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◆◆◆◆運搬手段
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◆日本/自衛隊(JSDF)FAQ目次
東亜FAQ目次

戦略爆撃猫機



(画像掲示板より引用)


 【link】

774号埋立地」◆(2010.06.29)GXロケット開発会社が特別清算 事業仕分けで廃止判定
>しかし「ギャラクシーエクスプレス」ってすごい名前ですな

「VOICE」◆(2011/04/18)数々の失敗を乗り越えた国産ロケット/前間孝則(ノンフィクション・ライター)

松浦晋也のL/D


 【質問】
 どうして自衛隊は,弾道ミサイルを持ってないんですか?
 多くの国が欲しがってる,強力な兵器だと思うんですが.

 【回答】
 弾道ミサイルは通常終末誘導装置を持っていないため,核弾頭でない限り,所定の目標を撃破する確率は低いものです.
 大量殺戮兵器を搭載するのも1つも選択ですが,いずれにせよ,世界の「いいもん」組から外される事を承知で持たないといけません.
 デメリットの方がずっと多いのよん.

HN "System"

 日本が非核三原則を放棄しない限り弾道ミサイルの開発・運用は無駄.
 何故なら弾道ミサイルはどうがんばっても命中精度はたかがしれている(なおかつ,弾頭に詰める炸薬も多くはない)ので,核のような広域破壊能力がある弾頭じゃないと使う意味は全くない.
 通常弾頭の弾道ミサイルが如何に効率が悪いシロモノかってのは,ナチスのV2の発射数と被害の割合を見ればすぐ分かる.
 これは現代の技術でもたいして変わらない.

 まぁ,核がだめならBC兵器って言うかもしれんが,そんなことやったら,まともな運用能力持つ前に世界中にぶっとばされる可能性大.



 【質問】
 弾道ミサイルに終末誘導装置を付ければ,通常弾頭でも有効な兵器になるんですか?
 パイロットも要りませんし,何処にでも攻撃できて便利そうですが.
 【回答】
 大気圏再突入後,マッハ20あたりから減速して機動する弾頭は,開発配備にすごいお金かかるわけです.一発撃ってもすごく高いし.攻撃目標なんて,何百もあるわけで.
 それなら,特に日本みたいに周囲だけカバーすればいい軍であれば,攻撃機に空中給油機の方がずっと安上がりだし,なにかやばい兵器持ってるんじゃないか,と疑われることもありません.
 一定以上の射程を持つミサイルは,協定による制限や国際的,政治的な攻撃の対象にもなります.
 最終的にはパイロットの要らない無人攻撃機が一番.それまでは巡航ミサイルの類が最も便利でしょう.(HN "System")


(画像掲示板より引用)


 【質問】
もし日本が核武装するとしたらどれぐらいの費用と期間がかかりますか?
には,数年未満でSLBM配備可能であるかのように書かれていますが,正味のところ実現可能性はいかほどなんでしょうか?

 【回答】
 日本が核武装するとしたら英国のトライデント・システム以外ありえないと思いますが,案外SLBMの問題が軽んじられているような気がします.
 〔略〕

●簡単派

.アメリカは世界初のSSBNジョージ・ワシントン級とポラリスミサイルを半世紀前に4年少しで開発している.(@Wikiの記述)

・インドも開発に成功している(K-15 Sagarika).
 ただし,射程が700−750km,ペイロードが250−500kgとスペックとしてはいまいちな感じもします.

●難しい派

 SLBMにこのような(硬化目標即時破壊)能力を付与しているのは,トライデントD-5を保有する米国のみであるが,高度な軍事技術を誇る米国でさえ,これには30年近くの年月を費やしている.
(第1研究部主任研究官小川伸一)
http://www.nids.go.jp/dissemination/briefing/2003/pdf/200304.pdf

 自前の核弾頭と戦略原潜を有する英国でさえ,ミサイル発射システムは米国から供与されている.

バグってハニー in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 単なる核の保有を目指すのか,硬化目標即時破壊まで目指すのかは,ぶっちゃけ落とすだけの単なる爆弾(ダムボム)か,精密誘導機能付きのディープスロートか,それほどの違いがあると考えます.
 当然ゴールが異なれば,難易度が変わってくるのは自明ですので.

 なお,『日本の核論議はこれだ』(郷友総合研究所編,展転社,2008.4)はまれに見る良書でした.
 比較的安価ですし,よくまとまっていますので,自信を持ってご一読をお勧めします.

へぼ担当 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」


◆◆◆◆◆ロケット恐怖症

 【珍説】
国策スパコンを事業仕分けで凍結,これはグッドニュースだ - 東葛人的視点:ITpro
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 今回の事業仕分けでは,国策スパコンと共にGXロケットにとっても13日の金曜日となった.
 このロケットの開発も抜本的に見直すように結論づけたという.
 これはある意味,象徴的な話だ.
 H2Aロケットが立派に育ち,さらに大型のH2Bロケットも打ち上げに成功するなかで,なんで別方式のロケットが必要なのだかと思っていた.
 「大陸間弾道ミサイルを開発したいのでは」と他国に無用の嫌疑を持たれてまで,別方式のロケットを無理やり開発する必要はあるまい.
--------------------------------------------------------------------------------

 【事実】
 内容を見るとスーパーコンピュータについての知識も怪しいのですが,それよりも同列に述べられたGXロケットの認識については,あまりにも的外れ過ぎて開いた口が塞がりませんでした.
 何もかもがデタラメです.
 GXロケットのサイズ,使用燃料を理解していれば,こんな事は絶対に書けない筈です.
 JAXAや開発メーカーから抗議されて,責任問題に発展してもおかしくありません.

 H2ロケットは大型ロケットで,GXロケットは中型ロケットです.
 大きさの時点で棲み分けが出来ており,H2ロケットを使うまでもない小さなペイロードを運ぶのにGXロケットを用います.
 またGXロケットの使用燃料は,日本開発担当部分の二段目はLNG(液化天然ガス)を用います.
 酸化剤には液体酸素を用います.
 これ等は低温での貯蔵管理に手間が掛かるため,発射直前にロケットに注入する必要があり,即応性が要求される弾道ミサイルには不向きの燃料です.
 軍事転用の疑いを掛けるなど的外れもよい所でしょう.
 これはH2ロケットの燃料である液体水素/液体酸素にも言える事です.
 ごく初期の弾道ミサイルには酸化剤に液体酸素が使われていましたが,直ぐに常温でミサイル内保存が可能な四酸化二窒素に取って代わられています.

 もし宇宙ロケットを軍事転用する気なら,固体燃料ロケットかヒドラジン/四酸化二窒素の液体燃料ロケットを用意するでしょう.
 そして日本の宇宙開発は最初期から固体燃料ロケットを使ってきました.
 その行き着いた先は世界最大の固体燃料ロケットΜ-5(ミュー・ファイブ)です.
 現用のΜ-5は廃止され,次期固体燃料ロケット(名称はイプシロンが有力候補)の開発が始まります.
 日本の宇宙ロケットについて軍事転用の懸念など,今更な話です.
 それなのに,軍事転用にまるで不向きな低温貯蔵液体燃料を使用するGXロケットを掴まえて,
「大陸間弾道ミサイルを開発したいのでは」
と嫌疑を掛けるのは,あまりにも技術に無知過ぎて,どうしてこのように思い込みで良く知らない対象を叩けるのか,大変理解に苦しみます.

 GXロケットについては,開発費用が当初の予定よりもかなり高騰をしており,失敗プロジェクトと判定されても仕方の無い面もあります.
 ですが,このような的外れな批判は完全にお門違いです.

「週刊オブイェクト」,2009年11月26日付

▼> IT風に言えば,ロケットもアプリケーションのほうが重要なはずだ

 スパコンは当然,と言いたげだが,そもそもスパコンを必要とするアプリケーションが一体どういった代物なのか,このライターは知っているのだろうか.
 知っていてこの記事を書いたのであればたいした者だが,実際に大規模行列演算等で使っていた人間から言わせてもらおう.
 まるでデタラメであり,同記事は読むに耐えない駄文と.

 鶏と卵の話をするまでもなく,このような低次元でITライターを行われては困るところ.
 まあ,ITライターと言っても科学技術の最先端で何が行われており,何が問題となっているのか理解できなくてもやむを得ないのかも知れない.
 しかし,せめて職業人としての物書きであれば,最低限の素養は身につけておかないと,自分自身で自分自身の首を絞めることになりかねないことを,自戒を込めて指摘しておきたい.

 ただ,これを軍事や我が専門分野に置き換えても同じ事....
 つくづく,分からないことは分からない,と答える故江畑氏の偉大さ,そして氏を失った事による損失の大きさを痛感するところ.

へぼ担当 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」,2009年11月21日 02:27
青文字:加筆改修部分


 【反論】
136 :名無しさん@お腹いっぱい.:2009/11/26(木) 17:06:01 ID:ME0PLQ1C
良く知らない分野で知ったかぶりをする人間の大失敗
http://obiekt.seesaa.net/article/133918164.html

また因縁付けいるよ.
GXロケットがコストばかりかかって商業用としては失敗だったのは事実.

現在はむしろGXより小型の固形燃料=軍事転用可能なロケットの開発の
方が有望視されいる.

 【再反論】
>GXロケットがコストばかりかかって商業用としては失敗だったのは事実.

 だから批判するなら,相手がなにを言っているか理解してからにしろや.

http://obiekt.seesaa.net/article/133918164.html
で述べられているのは,こう.

>GXロケットについては開発費用が当初の予定よりもかなり高騰をしており,
>失敗プロジェクトと判定されても仕方の無い面もあります.
>ですが,このような的外れな批判は完全にお門違いです.

 JSFは,GXロケットが否定されても仕方がないと,ちゃんと認めている.
 で,結果はどうなった?
 GXロケット事業は中止されるも,LNGロケットエンジン開発は存続.
 これはJSFにとって一番嬉しい,望まれた決着だった.

 まぁ,普天間移設もそうだが,GXロケットもスパコンも防衛予算も,全部JSFの願望に近い形になってるよ.
 22DDHが予算通ったのは完全に驚きだな.

戦争板,2009/11/27(金)
青文字:加筆改修部分


 【珍説】
 日本もH2ロケットをICBMに改造してテポドン2などに対抗しよう!
 現行H2ロケットも弾道ミサイルに今すぐ変えることができる.
「日本のロケット技術はICBMに転換できる」
と書いてる新聞もある.

朝鮮日報 Chosunilbo (Japanese Edition)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/12/20060712000049.html

▼◇その4 H2ロケットはいつでも大陸間弾道ミサイルに転用可能?
○小さくなる米国に,変わるアジアの安全保障−日本経済新聞社編集委員 鈴置高史さんに聞く朝鮮半島情勢【番外編その3】−
>H2型ロケットでも話は同じです.海外から見れば,あれは北朝鮮のミサイル以上の性能を持っています.いつでも大陸間弾道弾に転用できるわけです.(池上) ▲

 【事実】
 今すぐ,は無理だ.

 確かに,H2クラスのロケットを飛ばせるということは,長距離弾道弾を作るための基本技術は十分あるということだが,H2は精密機器であり,即応体制の必要な兵器には転用は難しい.
 また,今時の長距離弾道弾は常識的には固体燃料であって,H2は液体燃料だから,H2を元に作るのは難がある.
 液体燃料ロケットは,燃料を入れっ放しにしておけないので,大陸間弾道弾などのミサイルとしての利用は難点があるとされてる(燃料を入れっぱなしにしておけない ⇒ 事が起こったときにすぐに発射できない.すなわち『即応性』がない)が,大陸間弾道弾などに使えるほどの大型固体燃料ロケットの開発には高度な技術が必要とされる.
 例えば,北朝鮮などは,それほど大きくもないミサイルでも液体燃料のままなほど.
 アメリカも初期のICBMは液体燃料だったが,冷戦後期には固体燃料ICBMを実用化して使っている.
 旧ソ連のそれは,かなり遅れて固体燃料化されてる.

 そして,日本は再突入体(弾頭ね)の製造に必要なノウハウを持っていない.
 どれくらいの速度で降下させれば燃え尽きないか?という突入角度など,詳しいデータを持っていない.

 ただし,再突入実験のデータについては,H-U一号機でOREX,J-1一号機でHYFLEXをやっている,とする指摘もある.
 以下参照.
http://www.nasda.go.jp/projects/rockets/orex/index_j.html
http://www.nasda.go.jp/projects/rockets/hyflex/index_j.html

軍事板,2003/06/13他(詳細不明)
青文字:加筆改修部分

 液体燃料にもね.
 常温で保存の効くの四酸化2窒素+ヒドラジン系のICBMは有るし,昔のアリアンスペース社もこの組合わせを使っていた.
 けれど,液酸+液水のH2型と一緒にしてはいかんなぁ.
 全然用途が違うぞ.

 大体,種子島には液体水素プラントは無いぞ.
 東京からタンカーで輸送している.
 国防上の理由から,稼働率のメチャ低いプラントを作るか?
 近隣諸国の脅威以前に,バカ設備という事で世界の笑い物だ.

沸点-253℃ : 軍事板,2000/10/10(火)

 で,「やろうと思えばできる」のと「実用性がある」のには大きな差がある.
 確かにH2ロケットに核弾頭積んだら「大陸間弾道ミサイル」になるかもしれんが,上に挙げられてるような理由で,「実用兵器」としての能力はほぼない.
「ジェット機に核爆弾積めば戦略爆撃機なら,ジェット輸送機に核爆弾積んだら戦略核爆撃機になるから,ジェット輸送機持ってる国はみんな戦略爆撃機の保有国だよね?」
ということにはならんのと同じ.

軍事板,2009/08/05(水)
青文字:加筆改修部分

 ところで,日本には世界最大最凶の固体燃料ロケットM-Xがあるというのに,ICBM化で話題になるのはいつもH-U,
 これが知名度の差というものでしょうか.

sdkfz in mixi別館

 なんでH-2をミサイル化する話にするかね.

再突入実験済みのJ-1(HYFLEX積んで再突入実験をした実績あり)
圧倒的なペイロードのM-V
信頼性の高いM-3S
……と,ベースに出来るロケットはいろいろあるのに.
 地下サイロ,移動式発射台は新規開発しなきゃならないけど.

軍事板,2006/07/05(水)

 もっとも,現用機でもっともICBMに近いと言えるだろう固体推進剤のM-V打ち上げ機にしても,発射準備に数ヶ月単位の時間を要し,打ち上げ可能な射場も鹿児島県の一ヶ所だけで,兵器として運用できるものではない.
 取り扱いが極めて厄介な極低温液体推進剤を使うH-IIAに至っては,「あり得ない」と言ってもいいぐらい.

 再突入技術は,90年代にようやく実験が始まった初歩的なレベルに留まっており,核兵器の開発・実用化・小型化といった問題を無視したとしても,現時点では,すぐに実用的な再突入体を製造可能とは言えない.
 USERSは衛星軌道上で8ヶ月間実験(電気炉による超電導材料生成実験)を行った後,REVモジュールを切り離してるので,確かに
「衛星軌道から地球上の任意の場所に正確に弾体を落とせる事を証明した」
と言えるのだろうが,弾道弾の再突入体の描く軌道と違うので,こちらの誘導実験になったとは思えない.

 余談だが,日本は再突入体の実験を5回行っているが,予定通りに回収できたのはUSERSが初めて.
 内訳はNASADAが
OREX(再突入は成功,回収の予定なく海没),
HYFREX(再突入は成功,回収の予定はなかったが急遽回収することになったが失敗海没),
USERS(再突入は成功,予定海域で回収成功),
 ISASが
エキスプレス(軌道投入後見失ったがガーナで見つかり,1年後に回収),
DASH(分離せず再突入失敗).

 つまり,容易に転用できるか?と言えば「できません」,というか「兵器としては使い物にならない」.

 では,将来的にはどうか?
 ロケットを転用できるのかといえば,それはICBM開発するためのファクターのひとつではあるということはいえる.
 しかし
・ペイロードを軌道にのせる
・軌道から降下させる
と,個々の技術はあるとしても,だからといってミサイルとして統合させるのは別問題.そのための予算と時間がかかるのは間違いない.
 「自転車作れてエンジンも作れるから,バイクも製造可能」というくらいの意味しかない.

 もちろん,ロケットや宇宙機の設計製造技術は米欧露中に次ぎ世界でも五指に入るので,政治的な決断がなされ,潤沢な予算が投入されるのであれば,開発は充分に可能だろう.
 しかし,それでも配備までに年単位の時間を要する.

▼ M-Vは基礎技術の証明にはなっても,弾道弾に直接転用できる性質のものではないからだ.
 よって仮に弾道ミサイルを開発するとするなら,
M-Vの技術を流用して新規開発した上で,何度も何度も発射実験を繰り返して,ようやく兵器としての「弾道ミサイル」になる.
(例えば米のトライデントIIは,これまでに100回以上の試射を行っている)
 もちろん,一朝一夕とはとてもいかない
 JAXAの試料回収用再突入体は,亜音速まで減速しつつ降下する.
 マッハ5〜15を維持したまま大気の底へ突き抜けるRVとは,本質的に条件が違う.

 余談だが,現実的にいえば日本では,ICBMを作っても効果的に配備できる場所が無い.

軍事板,2006/07/13(木)
軍事板,2009/08/05(水)(黄文字部分)
青文字:加筆改修部分

▼ と言うか,大陸間弾道弾って,アメリカを敵に回す気ですか?
 短〜中距離弾道弾なら,大陸勢力への備えであると言えますが,大陸間弾道弾ならその標的はアメリカが含まれてしまいます.

鉄底海峡 in mixi,2012年05月19日15:28
青文字:加筆改修部分

M-V-1号機第1段モータ


 【質問】
 衛星「おおすみ」打ち上げのとき,無茶な軌道投入が行われているが,社会党のクレームにより,打ち上げロケットから誘導装置は外されていたのか?

 【回答】
 ロケット自体には最初から誘導装置はついておらず,また,軌道精度が低くなったのは,無誘導ロケットゆえに気象条件等に大きく左右されることになったため.

 「おおすみ」打ち上げに用いられたのは,L(ラムダ)4S型という名称のロケットだが,Lシリーズは元々,K(カッパ)シリーズに続く,地球観測用ロケットとして開発されたものであり,これに第4段球形モータ(人工衛星に付属)を追加して,人工衛星打ち上げ能力を持たせたものがL4Sだった.
 打ち上げ当事者である齊藤成文博士は,次のように述べている.

―――――――
 このL4S型ロケットは,当時,本格的科学衛星打ち上げロケットとして開発が進められていたミュー(Mと略称)・ロケット(最大径1.4m)と平行して,人工衛星打ち上げシステムの習得を目的として開発されていたもので,小型なりとはいえ人工衛星を打ち上げたロケットとしては世界最軽量9.4t,本来ならギネスブックに記載されてしかるべきものであった.
 しかし所要の高度に達すれば,一義的には目的を達する観測ロケットと,一定軌道に衛星を投入することの必要なロケットとでは,技術的に大きなギャップがあった.
 例えば,燃焼を終えたモータの切り離し一つをとっても,衛星打ち上げロケットでは姿勢変化の少ない一段高い技術が必要であった.
 また,軽量小型ロケットで衛星打ち上げシステムを習得しようとした方策は,経費の節減と開発期間の短縮を願ってのことではあったが,本質的には大型のMロケットと同じサブシステムを組み込まなければならないという,技術的なペナルティをも負う結果となった.

 我々が最初に採用したシステムは,第1,2,3段は観測ロケットと同じく無誘導で,重力を利用した飛行方向をとり,第3段燃焼後,エンジン部を切り離し,人工衛星となるべき第4段を姿勢制御する.
 そして局地水平に向けた状態で第4段を点火して衛星軌道に導入するという,極めて単純な打ち上げ方式である.
 この方式の評価については,多くの異論があった.

 我々としてもこの方式を最良のもの,高級なものとは夢にも考えてはいなかったが,観測ロケットの経験しかない当時としては,宇宙科学者が必要とする化学衛星を打ち上げるには,これが唯一の方法であり,その意味では合目的という点からベストの方法であると確信していた.
 それにもかかわらず「無誘導重力ターン」と言うセンセーショナルな述語にとらわれて,打ち上げ実験の度重なる失敗とも併せて,この方式は世の強い批判を受ける結果となった.
 しかし,問題はこの打ち上げ方式にではなく,観測ロケット技術には卒業していたものの,次の段階の衛星打ち上げという総合システムをマスターすることの困難さにあったのである.
 当時,ともに苦労した仲間が,L4S型ロケットの一連の失敗は,数多くの要素の総合体が,一つのシステムとして正しく機能することの困難さにあったと,まるで申し合わせたかのように述懐している.

―――――――『日本宇宙開発物語』(齊藤成文著,三田出版会,1992.4.24),p.22-23

 そして彼によれば,無誘導であったがゆえに,軌道精度が低くなったという.

―――――――
 ここで「おおすみ」の軌道精度について一言しよう.
 ラムダ4S型ロケットは,次節に述べるように1,2,3段共に全て無誘導であるので,風による外力,段間切り離しの擾乱,ロケットの首ふり運動などが,その達成軌道に大きな影響を与える.
 このうち最も大きいのは,風による影響である.
 このためロケット打ち上げ数時間前より定時毎に上層15kmまでの風向,風速を風レーダにより観測し,ロケット打ち上げ時の傾斜角度の補正を行っていた.
 しかし,風は時間的にも場所的にも複雑な変化をするので,補正達成精度は補正量の約30%と推定していた.
 ラムダ4S型5号機の場合,上層にかなり強い追風が吹いていたので,標準上下角64度に対して,1度下げて63度にランチャー上下角を設定した.
 しかし,発射自国の遅延もあって上空数百メートルに向かい風が入ったため,逆に第1,2段は上下角62度と低くなり,さらに第2段燃焼中から始まった機体の首振り運動のため,第3段がさらに61度相当の軌道にまで下がった.
 この軌道の変化を実測したレーダが,前述のような第4段点火時刻の変更指令と近地点高度を算出したのである.
 これにより達成された近地点高度は,標準値より約170km低い350kmとなった.
 その分,遠地点が高くなり,さらに第4段の速度増分は秋葉君〔秋葉鐐二郎助教授〕の心配に反して,予定より160m/秒も大きく,遠地点高度は5142kmと約2300kmも大きくなった.
 今までのラムダ4S型ロケット実験では,第1,2段がいずれも今回ほど大きく異なっていなかったのは,大変皮肉なことであった.

―――――――同,p.19

 【参考ページ】
『日本宇宙開発物語』(齊藤成文著,三田出版会,1992.4.24)
http://www.isas.jaxa.jp/j/enterp/missions/ohsumi.shtml(画像引用元)

▼ これに関して糸川博士は,以下のような暗喩めいた言葉を残している.

――――――
弾道飛行から衛星軌道飛行に入るには,姿勢制御の技術が必要である.
 コントロールの技術を開発するについて,考えなければならないポイントがいくつかあるが,第一は今までのロケットは,いくら大きくしても,制御装置がついていないために,軍事に関係のないものだといえた.
 そこで,平和利用ということが自動的に決まっていたが,これに制御装置をつけていくと,まかり間違えば,何かを乗せて飛ばせる技術に転用できるのではないか,と心配する向きへの配慮である.
 このためにも計画全体が,今後とも科学者の手で立てられて運営されるということが望ましい.
 〔略〕

 それが誘導制御装置が入ってくるのをきっかけに,軍事利用への転用という痛くもない腹を探られるのは困る.
 誘導技術を開発するときに,このことを考慮に入れた.

――――――『ロケット』p.131-132

▼ ちなみに江藤巌は月刊『丸』 2010年11月号,p.60において,誘導装置をつけると左翼から騒がれる可能性があったことを指摘しつつも,
「技術力不足以上に,打ち上げというシステムを甘く見ていたことは否定できない」
との旨,評している.▲

▼ 以下の記述も,「甘く見ていた」説を裏付けるようなものとなっている.

--------------------------
笹本(祐一) それまで弾道飛行だったロケットが,ラムダで人工衛星を目指すことになったわけですけど,それによって何かロケットの面倒の見方が変わったとか,あるいはやらなきゃならないことが増えたとか,そういうことはありましたか?

林(紀幸) それはたくさんありますけども,もともとラムダでは衛星は上がらないって発想だったんです.
 で,あるときですね,ある人が
「これに補助ブースターをつければ,人工衛星が上がるんじゃないか」
って言い出したんですよ.
 じゃあそれで計算をしてみろと言われて,一番最初に計算したのが松尾(弘毅)先生です.
 ロケットってのはそういうところから,あるときから急速に進歩したんですよ.
 その代償が失敗です.
 無理に人工衛星を上げようとして,失敗が続いた.

--------------------------『昭和のロケット屋さん』(ロフトブックス編.エクスナレッジ,2007.12.19),p.174
--------------------------
林(紀幸) 「おおすみ」のときは何してたんですか?

小野(英男,「日本一人工衛星をたくさん作った男」) 「おおすみ」っていうのは,私は人工衛星だと思ってないんです.
 あれは単なる,ロケットのテストペイロードだと思ってる.
 きちんと衛星の温度を一定に保つ設計,熱設計といいますけれど,それをしてません.
 ですからあれが数時間でバテるのは当たり前です.
 (略)

林 要するに,ラムダロケットは人工衛星レベルじゃなかったということですよね.

小野 そうだと思います.

林 地球を半周すると人工衛星になっちゃうんですよ.
 そういう規定がありますんで.
 それで「おおすみ」は「1970-11A」というナンバーをいただいたということなんです.

 (略)

林 人工衛星レベルに達しないままに,ロケットを打ち上げよう,衛星を作ろうというような動きになってしまって,周りの人も中にいる我々も,
「これで人工衛星は飛ぶんじゃないか」
と思い込んでしまったんですね.
 その錯覚がいろんなところに飛び火してしまって,マスコミは,
「やれるのに,どうしてお前ら失敗するんだ」
っていうツッコミになったわけです.

--------------------------『昭和のロケット屋さん』(ロフトブックス編.エクスナレッジ,2007.12.19),p.176-177

人工衛星「おおすみ」

【ぐんじさんぎょう】,2010/03/14 23:00
を加筆改修

▼ 参考資料に上野の国立科学博物館展示のL-4Sロケット.
 5号機(おおすみ打ち上げ)Verでの展示になってます.

 展示場所は博物館裏手,公園口改札を出て右手沿いにある駐車場の向かい側.

2010年03月26日 01:04,Ai

以上,「軍事板常見問題 mixi別館」より
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 東大のロケットに長い間,誘導装置がついていなかったのはなぜか?

 【回答】
 第1に,誘導制御の技術が難しく,開発予算も大きくなることが予想されたことから,ロケットそのものの完成を先行させ,誘導制御技術を後回しにしたため.
 第2に,日本国民の戦争への嫌悪感のためだったという.
 「東大はミサイルを開発しているのか」という非難を避けるため,ミサイルの技術にもつながる誘導制御の開発をしなかったとされる.

 【参考ページ】
松浦晋也 in 『宇宙へのパスポート』2(笹本祐一著,朝日新聞社,2007.10).p.115

【ぐんじさんぎょう】,2010/03/21 22:00
を加筆改修


 【質問】
 重力ターンって何?

 【回答】
(1)
 巧く軌道を設計し,軸がぶれないようにロケット本体を回転させたり,止めたりしながら,放物線軌道の頂点である上空で,ロケットが地面と平行になるように姿勢を制御し,第4段ロケットに点火して必要なだけの速度を加えると,そのまま地球周回軌道にはいるだろうという,「おおすみ」打ち上げ時の姿勢制御.
 打ち上げたロケットが最終段階で,地球の重力で落ち始める直前,すなわち地球の表面との速度が0になるタイミングで,地表に向かって水平にロケットを点火すると,ロケットは地面と平行に飛行するようになるので,これによって人工衛星を円軌道に乗せる.
 ただし,こうした軌道を成立させるためには,打ち上げ地点から上空にわたって受ける横風の影響を,完全に計算の中に入れて,打ち上げ角度を精密に導き出しておく必要がある.

(2)
 天体の万有引力を利用して,宇宙機の運動方向を変更する技術のことで,gravity assist(重力アシスト)ともいう.
 宇宙空間においては,天体の万有引力(以下,重力と記す)および公転運動を利用することにより,燃料をほとんど使わずに軌道を変更し,速さも変えることができる.
 それによって,ロケットや探査機に搭載する燃料を節約でき,同じ総重量の探査機であれば,そのぶん多くの機器を搭載することが可能になる.

 (1)(2)共に,ミサイル兵器の誘導方式としては不向きであるのは,言うまでもないだろう.

 なお,”gravitational slingshot”(日本で言うスイングバイ)は運動量を速度に変換して加速を行うという点で,"gravity turn”とは異なる.

 【参考ページ】
『はやぶさ』(吉田武著,幻冬舎,2006.11.30),p.138
http://ja.wikipedia.org/wiki/スイングバイ
http://spaceinfo.jaxa.jp/ja/ohsumi.html
http://sf-fantasy.com/magazine/serials/develop/05.html
http://www.warbirds.jp/ansq/41/D2001542.html
http://www.mathpages.com/home/kmath114.htm

【ぐんじさんぎょう】,2010/04/17 21:30
を加筆改修

>天体の万有引力を利用して,宇宙機の運動方向を変更する技術のことで,スイングバイ (swing-by) ,
>またはgravity assist(重力アシスト),gravitational slingshot という(英語では,後者2つが一般的)

 これは惑星間空間における宇宙機の運動についての概念で,一般的には宇宙機自身は推進されていません.

>巧く軌道を設計し,軸がぶれないようにロケット本体を回転させたり,止めたりしながら,放物線軌道の頂点である上空で,ロケットが地面と平行になるように姿勢を制御し,第4段ロケットに添加して必要なだけの速度を加えると,そのまま地球周回軌道にはいるだろうというのが,「おおすみ」打ち上げ時の重力ターン方式の姿勢制御.

 ところがこちらは惑星表面からのロケットの打ち上げについて述べていて,ロケットは推進(加速)されています.
 上の段落は太陽中心の軌道についてですが,こちらの段落は地球中心の打ち上げトラジェクトリーに関する概念です.
 打ち上げトラジェクトリーの説明としても要領を得ていません.
 これでは,なぜ「おおすみ」の打ち上げに,重力ターン方式が採用されたのか分かりません.

 おそらくwikipediaの「スイングバイ」の項の記述を参考にされたのだと思いますが,もともとwikipediaのこの項目はひどく評判が悪く,以前の解説は全くの出鱈目でした.いまの解説には改善の跡は見られますが,スイングバイと重力ターンを混同するなど,相変わらず間違いが見受けられます.
 試しに同じwikipediaでも英語版の”Gravity turnの項目を見ると,このようにはっきりと書かれています.
>A gravity turn or zero-lift turn is a maneuver (see trajectory optimization) used in launching a spacecraft into, or descending from, an orbit around a celestial body such as a planet or a moon.
 そして
>The term gravity turn can also refer to the use of a planet's gravity to change a spacecraft's direction.[3] When used in this context it is similar to a gravitational slingshot; the difference is that a gravitational slingshot often increases or decreases spacecraft velocity and changes direction whil the gravity turn only changes direction.
として,わざわざ”gravity turn”と”gravitational slingshot”(日本で言うスイングバイ)とは異なる概念であることを強調しています.
 ”Gravitational slingshot”に関しては”Gravity assist”の項目で解説されています.
>In orbital mechanics and aerospace engineering, a gravitational slingshot, gravity assist maneuver or swing-by is the use of the relative movement and gravity of a planet or other celestial body to alter the path and speed of a spacecraft, typically in order to save propellant, time, and expense. Gravity assistance can be used to accelerate, decelerate and/or re-direct the path of a spacecraft.

 お分かりでしょうか?

ROCKY in mixi,2010年04月08日 21:33

 なお,ご指摘を受けて,本文は修正された状態でメール配信されました


 【質問】
――――――
 Μロケットの誘導方式については,社会党がケチをつけた結果という意見の人を世間では多く見ますが,当時の情勢などを調べていく限りでは,ISASの自爆にしか私には見えません.
 もちろん,私の主観でしかありませんが.

―――――――kz78 in FAQ BBS,2009年8月21日(金) 1時44分

という見方はどうでしょう?

 【回答】
 笹本祐一・著,松浦晋也・解説の「宇宙へのパスポート2」中に,「「おおすみ」誕生への長い道」という宇宙研(東大・ISAS)の歴史コラムが載っています(該当箇所は松浦氏の文).

 こちらでは,第055回国会 科学技術振興対策特別委員会でのやりとりについて,以下のように記載されています.

――――――
 実は三木は誘導技術そのものを問題にしていたのではなかった.衛星打ち上げに誘導技術が必要ならば,誘導技術の有無で研究用と軍事用を区別できない.だから別途法律を作って軍事への転用を防ぐべきだという意見だった.誘導制御するならスジを通せということだったのである.
 しかし,その後も日本の宇宙開発は,「カッパは無誘導だから軍用ではない」とした最初のボタンの掛け違いを正すことが出来なかった.
 <略>
 マスコミもこの分かりやすい区別を宣伝し,世間では「東大は無誘導だから軍用じゃない」と言う奇妙なコンセンサスが形成された.このためロケットの誘導制御技術の開発は大きく遅れることになる.
――――――

 最初のボタンもそうなのでしょうが,訂正のと政治的処理の仕方にも問題があった様子.

 東大宇宙研(ペンシル〜ミュー前半)関連では,「宇宙へのパスポート(1〜3)」の他に「昭和のロケット屋さん」と言う本が,当事者に直接当たっている記録として,よい資料になると思います.

▼ ただし,笹本・松浦両氏はH-IIA辺りから先,ちょっと奇妙なくらいISASびいき,NASDAアンチになっているため,経緯とかに関わる部分で美化が入っている可能性があり,その辺りで一部割り引く必要があるかも知れません.
 ただし,笹本・松浦両氏はJAXAへの統合より先,ちょっと奇妙なくらいISASびいき,NASDAアンチになっているため,経緯とかに関わる部分で美化が入っている可能性があり,その辺りで一部割り引く必要があるかも知れません.▲

 糸川博士関連ではこんな一文も(前記「宇宙へのパスポート2」より).

――――――
 実は誘導制御は糸川の専門分野の一つだった.戦争中,彼は陸軍のために誘導弾の研究を行っていたのである.皮肉なことに誘導制御を専門とする糸川が始めたロケット研究は,無誘導で人工衛星の打ち上げに挑むことになった.
――――――

 誘導技術に関して(当時その場で)一家言あった糸川教授の脳内区別として,「誘導出来なきゃ軍事利用できなかろう」的なロジックがあったのではないか,と思います.

Ai in 「軍事板常見問題 mixi別館」,2010年03月11日 22:44
青文字:加筆改修部分

▼> 笹本・松浦両氏はH-IIA辺りから先,〜
 「JAXAへの統合より先」に修正をお願いします.
(NASDA+ISAS+NAL=JAXAへの統合で,実質的に主導権を旧NASDAが持ってったのが,NASDAアンチの取っ掛かりなので)

Ai in 「軍事板常見問題 mixi別館」,2010年03月17日 00:06


 【質問】
>カッパロケットの輸出事業が頓挫したのは,国際問題化を避けるため

――――――kz78 in FAQ BBS,2009年8月21日(金) 1時44分

だったのですか?

2010年03月12日 20:21,消印所沢

 【回答】
 『宇宙へのパスポート』第2巻(笹本祐一著,朝日新聞社,2007.10)には,国際問題化,については直接的表記はありませんでしたが,以下のような表記があります.

――――――
 カッパロケットが8型でほぼ完成の域に達したことから,さらなる問題も浮上してきた.
 1961年9月から翌年にかけて,富士精密はユーゴスラヴィアへカッパロケット5基と付属する地上設備,コンポジット型推進剤の製造技術権を販売する契約を結んだ.
 ここまで損を覚悟でロケットに取り組んできた富士精密にすれば,そのロケットで一応収益を上げることが出来て,ほっと一息つく思いだったろう.
 K8型には他にも国際的に様々な引き合いがあり,1964年にはインドネシアへの輸出も成功した.

 実のところ,これらの輸出は平和目的の観測用途として行われたものの,ロケットを買う側の意図はより軍事寄りだった.
 先進国は固体ロケット,特にコンポジット型推進剤の技術を軍事技術として開発しており,その詳細は軍事機密だった.
 東大の糸川と富士精密が開発したロケットだけが,世界で唯一非軍事目的のために開発された個体ロケットだったのである.
 非軍事目定期のロケットなら日本から買える.
 しかも技術が手に入れば,自分の国で軍事用途への応用が出来るというわけだ.
 事実,インドネシアへのカッパ輸出に当たって,指導のために現地を技術者が訪れると,交渉の時には背広を着ていた相手方関係者が,軍服を着て迎えるというようなことが起こった.

 糸川が学術用途といって作ってきたロケットは,実は海外にミサイル用に売るためのものではなかったか,学術を隠れ蓑にかつての戦闘機設計者がまたも兵器を作っているのではないか――この疑問に対して糸川は国会に証人として出席し,
「カッパは誘導装置を持たないので,軍事転用は出来ない」
と答弁し,一応の理解を取り付けた.

――――――同書,p.74-75

 最後の下りは第051回国会 科学技術振興対策特別委員会宇宙開発に関する小委員会での発言のことを指すものと思われます.
 察するに,富士精密は軍事用途への応用について思いつかなかったか,軽視していたのではないかと思います.
#富士精密の前身は中島飛行機浜松工場,後のプリンス自動車.

2010年03月12日 22:17,Ai

▼ あと,科学技術振興対策特別委員会議事録中の三木議員の発言に,以下のようなものがあります.

――――――ここから

<略>
 それは武器ですか,武器でないですかとこっちは聞きたいですよ.
 当時ちょうどこれを注文して持っていったことが問題になったんですよ.
 あなたも御存じだと思うのです.
 四十年ですね.
 私もそのあとインドネシアに行きました.
 そうしますと,インドネシアでは全部上げて,何のために来たんだ,武器としてあなた方は調べに来たのか,こういうことだったのです.
 あの当時これを輸出しておったのは伊藤忠でしたか,そういうことで,国会でも論議になったわけですよ.

 二つの焦点があるわけです.
 一つは国費をかけて開発したところのものを,一商社がそれを売っていいか,それに東大がかんでいいかということですよ.
 これが一つだったのです.
 もう一つは,インドネシアは大統領がマレーシアを威圧するために,われわれはこういう武器に類するものを持っておるんだ,こういうためにやるんじゃないか.
 これは国際紛争を招くじゃないか.
 こういうものを送ってはいかぬじゃないかと言いましたときに,あなた方は,口をきわめて,武器じゃ.こざいません,武器でない証拠にこの二つがこうですと,そのときにその識別を言ったわけです.

 しかしながら,現実は,行きますと,やはり航空大臣がこれに対しまして立ち会って,しかも,全部軍人が立ち会って上へ上げておるわけですよ.
 ときにあたかもマレーシアの紛争があったときです.
 マレーシアを威圧することにも私は意義があっただろうと思いますが,今度まあクーデターに準じた平和なクーデターがありましたから,こちらのマレーシア紛争は解決がつきましたけれども,当時の大統領の考え方はそうではないかという心配を持っておったからそれを聞いたのですから,あなた方いま何だかんだとおっしゃるように,のらりくらりという御答弁弁と言うと悪いかもしれませんが,そういう答弁の中で,絶対に武器にはならぬのだ,武器にはなりません,こういうことですから,おっしゃったことが食言ですかと言っておるわけです

――――――第055回国会 科学技術振興対策特別委員会 第6号 昭和四十二年五月十七日(水曜日)

 販売元として配慮するべきだったのではという指摘が,当時(おそらく売った後に)あった事が読み取れます.
 「国会で論議」とあるので,探せば出てくるかも知れません.
 これより前,1964年(昭和39年)頃(インドネシアへの輸出後)の記録になるはずです.
 文言と三木議員の記憶が正しいなら,1966年(昭和41年)の第051回国会 科学技術振興対策特別委員会宇宙開発に関する小委員会より前,糸川博士を呼び出す前に論議になったと読み取れます.

2010年03月17日 00:06〜00:30,Ai

 時系列順に並べると,

昭和40年(?) 伊藤忠がインドネシアに輸出したロケットに関して国会で議論になる
 ↓
昭和41年 糸川博士呼び出し
 ↓
昭和42年 第055回国会 科学技術振興対策特別委員会における三木議員の発言

 となりますか?

2010年03月17日 00:37,ゆきかぜまる

 そんな感じになるんじゃないかと思います.
 いま確認したところ,「第049回国会 科学技術振興対策特別委員会」の3号,5号にてこの件が触れられています.
 昭和40年(1965年)8月.

――――――ここから
第049回国会 科学技術振興対策特別委員会 第3号
昭和四十年八月五日(木曜日)午後一時三十分開議


○山内委員
 <略>
 東大で開発されましたカッパー8型ロケットがインドネシアに,これはたしか七月一日だと思いますが,すでに船積みされて向こうで組み立てられておると思うのですが,この問題は,いろいろな宇宙開発の行政の今後について疑問点をこの中に含んでおる.
 そういう意味でお尋ねしたいと思いますが,インドネシアにカッパー8型を売るに至った経緯といいますか,その点を若干お聞きしておいて,あと内容について詳しくお尋ねしたいと思います.

○高木説明員
 ただいまインドネシアにカッパーロケットを輸出するに至った経緯についての御質問でございますので,お答え申し上げます.
 元来,コスパーという宇宙空間研究委員会という国際委員会がございまして,地球観測年が終わりましてから毎年外国でございまして,各国がナショナルレポートを提出して,一年間にどういうロケットでどういうことをやったかということを,国際的に発表し合う委員会がございます.
 したがいまして私たちのカッパー6とか8とか9とかいうロケットは,そういうところで世界に周知されております.
 <略>
 インドネシアの場合を例にとりますと,三十九年,四十年が太陽静測年,IQSYなので,三十八年にわれわれのグループにアプローチがございまして,二年前にそのことを私たちは承知しております.
 その相談のしかたは,インドネシアでIQSYの間に宇宙科学観測をやるとしたら,つまりコスパーの一員としてやるとしたらば,どういう計画がいいだろうというその宇宙科学の計画について,われわれに相談に参りました.
 <略>

○山内委員
 いまの御説明でそういう学術なり文化というものを文流する,それはけっこうなことですが,これをなぜ伊藤忠商事が商業べースで輸出しているか.
 <略>
 これはほんとうの研究機関として,学術研究用として交流されるのであれば,そういう税金という問題の心配もない,これがほんとうに意味をなすのです.
 <略>
 インドネシアにロケットを出したということは,マレーシアから非常に強い抗議が来ているでしょう.
 これだって解明しないと,あなた方はこれは武器にならぬという御答弁だろうと思うけれども,外国は,すでに,これは弾頭を取りかえて核兵器にでも改造されたらたいへんだという心配を,外国は持っているわけです.
〔強調:編者〕

○赤沢説明員
 ただいま御質問のインドネシア向けのロケットの輸出でございますが,通産省はこういったものについての輸出承認をする立場にある役所でございます.
 これにつきましては,先ほど御質問の中にもございましたが,伊藤忠商事から輸出承認の申請があり,それに基づきまして,本件は軍用に転用されるものではないということが確認をされましたので,通産省としては輸出承認をした,こういうことでございます.
 したがって,あくまでこれは一般の商業ベースの輸出ということで承認をいたしております.
 <略>
 K8型のロケットでございますが,これは当初から宇宙観測用ということで設計されたものでございます.
 第一番には,誘導制御装置がついておりません.
 またこれに誘導制御装置をつけることはほとんど不可能であるという断定が下されております.
 <略>
 いわゆるペイロードにつきましては,四十キロないし五十キロ程度のものでございまして,たとえ観測用機器にかえまして火薬類をかりにこれに積めたというふうな想定をいたしましても,この程度では全く軍事的な価値がない,かように断定いたしております.

――――――ここまで

 この山内委員(山内広 衆議院議員)は,三木議員と同じく日本社会党.

 マレーシアの成立が1963年.
 シンガポールの独立が1965年.
 インドネシアはスカルノ大統領下のインドネシア共産党時代.
 インドネシア・マレーシア間の紛争について,東京で会談が行われたのが1964年なので,当時の状況はまさに火薬庫だったことが伺え,そう考えると山内,三木両議員の危惧心配も,『これだけは質しておかないといけない』点だったとも思います.

 もっとも,質す側も質される側も,ボタンの掛け違いに気づかなかったわけですが……

2010年03月17日 09:04,Ai

▼ 資料から読み取れている範囲では,
・ユーゴとインドネシアへのカッパ輸出は,手続き上問題なく行われ,使途についても確認される手段で行われた.
 少なくとも中途半端な打ち切りは無い.
・(確認できている範囲で)国会内で文句を入れているのは,山内議員が初っぽい.
(ユーゴへの輸出について国会内で触れられたのは,第038回国会 科学技術振興対策特別委員会 第11号でちょろっとだけ)
・マレーシアからの抗議自体は合ったと推認される.
(>「インドネシアにロケットを出したということは,マレーシアから非常に強い抗議が来ているでしょう」実際にあったのか不明)
・その他の輸出先としてドコが手を挙げ,具体的な進展があったのかは不明.
 継続して売る計画があってポシャったのでないなら,頓挫とは言わないのでは?
と言うところでしょうか.

2010年03月20日 01:21,Ai

▼ すいません.元々の質問者です.
 私の持っている範囲でのソースです.
『日本の宇宙戦略』(青木節子著,慶應義塾大学出版会,2006.11),p.301

--ここから

 インドネシアにおける観測ロケットの開発計画は,一九六二年にさかのぼる.
 一九六四年に実施されたKartika観測ロケットの打上げ実験が成功したのを受け,太陽活動極小国際観測年に参加するためのロケットを開発することを決定した.
 当時,観測ロケットを保有していたのは,米ソ英日の四ヶ国であったが,それ以外の国も同観測年に参加できるよう,観測ロケットやその技術を輸出することは推奨され,むしろ義務とさえ考えられていた.
 そのような国際環境の中で,日本から東大が開発したカッパ8ロケット(最高到達高度200キロ)10機を輸入したインドネシアは,翌年に三回の打上げ実験を行った.

 マレーシアはインドネシアがミサイル技術を手に入れることを警戒したため,日本政府に抗議をし,それが日本国内の政治に大きな影響を与え,その後の「武器輸出三原則」につながるのである.

 その後の国際環境では,ロケット技術の導入は困難になり,一九八七年にMTCRが設立されてからは,途上国がミサイル技術を持つ先進国から,正規のルートでミサイルやその技術の移転を受けることは非常に困難となった.

--ここまで

2010年03月27日 13:02,kz78

以上,「軍事板常見問題 mixi別館」より
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 インドネシアに輸出した10機のうち,3機は翌年に打ち上げているが残りの7機がどうなったのか?,調べてもよくわかりません.
(ja.wikipedia.orgのカッパロケットの項目では,1965年8月に全部打ち上げたことになっているが,第052回国会予算委員会での高木氏の発言と矛盾する)
 「日本の宇宙戦略」p301によれば
「10機を輸入したインドネシアは,翌年に三回の打上げ実験を行った」
とあるので,今まで一日に3〜4機の打上げを計3日行ったと理解していたのですが,日本ですら同日の打ち上げは2機がせいぜいだったことをふまえるとちょっと考えにくい.
 そうすると,結局残りの7機はインドネシアで調査用に解体されてしまったのではないかと思えてしまいます.

2010年03月30日 04:44,kz78

 【回答】
 観測ロケットの譲渡(販売)や打ち上げは,コスパル(COSPAR,宇宙空間研究委員会)に登録されており,ユーゴ,インドネシアに販売されたものも登録されていることになっています.
http://cosparhq.cnes.fr/

 記録をチェックしたわけではないのですが,仮に7機解体したとしたらそう言う記録が残るはずですし,何より「実際にそうされた」という事実の方が,(国会での)攻撃材料として明確であることを考えると,それが全く話題に上っていないのは不自然だと思います.

2010年03月30日 07:20,Ai

 実際,残り7機のカッパロケットがどうなったのか,現代の我々が追跡できなくなっているわけで,COSPARによる管理では不十分だったのではないかと思うのですが.
(もちろん,きちんと資料に当たればどこかに書いてあって,私がそれを発見できていないだけという可能性も高いですが)

 予算委員会における高木氏の発言を読む限りでは,単にCOSPARは輸出や打上実施の申告を受けて,書類上で管理しているだけで,打上実施に輸出国またはCOSPARの人間が立ち会ったり,輸入国で保管されているロケットを定期的にチェックするような仕組みは整備されていないようですし.記録の上ではインドネシアに保管されているはずのカッパロケットが,本当にそこにあったのか,ですね.

 もう一つ言うなら,インドネシアのカッパロケット輸入は,太陽活動極小期国際観測年(IQSY:1964〜1965) への参加が目的だったわけで,1966年だとIQSYは終わっています.
 残った7機はインドネシア単独で観測を行うつもりだったのか,
 次の太陽活動期国際観測年(IASY:1969〜1971)まで保管しておくつもりだったのか
(カッパロケットを4年以上保存していた場合に,正常動作するかというのも疑問ですが).
 これが無償の供与であれば,IQSYが終わった時点で,残ったロケットを引き上げてしまえば良かったのでしょうが,販売しているのでそういうわけにもいかず.結局,日本とCPSPARはインドネシアのカッパロケットをコントロールできない状態になっているように思えるのですよね.
 だから,せめて1966年の時点で残った7機をどうするつもりか,インドネシアに質すくらいはしても良かったと思いますし,結果論としては問題のある輸出だったと思ってます.
 最初からそこまで予想できたのかといえば,それは難しいでしょうが.

2010年03月30日 12:49,kz78

 ふと気がついたんですが.

――――――
第052回国会 予算委員会 第3号
昭和四十一年十月二十日(木曜日)
○高木参考人 
(略)それが一基打ち上げるごとに報告が出されますので,インドネシアの場合は,三基打って七基がいま残っているということを私たちも知らされておるようでございます.
――――――
――――――
第055回国会 科学技術振興対策特別委員会 第6号
昭和四十二年五月十七日(水曜日)
○三木(喜)委員
(略)
 当時ちょうどこれを注文して持っていったことが問題になったんですよ.
 あなたも御存じだと思うのです.
 四十年ですね.
 私もそのあとインドネシアに行きました.
 そうしますと,インドネシアでは全部上げて,何のために来たんだ,武器としてあなた方は調べに来たのか,こういうことだったのです.
――――――

 これが両方とも正しいと解釈するのなら,1966年(S41)10月の第52回国会より後に,インドネシアは7回の打ち上げを行って,その後に三木議員がインドネシアに訪問して,1967年(S42)5月の第55回国会を迎えていることになります.
 そうであるのなら辻褄は合うし,なにも問題はないのですが,しかしこの半年の間には黒い霧解散があり,第31回衆議院議員総選挙があり,三木議員は兵庫4区で出馬・当選した後に,第53・54国会があるわけで…インドネシアに行く暇があったのでしょうか?
 三木議員の「私もそのあと」というのは「四十年」にかかると考えて,インドネシアに行ったのは1965年(S40)夏〜1966年秋の間と考えるべきのような気はします.
 そうすると,インドネシアは三木議員に嘘を言ったのか,COSPARへの報告を怠ったのか.
 三木議員がインドネシアを視察したタイミングが気になりますが,調べるのは難しいでしょうかね.

……と,コレを書きつつWikipediaで調べたら1965年9月30日〜1966年3月11日の間はインドネシアで政変(9月30日事件)が起きてる最中で,のんきに観測ロケットを打ち上げたり,一介の議員が渡航したりといった情勢では無さそうです.
 とすると,IQSYで本来は10機全部を打ち上げる予定が,インドネシアの政変で不可能になったということなのでしょうか・・・.

2010年03月30日 19:51,kz78

 インドネシアの宇宙開発ですが,LAPAN(インドネシア国立航空宇宙研究所)の設立が1964年に設立されてます.
(63年と記されてる場合がある,wikipediaでも項目内で統一がない)
http://www.lapan.go.id/
http://en.wikipedia.org/wiki/National_Institute_of_Aeronautics_and_Space
 それより前にはインドネシア空軍とバンドン工科大学の合弁で2発ほどロケットを打ち上げたけども,あんまり役に立たなかった的な事が書かれています.
 インドネシア側の発注者はこちらになる(COSPARのサイトでもメンバーとして挙げられている)はずです.
 小一時間ほどいろんなワードでググってみましたが,輸出実績以降の話はぱっと見どこも(先の国会議事録以外)見あたらない状態ですね.
 逆に,分解されたとか流用されたとか,そう言う話も見つからなかったので,どっちとか言われると情報不足だよなあと.

 LAPANがカッパをバラした説については,現在の学術的なインドネシアとの協調関係を考えると,私は懐疑的なのですが,現状これ以上調べようがないので一旦保留で.
 おそらく松浦晋也氏あたりなら,当時の新聞を含めた一次資料や,実際の状況をご存じの方を知っていると思うのですが…….
 質問メール送るべきかなあ.

> 打上実施に輸出国またはCOSPARの人間が立ち会ったり,輸入国で保管されているロケットを定期的にチェックするような仕組みは整備されていないようですし.

 判明している8回(ユーゴ5回,インドネシア3回)については,東大宇宙研の人が立ち会いを行ってると議事録に記載があります.

2010年03月30日 20:04,Ai

 資料もう一つ.
http://www.meisei.co.jp/museum/space/timeline/1960s.html
 明星電気の宇宙開発に関する年表.
 中段1965年のところで,全機打ち上げた的な記述になってます.
(左は発射日で,納品日等ではないため,打ち上げたのだけ記載なのだと思いますが)
 #なんかぞんざいな書き方になってますが,ユーゴの欄(1963)は「夏期」とか書かれてるので,分かる分だけ埋めてるのかな?

2010年03月30日 20:23,Ai

 すいません,分解説を言い出したのは私ですが,その説にこだわりを持っているわけではないです.
 ただ,1966年10月の高木氏の説明では7機残っていることになっていたのが,現代の資料では1965年の8月に全部打ち上げたことになっているものもあるわけです.
 本当に1965年8月に全部打ち上げたのであれば,1966年の日本でそれを把握できていなかったことになり,つまり第052回国会での高木氏の説明にあるようなCOSPARへの報告制度は,チェック機構としては完全に破綻していたことになります.

 一方で,1966年10月の高木氏の説明が正しくて,そのときは7機残っていたのであれば,残った7機は何時何処へ消えたのかを,日本が現在でも把握できていないことになります.
(明星電気の表は1965年8月〜現在という意味の書き方にも読めます)

 どちらにせよ,インドネシアに輸出された10機のうち,東大が立ち会った3機以外の打上は,日本からは追跡できない状態になっているわけで,当時のCOSPERへの報告制度というのは,何の保証にもなっていません.
 インドネシアがその気になれば,分解でも軍事転用でも自由であり,日本側にそれを把握する手段がなかったことが問題だろうと思います.
(実際にインドネシアがそれを行ったのか,それを行ったとして何か具体的な成果を得ることが出来たのかは別として)

2010年03月30日 21:37,kz78

 自分の方も無意味にこだわっちゃって申し訳ないです.
 全体としてみるとこの部分は端っこなのでこだわる理由もないのですが,「みつかんねー,みつかんねー」とやってるのが大好きなもので(死

 システムとして,そう言った軍事転用や分解調査に対してどういう事(プロテクトというか,分解対策)をやってたのかはちょっと気になりますね.
 コレもやっぱり,資料蓄えてそうな人に確認してみたい箇所ですね…….

 一応,全部専用設計に作って転用対策はしてたみたいですが.

2010年03月30日 23:43,Ai

以上,「軍事板常見問題 mixi別館」より
青文字:加筆改修部分

▼ かなり時間経過している状況ですが,インドネシア宇宙開発に関して
http://www2a.biglobe.ne.jp/~mizuki/lifelog/5.htm#167
http://www2a.biglobe.ne.jp/~mizuki/lifelog/5.htm#168
http://www2a.biglobe.ne.jp/~mizuki/lifelog/5.htm#169
# この方も宇宙開発系の技術者

--引用ここから

 1965年7月,日本から10機の輸出仕様のカッパ8型と,テレメトリ設備等の地上設備,そして製造設備がインドネシアに搬入された.
 早速,8月に3機の打ち上げが行われている.
 この打ち上げ主体は,インドネシア空軍である.
 当時,このような機器運用をおこなえる組織は,インドネシアでは軍以外にはありえなかった.
 10機のカッパ8型は全て打ち上げ記録が残され,COSPARに報告される筈だったが,最初の3機以外の記録は残っていない.

--引用ここまで

とあり,(少なくとも(自分なんかよりよほど専門である)水城 氏調べの範囲でも,)10機中7機記録不明であるようす.

# 過去自分の発言で「記録が残ってるはずだろ常考」とか言っちゃってますが,誤りのようです.
 訂正してお詫びします orz

また,

--引用ここから

 インドネシアでは,その後のロケット技術開発は低調に推移した.
 空軍はその後,ロケットから興味を失い,海軍はカルチカ-1の海軍型を試射するなど,熱心にロケットの戦力化に取り組んだようだが,誘導装置抜きの打ちっぱなしでは,戦力としては期待できない.
 カッパ8型と共にもたらされたコンポジット推進剤の技術には,過塩素酸アンモニウムの入手が,政治的な理由により難しいという問題を抱えていた.

--引用ここまで

とあるため,
・コンポジット推進剤の技術移転はされた.
・海,空軍ともに戦力化を意図した研究がなされた
・原料入手の都合から,カッパからの技術を直接戦力運用することは難しかった
ことが窺えます.

2011年02月17日 14:09,Ai

以上,「軍事板常見問題 mixi別館」より
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 そもそも,カッパ・ロケットって何?

 【回答】
 東京大学生産技術研究所(後の宇宙科学研究所(ISAS)→JAXA))の糸川英夫教授が,1957年から始まった国際地球観測年Internatinal Geophysical Year)に高層大気観測ロケットとして開発した,日本独自の自主開発による本格的な全段固体燃料観測ロケットです.
 その後,カッパ・ロケットは4型,6型,8型,9型,10型など各種が開発され,地球の上層大気の観測に大きな貢献をしました.
 これらカッパ・ロケットは,戦前は「隼」戦闘機を生産していた中島飛行機の流れを汲む,富士精密(のちにプリンス自動車,その後は日産自動車に吸収)で製造されました.

 【参考ページ】
http://www.jaxa.jp/pr/inquiries/qa/rockets.html
http://blogs.yahoo.co.jp/bdcxs228/16670570.html
http://www.bekkoame.ne.jp/~yoichqge/roc/japaroc2.html
http://www.wdic.org/w/SCI/カッパロケット
http://japan.road.jp/History/Akita-R7.htm

【ぐんじさんぎょう】,2010/03/03 23:00
を加筆改修


 【質問】
 ネット上に,カッパロケットに関する参考情報はありませんか?

 【回答】
 以下は,東大の生産技術研究所が出版している「生産技術」のバックナンバーで,カッパロケットに関連で参考になりそうなものについてまとめました.
 ちなみに検索は,東大の論文検索サイトから,「カッパ」とか「糸川英夫」とかで検索しました.
 ここでは紹介していませんが,糸川先生がアメリカに行かれた際の報告文とかも見つかって,おもしろかったです.

「カッパ計画について」糸川英夫
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/30494/1/sk009003003.pdf
糸川先生による,カッパ計画の目的・意義,計画経緯について.

「カッパロケットエンジン」戸田康明
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/30498/1/sk009003007.pdf
戸田氏によるエンジン開発時の流れについて.あんまり役に立たないかも.

「ペンシルロケットからカッパ8型まで」糸川英夫
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/31068/1/sk012012002.pdf
糸川先生が1961年に書かれたカッパロケットに関する総括的記事.

「カッパロケットのエレクトロニクス」高木昇・野村民也
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/31070/1/sk012012004.pdf
カッパロケットのエレクトロニクスに関する解説.誘導装置がないので,テレマ装置,アンテナ,地上追尾系について.

参考になれば幸いです.

2010年03月28日 22:25,ふくすけ

 専門論文の検索ならCiNiiの方がオススメ.
http://ci.nii.ac.jp/

2010年03月29日 00:40,HASU

以上,「軍事板常見問題 mixi別館」より
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 東大宇宙研の沿革を教えてください.

 【回答】
1942年2月,航空技術者養成を急ぐ軍の意向により,東京帝国大学第2工学部航空研究所新設.
1945年8月,終戦後,GHQが日本の航空研究開発を禁止する.
1946年3月,理工学研究所に改組.
1949年5月,第2工学部の後継として,東京大学生産技術研究所設立.
1954年2月,糸川英夫を中心にAVSA(航空電子工学と超音速航空工学連合)研究班発足.
(同年,日本は国際地球観測年(IGY,1957-58)での観測に参加を決定)
1955年4月,国分寺において,ペンシル・ロケット水平発射.
1958年4月,理工学研究所廃止,航空研究所設置.
1964年4月,生産技術研究所の一部と航空研究所が合併し,宇宙航空研究所創設.
(1967年3月,糸川英夫,退官)
1981年4月,宇宙航空研究所廃止,大学共同利用機関として,文部省宇宙科学研究所に転換.
2001年1月,中央省庁再編に伴い,文部科学省宇宙科学研究所となる.
2003年10月,航空宇宙3機関統合,独立行政法人宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究本部となる.
2004年4月,運営効率化のため,名称が統合前の「宇宙科学研究所」に戻される.

 【参考ページ】
『はやぶさ』(吉田武著,幻冬舎,2006.11.30),p.60-64
http://ja.wikipedia.org/wiki/宇宙科学研究所

【ぐんじさんぎょう】,2010/04/08 21:00
を加筆改修

 ずっとむかし,日本の宇宙開発略史を執筆した時に,東大宇宙航空研究所について「宇宙研」と略したら,監修の業界関係者に「宇航研」と赤を入れられたのを思い出しました.
 おそらく宇宙航空研究所の,航空畑の人であったのでしょう.
 でも当時,宇宙関係者はたいがい宇宙研と呼んでいたのだが.

ROCKY in mixi,2010年04月08日 23:00


 【質問】
 カッパ・ロケット輸出問題の経緯は?

 【回答】
 時系列順に並べてみます.

1:
 1961-62にかけて,富士精密はユーゴスラヴィアへカッパロケット5基と付属する地上設備,コンポジット型推進剤の製造技術権を販売する契約を結んだ.
 仲介は三井物産.

――――――
第038回国会 科学技術振興対策特別委員会 第11号

 ○糸川参考人 御紹介いただきました東京大学の糸川でございます.
  <略>
  昨年ユーゴスラビアと日本の間に,日本のカッパー・ロケットをユーゴスラビアに渡すという契約がまとまりまして,この四月八日,先方から技術者が三名参りました.
  <略>
――――――

・(1963:マレーシアの成立)

・(1964:インドネシア・マレーシア紛争の会談が東京で行われる)

2:
 1964に,プリンス自動車(1961年,社名変更)は,インドネシアへカッパロケット10基+地上設備を販売する.
 契約金額は百七十一万四千百二十ドル.
 仲介は伊藤忠.

3:
 1965に,「第049回国会 科学技術振興対策特別委員会」内で,インドネシアへの輸出に関して山内広 衆議院議員が取り上げる.

――――――
 ○山内委員
  <略>
  インドネシアにロケットを出したということは,マレーシアから非常に強い抗議が来ているでしょう.
 これだって解明しないと,あなた方はこれは武器にならぬという御答弁だろうと思うけれども,外国は,すでに,これは弾頭を取りかえて核兵器にでも改造されたらたいへんだという心配を,外国は持っているわけです.

 ○赤沢説明員
  <略>
  K8型のロケットでございますが,これは当初から宇宙観測用ということで設計されたものでございます.
 第一番には,誘導制御装置がついておりません.
 また,これに誘導制御装置をつけることは,ほとんど不可能であるという断定が下されております.
  <略>
  いわゆるペイロードにつきましては四十キロないし五十キロ程度のものでございまして,たとえ観測用機器にかえまして火薬類をかりにこれに積めたというふうな想定をいたしましても,この程度では全く軍事的な価値がない,かように断定いたしております.
――――――

・(1965:シンガポールの独立)

4:
 1966に,インドネシアへの輸出について,「第051回国会 科学技術振興対策特別委員会宇宙開発に関する小委員会」に糸川博士を呼んで再確認.

――――――
 ○田中(武)小委員
  <略>
  インドネシアヘの輸出にあたっては,インドネシアの国家機関との間に契約ができたのかどうか.そこでマレーシアからの抗議等がありまして,若干外交上の問題を考慮しなければならないのじゃないか,こういった点が実は論議せられたわけなんです.
  <略>
  これは小委員会ですが,本委員会のほうで議論になりましたので,一番お詳しいと思いますので,その点についてまず御説明を伺いたいと思います.

 ○糸川参考人
  <略>
  武器になるかならないかでございますが,カッパー8型は武器になることが技術的に全く不可能でございます.
 それは何も誘導装置がついておりませんし,また,誘導装置をつけるとすれば,全部新しく設計し直して,新しくつくったぼうがはるかに経済的なんであります.
  <略>

 ○岡小委員
  <略>
  もし他国に流れて,その核兵器の運搬手段の資料として利用された場合は,まことに遺憾千万といわなければならない.
  <略>
――――――

5:
 1966に,「第052回国会 予算委員会」でちょっとだけ話題が出る.

――――――
 ○加藤(清)委員
  それではもう一つ.日本で開発されましたロケットその他が諸外国に輸出された場合,それが軍事目的に利用されるおそれなきにしもあらずという考え方がございます.
 そういう場合,それをチェックする方法がありやいなや.
  <略>

 ○有田国務大臣
  私は,そういうようなことにならないと思うのです.
 チェックする方法はどうかといいますと,たとえば鉄でも,平和利用のために鉄の輸出をやりますが,それが軍事目的に使われるかどうか,そこまで洗いよると際限ないのです.
 したがいまして,私は,日本の宇宙開発の技術というものは,そういうものには使われない,こういう考えであくまで進んでいく.
  <略>

 ○高木参考人
  <略>
  観測ロケットは,コスパルという宇宙空間研究委員会という国際会議がございまして,それに登録されておりますので,たとえば前回ユーゴに輸出したような場合,あるいはインドネシアに輸出した場合には,何基そちらに行っているということが明らかになっておりまして,それが一基打ち上げるごとに報告が出されますので,インドネシアの場合は,三基打って七基がいま残っているということを,私たちも知らされておるようでございます.
 三基実験報告が出た.
 もともとそういうものは前回の国会でも御議論がございましたとおり,平和利用につくったもので,転用するということが困難である,できない,そういうようなことが御了承がいただけたかと考えておるのでございます.
 軍用の場合には,推薬も,非常に速度の早いものが必要である.
 私たちのほうは,空気抵抗をなるたけ少なくする意味において,速度のおそくて長続きするような燃料を使うなど,いろいろそこに目的によってロケットの設計が全然違うんだ,こういうことでございます.
―――――

☆:糸川博士が東大を退官(1967/3/21)

6:
 1967(4月),「第055回国会 決算委員会」にて,ロケットの輸出と武器輸出の件で,佐藤内閣総理大臣と華山委員のやりとり(武器輸出三原則)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/055/0106/05504210106005a.html

7:
 1967(5月),「第055回国会 科学技術振興対策特別委員会」.

――――――
○三木(喜)委員 
 この誘導か無誘導かという場合,無誘導のミサイルでも戦術兵器になっておるわけです.
 米国のオネストジョソがそのとおりであります.
 これは,石橋君がその後これを指摘しておるわけですから,はっきりしてきたわけであります.
 それから,燃焼速度が東大はおそい.
 おそい燃料は武器ではございません.
 早いのは,対戦車ミサイルなんかは即時燃焼でいっておるわけなんでありますから,これは武器だとおっしゃるのですけれども,おそいミサイルでも,これは現実に武器になっておるわけであります.

#オネストジョソ → オネストジョン.会議録の記録転記間違い?

○高木説明員
 私は,観測ロケットについては武器じゃないといまでも思っております.
  <略>
――――――

 「ボタンの掛け違い」という表現は,「宇宙へのパスポート2」での松浦氏の表現で,この場合の使われ方は,「三木議員の考える問題(誘導制御するならスジを通せ)」と「東大宇宙研の考える問題(カッパは無誘導だから軍用ではない)」に対して使われています.
 やりとりの経過を総覧すると,途中まではロケット自体に対する問題として話が進んでいますが,7では個々技術に踏み込んだ話になっています.
 その後三木議員の話は別の話題にさくっと移っちゃいました.この時点で(国会の場で)掛け違いのすりあわせをする機会がなくなっちゃった感があります.

その他,一次資料からは不明確な点.
a:ユーゴ,インドネシアは(カッパ輸入時点で)装置,技術の軍事転用を考えていたか.
a’:三井物産,伊藤忠はユーゴ,インドネシアの目論見を承知で輸出したのか.
b:糸川博士や東大宇宙研は,輸出の件に口を挟めたか.
c:糸川博士や東大宇宙研は装置,技術の軍事転用について,どの程度危惧をもっていたか.
d:ユーゴ,インドネシアの自国開発兵器で,カッパ源流の技術が用いられた明確な例はあるか.

2010年03月28日,Ai

以上,「軍事板常見問題 mixi別館」より
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 「三木議員は,別途法律を作って軍事への転用を防ぐべきだという意見だった」ということですが,法を作れば軍事転用を阻止できるようなものだったのですか?

2010年03月12日 20:21,消印所沢

 【回答】
 軍事転用阻止については明確な部分はありませんでした.

 前述の引用部と,第055回国会 科学技術振興対策特別委員会における三木議員の指摘が正しければ,ユーゴやインドネシアは,ロケット技術そのものよりもむしろ,(先進国が軍事機密としている)コンポジット型推進剤の方が本命だったのではないかとも読み取れます.

 ペンシルロケットに使われた個体燃料は朝鮮戦争時のバズーカ砲用に日本油脂が作っていたもの(ダブルベース).カッパの燃料(コンポジット)はその流れで日本油脂が製造.
 コンポジット推進剤を上手に燃やすには,ロケット内部に充填されているときの形状に工夫が必要で,その辺のノウハウも,のどから手が出るほどほしいものだったのだと思います.

2010年03月12日 22:17,Ai

▼ ちなみに以下は,内之浦に発射場を作ることになったときの一こま.

---------------------------
 その同じ4月(=調査測量が行われていたころ).
 参議院議員の佐多忠隆(社会党)が内之浦にやってきた.
 役場の敷地内の青年研修館で講演をするためである.
 50人くらいの聴衆を前に佐多は,
「内之浦のロケットは学術研究のためのもので,軍事目的に使われる心配はないから,社会党本部としては賛成」
と弁じた.
 内之浦の一部にくすぶっていた不安の声は,これを境にぴたりと沈静されたそうである.

------------------------------『図説日本ロケット物語』,p.108

2010年04月22日 05:25,消印所沢

以上,「軍事板常見問題 mixi別館」より
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 カッパ・ロケットのコンポジット推進薬は,本当に独自開発?

 【回答】
 これに関し,以下のようなレスを発見したので,ここに引用.

--------------------
http://www.geocities.jp/uchyuu_kaihatsu_shi/log7.html

 日本ロケット協会発行の機関紙「ロケットニュース400号(1998年12月)」に
 戸田康明さんという方が書かれた投稿記事にこの辺の事に触れられていましたのでちょっと紹介します.

 コンポジット燃料は当時,日産が極秘で研究を進めていたらしく,さまざまな試行錯誤をしていたらしいです(文献もろくに無く,本当にてさぐりっだったと書かれています).
 そこにあるとき,日系2世で当時アメリカのエアロジェット社で推進薬主任研究員だった,大森博士と言う人が日本に来ました.
 日産の技術者たちは彼に,コンポジット燃料についていろいろ聞き出そうとしたが,極秘事項と言う事で何も教えてもらえなかったとか.
 そこで日産はすごいことをやったと言うことです.
 日産の技術者たちは大森博士を実験室に連れて行き,
「何も教えてくれなくても良い.
 ただ自分たちの作ったコンポジット燃料を,見てYesかNoか言ってくれ」
と頼んだそうです.
 大森博士は少し驚いていたが触ったり,臭いをかいだりいろいろ見て,サンプルのいくつかを選んでくれたという話です.
--------------------
--------------------
 古い本からの話が多くて申し訳ありませんが,今回は『宇宙への道標』という本です.
 だいぶ以前掲示板で話題になった木村繁氏著,1971年共立出版刊です.

 この中の日本のロケット開発草創期のいきさつについて疑問点があります.
 日本では最初,ロケット推進剤にダブルベース(無煙火薬)を使っていました.
 しかしこれはショックが大きく,科学観測に不向きでした.
 そこで(以下原文のまま)
『昭和32年(1957年),アメリカからワスプという小型の観測用ロケット6基を買い,分解して中身を調べた.
 そして,その技術を参考にして,複合火薬(コンポジット)を使ったカッパ5型を昭和33年春に完成した.』
と出ていたのです.
 この通りだとすると,日本の固体ロケットも源流はアメリカの技術にあることになります.
 それを確認したいと思い,図書館で確かめてきました.

「日本ロケット物語(1996年三田出版会刊)」や「日本のロケット(野本陽代氏著NHKブックス,出版年見忘れました)」に載っていたのですが,どちらも日本が独自に開発した,というニュアンスでした.
 当時はアメリカも固体ロケットは開発中で機密性が高く,論文もない中での開発であり,そんな中,富士精密工業が開発したコンポジットが品質がよかったので採用された,ということです.
 アメリカからロケットを買ったという話はありませんでした.
 どちらが本当なんでしょう?
-----------------------

 また,読むべき本が増えちゃいましたよ(苦笑

2010年03月27日 01:09,消印所沢

▼ 『図説日本ロケット物語』でも,独自開発という話を支持している.

-------------------------
 富士精密は1954年(昭和29年)11月から,コンポジット推薬の研究開発を進め,その工業化を帝国火工品梶i現在の日本油脂梶jに依頼した.
 この協力関係は,その後も長く継続されることになった.

 コンポジットは,当時のロケット先進国である米国などでも研究開発段階であり,外部資料は殆ど得られず,国産技術で取り組まざるを得なかった.

---------------------------p.103

2010年04月22日 05:25,消印所沢

ワスプロケットは,おそらくこれだとおもわれます.
http://www.designation-systems.net/dusrm/app4/hasp.html
 初回飛行が1956年,と書いてある……ように読めます(英語ドヘタ)

 こちら
http://www.astronautix.com/lvs/loki.htm
には「対空ロケット弾を観測ロケットに使い回した」と書いてある……ように読めます.

 元のロケットはおそらくこれ.
http://en.wikipedia.org/wiki/Loki_%28rocket%29
 陸軍が開発,1951年に初飛行,1955年に開発断念.
 その年に海軍が持って行って,チャフの発射用に試験.
 空軍も"XRM-82"と言う名前で同じ事を試したほか,民間に多数売られて気象観測に用いられた ……という感じに書いてある……ように読めます.
 
 一方,カッパの方ですが,
ポリエステル系コンポジット系推薬
ポリサルファイド系コンポジット系推薬
となり,コンポジット系推進剤の使用は1958年より.
 時期的な矛盾は発生してない感じですが,どうなんでしょう??

 以下余談.
 独力独力言っていても,ペンシルロケットの燃料(ダブルベース)は日本油脂が朝鮮戦争向けに受注していたバズーカ用燃料の余りモノの流用だから,細かいことを気にしだしたら……という気もします.
 ベビーロケット(ダブルベース)は,新規に発注製造した燃料を旧日本軍の噴進砲用成形設備で成形.
 カッパの燃料成形は桜花のエンジン用の型の流用.
(「昭和のロケット屋さん」の記述による)

2010年03月27日 10:40,Ai

 ただ,ワスプ・ロケットを調べることができたという話が本当なら,これはインドネシアにも同じことができるでしょうから,
「カッパロケットだけが軍事機密扱いでない,オープンなコンポジット推進薬資料たりえた」
という前提が崩れるのではないかと愚考いたします.

2010年03月28日 16:14,消印所沢

> 「カッパロケットだけが軍事機密扱いでない,オープンなコンポジット推進薬資料たりえた」

 別項で引用した部分にありますが,

--ここから

 富士精密はユーゴスラヴィアへカッパロケット5基と付属する地上設備,コンポジット型推進剤の製造技術権を販売する契約を結んだ.
 <略>
 1964年にはインドネシアへの輸出も成功した.

--ここまで

とあるため,(少なくともユーゴについては)推進剤は技術移転だったのではないでしょうか.
 コンポジット推進剤を,現物を元に同じ組成でコピーする,というのは(それなりの技術や知識がないと)無理でしょう.
 製造技術を買えば,少なくとも同じモノの作り方が手に入るため,目的が自力生産ならばレシピを買う方を選ぶのではないかと.

 ……やっぱりこの場合は,三木議員の危惧のほうが正当な気がする.

2010年03月28日 17:25,Ai

▼>やっぱりこの場合は三木議員の危惧のほうが正当な気がする.

 ただ,元々この輸出というのは,国連の宇宙空間研究委員会(COSPAR)の決議に基づいて行われたわけですから,ISASや政府の不見識というわけでもないとも思うのですよね.
 糸川氏の発言によれば,インドやパキスタンへも,米仏からロケットが販売または提供されているわけですし.
 時期的には第二次印パ戦争の直前です.
 COSPARが「後進国の科学振興」という目的で販売や供与を呼びかけたのに対して,手をあげた後進国の側では,ロケットの軍事的利用価値にも目をつけていたというのはあると思います.

――――――
第051回国会 科学技術振興対策特別委員会宇宙開発に関する小委員会 第1号

○糸川参考人
(略)
 そのIQSYの委員会のまたサブコミッティで,後進国を援助するための委員会といったようなものができまして,太陽の静かな観測年の機会に,できるだけ多くの後進国にこの計画に参加してもらおうじゃないか,それを指導しようじゃないかという委員会ができましたわけでございます.
 その委員会の決議に二つございまして,一つは静かな太陽の観測年は昨年で終わりましたのですが,時期が非常に差し迫っているので,後進国が自分でロケットを開発しても間に合わないだろう,ですから,先進国,つまりソ連,アメリカ,フランス,日本,主としてこの四カ国でございますが,そういうすでに宇宙観測用のロケットを持っている国は,できるだけ後進国に対して供与,もしくはそれを売り渡しいたしまして,IQSYにできるだけ多くの国が参加できるようにしようじゃないか,というリコメンデーションが一つございます.
 もう一つは,IQSYに間に合わせるために,発射場を後進国各国が自力で,自分の費用で,できるだけ早く設置しろということ.
 飛行機と同じでございまして,ロケットはわりと簡単に手に入りますけれども,発射する発射場が,土地の問題もございますし,建設の問題もございますので,非常に時間がかかるのでございます.
 飛行場問題というのは飛行機より先にきますので,その発射場建設計画については,よその国の援助は受けないで,自力で,各国が自分の費用で開発しよう,しかしロケット購入計画につきましては,国連から何がしかの金が出まして,その費用で購入しましたもの,あるいは贈与されましたもの,それからお金を出して,コマーシャルベースで買いますもの,この三つに分かれますけれども,とにかく方法のいかんを問わず,それに協力せよということでございます.

 二番目の,商品になりました経緯は,その三番目のケースに相当いたしまして,インドはフランスとアメリカからロケットの供与を受けました.
 パキスタンはアメリカとフランスからロケットを購入いたしました.
 これはコマーシャルベースで購入いたしました.
 いずれも政府が開発した宇宙観測用ロケットでございますが,コマーシャルベースで購入いたしました.
 それからインドネシアは,最初は無償供与を受けたかったのでございましょうけれども,こちら側の準備が全然できておりませんし,そういうルートもございませんし,また,日本はいままで無償供与で,政府間でほかの政府に観測ロケットを供与した前例がございません.
 いろいろ御相談もしましたのですけれども,むずかしかろうというところで,三番目の,コマーシャルベースで売り渡すというルートをとったわけでございます.
 しかし,その背後にはいまのようなコスパーのリコメンデーションがございまして,したがって,向こうから参りましたリクエスト,要求は,インドネシアのコスパー委員会でございます,コスパリンという委員会がございます,これはコスパー・インドネシアをつづめましてできましたコスパリンという,ちょうど日本でいうと原子力委員会に相当する政府機関でございます.
 所属はミニストリー・オブ・ナショナルリサーチ,科学省に所属しておりまして,科学省大臣がコスパリンの委員長を兼ねております.
 そのコスパリンを通しまして,コスパーでコーディネートしたIQSYのために使うロケットであるということを,明確にした上でオファーがあったわけでございます.

――――――ここまで

2010年03月28日 20:47,kz78

▼ ちなみに以下は,コンポジットに関する技術的説明.

---------------------------
垣見 そう,それでコンポジット推進薬というのは,燃料と酸化剤を一緒にして,こねて作ります.
 燃料は高分子材料,ポリエステルとかポリブタジエンとかゴムの材料など.
 酸化剤としては,その当時使ってましたのは過塩素酸アンモニウムです.

松浦 今もそうですね.

垣見 それらをミキサーで混ぜ合わせて,型に流し込んで作る.
 これは推進薬の燃やし方というよりも,推進薬をどうやって保持するかっていうところが,技術的なポイントになってきます.
 鉄の容器の内側にインシュレーターという,熱を遮断するものを貼り付けたり塗ったりするんです.
 で,塗ったあとに流し込むんですよ.
 真ん中の星型の穴は,「マンドリル」という中子を中に入れて作ります.
 コンクリートミキサーで混ぜた原材料を流し込んで,固まってからマンドリルを抜きますと,星の形になるわけです.
 これは燃焼の表面積によってスラストが一定になるかどうかということと関係しますので,それを計算して,それで形状を決めているんですね.
 燃焼のさせ方もいくつかあって,推進薬の塊が外から燃えるのを「外面燃焼」,星型の穴の中から燃えてくのを「全面燃焼」.
 タバコと同じように端から燃えるのは「端面燃焼」,別名「シガレットバーニング」といいます.
 ペンシルの場合は全面燃焼でした.
 ベビー以降は内面燃焼ですね.

----------------------------『昭和のロケット屋さん』(ロフトブックス編.エクスナレッジ,2007.12.19),p.96

2010年05月28日 21:38,消印所沢

以上,「軍事板常見問題 mixi別館」より
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 カッパ・ロケットが未誘導であるにもかかわらず,三田議員はなんでいきなり「誘導装置がふんだらだ」と言い出したんでしょうね?

2010年03月13日 22:40,消印所沢

 【回答】
 同じく宇宙へのパスポート2に,>3で引用した下りの前に解説があります.

 背景に,いろんな意味で目立ちすぎる糸川に対する,朝日新聞(木村繁記者)の反糸川キャンペーンがあり,そこへ来ておおすみ打ち上げまでの数回(合計で4度失敗,特別委員会開会時点で3回)の失敗から無誘導方式への疑念が再燃,特別委員会でのやりとり,と言う経緯のようです.
 すでにこの時点で糸川氏は辞任しており,高木所長が答弁に立ったわけですが,
「観測ロケットの場合は,もちろん誘導ということはいたしておりませんけれども,人工衛星になりますと,これは平和利用で,科学衛星なりあるいは実用衛星においても若干の誘導をしなくちゃなりません」と『正直に』答えました.
#文言は議事録中からコピペ.

 以下は,『宇宙へのパスポート』第2巻(笹本祐一著,朝日新聞社,2007.10)からの引用.

――――――
 糸川が東大を去った直後の1967年4月13日,L4Sの3号機が打ち上げられた.
 〔略〕
 結果はまたも失敗だった.
 〔略〕
 それまで2回の失敗にはある程度寛容だった世論も,3度目の失敗には厳しかった.
 〔略〕
 1度は「ミューロケットは直径1.4mまで」で決着したはずの宇宙開発一元化論議が再燃したし,マスコミは
「風まかせ無誘導ロケットでは衛星の打ち上げは不可能」
と論じた.

 航宇研の高木昇所長は,国会に呼び出され,追及を受けた.
 特に5月17日の科学技術振興対策特別委員会における,社会党の三木喜夫議員の追及は苛烈だった.
 K8型輸出のとき,糸川は国会で,
「これは無誘導だから武器にはならない」
と答弁していた.
 三木はそこを突いた.
 L4Sは僅かながら第4段の姿勢制御を行っている.
 これは誘導技術であり,つまりは東大は武器を開発していることではないか.

 木は正直に答えた.
「人工衛星になりますと,これは平和利用で,科学衛星なり,あるいは実用衛星においても,若干の誘導をしなくちゃなりません」
 すると三木は言った.
「あなたは,そうすると,国会をだますための嘘をこのとき言ったのですか」

 この高木と三木の対決は,ロケット開発における技術のあり方と,国民感情との葛藤を象徴していた.
 技術それ自体に善悪はなく,ただ応用があるだけだ.
 ロケットもミサイルも原理は同じで,所定の軌道に衛星を投入することも,目標に弾道を打ち込むことも制御理論としては同じことだ.
 しかしこの当時,民間と軍用の区別がつかないということは,国民感情が許さなかった.
 三木の追求は,確かに
「戦争はもうイヤだ.武器など見たくもない」
という国民感情を代弁していた.

――――――p.121-122

 国会議事録では,三木議員の返答,以下の通り.

――――――
 私の言っておりますことは,あなたが武器にしないと,こうおっしゃっても,武器にしなければならない必然性が出てきたときは,あなたが何ぼそうおっしゃってもだめなんです,
 法律で規制するか何かしなくては.私の言っていることは,そういうあなたの決意を聞いているのじゃないのです.
 そういうことを言われるから,ぐらぐらとこれがぐらついて,武器になる可能性があるわけです.
 あなたはインドネシアにあれを輸出するときに,国会におきまして,誘導装置がついておりませんから,これは武器ではございません,武器にはなりません,なお燃料は非常におそく打ち上げられるところの燃料を使っておりますから,武器ではございません,こういうように言っておりますけれども,二つとも,これは武器が現実にあるわけなんですよ.
<略>
 この前のときには,無誘導のミサイルは武器にならないと,まんまとあなたからうそをつかれたからして,私たちはいまのような結論を出したわけです.
 しからば,東大は武器になるミサイルを開発されるのか,こういうことを言ったわけでありますが,あなたは,そうすると,国会をだますためのうそをこのとき言ったのですか.この国会に対してそういうようなうそをついて,これは兵器ではございません,兵器にはなりませんと,二つの理由から,無誘導であるということと,それから燃料が非常におそく燃焼するところの燃料だから,こういうことを言っておりますけれども,両方とも武器になる可能性があるわけなんです.
――――――

 察するに,糸川博士は「システムとしてのカッパロケット」を指して「軍事転用出来ない」と言ったつもりだったのではないでしょうか.
 051回の小委員会中では,「中共が核運搬手段としてロケットを用いる」事の危惧等も語られており,「売ったロケット」自体を問題にしているのに対し,特別委員会では主に個々の技術を問題視していることからも,ボタンの掛け違い説がかなり濃厚そうです.

#ちなみに,糸川博士は北朝鮮にも招かれて,ロケットの講義をしたことがあったりします.

2010年03月13日 23:29,Ai

▼ 国会議事録を中心に時系列整理して気づいたのは,
・日本社会党は055回国会の特別委員会まで,一貫して「ロケット本体」についての軍事転用の可能性を危惧している.
・055回国会の特別委員会に先んじて行われた決算委員会で,技術の軍事転用について佐藤内閣総理大臣と日本社会党華山親義議員との質疑にて,はじめてロケットに使われた技術を研究して軍事転用される件についてが出てくる.
わけです.

 055回国会特別委員会での三木議員の質問は,その質疑の後に行われています.
・ここに至るまで,東大宇宙研相手には「カッパ単体の軍事転用」についてしか話をしてない
>「K8型のロケットでございますが,これは当初から宇宙観測用ということで設計されたものでございます.第一番には,誘導制御装置がついておりません.またこれに誘導制御装置をつけることはほとんど不可能であるという断定が下されております.」
>「カッパー8型は武器になることが技術的に全く不可能でございます.それは何も誘導装置がついておりませんし,また,誘導装置をつけるとすれば,全部新しく設計し直して,新しくつくったぼうがはるかに経済的なんであります.」
・が,三木議員は
「無誘導であるからこれは武器でないのだ,こういうような発言をされておるわけであります.だから,今後は武器でないところの証拠の誘導技術を開発するのですから,東大は武器になるミサイルを開発しておるということになるわけですね,ということを言っておるわけです.」
と,ちょっと拡大解釈をしているように読める.

 三木議員は議事録を確認して「こう言ってる」と言ってるわけですが,実際にはそう言う言い方はしてない訳です.
#要関連文書確認
 経過を整理してみると,三木議員の独り相撲状態に見えるのですが……??

2010年03月29日 21:40,Ai

 個人的には,本来は第049回国会(1965年)でロケット技術の流出について議論すべき所を,糸川氏がカッパロケット単体の軍事流用へと落とし込んでしまったように感じました.
 そこで,第055回国会(1967年)になって,三木議員がロケット技術全体の話に修正しようとしたのではないかと思っています.
 社会党側としては一貫して,現場判断で技術流出や輸出が起きてしまう体制を改めて,政府が責任もって監督できる体制を作れといっているのではないでしょうか.

――――――
第049回国会 科学技術振興対策特別委員会 第3号

○原(茂)委員
 (略)
 いま私が疑問を抱いたように,一体東大というこの機関が研究した成果を商品化するときに,その商品にしていいとかいけないとか,どこかが,これを国家的な機関できめなければそういうことはできないという歯どめが必要だと思うのです.

第055回国会 科学技術振興対策特別委員会 第6号

○三木(喜)委員
 (略)
 あなたは,いまこの研究というものを無視しておると言うが,研究は無視しません.
 大学なりあるいはそうしたメーカーで研究することは,大いにいいわけなんです.
 それをどの体制の上に積み上げていくか,いわゆる打ち上げに対するところの体制づくりをやろうじゃないかということですよ.
 そうして,軍事に利用されないように,あるいは汚職の根を断つために法律づくりをやって,宇宙開発基本法ぐらいまでつくって,そうして体制をきっちりと定めなければいかぬわけなんですよ.
――――――

2010年03月30日 04:44,kz78

 ちなみに以下は,『はやぶさ』(吉田武著,幻冬舎,2006.11.30),p.118における,国会論議評.

------------------
 やがて糸川と高木昇は,武器輸出の疑いで国会証言を求められた.
 そこでは,カッパはおろか,ペンシルでさえ,相手国が武器開発の根拠として利用しうるなら,我が国の平和の原則に反する,という強引な主張が繰り返された.
 固体燃料ロケットは,ミサイルに道を通じている,という主張が熱心になされ,
「両者は全くの別物で,もし仮にロケットをミサイルに転用しようとしても,新たにミサイルを開発するのと同じだけの時間と労力が必要となるので,それはありえない」
という高木らの懸命の説明も,一向に理解されなかった.
 明確な説明を求める,という質問者の声に応えて,誠実で詳細な説明を行うと,
「そんな難しい話は無用だ.
 分からない話はもう聞きたくない」
と,まるで駄々っ子のようなやりとりが,連日繰り広げられた.
「誘導装置のないロケットは,相手を狙うミサイルにはならない」
という技術的な説明は無視され,言葉尻を捉えただけの高圧的な反論に,高木は大いに悩まされた.

 この一連の国会での証言が,次世代ロケットに,非常に対応の難しい問題を残すことになった.
 本筋を外した異様に神経質な議論に巻き込まれた結果,こちらもまた,それを受けて過敏な反応をせざるを得なくなったのである.
---------------------------------

>〜〜という技術的な説明は無視され,

といったくだりなどに疑問も感じますが,取り急ぎ紹介まで.

2010年04月10日 19:57,消印所沢

以上,「軍事板常見問題 mixi別館」より
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 的川泰宣『逆転の翼』の信頼性は?

 【回答】
 林紀幸によれば,同書のベースになった部内冊子『荻窪ロケットの思い出』には,いいかげんなことが書かれていたため,必然的に間違いだらけになっているという.
 同冊子を編集した垣見恒男によれば,過去を美化した文章を寄稿した人が何人もいたが,「自己満足だからいいじゃないか」ということで,そのまま出したとか.
 したがって間違いは的川の責任ではないのだが,増刷では訂正することを約束した(林)とのこと.
 改訂版に期待したい.

 【参考ページ】
『昭和のロケット屋さん』(ロフトブックス編.エクスナレッジ,2007.12.19),p.207-211


 【質問】
 「新橋会」って何?

 【回答】
 垣見恒男によれば1960年代にあった,ロケット関連メーカーと防衛庁から成る会合.
 防衛庁の特命により,中国が初めて人工衛星を打ち上げるのはいつごろになるのかという推定を行ったという.
 他国の状況の推定をして,対抗策を練るため.
 垣見はそのメンバーだったとしている.

 また,これと同じものかどうか不明だが,松浦晋也は三菱重工OBの話として,同社がICBM設計を極秘にやったことがある旨,述べている.

 本サイトでは,傍証となる情報は今のところ何一つ入手できていないが,軍事上の常識に照らすなら,あって当然のことではあろう.

 【参考ページ】
『昭和のロケット屋さん』(ロフトブックス編.エクスナレッジ,2007.12.19),p.216-217

【ぐんじさんぎょう】,2010/06/09 21:37
を加筆改修


 【質問】
 南極でのロケット使用の気象観測が,大学紛争の影響(?)で中止になりかけた一件について教えられたし.

 【回答】
 ことの始めは,1968年に起きた大学紛争.
 南極観測船「ふじ」が海自によって運航されていることも,「軍学共同のきっかけとなるのではないか」と噛み付かれるという,おかしなことに.
 1968年10月,宇航研職員組合が南極観測への参加の拒否を研究所側に求め,宇航研は南極ロケット観測への協力から手を引いた.
 残された観測隊員たちは……というのが,その顛末.

 以下,
小野延雄・柴田鉄治編『ニッポン南極観測隊人間ドラマ50年』(丸善)より抜粋.

――――――
(第9章:オーロラ帯の真下に昭和基地を作った幸運よりPP.170〜171)

 オーロラの発光層は,高さ100kmほどの電離層領域内にある.
 この中でオーロラ粒子の入射に伴い,大気が光り,自然電磁波が発生し,電離層は異常な電離を示し,その中を数万アンペアに達する大電流が流れる.
 一連のオーロラ粒子によって興される電離層領域の擾乱である.
 従って,オーロラ粒子が表われている時,その発光層の中に観測器を打ち上げ,“実際にその中でどのような事が起っているか”を直接観測する事が,長い間のオーロラ研究者の夢であった.
 それを可能にしたのが,ロケットによる観測である.

 最初に昭和基地でのロケット観測を言い出したのは永田教授である.
 1966年6月に開かれた「ロケット 人工衛星に関する調査研究発表会」で,昭和基地で打ち上げるロケット計画が初めて発表されている.
 公開の場で発表されるからには,既に,その時点であらゆる面で辻褄のあった計画があり,予算もめどが合っての事だったと思う.

 事実,東大宇宙航空研究所(宇航研)が南極用ロケットの開発と昭和基地のロケット発射施設の設計製作を行い,発射施設建設の為に隊員を派遣する計画が進められていた.

 順調に事が運ぶかに見えたが,1968年に大学紛争が起き,時代は大きく揺れ動いた.
 南極観測に関して言えば,観測船「ふじ」により観測を再開するに当って,輸送を防衛庁が担当する事になった事が軍学共同のきっかけとなるのではないかと問題になった.
 更に,ロケットによる観測までが加わる事が問題を一層微妙なものとした.

 1968年10月,宇航研職員組合が南極観測への参加の拒否を研究所側に求めた.
 その後,どのような紆余曲折があったのかは判らぬが,宇航研は南極ロケット観測への協力から手を引いた.

 当時観測ロケットの打ち上げを行っていた機関は,日本では宇航研だけであった.
 誰が考えても同研究所の積極的協力なしにロケット実験を行うのは不可能に近かった.
 南極ロケットはどうなるのか.
 何と言っても,困ったのはこのプロジェクトをリードしてきた永田教授であった.
――――――

2010年05月23日 22:30 眠い人 ◆gQikaJHtf2

――――――
 1969年3月のある日,「南極でのロケット打上げの為,実験主任として11次隊に参加してくれないか」との打診を受けた.
 余りにも突然な事であった.
 それまでの私は1度,8次越冬隊に参加した経験はあるにしろ,ロケットに関しては何の経験もなく,謂わば全くの素人であった.

 (中略)

 それから2ヶ月ほどしたある日,「君に行って貰う」との指示を受け,いよいよロケットの仕事はスタートした.
 早速副隊長に内定していた川口貞男氏,鮎川勝氏共々協力して準備にかかった.
 しかし,二氏とも私と同様全くの素人で,3人は先ずロケットの勉強から始めねばならなかった.
 昭和基地では,10次隊によりコントロールセンター,レーダーテレメーター室,組立調整室が既に建設されていた.
 11次隊は引続き発射台,ランチャー,レーダー設備などの飛翔実験に必要な諸設備を設置し,その設備の完成を確認する為に,実際にロケット2機を打ち上げる事であった.

 これだけの仕事を夏期間の内に行う為には,余程手順良く事を進めなければならない.
 その為日本出発前に,建設手順及び技術の習得に努めると共に,訓練によりチェックされた設備の詳細に亘る設置計画やロケット打上げ計画が作成された.
 基地に於ける作業は,この計画案に基づいて順調に行われ,昭和基地のロケット発射施設は遂に完成した.

 2月10日全ての準備が整い,第1号機の打上げ態勢に入った.
 オペレーションはタイム…スケジュール通り順調に進められ,ロケットの点火系統が接続されていく.
 搭載されている観測機器の動作状態も慎重に点検される.
 ロケットは発射後,風に流され,その飛翔方向を変える.
 風が強い.
 地上で風速10メートルに近く,数百メートル上層で10メートルを超えている.

 そのデータを元にロケットの飛翔方向を計算していた川口副隊長が,突然声を上げた.
「風が強すぎて,日本から持参した計算図表では間に合わない.スケール・オーバーしてしまう」
 日本ではこの位の風の時には,ロケットを打ち上げないらしい.
 しかし,南極ではこの位の風は普通.
 今日を逃したら何時風の弱い費に恵まれるか,ブリザード襲来の前兆も感じられる.

 構わず,スケール・オーバーした部分は比例計算する.
 変化角は非常に大きくて約20度,レーダ・アンテナの向きを予め20度ずらしてロケットを待受けさせる.
 果たしてロケットは,レーダ・アンテナの待受けているところに飛び込んでくるだろうか.

 ロケット装置と点火系統接続の作業を終えた伊東,鮎川隊員がオペレーション・センターに帰ってきた.
 発射準備は完了した事になる.
 約170メートル離れたランチャーの上で遠く日本から運ばれ,初めて南極の空に飛び込んでいく使命を負ったロケットは,横腹に日の丸,先端には金色の電子密度観測器のプローブを付けながら静かに待っていた.

 「キースイッチon」,続いて「コントローラー・スタート,発射1分前」秒読みに入る.
 鮎川隊員は落着いた声で秒読みを続ける.
「五,四,三,二,一,ゼロ!」.
 1970年2月10日15時30分(現地時間),ロケットは点火され,轟音を残し,紅色の炎を吹き出しながら南極の空の中に吸い込まれていった.
 飛翔も正常だ.
 後は,レーダーのアンテナが待受けているところに飛び込んできてくれるかどうか.
 それは発射後10秒後に判明する.
 レーダーを操作している芦田・大野隊員は足で調子を取りながら「一,二,三,四,五……」と数えている.
「……八,九,十……」
 未だ捕まらない.
 逃したのか.

「十一,十二……OK,OKだ!」
 大野隊員がうわずった声で連呼する.
 レーダーがロケットを捕捉したのだ.
 後は自動的に追尾してくれる.
 もう大丈夫だ.
 私は思わず松田隊長に駆け寄り,握手を求めた.
 それまで殆ど食餌も咽を通らぬ位心配していた隊長が,目を真っ赤にしながら強い握手で応えてくれた.
 ロケットはその後も順調に飛び,観測データも正常に受信された.
――――――

2010年05月29日 22:24,眠い人 ◆gQikaJHtf2

――――――
(第9章:オーロラ帯の真下に昭和基地を作った幸運よりPP.170〜171)
 この昭和基地での最初のロケット打上げを背負った隊員は,当時ロケットを製作していた日産自動車から来た伊東隊員以外は,全て初めての経験であった.
 このグループが努力し協力し合って,初のロケット打上げに成功した.
 日本を出発する前には,
「難しいプロジェクトなのだから無理はするな.
 努力しても出来ない事もあるのだから」
と言われていたが,でも,成功させた.

 帰国後,ある研究会でこの南極ロケットについて報告したときのことである.
 京都大の前田憲一教授が,
「素人集団である君たちが,南極でしかも少人数で良く成功させましたね.
 どのようにしたのですか?」
と言われた.
 とっさの質問に言いよどんだが,暫く考え,
「素人集団だからこそ出来たのではないですか」
と応えたのを覚えている.

 答えになっていたかどうか.
 でも最近,ある面で真理を突いていたのではと思っている.
 私が南極観測に関与してきた三十数年の間で,一番思い出が深い出来事は?と聞かれれば,躊躇無く,このロケットの打上げをやり遂げた事を挙げる.
 また,このことはその後の私の人生に大きな影響を与える事になった.

(中略)

 南極のロケット観測では広く,関係する研究者に声を掛け,オーロラに関係する研究項目を募集する.
 その中から審査され選ばれた機器がロケットに搭載され,昭和基地で打ち上げられる.
 南極でなければ,研究者は打上げ現場まで出向く事が普通であったが,此処の研究者まで南極に出向く事は不可能である.
 従って多くの場合,研究者から搭載機器を預かり,昭和基地でロケット担当隊員が代わって打上げ,データを持ち帰り,研究者の研究に供する事になる.

 どのようなオーロラを狙うのか,研究者の希望は様々である.
 強く光り輝くエレクトロンオーロラの真只中に,強く輝く帯状オーロラを跨ぐ様に,オーロラの動きに合わせて何時もロケットがオーロラの中にある様に,と言った具合である.

 オーロラ帯に位置する昭和基地とは言え,常時活動的なオーロラが出現している訳ではない.
 ロケットを打ち込みたい様な,爆発的に活動するオーロラの出現する回数も,一晩に一回あるかないかである.
 オーロラの爆発的な擾乱に恵まれたとしても,その継続時間は短い.
 的確にその時期を予見し,ロケットの発射指令を出さなければならない.
 なぜならば,指令が出されてからロケットが点火されるまでに約2分間,点火されたロケットが上昇し,オーロラ発光層の約100キロメートルの高さに達し,搭載されている機器が観測を開始するまでに,約1分間を必要とする.
 ロケットの発射指令は,約3分後にロケットが飛翔していく方向に,活動的なオーロラが出現する事を予知して出さなければならない訳である.
 この予知を間違えると,ロケットはオーロラをかすめて飛び去ってしまう事になる.
 様々な前兆現象,又これまでの地上観測から確かめられたオーロラの動きの諸性質を勘案し予想を立てる.
 ロケットの打上げの無い日には模擬発射指令を出し,「一分,二分,そして三分.研究者が希望する様なオーロラが天頂近くに存在するか」,幾度となく練習を行った.
 段々と確度は上がってきたが,それでもロケットのオーロラへの命中率は約70パーセントぐらいである.
 しかし諸外国のロケット実験に比べ,昭和基地のオーロラ命中率はかなり良いと言われている.

 現在までに,昭和基地から約50基のロケットが打ち上げられた.

(第9章:オーロラ帯の真下に昭和基地を作った幸運よりPP.171〜176)
――――――

 著者の平澤威男さんは,国立極地研究所名誉教授,総合研究大学院大学名誉教授,元国立極地研究所長で,第8次越冬隊(超高層),11次夏隊(ロケット観測),14次隊(副隊長兼越冬隊長),17次隊(副隊長兼夏隊長),19次隊(観測隊長兼越冬隊長),25次隊(観測隊長兼越冬隊長)と都合6回南極に赴いている人です.

2010年05月29日 22:46 眠い人 ◆gQikaJHtf2

 ちなみに,『やんちゃな独創』(的川泰宣著,日刊工業新聞社,2004.5.31)には,この南極の観測ロケットについては,

――――――
 カッパ・ロケットを使ったもので印象深かったのは,東京大学の中村純二が行った,発光雲の実験である.
 彼は1959年に,南極越冬隊員として昭和基地に滞在中,エクスプローラ3号が地球をドーナツ状に取り巻くヴァン・アレン放射帯を発見したとの無電に接した.
 それまで光や電波で遠くから窺うしかなかった超高層の現象を,ロケットがあれば直接観測できることを知って,新しい時代の到来を感じた.

――――――p.153

と,短く書かれているのみである.

2010年06月18日 03:33 消印所沢

以上,「軍事板常見問題 mixi別館」より
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 国際宇宙ステーションの日本参加も,教条的「平和主義」論者のために潰されかけたというのは本当か?

 【回答】
 そうである模様.
 宇宙開発の平和利用の解釈を巡ってもめ,
「日本実験棟JEMにおいて行う実験については,平和利用の確認は我が国がこれを行うこととした」
という制約を宇宙開発事業団側は設けたにも関わらず,一部野党は反対し続け,政府間協定の国会承認が危うく得られなるところだったという.

――――――
 これら一連の手続きで,われわれが一番心配していたのは,〔国際宇宙ステーションに関する〕政府間協定IGAは条約であるので,国会の承認が必要なことであった.
 宇宙開発そのものは与野党とも異論のないところであるが,宇宙開発の平和利用の解釈で,いつも問題になる.
 宇宙開発事業団法には第1条に「平和の目的に限り」と銘記されているが,その意味するところは国会答弁の議事録に「非軍事と解釈される」とある.
 欧州宇宙機関ESAも,その取り扱える範囲を平和利用のみとあり,また,国連には宇宙空間平和利用委員会がある.
 しかし,これらの平和利用の定義はまちまちであり,我が国の定義が最も厳しい.
 この政府間協定にも当然,平和利用を目的とすることは銘記してあるが,我が国の平和利用の定義を,他の全てのメンバー国に強制することはできないことは,ご理解いただけると思う.
 それを主張すると,国際強力計画には我が国は参加できなくなる恐れが多分にある.

 そこでわれわれとしては,日本実験棟JEMにおいて行う実験については,平和利用の確認は我が国がこれを行うこととした.
 平たく言えばJEMでは,我が国の平和利用の定義によるもののみの実験を行うことを確認することとした.
 これで大方の御了解が得られるものと期待していたが,国会でご承認をいただくには外務省当局をはじめ,科技庁側も大変な努力をした.
 平成元年6月23日,参議院において会期末最終日になっても一部野党の賛成が得られず,やむなく科学技術特別委員会で強行審議が行われ,本会議の開会時刻も遅れて,ぎりぎりの線で国会承認をいただいた.
 私としては忘れられない思い出である.
 国会承認がいただけないと,我が国としては正式な国際協力プロジェクトのメンバーとなることができず,本格的開発に伴う行政ならびに技術上の会合に参加が不可能となる,重大な分かれ目であったからである.
 もしあのとき,国会の承認が得られなければ,次の参議院で保革逆転になった状況を思うとき,冷や汗の出る思いでである.

――――――『日本宇宙開発物語』(齋藤成文著,三田出版会,1992.4.20),p.310-311

 同書において,野党の実名は挙げられていないが,まあ,議事録を調べれば分かると思われる.

▼ もっとも,これについては,国際宇宙ステーション(ISS)をSDI計画の一部へ組み込みたいアメリカと,それを阻止したかった他の参加国という要素もあるので,単に『教条的「平和主義」』というだけで理解するモノでもないと思います.

 『日本の宇宙戦略』(青木節子著,慶應義塾大学出版会,2006.11),p.33より

--ここから

 国防総省は国際宇宙ステーション「フリーダム」を用いて,レーガン大統領が強力に推進していた戦略防衛構想(「SDI」)のための,実験や地上の監視任務を行うことを考慮していたが,欧州宇宙機関(ESA),カナダ,日本など他の参加主体は,「フリーダム」はもっぱら平和利用のステーションであり,明確に軍事目的に貢献する実験は到底認められないと抵抗したため,米国の希望は公式には認められなかった.
 (略)
 国際宇宙ステーションは軍事目的には利用できそうにないという失望が,米議会の予算措置を一層難しくする原因ともなり,結果的に「フリーダム」建設の大幅な遅延を招いた.

--ここまで

 ただし,アメリカがISSの軍事利用を放棄する背景には,チャレンジャー号の事故と,それに伴う国防総省のシャトル利用からの撤退がありますので,もうちょっと複雑なのでは無いかと思ってしまいますが.

kz78 in 「軍事板常見問題 mixi別館」,2010年04月10日 00:43
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 先日のはやぶさの再突入は,従来よりも高速(シャトルの10倍以上でしたっけ?)で高温,かつ遠距離から,ピンポイントな目標地点投入に成功しています.
 従前の"日本に弾道弾開発能力無いよ"説のひとつに,大気圏再突入能力の欠如があげられてましたが(欠如というか不足?),今回の件で,
・全段個体ロケット
・ピンポイントな再突入制御
・中身の燃え尽きない再突入体
が,曲がりなりにも揃ったことになりますか?
 その場合,中身どうするのとか打ち上げ場所どうするのとかありますが,使い勝手を含めない技術的なハードルはクリアした(日本はICBM開発能力を得た)と見るべきなのでしょうか?

 恐らくその"使い勝手"が一番のハードルなのでしょうけど.

2010年06月15日 08:35,Ai

 【回答】
 日本が基礎技術を示したって言うんなら,確かにその通り.

 でも,深宇宙から,地上局の誘導を受けつつ突入するのと,弾道弾の再突入体では,ぜんぜん違う.
 んでもって,今回の「ピンポイント」って言うのは,狙った地点から,直径400kmの円内に落ちるのが期待されている程度の能力.
 だから,即座にそのままICBMに転用できるかといえば,無理だという話になる.

 逆に,CEPが射程の2%とか,信頼性が60%とか,テポドンと同程度でOKとかなら,すぐにでも作れそうだなぁ,と.

2010年06月15日 12:25,極東の名無し三等兵

 先行潜入した特殊作戦群の隊員が,レーザー当てて誘導するんですよ(笑)

2010年06月16日 01:27,けんけん

 そろっていません.
 はやぶさの再突入体は,パラシュートを使用しました.
 大気圏内でパラシュートが使用できるほど,熱的環境が緩和されるような再突入を行ったことを示しています.
 通常の弾道弾では,パラシュートを使用できるような熱的環境下にありません.

 どのような違いがあるのかというと,高層大気でゆっくりと減速してから落ちてくるのか,あるいは,しゃにむに地上に落ちてくるのか,という違いがあります.

 まあ,後者の開発能力はあるでしょうが,実例は示されていないといったところです.

 …………ここまで書いておいてなんですが,はやぶさの再突入体が揚力再突入を行ったという確信はありません(笑)
 だれか,JAXAの偉い人に確認してください(笑)

2010年06月16日 02:09,ゆきかぜまる

以上,「軍事板常見問題 mixi別館」より

▼ 一方,江藤巌によれば,弾道ミサイルを短時間で開発できるだけの技術的基礎を持ったとは言えるが,そのことと,実際に開発するかどうかは,また別問題だとしている.

――――――
 慎重に軌道計測を繰り返し,ゆっくりと軌道を調整できる探査機の落下精度と,弾道ミサイルの弾頭(再突入体)の命中精度は,同列には扱えない.
 弾道ミサイルの場合には,発射から弾頭部を放出するまでの,ほんの数分間が勝負になる.

 〔略〕

 「はやぶさ」のヒートシールドの技術は,そのまま弾道ミサイルの再突入体に応用できるわけではないが,少なくとも日本にも,ペイロードを超高速,かつ高精度で再突入させる技術はあるわけだ.
 すなわち核弾頭を除けば,日本は大陸間射程の弾道ミサイルを短期間で開発できるだけの技術的基礎を,既に修得しているといえよう.
 ただ,技術を保有していることと,実際に開発するかどうかは,全く別の問題〔略〕

――――――『丸』 2010年11月号,p.63


 【質問】
3.「はやぶさ」カプセルの地球大気再突入時におけるプラズマ現象とその周辺
http://www.jspf.or.jp/Journal/PDF_JSPF/jspf2006_06/jspf2006_06-368.pdf

 上記資料によると,「はやぶさ」の再突入体は高度15kmで,すでにマッハ数約4にまで落ちていることがわかります.
 一方,弾道弾の場合はIRBMでさえ,終端速度,すなわち,高度1km以下で秒速2km以上,マッハ数換算で約6 .
 これがICBMにでもなった日には,終端速度が高度1km以下で,秒速7km以上,マッハ数換算で…………20?

 この資料を見る限りでは,はやぶさ再突入体は揚力再突入であり,弾道突入ではないと考えるのですが.

2010年10月02日 22:01,ゆきかぜまる

 【回答】
 「高度15kmでの速度が遅いから揚力再突入である」とするなら,誤りです.

 例えば,マーキュリーやボストークは弾道突入です.
 もちろん宇宙船は,着陸の衝撃で人が死なない程度に減速しつつ降下します.
 似た例では,機械の故障で揚力再突入ができなかったジェミニ4号は,揚力を消すためにロールしつつ弾道突入しました.

 はやぶさは,こちらのページに拠れば,弾道突入とされています.
http://spaceship.isas.jaxa.jp/research.html

880 2010年10月03日 02:17,極東の名無し三等兵

in 「軍事板常見問題 mixi別館」


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