c

目次へ   「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ   サイト・マップへ

青文字:加筆改修部分
 ただし,「である」「です」調の統一のため等の補正を除く.

※既に分類され,移動された項目を除く.


世界史なんでも質問スレッド91

※荒れているため,レス回収基準は「Ver.7」

目次

 【質問】 イラン史における黒羊と白羊朝は,いったいナニモノ?

 【質問】 (ルターは結局助けてくれた諸侯への恩義へ報いて政治への改革には消極的だった)

 【質問】 アレクサンドロスとか本当にいたの?

 【質問】 航海法には,なんの意味があったの?

 【質問】 「朝日は三大紙の中でも,飛びぬけて反原発だったのに,転向して原発礼賛をはじめたのも一番最初」だったのですか?

 【質問】 戦前日本は天孫降臨神話が学校で教えられていて,進化論なんて反天皇的な言説は,一部の科学者しか信じていなかったの?

 【質問】 日本の弓は,何で弓の左から矢を発射するの?

 【質問】 近世以降の騎兵の運用が,良くわかりません.

 【質問】 英仏は南北戦争で,何で南を応援しなかったの?


世界史なんでも質問スレッド92

※荒れているため,レス回収基準は「Ver.7」

目次

 【反論】 貿易のうまみがなくなってきたので,英国は勝手に対日貿易から手を引き,結果的に西洋ではオランダだけが残ったが,幕府は別に,西洋との貿易自体をなくしたかったわけじゃない.

 【追記】 戦時中の日本人の本音

 【質問】 チャーチルもFDRも,なんでドゴールを戦後フランスの代表にしたの?

 【質問】 フランス革命のあと,なんであんなにコロコロ政体が変わったのか教えてください.

 【質問】 GHQって軍隊とどう違うの?

 【質問】 なんでウィルソンの14ヶ条を受け入れる事が,ドイツが議会政治に移行する事に繋がるんですか?

 【質問】 イスラームの教義では,共和政体は本来ありえない物なんですか?

 【追記】 「歴史のif」について

 【質問】 『パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉』を観ましたが,ジョージ2世時代も海賊はいたんですか?

 【質問】 韓信

 【追記】 モンゴル人やチベット人やイスラム教徒や西洋人に国を渡すようなことがあろうとも,漢人にだけは渡してはならない.国が傾きかけてるときにだれだったか満洲人の高官が言った言葉.

 【質問】 FDRの狙いは,コミュニズムとナチスの潰し合いだったのでは?

 【質問】 諸葛孔明あたり,魏を北方民族と挟み撃ちする計画とかなかったのかしら?

 【質問】 朝鮮や倭は,三国志の頃は魏の属国だったんだっけ?

 【質問】 江戸幕府は諸侯の反乱を防ぐため,参勤交代や手伝普請を大名に行わせていますが,海外でも似たようなことを行ったのでしょうか?


世界史なんでも質問スレッド93

※荒れているため,レス回収基準は「Ver.7」

目次

 【質問】 ミャンマーって,どんな歴史あるの?

 【質問】 旧ユーゴスラビアは平和的に各共和国が独立することは,何でできなかったんですか?

 【追記】 史実で諸葛亮が丞相になれたのって,実は能力じゃなくて,魏にも呉にもそれぞれ重臣としている名族,諸葛氏の力に配慮した結果だというのは本当ですか?

 【反論】 よく云われるように,労働者に短期国債を求め不況を脱した政策はナチ以前の引き継ぎだが,銀行の弊害と何より新しい政府への信頼がその元となったことを考えれば,欧州通例の見解である「だからナチになる必要はなかった」はちと無理があるように思うな.

 【質問】 明朝時代の中国西域って,どこが支配してたの?

 【追記】 スペインが没落した理由ってなんだろうか?

 【質問】 それはひょっとしてギャグで言ってるのか!?


 【質問】
 イランの歴史がいまいち分からぬ・・・
 チャガタイハンからティムールが自立
→ティムール朝成立
→後にウズベク侵入で,ティムール滅亡
→シャイバーン超成立
→サファビー
→カージャール
→ホメイニによりイスラム共和国成立
という認識なのだけれど,ティムール朝とサファビーの間に存立する,黒羊と白羊朝がいったいナニモノなのか分からない.
 ティムール→・・・→サファビー朝→カージャールの王朝交代の簡単な要因が謎.

 【回答】
 ティムール朝の拠点は中央アジアやホラーサーンにあり,ティムールの死後に後継者争いが起きると,西部辺境のトゥルクマーン系諸侯は自立した.
 これが白羊(アク・コユンル)朝と黒羊(カラ・コユンル)朝.

 どちらも初めは東アナトリア周辺の勢力だったが,黒羊朝はアゼルバイジャンや北西イランに進出し,ティムール朝勢力をまとめたシャー・ルフと戦った末,宗主権を認める代わりにこの地域の領有を認められた.
 シャー・ルフの死後,ティムール朝は再び崩壊.
 黒羊朝は調子に乗ってヘラートまで進撃するが,白羊朝に背後を突かれて,こちらも崩壊.
 たちまち白羊朝が黒羊朝に取って代わる.

 ところが白羊朝も,オスマン帝国に敗れた後は,後継者争いで崩壊.
 混乱に乗じてトゥルクマーンの軍事力を擁するサファヴィー教団が決起し,白羊朝とヘラートのティムール朝を滅ぼした.

 あと,サファヴィー朝とカージャール朝の間にある,アフシャール朝を忘れてはいかん.
 ほぼナーディル・シャー一代の帝国だが,イランとアフガニスタンを征服したばかりかムガル帝国まで崩壊させとる.
 カージャール朝とホメイニの間のパフレヴィー朝も,短命ながら重要だ.

世界史板,2011/06/17(金)
青文字:加筆改修部分

 補足すると,ティムール朝からシャイバーン朝へと変わる頃には,ティムール朝の領土は,ほとんど現在のアフガニスタンから中央アジアにかけてに減っていて,西部のイラン地域は,黒羊朝及びそれを倒した白羊朝が領有してたよ.
 だから普通は,イランの歴史にシャイバーン朝は含まない.

 ヘラートを滅ぼしたのはサファヴィー朝となってるけど,実際はシャイバーン朝だよ.
 そこだけ間違い.
 サファヴィー朝が滅ぼしたのは,当時イラン地域を領有してた白羊朝のほう.

オツガイ ◆EAbyJft1LY : 世界史板,2011/06/17(金)
青文字:加筆改修部分


 【質問】

 【回答】

602011/06/18(土) 02:35:58.35 P
ルターは結局助けてくれた諸侯への恩義へ報いて政治への改革には消極的だった
だから「ルターお前は甘いから俺がやってやんよ!」って過激なやつは何人か有名なやつ要るけど
神を否定して〜〜ってなると話が又別方向にいっちゃう


612011/06/18(土) 02:38:56.43 O
神の存在が前提だったのか
ミュンツアらはなんで暴れたの


622011/06/18(土) 02:42:20.77 P
>>61
アレは改革者というよりも過激派に近いだろ
農民の反乱を指揮するって言う名目で結局は自分自身が農民を弾圧したって言うよくわからん人物


632011/06/18(土) 02:43:15.88 P
ついでに↑の反乱はドイツ農民戦争ね

722011/06/18(土) 04:20:57.55 0
>>70
マクニールは駄目だと思うよ.
あれは教科書的すぎてすげーつまらん.

>>61
農民戦争において最も重要とされるロッツァーは農民に騎士を取り込むよう頼まれたから.
ミュンツァーは農民利用して都市部の拡大を抑えたかった感じ.
いずれにせよ神学は騎士層の取り込みに重要だった.鉄腕ゲッツにも見られるように,
騎士は農民が慕われ,とりわけ領主聖職者・都市層と敵対関係にあったから,
主に騎士を頼ることになった反乱では神学者の働きは農民を支援することになる.
しかし現実はそう甘くなく,盗賊騎士達は騎士戦争後に協調をなくしていたし,
都市行政は農民との妥協を求めていて農民も多くはそれに応じていたから,
神学者はとりわけ邪魔な反乱首謀者として後にスケープゴートに
されることになった.

ロートマン率いるミュンスターの乱はこれとはかなり違うね.
こっちの方は過激派と呼べる.

世界史板,2011/06/
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 我輩は歴史嫌いである.
 それゆえ私には,歴史に関して不可解な点が多数ある.
 その最もたるものを書く.
 ずばり,アレクサンドロスとか本当にいたの?
 証拠は?
 文献のどの箇所どの記述で,歴史家は彼の存在を確信したのだ?

 【回答】
 ポンペイウス トログスの「地中海世界史」,及び,アッリアノスの「アレクサンドロス大王東征記」が主要な文献.
 ストラボンやプルタルコス等にも名前が見られる.
 要するに主要な歴史家が記述し,考古学的にも軍事遠征の後が見られ,文化的にも歴史的変容の後が見られる事などから,少なくとも大和・武蔵が存在したといえる程度には,アレクサンドロスは実在したということになる.

 同時代の一次史料(大王の部下たちの従軍記)は,現代では散逸したものの,古代にはかなり残っていた.
 ピュロスもハンニバルもミトラダテスもカエサルも彼に言及し,エジプトには彼をファラオとして描いた浮き彫りがある.
 紀元前後にシチリアのディオドロス,プルタルコス,ストラボン,2世紀にアッリアノスが「東征記」をまとめたが,これらは当時残っていた一次史料(の写本)や,様々な記録・伝説を集成したもの.
 前2世紀末頃の「マカバイ記」では,ユダヤ人を迫害したセレウコス朝の起源として,アレクサンドロスの活動に触れているし,ゾロアスター教では彼を,「ペルシアを滅ぼし聖典を焼いた悪魔」としている.

 伝説的な人物とはなったが,各地に多くの記録や証拠物件があるのに,「アレクサンドロス大王が実在しなかった」と確信・断言することは,非常に難しいといえる.

 もし彼が実在しなかったと仮定すると,マケドニア王フィリッポスの後継者は誰だったのか?
 大帝国であったアケメネス朝ペルシアは,なぜ突如として滅亡したのか?
 エジプトからアフガニスタンにかけて存在するアレクサンドリア市を建設したのは誰で,これらの地域に大勢のギリシア人やギリシア的文化が,突如として出現するのはなぜか?
 エジプトのプトレマイオス朝,アジアのセレウコス朝などは,なぜマケドニア人の王家だったのか?
 そのほか諸々の説明がつかない.

世界史板,2011/06/18(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 クロムウェルだったか忘れたが,ヨーロッパに打撃与えるために航海法出したじゃん.
 あれ,なんの意味があったのだろう?
 根本から分からん.

 【回答】
「”豊かな国”とは何か?」
ということについて,昔は考え方が一定していなかった.

 現代人の模範解答は「GDPが多い国」だ.
 で,GDPというのは国の『生産力』を表している.
 つまり現代は,『生産力の高い国が豊かな国だ』という考え方を,皆が受け入れているわけだ.
 この考え方を『資本主義』と呼び,資本主義の考え方を整理したのがアダム・スミスだ.

(経済学ではGDP神話も崩れて,「野菜消費量」「消化器系疾患による死亡率」とかの判断基準も出てきてるけどな)

 で,『たくさん農産物が獲れる国が”豊かな国”である』という考えが重農主義で,『金銀をたくさん持っている国が”豊かな国”である』という考えが重商主義.
 クロムウェルの航海法は,この重商主義的考えの下,
『輸出して金銀を得るのが,国を豊かにする道である.
 逆に輸入は,国の富の流出につながる』
と考えて行ったわけだ.

 言わば,「輸出で得た金銀をタンスにしまっておくのが豊かだ」というもの.
 現代から眺めると不思議に見えるかもしれんが,当時は信用貨幣・管理通貨制の時代じゃなかったからね.
 今はお札刷りまくればいいけど,昔は貨幣に使える貴金属の量には限りがあった.

 ちなみに今でも,欧米の経済学者は半ば本気で,
「信用貨幣・管理通貨はイカサマだ.
金本制度に戻すべきだ」
と言っている.
 かと言って,今でも貴金属の量は,通貨にするには少なすぎる

世界史板,2011/06/18(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 朝日は三大紙の中でも,飛びぬけて反原発だったのに,転向して原発礼賛をはじめたのも一番最初」だったのですか?

 【回答】
 違うよ.
 最初は新聞各社こぞって原発礼賛だったんだ.
 なにせ最先端技術だったからね.
 当時の,まだまだ技術的に劣っていた日本にとっては,夢の未来技術だったんだ.

 たとえば東海村動力試験炉が,日本で始めて原子力発電に成功したときの,朝日新聞の一面トップ(1963年10月27日)は
「初の"原子力発電"に成功」
「日本も原子力発電への道を開いた」
 同じく社会面;
「見学者たちは,目の前に付けられた新しいエネルギーの色を,感慨深く見守った」

 ちなみに世界史的には,反原発運動の歴史はかなり込み入っていてな.
 各国政府の思惑が絡んで,イデオロギーでは分けるのが難しい.

 日本史的には,反原発運動は一貫して新左翼が主流だけどな.

世界史板,2011/06/23(木)〜06/24(金)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 戦前日本は天孫降臨神話が学校で教えられていて,進化論なんて反天皇的な言説は,一部の科学者しか信じていなかったの?

 【回答】
 いや,普通に進化論を信じてた.

 アメリカ軍の捕虜になった日本兵に,アメリカ軍が大真面目に進化論をレクチャーして,「いや,そんなことは知ってますけど…」状態になったっていうエピソードも残っている.

 もちろん戦前,天孫降臨神話を日本では歴史として教えていた.
 それは理科で習う進化論とは矛盾するんだけども,多くの人が「大人の事情」を察して,何も言わなかったってのが実情らしい.

 学問分野では,もちろん天孫降臨神話は神話として理解していたし,
(津田左右吉はそれを論文に書いたため,発禁処分を受けたが),
皇室の学問所でも皇族に,神話は史実とは違うと教えていた.

 祖父は戦中に初等教育を受けた世代だが,記紀の神代記の抜粋を教えられたが,皆,作り話として認識していたと言ってたよ.

世界史板,2011/06/25(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 日本の弓は,何で弓の左から矢を発射するの?

 【回答】
 どちらかと言えば,弓の内側に矢をつがえる(右利きなら弓の左)方が,狙いをつけ易い.
 狙いを定めるために必要な視点は,身体の中央線上に極めて近い位置にあるから,できることなら矢全体も,体の真正面方向に向けたいところだ.

 だが日本の,特に平安時代以降の弓は,使い手の体格に比して著しく長大化した.
 矢も弓のサイズに応じて長くなった.
 それゆえ,箙から矢を抜き取り,弓につがえるまでの一連の動作が,身体の外側を大きく回して行なう必要が生じた.
 特に甲冑を装備して弓を構えるとなると,矢を弓の内側に持ってくる作業だけでも,あちこちに引っ掛かってしまい,非常に効率が悪い.
 それで日本の弓は,矢を外側につがえる作法に変化したが,世界的に見ればむしろ例外的とも言える.

世界史板,2011/06/27(月)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 近世以降の騎兵の運用について勉強しているんですが,胸甲騎兵やらなんやらで,良くわかりません.

 全身甲冑の中世騎士のような存在は,その装備の重さ故に鈍重だったため,鎧を纏わず,軽銃器で攻撃する竜騎兵に一方的に攻撃される形で,戦場から姿を消したものの,軽銃器のみの攻撃では,同数の歩兵にさえ火力で劣り,コストで劣るので,竜騎兵は重騎士の存在しない戦場では訳に立たずとなってしまい,過去に回帰する形でサーベル突撃が流行り,半装甲で火器を装備した胸甲騎兵や槍騎兵が産まれ,以降の騎兵は機関銃や戦車によって用をなさなくなるまで,各軍の便利都合で軽騎兵やら重騎兵として運用された.
……というような認識に至ったのですが,これで悪くないでしょうか?
 補足等あったらお願いします.

 【回答】
 一応,騎兵はまだ残っているんだがな.
 RPGとAK47とサーベル持ってターバン巻いたチェチェン・ゲリラ.
 山岳地帯の時代錯誤な姿は,滑稽を通り越してかっこいいと思うんだがどうだろう.

 軍の話をすると,騎兵(兵種でなく,馬に乗った人でいいよね)の最終的な形態は一応,ロシア革命と内戦における赤軍のタチャンカ.
 要するに馬に機銃積んだ台を曵かせて撃ちまくるんだけど,進行方向と逆にしか攻撃できない上,狙いを定めるには直線を長く走らせる必要があるというアレな代物で,市街戦での限定的な活躍しかしなかった.

 対歩兵戦でも複雑な陣地構築が可能になると,著しく戦闘力が落ちる.
 クリミア戦争におけるコサックの戦闘力(アルマは別ね)が証明するように,火砲と騎兵の連合は近代野戦では欧州最強の陸軍とさえいってよかったが,それでも火器の発展と人員の拡大には耐えられなかった.

 第2次世界大戦では,内戦時に痛い目見たポーランドが実戦運用してみたけど,周知の通り無作為に投入して市街戦で活用しなかったため,サーベル突撃と同等とさえ見なされる羽目になった.

 余談だが,高杉晋作も騎兵隊をつくろうとした.
 だがなんせ,あのころの長州では馬が集まんねぇ..
 それで馬なしで編成した.
 それが奇兵隊だ.

世界史板,2011/06/28(火)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 英仏は南北戦争で,何で南を応援しなかったの?

 【回答】
 南部は,発展した綿花栽培を『国外欧州に輸出したかったので』,南部が自由貿易を望む側,
 北部は,アメリカ国内での北部工業製品の競争力を維持したいので,保護貿易側.
 単なる貿易面からすると,自国内を荒らしそうな南部の綿花流入の方が,欧州はヤバイ.
 って言うか,自由貿易・保護貿易云々が主眼じゃなくて,元々のフランス領植民地を併合されたから,南部に旅愁があった部分と,フランス人権思想の面からの,奴隷制打破の北部支持とコンフリクトしてたのよ.
 だから両派のロビー活動が激化してて,結論が纏まらないうちに戦争が終結しちゃった.

 地政学的な戦略論からすると,フランスは南部加担でフランス寄りか属国化するか,アメリカ国内を二分化したままの状態にするのが得策だった,
 でも現実は,理屈通りにはいかないものみたいですね.

世界史板,2011/07/11(月)
青文字:加筆改修部分


 【反論】
 そもそも幕府に「鎖国した」っていう意識はなくて――「鎖国」という言葉自体,江戸後期に翻訳・造語された言葉だ――,日本人の海外渡航や帰国を禁止したり,宣教しようとするスペインやポルトガルを閉め出したりしていただけ.
 貿易のうまみがなくなってきたので,英国は勝手に対日貿易から手を引き,結果的に西洋ではオランダだけが残ったが,幕府は別に,西洋との貿易自体をなくしたかったわけじゃない.

 【再反論】
 原則自由,個別の事情により禁止する場合がある …… というような場合は,鎖国と言わん.
 ところが徳川政権の時代には,原則禁輸で,個別に許可.
 その許可も一港に限定,だよ.
 十分に鎖国だわな.

 「西洋との貿易自体をなくしたかったわけじゃない」ったところで,西洋にどんな国があるのかサッパリ知らん知ろうともせん.
 結局,定期的にやってくるオランダに認可を出しただけ.
(余談だが,新井白石のオランダ風説書のようなものだけが,正規ルートでの幕府の情報源なのだが,今見るとオランダの情報操作はすさまじい.
 江戸初期の体制が,海外でどのように崩壊したかは,かなり改竄されて伝えられていた.
 アヘン戦争とかは,さすがに幕府の首脳に伝わってたけど.
 オランダに不利な植民地政策の話とか,世界の海でのオランダの地位低下は,すべて削除されていた)
 認可した国の船が入るのも,定めた一港のみ.
 日本人が外国に出向くことは禁止.
 出たら帰国禁止.
 これが鎖国でなくて,なんなんだろうね?

 蛮社の獄とか蘭学者の弾圧もあったし.

世界史板,2011/07/14(木)
青文字:加筆改修部分


 【追記】

2082011/07/17(日) 12:40:18.85 0
戦時中の日本人の本音

『諸君
日本は何故今度の戦争をやつてゐるんでせう
苛烈な戦争を幾萬の生命物資を消費して何が聖戦でせうか
満州支那いや世界を制覇しようとするのでしよう
侵略主義の日本の政治家よ
正義は何時でも勝つ
欺まん何時の時代でも永続きはしない
日本も滅びる時が来たのだ
噫――同胞よ反対せよ』

『日本は宣戦布告と同時に真珠湾を急襲したが為斯様な戦果を得たもので言わば空き巣狙をしたものだ
宗教と戦争は別物だ,アメリカ人だつて魂は持つて居る,日本がこの戦争に敗けても
アメリカ人は其の国民性として日本人を奴隷にしない,憎むべきは戦争で戦争は罪悪である』

「諸君,国内の現状で戦争に勝てると思ふか.軍人官吏や戦争成金共だけ
不自由なく暮らして行って滅び行く中産階級以下は喰うに米なく衣物なく
只働け働け貯蓄せよと怒鳴り付けて居るではないか.
戦争に行って皇国を安泰にするには彼等戦争を好いことに儲けて贅沢をして
居る奴等を皆殺しにしなければ駄目だ.
戦争の為に死んで行くあはれな我が子を我が夫を殺した者は敵ではなく戦争で
儲け戦争で出世する戦争商だ.万朶は散って一将の功になり一億の国民は
途端に喘いで軍需商共は肥える一方ではないか」

「こんな勝ち目のない戦争をする阿呆見た事ない.もっと廻りを見てから戦争せい.馬鹿野郎」


「特高月報」に見る庶民の本音
http://www10.ocn.ne.jp/~war/tokkou.htm

世界史板,2011/07/17(日)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 チャーチルもFDRも,ドゴールの事は大嫌いだったんだろ?
 なんでそのドゴールを2人は,戦後のフランスの代表にしてあげたの?
 カサブランカ会談はドゴール排除が目的だったと思うし.

 ライバルのジローがどうしようもない,使い物にならないバカだったの?

 【回答】
 まずチャーチルは,戦後西側世界でアメリカが力を握るだろうから,植民地主義を押し立てる盟友を欲していた.
 ドゴールはロンドンにあって,チャーチルを粘り強く説得する機会もあったしね.

 それから当時のフランス人感情としては,イギリスべったりは嫌われるものであり(ダンケルクの撤退を「見捨てたもの」と考えられた),また「イギリスの傀儡自由フランス」は,ヴィシー政権のプロパガンダでもあったため,ドゴールがある程度尊大に振舞うのは,チャーチル自身黙認するところであった.

 FDRの方はというと,ドゴールにとってかなり手強く,国民に選ばれたわけでも無い一介の士官を,フランス代表とするのに強い拒否感を示し,ドゴールを独裁的として,ジローを担ぎ出した.
 ところがジローは旧ヴィシーの人間を重用し,ペタンの肖像を飾るような人間だったことや,カトルーの工作によってジロー派の陣営が崩されたこと,何よりフランス本国のレジスタンスが次々と,ドゴール支持を表明したことで,アメリカもドゴールが主導権を握ることに同意せざるを得なくなったわけ.

世界史板,2011/07/18(月)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 フランス革命のあと,なんであんなにコロコロ政体が変わったのか教えてください.
 第二帝政のあとは,そんなことなかったのに…

 【回答】
 フランス革命ってのが,自由主義貴族,新興ブルジョア,百姓,無産市民……,様々な階級の様々な思惑が絡んでいて,外交関係含めたシチュエーションが,コロコロ変わっていったということなんだろうと思う.

 フランスという国では,どーいうわけでか知らないけど,パリ市民を中心とした一般ピープルの,政府への暴力を伴う抗議・破壊活動というのはハンパでなく,フランス革命,七月革命,二月革命と時の政府を転覆させてしまう.
(パリ・コミューンだってあるし,現代になってからもド・ゴールを退陣させたのは学生市民の抗議活動だし,数年前にも人種差別に反対する暴動があったなあ,官憲が弱いのかなあ)

 フランス革命でいうと,封建的特権が当初,有償廃止という条件だったことが,百姓の不満高まらせ,ジャコバン派の狂気の独裁,封建的特権の無償廃止へとつながる.
 百姓は土地を手に入れると,共産主義的で私有財産廃止とか言い出しかねなくてやってることがキチガイじみたジャコバン派見限り,それ以降はカトリックの復活とかナポレオン独裁とかでの支持勢力となる.

 それと,帝政が崩壊すると王政復古したのは,ナポレオンを破った英国,オーストリアなどの諸外国が,ヨーロッパをフランス革命以前の旧秩序に戻したかったから.
 フランスの方でもブルボン王朝復活さすことで,
「革命共和制も,手前どもも望んでいません.
 手前どもはフランス革命に熱狂した愚民と,その上に君臨したコルシカの田舎もんの犠牲者なのでございます. どうか寛大な処置を」
と,正統主義を言いくるめる口実にもなった.

世界史板,2011/07/18(月)〜07/19(火)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 GHQって連合国の軍隊なの?
 軍隊とどう違うの?

 【回答】
>6. 日本を世界征服へと導いた勢力を除去する.
>7. 第6条の新秩序が確立され戦争能力が失われたことが
>  確認されるまでの日本国領域内諸地点の占領
>10.日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではない.
>  一切の戦争犯罪人の処罰.民主主義的傾向の復活強化.言論,宗教及び思想の
>  自由並びに基本的人権の尊重は確立されること.
>11.日本は経済復興し,課された賠償の義務を履行するための生産手段のみを保有出来る.
>  戦争と再軍備のためのそれは認められない.
>12.日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立.
>  これが確認されたら占領は解かれる

 ポツダム宣言からの抜粋ですが,要するに,
『日本国国民の人権は保障するし,皆殺しにするわけじゃありませんよ,
 でも,平和な国民になったと判るまで,連合国が指導します.
 よろしいですか?』
 こういう感じの概略内容の事を,終戦和平交渉の内容を,日本は無条件降伏と同時に受け入れた.

 以上のような経緯があるから,GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による日本の占領は,降伏文書調印で日本が占領行為についても合意しているので,双方ともに合憲的な占領行為なのです.

 ですが,ソビエトはポツダム宣言に参加表明しているにもかかわらず,日本のポツダム宣言受諾後にも,ソ連対日参戦での「占守島の戦い」で占領作戦(戦闘行為)を開始しました.
 言わば『宣言を受諾すれば停戦するよー』と呼びかけたグループメンバーなのに,その合意を無視して戦闘行為を開始したのです.
 ですから上記のソビエト軍は,ポツダム宣言にもとずく双方合意の占領軍ではありません.
 双方が合意した連合軍占領部隊が,いわゆる進駐軍でして,GHQは 連合軍 最高司令本部ですので中枢指令本部です.
 連合国各国から派遣された日本占領軍隊の,総司令本部がGHQと言う訳です.

 GHQは条約にもとづいた内政指導機関(軍隊の統括管理を含む).実際は占領軍の方が重要じゃなくて,内政やらなんやかんやひっくるめて全面委任された機関なのよ,そういう条件を日本が停戦合意のなかで受け入れざる得なかった,だから 連合軍(実際にはほとんどアメリカ)の指導(拒否できない)と言う,名目上のアメリカの管理政策に従わなければならなかったんですよ.
 だから,通常の軍隊とは性質が全く違います.

世界史板,2011/07/22(金)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第1次世界大戦末期にルーデンドルフとヒンデンブルクは,ウィルソンの14ヶ条を受け入れて,議会政治に移行しようってヴィルヘルム2世に進言したそうだけど,なんで14ヶ条を受け入れる事が,議会政治に移行する事に繋がるんですか?

 【回答】
 14条自体は議会政治への移行を直接示してはいないけれども,帝政を廃止すれば必然的に議会政治にならざるを得ない.
 アメリカは大統領制の議会政治だし,イギリスも王制だが政治は議会が行い,君臨すれど統治せずの原則.
 基本的な職務は上院貴族の任命など.

 だが,ドイツやオーストリアに議会がなかったかというと,そんなことはない.
 皇帝と議会の関係は複雑で,議会によって皇帝の権限が縮小されることもあるし,皇帝自身議会の支持を失うことは,国民の支持を失うことにもつながる.
 だから「慣習」として,議会の意見は反映される.

 しかしこれはあくまで,皇帝が議会の顔色をうかがった場合の話.
 第1次大戦当時のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の先代は,議会やビスマルクの進言や欧州協調路線を支持したが,ヴィルヘルム2世は経済拡大路線へと舵を切った.
 議会の意見が反映されるか否かは,慣習の問題であって,結局は皇帝の判断次第.
 ヴィルヘルム2世も基本的には開戦を回避することを前提としていたが,おそらく外交文書の偽造や外交官の偏向報告による誘導,普仏戦争の教訓による即断主義,参謀本部への過剰な信頼からくる,シュリーフェンプランへの過剰な期待,拡大するドイツ工業力への信頼感など諸要因が重なり,慎重さを失ったのだと思う.

 議会政治を立憲主義と同議にとらえるならば,これは専制政治から立憲政治への移行ととらえることもできる.
 これは憲法の有無の問題ではなく,国家の指針の問題.

 ソースをたどらない範囲で,覚えていることを列挙すればこんなとこ.
 間違ってたらスマソ.

世界史板,2011/07/23(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 イランに代表される「イスラーム共和政」って,他の文化圏の共和政と違って,「イスラムなのに」という含みがあるように聞こえるのですが,イスラムの教義では共和政体は,本来ありえない物なんですか?

 【回答】
 別にそんなことないでしょ.
 現在,イスラーム圏で共和政を採用してるのは,イラン以外にもたくさんあるし.イスラームに基づく共同体の事をウンマと言うんだけど,それはイスラームの教義に基づいた統治が行なわれてれば良い,とされてるからね.
 「イスラーム共和政」という言葉はイスラームであり,かつ,共和政という意味だけだよ.
 シャリーアなどイスラームの教義が,深く政治に関わってる政体を,そう言うだけ.

 むしろ「共和政なのに」という含みのほうが,ある気がする.
 共和政を採用してても,政治にイスラームを関わらせてない,トルコみたいな国もあるからね.
 それらと対比させて使う言葉のように思える.

オツガイ ◆EAbyJft1LY : 世界史板,2011/07/23(土)
青文字:加筆改修部分


 【追記】

5282011/07/27(水) 15:09:53.19 0
>>523
だれも「過去を神聖化」なんてしてないよ.
学問としては無意味だからやらないってだけ.

>if的な思考は,過去を捩曲げる性格をもつよりもむしろ,これから起こりうる変
>化に対して多大な影響を及ぼしうる重要なものだと思われます.

「もし」を考えることって,架空歴史小説を書くことと同じ.
架空歴史小説が人類にとって,そんなに重要だとは,まったく思わない.
それよりも,『無数の「もし」が実現せずに,過去がこうなったのはなぜか』,それを考察することのほうが,
歴史の教訓を学ぶことになり,よほど「これから起こりうる変化に対して多大な影響を及ぼしうる重要なもの」だ.


「もし」本能寺で信長が死ななかったら.
日本は鎖国せずに世界に打って出て,植民地開発をして,・・・・.

あるいは

「もし」朝鮮出兵が成功していたら?
「もし」関が原で小早川秀秋が裏切らなかったら.
「もし」ロシア艦隊が対馬海峡を通っていなかったら.

「もし」と考えたくなる事象は,歴史上に無数にあって,
「もし」で仮定した歴史のなかにも,さらに「もし」が連鎖的に考えられて,
SFのパラレルワールドのように無限の数の並行世界が想定できるのに,
そのなかの,だたひとつの「もし」のストーリーをことさらに取り上げて考察することに
なんの意味があるのか.
しかも,そんな「もし」の結果を考えても,証明のしようがないから学問にはなりえない.

5302011/07/27(水) 18:59:09.31 0
いいIFと悪いIFがあるわな

「もし織豊の頃ルソンに…」ってのはいいIF
書状がある

「もし織田信長が生きていて世界制覇したら」っての悪いIF
ただの漫画だ

5322011/07/27(水) 23:07:16.13 0
大戦争の勝敗・和戦とかが大きく変わる仮想戦記って,文庫では多くても
映像娯楽化される事は殆ど無いよな.旭日とかは珍しい部類

その結果としての世界を土台に,アクションやラブロマンスやる程度.
(最近ならCHASSERNとかK-21とか)
「歴史のif」ってのは結局学問というより娯楽の域を出てない.

石田三成やハンニバルを悲劇のヒーローにはしても,
彼らが最終勝利した歴ifには大衆の人気が集まらない

世界史板,2011/07/
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 映画の話ですいません.

 『パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉』を観ました.
 ここにジョージ2世が登場したのですが,ジョージ2世の頃だともう,海賊なんて時代遅れで勢力は無いと思いましたが,ジョージ2世時代も海賊はいたんですか?

 あと,生命の泉を求めてイギリスとスペインが競っている場面もあるのですが,この頃のスペインはもう没落していて,完全にイギリスの敵ではないと思うけど,どうなんでしょうか?

 やはり映画と言うことで,時代考証はなされていないのでしょうか?

 【回答】
 ジョージ2世時代どころか現代でも,ソマリアやインドネシアあたりにゃ海賊が横行しとるが.

 ジョージ2世の在位は,1727〜1760だな.
 黒髭ことエドワード・ティーチが討たれたのが1718年.
 女海賊アン・ボニーとメアリー・リードが逮捕されたのが1720年.
 英国で海賊法が成立するのが1721年.
 デフォーがチャールズ・ジョンソンの筆名で,『海賊全史』を出すのが1724年.
 ちょうど,カリブ海賊の全盛期が終わるのがジョージ2世の前のジョージ1世時代,というところかな.

 まあ,全盛期を過ぎたとはいえ,海賊がすぐに一掃されたわけでもないだろうから,ジョージ2世の時代ぐらいなら,まだいてもおかしくないだろう.

 あと,スペインについてだが,1739年にはスペインと英国間で「ジェンキンズの耳戦争」(〜1748)が勃発している.
 まあ,スペインは負けるんだけどね.

世界史板,2011/07/28(木)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 【回答】

6802011/08/01(月) 00:50:07.34 0
>>678
劉邦に関しては,漢代の学者が徳と天命を強調しすぎたのが大きいんじゃないかな
あの国は徳>才能だから,才能に優れた項羽を徳がある劉邦が破ったことということにして,
劉邦に天命が転がり込むのは必然だったと言いたかったんだ

実際は韓信に「十万の将」と評されるほどの軍才があって,頭も相当切れるんだけどね
精力的で気性が激しくて協調性がない典型的な欧米風のワンマンだし

東洋の有徳者信仰も,協調性に富んだゼネラリストが貴重だからゆえなんだからだけどね
そこらへんを履き違えてる人が多いね


6812011/08/01(月) 00:53:44.28 0



6822011/08/01(月) 01:22:01.96 0
韓信は,自分は兵の数が多いほどよい,と言って,自分の将才の方が劉邦より上だとしていたんじゃなかったっけ?
で,劉邦に,じゃあなんでおまえは俺に捕まった,と問われて,陛下は兵に将たることはできないが将に将たる器
だからだ,みたいな返答をした
たぶん,作り話だろうし,もし実際にそんな会話をしたとしたら,劉邦のご機嫌をとるためだと思うけどね


6832011/08/01(月) 01:54:28.82 0
>>682
韓信は劉邦に「勇猛さや慈悲深さでは自分は項羽に及ばない」と言わせるように誘導尋問するような面の皮の厚い人間だし,
劉邦について語る時に厚遇してくれたことへの感謝は述べるものの,君主としての度量を評価することは初対面から王位を剥奪されるまで一度もなかった
伝記を読むと才能に強い自負がある反面で,人情への理解の薄い人物像が伺えるので,
「誰にも負けない才能がある自分がこんなことになったのは,天命がなかったからだ」と負け惜しみを言いたかったように思える
将の将たる器を「天与」と言っているし

世界史板,2011/08/
青文字:加筆改修部分


 【追記】

7132011/08/02(火) 02:15:18.53 0
>>707
モンゴル人やチベット人やイスラム教徒や西洋人に国を渡すようなことがあろうとも,
漢人にだけは渡してはならない.
国が傾きかけてるときにだれだったか満洲人の高官が言った言葉.
ちょっと遡って,モンゴル帝国全盛期,中華帝国の世界観だと,
元朝は,モンゴル人から中華帝国の皇帝が出て大都(北京)に都を置いて支那圏を中心に世界支配した.
夏季には上都へ避暑に出た.
当のモンゴル人やその手足となっていた色目人の世界観では,
大モンゴル帝国は,モンゴルのザナドゥ(上都)を中心に多くの直轄地と属領を従え,金・宋の故地に置かれた
大ハーンの荘園である大元国もその多くの属領の一つであり,冬季には漢人や南方の属国から貢納徴税の
ために大ハーンも大都を訪れた.
というもの.
清朝の満洲人もモンゴル帝国と近い世界観を持っていて,北京こそ本国(満洲)と漢人属領地帯の共通の首都
だけれども,あくまでも満洲が本国で,漢人は二等民で漢土は属領,本国部分には漢人の立ち入りは厳しく制限
があり,藩部とはいっても,漢人の中華思想でいう夷荻の地ではなく,皇帝直轄ではないくらいの意味.
漢土の皇帝が最上位で蛮夷を支配する,ではなく,モンゴル人や回教徒トルコ人に対してはモンゴル帝国帝室
より帝国支配権の禅譲を受けたという立場で支配権を行使,チベットに対してはモンゴル帝国の持っていた
盟友関係の地位を引き継いだものとして政治・経済・軍事の面で庇護するというもの.
モンゴル帝国が支那圏支配のために大元国を置いて漢人を支配したやりかたを踏襲しているので,大ハーン位が
中華帝国皇帝位よりも上位.

7152011/08/02(火) 06:03:13.42 0
>>713
理屈としては変.実際の清朝には宣撫司・土司地域の「島」があり
内陸にいくと不連続的・モザイク的に現れる.
その奥へいくと弁事大臣配下の藩部があり,最辺部には将軍府支配下の清朝直轄がある.
東北三省と新彊に直轄の将軍府が存在した.
清朝の統治方法は,詳細にみてみると,元朝と似ているが手法も世界観も似て非なるもの.
元朝の世界観を踏襲とする理屈が変.

7172011/08/02(火) 10:30:41.00 0
>>715
漢土の皇帝として支配しているところ,
大ハーン ⇒ 漢土の統治機構 ⇒ 地方支配
と,いうふうに中華的なところと,
漢土の皇帝の支配の及ばないところを,大ハーンの権限で統治しているところと,
あめわけよ.遠方(内陸)のところは大体後者だ.
「内陸にいくと不連続的・モザイク的に現れる」というのも,ここらが,漢土の統治機構で
やってるところと,律令制ではなく,大ハーンとの或る種の中世的封建的な関係での
支配のところとが,入り乱れているところ.

7252011/08/02(火) 23:56:05.24 0
>>717
元の時代に大理国を分解して土司にしてしまったところが多いから
もともと宋の支配が及んでいたかというと疑問符な場所が多いな.
大理以外だと,苗族地区も変形した土司地区みたいなものだな.

世界史板,2011/08/
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 FDRの狙いは,コミュニズムとナチスのつぶしあいだろ?
 それをパールハーバーの流れで,ナチスに宣戦布告されて戦う羽目になって,結果的にコミュニズムを助けてしまう形は,正直FDRとしては不本意じゃないの?

 ていうかコミュニズムのほうが,当時の米国にとって相容れない体制じゃないの?

 【回答】
 ソ連の防波堤として仄かにナチズムに期待していたのは,英仏のような西欧諸国の話であって,20年代から30年代前半まで,アメリカの方針は西半球モンロー主義により,ドイツやソ連のような遠隔地の全体主義国に対しては,一歩距離を置いた立場.
 大戦が始まる前から,「ソ連とドイツを潰し合わせれば〜」なんて都合の良い戦略過ぎるし,当時の為政者の状況認識を無視している.

 アメリカ共産党っていうのがあってね,大恐慌前後から30年代にかけて,反ファッショや労働運動・公民権運動などで,そこそこ支持を集めていた.
 だが,ファッショも共産主義も非主流.
 どこまでいってもそれは変わらなかった.
 だから「どちらが相容れないか?」なんて質問は,「どちらも相容れない」でお終い.

 また,FDR個人に関して言えば,その周りにはスターリン・マンセーな記者とかがいて,スターリンにとって都合のいいことばかり吹聴したり記事にしたりしたものだから,コミュニズムの脅威なんてFDRは全く考えてなかったっぽい.

世界史板,2011/08/03(水)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 漢時代の匈奴とかの脅威,晋以降の北方民族の南下があったから,三国志の時代に攻め込まれるとアウトだよな?
 諸葛孔明あたり,魏を北方民族と挟み撃ちする計画とかなかったのかしら?
 孟獲なんかとの関連で,他民族との関係は重要って認識だっただろうし.

 【回答】
 そういう形の計画はない.
 三国志の時代は,北方西方異民族であっても,漢姓で記されているから.

 まず後漢によって,北匈奴が西域の向こうまで追いやられた後,鮮卑が軍事的空白を埋め,北方を支配したのだが,これが結局檀石槐個人のカリスマによる一時的支配に終わり,檀石槐の息子が,黄巾以前で後漢の民にも地力があったとはいえ,後漢のただの農民に射殺される事件が起こって以降,北方は四分五裂.
 鮮卑自体が軻卑能鮮卑以外にも多くの部族を有する状態で,個々の部族の統一すらままならない状況だった.
 もちろん,田豫などの将が不和を利用して,一体にならないように努力していたことの成果という側面もあるが,北方民族が少なくとも有名部族ごとにほぼ一体であった漢代とは,脅威としては比べることが出来るレベルには達していない.
 つまり,相手も分裂して決め手に欠いていたので,お互い様だった.

 あと,何か急に南下侵攻してきて負けたみたいな語弊のある書き方をしている教科書や概説書もあるが,五胡の部族は全て後漢前期には強制移住させられて,最初から支配下の郡に住んでおり,西晋は,八王の乱ではそもそも最初の人口が少ないにも関わらず,後漢末の方がマシかも知れない勢いで自壊しているので……
 実はこの時も,北方民族自体がそこまで脅威だったかと言うと……

 魏は匈奴・鮮卑をとりこみ,山西省および河北省の一部に入植させている.
 蜀は西北系の羌系民族のとりこみを,積極的に行っている.
 孟獲のような南方タイ系(象使いの同盟者がいる)民族も懐柔している.
 呉に関しても,トン族系らしき越(タイ)系民族を動員している.
 これらは全て漢姓で記述されていて,固有の部族名のほうは判明していない.

 異民族のままではなく,五胡十六国や北朝の前駆のような状態での同盟はあった.
 三国鼎立により,周辺に領域が拡大する過程で,異民族との接触はすでにあり,独立勢力のままにしておいて利用するというわけではなかった.

 ただし,孔明と鮮卑の連携はあったらしい.
 鮮卑大人の軻比能は,魏と和戦を繰り返していたが,231年に孔明の北伐に呼応して南下し,233年には敵対していた歩度根や泄帰泥をも招きよせて,魏を攻撃しだした.
 しかし235年,軻比能は并州刺史の放った刺客に暗殺されている.

世界史板,2011/08/06(土)〜08/07(日)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 朝鮮や倭は,三国志の頃は魏の属国だったんだっけ?

 【回答】
 238年に公孫淵が討伐されるまで,朝鮮半島はおおむね遼東公孫氏の統治下.
 北朝鮮西部は楽浪郡で,ソウルのあたりには3世紀初頭から帯方郡が設置された.
 半島東部の穢族は,後漢頃から郡県跡地の委任統治を任され,中朝国境付近にいた高句麗の属国になっていた.
 半島南部には馬韓・辰韓・弁辰.辰韓と弁辰は中国系移民らしいが,馬韓は魏の統治下に入っても,高句麗ともども反乱を繰り返し,何度も討伐されている.

 倭国には統一政権はないものの,邪馬台国のもとに多くの国が連合しており,公孫淵討伐の際には,いち早く魏に遣使して「親魏倭王」の金印を得た.
 後漢初期から朝貢遣使はしているが,征伐を受けて直轄統治されたわけでもない.

世界史板,2011/08/06(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 江戸幕府は諸侯の反乱を防ぐため,参勤交代や手伝普請を大名に行わせていますが,海外でも似たようなことを行ったのでしょうか?

 【回答】
 江戸幕府の場合,周囲を海に囲まれて外敵に襲われる危険があまりなく,また国内にも民族的対立や宗教的対立は少なく,島原の乱のような例外をのぞいて,大規模な民衆反乱も歴史上あまり起きなかった.
 だから,警戒するとすれば諸侯自身の反乱なので,参勤交代や普請でその経済力,軍事力を削ることに意味があった.

 一般的な国では,陸続きの敵国があったり,国内に対立の火種があったり,ちょっとしたきっかけで民衆反乱が 起こったりするから,それらを防ぐための軍事力は,地方領主に持たせておかなければならない.
 むろん,その領主が反乱することもあるから,バランスが難しい.

 中国の諸王朝は,地方に封じた王が力を持ちすぎないよう,監視役の宦官を派遣するなど,いろいろ圧力をかけたりはしている.
 永楽帝の例のように,その度がすぎてかえって反乱の原因になったりすることもある.
 が,制度として参勤交代のようなことをしていなかったのは,その辺に理由があると思う.

世界史板,2011/08/08(月)
青文字:加筆改修部分


 【質問】 ミャンマーってあんまり印象の無い国なんだけど,どんな歴史あるの?
 周辺国の歴史だと,周辺に戦争仕掛けまくってるのに,覇権を握れないって印象しかないんだ.

 【回答】
 紀元前後から9世紀まで,ミャンマー北部にはピュー,南部にはモンが都市国家を築いて繁栄していた.
 9世紀に雲南の南詔王国が,インドシナ各地を荒らすと,ビルマ族がこれを機に南下して,中部にパガン朝を立てる.
 11世紀にアノーヤター王のもとで勢力を拡大し,現在のミャンマーをほぼ支配下に治める大国となる.
 宋やインド,スリランカとも交易を行い,上座部仏教を導入して大いに繁栄した.

 13世紀末,パガン朝はモンゴルの侵攻で崩壊.
 北部にタイ系のシャン族,南部にモン族のペグー王朝が自立し,ビルマ族は逼塞する.
 しかしシャン族の諸王朝は,パガン朝の文化を引き継いでビルマ化した.

 16世紀になると,ビルマ族のタウングー朝が勢力を拡大.
 シャンやペグーを征服し,タイやラオスまで制覇.
 バインナウン王の死後,再び崩壊するも再統一し,18世紀半ばまで存続.
 タウングー朝滅亡後にコンバウン朝が起こり,アユタヤやアッサムにも侵攻するが,19世紀末に英国との戦争に敗れ,植民地化された.

世界史板,2011/08/16(火)
青文字:加筆改修部分


 【質問】 旧ユーゴスラビアは平和的に各共和国が独立,または連邦を存続したまま,資本主義体制に変えることは,何でできなかったんですか?

 【回答】
 ユーゴは,
「7つの国境,6つの共和国,5つの民族,4つの言語,3つの宗教,2つの文字,1つの国家」
と言われたほど,民族・宗教・言語が複雑に入り乱れているところ.
 そんな複雑な地域を,「1つの国家」にまとめたチトーという人物がすごいとも言えるが,いざ,その「1つの国家」のタガが外れると,それぞれの民族や宗教が,自分たちに有利な国を作ろうとする.
 そんな時の民族的なエネルギーはすさまじく,雰囲気は過激になりがちだ.
 当事者たちは,自分の所属民族の人々の幸せのためには,それがよいと信じてテロに走り,戦争を起こし,民族浄化を実行する.
 だからこそ始末が悪い.
 平和的な移行は困難だったろうね.

 体制が社会主義と連邦主義を標榜しているなら,資本主義化を目指す反体制は民族自決に結集する.
 特に東欧革命前夜の行き詰った経済状況なら,民族主義を煽る指導者がリーダーとなるし,連邦制度をも,自分達を苦しめている牢獄と見られて,敵視される.
 ユーゴ意識を守ろうとする人々もいたが,既に構成共和国間で分断が起きていて,団結する事はできなかった.

 ただ,資本主義化に関しては,比較的うまくいったというか,チトーも経済に関しては,徹底的な締め付けをしていなかったから――口が悪い人は,資本主義と共産主義の悪いところだけを合わせたような体制だといっているが――,それなりに適応している,または適応していたと言うべきかもしれない.

世界史板,2011/08/28(日)
青文字:加筆改修部分


 【追記】

4912011/09/01(木) 20:20:19.94 0
>>157
>史実で諸葛亮が丞相になれたのって,実は能力じゃなくて
>魏にも呉にもそれぞれ重臣としている名族,諸葛氏の力に配慮した結果だというのは本当ですか?

抜擢の理由は 本人の能力 >> 家柄だと思います.

確かに彼の一族は,当時の人から見てそれなりの名族といえると思います.
ちょっと三国志人辞典調べてみたけど,諸葛亮兄弟・魏の諸葛誕以外にも系図上の繋がりは不明ながら,
前後の時代で将軍や太守になっている人物が複数います.
諸葛亮兄弟や魏の諸葛誕の血縁者ならちゃんと明記されているので,
あまり血縁が近くない(つまりコネで出世したのではない)一族だと思われます.

統一されて平和になった晋以降は,神仙思想などの非実務的な面や
家柄のみが評価されて高官になったりしますが,
彼の生きていた時代は,後漢時代の買官に対する豪族の反感や,実務優先の戦乱の時代のため,
本人の政治・軍事などの資質が評価されて,周囲の評判が上がらないと推薦されないので,
あくまで本人の資質が評価されたのだと思います.


4922011/09/01(木) 22:20:47.84 0
そもそも名家でないと教養をたくわえられん
貧農からのし上がったなら歴史書に特筆されるだろう
庵でニートもできん


4932011/09/01(木) 22:56:44.19 0
黄承彦の娘婿なんだから,荊州時代の諸葛亮はニート生活ができましたよ.
自身の出自はともかく,諸葛亮の嫁の実家は名家ですよ.


4942011/09/01(木) 23:07:51.31 0
祖先の豊は前漢末の司隷校尉
父の珪は泰山郡の丞
従父の玄は豫章太守(ただし袁術の部下扱い)
妻の父・黄承彦は蔡瑁と劉表の義兄(妻が蔡瑁の姉)


4952011/09/01(木) 23:11:23.38 0
諸葛亮の登用に関していうと,基本は,相性がよくて劉備に個人的に気に入られた(なにせ水魚の交わりだ)ことが大きいと
思うけど,各方面への人脈を期待されたという一面もあると思う
諸葛家が名家かどうかということよりも,重要なのは,知識人としてのコネクション,今で言う学閥のようなコネがあったことだ
家柄より本人の能力が重要というが,そういったコネを有していることによる情報力や外交能力も,本人の能力のうちだろう

世界史板,2011/09/
青文字:加筆改修部分


 【反論】

6752011/09/08(木) 01:10:52.08 0
>>670
よく云われるように,労働者に短期国債を求め不況を脱した政策はナチ以前の引き継ぎだが,
銀行の弊害と何より新しい政府への信頼がその元となったことを考えれば,
欧州通例の見解である「だからナチになる必要はなかった」はちと無理があるように思うな.

とはいえナチ以前の大不況ほどではないといえ,スペイン内戦に介入して
せっかく回復しかけた国庫が逆戻りする羽目になったのは確かだけど.しかも期待してた
スペインの資金はソ連に全部持ってかれたし.

外交面は親露(後に親ソ)でフランスとインテリ連中を取り合ったチェコ併合までは
ソ連嫌いの当時のヨーロッパにとっては「良い事」でしかないんだけどな.
現代史の何が駄目って,当時の価値観が今とまったく違う事に気づかず,今の価値観を
当てはめようとする傾向が近代以前より強い事だ.
本来ならチンギスハン,ナポレオンのように,ある程度,時代の差異を受け止めた上で
評価を下すべきなんだが.そういう意味では正しい評価自体がない.

世界史板,2011/09/08(木)
青文字:加筆改修部分


 【質問】 明朝時代の中国西域って,どこが支配してたの?
 永楽帝はなぜ西へ進出しなかったの?

 【回答】
 モンゴル系民族.特に西のほうはオイラート(瓦剌)部が有力.
 後の時代に,ジュンガルという勢力が台頭する.
 モンゴル系がオアシス都市を支配していており,現在のウイグルは被支配者側.
 同じ遊牧民でも明朝期はモンゴル系全盛で,チュルク系のカザフやキルギスが今みたいに多くいたわけでない.

 オイラート(瓦剌)部の王は,ラサのダライラマからの認証という形で,ハーンの位を名乗る.
 外国文献には,和碩特(Khoshut),固始汗(Gushi Khan)で検索するとこの手の経緯が書いてあり,ボルジギン氏(博爾済吉特,Borjigin)とは縁戚がないことはどの文献もほぼ一致している.
 ハーンの位を名乗るために家系偽装はしていない.

 14世紀頃まで遡ると,この資料が見通しがいい.

新疆におけるイスラム教の定着:東チャガタイ汗国
http://www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/slib/kiyo/Int/it2001/it200110.pdf

世界史板,2011/09/08(木)
青文字:加筆改修部分

 明代の東トルキスタンのほうって,モグリスタン・ハン国や,その後を継いだヤルカンド・ハン国なんかが主だったよね.
 あれらは,遡ればモンゴル帝国内のチャガタイ・ハン国の系統だから,モンゴル系が有力だったということになるね.
 その後は,オイラトの系譜に連なるジュンガルが征服するし.

オツガイ ◆EAbyJft1LY : 世界史板,2011/09/08(木)
青文字:加筆改修部分

 永楽帝は西域にも,陳誠・李暹らを使節として派遣してはいる.
 その見聞をまとめたのが,「西域番国志」「西域行程記」.

世界史板,2011/09/08(木)
青文字:加筆改修部分


 【追記】

7092011/09/09(金) 01:01:26.97 0
スペインが没落した理由ってなんだろうか?
仮に無敵艦隊でイギリスに戦争に負けたとしても
それまでの実績やノウハウがあるんだから
それなりには保てると思うんだけど
植民地のすべてを失うほどの影響力を無くすのは何か理由があるんだろうか?

ポルトガルやオランダの場合はそもそもあの海洋力を維持する事は無理な話なんだろうけど


7102011/09/09(金) 01:20:29.85 0
あれは象徴的だから話題になるけど,致命打ではないよな

内的には自治都市の反乱やアンダルシアの元ムスリムの反乱,オランダ独立戦争,ポルトガル独立戦争があったし,
外的には西仏戦争,三十年戦争,対オスマン帝国との海戦
そしてスペイン継承戦争へ

植民地はともかく,戦争が多すぎる


7112011/09/09(金) 01:24:07.14 0
そんなこといったらフランスは……


7122011/09/09(金) 01:37:34.96 0
新大陸の植民地でとれたせっかくの金銀が,多大な借金返済や戦争資金のためにヨーロッパの他国に流れたり,
絹などの贅沢品の輸入のためにフィリピン経由で中国に流出したりしてしまい,スペイン本国の発展になんら
寄与しなかったということもある


7132011/09/09(金) 01:38:32.35 0
金銀がとれてもインフレになるだけだろwww

7242011/09/09(金) 16:24:25.98 0
>>709-710
イギリスの海賊に富を奪われたからだ
って小林よしのりが言ってたけど?

7262011/09/09(金) 18:33:36.73 P
>>724
イギリス人は散発的にスペイン商船を拿捕したけど
銀の輸送船団や植民地に決定的な打撃を与えてはいない

というか無敵艦隊の敗北以後,逆に海軍力が強化されたからそれ以降は殆ど失敗してる


7272011/09/09(金) 19:04:07.42 0
いろいろあるな
銀の大量流入によるインフレやユダヤ人追放による経済悪化

世界史板,2011/09/
青文字:加筆改修部分


 【質問】
738 :世界史@名無史さん:2011/09/10(土) 08:40:15.89 0

                      ____    、ミ川川川彡
                    /:::::::::::::::::::::::::""'''-ミ       彡
                   //, -‐―、:::::::::::::::::::::三  ギ  そ  三
            ___    巛/    \::::::::::::::::三.  ャ  れ  三
        _-=三三三ミミ、.//!       l、:::::::::::::三  グ  は  三
     ==三= ̄      《|ll|ニヽ l∠三,,`\\::三  で       三
        /              |||"''》 ''"└┴‐` `ヽ三   言  ひ  三
         !             | /          三   っ  ょ  三
       |‐-、:::、∠三"`    | ヽ=     U   三.  て   っ  三
       |"''》 ''"└┴`       | ゝ―-        三  る  と  三
       | /           ヽ ""        ,. 三   の   し  三
        | ヽ=   、    U    lヽ、___,,,...-‐''"  三   か  て  三
.        | ゝ―-'′          |  |::::::::::::_,,,...-‐'"三  !?    三
          ヽ ""        ,.    | | ̄ ̄ ̄      彡      ミ
        ヽ、___,,,...-‐''"  ,,..-'''~             彡川川川ミ
          厂|  厂‐'''~      〇
        | ̄\| /


 【回答】
739 :世界史@名無史さん:2011/09/10(土) 11:31:09.46 0
         ∧ ∧
       ヽ(・∀ ・)ノ < ギャグでーす!
       (( ノ(  )ヽ ))
         <  >

世界史板,2011/09/10(土)
青文字:加筆改修部分


目次へ   「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ   サイト・マップへ

軍事板FAQ
軍事FAQ
軍板FAQ
軍事初心者まとめ