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(ただし,「である」「です」調の統一のため等の補正を除く)
※既に分類され,移動された項目を除く.
世界史なんでも質問スレッド 67
目次
【質問】 モンゴル帝国の大膨張と,しばらくのちに跡形もなく消えたさまは,最大の謎じゃないでしょうか?
【質問】 毛沢東の父は,貧民から労働によって中農になった方ですよね?
【質問】 西欧文明は他の文明より優れているって考え方は,いつ頃生まれたんですか?
【質問】 鎖国期に海外で活躍した日本人って,山田長政以外にいますか?
【質問】 いったいゲルニカ空爆の悲劇性,世界史における位置づけってどんなものなんですか?
【質問】 『ベルサイユのばら』に出てくるアンドレとかフェルゼンとかオスカルは,実在の人物なのですか?
【質問】 イギリス国王が(インド皇帝にはなっても)イギリス皇帝にならなかったのはなぜでしょうか?
【質問】 フェニキア人のバアル崇拝は歴史上いつ頃消滅したのですか?
【質問】 「革命前夜のフランスでは,第一身分と第二身分だけで国土の40%を支配していたにも関わらず,税金は1円足りとも払わなかった」で合ってる?
【質問】 フランス革命の民衆の本当の敵は国王ではなく,王の名の下に富を握っていた貴族たちなのでは?
【質問】 ポルトガル人日本初来航に,1542年説と1543年説の両方があるのは何故?
【質問】
モンゴル帝国にはどう考えても,その「必然性」がないように思えるのだが?
たとえばアレクサンドロスの大遠征は,ペルシアへの報復がきっかけという理由もあり,世界観そのものが限定されていなかった時代だから,進めるところまで進んだと納得できる.
十字軍の180年に及ぶ大遠征も,キリスト教統一の野望をもったローマカトリック教皇の世俗的関心のほかに,西欧の王と,封土を増やしたい封建騎士層と,イタリア商人と,増えすぎた農民たちまであわせた野心のアクションだったといえる.
ロシアの近代以降の領土拡大は,農地獲得,遊牧民の捕獲と奴隷化,アジアへのアクセスと,やはり納得できる.
アメリカの西進も,農地獲得,産業資本家の意欲,ゴールドラッシュ,対アジアのアクセスとして,また理解できる.
だがモンゴル帝国の大膨張と,しばらくのちに跡形もなく消えたさまは,いったい何だったのかと思う.
最大の謎じゃないだろうか?
【回答】
まずチンギス・カンが「天命を受け」て,「地上の全ての土地を支配下におさめるため」に大遠征を行った.
チンギスについては
・軍事的天才であったこと
・良くも悪くも生粋の遊牧民であったため,長期間特定の土地を占有し続けることによる安定の発想がないこと
・様々な民族から統治ノウハウを持った人間を吸収し続けたため,偶然短期的には安定をみせたこと
などの複合的要因じゃないかね.
そして「仲間に入れば得をするから,儲かるから」と情報を流して服属させた.
その過程でキタイやらテュルクやらウイグルやらソグド・イラン人やらムスリムやらチベット人やら漢人やらを呑み込んで巨大になり,大帝国を効率的に維持経営するために,いろんな人々が世界中の知恵を持ち寄り,アフロ・ユーラシア大陸規模の商業が盛んになって,みんなが「うまい汁」をすすれるようになった.
銀や紙幣を国際通貨にしたのはモンゴルだし,世界中の文化が混一して花開き,欧州にはルネサンス文化が起こる.
しかし14世紀には,気候変動や疫病が打ち続き,大モンゴル帝国はだんだん柔弱になって力を失った.
大元ウルスはモンゴル高原に退いて分裂抗争したが,チベットや明に攻め寄せたりもした.
またティムール朝やムガル朝,オスマン朝,モスクワ大公国,シャイバーニー朝,明・清など,多くのユーラシア大陸の政権は,モンゴル帝国の遺産を受け継いだ.
世界史板,2009/05/23(土)
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【質問】
平和な時代の平和な国の政治家や官僚ならともかく,レーニンやスターリン,毛沢東らは自分の生命を危険に晒してまで革命を行いましたが,それも国をより良く,国民をより幸せにするためですよね?
それなのになぜ,できあがった国があんなのになってしまったのでしょうか?
権力を握って人が変わってしまったのでしょうか?
【回答】
「革命の理想」とやらを,勢力を糾合しうる政治力とカリスマを持った人間が,本当に信じているかは分からないし,仮に信じていたとしても,善意に基づいた行動が,本当に良い結果をもたらすとは限らない.
金日成・正日親子だって,自分たちの体制が維持される範囲では,国民にできる限りいい生活をさせたかっただろうよ.
その「いい生活をさせたかった」結果があのハゲ山だ.
あの過密栽培とか山林伐採など滅茶苦茶な農業政策も,
「どうだ愚民ども! 俺の言うとおりにすればもっとたくさん食べられてウハウハだぞ!ワッハッハ!」
なノリだった.
善意って素晴らしいよな.
そして,「人民のため」と信じ込んでる人間ほど,「人民の敵」に対して残虐になれるのさ.
「人民」を「神」に置き換えれば分かりやすいだろ.
共産主義の残虐ぶりは,前近代の宗教戦争の残虐ぶりと同じ性質なんだよ.
世界史板,2009/05/23(土)
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【質問】
毛沢東の父は,貧民から労働によって中農になった方ですよね?
【回答】
毛沢東は富農の地主階級出身.
――――――
中国には「族譜」とよばれる記録がある.
日本の系図に似ているが,記述されている内容はずっと豊富であり,一族の系譜にはじまり,伝記,墓地,祠廟,家規家訓におよぶ.
したがって族譜の編纂には,調査研究や出版のために多額の費用がかかる.
族譜がつくれる宗族は,少数の大地主にかぎられる.
毛沢東は,「封建的宗法的支配」こそが地主体制をささえていると攻撃したが,毛沢東一族は族譜をもつほどの家柄なのであった.
毛氏一族は科挙とは縁が薄かった.
第三代の毛有倫が歳貢――科挙制度のもとで国子監で学ぶ資格を持つ者――になったのは珍しい例であり,国子監の学生になる者(監生,現在の大学生)さえほとんどなく,大部分は韶山で農民として暮らしてきた.
しかし,毛恩毅(一八代)が清代提督軍門で重要な職務についたように,軍功を立てて官職を得た者は少なくなかった.
たとえば毛沢東の祖父の世代740人のうち,功名を立てた者は10人いるが,9人は軍官である.
毛沢東の父の世代814人のうち,功名を立てた者は26人で,うち17人は軍官である.
毛沢東の世代670人のうち,功名を立てた者は17人,うち14人が軍官である.
――――――横浜市大名誉教授矢吹晋著『毛沢東と周恩来』講談社現代新書
http://www18.big.jp/~yabukis/chosaku/maozho91.pdf
世界史板,2009/05/23(土)
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【質問】
西欧文明は他の文明より優れているって考え方は,いつ頃生まれたんですか?
また,その考え方は,今でも残ってたりするんでしょうか?
【回答】
優れているか,劣っているかを決めるのは,普遍性と「正統」性があるか無いか.
ヨーロッパ文明(白人)がすごいのは,どこに行っても自分たちが人類普遍の正統な存在だと信じて疑わず,そのように近く主張し続けたこと.
他の文明圏の人間も,同様に自らが正統だとか普遍だとか言いきれば良かったんだけど,残念ながらアジア全般でもアフリカでも,正統で普遍なのは王や皇帝,その取り巻きの神官や貴族だけだった.
一般人は,自分が卑しい家畜のちょいと上くらいにしか思っていなかった.
だから,「一人ひとりが普遍的で正統な市民」だと主張する白人に,もう参りっぱなしなわけだ.
世界史板,2009/05/26(火)
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※ 要出典項目
【質問】
現在のオーストリア人は人種的にも民族的にも広義の「ドイツ人」に入るようですが,彼らの祖先はゲルマニアにいたゲルマン諸部族の一派なのですか?
オーストリアは元々はケルト人の居住地で,ゲルマニアとは同一でなく,BC1世紀にはローマの属州になっていますよね.
現在のオーストリア人のルーツは,いつ頃どのようにこの地へやって来た人達なのでしょうか?
【回答】
一つに絞ろうというのが無理な話.
いろんな民族が集まって,たまたま共通語としてドイツ語を使った,ってだけの話だ.
現在の主なオーストリア人の祖は,カール大帝時代に植民したバイエルン人.
もちろん先住のケルト人らと混血は進んでいる.
問題はバイエルン人自体,人種的にはゲルマン系ともケルト系とも言われ起源がはっきりしない,というより元々混血種である可能性が高い事.
それでもバイエルンに定住した時点で,民族的には「ゲルマン化」しており,ドイツ語を話しドイツ文化を持つ集団としてオーストリアへ入ったので,彼らの移住をもってオーストリアは「ゲルマン人」の地になったと言えるだろう.
オーストリアとかバイエルンとかスイスとかアルザスとかにいる「アレマン人」は,ゲルマン・ケルト混血.
プロイセンやブランデンブルグに至っては,半分スラヴと言っていい,
世界史板,2009/05/31(日)
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【質問】
鎖国期に海外で活躍した日本人って,山田長政以外にいますか?
全然聞かないのですが…
【回答】
ジャカルタ現地軍司令官・今井信親.
ルソンの傭兵隊長・大津秀興.
カンボジアのサワタブ総督・小田光茂.
そのほか多数.
世界史板,2009/06/04(木)
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【質問】
ゲルニカ,ゲルニカっていうけど,いったいゲルニカ空爆の悲劇性,世界史における位置づけってどんなものなんですか?
死者1650人って東京大空襲の10万人と比べて全然少ないし.
フランコってそんなに非道だったんですか?
教えてください.
【回答】
ゲルニカ空爆は1937年.
まだ第2次世界大戦も始まっていないころなので,一つの都市に対する無差別爆撃というのは,当時としては衝撃は大きかったんだろう.
特にフランコの独裁政権がずっと続くことになって,その後のスペインの悲劇の始まりを象徴する事件となった.
もちろん,ピカソの絵のせいもあるけど,ピカソが絵を描いたのは,それだけ大きな衝撃を受けたからでもあるわけで.
世界史板,2009/06/13(土)
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【質問】
今日,姉が子供のころに買った,『ベルサイユのばら』という漫画を読みました.
これに出てくるアンドレとかフェルゼンとかオスカルは,実在の人物なのですか?
【回答】
ベルばらに限らず,歴史モノの物語の登場人物には,
A)史実に基づく人物
B)作者の創作した人物
さらに
C)実在の人物をモデルに作者が創作した人物
D)歴史研究家の間で実在が疑わしいとされる人物
また,Cの延長系で
C2)実在の複数の人物の人格を合体させた人物
がある.
池田理代子の上手いところは,オスカル,アンドレと言った架空の人物を,史実に矛盾を及ぼさない範疇で巧みに織り込んだところ.
ちなみに日本では一般に,マリー・アントワネット関連に関しては比較的広く知れ渡っているが,それにはこの「ベルサイユのばら」が貢献している.
<ベルサイユのばらの主な登場人物>
オスカル→架空
アンドレ→架空
ロザリー→架空
ただし獄中の王妃の世話係となり,その手記を残した,同名の女中は実在.
アラン→架空
『エロイカ』にも登場して,ナポレオン戦役に従軍.
「大陸軍(グラン・ダルメ)はーッ!」「世界最強!」と叫んだかどうかは知らない.
ベルナール→架空
というか,当時の新聞記者を美化しすぎ.
フェルゼン→実在.
フェルゼンは革命機運が高まるフランスから,国王一家をオーストリアへ逃がそうと画策するが,バレンヌで国民に見つかってしまう.
これには国王マンセーの国民もブチ切れ,一気に革命が加速.
これがバレンヌ逃亡事件.
帰国したフェルゼンはその後,カール・アウグスト王太子事故死に関して,暗殺の首謀者と噂される.
そして1810.6.20,同王子の葬儀執行中に群集によって惨殺され,遺体は裸にされてドブに投げ込まれた.
マリー・アントワネット→実在.
実は浪費家ではなかったとの説も.
現在は幽霊としてベルサイユで活躍.ブロッケン男爵の物真似が得意.
ルイ15世→実在.
ポーランド継承戦争,オーストリア継承戦争にて領土を得るが,財政を圧迫.
フランス財政破綻の遠因を作る.
天然痘で死亡.
ルイ16世→実在.
処刑される.
史実でも優柔不断だと言われている.
デュ・バリー夫人→実在.
フランス革命でギロチン.
ポリニャック伯爵夫人→実在
革命が起きると真っ先に国王夫妻を見捨て,オーストリアに亡命.
ウィーンで急死.
ジャンヌ・バロア→実在
脱獄後,ロンドンに逃亡.
1791年,同地で窓から転落して即死.
精神錯乱の発作のためとも,強盗に襲われたためとも言われている.
オルレアン公→実在.
共和政宣言ののちは,国民公会に擦り寄ったり,ルイ16世の処刑に賛成票を投じたり.
でも結局ギロチン刑.
7月王政で即位したルイ・フィリップは,こいつの息子.
ミラボー→実在
立憲王政派の指導者となり,国王処刑に反対.
死後,国王との密約が判明し,遺体は民衆の手でゴミ捨て場に放り出される.
ロベスピエール→実在
恐怖政治を行うも,自分自身もギロチンで処刑.
のちに「ナポレオン 獅子の時代」の中で,童貞だと告白.史実かどうかは不明.
マッセナ→実在
ナポレオン軍の高級指揮官中,最強.
略奪欲も最凶.
「うわー,マッセナおっかねぇー.
やべー,俺も早くマッセナ団入れてもらわなきゃ…,もしくは橘組若獅子会」
上泉信綱→実在
死亡年月日は諸説.
「攪拌(かくはん)だ…… 刃物を使ってな」
超厄介な陸軍→実在
厄介過ぎて自滅
「まさかラストバトルでの武器が竹槍とはな……ウフフフフ」
ミッションクリア条件:竹槍でアメリカ軍を全滅させろ
ゲーリング→実在
WW1ではドイツのエース
WW2では厄介な空軍.
ニュルンベルク裁判で死刑を宣告され,絶望して自殺.
ハルトマン→実在.
WW2ドイツのトップ・エース.
世界最多撃墜数を誇る.
1993.9.20,死去.
ルッキーニ→実在.
WW2におけるイタリア空軍トップエース(26機)
1943.7.5,294回目の出撃に際し,カタニア上空でアメリカ重爆撃機群を迎撃して,その1機を撃墜したが,爆撃機の防御砲火により撃墜され,戦死.
宮藤一郎→架空
理研由来かと思ったのに.
つまらん.
ルーデル→実在
信じられないが本当だ.
徳仁親王→実在.
日本の皇太子.
宝塚の,いわゆる「平成ベルばら」を観劇したことは,あまり知られていない.
490 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/06/13(土) 17:53:49 0
源氏物語はB・C・C2ばかりなのに,なんで古文でやらなきゃいけないんだろう?
491 名前: 461 [sage] 投稿日: 2009/06/13(土) 18:02:17 0
古文は国語科であって社会科にあらず.
世界史板,2009/06/13(土)
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【質問】
リトアニアのような大国が王国になれなかった一方で,イベリア半島には王国が多数あったのはなぜでしょうか?
後,イギリス国王が(インド皇帝にはなっても)イギリス皇帝にならなかったのはなぜでしょうか?
【回答】
イベリア半島は実は多民族.
バスク人やラテン系,イスラムなど.また文化言語で地域差が激しかったから.
大英帝国と言う言い方がある.
イギリスと海外領土を含めた総称としてイギリス帝国,大英帝国と言っている.
あと,イギリス王位はグレートブリテンおよびアイルランド連合王国国王が呼称.
基本的な帝位はローマ教皇が戴冠するもの.
イギリスはローマ法王とは断絶していた.
ナポレオンもローマ法王に形式的に戴冠を受けている.
世界史板,2009/06/13(土)
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【質問】
フェニキア人のバアル崇拝は歴史上いつ頃消滅したのですか?
やはり中東ではイスラエル人のユダヤ教に押されて衰退し,アレクサンドロスの征服によるギリシャ化,ポエニ戦争でのカルタゴ壊滅で止めを刺されたという感じなのでしょうか?
【回答】
ユダヤ教に押されるどころか,バアル信仰はシリアやフェニキアやカルタゴでも普通に続いていた.
多神教の神々は,ヤハウェのように異教神との習合を拒むこともなかったので,ギリシャのゼウスやヘリオス,ローマのユピテルなどと習合し,国家の守護神として広く崇拝されている.
シリアの聖地バアルベックはヘリオポリスと呼ばれ,バアル・ハダド神がユピテル・ヘリオポリタヌスとして崇められた.
イシス・オシリス信仰がローマ時代に「国際化」が進んだのと似たようなもので,ユダヤ教徒もそれほど異教根絶のための闘争とかやってない.
やればローマに潰される.
こうした「異教」の神々が根絶・破壊されていくのは,もちろんローマ末期のキリスト教徒による.
とどめはイスラム化.
世界史板,2009/06/13(土)
青文字:加筆改修部分
【質問】
王国と帝国の違いは何ですか?
【回答】
王や皇帝といった称号の建前として,王を名乗って受け入れられるには皇帝や教皇といった,より上の権威により承認されないといけない,
皇帝はローマ皇帝ただ一人しか居ない,というのがあった.
この建前を崩壊させたのがナポレオン.
彼はローマと全く関係ないがフランス皇帝を(勝手に,と言ってよい形で)名乗った.
教皇は正当性をちょいと増すために呼びつけられただけ.
これ以前と以後では,称号の重みがかなり違う.
まして非ヨーロッパだと相当軽い.
これを理解するのにわかりやすい例としては,プロイセン王国の成立過程と,神聖ローマ帝国終焉後のドイツの王号の乱立とを見るといい.
話を戻すと,中世イベリア半島の諸王国は王国として承認されてるので王国,
リトアニアはそうではないので大公国だった,としか言えない.
ぶっちゃけ国力は関係ない.
まぁ,広い国だとナントカ王を名乗れる領域を含んでるので,それを名乗ってる,ってケースはしばしばあるけど.
世界史板,2009/06/14(日)
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【質問】
革命前夜のフランスでは,第一身分と第二身分だけで,合わせて国土の40%を支配していた.
にも関わらず,無税の特権をもっていたので,税金は1円足りとも払わなかった.
これで合ってる?
【回答】
どちらも広範な免税特権を持っていたが,1円もというわけじゃなくて一応は払っていた.
貴族は直接税と間接税を免除されているが,人頭税と二十分の一税は払わされていた.
全収入からいえば微々たる額だし,その額とて農民の汗から払われることは言うまでもない.
革命前夜のフランスは深刻な財政難の状況にあったので,王権側の財務総監は財政健全化のために,貴族の免税特権を弱めようとした.
貴族がそれに反発して王権との争いになった.
聖職者は基本的に無税だが,「無償貢納金」という自発的な献金という形を取ってある程度の支払いはしていた.
また,財政難の際には王権の要望によって,会議を開いて臨時課税に「応じる」という形で支払いをすることもあった.
ただし体面上は,あくまでも王権に協力してやってるだけな訳だから,払いたくねーよというだけで簡単に中央集権を脅かすことが出来た.
それにこれらの支払いも,やっぱり第三身分出身の底辺司祭にしわ寄せがいっていた.
革命が始まるとこうした底辺司祭は,あっさり革命側に廻った.
世界史板,2009/06/17(水)
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【質問】
結局はフランス革命前夜は絶対王制を謳いながら,官僚も国軍も貴族や外国人.
だからフランス革命の民衆の本当の敵は国王ではなく,そう言った王の名の下に富を握っていた,旧態思考の貴族たちなのでは?
【回答】
フランス革命を「民衆」の反乱ととらえることが間違い.
まず,国王の権力を弱めて自分たちが権力を握ろうとする王族,貴族がいたこと.
それから,市民階級が台頭してきたこと.
都市では裕福な商人や工場主が富を蓄えてきて,貴族と同じような生活をするようになってきた.
そこで単に生活だけでなく,貴族の持ってる特権も欲しくなった.
だからフランス革命は
・王族,貴族
・裕福な市民
・貧しい民衆
の三つ巴.
世界史板,2009/06/18(木)
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【質問】
ポルトガル人日本初来航に,1542年説と1543年説の両方があるのは何故?
【回答】
当時の東シナ海は明が解禁策をとってたせいで,ほとんどの貿易業者が倭寇などの海賊だった.
そいつらがポルトガル商人と取引してて,鉄砲も手に入れてただろうと推測される.
んで日本に売ろうと思って種子島に来たと.
タイミングよく日本の大商人が種子島にいた,ってのがうさんくさいよね.
もとから取引しに来てたんちゃうんか?と.
世界史板,2009/06/20(土)
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【質問】
そもそもなんでフランスだけに,王制打倒の革命が起こったのですか?
フランス以外にも国王独裁の国が,掃いて捨てるほど当時のヨーロッパにはあったはず.
他のヨーロッパ諸国で王制が廃止されるのは19世紀とか20世紀で,フランスだけが早いのが不思議です.
【回答】
18世紀後半のフランスは生活レベルと識字率が向上して,その頃発展してた啓蒙思想が非特権身分の都市市民にも浸透し始めてたから.
キリスト教は奴隷の道徳とはよく言ったもので,フランス市民は啓蒙思想を学ぶまでは,キリスト教の精神的支配に置かれて,自分の現状に気付くことも出来なかったから,それまではろくな反抗も起きなかった.
この頃は哲学なんて貴族のお遊びに過ぎなかったが,その哲学を市民が学んだことで起きた化学反応がフランス革命.
ただ,フランス革命という前例が出来た以上,その後の革命は哲学の化学反応を待つ必要もなくなったわけで,フランスで起きなければその後50年以内に何処かで革命が起きて,その革命が今のフランス革命のようなモデルケースになったはず.
もちろん啓蒙思想の発信地だったことも関係してるが,フランスはたまたま早く条件が整っただけとも言える.
世界史板,2009/06/23(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
七年戦争が,ヨーロッパと東アジアの関係の歴史を考える上で一つの転機となった,と言える理由ってなんですか?
‥近代世界システムの歴史が関係あるみたいなんですが,‥言ってて自分でよく意味わからないですorz
【回答】
ヨーロッパの中で見れば・・・
プロイセンに涙目のオーストリアとフランスの同盟.敵対関係解消→マリー・アントワネットのフランスの嫁入り→フランス革命
プロイセンの巨大化→後にプロイセン中心のドイツ体系へ
フランスとイギリス→フランスはオーストリアとともに七年戦争参戦.イギリスはプロイセンの資金援助のみ→北米などの植民地での英仏間の戦争でイギリス勝利
英仏の植民地再構築→イギリスは北米,カリブ,インドでの優位とフランスの低迷→イギリスの植民地獲得競争の優位→産業革命
イギリスの財政難→プロイセン支援で財政難→北米に重税→アメリカ独立戦争へ→アヘン戦争,フランス革命
イギリスのインド優位→イギリスによるインド植民地化のきっかけ→綿花産業で巨大化→産業革命,アヘン戦争
東アジアと関連付ければ,七年戦争加担の財政難打開で,北米植民地に重税をかけ,それが引き金にアメリカ独立戦争が勃発.
その戦費を稼ぐべく,植民地インドのアヘンを中国に密輸.
中国がアヘン禁止を打ち出すと,イギリスとアヘン戦争勃発.
結果,東アジアの大国であった清の化けの皮がはがれる.
そういう意味では,七年戦争は単なるヨーロッパ内のごたごたではなく,世界史的に今後起こるいろんな事柄のきっかけをたくさんはらんでいる,世界史規模の転機といえる.
世界史板,2009/06/23(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
フランス革命は民衆が立ち上がり,既得権益を倒し,民衆の国家を作りました.
これは今の日本では駄目なのでしょうか?
一部の官僚政治家金持ちだけがハッピーで,一般国民は重税のわりに社会保障お粗末,失業と治安悪化に政治は無茶苦茶.
国民が立ち上がり革命を起こすことは可能でしょうか?
また,世界史上でこれに学ぶべき例はありますか?
【回答】
革命でなんとかなるのは,旧政権と新政権がともに専制国家であり,旧政権の問題点が暗君による独裁権力であり,かつ新政権が名君を擁している場合ぐらい.
もし,社会主義にせよ,自由主義にせよ,民主国家であった場合は,むしろ母集団の性質の問題なので,人々を無駄に傷つけるだけで逆効果.
逆に革命によってしか覆せないのは,選挙や官僚の採用が「不可逆の制度として」公正でない場合.
腐敗によって公正でない場合は,内側から変える方が正しい.
結局,革命を起こした所で,腐敗を生んだ国民の体質自体は変わらないからな.
革命起こしたあとの官僚機構をどうする?
腐敗したままの現官僚機構を引き継ぐか?
それとも試験も経てない,腐敗を生んだ国民の中から,いいかげんに選んで職につけるか?
試験をやるにもある程度,しっかりした体制は必要なわけだ.
革命なんていうアドレナリンがバリバリ出て,快感でたまらなくなるようなもので国が変えられると思ってるのは,あまりにも世の中を甘く見てる.
世界史板,2009/06/27(土)
青文字:加筆改修部分
【質問】
ポソ宗教戦争って何?
【回答】
これはインドネシアで起き,2001年まであしかけ4年近く続いた地域紛争.
注意しなければならないのが宗教戦争という言葉.
確かに発端は,キリスト教系住民とイスラム系住民の喧嘩から宗教施設の破壊,(自分から見て)異教徒信者宅の破壊から始まって,キリスト教徒対イスラム教徒という構図に見えてしまう.
しかしそれ以前に,ルピアの下落と物価高騰があり,さらにポソ自体に経済の主体はイスラム教徒と言う点で,キリスト教徒にはイスラム教徒への不満もあった.
だから単に宗教戦争と言っても,宗教イデオロギーの違いで起きた部分の他に,この土地の経済構造も原因しているともとらえることが出来る.
たとえば末期の十字軍も,聖地奪還という情熱よりも市場確保の意味合いが強くなっていた.
考えれば,宗教なんてまあそんなもんなでしょうね.
世界史板,2009/06/29(月)
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