c

目次へ   「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ   サイト・マップへ

青文字:加筆改修部分
 ただし,「である」「です」調の統一のため等の補正を除く.

※既に分類され,移動された項目を除く.

※レス回収基準は「Ver.5」

※この纏めは,HN「ホワイトアイス」氏のリクエストに基づく


どうしてないのよ魚雷艇スレ

「2ch. 軍事板」◆(2003/07/04〜)どうしてないのよ魚雷艇スレ

目次


** 【追記】

2 :一等自営業 ◆BVruYgneoI :03/07/04 01:54 ID:???

2げっと!

軍事板,
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 我が帝国海軍の魚雷艇って,なんで語られることが少ないの?

 【回答】
 いちおう存在はしたけど,まともなエンジンがなくて,20ノット台しか出ないんでは意味がない.
 苦肉の策で金星を搭載してみるものの,空冷星形エンジンじゃ,冷却もメンテナンスも×.
 このあたりは,プレジャーボートなど小型高速艇の文化があった欧米と,小型船と言えば漁船しかなかった日本との差なんでしょうね.
 漁船系の哨特や駆特なんかは,それなりにちゃんとしたものができたのに,高速艇は駄目だったのは,技術の蓄積と産業の基盤がなかったのが原因.

 船体設計は日本でもそこそこのものが出来てたのですが,問題はエンジン.
 高出力で軽量のエンジンと言うものが作れなかったし,技術者は航空優先.
 しかも日本の航空エンジンは,空冷星形が中心だったので,そこからの流用も出来なかったってのがネックだったんですね.
 その点でやはり抜きん出ていたのはドイツで,一貫して高出力のディーゼルを使い続けました.
 防弾が貧弱な魚雷艇の場合は,燃料にガソリンを使うのと重油を使うのとでは安全性に大きな差があったのは言うまでもありません.

 でも,いちばん大きいのは戦術思想であることは言うまでもなし.
 アメリカなどは民間で培った技術が,30年代の禁酒法時代に,密輸船の建造を通じて飛躍的に向上.
 それをベースに開発されたのが,大戦時の魚雷艇.

 もっとも,そのアメリカにしてさえ,当初から魚雷艇を戦力として整備していたわけではないってのがおもしろいですね.
 なにしろ開戦時の保有総数が,わずか29隻なんですから.
 軽視してたのはアメリカもいっしょで,違うのは必要となってからの動きなんですよね.

 それに,国民性もあるようです.
 日本では駆逐艦乗りと潜水艦乗りを別にすれば,でかい船ほど水兵さんの憧れで,補助艦艇などと言うものはグリコのおまけくらいの感覚でしたから.
 魚雷艇ってのはある意味,西部劇に出てくる騎兵隊みたいなもので,アメリカ人の気質にとてもマッチしていて,アスリートを中心に,配属を希望する人も,あとを絶たなかったようですしね.

ゆうじん : 軍事板,2003/07/05〜07/06
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 日本海軍T14型魚雷艇は,捕獲したインドネシア海軍のものを参考にしたと聞いたが,本当?
http://akimokei.hp.infoseek.co.jp/t14.html

 【回答】
 一応,日本海軍の魚雷艇としては,MAS系統,ヴォスパー系統,Sボート系統の3種類があって,MAS系統は隼型,Sボート系統は甲型,ヴォスパー系統は乙型と呼ばれていました.

 MASの購入艇は,戦前(と言っても1940年)にBaglietto社から購入したもので,保管していたものは後に雷撃兵装を撤去して,エリコン20mm機銃×2を搭載した隼1号艇に改造され,実戦に投入されています.
 排水量26t,全長18mなので,時期的には,MAS451級かMAS526級の何れかだと思われますが,詳細は不明です.
 ちなみに,MASはその前の1923年にも一回,購入しているみたいですね.

 件のページに書かれている538号型は乙型ですが,元々,この魚雷艇の船体は,中華民国海軍の捕獲艇を参考にしたと言われています.

 ただ,蘭印海軍のTM4の一隻が,横須賀に送られて現状調査に供されたこともあるので,一概には言えないかも知れませんが.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 軍事板,2003/07/06
青文字:加筆改修部分

 私が直接話を聞いたのは元魚雷艇学生で,その後川棚へ配属になり,震洋部隊にいた方でした.
 その方によると,T14型は全金属製で高出力,高速の良い機材であったとの事です.
 戦後調べた防衛庁資料部に,T14型と蘭印海軍の結びつきを示す資料があったそうです.

 隼1号艇が排水量26t,全長18mというのは貴重な情報でした.
 このサイズならMAS451級の方ですね.
 MAS526級は一回り大きいようです.
http://www.regiamarina.net/arsenals/ships_it/mas_vas_ms/mas451.htm

 因に500クラスで最小クラスの第2シリーズMAS451級は,伊海軍ではMAS451艇とMAS452艇しか船籍登録が無く,日本に売却されたのは,他に輸出用に何隻か作られた内の一隻だった可能性があります.
 1923年に購入したのは,年代から言ってMAS204級あたりでしょうか.

 ついでにMAS526艇から529艇の526級4隻は,1942年にフィンランド戦線のラドガ湖に,第4シリーズのMAS551級7隻は1942-43年に東部戦線の黒海に,遠路はるばる陸路で派遣され展開していたりします.

 それにしても意外な所で,伊海軍デチマ・マス部隊と日本海軍の接点が見えて,興味深いです.
 こうなると,震洋艇の開発プランに,マス部隊のMTM高速特攻ボートの存在が絡んでいたという話は,あながち駄法螺では無いように思えて 来ました.
 引き続き調べてみたい点です.

maro' : 軍事板,2003/07/06
青文字:加筆改修部分

 今村好信氏の「日本魚雷艇物語」を今読んでいるところですが,日本海軍が1940年に入手したMASは,MAS451級のものを日本向けに建造したものとのことです.
 日本海軍の要求では,このMAS艇は50Knot/hを検収条件にしていたのですが,その検収条件に0.5Knot足りず,若干のペナルティを課せられたそうです.
 とは言え,この艇を購入するのに,日本海軍は50万円もの大枚を叩いています.
(なお,Elco 20ft艇は22万8,100ドルだったそうです)

眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 軍事板,2003/07/23
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 しかし不思議なのは,どうして日本海軍の魚雷艇は45cm魚雷しか装備しなかったのかと言うことですな.
 61cmは無理やとしても,日本軍の性格として,他国並に53cmを装備するのが普通やと思うんですよ.
 しかも発射管やなくて,命中率の下がる落射機.
 重量軽減のためとは言え,これまた日本軍らしくないような気がするんですよ.
 これはもしかして,腰だめで当てられる距離まで肉迫することを,前提にしていたからなのでしょうか?

ゆうじん : 軍事板,2003/07/10
青文字:加筆改修部分

 【回答】
 寧ろ,53cmを搭載していたのは米国のPTボートとドイツのSボートだけで,英国のMTB,イタリアのMASは45cmを採用しています.

 落射機を搭載していたのは,機構が簡便だったからと発射管と違って,容易に撤去出来るからでは無いかと思いますね.
 日本の魚雷艇は,魚雷艇本来の使われ方よりも,駆潜艇とか砲艇的に使われたのではないかと愚考します.
 装備を容易に変更,撤去出来るようにして,複数の任務を持たせるのは,日本の十八番ですからね.

 それと,45cmについては,53cmの生産余力が無かったからではないでしょうか.
 また,53cmの魚雷に関しては,酸素魚雷は機構が複雑で大量生産に向かず,電池魚雷は速度が出ないので,魚雷艇の魚雷としての意味を為さない.
 結局,第一線兵器ではない(と見なされた)魚雷艇用の魚雷については,性能がそこそこで,量産をしやすい45cmで十分と言う認識があったのかもしれません.
(ちなみに,日本の魚雷艇は,二式魚雷と四四式魚雷が使われていたそうです.
 これは,甲標的などの小型潜水艇の魚雷としても使用されています.
 本来は,甲標的には九七式,九八式の酸素魚雷が使われていますが,末期には,酸素魚雷の入手が出来ずに,魚雷艇用の魚雷を流用したそうです.)

眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 軍事板,2003/07/10
青文字:加筆改修部分

 眠い人氏が答えているので,おまけの話題になるのだが….

 45cm魚雷の製造ラインは,明治27年に富士の水中発射管に装填して以来,止まっていない.
 じきに一等水雷艇や駆逐艇に搭載され,水上艦では楢型が引退する昭和10年まで使用している.
 そんな調子だから,潜水艇も45cm魚雷を第一艇から搭載し,L2型が引退する昭和15年まで使用.
 甲標的の開発は昭和9年スタート,充分に45cm魚雷が入手できた.
 魚雷は試射するたびに回収して再利用するので,実数は急に減るものではない.
 そこに甲標的や魚雷艇の量産が始まるわけだから,まずはストックの45cm魚雷から……,となるのではないか?

鷂@元とんぼでし ◆Kr61cmWkkQ :軍事板,2003/07/22
青文字:加筆改修部分

 米国のPTボートの話ですが,その魚雷は,駆逐艦と同じく,21inMk.8を採用しています.
 で,そのために船体が大型化し,船体長は70ftから77ftに増加しています.
 しかも,Mk.8は供給量が十分ではなく,航空機用のMk.13を採用しています.
 これはMk.8に比べると,全長は2.5m近く縮みましたが,直径は寧ろ4cmほど大きくなって,
 重量も増加しており,船体の強化が必要となって,77ftから80ftに再び船体が延ばされました.

 発射装置ですが,初期は発射管です.
 発射管に魚雷を装填し,攻撃時には,それを僅かに外に向け角度を付けます.
 そして,圧搾空気で推進プロペラを開店させると同時に,爆薬に点火して発射すると言うプロセスを経ています.
 で,魚雷は内部のgyroscopeの方向指示で敵艦に向かって操行し,命中すれば,攻撃成功となる訳ですが,荒天に於いては,発射管の操作が難しく,発射管が船体に近接しているので,発射時に魚雷が船体に衝突して,方向が変ったり,海面上に落下した衝撃で,gyroscopeが壊れるケースもありました.
 しかも,発射管には,魚雷充填時に潤滑用にグリースや油脂を使用していたため,発射時に火薬がそれらに引火し炎を発生します.
 それを,狙われた敵艦が発見すると,回避が容易です.

 そこで発射管を撤去し,装置の重量軽減,甲板利用面積の拡大,命中率の向上など,効果が著しい落射機が考案し,採用されたのです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 軍事板,2003/07/24
青文字:加筆改修部分



** 【質問】
 なんか,航空魚雷からの転用やからとか聞いたことがあるようなないような気がするんやけど,ほんまのとこどうなんでしょ?

ゆうじん : 軍事板,2003/07/10
青文字:加筆改修部分

 【回答】
 確かに初期の航空魚雷に関しては,45cmの四四式2号を改造したものの様です.
 しかしながら二式魚雷は,同じ45cmながら,重量は1tに及びます.
 九一式航空魚雷は重量800kgですから,転用ではないと思いますね.
 ちなみに,魚雷艇の魚雷は空気式です.

 四四式2号では,外径450mm,全長5.39m,重量750kg,炸薬110kg,星形四気筒の原動機で,射程4000mで雷速35kt,8000mで雷速26ktだそうです.
 二式では,外径450mm,全長5.60m,重量1000kg,炸薬350kg,星形八気筒の原動機で,射程3000mで雷速39ktに向上しています.

 参考までに,MASの魚雷は,A.110/450×5.1"Silurotto"と言うもので,外径450mm,全長5.10m,炸薬110kgを搭載し,機関は横形二気筒の原動機で,射程2000mで雷速44ktに達しています.
 もう一つ,A.110/450×5.28と言うもので,外径450mm,全長5.28m,炸薬110kgを搭載し,機関は横形二気筒の原動機で,雷速38ktで射程2000m,雷速26ktで射程6000mを実現しています.
 共に,Whitehead社製です.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 軍事板,2003/07/10
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 1次大戦における,イタリア海軍のMAS型魚雷艇による,オーストリア海軍相手の戦果を教えてください.

 【回答】
 イタリア魚雷艇(MAS)が襲撃したオーストリア海軍艦艇:
○ 撃沈成功
× 失敗

1916年6月7日・・・商船ロクルム(inドウラッツオ)→○

       25日・・・商船サラエボ(inドウラッツオ)→不明

     11月2日・・・装甲艦マルス[旧テゲトフ](inポーラ)→×

1917年12月10日・・・海防戦艦ウイーン(inトリエステ)→○

1918年5月12日・・・商船ブレゲンツ(inドウラッツオ)→○

     6月10日・・・ド級戦艦セント・イシュトヴァーン(inダルマチア・プレムダ島付近)→○

軍事板,2003/07/04〜07/11
青文字:加筆改修部分

 MASボートは,少なくとも第1次大戦ではたいした兵器だったようだ.
 以下,世界史板より.

------------
◆第一次世界大戦におけるイタリア,オーストリア両国海軍の戦闘その9◆

 前年のカポレットでの敗北によりイタリア軍は大きな打撃を受けていたが,1918年を迎えたオーストリア・ハンガリー帝国も長引く戦争により極度に疲弊しており,昨年末から各地でストライキが起きるとともに,国内の各民族も自立の動きを見せ始めていた.
 海軍でも食料や燃料の不足が指揮にも影響を及ぼし始め,1月にはポーラでストライキが発生,
 続く2月1日には,最南部のカッタロ軍港に停泊していた軍艦数隻から,社会主義思想に影響されたスラブ人水兵たちの暴動が発生し,海軍はポーラから戦艦3隻を派遣して,鎮圧に向かう有様だった.

 一方イタリア海軍は,2月10日の夜にルイジ・リッツオ大尉の率いる魚雷艇(MAS)3隻が,詩人ガブリエレ・ダヌンチオを同乗させて,オーストリア海軍の軍港フューメ近郊のブッカリ(バカー)湾を襲い,同地のオーストリア艦艇4隻を撃沈した.
 これは「ブッカリの嘲り」と呼ばれて,イタリア国内で広く宣伝された.

 オーストリア海軍では3月1日になると,マクシミリアン・ジェゴバンにかわり,ホルティ・ミクローシュ少将が最後の海軍(艦隊)司令長官に就任した.
 連合国側はアドリア海南部で,オトラント海峡の封鎖線の復旧を目指して活動を開始し,2月21日にはオーストリア潜水艦U23がヴァロナ沖で連合国輸送船を襲撃したが,これはイタリアの水雷艇に撃沈され,4月22・23日にはオーストリア駆逐艦5隻が再び同地を襲撃し,英駆逐艦4隻としばらく交戦したのちカッタロへ引き上げた.
 5月12日にはイタリアMAS艇2隻が,ドウラッツオを襲い,同地でオーストリア商船ブレゲンツを雷撃して沈め,翌13日にはオーストリア潜水艦U27がオトラント海域で英駆逐艦フィニックスを撃沈した.
 北部ではMASが17日にポーラ港に侵入したが,オーストリア側はこれを捕獲することに成功.

 こういった戦闘が続く中,ホルティは海軍の総力を挙げてオトラント海峡を制圧することを計画し,準備を進めた.

 その後,陸軍がイタリア戦線で攻勢に出たのと呼応し,ホルティ・ミクローシュの指揮するオーストリア海軍は,6月8日には自らの率いるド級戦艦ビリヴス・ウニーティス・プリンツ・オイゲン,水雷艇5隻を,続く9日にはド級戦艦テゲトフ,セント・イシュトヴァーン,駆逐艦1隻,水雷艇6隻をポーラからアドリア海に出撃させた.
 これと同じころ,前ド級戦艦エルツヘルツォーク(大公)・カール,エルツヘルツォーク・フリードリヒ,エルツヘルツォーク・フェルディナント・マックス,軽巡洋艦アドミラル・スパウン,ノヴァラ,ヘルゴラント,サイダ,駆逐艦8隻が,オトラント攻撃のためにカッタロに到着していた.
 ホルティは軽巡4隻,駆逐艦8隻に海峡の封鎖ラインを襲撃させ,続いてド級・前ド級戦艦7隻を含む主力艦隊を用いて海峡の強行突破をはかる,それと同時に潜水艦部隊がブリンディジとヴァロナを襲撃して,準ド級戦艦3隻がベネチア沖に進出することで,戦局の挽回をはかろうと考えていた.

 ド級戦艦4隻は2隻ずつの2隊に分けて南部のカッタロ軍港へ移動していたが,6月10日の3:30am頃,戦艦テゲトフ,セント・イシュトヴァーン,駆逐艦1隻,水雷艇6隻よりなる第2艦隊は,ダルマチア北部のプレムダ島付近で,アンコーナから哨戒活動のため出動していたルイジ・リッツオの率いるイタリアMAS艇15号・21号の襲撃・魚雷攻撃を受けた.
 オーストリア戦艦は副砲により反撃に移ったが,戦艦セント・イシュトヴァーンには魚雷2本が命中し,同艦は艦内が停電して暗黒となり,また艦の右方傾斜をしばらく続けた後6:00am過ぎには,ついに横転沈没した.
 これにより乗員1000人のうち,最後まで艦底に残っていた89名が戦死した.
 一方,退却するMASをオーストリア水雷艇が全速力で追撃したが,リッツオは対潜爆雷を投下して,敵水雷艇の艦首を吹き飛ばし,最終的にこれも沈没させた.

 この時,ホルティの率いる第1艦隊は,すでにカッタロの近くまで進出していたが,最終的に軽巡・駆逐艦部隊が封鎖ライン北部に進出するにとどまり,作戦は中止され,艦艇の大部分はポーラ・カッタロへ引き上げた.
 これはオーストリア主力艦隊の最後の出撃となった.
------------

軍事板,2003/09/14
青文字:加筆改修部分


** 【追記】

40 :maro' :03/07/12 03:12 ID:???
後方滑射式を更に突き詰めた伊海軍の一人乗りMTSや二人乗り小型魚雷艇
MTSMAも面白いです.どちらかと言えば特攻魚雷艇の趣きもありますが,
MAS艇の最終進化型を見る思いがします.
http://www.anb-online.org/Piani/Profili/PMilitari/0354GB.htm
http://digilander.libero.it/Falkayn/regiamarina/carmezaseng.htm

ラ・スペツィアの海軍博物館でMTSMA艇の実物展示が見れます.
http://www.regiamarina.net/arsenals/mtsma/mtsma_photo_us.htm

それにしてもどうやって発射したのか?やはり敵艦前でターンを切りつつ
発射!の形態だったのでしょうか.これは初期のマルレ艇の爆雷攻撃方法に
通じる所がありますが,いずれにせよ無事生還は望めそうに無い模様.

44 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/07/12 22:34 ID:???
無誘導の魚雷はそもそも確率兵器ですから,多数のものを一斉に発射した方が
命中する確率は高くなりますな.
また,魚雷艇は本来,奇襲兵器な訳ですから,一隻や二隻で行動することは殆ど
無いでしょう(そうなったときは負け戦).
ついでに,こういうものは大海原で使用するものでもなく,島嶼の影から一斉に突っ
込む様な戦法を取る訳で.

イタリアの場合,地中海に多数の島嶼が散らばっているので,魚雷艇が身を隠しや
すかったのもあったでしょうし,内海であることから,そんなに波に対する対応は気に
しないですんだのかもしれません.
(第二次大戦参戦当時,一番多くの魚雷艇が配備されていたのは,ラ・スペチアと共に,
 エーゲ海のレロス島だったりします)

MTMの様な自爆艇では,例えば,1941年3月26日のクレタ島に於いて,6隻で重巡
Yorkとタンカー,貨物船各一隻を撃沈しています.
ところが,7月のマルタ島侵入では地上の沿岸監視用レーダーに探知されて失敗し,
8隻は撃沈されています.

ちなみに,MTSは英国が第一次大戦中に製作したCMBと同じ形態で建造されていたり
します.
最初のMTSの場合,航続距離は90海里のみ.
MTSMでやっと,200nmになり,MTSMAで250nmとなりました.

この小型魚雷艇の中で戦果が記録されているのは,MTSM228だけで,1942年8月29日に
英国の護衛駆逐艦Eridgeを撃沈しているようです.


45 :maro' :03/07/12 23:53 ID:???
>>44
そうですね,MTSもMTSMも戦隊運用で敵艦に群がるような攻撃方法を取っていたと
聞きます.42年8月29日の英国の護衛駆逐艦Eridge撃沈時も4隻のMTSMと6隻の
MTM特攻ボートが攻撃に参加.因にMTSMは44年2月20日にアンツィオ沖で米海軍
パトロール艇PC545を撃沈している記録もあります.

48 :maro' :03/07/14 21:58 ID:???
>>45を補足しますと44年2月20日に攻撃を行ったMTSMは,枢軸側サロ共和国
(RSI)海軍デチマ・マス部隊所属の艇で,一応イタリアと言えばイタリアです.
因に同部隊のMTM特攻ボートは45年4月16日深夜の攻撃で仏海軍駆逐艦
トロンベ大破の戦果を挙げて,搭乗員も生還しています.

軍事板,2003/
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 巡洋艦出雲が日華事変で中国魚雷艇に襲撃を受けたけど,彼らは雷撃後どうなったのだろう?

 【回答】
 旧式艇はさて置き,民国海軍が1930年代に入って整備・発注したのは15隻.
 MASに準じた3〜4号艇(1931年)
 Thonycroftの55ft艇である1〜2号艇(1934年)
 馬力強化型の5〜8号艇(1936)
 LurssenのSボートである101〜103号艇(1937年)

 このうち,101号型は当初7隻が発注されたが,引渡は3隻のみ.
 残余は日中戦争勃発に伴いキャンセルされ,S2〜S5として独海軍籍に,また1938年に完成した魚雷艇母艦も,Tangaと命名して,独海軍籍になっています.
 なお,102号は大戦を生き延び,共産党政府に捕獲されたが,後に国府海軍に再奪還され,1960年代まで現役だったらしい.

 1〜2号は1938年に香港に遁走し,そこで英海軍籍に編入されてMTB26,27となり,1941年に撃沈.
 残りの5〜8号のうち,少なくとも1隻は日本軍に広東で捕獲され,残りは1937〜38年に航空攻撃などで破壊されてます.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 軍事板,2003/07/19
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 19世紀末から20世紀初頭にかけての,帝國海軍の水雷艇には,どんなものがありましたか?

 【回答】

水雷砲艦 千島 竣工1892年  同型艦なし

水雷艇第01号型 竣工1881年05月 同型艦03隻 ヤーロー社製

水雷艇第05号型 竣工1892年03月 同型艦13隻 クルーソン社製

水雷艇第15号型 竣工1893年10月 同型艦01隻 ノルマン社製

水雷艇第21号型 竣工1894年06月 同型艦01隻 ノルマン社製

水雷艇第22号型 竣工1893年08月 同型艦18隻 シーシャウ社製

水雷艇第29号型 竣工1900年03月 同型艦01隻 ノルマン社製

水雷艇第39号型 竣工1901年02月 同型艦09隻 ヤーロー社製

水雷艇第50号型 竣工1900年11月 同型艦09隻 ノルマン社製
 15号型をベースに,国内で建造される.

水雷艇第67号型 竣工1903年06月 同型艦08隻 シーシャウ社製
 22号型をベースに国内で建造される.

水雷艇  小鷹 竣工1888年10月 同型艦なし ヤーロー社製
水雷艇  白鷹 竣工1900年06月 同型艦なし シーシャウ製
水雷艇  隼型 竣工1900年04月 同型艦14隻 ノルマン社で4隻を建造,以後は国内で建造される.

紫明 ◆M6R0eWkIpk :軍事板,2003/07/22
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 WW2における,
英国MTBの原因別喪失隻数は?

 【回答】

『British Motor Torpedo Boat 1939-45』(Osprey Publishing,2003/6/20)
によれば,

水上戦 18隻
航空機 15隻
機雷 12隻
他艦艇のとの衝突 10隻(うち友軍艦艇との衝突によるもの7隻)
火災 9隻
自沈 6隻(うち損傷後,標的として処分1隻)
浸水 5隻
陸上砲火 3隻
海難 3隻
貨物として輸送中に喪失 2隻
不明 2隻

 衝突による喪失が多いのに驚く.

軍事板,2003/10/05
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 WW2における,
アメリカのPTボートの原因別喪失隻数は?

 【回答】

 『PT Boat a at War』によると,損害は総計69隻.
 内訳は,
水上戦 5隻
航空機 7隻(うち1隻が機銃掃射,2隻は特攻,他は爆撃による)
機雷 4隻
他艦艇との衝突 6隻(うち友軍艦艇との衝突によるもの5隻)
友軍による誤射 7隻(うち航空機5隻,他は艦艇による)
火災 5隻
自沈 5隻
座礁後放棄・破壊 17隻
陸上砲火 5隻
海難 5隻
貨物として輸送中に喪失 2隻
不明 1隻

 なお,『世界の艦船』第328集(1983年10月号)には,『ワイヤー年鑑 1953/1954』からの数値が掲載されている.
 それによると,
「68隻中座礁,衝突,海難によるもの21隻,航空攻撃11隻,艦艇及び陸上砲火8隻,エンジンなどの爆発4隻機雷3隻,その他及び不明21隻」
と少々異同がある.

軍事板,2003/10/10
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 WW2のイタリアはMASだけで,MGBみたいな高速砲艇は保有してなかった

 【回答】
 MAS438級とVASがそれに当るかと.
 前者は,40tの艇体に76mm40口径砲1門と機関銃2丁装備の32kt/h快速艇.
 後者は,魚雷発射管も搭載できますが,その代わりに20mm65口径砲を2門搭載する事が可能でした.
 但し速度は,行って20ktでしたが.

 そう言えば,英国のMTBの一部には,Italy製Issota-Fraschiniエンジンを搭載したものもありましたね.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 軍事板,2003/10/15
青文字:加筆改修部分


目次へ   「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ   サイト・マップへ

軍事板FAQ
軍事FAQ
軍板FAQ
軍事初心者まとめ