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◆ターリバーンの内幕
アフ【ガ】ーニスタンFAQ目次


Wakil Ahmed Mutawakil


 【link】

「Guardian」◆(2010/04/28)Pakistan Taliban chief 'is alive'
>Hakimullah Mehsud

「Guardian」◆(2011/01/14)Taliban may lift ban on girls' schools

「Strategy Page」◆(2011/01/10)MORALE: Schadenfreude In Taliban Country

「VOR」◆(2012/05/05)ロンドンの出版社 タリバンの詩集を発売

「WP」:Dozens Rescued in Taliban Kidnapping of Pakistani Students

「WP」:Taliban Is Foiling Pakistani Military

「ザイーガ」:【MOVIE】起爆装置の演習をするタリバンの少年戦士


 【珍説】
>所沢の負け惜しみ
戦記ファン氏の論理に対して,なんの反論にもなっていないことに気づかない馬鹿さ加減www
「自称」した連中もいただろうし,そんなことは論点になり得ない,とはっきり書かれていたのにな.
あくまで自称だと言い張るなら,タリバンが公的にそう名乗ったという事実を示せよ.どこにもないだろが.
ついでに,お前のほとんど唯一の典籍らしき講談社版の『タリバン』だが,これは翻訳のせいか,時系列がところどころおかしい.
このことは,すでにお前の言う社会学版で論証済みじゃないか.
だよね馬鹿がまだ生きていたのは論外としても,所沢はじめJSF一派が,論破済みの議論を幾度も蒸し返したり,さもなければ論点を次々にずらして負け惜しみを書き続けるしか能がないということが,これで最終的に確定したなwww
というわけで,お前はもう用済み.
消えろ.

Posted by 名無しT72神信者 at 2010年12月31日 11:45:15

 【事実】
 結局,典拠を明らかにできず,罵倒に走るわけですか.
「まるで進歩がない」(AA省略

>「自称」した連中もいただろうし,そんなことは論点になり得ない,とはっきり書かれていたのにな.

 どこにですか?
 書かれている場所を明示してください.

>タリバンが公的にそう名乗ったという事実を示せよ.どこにもないだろが.

 一つ上の当方のレス参照.
 国連事務総長特別代表の訪問という公の場で,そう名乗っていますね.
 ……もしかして,ブラヒミ氏が誰かもご存じなかった?

>ついでに,お前のほとんど唯一の典籍らしき講談社版の『タリバン』だが,これは翻訳のせいか,時系列がところどころおかしい.
>このことは,すでにお前の言う社会学版で論証済みじゃないか.

 捏造はいけません.
 社会学板で,記述がおかしいと指摘されていたのは,田中宇のほうの『タリバン』です.
http://mltr.ganriki.net/unc0003h.html#22941e
> 講談社版はともかく,光文社版ははっきり言って論外の代物なんで,
>普通なら恥ずかしくて「基本的文献」には含めないような本なんだけどねえ.
> だってね,ヘクマチアルが死んでることになってたり,元国王の名が間違ってたりするし,
>新聞記事を見て書いたとしか思えないような出来の本なんだよねえ.

 そもそも自他共に認める陰謀論者である田中宇を,参考文献に挙げるほうがどうかしていますが.

 それとも社会学板でどこか他に,ラシッド『タリバン』の記述がおかしいというレスがあったというのであれば,その場所を明示していただきたいですな.

>>294
>状況証拠も示している

 荒唐無稽でお話になりません,というレベル.
 911陰謀論者の挙げる「証拠」だって,これよりはマシですな.

消印所沢 in 「週刊オブイェクト」コメント欄,at 2011年01月02日 05:43:49


 【質問】
 ターリバーン指導者,オマルとは?

 【回答】
 オマル師は1959年頃,パシュトゥン族《ギルザイ種族》ホタキ氏族出身,とされる.
 カンダハル近郊農村のイスラーム指導者(ムラー)だったが,その言動から「十分なイスラーム学教育を受けていない,不完全な宗教聖職者」とみられる.

 ソ連軍が侵攻した際,ムジャヒディンの一派に加入し,戦闘に加わる.戦闘で4度負傷し,右目を失明.
 3人の妻がいるが,うち1名は,オサマ・ビンラディン氏の娘と噂される.

 1996年,イスラームの預言者ムハマンドの後継者を意味する《アミール・ウル・ムウミニーン》を自称,全イスラーム世界の反感と失笑を買う.

 オマル師の情報は極めて少なく,彼が演説することもなかった.
 何故なら,オマル師は,公衆で説教する素養も経験もなかったため,とみられる.これについては,パキスタン軍統合情報部 ISI からの軍事顧問が,オマル師の《神秘性》を演出するため,巧妙に情報操作(オマル師はメディア嫌い,写真嫌い,などなど)をした.

 オマル師は,タリバンがアフガニスタンの大部分を占めるようになっても,宗教者としても政治家としても高度な判断能力はなく,何もしなかった,らしい.
 パキスタン統合情報部 ISI のみならず,オサマ・ビンラディン氏もオマル師を利用した.
 現在,パキスタン国境沿いの山岳地帯に潜伏中と推測される.

軍事板

 オマル会見談は「メディア嫌い,写真嫌い」なだけあって少ない.
 以下のような断片的な情報が幾つかあるのみである.

――――――
 オマル師が西側諸国のマスコミとのインタビューに応じることはなく,僅かにイスラム諸国のマスコミとの会見に稀に応じるといった程度であった.
 その限られたマスコミとのインタビューで明らかになったことは,オマル師は非常に単純,素朴な人物であり,アフガニスタンを取り巻く国際情勢はもちろんのこと,アフガニスタン国内政治情勢すら,正確に理解しているか疑わしい,ということであった.
 マスコミからの簡単な質問に対しても,周囲に控えている他のタリバン指導者に答を求めることがしばしばであったという.
 アフガニスタン一国を統治する能力を持ち合わせているのか,極めて疑わしいという印象を与えた.

――――――『タリバンの復活』(遠藤雄介著,花伝社,2008.10.22),p.12

――――――
彼〔ムラー・ナキブ〕はタリバンとの関係ゆえに,カンダハルでは問題の人物である.
 ブルハヌディン・ラバニの大統領時代,ナキブはカンダハルの最高軍司令官に任命されたが,1994年,彼はタリバンにカンダハルを引き渡した.
 つい最近の,タリバンがカンダハルから突然に姿を消した不可解な行動にも,関わりがあると専ら信じられていて,とりわけムラー・オマルの逃亡への関与で厳しく非難されている.
 〔略〕
 どうやらムラー・オマルは,町外れに40ヘクタールもの地所を所有し,およそ400アールを当てた邸宅には,複雑に入り組んだ塀で囲まれた家族の住居やゲストハウスがあったらしい.
 車は,オマルの地所を通り抜ける未舗装路を走り,間もなくアルガンダブ渓谷へ通じる舗装路に出た.
 アルガンダブ渓谷は,土煙が上がる小路が四方八方に広がって砂漠や山間部に通じる,農村部の要塞である.オマルの家は,逃走に格好の場所にあった.
 私はナキブに,ムラー・オマルに会ったことがあるかと尋ねた.
「何度も」と彼は答えた.ナキブはオマルを,「一度も人々に話しかけたことがない,非常に寡黙な男」と評した.

 〔略〕

 私はカンダハルで,ムラー・ナキブを除けば,オマルに会ったことがあるただ一人の人物に会った.
 ポパルという,州知事公邸で働く青年だった.
 12月半ばにカンダハル州知事に任命されたグル・アガ・シルザイへのインタビューを待っていたある晩,ポパルは私の話し相手をしてくれた.
 私にお茶を持ってきて,広いオフィスの床に一緒に座った.
 彼は椅子がないことを侘び,タリバンが出て行くときに,カーペットに至るまでめぼしい物はあらかた持ち去ってしまったのだと説明した.
 〔略〕
 ポパルもタリバン政権下で知事公邸で働いていた.
 カンダハルで仕事を見つけるのは大変だった.
 〔略〕
 ポパルは知事公邸でムラー・オマルに会った.
「誰か他の人のトヨタ・カローラに乗ってきたのを覚えている」とポパルは言った.「ごく普通の車で.
 公邸に来たのは,幹部の一人の父親が病気で,治癒祈願のためだった.
 彼はとても寡黙で優しかった.私の髪を汚い水で濡らして剃ったようなタリバンと違って,私にはいい人に見えた」

――――――Jon Lee Anderson著「獅子と呼ばれた男」(清流出版,2005/6/13),p.172

 これだけ引用しても,「寡黙」「一見いい人そう」くらいしか分からないのが悲しいところ.
 しかも,後者は一見しての印象というだけだし.


 【質問】
 ターリバーンの主要メンバーは?

 【回答】
 国連制裁委員会が指定した,「ターリバーン関係者等に関するリスト」によれば,以下の通り.
(氏名は名・姓の順に表記)

【アフガニスタンに住所又は居所を有するタリバーン関係者】

  1. ムラー・モハンマド・ラバニ(指導評議会議長,閣僚評議会議長)
    Mullah Mohammad Rabbani, Chairman of the Ruling Council, Head of the Council of Ministers
  2. ムラー・ハッジ・モハンマド・ハサン(閣僚評議会第一副議長,カンダハール州知事)
    Mullah Hadji Mohammad Hasan, First Deputy, Council of Ministers; Governor of Kandahar
  3. マウラヴィ・アブドゥル・カビール(閣僚評議会第二副議長,ナンガハール州知事,東部地域議長)
    Maulavi Abdul Kabir, Second Deputy, Council of Ministers; Governor of Nangahar Province; Head of Eastern Zone
  4. ムラー・モハメド・オマル(信仰指導者(アミール・ウル・モミニーン))
    Mullah Mohammed Omar, Leader of the Faithful ("Amir ul-Mumineen"), Afghanistan
  5. ムラー・モハンマド・タフレ・アヌワリー(行政問題担当)
    Mullah Mohammad Tahre Anwari, Administrative Affairs
  6. マウラヴィ・サイイド・ハッカーン(行政担当大臣)
    Maulavi Sayyed Haqqan, Minister of Administrative Affairs
  7. マウラヴィ・アブドゥル・ラティフ・マンスール(農業大臣)
    Maulavi Abdul Latif Mansur, Minister of Agriculture
  8. ムラー・シャムス・ウル・ラフマン(農業次官)
    Mullah Shams-ur-Rahman, Deputy Minister of Agriculture
  9. マウラヴィ・アッティクッラー・アフンド(農業次官)
    Maulavi Attiqullah Akhund, Deputy Minister of Agriculture
  10. マウラヴィ・アブドゥル・ガフォール(農業次官)
    Maulavi Abdul Ghafoor, Deputy Minister of Agriculture
  11. アフタール・モハンマド・マンスール(航空・運輸大臣)
    Akhtar Mohammad Mansour, Minister of Civil Aviation and Transportation
  12. ハッジ・タヒス(航空次官)
    Hadji Tahis, Deputy Minister of Civil Aviation
  13. ムラー・モハンマド・ナイム(航空次官)
    Mullah Mohammad Naim, Deputy Minister of Civil Aviation
  14. ヒダヤトゥッラー・アブー・トゥラブ(航空次官)
    Hidayatullah Abu Turab, Deputy Minister of Civil Aviation
  15. ムラー・ヤール・モハンマド・ラヒミ(通信大臣)
    Mullah Yar Mohammad Rahimi, Minister of Communication
  16. ムラー・ハッジ・アッラ・ダード・タイェブ(通信次官)
    Mullah Haji Alla Dad Tayeb, Deputy Minister of Communication
  17. マウラヴィ・アブドゥル・ラザク(商業大臣)
    Maulavi Abdul Razaq, Minister of Commerce
  18. マウラヴィ・ファイズ・モハンマド・ファイザン(商業次官)
    Maulavi Faiz Mohammad Faizan, Deputy Minister of Commerce
  19. マウラヴィ・ニク・モハンマド(商業次官)
    Maulavi Nik Mohammad, Deputy Minister of Commerce
  20. ムラー・マティウッラー(カブール税関)
    Mullah Matiullah, Kabul Custom House
  21. マウラヴィ・ダードゥッラー・アフンド(建設大臣)
    Maulavi Dadullah Akhund, Minister of Construction
  22. ムラー・ハッジ・ウバイドゥッラー・アフンド(国防大臣)
    Mullah Hadji Ubaidullah Akhund, Minister of Defence
  23. ムラー・ファゼル・マズルーム(陸軍副参謀長)
    Mullah Fazel M. Mazloom, Deputy Chief of Army Staff
  24. ムラー・バラダール(国防次官)
    Mullah Baradar, Deputy Minister of Defence
  25. ムラー・アブドゥル・ラウフ(中央軍司令官)
    Mullah Abdul Rauf, Commander of Central Corpus
  26. ムラー・アミール・カーン・モタキ(教育大臣)
    Mullah Amir Khan Motaqi, Minister of Education
  27. ムラー・モハンマド・ナシーム・ハナフィー(教育次官)
    Mullah Mohammad Nasim Hanafi, Deputy Minister of Education
  28. マウラヴィ・アフメド・シャイドヘル(教育次官)
    Maulavi S. Ahmed Shahidkhel, Deputy Minister of Education
  29. ムラー・アブドゥル・ワセイ・アガジャン・モタセム(財務大臣)
    Mullah Abdul Wasay Aghajan Motasem, Minister of Finance
  30. ムラー・アレフラー・アレフ(財務次官)
    Mullah Arefullah Aref, Deputy Minister of Finance
  31. ムラー・ハジ・アフマディ(アフガニスタン中央銀行総裁)
    Mullah Haji M. Ahmadi, President of Da Afghanistan Bank
  32. アブドゥル・ワキル・ムタワッキル(外務大臣)
    Abdul Wakil Mutawakil, Minister of Foreign Affairs
  33. アブドゥル・ラフマン・ザーヘド(外務次官)
    Abdul Rahman Zahed, Deputy Minister of Foreign Affairs
  34. ムラー・アブドゥル・ジャリール(外務次官)
    Mullah Abdul Jalil, Deputy Minister of Foreign Affairs
  35. アブドゥル・サタール・パクティス(外務省儀典長)
    Dr. Abdul Satar Paktis, Protocol Dept., Ministry of Foreign Affairs
  36. マウラヴィ・ファイズ(外務省情報局長)
    Maulavi Faiz, Information Dept., Ministry of Foreign Affairs
  37. シャムス・ウス・サファ・アミンザイ(外務省報道局長)
    Shams-us-Safa Aminzai, Press-Centre, Ministry of Foreign Affairs
  38. マウラヴィ・アブドゥル・バキ(外務省領事局長)
    Maulavi Abdul Baqi, Consulate Dept., Ministry of Foreign Affairs
  39. ジャワズ・ワジリ(外務省国連局長)
    M. Jawaz Waziri, UN Dept., Ministry of Foreign Affairs
  40. マウラヴィ・ジャッララウディン・ハカニ(辺境担当大臣)
    Maulavi Djallalouddine Haqani, Minister of Frontier Affairs
  41. マウラヴィ・アブドゥル・ハキム・モニブ(辺境担当次官)
    Maulavi Abdul Hakim Monib, Deputy Minister of Frontier Affairs
  42. アルハジ・イブラヒム・オマリ(辺境担当次官)
    Alhaj M. Ibrahim Omari, Deputy Minister of Frontier Affairs
  43. カリ・ディン・モハンマド(高等教育大臣)
    Qari Din Mohammad, Minister of Higher Education
  44. マウラヴィ・ハミドゥッラー・ノマニ(高等教育省幹部)
    Maulavi Hamidullah Nomani, High Ranking Official in the Ministry of Higher Education
  45. ザビフッラー・ハミディ(高等教育次官)
    Zabihullah Hamidi, Deputy Minister of Higher Education
  46. マウラヴィ・アルサラン・ラフマニ(高等教育次官)
    Maulavi Arsalan Rahmani, Deputy Minister of Higher Education
  47. マウラヴィ・クドゥラトゥッラー・ジャマル(情報大臣)
    Maulavi Qudratullah Jamal, Minister of Information
  48. ムラー・アブドゥル・バキ(情報・文化副大臣)
    Mullah Abdul Baqi, Vice-Minister of Information and Culture
  49. マウラヴィ・アブドゥル・ラフマン・アフマド・ホッタク(文化担当情報文化次官)
    Maulavi Abdul Rahman Ahmad Hottak, Deputy (Cultural) Minister of Information and Culture
  50. マウラヴィ・ラヒムッラー・ズルマティ(出版担当情報・文化次官)
    Maulavi Rahimullah Zurmati, Deputy (Publication) Minister of Information and Culture
  51. アブドゥルハイ・モトマエン(カンダハール情報・文化局長)
    Abdulhai Motmaen, Information and Culture Dept., Kandahar
  52. マウラヴィ・モハンマド・ヤクブ(バフタール通信社編集長)
    Maulavi Mohammad Yaqoub, Head of BIA(Bakhtar Itlati Azans)
  53. ムラー・アブドゥル・ラザク(内務大臣)
    Mullah Abdul Razaq, Minister of Interior Affairs
  54. ムラー・アブドゥル・サマド・ハクサール(治安担当内務次官)
    Mullah Abdul Samad Khaksar, Deputy (Security) Minister of Interior Affairs
  55. モハンマド・シャリフ(内務次官)
    Mohammad Sharif, Deputy Minister of Interior Affairs
  56. マウラヴィ・ヌール・ジャラル(行政担当内務次官)
    Maulavi Noor Jalal, Deputy (Administrative) Minister of Interior Affairs
  57. マウラヴィ・サイド・アジム・アガ(旅券・査証局長)
    Maulavi Saed M. Azim Agha, Passport and Visa Dept.
  58. ムラー・ヌールッディン・トゥラビ(司法大臣)
    Mullah Nooruddin Turabi, Minister of Justice
  59. マウラヴィ・ジャラルッディン・シンワリ(司法次官)
    Maulavi Jalaluddine Shinwari, Deputy Minister of Justice
  60. アルハジ・ムラー・モハンマド・イーサ・アフンド(鉱業・産業大臣)
    Alhaj Mullah Mohammad Essa Akhund, Minister of Mines and Industries
  61. マウラヴィ・サイードゥル・ラフマン・ハカニ(鉱業・産業次官)
    Maulavi Sayeedur Rahman Haqani, Deputy Minister of Mines and Industries
  62. ムラー・アブドゥル・サラム・ザイエフ(鉱業・産業次官)
    Mullah Abdul Salam Zaief; Deputy Minister of Mines and Industries
  63. マウラヴィ・モハンマド・アザム・エルミ(鉱業・産業次官)
    Maulavi Mohammad Azam Elmi, Deputy Minister of Mines and Industries
  64. カリ・ディン・モハンマド・ハニフ(計画大臣)
    Qari Din Mohammad Hanif, Minister of Planning
  65. マウラヴィ・エザトゥッラー(計画次官)
    Maulavi Ezatullah, Deputy Minister of Planning
  66. マウラヴィ・ムーサ・ホッタク(計画次官)
    Maulavi M. Musa Hottak, Deputy Minister of Planning
  67. ムラー・モハンマド・アッバース・アフンド(公共保健大臣)
    Mullah Mohammad Abbas Akhund, Minister of Public Health
  68. シェール・アッバース・スタネクザイ(公共保健次官)
    Sher Abbas Stanekzai, Deputy Minister of Public Health
  69. マウラヴィ・モハンマドゥッラー・マティ(公共事業大臣)
    Maulavi Mohammadullah Mati, Minister of Public Works
  70. マウラヴィ・ロスタム・ヌリスタニ(公共事業次官)
    Maulavi Rostam Nuristani, Deputy Minister of Public Works
  71. ハッジ・モッラ・アティクッラー(公共事業次官)
    Hadji Molla Atiqullah, Deputy Minister of Public Works
  72. マウラヴィ・ナジブッラー・ハッカーニ(公共事業次官)
    Maulavi Najibullah Haqqani, Deputy Minister of Public Works
  73. マウラヴィ・サイイド・ギアスッディンヌ・アガ(巡礼・宗教大臣)
    Maulavi Sayyed Ghiassouddine Agha, Minister of Haj and Religious Affairs
  74. マウラヴィ・モスリム・ハッカーニ(巡礼・宗教次官)
    Maulavi Moslim Haqqani, Deputy Minister of Haj and Religious Affairs
  75. カラムッディン・モマンド(巡礼次官)
    Maulavi Qalamudin Momand, Deputy Minister of Haj Affairs
  76. マウラヴィ・アブドゥル・ラキブ・タハリ(帰還大臣)
    Maulavi Abdul Raqib Takhari, Minister of Repatriation
  77. ラマトゥッラー・ワヒディヤール(殉教・帰還次官)
    Ramatullah Wahidyar, Deputy Minister for Martyrs and Repatriation
  78. モハンマド・セディク・アフンザダ(殉教・帰還次官)
    Mohammad Sediq Akhundzada, Deputy Minister of Martyrs and Repatriation
  79. マウラヴィ・モハンマド・ワリ(勧善懲悪大臣)
    Maulavi Mohammad Wali, Minister of Department of Preventing Vice and Propagating Virtue
  80. マウラヴィ・モハンマド・サリム・ハッカーニ(勧善懲悪次官)
    Maulavi Mohammad Salim Haqqani, Deputy Minister of Preventing Vice and Propagating Virtue
  81. マウラヴィ・サイイド・エスマトゥッラー・アセム(勧善懲悪次官)
    Maulavi Sayed Esmatullah Asem, Deputy Minister of Preventing Vice and Propagating Virtue
  82. カリ・アフマドゥッラー(諜報担当治安大臣)
    Qari Ahmadulla, Minister of Security (Intelligence)
  83. マウラヴィ・アブドゥル・ハック・ワッセク(諜報担当治安次官)
    Maulavi Abdul-Haq-Wasseq, Deputy Minister of Security (Intelligence)
  84. マウラヴィ・エフサヌッラー(諜報担当治安次官)
    Maulavi Ehsanullah, Deputy Minister of Security (Intelligence)
  85. ムラー・ハビブッラー・レシャド(捜査局長)
    Mullah Habibullah Reshad, Head of Investigation Dept.
  86. ムラー・アフメド・ジャン・アフンド(水・電気大臣)
    Mullah Ahmed Jan Akhund, Minister of Water and Electricity
  87. モハンマド・ホマユーン(水・電気次官)
    Eng. Mohammad Homayoon, Deputy Minister of Water and Electricity
  88. マウラヴィ・サイドゥッディン・サイイド(労働・社会副大臣)
    Maulavi Saiduddine Sayyed, Vice-Minister of Work and Social Affairs
  89. マウラヴィ・アブドゥル・ジャッバール(バグラン州知事)
    Maulavi Abdul Jabbar, Governor of Baghlan Province
  90. マウラヴィ・ヌルッラー・ヌリ(バルク州知事,北部地域議長)
    Maulavi Nurullah Nuri, Governor of Balkh Province; Head of Northern Zone
  91. ムハンマド・イスラム(バーミヤン州知事)
    Muhammad Islam, Governor of Bamiyan Province
  92. ムラー・ジャナン(ファリアブ州知事)
    Mullah Janan, Governor of Fariab Province
  93. ムラー・ドスト・モハンマド(ガズニ州知事)
    Mullah Dost Mohammad, Governor of Ghazni Province
  94. マウラヴィ・ハイール・モハンマド・ハイルフワー(ヘラート州知事)
    Maulavi Khair Mohammad Khairkhwah, Governor of Herat Province
  95. マウラヴィ・アブドゥル・バリ(ヘルマンド州知事)
    Maulavi Abdul Bari, Governor of Helmand Province
  96. マウラヴィ・ワリジャン(ジャウズジャン州知事)
    Maulavi Walijan, Governor of Jawzjan Province
  97. ムラー・ハサン・ラフマニ(カンダハール州知事)
    Mullah M. Hasan Rahmani, Governor of Kandahar Province
  98. ムラー・マナン・ニャジ(カブール州知事)
    Mullah Manan Nyazi, Governor of Kabul Province
  99. マウラヴィ・ワヘド・シャフィーク(カブール州副知事)
    Maulavi A. Wahed Shafiq, Deputy Governor of Kabul Province
  100. アル・ハジ・ムラー・サドゥディン・サイイド(カブール市長)
    Alhaj Mullah Sadudin Sayed, Mayor of Kabul City
  101. マウラヴィ・シャフィクッラー・モハンマディ(ホースト州知事)
    Maulavi Shafiqullah Mohammadi, Governor of Khost Province
  102. マウラヴィ・ナザール・モハンマド(クンドゥーズ州知事)
    Maulavi Nazar Mohammad, Governor of Kunduz Province
  103. エスハック(ラグマン州知事)
    M. Eshaq, Governor of Laghman Province
  104. マウラヴィ・ジア・ウル・ラフマン・マダニ(ロガール州知事)
    Maulavi Zia-ur-Rahman Madani, Governor of Logar Province
  105. マウラヴィ・ハムスディン(ワルダク州知事)
    Maulavi Hamsudin, Governor of Wardak (Maidan) Province
  106. マウラヴィ・カビール(ナンガルハール州知事)
    Maulavi A. Kabir, Governor of Nangarhar Province
  107. ムラー・ラスル(ニムロズ州知事)
    Mullah M. Rasul, Governor of Nimroz Province
  108. マウラヴィ・タワナ(パクティア州知事)
    Maulavi Tawana, Governor of Paktia Province
  109. ムラー・シャフィク(サマンガン州知事)
    Mullah M. Shafiq, Governor of Samangan Province
  110. マウラヴィ・アミヌッラー・アミン(サリプル州知事)
    Maulavi Aminullah Amin, Governor of Saripul Province
  111. マウラヴィ・アブドゥルハイ・サレク(ウルズガン州知事)
    Maulavi Abdulhai Salek, Governor of Urouzgan Province
  112. マウラヴィ・アフマド・ジャン(ザーボル州知事)
    Maulavi Ahmad Jan, Governor of Zabol Province
  113. ヌール・モハンマド・サキーブ(最高裁判所長官)
    Noor Mohammad Saqib, Chief Justice of Supreme Court
  114. マウラヴィ・サナニ(布告発出所長)
    Maulavi Sanani, Head of Dar-ul-Efta
  115. マウラヴィ・サミウッラー・ムアゼン(高等法院副院長)
    Maulavi Samiullah Muazen, Deputy of High Court
  116. マウラヴィ・シャハブッディン・デラワール(高等法院副院長)
    Maulavi Shahabuddin Delawar, Deputy of High Court
  117. アブドゥル・ラフマン・アガ(軍事裁判所長官)
    Abdul Rahman Agha, Chief Justice of Military Court
  118. ムラー・ムスタサエド(科学アカデミー委員長)
    Mullah Mustasaed, Head of Academy of Sciences
  119. マウラヴィ・エスマトゥッラー・アセム(アフガン赤新月社総裁)
    Maulavi Esmatullah Asem, SG of Afghan Red Crescent Society (ARCS)
  120. マウラヴィ・カラムッディン(オリンピック委員会委員長)
    Maulavi Qalamuddin, Head of Olympic Committee
  121. ムラー・ハミドゥッラー(アリアナ・アフガン航空社長)
    Mullah Hamidullah, Head of Ariana Afghan Airlines
  122. アルハジ・ムラー・サドルッディン(カブール市長)
    Alhaj Mullah Sadruddin, Mayor of Kabul City

【アフガニスタン又はパキスタンに住所又は居所を有するタリバーン関係者】

  1. ムラー・アブドゥル・サラム・ザイーフ(駐パキスタン特命全権大使)
    Mullah Abdul Salam Zaeef (Ambassador Extraordinary and Plenipotentiary)
  2. ハビブッラー・ファウジ(在パキスタン大使館一等書記官,次席)
    Habibullah Fauzi (First Secretary/Deputy Head of Mission)
  3. モハンマド・ソハイル・シャヒーン(在パキスタン大使館二等書記官)
    Mohammad Sohail Shaheen (Second Secretary)
  4. モハンマド・サルワル・シディクマル(在パキスタン大使館三等書記官)
    Mohammad Sarwar Siddiqmal (Third Secretary)
  5. ムラー・モハンマド・ザヒード(在パキスタン大使館三等書記官)
    Mullah Mohammad Zahid (Third Secretary)
  6. アブドゥル・カディール(在パキスタン大使館軍事アタッシェ)
    General Abdul Qadeer (Military Attache)
  7. マウラヴィ・ナジルッラー・アナフィ(在パキスタン大使館商務アタッシェ)
    Maulavi Nazirullah Anafi (Commercial Attache)
  8. マウラヴィ・アブドゥル・ガファール・クリシ(在パキスタン大使館帰還アタッシェ)
    Maulavi Abdul Ghafar Qurishi (Repatriation Attache)
  9. モハンマド・ダウド(在パキスタン大使館行政アタッシェ)
    Mohammad Daud (Administrative Attache)
  10. マウラヴィ・ナジブッラー(ペシャワール総領事)
    Maulavi Najibullah (Consul General)
  11. カリ・アブドゥル・ワリ(ペシャワール総領事館一等書記官)
    Qari Abdul Wali (First Secretary)
  12. シェド・アッラムッディン(ペシャワール総領事館二等書記官)
    Syed Allamuddin (Second Secretary)
  13. マウラヴィ・アフタール・モハンマド(ペシャワール総領事館教育アタッシェ)
    Maulavi Akhtar Mohammad (Education Attache)
  14. アルハジ・マウラヴィ・モハンマド・サッディク(ペシャワール総領事館貿易代表)
    Alhaj Maulavi Mohammad Saddiq (Trade Representative)
  15. マウラヴィ・ラハマトゥッラー・カカザダ(カラチ総領事)
    Maulavi Rahamatullah Kakazada (Consul General)
  16. ムフティ・モハンマド・アリーム・ヌーラニ(カラチ総領事館一等書記官)
    Mufti Mohammad Aleem Noorani (First Secretary)
  17. ハジ・アブドゥル・ガファール・シェンワリー(カラチ総領事館三等書記官)
    Haji Abdul Ghafar Shenwary (Third Secretary)
  18. マウラヴィ・グル・アフマド・ハキミ(カラチ総領事館商務アタッシェ)
    Maulavi Gul Ahmad Hakimi (Commercial Attache)
  19. マウラヴィ・アブドゥッラー・ムラド(クエッタ総領事)
    Maulavi Abdullah Murad (Consul General)
  20. マウラヴィ・アブドゥル・ハイイ・アアゼム(クエッタ総領事館一等書記官)
    Maulavi Abdul Haiy Aazem (First Secretary)
  21. マウラヴィ・ハムドゥッラー(クエッタ総領事館帰還アタッシェ)
    Maulavi Hamdullah (Repatriation Attache)

【アフガニスタン又はアラブ首長国連邦に住所又は居所を有するタリバーン関係者】

  1. ジャン・モハンマド・マダニ(駐アラブ首長国連邦臨時代理大使)
    Mr Jan Mohmmad Madani, Charge d'Affaires, Taliban Embassy, Abu Dhabi
  2. シャムサラー・クマルザダ(在アラブ首長国連邦大使館二等書記官)
    Mr Shamsalah Kmalzada, Second Secretary, Taliban Embassy, Abu Dhabi
  3. アジジラフマン(在アラブ首長国連邦大使館三等書記官)
    Mr Azizirahman,Third Secretary, Taliban Embassy, Abu Dhabi
  4. マウラウィ・アブドゥル・マナン(在アラブ首長国連邦大使館商務アタッシェ)
    Mr Mawlawi Abdul Manan, Commercial Attache, Taliban Embassy, Abu Dhabi

【アフガニスタン又はサウディ・アラビアに住所又は居所を有するタリバーン関係者】

  1. マラウィ・アブドゥル・ワハブ(駐サウディアラビア王国臨時代理大使)
    Malawi Abdul Wahab, Taliban Charge d'Affaires in Riyadh

【アフガニスタン又はアメリカ合衆国に住所又は居所を有するタリバーン関係者】

  1. アブドゥル・ハキム・ムジャヒド(駐国際連合使節)
    Abdul Hakim Mujahid, Taliban envoy to the United Nations

【アフガニスタン又は欧州連合加盟国に住所又は居所を有するタリバーン関係者】

  1. ラフマトゥッラー・サフィ(欧州代表)
    General Rahmatullah Safi, Taliban representative in Europe

【特定企業(支店を含む.)】

  1. アリアナ・アフガン航空(旧バフタル・アフガン航空)
    Ariana Afghan Airlines (formerly known as Bakhtar Afghan Airlines)
    所在地:Afghan Authority Building, P.O. Box 76, Ansari Watt, Kabul, Afghanistan
    その他支店,インド・ニューデリーCiti Bank及びPunjab National Bankにおける口座
  2. バンケ・ミリ・アフガン(別称アフガン国立銀行又はバンク・エ・ミリ・アフガン)
    Banke Millie Afghan (a.k.a. Afghan National Bank; a.k.a. Bank E. Millie Afghan)
    所在地:Jada Ibn Sina, Kabul, Afghanistan,その他支店
  3. ダ・アフガニスタン・バンク(別称アフガニスタン銀行,アフガニスタン中央銀行,又はアフガニスタン国銀行)
    Da Afghanistan Bank (a.k.a. Bank of Afghanistan; a.k.a. Central Bank of Afghanistan; a.k.a. The Afghan State Bank)
    所在地:Ibni Sina Wat, Kabul, Afghanistan
  4. デ・アフガニスタン・モムタズ銀行
    De Afghanistan Momtaz Bank
  5. アフガニスタン農業開発銀行
    Agricultural Development Bank of Afghanistan (ADB) 所在地:United Kingdom

【アフガニスタンに住所又は居所を有するオサマ・ビン・ラーデン及びその関係者】

  1. ウサマ・ビン・ムハンマド・ビン・アワド・ビン・ラーデン(別名 アブー・アブダッラー・アブド・アル・ハキム,ウサマ・ビン・ラーデン,ウサマ・ビン・ムハンマド・ビン・アワド,オサマ・ビン・ラーデン)
    Usama Bin Muhammad Bin Awad Bin Ladin (a.k.a Abu Abdallah Abd Al-Hakim, Usama bin Laden, Usama Bin Muhammad Bin Awad, Osama Bin Laden)
    生年月日:1957年7月30日又は1957年7月28日
    出身地: Jeddah, Saudi Arabia又はYemen
    国籍:サウディ国籍は剥奪,公的にはアフガン国民
  2. ムハンマド・アティフ(別名アブー・ハフス,スブヒ・アブー・シッタ,アブー・ハフス・アル・マスリ,シェイク・タイシール・アブドゥッラ,モハメド・アテフ,アブー・ハフス・アル・マスリ・エル・ハビール,タイシール),UBLの上級副官
    Muhammad 'Atif(a.k.a,Abu Hafs, Subhi Abu Sitta,Abu Hafs Al Masri, Sheik Taysir Abdullah,Mohamed Atef,Abu Hafs Al Masri El khabir,Taysir), Senior lieutenant to UBL
    生年月日:1956年,1951年又は1944年
    出身地:Alexandria, Egypt
    国籍:Egypt(推定)
  3. アイマン・ムハンマド・ラビ・アル・ザワヒリ(別名 アイマン・アル・ザワヒリ,アフメド・フアド・サリム),エジプシャン・イスラミック・ジハードの前指導者,UBL協力者,ジハード団の作戦・軍事指導者
    Aiman Muhammad Rabi Al-Zawahiri
    (a.k.a  Ayman Al-Zawahiri, Ahmed Fuad Salim), Former leader of the Egyptian Islamic Jihad, now a close associate of UBL, Operational and Military Leader of Jihad Group
    生年月日:1951年6月19日
    出身地: Giza, Egypt
    国籍:Egypt(推定)
    パスポート番号:1084010 (Egypt)又は19820215
  4. サド・アル・シャリーフ,ウサマ・ビン・ラーデン義弟,同人の協力者,同人の財務部門責任者と思われる者
    Sa'd Al-Sharif, Brother-in-law and close associate of Usama Bin Laden, Said to be head of UBL's financial organisation
    生年月日:1969年
    出身地:Saudi Arabia
  5. サイフ・アル・アディル(別名 サイフ・アル・アディル),UBL警護責任者
    Saif Al-'adil(a.k.a Sayf Al-Adl), Responsible for UBL's security
    生年月日:1963年
    出身地:Egypt
    国籍:Egypt(推定)
  6. アミン・アル・ハック(別名ムハンマド・アミン,アフ・ハク・アミン博士,ウル・ハク・アミン博士),ウサマ・ビン・ラーデン防護担当調整係.
    Amin Al-Haq (aka Muhammad Amin; Ah Haq, Dr.Amin; Ul-Haq, Dr.Amin), Security coordinator for Usama Bin Laden
    生年月日:1960年
    出身地:Nangahar province, Afghanistan
    国籍:Afghanistan
  7. アフマド・サイド・アル・カドル(別名アブー・アブド・アル・ラフマン・アル・カナディ)
    Ahmad Sa'id Al-Kadr (aka Abu Abd Al-Rahman Al-Kanadi)
    生年月日:1948年3月1日
    出身地: Cairo, Egypt
    国籍:Egypt 及び Canada (推定)
  8. ザイン・アル・アビディン・ムハッハド・フサイン(別名 アブー・ズバイダ,アブド・アル・ハディ・アル・ワハブ,アブ・ズバイヤダ,タリク),UBL協力者,テロリストの移動補助者
    Zain Al-Abidin Muhahhad Husain (a.k.a Abu Zubaida, Abd Al-Hadi Al-Wahab, Abu Zubayadh,Tariq), Close associate of UBL and facilitator of terrorist travel
    生年月日: 1971年3月12日
    出身地:Riyadh, Saudi Arabia
    国籍:Saudi Arabia, Palestina及びJordan(推定)
  9. サカール・アル・ジャダウィ,UBL補佐
    Saqar Al-Jadawi ,Aide to UBL
    生年月日:1965年
    国籍:Yemen 及び Saudi Arabia(推定)
  10. ビラル・ビン・マルワン,ウサマ・ビン・ラーデン上級副官
    Bilal Bin Marwan, Senior lieutenant of Usama Bin Laden
    生年月日:1947年

【アル・カーイダのネットワークを構成する11のテロ組織】

  1. アル・カーイダ/イスラム軍
    (別称 「基地」,アル・カエダ,イスラム救済財団,聖地保存グループ,聖地解放イスラム軍,反ユダヤ・十字軍世界イスラム・ジハード戦線,ウサマ・ビン・ラーデン・ネットワーク,ウサマ・ビン・ラーデン組織)
    Al Qa'ida/Islamic Army
    (a.k.a " The base", Al Qaeda, Islamic Salvation Foundation,The Group for the preservation of the Holy Sites,The Islamic Army for the Liberation of Holy Places, The World Islamic Front for Jihad Against Jews and Crusaders,Usama Bin Laden Network,Usama Bin Laden Organization)
  2. アブ・サヤフ
    (別称 アル・ハラカト・アル・イスラミヤ)
    Abu Sayyaf Group
    (a.k.a Al Harakat Al Islamiyya)
  3. 武装イスラム集団(別称 アル・ジャマア・アル・イスラミア・アル・ムサッラ,GIA)
    Armed Islamic Group(GIA)
    (a.k.a Al Jamm'ah Al-Islamiah Al-Musallah, GIA, Groupment Islamic Arme)
  4. ハラカト・ムジャヒディン(別称 アル・ファラン,アル・ハディド,アル・ハディス,ハラカト・アル・アンサール,HUA,アラカト・アル・ムジャヒディーン)
    Harakat ul-Mujahidin/HUM
    (a.k.a Al-Faran,Al-Hadid ,Al-Hadith, Harakat UL-Ansar ,HUA,Harakat Ul-Mujahideen)
  5. ジハード団(別称 エジプシャン・アル・ジハード,エジプシャン・イスラミック・ジハード団,ニュー・ジハード)
    Al-Jihad/Egyptian Islamic Movement
    (a.k.a Egyptian Al-Jihad, Egyptian Islamic Jihad,Jihad Group,New Jihad)
  6. イスラム運動ウズベキスタン(別称 IMU)
    Islamic Movement of Uzbekistan
    (a.k.a IMU)
  7. アスバト・アルアンサル
    Asbat Al-Ansar
  8. サラフィスト・グループ
    Salafist Group for Call and Combat/GSPC
    (a.k.a Le Groupe Salafiste Pour La Prediction et le Combat)
  9. リビア・イスラム闘争グループ
    Libyan Islamic Fighting Gruop
  10. アルイティハード・アルイスラミヤ
    Al-Itihaad Al-Islamiya(AIAI)
  11. アデン・イスラム軍
    Islamic Army of Aden

【テロリストのリーダー】

  1. シャイク・サイード(別名 ムスタファ・ムハンマド・アフマド)
    Shaykh Sai'id(a.k.a,Mustafa Muhammad Ahmad)
    出生地:Egypt
  2. アブ・ハフス(別名 マフフォウズ・オウルド・アル・ワリド,ハリド・アル・シャンキティ,マフフォウズ・ワリド・アル・ワリド,マハメド・オウルド・スラヒ)
    Abu Hafs the Mauritanian(a.k.a,Mahfouz Ould al-Walid, Khalid Al- Shanqiti,Mafouz Walad Al-Walid,Mahamedou Ouid Slahi)
    生年月日:1975年1月1日
  3. イブン・アルシャイク・アルリビ
    Ibn Al-Shaykh al-Libi
  4. アブド・アルハディ・アルイラキ(別名 アブー・アブダッラ,アブダル・アル・ハッジ・アル・イラク)
    Abd al-Hadi al Iraqi(a.k.a,Abu Abdallah,Abdal Al-Hadi Al-Iraqi)
  5. シルワト・サラ・シハタ(別名 タルワト・アスラ・アブドッラー,サラ・シハタ・シルワト,シャハタ・シルハト)
    Thirwat Salah Shihata(a.k.a, Tarwat Aslah Abdallah,Salah Shihate Thirwat,Shahata Thirwat)
    生年月日:1960年6月29日
    出生地:Egypt
  6. タリク・アンワル・アルサイード・アハマド(別名 ハムディ・アフマド・ファラク,アムル・アル・ファティ・ファティ)
    Tariq Anwar al-Sayyid Ahmad(a.k.a,Hamdi Ahmad Faraq ,Amr al-Fatih Fathi) 青年月日:1963年3月15日
    出生地:Alexandria,Egypt
  7. ムハンマド・サラ(ナスル・ファフミ・ナスル・ハサナイン)
    Muhammad Salah(a.k.a,Nasr Fahmi Nasr Hasanayn)
  8. マクタブ・アルキダマト
    Makhtab Al-Khidamat/Al Kifah

【団体】

  1. ワファ人道組織(別称 アル・ワファ,アル・ワファ組織,ワファ・アル・イガタ・ル・イスラミア)
    Wafa Humanitarian Organization
    (a.k.a Al Wafa, Al Wafa Organization, Wafa Al-Igatha Al-Islamia)
  2. アルラシード信託
    Al Rashid Trust(a.k.a Al-Rasheed Trust)
  3. マモン・ダルカザンリ輸出入会社(別称 ダルカザンリ会社,ダルカザンリ貿易会社)
    Mamoun Darkazanli Import-Export Company
    (a.k.a Darkazanli Company,Darkazanli Export-Import Sonderposten)
  4. アフガン輸出銀行
    Afghan Export Bank

【団体】

  1. アル・ハマティ・スィーツ・ベーカリーズ
    Al-Hamati Sweets Bakeries
    所在地:Al-Mukallah, Hadhramawt Governorate, Yemen
  2. アル・ヌル・ハニー・プレス・ショップス(別名 アル・ヌル・ハニー・センター) Al-Nur Honey Press Shops(a.k.a. Al-Nur Honey Center)
    所在地:Sanaa, Yemen
  3. アル・シファ商工業用ハニー・プレス
    Al-Shifa, Honey Press For Industry And Commerce
    所在地:P.O. Box 8089, Al-Hasabah, Sanaa, Yemen; By The Shrine Next To The Gas Station, Jamal Street, Ta'iz, Yemen; Al- Arudh Square, Khur Maksar, Aden, Yemen; Al-Nasr Street, Doha,Qatar
  4. ジャイシ・モハンメド(別名 モハンメド軍)
    Jaish-I-Mohammed(a.k.a. Army of Mohammed)
    所在地:Pakistan
  5. ジャミヤ・タアウン・アル・イスラミア(別名 イスラム協力協会,ジャミヤト・アル・タアウン・アル・イスラミーヤ,ジト)
    Jam'yah Ta'awun Al-Islamia(a.k.a. Society of Islamic Cooperation; Jam'iyat Al Ta'awun Al Islamiyya; Jit)
    所在地:Qandahar City, Afghanistan
  6. ラビタ・トラスト
    Rabita Trust
    所在地:Room 9a, 2nd Floor, Wahdat Road, Education Town, Lahore, Pakistan; Wares Colony, Lahore, Pakistan
  7. アフガニスタン輸出促進銀行
    Export Promotion Bank of Afghanistan

【個人】

  1. アグハ・ハジ・アブドゥル・マナン(別名 サイイド・アブドゥ・アル・マン・アム)
    Agha, Haji Abdul Manan(a.k.a. Saiyid,Abd Al-Man,Am)
    住所:Pakistan
  2. アル・ハマティ・ムハンマド(別名 アル・アフダル・モハンマド・ハムディ・サディク,アル・マッキ・アブ・アシム)
    Al-Hamati, Muhammad(a.k.a. Al-Ahdal, Mohammad Hamdi Sadiq; Al-Makki, Abu Asim)
    住所:Yemen
  3. アル・カディ・ヤシン(別名 カディ・シャイフ・ヤッシン・アブドゥッラー,カフディ・ヤシン)
    Al-Qadi, Yasin(a.k.a. Kadi, Shaykh Yassin Abdullah; Kahdi, Yasin)
    住所:Jeddah, Saudi Arabia
  4. ビン・ムハンマド・アヤディ・チャフィク(別名 アヤディ・シャフィク・ベン・ムハンマド,アヤディ・チャフィク・ベン・ムハンマド,アイアディ・ベン・ムハンマド,アイアディー・ベン・ムハンマド)
    Bin Muhammad, Ayadi Chafiq(a.k.a. Ayadi Shafiq, Ben Muhammad; Ayadi Chafik, Ben Muhammad; Aiadi, Ben Muhammad; Aiady, Ben Muhammad) 住所:Helene Meyer Ring 10-1415-80809, Munich, Germany; 129 Park Road, NW8, London, England; 28 Chausse Di Lille, Moscron, Belgium; Darvingasse 1/2/58-60, Vienna, Austria; Tunisia
    生年月日:1963年1月21日
    出身地:Safais (Sfax), Tunisia
  5. ダルカザンリ・マムーン
    Darkazanli, Mamoun
    住所:Uhlenhorster Weg 34, Hamburg, 22085 Germany
    生年月日:1958年8月4日
    出身地:Aleppo, Syria
    パスポート番号:1310636262 (Germany)
  6. ヒジャジ・リアド(別名 ヒジャジ・ラエド・M,アル・ハウェン・アブ・アフマド,アル・マグリビ・ラシド(ザ・モロッカン),アル・アムリキ・アブ・アフマド(ジ・アメリカン),アル・シャヒド・アブ・アフマド)
    Hijazi, Riad (a.k.a. Hijazi, Raed M; Al-Hawen, Abu-Ahmad; Al-Maghribi, Rashid (The Moroccan); Al-Amriki, Abu-Ahmad(The American); Al-Shahid, Abu-Ahmad)
    住所:Jordan
    生年月日:1968
    出身地:California,U.S.A.
    SSN: 548-91-5411.
  7. ラディヤノイ・ムフティ・ラシド・アフマド(別名 ルディアンヴィ・ムフティ・ラシド・アフマド,アルマド・ムフティ・ラシード,ワディヤノイ・ムフティ・ラシド・アフマド)
    Ladehyanoy, Mufti Rashid Ahmad(a.k.a. Ludhianvi, Mufti Rashid Ahmad; Armad, Mufti Rasheed; Wadehyanoy, Mufti Rashid Ahmad)
    住所:Karachi, Pakistan
  8. ウスマン・オマル・マフムード(別名 アル・フィリスティニ・アブ・カタダ,タクフィリ・アブ・ウムル,アブ・ウマル・アブ・オマル,ウスマン・アル・サンマン,ウマル・アブ・ウマル,ウスマン・ウマル,アブ・イスマイル)
    Uthman, Omar Mahmoud (a.k.a. Al-Filistini, Abu Qatada; Takfiri, Abu Umr; Abu Umar, Abu Omar; Uthman, Al-Samman; Umar, Abu Umar; Uthman, Umar; Abu Ismail)
    住所:London, England
    生年月日:1960年12月30日又は1960年12月13日
  9. ユルダシェフ・トヒル(別名 ユルダシェフ・タヒル)
    Yuldashev, Tohir (a.k.a. Yuldashev, Takhir)
    住所:Uzbekistan
  10. ジア・モハンマド(別名 ジア・アフマド)
    Zia, Mohammad (a.k.a. Zia, Ahmad)
    住所:C/O Ahmed Shah C/O Painda Mohammad Al-Karim Set, Peshawar,
    Pakistan; C/O Alam General Store Shop 17, Awami Market, Peshawar,
    Pakistan; C/O Zahir Shah S/
  11. アブドゥッラー・アフメド・アブドゥッラー(別名 アブ・マリアム,アル・マスリ,アブ・モハメド,サレフ)
    Abdullah Ahmed Abdullah (a.k.a. Abu Mariam; Al-Masri, Abu Mohamed; Saleh) 住所:Afghanistan
    生年月日:1963年
    出身地:Egypt
    国籍:Egypt
  12. ムフシン・ムサ・マトワッリ・アトワフ(別名 アブデル・ラフマン,アブドゥル・ラフマン,アル・ムハジル,アブドゥル・ラフマン,アル・ナメル・モハンメド・K.A.)
    Muhsin Musa Matwalli Atwah (a.k.a. Abdel Rahman; Abdul Rahman; Al-Muhajir, Abdul Rahman; Al-Namer, Mohammed K.A.)
    住所:Afghanistan
    生年月日:1964年6月19日
    出身地Egypt
    国籍:Egypt
  13. アナス・アル・リビー(別名 アル・リビ・アナス,アル・ラグヒー・ナジー,アル・ラグヒー・ナジー・アブドゥル・ハメド,アル・サバイ・アナス)
    Anas Al-Liby (a.k.a. Al-Libi, Anas; Al-Raghie, Nazih; Al-Raghie, Nazih Abdul Hamed; Al-Sabai, Anas)
    住所:Afghanistan
    生年月日:1964年3月30日又は1964年5月14日
    出身地:Tripoli, Libya
    国籍:Libya
  14. アフメド・ハルファン・ガイラニ(別名 アフメド・ザ・タンザニアン,「フーピー」,「フピ」,アフマド・アブ・バクル,アフメド・A,アフメド・アブバカル,アフメド・アブバカル・K,アフメド・アブバカル・ハルファン,アフメド・アブバカリ・K,アフメド・アフメド・ハルファン,アル・タンザニ・アフマド,アリ・アフメド・ハルファン,バクル・アブ,ガイラニ・アブバカリ・ハルファン・アフメド,ガイラニ・アフメド,ギラニ・アフマド・ハラファン,フッセイン・マハフド・アブバカル・アフメド・アブダッラー,ハバル・アブ,カハファン・アフメド,モハンメド・シャリフ・オマル)
    Ahmed Khalfan Ghailani (a.k.a. "Ahmed The Tanzanian"; "Foopie"; "Fupi"; Ahmad, Abu Bakr; Ahmed, A; Ahmed, Abubakar; Ahmed Abubakar K; Ahmed Abubakar Khalfan; Ahmed, Abubakary K; Ahmed, Ahmed Khalfan; Al Tanzani, Ahmad; Ali, Ahmed Khalfan; Bakr, Abu; Ghailani, Abubakary Khalfan Ahmed; Ghailani, Ahmed; Ghilani, Ahmad Khalafan; Hussein, Mahafudh Abubakar Ahmed Abdallah; Khabar, Abu; Khalfan, Ahmed; Mohammed, Shariff Omar)
    生年月日:1974年3月14日又は1974年4月13日又は1974年4月14日又は1970年8月1日
    出身地:Zanzibar, Tanzania
    国籍:Tanzania
  15. アフメド・モハンメド・ハメド・アリ(別名 アブドゥレフマン・アフメド・モハンメド,アブ・ファティマ,アブ・イスラム,アブ・ハディイジャフ,アフメド・ハメド,アフメド・ザ・エジプシャン,アフメド・アフメド,アル・マスリ・アフマド,アル・スリル・アブ・イスラム,アリ・アフメド・モハンメド,アリ・ハメド,ヘメド・アフメド,シェーブ・アフメド,シュアイブ)
    Ahmed Mohammed Hamed Ali (a.k.a. Abdurehman, Ahmed Mohammed; Abu Fatima; Abu Islam; Abu Khadiijah; Ahmed Hamed; Ahmed The Egyptian; Ahmed, Ahmed; Al-Masri, Ahmad; Al-Surir, Abu Islam; Ali, Ahmed Mohammed; Ali, Hamed; Hemed, Ahmed; Shieb, Ahmed; Shuaib)
    住所:Afghanistan
    生年月日:1965年
    出身地:Egypt
    国籍:Egypt
  16. ファズル・アブドゥッラー・モハンメド(別名 アブダッラ・ファズル,アブダッラー・ファズル,アイシャ・アブ,アル・スダニ・アブ・セイフ,アリ・ファデル・アブダッラー・モハンメド,ファズル・アブダッラ,ファズル・アブダッラー,ファズル・アブダッラー・モハンメド,ファズル・ハルーン,ファズル・ハルン,ハルーン,ハロウン・ファディル,ハルン,ルクマン・アブ,モハンメド・ファズル,モハンメド・ファズル・アブディラヒ,モハンメド・フアド,ムハマド・ファディル・アブダッラー)
    Fazul Abdullah Mohammed (a.k.a. Abdalla, Fazul; Abdallah, Fazul; Aisha, Abu; Al Sudani, Abu Seif; Ali, Fadel Abdallah Mohammed; Fazul, Abdalla; Fazul, Abdallah; Fazul, Abdallah Mohammed; Fazul Haroon; Fazul, Harun; Haroon; Haroun, Fadhil; Harun; Luqman, Abu; Mohammed,Fazul; Mohammed, Fazul Abdilahi; Mohammed, Fouad; Muhamad, Fadil Abdallah)
    生年月日:1972年8月25日,1974年12月25日又は1974年2月25日
    出身地:Moroni, Comoros Islands
    国籍:Comoros又はKenya
  17. ムスタファ・モハメド・ファディル(別名 アル・マスリ・アブドゥ・アル・ワキル,アル・ヌビ・アブ,アリ・ハッサン,アニス・アブ,エルビシ・ムスタファ・アリ,ファディル・ムスタファ・ムハマド,ファズル・ムスタファ,フッセイン,ジハド・アブ,ハリド,マン・ヌ,モハンメド・ムスタファ,ユッスル・アブ)
    Mustafa Mohamed Fadhil (a.k.a. Al Masri, Abd Al Wakil; Al-Nubi, Abu; Ali, Hassan; Anis, Abu; Elbishy, Moustafa Ali; Fadil, Mustafa Muhamad; Fazul Mustafa; Hussein; Jihad Abu; Khalid; Man, Nu; Mohammed, Mustafa; Yussrr, Abu)
    生年月日:1976年6月23日
    出身地:Cairo, Egypt
    国籍:Egypt又はKenya
    Kenyan Id. No. 12773667
    Serial No. 201735161
  18. シェイフ・アフメド・サリム・スウェダン(別名 アフメド・ザ・トール,アリー・アフメド,バハマド,バハマド・シェイフ,バハマディ・シェイフ,スウェイダン・シェイフ・アフマド・サレム,スウェダン・シェイフ,スウェダン・シェイフ・アフメド・サレム)
    Sheikh Ahmed Salim Swedan (a.k.a. Ahmed The Tall; Ally, Ahmed; Bahamad; Bahamad, Sheik; Bahamadi, Sheikh; Suweidan, Sheikh Ahmad Salem; Swedan, Sheikh; Swedan, Sheikh Ahmed Salem)
    生年月日:1969年4月9日又は1960年4月9日
    出身地:Mombasa, Kenya
    国籍:Kenya
  19. ファヒド・モハンメド・アリー・ムサラム(別名 アル・キニ・ウサマ,アリー・ファヒド・モハンメド,ムサラム・ファハド・アリー,ムサラム・ファヒド・モハンメド・アリ,ムサラム・モハンメド・アリー,ムサラアム・ファヒド・モハンメド・アリ,サレム・ファヒド・ムハマド・アリ)
    Fahid Mohammed Ally Msalam (a.k.a. Al-Kini, Usama; Ally, Fahid Mohammed; Msalam, Fahad Ally; Msalam, Fahid Mohammed Ali; Msalam, Mohammed Ally; Musalaam, Fahid Mohammed Ali; Salem, Fahid Muhamad Ali)
    生年月日:1976年2月19日
    出身地:Mombasa, Kenya
    国籍:Kenya
  20. アブドゥル・ラフマン・ヤシン(別名 タハ・アブドゥル・ラフマン・S,タヘル・アブドゥル・ラフマン・S,ヤシン・アブドゥル・ラフマン・サイド,ヤシン・アブード)
    Abdul Rahman Yasin (a.k.a. Taha, Abdul Rahman S; Taher, Abdul Rahman S; Yasin, Abdul Rahman Said; Yasin, Aboud)
    生年月日:1960年4月10日
    出身地:Bloomington, Indiana U.S.A.
    SSN 156-92-9858 (米国)
    パスポート番号 27082171 (米国(発行日 1992年6月21日,Amman, Jordan)); 又はパスポート番号MO887925 (イラク)
    国籍:U.S.A.

【団体】

  1. アアラン・マネー・ワイヤー・サービス・インク
    AARAN MONEY WIRE SERVICE INC.,
    所在地:1806 Riverside Avenue, 2nd Floor, Minneapolis, Minnesota, USA.
  2. アル・バラカ・エクスチェンジL.L.C
    AL BARAKA EXCHANGE L.L.C
    所在地:P.O. Box 3313, Deira, Dubai, United Arab Emirates; P.O. Box 20066, Dubai, United Arab Emirates.
  3. アル・バラカアト
    AL-BARAKAAT
    所在地:Mogadishu, Somalia; Dubai, United Arab Emirates.
  4. アル・バラカアト銀行
    AL-BARAKAAT BANK
    所在地:Mogadishu, Somalia.
  5. ソマリア・アル・バラカト銀行(別名 ソマリア・バラカト銀行,BBS)
    AL-BARAKAT BANK OF SOMALIA(BBS) (a.k.a. BARAKAT BANK OF SOMALIA) 所在地:Mogadishu, Somalia; Bossaso, Somalia.
  6. ソマリア・アル・バラカト・企業グループ(別名 アル・バラカト金融会社) AL-BARAKAT GROUP OF COMPANIES SOMALIA LIMITED (a.k.a. AL-BARAKAT FINANCIAL COMPANY)
    所在地:P.O.Box 3313, Dubai, United Arab Emirates; Mogadishu, Somalia.
  7. アル・バラカアト・ワイヤリング・サービス
    AL-BARAKAAT WIRING SERVICE
    所在地:2940 Pillsbury Avenue, Suite 4, Minneapolis, Minnesota, 55408, USA.
  8. アル・バラカト・ファイナンス・グループ
    AL-BARAKAT FINANCE GROUP
    所在地:Dubai, United Arab Emirates; Mogadishu, Somalia.
  9. アル・バラカト・ファイナンシャル・ホールディング・カンパニー
    AL-BARAKAT FINANCIAL HOLDING COMPANY
    所在地:Dubai, United Arab Emirates; Mogadishu, Somalia.
  10. アル・バラカト・グローバル通信(別名 バラカアト・グローブテルカンパニー)
    AL-BARAKAT GLOBAL TELECOMMUNICATIONS (a.k.a. BARAKAAT GLOBETELCOMPANY)
    所在地:P.O. Box 3313, Dubai, United Arab Emirates; Mogadishu, Somalia; Hargeysa, Somalia.
  11. アル・バラカト・インターナショナル(別名 バラコ・カンパニー)
    AL-BARAKAT INTERNATIONAL (a.k.a. BARACO CO.)
    所在地:Box 2923, Dubai, United Arab Emirates.
  12. アル・バラカト投資
    AL-BARAKAT INVESTMENTS
    所在地:P.O. Box 3313, Deira, Dubai, United Arab Emirates.
  13. アル・タクワ貿易・資産・工業会社(旧名 アル・タクワ貿易・資産・工業,アル・タクワ貿易・資産・工業エスタブリッシュメント,ヒッマト・エスタブリッシュメント)
    AL TAQWA TRADE, PROPERTY AND INDUSTRY COMPANY LIMITED (f.k.a. AL TAQWA TRADE, PROPERTY AND INDUSTRY) (f.k.a. AL TAQWA TRADE, PROPERTY AND INDUSTRY ESTABLISHMENT) (f.k.a. HIMMAT ESTABLISHMENT),
    所在地:c/o Asat Trust Reg., Altenbach 8, 9490 Vaduz Fl, Liechtenstein.
  14. アサト・トラスト・レグ
    ASAT TRUST REG.
    所在地:Altenbach 8, 9490 Vaduz Fl, Liechtenstein.
  15. バンク・アル・タクワ・リミテッド(別名 アル・タクワ・バンク,バンク・アル・タクワ)
    BANK AL TAQWA LIMITED (a.k.a. AL TAQWA BANK) (a.k.a. BANK AL TAQWA)
    所在地:P.O. Box N-4877, Nassau, Bahamas; c/o Arthur D. Hanna & Company, 10 Deveaux Street, Nassau, Bahamas.
  16. バラカ貿易会社
    BARAKA TRADING COMPANY
    所在地:P.O. Box 3313, Dubai, United Arab Emirates.
  17. バラカアト・ボストン
    BARAKAAT BOSTON
    所在地:266 Neponset Avenue, Apt 43, Dorchester, Massachusetts 02122-3224, USA.
  18. バラカアト建設会社
    BARAKAAT CONSTRUCTION COMPANY
    所在地:P.O. Box 3313, Dubai, United Arab Emirates.
  19. バラカト興業
    BARAKAT ENTERPRISE
    所在地:1762 Huy Road, Columbus, Ohio, USA.
  20. バラカアト企業グループ
    BARAKAAT GROUP OF COMPANIES
    所在地:P.O. Box 3313, Dubai, United Arab Emirates; Mogadishu, Somalia.
  21. バラカアト・インターナショナル
    BARAKAAT INTERNATIONAL
    所在地:Hallbybacken 15, Spanga 70, Sweden.
  22. バラカト・インターナショナル・カンパニーズ(BICO)
    BARAKAT INTERNATIONAL COMPANIES (BICO)
    所在地:Mogadishu, Somalia; Dubai, United Arab Emirates.
  23. バラカアト・インターナショナル財団
    BARAKAAT INTERNATIONAL FOUNDATION
    所在地:Box 4036, Spanga, Sweden; Rinkebytorget 1, 04 Spanga , Sweden.
  24. バラカアト・インターナショナル・インク
    BARAKAAT INTERNATIONAL, INC.
    所在地:1929 South 5th Street, Suite 205, Minneapolis, Minnesota, USA.
  25. バラカアト北アメリカ会社
    BARAKAAT NORTH AMERICA, INC.
    所在地:925 Washington Street, Dorchester, Massachusetts, USA; 2019 Bank Street, Ottawa, Ontario, Canada.
  26. バラカアト紅海通信
    BARAKAAT RED SEA TELECOMMUNICATIONS
    所在地:Bossaso, Somalia; Nakhiil, Somalia; Huruuse, Somalia; Raxmo, Somalia; Ticis, Somalia; Kowthar, Somalia; Noobir, Somalia; Bubaarag, Somalia; Gufure, Somalia; Xuuxuule, Somalia; Ala Aamin, Somalia; Guureeye, Somalia; Najax, Somalia; Carafaat, Somalia.
  27. バラカアト通信会社(別名 BTELCO)
    BARAKAAT TELECOMMUNICATIONS COMPANY LIMITED (a.k.a. BTELCO)
    所在地:Bakara Market, Dar Salaam Buildings, Mogadishu, Somalia; Kievitlaan 16, T’veld, Noord-Holland, The Netherlands.
  28. ソマリア・バラカアト通信会社
    BARAKAAT TELECOMMUNICATIONS COMPANY SOMALIA, LIMITED
    所在地:P.O. Box 3313, Dubai, United Arab Emirates.
  29. バラカト送金銀行
    BARAKAT BANK AND REMITTANCES
    所在地:Mogadishu, Somalia; Dubai, United Arab Emirates.
  30. バラカト・コンピューター・コンサルティング(BCC)
    BARAKAT COMPUTER CONSULTING (BCC)
    所在地:Mogadishu, Somalia.
  31. バラカト・コンサルティング・グループ(BCG)
    BARAKAT CONSULTING GROUP (BCG)
    所在地:Mogadishu, Somalia.
  32. バラカト国際電話会社
    BARAKAT GLOBAL TELEPHONE COMPANY
    所在地:Mogadishu, Somalia; Dubai, United Arab Emirates.
  33. バラカト・ポスト・エクスプレス(BPE)
    BARAKAT POST EXPRESS (BPE)
    所在地:Mogadishu, Somalia.
  34. バラカト・リフレッシュメント・カンパニー
    BARAKAT REFRESHMENT COMPANY
    所在地:Mogadishu, Somalia; Dubai, United Arab Emirates.
  35. バラカアト・ワイヤー・トランスファー会社
    BARAKAAT WIRE TRANSFER COMPANY
    所在地:4419 South Brandon Street, Seattle, Washington, USA.
  36. バラコ貿易会社
    BARAKO TRADING COMPANY LLC
    所在地:P.O. Box 3313, Dubai, United Arab Emirates.
  37. グローバル・サービス・インターナショナル
    GLOBAL SERVICE INTERNATIONAL
    所在地:1929 5th Street, Suite 204, Minneapolis, Minnesota, USA.
  38. ヘヤトゥル・ウルヤ
    HEYATUL ULYA
    所在地:Mogadishu, Somalia.
  39. ナダ経営組織(旧名 アル・タクワ経営組織)
    NADA MANAGEMENT ORGANIZATION SA (f.k.a. AL TAQWA MANAGEMENT ORGANIZATION SA)
    所在地:Viale Stefano Franscini 22, CH-6900 Lugano TI, Switzerland.
  40. パルカ貿易会社
    Parka Trading Company
    所在地:P.O Box 3313,Deira,Dubai,UAE
  41. 紅海バラカト会社
    RED SEA BARAKAT COMPANY LIMITED
    所在地:Mogadishu, Somalia; Dubai, United Arab Emirates.
  42. ソマリ国際救援組織
    SOMALI INTERNATIONAL RELIEF ORGANIZATION
    所在地:1806 Riverside Avenue, 2nd Floor, Minneapolis, Minnesota, USA.
  43. ソマリ・インターネット会社
    SOMALI INTERNET COMPANY
    所在地:Mogadishu, Somalia.
  44. ソマリ・ネットワークAB
    SOMALI NETWORK AB
    所在地:Hallbybacken 15,70 Spanga, Sweden.
  45. ユセフ・M・ナダ
    YOUSSEF M. NADA
    所在地:Via Riasc 4, CH-6911 Campione d'Italia I, Switzerland.
  46. ユセフ・M・ナダ会社
    YOUSSEF M. NADA & CO. GESELLSCHAFT M.B.H.
    所在地:Kaernter Ring 2/2/5/22, Vienna 1010, Austria.

【個人】

  1. アブドゥルカディル・フセイン・マハムド
    ABDULLKADIR, Hussein Mahamud
    住所:Florence, Italy.
  2. アデン・アブディリサク
    ADEN, Abdirisak
    住所:Skaftingebacken 8, 163 67 Spanga, Sweden
    生年月日:1968年6月1日
  3. アリ・アッバス・アブディ
    ALI, Abbas Abdi
    住所:Mogadishu, Somalia.
  4. アリ・アブディ・アブドゥルアジズ
    ALI, Abdi Abdulaziz
    住所:Drabantvagen 21,177 50 Spanga, Sweden
    生年月日:1955年1月1日
  5. アリ・ユサフ・アフメド
    ALI, Yusaf Ahmed
    住所:Hallbybybacken 15, 70 Spanga, Sweden
    生年月日:1974年11月20日
  6. アウェイス・ダヒル・ウベイドゥッラーヒ
    AWEYS, Dahir Ubeidullahi
    住所:Via Cipriano Facchinetti 84, Rome, Italy.
  7. アウェイス・ハッサン・ダヒル(別名 アリ・シェイク・ハッサン・ダヒル・アウェイス,アウェス・シャイク・ハッサン・ダヒル)
    AWEYS, Hassan Dahir (a.k.a. ALI, Sheikh Hassan Dahir Aweys) (a.k.a. AWES, Shaykh Hassan Dahir)
    生年月日:1935年
    国籍:Somalia
  8. ヒッマト・アリ・ガレブ
    HIMMAT, Ali Ghaleb
    住所:Via Posero 2, CH-6911 Campione d'Italia, Switzerland
    生年月日:1938年6月16日
    出身地:Damascus, Syria
    国籍:Switzerland 又はTunisia.
  9. フーバー・アルベルト・フリードリッヒ・アルマンド(別名 フーバー・アフメド)
    HUBER, Albert Friedrich Armand (a.k.a. HUBER, Ahmed)
    住所:Mettmenstetten, Switzerland
    生年月日:1927年
  10. フセイン・リバン
    HUSSEIN, Liban
    住所:925 Washington Street, Dorchester, Massachusetts, USA; 2019 Bank
    Street, Ottawa, Ontario, Canada.
  11. ジャマ・ガラド(別名 ノル・ガラド・K,ワスルサメ・ファルチュン・アフメド) JAMA, Garad (a.k.a. NOR, Garad K.) (a.k.a. WASRSAME, Fartune Ahmed)
    住所:2100 Bloomington Avenue, Minneapolis, Minnesota, USA; 1806
    Riverside Avenue, 2nd Floor, Minneapolis, Minnesota,USA
    生年月日:1974年6月26日
  12. ジマーレ・アフメド・ヌル・アリ(別名 ジマレ・アフマド・アリ,ジマーレ・アフマド・ヌル・アリ,ジュマレ・アフメド・ヌル,ジュマリ・アフメド・アリ)
    JIM’ALE, Ahmed Nur Ali (a.k.a. JIMALE, Ahmad Ali) (a.k.a. JIM’ALE, Ahmad Nur Ali) (a.k.a. JUMALE, Ahmed Nur) (a.k.a. JUMALI, Ahmed Ali)
    住所:P.O. Box 3312, Dubai, United Arab Emirates; Mogadishu, Somalia.
  13. カヒエ・アブドゥッラーヒ・フセイン
    KAHIE, Abdullahi Hussein
    住所:Bakara Market, Dar Salaam Buildings, Mogadishu, Somalia.
  14. マンスール・モハメド(別名 アル・マンスール・モハメド博士)
    MANSOUR, Mohamed, (a.k.a. AL-MANSOUR, Dr. Mohamed)
    住所:Ob. Heslibachstr. 20, Kusnacht, Switzerland; Zurich, Switzerland 生年月日:1928年
    出身地:Egypt 又はUnited Arab Emirates
  15. マンスール・ファットゥー・ゼイナブ
    MANSOUR-FATTOUH, Zeinab
    住所:Zurich, Switzerland.
  16. ナダ・ユセフ(別名 ナダ・ユセフ・M,ナダ・ユセフ・ムスタファ)
    NADA, Youssef, (a.k.a. NADA, Youssef M.) (a.k.a. NADA, Youssef Mustafa)
    住所:Via Arogno 32, 6911 Campione d'Italia, Italy; Via Per Arogno 32, CH-6911 Campione d'Italia, Switzerland; Via Riasc 4, CH-6911 Campione d’Italia, Switzerland
    生年月日:1931年5月17日又は1937年5月17日
    出身地:Alexandria, Egypt
    国籍:Tunisia

 【質問】
 ターリバーン政権当時の,ターリバーン中核メンバーの部族構成は?

 【回答】
●パシュトゥン人
   ギルザイ(ホタク):8人
   ギルザイ(その他):6人
   ドゥッラーニー主流:2人
   ドゥッラーニー非主流:6人
   その他:3人

●その他の民族:3人

 計28人

 以上からも分かるように,極端にパシュトゥン人に偏った構成になっていた.


 【質問】
 ターリバーン政権当時の,ターリバーン中核メンバーの出身地は?

 【回答】
カンダハル州:14人
カンダハル隣接州:4人
(オルズガーン州およびザーブル州)
東部州:7人
(ローガル州およびバクティア州)
西部州:2人
(ヘラート州およびファラー州)
バダクシャン州:1人


 【質問】
 Mansour Dadullahとは?

 【回答】
Top Taliban Military Commander: Focus on Global Jihad Operations Will Continue
(CTB)アフガニスタン,タリバンの軍事指導者トップの新たなインタビュー・ビデオの公開:「インターナショナル・ジハード」を推進すると語る

By Evan Kohlmann

という記事によれば,兄の戦死した2007年5月以降,タリバン軍事組織最高指揮官であるという.
 インタビューの中で彼はその使命を「兄の推進した国際ジハード運動を続ける事」と語っている.

(英語スーパーつきのビデオ)
As-Sahab Interview: Mullah Mansour Dadullah, Taliban military commander
(Oct. 31, 2007)

ニュース極東板


 【質問】
 Mullah Dadullahとは?

 【回答】
 タリバーン政権で10人評議会の評議員をつとめ,トップのオマル師とも非常に近いとされる人物.
 BBCによれば2006/5/19,アフガン政府当局者・軍高官は,彼を南カンダハル州で米軍主導の国際部隊が拘束していたことを明らかにしたという.
 ターリバーンはこれを否定している.

 カンダハル州知事は,評議会メンバーのうち3名はすでに拘束しているが,公表できないとしている.

おきらく軍事研究会,平成18年(2006年)5月22日

▼ その後の2007/2/2,アルジャジーラ・アラビア語チャンネルとのインタビューにムラー・ダドゥラーは登場.
 したがって,拘束情報は誤りだった模様.▲


 【質問】
 イフティハール・アフマド・ハーンとは?

 【回答】
 カイバルの部族地域で活動していたターリバーン指揮官.
 NATOの補給車輛への攻撃や,外国武装勢力保護,人質を取るなどの行為で起訴され,パキスタン当局に指名手配.
 パキスタンのテレビ局が伝えたところによれば,2009/5/2,パキスタン治安部隊によって,彼ののカイバル部族地域での住所が包囲されため,投降したという.

 【参考ページ】
2009/5/3,CRI


 【質問】
 ハキムラ・メスードとは?

 【回答】
 「パキスタン・ターリバーン運動(TTP)」指導者.
 2010年1月,パキスタンで米軍無人機の攻撃により死亡したと伝えられる.[1]
 2010.4.29,パキスタン情報当局者と軍幹部により,北ワジリスタン地区で目撃されていると伝えられる.[1]

 ターリバーンの報道官は一貫して死亡説を否定してきた▼が,生存を裏付ける証拠は示していない.[1]

▼ 2012.1.16のパキスタン北西部部族地域であった米国の無人機による攻撃で,メスードが死亡した可能性があるとする,武装勢力の通信を傍受したと,複数のパキスタン情報機関当局者が明かしたという.[2]
 TPP報道官は死亡説を否定.[2]▲

 【参考ページ】
[1]2010年4月30日12時27分,CNN
[2]産経新聞,2012年1月16日(月)16時55分(ニューデリー 田北真樹子)

Hakimullah Mehsud
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 ハッサン・レフマニとは?

 【回答】
 オマルの取り巻きグループの一人で,ターリバーン結成時の15人のひとり.
 ウルズガン出身で,対ソ戦で右足を失っている.
 ターリバーン政権下においてカンダハール知事に就任.
 穏健派と見られる.

 以下引用.

 〔カンダハールの知事公舎の,オマル師の部屋と〕隣り合った部屋には,最初にタリバンを結成した15人の一人で,オマル師が昔から最も信頼している親友のハッサン・レフマニ師がいた.
 〔略〕
 ハッサン師は,「世界で最もハンディを負った人たちの司令部」と呼ばれたこともある部署に属していた.
 〔略〕
 ハッサン師は,1980年代後半にカンダハール近郊で旧ソ連軍の銃弾を受けて右足を失い,銃弾の破片で右手の小指の先ももぎ取られていた.
 元々極貧のウルズガン州の出身で,難民としてパキスタンに移り,戦士(ムジャーヒド)として定期的に戦うために帰国していた.
 現在40代前半のハッサン師は,カンダハールの知事であり,オマル師の右腕として広く知られ,タリバンを世界ののけものにして,国連からアフガニスタンの座席を失わせることとなった政策を実行する,取り巻きグループの一人でもあった.
 〔略〕
 話をしながら,痛みを和らげるためか血行を良くするためか私には分からないが,ハッサン師は義足のすぐ上の部分の足をマッサージした.
 目に見える傷はタリバンの自己犠牲の強烈な印象だが,それと同時に精神的なダメージもあった.
 ハッサン師はタリバンの指導者たちの中で,おそらく一番慈愛に満ちた人物で,異教徒に親切にすることへの圧力が強くなりすぎたために,机や椅子を投げ飛ばしたことで知られており,ある国連職員が辛うじて絞殺を逃れたことがあった.

C. Kremmer著「『私を忘れないで』とムスリムの友は言った」
(東洋書林,2006/8/10),p.141-142

 この著者はナジブッラー寄りの姿勢が見られることから,このハッサン師への比較的好意的な評価は,信頼に値すると考えられる.
 このような穏健派がターリバーンの主導権を握れなかったことが惜しまれる.


 【珍説】
「私達はタリバーンよりずっと古くて,色々な権力の変遷を見てきましたけれど,最も血生臭い匂いのしない,きれいな政権という感じがします」

(ペシャワール会・中村哲医師,NHK教育「アジア人間街道スペシャル イスラムに生きる・アフガニスタン」,2003/3/18 PM11:00-0:00放送)

 カブールを支配するタリバン政権は,パシュトー人で固められているから,バーミヤンで敵対しているハザラ族居住地はまるで無視されていた.
 確かに「下層民族」という蔑視があったのは事実だ.それにも拘らず人々は,タリバン以前の無政府状態で,タジク人やウズベク人の軍閥から受けた暴行よりは遥かにマシだと思っていたし,タリバン側もイスラム平等主義を掲げる以上,戦闘地での慣習的な報復行為以外は,概ね組織的な迫害はなかったと言ってよい.

(同「医者,井戸を掘る」,石風社,2001/10/20,p.184-185)

 【事実】
 ナニを見てきたのやら…….

 ターリバーン時代のアフ【ガ】ーニスタンについては,国連人権委員会およびその下部組織(人権小 委員会,強制失踪作業部会,恣意的処刑作業部会など)でも取り上げられてきました.
 代表的な報告書としては, Kamal Hossain「アフ【ガ】ーニスタンにおける人権状況特別報告者」の報告書 (1997年以来継続的に報告.2001年の報告書は,E/CN.4/2001/43 and Add.1) Radhika Coomaraswamy「女性に対する暴力特別報告者」の報告書 (パキスタン・アフ【ガ】ーニスタン訪問調査報告書は,E/CN.4/2000/68/Add.4) でしょうか.
 その他,「恣意的処刑特別報告者」「宗教的寛容特別報告者」の報告書もあ ります.
 1998年9月のバーミヤンやマザリシャリフの攻防戦でターリバーンが数千人虐殺を行った疑いが浮上したときにずいぶん問題になりました.

 また,ショマリー平原でターリバーンが行った焦土作戦も,あまり一般に知られていないようです.以下,マイケル・グリフィン『誰がタリバンを育てたか』(第15章p.325-6)より.

 99年8月4日,ショマリ平原から避難民の群れが隠れ場所を求めてカーブルからパンジシル渓谷に向けて脱出しているようだとの第一報が届いた.
 当局の推定では10万人の住民が移動中であったが,反対側はその数を25万と見積もった.98年のバーミヤンの時には現地住民がタリバンの報復を恐れて逃げ出したが,ショマリ平原のタジク人住民は,ただ単にマスード軍が彼らの豊な蓄えに頼れないように,駆り立てられているのだ.
 6000のタリバンとパキスタン人同盟軍は,この地域からマスード同調者を一掃し,
「情け容赦もなく殺し,町という町,兵器庫という兵器庫を空っぽにし,家畜はマシンガンで撃ち殺し,果樹は切り倒し,灌漑用水路を粉々に爆破する」
という任務を与えられた.兵士になりそうな若者は誰彼かまわず射殺した.(※13)
 タリバンは1800家族をジャララバード郊外の恐ろしいサルシャフィ難民キャンプへトラックで運んだ.それは「彼ら自身を保護するため」とタリバン広報官は語った.反撃を見越して民間人を銃撃戦に巻き込まないための「一時的な措置」であるということだった.
 タリバン軍は,単に塹壕として使われないようにという理由で用水路をダイナマイトで爆破した.(※14)
 8月8日から12日にかけて,5万5000人の難民がカーブルへ通じる旧道をくだり始めた.(※15)
 8月15日,国連は「民族浄化」というあいまいな言葉ではなく,「焦土戦」であると歯に衣着せぬ表現でタリバンを非難した.
村という村はすべて徹底的に焼き尽くされたと難民家族は話している」と国連は指摘する. 「そして収穫物には火が放たれ,この肥沃な渓谷に難民が戻ってこられないようにしている」と.(※16)

注 (※13) New York Times, 19 October 1999
  (※14) Agence France-Press, 4 August 1999; Guardian, 6 August 1999
  (※15) UN Weekly Update 330, 14 September 1999
  (※16) International Herald Tribune, 16 August 1999

 この件については,こんなオマケまでついてしまいました.

アフガン地震死者2000人の恐れも 強い余震続く
http://www.asahi.com/international/update/0327/013.html
アフガニスタン北部バグラン州で25日夜に起きた地震について,被災地入りしたアフガン暫定政権当局者は27日,海外メディアに対し,死者が2千人を上回る恐れがあると語った.
 一方,国連は同日時点での推計として死者は千人規模に達する可能性があるとの見通しを示しており,被害情報はまだ交錯している.
 現地では27日も強い余震が続き,人々はおびえながら救援を待っているという.(01:07)
タリバンの強制移住で犠牲に
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/kokusai/20020328k0000e030107000c.html
 【ナハリン(アフガニスタン北東部)藤生竹志】25日から26日にかけ断続的な地震に襲われたバグラン州ナハリン.タリバンが強制的に人々を移住させ,支配していた町だ.
「こんな所へ連れて来られなかったら死なずに済んだのに…」.
 犠牲者の遺族の胸中は悲しみと怒りが交錯した.
(後略)

地震が起きたナハリン周辺の地図
http://news.bbc.co.uk/furniture/in_depth/world/2002/afghan_earthquake/bigmap.gif

被害状況の写真
http://news.bbc.co.uk/hi/english/world/south_asia/newsid_1896000/1896866.stm

HN "533"他

 さらにまた,'01年10/25の神戸新聞より.

北部同盟支配地 住民いらだち募る

【チャリカル(アフ【ガ】ーニスタン)】アフ【ガ】ーニスタンの首都カーブルの北部近郊チャリカルは,反ターリバーン勢力「北部同盟」の支配地域.同盟側の首都攻勢開始を待つ間に,ターリバーンの攻撃が激化し,住民のいら立ちが募り始めている.
 チャリカルの市場に二十三日白昼,ターリバーン側のロケット弾が撃ち込まれ,住民の男性三人が死亡,十代前半の少年や女性を含む二十二人が負傷した.七日の米空爆開始以来,同盟側の民間人居住地域への本格的攻撃は初めてだった.
「だれが夫を殺したの.どうして死んでしまったの」―.
 横たわる無言の夫にひたすら問いかける妻.
「大好きだったチャイ(お茶)も作ってやれない」
 息子の遺体の脇で母親が嘆いた.
 四男一女を持つ青果店店主ラスールさん(45)も犠牲者の一人.近所の男性たちの手で遺体が清められ,白い布に包まれて墓地に運ばれた.
 この国では,女性は葬式に出席することも許されない.葬式直前のわずか数十分が,妻や母親に許された最後の別れの時間だ.中庭に置かれた遺体を前に泣き叫ぶ女たち.ある市民は「外国人記者殺害に懸賞金をかけたアルカイダが,意図的に外国人記者殺害を狙ったんだ」と叫ぶ.
 ターリバーン政権を唯一承認するパキスタン側の要請と米国の圧力で,これまで首都奪還作戦に踏み出せなかった北部同盟の兵士らの表情も,日ごとに厳しさを増している.

 別項で述べているように,無根拠な「マスードの無差別砲撃」については,毎度毎度のように講演会で述べていた中村医師ですが,一方,ターリバーンによる,以下のような無差別砲撃については口を噤んでいるのも不思議でなりません.

 ヘクマチァールとイスラーム統一党が闘争から外れたことで,ここに政府軍とターリバーンとの直接対決が始まる.猛烈な戦闘が何度か繰り返された後,ターリバーンはチャラシアブの先まで退却させられた.
 ところが,その報復としてターリバーンは,首都への砲撃を開始し,市民生活など無視する点ではヘクマチァールと何ら変わりのないことを示した.
 しかし3月末になると,彼らも,ロケット砲や大砲の射程距離の外まで退却を余儀なくされ,カーブルは9月まで束の間の静けさを味わった.
 〔略〕
 〔ヘラート陥落後,〕戦闘の焦点は,次に首都カーブルに戻ってきた.メスティリが停戦交渉に努力したにも関わらず,ターリバーンは10月に大規模攻撃を仕掛け,市の南にある山岳地帯で激しい戦闘が繰り広げられた.カーブル市は今回もまた,大砲やロケット砲による無差別攻撃に晒され,ターリバーンの航空機による空爆も受けた.
 しかし攻撃側に疲れが出たため,再び殆ど連日のロケット砲攻撃にターリバーンは頼ることになった.
 〔略〕
 その後,さらに戦闘が繰り返され,年末にはカーブル周辺は膠着状態に陥った.しかし,住民の死者の数は容赦なく増加し,町は惨澹たる状態を呈するようになり,マスコミはその様子を,1945年に爆撃を受けた(ドイツの)ドレスデンになぞらえた.
 ムジャヒッディーンがカーブルを占拠して以来,今や死者の数は推定でほぼ10万に達し,それ以上の数が難民として首都を離れていった.ターリバーンがジャララバードからカーブルに入る道を封鎖しているため,電気は切れ,食糧・燃料は殆ど底を尽き,市民の球状は目に余る状態になっていた.包囲された首都を救うために,国連は1月末に1000dの食糧を緊急空輸した.
 カーブル周辺の膠着状態は,1996年初夏まで続いた.
 そこへ,相も変らぬ日和見主義者ヘクマチァールが,宿敵ラバニと手を結んで登場し,少数の軍隊を引き連れてカーブルに入り,首相の座を受け入れた.そうしながら,それまで同盟関係にあったドスタムおよびムジャヒッディーン3派を見捨てた.
 ヘクマチァールのカーブル到着を狙い,最大の射程距離を持つロケット砲と大砲をターリバーンは発射し,市内に多くの死者を出した.

(Sir M. Ewans 「アフガニスタンの歴史」,明石書店,P. 302-304)

 内戦時代から看護婦として医療支援活動を続けていたKarla Schefterの証言.

 カブールの外出制限は,罪もない男達が逮捕されるところを見てはいけないからだと囁かれている.
 この外出制限は民族浄化のためと,規則を破った人達から金を取るためだ.
 民族浄化では,タリバンとパシュトゥン人の標的はタジク人とはザラ人である.

Karla Schefter著「『哀しみの国』にすべてを捧げて 看護婦カルラの闘い」
(主婦と生活社,2002/9/17),p.279

 難民の少年の証言.

 〔絨毯工房で働く〕子供達の中に,最近イスタリフから来たばかりだという,バシールという名の12歳の少年がいた.
 イスタリフはダマネ・コーにあるアフガニスタンの中でも最も美しいといわれた村の一つで,カブール北の痩せた土地に囲まれた谷間にある.
 果樹園と青緑の陶器で知られ,ムガル帝国の初代皇帝バーブルでさえも凍ることのない水≠フ流れる急流について愛着のこもった言葉を残しているほどだ.

 だが,タリバンの支配下にあったタジク人の多いイスタリフは,パシュトゥーン人の怒りを買うことになる.
 アラブ人やパキスタン人の義勇兵と連れ立って,パシュトゥーン人は村人を家に閉じ込め,その上で村を焼き払ったのだった.
 その後,果樹園は切り倒され,灌漑用水路は爆破された.
 バシールの家族はカブールへ逃げたが,息子をパキスタンにやったのは,そこのほうが安全で,生計を立てる手立てもあるためだった.

C. Kremmer著「『私を忘れないで』とムスリムの友は言った」
(東洋書林,2006/8/10),p.245

 著者の「古い友人」,グラーム・ラスール・アフマディの言葉.

「母親と姉や妹はマザーリシャリーフに残っている.
 一部パシュトゥーン人はまだハザラ人の安全を黙認してくれてるが,あそこで本当に身の安全が保証されているのはパシュトゥーン人だけでね.
 最初のうちは人がたくさん殺されたよ.
 その後に知事が替わったから少しは静かになったけど,いつまで続くかなんて分からないしね」

C. Kremmer著「『私を忘れないで』とムスリムの友は言った」
(東洋書林,2006/8/10),p.241

 ターリバーン政権崩壊後には,こんな報告書も出ています.

ターリバーンが住民多数を虐殺 国連公表
http://www.sankei.co.jp/paper/today/itimen/28iti003.htm

 国連のカマル・ホサイン人権問題担当調査官が二十六日,ターリバーンの>残虐行為に関する国連人権高等弁務官事務所の報告書を公表したもので, それによると,ターリバーンは今年一月上旬,バーミヤン近郊のヤカウラン地区を制圧したが,その後,敵対するイスラム教シーア派の男性約百三十人を連行して処刑したという.
 そのほとんどは銃殺だったが,少なくとも少年一人が皮膚を剥がれて殺された他,焼き殺したケースもあり,ナイフで手足を切るなどの拷問も行った.

 ちなみに,第4代カリフ,アリー・イブン・アビ・タリブの遺訓には,このようなものがあります.

 戦に勝ったら,敵の背を刺すようなことをするな.
 手負いの者を殺したり,衣を剥いで陰部を曝け出させたりするな.
 死者の体を傷つけるな.
 ヴェールを剥ぐな.

 最後になりますが,かつて中村医師はこのようなことを述べています.

 ソ連崩壊からナジブラ大統領の処刑に至るまでのいきさつをつぶさに見てきた私は,人間の共通の病理をここにも見た.
 あらゆる権力は腐敗する.反権力も,それが自己目的化することにより,同じように腐敗する.
 過去の業績や所有は,それが力であれ金であれ,名誉であれ武力であれ,人の心を驕らせて目を曇らせる,権力の源泉である.
 『力』という化け物のおぞましさを改めて知った.

(中村哲「医は国境を越えて」,石風社,1999/12/20,p.307-308)

 なぜこの持論を,中村医師はターリバーンやペシャワール会自身に限っては当て嵌めようとしないのでしょうか?
 これではダブル・スタンダードではないのでしょうか?


 【質問】
 ターリバーンによるハザラ人虐殺と,その当時の報道について教えられたし.

 【回答】
 1999年,タリバンにより 「バーミヤンの磨崖仏」 が爆破されました.

 あの映像はショッキングでしたね.
 巨大な石仏がぼ〜んでしたから.
 皆さんも覚えていることでしょう.

 世界中の人たちは,その行為を非難し,憤ったワケなのですが……

 その影で,タリバンによりアフガニスタンに住んでいたハザラ人数千人が虐殺されました.

 この事知ってた人,挙手!

 ふと,この事を思い出して,Netで調べてみたら,あ〜らま,一番頭に出てきたの,俺が表世界でやってた日記よ!

 み〜んな知らないんだ!
 興味がないんだ!

「アフガニスタン 虐殺」 で検索してみても出てくるの! 出てくるの! 『米英がアフガニスタンで虐殺してる!』 って話ばっかりよ!

 と,云うわけで,みなさんに知って貰いたく,表の日記を転載しとく!

              ◆事実まで,あと何マイル?◆

▼1999年,
 日本人ジャーナリスト,常岡浩介氏はタリバン政権下のアフガニスタンで,当時,外国人は行けないとされていたバーミヤンに潜入し,ある遺跡の現状をVTRに納めました.
 彼のVTRに収められていた遺跡. それは世界遺産の暫定リストに載せられていた,

『バーミヤンの磨崖仏』

 でした.


▼しかしながら常岡氏は 『バーミヤンの磨崖仏』 を取材する為にバーミヤンに潜入したのではありませんでした.

「バーミヤンでタリバンが,ハラザ民族の市民数千人を無差別虐殺したらしい」 と云う未確認情報を聞き,その真偽を確かめる為にバーミヤンに潜入したのです.

 バーミヤンに潜入した彼は 『ハラザ人虐殺事件』 の取材を行い,それが実際行われたと言う,多数の証言を得ます. そして,そのついでに 『バーミヤンの磨崖仏』 のVTRを撮ったのでした.
 彼のバーミヤンへの潜入目的は 『ハラザ人虐殺事件』 の取材であり,このような非人道的行為がタリバン政権下のアフガニスタンで行われているコトを多くの人に知って貰うコトにあました.

 つまり

『バーミヤンの磨崖仏』 のVTRはあくまでも 「ついで」 に撮って来たモノに過ぎず,彼の主目的は 『ハラザ人虐殺事件』 の取材にあった

のです.

▼日本に帰国した 常岡氏は,タリバン政権下のアフガニスタンで行われたハラザ人虐殺を世界に向け発信する為に,自分の取材記事を,TV局,新聞社等に売り込みました.

 しかし,TV局,新聞社等が興味を持ったのは 『ハラザ人虐殺事件』 では無く,ついでに撮って来た 『バーミヤンの磨崖仏のVTR』 の方でした.
 常岡氏は 「大仏よりも,人命の方がニュースとして重要なのだから,こちらを優先して扱って欲しい」 と訴えましたが,それが聞き入られるコトはありませんでした.

『バーミヤンの磨崖仏のVTR』 は,磨崖仏に関して 「銃弾が仏像の足元に当たって,少し破損しただけ」 と発表していたタリバンの嘘を暴く結果となりましたが,謀らずしも,タリバンの行った 『ハラザ人虐殺事件』 を覆い隠す結果になりました……

▼この件に関して,私は考える.

 一つの事象が,ニュースとして,マスコミに取り上げられる基準はどこにあるのだろうか?

 人権?
 国際正義?
 平和理念?

 1999年当時の私が 「タリバン」 について 「ハラザ人」 について,どれだけ知っていただろうか?

 それに比べ 「バーミヤンの磨崖仏」 はどうだったろうか?
 世界史の教科書にも出てきたり,平山郁夫の絵画の題材にされていたりと 「タリバン」 「ハラザ人」と云うキーワードに比べれば,良く知っていたと思う.

 そうなのだ.
 あの時,私が (かろうじて,だが) 興味を持っていたのは,「タリバン」 や 「ハラザ人」 では無く 「バーミヤンの磨崖仏」 だったのだ.

 とするならば 「ニュースとして,マスコミに取り上げられる基準」 は,

ニュースを受け取る側が 『見たい,知りたい』 と思っているかどうか

と云う事になるのではないだろうか?

 そう考えると,一つのニュースをメディアが伝えるに当たり 「人権上の問題が〜」 とか,そういう言葉を,大上段から振り下ろしてくるのが,ちゃんちゃら可笑しく思えて来るのです.

 なんだかんだと云っても,マスコミがニュースにしてくれないと,諸所知る事が出来ない自分という存在も,ちゃんちゃら可笑しいのですがね(w`;

(今日のネタ本「知られざる 戦争報道の舞台裏」軍事同盟研究会)

ベタ藤原 in mixi,2008年11月05日21:38


 【質問】
 ターリバーンは政敵を暗殺していたというのは本当か?

 【回答】
 亡命者はそのように主張している.
 以下引用.

 穏健派政党に属する,ペシャワール亡命中のピール・セィエド・イスハク・ガイラニによれば,
「それ〔ペシャワールでは,アフ【ガ】ーンから亡命してきた政治家や知識人の暗殺は,〕は何も新しいトピックではありません.内戦時代から数えると,100人はゆうに超えるでしょう.
 タリバーンは数回に渡って私の暗殺も企てました.換金されたこともあります.
 それゆえ,私の身辺はパキスタン警察がガードしてくれています.
 数年前にはタリバーンのリーダー,オマル直筆サイン入りヒット・リストを受け取りました.その最初の名前が私.次が妻でした.
 この待ち,ペシャワールで安いものは何だか知ってますか? 人名と銃と麻薬.
 高いものは日本製の電気製品と海外移住ビザと賄賂です」

(大高未貴「神々の戦争」,2001/12/20,P.54)

「カゼム氏※が車でAWC(Afghanistan Women Council)に私を送ってくれながら,こう説明する.
『タリバーンが挙げたヒットリスト10人のうち,既に4人が殺害され,残りの5人も少なからず不可解な事故に遭うなどして傷を負っている』」

(大高未貴「神々の戦争」,2001/12/20,P.104)

 ※カゼムはJIFF病院院長.同病院は,茨城県結城市の城西病院(財団法人・日本国際親善厚生団体の外郭病院)が,それまでのIOM(国際移住機構)の要請によるアフ【ガ】ーン難民の治療支援の結果,
「〔日本との〕往復の飛行機代も馬鹿にならないし,いっそのこと,現地に病院を作ってしまおう」
と,ペシャワールに開設した,リハビリ・センターを兼ねた病院.


 【珍説】
 アフ【ガ】ーニスタンを含む西アジアの多くの国が旱魃になっているのも,大国に遠因があり,自然環境を破壊し難民を生み出したのは,豊かな生活を営んだ私達自身にも原因がある.

 【事実】
 温室効果ガスの発生源は開発途上国(ブラジル,インドネシアの焼畑.中国の排ガス垂れ流し)にも充分な責任がある訳だから,完全に的外れ.勝手に「私達」などと言わないで欲しい.

 また,アフ【ガ】ーニスタンを戦乱に巻き込んだのは旧ソ連.
 灌漑設備を破壊したのはソ連軍やターリバーン.そのツケを関係無い先進国の国民に持ち込んで欲しくない.

(奈々氏)

 さらに,平位剛「禁断のアフガーニスターン・パミール紀行」(ナカニシヤ出版,2003/12/15)によれば,アフガーンの自然破壊は,アフガーン式の牧畜が原因だという.僅かな草は羊が食べてしまう.そして,その糞は燃料として使用されるため,食物連鎖が成り立たないからである.


 【質問】
 ターリバーンのイスラーム的素養はどの程度か?

 【回答】
 アハメド・ラシッドによれは,極めて貧しい,むしろ反啓蒙主義とさえされている.
 以下,引用.

 タリバンは,イスラムとアフガニスタンの歴史,イスラム法とコーランの知識,20世紀のイスラム世界での政治的・理論的発展について貧弱な教えしか受けていなかった.
 20世紀のイスラム急進主義には,学究的な文献と議論の長い歴史があるが,タリバンにはこうした歴史的考察も伝統もない.
 タリバンには,イスラムやアフガン史に関するイスラム的に明白で学究的な分析もない.
 世界の急進的イスラムの議論に対する見解表明は僅かだし,彼ら自身の歴史についてのそれは,より少ない.
 こうしたことが,ムスリム間での議論さえ認めない反啓蒙主義を生み出した.

(「タリバン」,講談社,2000/10, p.)

 以下の事例を見ても,世間一般のイスラームからターリバーンが逸脱していることは明白だろう.
 ふつーのムスリムは,モスクを爆破したりしませんぜ.

アフガンのモスクで爆弾テロ,19人死亡

 【カブール=平本秀樹】アフガニスタン南部カンダハルの中心部にあるモスク(イスラム教礼拝所)で1日朝,自爆と見られる爆発が起き,ジャラリ内相によると,カブールの警察長官ら19人が死亡,52人が負傷した.
 地元州知事は,犯人はアラブ人と話しており,旧支配勢力タリバンか国際テロ組織アル・カーイダの犯行の可能性が高い.

 モスクは,カルザイ政権を支持するイスラム教スンニ派の聖職者協会会長マウルビ・アブドラ・ファヤズ師が運営していたが,同師は5月29日に武装集団に襲撃されて死亡,タリバンが犯行を認めた.
 モスク内では爆発当時,同師の追悼礼拝が行われていた.

(読売新聞,2005/6/2)


 【質問】
 ターリバーンは悪なのか?

 【回答】
 そのような質問は意味がない.
 様々な国家・民族の価値観が並列して存在する国際社会において,「善」「悪」の判別はプロパガンダ以上の価値を持たない.

 ターリバーンは「悪だから滅ぼされようとしている」のではなく,アメリカや周辺国の殆どにとって攻撃的であって迷惑な存在だったために,排除されたに過ぎない.

 仮にもし,ビン・ラーディンが北部同盟のほうに匿まわれており,北部同盟経由で周辺国へのテロの輸出が行われていたとしたら,アメリカはターリバーンのほうに肩入れし,北部同盟を空爆し,今頃はオマル暫定大統領が誕生していただろうことは想像に難くない.


 【質問】
 米国人ジョン・ウォーカー・リンドはなぜターリバーンに加わったのか?

 【回答】
 「純粋まっすぐ君」だったためである模様.

 彼は成績優秀だったが,「純粋な教え」を求め,マルコムXの自伝を読んでイスラームに関心を持った.
 そして理想のイスラムを追い求めた末,サンフランシスコのイスラーム過激原理主義組織に出入り,98年にイエメンに渡った.
 99年にいったん帰国するものの,翌年再びイエメンに渡り,2001年夏頃,アフガーン国境に近いイスラーム神学校でターリバーンに接触したとされる.

 詳しくは朝日新聞アタ取材班著「テロリストの軌跡 モハメド・アタを追う」(草思社,2002/4/25)p.226-229を参照のこと.


 【質問】
 現在のターリバーンの自爆テロ要員の数は?

 【回答】
 2006年まで英対外情報部(MI6)副長官を務めた,英国際戦略研究所(IISS)のナイジェル・インクスターによれば,パキスタンのトライバル・エリアには自爆テロ志願者が2000人以上も待機しているという.
 そして,パキスタン南ワジリスタン地区のターリバーン司令官,バイトゥッラー・メスード司令官が,トライバル・エリアでの自爆テロの志願者募集に関与しているとみられると述べている.
 メスードは,パキスタンのブット元首相暗殺の首謀者とされ,また,バルセロナでのテロ未遂事件への関与も浮上している人物.

 【参考ページ】
2008年3月24日10時26分,産経新聞(by 木村正人)


 【質問】
 タリバンは少年兵を使っているのか?

 【回答】
 使っている.
 ブログ「tufuk」,2007年04月25日付によれば,ターリバーン自ら,少年兵に「スパイ」を斬首させている場面を,ビデオ公開しているという.

 以下は同ブログによる,
Global outcry at Taliban's use of boy in filmed beheading
Declan Walsh in Kabul
Wednesday April 25, 2007

という記事の紹介.

--------------------------------------------
 斬首行為を撮影したビデオの中で,どれだけ多めに見積もっても12歳というところだろうか,その少年は目隠しをされた男性の向こうに立って,長いナイフを見せ付けている.
 戦闘服を着用し,サイズの大きすぎるスニーカーを履いて頭に白いバンドを巻いたその少年は,声変わりをしていない声で,その男性に対する非難の言葉を口にする.
「この男はアメリカのスパイである.これがこの男の運命である」

 幼い顔をした死刑執行人は,男性の上にかがみ込んで,男性ののどにナイフを滑らせる.
 血が噴出し,「アッラウ・アクバル」や「神は偉大なり」といった声が沸き起こる.
 やがて少年は勝ち誇るように,切断された頭部を高く掲げる.
--------------------------------------------
[quote]
 記者はこの後,
「タリバンはこれまでに爆弾や暗殺で多くの一般市民を殺してきた.その犠牲者数は数百という単位で数える規模である.
しかしタリバンはそういうことをしてきたということを基準にしても,これはあまりにひどい(egregious)」
と続けている.

 また,記事の末尾では
「イラクでもこのような例はない」とし,ヒューマン・ライツ・ウォッチの人の
「タリバンは戦時法を守っているとの主張を撤回すべき」
とのコメントが紹介されている.

 このビデオに対してはユニセフ(国連児童基金)がタリバンを非難する声明を出している.
UNICEF condemns use of a minor in Taliban execution
News item 24 April 2007

----------------------------------------
 ユニセフは24日,タリバンの処刑における年少者の使用を犯罪行為として非難した.パキスタンで出回っているあるビデオに,年少の少年が成人を斬首する光景が撮影されている.
 この行為は,紛争の時にあって凶悪な犯罪行為をはたらくために子供たちが大人によっていかに利用されるかを示す,恐ろしい例である.
 〔略〕
----------------------------------------
[quote]
 子供が「死刑執行人」をやらされていたタリバンの「斬首ビデオ」で斬首されていたのは,パキスタン人の民兵だという.
 この人はタリバンの一員だったが,昨年12月にNATO軍の爆撃で殺された指導者アクタル・オスマニ師を裏切った,としてタリバンが処刑したのだそうだ.

 この人のお父さんがAP通信の取材に答えているのを,ガーディアンが引用している.
 お父さんは70歳で,息子はアフガニスタンで戦ったタリバンの戦士で,国境から車で2時間ほどの自宅にはタリバンのリーダーをかくまっていた,と語っている.
 そして,息子の「処刑」のビデオはとても見ることができず,
「タリバンはムジャヒディーン(聖戦士)ではない.イスラームの大義のために戦っているわけではない.
 もしこの手で連中を捕まえたら殺してやる,
 この歯で肉を噛みちぎってやりたいくらいだ」
と述べている.

 〔略〕

 「世界の現実」とは,米軍の作戦がいかに軍事的に成功/失敗しているかといったことではなく,こういうことにあると私は思う.

 斬首を行なったタリバンの少年兵は,薬物でも投与されていたのだろう.
 せめてそう思いたい.
 それでも彼はその「感触」や「臭い」は忘れないだろう.
 何と救いのない.

 この救いのなさをそのまま受け止めなければならない.
 「戦争ってのはしちゃいけない」という一般論で片付けずに.
[/quote]

 ただし,ターリバーンの温床となっている,パキスタンの過激派系マドラサ(神学校)では,子供のときから
「異教徒は殺してしまえ」
といった洗脳じみた教育を受けているため,薬物を投与されていなくても,このようなことを行える子供もいるだろうと愚考する.

 また,羊の解体はアフ【ガ】ーニスタンでは家庭で行われており,ナイフ使いがうまい子供がいたとしても,特に驚くにはあたらないだろう.

 とはいえ,少年を兵士に仕立てて処刑をやらせていいかどうかとは,それらは別問題である.

▼ また 田中香(民間開発コンサルタント会社社員)も,2003年のユニセフ・迅速評価(Rapid Assessment)をもとに述べるところによれば,アフ【ガ】ーニスタン国内には子供兵,約8010人がおり,別のレポートによれば,約3000人の子供兵士が戦闘に参加したという.
 ターリバーン時代には,多くの男の子がパキスタンのマドラサからリクルートされたという.
(Vera Chrobok "Demobilization and reintegration Afghanistan's Young Soldiers --- A Review and assessent of program planning and implementation---" Published by Bonn International Center for Conversion)

 そしてそれ以前の内戦時代にも,何千人もの子供兵士がムジャヒッディーンに加わっているという.

 詳しくは『国際人道支援におけるこころのケア アフガニスタンでの試み』(河野貴代美編著,新水社,2007.6.10),p.17-18を参照されたし.▲


 【質問】
 ターリバーンの現在の本拠地は?

 【回答】
 「ニューズウィーク」誌によれば,パキスタンのクエッタを本拠地にしているという.
 以下引用.

 タリバンの一員であるシャラフラは,パキスタン北西部の都市ペシャワルの喫茶店で堂々と,本誌記者に秘密会合の話をした.驚くにはあたらない.パキスタンのパルベズ・ムシャラフ大統領は摘発強化を約束しているが,現実にはタリバン幹部が自由にパキスタンの都市に出入りしている.

 アフガニスタンのハミド・カルザイ大統領によれば,2年前から米軍に追われているオマルでさえ,パキスタンで活動している可能性がある.
「オマル師は10日前,クエッタのモスク(イスラム礼拝所)で礼拝しているところを目撃された」
と,カルザイは11月28日に本誌に語った
(ただしパキスタンのシェイク・ラシッド・アハマド情報メディア相は「オマル師がパキスタンにいるというのは嘘だ」と反論している).
 カルザイは,タリバンがパキスタンで支援を得ているだけでなく,すでにクエッタを本拠地にしていると言う.
 パキスタン国内のイスラム系組織にタリバンをかくまうのをやめさせるよう,かねてからムシャラフに要請もしてきた.

サミ・ユサフザイ,ロン・モロー,マイケル・ハーシュ
ニューズウィーク日本版 2003年12月17日号 P.14

 それを裏付けるかのように,ターリバーンの報道官がパキスタンで拘束されてもいる.
 以下,報道から.

――――――
タリバン報道官を拘束 パキスタン当局
---
 パキスタンのシェルパオ内相は4日,同国治安当局がアフガニスタンの旧政権タリバンのハキーム報道官をパキスタン国内で拘束したと明らかにした.
 ハキーム報道官は数人いるタリバン報道官の一人で,9月28日にカブールで発生した自爆攻撃後も犯行声明を発表.
「外国部隊の撤退まで聖戦を続ける」
と主張していた.
(共同)

――――――(産経新聞,2005/10/4)

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