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 ただし,「である」「です」調の統一のため等の補正を除く.

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※荒れているため,レス回収基準は「Ver.7」


世界史なんでも質問スレッド 75
※番号間違い.本当は76.

目次

 【質問】 イギリスにとっては,本国から遠く離れた小島フォークランドなんかに,戦争する価値があったのでしょうか?

 【質問】 ローマの騎士階級とは,具体的にどのような人々の事を指すのでしょうか?

 【質問】 周朝を建てた文王・武王の存在は,確実なんですか?

 【質問】 共和制ローマ軍は,司令官が政治家あがりばかりだったのに,なぜそんな状態で,地中海を制する軍事強国になれたのですか?

 【質問】 第2次大戦へ参戦したかった合衆国(またはル大統領)の目的とは,なんでしょうか?

 【質問】 オレンジ公の称号は,果物のオレンジと関係あるんですか?

 【質問】 アレクサンドロスとキュロスは,どちらも一代で大帝国を築きあげましたが,アレクサンドロスの帝国が分裂して,キュロスの帝国が分裂しなかったのは何故ですか?

 【追記】 旧植民地だったASEANやその他アジアの国々がそれなりに経済成長してるのに,同じく旧植民地だったアフリカの国々が経済的に貧しいままなのはなぜですか?

 【質問】 トルコ支配下のアナトリアのギリシア語話者の宗教は,キリスト教だったのですか?

 【質問】 カリマンタン島が,ブルネイとインドネシアとマレーシアに三分されているのは何故?

 【質問】 清が太平天国以前までは,多民族からなる常備軍が軍閥化せず,一応中央がコントロールできていたのは,どういう理由でしょうかね?


 【質問】
 イギリスがアルゼンチンと,本国から遠く離れたフォークランド諸島の領有権をめぐって争って,本格的な軍事衝突に至ったのはなぜですか?
 イギリス本国から遠く離れた小島なんかのために,わざわざ軍を動員して戦争する価値があったのでしょうか?

 【回答】
 フォークランド諸島の住民は,すでにイギリス系が多数を占めており,彼らはイギリスに帰属することを選択していた.
 また,島自体の経済的価値は低くても,冷戦下の南大西洋における戦略的拠点としては重要.
 キューバやパナマで異変があった場合,太平洋とイギリスを結ぶ船は,南米最南端のホーン岬を通ることになるが,それには本国に属する補給港が,このへんに位置しているととても助かる.
 さらに,南米や南極での資源開発を進めるにも,ここが重要な基地になりえた.

 そして,かつての大英帝国の面影もなくなったとはいえ,少なくとも民主主義陣営であるイギリス(というかサッチャー)としては,国際法に反した「自国領土」への軍事独裁政権からの侵略は,法的にも英国人のプライド的にも許されなかった.
(まあイギリスは1833年から「実効支配」してるんであって,法的には微妙なんだが…)
 仮に出兵しなければ,大胆な国内改革で低下していたサッチャーの支持率は,さらにガタ落ちしたかもしれない.

 アメリカのグアム,インド洋真ん中のイギリス領チャゴス諸島,スペインのイギリス領ジブラルタル,フランス領タヒチ,
 一度得た既得権は手放さない,それが国家.

世界史板,2010/06/05(土)
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 【質問】
 ローマの騎士階級とは,具体的にどのような人々の事を指すのでしょうか?

 【回答】
 ローマの騎士階級(エクィテス)は,文字通りには「馬(エクウス)を持つ者」.
 旧来の貴族(パトリキ)には属さないが,平民(プレブス)の中でも多くの資産を蓄え,貴族や元老院議員に匹敵する力を持つようになった人々のこと.

 共和政ローマでは市民皆兵で,保有資産に応じていくつかの階級に分けられたが,特に資産の多い者には「重装騎兵」としての出陣が求められた.
 優秀な軍馬は高級品で,馬術はギリシャ・ローマ人には縁が薄く,騎馬民族でなければ富裕層しか馬には乗れなかった.
 現代でいうと,戦車とはいわんが装甲車を自前で準備できる感じか.
 元老院議員も戦場では司令官であり,馬に乗って戦うことが多かったが,エクィテス級の上層平民は,公職につけば元老院議員となり,新貴族(ノビレス)になることもできた.

 やがて,「元老院議員は商業を禁じる」とした法律が出来ると,こうした上層平民の一部は,経済活動のため元老院議員への道を閉ざし,エクィテスにとどまった.
 また,軍制改革によって市民皆兵でなくなり,重装歩兵と軽装騎兵が主戦力になると,「騎士」階級とは言っても実際には軍務につかなくてもよくなり,経済界で活躍する上層平民を指すことになる.
 キケロの親友だった大教養人のアッティクスも,代々のエクィテスで大金持ちだったが公職にはつかなかった.

 ただし,元老院議員が商業を禁じられたといっても,奴隷や解放奴隷,クリエンテス(部下というか子分)を使っての経済(貿易)活動は大いにやった.
 農業は,奴隷や小作人を大勢使った大規模農業.
 もちろんエクィテスも,大規模農業や海外交易,徴税業務の請負(&税金ピンハネ)に精を出した.
 クラッススなんかは元老院議員だが,当時のローマの歳入に匹敵する財産があったといい,この手の悪徳エクィテスたちを利権団体かつ票田としてたくさん抱えていた.

 さらに帝政になると,皇帝に仕える高級官僚として,軍団の指揮官や属州総督に任命されたりもした.

 帝政期の元老院議員の財産資格は,100万セステルティウス=25万デナリウス以上で,騎士階級の財産資格は40万セステルティウス=10万デナリウス以上.
 一般労働者の日当が1デナリウスという.

※ 一応は古来のパトリキ(貴族)とプレブス(平民)という分け方も残ってた.
 護民官はプレブスの権利を護る公職なんで,家門がプレブスでないと就任できん.
 だからパトリキ系のユリウス・カエサルは,護民官にはなれなかった.

世界史板,2010/06/11(金)
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 【質問】
 周朝を建てた,文王・武王の存在は確実なんですか?
 なんか神話めいてるような気がしますが…

 【回答】
 もちろん,史記等の史書のその時代についての記述を,鵜呑みにするわけにはいかないが,周王朝や殷王朝は確かに存在していた以上,殷に代わって周が勃興した時期の,周の君主自体はいただろう.
 それが後世に,文王や武王と呼ばれていると考えれば,文王,武王は「確実に存在した」とも言える.

 牧野の戦いで覇権をとったのが西周で,伝説では八百諸侯の軍勢をあわせて40万,対する殷が70万というが,さすがに誇張もいいとこだろう.
 一応,周軍には戦車300両,勇士3000,歩兵4万5000がいたとされる.

 『周礼』によれば,戦車1両につき馬4頭,御者1人,戟と弓を持つ重装戦士(貴族)が1人ずつ.
 これに甲士(武装した戦士)10人,歩兵20人が従う.戦車300両なら合計して約1万人.
 非戦闘員(輜重隊)を含めれば1両につき100人ぐらいはいたともいうから,300両で3万人.

世界史板,2010/06/12(土)
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 【質問】
 共和制ローマの軍司令官は,軍事の素人の政治家あがりの執政官や独裁官で,軍首脳部もほとんどプロの軍人がいない状態でしたが,なぜそんな状態で,地中海を制する強力な軍事力を持てたのでしょうか?
 共和制ローマの軍隊は,軍事の素人が率いても勝てるぐらい,軍制がしっかりしてたのでしょうか?

 【回答】
 当時は,政治も軍事も両方やらなきゃエリートじゃない.
 軍事作戦に政略は不要かといえばそんなことはなく,兵站を築いたり地元勢力と交渉したりするのも,司令官の仕事.
 このため,「ローマ軍は芸(アルテ)で勝つ」とも言われた.

 それに,ローマ兵は百人隊長を中核として,行動マニュアルが叩き込まれており,上からいちいち言われずとも,宿営地を築いたりしてきびきび動けた.

 また,人を率いて目的を果たすという「芸(技能)」があれば,それは政治でも役に立つ.
 一方で司令官の能力は,軍の勝敗に関わるから,無能な司令官は兵士にも人気がなく,すなわち平時の市民からの支持も得られないということになった.

 あと,独裁官は臨時職なので普通,軍隊を率いるのは執政官だが,執政官になれる資格は,40歳以上の元老院議員で,当然それまでにいろいろと実戦を積む.
 エリート階級の若者は,それにふさわしい文武の教育を受け,戦場へ士官候補生として送り込まれる.
 当時のローマは毎年戦争していたわけだから,実戦経験を積む機会はいくらでもあった

世界史板,2010/06/16(水)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第2次大戦へ参戦したかった合衆国(またはル大統領)の目的とは,なんでしょうか?
 米国の主敵は独逸だったというのが一般のようですが,その最大理由はなんでしょうか?
 米国の国力ならば直接参戦でなく,対独交渉で十分に優位に立てたと思われます.
 欧州独占が狙いであれば,独ソ開戦前に参戦すべきで,史実の太平洋経由は迂遠と思われます.

 【回答】
 ルーズベルト曰く,
「欧州やアジアの戦争は,アメリカに関係ないという人たちがいる.
 しかし戦争を引き起こしている者に,アメリカにつながる大海原の支配権を渡すわけにはいかない」

 アメリカの領土は,2つの大洋に護られた北米大陸だけではない.
 ハワイや米領フィリピン,中国租界などにも米国の利権があったので,ここで日本と戦争をおっぱじめると,敗北はせずとも直接被害が及ぶ.
 だいたい,古代アテナイにもローマにも現代日本にも,「シーレーン」ってものがあるだろう.

 欧州にはそうした利権は少ないが,米国人の多くは欧州や英国から渡ってきた者であり,母国を蹂躙するファシズムにも共産主義にも,同調しかねる人々が大勢いた.
 亡命してきたユダヤ人もスラヴ人もいた.
 すでに英国にも中華民国にも,アメリカは大規模な支援を行っていたが,戦線ははかばかしくなかった.
 ここで食い止めておかないと「アメリカも危ない」と,誰も思わないだろうか.
 ナチスドイツにあっけなく蹂躙されるヨーロッパを見ていれば,ルーズベルトが不安に思うのも当然だろう.

 そこでルーズベルトは参戦前から,膨大な物資をイギリスとソ連に送って,事実上連合軍側として行動してる.
 ただ,国内世論が参戦を望まなかったため,物資援助に留まっていた.
 できればもっと早く参戦したかったはず.
 しかし,選挙公約で参戦しないって言ったんだから,それを撤回するのは容易な事ではない.
 チャンスを狙ってるうちにあの時期になった.
 それだけの事.

 政治や戦争には経済的な利権が絡むが,必ずしもそれだけではない.
 人や国が動く理由は恐怖や感情,宗教やイデオロギーなどさまざまだ.
 すべての出来事が経済的な理由で解決できたら,どんなにラクだろうか.

世界史板,2010/06/17(木)
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 【質問】
 オレンジ公の称号は,果物のオレンジと関係あるんですか?

 【回答】
 関係ない.
 南フランスのオレンジ公爵領の領主だからオレンジ公.

 オレンジ(オラニエ)公の名は,遡れば南フランスの「オランジュ」にある.
 オランジュは,ローマ時代の遺跡が世界遺産になってるぐらい古い町で,ケルト人の水の女神アラウシオが祭られ,町もアラウシオと呼ばれていた.
 前2世紀末にはゲルマン人が攻め込み,この地でローマ軍を破ったこともある.
 12世紀には小さな公国となり,やがてナッサウ家の一族に相続された.

 柑橘類のオレンジはインド原産で,サンスクリットではナガルンガと言った.
 なんでも「象が好む果物」という意味らしい.
 蛇神もナーガというが,象も鼻がナガいからかナーガというそうな.
 嘘のようだが本当だ.

 これがペルシャでナラング,アラブでナランジュ,イタリアでアランチャ(ナランチャ)と伝わり,中世に南フランスでアウランジャ,英語でオレンジとなった.

 なので,もともとアラウシオ(オランジュ)の町と果物のオレンジは全然関係なかったのだが,音が似ていることから12世紀頃から結び付けられ,今では町の紋章にもオレンジが飾られている.

世界史板,2010/06/19(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 アレクサンドロスの帝国とキュロスの帝国を比べて,不思議な事があります.
 どちらも一代で空前の大帝国を築きあげましたが,アレクサンドロスの帝国はアレクサンドロスの死後,あっけなく空中分解し,キュロスの帝国は分裂せずにさらに拡大を続け,繁栄を続けました.
 マケドニア帝国とペルシャ帝国のこの差は,どこから来ているのでしょうか?

 【回答】
 キュロスは生前から,後継者を息子のカンビュセスに定めており,代替わりには何の問題もなかった.
 これに対し,アレクサンドロスが急死した時,後継者は決まっていなかった.
 彼が死亡した時点で,正妃ロクサネは妊娠中で,腹の中の子はまだ男子かどうか分からない.
 たとえ男子が生まれたとしても(実際,男子で,アレクサンドロス4世となるが),赤ん坊だ.
 庶子ヘラクレスを後継者に推す者,アレクサンドロスの異母弟で,知的障害者のフィリッポス3世を立てる者,ロクサネの腹の子が男子なら立てるべきだと主張する者と,将軍たちの意見が分かれる.
 そんな状況だから,誰が後継者になったところで,たいして権威がなく,将軍たちを抑えられない.
 結局,実権を握るのは将軍達の誰かだ.
「大王の生前には同格の将軍だった,あの野郎の下につくぐらいなら,いっそ俺が王位を……」
ってことになり,将軍たちはディアドコイ戦争に突入,帝国は分裂する.

世界史板,2010/06/22(火)
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 【追記】

6402010/06/24(木) 18:18:41 P
旧植民地だったASEANやその他アジアの国々がそれなりに経済成長してるのに,
同じく旧植民地だったアフリカの国々が経済的に貧しいままなのはなぜですか?
そんなに土地の生産力や資源で不利があるとも思えないし,
白人の収奪の傷跡も,逆に植民地経営の遺産も両方残ってると思うので,
条件的にそんなに差はないと思うのですが?
6412010/06/24(木) 18:37:14 0
今まさに発展しつつあるという番組をNHKでやってる.ルワンダとか南アフリカとか.
6422010/06/24(木) 18:43:52 O
まずアフリカが貧しいというのは偏見だ
北アフリカ地中海沿岸,白人に限るにしても南アなどは,
東南アジアの最貧国よりはましな状態でやってきている
飢餓にあえぐほどにひどいのは紛争地帯に限られる
内戦の原因遠因については,旧来の部族対立からマフィアの利権までいくらでも求められる
6432010/06/24(木) 19:21:27 0
>>640
アフリカは植民地期間が長く,収奪が進行し,もともとあった社会構造がかなり壊された.
アジアは後から植民地化されたので,アフリカの経験から,現地の支配構造を残して,
その上から支配したので,社会の壊され方の程度が少なかった.

それとアジアは,中国やインドと交易があったり影響を受けており,社会的に先に行っていた.
東南アジアは唐,元の侵攻を受けたところもあり,侵略に強かった.

6482010/06/24(木) 20:10:12 0
>>640
植民地時代,経済は宗主国に頼りきりで,農業は商品作物のモノカルチャー中心,地下資源があっても
それを宗主国に持っていかれるだけだったから,地元に工業,商業が発展しなかった
だから独立しても地元資本の商工業がなく,経済基盤が弱い
結局は,先進国やその企業の資本と技術に頼るしかないから,商品作物や地下資源は安く買いたたかれる
その国の商品作物や地下資源が国際的に値崩れすれば,それだけで大不況
それをなんとかすべき政治家たちは,なにしろまだ民主政治に慣れてないから,身内をひいきしたり,
私腹を肥やしたりなんてことが目立ってしまう
そうすると,軍人が「あんな政治家に任せておけない,この国は俺たちがなんとかするしかない」と考え
クーデター発生
あるいは,民衆が「社会主義ならこの状況もなんとかなるかも」,と思って,革命発生
しかし,クーデターにせよ革命にせよ,商工業が弱いという根本的な問題を解決できないので,結局また
国はうまくいかなくなる
そうすると,またクーデターや革命が起こって政権が交代し……
政権交代がうまく進まないと,内戦に突入
そんなことを繰り返しているから,国はますます疲弊して経済が悪化するという悪循環

世界史板,2010/06/
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 【質問】
 トルコ支配下のアナトリアのギリシア語話者の宗教は,キリスト教だったのですか?
 イスラム教ならトルコに同化していいよね?

 【回答】
 改宗ギリシャ人もいれば正教徒もいる.
 ただしオスマン下では,非イスラム教徒はせいぜい二級市民.
 民族的にはどこからをトルコ人とするかは,実に微妙.
 アナトリアの山奥で遊牧生活をしていた原トルコ人(オスマン人)は,オスマン帝国にあっては極めて少数であり ,しかも皇帝はじめ帝国中枢にいるオスマン人は,早々に混血が進み,血統としては原形を止めていない.
 文化的にも同様で,なんでも外部から取り入れるチャンポン型の性向のため,固有のものをあまり持たない.
 オスマン帝国臣民としてのトルコ人もまた,本人たちでさえ自覚しない概念で,強いていうなら帝国に住み,オスマン語を話すイスラム教徒を,トルコ人と呼ぶ.
 ために,改宗して暮らすギリシャ系トルコ人というのもたくさん,というか混血も含めトルコ人のうちの何割かを占めるほどいる.

世界史板,2010/06/27(日)
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 【質問】
 カリマンタン島がブルネイとインドネシアとマレーシアに三分されているのは,どんな歴史的経緯があってのことなんでしょうか?

 【回答】
 カリマンタン島は,ブルネイ王国が全島を統一していた時代もありましたが,英国やオランダの進出により,次第においやられました.
 今の国境線は,英国領と蘭領時代の境界が反映されています.
 ブルネイはシンガポール同様に,マレー連邦に加盟する形の独立を選びませんでした.
 シンガポールはそのまま独立しましたが,ブルネイは1980年代になってから初めて独立を選びました.

 私見ですが,インドやパキスタン,マレーシア,インドネシア,ビルマなどでは近隣の藩王国やスルタン領などの併合や権限縮小化,あるいは植民地への武力併合,自治権限縮小化などがあったため,情勢を判断し,あえて英国内に留まったのではないでしょうか.
 50-70年代までは東チモールやゴアやマレーシアとシンガポールとの軋轢,緊張,藩王国の併合,侵攻ラッシュなど自立して生きるには難しい時代でした.
 ブルネイは天然ガスが豊富なため,マレーシアとインドネシアはもちろんイリアンジャワや東チモール,または国内のスルタン領の権限縮小化のように,いろいな意味で「関心」をもっていたと思われます.
 まあ,蛇足な話でしたね.

世界史板,2010/07/02(金)
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 【質問】
 唐が領土の拡大に伴い,節度使などの常備軍にシフトしていき,やがて常備軍が軍閥化してコントロールできなくなったのに,唐より領土が広い上に,征服王朝である清が,太平天国以前までは,多民族からなる常備軍が軍閥化せず,一応中央がコントロールできていたのは,どういう理由でしょうかね?

 【回答】
 任期をきめて,地方軍の指揮官を交代させてれば,軍閥化はふせげるよ.
 でも,非常時はそうはいかないもんな.
 有能な指揮官に軍団を把握させて,内乱や外憂が収まるまで対処させざる得なくなる.
 すると,どうしても軍閥化しちゃう.
 唐末,清末にかぎらず,王朝末期はそうでしょう.

 折をみて皇帝が,その有能な指揮官を左遷させれたり,冤罪で処罰,処刑できればまぁいい.
「狡兎尽きて走狗煮られる!」
とか恨みごとをいわれるけども.
 早過ぎると,敵国や反乱軍に負けちまう.
 遅すぎると失敗して皇帝が殺されちまう.
 革命ですよ.

世界史板,2010/07/04(日)
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