材質を他の代用材に替えて作られた銃砲弾を言い,主として演習で使われたものだ.
 具体例は,著者にとって身近な所にある.著者自らグラビアページで紹介している国立公文書館所蔵史料の「秘密兵器概説綴」には,「九六式重迫撃砲弾薬九六式改造代用弾概説」が載っているが,そこには徹甲弾を改修してバラ砂を詰め,演習において土砂の飛散によって弾着観測を行うとしており,「破甲榴弾ニ代用シ平時ノ教育及演習ニ使用スルヲ主目的トス」と代用弾の意味をはっきり記載している.
 しかも史料本文の一頁目だ.目の端にも入らなかったとは到底思えない.
 ちなみに,なぜこの九六式重迫の代用弾だけが「秘密兵器概説綴」に載っているかというと,それは九六式重迫そのものが軍事極秘兵器として制定されており,代用弾を含む弾薬類も秘される必要があったからだ.

 代用弾が化学弾とは全くの別物であることは次の例でも明らかだ.
 例えば,昭和十一年に青森県で予定された特種演習の発射弾種表には,野砲や榴弾砲用の「きい弾」「あか榴弾」と並び「代用弾乙」が列記されている.
 また,同年の習志野学校における演習用弾薬支給定数表でも,九四式軽迫撃砲用の「あおしろ弾」「きい弾」「あか弾」などの化学弾と並んで,「擬液弾」「代用弾」が列記されている.
 化学弾で最も数量の多い「きい弾」210発に対して,「代用弾」は3500発も支給されている.ようするに“化学弾の代用弾”として演習に使われたわけだ.

 さらに記事では「三八式野砲九〇式代用弾(甲)は化学弾と見られる」「四一式山砲榴弾甲,四一式山砲榴弾乙は…化学弾のきい一号甲と乙と思われる.
 それは通常イペリットである」などとしているが間違いである.
 ここに言う甲乙は信管接合部などの形状の違いであり,化学剤の充填の有無やその種類とは全く関係がない.
 甲乙が分けられたのは昭和三年のことで,十年式瞬発信管若しくは八七式短延期信管を付けるために,「弾丸上部ニ信管接続筒ヲ螺着シ且安全度増加ノ目的ヲ以テ雷汞ヲ全然使用セサル八七式茗亜薬壺ヲ装着」できるように改修を施した新型を「乙」,それまでの三年式複働信管を付けていた旧型のものを「甲」と区別したのである.

 この点,三八式(改造)野砲や四一式山砲といった口径75mm砲で使う化学弾には,「九二式あか榴弾」「九二式きい弾甲」「九二式あおしろ弾」などがあった.
 このうち,イペリットやルイサイトといったびらん性の「きい剤」が充填された「九二式きい弾甲」については,昭和一三年に“甲”の一字をとって「九二式きい弾」に名称が変更されている.
 このことを見ても,甲乙の名称で化学弾か否か判断することの愚かしさが分かる.
 そもそも「きい剤」は,敵兵や敵地の汚染を目的とした持久瓦斯である.破片で敵兵を殺傷することが目的の榴弾として「きい弾」が妥当か疑うべきだった.

 そして「四年式十五榴弾砲榴弾は…やはり化学弾と見られる」という点にいたっては,なぜそのように解釈したのか想像もつかないが,ここに言う榴弾は「九二式榴弾」などの通常弾以外には考えようがない.
 ゆえに野戦造兵廠南京製造所の引継記録を見て,「抑止力としての化学弾は通常弾と比べると,極端に少量なのが実証できる」という指摘も全く当てはまらない.
 戦地において訓練用の代用弾の製造・備蓄が少ないのは当たり前だし,四年式十五榴について言えば,単に旧式(大正四年の制式)で装備数が少なかったからではないか.

 〔略〕

著者は“代用弾説”のほかにもおかしな解釈を披露している.「発射発煙筒など化学弾を含むと思われる各種代用弾も引継いでいる」という“発煙筒説”とでも呼べる解釈である.
 例えばグラビアページにも写っている「九九式発射発煙筒」は,「三百米以内ノ近距離ニ煙幕ヲ構成セシムルノ用ニ供ス」ことを目的としたもので,実戦で化学剤と一緒に使われた例はあるかもしれないが,あくまでも煙幕を張るための兵器である.
 化学剤を発射する兵器は別に「九八式発射あか筒」などがあり,発煙筒とは別物である.
 旧軍における兵器分類上の化学兵器とは,強毒性の化学剤が充填された「瓦斯筒(弾)」を言い,その隠語は一般的に「特種煙(弾)」であった.
 そして,全ての化学剤が“発煙”するわけではないことも指摘しておきたい.
 発煙するのは嘔吐くしゃみ性の「あか剤」や窒息性の「あおしろ剤」であり,びらん性の「きい剤」は発煙せず,液体滴状で飛散するのである.

 “発煙筒説”に関連して筆者がどうしても良く分からないのが次のフレーズだ.
 「現在化学兵器にふくまれる発煙弾,発煙筒がほとんど引き継がれ…中国及び外務省が言う「化学兵器の引き継ぎに同意していない」は,嘘と証明できる」という箇所だ.
 必ずしも定かではないが,著者は現代における条文解釈と半世紀以上前の運用を混同しているのではなかろうか.著者自身「現在」と断っているように,そもそも旧軍の発煙筒(弾)に使われた「しろ剤」が化学剤に含まれるという解釈は化学兵器禁止条約の規定によるが,すでに指摘したように旧軍においては発煙兵器と化学兵器は別物である.
 だから,当時の記録で発煙兵器が引き継ぎされているからといって,「あか剤」や「きい剤」といった化学兵器も引き継ぎがされたとは言えないのである.
 まさか著者とて,正式に引き継ぎが確認できる発煙兵器だけを峻別した上で,その処理(発煙剤の毒性は弱い)は中国側に任せよということが言いたいのではあるまい.

 ここまで見てきたように,この記事の内容は旧軍兵器に詳しい人ならば一目見ておかしいと感じるレベルであり,実際,『正論』編集部には発行後すぐに防衛研究所から電話で指摘が入ったという.
 ところが,5月17日に東京で開催された著者の講演会に参加した人から聞く所によれば,著者は“代用弾”や“甲乙”などの批判を了解した上で,防研OBや旧軍関係者の協力を得ているからと強気だったという.
 専門家である彼らでも首をかしげる兵器が記載されているなら,それらは化学兵器の隠語に違いないと意気込んでいるというのである.まさに“陰謀史観”ではないか.

 一例として著者は,「填薬弾」「九四式代用発煙筒」「テナカ弾」などを怪しいとして挙げたというが,そもそも「填薬弾」は炸薬を詰めただけで信管の付いていない未完成弾の事であり,「九四式代用発煙筒」は機能と成分は同じだが煙の量が半分の演習用,「テナカ弾」は手投火焔弾(瓶)の意味といった具合で,化学兵器とは全く関係がない.著者とブレーンが必要な検証作業を行っていないだけである.
 当日,講演会で配布された史料のコピーには,このほかにも「四一式山砲榴弾カ」などが記載されているが,これについても著者は化学弾の“カ”ではないかなどと言っており,それは「火焔弾」の“カ”ではないかと,いちいち相手にしてはキリがあるまい.
 グラビアページで紹介している兵器引継書を眺める限り,化学兵器の引き継ぎを示唆する内容は見受けられず,史料を精査したところで,それこそ化学兵器の“カ”の字も出てこないのではないか,というのが筆者の率直な感想である.
 〔略〕

本論で提示した根拠は,すべて戦前の一次史料に基づいている.
 いずれも戦前公文書をインターネットで閲覧できるアジア歴史資料センターのホームページで,筆者が自宅にいながらチェックしたものである.
 〔略〕

http://shanxi.nekoyamada.com/archives/000192.html

94式軽迫撃砲
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 中国大陸の旧日本軍は降伏後,中国とソ連に武器や化学兵器を引き渡したそうですが,その後の国共内戦で旧日本軍の武器や化学兵器は具体的にどの程度利用されたんでしょうか?
 あと,中国側に引き渡したといっても国民党と共産党がありますが,どの程度の割合で配分?されたんでしょうか?

 【回答】
 化学兵器が国共内戦で使われたことは無いはずです.
 旧日本軍の武器は,共産党の方が多く使いました.
 ソ連の武器援助が十分に行われるようになるまでの内戦初期の状況では,共産党の主力武器は,日本のものも多く使われています.例えば,小銃,大砲とか戦車(チハ車)に至るまで.
 また,空軍の創設期には,旧日本軍の機体が多数活動しています.

 でもって,配分とかは特に決められていなくて,ソ連軍占領地区では,共産党に多く渡り,それ以外の地区では国民党に多く渡っています.
 但し,艦艇については海を抑えていた国民党にしか渡っていません.
 ただ,内戦進展後は,艦ごと寝返って,結果的に小艦艇では半分以上の艦艇が共産党に渡っています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/08/29(月)
青文字:加筆改修部分


 【珍説】
「日本は戦争に負けて無条件降伏し,武装解除をして,持っていた全ての兵器と施設をソ連軍と中国軍に引き渡しましたのだから,その時点で,所有権と管理は相手に移った,だから日本に責任はない」
と考えている人もいます.(民主党の西村議員など)

 しかし,日本軍の毒ガス使用は,サダムのクルド人に対する毒ガス使用の量を遥かに超えた,世界史的犯罪です.
 もちろん当時も化学兵器禁止の国際条約がありました.
 父・祖父の行為に対して「自虐的な」反応が起こるのはごく当然,人間的なことです.
 そして,今,条約の字句解釈によって毒ガス処理の責任回避を図ろうとするのは,まさに恥の上塗りに他なりません.

(kimdongsung)

 【事実】
 まぁ普通に読めば「管理責任→使用責任」と問題をすり替えているわけですが,余りに稚拙すぎてバレバレです.
 仮に彼女の主張が100%正しいと仮定しても,化学兵器を使用した責任と,武装解除され管理・所有権が及ばなくなった後の責任は,100%別物であり,前者は日中国交正常化の際に中国側が賠償を放棄したのですでに解決済みで,後者については日本軍が遺棄したと証明されたもの以外処理する責任はありません.

 で,

>しかし,日本軍の毒ガス使用は,サダムのクルド人に
>対する毒ガス使用の量を遥かに超えた,世界史的犯罪です.


 サダム・フセインと比べるのは,〔プロパガンダの手法としては〕まぁ悪い手ではありません,
 サダム・フセインの使ったのがイペリット(マスタード)という,日本軍で言うところの「きい剤」であり,同じに見ようと思えば見れないこともありません.

 しかしサダムフセインは自国民であるクルド人に使っている(ハラブジャ事件)という点で悪質ですし,クルド側の主張では,あのヒトラーですら使用を躊躇った神経ガスのサリン・タブン・VXガスを使用している点で,ヒトラーを超える残虐性を持っていると言えるかも知れません.

 ちなみにサリンの使用に関しては,1991年1月の湾岸戦争で敗北した後,国連の査察団が1992年6月に現場の土壌を採取した結果,サリンが分解した後の発生物質であるメチルホスホン酸とイソプロピルメチルホスホン酸を検出し,サリン使用を実証しています.
また,フセインはクルド人に使用するだけではなく,イラン・イラク戦争においてもイラク軍がタブンを大規模使用し,イラン軍に多大な打撃を与えています.
 ちなみにこれが人類史上初の神経ガスの実戦使用です.

 それに対して日本軍が使用したのは,前述のきい剤であるマスタードもしくはルイサイト,あか剤であるジフェニルシアノアルシン(別名:DC)とジフェニルクロロアルシン(別名:DA)の混合の嘔吐剤にみどり剤であるクロロアセトフェノン(別名:CN)と言う催涙剤です.
 まぁマスタードもしくはルイサイトならまだしも,致死性の低い嘔吐剤や,ほぼ非致死性で警察などでも使用されている催涙剤を,神経ガスと比べるのはサリンに失礼と言うものですね.

>もちろん当時も化学兵器禁止の国際条約がありました.

 確かに「窒息性ガス,毒性ガス又はこれらに類するガス及び細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」がありました.
 この条約自体は大正十四年六月十七日にジュネーヴで作成され,昭和三年二月八日から効力発生が発生していますが,我が国は第二次世界大戦当時この条約に批准しておらず――ちなみにアメリカも未批准――,我が国が批准・交付・告示し,この条約が我が国について効力発生したのは昭和四十五年五月二十一日です.
 法は遡らないと言う大原則を考えれば,当時日本軍には人道的観点以外の制約はありませんでした.

 また,この条約では
「窒息性ガス,毒性ガス又はこれらに類するガス及びこれらと類似のすべての液体,物質又は考案を戦争に使用すること」
が禁止されていますが,非致死性に分類される嘔吐剤(あか剤)や催涙剤がこれに含まれるのか定かではないので,実効性には疑問な点が多いです.

 さらに,この条約で禁止されていたのはあくまで「使用」であり,「開発・生産・貯蔵」など化学兵器自体を保有する事は認められていました.

 化学兵器に関しては,1925年のジュネーブ議定書により「窒息性ガス,毒性ガス等の戦争における使用」が禁止されていたものの,その開発,生産および貯蔵までは禁止されていなかった.

(化学兵器禁止条約の概要)

 さらにまた,戦時復仇措置としての毒ガスの使用は違法性を阻却されていました.
 つまり,簡単に言えば,相手が毒ガスを使ってきた場合は,同程度に限り毒ガスで報復してもよいと言うことですね.

 当時日本陸軍の仮想敵であったソ連は異常な化学兵器大国であり,共産主義黒書によれば,1921年にはソ連軍が毒ガスを用いて相次ぐ農民反乱を制圧している.
 そのソ連を仮想敵とし,ソ連に敵視される我が国が,復仇兵器としての化学兵器を研究開発生産し,極東ソ連軍と対峙する関東軍がそれを備蓄していたことは,国際法上全く合法であり,どの国際法にも違反するものではなかった.

 その証拠に連合国の報復裁判として名高い極東軍事裁判でも毒ガスの開発・生産・貯蔵・使用で裁かれたものはいない.
 それどころか,終戦後に国民党政府が行ったB・C級戦犯裁判でも,中国の瀋陽・北京・太原・済南・徐州・南京・上海・溝口・台北・広東の10ヵ所で裁判を行われ,起訴883名,死刑149名,終身刑と有期刑355名の判決が下ったが,毒ガスの開発・生産・貯蔵・使用の罪を問われ「通例の戦争犯罪」や「人道に対する罪」でB・C級戦犯として裁かれた者は,寡聞にして聞かない.

 さて,西村慎吾代議士のホームページの「慎吾の時事通信」平成15年9月30日号によれば,西村事務所の秘書の方が防衛研究所で台湾派遣軍と海軍の作成した詳細な武器引渡しリストを入手し,そこには毒ガス弾を何発引き渡したと記載されている.
 その台湾の台北で戦犯裁判が行われているにもかかわらず,毒ガスの開発・生産・貯蔵・使用の罪を問われ,「通例の戦争犯罪」や「人道に対する罪」でB・C級戦犯として裁かれたものは寡聞にして聞かない.

 ということで,後述する彼女の

連合国側への毒ガス使用の発覚を恐れて川,井戸,地中への組織的な遺棄を行ったとする元兵士の多数の証言がある一方で,西村議員たちが主張する「引渡し」はすべて推測・類推・「はず」・「と解釈される」にすぎません.

と言う考えや

 連合国の戦犯裁判が始まるときに,死刑になるかもしれない国際法違反の化学兵器を堂々と出すほど,日本軍の指導者は甘くなかったと考えます.
 中国の化学兵器の製造責任と遺棄責任と処理責任は日本政府にあると考えるのが,妥当な考えと思います.
(公開コンテンツ/日本の化学兵器の中国遺棄問題)

と言う意見がいかに愚かであるか,理解できる訳である.

 もう一つ付け加えれば,彼女の言い方は非常に不正確です.
 「化学兵器禁止の国際条約」ではなく「化学兵器使用禁止の国際条約」ですからね.
 「化学兵器禁止の国際条約」だと化学兵器自体が禁止されているようにも取れますが,条約の中身を見ればそうでないことは明白です.

(多事某論,2005/7/3,その2その3


 【質問】
 東アジアnewsプラスを読んでいたら,次のような記事を見つけたんですが,この証言がなんか怪しい雰囲気だったので,軍板のみなさんに確認してほしくて,やってきました.
 参考として,探してきたサイトを載せますので(すべて同じ人の証言のようです),ご指導よろしくお願いします.

【東アジアnewsプラス】−【日中】「毒ガス弾,井戸に捨てた」旧満州派遣の元軍属が証言(09/14)
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1126711504/

加害と向き合う 中国編   <中>捨てた毒ガス弾は
http://www.tokyo-np.co.jp/kioku05/txt/20050725.html

中国戦後補償裁判ー毒ガス兵器遺棄訴訟「自分が毒ガスを捨てた」 元軍属,悔恨と贖罪の旅(2005年3月11日)
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/m-ray/p69.html(一番上から30行ぐらい下からはじまります)

旧満州の地図(PDF形式 6/31ページにあります)
http://www8.cao.go.jp/ikikagaku/gaiyou2.pdf

 【回答】
 あぁ・・・ その証言した奴の名前でググるといい.
 かなりアレな人だ.


 【珍説】
 戦後は島全体が国民休暇村に指定され,毒ガス資料館も作られた.1934年(昭和9年)には瀬戸内海国立公園となる.
 毒ガス検知のために飼われていたウサギが野生化し生息していることでも知られ,兎島(うさぎしま)の別名もある.現在年間10万人程度の観光客が訪れている.

『Wikipedia』 の 『大久野島』 の項(2007年11月08日アクセス)

 【事実】
    ………
   ∧_∧  
  (・(・・)・U
  /JベタJ   

 いや……
 あのですねぇ…… (w`;

 あのウサギって,1971年に島外の小学校が,飼いきれなくなったウサギを8匹,島に放ったのが最初なんですよ.
 んで,島にウサギが増えるにつれ,島に捨てウサギをする人も出たりで,現在250匹ぐらい居るとか……
(ソース)
http://www.yomiuri.co.jp/tabi/domestic/japan/20070507tb07.htm

 あのさ,戦後の食糧難の時代,ウサギが居たら,食うって (w`;

ベタ藤原 in mixi,2007年11月08日21:00


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