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 ただし,「である」「です」調の統一のため等の補正を除く.

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スレ立てる前に此処で質問を 635

目次

 【質問】 ゼロ戦はどうして,米軍を見習って13mm機銃等の小口径を6門とか4門とかの多数装備の機体にしなかったんでしょうか?

 【質問】 第1次世界大戦で,塹壕を突破できなかったのは,「突破の代償の大」きさに,軍司令官が恐れおののいたからなのですか?

 【追記】 こじま(志賀)保存運動の経緯から解体されるまで

 【質問】 現在の塹壕がWW1当時に比べて簡素なのは,敵砲弾とか航空攻撃の爆弾とかを一時的に防げればいいという事でしょうか?

 【質問】 戦後の日本やドイツでは,駆逐戦車(無砲塔っぽい様な車両)がありましたが,なんであれを配備したんです?

 【追記】 閉鎖空間で火炎放射機を使用された場合

 【追記】 米軍による対日航空爆撃は圧倒的な航空優勢の確保が成されていたので昼夜を問わず行われた.

 【質問】 先の大戦で,戦闘機と爆撃機を統合した航空機はなかったの?


 【質問】
 ゼロ戦はどうして,米軍を見習って13mm機銃等の小口径を6門とか4門とかの多数装備の機体にしなかったんでしょうか?

 【回答】
 1944年4月に完成した零戦52乙には,三式13mm機銃が搭載されてる.
 逆に言うと,十分な性能の13mm機銃が,海軍機向けに登場するのにそれだけの時間がかかった.
 まあ,陸軍にはホ-103があったんだが,こいつは米爆撃機相手には威力不足といわれて,大口径砲への移行が図られてる.

 あと,52乙以降でも13mmの搭載数は1〜3門.
 12.7mm6門は重量が結構重い(エリコン20mmが口径のわりに軽量なので,比較には不適かもしれないが)ので,エンジンが非力なゼロ戦で6門も積んでたら,劣化ワイルドキャットにしかならない可能性も高い.
 ワイルドキャットは12.7mm4門では火力不足と言われ,6門搭載するタイプが開発されたが,今度は動きが鈍重すぎると批判された.
 結局,大馬力エンジンで武装重量問題を解決できるヘルキャットが登場するまで,すったもんだしてたことになる.

 ちなみにいうと,アメリカとて12.7mmが至高と考えていたわけでもなく,20mmや37mmなんかを開発したりして試行錯誤してるが,結局戦争中には実を結ばなかった.

軍事板,2010/06/13(日)
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 【質問】
 第1次世界大戦で,塹壕を突破できなかったのは,「突破の代償の大」きさに,軍司令官が恐れおののいたからなのですか?

 【回答】
 正解.
 有名なアカデミー賞映画である「西部戦線異常なし」は,まさにそういう状況を示す.
 代償が大きくなりすぎたために,決定的な決め手なしに攻撃をしかけることを止めた,
 つまり,第二次大戦の「いかさま戦争」のような状況が生まれたということ.

 一方で第1次大戦は,毒ガスやら戦車やら航空機やら機関銃やら(これは日露の頃からだが),塹壕突破の決め手になりそうな新兵器が次々誕生したもんだから,これらを投入して突破を図る戦闘も,それなりに起きている.
 しかし大抵は決定打になるほどの威力(と数)が揃わず,攻勢は途中で頓挫する.

 つまり第1次大戦の塹壕戦ってのは,インターバルと激戦を繰り返しながら,でも戦線は動かず死者ばかり増えるって戦闘だったのさ.

軍事板,2010/06/13(日)
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 【追記】
こじま(志賀)に間してはMA誌の元NHKアナのコラムで4回ぐらいに分けて保存運動の経緯から解体されるまでかなり詳しく載ってたね.
そこにも水交社に協力求めが「軍艦じゃないから協力出来ない」って言われたってあった.沖縄特攻の露払いを志賀はやったんだからと大和遺族会にも協力依頼したらしい.
呉は博物館創設準備の段階で前向きだったが,千葉側が難色を示して断念した.というのは,こじまはもともとは岸壁に接岸してたんだろうが,周囲を埋め立てられてちょうどプールか貯水地に浮かんでるように見える感じだった.
そんな所から搬出するのは至難の技.かなり老朽化して,解体して搬出再組み立ても難しい.不可能ではなかっただろうが膨大な費用が必要だったって事.

2542010/06/13(日) 22:58:31 ID:???
>呉市がこじまの部品の一部を保存したいから寄贈して欲しいと解体を決めた千葉市に申し入れたが,千葉市が断った.

正確には「話が具体化しそうだったので千葉の左巻きが体育館建設を口実に
解体だけを先行させた」となる.

壊して安心したのか,数年ほどバラしたマストなんかが放置されていた.体育
館の着工予定と一緒に.とにかく「旧海軍」に関するものを踏みつけたくて仕方
なかったんだろう.

2752010/06/13(日) 23:34:09 ID:???
>>258
ほれ,左巻き

http://homepage3.nifty.com/ki43/heiki/kojima/siga.html

解体が決まった後,呉市の海事博物館準備室の人が三度,千葉市を訪れた.
まるごと呉市に移すのは費用的に無理だが,部品の一部を譲ってもらえないか,ということだった.
しかし,千葉市がその期待に沿うことはなかった.

軍事板,2010/06/13(日)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 現在の塹壕って,規模はWW1のように,何十キロもつながっていたり,地下壕までついていたりするものは少ないんですよね?
 敵砲弾とか航空攻撃の爆弾とかを一時的に防げればいいという事でしょうか?

 【回答】
 長大な防衛線は遊兵が出やすいです.
 単純化して話すと,防御側が塹壕線に完全に均等に兵を貼り付けて,攻撃側が一箇所だけに集中攻撃してきた時,攻撃された地域以外の兵全てが遊兵になってしまいます.
 もちろん攻撃された地域に増援を出したり,反撃に出たりはできますが,塹壕を利用してはいない事になってしまいますね.

 そして,塹壕戦華やかりしきWW1に比べ,航空機や車両・無線技術が格段に発達しているので,現在では大規模な塹壕を掘ってもスルーされたり,陣地の弱い箇所を思いっきり叩かれてお終いでしょう.

 例えば,
偵察衛星・無人偵察機で塹壕の全体像(指揮所・火砲等・補給施設etcetc)の位置を確認.
その位置をミサイル・精密誘導弾・自走砲・攻撃機で撃破
(様は敵のアウトレンジから攻撃ですね)
後は各部隊が無線機により高度な連携をとりながら,浸透作戦で塹壕・陣地を制圧して回ると・・・

 思いついただけでも,これ位の攻撃策が取れるのですから,現代の軍隊同士の戦争に,WW1の戦法は・・・お察しください

 それに,現代の技術でもWW1の様な塹壕を掘ろうとしたら,どれほどの人員・機材・時間がかかるかと思うと・・・
 戦争の長期化を避けるという点で,あえて塹壕戦はしない.
 または,する必要がないから,しないと言った所でしょう.

 重要な拠点を”点”で守り,機動力のある部隊でそれらを援護したり,反撃したりするのが,現代の防御戦では一般的です.
 少なくとも兵力的には無駄の無い戦い方でしょう.
 この重要な拠点は大都市だけでなく,交通の要所だったり,川だったり,丘だったりするので,これらの防御に塹壕を使う事はあると言う事です.
 地面を掘って体を隠せば,敵からは見つかりにくくなりますし,ある程度の攻撃は防げますので(航空機には,ちと弱いでしょうが),現代の陸戦でも陣地防御によく使われるかと.

 現代戦はほぼ不正規戦ばかり,あってもイラクなど砂漠での一方的な米軍の機動攻勢が多いので,塹壕は大規模には利用すらされていないですが,それは塹壕が有力な場所で戦闘が起きていないからです.
 また,そもそも大規模な防衛戦が行われず,速攻の攻撃で戦いが終わってしまうから,活躍が聞こえてこないわけです.

軍事板,2010/06/13(日)
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 【質問】
 戦後の日本やドイツでは,駆逐戦車(無砲塔っぽい様な車両)がありましたが,なんであれを配備したんです?
 つーか何が良くて無砲塔なんです?
 あと,砲身1つ以上の奴(M50とか60式無反動砲とか)がいますけど,あれは何でですか?

 【回答】
・予め来る方向が分かっている敵を待ち伏せて奇襲するための
"防衛系"のニーズに基づいた兵器だから,旋回砲塔にしなくても務まる.
・威力の比較的低い無反動砲を用いて一撃目で確実に仕留めるため,2門装備にした.
 むろん,砲を旋回式にしない事でコストダウンや整備の軽減が図れるというメリットもある.

 駆逐戦車,あるいは戦車駆逐車って言われるあれらの車両は,砲塔が無い分,車高=前方投影面積が低くなり,敵に見つかりにくくなったり,砲弾に当たりにくく――狙われにくく――なったりする.
 でもって,装甲なんかも戦車より薄めにしており,戦車と同等の砲だけを持っている.
 機動力と隠蔽能力だけに特化し,待ち伏せ戦術で戦車を食う事を目的にした戦闘車両.
 正面切って戦うようなことはせず,軽いので後退して逃げる時も素早い.
 また,砲塔が無い分生産する時のコストも,生産する時間も少なくて済む.

 60式自走無反動砲とかは,コンセプトは戦車駆逐車と同じで,待ち伏せして,撃ったらすぐ逃げる事を目的にしている
 その際,単砲だと撃って再装填して…ってやらなきゃならないので,1発しか撃つ余裕が無い .
 でも2連砲なら,2発撃って即,逃げる,ってやれる.

 ちなみに,じゃあもっと無反動砲を積んでもいいんじゃないかって考えると思うが,60式自走無反動砲の試作車には4連装のもある(東千歳駐屯地で展示).
 こっちは「4発も全部打ち切ってたら逃げるタイミング逃すんじゃね?」ってことで,そんなに砲は要らないという事になったらしい.

軍事板,2010/06/14(月)
青文字:加筆改修部分


 【追記】

428 :耳鼻科医 :2010/06/14(月) 20:06:24 ID:???
>>411
すみません,あなたのおっしゃる通り間違った回答をしてしまいました
いろいろ調べてみましたが,

閉鎖空間で火炎放射機を使用された場合,
@まずは爆発的な酸素消費による窒息が致命的になる
Aそれを逃れても,非常に温度の高い気体に暴露することによって気道熱傷の可能性がある
B燃えている燃料が直接体に付着したら全身熱傷をきたす

でした.

解放空間の場合では
A→B もしくは B→Aです.
つい自分が耳鼻科医だから,まず気道熱傷が頭にうかんでしまいました.
次回は,カスミン並みの回答をしないように心がけます.
本当に申し訳ありませんでした.

軍事板,2010/06/14(月)
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 【追記】
436 :霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk. :2010/06/14(月) 20:37:59 ID:GxrGE1Vh
>337
>335
>爆撃機個々の対空防御力というより,自軍の航空優勢の有無や夜間航行爆撃能力による.
>米軍による対日航空爆撃は圧倒的な航空優勢の確保が成されていたので昼夜を問わず行われた.

霞ヶ浦の住人の回答.
アメリカ軍は,日本空襲について,第二次世界大戦中に戦術変更をしました.

説明.
最初,アメリカ軍流の,高高度昼間精密爆撃でした.
後に,イギリス軍流の,低空夜間無差別爆撃に,戦術変更しました.

説明.
「 米軍にとっての空襲 [編集]
東京大空襲を指揮したカーチス・E・ルメイ少将1944年11月24日にヘイウッド・S・ハンセル准将の指揮により始められた日本本土空襲は,
軍需工場,製油所などの目標地点のみ攻撃するピンポイント攻撃であった.
なぜならハンセルは一般市民を巻き込む無差別爆撃に対して非人道的だという感情を抱いていたからであった.
しかし思わしい効果が上がらなかったため,翌年の1945年1月21日にカーチス・E・ルメイ少将と交代した.
「軍需工場の労働者の家や使用する道路,鉄道を破壊することが効果的だ.」というヘンリー・H・アーノルド大将の意を受けたルメイは,
大規模な無差別攻撃を立案,その手始めに東京を選んだ. ただし,かなりのリスクを背負っていた」

下記,ウィキペディアの東京大空襲の 米軍にとっての空襲を参照ください.
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2

445 :ゆうか ◆u8WC078ef5ch :2010/06/14(月) 20:57:11 ID:9t7xs3cZ
>>436
かなりの間違い.
ttp://mltr.ganriki.net/faq08f02j.html#18124
に載せている通り,B29による本土空襲は昼となく夜となく行われています.
夜間無差別空襲の印象が強烈なのは
東京大空襲を皮切りに名古屋・大坂・神戸・再び名古屋と
45年3月の1ヶ月がそうだったからです.

4月は沖縄戦支援のため九州の航空基地攻撃が主任務で,
5月に入ると機数も揃ってきたため昼も夜も襲い掛かってきます.
14日の名古屋大空襲は昼間で,息付くひまなく16日夜に再び名古屋.
23日と25日の夜は東京,29日の昼に横浜,
明けて6月1日昼に大坂,5日昼に神戸,7日昼に再び大坂・・・といった具合.

全然,夜間限定じゃないのです.

4502010/06/14(月) 21:11:11 ID:sZX5Go42
>>436
B-29のクルーの出撃サイクルがあるため,夜間になる例が多かったらしい.
サイパン諸島(テニアン島など)から出撃し,太平洋を北上して列島線にたどり着いたら
目的地上空へ進入し,先導機のマーカーをみて焼夷弾などを投下し,その後は
洋上を南下して基地に戻るの繰り返し.

>>442 bomber harrisによる1945年のドレスデン爆撃に見られるようにイギリス空軍は
夜間無差別都市爆撃を行っている.
 1945年3月10日の東京下町大空襲も無差別都市爆撃とみて差し支えないだろう.

ここらはマクナマラ出演のFog of Warなどをみるといいんではあるまいか.

軍事板,2010/06/14(月)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 先の大戦で,戦闘機と爆撃機を統合した航空機はなかったの?
(零戦爆戦とかF6Fとかは別にして,最初から統合を前提に作られた機体)

 【回答】
 フランス軍は1933年,BCR構想に基づいて航空機を要求しました.
 BCRは爆撃・戦闘・偵察を意味します.
 これによって完成したのは
・アミオ143(ただの爆撃機にしか見えない)
・ブロックMB131(ややスマートな爆撃機のような外観)
などで結局,対空戦闘には明らかに向かないものが出来上がり,完成後任務は偵察と爆撃のみに変えられました.

 その後1934年に多座戦闘機が要求されましたが,これはBCR構想の失敗を教訓として,それなりにマシな物が完成しています.
 これによって完成されたのは
・ポテ630シリーズ(bf110のような外観)
・ブレゲーBr690
などで,やはり開発中と違って,完成後に戦闘より偵察や対地攻撃が任務に変更されましたが,BCR構想で作られてた爆撃機達ほど極端でもなく,むしろこちらの方が多用途機として活躍しています.

 まあ,戦闘機無用論と同種の,戦間期にありがちな発想でしたね.

 ちなみにFw-190A8は,標準状態じゃ魚雷の搭載はできず,魚雷搭載キットを現地改修で付けないと搭載できないので,この質問の回答として挙げるにはふさわしくない.

軍事板,2010/06/14(月)
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