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※青文字:加筆改修部分
ただし,「である」「です」調の統一のため等の補正を除く.
※既に分類され,移動された項目を除く.
世界史なんでも質問スレッド 70
目次
【質問】 三十年戦争当時は「傭兵雇用→決戦→解雇/→資金調達→/傭兵雇用→決戦→解雇/ ・・・」を繰り返したという認識でよろしいでしょうか?
【質問】 傭兵軍ということは,現在の常備軍を基本とした軍事世界観とは全く違うのでしょうか?
【質問】 アジア・アフリカ諸国には攘夷というものは無かったのですか?
【質問】 1898年のファショダ事件に際し,ドイツを警戒して英仏が妥協したそうですが,当時のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世はそんなに脅威的だったのですか?
【質問】 古代〜百年戦争くらいまでの戦争は,指揮官は一般兵と一緒に最前線で戦ったの?
【質問】 1961年の西パプア侵攻について,インドネシアには侵攻の正当性はあったのでしょうか?
【質問】 共産主義国家の多くが,建国者の遺体を保存したがる理由は何ですか?
【質問】 中世ヨーロッパですが,比較論で言えば,相対的には多神教徒の方が一神教徒よりも他者の価値観を受け入れやすいという傾向はある?
【質問】 バルチック艦隊が対馬海峡を通らなかったら,日本の敗北は決定的?
【追記】 >世界で最初に人種差別撤廃を訴えたのは日本帝国
【質問】
三十年戦争当時は絶対王政の下,国王の資金力を傭兵雇用力として傭兵軍を編成するという軍事編成が,基本だったということを調べたのですが,三十年戦争当時はその傭兵軍を雇用編成して,完全な決戦主義の戦争を展開して
/傭兵雇用→決戦→解雇/→資金調達→/傭兵雇用→決戦→解雇/ ・・・
を繰り返したという認識でよろしいでしょうか?
決戦と決戦の間の休戦期の間,傭兵が周辺に散らばり略奪をはたらくので,三十年戦争でドイツは荒廃したらしいのですが,これも正しいですか?
【回答】
全然よろしくないし,全然正しくない.
当時は絶対王政といえるのは,イギリス・フランス・スウェーデン・デンマークであって,三十年戦争の舞台となった神聖ローマ帝国は全く絶対王政などではない.
そして決戦主義などというものはない.
決戦と決戦の間の休戦期の間などでは全然無い.
略奪と略奪の合間に戦もやるというのが傭兵の基本です.
ただし全部が全部,そうだったわけでもない.
ヴァレンシュタインは傭兵の略奪を禁じて,税という形で諸侯から徴収して傭兵の食料を賄いましたし,スウェーデンは本国から補給線を引いて三十年戦争に介入してきた.
ドイツが荒廃したのは,傭兵の略奪だけではない.
国土が戦場になれば家は焼かれ,田畑は荒らされるのです.
荒廃するのは当たり前です.
世界史板,2009/09/20(日)
青文字:加筆改修部分
【質問】
傭兵軍ということは,現在の常備軍を基本とした軍事世界観とは全く違うのでしょうか?
たとえば現代では,資金力=軍事力ではなく,この二つはかなり分かたれたもので,平時に軍事貧弱な経済大国は軍事大国に簡単に攻め滅ぼされてしまいますが,当時は大きな傭兵市場のおかげで「資金力(国王の)=軍事力」だった.という認識なのですが.
【回答】
全然よろしくないし,全然正しくない.
傭兵軍だって常備軍です.
傭兵軍と常備軍を対比させるのは全くの間違い.
平時には少なく備え,乱時には多く備えるというだけのことで,それは現代でも基本は同じです.
現代は傭兵軍ではなく,国民軍が基本だというだけです.
資金力=軍事力なのは現代でも同じことです.
傭兵を雇うのは国王の特権ではない.
誰でも傭兵を雇うことは,資金さえあればできます.
いや,頭があれば資金などなくても,傭兵を雇うことはできるのです.
国王の許可が無ければ,反乱軍になってしまうというだけの違いです.
傭兵の上には傭兵隊長がいたんすよ.
で,傭兵隊長が全て,大砲も用意したんです.
有名な傭兵隊長・ヴァレンシュタインは15万人の軍を作ったそうです.
資金を出したのは民間投資家だそうです.
資金力というのは徴税力と同じです.
税金を徴収する力が資金力なのです.
もっとも税金を取ろうにも,取る相手がいなければどうにもならない.
だから三十年戦争が終息したということです.
世界史板,2009/09/20(日)〜09/21(月)
青文字:加筆改修部分
【質問】
日本や中国は,近代の西欧列強の開国要求の時代に,西欧諸国に攘夷という考えを持っていましたが,他のアジア・アフリカ諸国には攘夷というものは無かったのですか?
日本中国に独自のものなんですか?
【回答】
抵抗運動ならいくらでもあるよ.
スーダンのマフディーの反乱
アルジェリアのアブド・アルカーディルの抵抗
ドイツ領東アフリカのアブシリの反乱
イランのタバコ・ボイコット運動
オサマ・ビンラディンの元ともいえるワッハーブ派
ベトナムのファン・ボイ・チャウの活動
フィリピンのアギナルドの独立戦争
ジャワ戦争
阮朝は攘夷でキリスト教宣教師を死刑にしたけど,結局は武力侵攻の口実にされて,フランスの植民地になってしまった.
李氏朝鮮の興宣大院君はすごい.
フランス人宣教師だけでなく,8000名の信者をいきなり処刑.
フランスは極東艦隊の総力を結集して報復攻撃したが,これも撃退.
ジェネラル・シャーマン号事件でも徹底した攘夷だった.
世界史板,2009/09/27(日)
青文字:加筆改修部分
現代のイスラーム過激原理主義も,欧米文化に対する闇雲な排斥という点において,攘夷思想に近いものがある.
【質問】
アフリカ分割のとこなんですが,1898年にファショダで英仏が衝突しますよね?
そのときにドイツを警戒した英仏の妥協っていう記述があったんですが,当時のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世はそんなに脅威的だったのですか?
【回答】
その頃のアフリカ(だけでなくアメリカやアジア)に対しては,「無主の地」という考え方があり,誰でも先にその地に行って,この土地は我が国のものと宣言した国がそこを領土にできる事になっていました.
但し宣言できる国と言うのが限られていて,原住民がここは○○王国であると言っても,それは無意味なのです.
宣言できるのは「文明国」だけです.
その頃は文明国と認められないと,そもそも国と認められません.
文明国でなければ「無主の地」です.
植民地にされる対象でしかありません.
文明国同士と,対未開国相手では戦争のルールさえ違いました.
(だから日本は文明国の仲間入りをしようと必死になりました.
では文明国の定義は?
明確な定義なんぞ有る訳がありません.
今まで文明国と認められたのはヨーロッパか,その植民地が独立した欧米系国家ばかり.
それならとにかく何でも真似て,列強が文明国だと認めそうな事は何でも試すしかありません.
だがそんな中でも,そこまで真似なくて良いという意見はありました.
国際通でオランダ留学をした榎本武揚は,洋装が原則の園遊会で和装を続けましたし,あらゆる分野で和魂洋才という方法で日本文化と西洋文化の融合を考える人達がいました.
国際的に生き延びる事のできる西洋化と,その中での日本文化の維持を両立すべく試行錯誤の歴史がありました.
そんなに簡単に欧化した訳ではありません)
普仏戦争でドイツ帝国が成立するのが1871年.
この後ドイツは海軍などを整備し,その時点ではじめて植民地獲得戦争のプレイヤーになれた訳です.
一方,負けたフランスは,より以前から植民地獲得戦争に参加はしていたものの,ナポレオン戦争やそれ以前の戦争でイギリスに植民地を取られたりして,あまり大した領土は持っていませんでした.
ナポレオン3世が頑張って植民地を広げたものの,普仏戦争の敗北で第三共和制に移行し,国内のごたごたを片付けてからようやく,新たに植民地獲得戦争に参加できるようになりました.
この結果1885年以降,フランスとドイツがほぼ同時に植民地争奪戦に参加し,とにかく先に領土宣言をしようと競争が過熱して行きました.
そんな状況でファショダで英仏が睨み合っていては,ドイツが一人で領土を増やすだけ.
(正確にはベルギー,ポルトガル,スペインなども領土を広げていますが)
それがドイツへの警戒と言う事です.
世界史板,2009/10/02(金)〜10/03(土)
青文字:加筆改修部分
【質問】
ナポレオン時代〜南北戦争くらいまでの戦争は,馬に乗った煌びやかな指揮官(貴族?)が,後ろで指揮してるだけに描かれている.
古代〜百年戦争くらいまでの戦争は,鎧纏った猛々しい指揮官(貴族?)が,一般兵と一緒に最前線で戦っている.
この描写は正しいの?
百年戦争あたりも貴族は後ろで指揮してただけではないの?
【回答】
古代の指揮官は最前になんか出ん.
密集陣形の歩兵同士のぶつけ合いで,そんな隙間はない.
中世は騎士の時代であると同時に,形式戦闘の時代だ.
各領主は騎士道精神を満たすために,率先して騎馬で突撃をかけたし,それで死んでもそれはそれで騎士の華なわけ.
これが,戦場に銃砲火薬が蔓延するようになってまた変わる.
砲弾の飛び交う戦場はガチの殺し合いであり,騎兵に優しくなくなった.
指揮官(そのレベルにもよるが)が「陣頭に立つ」こと自体は,ナポレオン戦争期でもままあるけど,その主目的はミクロ的な意味での統率や士気の鼓舞なんかにあるのであって,個人戦闘じゃない.
もちろん場合によっては個人戦闘もしたけどね.
また個人戦闘大いに結構の指揮官もいたけどね.
現代でも戦術単位ならガンガンいくしねー.
さすがに将軍クラスではまずないだろうが.
世界史板,2009/10/08(木)
青文字:加筆改修部分
【質問】
当時の傭兵ってどんだけ儲かるの?
死体から武具かっぱいだり,村々を掠奪したりして生活してたの?
【回答】
時代や場所にもよるけど,ヒラの傭兵は給料から武器代だの何だのを「源泉徴収」されるせいで,給料の額ほどの余裕はなかったらしい.
傭兵やってられるうちはいいけど,転職を考えるのは大変.
隊長はわりと儲かる.
閲兵の時だけエキストラ雇って人数水増しして,余計にもらった分を懐に入れたりとか,金儲けのテクニックは戦術能力と同じか,それ以上に重要.
傭兵隊長は,給料もかなりよかった
有名な隊長ともなれば,大臣にも迫る勢い.
ヒラの傭兵でも百姓やるよりは全然まし.
ちなみに武具拾いは鎧がおいしい.
一家4人が1年だか2年だかは遊んで暮らせる額になる.
世界史板,2009/10/08(木)
青文字:加筆改修部分
【質問】
1961年,西パプア共和国にインドネシア軍が侵攻して,結果的にインドネシア領となりましたが,インドネシアには侵攻の正当性(領有権の正当性)はあったのでしょうか?
(ニューギニア島は西欧に分割領有される以前はインドネシア領? でもそんな話は聞いたことがないような…)
【回答】
いわゆる「西イリアン問題」だな.
西パプア共和国なんて,オランダが勝手に宣言しただけの話.
そもそもオランダが植民地化する前は,インドネシアなどという国はありません.
オランダの植民地時代に,原住民にインドネシア人という民族意識が生まれ,インドネシアとして独立したということなのです.
というか民族意識の形成と,独立運動・独立戦争は同じものです.
インドネシアに侵攻の正当性があったかどうかをうんぬんするなら,その前にオランダに軍事侵攻の正当性があったかと問うのが順番というもの.
そもそもオランダの植民地支配には,何の正当性も無いのです.
西パプア共和国の領域は,一番最後にインドネシアに加わった領域,
一番最後までオランダの植民地に留まっていた領域だ.
そして,インドネシアの軍事侵攻でインドネシアになったのでなく,住民投票の結果インドネシアに加わったのです.
最後までオランダの植民地として留まり,インドネシアの独立宣言の時点では,インドネシアの領域でなかったとしても,最終的に原住民がインドネシア帰属を選んだのだから,何も問題がない.
世界史板,2009/10/13(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
共産主義国家の多くが,建国者の遺体を保存したがる理由は何ですか?
個人的には悪趣味だと思います.
【回答】
スターリンは宗教学校出身.
レーニンを新たな神にすることで,共産党と自らの権力の絶対化を図った.
スターリンはレーニンに忠誠を誓っていたが,レーニンに死期が近づくと権力奪取を図った.
レーニンはそれを知り,死後に共産党大会で読み上げるように命じて遺書を残して,スターリンの暴走について警告を発したが,レーニンの看病からすべて取り仕切っていたスターリンによって,それが読まれることはなかった.
スターリン以外はスターリンのやり方を真似しただけ.
世界史板,2009/10/13(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
中世ヨーロッパですが,比較論で言えば,相対的には多神教徒の方が一神教徒よりも他者の価値観を受け入れやすいという傾向はある?
【回答】
ない.
たまたま一神教の権威の暴落する出来事があったからだよ.
教義の正統をめぐる三十年戦争で異端の潰し合いが,結局のところ疲弊しかもたらさなかったことを悟って,信仰に頼ることを捨てたから.
たまたま三十年戦争が決着の曖昧なまま,信仰は自由にしましょう,信仰の正統だの異端だので争うことを止めましょう,で手打にすることができたから.
決着が付かないまま,どちらも負けをみとめずにいたら,今の中近東のような有様になっていただろうし,明確な決着がつけばついたで,勝者が敗者に対して異端は火炙りという残虐な処遇をしていただろう.
たまたま,正統をめぐる争いに勝者のないまま戦争を止めて,そこに,真実のみを正義とする無神論の科学者が自由に発言する土壌ができたから,蒙昧で石頭でドン百姓のゲルマンの頭が,ようやく人並みになり得た.
キリスト教は,ただ,その発展を900年遅らせただけだ.
世界史板,2009/10/14(水)
青文字:加筆改修部分
【質問】
バルチック艦隊が対馬海峡を通らなかったら,日本の敗北は決定的?
日本海をウラジオストックへとおりぬける台風なんてあんまこわくなくねえ?
やっぱ太平洋側から直接,帝都へ接近.砲撃,上陸でしょ.こまるのは.
【回答】
当時,帝国艦隊は対馬海峡にヤマを張っていたのだから,それが外れればそりゃ困っただろう.
しかし,バルチック艦隊の最優先目標はウラジオストク入港であり,太平洋回りで帝都砲撃など狂気の片道特攻でしかない.
ウラジオストクは日本の「真裏」にあるので,バ艦隊が対馬海峡を通らない最悪の事態でも,東郷艦隊が入港を阻止できた可能性は高い.
太平洋を迂回した場合,遠路補給を受けていないバ艦隊は,より消耗した状態で連合艦隊の迎撃を受けることになる.
世界史板,2009/10/15(木)
青文字:加筆改修部分
【追記】
>世界で最初に人種差別撤廃を訴えたのは日本帝国
台湾では高等教育は本土出身者が優先されて,土着民は制限されていたぞ.
南洋では,完全に日本人(本土出身者・その子孫)専用.
台湾人を『日本人』にしても,実際は人種・民族でものすごい差別を実施している.
台湾・朝鮮ではエリートが日本人に『格上げ』される以外は,3等国民の扱い.
国際的に『人種差別反対』なんぞ訴えても,相手にされるわけないw
内心は「日本人を白人と同等にしてください.日本人は他の土人より上ですから」ってこと
世界史板,2009/10/15(木)
青文字:加筆改修部分
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