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第二次世界大戦中の東欧の軍隊、兵器を語るスレ

青文字:加筆改修部分
 ただし,「である」「です」調の統一のため等の補正を除く.

※既に分類され,移動された項目を除く.

※レス回収基準は「ver = 5」

※既出Q&Aの関連記述は,「追記」で処理.

※編集に手間取りそうなもの,または,調査が必要なもの等は,<保留>として後日回し.

目次


 【link】

204 : 名無し三等兵[] 投稿日:02/08/16 02:10 ID:p/KI4sgq [2/2回]
>>203
人に歴史ありですな

私はスレッド的に参考になりそうなページとか貼っておきます.
有名所&既出なのは勘弁して下さい.

世界各国の軍用機
ttp://www.d-b.ne.jp/t-key/world/world_menu.htm
世界各国軍用機の国籍標識
ttp://www.qnet.com/~moonbase/roundels.htm
世界各国有名エース
ttp://www.elknet.pl/acestory/aces.htm

世界各国の軍用車両
ttp://isweb13.infoseek.co.jp/photo/combat1/index.html
ttp://mailer.fsu.edu/~akirk/tanks/
ttp://www.wwiivehicles.com/index.htm
世界各国の編成
ttp://www.freeport-tech.com/WWII/index.htm
ttp://www.geocities.com/kumbayaaa/armedforces.html

世界各国の軍艦
ttp://www.warships1.com/index_ships.htm

180 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/08/04 22:25 ID:???
>>179
WW2のルーマニア軍の事を取り扱ったホームページの
題名になっているぐらいですからな,オランダのヘルメットは.
http://www.armata.home.ro/index.htm

211 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/08/18 21:40 ID:???

さて,実家の自分の書庫を漁って,ちょっとこのスレのネタになりそうなもの
を少々仕入れてきました.

グリーンアロー出版の亡命空路には連合国に亡命した各国の空軍の話が
書かれており,PolandのHawk PublicationのI.A.R.80/81のIn Action.
Squadron社のWarsaw Pact AIR FORCES…には戦後すぐの貴重な写真
もいっぱいあります.

それから,スロヴァキアの出版社が発行した,Slovak Airman.
スロヴァキア空軍の歴史と,亡命したスロヴァキア人パイロットの戦歴など
が書かれた本です.

あと,文庫クセジュのバルト三国.
なかなか,第一次大戦末期から占領までの歴史は複雑ですね.


** 【質問】
 【回答】
6 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:2002/06/27 00:14 ID:???
そう言えば,去年の夏くらいに「ポーランドは強かったか」というスレが
ありましたね.

ハンガリー,ブルガリア,ルーマニアの末期の戦闘機はBf-109だけど,
ポーランドのP.Z.L.24とかそれから派生したルーマニアのI.A.R.81,ハンガ
リーのRe-2000と言うのもなかなか味があって良い.
ポーランドの低翼単葉戦闘機は結局モノにならなかったけど,P.Z.L.50が
Re-2000みたいな機体だったな.

あと,ハンガリーの爆撃機,He-270とかJu-86,それにイタリア製のCa-135
と言うのもいかにも小国らしくて萌え.

ルーマニアは独伊と英仏のせめぎ合い.
ブレニム有り,S.M.79有り,He-111有り,Br.693….

あと,それぞれ国産機も独特ですね.

軍事板,2002/06/27
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】
10 : 名無し三等兵[] 投稿日:02/06/27 18:50 ID:lERABqZE [1/1回]
駆逐艦を強いとか弱いとか,書くと笑われるかもしれ無いけど,
ポーランド海軍が戦間期に保有したグロム級はあの手のマイナー海軍の
持った艦としては破格なくらい高性能な艦だったと思う.

イギリス製なんだけど速力は39ノットを誇る(その代わり,航続距離は3573浬)
装備はころころ変わったみたいだけど船体がトライバル級より大きいので
装備はいつも充実していた.

2隻建造されるんだけど,2隻ともポーランド降伏後イギリスに逃亡,
その後ネームシップのグロムはあっさり沈むんだけど,
同型艦のブリスカヴィッツアは終戦まで生き延びその間に,
ZH1,Z32及びドイツの哨戒艇を撃沈.
1976年に退役するんだけど,退役後はミュージアムシップに・・・.

軍事板,2002/06/27
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】
11 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/06/27 23:27 ID:???
>>10
ポーランドは後,フランスはCNF製のWicher級を保有してましたね.
潜水艦もフランス製のWilk級3隻,オランダ製のOrzel級2隻と結構
バランスが取れた海軍力を有していましたな.

Orzel級のSepは1977年まで生き残りましたね.
発展型がフランスに発注されたけど,フランス崩壊で破壊されたし.


12 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/06/28 00:53 ID:???
>>11
ポーランド海軍って今にして思うと,歴史とか浅いわりにはよく活動しましたよね.
開戦直前に駆逐艦三隻を,バルト海で戦わせるためイギリスに送り出したり.
個艦に限ってみても,駆逐艦Orzelとか潜水艦Wilkとかよくイギリスに脱出しましたね.

13 : 13 : 投稿日:02/06/28 00:57 ID:???
ごめんなさいOrzelは潜水艦ですね

14 : 名無し三等兵[] 投稿日:02/06/28 20:39 ID:ZUYtGftM [1/1回]
すいません.自由ポーランド軍に関して質問があるのですが.
http://www.st.rim.or.jp/~kishimot/french.html
このサイトにフランス戦艦パリが亡命ポーランド海軍に宿泊艦として使われたとありますが.
宿泊艦とはどのような物なのかイマイチわかりません.
(戦闘とかは無さそうですけど)具体的にどのように使われたのか,
この場合の所属は(自由)フランス海軍か(自由)ポーランド海軍かそれとも,拿捕したイギリス軍なのか知りたいのですが.


それと光栄から出ている艦船名鑑にイギリスから巡洋艦を貸与されたというような記述があるのですが,
具体的にどのクラスのどの艦が貸与されたのか興味があるのですが.
どなたか教えて下さいませんか?

15 : 名無し三等兵[] 投稿日:02/06/28 20:45 ID:nwmHzPaJ [1/1回]
ポーランドって地理的に不利だっただけで,
当時としては結構軍事大国だったようだ

16 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/06/28 21:59 ID:???
>>14
宿泊艦は,文字通り水兵のためのホテルとして使われた物もあるけど,確か
水兵の養成のために,港に停泊してシーマンシップの基本を教えるための艦
と言うのもあったと思う.
これは兵学校で教育を受けて,即実戦艦艇に配属する訳ではなくて,港に繋
留されている状態の旧型艦で,まずはホースの使い方とか,缶の調整などの
基本を学び,それから実戦部隊に配属する為の過程を練習する艦でもある.

ポーランドの場合,海軍の兵や海員はそのままパリを根城にドイツとの戦いを
行ったのだろうが,亡命してきた民間人の志願者がまず教育を受けた所でも
あったのではないだろうか.

で,後段の質問ですが,1943.1.15にD級の軽巡洋艦"Dragon"が引き渡されて
います.
これは,1944.8.7にNormandyでNeger人間魚雷の攻撃を受け,大破,橋頭堡付
近で座礁してしまいました.
これの代わりに,1944.10.4に同じくD級の"Danae"が引き渡され,"Conrad"となり
ました.
こいつは,1946.9.28に英国に返却されるまで,ポーランド海軍に在籍しています.

蛇足ですが,後亡命ポーランド海軍に貸与されたのは,G級の駆逐艦"Garland",
旧フランスから英国が接収した駆逐艦"Ouragan"…こいつは41年に自由フランスに
引き渡されていますね.
それから,N級の"Piorun",M級の"Myrmidon"(Orkan)…後者は43年に大西洋で
撃沈されました.
あとはHuntII級が3隻あります.

更に旧米艦のS25潜水艦が英国経由で"Jastzab"となり,U級の潜水艦二隻が,
引き渡されています.

結構,亡命海軍の人的資源は豊富だったと言うべきでしょうか.

軍事板,2002/06/28
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】
22 : 名無し三等兵[] 投稿日:02/06/29 21:53 ID:eX+dB/KV [1/1回]
東欧で海軍を持っていたのは,ポーランド,ルーマニア
あとギリシャ,ユーゴスラビア(ここら辺も東欧だよね)ぐらい?
ポーランドは実力はともかく海軍はこじんまりしていますね.
この中ではギリシャ海軍が大きめ?
でも仮想的のトルコ海軍相手だとつらそう.

23 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/06/30 00:09 ID:???
>>22
う〜ん,ギリシャは東欧には入らないと思うけど.
それなら,バルト三国も含むんじゃないかな.
ま,いいや.

エストニアは,旧ロシア帝国の駆逐艦を引き継いで使ってましたが,これを
1933年にPeruに売却されていますね.
代わりにヴィッカースに潜水艦を発注しています.
一隻は撃沈されましたが,もう一隻のLembitはソ連時代を生き抜き,
1979年に記念艦になっています.

ラトヴィアはフランス製潜水艦が二隻,これらは自沈.
リトアニアは海軍に金がかかっておらず哨戒艦のみ.

チェコスロヴァキアは,河用砲艦1隻の他は小型艦艇だし,ハンガリーも似たようなもの.
ブルガリアは意外なことに海に面していながら,海軍には魚雷艇とか砲艇,哨戒艇しか
保有していない.

ルーマニアは小型偵察巡洋艦Marasti級を二隻保有していた.
実質は駆逐艦だけどね.
後はイタリア製のRegele Ferdinand級駆逐艦が2隻,イタリア製潜水艦が3隻+潜航艇が
2隻とそこそこ有力.

ユーゴスラヴィアは最大の艦艇が旧ドイツの軽巡洋艦Niobeで,Dalmacijaと改名して練習艦
として使用していた.
本当はオーストリアハンガリー二重帝国海軍の艦艇,特に弩級艦を欲しがったらしいが,イタ
リアの横槍で頓挫した.
てなわけで,英国に大型駆逐艦Dubrovnikを発注し,それを旗艦としてフランス製Beograd級
駆逐艦を3隻,潜水艦は英仏それぞれ二隻ずつ保有.


25 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/06/30 00:31 ID:???
>>23の続きだけど.

そう言う意味では,ポーランド,ユーゴスラヴィア,ルーマニアが一番
バランスが取れている海軍と言えるでしょうね.

ギリシャはトルコが仮想敵ですから,もそっと軍備は充実していまして,
前弩級艦ですが,米国のMississippi級戦艦2隻をKilkis,Lemnosとして
保有しています.
両方とも,スツーカに撃沈されましたが.
本当はドイツに超弩級戦艦Salamisを発注していましたが,戦争勃発で接収
されました.(砲塔が米国製だったので,完成できませんでした)
フランスにもProvence級を発注しましたが完成せず.

巡洋艦は2隻,と言っても1隻は装甲巡洋艦,もう1隻も防護巡洋艦です.
一隻はGeorgios Averoffで,1910年のイタリア製.
ある大金持ちからの献金で建造されたもので,この人の名前が艦名に
なってます.
こいつは大戦を生き抜き,地中海,大西洋で活躍しました.
もう一隻は清国の注文流れのHelle.
これは1912年に米国で完成したものの,革命で引き取れず,1914年に
ギリシャが買い取りました.

駆逐艦はイタリアのFrecciaをタイプシップとしたYdra級4隻,英国G級を
タイプシップにしたVasilefs Georgios級2隻があり,潜水艦はフランスの
Circe級をタイプシップにしたKatsonis級2隻とその発達型Proteus級4隻が
ありました.

対するトルコが,巡洋戦艦1隻,旧式巡洋艦2隻,イタリア製駆逐艦4隻と,
英国製駆逐艦が3隻,ドイツデザインの小型沿岸潜水艦が2隻と,中型〜
大型潜水艦が5隻,イタリア製潜水艦が2隻,英国製潜水艦が4隻と,両国
でバランスが取れていますな.

27 : 名無し三等兵[age] 投稿日:02/06/30 07:44 ID:???
Dubrovnikはチェコ製シュコダ14cm速射砲が,ちと萌える.
色々と使いづらそうな艦だけど….
にしても,ユーゴスラビア海軍は殆ど役に立たなかったような….
一応魚雷艇2隻と潜水艦1隻が連合軍側に脱出したけどこれも目立たなかったし.
自沈もせずイタリア海軍に艦艇を貢いだ印象しかない.
こんな規模の小さな海軍にイタリアやドイツ相手に張り合えというのが無理な話なんだろうけど.

28 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/06/30 11:14 ID:???
>>24
紹介多謝.
一瞬除草ページかと勘違いするんですが….

ま,固定した地点を移動する装甲列車よりも,移動地点を自由に選べる
戦車,装甲車の方が使い勝手は良いのでしょうけど,陣地戦を想定して
いたのなら,特火点としての装甲列車は結構有効だったのでしょうか.
後,ドイツよりもソ連の脅威の方が大きかったんでしょうなぁ.

>>26
二度にわたるバルカン戦争を戦った割にはブルガリアの海軍力がたいした
こと無いのは国力が無い所為なのかな,と言う気がする.
ギリシャとトルコは,南米のABC三国のような関係を今も続けているので,
未だに片方が何かアクションを起こすともう片方がそれに応じたアクション
を起こしてますな.

ホルティ・ミクローシュと言えば,小話集に,第二次世界大戦の宣戦布告書
を受け取った際のローズベルトの言葉がよく持ち出されますな.

国務長官:「大統領,ハンガリー王国から宣戦布告です」
大統領:「ハンガリー?国王は誰かね?」
国務長官:「いえ,摂政です」
大統領:「ああ,摂政か.で,国王は誰なんだ?」
国務長官:「いえ,国王はおりません」
大統領:「え?じゃ,摂政は誰かね」
国務長官:「ホルティ提督であります」
大統領:「提督?ハンガリーの海軍力は相当なものだな」
国務長官:「いえ,海軍はありません」
大統領:「国王もいないのに摂政がいて,海軍もないのに提督がいる,なんて国なんだ」

てな感じ.

29 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/06/30 11:24 ID:???
>>27
シュコダの大砲と言えば,オーストリア・ハンガリー二重帝国の弩級艦は
三連装砲塔搭載ながら,揚弾機が二基しか無いので発射速度はたいした
こと無かったと言う話を聞きますね.
矢張り,陸軍国の火砲で,海軍の火砲としては性能はどうだったのでしょう.

ユーゴスラヴィアと言っても,第一次大戦直後は,元々セルヴォ=クロアト=
スロヴェーン王国と言う,セルヴィア人,クロアチア人,スロヴェニア人の連邦
王国でした.
それを1927年だったかに,当時の国王が強引にセルヴィア人主体の中央集権
国家に持っていったので,国内にはセルヴィア人に対する怨念が生まれ,国王
暗殺(確かクロアチア人だったはず)とか情勢は混乱し,ナチスにつけいる隙を
与えました.

海軍と言っても,内陸国家のセルヴィア人に軍艦が弄れるわけも無く,クロアチ
ア人,スロヴェニア人と言った二重帝国海軍の元軍人が主体.
となると,セルヴィア中心主義の中央政府より,オーストリアを併合したドイツに
靡くのは当然.
しかも,クロアチア人は独立という餌を与えられていますから,海軍が消極的な
のは仕方ないのではないでしょうか.

30 : 名無し三等兵[] 投稿日:02/06/30 21:20 ID:tJX4Rpmj [1/1回]
>>28の小咄を見てちょと笑った.

国王がいないのに摂政がいるといういう状況を聞いて指輪物語を思い出してしまった.
まあ中世のヨーロッパ辺りでは,珍しくもなさそうですけど.



32 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/06/30 22:49 ID:???
>>31
Re-2000はマズーだなぁ.
風洞試験すらしてないらしいし,飛行試験もおざなりだし.
胴体が短すぎて飛行特性最悪なんだっけ.
イタリアには他にもっとマシな機体がいくらでもあるだろうに.
Me210も機体の操縦性,安定性,その他問題続出.

33 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/06/30 23:58 ID:???
>>32
え〜と,確かにそうだけど,背に腹は代えられないのではないか,と.
ま,原型はP-35ですから,そんなに怪しい機体でもないのでは?

爆撃機は更に危ないカプロニのCa-135ですし.
あ,そのほかにC.R.42も装備してました.
Re-2000はエンジンをノームローン14に換装し,機銃を国産に換えているので,
さほど酷くはなかったんじゃないでしょうか.

で,各国の主力戦闘機を見てみると.

ポーランドが,国産のP.Z.L. P.7(これは練習戦闘機),P.11c(主力戦闘機)で,
低翼単葉戦闘機の試作は空冷派(ブリストル マーキュリー→セントーラス)と
液冷派(イスパノスイザ)が対立,混乱し,P.50は1939年に初飛行するものの,
試作中止.
フランスから,M.S.406の導入を図るも時間切れ.

チェコスロヴァキアは,これも複葉戦闘機のB.534が主力.
単葉戦闘機として低翼単葉固定脚のB.35を試作したが,併合で時間切れ.

ルーマニアは,ポーランドから技術導入した高翼単葉のP.Z.L.P.24をライセンス生産し,
それを低翼単葉引込脚化した,I.,A.R.80/81を開発.
但し,主力戦闘機としては,ハリケーンMk,IとHe-112を保有.
後は,供与されたBf-109Gで補完.

ブルガリアは,同じくP.Z.L.P-24を保有し,後にドイツに併合されたチェコからB.35の引込脚
型,B.135を保有.
後でドイツから申し訳程度にBf-109Gとフランスから分捕ったD.520が引き渡される.

ユーゴスラヴィアは,国産のイカルスIK-2と英国製Fury戦闘機.
その後,ハリケーンMk,IとBf-109Eを装備,そしてそれを徹底的に調べて,IK-3戦闘機を
開発,装備しています.
IK-3はトルコも一時期購入交渉を勧めていました.

38 : 名無し三等兵[] 投稿日:02/07/02 00:29 ID:U9sHJE4F [1/1回]
>>31-33
クローシュ・ホルティ提督の息子のイシュトバーン・ホルティ中尉も
Re-2000(Heja.I)のパイロットでしたね.
残念ながら戦果もあげないうちに戦死してしまいましたけど.(生涯撃墜数未確認1)
C.R.42・・・複葉戦闘機としては,最強クラス?
まあ複葉戦闘機としては作られた時期が遅いですからね.
I-15,I-16が相手ならなんとか有利に戦えそう・・・.
でも南国イタリア生まれの機体に東部戦線はつらそう.

ポーランドのP.11c・・・高翼式が印象的な機体ですね.
日本にも昔,高翼式の単様戦闘機がありましたけど
1939年当時になってまで戦闘機で高翼式を使っていたのはポーランドくらい?
双発のP.37はポーランド空軍の中では洗練されていましたね.
矢張りスペック的には少し悲しい出来ですけど.
せめてもう少しましなエンジンを使わせてあげたいとか思ってしまった.
第一線の戦闘機が全て全金属製単葉戦闘機になったのは
ポーランドが世界で一番早かったというのを聞くと
ポーランドはやはり侮れない力を持った国家だったんでしょうね.

Bf-109に出番を奪われたHe-112をルーマニア空軍が使っているのにはちょっと嬉しいですね.
第二次世界大戦以前に作られた戦闘機としては,洗練されているほうですし.
He-112に関してはハンガリーも1939年にBf-109Eを3機とともに13機購入していますね.

45 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/03 00:07 ID:???
レスが遅れて申し訳ない.
後,二日…此処を越えれば何とか…なるかな.

>>38
P.Z.L.の高翼戦闘機系列は元々,フランスのウィボー戦闘機から発展した
ものです.
そのライセンスを買って,全木製構造の角形断面の胴体を金属外板の波板で
覆った丸形断面の胴体として,イスパノスイザ液冷エンジンを搭載したのが,
ポーランド初の「国産」戦闘機となったP.1戦闘機.
それから,低空性能を重視して,空冷のノーム・ローンエンジンを積んだP.6と,
ブリストルジュピターを搭載したP.7が競争試作され,P.7が採用されて,30年代
初頭の主力となります.
それを更にマーキュリーに換えて各部を改良して洗練したのが,P.11です.

この後,低翼単葉戦闘機としてP.50が開発されますが,失敗作で,液冷エンジン
を搭載した機体を試作する予定でしたが,大戦に間に合いませんでした.
P.50が失敗したため,出力を1.5倍のマーキュリーVIIIに換えたP.11gが試作された
わけです.

第二次大戦で高翼単葉戦闘機を第一線に配備していたのは,ポーランドとその
機体(P.24)を購入した,ラトヴィア,ルーマニア,ブルガリア,ギリシャ,トルコが
あります.
あと,フランス海軍とスイスががドボアチンD.376を保有していました.

46 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/03 00:23 ID:???
>>41
チェコスロヴァキアについては,Aero,Avia,Letovが三大メーカーでした.
これらのメーカーは今でも残っているんじゃないかな.

当時のチェコスロヴァキアの主力戦闘機,AviaB.534戦闘機はチューリヒの
国際戦闘機飛行競技会で,Bf-109Bを破って,優勝したんじゃなかったかな.
相当な実力はあったわけですな.
1938年当時は低翼単葉戦闘機のB.135を製作していました.
これは時間切れでしたが,併合で浮いた物は,ブルガリアに引き渡されました.

B.534とB.135は第二次大戦中,プロエシュチ油田を爆撃する米爆撃機の迎撃に
も当たったようです.

AeroのA-100軽爆撃機,LetovのS.231戦闘機は,スペイン内戦で人民戦線側に
引き渡されて活躍したようです.
尤も,これ自体はソ連の機体に隠れて目立ちませんでしたが.
ちなみに,チェコスロヴァキア空軍の爆撃機に関しては,重爆こそフランスの腐った
ようなBlochM.B.200(高翼単葉固定脚)ですが,その後近代化され,軽爆には,ソ連
で開発されたSB-2を,AeroB.71としてライセンス生産していました.
ソ連の爆撃機が国外で採用されたのはこれが初めてでした.

軍事板,2002/06/30
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】
18 : 名無し三等兵[] 投稿日:02/06/29 05:07 ID:e/HOu3EN [1/1回]
ポーランドは当時世界第2位の装甲列車保有国だったらしい.
ちなみに第1位はソ連.

第二次世界大戦初期の紙のようなドイツ戦車を結構破壊している.

20 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/06/29 15:12 ID:???
>>18
それは初耳です.
ただ,コーエーの電撃戦の本(何時になったらその2が出るんだ?)には,
シュコダの装甲列車が掲載されていますね.

24 : 18[] 投稿日:02/06/30 00:28 ID:1rdYmrjj [1/1回]
>>20
装甲列車に関しては軍事板壊滅前にあった装甲列車スレで紹介されていたホームページで詳しく解説されています.
正確には軍籍に無い装甲列車まで入れるとドイツの方が戦力は上だったみたいです.
http://blinda.hoops.livedoor.com/

あと下のページによるとポーランドには装甲列車が現存しているみたいです.
(一応写真がのっているのですが,当方装甲列車には詳しく無いのでポーランド製の装甲列車かどうかは分かりません.)
http://www.e.okayama-u.ac.jp/~taguchi/cafe/tnaka1.htm

軍事板,2002/06/30
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】
ところでハンガリーの戦艦イシュトバーンについてご存じの方いらっ
しゃいますか.ハンガリーが第一次大戦時に唯一保有していた戦艦で
クロアチア王国(当時はハンガリー国王が兼任)の港フィウメに停泊
していたが,オーストリア・ハンガリー崩壊でクロアチアに引き渡される
ごたごたのさなか撃沈されたとかいうハンガリー史上唯一の戦艦です.

36 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/01 18:25 ID:???
>>35
Viribus UnitisクラスのSzent Istvan(イシュトバーン)の事でしょうか?
世界の艦船の近代戦艦史に載っている程度の事しか知らないですけど・・・.
とりあえず,Viribus Unitis,Tegettoff,Prinz Eugen,Szent Istvan
の四隻が存在したみたいですね.
セルビア青年に暗殺されたフェルディナント皇太子がこれらの艦の建造に尽力したみたいです.

常備排水量 21,730トン
全長 152.2m
幅 27.3m
喫水 8.3m
主機 蒸気タービン2基,4軸(Szent Istvan2軸)
出力    26,400馬力
速力 20ノット
主兵装   30.5cm3連装砲4基,15cm単装砲12基,7cm単装砲18基,53.3水中魚雷発射管4門
装甲    水線280mm,甲板48mm
乗員 1,087名
ごめんなさい世界の艦船から丸写しですから,この程度の事なら知っていたかも(汗
それとこのクラスのイシュトバーンは
「1918年にオトラント攻撃に出動中ポーラとザラの中間でイタリアのMASの雷撃を受けて沈んだ」
とあるので別のクラス?
>眠い人さんあたりなら詳しい事知っていそう.

>>23のユーゴスラビアが欲しがった弩級艦というのもこのクラスのTegettoffの事ですね
>>29で出ている
「シュコダの大砲と言えば,オーストリア・ハンガリー二重帝国の弩級艦は
三連装砲塔搭載ながら,揚弾機が二基しか無いので発射速度はたいした
こと無かったと言う話を聞きますね.」
この話とかもViribus Unitisクラスの事ですよね.

それにしても
Viribus Unitisはイタリア海軍士官の仕掛けたリンペット機雷により爆沈
Szent IstvanはイタリアのMASで
Tegettoffは結局賠償艦としてイタリアに引き渡された後,解体.
イタリア侮り難し.

37 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/01 23:28 ID:???
>>35
マジャール人は日本人みたく,姓を先に,名を後に表記しますね.
ミクローシュ・ホルティをホルティ・ミクローシュという風に.
こう言う所,日本人的で漏れは好きなんですよ.

さて,>>36氏が既にSzent Istvanにつきましては詳しく書かれておりますので,
性能云々はそちらに譲ります.
(後にも先にも,Szent Istvanと言う名前の艦はこれしかないですし)

1908年にイタリアの弩級艦に対抗するために建造が決定し,3200万クローネ
の巨費を投じて仮称艦名IV〜VIIとして建造したものです.
最初の三隻はSTTで建造されましたが,Szent IstvanだけはフィウメのDanubius
で建造されました.
で,その三隻は1915年にイタリアを沿岸砲撃しますが,後は引きこもっています.

Szent Istvanは1915年12月13日に竣工しました.
その前にイタリアが参戦し,船台の近辺で戦闘が行われたと記憶しています.
その生涯は儚く,そんなに活躍しない内に1918年6月10日にイタリアのMAS15の
魚雷攻撃でプレムダ島近辺で撃沈されました.

このほかの同型艦はViribus Unitisが1918年1月11日にオトラント海峡で触雷,
Printz Eugenは,1919年に賠償としてフランスに引き渡され,ツーロンにて水線下
での爆破試験,航空機からの爆撃実験などに使われ,1922年6月28日にBretagne,
Jean Bart,Paris,Franceの弩級諸艦の実艦的として撃沈されました.
なお,Prinz Eugenの武装はツーロンで撤去され,その砲はフランスの沿岸要塞砲と
して使用されたと言われています(後に,ドイツが大西洋の壁に転用したとか).
Tegetthoffはイタリアに賠償として引き渡され,1925年にラ・スペツィアで解体されて
います.

ちなみに,排水量を増やし,35センチ砲を搭載した拡大型が,1917〜19年にかけて
竣工する予定でした.これが仮称艦名VIII〜XIです.

ユーゴが欲しがったのは,Prinz EugenとTegetthoffですな.
ま,マキャベリの国ですから.

65 : Su-47信者(狂信的) : 投稿日:02/07/06 00:06 ID:???
>36,37(眠い人さん)
お礼が遅れてすいませんでした.どうもありがとうございます.
確かにそいつです.
多分ハンガリー人にとっては史上唯一無二の戦艦として忘れ
去られてしまうんでしょうね.(w
ちなみにイシュトバーンとは1000年に戴冠したハンガ
リー王国の初代国王の名前です.聖人に列せられたので
Szent(聖)がつきます.
 大和とかIstvanとか大仰な名前を付けた艦があっけなく
沈むと悲しいものがありますね.

66 : 名無し三等兵[] 投稿日:02/07/06 01:03 ID:9YRTsKtb [1/1回]
>>65
ハンガリーのダイバーが潜って残骸を発見し,遺物を引き上げました.
ブダペストの軍事博物館に展示されてます.

私の記憶ではハンガリー海軍という組織はなかったように思うのですが.
オーストリア・ハンガリー帝国海軍の艦は例外も多いですが,3隻で1
クラスを成し,内一隻がハンガリー名をつけられていたと思います.

イシュトヴァーンの他,ブダペスト(ハンガリーの首都),ズリーニ
(オスマントルコと戦ってシゲト城で玉砕したハンガリー軍の武将.
クロアチア太守)アールパード(ハンガリーの王朝の始祖.)など
があったと記憶いたしております.
イシュトヴァーン1世のころのハンガリーは遊牧民族の王朝でした
ので,そんな名前をつけると海で溺れそうな気が・・・.

74 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/07 13:20 ID:???
>>67
基本的にオーストリア・ハンガリー二重帝国の諸艦は,大多数がSTT
(Stabilimento Tecnico Triestino)で,一部がDanubiusで建造されていますね.
Danubiusは王国領のフィウメにあり,STTは帝国領のトリエステですね.
あと,トリエステにはCNT(Cantiere Navale Triestino)とMonfalconeがあります.

仕事量その他の問題があったのではないでしょうか.

79 : 名無し三等兵[] 投稿日:02/07/09 01:46 ID:RaH+7iSJ [1/1回]

テゲトフ級のみ4隻というのはヴィリブス・ウーティニスが艦隊旗艦と
して作られたためと聞いています.
他の艦が人名であるのに比べこの艦はフランツ・ヨーゼフ2世帝の治世
のモットー「力を合わせて」を艦の名としているのもいかにもそれらし
いように思います.

80 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/09 04:25 ID:???
>>79
オーストリア=ハンガリーの旗艦の艦名が,「力を合わせて」というのはなんか泣けてくる.
あの国の当時の指導者は凄い苦労したんだろうな.
民族の問題とか大変だったろうし.

軍事板,2002/07/01
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】
47 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/03 04:30 ID:???
ポーランドは実は軍用機の輸出大国?
高翼単葉戦闘機が当時もまだそんなに使われていたとは驚いたけど.
大戦初期には複葉戦闘機がまだまだ現役だった事を考えると不思議じゃないのかな?

52 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/04 00:29 ID:???
>>47
ポーランドは,東欧の航空大国ですし,航空機を作っている国の中でも先
進国と言えましょう.
全世界に売られたわけではありませんが,P.Z.Lは東欧諸国,南欧諸国御
用達の航空機輸出メーカーです.
東欧に自国の機体を売っているからこそ,ポーランドが崩壊して,各国に
機体が脱出しても,その機体がすぐに戦力化できた訳です.

まぁ,航空大国を自称していたイタリアでさえ複葉戦闘機が主力だったことを
考えると,妥当な発展かも知れませんが,国産初期の頃にフランスの影響が
強かったことが一連の高翼単葉戦闘機の発展を促したのではないでしょうか.

軍事板,2002/07/04
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

ちと検索したところ,ドイツのティトー暗殺作戦にウスタシとチェトニクが
参加していた,なる情報が.
バルカンは謎が多すぎ.

52 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/04 00:29 ID:???
>>48
ティトーは,ソ連と英国の支援を受けてパルチザンをやっていましたが,ユーゴは
一つという信念の持ち主でした.
ただ,連合国の支援自体は当初チェトニク中心だった.

で,ウスタシはクロアチアの独立を何としても維持したいと考えていました.
他方,チェトニクは初めこそパルチザンと協調して,ドイツとウスタシに敵対していた
ものの,根が王党派ですから,共産主義を標榜するティトーのパルチザンとは互い
に相容れない物がありました.

いわば,自由フランスとフランス共産党みたいなもの.
しかも,ティトーの方が人気,実力もあり,チェトニクはじり貧でした.
そこで,手をさしのべたのがイタリアとドイツ.
ドイツはティトーを亡き者にすることで,パルチザンを壊滅させようとしました.
此処に三者の利害が一致し,チェトニクは矛を逆しまにしてパルチザンに
襲いかかりますが,失敗して,王党派は地歩を失ってしまいました.

眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2002/07/04
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

55 : 名無し三等兵[] 投稿日:02/07/04 21:44 ID:2hn0aRcg [1/1回]
>>52
ポーランドは軍用機の開発の他に,
ルノーFTやビッカース・カーデン・ロイドMkVI,ビッカース6t戦車などを参考に,
独自の戦車の開発,生産等を行っていましたね.

独立から日の浅いポーランドが,
これだけ積極的に軍用機や戦車の開発に力を注げたのには,
何か理由とかがあるのでしょうか?
単純に同じ時期に独立した東欧の国家群に比べ,国力があっただけ?

56 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/04 22:59 ID:???
>>55
マジャールはトリアノン条約で,ブルガリアはヌイイー条約でそれぞれ多額の
賠償を周辺諸国に支払わなければならなかったハンデがあります.
更にマジャールでは1919年前後にボルシェビキ革命が起きたので,内戦で多大
なエネルギーを消費しました.
ユーゴスラヴィアは,内戦にこそなりませんでしたが,国内統一にエネルギーを
割いたので,産業の発展が阻害されています.
どちらにしろ,セルヴィアには余り産業と呼べる物はありませんでしたし.

ルーマニアは第一次大戦前は貧乏国でした.
石油が産出しますので,工業よりも鉱業の整備に集中しています.
農業中心なのは戦後も余り変わらないですがね.

チェコスロヴァキアはオーストリア帝国の機械工業をそのまま引き継いだので,
かなりの国力を有してました.
しかも,その生活水準は他の東欧諸国に比べると高く,マサリク−ベネシュ体制により,
自由主義的な経済政策が行われています.

で,本題のポーランドですが,チェコスロヴァキアほど民主勢力が発展しませんでしたし,
大戦の結果によるドイツ人,マジャール人,波ソ戦争により,ウクライナ人,リトアニア
人などが雑居する状況で,民主的なリベラル政権はかなり不安定であり,1926年,初代
大統領だったピウスツキによるクーデターと独裁政治が行われています.

独裁政治が始まると同時に,1920年代中期から自由主義経済政策に変わって農業国
から工農国に転換する動きが出てきます.
しかし,世界大恐慌で自由主義的経済政策が完全に破綻し,Hitler,Stalinの登場による,
周辺国の不安定化に伴い,進出していた外国資本が逃避したため,それで発生した失業
者を吸収するために,トルコなどと同じく,国家が経済政策に積極的に介在する,所謂エタ
ティズムを採用しています.
これにより,主に国防に資する機械工業への国家資本の傾斜配分,国営企業の創設が
行われ,戦車,自動車,軍用機などの開発に力を注げたのです.

眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2002/07/04
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

61 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/05 15:58 ID:???
>>52
ソ連はパルチザンにあんまりテコ入れしてなかった,と大学で聞いたんですが.

62 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/05 20:17 ID:???
>>61
第2戦車旅団がソ連国内で編成され,T-34/85が65両配備された.
部隊はザグレブに向かって進行し,トリエステで第1戦車旅団と合流した.
他の援助に関してはよく知りません.

63 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/05 22:35 ID:???
T-34/85だと連合国がパルチザン支援に乗り出した大戦中〜後期ですか.
戦争終結後の権益目当てが露骨だ(どこの国もそうか).
的外れならご指摘ください.

64 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/05 23:38 ID:???
>>61
確かに当初は,ティトーは「我が道を行く」でしたからね.

しかも,一応バルカン半島のユーゴは英国の領分でしたし.
ですから,当初亡命政権の意を汲んで,英国から支援を受けていたのは
チェトニクでした.
ところが,チェトニクが自滅したので,ドイツに対抗する勢力はパルチザン
しかありません.
仕方なしに,距離を置いて英国は援助を継続しています.

大戦後期までソ連はティトーを国際共産主義に対する分派活動を行うもの,
要は,傀儡でないものだったので,申し訳程度の援助しかしていません.
しかし,東欧の解放が遡上に上がると,イタリア,ギリシャと東欧を繋ぐユーゴ
の戦略価値が上がり,ソ連の援助も多くなると言う感じです.
正に,>>63でおっしゃるとおりだと思います.

(補足ですが,ギリシャは共産党パルチザンがドイツ相手に活動していました.
 ところが,英国がドイツ軍の撤退と引き替えに無血進駐を果たしました.
 王国政府打倒を標榜するギリシャ共産党は,内戦を起こしますが,英国,
 後に米国の支援により鎮圧されました.
 この時の共産党軍の出撃基地はマケドニア,ブルガリア,アルバニアです.
 一方,イタリアも第二次大戦後王制を廃止したときに,社会体制が混乱し,
 共産党が組閣する可能性がありました.)

眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2002/07/05
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

68 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/06 23:10 ID:???
>>42
SS第13武装山岳師団ハントシャールに関してですが,
パルチザンにはセルビアのキリスト教徒が多かったので,
ドイツがクロアチア(ボスニア)のイスラム教徒を利用したという事で,いいのではないでしょうか?
ただドイツに煽られるまでも無く,
ユーゴスラビアのイスラム教徒とキリスト教徒の仲は最悪だったようですし,
倫理的にどうであれドイツがイスラム教徒を利用しようと考えたのは,
ある意味自然な流れだったのではないでしょうか?(イギリスなどが世界中で使っていた手法ですよね.)

それと第二次世界大戦当時ボスニアはクロアチアの一部だったのですが,
ウスタシ,チュトニクがボスニアでイスラム教徒を虐殺している為,
ボスニアのイスラム教徒の一部がドイツに対して
ボスニアを保護国にするよう求めたという記述も見かけますので,
一方的に利用したという事は出来ないかもしれません.
(利用する為でしたが,ドイツはウスタシに対しイスラム教徒に対する扱いを改めるように求めていたようです.)

1943年の中頃に師団には20000人前後の兵力があり,その大部分はイスラム教徒なのですが,
そのうち2800人程ですがクロアチア系のキリスト教徒がいたようです.(この数字はもっと少ないかもしれません.)

軍事板,2002/07/06
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

76 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/08 21:36 ID:???
黒海といえば,ドイツやイタリアも小型潜水艦や魚雷艇等を送り出していましたね.
ドイツは陸路でU-IIBやSボートを送ったんですっけ.
ソ連の黒海艦隊は戦艦はガンクード級のセヴァストーポリに
巡洋艦6隻,駆逐艦16隻,潜水艦44隻等々.
黒海に隣接する枢軸国で曲がりなりにも
海軍力が望めるのはルーマニアのみ(ブルガリアは問題外)
ドイツ,イタリアから増援でも送らない限りとてもやってられなかったでしょうね.
それでもソ連側が数字の上では圧倒的に有利な気がしますけど
ソ連海軍はあまり活発には活動しなかったですね.
(レニングラード級駆逐艦のモスクワとハリコフがコンスタンファ沖で
列車砲に撃たれるのには,ちょい萌えです.回避したけど,
モスクワが機雷につっこむし.)

ルーマニア海軍もあまり積極的に動かずに,
船団の護衛任務等を中心に活動していたようですが,
ソ連の潜水艦を沈めたりもしているから
一応はそれなりに仕事を果たしたといっていいのでしょうか?

第二次世界大戦当時トルコがイギリスに発注していた潜水艦は
イギリスらしくもなく,あっさり引き渡していましたね.
流石に第一次世界大戦当時の経験から懲りていたのでしょうか?


78 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/08 23:02 ID:???
>>76
確かにね.
ただ,黒海は思うに大型艦が活動しにくい所だったんじゃないでしょうか.
根拠地としては良かったのかもしれませんけどね.
後,ボスポラス海峡の中立化の件もあったので,此処を通過しての兵力増強は
出来なかったのでしょうね.
かくして,小型艦艇のみの増援となったと言う感じでしょうか.

あと,黒海だけではなくルーマニアはタニューヴ(ドナウ)河の方にも戦力を割いて
いまして,河用砲艦も多数保有していたみたいです.

軍事板,2002/07/08
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

74 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/07 13:20 ID:???
パソの中身を入れ換えてたのでやっと復活.

>>67 Su-47信者(狂信的)氏
聖イシュトヴァーンと言えば,ブダ=ペシュトの博物館に王冠が飾って
ありますね.
頭の十字が大戦で疎開したときに曲がったんでしたっけ.

79 : 名無し三等兵[] 投稿日:02/07/09 01:46 ID:RaH+7iSJ [1/1回]
>>74
王冠は現在は国会議事堂に置かれています.
十字が曲がったのはずいぶん昔の話で,ローマから運んで来たときとか,
いろいろ言われています.実際の王冠はイシュトヴァーンとは関係なく,
ビザンツ製のものとローマ製のものが接合された不思議な代物です.


81 : Su-47信者(狂信的) : 投稿日:02/07/09 20:44 ID:???
>79
え,王冠は1999年のサマースクールの帰りにブダペストに寄った時には
国立博物館の別館みたいな所に(冷房付きの部屋)に展示してありました
けど.あのあと国会議事堂に移されたんですか?
 なんかその部屋だけ警備員が四人ぐらいいて(恐らく銃装備)「さすがに」
国宝だわ,と思った記憶があります.

82 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/09 21:52 ID:???
>>79
失礼しましたぁ.
…と思ったけど,>>81で国立博物館の別館とわ??.
体制変革前は国会議事堂で,その後国立博物館に移されたのでしょうか….
うろ覚えですけど,第二次大戦後に米国に持ち出され,ケネディ政権が返した
と記憶しておりますが….

今度実家に帰ったときに,掘り出して来なきゃ,東欧関係の本.

>>80
1867年まではオーストリア帝国でした.
革命を経て,マジャール人の反発を恐れたために,マジャールは同君連合で
王国として独立させ,オーストリア・ハンガリー二重帝国となりました.
(実際はオーストリア帝国とマジャール王国だったんですけどね)

1908年,ボスニア=ヘルツェゴヴィナをトルコから割譲されましたが,こいつの
統治を巡って王国と帝国が激しく葛藤しています.
で,1914年,落とし所として,暗殺された皇太子が妥協案として三重帝国案を
出していました.
これは,マジャール王国のクロアチアを新たに王国として独立させ,ボスニア=
ヘルツェゴヴィナをクロアチア領に加えて,オーストリア・マジャール・クロアチア
の連邦王制を採ろうとしたもので,マジャール政府の反発を食らいましたが,実現
寸前まで行ってます.

歴史上にIfはありませんが,もし,皇太子が暗殺されていなければ,ドナウ帝国は
ドナウ連邦として生きながらえていたかも判りませんね.

83 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/09 22:51 ID:???
ボスポラス海峡の中立化という話が出ていますが,
トルコは何故中立を選んだのですか?

84 : Su-47信者(狂信的) : 投稿日:02/07/09 23:16 ID:???
>眠い人どの
少なくとも1999年7月の時点では王冠,剣,Orszag Alma(あの玉?)
は国立博物館なり,美術館なりにあったと思います.国会議事堂にいこ
うとしたら市電のパンタグラフが壊れて電車が動かなくなったんでいき
ませんでしたから.たしか国立博物館の入り口を向かって左の廊下を進
むと真っ暗な部屋があって,そこにライトアップされた三種の神器が飾
ってありました.写真撮影は不可ですが,パンフを売ってますよ.
 王冠はカーター政権時代にハンガリーに返還されたと思いますが,私
が勘違いしてますか?
 時の摂政ホルティが「ソ連に取られたら絶対戻ってこないし,アメリカ
に渡す方が取り戻せる確立は高い」と賢明な判断をして将校団に命がけで
ドイツ軍の占領地域を突っ切って西部戦線に出るよう命じたんだと記憶し
てます.

94 : 名無し三等兵[] 投稿日:02/07/12 23:27 ID:SPI85zNA [1/1回]
眠い人さま・Su-47信者さま
ハンガリーの聖イシュトヴァーンの王冠は建国1000年の年だと思いますが
国立博物館から国会議事堂へ移されました.
ですので,今は国会議事堂観光ツアーに参加しないと見られないようになって
しまいました.

軍事板,2002/07/09
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** 【質問】
 【回答】

83 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/09 22:51 ID:???
ボスポラス海峡の中立化という話が出ていますが,
トルコは何故中立を選んだのですか?


85 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/10 00:07 ID:???
>>83
最初,第一次大戦で敗れたトルコ帝国は連合国とセーヴル条約を締結します.
これは,1920年に締結されたもので,事実上トルコ帝国解体→植民地化の為の
条約でした.
まず,現在のトルコ以外の土地は英国(パレスチナ,ヨルダン,メソポタミアなど),
フランス(シリア,レバノン)が支配し,両国の興味を持たない,砂漠だらけのヘジャズ
は独立しました.
また,トルコ内部は,沿岸部がギリシャ領,諸島部がイタリア領,南部はフランス領となり,
トルコ地区のクルド人は自治政府を作り,後に独立を約束され,アルメニア人はロシアから
独立したアルメニアを含んで米国の委任統治領とし,トルコ東部に独立国を打ち立てる予定
でした.
そして,海峡部はコンスタンチノープルも含み,連合国の共同管理となりました.

これに反発したのが,ケマル率いる軍部で,まずアルメニアをソ連と結んで撃破して消滅
させ,クルド人勢力を鎮圧し,ギリシャとの決戦で勝ち,フランス,イタリアを撤退させ,
1922年に最後まで残っていた英国を追い出し,共和制を敷きます.
そして,1924年にローザンヌ条約で1920年のセーヴル条約を放棄し,トルコ領土の確定と,
海峡のトルコへの返還が行われました.
但し,完全主権回復はまだ出来ません.

連合国の影響下にあったために,枢軸国寄りの外交姿勢を取るのが難し
かったのと,初期こそソ連と友好関係を結んでいますが,Stalin時代には
Leninが割譲した領土返還要求が行われています.
このため,ソ連,そしてその友好国たる(とみられていた)ドイツの膨張
政策に対する警戒心が中立志向に向かわせたのではないでしょうか.

また,ケマルはトルコの外交方針を「内外の平和」という言葉で表してい
ました.

これに基づき,1930年代にはフランス主導でバルカン半島の平和と安定を
意図したバルカン協商(トルコ,ギリシャ,ルーマニア,ユーゴ)が締結され,
また,中東諸国の平和と安定を意図したアーダバード条約(トルコ,イラン,
イラク,アフガニスタン)が締結されています.

1936年のモントルー条約もその延長線上にあったのではないでしょうか.
ドイツと英仏の対立を利用したこの条約で,漸く軍事力の行使も出来るように
なりましたからね.

89 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/11 18:59 ID:???
何故か図書館にトルコで使っている
歴史教科書の日本語版があったので読んでみたのですが.

1939年10月19日イギリス,フランスとの間に
トルコにとって防御的な内容の相互扶助条約を結ぶ.
             ↓
ドイツがギリシャやユーゴスラビアを占領&ルーマニアやブルガリアにも影響を及ぼす.
             ↓
トルコにも攻めてくるかも?戦争の準備をする.
             ↓
トルコは軍の近代化が出来ていない.今のままでは,
ドイツに勝てないから英,仏から武器を輸入したい.
             ↓
ところが地中海,特にギリシャ,クレタ島を枢軸国が抑えてる.
武器を安全に供給出来ない.出来れば戦争を回避したい.
             ↓
1941年6月18日ドイツとの間で友好条約,通商協商を結ぶ.
この条約は内容的に先に英仏と結んだ相互扶助条約と矛盾しない.
             ↓
             中立

おおまかに書くとこんな感じでした.
あとは1943年1月30日にトルコの大統領がチャーチルと会談したりしています.
ドイツがギリシャやユーゴスラビアを占領したあたりでは
本当に戦争になるかもしれないと考えていたみたいです.
ただドイツ側にもトルコと戦争をする意図は無く上記の条約を結ぶことになった様です.

全体的に連合国側寄りの視点で描かれていました.

軍事板,2002/07/09
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** 【質問】
 【回答】

87 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/10 20:31 ID:???
>85
回答ありがとうございます.
当時はトルコも大変な時期だったようですね.

もう一つ質問をさせてもらいたいのですけど,
>>25を見るとトルコは海軍力はそこそこあったみたいですけど,
総合的な軍事力はどの位のものだったんですか.
ライバルのギリシャと同等くらい?
それと当時のトルコの工業,特に軍需産業関係はどの程度の物だったんですか.

88 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/10 22:48 ID:???
>>87
ギリシャ陸軍はフランスの兵器中心で,戦車にルノーFT,その強化型,
ルノーNC.1(NC27),改良型NC.2(NC31)が供給されていました.
このほか,見本としてフィアット3000Bと言う,これもFTの改良型,ヴィッ
カース6トンMk.Eが単砲塔,双砲塔各一両と言う布陣です.

一方のトルコ陸軍は,ドイツ,ソ連が主要供給元ですが,戦車はフランスが
主な供給元で,FTが主力戦車として長く使われ,1936年にソ連からBT-2
を購入しています.
その後,1940年にルノーR.35が供給されています.

従って,陸軍に関してはほぼ互角.

空軍は,圧倒的にトルコですかね.

ギリシャが,戦闘機としてP.Z.L.P.24A/F/Gを36機,Bloch MB152を9機を有し,
米国にGrummanG-36(F4Fの陸上機型)を発注中.
爆撃機はFairly BattleMk.Iが9機,Bristol BrenheimMk.Iが6機.
フランスにBreguet Br.693を発注中.
その他,Henschel Hs-126A-1a観測機が16機,Dornier Do-22水上雷撃機
を12機有していました.

トルコは,戦闘機としてP.Z.L.P.24A/F/Gを140機以上,Morane-
Saulnier M.S.406C.1を45機,Hawker HurricaneMk.Iが15機あり,
このほか,Ikarus IK-3をユーゴから買おうとしますがご破算になりました.
大戦中にHurricane MkIIcを14機,Supermarine SpitfireMk.Vbを100機,
Focke-Wolf Fw-190A-.3を75機供給されています.
爆撃機はHeinkel He-111F/Gが35機,Bristol BrenheimMk.Iが30機.
大戦中にBristol BlemhemMk.4,Beaufighterが供給されています.

なお,トルコには航空機工場があり,戦争末期には軽輸送機の試作もしています.

90 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/11 22:31 ID:???
>>88
トルコはIII号戦車,IV号戦車G(H)型も取得しているのではないのですか?

91 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/12 00:10 ID:???
>>90
一応,ギリシャが占領される前の1940年という視点で書いていたので,
申し訳ない.
III号戦車,IV号戦車ともに1943年に引き渡されているので,敢えて書き
ませんでした.

93 : 90 : 投稿日:02/07/12 22:46 ID:???
>>91
失礼しました.
ドイツはよく売るだけの余裕がありましたね.
政治的な意図があったのでしょうけど.

>>91
いえ,お気になさらず.
これが国際情勢の複雑怪奇なところで,ユーゴは連合国として参戦したにも
関わらず,Bf-109Eが引き渡されています.
思うに,余り友好国と言えない国ほど,新鋭機,新鋭装備を供与されているの
は気のせいでしょうかね.

軍事板,2002/07/10
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

92 : 名無し三等兵[] 投稿日:02/07/12 02:36 ID:z3rAJdYL [1/1回]
トルコが宿敵たるソ連と一時手を結んでいたとは驚きました.
装備は中々充実していますね.けど整備とか大変そう...
トルコは戦闘とかに参加しなかったしFw-190は戦後まで使用したのかな.


95 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/13 00:39 ID:???
>>92
国際社会でよく使われる表現(かな?)
「敵の敵は味方」
と言う話ですね.

1920年当時は,トルコもソ連も連合軍相手に戦っていました.
両方とも当時は弱小国家だったので,恩讐を越えて手を結んだのでしょう.
ちなみに,ドイツには宣戦布告を行わなかったトルコですが,1945年2月23日に
日本に宣戦布告を行っています.

あと,空軍機の整備ですが,He-111などは部品の入手が困難で,英国で撃墜
したHe-111から部品を外して送ってもらっています.
部品の入手が困難になったので,Fw-190はパイロットに好評であるにも関わらず,
早期に退役させています.

眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2002/07/13
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

そういえば,チンタオにいたカイザリン・エリザベートはドイツ
艦隊と行動をともにしてましたっけ.フォークランドで沈んだと
は聞きませんし・・.

101 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/15 00:47 ID:???
ま〜ったく,此処で宣伝したって見に行くのはおりゃせんのに….

>>97
Kaizerin Elisabethですが,青島防衛のためにドイツ軍に引き渡されています.
んでもって,搭載されている15センチ砲と47ミリ砲は陸揚げされ,それらは,その名も
"Elizabeth"砲台に設置されて使われました.
船体の方は,結局日本軍占領5日前の1914年11月2日に自沈しています.

眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2002/07/15
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

102 : 名無し三等兵[] 投稿日:02/07/15 03:32 ID:2Kgi2dST [1/1回]
漏れがageた直後に広告が.外患誘致で処刑…
>>101
旧制高校チックでいい学校ですね.
アルバニアというとトーチカ大好き独裁者エンベル ホッジャですが,
奴は大戦中何か手柄立てたんですか?

103 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/15 21:00 ID:???
>>102
アルバニアの歴史について少々.

アルバニアは1912年にバルカン戦争の結果,公国として独立します.
この時はドイツから元首を持ってきますが,第一次大戦でオーストリア・
ハンガリー帝国に占領され,公国は消滅します.

その後,1918年に一旦イタリアに占領されますが,1920年に独立を回復し,
共和国となります.
そして,民主政権,独裁政権の短命政権が続き,1928年に大統領だった,
アフメッド・ゾグーがゾグーI世と名乗って,王国となります.
ところが,1939年にチェコスロヴァキア解体を見たMussoliniがバスに乗り遅
れるなとばかりに,この国に軍隊を入れ,ゾグーを退位させ,二代目の国王
として,イタリア国王を即位させて占領します.

1943年,イタリアが降伏するとその支配地はドイツ軍の支配下に入ります.

しかし,この国は戦略的な位置にないので,占領軍が一線級の装備を
持たなかったと言うのもあって,パルチザンの活動は容易で,1944年11月
にホジャ率いる共産党が政権の座に就きます.

ただ,ホジャ自身は,チトーとスターリンの支援を受け,コミンテルンの指導
の下で1941年からずっと抵抗活動をしてます.
とは言え,フィリピンのマルコスとか,キム将軍の様に口先だけ,宣伝だけ
と言う感なきにしもあらずですな.

ちなみに,ゾグーI世は英国,次いで南アフリカに亡命してます.
共産政権崩壊時,ゾグーI世の息子が,南アフリカから帰還して,政権の正
当性を主張してひと騒動有ったみたいですね.

眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2002/07/15
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

105 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/16 05:06 ID:???
戦間期のアルバニアは東欧の中でも弱小な国家(軍隊)というイメージしかない.

あと,ここも人種(どちらかというと宗教?)で色々揉めてましたね.


108 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/16 22:56 ID:???
>>105
確かに貧乏な国家ですから….
しかも,主力兵器はイタリア製,軍事顧問もイタリア人(藁.
戦車はフィアット3000に戦闘用航空機がRo-37だっけかな.
宗教と言うより,「みんなビンボが悪いんや」の方だと思われ.
アルバニアは元々,トルコ領ですので,ほぼ100%イスラームです.
毛沢東の影響を受けて「無神論」国家になったのは戦後のことですよ.

眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2002/07/16
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

106 : 名無し三等兵[] 投稿日:02/07/16 05:25 ID:wUPrUMvH [1/1回]
>>68
二次大戦以前のユーゴでボスニアムスリムとキリスト教徒(?)の
仲が最悪だったって話は聞いたことがないんだけど……

108 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/16 22:56 ID:???
>>106
そうでもないようですよ.
最初,ユーゴはセルヴィア,クロアチア,スロヴェニアの三国からなる連邦国家と
なっていますが,後に大戦前からの大セルヴィア主義が中央集権国家へと向かわ
せています.
この時に,セルヴィア正教徒とカソリック,イスラームの対立が始まっています.
戦後もコソヴォではアルバニア系パルチザンが独立を求め,1951年まで戦っていま
すし.(この時はホジャとティトーの取引で,ホジャが大アルバニアを諦めることになった)

109 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/16 23:23 ID:???
>>106
失礼しました.
キリスト教徒ではなく主にセルビア人(セルビア正教徒)と書いた方がよかったかもしれません.
それと戦間期のみならず開戦後からハントシャールの編成される
1943年頃までの虐殺事件等も含めての話のつもりだったのですが・・・.

とりあえずは関係無いのですが前提として,
ボスニアはもともとイスラム教徒の地主が多く
キリスト教徒のクメット(小作人)は使われる立場でした.
その為19世紀から20世紀初頭にかけては支配者や地主に対し頻繁に反乱が起きていました.
(イスラム教徒の全てが地主だったわけではありませんが,
イスラム教徒の小作人はキリスト教徒とは違い殆どが自由農民でした.
クメットはどちらかというと農奴的な性格を持っていましたが,
西欧の農奴程権利が抑圧されていたわけではありませんでした.)
ここら辺はまだ普通の農民の反乱といえるかもしれませんが,
ただ1918年にボスニア全域とクロアチアの一部で起きた大規模な農民の反乱は
少し毛色が違うように思います.
この時はキリスト教徒によるイスラム教徒に対する襲撃や略奪等が大量に発生したそうです.
(丁度ボスニアからオーストリア=ハンガリーが去りセルビア軍が進駐してくる時期にあたるのですが,
イスラム教徒には彼等が見て見ぬ振りをしている様に写ったのも不満の対象になりました.)
これも原因の一つとなり,1919年から1931年にかけて
農民の格差をなくす為に農地改革が行われるのですが,これは中途半端な改革に終わる上,
土地を手放す地主に対する保障も充分になされなかった為,両者から不満の声があがりました.

110 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/16 23:25 ID:???
さて1918年にセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国が成立するのですが
この国家が出来た当初からあくまで,セルビア人主導の国家でした.
主要なポストは全てセルビア人が抑え,
地方,例えばボスニアなどにおいても,
それまでイスラム教徒が占めていたポストも全てセルビア人に奪われました.
セルビア人とその他の人種の溝は埋まらないまま,
結局1928年にモンテネグロ出身議員が議場でクロアチア人議員に対し発砲し,
死亡させる事件が起きるのですが,
これが原因で一時議会は活動を停止し,国王アレクサンダル1世による独裁が始まります.
この際,格民族色を薄め団結させる為に国名をユーゴスラビアに改名します.

国王による独裁政治下でも,セルビア人優位の状況はあまり変わりませんでした.
例えばバノヴィアという行政区分が新しく設けられたのですが,
これらはそれまでの民族の境界線等を全く無視して作られており,
9つのバノヴィナの内6つまでがセルビア人が過半数を占めるように作られていました.
この時も主要ポストはセルビア人が占めていました.
また議会も新たに設けられるのですが,国王の言いなりになるようにシステムが改められていました.
1934年に国王がウスタシに暗殺され,独裁政治も終わります.

111 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/16 23:28 ID:???
こういった経緯と大戦が始まってからの
チュトニクと(余り本に書かれたりはしませんが)パルチザンの
イスラム教徒(及びクロアチア人)に対する残虐行為等を踏まえれば
両者の中が窺い知れると思うのですが・・・.
(念の為書くとウスタシやイスラム教徒も散々セルビア人を相手に残虐行為を行っています.)

それと片手落ちにならぬ様書いておくと国王暗殺後のユーゴスラビアで
主席摂政となったパヴレ公の意向で
融和的な政策が採られ始めイスラム教徒が重要なポストに付いたりしているのですが,
彼等の溝を埋めることが出来たとは思えません.
クロアチア人に一定の自治を与えるスポラズム(協定)に関しても裏目に出てますし.


当時のイスラム教徒と一般のカトリックのクロアチア人の関係に関しては
正直私にはよく理解し難いです.
ただクロアチア独立国が成立した初期にはウスタシがイスラム教徒に対し虐殺事件を起こしたり,
クロアチア政府がイスラム教徒を強制収容所送りにしている様なので,
同じ側に立っているとはいえ,緊張を含んだ間柄なのではないでしょうか?
ただ,彼等の憎悪する主な対象はあくまでセルビア人であるように思います.

117 : 名無し三等兵[] 投稿日:02/07/17 05:13 ID:DQX/+4xx [1/1回]
>>109-111
詳細な書き込みありがとうございます
特に,バノヴィアがゲリマンダー的色彩を帯びていたという情報は初めて
聞くものであり大変参考になりました
私はかねがね第一のユーゴの中央集権=大セルビア主義という図式は
クロアチアのいわば僻みであり客観性に欠けるのではと思っていましたが
その認識が少し改まりました

WW2時の「クロアチア独立国」ならびにウスタシャに関しては,ボスニアでの
主導権を巡ってムスリム人を自陣営に引き入れる必要があった関係上,
クロアチアはムスリム人を冷遇しなかったと聞いています
ムスリム人=元来はクロアチア人という意識の元,ウスタシャにムスリム人が
参加するケースも少なくなかった
チェトニクにしてみればボスニアムスリム=ウスタシャという意識があって
それが虐殺の根拠になった,と
すると,セルビア人VSクロアチア・ムスリムという中央VS地方の図式が
一応成り立ち,イスラム教徒であることを理由にキリスト教側が迫害を
加えたという認識は成り立たないのではと思った次第です

123 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/18 23:42 ID:???
>>117
レスありがとうございます.
当時のクロアチアは人口的に微妙ですからね.
セルビア人,ユダヤ人,ロマ人等に対しては,改宗が強要されましたが,
ムスリムに対しては強要されなかったようですし.
クロアチア独立国の政治家が
「クロアチアは二つの宗教を持つ国家である」
とわざわざ言明しているようですし・・・.
ムスリムに対しては基本的には特別扱いのようですね.
ただ前述したように,必ずしもうまくいってはいないように思うのですが・・・.

>ウスタシャにムスリム人が参加するケースも少なくなかった
一部のムスリムがドイツにボスニアの保護国化を求めたり
SS第13武装山岳師団に自治を求めて志願するものもいたそうなので,
同じムスリムでも大分意識が違うように思います.
(ムスリムに限った話ではありませんが,一部パルチザンに参加するものもいましたね.)
それと,少し年代が異なるのですが,
20世紀初頭位のムスリムは一部のインテリ層は
クロアチア人,セルビア人としての意識を持っていたのですが,
大多数はムスリムとして独自のアイデンティティを持っていたそうなのですが・・・.
とはいえウスタシャに参加したケースが少なくなかったそうなので
この時代になるとクロアチア人としての意識を持つものが多かったのでしょうか?
明確な敵(セルビア人)が存在していましたからね・・・.

よ〜分からん

125 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/19 00:03 ID:???
ちょっと後夜祭を抜けて.

>>123
思うに,ムスリム人という扱い自体がティトーが作った人工的な区分であって,
戦前には存在してなかったはずです.
で,1908年にオーストリア・ハンガリー二重帝国に併合されたときにクロアチア
の行政官僚がボスニアに行く可能性があったはず(三重帝国案もあるから)な
ので,クロアチアに親近感を抱いていたのは確かじゃないでしょうか.
ちと,酔っぱらい頭なので,支離滅裂でスマソ.

眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2002/07/16
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

132 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/21 03:36 ID:???
>>129
IAR.80/81は中々に興味深いですね.
バリエーションとか結構ありますし.
カタログスペック見る限りでは中々良い感じの機体?


>>131
洋書が置いてあるのはグランデじゃないっけ?

133 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/21 11:08 ID:???
>>132
ライセンス生産していたP.Z.L.P.24の後継機として,1938年に試作されたもの
ですが,直前に,Hurricane,He-112が供与されて試作ペースが落ち,戦闘機
の不足に直面して,慌てて実戦・量産化したものですな.
エンジン周りはP.24の流用だったりします.
出現当時は既に対戦闘機戦には苦しくなってましたけど,そっちはBf-109G
に任せて,自ずから迎撃とか地上攻撃機として活動したみたいです.

ただ,機動性は良かったみたいで,しばしば敵戦闘機の襲撃を交わして,返り
討ちにしていたようです.

この戦闘機の機銃って,FN製なんですね.
B型の機関砲はMGFFと,東西入り乱れてますよねぇ.

眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2002/07/21
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

138 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/23 00:07 ID:???
ルーマニア空軍はトップエースで60機撃墜のConstantin Cantacuzinoを始め
2位で55機撃墜のAlexandru Serbanescu,3位で45機撃墜のIon Milu他
多数のエースを抱えていたようですが,
彼らを含めて主なエースは大戦末期はBf-109を使用していたみたいですね.
Constantin Cantacuzinoもこの国では少数派のハリケーンMk.Iで初撃墜を記録していますけど,
結局はBf-109に乗り換えていますしね.
IAR.80/81も終戦まで迎撃任務とかで頑張っているんですけどね.

この国のエースは撃墜数もさる事ながら,
P-51とかLa-5とか結構大物を喰っている奴がいるのが印象的です.

146 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/24 00:21 ID:???
>>142
そうですね当面の敵はソ連でしたし.
でも戦争後半になるとルーマニア領内のプロエスティ油田などに対し
米軍が爆撃を行っていた関係上,P-38,P-51,B-17,B-24等
米軍機とも戦う機会が結構あったようです.
それと後々対独戦に参加するのですがBf109やFw190を撃墜している奴もいますね.

150 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/25 02:33 ID:???
すいません.ルーマニア第三位のエースはFlorian Buduかも,
どうもIon Miluは資料によって生涯撃墜数がかなりばらついている.

軍事板,2002/07/23
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

143 : 131[] 投稿日:02/07/23 22:51 ID:om395lgL [1/1回]
籠一杯の牡蠣のむき身で検索かけてますた.
ダークエピソードですな.
東欧のファシストは生き残っていたんですか…

147 : 137 : 投稿日:02/07/24 00:42 ID:???
じつは>>141で紹介された発言を書いたのも俺なのだが.
牡蠣の話は元ユーゴの指導者で1954年に路線対立から追放されたミロヴァン・ジラスの著書「スターリンとの対話」に載っている話らしい.
といっても別な本にされていた引用が元ネタなんで,でっちあげかどうかはわからない.
ただクロアチアではカトリックの神父が「セルビア人は子供といえども容赦なく殺せ」ってアジ演説やってた(映像の20世紀より)くらいだから,あっても不思議ではないと思う.
ちなみにセルビア語とクロアチア語は方言程度の差異しかなく,別な言語とされてるのは多分に政治的な理由らしい.

149 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/24 22:30 ID:???
>>144
煽りっぽいレスにマジレスも何なんですが,当時のクロアチアで,失わ
れた人命は6万5000〜70万とかなり幅があります.(あの狭い国に一声
100万人とも言われる犠牲者がいるかも)
これは,その時の資料が失われてしまったのと,その後の歴史の封印で
数字自体が曖昧になってしまっているわけです.
>>147でも137氏が書かれていますが,ナチスのユダヤ人民族浄化以上に
掃討を行ったみたいですね.

150 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/25 02:33 ID:???
>>149
当時のクロアチアで失われた人命に関しては
セルビア人はクロアチア人の残虐さを必要以上に強調する為に過大な数字を主張し,
クロアチア人は自分達を擁護する為に過小な数字を主張しているそうですね.

軍事板,2002/07/24
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

146 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/24 00:21 ID:???
>>142
そうですね当面の敵はソ連でしたし.
でも戦争後半になるとルーマニア領内のプロエスティ油田などに対し
米軍が爆撃を行っていた関係上,P-38,P-51,B-17,B-24等
米軍機とも戦う機会が結構あったようです.
それと後々対独戦に参加するのですがBf109やFw190を撃墜している奴もいますね.

149 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/24 22:30 ID:???
>>146
通り道に当たるブルガリアでもD.520やらBf-109や,P.24!まで総動員して
迎撃に当たっているようですね.
そう言えば,イタリアのRe-2005はドイツの所属になるんでしたっけ.

151 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/25 22:57 ID:???
>>150
95式戦闘機も真っ青って奴ですな,B.534.
元々ブルガリア自体は期待されていなかったから,こう言うものだったんで
しょうかね.
Re-2005は,十数機の少数配備だったかと….

話は変わりますけど,ブルガリアにも航空機工場がありまして,D.A.R.シリーズの
飛行機を作っていました.
D.A.R.6は練習機ですが,D.A.R.10は低翼単葉固定脚の急降下爆撃機で,1941年に
初飛行しています.

しかしながら,その後すぐにJu-87が供与され,こいつは直協機の任務に就いている
んですね.
しかも,少数生産に終わった,と.
まぁ,習作の域を出ませんが,我が国も飛行機が作れるんだぞ,と言うドイツに対する
ジェスチャーだったのでしょうかね.

168 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/30 01:22 ID:???
ブルガリアでのB.534.
対空戦闘はダメダメだったが,後半襲撃機として使われたり,
偵察任務で使われたりして少しは活躍したのか?
ちなみに大戦末期にドイツのBf-109と戦ったりもしたらしい.
ttp://www.dalnet.se/~surfcity/avia_bulgaria.htm

軍事板,2002/07/24
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

153 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/27 01:14 ID:???
ラスト・オブ・カンプフグルッペは,
ルーマニアやブルガリアの以外な奮戦振りが伺えるの面白いですね.
それと同時に国力,工業力の底が浅いのも分かりますけど….
例としてルーマニアの1942年10月の国産兵器の実績月産数が上げられていますけど,
これが,ドイツにおける中規模の軍事兵器工場一ヶ所とほぼ同じというのは
…よく戦争したもんだ.

第二次世界大戦中にブルガリアの使用した戦車,自走砲の類をみると,
ドイツ製,ソ連製,フランス製,チェコ製,イギリス製と実に多国籍なうえ,
極少数とはいえ鹵獲したトゥランやらセモベンテやら使っているのは泣けます.
ついでに火器の類も見事にバラバラでしたね.
戦争して鹵獲した砲を使うというのはともかく,戦前から同じクラスの砲が3種類も4種類もあるし.

あとこの本とは関係ないですけど,ハンガリーはレンドリースでソ連に渡った
M3軽戦車を最低3両は鹵獲して使用していたそうです.

182 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/08/05 20:46 ID:???
ルーマニアはルノーR-35もそのまま使わずに,車載機銃を変えたり,
主砲をソ連のT-26やBT-7につまれていた45mm砲に換装したりしていたようですね.
涙ぐましい・・・.

軍事板,2002/07/27
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

163 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/29 01:35 ID:???
東欧の外交事情はどんなもんでしょ?
とりあえずポーランドはどうやったら崩壊されずにすんだんでしょ?
新生国家にゃ辛すぎる位置だよなぁ…

165 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/29 02:00 ID:???
>>163
ポーランドに限った話じゃないですけど.
西にドイツ
東にソ連ですからね.

ダンツィヒをドイツに返還して不可侵条約を延長・・・しても無駄かな?


167 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/29 22:50 ID:???
>>163
1933年にHitlerが政権を取ると同時に,英仏と共同で宣戦布告してドイツを
攻めれば良かったでしょうね.
後は,1936年のラインラント進駐時に仏と語らって,ドイツに侵攻すれば
良かったのでは?
当時はドイツも戦争準備がままならなかったですし,フランスにしても,
アルザス・ロレーヌが手にはいるなら,乗ったかも知れませんね.

その頃,ソ連は内部でエライことになってましたし.
1920年代ではポーランドはソ連に勝利してますし.

軍事板,2002/07/29
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

169 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/30 22:23 ID:???
>>168
それなりに活躍はしたんだろうね.
でも,ブルガリアの初期の国籍表記は凝っていて良いなぁ.

そう言えば,B.534でチューリヒ国際軍事飛行競技会で代表となって活躍した
フランティシェク・ペリナという人は,国がドイツに占領された後,フランスに渡り,
Do-17を4機,He-111を1機共同撃墜し,Ju-87を2機確実に撃墜,2機を不確実
撃墜するなど,公認11機,不確実2機を記録し,更に英国に渡って,英国で1機
撃墜.
戦後は,チェコに戻ったものの共産化で国を捨て,英国空軍に復帰.
1953年には飛行隊から引退を命じられ,カナダ,米国でビジネスマンとして成功した
らしい.

もう一人,亡命チェコ人としては,ヨゼフ・シュテフリクという人がいて,この人もフランスに
亡命して,6機を撃墜.
英国に渡って更に撃墜機数を伸ばし,1944年にソ連で編成されたチェコ戦闘機隊に志願.
La-5で2機を撃墜して,戦後は新生チェコ空軍で教官を務め,亡命することもなく,平穏に
生涯を終えたとか.

170 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/31 21:32 ID:???
同じくチェコからイギリスに亡命したKarel Kuttelwascherは
夜間戦闘(夜間進入)に従事していたそうです.
夜中にコソーリとフランスにある,
ドイツ軍の空港を襲うという任務を何度もこなしていました.
公式な数字は存知あげないのですがHe111,Ju88,Do217を中心に
少なくとも15機〜(20機前後?)くらいは撃墜していたようです.

戦後はチェコを捨てイギリスで民間機のパイロットとして
暮らしていたようですが,1959年に心臓発作で亡くなりました.

171 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/07/31 23:07 ID:???
液冷エンジンのせいかAviaB.534は側面からみると,
スマートで複葉戦闘機とは思えん.

172 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/07/31 23:28 ID:???
あと,Mr.Brownことジャン・ツムバッハという人もいましたね.
チェコ,ルーマニア,フランス,英国と渡って,戦後にビアフラ空軍で
活躍した人ですか.

>>171
チェコが解体されていなければ,Hurricaneのような発達の仕方も
あったような気もすると言ってみるテスト.

173 : ギシュクラ・ヤーノシュ[] 投稿日:02/08/01 00:43 ID:idXJ6Js9 [1/1回]
>>172
ビアフラということは傭兵ですか.
国に帰れなかったのでしょうか・・・.

174 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/08/02 20:58 ID:???
昨日カキコできなかった(鬱.
>>173
大戦後,一旦国に帰ったのですが,共産主義体制に嫌気がさして亡命.

フランスとかで時計の密輸業者兼エアタクシー業者をやってましたが,
フランスで余剰となったB-26をアフリカに運ぶ仕事を引き受けたのが運の
尽き.
そのアフリカの届け先で,B-26に乗るパイロットがいなかったのと,政府軍
の攻撃に持ち前の反骨精神がカマを擡げ,ビアフラ空軍に荷担して,政府
軍陣地を散々攻撃した人らしいです.
最初が,ビアフラで次がカタンガだったかな.

人呼んで「Mr.Brown」その機体にシャークマウスが書かれていたので,空の鮫
と呼ばれていたらしいです.

んでもって,今日は暑さに脳がやられて,気が付くと「第二次大戦のポーランド人戦闘機
エース」と「Stalinの外人部隊」を買ってしまいました.

この「Stalinの外人部隊」という本の作者はゴシュトニー・ペーターでマジャールの人.
1999年に亡くなられたそうですが,1956年のハンガリー動乱でスイスに亡命した予備
士官だった人だそうです.

この人の著書に「Hitlerの外国軍」「赤軍 1917-1939年」,「第二次大戦とハンガリー陸軍」
と言う本があるのですが,学研さん,これらの本も引き続き出して下さいよぉ.

179 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/08/04 21:29 ID:???
>>178 ギシュクラ・ヤーノシュ氏
そうですね.
二代目フォン・ローゼンの方でしたっけ.
MFI-15にロケット弾括り付けたり,C-47で空輸したり….

眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2002/07/29
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

176 : 名無し三等兵[] 投稿日:02/08/03 01:38 ID:eAPrFTFW [1/1回]
ポーランド軍の拳銃・小銃・機関銃の内,拳銃と機関銃は
米国(というかブローニング)系ですが何か理由があるんでしょうか?

177 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/08/03 21:08 ID:???
>>176
ポーランドと米国というのは意外に結びついていますからね.
古くは米国独立戦争で,ポーランドのコシチュッシュコ将軍が独立派に加わって
います.
この人は1794年のポーランドの反乱で活躍した人です.
また,1920年の対ソ戦では,米国人義勇兵による「コシチュッシュコ」飛行隊が編成
され,活躍しています.
1918年独立以後も米国の投資がある程度あったのと,拳銃とかの設計者が米国帰り
の人だったんじゃないでしょうか.

眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2002/08/03
青文字:加筆改修部分


** 【追記】

179 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/08/04 21:29 ID:???
今日は本の山を崩してました.
並木書房の第二次大戦各国軍装全ガイドと言う本がありまして,大戦で戦った
全世界の軍の主な軍装が出てるものです.

マジャール王国空軍は,1939年1月1日に独立したので,基本的には陸軍の制服と同じものを着ている.
パラシュートとかの装備は当初,イタリア製だったのだが,後にはドイツ製が主力になったとか.

矢張り,軍装関係は軍の装備に関係していたのかなぁ.

眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2002/08/04
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

193 : 名無し三等兵[] 投稿日:02/08/11 11:46 ID:no3j0vJs [1/1回]
戦前のバルト三国の軍備とか政治方針とかはどういう感じだったんですか?

194 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/08/11 23:02 ID:???
暑いですねぇ.

>>193
海軍は,>>23辺りで触れていますが,国に似合わず精々潜水艦の配備くらいです.

陸軍は余り資料がないので,フォローキホ゛ンヌ.
確かエストニアとラトヴィアはフィンランドとほぼ同じ,リトアニアはポーランドを模範にして
いたような.

エストニア陸軍の戦車は1918年に英国が派兵した際に残した,Mk.V重戦車があって,
1924年にルノーFTを買い付けています.
1934年にポーランドからタンケッテTKSを買っていますね.

ラトヴィア陸軍の戦車は1920年?に英国の重戦車Mk.Vと中戦車Mk.B,1929年にルノーFT
軽戦車を装備しています.
1930年にはフィアット3000B,そして1938年にタンケッテのカーデンロイドM1936を18両装備して
います.

リトアニア陸軍の戦車は結構充実していまして,1925年にルノーFT M1917-1918を導入して,
タンケッテはカーデンロイドM1933を18両1934年に調達,1938年にはチェコのCKDからLTL
(38(t)戦車の原型)を21両導入し,ポーランドとソ連との仲がきな臭くなってきたので,スウェー
デンのランツベルク社からL-10中戦車の導入を進めていました.

195 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/08/12 00:16 ID:???
続きです.

空軍はラトヴィアが一頭抜きんでていました.
正確な情報は,埋もれている年鑑を出さないと出てこないですが(苦藁)….

エストニア空軍は,Bulldog戦闘機12機が主力で,Ansonが導入されようとしていました.
練習機でAvro626が4機,その後継機はMiles Magisterが1機,Letov S.218連絡機が数機.
あと国産で,PTO-4と言う低翼単葉の練習機を2機試作しています.
国籍マークは国旗のブルー,黒,白の逆三角形.

ラトヴィア空軍は,「燃える薪」ことGladiator戦闘機26機が主力,他にBulldog戦闘機が
12機とDewoitine D.501Lが14機,P.Z.L.P.11が数機にHawker Hind練習機が3機,
Letov S.218連絡機が数機.
海軍航空隊に,Fairly Seal水上偵察機が4機,Dornier Do-22水上雷撃機が4機.
戦闘機の主力として,Morane-Saulnier M.S.406を調達するも引き渡しは為されず.
国産機として,国営電気機械工場で,I-12なる軽飛行機を12機ほど生産した.
国籍マークは白地に臙脂のスワスチカ.

リトアニア空軍は,おなじみGladiator戦闘機14機が主力で,Ansaldo A.120軽爆が24機.
他にAvro626練習機が4機,D.H.89M哨戒機が2機,Letov S.218連絡機が数機,
Bucker Bu-133C練習機が4機.
国産機として陸軍航空機工場がAndo41と言う高翼パラソル式の偵察機を20機ほど製作
しています.
あと,P.Z.L.P.50試作戦闘機などポーランド崩壊時に少数の機体が逃れていますね.
国籍マークは臙脂の淵付のロレーヌ十字(キな感じのやつね).

なお,機材は併合時に殆どがソ連に接収されています.
また,ラトヴィアに関してはラトヴィア航空軍団というのが,ドイツ空軍に1944年8月に誕生
しています.
3個夜間爆撃中隊,航空学校,1個対空砲大隊などで628名から構成されていました.

196 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/08/12 20:18 ID:???
ラトヴィアがなんか良さげですね・・・.
開戦当時の小国の持ち物としてはグラディエーターはそんな悪くないと思うし.
P.Z.L.P.11もあるし,M.S.406も発注してるし.
海がある以上海軍航空隊があって水上機を持っているのは
可笑しくないんだろうけど,なんかいいなあ.
所持している戦車ではリトアニアに負けてるみたいですけど・・・.
あとこういう小国でも空軍はちゃんと独立しているんですね・・・.

リトアニアに逃げたP.Z.L.P.50試作戦闘機が激しく気になるんですけど,
これって低翼単葉形式のヤツですよね.

197 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/08/12 21:44 ID:???
>>196
少し修正.
リトアニアは陸軍の一部で,独立してませんでした.
で,リトアニアはメーメル地方を巡ってポーランドと対立してたので,それなりの
陸軍軍備が必要になったのでしょう(同地方は後にポーランドに割譲させられて
いたのかな).

ま,Gladiator戦闘機は全世界の小国御用達戦闘機ですからね.
D.501については写真はあるんですが,スペイン人民戦線政府に売却されたと言う話も
あります.(サウジ向けの機体が転売されたという説もあるのですが)

空軍機材の近代化ですが,リトアニアもM.S.406を購入予定,エストニアはフォッカー
G.1Bを購入予定でした.
が,国が消滅したり,相手が消滅したので引き渡されませんでした.
余談ですが,冬戦争でフィンランドが活躍しているのを見たバルト三国の軍部が,
「スウェーデンが一緒に戦うのなら,我々もソ連相手に反乱を起こす」と言っていた
そうです.
スウェーデンが立たなかったので沙汰止みになりましたが.

P.Z.L.P.50は本来,P.11の後継機として生産される予定だったもので,エン
ジンはMercuryですが,低翼単葉となり,後方引込み脚を採用していました.
丁度,Re-2000とかP-35そっくりだったり.
ただ,性能は劣悪で1機のみの試作に終わり,新戦闘機はイスパノスイザ12cr
系のエンジンを積んだ機体が設計されていました.

眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2002/08/12
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

207 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/08/17 01:47 ID:???
>>205
確かにブルガリアもあの悲惨な装備でよく戦いましたね.
戦った相手も大戦末期だけの事はあってドイツ軍でも
ろくな装備をしてなかったりクロアチア軍だったり
装備の貧弱さでは似たりよったりのような気もしますけど.

しかし枢軸国にもかかわらず,連合国相手にはロクに戦わずせいぜいパルチザンを相手にしたぐらい.
(連合国機を迎撃したりもしてますけど)
天然資源を巡って味方のイタリアと武力衝突を起こしたり,
挙句の果てには抵抗も無くソ連に占領されて新政府が対独参戦.
ドイツがブルガリアに貢いだ装備も結局ソ連相手ではなく
ドイツ相手に使われたと云うのは・・・.

軍事板,2002/08/17
青文字:加筆改修部分


** 【書評】

216 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/08/20 23:39 ID:???
「泥まみれの虎」をようやく読みました.
とりあえず宮崎さんの漫画ですがあの周辺の地形や状況が分かるように描かれているのはヨカタです.
エストニア方面の戦いは余り知らなかったのですが,
高橋慶史氏が実に分かりやすく解説なさっていたのも良い感じですた.
それにしてもエストニアはメインの戦場ではないとはいえ,
あの時期のドイツ軍の部隊は驚く程に薄いですね.
それとあの辺りは沼沢だらけで戦争やりにくそう・・・.
写真見るととても綺麗な所なんですけどね.

あの本を読んで気になったので外務省のホームページを見てみたのですが,
今現在のバルト三国における民族の比率.
特にエストニア,ラトヴィアはロシア人の比率が結構多いようですね.
あの本に出ていたエストニア人の気持ちが分かる気がします.

軍事板,2002/08/20
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】
あの本を読んで気になったので外務省のホームページを見てみたのですが,
今現在のバルト三国における民族の比率.
特にエストニア,ラトヴィアはロシア人の比率が結構多いようですね.
あの本に出ていたエストニア人の気持ちが分かる気がします.

217 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/08/21 23:12 ID:???
>>216
そいでも,心ならずも「ドイツの支配の方がマシ」だったようです.
ユダヤ人には災厄でしょうが…(ラトヴィアで9万人,リトアニアで20万人が,
強制収容所で殺されています).

1940年,リトアニアにはデガゾノフと言う共産党指導者がやってきました.
この時彼はリトアニアの国会議員にこう言ったそうです.

「あなたはリトアニアの独立について話している.窓の外を見給え.ソヴィエトの
 戦車と部隊が見えるだろう.我々の戦車の着いたところに,自由もやってくるのだ」

1940年から41年に掛けて,10万人のラトヴィア人が逮捕され,3万5000人以上が流刑と
なり,ついでに戦後,ソヴィエトが帰ってきてから,リトアニア人は55万人が流刑となり,
処刑されています.
また,ラトヴィア人は海岸部を中心に20万人,エストニア人は6万人がこういう目に遭って
います.

これに対し,ソヴィエトは貧しい地域から移民を入れてきて,1989年にはエストニア人は
1959年から15%減って60%に,ラトヴィアでは10%減って52%になりました.
リトアニア人だけが,79.4%と微増しています.
これは,リトアニアがカソリックだというのが原因かも知れません.

なお,1953年まで,エストニアではメッツァヴェナード,リトアニアではミスキニヤイによる
武装蜂起が続いていました.
ラトヴィアが最後までドイツ軍支配下にあったので,その武器をもって地下に潜伏した元
ドイツ軍編入のエストニア,リトアニア兵が湿地帯などでゲリラ化したものです.

そうそう,ナルヴァ地区ですが,ソヴィエトは相当懲りたのか,ナルヴァ川から少しロシア
領に入っていた部分を1945年に割譲させています.
ついでに,エストニア南部の一部とラトヴィアの北東部も割譲させていますね.

軍事板,2002/08/21
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

219 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/08/22 01:54 ID:???
>ズボレン
色々ホームページを見て回ったんですけど,絵になる所がとても多いですね.
歴史というものが凄く感じられます.
対独蜂起の際には重要な役割を果たしたらしいですね.

装甲列車Hurbanか・・・ドイツ相手に戦ったって事ですよね.

http://www.army.sk/AHurbanrmada/Cvicenia/COCH/zvolen.htm

220 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/08/22 01:57 ID:???
違った〜
http://www.army.sk/Armada/Cvicenia/COCH/zvolen.htm

221 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/08/22 23:10 ID:???
>>218 ギシュクラ・ヤーノシュ様
トランシルヴァニアは未だに両国確執の火種ですね.
相当少なくなったと言え土着の人は結構いますからね.

>>219
スロヴァキアの対独蜂起と言えば,その頃まで生き残っていた,Letov S.328
がドイツ軍の頭上に爆弾の雨を降らせて,ソヴィエト方面に遁走したとかいう
話があったような気がします.
もしかしたらクロアチアの話と混同してるかもしれませんが.

222 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/08/23 00:47 ID:???
>>221
ドイツ側に迎撃する意思があれば一発で落とされそう.
とはいっても単発単座の戦闘機なんかと違って
この手の機種は多少旧式でもスペックが劣っていても
いくらでもつぶしが利くのが強みですからね.

Letov S.328の水上機型はどこで使うつもりだったのでしょうか?輸出用?
ブルガリアのも陸上機型みたいだし.

223 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/08/23 10:13 ID:???
スロヴァキアの武装蜂起はあっさり潰されるんですよね?

224 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/08/24 01:07 ID:???
>>222
まぁ,Po-2みたいなのも,第一線にいましたからねぇ.
まして,スロヴァキアは東部戦線の第一線に比べれば田舎ですから,複
葉機でも実用になったのでしょう.
クロアチアでは,1943年くらいまでパルチザン狩りにブレゲー19を用いて
いましたし.

S.328の水上機型ですが,S.328Vと言う名称で,4機製作されたそうです.
任務は標的曳航だったようですね.
何処かの湖から作戦してたんでしょうか.
元々,フィンランドからの注文で試作されたものなので,フロートの装着も
考慮されていたのだと思います.(フィンランドには引き渡されてないけど)

>>223
それでも,1944年8月25日にドイツの軍事顧問22名が殺害されてから,SS
戦闘団Schillにより,9月末にスロヴァキア軍司令官,参謀長が投降するまで
全土で反乱が続いたので,あっさりというわけにはいかなかったようですね.

225 : ギシュクラ・ヤーノシュ[] 投稿日:02/08/24 18:30 ID:0uiDl7Bo [1/1回]
眠い人さま
対独蜂起の記念館はバンスカ・ビストリッツァにあります.
ここにも装甲列車が置いてあるそうです.
行くつもりだったのですが,台風並の豪雨で断念しました.

あと,ポーランド国境近くの小さな村の教会を見学していた
ら,祭壇の下にレジスタンスを匿ったという地下室の入り口
があるのを見せてもらいましたよ.

226 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/08/25 01:09 ID:???
>>225 ギシュクラ・ヤーノシュ殿
素朴な疑問なのですが,それらの装甲列車って一体何処の国のなのでしょう.
チェコのものだったのでしょうか.
それとも,ドイツのものを分捕ったのでしょうか?
この辺,漏れも門外漢なので,詳しい人の登場を待ちたいところです.

今日は,書店で中公新書の新刊,「物語 ウクライナの歴史」というのを買ってきました.

ウクライナとポーランドは西ウクライナを巡って常に係争しており,1920年には亡命ウクラ
イナ人がPragueで「ウクライナ軍事組織」(UVO)を作って西ウクライナでテロ,サボタージュ
とかピウスツキ大統領暗殺未遂などを起こしました.
更に,学生組織を取り込んでウィーンに「ウクライナ民族主義者組織」(OUN)を作り,ポー
ランド内相,リヴァウ警察署長,ソ連領事の暗殺を行っています.

ちなみに,ウクライナ民族主義者とは日本軍部も接触していたそうです.

ドイツのソ連侵攻で,彼等OUNの一部(このころには二派に分裂していた)は,ウクライナ
独立を宣言しましたが,未承認の越権行為だったので潰され,協力から抵抗に変わりました.
1943年に4万の兵力,1944年には10万の兵力で,ドイツ,ソ連と戦い,殆どのウクライナ
地域を支配していたそうです.
戦後も1950年まで抵抗は続けられ,最終的に終息したのは1959年に指導者が暗殺されてから
だったようです.

その最盛期の1947年にはポーランドの国防次官を待ち伏せで暗殺し,これに対抗してポーランド
軍は「ヴィスワ作戦」という名称で,ポーランド軍3万人を投じてUPA軍を包囲し,殲滅したとか.
最後に生き残った400名は,ポーランドからチェコ=スロヴァキアを戦いながら通り抜け,オーストリア
を経由して,ドイツの米軍占領地にたどり着くと言う事をやってのけたそうです.

軍事板,2002/08/25
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

227 : 消印所沢 : 投稿日:02/08/25 03:14 ID:???
そう言えば,「ソビボーからの脱出」という,
ロシア?にあったユダヤ人強制収容所の蜂起の話を扱った映画では,
ドイツ軍装備のウクライナ兵が看守をしていました.

228 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/08/25 23:15 ID:???
>>227
ポーランドの強制収容所らしい.
ウクライナ人もソ連よりかはナチスの方がまだマシと考えて協力するヤツが多かったですからね.

229 : 名無し三等兵[] 投稿日:02/08/25 23:33 ID:vksZkExF [1/1回]
眠い人さま
中世の話はある程度得意ですが,近代は疎いです.
装甲列車というとこんなサイトがありますね.
ttp://blinda.hoops.livedoor.com/vkg_200.html
残念ながらチェコの項は準備中のようです

教会の件ですが,一家団欒中を怪しいアジア人一行に
拉致されて案内する破目になった不幸な司教(現地の
方はパップと言ってました.)はパルチザンを匿った
としか言ってませんでした.
教会は正教会だったのでウクライナ関連の可能性もあ
るのかもしれませんね.


230 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/08/26 06:45 ID:???
>>227
>ポーランドの強制収容所らしい.
ドイツ側名称はトレブリンカ強制収容所.
ワルシャワ近郊の強制収容所で43年8月2日に労務作業中のユダヤ人による蜂起が起きて
700人のうち500人は射殺されたが150人は逃げおおせた.
その後にドイツは失敗を隠す意味も兼ねて収容所を破壊して廃止した.
歴史的にはコルチャック先生と子供たちが送られた強制収容所として悪名が高い.

231 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/08/26 17:40 ID:???
グランドパワー2000年1月号にスロヴァキア軍のLTvz.35に関して
一部が装甲列車の部品に使われたとの簡単な記述がありました.
ただし詳しい事には一切触れられておりませんでした.

232 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/08/26 23:20 ID:???
>>229 ギシュクラ・ヤーノシュ様,>>231

ポーランドの装甲列車についての話は見つけたんですがね〜.

ポーランドはタトラ装甲トロッコ18型というのを1926年に6両購入して,装甲列車の
前駆として使用したそうで,ポーランドは10編成を擁していたみたいですね.
そのうち,53号「シュミアウィ(勇敢)号」は,100ミリ砲2門,75ミリ砲2門,機関銃14丁
と言う重装備で,1939年9月1日にヴォーラ騎兵師団を支援し,ドイツ第4機甲師団の
攻撃を頓挫させる活躍を示しました.
しかし,翌日には戦線を第1機甲師団に突破されて撤退.
東部国境に送られて,ソ連の侵攻を受け,鹵獲され,バルバロッサで侵攻したドイツ
軍に再び鹵獲されて,装甲列車第10号になっています.

チェコのものは,彼のホームページによると,ドイツの第23列車近辺くらいですかね.
引き続き情報希う.

>>230
ポーランドと言えば,その話から逃れられませんね.
ユダヤだけでなく,ロマとかも対象になったそうですし.
先日,長崎に行ったときにコルチャック先生の遺品の数々を見てきました.

233 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/08/27 02:22 ID:???
ドイツ軍の使用した装甲列車のページ.
ttp://www.panzerzuge.com/Armoured/main.html
どうなんだろ?
>>220とか色々見て回ったけどズボレンのは,1944年の武装蜂起に縁の物らしいのですが,
第23〜第25装甲列車はもっと早い段階からドイツが国外で使っていたみたいだし.

234 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/08/27 22:59 ID:???
何か,チェコのズテーテンを巡って,ドイツ・オーストリアとチェコの間が
きな臭くなっているようですね.

経済が悪くなると国民の目を外に向けさせるのが常套手段ではあります
が,向けられた方は堪ったもんじゃないですなぁ.
穏便に解決するか,再び戦乱の嵐が吹き荒れるか,気になるところでは
あります.

>>233
ををっ!Thx.
第23〜25装甲列車は,西部〜南欧戦線なんですよね.
で,1944年には英国との協定で,ギリシャからドイツは平和哩に撤退
しているので,もしかしたら戻った装甲列車が此処にあったのかもしれ
ませんね.

236 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/08/28 20:40 ID:???
>>235Su-47信者(狂信的)様
おお〜良かったですね.一時はヒヤヒヤしましたが・・・.
いつになるか分かりませんけど,
軍板に帰ってきたらお土産話等を聞かせて下さい.
楽しみにしています.

>>234
スロヴァキアで対独武装蜂起の起こった1944年8月当時.
24,25はフランス南部にあったようです.
23は私にはよく分からないのですが,それ以降も
ドイツ軍が普通に使っているようなので別物と思われ・・・.

ズボレンの装甲列車ですが,
>>220を見た限りでは武装蜂起中にズボレンの鉄道従業員に作られたと
書かれているように思うのですが
作るのに要した時間が短いようですし(2週間?)
おそらくは既存の車両を改造して装甲列車を作ったという事なんでしょうか?
それにしても作るのに要した期間が短すぎる気が・・・.
漏れは装甲列車にまるっきり疎いので作るのにどれ位かかるとか
どう作るとかは全然分からないんですけど・・・.
それと三台の内の一台と書いてあるのですが,
バンスカ・ビストリッツァの装甲列車もここで作られた物なのでは?
(ここら辺まるっきり根拠無いです.適当に読み流して下さい.)

237 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/08/28 22:35 ID:???
>>235 Su-47信者(狂信的)殿
いってらっさい,気を付けて.
きちんと,日の丸付けとかないと駄目ですよ.
それよりも,しっかり血となり肉となるように勉強してらっさい.
マジャールに進出している日本企業も多いからね.

>>234
成る程.
「オデッサ戦車」みたいなもんですね.
有蓋貨車に鉄板(圧延鋼板でなくても良いでしょう)を貼り付け,溶接し,戦車
(これが35(t)からの流用かな)の砲塔を取り付ければ,即席装甲列車の出来
上がりですね.

しかし,これを改めてみる限り,余り大口径の砲を積んでいるようには見えない
ですね.
無いよりマシかもしれないけど….

239 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/08/29 23:08 ID:???
>>236
>三台の内の→三編成の内の

軍事板,2002/08/27
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

238 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/08/29 21:40 ID:???
スロヴァキア単体の工業力とかはどうだったんでしょうか?
良い所はチェコに集中していたんですよね?

240 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/08/29 23:09 ID:???
>>238
今,資料が見あたらないのだけど,基本的に農業国.
だからこそ,保護国として独立形態を維持できたと言えるのではないでしょうか.
工業地帯はチェコにありましたし,工業も精々が食料生産工業くらい.
鉱物資源は石炭,鉄鉱石と岩塩.

その格差故に,チェコ人に対して含むところがあり,そこをドイツ人につけ込まれ
ました.
ところが,此処には昔からマジャール人が住んでおり,その部分は切り離されて
います.
今でも総人口の10%強がマジャール人,3.6%はロマ人,チェコ人,ルテニア人,
ウクライナ人,ドイツ人となっていますね.

241 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/08/30 23:00 ID:???
スウェーデンではチェコのTNH(Ltvz.38の元になった戦車です.)をライセンス生産した,
Strv m/41が1957年まで使われておりました.
更に突撃砲化したSav m/43が1970年まで(コイツは見た目が最悪.)
装甲兵員輸送車化した,Pvb301が1972年まで使われていました.
ついでに戦後少数が対空戦車に改良されたりもしたそうです.

242 : ギシュクラ・ヤーノシュ[] 投稿日:02/08/30 23:24 ID:Pl66PtBJ [1/1回]
スラブを南北に分ける形で遊牧民族マジャール人が定住したのですが,
今のスロバキア地域の南部とかトランシルバニアの北部はその時以来
ハンガリー領になっちゃってのです.
トリアノン条約の線引きは相当に無茶だったと思いますな.


243 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/08/31 21:09 ID:???
チェコの戦車は色々な国に輸出されていますね.
ユーゴ,ルーマニア,マジャール,スウェーデン,ペルシャ,スイス,
ペルー,ラトヴィアと正に小国御用達.
ポーランドも同じような戦車を作っているのですが,こちらが輸出され
なかったのは機械的信頼性の不足だからでしょうか.
10TPなど,ソ連のBT並の戦車だったりするのですが.

>>241-242
そも戦争の遠因の殆どは人種間の対立から生じているわけで,最近の
ユーゴ紛争,独逸,オーストリアとチェコの対立などもその典型ですね.
トルコにしても,モンゴルにしても,フン族にしても悉く攻勢終末点がこの
地域なので,モザイクはしょうがないと云えばしょうがないですね.

トリアノン条約,ヌイイー条約で引かれた線引きが現在にも影響を及ぼして
いると云えるのではないでしょうか.

246 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/09/01 22:20 ID:???
>>245 Su-47信者(狂信的)殿

いってらっさい,気を付けて.
Netに繋がる環境があったら,また寄っといで.
それまで,このスレが保っているか怪しいけど.

それよりも,空港やら町中で殴られないようにね.

>>244
19.38〜40年のうちで21両生産だから,一部は引き渡しが出来ていない状況
だったかも.
1940年6月に最後通牒,7月に選挙(と言ってもソ連お得意のやらせ選挙),
8月5日に併合決定で,それまでは軍隊が維持されていましたし.

247 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/09/01 22:36 ID:???
>>245
いよいよですね.
勉強がんばってください.
もちろん旅の無事を祈らせてもらいます.

>>246
ラトヴィアが発注したCKD LTLならばLTvz.40として
21両全てスロヴァキア軍が使用したと思われ・・・.

250 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/09/02 23:08 ID:???
>>247
にゃるほろ.
スウェーデンのを徴用したと言う話は聞いたことがあったけど.
まぁ,友好国がこれから占領しようという土地に,兵器を売る国はないわな.
ここから外れるけど,フィンランドに売られたG.50はドイツが足止めして,冬戦争に
間に合わなかったらしいし.

253 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/09/03 02:54 ID:???
>>250
>フィンランドに売られたG.50はドイツが足止めして,
冬戦争に間に合わなかったらしいし.

ミリタリーエアクラフト1994年11月号
「冬戦争終了までドイツに足止めされてしまった.」

北欧空戦史
「第二十六戦隊は部隊訓練中に停戦」

雪中の奇跡
コレ読むと冬戦争末期に第二十六戦隊のG50が戦闘した例が幾つかしめされてる.

257 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/09/04 22:41 ID:???
1920年の対ソ戦における装甲列車に関して・・・.
当然といえば当然なのですが,ご存知の通りソ連は広軌(1524mm)なのに対し,
ポーランドはヨーロッパ標準の1435mmだったので,ポーランド装甲列車をソ連領内で使う際には,
足回りを一時的に広軌に対応したものに換えられて使われていたようです.

また上記で名前の挙がっている「シュミアウィ号」は違うのですが,
第11装甲列車「Danuta」や第12装甲列車「Poznanczyk」などをはじめ
後の第二次世界大戦に使われた編成の多くが
(編成内容は当然,大分違うのですが)この戦争も体験したようです.

>>254
書き込める状況にあるのはなによりです.
マタ〜リと寛ぎたくなったら,いつでも顔を出して下さいませ.

258 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/09/04 22:48 ID:???
>>257
主語が無いけど,ポーランドの装甲列車の話という事で・・・.

260 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/09/05 01:54 ID:???
北欧空戦史だと
「二月中旬になって,ようやく十四機のG.50がウッティ基地で慣熟飛行訓練を開始した.
続く数週間で残るG.50も全機到着」
と書かれています.

雪中の奇跡で示されている戦闘例ですが
3月9日とか3月11日の話なのでG.50が戦闘を行ったのは本当に停戦ギリギリの話のようです.

261 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/09/05 21:54 ID:???
>>259
ポーランドの装甲列車の話ですが
編成内容は大分変わってはいますが,別の車両を装備する事もある一方で
1939年頃になってもまだ1920年頃に鹵獲したソ連製の砲車を装備していたり
ついでに1903〜1906年にドイツで作られた機関車に装甲を施して使っているようなので,
寿命はそれなりに長いのではないでしょうか.

軍事板,2002/08/29
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】
303 : 眠い人 ◆ikaJHtf2 : 投稿日:02/09/30 23:53 ID:???
おおっ,このスレも何時の間にか300を越えてる.

>>301
ヤハ°ーリ,浪花節的人間だから国民に親しまれるんでしょうか>ズリーニタン.
モンゴルとトルコは鬼門ですからね.

>>303
何でP.7かと小一時間(以下略.
件の本はパラパラとしか立ち読みしてないのですが,P.11の間違いじゃないの
でしょうか.

ところで,今月発売の学研の仮想戦記「デュアル・パシフィック・ウォー」の最終巻に,
やられ役ですが,ルーマニアの駆逐艦「リジェーレ・フェルディナンド」が出てきますた.
マラート級戦艦には役不足だろうと,突っ込みながら読んでました.

設計はソニークロフト社で,英国のShakespeare級嚮導駆逐艦をタイプシップに,建造は
ナポリの造船所で建造された.
砲はボフォースの12cm50口径砲,7.6cm高角砲,40mm機関砲もボフォース製,射撃指揮
装置はジーメンス社製を装備してます.
後に対空砲を改めて,40mm砲をラインメタルの37mm砲とオチキス13.2mm機関銃にし,
イタリア式の爆雷投射機を装備し,13.2mm機関銃は20mm砲に換装され,7.6cm砲は撤去,
更に12cmA砲は損傷修理の際,8.8cm両用砲と換装されています.

実世界ではルーマニア海軍の温存政策で,ボスポラス〜コンスタンツァ,コンスタンツァ〜
クリミアの船団護衛任務にしか就いていませんでした.
このとき,爆雷攻撃でソ連潜水艦M45を撃沈しています.

軍事板,2002/09/30
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

304 : ギシュクラ・ヤーノシュ[] 投稿日:02/10/01 23:54 ID:OHTZRyr2 [1/1回]
ルーマニアの巡洋艦エリザベータのページ
ttp://www.ukans.edu/~kansite/ww_one/naval/weliz000.htm
こんな艦が居たとは知りませんでしたよ.

312 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:02/10/07 23:11 ID:???
>>304 ギシュクラ・ヤーノシュ殿
久々にカキコ.

その手の巡洋艦は,一応巡洋艦とは名乗っていますが,1320tと,実際は駆逐艦
クラスの船が多いわけです.
ドイツなんかでも,これくらいの大きさの艦は四等巡洋艦と名乗っていました.
まぁ,尤も駆逐艦が小さかったので他の名称はなかったためもあるでしょうが.

1888年に建造されて,1919年に退役しています.
1916年に武装を撤去して,Sulinaに係留され,後にタニューブ河畔のGalatzの
にてハルクとなりそのままスクラップになりました.

ちなみに,1912年にその代替艦としてイタリアに駆逐艦を4隻発注しましたが,
大戦で接収され,戦後2隻だけが引き渡されています.

軍事板,2002/10/07
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

316 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:02/10/20 12:04 ID:???
やっとこ落ち着いたので久々カキコ.

引越準備のために家の中片づけていたら,昔の資料発見.
なので(ぉ,各国の双発国産重爆撃機について一くさり….

チェコ=スロヴァキアは,30年代まで,フランスから導入したMB200が主力でした.
その後,国産化に相務めますが,国際情勢の変化に間に合いそうにないので,
つなぎとして,ソ連からSB-2のライセンス生産権を購入しました.
これが,ソ連製航空機のライセンス生産権売却第一号だったりします.
本命は,アエロ社,レトフ社が開発していた爆撃機でしたが,占領までに間に合わず,
消滅しています.

ポーランドは,フォッカーF.7b/3mの改造爆撃機が主力でした.
その後継として,P.Z.L.P.37爆撃機を開発,使用したのが有名ですが,その前にフランス
テイストあふれた爆撃機を開発していました.
テストは順調にいったのですが,ブルガリア空軍が興味を示し,その将校が体験飛行を
する段になって,よりにもよって空中分解して失われました.
当然,ブルガリアからの発注はおじゃん,自国空軍も興味を失って尻すぼみになりました.
P.37はそんな屈辱に燃えた,P.Z.L設計陣の執念の固まりだったりします.

マジャールは,He-111を所望するも,経済的,政治的情勢から,BR-20に敗れたCa-135を購入せざるを得ませんでした.
この機体は他にペルーしか採用していません.

ルーマニアは,S.M.79Bと言う機体を購入しました.
これは,イタリアのサボイア・マルケッティ社のS.M.79を改造したもので,イタリア独自の三発
爆撃機だったのを,機首に爆撃手席を新設し,Jumo211を取り付けて双発にしたものです.
なお,ユーゴスラヴィアは,オリジナルのS.M.79を購入したりしています.

317 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/10/20 22:52 ID:???
>ソ連からSB-2のライセンス生産権を購入しました.
AVIA B-71として生産されブルガリアに輸出されてますよね.
ソ連製航空機のライセンス生産権売却第一号だったんですか・・・.
あの時代,ソ連機を使った国って少ない気がするんですが,
チェコがわざわざソ連機を選んでライセンス生産したのは,
それだけSB-2のスペックが魅力だったからでしょうか?

ところでS.M.79が双発機になってしまうとS.M.79っぽくないなぁ.

318 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:02/10/21 23:43 ID:???
>>317
ま,ソ連製の航空機が供給されたのは,戦前では中華民国,蒙古(ぉ,
スペイン人民戦線,トルコくらいでしたからねぇ.
矢張り,スペックもさることながら,安さに惹かれたのではないでしょうか.
ちなみに,B-71はドイツ占領後の戦利品分割で引き渡されたみたいですね.

S,M,79Bは,昔「丸」の「世界の爆撃機」にありましたけど,なんかCa-312みたい
で,らしくないですね.
他に,イラクなんかも使っていたようです.

319 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/10/22 22:40 ID:???
戦前のソ連と中華民国の結びつきというと,
日中戦争に絡んで,1937年頃からソ連が軍事援助をしていましたね.
それ以前の両者の軍事的な結びつきは,よく知らないのですが,
1923年の孫文とソ連の特使ヨッフェの会談以降あたりから?
民間航空だと新疆からソ連に定期航路が出ていたという話を聞いた事があります・・・.

実は1924年に成立したモンゴル人民共和国が世界で2番目に成立した社会主義国なんだそうですが,
当時のモンゴルは実質的にはソ連の傀儡だったようですし,
矢張り,その関係でモンゴル軍の装備はソ連製中心なのでしょうか?

思えばノモンハンは満州,モンゴルの国境から始まったんですよね・・・.

軍事板,2002/10/20
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

339 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:02/12/22 00:53 ID:???
やっと資料が掘り出せた….

第二次大戦中の東欧の空軍について機数とかが出てきたのでカキコ.

まずは,ブルガリアから.

ブルガリアは第一次大戦で枢軸に与し,ヌイイー条約にて空軍(陸軍航空隊)の保有を
禁じられた.
1930年代半ば,漸く再建を開始.

戦闘機はP.Z.L.P.24Gを24機,偵察爆撃機としてP.Z.L.P.43を54機保有し,他にAviaB.534,
Letov S.328偵察機を保有していた.
爆撃機にフランス製Bloch MB.200,またイタリア製Macchi MC77飛行艇を装備し,
練習機では,自国製のDAR-6Aの他に,Focke-Wolf Fw-44をDAR-9として国産化,
これらで6個飛行隊を組織していた.

1941年12月31日,米英に宣戦布告.
三国同盟加盟後,ドイツからBf-109Eを19機,Do-17M,Ju-86D両爆撃機,Ju-87B急降下
爆撃機,Fw-58C軽輸送/練習機,Ar-196練習機を供給され,少しは近代化されたが,
まだドイツも本腰を入れて応援していなかった.

1943年,ドイツ軍が敗勢に陥り,駐留兵力を必要としたため,てこ入れが行われ,フランス
占領で手に入れたD.520戦闘機を100機供給し,Bf-109G145機を加えて,ルーマニア油田
への連合軍爆撃機の迎撃と,黒海パトロールが任務だった.
1944年4月のソフィア防衛戦には100機の戦闘機が集結したのが最高潮であったが,9月に
ソ連が侵入すると同時に休戦交渉を始め,10月に休戦となったのである.

340 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:02/12/23 11:20 ID:???
ついでクロアチア.

長年の独立運動により,1939年に自治領となったが,1941年4月5日に
ドイツ,イタリア両軍に侵攻され,クロアチアはドイツの庇護の下に名目
上の独立を果たした.

クロアチア空軍は,その構成人員の75%が元ユーゴスラヴィア空軍の
クロアチア人からなり,4つの航空団が組織された.
うち2つは,ロール将軍指揮の下,ロシア戦線で戦闘し,残りは国内で
パルチザン掃討に当たった.
しかし,1942年の時点で,東部戦線派遣軍は大損害を被り,43年末には
多くの人員が,パルチザンに脱走し,44年半ばには機能停止に陥っている.

使用機は旧ユーゴの機材だった,国産のIK-2の他,イタリアから供与された
フィアットG.50,カプロニCa-310,ドイツから供与された,元チェコ空軍の
B.534,元フランス空軍のM.S.406といった中古機,Bf-109G-10,Do-17Zが
あった.

341 : 名無し三等兵[] 投稿日:02/12/24 00:59 ID:Xps1Od/Y [1/1回]
ブルガリアは,フォッケウルフFw56や,ハインケルHe51なども使ってますよ.

342 : 名無し三等兵[] 投稿日:02/12/25 09:37 ID:Z4f6iVro [1/1回]
保守

343 : 名無し三等兵 : 投稿日:02/12/27 20:19 ID:???
軍板での評判はあまりよくないし,
漏れも普段はあまり読まないんだけど,
例のデアゴスティーニのワールド・エアクラフトを立ち読みしたら,
戦前に世界中で使われていたイギリスのホーカー・ハート一族が取り上げられていて萌え.
なんか一族郎党,アチコチで使われていますな.
スレ的に関係ありそうなのは後継機のハインドがユーゴが使った事とか.

344 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:02/12/29 01:18 ID:???
>>341
それは練習機として余剰機をドイツが放出したと言うことでしょうか.
手元資料では,Fw-56はオーストリアに12機輸出された他は,マジャールで18機
使用されただけとなっているので….
He-51もスペインだけですし….

>>343
ホーカーハート一族は,ブルドック戦闘機より速い爆撃機として各国に喧伝されま
したからね.
ハインドがラトヴィアとユーゴスラヴィアに,ただ,後者は2機のみでしたけど.

軍事板,2002/10/22
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

355 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:03/01/17 00:57 ID:???
東欧から少し離れるけれど,ギリシャの空軍について書いてみよう.

ギリシャは1940年にドイツに占領されたけど,1920年代の半ばから空軍の
拡張に努めた.
大戦中には,ポーランドのP.Z.L.P.24F/Gを36機,フランスからBloch MB151を
9機買って,これを主力戦闘機として4個中隊を編成していた.
爆撃機は英国製のブレニム1を12機,フランスのポテ633を24機装備し,3個中隊
を編成している.
直協機は,ドイツからHs-126を16機,フランス製ブレゲー19A2とポテ25T.O.Eを
4個中隊分装備していた.
このほか,英国製アンソン哨戒・練習機を9機,フェアリー3F水上偵察機9機,
ドイツ製Do-22水上偵察機を10機装備する,哨戒飛行隊3個中隊,更に,英国から
余剰機を送られたグラジェーターIを2機装備していた.
練習機は骨董品,Avro504K,フランスのM.S.147/230と多種多様な兵器を購入し
装備している.

大戦で国土を占領された後,少数の機体とパイロットは,エジプトでHurricaneを装備
した第335戦闘中隊を編成し,1942年から地中海の船団護衛に活躍,1943年には第336
戦闘中隊が追加され,Spitfireを装備して地中海で活躍した.
爆撃機部隊も,第13軽爆撃中隊が編成され,AnsonからBlenheim4/5により,地中海の
対潜哨戒,長距離偵察に使用された.
これらは,1943年にBaltimoreに改変され,1944年10月の祖国解放まで戦っている.

その後,ソ連,ユーゴの共産党の支援を受けた共産主義勢力との戦いに,これらの装備
は投入されたが,爆撃機は後に,SB2Cに改変されている.

軍事板,2003/01/17
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】
357 : 名無し三等兵[] 投稿日:03/01/20 22:22 ID:KZ5CAYtY [1/1回]
>>355
ギリシャといえば,マイナーな国の戦艦スレでアメリカの前ド級戦艦だった,
レムノス,キルキスを話題にしてらっしゃいましたけど,あのスレいつの間にか見当たらなくなっていますね.
あれってギリシャ海軍でも籠マストのまんまだったのかと素朴な疑問.

ギリシャは陸空は戦力が微妙すぎる気が…一応海軍重視だったのでしょうか?

358 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:03/01/20 22:49 ID:???
>>357
あのスレはDAT落ちしたようですね.

ギリシャのレムノス,キルキスは,最後まで籠マストのままでした.
世界の艦船の初期号にギリシャ海軍特集があったのですが,その本に,
爆撃待避中のギリシャ戦艦の写真が掲載されており,籠マストがばっちり
載っています.

両艦は1908年の竣工ですが,最初から前弩級艦であったのと,速力が17kt
しか出なかったので,米国の戦略構想からいち早く外れ,1914年の大戦勃発
により戦艦の入手が不可能となったギリシャに,売却されています.
しかも,整備した訳じゃなく,士官候補生練習艦としてフランスのヴィルフラ
ンシュに入港した状況で,突然売却されたそうです.
ちなみに,その売却代金で米国はニューメキシコ級を建造したとか.

ギリシャの弩級艦サラミスは,結局建造中止に追い込まれましたが,その
デザインは,1912年頃にオランダが計画していた戦艦のデザインが流用さ
れているそうです.
このほか,ギリシャはプロヴァンス級戦艦を1914年4月にフランスに発注し,
Basileus Konstantinosと言う艦名を用意していましたが,こちらも余裕が無く,
1925年に契約破棄に至りました.

戦後の対トルコ戦争が無ければ,結構な戦力を有していましたが,対トルコ
戦争による経済疲弊で,中途半端な戦力整備に終わってますね.

359 : 山崎渉[(^^)sage] 投稿日:03/01/22 11:16 ID:???
(^^;

360 : 名無し三等兵 : 投稿日:03/01/23 00:07 ID:???
装甲巡洋艦ゲオルギオフ=アベロフ.
1909年イタリアが建造していたのをギリシャが取得.
その際の費用の3分の1(!)を大富豪が出した.
艦名にはその大富豪の名前を頂いた.

なんかギリシャって他所の国と比べても,艦の取得先がバラバラですね.

軍事板,2003/01/20
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】

361 : 名無し三等兵[] 投稿日:03/01/25 14:30 ID:/AyBuqUt [1/1回]
第二次大戦中ハンガリーが製作した,タス重戦車&タス駆逐戦車の写真,図など持っ
ている方いらっしゃいましたら,それを見せてくれませんか.フェアリー企画のキッ
トなど模型の写真でもかまいません.また,上記戦車のことが載ってるHPをご存知
でしたら教えてください.

362 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:03/01/25 15:01 ID:???
>>361
44Mタス重戦車ですか.
パンター並の戦車として開発された奴でしたな.

1944.7.27の爆撃において破壊されたため,写真は残っていませんが,
1:10FactoryModelの写真なら,ArmourModelingの第5号,枢軸軍の機甲部隊
特集の10ページに後方から写した写真が掲載されています.

363 : 361[] 投稿日:03/01/25 20:31 ID:Z7DIDt+M [1/2回]
>>362
その写真をここで見せていただけないでしょうか.

364 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:03/01/25 21:12 ID:???
>>363
すんまそん.
我が家にはスキャナなるモノがありゃせんのでupは無理でつ.
古本屋辺りを探してください.

Webには,残念ながら文章しか掲載されてませんでした.

365 : 名無し三等兵 : 投稿日:03/01/25 21:53 ID:???
>>363
ttp://www.42ch.net/UploaderSmall/source/1043499093.jpg

366 : 361[] 投稿日:03/01/25 22:31 ID:Z7DIDt+M [2/2回]
>>365
有難う御座います.AMのあの号は古本屋にもなかったのでタスってどんな戦車なのか
なぁって思って一度見てみたかったんですよ.ところであれはタス重戦車のほうです
よね.タス駆逐戦車っていうのはどういうヤツなんでしょうか?

367 : 名無し三等兵[] 投稿日:03/01/25 22:36 ID:gIEOGPM6 [1/1回]
ギリシャ海軍船舶画像
前弩級戦艦「キルキス」級
*ttp://www.gwpda.org/naval/images/kilkis_1922.jpg
*ttp://www.gwpda.org/naval/images/kilkis_at-constantinople.jpg
(艦尾から)
*ttp://www.gwpda.org/naval/images/kilkis_at-malta.jpg
同「レムノス」
*ttp://www.gwpda.org/naval/images/lemnos_at-constantinople.jpg

装甲巡洋艦「イェロギオス・アヴェロフ」1911年
*ttp://www.gwpda.org/naval/images/averof_1911.jpg
現在保存状態
*ttp://steelnavy.com/AveroffTour.htm

海防戦艦「ヒドラ」級
*ttp://www.gwpda.org/naval/images/hydra_artwork.jpg
「プサラ」1895年
*ttp://www.gwpda.org/naval/images/psara_1895.jpg
「スペトサイ」
*ttp://www.gwpda.org/naval/images/spetsai.jpg

駆逐艦「プサラ」
*ttp://www.gwpda.org/naval/images/panthir_at-constantinople.jpg

368 : 名無し三等兵 : 投稿日:03/01/25 22:58 ID:???
>>366
駆逐戦車の方はただのペーパープランに終わったそうです.
88mm砲を装備して,120mmの装甲を持たせるつもりだったらしいです.
正直私もこれについては全然知りません.

>>367
つかアベロフってピレウスに保存されてたんですよね.

370 : 名無し三等兵 : 投稿日:03/01/26 00:17 ID:???
>>369
最強の車両はドイツから一時的に貸与された虎だったり.
昔,なんかの雑誌で読んだ記憶がある.

371 : 370 : 投稿日:03/01/26 00:18 ID:???
>>369
失礼,ハンガリー戦車で最強の車両という事なんですな.

372 : 361[] 投稿日:03/01/26 00:35 ID:ue7R3DPk [1/1回]
>>370
そういえばハンガリー軍のタイガーのマーキングが知りたくて,Googleなんかで検
索したことがありますが,これは絶対にハンガリー仕様という写真を見たことがあ
りません.ハンガリアンタイガーなどと書かれているんですが,マーキングを確認
できん写真ばかりなのです.同じようにハンガリー軍のヘッツァーの写真も1枚し
か見たことがありません.

373 : 名無し三等兵[] 投稿日:03/01/26 02:14 ID:CDSJC+B+ [1/1回]
ギリシャ準弩級戦艦「キルキス」着底
*ttp://www.history.navy.mil/photos/sh-fornv/greece/grksh-hl/kilkis.htm
米戦艦時代
*ttp://www.navsource.org/archives/01/23.htm


374 : ギシュクラ・ヤーノシュ[] 投稿日:03/01/26 20:39 ID:cai0wqhS [1/1回]
タス戦車はそれ以前のハンガリーの戦車と足回りとかが全然違いますね.
ドイツのそれとも違うみたいだし,ハンガリーサイドの独自のものなんで
しょうか.

375 : ロンメル元帥 : 投稿日:03/01/26 20:47 ID:???
ドイツ戦車よりタフで使える戦車はソ連製だ.
  1位ソ連T−34系戦車
  2位米英M−4系戦車
  3位ドイツ戦車
  4位英国戦車
  5位フランス戦車
  6位日本戦車


377 : ギシュクラ・ヤーノシュ[] 投稿日:03/01/28 01:13 ID:tMXR6FDS [1/1回]
ランツベルグ社ですか.似たようなものを開発しているのですね.
しかし,ハンガリーは戦闘機やら戦車やら自製する能力はあるもの
の量産能力には欠けていたそうですね.
ルーマニアのように戦車の装甲が作れない?ので捕獲戦車の装甲を
叩き切って使っているというよりはずいぶんマシではありましょうが.

378 : 361[] 投稿日:03/01/28 23:26 ID:xgx9nm7c [1/1回]
>>377
「捕獲戦車の装甲を叩き切って・・・・」何ですか,それは?!

379 : 名無し三等兵 : 投稿日:03/01/28 23:42 ID:???
ルーマニアのTACAM自走砲の戦闘室は捕獲戦車の装甲板を切り合わせたものだそうです.

380 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:03/01/28 23:50 ID:???
>>377
まぁ,主要機械工業がマンフレート・ヴァイス社一社でしたから,量産は
しんどかったでしょうけど,それでも,Bf-109G,Me-210,Ju-52/3m,Fw-58,
Re-2000の各種航空機を1943〜44年に1,205機(うちBf-109GとMe-210が879
機),DB-605,HM-504,Gnome-Rhone K.14などの各種発動機を1,024台(うち
DB-605が1,026台)生産しています.
当時の下手な日本の会社よりも多かったりする訳です.
これが,戦後のイカルスブランドのバスに続いていくのでしょうか.

>>378
ん〜とですね.
このスレの>>130参照です.

第二次大戦中,ルーマニアで国産戦車を作ろうとしたのですが,当時ルーマニア
には圧延鋼板を作る技術が無く,ドイツも供給してくれませんでした.
そこで,BTなどのソ連戦車の適当なのを物色して装甲を叩き切り,自国戦車の
装甲に加工しています.
世界の無名戦車とか,ラスト・オブ・カンプフグルッペに載っている話です.

しかし,このスレも7ヶ月目突入とは,凄い長命ですなぁ.

381 : 361[] 投稿日:03/01/29 00:46 ID:xTg7LDNa [1/1回]
あひょー,ルーマニアのAFVってそんなんだったんですか.じゃマーシャルの装甲板
も圧廷銅版じゃないんですか?

ハンガリーAFVに関するHPですごいのを見つけました.タスの四面図(!)やタス駆
逐戦車の側面図,ズリーニィTの写真などかなり濃いHPです.また,英語ページには
違う写真が入っていたりするので,こちらも必見です.しかし,開くのが遅く,途中
で途切れている写真があったりもします.
gamma21.freeweb.hu/index2.html
タスとタス駆逐戦車の図↓
www.freeweb.hu/gamma21/Tasvazlat.gif
www.freeweb.hu/gamma21/Taslovegvazlat.gif


382 : 名無し三等兵 : 投稿日:03/01/29 00:54 ID:???
すぐ上でも話題に出ていたけどタスの足回りはショボイな…

383 : ギシュクラ・ヤーノシュ[] 投稿日:03/02/01 01:36 ID:UPPFgcDQ [1/1回]
>>381
なかなか開きませんなぁ.おまけにマジャール語ですがな・・・.

384 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:03/02/04 23:58 ID:???
>>381
圧延銅板って…(^_^;.

TACAM T-60と言う対戦車自走砲がありまして,対ソ戦初期に大量捕獲した
T-60軽戦車とM1936 76.2mm野砲を組み合わせて作ったものです.

T-60が使われたのは,搭載エンジンが確かFordのエンジンのCopy品で,部品
がいっぱいあったためだそうで(ちなみに,昔の日産80型トラックの部品には,
Chevroletの部品のCopyが使われていたので,GMのクルマが日本で故障しても
町の修理工場に持っていけば,使える部品はいっぱいあったそうで.),その車体
を流用して,限定旋回式のM1936を載っけたものです.

で,この戦闘室の防御に使われたのが,BT-7から切り取った15mm厚の装甲板
だったりするわけです.

にしてもタス戦車の足回り,ますますランツベルグ戦車にそっくりだなぁ.

385 : 361[age] 投稿日:03/02/05 00:55 ID:???
>>384
うわ,字間違った.はずかしー.

軍事板,2003/01/20
青文字:加筆改修部分


** 【質問】
 【回答】
392 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:03/02/19 08:10 ID:???
>>390
ありがとうでつ.
とりあえず,保守カキコだけ.
今日早く帰れば,ルーマニアタニューブ戦隊のことも書こうかと思てます.

393 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:03/02/21 22:57 ID:???
さて,ルーマニアの国内にはタニューヴ(ドナウ)河が流れている.
かなりの大河なのと,隣国マジャールにも有力な河川艦隊があったので,
ルーマニアは対抗上,相当有力な河川艦隊を有していた.
Monitor(Monitoare)は4クラス,8隻保有している.
このうち3隻は旧二重帝国から接収した物.

まずは,1915年竣工のBucovina.
これは,旧名をSavaと言い,541tと大型だった.
武装は,12cm45口径連装砲を前部に1門,同じく前部に12cm10口径榴弾砲を並列にCupola砲塔に装備,
これに加えて,後部には66mm連射高射砲塔を備え,中間に47mm砲2門,機銃6丁を持つ.
当然,砲はシュコダ製である.
これだけ大型なので,勿論装甲があり,50〜25mmの装甲を持っていた.

同じ排水量ながら,計画年度が少し早いのがBasarabia(旧名Inn).
12cm10口径榴弾砲は3門となり,後部にも装備し,高射砲は無く,機関銃は9丁に増強され
ている.

もう一隻が,1904年竣工のArdeal(旧名Temes).
この艦名はルーマニア語で言う,Transylvaniaらしい.
排水量443t,武装は,12cm35口径連装砲1門,8.8cm高角砲1門,47mm砲2門と機関銃2丁.
1916年に改造されている.

最後は国産艦で,Ion C, Bratianu,Mihail Kogalniceanu,Alexandru Lavovari,Lascar Catagiu
の4隻が,1907〜08年にオーストリアで竣工している.
排水量は670t,12cm35口径単装砲を前方に並列に2門,後部に1門有し,76mm高射砲1門をデッキに
備え,47mm砲2門と機関銃2丁を有していた.
これらはいずれも19世紀のルーマニアの政治家だとか.

掉尾を飾るのは河川用哨戒艇で,1913〜14年竣工の二重帝国海軍82号,83号魚雷艇が,Naluca,
Smeulとして,海上から河川上に河岸を換えている.
とは言え,流石に魚雷発射管は撤去してますが.

394 : 名無し三等兵[] 投稿日:03/02/22 15:50 ID:YlyyAiT9 [1/1回]
>Ardeal級砲艦
コレでつか?
*ttp://www.hszk.bme.hu/~vb021/temes-eng.html
向こうの分類ではモニター扱いなのですね


395 : 消印所沢 : 投稿日:03/02/22 19:22 ID:???
 "harckocsi"で検索していたら,こんなページに到達.
http://chardonnay.math.bme.hu/~kajon/lesany/index.html





397 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:03/02/26 21:11 ID:???
>>394
まぁ,河用砲艦ですから,モニターと言っても差し支えないのかも知れませんね.

>>395
38(t)の色は結構きちんと考証されていますね.
反面,JS-2とかいい加減.
IV号も毒々しいなぁ.

>>396 ギシュクラ・ヤーノシュ殿
おお,有り難う御座います.
古い地名もあってなかなか大変だったかと思います.
頭が下がります.

398 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 [ ] 投稿日:03/03/02 00:18 ID:???
とりあえず,黄泉帰りと言うことで.

今回はちょっと河川艦隊を離れて,Yugoslavia海軍の話など.

Yugoslaviaの前身は,Serbia王国と,Montenegro王国,そして,旧二重帝国領の
Bosnia-Herzegovina,Slovenia,Croatiaと,Bulgariaからの若干の領地より成って
いる.
でもって,二重帝国海軍の主力は,Dalmacija沿岸に配置されていた.
1918年,二重帝国が崩壊したとき,Serbiaは海への出口と,二重帝国海軍の弩級
艦を求めて行動を開始した.
そして,二重帝国海軍の戦艦を2隻接収したのである.
これは,1913年竣工のTegetthoffと1914年竣工のPrinz Eugenであり,30.5cm三連装
砲を背負い式に4基有する有力艦だった.

ところがである.
この艦を持つことで,Yugoslaviaの軍事的プレゼンスが増大するのを恐れたItariaが
パリの講和会議で声高に主張し,賠償艦としてFranceと,Italyに引き渡されることに
なった.
Yugoslaviaは涙をのんで引渡に応じたが,その接収された戦艦2隻は艦籍にすら編入
されず,解体されてしまったのである.

それから臥薪嘗胆,再びYugoslaviaが大型艦を保有したのは1926年で,1899年建造
のGermanyの旧式巡洋艦Niobeを練習艦として購入し,Dalmacijaと改名して使用した.
流石に既に老朽の域に入っている艦だったため,その使用期間は短いものだったが,
これを取得する際にも,Italyがかなりの抵抗を見せたという.

399 : 名無し三等兵 : 投稿日:03/03/02 14:34 ID:???
流石,地中海の大国.周辺小国潰しには余念が無い.

400 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 [ ] 投稿日:03/03/02 22:11 ID:???
とりあえず400ケ゛ト,ス゛サー.

話を戻して,Yugoslaviaの河川艦隊について書いてみる.

この国にもご多分に漏れず河川艦隊なるものがあって,矢張り例によって
二重帝国海軍の遺産を引きずっている訳です.
河用砲艦4隻と,哨戒艇4隻のこぢんまりした艦隊.

河川砲艦4隻はいずれも元二重帝国海軍所属.
最古参が1892年に建造されたMorava(旧艦名Koros)で,前後の砲塔に12cm砲を
搭載し,66mm高射砲と機関銃2丁を有する390tの石炭焚き艦船.
装甲は2"〜0.75"もある.
面白いのは臨検用にボートを搭載しており,使用時には艦尾からレールを用いて
滑り落とすようになっていた.

次に古いのがSava(旧艦名:Bodrog),380tの艦で1904年の建造.
これは旧二重帝国海軍の典型的な河川砲艦で,12cm砲塔を艦首に並列にして
2門,更に先頭に12cm榴弾砲を搭載し,後部に66mm高角砲1門,機関銃を最大3丁
持つ.
装甲は1"〜3"とそこそこ有する.

1913年に建造されたDravaは旧艦名Ennsと言い,450tでRomaniaのBucovina(Sava)と
同型艦.
この艦から重油焚きのボイラーを持つようになっている.
最後が,1915年建造の530tのVardar(旧艦名:Bosna).
これもRomaniaのBasarabia(Inn)と同型艦.
この艦が河川艦隊の旗艦だったりする.

河川哨戒艇は90〜250tで機関銃を2丁程度有する物が多い.
このうち,Dragorはダニューヴ河での王族お召し艇として用いられており,
ヨットのような形態をしている.

401 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 [ ] 投稿日:03/03/04 00:03 ID:???
とりあえず,ネタふりで.

ポーランド空軍の話など.

この国の空軍は,陸軍の指揮下にありました.
1936年の空軍拡張計画では,1942年2月までに第一線機642機78個中隊を
整備することになっており,P.Z.L.P.50戦闘機300機,P.46軽爆撃機300機,
L.W.S.3観測機200機,P.37爆撃機180機,練習機200機が発注された.

ところが,ご多分に漏れず小国の悲しさ,予算が十分に与えられず,1939年
を迎えた.
このとき,第一線機463機が陸軍に配属された直協部隊である陸軍支援空軍と,
空軍司令官指揮下の戦術空軍に分かれていた.

戦術空軍はP.7戦闘機10機,P.11c戦闘機45機,R.W.D.8連絡機3機を有する戦闘機
1個連隊と,P.23B軽爆撃機50機,P.37爆撃機36機,F.7/3m輸送/爆撃機を有する
爆撃1個連隊,R.13D7機,R.W.D.8連絡機13機を有する連絡1個中隊で構成されて
いた.
もう一方の陸軍支援空軍は,P.7/11a/11c戦闘機106機を有する戦闘機10個中隊,
P.23B軽爆撃機70機を有する軽偵察・爆撃7個中隊,R.13D/F観測機,R.W.D.14連絡
機77機を有する直協8個中隊,R.13Fを1機,R.W.D.8連絡機24機有する連絡8個小隊,
更に非武装のR.W.D.8軽飛行機が12機配備され,陸軍の7個軍団に配備された.

戦雲漂う1939年,ポーランドは自国の空軍が強化できないため,英仏に支援を依頼し,
仏よりM.S.406戦闘機を160機,英よりHurricane戦闘機14機,Spitfire戦闘機1機,
Battle爆撃機100機の支給を受け,開戦と共に,仏空軍のAmiot143Mの5個大隊で
ドイツ本土爆撃を行う予定であった.
が,これらは一切行われず,崩壊を迎える.

402 : 名無し三等兵 : 投稿日:03/03/04 04:15 ID:???
>>399
イタリアって戦争中で自分に余裕の無い時でも友邦に対しては
平気で武器の類を売る程お人よしなのに,敵に対しては徹底してますね.

>>401
なんか,あの当時のイギリスの余裕の無さが分かる支援内容ですね.

陸軍支援空軍と戦術空軍というのは初めて知ったんですけど,
陸軍の直協をしつつ,もっと大きな視点での戦術を行うために分けたつう事でしょうか.
素人目にはあまり悪くはなさそうですけど,実際の運用上は問題とかはなかったんですか?

403 : 名無し三等兵 : 投稿日:03/03/04 13:53 ID:???
>>402
>敵に対しては徹底してますね.
当たり前です(w ライバルは少ないほど良いのです.
WW2以前でもギリシャが独仏に超弩級艦を注文していますが,その代金が支払えない
ようにフランスに政治的交渉して融資をストップさせたりしてますし.


404 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 [ ] 投稿日:03/03/05 00:18 ID:???
>>402
まぁ良い意味での商人なのでしょうなぁ…Italy.
そのYugoslaviaにも爆撃機とかを売ってますし.

元々,ポーランド空軍の組織は3つのグループに分かれていたようなのですが,
>>401の機構改編は1939.6.28に行われています.
戦術空軍は,拠点の局地防衛任務に使用され,陸軍部隊と行動を共にした
のが,陸軍支援空軍な訳です.

1939.8.24に,ポーランド空軍へ動員令が下り,平時の基地から43カ所に設けら
れた秘密飛行場に展開(但し,第二線機,旧式機,練習機は偽装のためそのまま)
8.26に大部分の第一線部隊に4〜10日分の武器・弾薬・燃料・食料が補給され,
秘密飛行場に展開していました.

1939.9.1午前4時,ドイツ軍が侵攻してきた訳ですが,爆撃機が爆撃した基地には旧式機,
修理不能機しか残っておらず,秘密飛行場の被害はなかったようです.
さて,戦術空軍の戦闘機連隊は,Warsaw郊外の2つの飛行場に配置され,9.1午前7時半に
侵入してきたHe-111/Bf-109の戦爆連合約100機を全勢力を以て迎撃しています.
以後,9.7の地上軍接近による移動までに,ドイツ機42機を撃墜しました.
尤も,自軍の被害は37機に上っていた訳ですが.

特にP.7の被害は大きく,開戦初日で偵察任務に回されてしまいました.
P.11cについては非力ながらその運動性で活躍し,9機のP.11がDo-17を7機,無損害で
撃墜する活躍を見せています.

9.8には新基地に移った戦闘機連隊に陸軍支援空軍の戦闘機中隊が増援されましたが,
燃料不足が深刻化し,9.17には活動を中止し,残存機はルーマニアに亡命しました.
このときまでにドイツ機45機,機材の73%,兵員の27%を失っています.

明日は,戦術空軍爆撃連隊について書きまする.

>>403 ?

405 : 名無し三等兵 : 投稿日:03/03/05 13:46 ID:???
>>403
しかし,イタリアはギリシャに装甲巡洋艦売っているよな.

406 : 名無し三等兵 : 投稿日:03/03/05 23:47 ID:???
>>404
空軍に関しては以外に妥当な対応をしている気が.

>残存機はルーマニアに亡命
他は全部敵ですからね…

407 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 [ ] 投稿日:03/03/06 00:44 ID:???
>>403
スマソ,かちゅの調子が悪くて,レスが見えなかった.
ま,ギリシャに関してはトルコを巡ってイタリアとは色々あったから,
何ともはやてな感じですけど.

>>405
Giuseppe Garibaldi級は元々売り払うことを前提の艦ですから.
売れるところが有れば,ドンドコ売ります.
なので,ネームシップ自体同一クラスで三代目だったかな.

さて,ポーランドの戦術空軍爆撃連隊について一席.

この爆撃連隊は,ポーランドの中央部に展開していました.
ただ,戦闘機への補給が優先され,P.23B軽爆撃機部隊は9.2まで,P.37爆撃機
部隊は9.4まで作戦可能と成らなかったようです.

P.23Bは9.2早朝に偵察行動に出たのを皮切りに,同日,18機による独地上部隊
攻撃を行うなど,崩壊まで119回も出撃して偵察・低空攻撃に活躍した.
ただ,原型が1930年初飛行の旅客機であり,低翼単葉とは言え固定脚の低性能
機では独軍機,対空砲火の餌食と成りやすく,56機の損害を被っています.
一方のP.37Bは,9.4に35機が独軍地上部隊に対して爆撃作戦を行ったのを皮切り
に,110回の出撃で,26機を失っています.

陸軍支援空軍は,陸軍の要請に応じて独軍地上部隊の攻撃を行っていましたが,
P.23B,R.13,R.W.D.14は重大な損害を被りました.
こちらは敵戦闘機だけでなく,自軍敵軍を問わず,対空砲火の攻撃,また慣れない
秘密基地での着陸事故が頻発しました.

結局,17日間の戦闘で,ポーランド空軍は独空軍機を220機(うち,対空砲火に依る
もの89機)を撃墜し,自国の損害は333機(うち独軍による損害260機)でありました.
うち,P.11戦闘機は114機の損害を出しながら,126機の独軍機を撃墜したと言われて
います.

408 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 [ ] 投稿日:03/03/08 00:16 ID:???
当時のポーランドは有力な独空軍に対し,善戦したものの,結局国土を蹂躙
されることを防ぐことは出来ませんでした.

確かにそれは当然のことではあります.

しかしながら,軍や政府の上層部にも誤りはありまして,折角国産機の工場を
有していながら,生産工場が非能率のため全力操業に入れなかったこと,
このため,P.37の様な高性能機の数が揃わなかったこと,戦闘機の開発に見ら
れる様に,軍の方針が空冷か液冷かを巡って混乱し,低翼単葉引込脚戦闘機,
軽爆撃機,重爆撃機などの新型機の開発に悉く失敗したこと,機材・設備が整わ
なかったために,戦いの後半,基地を転々とする際に,燃料・弾薬・補給部品の
補給が十分為されず,作戦実施に重大な支障を来したこと,そのほか,誤射,
飛行場の未整備による事故なども起きていました.

また,戦術的にも政治的理由から独領への爆撃は9.5になってもまだ許可
されないなど,ちぐはぐな対応を強いられ,効果的な反撃が出来ないで居
ました.

彼らポーランド空軍兵士の末路ですが,ルーマニア,ラトヴィアなど周辺諸
国に亡命し(うちルーマニアに160機),その機体は空軍戦力に組込まれて
います.
この中には,P.50戦闘機の原型機1機,P.7/11戦闘機38機,P.37爆撃機22機,
P.23軽爆撃機18機,R.13直協機8機,RDW14直協機6機が含まれていました.
兵士達は,仏で,次いで英で戦闘に参加し,BoBで活躍したのを始め,14,000名
が欧州,北アフリカで戦い,977機撃墜(他にV1飛行爆弾190基破壊)の戦果を
挙げています.
一方,ソ連では1943年7月に戦闘(Yak-1/3),夜間爆撃(Po-2),攻撃(Il-2)の
三個連隊で亡命空軍が作られ,東部戦線で戦いました.
このソ連部隊が,戦後のポーランド空軍の母体となっています.


409 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:03/03/09 00:50 ID:???
とりあえず,今日は保守だけ.
次はマジャール空軍について色々書こうかな,と.

410 : 名無し三等兵 : 投稿日:03/03/09 05:14 ID:???
負け戦にしては以外とドイツ機を喰ってるな…
損害も馬鹿にならないけど…

411 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 [ ] 投稿日:03/03/10 00:08 ID:???
マジャール空軍の前に….

>>410
う〜ん.P.7/11の旧式高翼単葉戦闘機でこれだけの戦果だったりする訳で,
1940年以降まで開戦がずれていたら,更に戦果が挙がっていたかも知れま
せん.

と言う訳で,ポーランド空軍の幻の機体などを暫く続けよう.

まず,戦闘機では,PWS社がGnome-Rhone14Mを用いて戦略物資を使用しない
軽戦闘機として,PWS41と言うのがありました.
これは運動性に主眼を置き,木製の機体で構造が簡単,国内の二流工場でも
生産できるものを,と言うことで開発された機体です.
1939年7月に原型機が完成し,末に初飛行していました.
この機体は,PWS社のあった地域がソ連に占領された際に,ソ連領に運ばれたと
言われています.

P.Z.L.では各種の機体を開発していて,P.50Jastrzabと言う機体が戦闘機の本命でした.
これは,最初軽迎撃機だったものが,重戦闘機の開発の遅れから,重戦闘機任務を持たせることになり,
Bristol Mercury8を装備するP.50とGnome-Rhone14を装備するP.45が提案されたなかから,P.50が
選ばれました.
機体はP-35とかRe-2000の様なセミモノコックの低翼単葉で,主脚は英国で設計され,Aviaで生産
される予定でした.
原型機は1938年9月に完成しましたが,馬力不足で武装・無線機無しで442km/hしか出ず,運動性
も悪かったそうです.
開戦時には試験中で,エンジンをGnome-Rhone14Kirsに変更していましたが,新たに任命された
空軍司令官が液冷マンセーな人で,30機の初期量産型だけが生産されることになりました.
しかし,量産型は完成せず,更に改良型のP.50/2が発動機待ちの状況にありました.
これは,水滴型風防を装備し,エンジンがBristol Herculesか国産のP.Z.L.ワランとなり,560km/hの
最大速度に成る予定でした.

412 : 名無し三等兵[] 投稿日:03/03/10 01:46 ID:l2XFcfYx [1/1回]
開戦前から木製機を考えていたとは意外とフットワークが軽い.

413 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 [ ] 投稿日:03/03/10 23:42 ID:???
>>412
どうなんでしょうねぇ.
それなりに考えていたのかも知れませんが,モノになったかは….

んでもって,昨日の続き.

P.50が失敗したので,とりあえず,M.S.406導入でお茶を濁すことになりましたが,
空冷に見切りを付けて,今度はDabrowski設計の機体が急遽開発されることに
なりました.
これは,Hispano-Suiza12Zをポーランドでライセンス生産したものを装備した
もので,原型は1940年8月の初飛行を目標とし,最高速度660km/h,武装は
20mmモーターカノン1門に,7.7mm6〜8丁を搭載予定でした.
勿論,製図板だけで実際に作られることはありませんでしたが.

もう一つ,時代の徒花で流行した双発重戦闘機があります.
こいつも発動機に泣かされました.
最初は国産のホカ発動機(600hp)を搭載したものが考えられ,P.38Wilkが
1936年に試作されました.
ところが,エンジンの設計者が事故死してしまい,目標の600hpどころか,
420hpがやっと.
地上滑走だけで終わりました.
1939年にはホカBが完成しましたが,開発は中止され,機体は米国製Ranger
SGV-770(450hp)を装備して1938年に初飛行,これは破棄されて,改めて
Gnome-Rhone14Mを装備した,改良型のP.48Lampartが開発されました.
原型機は完成直前にあり,生産型には20mm砲×2と7.7mm×4,それに機首に
探照灯を付けたLampartA,7.7mm×8を機首に付けた,LampartBが計画
されていました.

414 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 [ ] 投稿日:03/03/12 00:08 ID:???
昨日の続きで….

P.50と共にもう一機種,Aviaでライセンス生産される予定のGnome-Rhone14M
(700hp)を搭載した軽戦闘機が開発されていました.
これは,そのエンジンの小直径(95.3cm)を生かすことを設計の主眼としたもので,
二線級部隊でも運用できることが可能な小型戦闘機でした.
しかし,P.50に手こずったため,開発着手は遅れ,1938年末に細部設計完了,1939年
秋初飛行予定で,製作に着手しましたが,首無しの機体だけが完成し,郊外の一工場
に隠されました.

もう一つの軽戦闘機計画として,唯一の民間航空会社であった,
Doswiadczalne Warsztaty Lotnicze(DWL)の提案した軽戦闘機がありました.
この計画は,航空機会社国有化論者の将軍が解任されると,RWD25と言う名称が与え
られ,1939年夏に細部設計を開始,1940年3月初飛行予定で作業が進められました.

しかし,開戦と共に作業は中止され,工場から図面が運び出されてそのままとなりました.

これも,PWS41の様に,主尾翼を木製に,胴体が鋼管羽布・合板張りと言う戦略物資を
使わない構造で,当初は固定脚で,後に引込脚に変更する予定でした.

明日は,幻の爆撃機について書いてみますです….

415 : 名無し三等兵 : 投稿日:03/03/12 22:20 ID:???
やっぱしエンジンはコピー&ライセンス生産と輸入が中心なんですね?
こういうところは国力とか技術力が一番出るなぁ…
結局オリジナルのマトモなエンジンを作れたのは一部の大国だけって誰かがのたまっていたような.

416 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:03/03/13 00:05 ID:???
>>415
東欧でエンジンを自力で開発できた国は,チェコのAvia(軽飛行機用エンジン)とCZ
(軽飛行機用diesel engine),Walterくらいですね.

後は小国御用達のGnome-Rhone(マジャール,チェコ,ポーランド,ルーマニア),
Bristol(ポーランド)が主です.
チェコでは他に,Hispano-Suiza,Wrightエンジンがライセンス生産されています.

う〜ん,今日は体調が悪いので,落ちます.

417 : 山崎渉[(^^)] 投稿日:03/03/13 14:47 ID:???
(^^)

418 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 [ ] 投稿日:03/03/14 01:22 ID:???
阿呆のおかげで保守.

ポーランドの幻の爆撃機について書きませう.

戦前,ポーランドはフォッカーF.7VII/3mを爆撃機に用いていましたが,流石に
老朽化したので,新しいものを開発しました.
最初は,PZL30で,これはPoland初の双発機で,後に国営工場LWSに移され,
LWS6 Zubrと名付けられました.
これは1935年に初飛行しましたが,性能がイマイチで,1937年にはRomaniaの
視察団を乗せたまま空中分解事故を起こしています.
結局,これはモノに成らず,14機が完成しながら,実戦には用いられませんでした.

そこで,後継機として,PZLが1936年に,P.37Losを開発しました.
この機体はPolandで最優秀爆撃機と言われています.
しかしながら,初期の機体で尾翼がフラッタを起こし,初期量産型LosAは単垂直
尾翼で完成しました.
これにフラッタ対策を施して,再び双垂直尾翼にしたのが,LosBでした.
ただ,1939年9月には100機が完成したにも関わらず,第一線には36機のLosBが
配備されただけで,LosAは練習機に格下げ,31機は機関銃が手に入らず,実戦に
使用されませんでした.

更にその後継機として,Misと言う機体が開発されていました.
これは,ボーフォートの様に,Bristol Herculesエンジン双発の機体(Losは,Pegasus
双発)で,機首に7.7mm×1〜2,腹部引込式ゴンドラに7.7mm×1〜2を持つほか,背面の
油圧駆動式半引込銃座に,37mm×1+7.7mm×4または7.7mm×6を持つものでした.
1939年には機体開発に着手しており,1940年春に初飛行予定でしたが,
Warsaw陥落時に未完成機体と資料は焼却されていまいました.

419 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 [ ] 投稿日:03/03/15 01:57 ID:???
幻のポーランド空軍機,掉尾を飾るのが,P.Z.L.P46 Sumなどです.

これは,6人乗り高速旅客機P.13から発達した三座偵察爆撃機のP.23 Karasの
後継機として開発されたものです.
原型機は1938年秋に初飛行し,300機が発注されて1941年までに14個中隊が
編成される予定でした.
生産型SumAは完成直前で,7.7mm×4,それに操縦席後方の銃塔に7.7mm×2,
胴体下部の油圧引込式銃塔に7.7mm×1,爆弾600kgを装備する予定でした.
この機体は,パリエアサロンで公開されてから,BulgariaがGnome-Rhone14N
(SumAは,Bristol Pegasus20)を装備したSumBを発注しましたが,結局原型は
出来ませんでした.
また,これを複座化した急降下爆撃機も計画されていました.

なお,無武装の原型機Sum2(2号機)は,1939.9.25,RomaniaのBucharestから
戦火のWarsawにPoland軍最高司令官の最後の命令を伝えるのに使用され,
機体はLatviaへと亡命しました.

最後に,水上機の話など.
ポーランド海軍は,水上機としてCant Z.506を発注していましたが,1機しか到着
しませんでした.
また,国産水上機として,海軍航空工廠でNikol A2と言う機体が1939年に製作
され,少数生産の準備が行われていました.
この機体は,訓練・連絡用の複座水陸両用飛行艇で,DH GypsyQueenを胴体
背部に置き,推進式にプロペラを回すものでした.
これを元に,双発化したNikol A4の製作も開始されていたそうです.

439 : 426[???] 投稿日:03/03/27 17:09 ID:???
戦前のアルバニア空軍の画像がホスィんですが.陸軍・戦中の対パルチザン民兵
でもいいです.とにかくアルバニア軍の画像がホスィ.

441 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:03/03/29 21:36 ID:???
年度末進行で,死にかけています.
4/1以降ならネタふりできるかも.

>>439
Albaniaですかい.
1913年にオスマン・トルコから実質上の独立を勝ち取り,最初はドイツから
元首(ヴィルヘルム・ヴィート侯)を招いたものの,第一次大戦勃発後に追放し,
1925年にアフメット・ゾグーが大統領になるまで内乱が続き,Italyの支持で
1928年にゾグーが,ゾグーI世として王制を敷き,即位した国.
Italyしか支持する国が無く,1939年4月,そのItalyに裏切られてゾグーは
追放され(南アフリカで没する),Italy国王がAlbania国王となりました.

大戦では,ギリシャ侵攻の足場となり,撃退されて国内で戦闘が行われました.

なもんで,空はItalyが支配し,民間航空もAla Littoria(Alitaliaの前身)が,
運航していました.
空軍はRo.37が数機だった気がします.
1914年にオーストロ・ダイムラーの機体を3機使用したのが最初ではありますが.

ついでに参考.(現在のものですが)
ttp://www.aeroflight.co.uk/waf/albania/pics/albaniemig19.jpg
ttp://www.aeroflight.co.uk/waf/albania/pics/albania_9.jpg

443 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:03/04/04 23:40 ID:???
や〜っと仮復帰.

さて,Bulgariaについて話をしてみませう.

この国はトルコより独立し,黒海に面した国であったが,12世紀の大Bulgaria帝国
を夢想して周辺各国との争いが絶えなかった.
何しろ,そのころのBulgariaは,Romaniaの一部とGreeceの殆ど,更に,Belgrade
近くまで領有してたりする.

1912年には,Serbia,Montenegro,Greeceと組んでTurkeyを相手に第一次Balkan戦争
を戦い,Macedoniaを得た.
SerbiaはRussiaの支持の下でアドリア海への通路を要求,ItalyはAlbaniaの占領を望み,
GreeceはItalyによるドデカネス諸島占領に抗議し,二重帝国はあらゆる勢力拡大を阻止
しつつ,Bulgariaを援護すると言う混沌状況の中,1913年にBulgariaがSerbiaを攻撃し,
第二次Balkan戦争が始まる.

このときは二国間戦争だったはずなのに,各国の思惑により,Serbia支援のために
Romania,Greece,Montenegro,Turkeyが参戦.
これに対し,Bulgariaを支持する二重帝国は支援を行おうとするが,GermanyとItalyが
これを阻止し,結果として,Romaniaは南ドブルジャを,Greeceはマケドニアを,それぞれ
Bulgariaより割譲される.

これが,第一次大戦でBulgariaが同盟側に立って参戦する原因となったのである.


449 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:03/04/13 23:47 ID:???
さて,そのBulgariaですが,第一次大戦では1915年にドイツと友好・同盟条約を
締結し,10.14に参戦します.
その代償に,Serbia領のマケドニア(現在のマケドニア共和国)を同盟諸国から
獲得します.
そして,Greece,Romaniaが連合国側に参戦した場合に,これを撃破した暁には
Greece領マケドニアとRomaniaのドブルジャを獲得する権利を持っていました.

後者の権利は,1916年にRomaniaが参戦し,12月に全土を制圧した時に発生しま
した.
ドブルジャは,1918.5.7のBucharest条約で正式にBulgariaのものになります.

しかし,4ヶ月後,前年に連合国側に立って参戦したGreeceから行われた連合軍の
マケドニア攻勢により,Bulgaria軍は崩壊し,同盟国側としては,9月末,最初に戦線
を離脱してしまうのです.

450 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:03/04/15 22:14 ID:???
第一次大戦後,Bulgariaも敗戦国となり,1919年11月27日,ヌイイー条約
を締結します.

これにより,Serbiaにマケドニアを中心とした国境地帯の一部を割譲し,
Romaniaにはドブルジャを返還し,Greeceにエーゲ海に面したトラキア西南
地方を割譲した上,空軍保有の禁止,保有兵力上限2万人という枠を嵌め
られます.

このため,戦後は難民問題とYugoslaviaに対するマケドニアの主権要求が
主な政治課題となりました.
敗戦後,政治の舵取りをしていたのは,農民党と言う政党で,首相のスタン
ブリスキーは,農民に対する土地改革,マケドニアとBulgariaの一体化を
推進してきました.
これに反発したのが,旧体制勢力で,彼らは軍を動かし,1923年に将校団が
決起して,首相を射殺し,共産党と農民党を解散に追い込みました.
更に,世界恐慌で経済が混乱し,国家社会主義勢力が台頭すると,バスに
乗り遅れるな,とばかりに,1934年,ツヴェーノと言う保守派将校組織のクー
デターが起き,ゲオルギエフ大佐による独裁体制が確立します.

その大佐は1935年に失脚し,国王ボリスIII世の直接統治が始まるのです.


455 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:03/04/19 00:42 ID:???
>>452
あ,あのTurkey軍兵士がどこぞの家に入って,そこの奥方とか女中とか
娘とかを見境無しに犯すとかそう言う話ですっけ.
河出書房の本か何かで挿絵を見た覚えがありますけど.

この辺はギシュクラ・ヤーノシュ氏辺りが詳しそうな(苦笑.

456 : 山崎渉[(^^)sage] 投稿日:03/04/20 05:31 ID:???
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)

457 : 名無し三等兵[ ] 投稿日:03/04/20 21:36 ID:???
山崎対応ほしゅ.

458 : ギシュクラ・ヤーノシュ[] 投稿日:03/04/24 23:59 ID:IrfvoE81 [1/1回]
眠い人さま

え?名前ぐらいは聞いたことがありますが,中身までは・・・.

ところで山崎某って何なんです??


459 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:03/04/25 00:08 ID:???
バルカン戦争まで遡っても罰は当たるまい.

で,Bulgariaに対する諸国はと言うと,まず,SerbiaとGreeceが挙げられます.
そしてRomaniaがあります.
今回はRomaniaについて話を進めていきましょう.

RomaniaもTurkeyから独立した国でした.
最初の元首クーザ侯爵はその後の暴動で退位し,ホーエンツォレルン・ジグマ
リンゲン家から国王を迎え入れ,独や二重帝国と同盟関係を結びました.
そして,同盟諸国との関係も深く,軍隊はPrussiaを手本に育成されています.

しかし,第二次バルカン戦争では,RomaniaはSerbiaを支持し,そのSerbiaの
反二重帝国政策を嫌った二重帝国との関係が悪化.
これがきっかけで,第一次大戦にはRomaniaは中立を宣言し,連合国から,
マジャールのバナート,トランシルヴァニア,ブゴヴィナの領有を保証された
ため,1916年に連合国側に立って参戦します.

ところが,連合国の支援が不十分で,特にロシア軍が足を引っ張り,国内を
蹂躙され,4ヶ月で全土を占領されてしまいました.


462 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:03/04/27 22:54 ID:???
第一次大戦当時のRomania戦線については,Hans Carossaというドイツ人の
作家が,軍医大尉として従軍した有様を,「ルーマニア日記」という作品に
描いています.
彼はGoetheの弟子を自認し,その戦記文学は格調高い文章に仕上がっています.

ルーマニア日記は1924年に出版されたものですが,大戦当時の従軍体験を基に
描かれただけに,なかなか真に迫ってきます.

「九時になって,旗を掲げた一人のユダヤ教の指導者に導かれた,十三人のルー
 マニア兵が,銃と弾丸を持って現れた.ドイツ軍と共に戦っていたハンガリー軍の
 大尉に会いたいと申し出てきて,正式に降伏した.
 その一幕は少しばかり芝居がかっていた.
 芝居がかるとなると,ハンガリーの兵士達も,ルーマニアの兵士達も,我々ドイツ人
 よりは遥かに上手に役をこなした.」

「我々みんなにとって,何よりも最大の苦しみは喉の渇きであった.
 渇きは,飲むという事に対する酷い嫌悪感に結びついている.
 血のべたべたと付いていた斜面から垂れてくる雪融け水の中には,始まっている腐敗
 の兆候がたっぷりと溶け込んでいる.
 だからそんな水で,紅茶さえ沸かそうとは思わないし,況や,飲み水に用いるなどとん
 でもない話である.」

「到着した時はもう深夜だった.その村の名は覚えていない.どの家ももう歩兵で溢れている.
 我々はやっと,住み手のない略奪された小屋に宿を見つけた.小屋には干草も未だ少しは
 有った.
 他のものは毛布と濡れた外套の下に身体を伸ばした.私の燃えさしの蝋燭は,ゆらゆらと
 燃え尽きてしまう.今のうちに寝床を確保しなければ.」

今は岩波文庫から再版されているみたいですね.


466 : 眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 投稿日:03/05/05 22:28 ID:???
さて,Romaniaについてもう少し語ってみる.

占領後,屈辱的なBucharest講和条約により,主にBulgariaに領土を喪失
しますが,連合国の攻勢により,枢軸諸国が崩壊したため,占領状態は
無くなり,大戦後のどさくさに紛れて,兵をロシアと二重帝国に出して,ブゴ
ヴィナ地方,トランシルヴァニア,ベッサラヴィアを確保.
ヌイイー条約でBulgariaからドブルジャ地方を奪い返し,トリアノン条約でマ
ジャールからブゴヴィナ地方,トランシルヴァニア,そして,バナート地方の
3分の2を確保し,なおかつ,マジャールで戦後成立した世界で2番目のソヴェ
ト共和国の打倒に於いて白軍を支援し,更にサトマール,オラディア,アラド
を割譲させ,戦前に比べると国土と人口は倍になりました.

しかし,急速に領土を拡張したため,国内にはマジャール人を筆頭に少数民族
が25%に上り,国民国家から多民族国家へと変質していきます.

また,周辺各国からの領土の割譲による漁夫の利的国土拡張は,マジャール,
ソ連,ブルガリアとの緊張関係を生み出し,周囲に友好国は殆ど無い状態を
生み出します.

国内は一応民主政治が保たれていましたが,少数民族問題,農業問題で常に
緊張状態を孕んでおり,なおかつ,周辺諸国との緊張状態に伴う,軍事支出,
経済的自立のための工業化を外資に仰がざるを得ず,その発展を急速に進め
ることで,国の大部分を占める農民の反発を受け,遂にその政治体制は崩壊に
向かいます.

そして,1930年,皇太子時代に王冠を捨て,王位を息子に譲ったCarol I世が帰国
し,専横を始めるのです.

軍事板,2003/01/20
青文字:加筆改修部分


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