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世界史なんでも質問スレッド 69

目次

 【追記】 ナチスはどうやってこいつはユダヤ人と判断していたのでしょうか?

 【質問】 農奴と小作人ってどう違うの?

 【質問】 ワラキア公国の公は神聖ローマ帝国の爵位ですか?

 【質問】「ローマは三たび世界を征服した.最初は武力により,二度目は宗教により,最後は法律によって」 とありますが,二度目にどのようにして宗教によって征服されたのでしょうか?

 【質問】 奴隷貿易の時代,何故フランスやイギリス等は,現地に居る人間を労働力として単純に接収するだけでなく,虐殺にまで至ったのでしょうか? 現地民を残らず殺してから,黒人を奴隷として持ってくるというのは,傍から見ると非効率的なようにも思えるのですが.

 【追記】 旧日本軍の士官て貧乏なの?


 【追記】
142 :世界@名無史さん :2009/08/29(土) 00:20:09 0
ユダヤ人虐殺を題材にした映画やドラマを見て疑問に思ったのですが,
ドイツ人とユダヤ人両方とも白人で違いがよくわかりません.
ナチスはどうやってこいつはユダヤ人と判断していたのでしょうか?
ユダヤ人風の姓名などがあって,それで判断していたのでしょうか?

また,混血していてユダヤ人の血が2分の1,4分の1,8分の1しかない場合も
あると思うのですが,ナチスにとってはどこまでがアウトだったのでしょうか?
先祖をたどって一滴でもユダヤの血があったら収容所送りなのでしょうか?

先祖をたどるとしても上流階級はともかく,それ以外は途中でわからなくなると思うし
実はユダヤ人であっても名前がユダヤ系の姓名ではなく,本人もユダヤ人の自覚がない人とかはどうしていたのでしょうか?

148 :世界@名無史さん :2009/08/29(土) 11:16:23 0
>>142
そもそもユダヤ人は長い歴史の中で混血が進んでいるから,人種で分けることはほぼ不可能
ナチスの制定したニュルンベルク法では,人種でなく宗教で次のように分類している
本人がユダヤ教徒ならユダヤ人(ユーデ)
祖父母4人のうち3人がユダヤ教徒なら,本人の宗教に関わらずユダヤ人
1〜2人がユダヤ人なら本人はユダヤ系(ユーディッシュ)
祖父母がユダヤ系なら本人は半ユダヤ系(ハルプユーデン)

なお,公職追放や起業が禁止されたのは,曽祖父母に一人でもユダヤ人がいる人(つまり1/8)
この場合のユダヤ人も人種でなく宗教による
とはいえ,ユダヤ系なのに書類を改ざんして普通に仕事を続けていた人間も相当数いたらしく,
ニュルンベルク法は便宜的・形式的なものだったと言われている

ナチスは当時ユダヤ人を僻地や中東に移住させる計画を練っていた(これはイギリス,フランス,ポーランド,ロシアなどヨーロッパ各国も同じ)
42年後半になると,戦争に負けだして移住が不可能になったので,強勢収容所送りが始まった.
この頃になると,戦乱の中でユダヤ判定もかなり曖昧・適当になってきたので,実際収容所送りになった「ユダヤ人」の血統はいろいろ

149 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/08/29(土) 11:29:30 0
カトリックの神父も一緒くたに処刑したりもしたしな
150 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/08/29(土) 11:31:44 0
別に収容所送りはユダヤ人だけじゃないからな
共産主義者もジプシーもポーランド人も

世界史板,2009/08/29(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 農奴と小作人ってどう違うの?

 【回答】
485 :世界@名無史さん :2009/09/09(水) 01:10:55 0
>>471
漢字圏でいう「民」,幕藩時代の日本の百姓も,農奴だ.

486 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/09(水) 05:40:31 0
>>481
農奴 …… 農地のオマケ.移動の自由無し
小作 …… 農地を借りて生産を行う農民.一定の契約的権利を持つ.

487 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/09(水) 07:03:28 0
農奴とその他をわける基準はひとつしかないぞ
売買できる物品であるということだ
普通にひと山いくらで隣の領主に売り飛ばしたりする

488 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/09/09(水) 07:56:14 0
派遣社・・いやなんでもない

489 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/09/09(水) 08:09:58 0
>>485
>幕藩時代の日本の百姓も,農奴だ.

で,肝心の大名が農奴制に不可欠な地付の領主でなく,日本全国のどこにとばされるか分からない「太守」ともいうべきものであっても?

490 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/09/09(水) 11:55:20 O
小作はヘイヘイホーと叫びながら木を伐る奴だよ

491 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/09(水) 12:48:34 0
>>489
何を関係ない話してんの?
農奴の主人は地主であって,地主が年貢を納める対象が誰に替わろうと問題じゃない

492 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/09(水) 12:59:47 0
農奴の起源がコロヌスっていう説はどうよ?
蛮族侵入や戦乱の時代にとっくに逃亡してると思うけど…

それよりも権力を握った諸侯が地元の民を農奴化したっていう説のほうが合理的では?

493 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/09/09(水) 13:10:55 0
百姓≠農奴だろ
身分変更不能かといえばそうじゃないし農奴から豪農が生まれるか

494 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/09/09(水) 13:30:35 0
スターリンの父親は農奴だけど都市に出て靴修理屋やってたけど

495 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/09/09(水) 13:43:02 0
いくら生活にゆとりがあろうが,居住と職業選択の自由がなければ農奴でしょ
わずかに特殊な身分変更ルートがあったとしても原則ダメなら農奴

496 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/09(水) 13:46:29 0
日本の士農工商四身分は士と農工商に大きな隔たりがあって
他への身分転向は容易だからやっぱり違うな
士も下級武士なら身分転向出来たし

497 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/09(水) 15:04:32 0
日本は農奴がいないから封建制じゃねーんじゃねーの?って説もあるぐらいだから
日本に農奴はいないだろ

498 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/09/09(水) 15:09:36 0
・移動の禁止
・転職の禁止
・税負担の不平等(公共工事・軍役・年貢が工人や商人,都市住民には無くて農民にだけある,或いは農民だけ多い)

こういう点から日本の農民は農奴だろ

499 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/09(水) 15:14:22 0
落ちぶれた武士は食えなくなって農民に戻っているんだし,農民から武士へなるものもいたわけで身分は固定ではない.

500 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/09/09(水) 15:20:49 0
>農民から武士へなるものもいたわけで

二宮尊徳みたいな地主・名主・村役人階級が武士になったから固定じゃない??
そりゃ言葉尻だけ捕らえればそうだけど,ならギリシャの奴隷だって固定じゃないわな.

だいたい,武士になれる層の農民って人民というより支配層に近いじゃん

504 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/09(水) 16:48:22 0
>>498
普通に転職出来るぜ?
武士になるのがちょっと厳しい位で百姓は町人にも工人にもなれる
武士になるのも下級武士なら不可能ではない
>>500
小作農が武士になるのはさすがに厳しいが豪農でなくても
それなりに土地を持ってる農民が武士になるのは可能だよ
小田原藩が火山の噴火で壊滅的な被害を受け幕府に移乗したとき
多くの農民出身者が武士として取り立てられてる

ってか質問から脱線してるだろ
タイに農奴がいた気がするけどあれは本人の同意の元の契約で世襲じゃないんだっけ?

505 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/09(水) 16:58:08 0
>>498
とりあえず近世の百姓のことだよね.
農奴というのはかなり違うと思うけど.

>移動の禁止

村や領主としては生産力が落ちるのは困るから規制しよう
としたのは当然のこと.また,百姓のほうでも,「家」を
単位とした経営が行われていたため,簡単に土地屋敷を放って
移動するわけにはいかなかった.それでも移住する際には
村に土地屋敷を返却することも.

>転職の禁止

表向きの規制はあったのかもしれないが,商品貨幣経済の
浸透とともに農業から商工業へシフトする村も多くあった.

>税負担の不平等

市場経済の発達はまだまだ未成熟であった時代には
土地こそが富を産み出す源泉と考えられており,
租税は土地の生産高にかけられた.次第に商業に
対しても運上や冥加がかけられるようになったが,
近世を通じて農業に重点が置かれたことは間違いない.
百姓としても,安定した生産基盤である土地は
受け継いでいく家産であり,重い税負担があっても
なかなか手放せるものではなかったはず.

507 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/09/09(水) 17:45:08 0
ヨーロッパも日本もロシアも

農民(年貢あり,公共労役あり,軍役あり,移動禁止,転職禁止)
町民(年貢なし,公共労役なし,軍役なし,移動自由,転職自由)


↑こういう感じか?

じゃあむしろ,農民・町民,農村民・都市民 という分け方は不適切で,
町民=市民,農民=奴隷
という階級が適切なのでは?

508 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/09(水) 18:41:31 0
転職出来るっつってんのに無視か
出家はどう説明するんだよ

509 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/09/09(水) 18:47:48 0
>>508
農家『だけ』(もしくは農家により重い)納税・労役・軍役があるなら,
みんな転職しちまうだろ.なんせ税が無いのだからw
特に小作人や零細農民みたいな,土地持ちである利益の無い農家なんて転職しないほうがおかしい

510 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/09(水) 18:59:53 0
>>487
だから,日本でも,百姓は土地のオマケとして,土地ごと持ち主が代わった.
版籍奉還とか明治のときにあったろ.版は地面,籍は民を意味するものだぜ.

>>504 >>504
農民は土地に結びついた正丁が土地から離れられなかった.一家まるこど耕作
を放棄することは,逃散という処罰の対象で,厳罰があった.
「ウチは今日から田畑を売って,それを元手に商家になります」なんて言うと
首が飛ぶような事態に.
女子供は土地と結び付けられていなかったので,商工民との婚姻や,次男坊が
食扶持減らしに都市へ働きに出されることにも咎めは無かった.

豪農が武士にとりたてられたところで,それは,支配階級側の武士の都合で
決まったもの.
農家が自力で武士たる条件を整えて武士になるようなことは不可能.
農奴制も家内奴隷もあった帝政ロシアで,外国から買われてきた肌の黒い
奴隷から,支配階級のトップの覚え目出度く,軍の重職につき新たな属領の
総督に任じられ農奴つきの領土を賜り世襲貴族にとりたてられた者もある.
だからって,帝政ロシアに奴隷から支配階級への転進が自由だったわけでは
なかろうて.

513 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/09(水) 19:29:05 0
>>510
そりゃ国が入れ替わってるだけだろ
農”奴”なんだから奴隷として人身売買の事実が無いと

514 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/09/09(水) 19:37:10 0
ロシアの家内奴隷って農奴とは違う階級なの?

516 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/09(水) 19:47:38 0
日本は農奴だ農民だと言ってる奴はこれでも見とけ.
http://www.21ccs.jp/soso/gyakujun/gyakujijunji_12.html

517 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/09(水) 20:03:50 0
 戦後の歴史学界は,日本にはそもそも存在しない「農奴の幻影」を探すために,四苦八苦
して,平安庄園に農奴の実像を探り,太閤検地期の農民を「農奴扱い」した.
 実にばかばかしい徒労ではないか.朝河が1929年段階ですでに実証を踏まえて,「農奴
の存在を否定していた」にもかかわらず,21世紀初頭の日本史学界は依然痴呆ぶりをさら
けだして,「見解が対立している」「いまだ確たる結論はない」などと奇怪な学説を平気で
記述している.

本当に至る所でこのような狂った作業がいまだ続けられている.

518 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/09/09(水) 20:33:30 0
農奴が居ないとかマルクス史観とか言ってる奴はアホ?
農民と商工民あるいは町民を比べた場合の権利義務の差によって農民=奴隷民と言っているのだが.

ヨーロッパでもロシアでも日本でも,

農民(年貢あり,公共労役あり,軍役あり,移動禁止,転職禁止)
町民(年貢なし,公共労役なし,軍役なし,移動自由,転職自由)

つまり
支配階級(貴族・武士・僧) vs 庶民
じゃなく,
支配階級&自由市民(町民) vs 農民(隷属民)
なんだよね

519 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/09(水) 20:38:11 0
日本の近世農民は確かに農奴だ

・移動の禁止
・転職の禁止

いかなる理由を後つけしようとも,抜け穴があろうとも,支配階級から上が強制されているのであればとても独立自営農とはいえんだろ?
土地も売買できない.貨幣地代でも農奴は農奴.

520 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/09(水) 20:42:12 0
>>518
我々は「農奴」について話してるわけで,お前の「奴隷農民」なる新定義はどうでもいいの.
少なくとも西欧とロシアを比較するだけでその質の差はわかるもんだと思うが

521 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/09/09(水) 20:48:19 0
>>520
そもそも国が違うのだから厳密に同じモノを指すわけねーだろ
『農奴』自体訳語なんだから.
ヨーロッパの農奴でさえ,国や地域によってかなり違うのに.

都市民・商工民と違って隷属しているのだから農奴でいいんだよ

522 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/09/09(水) 20:53:08 0
農『奴』か農『民』かの違いは売買されるか否かではないだろ

・(商工民と比べて)過重・不公平な税制,労役
・移動,転職の禁止
・耕作の強制,廃業の禁止

523 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/09/09(水) 20:54:26 0
>>491
江戸時代に「地主」?

524 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/09/09(水) 20:54:42 0
自由民より下であることと,労働が強制されていることと,税負担の不平等(平民のなかで)
これらから,日本の農民は農奴です

525 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/09(水) 20:58:32 0
>>521
農奴自体訳語で厳密に違うのならやっぱり農奴とは違う別物なんじゃねーの?

526 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/09/09(水) 21:04:06 0
農奴=隷属した農民

アンシャン・レジームで貴族と僧の下に都市民と農民を並立させているが,
あれは地位や権利義務の点から

貴族・僧侶>>>都市民>>>>>>>>>>>>>>農民
じゃねえの?

527 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/09(水) 21:07:32 0
それだと小作農も農奴になるぞ

535 :世界@名無史さん :2009/09/09(水) 23:20:37 0
>>513
南北戦争より前のアメリカのアンクル・トムみたいな黒人は,人身そのものが売買されるが,
奴隷であって,「農奴」ではない.
帝政ロシアの農奴も,人身単体で売買されることはない.土地の所有権の移動とともに,土地の
付属品として耕している民の所有権もいっしょに移る.

さて,日本の江戸時代ら辺はどうか.
大きなところでは判りにくい.前田家加賀国ナン万石,毛利家長門国ナン万石とか.
ところが,旗本領とか,役職や,幕府での普請や役職でのご褒美で貰う小さい知行で
ナニナニ国ナニナニ郡ナニナニ村字ナニナニのナン十石戸数ナンボというような
表現の朱印状が出てくる.
幕府は,耕作義務のある農家を把握し管理し把握せよと命じて,人別帳を検地帳と
同時に管理せよと,大名・旗本に命じている.
農家が領地のオマケとして認識され,農民の都合関係なく,土地のオマケとして
やりとりされていた何よりの証拠だ.
つまりは,中世ヨーロッパや帝政ロシアの農奴と,日本の幕藩時代の農奴は質的には
全く同じものだ.

536 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/09(水) 23:26:45 0
>>535
百姓の属していた村に対する視点が足りないな.やり直し.

537 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/09(水) 23:32:24 0
それだと封建制の農民はみんな農奴になるぞ
そもそも成り立ちが違うし大名はユンカーみたいに直接農地を経営していたわけではなく
基本徴税権しか持ってないし幕府が移動禁止なんて謡ってても
実際には各藩で農村出身の出稼ぎが溢れてるし
そもそも農奴として身分が固定されてないから農奴っぽい奴が小作農になってたり普通の農民,
豪農になってたりするのがザラ
それっぽいのはいるが身分としての農奴はいない

538 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/09/09(水) 23:33:34 0
>>535
帝政ロシアでは農奴の売買って無かったの?
19世紀ロシア文学でたまに見かけるんだが

539 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/09(水) 23:37:47 0
>>537
封建制とか中央集権制とか関係無く農奴になるなw

540 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/10(木) 00:02:06 0
>>536
それこそ,一つの村が戸単位で幾つもの領主の所領にまたがって存在していた例
なんて幕藩時代には山のようにある.
離反対策のために小さな所領に分割され,またブランド力から褒賞としてありがた
がられた,上方の近郊の農村や,幕臣に分割して分け与えられた関東平野の農村に,
家屋ごと田一枚ごとに年貢を納める先や率が違う,相続や婚姻の持参に難儀すると
いう話はいっぱいあるよ.

>>537
実際,封建制以前の被支配階層の農民は大抵が農奴と同質.二十世紀に入ってまで
そういう前近代的なものが残っているから,わざわざ「農奴」とか言うわけだ.
幕藩時代の農村出身の出稼ぎなんて,家長・長男はいない.あくまでの土地の付属品の
扱いなので,耕作義務のある者の数が足りていれば,余剰の次男三男が出てゆくことに
領主の関心は無い.但し,耕作義務のある者が移動により不足する事態は,逃散・逃亡
の罪として厳しく罰せられた.

541 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/09/10(木) 00:03:32 0
その定義は一体誰が唱えてるの?

542 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/09/10(木) 00:15:07 0

移動の自由なし,転職禁止,貢納義務

農奴だろ どう考えても

欧州もロシアも日本も 農民=農奴

544 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/10(木) 02:03:09 0
>>537
大名の家中(所領)は,それ自体,統治単位であり,経済単位で,支配層からすると経営するものだよ.
大体,名君と言われた大名のやったことは,殖産興業だったり,新農法やら新品種の
導入だったり,農村の視察だったりするじゃないか.
殿様の命令で,新しく用水路や貯水池を掘ったとか,麦とか菜種の裏作を奨励したとか,
多収穫の稲や大豆を取り寄せて植えさせたとか,自分で馬に乗って領地を回って農民を
激励したとか,そんな話は全国各地にあったろ.そりゃ大名領の殿様が経営をしてた証拠だ.

545 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/10(木) 08:16:48 0
>幕藩時代の農村出身の出稼ぎなんて,家長・長男はいない
普通におります
貧農の長男のくせに江戸へ奉公に出ちゃう奴が
だから「人返し」とかした訳です
因みに農民が自分の田畑を勝手に売買したりもしてます.徴税権と所有権は別モノです

546 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/10(木) 08:21:49 0
農奴というのは家畜に近いそんざいだよ

547 名前: 528 投稿日: 2009/09/10(木) 09:31:28 O
試みたが失敗した例もないでしょうか?

548 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/09/10(木) 10:42:44 0
江戸時代の農民が「農奴」だったら,"よい"や"寄り合い"などの農民自治など認められないだろ

549 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/10(木) 11:32:53 0
>>545
禁止していることをやっちゃってるら,それを厳しく取り締まれという意味で「人返し令」なんじゃないか.
農民が耕作をやめて都市に自由に移動してよいならば,それこそ,人返し令のようなものは出ないはずだ.

耕地の売買にしても同じこと.しばしば禁令は出されているし,売る相手にした
って,遠方からやってきてここに住んで耕すから売れという人にはおいそれと
売らず,同じ農村共同体の成員が相手だし.

>>548
帝政ロシアの農村にも,мирという自治機構があって,農奴が運営していた.
領主や徴税官は年に何度も来ないし,村と村は離れていて往来も大儀だったので
年貢の取り立て以外,殆ど放置だったし.
大体が,ロシア革命後,そのまま,コルホーズに移行している.

555 :世界@名無史さん :2009/09/10(木) 15:59:50 0
なぜ江戸時代の農民を「農奴」と呼ぶか「百姓」と呼ぶかがそんなに問題になるのですか?

557 :世界@名無史さん :2009/09/10(木) 16:04:39 0
ML史観に毒されているかどうか,の見極めなのだ

559 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/09/10(木) 16:18:57 0
ロシアや西欧の農民をなんで【奴隷・半奴隷・隷属民】と言わないのか謎だ

農民って言うと平民みたく聞こえるだろ.
都市民が平民だから,農民(農奴)は奴隷か隷属民だろ

560 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/10(木) 16:25:15 0
農業従事者にもケースバイケースで様々な形態があったことが指摘されているにもかかわらず,
お前のように”農民”で一括りにしてしまう阿呆がいるから無理だ

583 :世界@名無史さん :2009/09/11(金) 02:23:59 0
>>559
前近代に農民が散らばって住んでるのは日本独特の状況で,ヨーロッパも支那も
中近東も,農業は都市の産業で,農民は都市に住んでるものなんだよ.
城壁でや環濠で囲った街におうちがあって,朝,城門を出て田畑を耕しに行って
夕方農具や収穫物を持って町にあるおうちに帰ってくる.

586 :世界@名無史さん :2009/09/11(金) 10:07:29 0
>>583日本人の特性として白人がバカにすることのひとつとして「やつらは
農地に住んでいる」というのがある.耕作に適した土地にわざわざ住むのが
すごくバカだと思われてるらしい(田んぼをつぶして家を建てることなど).
そういえばIT会社が六本木ヒルズなんてヤクザが建てたビルに本社をかまえた
ときも白人は大笑いしてた「インターネットはどこに住んでいても便利だから
ネットなのになんでやつらは都心に高い金をだして住むんだ?」ってな具合.

592 :世界@名無史さん :2009/09/11(金) 12:13:30 0
>>583
だだっ広い平野が続く大陸の特性だろ.平野なら城郭で囲まなければ容易に
征服されてしまうが,平地が少なく山がちな地形でその間の盆地に住んで
畑を耕しているような日本では,人間の移動は容易ではない.
シナにおいても山がちな雲南省近辺では,漢民族に同化していない様々な少数民族が暮らしている.

606 :世界@名無史さん :2009/09/11(金) 16:59:07 0
>>592
そういうところでは,家自体が街だけれどな.
円楼とか,アパルトメントと城壁を兼ねたものだ.

雲南や貴州の本当の山奥に住む山間民族なんかも,見晴らしの良い尾根筋の高台の
一番高い所に村を作って土塁や柵や石垣で囲んだところに家を集めて住んでいる.
毎日毎日一時間も二時間もかかって山を降りて耕しに行っている.
規模は村だけれど,造りは,城壁のある都市そのもの.

世界史板,
青文字:加筆改修部分

 以上,あえて未加工でお送りしました.
 上記のごとく,イデオロギーも絡んで何やら厄介な論争ネタになっていることだけ感じ取っていただければ幸いです.


 【質問】
 ワラキア公国の公は神聖ローマ帝国の爵位ですか?

 【回答】
 ワラキアやモルダヴィアは,公爵(duke)じゃなくて公(prince).
 東欧にはよくある,王位を持たない独立君主.
 まあ実際は,ハンガリーやオスマンに臣従していて,宗主国の許可が必要なことも多いけど.

 そもそも国の成り立ちが,現地ないし近隣の豪族が諸部族を統一したためで,フランク王国の一部だったり,西欧国家の征服事業によるものじゃない.

世界史板,2009/09/12(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
「ローマは三たび世界を征服した.最初は武力により,二度目は宗教により,最後は法律によって」
とありますが,二度目にどのようにして宗教によって征服されたのでしょうか?

 【回答】
 それ,イェーリングの「ローマ法の精神」にある文句.
 順番は武力→宗教→法律の順でよい.

ローマ帝国:武力による征服
ローマ・カソリック教会:宗教による征服
中世以降の欧州におけるローマ法継受:法律による征服
ってこと.

 もちろんレトリックなんだけど,このレトリックの肝は第三項.
「俺らローマ法研究者も,その担い手である,
 ヨーロッパ大陸諸国におけるローマ法継受という現象は,パクス・ロマーナや教皇権の成立に匹敵する世界史的大事件なんだよ」
というのがイェーリングの要点.
 ローマ帝国における支配原理の変遷云々という話ではない.

世界史板,2009/09/12(土)〜09/14(月)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 奴隷貿易の時代,何故フランスやイギリス等は,現地に居る人間を労働力として単純に接収するだけでなく,虐殺にまで至ったのでしょうか?
 もちろん全てではないと思いますが,例えばオーストラリアのアボリジニ然り,
 フランスのマルティニーク島もそうだったと聞きます.
 現地民を残らず殺してから,黒人を奴隷として持ってくるというのは,傍から見ると非効率的なようにも思えるのですが.

 あと,人間ってそんなに簡単に人間を虐殺しまくれるものなのでしょうか?
 第二次世界大戦やベトナム戦争では多くのアメリカ兵が,戦闘によるストレスに苦しんだとも聞きますが.

 【回答】
 そこは良くも悪くも商業的合理性を重視する英国のやることだから,アフリカから連れてきたほうが安く上がる採算はあったんだろう.
 根強く抵抗する原住民より,既に奴隷化が成ってる連中を使ったほうが簡単だろう.

 アメリカ大陸では先住民族を奴隷化する試みあったが,
「すぐ逃亡するので使い物にならない」
という結論に達している.
 そりゃ,草原に逃げればすぐ自活できる能力があったわけだし.
(サムエル・エリオット・モリソンの「アメリカの歴史」だったかなぁ……
 これでなければ奴隷制度の歴史に関する本だったと思うけど,さすがに覚えてない)

(もっとも,熱帯アフリカに近い風土の中南米では,逃亡黒人(マルーン)が密林や山中に集まって,村や町を形成したというが)

 それにアボリジニに関しては,まず第一にとにかく醜い人種として,まったく完全に人間扱いされなかった.
 「黒人のブロンド」は気持ち悪かったわけ.
 ここへ乗り込んできた流刑イギリス人は,狩猟感覚で撃ち殺すのに,何もためらわなかった.
 アボリジニは別に,全部が全部射的の的にされたわけではないが.

 つーか,アボリジニは狩猟採集民なので大陸全土でも最大30万人ほどしかいなかった.
 生活に適した土地を追われ,疫病や白人や犬に襲われ,じゃあ普通の野生動物でも絶滅するわな.

世界史板,2009/09/16(水)
青文字:加筆改修部分

 もう答は出てるけど,追記すると,インカ,マヤ,アステカのような文明形成を行っていなかった先住民が,奴隷として役に立たなかったのに比べ,カリブ海や合衆国南部やブラジル北東部のような特に暑いところでは,白人よりもアフリカでの農耕経験があった黒人の方が,遥かに農業労働者に適していたことも大きな要因かな.
 ブラジルの話をすると,ジルベルト・フレイレの『大邸宅と奴隷小屋』が,この分野(とブラジル現代思想)の古典だけど,フレイレはここで
先住民>>黒人
の図式を否定し,黒人の農業に対する貢献だけではなく,音楽,宗教,料理,性関係など熱帯地方の開拓に黒人がもたらした,様々な事物を賞賛している.
「農業を忘れて堕した,文盲のポルトガル人入植者や,労働の習慣のないインディオより,アラビア語読める西スーダン黒人の方が文明的だろ!」
てな感じで.

 もちろん黒人輸入と並行して,南米でも北米でも先住民を捕えて奴隷にして〜ってことも,19世紀まで行われてた.
 半分先住民みたいな,パラグアイ戦争のパラグアイ軍の捕虜の末路なんかは,ホントに悲惨.

ウゴウゴ ◆eaYqa3SeLE in 世界史板,2009/09/16(水)
青文字:加筆改修部分


 【追記】
904 :世界@名無史さん :2009/09/16(水) 15:30:40 0
旧日本軍の士官て貧乏なの?
ちょっと見直した
当時の庶民(百姓や労働者)より貧しいのか?

じゃあ兵隊とか下士官ってのは職業じゃなく,完全に徴兵で賄ってたの?
あと,小作人や日雇いの倅でも兵学校に入学して士官になれるの?

 【回答】
905 :世界@名無史さん :2009/09/16(水) 15:38:02 0
>>904
そもそもが,国力に対して国軍の規模が大きすぎたのが問題で,
日露戦争以来巨額の軍事予算が日本にとって負担だった
そのしわ寄せが士官の給与にもいってたわけ
下級士官は普通の会社員よりは断然貧しかったな

兵卒や下士官は徴兵,兵学へはそれ以前の学歴と学業成績が問題になる
兵学卒の士官は日本社会でもエリートと呼んで差し支えはなかったが,
それと実際の待遇との落差が逆に不満を呼びクーデターに繋がったわけ

906 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/09/16(水) 15:54:54 0
イギリスでは士官は紳士階級(ジェントリや中流)だったし
ドイツでは貴族だしなぁ

凄い差だ
ってか百姓や都市庶民でも士官になれるとは素晴らしい

907 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/09/16(水) 15:59:32 0
ま,その点では一応は先進的ではあったか
もっとも完全な学歴社会であって,卒業生席の順位で
その後の出世の序列まで完全に決まっちまうんだけどな
兵学校の年度主席でもなければ将官は望めん
大抵は大尉少佐あたりでおしまい

912 :世界@名無史さん :2009/09/16(水) 16:56:40 0
戦前でも貧乏人は士官になれんぞな.篤志家の寄付や奨学金で普通行くのは帝大だしね.
たたき上げで下士官任官とかはあるけど,それ以上は士官学校卒じゃないと絶対に無理(明治初期を除く).

中尉とか少尉の下級将校は,地主の次男とか三男が多い.家長たる長男は帝大に行って学士様になるのが
戦前の旧家ぞな.

世界史板,2009/09/16(水)
青文字:加筆改修部分


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