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青文字:加筆改修部分
 ただし,「である」「です」調の統一のため等の補正を除く.

※既に分類され,移動された項目を除く.
 また,著作権上問題のある回答が意外に多く,これも除外.

※レス回収基準は「Ver.7」


【初心者】スレッド立てる前に質問を Part13【歓迎】

目次


** 【質問】
 なんで室町幕府が崩壊してすぐに,烏帽子直垂は廃れたの?
 豊臣政権下の肖像画でも,裃タイプの礼装が多いし…

 【回答】
 すぐに廃れた訳ではありません.
 室町後期の戦乱の時代になると,地方の武士が戦いだして世に出てきて,中央にあった古来の文化が廃れ,戦う男のスタイルに取って変わっていっただけのこと.
 要は,戦乱が服飾を変えていったのです.
 頭を剃る月代(さかやき)がスタンダードになってくるのも,この戦国時代から.
 束ねただけの髪では,兜を被ると蒸れるから剃ったのが始まりとか.
 スポーツ刈りみたいなもんです.

 何といいますか,学校で一日の3分の2が体育授業になってしまったら,学生服がジャージに,髪型もスポーツ刈り&ショートが普通になっていったようなものと思えばよろしいかと.

 それでも『忠臣蔵』の松の廊下シーンをみれば分かりますとおり,烏帽子直垂は武官のフォーマル着としてあり続けたのですが.

日本史板,2005/08/21(日)
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 幕府を開いても,地方などによる内乱は続いているんですよね?
 幕府というものは国内一の権力を持っているものではないんでしょうか?
 朝廷に将軍に任命されても,現在で言う政府のような存在ではなり得ないんですか?

 【回答】
 在地で起こった紛争に対する,中世の幕府のスタンスは基本的には,訴えがあったときに裁判を行って,裁定を下すというものです.
 在地で起こる紛争は,原則として当事者間で解決すべきものと見なされており,紛争が起こっていても訴えがなければ,原則として幕府は介入しませんし,当事者間での紛争解決手段として,実力行使も容認されています.
 また,幕府等に訴える場合でも,証拠書類等は当事者が自力で全て揃えて提出するのが原則ですし,刑事事件の場合は容疑者さえも,原告の側で捕縛して幕府の奉行所に引き渡さない限り,受理されません.

 但し,幕府が何らかの裁定を行った場合には,その判決は当然強制力を持ちますので,それに従わない者がいれば,幕府による制裁の対象になり得ます.
 例えば,幕府の統治能力が低下したとされる戦国時代においても,実際には幕府は多くの訴訟の受理・裁定を行っていますし,その判決が実際に執行されている実例も,かなりあります.

 もっともその後,戦国時代を経た結果,最終的に織豊政権以降,こうした紛争解決における当事者主義,特に当事者間による実力行使は否定されるようになって,江戸時代に至るわけです.

日本史板,2005/08/23(火)
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 バテレンが首に付けてる,ヒダヒダした白い物は何ですか?

 【回答】
 英語ではruff,訳して襞襟(ひだえり).
 何の捻りも無いが(笑

 由来はレース編みなどの付け襟.
 16世紀から流行り始めた.
 諸説あるようだが,イタリア発祥らしい.

 只のファッションだから,形式が決まっていた訳ではなく,貴族達はこれでオシャレを競っていた.
 エリザベス1世の襞襟は,肖像画でお馴染みと思うが,特にデカイので「エリザベスカラー」と呼ばれた.

 あまりにブームが過ぎたのと,真似られるのを嫌ったことで,エリザベス女王は1562年に贅沢禁止令(Sumptuary laws)を発令,平民に対し,女王と同じファーチンゲール(張り型のスカート)とラフの着用を禁止している.

 こんなのも17〜18世紀にかけて廃れ,スチュワート朝のときは現在とそう変わらない襟になっていった.

http://www.jp.getronics.com/today/spazio/spazio63/koyama2.html
http://kuni.milky-web.net/F2.html
http://www.graftons.jp/SOURCE/costume.htm

日本史板,2005/09/27(火)
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 戦国時代にも,戦争を行う上でのルールはあったのでしょうか?
 武士として人としてやるべき事とか,敵に対してもやってはいけない事ってありましたか?

 【回答】
 敵に対しての倫理的規範というのは,特に無い.
 源平時代や昔の中国に見られる儀礼的なもの,美談に象徴されるような倫理的なものが,あるにはあったが,戦国時代に発生したものではない.

 だが,規範がないことは非道を意味するものではない.
 「人質を取っている相手と不和になったから殺す」というのは当然だが,必ず行われていた,ないしは,必ず行わなければならないものではなかった.
「人質が気になって戦えないだろう.どうせ避けられないのなら」
といって,さっさと人質を返して戦闘することも多かった.
 このへんは,現代人がドラマに騙され毒されている面がある.

 即ち,守ってもよし,守らなくてもよしのもの.
 だから,規範は公的普遍的なものとして扱われなかったというほうが正確.
 非道ではなく,無道.
 道無きがゆえに,綺麗に作られることもあったのだ.

 しかしそんな時代だから,味方の軍勢にたいしての掟,すなわち内的規範は,非常に厳しいものになっていった.
 これは行政制度にも還元,浸透し,江戸時代の秩序の原型になってゆく.

日本史板,2005/10/06(木)
青文字:加筆改修部分


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