c
※青文字:加筆改修部分
ただし,「である」「です」調の統一のため等の補正を除く.
※既に分類され,移動された項目を除く.
スレ立てる前に此処で質問を 613
目次
【質問】 戦中には,馬匹輸送に最も適している駄馬より,アングロアラブばかりを生産していたような印象があるのですが,どうしてでしょうか?
【質問】 山本が,南雲を送り出したときにしっかり,日米交渉妥結の際は例え航空隊を送り出していても呼び戻して帰ってこいと命令しています.
【質問】 神風特攻って,艦艇の真上から突撃していたら,たとえ打ち落とされても,体当たりはできたんじゃないでしょうか?
【質問】 火縄銃に銃床がついていなかったのは,鳥撃銃が原型だったから?
【追記】 「街道上の怪物」
【質問】 ハル・ノート
【質問】 「ライフルグレネードアダプタ」が手榴弾を起爆させる仕組みを教えてください.
【追記】 日本軍は日清戦争の経験を,日露戦争ではかなり生かしていたと思いますが,昭和になって,失敗がフィードバックされない体質になってしまったのはどうしてですか?
8c3 【質問】 ビキニ環礁での原爆実験では,もっと沢山の艦艇を使用すれば良かったのでは?
【質問】 翼が胴体の上の方に付いてるタイプ,胴体の下面に翼が付いてるタイプ ,真ん中のタイプとがありますが,この翼の位置ってなんか意味があるの?
【質問】 「数は問題じゃない」なんてドクトリンを採用してる国」は日本?
【質問】
馬匹輸送に最も適しているのは駄馬ですよね?
でも戦中には,駄馬よりはアングロアラブばかりを生産していたような印象があるのですが,どうしてでしょうか?
【回答】
軍馬=騎兵用もしくは儀礼用の乗用馬の主流が,日本の戦中の場合,アングロアラブだったからね.
サラブレッドもいたけどね.
ただまあ,これら軍馬に適した軽種馬ってのはごく少数派なのよ.
でも,民間には山ほど,いわゆる駄馬が生産されていた.
戦後だって昭和20年代には,農用馬だけでも100万頭がいたという.
今は日本全体で馬という種が10万頭,うち農用馬は20000頭足らずなんだけどね.
当時は行政が把握していない馬も含めれば,馬という使役動物がどんだけいたのか,想像もつかないくらい.
これらのほとんどが,貴重な軽種=アングロアラブやサラブレッドであるはずがなく,在来馬,輸入されてきたポニーなどの小型馬,ベロシュロンなど重種馬がよりどりみどり.
でも現実には多様な品種の馬が,当時で生産されており,さまざまな使役に用いられていた.
輸送用としては,育成段階で,用途に応じた種類の馬を必要量を購入して,調教を付ければ良かったわけ.
大陸でも調達できなかったのかな?ってのはちょっと分からんけどね.
で,なんでアングロアラブばかり生産していたような印象になるか.
騎兵は時代遅れになってしまっていたけど,軍馬保護の法律も作られていて,軽種馬は生産と強化育成を奨励された.
軍馬の鍛錬・育成という名目で,競馬も継続していた(賭博行為としては禁じられたけど).
そういうことがあるから,どうしても軽種馬,その主流であったアングロアラブに目が行きがちになっちゃうと思うんだ.
軍事板,2010/01/24(日)
青文字:加筆改修部分
【質問】
どうしてショットガンの散弾って丸いんですか?
円柱にたくさんの切れ目をいれたような,ブロッグ状にしてプラスチックケースの中にぎっしりつめたら,同じ重量のままたくさんの散弾を発射できて有利だと思うんですが,何かやらない理由があるんでしょうか?
また軍隊ではショットガンはどういった人間が装備するんですか?
小銃手,機関銃手みたいなかんじで散弾手というのがいるんでしょうか?
【回答】
散弾は当然ながら銃口を出たら拡散する.
その場合,どの方向から見ても同じ形状にしておかなければ,個々の弾が受ける空気の抵抗が違ってくることによって,均質に飛ばない.
必ず一定の方向を向いて銃口から飛び出して飛ぶとは限らないからね.
一応,小さな矢(つか,針だね)をぎっしり詰めたものを撃ち出す弾,というのがあるけど,有効射程距離は丸い散弾に比べてずいぶん小さくなる.
ショットガンは軍隊では,基地で警備任務につく兵士が使うもの.
軍用銃として考えると,射程距離や連射能力では自動小銃に勝てないので,開けた場所で野戦に使うには向かない.
室内戦や塹壕戦,ジャングル戦などの戦闘距離が短く敵と出会い頭に撃ち合うことがある・・・という状況ではそこそこ有効なので,そういう使われ方はしていた.
軍事板,2010/01/24(日)
青文字:加筆改修部分
塹壕戦用ショットガン(銃剣付き)
【質問】
現代では戦車の種類が少なくなったと言う話がありましたが,単に,それまで戦車が担っていた任務を,攻撃ヘリコプター,歩兵戦闘車,装甲偵察車,自走迫撃砲など,他の兵器が担当するようになり,本当に戦車がするべき任務に集約され,中戦車のみがMBTに発展して残っただけではないでしょうか?
【回答】
「本当に戦車がするべき任務」とは何?
歴史的に言えば,戦車の任務とは歩兵支援(WW1〜)と,対装甲戦闘(おおよそWW2〜),これらを実現するために求められたのが,いわゆる戦車の三要素である走・攻・守.
WW2の結果,高い機動性,火力,防御力,
どれが欠けても戦車としては不十分,使いづらいという知見が得られたので,軽戦車〜重戦車のラインナップはMBTへと昇華された.
かつて軽戦車,中戦車,重戦車といわれてたもののうち,軽戦車は第2次大戦中,既にスケール面でのデメリットが判明.
(接地長やグランドクリアランスが確保しにくいことや,エンジンが小さ過ぎて高性能化が難しい.)
大戦中期から中戦車以上のサイズの戦車は,車内容積を削る方向で性能向上を狙えたが,軽戦車は乗員や無線機,機関銃など,小型化出来ない部分があって限界を迎えた.
結果,危なっかしくて敵の戦線突破後の後方すら活動が難しくなり,また,植民地などの二線級任務も難しくなり衰退.)
また,装甲車や歩兵戦闘車,自走砲や歩兵の携行火器の発達で代用可能になったことも大きい.
重戦車は,攻撃力と防御力はあっても,機動力や,整備性の悪さで使いにくくこれまた衰退.
MBTについては,ミサイル万能論の盛衰の煽りや,仮想敵国の戦車の過大評価などで,各国が決定版を目指して開発している(中戦車から発展はしていない)
中戦車と重戦車の統合を目指していたり,クラス分け自体を廃した状態で要求仕様を策定している.
そして,戦車の任務は特に減ってはいない.
減ってるなら能力も減らせていいはず.
昔の戦車にあって,今の戦車にないものって?
現に偵察部隊に戦車が配備されるのはよくあるし,歩兵戦闘車も歩兵への火力支援は行うけど,戦車を代替するわけではない.
基本的にセットで使う.
自走迫撃砲はそもそも直射火力を提供しない.
対戦車ヘリは,あくまで瞬間火力.
軍事板,2010/01/24(日)〜01/26(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
【回答】
3232010/01/26(火) 19:46:47 ID:???
>>317
山本が,南雲を送り出したときにしっかり,日米交渉妥結の際は例え航空隊を送り出していても呼び戻して帰ってこいと命令しています.
つまり霞ケ浦の住人の演説は当時の事情を知らない
妄言の珍説です.
4362010/01/27(水) 00:48:49 ID:???
>>342
開戦が決定されたのは昭和16年12月1日の御前会議.
攻撃実行の命令は
翌2日に真珠湾攻撃部隊に「ニイタカヤマノボレ1208」(12月8日に作戦開始)の暗号が送られている.
南方攻略の陸軍部隊に同様の暗号「ヒノデハヤマガタ」が送られたのも2日ごろの話.
つまり先月26日に攻撃部隊が出撃していても,それまでなら作戦中止は問題なく可能だったということ.
カスミンが正しいのではなく,お前の頭がカスミン級というだけのはなし.
4372010/01/27(水) 00:59:29 ID:???
>>342
>南方に数百数千の輸送船を送りながら,空振りで同じ道を引き返してくるとでも?
ノルマンディー上陸作戦は作戦前日に延期が決定され,出航した輸送船団はゾロゾロと引き返しているが?
軍事板,2010/01/24(日)〜
青文字:加筆改修部分
【質問】
「統帥権干犯」って何?
【回答】
統帥権という用語は,大日本帝国憲法で用いられている言葉.
形式的には,天皇が最高司令官であり,軍隊を統率する権能を持っていることを表した言葉です.
軍人たちが使った「統帥権干犯」というのは,
「神聖なる天皇のみが持つ統帥権を侵害するのか!」
てーことですよ.
軍部に批判的な文官や政治家なんかが,軍部の意思決定を覆そうとしたり,批難したりすると,
「お前,それは統帥権干犯だ」
という風に言って,それらを封じ込めて来たわけです.
軍事板,2010/01/24(日)
青文字:加筆改修部分
【質問】
神風特攻って,艦艇に到達する前に打ち落とされて海に沈むとかあったと思うんですが,艦艇の真上から突撃していたら,たとえ打ち落とされても,体当たりはできたんじゃないでしょうか?
艦船に対する戦闘機の特攻のうち成功したのは,稀なほうなんでしょうか?
そういう,何パーセントが成功したとかいうデータはあるんでしょうか?
【回答】
世の中そう簡単にはいかないものです.
飛行機にもいろいろあるけど,基本的に落ちるためでなく空を飛ぶために,軽い機体が速度と揚力の絶妙のバランスで飛んでいます.
急降下によって速度が出過ぎると揚力が強くなって,
機体を引き起こす強い力が働いたり,
プロペラの回転速度が追いつかなくなって気流が乱れたり,
舵の力が足りなくなったりとと色々な問題が起こり,
場合によってはコントロール不能や空中分解にすらいたります.
爆撃の場合迎撃が難しく,破壊力もあり,命中精度が高いため,色々な対策をした急降下爆撃機などありますが,すなわち特殊な機材と技術がないとできません.
で,そんな不安定な状態で一発食らえば,片羽を変な方向に折った紙飛行機が,狙ったところに飛んでくかとかそんな話です.
力強くぶん投げるほど,あさっての方向に飛んでいくと思います.
成功率に関しては,
分母を出撃にするのか突入にするのか,
分子を撃沈のみか大破小破至近弾を入れるのか,
人的被害で評価するのか,
迎撃能力のない輸送艦は外すのか,
とか色々で….
数字を解釈する人次第みたいなところがあるので,何とも言えません.
一つの目安としては,以下のような数字があります.
海軍機1298機,陸軍機1185機,
うち命中したもの243機,
至近に落着(多少の損害は発生)165機,
合わせて命中率は16.4%.
迎撃戦闘機の網を抜けて上空に達した特攻機に限った場合,命中率は一時期56%もありましたが,だんだん低下しています.
なお,護衛空母を除くと,巡洋艦以上のサイズの軍艦で沈んだものは無く,大破どまり.
軍事板,2010/01/25(月)
青文字:加筆改修部分
【質問】
特殊部隊用の拳銃としてMK23やUSPがあり,その後継としてHK45が上げられていますが,あーいう特殊部隊用の拳銃って,普通の銃と何が違うの?
45ACPの装弾数なら,別にガバメントのダブルカアラム仕様でも良さそうだし,マウントが欲しいならグロック拳銃でもいいわけですよね?
【回答】
コルト45のダブルカラムは,理想とされてて,FBIのHRTなんかも採用して見た事がある.
だけど,実際の所は信頼性不足でジャムが頻発.
スタンダードなシングル式に戻した.
9mmと違って,45の大きな弾をダブルカラムにしつつ,信頼性を確保するのは難しい.
両立してもグロックみたく,やたら太いグリップになったりする.
後,特殊作戦用途の開発要求として,アンダーレイルやサイレンサーアタッチメントの他に,海水への対策とか,他の部隊より弾薬消費量も多いんで,そこらへんの耐久性を上げたりする事が多い.
軍事板,2010/01/25(月)
青文字:加筆改修部分
Mk23は米軍のSOCOMピストルの要求仕様を受けて,USPを元にしてコルトとの競作で開発されたものですが,主に,耐久性を重視して設計された為,銃本体が大きく重くなっています.
これは拳銃を単独の主武装として遂行される任務等を想定したもので,軍用拳銃としては異端の存在でもあります,
その為,一般用に.45ACP仕様のUSP45を改めて開発したのです.
USP45が丁度Mk23を小型化した様な外観を持つのは,このような理由からで,通常の軍・警察用拳銃や一般向けには,耐久性はそこそこで小型軽量である方が,市場のニーズに適合するのです.
三等自営業 ◆LiXVy0DO8s in 軍事板,2010/01/26(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
以下の回答は正しいのですか?
――――――
221 :霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk. :2010/01/25(月)
17:37:04 ID:Dh1bup54
>218
>火縄銃に銃床がついていなかったのは
>当時はまだ銃床が開発されていなかったのでしょうか?
>それとも火縄銃の特性上,あえてつけなかったのでしょうか?
>命中率が低いため単独で撃つ事もないから,そこまで反動にこだわる必要も無い>し
>先込め式なので装填のしやすさを優先するためにつけなかったという理由も考え>られますがどうでしょうか?
霞ヶ浦の住人の回答.
「鳥撃銃というのは,ポルトガル人が持ってきたもの,
アラビアより東の地域の植民地を中心に広く普及していたもの」です.
説明.
「鳥撃銃というのは,ポルトガル人が持ってきたもの,
アラビアより東の地域の植民地を中心に広く普及していたものと
説明させていただいたわけなので,
日本国内でそう呼ばれていたわけじゃないです.
鳥撃銃とされていたものが,日本では火縄銃という軍用銃として
たいへんもてはやされたという論旨だったわけですから
少し考えれば,道理がわかると思います」.
「基本的に”ヨーロッパ”での軍用銃は”肩撃式”という,
ま,今の平凡な小銃と同じような銃床のものです.反動を肩で受けます.
これに対して火縄銃は頬撃式といって,頬に銃を当てて照準するものです.
ものによっては,大口径のものは股のつけにに当てて発砲するような
ものもありますが,あれはむしろ日本独特の形態.
ま,肩撃式か脚のついたマッチロック式が,フリントロック普及前の
軍用銃ということです.
ちなみに肩撃式はもう15世紀の終わりには登場していたので,
小銃の普及とほぼ前後するようなかたちです」
下記,種子島銃のその後を参照ください.
ttp://okwave.jp/qa/q3038324.html
――――――
【回答】
間違いです.
鳥撃銃だけが日本の火縄銃の元ではありません.
国立歴史民俗博物館の展示概要
http://www.rekihaku.ac.jp/events/p061003.html
にあるように,種子島に流れ着いた船にポルトガル人は乗っていましたが,それは中国のジャンク船で,指揮をとっていたのは倭寇(わこう)の大頭目・王直(おうちょく)(五峰(ごほう))でした.
伝えられた鉄炮も,発火機(はっかき)の構造や銃床の形などからみて,ヨーロッパ製ではなく東南アジア製と考えるのが妥当です.
また,16世紀中ごろのものとして「南蛮筒(なんばんづつ)」とよばれる外国から伝来した鉄炮や,それを真似て日本で作られた「異風筒(いふうづつ)」とよばれる鉄炮が数多く残されていますが,それらの形が千差万別であることから,いろいろな場所に様々な形状の鉄炮がほぼ同時期に伝来したものであり,「種子島」は,実はその中の一例に過ぎないと考えられます.
【反論】
「日本に伝来した銃は東南アジア製のものである」
というのは,有力な説の一つではありますが,定説と呼べるほどに根拠があるものじゃありません.
その説を裏付けるべき要素とされるもののほとんどが,傍証に過ぎず,証拠たりえないものばかりだからです.
例えば民博の特別展示で,その証拠の一つとして展示されていた,日本製と東南アジア製の2種類の火縄銃が,日本製の作りが粗雑で甘く,東南アジア製のものが精緻であることから,
「この2丁の銃をみれば分かるとおり,,日本製は東南アジアのものをコピーしたものだ」
と称していましたが,実は展示銃は両方とも後代(江戸中期)になってから作られたものであり,「起源」を謳うには新しすぎます.
「東南アジア伝来説」を裏付けるための決定的な証拠としては,例えば東南アジアに日本の国友や堺に相当する「銃砲生産地」の記録や遺跡が見つかることですが,未だそういったものは発見されていません.
鉄砲(炮)伝来については長らく定説とされて,教科書にまで載っていた「鉄炮記」が,実は種子島家のプロパガンダ書物であり,根拠については怪しいものだってことが広まって以降,諸説入り乱れていて,どんな説についても「言ったモン勝ち」なところがある分野だったりします.
確実に言えるのはおっしゃっている通り,
「いろいろな場所に様々な形状の鉄炮がほぼ同時期に伝来した」
という程度の事でしょう.
軍事板,2010/01/25(月)
青文字:加筆改修部分
ちなみに銃床自体は,クロスボウの時代に発明されたものです.
ですから寧ろ極初期から,マスケットには銃床が備えられたものが有りました.
日本で銃床の無いデザインが主流になったのは,日本の火縄銃を使う戦術には,銃床が必要無かった事情もあります.
三等自営業 ◆LiXVy0DO8s in 軍事板,2010/01/26(火)
青文字:加筆改修部分
【追記】
ゲームの攻略本かい!それは単なる間違い.
どんな状況だったかは,大日本絵画・オスプレイ世界の戦車イラストレイテッドシリーズ「KV-1&KV-2重戦車1939-1945」に詳しい.
軽戦車だけの第6戦車師団が手も足も出ず,前進していた第1戦車師団が戻って支援しなくてはならず,このためレニングラード
への到着が遅れ,ソ連軍第2戦車師団の全滅が一日先延ばしになった程度のもの.航空支援を要請しなかった理由は不明.
軍事板,2010/01/26(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
317 :霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk. :2010/01/26(火)
18:53:58 ID:/S/+Jeej
●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 608
>948
>第二次世界大戦で日本が満州等を保ったまま戦争を回避する方法はあったのだろうか
>中国から全面撤退は辻ーんやむっちーとかを更迭すればいいけど・・・・
霞ヶ浦の住人の回答.
ありました.
「中国から全面撤退」を要求したハルノートは,日本の開戦には関係していません.
説明.
日本の中国からの前面撤退ょ要求したハルノートは,1941年11月26日に提示されました.
日本の真珠湾攻撃のための空母機動部隊は,同じ1941年11月26日に出港しています.
日本海軍はそれ以前に,計画を立て,訓練していました.
アメリカとイギリスの本心は,ドイツに関心があったのです.
「中国から全面撤退」など,たいした問題ではありませんでした.
日本がイギリスの味方になれば,石油も売ってくれました.
日本はイギリスの味方をして,海上交通線の確保に協力していれば良かったのです.
輸送船や護衛艦艇を,できれば乗組員付でイギリスへ提供して,金をもうけていれば良かったのです.
「一方,アメリカおよび日本の歴史家は,ハル・ノートにかかわりなく,基本的に日本が11月15日の御前会議で決定された国家方針により戦争を開始したのであり,
ハル・ノートは外交交渉上の一案にすぎず,大きな意味はないとしている.
アメリカの教科書や歴史書ではハル・ノートは言及されず単に日本が警告なく攻撃をしかけたと記述される.
日本の教科書でもハル・ノートに触れていないものもある.
アメリカ側から見ればハル・ノートの中国からの撤兵など厳しい対日要求も,アメリカのアジアでの基本政策の確認にすぎず,ここから交渉すべきものであり問題にはならない.
ここにはそれまでの交渉経緯や,日本が11月末で外交交渉を打ち切ろうとしている時期に交渉困難な案が軍事行動を促す可能性への考慮はない.そこではあくまで日本が先に軍事行動を行ったことが問題にされる.
秦郁彦などは11月26日に既に機動部隊が出航していることを重視し,ハル・ノートにかかわりなく既に日本は対米開戦の意志を持っていると見なしている」
下記,ウィキペディアのハル・ノートの今日の評価
の様々な評価を参照ください.
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88
【回答】
3562010/01/26(火) 21:48:21 ID:???
>>317
基本的な間違いは
まず「ハル・ノート」とは1941年11月26日に急に出されたアメリカの要求ではないわけです.
それは日米交渉の最初から,アメリカが要求している「ハル四原則」を
具体的にして提示しなおしただけのものです.
つまり日本側としては必死の交渉を続けていたつもりが
1941年11月26日にいたるまでアメリカの態度がまるで変わらなかったことが
交渉を絶望視させることに繋がったわけです.
次に,日本側は海軍が石油の備蓄残量から
戦争が始められるギリギリの量は12月あたりまでしか持たないと分析したため
それに基いて交渉の期限を11月いっぱいまでとしており(11月1日大本営政府連絡会議),
そこに11月26日になってハルノートなので交渉決裂,開戦という流れです.
あと,単冠湾からハワイに向けて出撃した機動部隊は
途中で日米交渉が成立して真珠湾攻撃命令がこなかった場合
作戦を中止して引き上げる段取りになっていました.
それに軍部が万が一戦争になった時にそなえて
あらかじめ作戦を考えて備えておくのは当然ではありませんか.
米海軍は「太平洋艦隊作戦作戦計画第46号」というのを策定して
日米開戦が起こった場合,太平洋艦隊の全戦力をもって
中部太平洋の日本拠点に上陸作戦をしかけることを決めていましたよ.
これをもってアメリカは日本との戦争を決意していたと強弁できるわけですか?
軍事板,2010/01/26(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
アメリカ軍の装備品を見ていたら「ライフルグレネードアダプタ」というのがあって,これは手榴弾をはめ込むと小銃擲弾としてつかえる,というものなのだそうですが,手榴弾って,
「安全ピンを抜く−投げる−安全レバーが外れる−時限信管が作動する」
っていうプロセスで作動する,んですよね?
このライフルグレネード,その辺はどうなってたんでしょうか?
安全ピンは発射前に抜いておく,はいいとしても,レバーが何時外れるのか,また外れたとして目標に飛んで着弾する時間と時限信管の作動時間がちゃんと合っているのか,またそもそも「ライフルグレネード」が着発信管でなくていいんだろうか?とか,疑問がつきないのですが・・・.
【回答】
こちらの画像を見てほしい.
http://www.inert-ord.net/usa03a/usarg/adapts/6817.jpg
左から "M1" "M1A1" "M1A2"
"M2A1"
手榴弾を保持する爪のうちで,一番長い爪に付属している楕円断面の部品に注目.
これは arming clip で,これに手りゅう弾の安全レバーを通す.
てき弾が発射されると慣性によって arming
clip が脱落し,安全レバーが撃針を叩くという仕組み.
一番右のやつは円筒形の手りゅう弾用.
バネで接続されたリング(後退リング)で,安全レバーを固定する.
同じく発射されると,慣性によってリングが後方にずれて,安全レバーが開放されるという仕組み.
M1系とM1A1はMk2系手りゅう弾用.
M1A2はM26系手榴りゅう弾用.
M2A1はMk3A2攻撃手りゅう弾とか発煙手りゅう弾用.
http://www.rt66.com/~korteng/SmallArms/mk2rifle.htm
も参照のこと.
軍事板,2010/01/27(水)
青文字:加筆改修部分
【追記】
【回答】
日本軍は日清戦争の経験を,日露戦争ではかなり生かしていたと思いますが,昭和になって,失敗がフィードバックされない体質になってしまったのはどうしてですか?
6542010/01/28(木) 08:48:44 ID:???
>>653
具体的にはどんなこと?
戦訓の反映が遅かったの事実だが,行ってるけど.
6552010/01/28(木) 08:55:38 ID:???
>>653
ひとことで言ってしまえば
>帝国陸海軍は既存の知識を強化しすぎて,学習棄却に失敗したといえるだろう
(引用「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」)
言葉の意味は上述書を熟読してほしい.詳細略す.
653の問いに関して書籍1冊丸ごとの著述で答えてくれてる
6562010/01/28(木) 09:45:16 ID:???
>>653
昭和の日本軍において失敗が迅速にフィードバックされ,
それにより短期間で成果をあげた例というのは幾らでもある.
まず島嶼における上陸防御においては
日本だけでなく各国とも敵が戦力集中の困難な上陸中に
水際迎撃を行なうことが基本戦術だったが
陸軍はサイパンでの敗因を徹底的に研究したことで
米軍の支援火力の強大さから水際迎撃は困難と結論し,
縦深陣地に引き込んで消耗を強いるという戦術に転換して
それに基いた『上陸防御教令』や『島嶼守備要領』を策定している.
数ヶ月後のペリリュー戦から,硫黄島,沖縄など
それ以降の上陸米軍が上陸戦史上経験が無かったほどの損害と
作戦遅延を受けるようになった理由として
とかく現場の司令官の有能さのみが注目されがちだが
実際は上述の陸軍の戦術転換の適切さに拠るものが大きかった.
またミッドウェー海戦での敗北を受けて,
新たに編成された空母機動部隊では戦訓から情報と戦務が重視され,
連合艦隊で初の情報参謀のポストが置かれたほか,
淵田など現場の指揮官の構想が取り入れられ
それまでは艦隊航空戦の遂行に支障がないだけの幕僚陣だったものが
独立して機動作戦を行なえるだけの規模まで質的・量的に強化されている.
艦隊作戦にもミッドウェーの教訓が多く反映され,同年の南太平洋海戦での勝利に繋がった.
6622010/01/28(木) 10:26:41 ID:???
反面,米軍が常に迅速な方針転換ができたかといえば
アメリカの戦史研究などをみると今でも批判されている点は多々ある.
例えば戦前の爆撃訓練での結果から
護衛戦闘機不要論というのが米軍内で唱えられ,
不要論者のみが航空隊の主要ポストについたことで
訓練結果に否定的な見解を示したシェンノートなどは軍中央から退けられ
その結果誤った整備計画と運用によって
航空隊の被害をいたずらに増す結果になったという指摘がある.
BOBにより護衛戦闘機の重要性が提起され
開戦後爆撃機の想定以上の損害があったにも関わらず
英空軍の反対をおして昼間無護衛爆撃が続けられ
シュヴァインフルト爆撃やレーゲンスブルク爆撃での大きな犠牲に至った原因は
米軍内での勢力争いに淵源があるとか.
6592010/01/28(木) 10:02:34 ID:???
>>656
>とかく現場の司令官の有能さのみが注目されがちだが
>実際は上述の陸軍の戦術転換の適切さに拠るものが大きかった.
戦訓報とか読むと,とてもそうは思えんが.
ttp://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/31093787.html
32010/01/28(木) 10:54:04 ID:???
>>656
水際殲滅か内陸持久かで揺れて大損害を出した沖縄のことを併記すべき.
>>662
当時の米長距離護衛戦闘機の実情を書いておくべき.
実用的な長距離護衛戦闘機が存在したのに護衛につけなかったように読める
6642010/01/28(木) 10:56:07 ID:???
>>659
思うも思わないも実際にそう.
サイパンの戦訓を元に昭和19年8月に
大本営からだされた『島嶼守備要領』は
主陣地を海岸線に置いて水際迎撃に主力を投入するべきとしたそれまでの戦術を変更して,
主陣地を後退させることを許可し,主力部隊を温存して弾力的防御を行なうことを目指したもの.
それを元にペリリュー戦が行なわれ想定以上の結果が出たことで
縦深陣地を利用した持久戦を追求する『上陸防御教令』が10月にだされ
硫黄島戦や沖縄戦で踏襲された.
それによって大きな戦果をあげえたことは周知の通り.
6652010/01/28(木) 10:58:46 ID:???
>>663
沖縄では,上陸当初,水際反撃がなくエイプリルフール?っと言われたんだが.
6662010/01/28(木) 11:07:06 ID:???
>>663
沖縄の場合は水際での迎撃を放棄して内陸に米軍を引き込んだ後の話で
飛行場を占領されることによる航空戦の不利が問題になり
各方面から米軍の飛行場使用を妨害するよう要請されたことで攻勢が行なわれたもので
水際迎撃を目的に攻勢が行なわれたわけではないことを踏まえるべき.
6672010/01/28(木) 12:28:24 ID:???
>>666
北部,中央の飛行場確保は水際殲滅が前提であり,それ以外の戦術オプションは
存在しない.
硫黄島,沖縄の「成功した内陸持久作戦」も実は軍の作戦策定の主流ではなかった.
両者ともに現地司令部での強力な推進がなければ実現しなかった.
結局のところ日本軍は失敗によるフィードバックで柔軟に対処する能力は大戦末期に
現地司令部が半ば大本営の指示を無視して推進するしか実現する道はなかった.
6772010/01/28(木) 16:08:14 ID:???
>>672
まず教令でも地形や任務に応じて弾力的に反撃を行なうことが否定されているわけではないこと.
そして飛行場の奪取の成算については現地軍が判断することで
海軍や大本営は作戦上の都合から,再確保をあくまで要望したという話.
電報にも「幾多の困難あるは想察に難からざるも」とあるから
無理があることは承知の上で,それでも作戦上の要請があったということだろ.
海軍にとっては沖縄が決戦場で,
4月6日から特攻を含む大規模な陸海の航空攻撃が米艦隊・船団に対して行なわれ
戦艦大和の投入も行なわれている.
別に持久より攻勢の方が効果的だと考えられたわけではなく
それら作戦に陸上部隊も呼応して援護してほしいという要望がでてきただけの事情.
軍事板,2010/01/28(木)
青文字:加筆改修部分
【質問】
ビキニ環礁に回航された枢軸国艦艇ですが,せっかく原爆実験するのならもっと沢山の艦艇(日本艦艇でいえば葛城とか)を使用すれば良いと思うのですが,なぜなんでしょうか?
【回答】
葛城はもともと戦時急造で完成当初からポンコツな上に,当時既に復員輸送に酷使されてボロボロだった.
長門なんかは当時,既にスクラップ同然の状態なのに,選定されたのは「日本海軍の象徴だから」的側面が大きいが,何にしても廃艦寸前のボロボロの艦よりは,現役同然の状態の艦が望ましい.
クロスロード作戦の第一の目的は,「洋上で艦隊が核攻撃を受けたらどうなるか」の効果を調べることなので,標的艦は極力健全なものが望ましい.
また,いくら健全だからって,駆逐艦ばかり数十隻も並べてもしょうがない.
多種多様の艦に対する効果が調べたいのだから.
枢軸国の接収艦は大型の艦船があまり残っておらず,あれでも「使えそうなものは片端から集めた」感じ.
ちなみに標的艦としての大型空母にはサラトガが選ばれ,サラトガは艦載機と航空燃料を満載した状態で標的にされた.
また,旧式とはいえ自国の戦艦も複数,実験に使ってる.
戦艦ネヴァダなんか,原爆実験の標的にしたあと,射撃標的として海没処分・・・.
そのせいで下手に解体されたりせず,今も海底に眠る「サラお嬢様」が見られるのだから,後世の人間にとってもサラトガ自身にとってもよかったのかも.
今もビキニの海底に眠るサラトガの艦内には,実験の時に詰め込んだ戦闘機がそのまま残っている.
軍事板,2010/01/28(木)
青文字:加筆改修部分
【質問】
前々から思ってたんですが,WW2初期の戦闘機って現代の小型プロペラ機みたいに,翼が胴体の上の方に付いてるタイプが多かったですよね?
で,そのあとの零式戦闘機やヘルキャットのような時代の戦闘機って,胴体の下面に翼が付いてますよね
?
で,また時代が進むとF86やA-4,F-4のように下に翼が付いてるジェット機になり,その後はF-15,Su-27のように胴体の上に付いてるタイプ
,EF2000,F-16のように真ん中(少し違う気もする)のタイプになってますが,この翼の位置ってなんか意味があるの?
ただのエンジンの問題には思えないけど・・・
【回答】
WW2の初期というよりも,複葉機の時代から単葉機になった段階で,機体の下側に翼を配置するのが常識になってるので,上翼の時代ってありませんが.
下翼機が多いのは,着陸脚と地上高の問題で,たいてい翼に主脚を収納してたので,それが長くなるのを強度的に嫌ったのが一番大きい.
脚を短くしたいために逆ガル翼にした機体もあるし,本邦の紫電戦闘機は中翼で脚が長くなるので伸縮式にしたりもした.
また,空気抵抗は中翼が最も小さく,上翼は安定性が高い.
下翼は運動性がよい.
空力的には,高翼・肩翼は上反角効果を持ちロール安定に寄与する.
(現在では設計が進んで,この点においては高翼・低翼あまり気にしない.)
主翼と胴体の干渉抵抗からは中翼がベスト.
構造的には,翼から胴体を吊る(高翼),翼構造に胴体を乗せる(低翼),のは設計が楽.
中翼はキャリースルー(中央翼)が胴体を貫通するので,中になんか載せる場合は面倒.
(でも最近は 戦闘機なんかだとキャリースルーを持たず,主翼構造と胴体フレームを結合する機体も多い.)
それ以外にも,視界,エンジンのクリアランス,主翼下への搭載物,客室騒音,などの点で長所・短所がある.
時代・技術・用途等によって重視される点が変わり,それに都合の良い形態も変わってくる.
軍事板,2010/01/29(金)
青文字:加筆改修部分
【質問】
原爆投下は,アメリカの中のユダヤの連中の仕業
?
↓って,すべて事実なのでしょうか?
原爆の発案はユダヤ人シラード
原爆の開発を大統領に進言したのはユダヤ人アインシュタイン
原爆の開発をスタートさせたのはユダヤ系ルーズベルト大統領(強烈な親中反日主義者)
原爆を開発したのはユダヤ人オッペンハイマーを中心とするユダヤ人科学者グループ
原爆を警告無しに日本に投下するべきだと主張したのはユダヤ人オッペンハイマーとユダヤ人フォン・ノイマン
ユダヤ人オッペンハイマーは最初から最後まで投下目標について日本だけを論じドイツを投下目標として論じたことはなかった.
原爆投下を大統領に進言したのはユダヤ人大富豪政治家のバーナード・バルーク(後の国連原子力委員会アメリカ主席代表)
原爆投下命令を出したのはユダヤ系トルーマン大統領
原爆投下指揮官はユダヤ系ルメイ少将(ルメイは民間人への無差別爆撃の発案者で東京大空襲(死者10万人)の指揮官)
原爆を投下したエノラ・ゲイ乗組員15名のうち7名がユダヤ人で機長のティベッツもユダヤ人
戦争中原爆はユダヤ人コミュニティーの独占管理のもとにあり
原爆ホロコーストはユダヤ人によってその開発から投下に至るまで全過程が行なわれた.
【回答】
1.核分裂の爆弾への応用の可能性を最初に公式に述べたのはフェルミ,イタリア人
核分裂実験に最初に成功したのはアベルソン,アメリカ人(北欧系)
2.原爆の進言は個人ではなく団体.
最も著名なアインシュタインに,署名を依頼したに過ぎない.
シラードはこのときに代表として,アインシュタインに話を持ってった人.
のちに彼は,水爆理論のほうに熱中し始め(まだ原爆の実物もできていない段階で),原爆開発には殆ど寄与していない.
3.ルーズベルト,ルメイ,ティベッツがユダヤ系である根拠はない.
4.トルーマンは一時期KKKに入っていたことがあるほどで,基本的に反ユダヤ.
5.戦略爆撃の概念を発案したのは,イタリアのジュリオ・ドゥーエ将軍.
6.もともと原爆は対ドイツで作ってるんだから,リーダーのオッペンハイマーがそれを論じないわけがない.
7.マンハッタン計画に参加したボーアやウラムやセグレやフェルミが,いつユダヤ人になったんだ?
8.というか全体として,ユダヤ系(先祖にユダヤ人がいる,ユダヤ人の親戚がいる)とユダヤ人(ユダヤ教徒でユダヤの文化を維持)の区別がついてない.
結論:出鱈目.
軍事板,2010/01/30(土)
青文字:加筆改修部分
【質問】
869 :霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk. :2010/01/29(金)
23:04:08 ID:YwYKTuBM
>867
>865
>で,その「回答」は>568の中にあったのかな?
>「「数は問題じゃない」なんてドクトリンを採用してる国」を答えずに「回答」とはこれ如何に
霞ヶ浦の住人の回答.
●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 608
>858 を再度掲載します.
>霞ヶ浦の住人の回答.日本です.
【回答】
9872010/01/30(土) 02:09:52 ID:???
>>869
日本軍のドクトリンは「数は問題じゃない」とかどんな馬鹿だよ.
北支事変中,政府内で大揉めに揉めながらも
数で劣勢な現地軍に援軍を送ると決まったのは何でだよ.
数は問題じゃないというドクトリンだったら
1個連隊で20万の中国軍と戦っても鎧袖一触すればいいだろ.
軍縮条約で対米7割か6割かの差で揉めに揉め
これじゃアメリカに対抗できないと大反発がでたのはどういうわけだ.
数は問題じゃないなら6割だろうが1割だろうがアメリカ海軍を殲滅できるだろ.
そもそも開戦後あらゆる経済を統制して兵力増強に努めたのはどこの国だ?
数が問題じゃないなら新設師団なんて作る必要もないだろ.
しかも根こそぎ動員とか,数が問題じゃないのに
訓練もほとんどされてない素人に武器とかもたすかよ.
9922010/01/30(土) 02:28:41 ID:???
>>869
●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 608
>858
のコピペを見て「数は問題じゃない」なんて解釈できる馬鹿は
よっぽどの低脳だとしかいえないけどな.
それをどう読んでも
ガダルカナルに一木支隊だけが送られることになったのは,
米軍の上陸人数が2000名程度であって,
さらに上陸目的は飛行場の破壊で,現在は任務達成して退避中という判断があってのこと.
米軍の数が多いと判明したら
輸送能力の限界まで兵力が送り込まれてるだろ.
数が問題じゃないんだったら送られる兵力が増える必要ないのに
どこら辺が数の問題じゃないんだよ.
軍事板,
青文字:加筆改修部分
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