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<第二次大戦FAQ


 【link】

Hadak Ura ※リンク切れ
 軍装,洪語


 【質問 kérdés】
 33M軍橋について教えてください.
Kérem, mondja meg 33.M katonai hídről

 【回答 válasz】
 WW2ハンガリー軍が使用したもので,第一次大戦時にも使用していた08M軍橋の代替.
 08M同様,ポンツーンを組み合わせた浮橋だが,08Mは木製だったが,33Mではアルミ製となった.
 ポンツーン一個は長さ6.62m,幅2.80m.
 木製の厚板とソールバーの層の数の増加により,積載量を上げることができた.
 基準積載量は12tだが,実際にはこの2倍近い能力があった.
 橋は標準で53.12m,広軌で26.56m,狭軌では66.4mの長さとなり,ポンツーンを結合することにより大河川でも渡河可能だった.

33M軍橋
(1枚目:図表No. faq191107pn5,こちらより引用)
(2~3枚目:図表No. faq191107pn1~2,こちらより引用)
ちなみに1枚目で橋を通って渡河しているのはトルディ戦車

4枚目:ドニエプル河に架けられた軍橋,ウクライナ,Dnipropetrovskにて,1941年10月
(図表No. faq191107pn6,こちらより引用)

 ポンツーン ponton は単体,または2個結合の場合でも,艀として輸送可能だった.
 しかしこの方法では12tを超える車輌を運搬する場合には制限があり,1~2両ずつしか車輌を運搬することはできなかった.

ポンツーンによる輸送
(図表No. faq191107pn3~4,こちらより引用)

 大戦末期,より高い能力の軍橋をハンガリー軍では開発中だったが,終戦までに完成することはなかったという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://hidak.hu/konyvek/pontonhidakrol2012.pdf
https://live.warthunder.com/post/707033/en/

mixi, 2019.11.9


 【質問】
 第二次大戦ハンガリー陸軍の軍装は?

 【回答】
 クリス・マグナブによれば,夏服はカーキ色の上着に,2種類の下衣のいずれかが着用された.
 一つは,巻きゲートルかアンクレットとともに着用される,ふくらはぎ丈のもの.
 もう一つは,アンクル・ブーツとともに着用されるくるぶし丈のもの.

 冬には大外套が支給されたが,一枚布であったため,防寒性は殆どなかった.

 ヘルメットはドイツ軍のものに似たM1917,またはM1935タイプ.
 軍帽は子羊毛の帽子.
 憲兵にはサイドキャップに鶏の羽根飾りがついた.
 戦争終盤には野戦帽が採用されている.

▼ ハンガリー陸軍には,今日のギリー・スーツのようなものもあった.
写真---こちらより引用)
 これは少なくとも2種類あり,一つは人工の植物で覆われたもので,もう一つは枝が付いているもの.
 しかしハンガリー版ギリー・スーツの開発は1944〜44年頃に始まったため,実戦で使われることは殆ど無かった.▲

 【参考ページ】
クリス・マグナブ『世界の軍装図鑑』(創元社,2014)
http://live.warthunder.com/post/376256/en/
http://live.warthunder.com/post/409929/en/ ※下士官・兵卒軍装写真10枚
http://live.warthunder.com/post/410069/en/ ※将校軍装写真8枚

mixi, 2016.6.28


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー陸軍のケープはどんなもの?
Mi az körgallér volt magyar honvédség a második világháborúban?

 【回答 válasz】
 陸軍の下士官・将校が任務時に着用することができた.
 1940年以降,簡略型が生産された.
(下掲画像右端)
 簡略型は水軍の将校・WO(NCOではなく)が着用した.

 【参考ページ】
http://live.warthunder.com/post/405623/en/

第二次大戦ハンガリー陸軍のケープ
こちらより引用)

2017.3.20


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリー陸軍のコートの種類は?
Milyen kabátjak voltak a magyar hadseregnek a második világháborúban?

 【回答 válasz】
 主として以下のような種類があった.
 非公式のものも含めれば,さらに多種に上るだろう.

・志願兵用ロングコート

 第二次大戦ハンガリー軍の一般的なコート.
 ボタンは前面に6対,背面にも2対あり,色は茶色.
 袖に階級章.
 コートと同じ素材で作られたショルダー・ストラップあり.
 戦闘服の上に着用されたときは,その周りにベルトを着用することが許可されていた.

 一枚布であったため,非常に寒いときは追加の布製ケープの裏地を内側に着用することができたが,それでも東部戦線では大して役に立たなかったという.

1枚目:ロングコートを着た志願兵のエリナクタ
(図No. faq221020lc,こちらより引用)

2枚目:ロングコートとボチカイ帽
(図No. faq221022lc,こちらより引用)

3枚目:ロングコートの内張り
(図No. faq221022lc2,こちらより引用)

4枚目:兵卒の階級袖章
(図No. faq221022lc3,こちらより引用)

▼・下士官用ロングコート

 基本的デザインは志願兵用ロングコートと同一だが,下士官のボタンの色は銀.

1枚目:ロングコートを着た下士官のエリナクタ
(図No. faq221024nc,こちらより引用)

2枚目:下士官用ロングコート
(図No. faq221024nc2,こちらより引用)

3枚目:下士官の階級袖章
(図No. faq221024nc3,こちらより引用)

▼・将校用ロングコート tiszt kabát
 基本的な形は兵卒用や下士官用と同じだが,細部が異なる.
 ボタンは金色.
 兵科色のプリント.
 将校と将軍だけが首周りに毛皮を着用することを許可.
 将校と将軍の襟はベルベット.

1枚目:大佐のコート
(図No. faq221031oc4,こちらより引用)

2枚目:将校コートを着用したリエナクタ
(図No. faq221031oc,こちらより引用)

3枚目:将校コートの首周りの毛皮の有無
(図No. faq221031oc2,こちらより引用)

4枚目:将校コートの袖章
(図No. faq221031oc3,こちらより引用)

▼・将軍用ロングコート
 基本形状は他の階級のロングコートと同一だが,例によって細部が異なる;
 ボタンは金色.
 赤のプリント.
 前裾やポケットの縁が緋色.
 内側が赤.
 将軍だけが,上の2つのボタンを外してコートを着用することを許可された.
 将校と将軍だけが首に毛皮のネックウォーマー着用を許可された.
 将校と将軍の襟はベルベット.
 襟の赤いベースにオークと月桂樹の小枝の刺繍あり.これは1940 年に廃止されたが,1943年に復活.

1枚目:将軍用ロングコートを着たリエナクタ
(図No. faq221105hk,こちらより引用)

2枚目:将軍用ロングコート
(図No. faq221105hk2,こちらより引用)

3枚目:袖の階級章
(図No. faq221105hk3,こちらより引用)

▼・騎兵用ロングコート
 通常のロングコートを「野戦用」として丈を短くしたもの.
 写真から見る限りでは,正面のボタンは4対となり,またボタンの色は茶色.
 これはスナイパー対策のために地味な色にしたと言われている.

1枚目:ロングコートを着た,騎馬砲兵将校のリエナクタ
(図No. faq221109hk,こちらより引用)

2枚目:とある戦場のフサール,1942年
(図No. faq221109hk2,こちらより引用)

3枚目:Zombor(現ユーゴスラヴィアのソムボル)のフサール
(図No. faq221109hk3,こちらより引用)

・27.M警備兵用毛皮コート
Mi az 27.M őrbunda

 通常のコートの上に着ることができるオーバーコート.
 防寒目的のため,戦争勃発前の1927年,ハンガリー軍によって制式採用された.
 本来,警備任務用のためのものだったが,防寒衣の不足する東部戦線ではこのコートが引っ張りだことなり,将軍クラスの人物さえ着用した.

▼ このコートは,標準的な野戦コートやその他のサーマルインサートの上から羽織ることができるよう,非常にゆるくカットされていた.
 首周りには茶色の羊皮.
 コートのボタンは2列で計6個があった.
 ボタンにはセント・イシュトヴァーンの王冠が付いておらず,オーストリア=ハンガリー時代の古いタイプのボタンのように,つやありグレーで塗装されていた.

 戦後も,少なくとも1950年代まで使用されていた模様.▲

1枚目:警備兵用コートを着用したリエナクタ
野戦工廠で製作された,羊の毛皮の手袋を銃に下げ,同じ場所で製造された羊側の帽子を着用
コートのベルトはキャンバス地のM.15ベルト
鹵獲したPPS41短機関銃の弾倉下に見えるのは,この銃用のカバー
(図No. faq221009or,こちらより引用)

2枚目:警備兵用コート
(図No. faq170329or,こちらより引用)

3~4枚目:警備兵用コートを着用した兵士
(図No. faq170329or2 & faq221009or2,こちらより引用)

▼・36.M レザー コート
 正式には機甲部隊または化学戦部隊の将校だけが着用を許可されていた革コート.
 耐酸性あり.
 だが実際には,他の兵科の将校もこれを着用.

レザーコートを着たリエナクタ
(図No. faq221113lc,こちらより引用)

▼・レインコート
 ハンガリー軍の規則では,将校 (1940年からは軍曹以上の下士官も) はフィールド・ブラウン色のレインコートを着用することが許可されていた.
 ただし将校がレインコートを着用する場合には,コートの下に革ベルトとピストル・ホルスターを着用しなければならなかった.
 1944年からはレインコートにベルトとホルスターを装着することが許可されたが,この場合,レインコートの元のベルトを取り外す必要があった.

 また,空軍用レインコートもあった.▲

1枚目:レインコート
(図No. faq221018ek2,こちらより引用)

2枚目:1枚目の写真の全体写真
一部の将校は陸軍のコートの代わりにレインコートを着ている.
1941年撮影
(図No. faq221018ek,こちらより引用)

3枚目:空軍用レインコート
(図No. faq221124lg,こちらより引用)

 【参考ページ Referencia Oldal】
クリス・マグナブ『世界の軍装図鑑』(創元社,2014)
http://www.roncskutatas.hu/node/10585
http://live.warthunder.com/post/405623/en/
http://live.warthunder.com/post/406748/en/
https://live.warthunder.com/post/658065/en/
http://www.roncskutatas.hu/node/14192
https://www.facebook.com/HonvedHistoricalReenactmentGroup/posts/pfbid0z55UG8rTXuL1QBUJSZ7p6L1JoDgnJCJh2BNnb2q3xx9twzd2BjT17DmQk8r3ytzgl
http://signum-laudis.hu/keptar/kepek/1904-orbunda-es-szalmabotos-1951

mixi, 2017.3.29
2022.10.22~12.10改訂


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー軍には,その他にどんな防寒衣があったの?

 【回答 válasz】

▼・ケープ
 陸軍将校・下士官が制服の上から着用.
 1940年からは簡略化されたケープが登場し,河川部隊の将校や准尉が着用したが,下士官は着用しなかった.
 将校用と准尉用とには僅かな違いがあり,一番上のボタンだけが見えるようになっており,他のボタンは隠れるようになっていた.
Cape: worn over the service/dress uniforms by the Army officers and NCOs.
From 1940 it came out in a simplified form (far right).
It was used by the River Forces' officers and WOs -but not the NCOs - too with a slight difference:
it was a simplified version and only the top button was visible, all other buttons were hidden.

1枚目:簡略型(右側)
(図No. faq221218kp3,こちらより引用)

2~3枚目:将軍用と将校用のケープ
(図No. faq221218kp1~2,こちらより引用)

 写真2はペルト・ベスト pelt vest /szőrmésmellény vagy irhamellény(毛皮ベスト).
こちらより引用)
 極寒の東部戦線に直面したハンガリー軍兵士は,身を守るために何でも着込んだ.
 彼らはこのような毛皮ベストを作ったが,その中には膝下まで達する長さのものもあった.

 写真3は冬用カモフラージュ・クローク.
こちらより引用)
 これは東部戦線では防寒の役には立たなかった.
 2ピース(写真上.ただしこの写真ではズボン無し)のものと,長靴のように見える1ピースの,2つのヴァージョンがあった.

 【参考ページ Referencia Oldal】
クリス・マグナブ『世界の軍装図鑑』(創元社,2014)
http://www.roncskutatas.hu/node/10585
http://live.warthunder.com/post/405623/en/
http://live.warthunder.com/post/406748/en/
https://live.warthunder.com/post/658065/en/

手袋
(図No. faq170329gl,こちらより引用)

2017.3.30
2022.12.22~,加筆修正


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリー軍の懐炉について教えてください.
Kérem, mondja meg a masodik világháboúban magyar katonai kézmelegítő (Viktória-kályha)-ről

 【回答 válasz】
 所謂ビクトリア・ストーブ.
 ベルトに装着可能.
 カンティーンの一部ではなかったが,兵士が軽食を温めることができるネジ蓋つき小瓶も付属していた.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/583058/en/

1~2枚目:懐炉
(図No. faq210521vk2・4,こちらこちらより引用)

3枚目:懐炉とネジ蓋つき小瓶
(図No. faq210521vk3,こちらより引用)

mixi, 2021.5.22


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー軍のジャケットは?
Milyen zubbonyok voltak a magyar II. világháborúban?

 【回答 válasz】
 まずこちらが39.Mジャケット.
 陸軍の将兵の他,空軍地上部隊の将兵が着ている例もしばしば見られた.
 夏季の訓練,作業,警備任務用の,綾織の緑(画像中央)や白(画像右)のジャケットもあった.
 綾織のジャケットは,やはり綾織の緑のパンタロン――または,1943年以降は将校用の騎兵ズボン――か,フィールド・ブラウンの戦闘用ズボンと一緒に着用された.
 白いジャケットはもう一種あり,これは将校・准士官用で,夏季の勤務服として,白いパンタロンと一緒に着用された.
 将校・准准士官用と志願兵用のジャケットとでは,2点の違いがあった.
1) 将校・准士官用は金ボタン,下士官は銀,兵卒,JNCO(初級士官)は,茶色のボタン.
2) 幕僚のものには肩にメタリックのストラップが着く一方,WO(准士官)や将校には肩にゴールド・メタリックのストライプが着いた.
 1942年以降,敵の狙撃兵にとって将校・下士官・准士官と志願兵との区別がしにくくするため,ボタンは全て茶色に変更された.
 しかしボタンを覆うようにボタンには布地を被せて挟み込んであった.
 1940年まで騎兵将校にのみ両肩に金のストライプがあり,その他の将校には右肩にのみストライプがあったが,1940年以降,どの将校にも両肩にストライプが着くようになった.
 将校やWOはこのジャケットを勤務服としても使い,正装として使うこともしばしばあった.
 戦闘服の階級章には縁取りは着かなかったが,ジャケットが正装として着用される時は,より華やかにするために縁取り付きの階級章を着けた.
 戦闘服として着用する場合,適切なズボンを一緒に履いたが,勤務服または正装として着用する場合,将校は黒いパンタロンを履いた.

 こちらは志願兵の勤務服ジャケット.
 陸軍の志願兵が着用.
 39.Mジャケットとは,肩のストラップは兵科色と同じ色という点で異なっていた.
 画像のジャケットはカルパソマーニョシュ伍長のもので,下腕部にエッジングがあるのが分かる.
 兵士達がこれを着るときは,一緒にフィールド・ブラウンのパンタロンを履いた.

 【参考ページ】
http://live.warthunder.com/post/403810/en/

mixi, 2017.3.23


 【質問 kérdés】
 42.Mキルト・アノラックについて教えてください.
Mi az 42.M paplan kabát?

 【回答 válasz】
 42.Mキルト・アノラックは,防寒衣が不足していた第二次大戦ハンガリー軍が,ドイツ軍の冬服を模倣してデザインしたもの.
 ハンガリー軍の防寒衣はカルパチア盆地の気象条件でなら問題はなかったが,ロシアの平原の気候は,それより遥かに厳しいものだった.
 そのため,新しい防寒衣が必要とされたのだった.
 42.Mは1943年以降使用されたが,生産量は多くはなかったので,多くのハンガリー軍将兵は,既存の外套やベストを着用した.

 このアノラックは裏返しにしてリバーシブルに着用することができた.
 片側は雪原において兵士の姿をカモフラージュできるよう白い服となっており,もう片方は森林や平野で兵士の姿を隠す緑となっていた.
 この服は2ピースであり,付随するパンタロンも白と緑のリバーシブルだった.
 これはロング・コートよりも実用的だった.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://www.roncskutatas.hu/node/9383
http://www.roncskutatas.hu/node/5801
http://live.warthunder.com/post/406748/en/

1枚目:着用イラスト
(図No. faq221224qc,こちらより引用)

2枚目:写真
ちなみに,この服の袖には武装SSのカフタイトルがある.
大戦末期,多くのハンガリー人が武装SSに志願したが,
装備はハンガリー軍と殆ど変わらなかった.
(図No. faq170330ql,こちらおよびこちらより引用)

mixi, 2017.3.30
2023.1.2改訂


 【質問 kérdés】
 「cserkészing」とは?
Mi az cserkészing?

 【回答 válasz】
 スカウト・シャツ "Scout" shirt と訳される.
 志願兵が着るシャツ.
 通常はジャケットの下に着るものだが,夏の間だけは戦闘服として着ることが許可されていた.
 将校にはそのようなことは許されず,1943年までは夏の間もジャケットを着なければならないとされていたが,その後は将校もスカウト・シャツを戦闘服として着用することが許された.
 将軍のほうは全期間を通じて禁止だった.
 シャツの階級章は,コートと同じように左袖の上のほうにつけられており,階級章の色は兵科色と一致させていた.

 【参考ページ】
http://www.roncskutatas.hu/node/13242
http://live.warthunder.com/post/403810/en/

cserkészing
こちらより引用)

こちらは第二次大戦頃のボーイスカウトの制服
こちらより引用)

mixi, 2017.3.22


 【質問 kérdés】
 35.M 歩兵ズボンについて教えてください.

 【回答 válasz】
 戦争初期から,陸軍や空軍地上部隊の全将兵に支給されたズボン.
 ただし,長靴を使用する部隊はその限りではない.
 ただしこのズボン,下肢周りがきつく,不評だった.
 1943年に,パンタロン型のものに置き換えられることになったが,多くの将兵は戦争終結まで35.Mを使っていた.

 ちなみに,緑色をした綾織の半ズボンが,夏用として警衛,野戦,非番などのときに使われた.
 将校には夏用の白い半ズボンがあった.

 【参考ページ】
http://live.warthunder.com/post/400755/en/

35.M 歩兵ズボン
(こちらより引用)

mixi, 2017.3.6


 【質問 kérdés】
 29.M / 43.M パンタレオネとは?
Mi az 29.M / 43.M pantaleone?

 【回答 válasz】
 第二次大戦ハンガリー軍のズボンの一種.
 29.Mは元々は工兵や水軍の戦闘服のヴァリエーションの一つで,戦争初期から着用されていた.
 1943年,ハンガリー軍はそれまでの歩兵ズボンに替えて,43.Mブーツや足首パットと共にパンタロン型ズボンの支給を始めた.
 これが43.M パンタレオネと呼ばれるものである.
 将校や将軍も1944年以降,これを着用するようになった.
 その際,将軍用の緋色の縞は廃止されている.

 なお,ヴァリエーションが多数あり.

 【参考ページ】
http://live.warthunder.com/post/400755/en/

パンタレオネを含む制服一式
(こちらより引用)

mixi, 2017.3.9


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー陸軍にあった手袋は?
Milyen kesztyűi magyar Honvédség a második világháborúban?

 【回答 válasz】
 主なところでは以下の通り.

36.M五本指キャンバス地手袋 36.M ötujjas vászon kesztyű
 寒冷期用.

36.M毛糸手袋 kötszövött ujjas kesztyű
 キャンバス地手袋より普及しており,将校にも着用例有り.
 大戦全期を通じて使用された.

40.M手袋保護用覆い kesztyű védőhuzat
 スキー用装備
 冬用手袋を保護するために着用された.
 元の色はフィールドグリーン.

毛皮手袋 szőrmés kesztyű
 制式採用ではないが1942年,東部戦線に現れたもの.
 右手には射撃の際に人差し指を突き出す穴があった.

42.M毛皮手袋 szőrme kesztyű
 右手人差し指が動くようにできていた.
 1942~43年にドン河戦線で使われていた防寒衣類は,1944年にはハンガリー軍では使われなくなっている.

 この他,ハンガリー軍では標準的な五本指の革手袋があり,主に将校,戦車兵,バイク兵,その他車輌運転士,騎兵,または冬季の防寒用に使われた.
 また,主に将校用の正装として使われる白い手袋
faq170416gl6.jpg
faq170416gl7.jpg
もあった.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/408639/en/
http://hadakura.hu/hu/szoveg/egyenruhak---uniforms/2

2017.4.16


 【質問 kérdés】
 35.Mブーツとは?
Mi az 35.M bakancs?

 【回答 válasz】
 1935年に制式採用された軍用ブーツ.
 とはいえ,デザインは第一次大戦時のものと大差ない.
 歩兵の他,国境警備隊,自転車隊,砲兵隊など,徒歩を主とする部隊に広く支給された.
 また,戦車隊などそれ以外の兵科,空軍の地上勤務部隊,さらには水軍に使われることもあった.

 【参考ページ】
http://nagyhaboru.blog.hu/2014/08/14/az_osztrak-magyar_hadsereg_egyenruhai_1914-ben?token=436e92811e9d5a71ed6ec7374ce1e3ea
http://karosszektabornok.blog.hu/2013/07/12/78_a_magyar_kiralyi_honvedseg_28_mm-ben_1_resz_gyalogsag
http://live.warthunder.com/post/400072/en/

35.Mブーツ
これはおそらく生産直後の状態
靴クリームとワックスがかけられる内に茶色に変色し,このようになる
後者の写真は,「祖父の遺産 Nagyapám hagyatéka」であるそうな
(こちらおよびこちらより引用)

mixi, 2017.2.28


 【質問 kérdés】
 41.M編み上げ靴について教えてください.
Kérem, mondja meg az 41.M fűzős csizma a második világháborúban?

 【回答 válasz】
 別名,ビルゲリ靴 Bilgeri boots.
 元は自動車化歩兵,オートバイ部隊や戦車隊に支給されていたが,次第に他の兵科でも使用されるようになった.
 空挺部隊用や空軍パイロット用に手直しされたヴァージョンのものも.
 空挺部隊がセント・ラースロー師団に再編されて戦ったときは,41.M編み上げ靴を工兵ブーツに,将校は41.M将校ブーツに履き替えたが,一部の将校はこの編み上げ靴を履き続けた.

 【参考ページ】
http://live.warthunder.com/post/400072/en/
http://www.roncskutatas.hu/node/18795

ビルゲリ靴
(こちらより引用)


祖父の遺産であるそうな
こちらより引用)

mixi, 2017.3.3


 【質問 kérdés】
 43.Mブーツとは?
Mi az 43.M bakancs?

 【回答 válasz】
 1943年以降,歩兵,国境警備兵,自転車部隊などに支給された軍靴.
A katonai bakancs, ami fizettek gyalogok, határőrök, kerékpár csapatok, stb 1943-tól.
 ブーツ上部のベルトがなくなるなど,簡易生産型のように見える.
 しかし,将兵には35.Mブーツのほうが好まれた.
 新採用のスラックスが,この43.Mと共に支給されたが,スラックスの足をこのブーツに入れることができなかったので,足首パッドが必要だった.

 【参考ページ】
http://live.warthunder.com/post/400072/en/

43.Mブーツ
(こちらより引用)

mixi, 2017.3.1


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリーの工兵ブーツについて教えてください.
Kérem, mondja meg az Magyari utász bakancs a második világháborúban a három sorban.

 【回答 válasz】
 工兵ブーツは文字通り最初工兵用だったが,快適性に優れていたため,歩兵など他の兵科でも徐々に使用されていった.
 空軍地上部隊やMe-210の機銃手,水軍水兵に使われたものもある.
 第一次大戦時から引き続き使われていたため,制式採用年を示す「M」番号は無い.
 鞣革で作られており,表面加工は無し.
 そのため,使用するうち,靴墨やワックスにより茶色に変色した.
 形状には,細部の違いにより幾つかのヴァリエーションがある.
 特に,アスベストを材料に使った,火炎放射器操作員用のものと,耐酸性皮革を材料とする化学戦部隊用のバージョンもあった.

 【参考ページ】
http://live.warthunder.com/post/400072/en/
http://lito.hu/utaszcsizma.htm

工兵ブーツ
写真は生産直後のもの
こちらより引用)

mixi, 2017.3.2


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリーの防寒靴は,どんなもの?
Milyen téli csizma volt a Honvédség a második világháborúban?

 【回答 válasz】
 ハンガリーはロシアでの戦いなど想定していなかったので,独ソ戦開始時,ハンガリー軍にはろくな防寒装備がなかった.
 軍靴も同じことで,1942-43年の東部戦線においては,ハンガリー軍では非公式にフェルト製の防寒靴を作って履いていた.

 写真その1は,そのうちの一種.
 これは1943年までには陸軍では使われなくなったが,空軍ではその後も使われ続けた.

 写真2も,やはりフェルト製の非公式防寒靴.
 こちらはロシア製ブーツを真似て作られたものだという.
(写真1~2は,こちらより引用)

 この1枚目(図No. faq170306bt)は,代用靴 botos csizma と呼ばれたもの.
 ドン河の戦線で作られたもので,干し草や藁が材料だった.
こちらより引用)
▼ この2枚目(図No. faq221005)は,ブーツの上に代用靴を履いた動員兵.
こちらより引用)
 なお,戦後も少なくとも1951年までは使われていた模様.▲

 【参考ページ】
http://live.warthunder.com/post/400595/en/
http://www.roncskutatas.hu/node/5692
http://signum-laudis.hu/keptar/kepek/1904-orbunda-es-szalmabotos-1951

mixi, 2017.3.6
2022.10.5追記


 【質問 kérdés】
 39.Mクリスマス軍靴とは?
Mi az 39.M Karácsony csizma?

 【回答 válasz】
 ハンガリーはキリスト教国である.
 イシュトヴァーン一世がローマ教皇から王冠を戴き,「公」から「国王」となったのは,1000年12月25日のことだとされている.
(1001.1.1説もあり)
(ちなみに建国記念日は12/25ではなく8/20)

 そんなわけで,ハンガリーでもクリスマス Karácsony を祝うのだが,軍隊の兵営において,菓子の交換が不衛生な軍靴に入れられて行われることを憂慮した医師,ブボー博士 Dr. Bubó の提言により,1939年に制式採用となったのが1939年式クリスマス軍靴 39.M Karácsony csizma である.
 これはボール紙で作られており,軍靴としての実用性は無かったが,大戦末期に物資不足が深刻になると,「無いよりはマシ」だとして戦場においてそれを履いている兵士の目撃例がある.

 なお,将校クラブでのクリスマスの宴会用として,1939年式ウサギ型制服 39.M nyúlruhát も制式採用されている.

 【参考ページ】
南塚信吾『図説 ハンガリーの歴史』(河出書房新社,2012)

39.Mクリスマス・ブーツ
こちらより引用)

39.Mバニー・スーツのスケッチ
(こちらより引用)

2017.4.1
注意! この項はエイプリル・フールのネタです


 【質問】
 第二次大戦ハンガリー軍のヘルメットについて3行で教えてください.
Kérem, mondja meg a masodik világháború alatt Honvédség sisakot a három sorban.

 【回答】
 主として用いられたのは,色以外はドイツ軍の第一次大戦型「シュタールヘルム」 Stahlhelm とよく似た形状のもので,オーストリア=ハンガリー軍で使われて以来,終戦までこの形だった.
 両サイドに通気用の突起があるのが,第二次大戦ドイツ軍ヘルメットとの主な違い.
 M17型はヴァイス・マンフレート社やチェペル Csepel にて,33M型はマジャル・アルミニウム製造会社他において,35M型はMÁVAGにおいて製造された.
 33Mはアルミニウム製で,材料調達の都合により少数製造にとどまり,また,35Mのみ頭頂部が他社のものより若干丸みを帯びている.

▼ アルミ製ヘルメットは将校・将軍用とされ,主として軍事パレードで使用された.▲

 【参考ページ】
http://karosszektabornok.blog.hu/2013/07/12/78_a_magyar_kiralyi_honvedseg_28_mm-ben_1_resz_gyalogsag
http://demeterwebmilitaria.oldalunk.hu/site.php?sd=demeterwebmilitaria&page=gU7ee9Hl1Y
http://hadtortenet.hu/node/957
http://live.warthunder.com/post/407634/en/

M17突撃歩兵ヘルメット M17 rohamsisak
faq190101hl.jpg
こちらより引用)

33Mヘルメット
35Mヘルメット
(こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2016/1/18 20:00
を加筆改修
2017.4.13追記


 【質問 kérdés】
 35M突撃用ヘルメットについて教えてください.
Kérem, mondja meg a 35.M rohamsisakról.

 【回答 válasz】
Nyilvánvaló volt, hogy ájú sisakok nem felelhet meg hadi célokra, ezért a fejlesztés nem áll meg. A Haditechnikai Intézet azt a megbízást kapta, dolgozzon ki egy az M16-hoz hasonló acélsisakot, de természetszerűen modernizálja azt.
Így végül figyelembe vették az időközben megjelent Német 35M sisakot is az új sisak tervezésénél.
 アルミ製ヘルメットが実戦用には役立たないことは明らかだったので,[ハンガリー軍は]開発を止めなかった.
  軍事研究所は,M16に似たスチール製ヘルメットの開発を依頼されたが,当然ながら近代化することとされた.
 そのため,新しいヘルメットを設計する際に,最新のドイツの35Mヘルメットも参考にされた.

Így érkezünk el 1935-ben oda, hogy megszületik az első igazán Magyar fejlesztésű acélsisak 1935M (35/38) néven.
Az első megbízás szerint a Honvédelmi Minisztérium 48.000 sisak gyártására adott megrendelést.
A sisakoknak 1936 márciusára kellett elkészülniük.
Majd folyamatos gyártásba kezdtek, alapvetően a nagy múlttal rendelkező gyárak kapták a megrendeléseket, mint pl. a Weiss Manfréd, a Csepel, a Győri Vagon és Gépgyár, a .
Már 1935 augusztusában a MAVAG kapott megrendelést 58.000, az Ajax pedig 60.000 darabra.
 これが1935年に,ハンガリー王国で最初に開発されたスチール製ヘルメットである,1935M(35/38)と称されるヘルメットを誕生させた.
 最初の注文では,国防総省は48,000個のヘルメットの製造を要求した.
 それらヘルメットの納期は1936年3月だった.
 その後も生産は継続されたが,基本として長い歴史を持つ工場,たとえばヴァイス・マンフレート,ツェペル,ジェール車輌&機械工場,MÁVAG等が受注した.
 すでに1935年8月には,MAVAG社には58,000,次いでアヤックス Ajaxには60,000の注文が入った.

A 35M szinte szó szerinti másolata a német Stahlhelm35 típusnak, néhány apró változtatással.
A vonalvezetése szinte azonos, de máshová kerültek a szegecsek, és a szellőző.
Alapvető különbség, - és erről a legkönnyebb felismerni, megkülönböztetni a magyar sisakot a német sisaktól - hogy míg a német esetében a szellőző nyílás hátul van, a szegecs elől, a magyar sisakon ez pont fordítva.
Azaz a szellőzőnyílás előrébb van mint a szegecs.
De éles különbség a sisak hátulján található málha rögzítésére szolgáló lemez kialakítás is.
De e mellett más jellemző különbségek is fellelhetők, mint például a beleső borítás, a fém keret, a sisakszíj karikája, stb.
A magyar 35M sisakbélés a német M27 típus módosított változata.
 35MはドイツのStahlhelm35の文字通りのコピーだが,若干の変更点がある.
 その外見はほぼ同じだが,リベットと通気口の位置が移動している.
 基本的な違い――そしてこれによってハンガリーのヘルメットとドイツのヘルメットの区別を最も簡単にはっきりさせてくれる――は,ドイツのヘルメットの場合,通期筒はリベットの手前にあるが,ハンガリーのヘルメットではこれが逆なことだ.
  つまり,通気口はリベットの先にある.
 だが,ヘルメットの後頭部に小物を挟み止めるための留め具がついているのも,設計上の大きな違い.
(訳注:背嚢にヘルメットをひっかけるときのための留め具という文献もあり)
 これ以外にも内装体,金属フレーム,フープリングなど,他にも特徴的な違いがある.
 ハンガリーの35M内装体は,ドイツのM27の改修版だった.

ドイツ軍とハンガリー軍のヘルメットの主な違い
(図No. faq200126hl)

A 35M sisakot három méretben gyártották: 64, 66, 68,
A következő megoszlásban gyártották a becsült antropológiai jellemzők szerint:
 35Mヘルメットは3種類のサイズで製造された:64, 66, 68
 これは推定される人類学的特性に従って製造された.

 ヘルメットには以下のような刻印があった.

Gyártó: MÁVAG azaz a Magyar Királyi Állami Vas-, Acél- és Gépgyárak, Budapest
Beütő jelzés a sisakban: MAVAG felirat, méretszám: 62, 64, 66, 68 illetve koronás beütő.
 製造元:ブダペシュトのハンガリー王立鉄鋼機械工場(MÁVAG)の場合:
 ヘルメットの刻印:MAVAGの刻印,サイズ62,64,66,68および王冠.

Gyártó: Magyar Waggon és Gépgyár Rt, Győr
Beütő jelzés a sisakban: GY betű, méretszám: 64, 66, 68 illetve koronás beütő.
 製造元:ジェールのハンガリー車輌・機械工場株式会社の場合:
 ヘルメットの刻印:GY,サイズ64,66,68および王冠.

A sisak más színekben is készült pl. a polgári védelem, a testőrség részére is.
Ugyanezzel a vonalvezetéssel, de a fejtetőn egy keresztirányú megerősítéssel készítettek acélsisakot a tűzoltók részére.
 市民保護のため,または警備員のために,色違いのヘルメットも用意された.
 同じ生産ラインを用い,頭頂部に横方向の補強を施した,消防士用ヘルメットも作られた.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://demeterwebmilitaria.oldalunk.hu/site.php?sd=demeterwebmilitaria&page=gU7ee9Hl1Y
https://roncskutatas.com/node/12212
https://karosszektabornok.blog.hu/2013/07/12/78_a_magyar_kiralyi_honvedseg_28_mm-ben_1_resz_gyalogsag
http://hadtortenet.hu/node/957

1~3枚目:35M突撃用ヘルメット
4枚目:消防士用ヘルメット

(図No. faq200120hl1~4,こちらより引用)

mixi, 2020.2.2


 【質問 kérdés】
 38Mヘルメットについて教えてください.
Kérem, mondja meg 38.M sisakról

 【回答 válasz】
 1938年採用.
 35Mとほぼ同型だが,写真で見る限り,頭頂部が35Mより平たい模様.

 35M同様,通気孔の後ろの位置にリベットがある点,首で支える点でドイツのモデルと異なる.
 55cmから61cmの範囲のいくつかの異なる頭部サイズで作られたが,ほとんどの頭部サイズに適合した.
 第二次大戦におけるフィンランドとソ連の戦闘,いわゆる継続戦争中,ハンガリーの38Mはフィンランド軍で最も一般的なヘルメットだったことから,「フィンランドM35」と呼ばれることもあるという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://hadtortenet.hu/node/957
https://www.guncity.com/hungarian-helmet-model-38-used-during-wwii-235100
http://demeterwebmilitaria.oldalunk.hu/site.php?sd=demeterwebmilitaria&page=gU7ee9Hl1Y

38Mヘルメット
(図No. faq200205hl1~3,こちらより引用)

2020.2.8


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー軍のボチカイ帽について教えてください.

 【回答 válasz】
 20.Mボチカイ帽 20.M Bocskai sapka は陸軍の標準的な軍帽で,空軍の一部部隊でも使われた.
 下掲写真右に見られるように,耳を覆う冬季用の帽子としても使うことができ,また,アイ・シェードもついていた.
 アイ・シェードの素材は帽子と同じ.
 帽子正面には国章とボタン2つがついた.
 JNCO(初級士官)の国章の縁取りとストライプは,兵科色と色が一致していた.
 帽子側面にはトパーン topán と呼ばれる3条の組紐状フォルダーがついており,兵科色を示す三角形をそこに差し込むようになっていた.
 志願兵の帽子の国章,ボタン,トパーンの色は茶色.
 下士官は銀,WOと将軍は金だった.
 将軍は緋色の三角形で,トパーンの周りにオークと月桂の飾りがつき,トパーン自体,将校のそれより大きかった.

 1942年,ボチカイ帽の仕様に若干の変更があった.
 下士官,准士官,将校はt,将軍の帽子は茶色の国章とボタンがつくようになり,階級章とトパーンは廃された.

 1943年,再び変更があった.
 ボタンは茶色のままだったが,階級章が復活し,国章の色は元に戻された.
 トパーンは将軍用のものにだけ戻った.

 1943年には新型のボチカイ帽が登場し,1944には44.Mボチカイ帽として制式作用され,全ての部隊がこれを装備した.

 ボチカイ帽の色はフィールドブラウン,白,緑があった.
 白と緑の帽子は夏季用で,綾織で作られた.
 将校の中には,夏季用の白い服に合わせて白いボチカイ帽を被る者があったが,本来は許可されていなかった.
 国境警備隊のボチカイ帽にはトパーンはなく,帽子の左側に緑色の三角形がついたが,トパーンのない代わり,大隊の番号入りの,笛をかたどったバッヂを使った.
 また,山岳歩兵としての訓練を受けた国境警備隊には,帽子の右側にエーデルワイスのバッヂがついた.

 なお,山岳部隊には独自の軍帽,41.M山岳部隊帽 41.M hegyi vadász があった.
 帽子には革のアイ・シェード,緑色をした三角形の識別章があり,帽子の左側にはエーデルワイスのバッヂがついた.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/407634/en/
http://www.vatera.hu/legenysegi-topan-1-2430066194.html
http://www.roncskutatas.hu/node/18177
http://www.roncskutatas.hu/node/12797
http://www.roncskutatas.hu/node/7363
http://hadakura.hu/hu/szoveg/egyenruhak---uniforms/2
http://home.kpn.nl/nickl001/acsk-2010-5.html

20.Mボチカイ帽
44.Mボチカイ帽
41.M山岳部隊帽
(こちらより引用)

トパーン
(こちらより引用)

2017.4.6


 【質問 kérdés】
 「豆掬い」「スモモ掬い」とは?
Mi az a "babmerő" s "szilvamerő"?

 【回答 válasz】
 第二次大戦ハンガリー陸軍の勤務/正装帽のこと.
 写真を見ても分かるように,全体の形はケピ帽に似ている.
 下士官用のものは,フィールドブラウンで,銀の飾りがあり,「バブメレー babmerő 」と呼ばれていた.
 「豆掬い」という意味.
 准士官,将校,将軍用のものは黒で,「シルヴァメレー szilvamerő」,すなわち「スモモ掬い」と呼ばれた.

図表faq170413bb:勤務/正装帽

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/407634/en/
(図表引用元も同じ)

2017.4.13


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー軍の防寒帽は?
Milyen téli sapkáki voltak Magyar Honvédség a Második világháborúban?

 【回答 válasz】
 おおよそ以下のようなものがあった.

1) 毛皮製高帽 kucsma usanka
 1942年中,ハンガリー第2軍が冬季戦用の衣類を調達しようとした際に製造された.
 ロシアのウシャンカを模倣している.

2) 耳当て fülvédő
 これもまた,1942年から使われた.
 上掲写真の左端の兵士が,ボチカイ帽の下に耳当てを着けている.

3) チューブ・スカーフ cső nyaksál
 1943年からハンガリー軍ではこれを制式採用し,兵士の装備とし始めた.
 ドイツ軍のスカーフを模したもの.
 このような手順で着用される.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/407865/en/ ※(画像引用元も同じ)
http://militiahungarorum.roncskutatas.hu/1920_e_r_m_r_e_s_s.html
http://coloringfigure.blogspot.jp/2013/05/hungarian-panzer-crew.html
http://militiahungarorum.roncskutatas.hu/1920_e_r_m_r_e_s_f.html ※(チューブ・スカーフ着用手順画像引用元)

2017.4.14


 【質問 kérdés】
 38.Mテント布兼雨合羽とは?
Mi az 38.M sátorlap és esőkabát ?

 【回答 válasz】
 イタリア軍のM29型テントやドイツ軍の「ツェルトバーン」とだいたい同じ用途のもの.
 4枚合わせて小型テントを一つ作ることができたが,それ以外にも風雨除けとして使用したり,レイン・コートとして着用したりした.
(通常の「フィールドブラウン」色のレインコートが支給されたのは下士官・将校だけだった)

 テントとしての使い方は,こちらのページ
http://uni-nke.hu/downloads/kutatas/folyoiratok/hadtudomanyi_szemle/szamok/2016/2016_4/16_4_alt_forray_1.pdf ※リンク切れ
に様々な方法が掲載されている.
 ハンガリー語だが,これが読めない人でも,図版を見るだけでもかなり理解できるだろう.

 基本形状は半径180cm,幅270cmの1/3円弧の形をした迷彩柄の帆布.
 アルミペグ4個等が付属する.
 迷彩はハンガリー軍標準では干し草パターン,すなわち淡黄褐色,グレー・グリーン,ブラウンのスポットから成るが,メーカーの違いによって多くのヴァリエーションあり.
 ドイツやイタリアからの輸入品もそれに加わる.
 裏地は迷彩印刷されていないカーキ色なので,裏返して着るとカーキ色のレインコートになる.

1枚目:38.M簡易テント
(図no. faq170315ct3,こちらより引用)

2枚目:ペグ
(図no. faq170318pg,こちらより引用)

▼ 38.Mの後継としては44.Mがある.
 44.Mは38.Mに似ているが,迷彩パターンが異なった.
 このパターンはドイツのものの模倣と考えられている.

44.M
(図No. faq221212m44,こちらより引用)

 上述のリンクにあるように,現在のハンガリー軍でも同じような簡易テントが使われているという.

 【参考ページ】
http://live.warthunder.com/post/405623/en/
http://militiahungarorum.roncskutatas.hu/1920_e_f_l_s_8.html
http://uni-nke.hu/downloads/kutatas/folyoiratok/hadtudomanyi_szemle/szamok/2016/2016_4/16_4_alt_forray_1.pdf

現用の簡易テント
https://www.youtube.com/watch?v=mG87LmjgMks

mixi, 2017.3.18
2021.4.8,リンク切れ情報付記


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリー軍のカトラリーについて教えてください.
Kérem, mondja meg a Magyar katonai evőeszközről a II. világhaborúban.

 【回答 válasz】
 1本の両端がそれぞれフォークとスプーンとなっているもので,真ん中から二つ折りにすることができる.
 よく似た形のカトラリーは,ドイツ軍も使用していた.

 鉄製.

 ナイフは付属していない.
 これは当時,民間人も含めてハンガリーの男性はほぼ全てポケットナイフを持っていて,必要に応じて兵士たちも食べ物を切るのに民間用のポケットナイフを使っていたため.
 しかしさすがに戦後の共産政府時代には,カトラリーにはナイフも含まれるようになっている.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/583058/en/
https://www.roncskutatas.com/node/7492

1枚目:カトラリー
(図No. faq210507ev,こちらより引用)

2枚目:兵士の一般的な食事を再現したもの
(図No. faq210507ev2,こちらより引用)

mixi, 2021.5.11


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリー軍の水筒について教えてください.
Kérem, mondja meg a magyar katonai kulacsokról.

 【回答 válasz】
 30.M,34.M,35.M等があった.

 30.Mは第一次大戦時代の水筒の改良型.
 容量は0.5リットルで,栓はコルク.
 35.M雑嚢のポケットに収納するとされた.

 30.Mには幾つかヴァリエーションがあり,以下の写真では3種が見られる.
 これらのうち右端のものは1934年製造.

30.M水筒
(図No. faq210513kl,こちらより引用)

 35.Mは30.Mの後継で,第二次世界大戦では30.Mよりもポピュラーだった.
 容量は0.5~0.7リットルで,アルミ製.
 栓はコルクだが,アルミカップも付属.
 通常は35.M雑嚢のポケットに収納するとされたが,ベルトに着けることもできた.
 幾つかヴァリエーションがあり,それぞれ形状に僅かな違いがある.
 以下の写真は,35.Mの最も一般的な形状のもの.
 図No. faq210513kl5はシグ Sigg アルミニウム㈱製を示す刻印

35.M水筒
(図No. faq210513kl3,こちらより引用)

シグ・アルミニウム社製を示す刻印
(図No. faq210513kl5,こちらより引用)

 34.M水筒は非公式な呼び名で,医療時の応急処置用だった.
 これは負傷した兵士に水や飲み物を与えるためのもので,医療従事者がベルトに着けて携行した.
 容量1リットルで,アルミ製.
 栓はコルク.
 ベーズ(ビリヤードの台の上面などに用いられる緑色の荒いラシャ)カバー付だった.

応急処置用水筒
(図No. faq210513kl2,こちらより引用)

 この他,パーリンカ(伝統的なフルーツブランデー)を入れるための将校用水筒もあった.
 容量0.2リットルでアルミ製.
 栓はスクリュー・キャップだった.

将校用水筒
(図No. faq210513kl4,こちらより引用)

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/583058/en/

mixi, 2021.5.15


 【質問 kérdés】
 43.Mテント・ストーブについて教えてください.
Kérem, mondja meg a 43.M sátorkályháról.

 【回答 válasz】
 野戦ストーブの後継として,1943年制式採用.
 木炭を燃料とするため,野戦ストーブに比べて煙の量が少なくなり,また,燃焼中でも持ち運び可能.
 また,キャンプ・ストーブが屋内でのみ使用できたのに比べ,このストーブは屋外でも使用可能.
 発光もなく,存在を敵に察知される可能性が減少した.

 3kgの木炭を使用したときには,250~300℃の放熱が3~6時間持続し,1時間あたり0.5~1kgの木炭を消費.
 木炭の無い時には木材を燃料として使用することもできる.
 重量は6kgで,もともとは紺色.
 軽食を温めることができる専用水筒も付属.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/583058/en/
https://www.roncskutatas.com/node/17923
https://www.roncskutatas.com/node/9771

1~2枚目:43.Mテント・ストーブ
黄色の縞模様は本来の塗装ではない
(図No. faq210519sk,こちらより引用)
(図No. faq210519sk3,こちらより引用)

3枚目:43.Mテント・ストーブ及びそのマニュアル
なお,フラスコの隣にあるネジ蓋のカップは,野戦ストーブのカップ
(図No. faq210519sk2,こちらより引用)

mixi, 2021.5.21


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリー軍の野戦ストーブについて教えてください.
Kérem, mondja meg a rajkályha?

 【回答 válasz】
 大型テント,野戦兵舎,または掩蔽壕に入れ,その周辺を暖めたり,食べ物や飲み物の調理・保温が可能な分隊用ストーブ.
 閉鎖空間でのみ使用可.
 固定式ストーブであり,移動させる際には,中の火を消さなければならならず,その点では使い辛いものだった.
 光が漏れ,大量の煙が発生するため,敵に発見され易い欠点もあった.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/583058/en/
https://www.roncskutatas.com/node/17923
https://www.roncskutatas.com/node/9771

野戦ストーブ
(図No. faq210523rj,こちらより引用)

mixi, 2021.5.23


 【質問 kérdés】
 34M飯盒について教えてください.
Kérem, mondja meg a Katonai 34M Csajkaről.

 【回答 válasz】
 アルミニウム製の調理用ミニフライパンと鍋のセット.
 他の生活用品と共に一つに纏めて革紐で縛っておくことができる.

 ブダペシュト7街区Erzsébet királyné-útja(エルヂェーベト王妃通り) 57-61に存在したMagyar Fémlemezipar Részvénytársaság(ハンガリー金属産業株式会社)の製品で,軍用の他,市販もされていた.
 写真の収納形態では飯盒の他,コップ,折り畳みの把手付グラスや石鹸皿から成る.

 なお,第一次大戦型モデルの飯盒も,引き続き第二次大戦でも使われていたという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/583058/en/
https://roncskutatas.com/node/17571

34M飯盒
(図No. faq210503mk1~3,こちらより引用)

収納形態
(図No. faq210503mk4,こちらより引用)

1枚目:収納形態底面
2~3枚目:左右の刻印

(図No. faq210503mk5~7,こちらより引用)

mixi, 2021.5.5


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリー軍のクッキング・クレートについて教えてください.
Kérem, mondja meg a második világháborúban magyar honvéd főzőládáról.

 【回答 válasz】
 地形が険しく,野戦調理車が部隊随行困難なときに使われるもので,主に山岳部隊が使用.
 また,1942~43年の東部戦線では,補給不足により野戦調理車だけではハンガリー第2軍の給食を全て賄うのは困難だったために使用された.
 馬またはラバによって運搬された.

 調理用コンロ,スープ鍋,ナイフ,断熱パッドを備えた調理用ケトルから成っており,また,木枠の内側も断熱されていた.
 12人用と25人用の2種類があったが,違いはサイズのみだった.

 ちなみにネットでは一般にételhordóと呼ばれているようで,google検索ではこちらの単語を使ったほうが,より多くの情報が得られる.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/704865/en/

クッキング・クレート(木枠つき)
(図No. faq220409fz,こちらより引用)

1枚目:クッキング・クレートの容器
(図No. faq220414fz,こちらより引用)

2枚目:各部名称図解
(図No. faq220414fz2,こちらより引用)

3枚目:当時の使用状況
(図No. faq220414fz3,こちらより引用)

4枚目:加熱時の状態
(図No. faq220414fz4,こちらより引用)

mixi, 2022.4.11


 【質問 kérdés】
 34.M野戦移動製パン車について教えてください.
Kérem, mondja meg 34.M tábori mozgó sütödékről.

 【回答 válasz】
 1934年制式採用された改良型製パン車.
 トーション・サスペンション,タイヤ,ブレーキがつき,馬2~4頭またはトラックで牽引.
 燃料は木材または石油.
 1.4kgのパンを1日1300〜1400個製造した.

 1953年に改良され,車体の形が変化したが,それ以外の点では1934年のものと同一.
 34/53.Mは1970年代まで使用された.

 なお,1972年に自動ディーゼル・バーナーが付加されている.

 1950年代,製パン部門は4~10輌の製パン車から成り,人員は大幅に削減され,24人の補助パン職人と2人の熟練したパン職人のみで,1時間に76個の700グラムのパンを焼くことができたという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/704865/en/
https://tudomanyplaza.hu/a-magyar-tabori-mozgo-sutodek/
http://real.mtak.hu/18085/1/1901M%20s%C3%BCt%C3%B6de.pdf

34/53.M野戦移動製パン車
(図No. faq220606fb,こちらより引用)

mixi, 2022.6.8

 なお,以下のような情報をいただいたので調べてみたが,google検索程度では具体的に両車にどのようなつながりがあるのかは分からなかった.
 残念.

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よしぞうmaro'

 これ、イタリア軍とクリソツ。
 因みにイタリアのパン焼き車は、ガルパン最終章3話に登場(^ ^;
https://www.cattolicanews.it/studi-e-ricerche-nel-nome-del-pane
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2022.6.12


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー陸軍の戦功徽章とは?
Milyen teljesítmény jelvények voltak magyar honvédség a második Világháborúban?

 【回答 válasz】
 第二次大戦ハンガリー軍の戦功徽章はサーラシ政権時の1944年11月,ソ連軍がハンガリーに侵入し,ブダペシュトが包囲されつつある頃に作られたもので,授与が行われた記録が1945年5月までは存在する.
 もちろん士気高揚が目的.
 陸空軍のどの徽章も3階級に分かれ,
3等はブロンズ,
2等は銀色,
1等は金色.
 大きさは45×60mmの楕円形で,アルミのプレス加工品.
A teljesítmény-jelvények 45/60 mm méretben, ovális alakban, alumíniumból préselve készültek.
 ジャケットの左の胸ポケットにつけることとされた.
 複数の徽章を与えられる将兵もいたが,ポケットにつけることができるのは一つだけとされた.

 写真1右は装甲車輌撃破章.
 爆発する戦車をリレーフしたものとなっている.
 戦闘において戦車または装甲車を破壊または made した将兵に与えられたもので,
3等は戦車または装甲車1台
2等は戦車または装甲車2台
1等は戦車または装甲車3台
の戦果で授与された.

 写真1左は対戦車砲撃章.
 対戦車砲と対戦車砲兵,遠くでの爆発がリレーフされている.
 火砲で戦車または装甲車を破壊または made した将兵に与えられたもので,
3等は戦車または装甲車2台
2等は戦車または装甲車5台
1等は戦車または装甲車10台
の戦果で授与された.

 写真2は白兵戦章.
 銃剣突撃する兵士をリレーフしたものとなっている.
 手榴弾の有効範囲までの距離で敵軍と戦った将兵に与えられたもので,
3等は近接戦闘3回
2等は近接戦闘6回
1等は近接戦闘10回
の戦果で授与された.

 写真3は特火点攻略章.
 爆発するトーチカと,兵士2人がリレーフされている.
 コンクリートのバンカー,特火点,または建築施設の有無に関わらず,少なくとも恒久的な防御陣地を破壊した兵士に与えられたもので,
3等は攻略2回
2等は攻略4回
1等は攻略6回
の戦果で授与された.

 写真5は地雷撤去章.
 遠くで砲撃が着弾している戦場において,二人の兵士が作業に従事し,そのうち一人が地雷を掘り返している姿がリレーフされている.
 この徽章は敵からの砲銃火の有無によって異なる2つの基準の下に授与された.
3等は敵からの砲銃火に晒される中で5個,または敵の攻撃の無い中で15個の地雷を撤去した時に
2等は敵からの砲銃火に晒される中で10個,または敵の攻撃の無い中で30個の地雷を撤去した時に
1等は敵からの砲銃火に晒される中で25個,または敵の攻撃の無い中で45個の地雷を撤去した時に
それぞれ与えられた.
 写真4bは徽章の裏面.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/410994/en/
http://www.roncskutatas.hu/node/6150 ※写真1引用元
http://magyarhonved.blogspot.jp/2012/10/teljesitmenyjelvenyek-1-resz.html ※写真2~3引用元
http://www.tarrkamilitaria.hu/targyreszlet.php?tt_sorsz=123 ※写真4 & 4b引用元


 【質問 kérdés】
 35.Mハサミ型望遠鏡とは?
Mi az 35.M olló szögtávcső?

 【回答 válasz】
 35.Mハサミ型望遠鏡(写真1)は,ハンガリーにて開発されたもので,第一次大戦で使用された18.M望遠鏡の改良型.
 18.Mとの主な相違点は,側方にも視力を有し,太陽光から保護するために上部に薄層板を備えていたこと.
 倍率は15x60.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/453001/en/ ※写真1引用元

mixi, 2017.9.15


 【質問 kérdés】
 36.M 1m測距儀とは?
Mi az 36.M 1m távmérő?

 【回答 válasz】
 これ(写真1)は対地・対空観測用の測距儀.
 500メートルから10,000メートルまでの測距が可能なため,小・中口径の対空砲や対戦車砲,機関銃射撃まで幅広く距離測定に活用することが可能.
 外見から見て,ドイツ,カール・ツァイス製のEntfernungsmesser R36(写真2)をライセンス生産したものと推察される.
 ただ,ハンガリーはイタリアのガリレオ社にも1m測距儀を注文しており,このどちらをライセンス生産したのかははっきりしていないという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/453001/en/ ※写真1引用元
http://www.zib-militaria.de/WH-Entfernungsmesser-1m-R36-complete-set ※写真2引用元
http://www.geocities.jp/mgkqr447/em_1m_r36top.html

mixi, 2017.9.17


 【質問 kérdés】
 R/8無線機について教えてください.
Kérem, mondja meg a R/8 rádióról.

 【回答 válasz】
 1932年採用.
 軍団レベルの無線通信に使用.
 150~1500kHz(1~186ch)帯で作動する7球スーパーの受信部で構成されている.
 電波形式はAMおよびCWモードで運用できる.

 送信部と受信部は別々の箱に収容.
 トランスミッタは周波数帯域200~1500 kHzで,レシーバは帯域100~3000 kHzで作動.
 この機器には独自のパネルとガソリン式発電機とがあった.
 発電機は送信部に電力を供給するために使用され,受信部は2つの蓄電池から電力を供給された.
Az elemekből egy darab átlagosan háromszáz óráig bírta.
 バッテリー1個で平均300時間持続.

 送信には高さ9 mの「T」アンテナまたは高さ17.5 mの傘アンテナを使用しましたが,受信時には車輌のルーフ・アンテナ使用で済んだ.
 逆に言えば,送信時には車輌を停止し,送信用アンテナを配置する必要があった.
 電信モードで通信網に入ることは可能だったが,送話モードでは受信部に別のアンテナが配備されている場合にのみ対話可能だった.
Sík terepen, távbeszélő üzemben százötven-kétszáz, távíróban kétszázötven-háromszáz kilométerre tudtak vele kommunikálni, míg hegyi viszonyok között durván ötven kilométeres csökkenéssel kellett számolni.
 平坦な地形では電話モードで150~200km,電信モードで200~300kmの範囲で交信可能だったが,一方,山岳地帯では約50kmの(交信距離の)減少が予想された.
Érdemes megjegyezni: a hatótávolságot ügyes katonák (például bevonultatott rádióamatőrök) megfelelő alakú és hosszúságú sugárzóval akár a duplájára is növelhették.
 注目すべきことは,精通した兵士(入営したアマチュア無線家など)が適切な周波数と波長の信号電波を発すれば,交信距離が2倍になる可能性があった点である.

Telepítéséhez hat, használatához két ember kellett.
 設置には6人,運用には2人の人員を要した.
Gyakorlott bakák húsz perc alatt leheltek bele életet.
 熟練した歩兵であれば,20分で立ち上げることができた.
Döntően Afi típusú gépjárművekbe szerelve szállították, de ha a harci helyzet úgy kívánta, a vevőt kikülönítve is alkalmazhatták.
 無線機は主としてAFi型(トラック)に搭載されて移動したが,戦闘状況によっては受信機抜きで運用することもできた.
A teherautókban kapott helyet még többek mellett a 32 M kapcsolótábla, a hullámmérő (frekvenciamérő), a C-1-es rejtjelező, a HÍR-zászló és az antennahangoló póttekercs, amellyel szükség szerint bármilyen hosszúságú és vastagságú drótot le tudtak illeszteni az adóhoz.
 トラックには32.M操作盤,波長計(周波数計),C-1エンクリプタ,無線機を持たない部隊への連絡用の信号旗,および必要に応じて任意の太さ,大きさのコイルをトランスミッタにとりつけることができる,アンテナチューナーの交換用コイルも収納されていた.

※ 現在のアンテナチューナーの多くは大きなコイルの巻き線を途中で短絡して,切り替えスイッチでインダクタンスを変えることができますが,この機種はバンドごとにコイルを用意して都度交換したのではないかと思われます.
 その交換用のコイルのことではないでしょうか.
https://mobile.twitter.com/ChromeBranche/status/1259257964822532096

Az adó harmincegy, a vevő 19,4, a szerelékes táska negyvennyolc, míg az antennák negyvenegy kilogrammot nyomtak.
 送信機重量31kg,受信機重量19.4kg,組立ラック重量48kg,アンテナ重量は41kg.
Az összes cele-kula együtt kereken 470,22 kilogrammot tett ki.
 セット全体の総重量は470.22kgとなった.

Rendszeresítésére 1932-ben került sor, a honvédségnek 1940-ben egy-egy darab huszonhétezer pengőjébe került.
 1932年制式化し,1940年に軍は1台当たり2万7千ペンゲーを支出.
A seregnél összesen negyvenkilenc példányt állítottak csatasorba.
 計49台が陸軍に配置された.
Hadsereg-hadtest viszonylatban használták, de kaptak belőle a lovas és gépkocsizó dandárok is.
 主として陸軍の軍団レベルに配備されたが,一部は騎兵旅団や自動車化旅団でも使われた.

az adón külön óra jelezte az idő múlását.
 無線機には時間経過を示す時計が付属した.
A távírászok ennek alapján számolták ki, mennyi ideig működött a végpentóda:
 無線士はこの時計にもとづいて,一番古い五極管の消耗時間を計算した:
amint lejárt az „uborkásüveg” ideje, azonnal kicserélték azt.
 そして「キュウリ管」の使用期限が切れ次第,すぐに交換した.
Javítását könnyítette, hogy az egyes elektroncsövek mindegyike más-más színű volt,
 おのおのの電子管はそれぞれ色分けされており,その色分けによって電子管の交換修理をより容易にした.
így a villanytanban járatlan bakák is könnyen boldogultak vele.
 それにより,電気回路に不慣れな歩兵でも簡単に修理することができた.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://www.ha5kdr.hu/2018/03/szepen-sorban-ime-az-r-8
https://katonairadiok.wordpress.com/r-5-r-6-r-7-r-8-r-13/
http://telefongyar.hu/gyartmanyok/hadiipar/
https://live.warthunder.com/post/460854/en/

32M. R/8 adó.
32M R/8無線機送信部
32M. R/8 vevő.
同受信部
32M. R/8 kapcsolótábla.
同操作盤
30M. benzinmotoros áramfejlesztő.
30M ガソリン動力発電機

(図No. faq200610rd1~4,こちらより引用)

32M. R /8 rádió ábrás felszerelési jegyzéke
32M R/8無線機の装備一覧イラスト
32M.R/ 8 vevő elvi kapcsolási rajza
同受信部の回路図
32M. R/8 adó ábrás cikkjegyzéke
同送信部のパーツ・イラスト
32M R/8 kapcsolótábla elvi kapcsolási rajza
同操作盤の回路図

(図No. faq200610rd5~8,こちらより引用)

1943年出版のHTIの本による,R/8の概念図
(図No. faq191226rd2,こちらより引用)

無線車
編者私見では,車種は恐らくヴァイス・マンフレートH-2
(図No. faq200610rd9,こちらより引用)

mixi, 2020.6.13


 【質問 kérdés】
 R/8a無線機について教えてください.
Kérem, mondja meg a R/8a rádióeszközről

 【回答 válasz】
 R/8の改良型で,1939年制式採用.
 送信部や受信部に僅かな改設計があり,また,アノード電流計も装備した.
 周波数帯域は送受信共に100~3000 kHz.

 なお,技術史的には,R/8を2つのバージョン,「R/8a」(1938-39)と「R/8b」(1940-41)とに区別して表記することが望ましいという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/460854/en/
https://www.ha5kdr.hu/2018/03/szepen-sorban-ime-az-r-8
https://katonairadiok.wordpress.com/a-magyar-kiralyi-honvedseg-1922-1945-radioeszkozei-ii-r-6-r-7-r-7-a-r-7-e-r-7-l-r-8-r-8-a-r-9-r-10/
http://telefongyar.hu/gyartmanyok/hadiipar/

1枚目:R/8aを搭載した「ボトンド」トラックと,R/8aを開発・試作したハンガリー人技師
(図No. faq191227rd,こちらより引用)

2枚目:送信部
(図No.faq200724rd,こちらより引用)

3枚目:受信部の構成概念図
(図No.faq200724rd2,こちらより引用)

4枚目:送信部の構成概念図
(図No.faq200724rd3,こちらより引用)

2020.7.24


 【質問 kérdés】
 R/9無線機について教えてください.
Kérem, mondja meg az R/9 rádióállomásról.

 【回答 válasz】
 WW2ハンガリー軍において,主として参謀本部と派遣軍の間で使用.
 また,航空隊の無線方位測定にも用いられた.
 組織上は司令部直属だった.

 3チャンネル制御の,いわゆるフラッシュクォーツ検波送信機のアンテナ回路電力は,電信で500ワット,電話で250ワット.
 ヘーシング変調された送信機の波長は150〜600 KHzで,7極スーパー受信機の波長は75〜3000 KHz.
 この無線局は平地では,コンディションが良い時には500km先と交信できた.

 装置は車輌に搭載,発電機はその車輌が牽引する2輪車に搭載された.
 電源は電源車,または単相/三相電源から得た.
 総消費電力は2.5kw.

 国内の工場,スタンダード社で当初生産されたが,すぐに他の無線機の生産にとってかわり,計4台のみが配備されたが,1943年のHTIの本によれば,その価格は1938年には6万~8万4千ペンゲーだった.

 操作班8人なら45分かけて開局することができた.
 送信機は高さ17.5mのT字アンテナを展開して送信.
 そのうちの1m分は,地中深く打ち込まれた杭によって強く張ったカウンターウェイトの高さを含む.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/460854/en/
https://www.ha5kdr.hu/2018/04/szepen-sorban-ime-az-r-9
https://katonairadiok.wordpress.com/a-magyar-kiralyi-honvedseg-1922-1945-radioeszkozei-ii-r-6-r-7-r-7-a-r-7-e-r-7-l-r-8-r-8-a-r-9-r-10/

1枚目:車輌から降ろされたR/9無線機
(図No.faq200820r9,こちらより引用)

2枚目:2輪トレーラーの中に電源を内蔵している,R/9無線機の無線車輌
HTI本によれば,現在のペテーフィ兵舎の中庭にて撮影されたもの
(図No.faq200820r9b,こちらより引用)

3枚目:送信部回路図
(図No.faq200820r9c,こちらより引用)

mixi, 2020.9.6


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