c
※青文字:加筆改修部分
ただし,「である」「です」調の統一のため等の補正を除く.
※既に分類され,移動された項目を除く.
世界史なんでも質問スレッド 72
目次
【追記】 英語圏で,皇帝と王って意味においてどう違うの?
【質問】 皇帝を称するには,他の皇帝とローマ法王の承認が必要だったのですか?
【質問】 日中国交回復前の日本には,中国史関係の資料があまり入って来なかったの?
14 【質問】 ファーディナンド・ウォルドー・ディマーラって誰?
【追記】
195 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2010/01/09(土)
16:17:53 0
英語圏で,皇帝と王って意味においてどう違うの?
東洋圏だと,王は皇帝から任命されてその庇護を受ける存在として一般的には認知されてるけど…
ヴィクトリア女王みたいに,グレートブリテンの長としては王,インドの長としては皇帝ってのがよく分からないです.
1962010/01/09(土) 16:23:38 0
>>195
「英語圏で」という問題ではなく「ヨーロッパで」になります.
ヨーロッパでは皇帝とはローマ皇帝のことです.
どんなに力があっても勝手に皇帝を名乗る事はできません.
英領インド帝国皇帝の帝位はムガール朝から受け継ぎました.
だからこれも正統な帝位です.
ムガール朝の帝位は元々の起源を遡ればモンゴルの大ハーン位です.
だからこの帝位はヨーロッパのローマ皇帝とはまったく別の系統の帝位です.
ちなみにヨーロッパでは皇帝が王を任命するわけではありません.
1972010/01/09(土) 16:27:58 0
東アフリカ皇帝のイタリアは?
1982010/01/09(土) 16:31:17 0
ありゃエチオピア皇帝なんじゃないの?
1992010/01/09(土) 16:34:29 0
まあフランス皇帝ナポレオンやオーストリア皇帝,ドイツ皇帝がいるから
ナポレオン以前は,という注釈がつくな>勝手に名乗ることは出来ない
まあこれらは全て神聖ローマ皇帝位の流れではあるが
2002010/01/09(土) 16:35:29 0
まあヨーロッパからしたらアジアの皇帝号なんて王より格下って事だな.
2chでよく見るけど天皇>教皇>英国王だとかほざいてる奴ってほんと恥ずかしいわ
2012010/01/09(土) 17:06:44 0
天皇はもちろんローマ皇帝とは何の関係も無い
まったく別系統の帝位なんだからどっちが上も下も無い.
支那の皇帝ももちろん始皇帝に始まるもので
(天子概念についてはもっと古くに遡るが)
ローマ皇帝とは何の関係もないからやっぱり上も下も無い.
2022010/01/09(土) 17:07:51 0
>>199
そこらへんの帝位はみんなローマ皇帝じゃないの?
2032010/01/09(土) 17:14:32 0
>>196
ローマ皇帝の継承という意味では
西ローマが神聖ローマ皇帝→ナポレオンT→継承者なし
東ローマがビザンチン皇帝→ロシアのツァーリー→ロシア革命で後継者なし
というこことでおk?
イスラムで皇帝に相当するのは,ムアハンマドの後継者という意味で,
オスマントルコ王家が皇位を継承→WWTで負けて後継者なし
でおk?かな.
2042010/01/09(土) 17:18:24 0
ペルシャのシャーも今は継承者無しだし,
世界中に宙ぶらりんの帝位はたくさんあるな.
とにかく強大な国を作れば
どっかの適当な宙ぶらりんの帝位を継承して
皇帝になるのは難しくなさそうだ.
強大な国を作るのは難しいだろうけど.
2052010/01/09(土) 17:19:19 0
>>201
天皇は天照の子孫が皇位を継承するという血統主義で,
支那の皇帝は徳のある人間が天から中華を治める権利を持つという
基本的には血統主義ではない.ただ世襲はされるが,徳ななくなってたら
その家を滅ぼして,別の者が帝位についていいという理屈.
ただヨーロッパがよく分からん.ローマ教皇が絡んでいるんだろうけど
ナポレオンは自分で戴冠したし.
2062010/01/09(土) 17:21:40 0
ナポレオンはハプスブルク家から帝位を譲り受けてる.
2072010/01/09(土) 17:22:54 0
「譲り受けた」なんていうと聞こえがいいが
実際には「取り上げた」だけど.
まあ,帝位継承なんてどれもこれも実態は「奪った」だろうし.
2082010/01/09(土) 17:25:33 0
ヒトラーは皇帝になろうとしたのかな?
第三帝国ってローマ,神聖ローマ,その次の帝国って意味でしょ?
2092010/01/09(土) 17:32:30 0
>>208
「第三帝国」はそんなに壮大なものじゃない.
もっとショボい.
神聖ローマ帝国→ドイツ帝国→第三帝国
2102010/01/09(土) 17:39:26 0
>>209
ということは,ナポレオンが失った帝位をプロイセン王家が受け継いだということかな.
2112010/01/09(土) 17:58:46 0
ヒトラーにとってはアーリア民族が唯一絶対だからローマなんてどうでもいい.
だから神聖ローマ皇帝とかもヒトラーにとってはあくまでもドイツ皇帝としての意義であって
ローマ皇帝に価値があるとは思ってなかっただろう.
2122010/01/09(土) 18:16:30 0
>>208
ヒトラー自身は第三帝国の呼称を嫌っており,
途中から公式な使用を禁じた.
213 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2010/01/09(土)
18:22:00 0
帝国じゃないと君主を皇帝とは呼べないだろうけど(サッカー選手などは別),
帝国だからって君主は皇帝としなければいけないわけじゃないのは理解しないといけないな.
2142010/01/09(土) 18:30:50 0
>>203
カール大帝をとばさんといてな.
2152010/01/09(土) 18:37:09 0
どっちにしろ西の方の皇帝なんて
東と比べれば限りなく僭称に近いけどな.
2162010/01/09(土) 20:10:34 0
>>215
いや,ローマ教皇から戴冠されれば,僭称とはいえない.
そもそもレオ3世が東ローマ皇帝の正教会と張り合うために西ローマ皇帝の継承者というアイディアを
発明したのが神聖ローマ帝国の名称の由来なのだ.
西ローマ皇帝はカール大帝〜ルートヴィヒ1世〜ロタール1世と継承されて,ここら辺からややこしくて訳分からん.
2172010/01/09(土) 20:30:04 0
ナポレオンも,タレイランを始めみんなの意見聞いてフランス王で留めれば,
冒険野郎で終わらずに,その後の世界のなんでもアリに少しは歯止め効いたか
も知れんのに. そういうの出来ないからナポレオンなんだけど.
2182010/01/09(土) 20:33:17 0
イスラム教では「ヒジュラ暦何年に世界が滅びる」とかの予言はあるの?
イラン革命はヒジュラ暦で1400年だったらしいけど
2192010/01/09(土) 20:50:18 0
急にスレがのびてると思ったらいつもの皇帝ネタか.
懲りないね.
2202010/01/09(土) 21:36:45 0
ナポレオンが帝位を称したのって,絶対中国の影響があるんじゃないか….
ヨーロッパって人に爵位があるんじゃなくて,土地に爵位が与えられるに過ぎない.
しかし,ナポレオン以降は人物とか家柄に対しての爵位という意味が強い気がする
2212010/01/09(土) 21:40:39 0
領地を持たない身分と称号と年金だけの宮廷貴族が多くなったからでしょう.
ナポレオン以前なら貴族はちゃんと領地を持ってた.
世界史板,2010/01/09(土)
青文字:加筆改修部分
【質問】
第二次大戦で国民党はともかく,「中国」はどうみても戦勝国では?
常任理事国の,言ってみれば極東枠を,日本から奪ったのは大きいでしょ?
その後の赤化で経済発展は遅れをとることになったけど,その反面,国内の軍閥を掃除することにもなった.
【回答】
極東枠は奪ったんじゃなくて,欧米の認める範囲で「与えられた」.
それも,中国人が能動的に動いた結果じゃなくて,日本側の政治的な紛争で戦争拡大した結果.
ソ連と違って自力では最後まで日本を駆逐できなかったし,欧米が許さなかった香港その他は最近まであのまま.
中国人主体による政治体制が確立した事での戦後の破綻は言うまでもなく,どっちにしろ肯定的な組織化,集団化能力はダメダメだった.
世界史板,2010/01/15(金)
青文字:加筆改修部分
ただし蒋介石は
「日中戦争に美国(米国)を巻き込む」
ことを国家戦略として追求し続けたわけで,その点では能動的に動き,そして成功したと言える.
少なくとも,まともな国家戦略一つ立てられなかった,同時代の日本の指導者よりも,その点では蒋介石のほうが格上だった.
保留
【質問】
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/emperor/1237346068/180
の人の理論によると,皇帝を称するには他の皇帝とローマ法王の承認(この承認というのも良く分からないが)
が必要なんだそうです.
こんな事,事実としてあります?
天皇がらみのコピペでこういう変な説が2chでまかり通ってますが,世界史板もその一端を担ってるんでしょうか?
【回答】
天皇を世界唯一の皇帝として一番偉いと主張し,1970年代の中央アフリカ帝国の存在を否定したいがため,おかしなことになっているようだ.
皇帝(ローマ皇帝)に即位するために必要なのは,元老院の承認と民衆の歓呼.
ヨーロッパでいう「皇帝」とはローマ皇帝のことだから,上記二つが必要だが,元老院はすでに存在しないし,共和制(ローマは建前としては最後まで共和制だった)でもないから,民衆の歓呼も不要ということなのではないか.
どちらにしろ「他の皇帝」というのが何のことかわからない.
東の皇帝のことか?
ヨーロッパの皇帝号は,他の地域のそれとは全く別のもの.
それに限って言えば教皇やらの承認が必要だ.
ヨーロッパ貴族は基本的に,自分が持ってるうちで一番位の高い称号を第一称号として名乗る.
例えばノルマンディー公ウィリアムは,征服でイングランド王位を手に入れてからは,英国王位を第一称号にして公爵号は二位以下で名乗っている.
ヨーロッパ内では称号の価値は等価なので,こうした例はいくらでもある.
だが顧みて,インド皇帝ことヴィクトリア女王はどうか?
称号の最高位たる「皇帝」号を手に入れながらも,名乗りはあくまで連合王国国王であった.
このことだけでもうアジア・アフリカの皇帝号に権威なんて,これっぽっちもないことがわかるよね.
「天皇>教皇>国王」
とかってコピペよく見るけど失笑ものだわ.
先住民の皇帝号なんて,その国の元首が名乗ってりゃ,そりゃ外交の都合上は認めるよ.
その承認に権威なんてありゃしないけどね.
その上で「白人世界の承認なんていらない!」とかいうなら,一国を背負って立派に皇帝を名乗ったボカサさんの権威も否定できないことになる.
3232010/01/15(金) 20:18:15 0
秦の始皇帝や日本の天皇は自称で世襲.
漢の劉邦は「天命が移った」として,群臣の勧めで皇帝を号した.
東ローマ(ビザンツ)帝国は,古代ローマ時代の名残として「市民」という名前の儀礼的な官職を設け,皇帝の即位式の時には,彼らに承認の歓呼をあげさせたという.
西ローマ帝国が5世紀に滅亡し,西欧諸国は(東)ローマ皇帝の宗主権下に置かれた.
やがてフランク王国が西欧世界をほぼ統一したので,ローマ司教(教皇)は東の教会に対する権威づけのために,フランク王カールが「ローマ皇帝」であるとした.
当時は東ローマ皇帝が女帝だったので,カールの方がローマ皇帝にふさわしいと強弁したようだ.
東ローマはしぶしぶ「皇帝」と承認したが,「ローマ皇帝」とは認めていない.
ブルガリア王シメオンも「ブルガリアとローマの皇帝」を自称し,東ローマからツァーリの称号を認められているが,あくまで「ブルガリアの」皇帝であるとされた.
「フランク人のローマ帝国」はやがて分裂したが,150年ほどのちザクセン族のドイツ王オットーが教皇から戴冠されて皇帝となった.
これがいわゆる神聖ローマ帝国であり,ドイツ王・イタリア王・ブルグント王などを兼ねた.
しかし「ローマ皇帝」と称するには,教皇の承認が必要であるとされ,教皇と対立したりして皇帝となれずにドイツ王やローマ王のままで死んだ「皇帝」も多い.
やがて選帝侯がドイツ王を選出するようになり,ハプスブルク家のマクシミリアン以降は教皇の承認を必要とせずに皇帝となっている.
モスクワ・ロシアの大公はツァーリと自称し,ビザンツ帝国の皇女を娶って「第三のローマ」であるとしたが,
モンゴルのハーンたちもツァーリと呼んでおり,彼らと同格になることで「タタールのくびき」からの脱出を図ったものでもある.
西欧風にインペラトールを名乗るのは18世紀のピョートル大帝からで,これは元老院に贈らせた称号.
ナポレオンは「議会の議決と国民投票」によって皇帝となった.以後の西洋の皇帝はだいたいこれを踏襲して即位している.
ちなみにボカサは共和政のフランス政府に贈賄して皇帝と承認されている.
3242010/01/15(金) 20:25:29 0
改行しろ.無粋にもほどがある.
3252010/01/15(金) 20:35:23 0
ボカサは,バチカンの大聖堂で教皇に戴冠してもらうことを願ったが断られたので,首都に「ボカサ・スタジアム」を建設して盛大な即位式を挙げた.
外交儀礼で同格とされるイランの皇帝(シャー)と日本の天皇にも招待状を出したが断られた.
一応天皇は祝電を送り,日本国政府も国号改称は承認したので,その頃の世界地図には「中央アフリカ帝国」の国号がちゃんと載っている.
フランスは彼の「即位」を承認したが,アメリカはあまりの馬鹿馬鹿しさに経済援助を打ち切り,ボカサは世界中で笑いものになった.
3262010/01/15(金) 20:50:34 0
>>325
>外交儀礼で同格
これもよく分からないんですよ.
皇帝だから外交儀礼上特別扱いされるなんて例を聞いた事がありません.
席次等なら在位年数順ですし.具体的にどう変わるということなんですか?
3272010/01/15(金) 20:55:02 0
>>322
ノルマンディ公ウィリアムはフランスの公爵としては,フランス国王の臣下であるけど,
イングランド王である.しかしフランス王>イングランド王というわけではない
ということでしょ.この辺が東洋では判り難い概念だよなあ.
中華では天命によって皇帝が選ばれ(という建前),その下に国内外に王がいる.
日本にいたっては,権威と権力が分離されちゃってるもんなあ.
日本の皇室という概念も外国人には分りづらい.
3282010/01/15(金) 21:02:33 0
>>327
日本の天皇はローマの元老院に相当すると思うがどうか?
3292010/01/15(金) 21:13:47 O
>>325
バチカンも結構大変なんだな….
3302010/01/15(金) 21:25:31 0
元老院がなにかっつうと,もともとは部族会議の長老たちなんだよなあ
現代でいうと上院とか貴族院とかだし
国会と国民が元首の称号を皇帝だと認めればいいってことなんじゃないの
3342010/01/16(土) 00:19:38 P
>>327
宮司の息子で農協に勤めてる太郎さん(仮称)が,父親の引退で,宮司になりました.
でも,農協は辞めていません.
農協では太郎さんは係長で,ときどき上司の会長から理不尽な仕事を押し付け
られていました.
さて,太郎さんが宮司として地元の神社の代表となったわけですが,神社は農協の
配下なったのでしょうか?課長は神社のやることに口出しできるでしょうか?
イングランド → 神社
フランス → 農協
農協の会長 → フランス国王
農協の係長職 → フランス国のノルマン公爵位
太郎さん → ウィリアム公
神社の宮司職 → イングランド王
ってなところだ.
農協,神社が,お互いになにかしてもらおうとしたら,対等の他者として契約しなきゃあ
ならんし,農協の仕事については太郎さんは会長から命令されてうごかんにゃあならん.
3352010/01/16(土) 00:34:56 P
>>326
格上もしくは格の同等の国の元首が公式に訪れると,迎える側の元首が
自ら出迎えをする.
天皇が外国に公式訪問すると,当地の国家元首が正装で出迎えに来る.
例外なくな.
たとえば,な.
アメリカの大統領が日本に来たって,出迎えるのは元首ではない首相だ.
無論,日本の首相が外国に公式訪問しても,元首が出てくるとは限らない.
日本の首相がアメリカに公式訪問しても大統領が幸甚公人として出迎えないよ.
国の格というものは,歴史とか,文化的影響力とか,経済力や軍事力とかの見積とか
軍事力で負かしたことの有る無しでいろいろと変わってくるんだけれど,大雑把に,
歴史の長い国,1つの政体が長く今に続いている国,他国にインパクトを与えた国とかが
格が高い.
3422010/01/16(土) 04:52:08 0
>>277
第25王朝がヌビア(スーダン)による征服王朝で,ファラオや貴族が黒人だった.
ちなみにギリシヤ神話で星座にもなっている,アンドロメダ,カシオペア,
ケフェウスたちはエチオピア人で黒人.だから夜空ではよく見えな(r
スレの流れが速いと思ったら,また皇帝位の話かい
http://gaiji.active-reader.net/34/3418/050131.html
明治十八年太政官布告第十七号(海底電信線保護万国連合条約)
明治十七年四月仏蘭西国巴里府ニ於テ別冊海底電信線保護万国連合条約ニ加入ス
右奉 勅旨布告候事
(別冊)
千八百八十四年三月十四日巴里府ニ於テ各国ノ全権調印シタル海底電信線保護万国連合条約訳文
条約書
仏蘭西共和政府大統領閣下 普魯西兼独逸皇帝陛下 亜爾惹丁連邦大統領閣下 澳地利兼洪牙利皇帝陛下
白耳義皇帝陛下 伯西爾皇帝陛下 哥斯太利加共和政府大統領閣下 丁抹皇帝陛下
度美尼哥共和政府大統領閣下 西班牙皇帝陛下 北米合衆国大統領閣下 哥倫比亜合衆国大統領閣下
大不列顛愛爾蘭兼印度皇帝陛下 牙徳麻刺共和政府大統領閣下 希臘皇帝陛下 伊太利皇帝陛下
土耳其皇帝陛下 荷蘭兼盧森堡皇帝陛下 波斯皇帝陛下 葡萄牙亜爾珈揮皇帝陛下 羅瑪尼皇帝陛下
全露西亜皇帝陛下 薩爾波度児共和政府大統領閣下 摂児比亜皇帝陛下 瑞典兼諾威皇帝陛下
烏拉芸東部共和政府大統領閣下ハ海底線ヲ経過スル電気通信ヲ保護スルコトヲ冀望シ夫レカ為メニ条約ヲ
締結セント欲シ各其全権委員トシテ左ノ人々ヲ任命ス
ざっくりいうと,皇帝位=ジオングの足
4472010/01/20(水) 07:43:05 0
王政ローマの王も,民会により選出されたことに変わりはない
帝政期の皇帝も王も,実質は同じものだ
なにが違うかというと,初めに欺瞞があったことが違う
「皇帝」という位は存在せず,皇帝と後世呼ばれるのは
軍団総指令権,政務総指令権,総督総指令権,議会拒否権,身体不可侵権等を
各役職を兼ねることで得た人物であるだけのものだ
日本で言えば,内閣総理大臣兼衆参院議長兼幕僚長兼都道府県知事兼連合会長ってとこか
世界史板,2010/01/15(金)
青文字:加筆改修部分
保留
【質問】
日中国交回復前の日本には,中国史関係の資料があまり入って来なかったという話をよく聞きますが,中共と国交が無かったのは仕方ないにしても,台湾や香港にすらろくな資料がなかったのでしょうか?
【回答】
4032010/01/18(月) 08:04:16 P
>>378
台湾が中国史に組み込まれたのは,それこそ,国民党政権が進駐してきた1945年以降.
福建と琉球の間ら辺に島がある,くらいの認識はあって,明の残党が逃れてきたり,
政権とは関係なく逃散した農民が住み着いたりしていた程度.
国姓爺(鄭成功)なんて日本では有名だが,支那では全く知名度が無い.
もともと,支那の概念に「外国」は無いけれど,朝廷の直接支配も及ばず,どこの属藩国の
支配下にない,どうなっているか全く判らない野蛮地帯という認識だったので,
中国史の資料なんて全く無い.精々,国姓爺の攻め取ったフォルモサゼーランド城跡ほどの
遺跡.
香港にしても,支配がしっかり及んでいない辺地で,イギリスが実効支配していたところだから
中国史の資料なんて出てこない.
4282010/01/19(火) 00:20:42 0
>>378
>>403
台湾は清の領土だったけど.
明時代にも皇族が「王」として赴任していて,
それを清朝が滅ぼして清の領土になった.
台南には清が築いた城塞もあるし,ちゃんと統治してたよ.
まず「日中国国交回復前」というのは,1945年から1972年まで.
特に共産党政権が成立してからは日中の国交が途絶えたので
新資料や新発見の発掘調査の報告などはあまり入ってこなかった.
・・・ということじゃないか.
日本には1945年以前からずっと東洋学の伝統があり
正史(二十四史)はもちろん,漢文史料は豊富にあった.
中国で失われた史料だって日本で伝わってたりする.
共産党政権以降の新しい史料・研究論文が入ってこなかったというだけでは.
台湾では大陸の資料は当然手に入らない.英領だった香港でも.
4312010/01/19(火) 06:47:28 P
>>428
ちゃんと統治していたなら,なんで台湾出兵のときのようなトンチンカンなやりとりになるの?
台湾について「化外」と言っている.清国の領域ではない,と言ってるんだよ.
そこから20年くらいした日清戦争では,朝鮮の独立には抵抗しても,台湾の割譲については
あっさり決まってる.
植民地を手放すよりも,本国の一部を切り渡す方が抵抗が無い? そりゃおかしいだろ?
朝鮮はホンタイジ皇帝の親征以来の属藩,台湾は帰属未定地だったものを日清戦争での敗戦の
辻褄合わせのために日本の要求で形式的に清国から日本に割譲したことにするだけのために,
下関条約の直前に台湾省なんかを置いた.
清国に対して債権のいっぱいあったフランスが踏み倒されることを恐れて,賠償金額を減らす
算段として領土の割譲という形を取ることを入れ知恵したわけでもあるけれどな.
4462010/01/20(水) 01:42:46 O
>>431
とりあえず,明時代は朱元璋の九代目の孫,寧靖王朱術桂が台湾に定住した.
しかし中国は清に支配されて,台湾にも康熙帝の時に清の将軍施琅が攻めてきた.
寧靖王は「もはやこれまで」と首を吊り,后たちも後を追った.
施琅は寧靖王府を媽祖廟に改築して康熙帝に献上した.
そのとき媽祖は「天后」の位を与えられ,媽祖廟は「天后宮」と呼ばれるようになった.
天后宮は歴代の皇帝によって大切にされ,祭礼が行われていた.
台湾には台湾府が置かれ,台湾,諸羅,鳳山の三県が置かれた.
1寧靖王府のあった台南では,9世紀には海上防衛のための城塞も築かれ
英国製アームストロング砲が設置された.
また,台南には孔子廟も作られ儒教を学ぶ学問所として「台湾府学」の名前を与えられた.
ここには康熙帝の御筆の扁額が掲げられている.
高雄は鳳山県の主要都市で城壁が築かれ,当時の城門が残ってる.
康熙帝の時代に孔子廟も作られた.
高雄港もまた軍事拠点として砲台が作られた.
「清の領域でない」のにこれだけのことをしてるわけです.
4492010/01/20(水) 11:49:59 P
>>446
政権崩壊に際して,旧政権の一員が外国に逃亡するということはよくあるとこで,
それを攻めることもこれまた珍しいことでもない.攻めて行けば,掌握が完了せず
とも一時的な保塁を築くことはあるわな.
学問所にしても孔子廟も別に官の施設として建てられたわけでなし,まして,
天后宮は歴代の皇帝の行幸があったことは一度もない.そもそも9世紀には,ナンチャラ砲も
なければイギリスすら国の形になってない.
4672010/01/21(木) 02:24:53 0
>>462
台湾統治で言えば,台湾府や三県の前にオランダの
東インド会社が代々治めていた.会社といっても国王直属の外交権や軍事権も
所有しているいわば政府の出先機関.長官が任命されて外交業務を行う.
ゼーランディア城も政庁かつ要塞として長官や政府関係者が居住していた.
軍事要塞や政府関係の建物としてはこっちの方が古い.
当初澎湖諸島を占領していて明との間に紛争が起きたため,そっちを放棄する代わりに
台湾を領有することを明側も了承していた.
勿論この辺のことは,原住民の高砂関係の歴史を無視すればの話.
468 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2010/01/21(木)
02:46:52 0
高砂族が日本に来た初の記録としては家光の頃らしいけど,
これオランダと台湾と貿易の事でもめてる時で
高砂族の使節は台湾を日本に献上する代わりに,
幕府から下賜品を与えられたらしいけど,何をもらったの?
贈物と幕府帰属の小大名クラスとして認める朱印状か何かがあったのかな.
当時の意識として幕藩体制下で統治権,農耕商業関連の徴税権を安堵してやるという感じかな?
世界史板,
青文字:加筆改修部分
【質問】
ファーディナンド・ウォルドー・ディマーラって誰?
【回答】
偽の名前と経歴で一流の実績を残した天才.
アメリカ軍を脱走して哲学博士ロバート・リントン・フレンチを騙り,1941年,ケンタッキー州のトラピスト会修道院に潜り込む.
そこで盗み食いが発覚して懺悔を求められたが,それを拒否して脱走.
朝鮮戦争の頃のこと,知人である医師の免許で,カナダ軍軍医に就いていた.
アメリカでの開業を望んでいたカナダ人医師ジョゼフ・シールから申請書類を託されると,今度はシール医師に成り済まし,カナダ海軍軍艦カユガの艦医として乗り組む.
実際に執刀する必要が生じると,一晩かかって医学書を読破し,手術を成功させる.
陸戦で重傷を負った韓国兵が運び込まれたが,その大手術も無事成功させる.
陸地に戻った負傷兵の安否を気にして上陸してみると,陸地での医療施設の不備を指摘.
自ら率先して診療所を開き,連日負傷兵の手当てを施した.
その医療活動振りがあまりにも素晴らしかったため,海軍軍医の英雄として大々的に報道されてしまう.
報道が,本国にいる本物のシール医師の目に止まり,この英雄の正体はセシル・ヘイマンではないかと問い合わせる.
さらにはケンタッキー州在住の本物のヘイマン医師に調査が及び,英雄の正体は,詐欺でセントルイス大学を追い出されたディマーラではないかと情報が提供される.
ディマーラはカナダ本国に送還され,報酬支払い停止と国外追放の処分を受ける.
アメリカに帰ると,冒険談を雑誌社に売って金を稼ぎ,居場所を転々とする.
ヒューストンに辿り着くと,ベン・W・ジョーンズと名乗って刑務官の職に潜り込む.
受刑者の生活プログラム発案など,大胆な仕事振りが州刑務所管理局長に認められ,重犯罪者収容所であるハイツビル刑務所の改革を託される.
そこでも大成功を収め,一躍時の人となる.
ゆえに雑誌に採り上げられ,またも詐欺が発覚する.
管理局長らは彼の才を惜しんだが,やむなく解雇する.
後,本物の牧師の資格を取得し,牧師として生きる.
世界史板,2010/01/22(金)
青文字:加筆改修部分
【質問】
スイス人傭兵の給料は高かったの?
【回答】
俺が知ってる話:
太陽王ルイ14世の時代,スイス傭兵の経費の高さに値を上げた大臣の一人がこう言った.
「スイス傭兵に払う賃金を金の延べ板にしたら,
パリからバーゼルまでの道路が全部金で舗装できるでしょう」
すると,それを聞いたスイス人の傭兵隊長が,こう言った.
「スイス傭兵がフランスのために流した血潮は,パリからバーゼルまでの河川を満たし,そして溢れさせるに足るでしょう」
世界史板,2010/01/23(土)
青文字:加筆改修部分
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